◆
深い夜を、我武者羅に駆け抜けた。
果てなき闇を、必死に進み続けた。
その背中に、一対の極光を背負い。
少女は、ただ只管に前進を続けた。
進む。進む。前へ、前へと。
己が目指すべき場所へ、彼女は向かう。
煌々と輝く紅蓮の翼によって突き進み。
聖女は、宿縁の死地へと向かう。
もはや、隣には誰もいなかった。
愛する者へと最期の呪縛(いのり)を遺した紗奈。
自らを庇い、全ての希望を託したりんか。
その輝きによって、全身全霊を以て挑んだ日月。
皆がこの地で戦い、そして散っていった。
それぞれが衝動を背負い、自らの願いを抱き。
その命を燃やし尽くして、駆け抜けていった。
少女は、その記憶を背負う。
傷だらけの肉体によって、想いを抱く。
今はただ、決戦の地へと向かう他ない。
終止符を打たねばならない因縁が、其処に待ち受けている。
ジャンヌ・ストラスブール。
その聖女は、背負い続ける。
責務と矜持を、抱き続ける。
治癒や休息に費やす余裕など無い。
刑務は既に終盤。残り数時間で全てが終わる。
それまでに、聖女は行かねばならない。
地の底で繰り広げられし闘争。
その終幕までに、果たさねばならない。
刻々と迫る時間の中で、聖女は翔る。
疲弊した身体を、強引に駆り立てる。
星々は、もはや光を失っていた。
天井に広がるのは、紺色の暗夜だけだった。
少女を見下ろすのは、底のない影だった。
それは彼女の未来を暗示する、闇の深淵なのか。
あるいは彼女を静かに見守る、夜の帷なのか。
その答えは、まだ誰も知らない。
この先の運命だけが、それを指し示す。
C-4、草原――。
既に消滅したエンダ・Y・カクレヤマの眷属が導いた地点。
巫女が待ち受ける筈だった、最後の死地。
幾度もの激戦が繰り広げられた、魔境の果て。
立ち尽くすジャンヌは、静かに視線を動かす。
既に疲弊し切った肉体。乱れる呼吸を整えながら。
その地に存在する気配を、すぐさまに感じ取る。
そこに存在していた影は、ふたつ。
倒れ伏す亡骸と、呆然と立ち尽くす巨漢。
伏せる亡骸に、ジャンヌは視線を向けた。
白髪に、褐色の肌。顔に刻まれた傷。
鋭い眼差しは、既に色彩を失っている。
――その青年が、何者であるのか。
ジャンヌは既に悟っていた。
ネイ・ローマン。欧州屈指の悪童。
混沌の新時代へと躍り出た超新星。
群雄割拠するネイティブ・ギャングの頂点と謳われた男。
噂は幾度も耳にしていた。
次世代の巨悪。孤高の猟犬。新時代のギャングスター。
欧州を奔る中で、その悪名は常に轟いていた。
この地の底は、そんな悪童さえも飲み込む魔境だった。
ネイ・ローマンは地に伏せた。
それが誰の仕業であるのかなど。
最早、語るまでもなかった。
そこに佇むのは、漆黒の帝王。
否、自らの王冠を棄てた悪童。
威厳で創られた虚像を振り払い。
己が原初の渇望に目覚めた外道。
彼は、現れたジャンヌを一瞥して。
どこか苦笑するような表情を浮かべていた。
こうなる運命だったことを、どこかで悟っていたように。
最後に訪れた邂逅を前に、奇妙な笑みを貼り付けていた。
「なんだ、お嬢ちゃん」
ルーサー・キング。
その巨悪は、満身創痍の姿で立つ。
その老人は、己が醜態を誤魔化さない。
堂々たる佇まいで、其処に在り続ける。
「いや……」
キングは、苦笑と共に言葉を続けた。
――“お嬢ちゃん”。侮りに満ちた呼び名だと、彼は自嘲する。
以前の彼ならば、眼前の小娘など歯牙にも掛けなかっただろう。
ルーサー・キングは帝王であり、闇の頂点に立つ者である――。
そのプライドこそが、彼に“支配者の仮面”を被らせていた。
だが、今はどうだ。
キングは既に、自らの殻を打ち砕いた。
己を雁字搦めにする立場と建前。後先や合理という足枷。
その全てを踏み越えて、彼は己が情動の境地を取り戻したのだ。
「ジャンヌ・ストラスブール」
故にこそ、その名を呼ぶ。
立ちはだかる“強敵”として、少女を見据える。
「そりゃあそうだよなァ。
てめえが待ち受けてるんだ。
葉巻を吸う暇なんざ、あるわけがねえな」
そう、キングには休む暇など無かった。
ネイ・ローマンを仕留めた矢先に、聖女がこの死地に現れたのだ。
「ヤマオリの巫女を仕留め、ギャングスターを倒して。
そしててめえが、また立ちはだかってきた」
キングは可笑しそうに喉を鳴らして、やれやれと肩を竦める。
「ああ――――因果ってモンだよ。全くな」
窮地に立たされているにも関わらず、キングは何処か愉快そうに笑っていた。
そんな彼の姿を、ジャンヌは無言のまま見つめている。
凛とした眼差しが、満身創痍のキングを捉える。
剣を握る手は、蓄積された消耗によって微かに震えている。
バルタザール・デリージュとの交戦に加えて、先の“偶像”との死闘――。
それらによる手傷と疲労が、ジャンヌの肉体に刻み込まれていた。
ルクレツィアの黒炎によって応急処置は行ったものの、万全を期す猶予などなかった。
既にこの刑務は残り数時間を切っている。
機を逃せば、ルーサー・キングはこの地を生き残ることになる。
だからこそジャンヌは、消耗を背負ってでも動き出した。
そして――――キングが待ち受ける、この死地へと辿り着いた。
ジャンヌにとって、この刑務は因縁への疾走だった。
断ち切らねばならない宿縁との、避けられぬ対峙だった。
「もはや、言葉は要らねえってか?
