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 ――――ぼすん、と。
 彼女は咄嗟にそれを受け止めた。
 真ん丸のバスケットボールだった。

 ある日の小学校。体育の授業。
 広々とした体育館は、青白い照明に照らされていた。
 一対のゴールネットに挟まれたバスケットボールコートで、高学年の少女達が散り散りに立つ。
 先程までボールを奪い合って攻防を繰り広げていた少女達が、その場で棒立ちをして一点を見つめていた。

 みんなが、じっと彼女を見ている。
 気が抜けたように、ぽかんとした顔で。
 脱力したような少女達は、揃って苦笑する。

 “ああ、ヤミナかぁ”。
 そう言わんばかりの眼差しで、皆がじっと彼女を見つめる。
 誰もが駆け引きや攻防を放棄して、ボールをキャッチした彼女を見守っている。

 彼女――幼き日のヤミナ・ハイドは、偶々受け止めたボールを抱えたまま立ち尽くしていた。
 甘く見ているかのような視線の数々が、彼女を四方から射抜く。

 “いつも鈍臭いし間抜けだから、あんま邪魔するのも可哀想かな”。
 そう言いたげな表情を浮かべる級友たちを、ヤミナは見渡すように眺める。
 ああ、ナメられてる。いつものことだった。

 誰もヤミナと向き合わない。
 誰もヤミナを取り合わない。
 のんきに甘やかして、真剣に扱わない。
 浅はかな眼差しで、適当にあしらってくる。

 だからスポーツでも、遊びでも、ヤミナは何処かで置き去りにされる。
 “みんなの居る場所”から、自分だけが零れ落ちている。
 毎日がそんな有様。宙ぶらりんの日常が、ヤミナにとっての現実。
 空っぽの人間関係が、目の前で立ち尽くしている。


 なんでこんなことになったんだろう、とか。
 そう考えてみても、答えは浮かばない。
 誰のせいでこうなったんだろう、なんて。
 元凶を考えてみても、てんで分からない。
 ただクラゲみたいにゆらゆらと漂い続けて、今もこうして能天気に生きている。

 だって、考えたってしょうがないのだから。
 何をどうあがいたって、今日は変わらない。
 “与えられたもの”を受け止めることしか出来ない。

 みんなが甘やかすのだから、自分はそれを受け入れるしかない。
 世界はヤミナに甘い。世界はヤミナを侮る。
 だからこうして、誰もヤミナからボールを奪い取ろうともしない。

 それが幸せなのか、不幸なのか。
 もはやヤミナ自身にもよくわからない。
 彼女はただ、数メートル先のゴールネットを見上げる。
 何のやりがいもない、退屈な目標を呆然と見つめる。
 右手でボールを掲げて、左手は添えて――。


 そうしてヤミナは、ボールを放り投げた。
 宙高く、投げやりな気持ちを込めて。





 宙高く、放り投げられたもの。
 ジョニーとトビは“それ”を同時に捉えた。


 港湾を目指し、闇夜を駆け抜けていた最中。
 眼の前へと投げ込まれたモノを、二人は認識した。

 夜を背に浮かぶもの。
 月を背に浮かぶもの。
 真っ黒なボールのような塊だった。
 いや、それは決してボールではない。

 その正体は、ルーサー・キングだった。
 “牧師”の顔面が、眼の前に飛び込んできた。
 否、より正確に実態を述べるのならば――――。

 ジャンヌ・ストラスブールによって切断された、キングの生首だった。

 つい先刻に巻き起こった死闘の残骸。
 生首は何の脈絡もなく、二人の悪童目掛けて投げつけられた。
 闇の帝王、その成れの果てが虚空を舞って飛来する。

 それは古今東西の悪童にとって、紛れもない異常事態である。
 欧州を支配し、世界へと王手を掛けた“新時代の王”。
 “牧師”と称され、闇社会の頂点に君臨した大首領。
 かの帝王が生首になり、剰え宙を舞っていたのだから。

 バイクと化したジョニーを操っていたトビは、すぐさまその両目を見開いた。
 全身の毛が逆立つように、研ぎ覚まされた危機感が体中を迸っていく。
 放られたキングの生首――百戦錬磨の脱獄王は、それが“攻撃”であることを即座に理解した。

 トビの視線は捉えていた。
 ジョニーもまた察知していた。

 飛び込んできたキングの生首、その口内――。
 まるで果実でも強引に頬張ったかのように、楕円形の物体が押し込まれていた。
 鈍い輝きを微かに発する、無機質なる殺傷兵器。
 即ちそれは、ピンの引き抜かれた手榴弾である。

 そう、生首は手榴弾を咥え込まされていた。
 闇の帝王キングは、物言わぬ爆弾として放り投げられたのだ。


「――――ジョニーッ!!!」
「――――わかってるッ!!!」


 咄嗟の呼びかけと同時に、トビがバイクから飛び降りた。
 バイクに変形していたジョニーも即座に対応し、鉄屑の肉体を瞬時に組み替える。
 そして次の瞬間――――キングの生首が、爆炎を撒き散らしながら爆ぜた。
 凄まじい爆音と灼熱が、悪童二人へと襲い掛かる。


 炎に包まれて、首は跡形もなく消し飛ぶ。
 トビは爆風の余波で吹き飛び、地面を転がりながらも受け身を取る。
 そのまますぐに跳躍するように体勢を整え、周囲の状況を認識する。

 ジョニーもまた、何とか爆炎を凌いでいた。
 同じく衝撃によって吹き飛ばされたものの、咄嗟に生成した鉄屑の盾で直撃を避けた。
 防御と共にその身体を人型へと再び変形させており、トビと同様に受け身を取っている。

 来やがったか、とトビは身構える。
 刑務は既に終盤。生き延びている受刑者はもはや僅かだ。
 AG-1の支援によって現状の生存者も割り出せている。
 マップ上に表示されていたのは港湾周辺のメリリンと氷月、後は遠い山岳で孤立するエネリットのみ。
 トビ達の周囲に接近していた生命反応は一つもなかった――故に“襲撃者の正体”は明白だった。

「――――悪趣味なモンぶん投げやがってッ」

 襲撃者を確信し、トビは呆れるように悪態をつく。
 たったひとり、自らの超力によって探知を遮断した受刑者。
 “あらゆるものから侮られる異能”によって、世界の法則を歪める道化師(ジョーカー)。

「てめェらしい安い芸だぜ、ヤミナ・ハイド……!」

 ヤミナ・ハイド。奴が襲撃を仕掛けてきたのだと、トビとジョニーは悟る。
 生首に爆弾を仕込む――恐らくは映画か何かの見よう見まねでやったであろう趣向を、冷ややかに吐き捨てる。

 主催者の尖兵であるヤミナは、十中八九任務遂行のためのバックアップを受けている。
 被験体と同様に“受刑者の現在位置を把握する権限”を与えられても不思議ではない。
 だからこそ、彼女は気付いたのだろう。
 明らかに生身では成し得ない機動力で猛追してくるジョニー達の影に。

 追い付かれるのは時間の問題と判断したのか。
 あるいはメリリンとの挟み撃ちになる構図を嫌ったのか。
 ともかくヤミナは、トビ達の迎撃を優先したのだろう。

 そして――――間髪入れずに、咆哮が響き渡った。
 ぱらららららら、と暴力的な怪音が繰り返される。

 それが機関銃の銃声であることを、悪童二人はすぐに理解した。
 闇夜の影から飛来してくる鉛玉の嵐を、その意識に捉えていた。
 明後日の方角から不意を突くように放たれる凶弾の数々。

 しかしジョニーとトビは、決して動じずに対応する。
 すぐさま左右別方向へと跳び、迫る銃弾を回避した。

 トビは山猫のように機敏な跳躍を繰り返し、追撃の乱射を悉く避ける。
 ジョニーは両腕に鉄屑の盾を形成し、乱射される弾丸を弾いていく。
 二人の悪童は、迫る銃弾を防ぐ。躱す。凌ぐ。