なあ、ジャンヌ・ストラスブールよ」
故にこそ、キングもそれに応える。
言葉など無くとも、聖女の眼差しが訴えかけている。
――決着を付けに来たのだ、と。
その澄んだ眼差しが、決意に満ちた瞳が、物語っている。
だからこそ、キングは自らの超力を再び発動する。
悪の頂点たる所以。到達者としての権能。
その消耗を押し切って、彼はその力を解き放つ。
超力第二段階――――『Public Enemy』。
されど其処に立つのは、最早黒鉄の魔人ではない。
全身を覆う鋼鉄は、もはや鎧の体を成していなかった。
頭部を覆う兜は、顔半分が砕け落ちており。
胴体を包む装甲は、各所が欠けるように朽ち果てている。
四肢を覆う部位でさえも、強引に鋼鉄を繋ぎ止めたような様相だ。
まるで継ぎ接ぎのように、ひどく歪な形状と化していた。
度重なる連戦によって、超力が万全に機能していない。
有り合わせの熱量を絞り出して、強引に異能を出力しているのだ。
それでも尚、キングの佇まいからは闘気が溢れ出す。
疲弊し切っているにも関わらず、歪であるにも関わらず。
その悪童は、威風堂々と其処に立つ。
「ええ。ルーサー・キング」
そして、ジャンヌもまた――――。
六枚羽の炎翼を、煌々と激らせる。
その右手に、眩き炎剣を握りしめる。
「貴方を討つ為に、私は此処に来た」
超力第二段階。キングと同等の領域。
多くの者達から託された意志によって辿り着いた境地。
幾度にも渡る交戦。されど帝王には届かなかった聖女。
彼女は今、奇跡の果てへと至っている。
聖女と悪童。対峙する両者は、共に半死半生。
それぞれが死線を超えて、多くの消耗を背負っている。
傷を癒す暇もなく、それでも二人は相対する道を選ぶ。
そう、互いの因縁に決着を付ける為に。
欧州の動乱から続く、逃れられぬ宿命。
彼らは、討ち果たさねばならない。
眼前に立ちはだかる、強大な敵を。
故に、両者は構える。
聖女は、紅蓮の火焔を解き放つ。
悪童は、漆黒の鋼鉄を研ぎ澄ませる。
それぞれの異能を、全力で引き出していく。
そして――――先に動き出したのは。
真紅の焔を纏う、ジャンヌ・ストラスブールだった。
流星のように迸り、聖女は一直線に駆け抜けていく。
闘争が、幕を開ける。
この歪んだ世界。このくすんだ世界に。
全てを焼き尽くす火種が、叩き落とされる。
◆
怪物と戦うならば、心せねばならない。
自らも怪物にならない為に、戒めねばならない。
我らが深淵を覗くように、深淵も我らを覗くのだから。
されど――怪物を討つ為には。
自らの意思を以て、正道を外れねばならない。
常軌を逸さねば、悪鬼は殺せない。
覇道を進まねば、狂気を打ち破ることは出来ない。
それはもはや、混沌の領域である。
闇に挑む為には、闇の果てへと突き進む他ない。
黒く染まる世界へと、その身を投じるしかない。
そうして人は、悪徳へと進んでいく。
悪は、悪と肉薄する。悪と鬩ぎ合う。
毒こそが、毒を制する。
なれば、なればこそ。
その意志によって、闇を討つ者がいるとすれば。
その極光によって、夜を穿つ者がいるとすれば。
それは、一つの奇跡と呼ぶしかないだろう。
果たしてその光は、世界を照らす善であるのか。
それとも、人々の目を灼く悪であるのか。
この深淵にて、答えなき恒星が輝きを放つ。
◆
確かな手応えは、あった。
その一撃は、確実に捉えていた。
相手の肉を切り、骨を断っていた。
明敏な感覚が、刃を通して伝わっていた。
間違いない。決して錯覚などではない。
第二段階に到達した超力は、紛れもなく届いていた。
始まりの戦いでは一欠片も及ばなかった、“牧師”に対して。
ジャンヌ・ストラスブールは、確実に肉薄していた。
彼女は重傷の肉体を押して、この死地に赴いているが。
対するキングは、彼女よりも更に深刻なまでに満身創痍だった。
エンダとローマンという二人の強豪との連戦を経て、その身は既に限界へと近づいている。
本来ならば、第二段階へ至ったジャンヌの一閃を凌げる筈がない。
そう、常道で考えれば――凌げる訳がないのだ。
「ははっ、ははははは――――」
されどジャンヌは、己の眼を見開く。
「流石だよ。あの時とは桁違いだ」
刎ね飛ばしたキングの右腕が、宙を舞う中。
ジャンヌの身もまた、吹き飛ばされていた。
炎剣の斬撃で右腕を切断されながら、キングは修羅の如く笑っていた。
その顔にニィと不遜な笑みを張り付けて、血走った眼差しでジャンヌを見据えていた。
四肢を刎ねられる負傷さえも厭わない――そう言わんばかりの、狂気じみた表情だった。
聖女の一閃を躱すことも、防ぎ切ることも出来ない。
だからキングは、真っ当な対処とやらを放棄した。
肉を切らせて骨を断つ――単純極まりない、無謀なる手段を選んだ。
右腕を斬らせながら、右腕でジャンヌを殴り飛ばした。
キングは、真正面からのカウンターを実行したのだ。
――何が、起きている。
――何が、起こっている?
そのキングを目の当たりにした時。
ジャンヌの思考に、そんな混乱が過ぎった。
ジャンヌは驚愕しながら空中で体勢を転換し、翼の浮力によって受け身を取る。
キングは笑みと共に鋼鉄を生成し、切断された右腕を“鋼鉄製の義腕”へと置換する。
超力で腕を補えるからこそ、真正面からのカウンターを狙ってきたのか?
違う。それは決して違うと、ジャンヌは確信する。
キングは手傷を負ってでも、“殴り抜ける”ことを選んだのだ。
仮に腕を失ったとしても、間違いなく自身(ジャンヌ)を殴り飛ばしていただろう。
そう思わされるだけの異様な気迫が、その笑みから滲み出ていた。
ジャンヌは焔翼を瞬時に羽ばたかせて、周囲へと火焔を放つ。
暴風と炎熱の波紋が、唸るように拡散する。
それは雑草や土を激しく焼きながら、佇むキングへと迫るが――。
瞬間。地響きのような足音が、次々に轟いた。
俊敏と呼ぶには程遠く、されど装甲車のような勢いを伴いながら。
迫る熱波に対し、キングは真正面から突撃を敢行する。
正面突破。鋼鉄の右腕を突き出し、熱波を防ぎながら突き進む。
その身を灼熱の余波で焼かれながらも、吼えるキングは決して止まらない。
まるで重機関車のように、キングは猛烈な勢いで突撃する。
荒々しく接近するキングを刮目し、ジャンヌは牽制の火炎を放つべく――。
否、それは誤りだ。聖女はすぐさま判断を切り替えた。
そんな小手先の技では止められない。そう思わされるだけの異様さを、眼前の悪童は纏っている。
ならば、どうする。
渾身の火力で、迎え撃つ。
聖女の炎剣が、煌々と燃え滾った。
神罰を思わせる光を纏い、その刃を肥大化させた。
あらゆる敵を焼き尽くして討ち払う、獄炎の聖剣が此処に顕現する。
そして、迫る悪童へと向けて――。
横薙ぎの一閃を、超速で放った。
「――――そうだ。そう来なくっちゃあな」
波紋が広がる。衝撃が震動する。
燃え盛る聖剣の一振りと同時に。
キングが瞬時に右鉄拳を放ったのだ。
衝突する焔と鋼の競り合い。
その勝敗は、刹那の合間に決する。
――――炎が破られ、刃が打ち砕かれた。
義肢の鉄拳が、聖剣の一撃を粉砕したのだ。
その勢いのままに、砲弾のような拳が駆け抜ける。
響き渡る、轟音。
鋼鉄の拳打が、ジャンヌを捉えて。
壮絶な威力によって、その身体を再び殴り飛ばした。
地面を転がるように吹き飛ばされるジャンヌ。
キングはすぐさま自身の後方に鉄柱を生成――自らを打ち出し、波紋が生じるほどの超高速で射出。
吹き飛んだジャンヌへと目掛けて、飛来するように接近。
そのまま、追撃の右拳を振り下ろさんとする。
されどジャンヌは吹き飛ばされながらも、翼の揚力によって方向を転換。
空中で体勢を整えながら、迫るキングを視界に捉えた。
そしてキングの右義手を、焔の翼が瞬時に灼き尽くした。
超高温の炎熱が、焼き払うように黒鉄の鉄拳を妨げる。
その余波はキングの肉体にも数多の火傷を刻み込み、ごく一瞬の隙を生み出す。
刹那――――斬撃の三連打が、キングの胴体を裂いた。
ジャンヌは間髪入れずに炎剣を再生成し、キングへとカウンターの連撃を叩き込んだのだ。
ジャンヌは、歯を食いしばる。
眼前の敵を捉えながら、気力を振り絞る。
斬撃に続けて、すかさず炎翼を脈動させる。
全方位へと向けて、再び灼熱の衝撃波を放った。
爆風にも似た熱量が、胴体を裂かれたキングへと襲い掛かる。
全身を焼かれたキングが、その勢いによって吹き飛ばされた直後。
炎剣を握り締めていたジャンヌが、その口から吐血する。
キングが炎熱に灼かれる寸前。同時に放たれた複数の鉄杭が、彼女の腹部を穿っていたのだ。
ごふ――と、血を溢れさせながら。
それでもジャンヌは、血潮さえも噛み砕かんばかりに気力を振り絞る。
その身からすぐさま黒炎を現出させ、捩じ込まれた鉄杭を灼きながら傷口を治癒。
刺傷から迸る激痛を強引に堪えて、ジャンヌはその場に立ち続ける。
吹き飛ばされたキングは、既に受け身を取って着地していたが。
荒く乱れる呼吸を整えながら、その場で片膝を突いていた。
「はーっ…………ふゥーーッ…………」
巨躯を微かに震わせるその姿は、誰が見ても重傷だった。
その身に受けた裂傷や火傷を、生成した鋼鉄の膜で止血している。
「はぁーーーーッ…………」
されど、焼け石に水だ。キングは明らかに瀕死の状態である。
呼吸を整えた所で、その現実は決して覆らない。
戦うどころか、立ち続けることさえ不可能なのではないかと。
彼の姿を見れば、万人がそう思わされるだろう。
あまりにも無謀であり、あまりにも非合理的。
撤退が妥当。残り数時間を逃げ続けることこそが順当。
今までのキングならば、間違いなくそうしただろう。
「…………悪くねえ、気分だ」
そうであるにも、拘らず。
この悪童は、今もなお。
己の超力を、行使し続けていた。
膝を着いた体勢から、ゆっくりと立ち上がったキング。
満身創痍、瀕死の状態である筈なのに。
その立ち姿には、威厳にも似た風格が漂う。
まるで鬼神のように、堂々たる姿でそこに在り続ける。
周囲に展開されていたのは――――数多の武具だった。
刀剣。短剣。大剣。長槍。戦斧。鉄槌。大鎌。鉄杭。鉄球。騎乗槍。
破滅の星々の如く。夥しい数の凶器が、無から顕現する。
無数の武器が、虚空より次々と生成されてゆく。
殺意の結実。超力が悍ましき暴威と化す。
それらはキングを中心に滞空をしながら、前方に立つジャンヌへと向けられる。
ジャンヌはすぐさま炎剣を滾らせながら、焔のジェット噴射によって駆け出した。
まるで群体を成すような暴威が、駆ける聖女を幾百もの切っ先で睨み。
――――そして、射出される。
――――鋼鉄の流星が、嵐と化す。
次々に放たれ、殺到を繰り返す武具の暴流。
けたたましい金属音が轟き、風を激しく裂いていく。
超速で飛来する凶器の数々に対し、ジャンヌは炎剣を我武者羅に振るう。
舞い踊る炎熱。暴れる剣閃。
その輝きが、鋼鉄の流星を凌ぎ続ける。
ある武具は焼き尽くされ、ある武具は叩き折られ。
ある武具は両断され、ある武具は弾き飛ばされ。
ある武具は消し炭にされ、ある武具は掻き消され――。
聖女は修羅の如く、戦い続ける。
暴威の嵐を、決死の立ち回りで捌いていく。
己の神経を極限まで研ぎ澄ませて、全てを打ち払っていく。
走る。奔る。駆ける。翔る。
殺到する鉄の嵐を切り払いながら、ジャンヌは突撃する。
吹き抜ける暴風が、その身を幾度も掠めながら。
されど致命打を全て躱し続けて、立ち尽くすキングへと迫る。
キングの反応は、目に見えて鈍い。
疲弊の蓄積は、明らかに響いている。
故にこそ、ジャンヌはその隙を攻めに掛かる。
「――――――――ッ!!!!」
閃光の如く駆け抜けたジャンヌが、荒れ狂う炎剣を横薙ぎに振るう。
一直線の突進、そのすれ違いざま。
キングの反応よりも先に、彼の胴体に勢いよく斬撃を叩き込んだ。
鋭い裂傷を受けて、たたらを踏むように仰反るキング。
駆け抜けながらすれ違ったジャンヌは、すぐさま方向を転換。
背中の炎翼の推進力、その方向を切り替えて――再度の突撃を敢行。
怯むキングに、二度目の剣閃が襲い掛かる。
突き抜ける流星が、その脇腹を猛然と焼き斬る。
瞬く間の連撃に打ちのめされ、キングはその眼を見開く。
しかし、同時に。
斬撃を叩き込んだ筈のジャンヌもまた。
激しく横転して、地面を転がっていた。
「――――かはははッ」
キングは、乾いた笑みを零していた。
その身を焼かれ、斬り裂かれながらも。
黒金に覆われた左拳を、強く握り締めていた。
「悪くねえ、悪くねえよ。
畏れることなんざ、何もなかったんだ」
一切の躊躇もなく、斬撃をその身で受け止めて。
一瞬の隙を突いて、渾身のストレートを叩き込む。
ただ、それだけのことだった。
「何も畏れる必要なんてねえ。
全ては、この拳の中にある」
――聖女は、間髪入れずに再起する。
その身に業火を纏い、炎翼の躍動によって跳躍。
まるで極星のように、周囲を焼き尽くしながら。
紅蓮の灼熱を統べて、ジャンヌは高速突撃を行う。
「この一撃こそが、俺だ」
瞬間、響き渡ったのは――――破壊音。
その身を、その顔を、業火の炎熱に灼かれながら。
全く恐れず、怯むこともなく。キングが、拳を振り抜いた。
唸る蛇のように振るわれた右フックが、纏う炎ごと聖女の頭部を殴り飛ばす。
「気に入らねえモンを叩き潰す。
目障りなモンを徹底的にブッ潰す。
それが全てだ。その為に、この力がある」
風に吹かれる枯れ草のように、再び地面を転がるジャンヌ。
炎翼の推進力によって、何とか衝撃を押し殺しながらも――。
巻き起こる異常事態に対し、ジャンヌはその眼を見開く。
我武者羅に、突撃を続ける。
爆熱のような勢いと共に、その炎剣を突き立てる。
この刑務の始まり。最初の交戦の際とは、段違いの破壊力。
魔星のような光芒が、只管に大地を疾走する。
「なあ。他に何が要るってんだ?」
そんな輝きさえも、キングは打ちのめす。
渾身の膂力を込めただけの、右拳の一撃。
ただ力を込めて、全力でジャンヌを殴り飛ばす。
灼熱の威力を押し殺せず、幾度も肉体を焼かれていく。
「俺はもう、こいつだけでいい」
されど、そんなことは関係ない。
キングは真正面から、迫る敵を迎え撃つ。
瀕死の肉体で、悪童は無法を押し通す。
もはや自らの手傷など、全く意に介さず。
己を形成していた合理や損得を、等しく薙ぎ払い。
キングはただ“敵を打ちのめす”ために立ち続ける。
その両拳を、強く握り締める。
力強く、逞しく、その腕を構えて。
獰猛なる魔獣のように、禍々しき気迫を放つ。
「かかってこい――――“聖女”。
最終ラウンドまで、立ってみせろよ」
ルーサー・キングは、笑っていた。
戦慄を抱く程の狂気を迸らせながら。
心底愉快そうに、その口元を吊り上げていた。
それは、地獄の蓋。
それは、深淵の底。
救国の聖女は、刮目する。
かの帝王は、もはや此処に非ず。
立ちはだかるのは、異形の怪物だ。
◆
今でも、あの少女は泣いている。
今でも、誰かが泣いている。
この世界は、ずっと間違い続けている。
きっとこれからも、間違いを重ねていく。
未来なき世界に、聖女は立ち続けている。
◆
死闘は続いた。攻防は繰り返された。
まるで冥府の苦行のように、幾度も、幾度も。
二人が立ち続ける限り、終焉を迎えることは無い。
二人が闘志を絶やさぬ限り、この闘争は結末を迎えない。
故にこそ、これは受難なのだ。
聖女に突き付けられた、試練であるのだ。
――――何が、起きている。
全身を駆け巡る苦痛の渦中。
ジャンヌは、己の思考を必死に纏める。
――――あれは、何だ。
夥しい混迷が全てを掻き乱す中。
ジャンヌは、血眼になって両瞼を見開く。
――――何が、起こった。