 港湾へと向かう道路脇。起伏に乏しく、遮蔽物の殆ど無い平野。
 灯りはなく、月光のみが周囲を照らしているとはいえ。
 新人類の五感を駆使すれば、闇夜の中でも視界を確保するのは難しくない。

 にも関わらず、襲撃者の存在を捉えられない。
 その姿が何処にあるのか、気配を掴むことができない。
 システムAへの接触によって、ヤミナの超力は既に解除したはずだ。
 つまり――――“何らかの異なる手段で気配を絶っている”。

「ちぇっ」

 何処からか、耳に入ってきた。
 舌打ちをする女の声が。

「やっぱ仕留め切れないかあ」

 ぬらりと現れた声。
 されど、その姿は曖昧なまま捉えられない。
 何処から声が聞こえてくるのか。
 トビ達は意識を凝らし、周囲の気配を探る――。


《――――“飢える愛に影はなく(イズ・ディス・ラヴ)”、解除》
《――――実行、“quatre chevalier(四人の騎士)”》


 その瞬間、無機質な機械音声が響いた。
 ヤミナ・ハイドに与えられた切り札。
 アビスの実験的技術、システムC子機。
 超力の複製・支配を実現する、秩序の機巧である。

 気配遮断の異能を行使する本条 清彦の超力が解除された。
 奇襲に失敗したヤミナが、より直接的な攻勢へと切り替えたのだ。

 そして――次なる超力が、此処に顕現を果たす。

「――――――!?」

 トビは思わず目を見開く。
 突如として死角から割り込んできたのは、二つの銀色の影。
 長槍とハルバードをそれぞれ構えた“二体の甲冑騎士”が、挟み撃ちをする形で武器を振るってきたのだ。


 それはトビにとって、既にこの世に存在しないはずの異能だった。
 刑務の幕開けに同盟を結び、ブラックペンタゴンで死に別れた“狂犬”の超力だ。
 予期せぬ再会に直面し、トビはその目に驚愕を滲ませる。

 トビは軟体化の超力“スラッガー”を行使し、四肢をグニャリを折り曲げて体勢を低く屈める。
 横薙ぎに振るわれた左右の刃を紙一重で躱しつつ、蛇のように地面を素早く移動して武器の間合いから抜け出す。

「こいつぁ、内藤 四葉の超力か――――ッ!!」

 ジョニーもまた別の二体の甲冑騎士――長剣の甲冑による連撃を鉄腕で弾きながら、後方へと下がってもう一体の甲冑が放った弓矢を回避する。

 トビとジョニーは、先刻の記憶を手繰り寄せる。
 ――只野 仁成は、半身を抉られる程の致命傷を負わされた。
 人類の到達点と称される肉体を持つ仁成が、あれほどの手傷を与えられたのだ。

 如何に超力であらゆる認識を欺いてきたヤミナと言えど、素手のままあれだけの殺傷力を行使できる筈がない。
 奴はあくまで認識阻害を武器に立ち回ってきたのであって、大破壊を齎すような超力の持ち主ではない。
 ならば、仁成を死に至らしめるだけの“手段”を与えられていると考えるべきだ。

 ――――システムC。
 ブラックペンタゴンでサリヤとの情報交換を行ったトビは、すぐにその可能性に至った。
 システムAやBの子機が刑務場に存在するならば、Cの子機があったとしても全く不思議ではない。
 そうでなければ、ヤミナが四葉の超力を行使した説明がつかない。

「なあ、トビ!!」

 代わる代わる迫り来る甲冑騎士の攻撃をいなしつつ、ジョニーはトビへと呼びかける。
 彼もまたトビからシステムCにまつわる情報を共有されている。
 故にジョニーもまたトビと同じ結論に至っていた。


「ここは俺が引き受ける――――任せていいな!?」


 次々に殺到する矢を跳ねるように回避しながら、トビはジョニーの呼びかけに意識を向けた。

 それは即ち――港湾の生き残り、脱獄の要であるメリリンとの合流。
 鉄の騎士はこの場で殿を務め、襲撃者の足止めを引き受ける。
 そうしてもう一人の要である“脱獄王”へと役目を託す。
 刑務の打破、アビスからの脱出という、何よりも大きな目的のために。


「当たり前さ。オレ様を誰だと思ってやがる」


 トビは、その意図を理解する。
 故に彼は、不敵な笑みと共に応えた。

 ジョニー達の遣り取りを感知したのか、四体の甲冑達がその標的を一点に定める。
 彼らは揃って地を蹴り、俊敏な動作と共にトビへと迫る。

「てめぇこそ――――」

 突き出された槍を、跳躍と共に回避し。
 続けて振り上げられたハルバードの刃を、靴底で瞬時に蹴る。
 反動で後方へと吹き飛ぶことで放たれた矢を躱しつつ、トビは地面へと着地する。

「任せたぞ。“あのバカ”をな」
「ああ。ケリ付けてやるさ」

 逃走を行うトビを追撃せんとする甲冑騎士達。
 それを阻むのは――廃材に身を包む“鉄の騎士”。
 鉄塊と化した両拳を振るい、ジョニーは甲冑達の追撃を妨げる。

 吹き飛ばされる甲冑騎士達。
 ある者は地面を転がり、ある者は何とか受け身を取る。
 尚も放たれる矢を躱し続けながら、“脱獄王”は真夜中の平野を駆け抜けていく。

 己の目的。己の最大の欲望。
 脱獄という目的へと到達すべく。
 トビ・トンプソンは、港湾へと突き進む。


【C-3/草原(移動中)/一日目・真夜中】
【トビ・トンプソン】
[状態]:健康、侮り解除、タグ解除
[道具]:H&K SFP9(12/20・永遠付与)、ナイフ、デジタルウォッチ、デイパック、只野仁成の首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱獄する。例えそれがヴァイスマンの思惑だとしても。
1.灯台へ向かった者達と合流し、成果を共有する。
2.システム攻略へと挑む。
※デイパックの中に北西ブロック3階中央の部屋等から持ち出したものが入っているかもしれません。

※システムAに触れ、受けた超力の影響を一時的にリセットされています。
 ヤミナの脅威も今は正しく認識していますが、時間経過によって再び侮りが発生する可能性があります。
※ヴァイスマンのタグ付が解除されました。
※会場を監視するアビスの眼であるAGと接触し、協力を取り付けています。
※AG-1の支援により、生存者の現在位置が把握可能です。ヤミナを除いて。




 ゆらりと立ち上がる、銀色の甲冑騎士達。
 彼らは陣形を取るように、それぞれの武器を構え。
 取り逃がした標的に代わり、未だ戦場に立つ“鉄の騎士”へと殺意を向ける。

「オーシャンズに、裏切り者はいなかっただろうよ」

 甲冑達と対峙しながら、ジョニーは静かに呟いた。
 つい先刻。あの山岳を突き進む中での、何気ない会話。
 その一時の記憶を振り返りながら、鉄の騎士は語り掛けた。

「――――なあ、そうだろ?ヤミナ・ハイド」

 視線の先。甲冑騎士達の後方。
 平野にゆらりと立つ影へと、ジョニーは呼びかけた。

「かっこいーーっすねえ、ジョニーさん」

 へらりと笑みを浮かべる“襲撃者”。
 異形の姿をしたジョニーとはまるで違う、ありふれた雰囲気のちっぽけな女がそこに佇んでいた。
 否――その出で立ちは、つい先刻までのものとは違う。

 頭には無骨なヘルメット。
 警備服の上には防弾チョッキ、防塵チョッキ。
 更には無骨なデザインの“対超力防護ジャケット”を羽織り。
 右袖には腕章代わりにピエロのステッカーを後付している。

 腰にぶら下げているのは複数の手榴弾。
 両手にはマシンガン二挺。まるでマフィアの如く。
 かっこいい黒塗りのサングラスを掛けて、ふてぶてしく笑みを浮かべる。

「惚れちゃいそうですよ、へへ」

 ヤミナ・ハイド、完全武装フォーム。
 システムCの子機を携え、装備も拡充。
 掻き集めたポイントで、数多の装備を身に付けた。
 これぞ悪童。けったいな悪党の降臨である。
 道化師はギャングを気取って、へらへらと佇む。

「仲間を逃がして“ここは俺が引き受ける!”ですもんねぇ。
 ハリウッドだったら主役間違いなしじゃないっすか?」

 大きな目的のために仲間を逃がし、自分は襲撃者の足止めを引き受ける。
 そんなジョニーの“勇敢な行動”を、ヤミナは嘲りと共に挑発する。
 対するジョニーは何も返さない。
 へらへらと笑うヤミナを、無言のままに見つめていたが。

「メカーニカを狙ってたんじゃないのか」
「だってジョニーさん達、追いかけてくんの早すぎじゃないですか。
 大急ぎで港湾着いたのに挟み撃ちとかイヤですもん」

 やがて淡々と問いかけを投げかけたジョニーに対し、戯けるようにヤミナは答える。

 メリリンを狙っていたヤミナは、なぜジョニー達を迎え撃つことにしたのか。
 ジョーカーであるヤミナは生存者達の現在位置を把握できる。
 それ故に猛スピードで接近してくるジョニー達の反応も察知していた。

 追いつかれるのは時間の問題。どのみち彼らも脱獄同盟の一員であることには変わりない。
 アビスに課せられた残り二人のキルスコアを稼ぐために、ジョニーかトビも仕留めなければならない。
 そう考えたヤミナは獲得した恩赦ポイントを浪費し、ジョニー達への奇襲攻撃を仕掛けたのだ。

「で、新しいオモチャを手に入れて自信満々ってワケか」

 そんなヤミナに対し、ジョニーはあくまで冷淡に言い放つ。
 仄かなる失望と、遣る瀬無さを声色に乗せて。

「ジョニーさん、すみませんね。あたしだって“偉い人”には逆らいたくないんで」

 飄々とした態度で、ヤミナはそう告げる。
 心にもないような謝罪。酷く軽薄で、無責任。
 システムAの廉価技術、対超力防護コーティングが施されたジャケットを見せびらかしつつ。
 ヤミナはのらりくらりと、乾いた嘲笑を浮かべる。

「仁成が死んだのも、その為にか?」
「あんた達が悪いこと考えるから、あんた達は死ななきゃいけないんですよ」

 ジョニーにそう問いかけられても、ヤミナは悪びれずに言う。

 ――自分は悪くない。自分に罪なんてない。
 ヤミナはそう信じている。悪いのはきっとこの世界だ。
 だからヤミナは仕組みに責任を転嫁する。

 己の所業も、結局はこの世界の仕組みによって成り立っている。
 GPA、そしてアビス。彼らに命じられて、ヤミナは此処に立つ。
 だからヤミナは躊躇も呵責もない。

 自分は強者に従い、強者の言う通りに動いているだけ。
 仁成を殺したのは仕組みだ。この世界のシステムだ。
 仕組みに逆らったから、ああやって殺されることになった。

 そうして、ジョニーも同じように死ぬ。
 それだけのことだと、ヤミナは信じた。

「大人しくアビスに媚びへつらってりゃ、よかったのにね――――」

 嘲るような笑みを浮かべて、ヤミナは甲冑騎士たちを顎で操る。
 ヤミナの下した命令は、ただひとつ――目の前の敵を始末せよ。
 かつて“狂犬”が従えていた騎士団は、今やこの道化師の僕に成り果てた。

 彼らは意思も持たず、ただ機械的にヤミナの指令へと従う。
 長剣や斧槍など、それぞれの武器を握り締めて。
 ただ一人たたずむジョニーへと目掛け、高速で殺到していく。


「馬鹿だよ。お前は」


 しかし、その直後。
 ジョニーが一言、そう呟き。


「――――は?」


 ヤミナは思わず、声を漏らした。
 目を丸くして、驚愕に打ちのめされた。

 その動きは、余りにも疾かった。
 まるで疾風が吹き抜けるかのように。
 鉄の騎士は、瞬時に駆け抜けたのだ。

 鉄屑に覆われた容貌からは想像できぬほどの敏捷性で、ジョニーは動いた。
 その右腕に取り込んだナタやハンマーを瞬時に振るい――先鋒である二体の甲冑を打ち砕く。

 鉄板が破片となって宙を舞う。
 装甲がひしゃげて、残骸が撒き散らされる。
 頭部や胴体を瞬時に破壊され、そのバランスを崩して横転する二体の甲冑。
 その光景をヤミナは唖然とするように見つめる。

 二体の甲冑が制圧された直後、残りの二体が必死にジョニーへと迫る。
 そのまま長槍や刀剣を我武者羅に振り回すものの、鉄屑の男は右腕の武器を振るって凌いでいく。

「確かに悪くねえ超力だが――――」

 火花が散る。金属の衝突音が響き渡る。
 甲冑達の覚束無い攻勢に、“鉄の騎士”は悠然と対処し続ける。

「――――内藤 四葉なら、こんなもんじゃないだろうさ」

 そして、制圧へと至る。
 横一線に振るわれた鉄屑の刃が、甲冑の頭部を撥ね飛ばす。
 首無しと化した甲冑の胴体を、鉄槌のような右拳が打ち砕く。

 側面から襲い来る長剣使いの甲冑にも、返す刀で対応――。
 左手に精製したハンマーの連撃で、両脇腹を瞬時に破壊。
 千切れかけた身体を留めようと藻掻く甲冑の頭部を、更に振り下ろしたハンマーで叩き割った。

 四体の甲冑騎士は、瞬きの間に沈黙する。
 銀色に輝く暴威は、物言わぬ残骸として散乱する。
 ヤミナの操る騎士達は、余りにも稚拙だった。

「いや、ちょっと、え――――?」
「ヤミナ。俺達を何だと思ってんだよ」

 先程までの打ち合いは、ジョニーにとっても小手調べに過ぎなかった。
 突然の強襲。四葉の超力再現という不意打ち。
 そうした状況を前に、十全の実力を発揮していなかった。
 しかし今は違う――既に敵の力量を掴み、冷静に対処している。

「アビスにぶち込まれるような悪党だぜ」

 故にジョニーは言い放つ。
 俺を甘く見るなよ、と。

 公に記録されない地獄の果て。
 制御不能の悪党が行き着く流刑地。
 巨悪蔓延る退廃の収容所、アビス。

 ジョニー・ハイドアウト。
 彼もまた、その一員である。





『あたしってさー』

 ストローで、グラスの中身をかき混ぜる。
 真っ黒なコーヒー。たっぷり注いだミルクとシロップ。
 器を満たす色彩は澱んで、あべこべになる。

『いっつも、そうなんだよね』

 しょぼくれたカフェの片隅。
 昼過ぎの景色が見える窓際の座席。
 ハイスクールの友達と向かい合い。
 ヤミナは、ぼんやりと呟く。

『なんか、肝心なときに駄目になる』

 彼女の人生はいつだって玉虫色。
 色と色があやふやに混ざり合う。

『失敗してんのかなあ、あたしって』

 正しい答えなんて、まるで掴めない。
 誰も教えてくれないし、知る由もない。
 だからヤミナは、いつでも宙ぶらりん。

『ふうん』

 ハイスクールの友達は、興味なさげに呟く。
 つまらなそうに携帯電話を弄りながら、ヤミナの話を聞き流す。

 そんな友人の様子を、じっと見つめて。
 それからヤミナはストローに口を付けて、コーヒーを啜り始めた。
 気まずくなった場の空気を、適当に誤魔化すように、





 本来ならば早急に港湾へと辿り着き、“侮られてる”隙を突いてメリリンを始末すればいいだけの話だった。
 ヤミナの超力は、あの仁成さえも完全に欺いてみせたのだ。
 未だ認識干渉が解けていないメリリンを闇討ちすることは容易の筈だった。

 しかし全く予想外のスピードで追跡してきたトビとジョニーに、ヤミナは思わぬ焦りを抱いてしまった。
 その結果として“何がなんでも迅速にメリリンを始末すること”よりも、“先にジョニー達を迎え撃つこと”を選んでしまった。