敵はまるで、生ける屍のように。
死を超越した魔物のように、君臨する。
――――“あの牧師”は、何を見出した。
その老いた偉丈夫を、ジャンヌは刮目する。
己が刻み込んだ手傷を、自らの眼で見据える。
灼熱の焔によって、皮膚の各所が焼き爛れている。
焦げた肌の表面は、炭のように黒く染まっていた。
顔半分の火傷は重傷の域に到達し、血肉混じりに赤黒く変色している。
全身に深い裂傷が幾つも刻まれ、その身体を紅く染めている。
肩や腕の肉――その一部分は、骨が覗きそうなまでに程に抉れている。
切断された右腕と義肢の継ぎ目からは、再び出血が始まっている。
継ぎ接ぎのような鋼鉄の膜を生成し、強引に止血を行っているものの――その限界は明白だった。
ルーサー・キングは、満身創痍だ。もはや死と肉薄している。
いつ事切れても可笑しくはない程に、摩耗し切っていた。
「ジャンヌ、ストラスブール……」
だと言うのに。
何故この男は、未だに倒れない。
何故この男は、退こうともしない。
何故この男は、不敵に笑い続けている。
「どうした……そんなもんかよ」
冷徹にして合理的。残忍であり打算的。
そんな“牧師”の悪名とは全く掛け離れている。
この刑務の幕開けで邂逅した時の悠然たる佇まいとは、まるで違う。
「俺はまだ、立っているぜ」
今のキングに、狡猾な奸計など無い。
ただ純然たる闘志のままに立ち続けている。
狂気と衝動が、その巨躯から迸っている。
「――――かかって、こいよ」
老人は、もはや駆けることすら出来ない。
その生命は、風前の灯である筈なのに。
この怪物は、全てを喰らい尽くすまで止まらないのではないか。
そう思わされる程の、異様な気迫を放ち続けていた。
同じ第二段階に到達した筈のジャンヌが。
満身創痍のキングによって追い詰められていた。
足音が、迫る。
少しずつ、少しずつ。
足音が、近づいてくる。
己の命を刈り取るべく。
死人のような怪物が歩む。
焦燥と緊迫に駆られて。
恐怖と戦慄に苛まれて。
今という時間が、収束する。
刹那が、永遠と入り混じる。
ほんの数秒。ほんの一瞬。
思考が、駆け抜けていく。
混濁する意識の中で。
まるで走馬灯のように。
意識が、鮮明に研ぎ澄まされる。
――――開闢の日。
――――あの時を契機に。
――――欧州は破綻した。
前時代の国家間の確執を引き継いだGPA欧州支部の失敗。
その合間を縫って急速に台頭した数多の組織犯罪。
超力による世界各地の混迷と騒乱。
社会を統べるはずの各機関は、その足並みを揃えられず。
結果として、政治と経済は悪徳によって侵食された。
欧州において、犯罪が完全に日常と隣り合わせになった。
治安の悪化によって、各所で社会機能が麻痺した。
行政は後手に回り続け、警察は強大な組織犯罪に目を瞑る。
数々の国において、そんな事態がごく当たり前のことになっていた。
貧困層や難民、そしてネイティブの少年少女――。
彼らが寄り合うスラムが、あらゆる都市に出現した。
法や社会に守られることのない、掃き溜めの部外者(アウトサイダー)。
超力の出現による混乱と破綻が、行き場のない者達を生み出した。
そんな中でギャングによる暴虐が、無辜の人々を搾取していった。
彼らの暴力が秩序となり、法へと成り代わっていった。
多くの者達が奪われ、踏み躙られ、路頭を彷徨った。
ある者はヒトとしての尊厳を失い、ある者は生きる為に暴虐と同化した。
搾取を逃れた人々も、現実から目を逸らすことで自分達の身を守った。
正義は嘲られ、その実態を奪われた。
悪徳が君臨し、世界を陰から支配した。
混沌の時代で、多くの悲劇が蔓延った。
数多の嘆きと、数え切れない程の犠牲が積み重なった。
神は人々を救わず、沈黙を貫くのみ。
この世界は、地獄(アビス)だった。
未来を奪われ、閉ざされた箱庭だった。
自分は、何のために始めたのか。
何を願って、戦う道を選んだのか。
そんな世界を、変えたかったからだ。
――おとうさん、おかあさん、と。
小さな少女が、路地の片隅で泣いていた。
たったひとりで、幼い少女が泣いていたのだ。
あんな子供が、孤独に打ちひしがれていた!
戦う理由など、それだけで十分だった。
置き去りにされた悲嘆を、絶対に受け止める。
伸ばすべき手を、絶対に誰かへと差し伸べる。
その為に、かつてのジャンヌは決意した。
慈善団体に属する両親の側で、少女は世界のカタチを見つめた。
自警団(アヴェンジャーズ)。
善行を成すアウトサイダー。
正義を貫くネイティブ・ギャング。
欧州でそう呼ばれる集団に、ジャンヌは身を寄せた。
各国の行政が機能不全に陥る中、自発的な治安維持と慈善活動を目的に起った若き集団だった。
世界を変える為に、ジャンヌは戦い続けた。
人々を救う為に、ジャンヌは走り続けた。
――取り零した者達は、数え切れなかった。
例え正義の灯火が、高らかに掲げられようとも。
混迷の時代は、犠牲という現実を強いた。
それでも、諦める道など選ばなかった。
自分達が背負うことで、たった一人でも救えるのなら。
この戦いには、間違いなく意味があるのだと。
ジャンヌも、アヴェンジャーズの面々も、そう信じていた。
その結末は、無惨なものである。
ジャンヌ・ストラスブールは、報われなかった。
信じて、信じて、信じ続けて。
失って、失って、失い続けて。
奪われて、奪われて、奪われ続けて。
理想は穢され、徹底的に踏み躙られ。
肩を並べた仲間達も、親しかった人々も、全てを喪い。
そうして長きに渡る陵辱の果てに、地の底へと堕とされた。
謂れのない罪を背負い、聖女は誰も知らぬ監獄へと辿り着いた。
――――どうすれば良かったのか。
ジャンヌは、自問自答をする。
答えは返ってこない。真実は何処にもない。
――――どこで道を誤ったのか。
その疑問は、途絶えることなく。
頭の中で、反響を繰り返していく。
――――何故なのだろうか。
神は、答えてはくれない。
神は、真理を指し示してはくれない。
――――どうして、まだ。
ああ。世界は、今も尚。
混沌の渦中で、迷い続けている。
――――あの子が、泣いているのか。
聖女の記憶に宿る“幼い子供”は。
今もまだ、救いを求め続けている。
――――どうして、この世界は。
それは、何故なのか。
その答えは明白だった。
――――赦しを得られないのか。
戦いを経ても、世界は救われなかった。
あの少女と同じ哀しみが、今も慈悲を求めている。
理想は、現実を変えられないのか。
世界は、ただ間違いを繰り返すのか。
悪徳の蔓延るソドムに、神の慈悲は降りてこないのか。
この退廃の箱庭に、救う価値はあったのか。
ほんの十数秒が、永遠のように感じられて。
停滞する思考が、現実を前に加速する。
迫る足音によって、己の意識が引き戻される。
「……“私は”……“戦い続けます”」
やがて、ジャンヌは。
掠れた声で、言葉を紡ぎ始める。
まるで、何かに駆り立てられるかのように。
「”たとえ、この身が”……“燃え尽きても“」
かつてラジオを通じ、大衆に向けて伝えたスピーチ。
混迷の時代に怯える人々に寄り添い、支える為の鼓舞。
迷える世界の希望となるべく、闇を照らした灯火。
「“心は……あなた達と共にいます”」
己の信じた道を、振り返るように。
己を省みて、奮い立たせるように。
己が背負ってきたものを、反芻するように。
聖女は、その言葉を紡ぎ続ける。
「“だから、どうか”……」
その両腕に、力を込めて。
己の魂から、熱を絞り出して。
聖女は、決死の覚悟で立ち上がる。
喉の奥につかえる言葉を、引き摺り出す。
信念と意地を、最後の限界まで解き放つ。
「どうか――――ッ」
あらゆる感情が、胸の内から溢れ出してくる。
あらゆる衝動が、綯い交ぜになっていく。
混ざり合う全ての意志が、眼前の現実へと収束していく。
何故、戦い続けている?