 同じくジョーカーらしい氷月蓮という男がアテになるのかどうかも分からない。
 だって氷月とやらも、きっと自分を甘く見るのだから。
 ヤミナの頭に、協調や連携という選択肢は浮かばない。
 今までの人生でそれが上手くいった試しなんて無かったら。

 だからこそヤミナはこうして、侮りを捨てたジョニー・ハイドアウトと対峙することになる。
 自身の超力による優位性が失われた中で正面対決を挑むことの危険を、彼女は甘く見ていたのだ。

 システムAによって化けの皮を剥がれたことの意味を、道化師は正しく理解していなかった。
 他人に軽んじられるから――自分自身のことさえも甘く見てしまう。 

 ヤミナ・ハイドは、生まれて一度も知らない。
 “本気になって競い合う”という体験を。
 どんな愚者であろうと一度は直面し、苦汁を舐めることになる経験を。
 彼女はずっと躱し続けて、それ故にここまで生き延びてしまった。

 只野仁成という強者を討ち取り、システムCを始めとする強力な武装で身を固めてしまったからこそ、ヤミナは無意識に付け上がっていた。
 今の自分ならやれるかもしれない――愚者としての迂闊さによって、ヤミナは過信に己を委ねてしまった。

 逆を言えば。
 当初の目的を最優先に動いていれば。
 ジョニー達より先に港湾に辿り着いていれば。
 十中八九、メリリンはとうに死んでいる。
 だからこれは、ある種の幸運なのだ。

「ひッ――――!」

 怯むヤミナは、咄嗟にシステムC子機へと指示を出す。
 追撃の態勢を取ったジョニーを迎え撃つべく、超力を行使した。

《――――実行、“紫骸(ダリア・ムエルテ)”》

 瞬間、ヤミナの足元から数多の天竺牡丹(ダリア)が次々に咲き乱れる。
 あらゆる物質を蝕む“侵食の毒花”。エルビス・エルブランデスが操った異能が、ここに再現された。
 ジョニーの接近を拒むように、死の胞子が周囲へと撒き散らされる――。

 しかしジョニーは怯むこともなく、機敏に後方へと跳ぶ。
 ヤミナの周囲で咲き乱れる花々に対し、あくまで冷静に距離を取る。

「成る程。こいつぁ危険だ」

 如何に脅威的と言えど、それ自体はあくまで無数の花に過ぎない。 
 エルビスは隔離空間での発動によってその威力を発揮し、更には組み技の拒否や格闘戦の強要というアドバンテージを得ていた。
 されど開けた平野においては、ただ接近を避ければいいだけの話になる。

「だが、盾にしちゃあ心許ねぇな――!」

 尚且つ領域を直接展開するタイプの超力とは異なり、花自体に壁としての性能はない。
 あくまで毒の散布によって敵の接近を躊躇わせるだけであり、敵の攻撃そのものを妨げることは出来ない。

「ッ、う、わっ…………!!?」

 ジョニーの左拳から次々に放たれる“錆びたボルトの弾丸”が、そのままヤミナ目掛けて殺到する。
 ヤミナの頬や腕を幾度も掠め、時にヘルメットによって弾かれ、鉄屑の弾丸は飛来を繰り返す。
 無骨な鉄塊の嵐が、宙を舞う花弁や粒子を突き抜けていく。

 ヤミナはジョニーの攻撃に対し、致命傷だけは辛うじて躱し続けていた。
 システムAによって認識阻害は無効化されたとはいえ、ヤミナの超力自体は依然として発動し続けている。
 それによる微弱な精神干渉がジョニーの攻撃精度を鈍らせ、結果としてヤミナはギリギリの回避を繰り返していた。

「こん、のおおおっ――――!!!」

 ボルトの弾丸に対し、ヤミナは両手のマシンガンで迎え撃つ。
 やけくそ、がむしゃらの掃射。狙いなんて定めない、反動でろくに定められない。
 それでも次々に張られる弾幕は、飛来するボルトを弾きながらジョニーへと襲い掛かった。

 されどジョニーが瞬時に両手へと精製した鉄盾が、真正面から弾幕を防ぐ。
 闇雲な掃射に対し、慌てることもなく。ただ冷静に被弾を避け、凌ぎ続けていく。

《――――実行、“紅狼(ブルーム・ヴォルフ)”》

 ジリ貧の攻防に痺れを切らして、ヤミナは舌打ち。
 自棄になってマシンガンを放り捨て、次なる超力を発動――。

 スプリング・ローズの異能、肉体の人狼化。
 赤みがかった人狼へと変身したヤミナが、凄まじい瞬発力で突撃。
 そのまま防御態勢を取るジョニー目掛けて、超高速で鉤爪を振り下ろした。

「――――っ!?」

 しかし、振るわれた爪はジョニーを捉えず。
 突進の勢いと共に――ヤミナが豪快に横転した。
 雑草に覆われた地面を転がり、衝撃をその身に浴びる。

 何をされたのか。簡単な話だ。
 真正面から突っ込んできたヤミナを、ジョニーが鉄盾で受け流した。
 そのまま柔術のような要領で、突進に乗せてヤミナを後方へと吹き飛ばした。
 ただ、それだけのことだった。

 それでもヤミナは跳躍するように起き上がり、すぐさま体勢を立て直す。
 人狼の驚異的な身体能力によって、再び地面を蹴って疾走。
 幾度も振るわれる両手の爪。その連撃が、ジョニーへと襲い掛かる。

 だが、その攻撃は悉く捌かれていく。
 数度に渡る最初の斬撃は、ただ後方へと下がるだけで躱される。
 勢いを強めながら振るった剛腕も、鋼鉄の両腕によって全て弾かれる。
 どれだけ激しく攻め立てようと、ヤミナの攻撃は届かない。

 そして、ヤミナは反撃を許すことになる。
 幾度も振るい続けて、切れを失った剛腕の連撃。
 その一発――振るわれた右腕が、ジョニーの左手によって受け流される。
 直後にカウンターとして放たれた右拳が、ヤミナの胴体へと叩き込まれた。

 痛恨の一撃を叩き込まれ、ヤミナは思わず咽ぶように怯む。
 能力の適合性により、オリジナルであるスプリング・ローズの強度には劣る。
 ジョニーの鉄拳を真正面から耐え抜けるほど、彼女は頑強ではなかった。

 それでもヤミナは、ジョニーの右腕をがっしりと掴んでいた。
 人狼化による屈強な握力によって、鉄屑の腕を強引に握り締めて。

《――――実行、“例外存在(The exception)”》

 その動きを強引に食い止めたまま、次なる超力を発動。
 ソフィア・チェリー・ブロッサム。超力の無効化。
 その異能の前には、あらゆる超力が無力と化す。

 人狼化こそ解除されたものの、既にヤミナはジョニーに触れている。
 彼女が触れた箇所から、鉄屑が綻ぶように強度を失っていく。
 それを認識したヤミナは、すぐさま懐からナイフを取り出した。
 そのままジョニーの胸元へと目掛けて、刃を突き立てに掛かる。

「やっぱりな。喧嘩は不慣れか」

 されど、それよりも遥かに早く。
 ジョニーの左手刀が、容易くナイフを弾いた。
 刃の側面を叩くように打撃を加えて、ヤミナの手元から吹き飛ばした。

「敵の間合いに踏み込むことの意味を、分かってねぇな」

 瞬間――――ヤミナの身体が、宙を舞う。
 振り上げられた右足。ジョニーの蹴りが、その身を捉えたのだ。
 超力に関係のない、純粋な体術による攻撃。

 ソフィアのような体術を備えていないヤミナは、それを凌ぐことが出来ない。
 ただ容易く吹き飛ばされ、そのまま草原の上へと叩き落される。

 魂と脳を介して出力される超力という異能は、本来なら属人性の強い異能である。
 超力に合わせて個々人の脳や身体機能が変質し、最適化が図られるからだ。
 複数の甲冑を自在に使役すべく脳機能が発達した内藤 四葉もまた、そうした例の一つである。