己の心が、それを求めたからだ。
何故、進み続けている?
己の魂が、それを望んだからだ。
この世界は、間違い続ける。
幾度でも、間違いを重ねていく。
終わらぬ輪廻は繰り返される。
しかし、それは――絶望の免罪符ではない。
幾百も、幾千も、幾万も。
何度、希望を踏み躙られようが。
生きている限り、立ち向かえる。
例え世界が、いつまでも間違えようとも。
どれだけの不条理を並べ立てようとも。
人の命という祝福が、間違いである筈がない。
諦める選択など、とうに振り払っている。
諦念を否定したからこそ、立ち続けている。
込み上げる疑問など、どうでもいい。
鬩ぎ合う苦悩など、どうだっていい。
――自分は、まだ戦える。
重要なことは、それだけだ。
戦うことを辞めないと、決意したからこそ。
皆の命を、此処まで背負ってきたのだろう。
どうして、だとか。
何を誤った、だとか。
そんな泣き言を言う暇があるのなら。
戦え。進め。挑め。ただ、立ち向かえ。
世界の悲嘆へと、手を伸ばし続けろ。
世界を照らす、希望の光を示してみせろ。
たった一人でもいい。誰かを救う道を邁進しろ!
それこそが、ジャンヌ・ストラスブールだ。
例えその奥底にいるのが、ただの少女だとしても。
人々は――聖女/偶像に希望を託していたのだ。
追憶する、先の戦い。
最期の一瞬。最後の臨界点。
鑑 日月が崩れ落ちる間際に見せた、我武者羅の輝き。
偶像から掛け離れた壮絶な姿になりながら、それでも彼女は意地と矜持で迫った。
あの美しさこそが、“辿り着いた果て”であるのならば。
聖女の意識が、純化されていく。
護るべき正義の為に、灼かれていく。
魂の焔が、紅き閃光を放つ。
闇を打ち払う煌炎と化して、迸っていく。
駆ける。賭ける。翔る。
己が全てを、紅蓮に焚べていく。
煌々と燃えて、烈火と成っていく。
その果てに残されるものは、一体何なのか。
もはや振り返ることなどしなかった。
ただ今は、己の臨界を超えてでも――。
前へ、前へと進まなければならなかった。
双眸を、見開く。
自らの命を、劫火へと変える。
悪しき混沌を焼き尽くす、極光の紅を。
聖女は、己が身へと降ろす。
「“どうか、最後まで”――――」
そして、聖女は。
その言葉を告げた瞬間。
「――――“希望を、捨てないでいて”」
破顔するように、微笑んだ。
血に穢れて、窶れきった、その顔で。
ひどく優しい笑みを、浮かべていた。
言い知れぬ感情に、突き動かされた。
全てを灼き尽くす、極星の輝きだった。
それは、何の笑みだったのだろう。
それは、誰が為の笑みだったのだろう。
もはや答えは、彼女自身にさえ分からない。
確かなる現実は、ただ一つだけ。
――――私は、此処にいる。
そう、聖女は此処にいる。
ジャンヌ・ストラスブールは、まだ生きている。
祈りの焔は、まだ潰えていない。
なれば、挑み続けるだけだ。
その瞬間。
胸に宿る紅蓮の焔が。
混沌の衝動と雁字搦めになった。
澄んだ瞳に、熱が淀んだ。
神が降りた。
罪深き笑みと共に。
その身に、神が憑いた。
揺るがぬ意志と、迸る殺意。
その垣根は、嵐と共に打ち崩された。
まるで爆弾のように、弾け飛んだ。
そして聖女は、一陣の風と化す。
猛々しく燃える、真紅の焔と成る。
嵐と化した権天使が、疾走する。
滾る焔に、呼応するように。
魂の奥底から、渇望するように。
死に物狂いで――――聖女が、吼えた。
駆け抜ける残像に追従するように、劫火が吹き荒れる。
超速で飛翔する六枚羽から、まるで爆炎のような波紋を生み出す。
大地をも焼き尽くす程の勢いと共に、聖女は一筋の閃光と化す。
ジャンヌ・ストラスブール、超力第二段階。
――『此れなるは 神の慈愛に灼かれし 穢れなき紅焔(セラフィム)』。
その熱が、その衝動が、この死地を灼き尽くす。
超高速で迫るジャンヌを刮目し、キングは咄嗟に右義肢を突き出す。
しかし――鋼鉄で形成された腕は、駆け抜ける炎熱と衝撃によって激しく砕け散る。
眼を見開き、驚愕に表情を歪めるキング。
同時にキングの肉体も、突撃を受けた反動によって吹き飛ばされ。
灼炎の影と化したジャンヌが、それを追撃せんと突進する。
「――――なめ、るなァァァァァァ!!!」
悪漢(キング)もまた、血反吐と共に吠える。
血眼を見開いて、吐き出すように叫んだ。
そして、次の瞬間――突撃するジャンヌの肉体に、鋭い疼痛が次々に走る。
虚空で生成された数多の鋼刃が、滾る焔を突破して聖女の全身を穿ったのだ。
キングは吹き飛ばされながら、決死の執念で攻撃を仕掛けた。
火焔の紅と血潮の赤が、入り乱れる。
蜃気楼のように、聖女の肉体に纏われる。
――――紅蓮の聖女は、決して止まらない。
その身で赫を統べて、突撃を敢行する。
吹き飛ばされていたキングが、更に超力を行使。
地面に根を張る数多の鋼鉄触手を生成し、リング際のロープのようにキングの背を受け止める。
モハメド・アリとて、リング際の駆け引きで耐え抜いたのだ。
ならば自分も、彼に倣い――意地でもやってみせる。
キングの思考が、激しく加速する。
突進の勢いに乗せて、荒々しい紅蓮が迫る。
それを見据えて、キングが再び鋼鉄の右義腕を生成。
焔剣を構え、鉄腕を握り締め。聖女と怪物が、限界まで肉薄する。
「――らあああああああああああああッ!!!!!」
「――はあああああああああああああッ!!!!!」
吠える。吼える。咆える。
紅蓮と鋼鉄が、激突する。
二人の悪童が、全てを燃やす。
舞い狂う炎刃。暴れ狂う鉄拳。
互いの身を削り、肉を抉り、凌ぎ合う。
限界を超えて、もはや意地と狂気だけが互いを突き動かす。
光と闇が、極限へと至る。
吹き荒れる血風を纏いながら。
決死の熱量を絞り出しながら。
衝突と交錯が、絶え間なく繰り返される。
猛るキングが、滾る焔に灼かれる。
瀕死の肉体に、更なる裂傷が幾度も刻まれる。
翔るジャンヌが、鋼の拳に打ちのめされる。
生み出される刃や杭が、更なる追い討ちを与える。
爆ぜる。何もかもが爆ぜて、混濁する。
互いの血潮が入り混じり、狂熱の嵐と化す。
二人の血眼が、殺意を宿して敵を見据える。
聖女と怪物が、死へと肉薄する。
刹那の打ち合いが、永劫のように続く。
共に満身創痍でありながら、一歩も引かぬ応酬を繰り広げる。
鋼鉄と火焔。紅煌と黒鉄――災厄にも似た暴威が、この地の底に巻き起こる。
幾度もの。幾重もの。
幾千幾万もの、攻防の末に。
競り勝ったのは、紅蓮の聖女だった。
「ぐ、が、あ――――ッ」
――――黒鉄を纏う両腕が、宙を舞った。
――――焔と血液が、撒き散らされる。
幾度もの激突の果てに、ジャンヌの剣戟がキングに押し勝ったのだ。
キングの屈強なる剛腕が、炎刃の一閃によって斬り飛ばされた。
肘から先の両腕を同時に喪い、キングは血を噴き出しながら後方へと仰け反る。
その隙を見逃す訳がない――ジャンヌは雷のような瞬発力と共に、超速で迫る。
因縁の怨敵に最後のトドメを刺すべく、凄まじい勢いに乗せて炎剣を振るう!
「俺は、まだ…………ッ!!!」
だが、それでも――。
それでもキングは、敗北を拒絶する。
「まだッ、終わってねえぞォォォォッ!!!!」
その瞬間、黒鉄が弾けた。
切断され両腕の断面から、無数の鋼が爆ぜた。
まるで荒れ狂う濁流のように。
傷口を起点に、鋼鉄が生み出されていく。
夥しい物量の鋼鉄を生成、生成、生成、生成――。
流動する鋼鉄が、鉄砲水のように解き放たれた。
眼前まで肉薄したジャンヌを、雪崩のように押し出していく。
壮絶なる物量が、聖女を飲み込む。
そのまま鋼鉄の激流によって圧し潰すべく、勢いは更に増し続ける。
――――猛る激流を、灼きながら。
――――聖女が翼を広げて、翔び上がる。
身体中に打撲の傷を負い、各所の肉が刃や杭で裂かれている。
左腕はへし折れて、顔の右半分はまともな視界を失った。
聴覚も壊れかけて、激しい耳鳴りが続いている。
全身の感覚も摩耗して、あらゆる痛みが雁字搦めになっていた。
それでも、ジャンヌ・ストラスブールは翔ぶ。
その生命が続く限り、聖女は立ち向かう。
狂熱の深紅を纏って、敵を真っ直ぐに見据える。
「――――ルーサー、キング」
ただ一言、聖女は囁いた。
ひどく澄んだ声を、静かに放った。
燃え滾る焔の渦中で、翡翠の恒星が君臨した。
羽ばたく聖女を、その目に焼き付けて。
驚嘆と戦慄を、その胸中に宿しながら。
それでもキングは、その口元に笑みを浮かべていた。
乾いた笑いが、その喉奥から溢れていた。
「――――――がああああああああああああああああああああああァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!!!!!!!!」
形振りを構わない、獣のような咆哮が轟く。
キングが咆える。キングが叫ぶ。
両腕の断面から止め処なく溢れ出す“鋼鉄の激流”が、瞬く間に硬化していく。
秩序なき災厄の奔流が、鋭利なる形状へと変化――夥しく枝分かれを繰り返す。
そうして生まれた巨大な“鋼鉄の樹枝”が、次々に周囲一帯へ向けて放たれた。
草木が、大地が、風が、その全てが。
超速で殺到する樹枝に寄って穿たれていく。
逃げ場などない。360度、全方位へと目掛けて暴威は振り撒かれる。
まるで張り巡らされる蜘蛛の糸のように。
解き放たれた殺意は、確実に敵を仕留める凶器と化す。
されど、聖女は退かない。
決して、一歩たりとも退かない!
悍ましく殺到する鋼鉄の樹枝を、次々に斬り払い。
その身を幾度と掠めて、時に四肢を穿たれながらも、決して飛翔を止めない。
鋼の嵐の彼方。その先に立つキング一人を、その眼で見据える。
その羽ばたきによって、その熱量によって。
背負う六枚の焔翼が、爆ぜるように輝く。
何があろうとも、決して止まりはしない。
空を駆け抜ける流星のように、聖女が翔ぶ。
一直線の突進――――何物にも阻ませはしない。
鋼鉄の樹林が、煌々たる焔によって突き破られる。
迫る。迫りゆく。
紅蓮の焔が、肉薄する。
夥しい鋼鉄の嵐を振り払って。
絶望と悪徳の渦を超越して。
眩き聖女が、突撃する。
五感の全てが、刹那へと収束する。
少女の視る世界が。
たった一瞬。
“今”へと凝縮される。
もはや、何もいらない。
この一太刀だけを。
彼女は、求めた。
そして、聖女は。
結末へと辿り着く。
――――――――勇ましき雄叫びが、轟いた。
――――――――翔る極光が、闇を一閃した。
ジャンヌ・ストラスブールが、突き抜ける。
ルーサー・キングが、崩れ落ちる。
流星と化した聖女の剣閃が、最後の一太刀を叩き込んだ。
一直線に翔けていった焔が、最大の巨悪を討ち果たしたのだ。
全てを灼き尽くす、劫火の果てに。
静寂の夜が、再び訪れた。
◆
世界は、沈黙に包まれていた。
全てが爆ぜて、焼き尽くされ。
紅蓮の宿縁は、灰燼に帰した。
狂気に等しい欲望が、駆け抜けていった。
執念に等しい殺意が、迸る閃光と化した。
凌ぎ合い、削り合い、奪い合った果てに。
血で血を拭う死線は、遂に幕を下ろした。
立ち続けるのは、聖女(ジャンヌ)。
倒れ伏すのは、悪党(キング)。
それは、この刑務の幕開けから続く宿怨。
否――彼らが地の底へと堕ちる前から連なる因縁だった。
挑む者と君臨する者。奪われる者と奪う者。
正義と悪。光と闇。聖女と帝王。
彼らは、決して交わることのない存在であり。
されど幾度にも渡る死闘の果てに、二人は同じ境地へと至った。
即ち、正気と狂気の彼方。
常道の垣根が爆ぜた先に待つ、死に物狂いの熱情。
ぶつかり合う衝動は、全てを燃やし尽くしたのだ。
聖女が、肩を震えさせる。
乱れる呼吸を、何とか整える。
その身からは、摩耗した焔が溢れ出ていた。
消えゆく篝火のように、熱が灯されていた。
自らの心身を繋ぎ止めるように。
疲弊した聖女は、そこに佇んでいた。
やがて焔の剣を、強く握り締めて。
倒れ伏す悪党へと、静かに歩み寄る。
覚束ない足取りで、伏せる老人へと迫る。
残された最後の力を振り絞るように。
聖女は足を引きずりながら、歩を進めていく。
キングは視線を動かして、彼女を見据える。
老人は、自分の運命を悟っていた。
もはや身体は、まともに動かない。
両腕を喪い、血が流れ続けている。
度重なる連戦と致命傷によって限界を迎えた。
僅かな超力を絞り出すことさえ叶わない。
迫る聖女を振り払うことも、迎え撃つことも出来ない。
潮時だ。もう、どうにもならないのだ。
「ハッ……ハハ、クハハハハ……」
それでも。
悪童(キング)は、笑う。
酷く可笑しそうに、嗤う。
「ハハハ……ハハハハハハハッ……」
たった一人の、死にゆく老人が。
何処までも愉快げに、笑い続ける。
「なあ……どうだよ、ヴァイスマン……?」
老人は、虚空へと言葉を投げる。
自分達を見下ろす“支配者”へと向けて。
猟奇的な笑みを、突きつける。
「てめえらは……笑ったことがあるか?