「多数の超力を操れると言えば、聞こえはいいがな」

 起こる現象も、敷かれる法則も、個々人によって何もかもが異なる。
 そんな他者の超力を即席で操ることは、決して容易ではない。
 “ナガン・リボルバー”でさえも、個々の人格を存続させることによって最大限のパフォーマンスを維持したのだ。

「付け焼刃に頼るってのは、相応のセンスが必要になるぜ。
 ――――あの“アビスのお坊ちゃん”のようにな」

 その点で言うならば――あらゆる超力の運用・連携を実現したエネリット・サンス・ハルトナは、天才という他なかった。
 それはネイティブという基準においても極めて稀有な才能。
 培った智慧と、天性の素質によって為せる技だった。

 倒れ伏したヤミナへと、ジョニーが歩み寄る。
 ゆっくりと、しかし確かに歩を刻んで。
 既に勝負は決まっていると言わんばかりに。
 彼はヤミナを、ただ真っすぐに見据えていた。

「う、あっ…………」

 動揺と焦燥の渦中で、ヤミナは苦悶に喘いでいた。
 それまでの過信を打ち砕かれ、死線の中に放り込まれた。

 これまでに味わったことも、体験したこともない。
 そんな状況の中で、必死に思考を纏めていく。
 何とかして、敵を出し抜く方法を掻き集める。
 静かに迫り来るジョニーへと、意識を向ける。

 《実行、“飢える愛に影はなく(イズ・ディス・ラヴ)”》

 超力、発動――ヤミナと最も相性のいい異能だった。
 本条 清彦による気配希薄化の能力。
 ジョニーの視界に入っているヤミナの気配が、突如として蜃気楼のように霞む。

 気配が掻き消えて、ヤミナの存在感が朧げになる。
 されどジョニーは、あくまで“視界に映るヤミナ”へと注視。
 這うように後退していくヤミナを制圧すべく、瞬時に地を蹴らんとした。

 だが、その瞬間。
 眩い閃光が、突如として迸る。
 秘かにピンを抜き、雑草の中に忍ばせていたもの。
 閃光手榴弾が、闇夜の中で炸裂したのだ。

 ほんの一瞬、隙を生み出した。
 鉄の騎士が、その場で立ち止まった。
 目の前の視界を、閃光によって覆いつくされた。

 ぎゅっと目を瞑って凌いだヤミナが、無我夢中でジョニーへと接近。
 そのまま懐から取り出した拳銃――仁成を殺傷した武器を構えて。
 ジョニーの腹部目掛けて、引き金を弾いた。


 《実行、“屰罵討(マーダーズ・マスタリー)”》


 ――――たぁん。


 ジェーン・マッドハッターが操る、概念対象型の超力。
 彼女が手にしたものは、それが何であれ“確殺の武器”へと変質する。
 それは即ち、あらゆる物質に“死の概念”を付与する異能である。
 死そのものを纏っているが故に、その攻撃は如何なる存在をも殺傷する絶対的な凶器と化す。

 そう、腹部を撃ち抜かれたジョニーもまた。
 その致死の一撃によって散りゆく筈だった。

「え……?」

 なのに彼は、今なお立ち続けている。

「あれ……?」

 弾丸は鉄屑の装甲によって妨げられ、軽傷に留まったのだ。
 予想だにしなかった光景を前に、ヤミナは唖然とする。

「ちょ、ちょっと、なんで――――」
「――――お前さんからのプレゼントさ」

 単純な物理攻撃の域を凌駕する、“法則(ルール)”という絶対的な理。
 だからこそ、異なる“法則(ルール)”との衝突が起きた時――両者の相性によって均衡が生まれる。

「そいつのおかげで、命拾いしたようだ」

 ブラックペンタゴンの3階で、ヤミナ・ハイドが回収した“永遠の遺物”。
 それを預かり、その身に取り込んだのは、他でもないジョニー・ハイドアウトである。

 その男は“永遠”であるが故に、“死”の概念を打ち消した。
 純粋な強度や耐久力といった次元ではない――概念としての“永遠”である。
 相反する異能同士として両者がぶつかった時、致死は不変によって相殺される。
 異物を取り込んだジョニーは、それを無意識に悟っていた。

 “確殺”では届かない。“必殺”では打ち砕けない。
 不変たる“永遠”を真に終わらせるのは、変わりゆく一瞬の“刹那”だけだ。

「なあ。もういいだろ」

 そしてジョニーは、ヤミナへと語りかける。
 呆然と立ち尽くす女へと、静かに呼びかける。

「諦めろよ、ヤミナ」

 これ以上はいいだろう、と。
 そう諭すように、ジョニーは言葉を紡ぐ。
 何処か憐れみを込めたような声で、彼は告げる。

「あ……」

 そんな彼を見上げて、呆けた声を出すヤミナ。
 表情のない銃頭の顔を、彼女は茫然と見上げる。

 ジョニーは、ただじっとヤミナを見下ろしていた。
 その答えを待つように、静かに佇んでいた。

 ヤミナの脳裏に、鮮明な記憶が蘇る。
 粘ついた赤黒い液体が、地面を汚すさま。
 何の警戒も持たない背中が、銃弾を許す瞬間。
 只野 仁成が死にゆく瞬間を、彼女は追憶する。

 ――――何故、どうして、と。
 そう訴えかける眼差しが、ヤミナを射抜いていた。

「……いま、諦めたら」

 その視線のことを思い出して。
 ヤミナは不思議と、笑みが零れた。
 乾き切った、諦めのような笑いだった。

「もう、行くとこないですよ」

 仁成達を裏切って。
 アビスまで裏切ったら。
 いよいよ自分は、根無し草だ。
 ヤミナはへらへらと、己を見つめていた。





『ヤミナ・ハイド』

 じっと、あいつが見つめてくる。
 うさんくさい目付きで、断じてくる。
 刑務所に放り込まれたばかりのあたしを。

『君は、真なる悪だ』

 オリガ・ヴァイスマン。アビスのお偉いさん。
 つまんない面会室で、あいつは部下を従えながらあたしと向き合う。

『幾ら戯けようとも、嘲ろうとも。
 それでも、決して変わらない現実がある』

 手錠を付けて椅子に座るあたしと、ふてぶてしく見下ろしてくるあいつら。
 出来の悪い部下を諭してやるみたいな物言いで、ヴァイスマンは言葉を並べる。

『君に帰る場所など無い、ということだ』

 蔑みを込めた眼差しで、あいつは嘲笑う。
 それをぶつけられるあたしは、ただむすっと沈黙をつらぬいていた。

『世界を歪める悪は、世界からも見放される。
 “管理”されなければ、この世に存在することも許されない』

 あたしに淡々と突きつけられる、呪いの言葉。
 言い返すことも、怒ったりすることもせずに。
 あたしは、ヴァイスマンから刻まれる烙印を受け止めていた。

『だから君は、此処(アビス)に辿り着いたのだよ』

 ああ、やっぱりね――――。
 そんな投げやりな気持ちを、胸に抱いていた。





 ああ、ふざけてんなあ。
 ヤミナは、そんなことを思ってた。

 ああ、調子に乗っちゃったなあ。
 ヤミナは、そんなことを悔やんでいた。

 ああ、なんで期待されちゃったのかなあ。
 ヤミナは、そんなことを嘆いていた。

 ――――どうしたんすか、カミサマ。
 ――――いつもみたいに、あたしを小馬鹿にしてくださいよ。

 ヤミナは、焦燥と動揺の渦中に立たされていた。
 どこで掛け違えたのだろうか、と思っていた。

 ――――あのぅ。ちょっと、ちょっと。
 ――――言わないんすか?“間抜けなヤミナらしい末路である”とか。

 ヤミナは、ただただ必死になっていた。
 どこで誤ったのだろうか、と考えていた。

 ――――からかってくださいよ。おちょくってくださいよ。
 ――――あーーー、聞いてます?

 けれど頭の中では、妙に落ち着いた思慮が駆け抜けていく。
 まるで走馬灯でも見ている最中のように。

 ――――かーみーさーま、ねえ、■■■■■?
 ――――■■■■■、■■、■■■■■■■ 

 ぷつん。

 ヤミナは、やけくそに足掻いていた。
 超力を次々に行使し、鉄の騎士へと挑んでいた。
 そのどれもが届かない。何の有効打も与えられない。

 ジョニーは変わらない。何の手傷も負っていない。
 鉄屑の肉体を操って、ヤミナの必死の攻撃を全ていなしていく。

 同時に認識阻害の超力によって、ヤミナも致命傷を避けている。
 気配希薄化、危機回避だけはヤミナが対抗できる分野だった。
 ジリ貧の戦い。無意味な抵抗。
 そんな袋小路の中で、道化師は這い回っていた。

 何とか拾ったマシンガンは、結局ろくに届かずに弾ばかり消費した。
 70ポイントも払わされた対超力防護ジャケットはもう破損している。
 システムAの簡易版みたいなもんらしいから、結局大した性能はないらしい。
 手榴弾もぜんぶ投げつくした。他の武器もぜんぜん通用しない。

 逃げりゃいいのに。
 全部無視して、どこかに隠れりゃいいのに。
 そんな思考が脳裏をよぎった。

 いつもみたいに、とっとと逃げればいい。
 けれど、それは許されない。

 なにせ、アビスの指令に乗っかったのだ。
 役目を放棄すれば、いよいよ後がなくなる。
 彼らの手で処分されたっておかしくはないのだ。

 頭の中に、昔のことがずっと過り続けている。
 ぼんやりと浮いていた学校生活。
 誰からも期待されなかった毎日。
 何の期待も向けられず、雲のように漂い続けて。
 成功とは無縁の日々が、やがて失敗となって追い立ててくる。

 今がその果てなのかもしれない、なんて。
 ヤミナは投げやりに、そんなことを思っていた。

 アビスに逆らえば、そのままヤミナはおしまい。
 脱獄同盟に戻っても、結局勝ち目のない戦いに挑むだけ。
 そんな状況を、ヤミナは冷ややかに見つめる。

 どうすりゃいいのかな。
 どうすりゃよかったのかな。
 誰も答えは教えてくれない。
 これまでの人生と同じように。
 誰もヤミナに道を示してくれない。

 されど、そんな思考の最中。
 ヤミナにとって、まったく意図せぬ形で。
 ジョニー・ハイドアウトは、致命的な隙を作る。



「――――――――ッ!!!!!?」



 その瞬間、ジョニーは膝を付いた。
 身震いする程の威圧に、屈するかのように。
 身の毛がよだつ畏怖に、肉体を蝕まれる。

 込み上げる吐き気に、腸を掻き毟られて。
 鉄の騎士は思わず耐えられず、両手を地面に突いた。


「がッ…………ぐああ、ごァ…………!!!!!」


 苦悶の声を吐き出しながら藻掻くジョニー。
 その様子を唖然と眺めるヤミナ。
 ――いったい何だ。何が起きた。
 突如として起こった事態に、二人は理由も分からずに混迷へと巻き込まれる。


「ぐ、があ、ぎ、あああ――――ッ!!!!!?」


 刑務会場の南東、山岳地帯――――。
 かつての山折村の宿縁、その決戦が今まさに行われていた。
 征十郎・H・クラークと“永遠のアリス”。
 色褪せた昔話、その決着の先に待ち受けていた番外戦。

 永遠という呪縛の根源たるアリスが、死闘の果てに“全力”を行使したのだ。
 その結果として、彼女に連なる遺物――永遠に侵された存在は、壮絶なる重圧に曝されることになる。
 遠方で戦い続けていたジョニーさえも例外ではなかった。
 彼もまた、遺物を取り込んでいるのだから。

 永遠の怪物と化した“鉄の騎士”は、“永遠のアリス”の影響を誰よりも直接的に受ける。
 それ故に彼は膝を付き、凄まじき畏怖によって悶え苦しむことになる。

 突如として苦しみ出したジョニーを、ヤミナは呆然と見つめていた。
 いったい何が起きたのか、彼女には理解することも出来ない。

「う、あ」

 しかし、確かなのは――今のジョニーはまともに身動きが取れないということだ。
 なぜ、どうして。その答えは分からずとも、眼の前で起きた事実だけは呆然と飲み込むことができる。

 ヤミナはおろおろと、動揺しながら後ずさる。
 何が起きているのかも分からず、されどジョニーの苦悶を見つめる。

 ジョニーは蹲ったまま、動くこともできない。
 必死に苦痛と恐怖に耐えて、呼吸を整えようと足掻いている。
 その異常事態を前にし、ヤミナの手は自然に動き出す。

 ――――たたたたたん、と。
 手元のマシンガンの引き金を弾いた。
 無数の弾丸が、ジョニーの身を襲う。
 けたたましい掃射が、鋼鉄の身体を傷つける。

 その銃弾は、鉄屑の肉体を貫通はしない。
 致命傷には程遠い。純粋な肉体硬度によって阻まれていく。
 されど熱量の炸裂によって放たれた鉛弾を浴びて、無傷でいられることも出来ない。
 機関銃の連射は、悶え苦しむジョニーに手傷を負わせる。

 かちり、かちり――引き金が反応しない。
 無茶な連射によって、弾切れを起こしたのだ。

 ヤミナは動揺のまま、何とか次のマガジンを取り出そうとする。
 しかし焦燥の中で手元が狂い、上手く取り換えることが出来ない。
 いつまたジョニーが動き出すかもわからない状況の中。
 ヤミナの意識は、混迷によって駆り立てられる。

 焦りの末にヤミナは、別の武器を取り出す。
 ――かちゃん。がむしゃらにピンを引き抜いた。
 そのまま、後退するように距離を取って。
 蹲るジョニーへと目掛け、ヤミナはそれを投擲する。


 最後の一発――手榴弾が放り投げられた。
 ジョニーの全身を、爆炎が包み込んだ。


 何が起こっているのか、なんて。
 ヤミナにはもう、理解することなんて出来ない。
 まるで現実感がないのは、昔からだったけれど。
 今の彼女の意識は、呆然と浮遊していた。






 がしゃん。
 頭のなかで、ふいに音が響く。

 子どもの頃。小学校の体育の授業。
 あたしが放り投げた、バスケットボール。
 それは放物線を描き、そしてゴールネットの縁に弾かれた。

 空振り。失敗に終わったシュートが、のんきに宙を舞っていた。
 クラスのみんなは、あたしなんかもう気に留めず。
 降ってくるボールへと、視線を戻していた。






 炎が立ち込め、焼け焦げた大地の上。
 全てを焼き尽くす、爆熱と硝煙の渦中。
 鉄の騎士はその身を焼かれ、灰燼に帰す筈だった。

 だが、ヤミナが目撃したものは。
 男の亡骸でもなければ、藻掻き苦しむ姿でもなかった。


「はーーーッ…………はァッ…………」


 ジョニー・ハイドアウトは、確かに其処に佇んでいた。
 膝を突いた姿で、呼吸を整えながら、生き永らえていた。
 その容貌は、先程までの遺物を取り込んでいた“異形の巨躯”とは違う。

 その肉体を構成していた鉄屑の大半は、解体されたかのように砕け落ちている。
 頑強な骨格を持ちつつも、あくまで生身の人間に近い体格になっており。
 頭部の砲身は維持されているものの、全身は錆びた灰色にくすんだ“素体”が顕となっている。
 灰色のマネキンを思わせる肉体の各所に、千切れたような傷痕が刻まれており。
 その傷口からは、オイルのような黒い血が滴り落ちていた。


「へっ……くそったれ、め」


 アイアンデューク・アーマーテイクオフ。
 ジョニーは自らが取り込んだ“遺物”を、全身に纏う鉄屑ごと強引に切り離したのだ。
 そして体内に残された金属のストックを絞り出し、咄嗟に精製した装甲で爆炎による致命傷を回避した。