腹の、底から……笑えたことがあるかよ……?」
――――俺は、笑ってるぜ。
――――笑いが、止まらねえ。
――――愉快で、仕方ねえのさ。
まるで、そう吐き捨てるかのように。
老人は、口元を歪ませる。
その喉奥から、衝動を溢れさせる。
「ハハ、ハハハ、ははははははは――――」
老人は、笑う。
笑う。笑う、笑う、笑う――――。
「ふはッ、はははははははは……!!
ひひははははは、ははははははは!!
へぇははははははははははははははっ!!」
そして、何かの箍が外れたように。
壊れて狂った玩具のように。
老人は、腹の底から哄笑を吐き出す。
「はははははははははひは――――!!!
ひひひはははははははははははは!!!」
これは、何の笑いなのか。
もはや、彼自身にも分からない。
いったい、何に笑っているのか。
もはや、彼自身にも理解できない。
「ははははははははははははははッ!!!」
確かな事実があるとすれば。
たった一つ、真実があるとすれば。
欧州に君臨した“あの牧師”は、もう何処にもいない。
ただ、それだけだった。
この老人は、下衆だった。
人の道を外れた、外道だった。
理性も沽券も、全てが爆ぜて――燃え尽きた。
そこに遺されたのは、殺意を貪りし獣だった。
自らの憎悪と快楽のままに、全てを破壊し続ける魔物だった。
自由と解放を得て、牧師は誇りを捨てた。
矜持を放棄し、化けの皮の奥底に眠っていたもの。
それは九十余年もの時を生きた“社会悪”の、淀みと歪み。
彼はもはや、闇そのものだった。
彼はもはや、悪そのものだった。
彼はもはや、人ではなかったのだ。
「ははは、は、は、はは――――――――」
そして、その瞬間。
紅蓮の刃が、燃え滾って。
鋭い一閃が、駆け抜けて。
紅い鮮血が、舞い踊った。
宙を舞うのは、頭部だった。
老人の首が、刎ね飛ばされたのだ。
ジャンヌ・ストラスブールの振るった炎剣。
その眩く迸る刀身によって、一太刀のもとに斬首した。
その男はもう、死ななくてはならなかった。
絶対に、ここで殺さなくてはならなかった。
この地の底で生まれたのは、紛れもない怪物だったから。
それはもはや帝王でも、支配者でもない――。
誇りさえもかなぐり捨て、自らの悪徳の果てへと到達した、不屈の魔物だった。
留まることなき暴威を以て、全てを蹂躙し、全てを叩き潰していく。
その進撃の跡には、焼き尽くされた焦土だけが残される。
何もかもを傷つけて、万物を食らい尽くす。
そんな怪物へと、この老人は成ったのだ。
その在り方は、人間ですらない。
そう、だからこそ。
ルーサー・キングは、殺すしかないのだ。
ここで殺さなければ、何もかもが終わるのだ。
ジャンヌ・ストラスブールは、迷わなかった。
誰も知らぬ地獄(アビス)の窯で、怪物を永遠に葬り去ることを選んだ。
それだけは、絶対に果たさねばならなかった。
頭を喪った首の切断面から、血が留め処なく溢れる。
ボロボロのスーツに包まれた巨躯が、赤黒い色彩に染まっていく。
欧州に君臨した巨悪は、物言わぬ亡骸と成り果てた。
もう動かない。動き出すことはない。
それは微動だにせず、血の海に沈み。
沈黙する闇夜の下で、地に伏せる。
世界に君臨し、全てを支配してきた男。
強靭なる命は、ただの肉塊へと成り果てた。
今宵、この地にて、帝王は堕ちたのだ。
否――――彼は、もはや帝王ですらなかった。
その男は、王冠すらかなぐり捨ていてた。
眩き聖女は、正義と狂気を振るって、老いた怪物を討ったのだ。
やがて訪れたのは、宵闇の静寂であり。
疲弊が綯い交ぜになった、深い虚脱感だった。
聖女はもう、笑っていなかった。
深い濃紺の虚空を、彼女は放心するように見上げる。
その顔には、言い知れぬ悲壮が込められていた。
全てを灼き尽くした後。形を喪った感情が、朧げに浮遊する。
そうして聖女は、茫然とした面持ちで、自らが成した現実を受け止める。
――――ああ、終わった。
――――終わったのだ。
焦土の果ての沈黙だけが。
死闘の果ての孤独だけが。
亡骸と共に、横たわっていた。
◆
『俺には夢がある』
『いつか、アメリカに帰って』
『バスに乗りたいんだ』
『アラバマ州、モンゴメリー』
『その市営バスに乗りてえのさ』
『かつて、かの牧師が勝ち取った――』
『自由の象徴ってやつだ』
『そいつの座席に座ったとき』
『やっと安心できる気がする』
『“俺は人間なんだ”、ってな』
【ルーサー・キング 死亡】
◆
ゆっくりと、乱れる息を整えて。
震える呼吸を、必死に押し殺して。
聖女(ジャンヌ)は、力無く歩き始める。
酷く弱々しい足取りで、再び進み始める。
その身を蝕む、耐え難い苦痛と疲弊。
溢れ出る血は、留まることを知らない。
それでも、聖女は茫然と歩く。
辿り着くかも、分からぬままに。
どこを目指せばいい。その答えは、わからない。
恐らくエンダ・Y・カクレヤマは、刑務に反抗していた。
彼女がキングと対峙していたことには、きっと因縁以上の意味がある。
エンダがキングを足止めをしていたとすれば。
彼女たちの仲間が、何処かへと向かっていたのではないか。
刑務の打破に必要な手掛かりを持って、ある場所へ移動しているのではないか。
既に進入可能エリアは限られている。目的地は、自ずと絞られる。
――港湾か、と。
聖女は位置関係から推察する。
己が目指すべき場所を。
脳は何とか動いている。
思考はまだ出来ている。
動ける。やれる。戦える。
意志は、此処に宿ってる。
未だ、終わっていないのだ。
背負うものは、この身に数多ある。
多くの犠牲の果てに、自分は此処に立っている。
なればこそ、行かねばならない。
託された遺志を、己の正義を、貫かねばならない。
禍々しい、黒い炎を滲ませながら。
聖女は、屍のように歩を進めて。
そして。
糸が切れたように。
その場で、膝を突いた。
聖女は、また立ち上がろうとした。
けれど身体が、言うことを聞かない。
脚に力が入らない。血が溢れ出たまま、止まってくれない。
黒い炎で治癒を試みても、残り香のような熱だけが吐き出される。
そんな自分を、彼女は呆然と見つめていた。
どうしてだろう。曖昧な言葉が脳裏に浮かぶ。
それから、ようやく自らの有り様を俯瞰した。
満身創痍。とうに疲弊の限界を迎えている。
全身に刻まれた裂傷と穿孔。殴打で砕かれた肉と骨。
肉体の各所から血潮が漏れ出て、聖女を赤く染めていた。
酷い有様だ、と。
聖女は、ようやく自覚した。
こうなるまで戦い抜いていたのか、と。
聖女は、やっと気付いた。
狂気の果てへと進んで、我武者羅に駆け抜けていた。
堕ちた怪物を討つべく、決死の境界を超えていった。
もはや己を省みる暇もなく、そんな余裕さえもなく。
聖女は自らの肉体を、限界まで使い果たしたのだ。
もう戦えるはずがなかった。
当然のことだ。既に瀕死の状態だった。
魂の熱源も尽き果てて、超力も機能しない。
気力で覆すには、もはや手遅れだった。
そして――臨界点へと至った。
膝を突いた聖女が、ゆっくりとその身を崩した。
辛うじて起き上がっていた上半身が、地へと伏せた。
そうして俯せになって、彼女は倒れた。
起き上がろうと、頭では考えられても。
まだ戦わねばと、心を奮い立たせても。
それでも身体は、何も応えてはくれない。
どうにもならない。もう、無理なのだ。
こうなるまで、自分は死地に身を置いていたのだ。
そんな自分を見つめて、聖女は沈黙する。
星々が浮かぶ、眩き闇の下。
全てを終えて、沈黙の中に横たわる。
霞む思考が、朧げに繋ぎ止められていく。
ああ、疲れた。
ひどく、疲れ果てた。
共に肩を並べてきた仲間達を喪って。
友人も、家族も、愛する者達を殺されて。
そんな在りし日の自分が、脳裏に蘇る。
胸の内には、背負い続けてきた想いがある。
それぞれの形で、この世界を生き抜いた者達。
彼らの祈りも、信念も、抱き続けている。
けれど、それでも――ここにあるのは。
ただひとつの、死にゆく肉体だけだった。
意志は不滅であっても。
この身体は、朽ちゆくものだ。
それが、どうしようもなく寂しくて。
胸を締め付けられるほどに、哀しい。
ひどく、ひどく、切なくなる。
声はもう、聞こえない。
寄り添う意思は、既に過ぎ去っている。
ここにいるのは、自分だけだ。
夕焼けのような寂寞が、心に押し寄せてくる。
“渇きの青”が、さざ波のように揺れ動く。
感情が震える中で、鮮やかな過去が浮かび上がる。
――――“私達(あくとう)はね”。
――――“いつだって孤独なんですよ”。
――――“ひとりぼっちで、飢え続ける”。
いつの日か、ルクレツィア・ファルネーゼがそんなことを言っていた。
犯罪組織の手中に囚われ、暗い闇の中へと堕とされていた頃。
自分(ジャンヌ)を買って、戯れに弄んでいる時に、ふいにそんなことを呟いていた。
私達は同類。私達は同じ穴の狢。
我欲の為に生きて、我道の為に死んでいく。
それ故に、悪党(われら)は独りであるのだと。
そう囁いてくる“血塗れの令嬢”の眼差しは、今でも思い出せる。
己の道を貫き続けて、その果てに最期が訪れる。
諦めを拒絶した時から、それが運命となっていたのだろう。
記憶が蘇る。記憶が反響する。
数多の意志、数多の悲壮、数多の矜持。
彼らの姿が、その脳裏を駆けぬていく。
フレゼア・フランベルジェ。
ジルドレイ・モントランシー。
妄執に眼を灼かれ、孤独に奔っていた。
彼女達は飢えて、求め続けていた。
自らの信仰の証というべきものを。
氷藤 叶苗。アイ。
悪意の枷に囚われて、彷徨い続けていた。
幼き少女を守る雪豹の瞳には、拭い切れぬ悲壮が宿っていた。
大金卸 樹魂。
道を極めし武人は、欠落の中で藻掻いていた。
戦いの果てにある“他者の為の拳”を求めて、死地を駆け抜けていた。
葉月 りんか。交尾 紗奈。
癒えぬ傷を背負いながら、それでも未来へと手を伸ばしていた。
奪われ続けてきた少女達は、互いへの愛を胸に奔っていた。
鑑 日月。
あの夜の下で――蒼き月は、確かに輝いていた。
彼女を忘れない。彼女の想いを、この胸に刻み続ける。
そう誓って、自分は最期の死地へと赴いた。
――――“終わらせてよ、この飢えを”。
あの舞台で歌う日月が、そんな詩を紡いでいた。
皆が、何かを求めていた。
欠落と悲嘆を埋め合わせるものを。
己の魂を浄化/救済する、確かな光を。
誰もが、“独りぼっち”だった。
孤独だから、それを癒す術を求めていた。
ならば、自分(わたし)も。
飢えて、飢えて、飢えに飢え続けて。
ここに辿り着くのは、必然だったのだ。
この地は、終着点(アビス)だ。
業を背負った果ての地獄(アビス)だ。
生き足掻いた先に待ち受ける結末だ。
だからこそ、孤高に戦い続けた聖女は。
彼らと同じように、孤独の中で朽ちていく。
それこそが、宿命だったのだろう。
爆ぜる死闘の果て。
残されたものは、荒廃の焦土。
横たわるものは、怪物の亡骸。
狂熱する意志を、焔に焚べて。
肉体は、実存の末路へと至る。
己もまた、死にゆくのだ。
己もまた、終わりゆくのだ。
彼女は、それを悟った。
そうして、聖女は――――。
子どものように、小さく蹲って。
静かに、啜り泣いていた。
その瞳から、止め処なく涙があふれる。
喪われた温もりを求めて、悲しみに暮れる。
嗚咽を零して、孤独に打ち拉がれる。
「おとうさん……おかあ、さん……」
たったひとり。
少女は、幼き日に還る。
少女は、救いを渇望する。
それから、ゆっくりと。
祈るように、胸に手を当てて。
少女は、その身を神へと委ねた。
誰もがきっと、安らぎを求めていた。
誰もがきっと、魂の浄化を望んでいた。
誰もがきっと、赦しが欲しかった。
なればこそ、その少女もまた――――。
孤独の恐怖と、悲嘆の中に沈みながら。
それでも少女は、“なにか”を信じ抜こうとした。
自らが抱き続けてきた、淡く輝く燈火を。
【ジャンヌ・ストラスブール 死亡】
【C-4/草原/一日目・夜中】
※ジャンヌ・ストラスブール、ルーサー・キングの死体と荷物が放置されています。
《ジャンヌ・ストラスブール》
首輪:100pt(未回収)
所持品:流れ星のアクセサリー(破損)、ワイヤレスイヤホンマイク、デジタルウォッチ(『パーフェクトブルー』DL済み)
デイパック:葉月りんかの首輪(未使用)、治療キット、紗奈の手錠&鍵、ハヤトの手錠
《ルーサー・キング》
首輪:10pt(未回収)
所持品:漆黒のスーツ(新調)、私物の葉巻×1、タバコ(1箱)、応急処置キット(幾らか残量あり)、ネイ・ローマンの首輪(15pt未回収)
最終更新:2026年03月27日 20:49