「ツイてねぇな……折角の、土産モンだってのによ……」


 足元に転がる“焼け焦げた装甲の残骸”を蹴飛ばし――。
 全身を襲う激痛と熱を押し殺しながら、鉄の騎士は強がるように軽口を叩く。

 ジョニーの超力は“金属の吸収による自己改造”。
 彼が取り込んだ鉄屑はその肉体の一部となり、吸収すればするほどに生身の身体が置換・改造されていく。
 長年に渡って金属の吸収を繰り返してきたジョニーは、既に脳や心臓など臓器の機械化さえも果たしている。
 ――その身は、もはやサイボーグに等しい。

 故にこそ、肉体を構成している金属の“大規模な破棄”には大きなリスクが伴う。
 それは即ち、自らの血肉を力尽くで強引に切り離すような所業である。
 弾丸化した鉄屑の射出など、身体機能に影響しない程度のリソースの分離――胃袋にあたる貯蓄器官に蓄えた金属を用いる――とは訳が違う。

 それは“遺物”を放棄するための一か八かの賭けであり――本来であれば不可能の所業だった。
 “永遠”を取り込み、その呪縛が魂に結びついたジョニーは、もはや遺物と不可分の存在と化している。
 永遠と一体化したが故に、彼は永遠を切り離すことが出来ない筈だった。

 しかし――――同時刻、死闘の果て。
 征十郎がアリスの“永遠”を断ち切り、その呪縛に終止符を打った。
 災厄の大元が無効化されたからこそ、ジョニーもまた“遺物の破棄”を成し得たのだ。
 征十郎による斬撃がコンマ数秒でも遅れていれば、それは失敗していただろう。

 それでも尚、ジョニーは疲弊に喘いでいる。
 何しろ肉体の大半を構成する金属を破棄したのだ。
 血肉に等しい物質を強引に切り離したのである。
 例え呪縛から解き放たれたとはいえ、その消耗は決して小さくはない。
 更には爆炎による衝撃や炎熱も少なからず負っていた。

 故にジョニーは、膝をついた姿で何とか息を整えている。
 肩を震わせて、何とか平静を保っている。
 負傷と疲弊の中で、自らの心身を調律している。

 その隙を目の当たりにして、ヤミナは沈黙しつつ。
 唖然としながら、口を動かしつつ。
 それから静かに、手に握った拳銃を構えていた。
 不安に駆り立てられるように、銃口を向けていた。

「もう……死んでくださいよ……」

 ――――“屰罵討(マーダーズ・マスタリー)”。
 永遠の呪縛を失ったジョニーには、その致死が通用する。
 ヤミナは半ば直感のように、今なら殺れると察していた。

「困るんすよ、これ以上……」

 そのうえ今は、身体に纏っていた金属の大半を失っている。
 先程の異常事態や遺物の分離による疲弊を背負っていることも明らかだ。
 きっとこの一撃も、凌ぐことなんて出来ない。

 マシンガンのリロードは済んでない。
 手榴弾も使い切った。けれど、その銃は残されていた。

「あたしを、困らせないでよ……――――」

 仁成の殺害に用いた拳銃を、その場で構えていた。
 膝をついたままのジョニーへと、その照準を向けていた。
 その口元から、無意識のうちに言葉を溢れさせながら。
 ヤミナは、忌々しげに、歯を食いしばった。 


 そして、引き金を弾いた。
 冷徹な銃声が、響き渡った。
 乾いた咆哮が、静かに轟いた。


 弾丸は、明後日の方向へと飛んだ。
 狙っていたはずの照準が、唐突に狂う。
 握っていたはずの拳銃が、反動で宙を舞う。

 胸元に迸った熱と痛みによって、腕の力が突然抜け落ちたのだ。
 弾けるような感覚と共に、手元の銃を握る力が解けた。
 そうして黒い凶器は、射撃と共にヤミナの指先から離れる。
 反動の勢いによって、後方へと吹き飛ばされる。

 からん、と拳銃が地面に転がり落ちる。
 吹き飛んでいったそれを目で追うことも出来ず。
 ヤミナはその場で、ぽかんと立ち尽くしていた。

 それから、数秒後。
 吐き気と痛みが押し寄せて。
 ごふ――と、喉から溢れ出す。
 赤黒い液体が、零れ落ちる。
 ヤミナの口元から、血が漏れる。

 胸元に突き刺さるような痛みを認識し。
 そうしてヤミナは、視線を下ろした。

 防護チョッキが突き破られていた。
 赤い血が溢れ出し、胸元を汚していた。
 己の左胸を貫く鎖を、ヤミナは見下ろした。
 錆びた金属の環が、肉を深く抉っていた。

 先端が輪形の鉤爪と化した鉄製の鎖。
 それが何処からか、瞬時に放たれたのだ。
 そしてヤミナの左胸を穿ち、貫いた。

 ヤミナは、呆然と視線を上げる。
 放たれた鎖が伸びる先を、その視界に捉える。
 ジョニーの左手首から、鎖がフックのように射出されていた。

 ――――それは、交尾 紗奈の手錠だったモノ。
 ジョニーは金属製の手錠をその身に取り込み、鎖状の武器として再構築したのだ。

 第三回放送前。ルーサー・キング打倒を目指す取引を行った際、呉越同舟の同盟に託された見返りの代物――“システムAの手錠”。
 先に訪れるであろう被検体との対決を見越して、それは“接近戦で最も活用できる可能性が高い”只野 仁成へと託されていた。

 激しい乱戦の数々を経て、その有用性は既に失われていたが。
 仁成の遺品を回収していたジョニーは、土壇場でその手錠を“即席の武器”として取り込んだ。
 その鎖による一撃は致死の銃撃を妨げ、戦いに終止符を打った。

 熱を失いつつ思考を、ヤミナはかろうじて動かす。
 傷の治癒を齎すルクレツィアの超力を発動しようとしたのだ。
 止め処ない出血を抑えるべく、“血濡れの令嬢”の異能へと手を伸ばす。

 ――だが、システムCは作動しない。
 沈黙を保ったまま、その動作を止めている。
 ぴくりとも反応しない超力を認識し、ヤミナは唖然とする。


 ヤミナは知らない。知る由もない。
 “手錠”から再構築した鎖を起点に、システムAが作動しているのだ。


 刑務においてこの機能を作動できるのは、A子機たる手錠を持ち出したハヤトや紗奈のみ。
 彼らの生態情報を記録した手錠を用い、デジタルウォッチを介してAを作動できる。
 故に紗奈の手錠においても、そのシステムAはあくまで紗奈にしか行使できない筈だった。

「残念、だったな」

 しかしこの刑務の電子的機構を統べるAG-1が、その間に割り込んだ。
 彼のハッキングにより、ほんの短時間のみとはいえ。
 紗奈の手錠のシステムA作動権が、ジョニーに託されたのだ。

 発動時間は十秒前後。ごく僅かな時間。
 されどそれは、勝敗を分ける一瞬である。

 システムCが超力に基づく技術であるならば。
 超力を制するシステムAによって封じられる。

「終わりだぜ。ヤミナ」

 超力による負傷の回復も果たせず。
 ヤミナの胸元から、赤い血が滴り落ちる。
 成す術もなく、意識が霞んでいく。

「もう、終わりさ」

 語り掛けるようなジョニーの声を、その頭で認識しながら。
 ヤミナは力を失ったように、両手をだらりと下ろす。
 そうして呆然と、夜空を微かに見上げた後。
 フックが勢いよく引き抜かれると同時に、その場で仰向けに崩れ落ちた。




 作り物の世界らしいのに、いっちょまえに星はきれいだ。
 そんな下らないことを、ヤミナ・ハイドは思っていた。

 空を見つめて、ぽかんと口を開けていた。
 血の滲んだ味が、喉奥に沁みついて消えない。
 迸る痛みは、赤い色に染まって身体から零れ落ちる。

 手足に力はろくに入らない。
 もう疲れたので、動きたくもない。
 仰向けに倒れて、ヤミナは怠惰に身を委ねる。

 逃げる隙を狙うとか、何とか媚びを売るとか。
 そんなしょうもない考えも、どこかへと飛んでいった。
 もうどうでもよかったから。
 ただ星を見つめていれば、それで良い気がした。

 どうせ手を伸ばしても届かないだろうけど。
 星々に見下ろされるというのも、悪い気はしなかった。

「よう、ヤミナ」

 そんなヤミナの顔を覗き込む影。
 鉄屑の怪人――ジョニー・ハイドアウト。
 人ならざる容貌の男は、その眼差しを確かに向けていた。

「やっと大人しくなったな。酷ぇザマだ」
「ジョニーさんの、せいでしょ……」

 何処か冗談めかして小言を云うジョニーに対し、思わず苦笑するヤミナ。
 そりゃ大人しくなりますよ、アンタに負けたんだから――と言わんばかりの表情で、ヤミナはジョニーを見上げる。
 殺し殺され、死線の果てとは思えぬような、間の抜けた空気が流れる。

「あーあ……へへ……」

 へらへらと、力のない笑みを浮かべるヤミナ。
 現実味も無ければ、実感も無いような、そんな表情だった。

「ヤミナはもう……おしまいです……」

 だからこそ、ヤミナは他人事のように笑う。
 諦めを抱くかのように、軽薄な面持ちだった。

 ああ、つまんない人生だったな、と。
 ヤミナは投げやりにそんなことを思う。

 誰からも向き合ってもらえず。
 誰にも取り合ってもらえず。
 いつだって価値のない毎日を送ってきた。

 善悪なんて分からない。知りもしないから。
 責任なんて、誰にも教えてもらえなかった。
 本気になることも、真剣になることも出来ない。
 開闢を迎えた日から、ヤミナは影法師だった。

 だから、自分が死ぬことさえも他人事のように思えてしまう。
 恐怖も湧き上がってこないし、未練も思い返せない。
 ただただ、ああ自分は死ぬんだな、なんてつまらない感情しか浮かんでこない。
 負け犬は負け犬らしく、順当に負けて、順当に死んでゆく。

 それを虚しいとか、哀しいとか、そう思うことさえ出来ない。
 そんな自分を俯瞰して、ヤミナは思った。
 なんでこんな人生になっちゃったんだろう――と。

 そうしてヤミナは、呆然と自分の死を見届ける。
 何の感慨も無いままに、朽ちてゆく自分の命を見つめる。

「なあ、ヤミナよ」

 そんな矢先に、ジョニーが呼びかけてくる。
 そして彼は、静かな感情を込めて言葉を紡ぐ。

「お前はこの土壇場で、罪を背負っちまったな」

 思いもよらぬ一言を前に、ヤミナはジョニーをまじまじと見つめる。

「……なんすか、それ」 
「仁成を――“仲間”を裏切ったことだ」

 そう告げるジョニーは、確かにヤミナを見据えていた。
 表情も伺えぬ鉄屑の顔で、真っ直ぐにヤミナと向き合っていた。

「あたしの責任、っすか……?」
「そうだ。紛れもない、お前の責任だ」
「裏切って、ないっすよ。ハナから仲間じゃない」
「仲間だよ。お前だってな」

 ぽかんとするような顔のヤミナに対し、ジョニーはハッキリと答える。

「あの世で仁成やエンダ達に逢えたら、頭下げて詫びるこった。
 ”皆を裏切ってすまなかった”ってな」

 そう告げられて――ヤミナは、思わず呆気に取られていた。
 真っ直ぐに伝えられた言葉を前に、困惑のような感情を抱いてしまった。

 主催者の尖兵。そんな肩書をおくびにも出さず、悠々と小狡く立ち回ってきた。
 土壇場で只野仁成を裏切り、彼を死に至らしめた。
 何の罪悪感もなければ、良心の呵責さえもない。

 そんな自分に対して、ジョニーは真正面から向き合ってきたのだ。
 責任を突きつけて、心からの意志で諭してきたのだ。
 だからヤミナは、呆気に取られるしかない。
 これまでの人生で、そんな相手など居なかったのだ。

「いやあ……詫びるって、いわれても……」

 ヤミナは思わず、苦笑いを浮かべてしまう。
 だって詫びた所で、到底許されることじゃなかったから。

「そんなん……許されるわけ……なくないですか……?」
「赦しを乞う為じゃない。お前自身の為さ」

 されどジョニーは、あくまでヤミナに対してそう伝える。

「俺たちはどうせ天国に縁のねえ、逸れ者の野良犬(バッドガイズ)さ。
 真っ当な世界から弾かれて、寂れた路地裏を彷徨い続ける――」

 我らは悪童であり、天国に行く資格などない。
 それぞれの罪を背負って、地の底へと堕ちる運命にある。
 世界の果て――アビスへと辿り着いた”在りし日の難民”は、言葉を紡ぐ。

「――そんな奴らにこそ、贖いが必要なんだ」

 悪には何故罰があり、何故償いがあるのか。
 それは救済のためだ。それは再起のためだ。

 多くのものを取り零して、“伝令の鳥(ヘルメス)”とも死別した。
 それでも鉄の騎士は、自らの歩みを止めない。
 それこそが、己の為すべき贖罪であると信じたからだ。

「そうでなきゃ、悪人は救われないだろう?」

 神の祝福なるものが、この世界にあるというのなら。
 決して報われぬ運命など、有るはずがないのだ。
 決して許されぬ業など、有るはずがないのだ。
 人には必ず――帰る先があるのだと、男は信じ抜く。

「例え世界が間違ってたとしても。
 人は、間違いと向き合えるのさ」

 ――自分とエンダのように、決して割り切れなかった因果だってある。
 ――それでも、だからこそ、信じるべき理想というものがある。
 ジョニーは己の悔いを奥底で嚙み締めながら、そう告げる。

「だから、お前も自分の責任を果たしてくれ。
 それを果たした時に、お前はきっと報われる」

 そして、だからこそ。
 ジョニー・ハイドアウトは、せめてもの祈りを手向ける。
 ヤミナ・ハイド――この矮小で卑劣で、しかし確かに仲間の一人だった悪童の安寧を願う。


「俺の望みは、それだけさ」


 そう締め括るジョニーを、ヤミナはじっと見つめていた。
 表情の分からないその面持ちを、彼女はただ無言のままに眺めてから――。
 その間の抜けた顔を、へにゃりと破顔させた。

「……そっか……」

 ヤミナは、にやにやと笑っていた。
 先程までの諦念とは違う、安堵にも似た笑みだった。

「そっかぁ……へへ……」

 何故だか、不思議と満たされるような思いだった。
 この二十数年。ずっと真剣味がなくて、何の重みもない日々を歩んできたけれど。
 ようやく誰かに、本気で向き合ってもらえたような気がした。
 これまでの無価値な人生が、やっと少しだけ、報われたような気がした。

「ちゃんと、謝ったら……」

 だからヤミナは、問いかける。
 ほんのちょっぴりの下心を込めながら。

「あたしに、ご褒美とか、ありますか……?」
「ああ。勿論あるさ」

 にやつくヤミナに対し、ジョニーは迷うこと無く答える。

「生まれ変わって、また俺達がつるむ時が来りゃあ――――」

 そうして一呼吸を置いて、ジョニーは告げる。
 お調子者のヤミナに対する、確かな“ご褒美”を。
 ジョニーはヤミナの手を取って、言葉を続けた。

「次の“ブラッド・ピット”は、お前で決まりだ」

 その言葉を前にして、ヤミナは目を丸くした。
 南東の小屋へと向かう途中。何気なく交わした遣り取り。
 ――なんだかオーシャンズみたいだ、なんて。
 そんな他愛もない会話が、脳裏に蘇る。

 ほんの僅かな時間。なんてことのない、ささやかな遣り取りだったけれど。
 きっとあの時、自分たちは仲間としてつるんでいたのだ。
 権威に抗い、一つの目的へと向けて邁進する――“脱獄同盟”として関わり合っていたのだと。
 ヤミナは、最後の最後に思い馳せる。

 只野 仁成。エンダ・Y・カクレヤマ。
 北鈴 安理。ジョニー・ハイドアウト。
 ネイ・ローマン。メリリン・“メカーニカ”・ミリアン。
 トビ・トンプソン。――――ヤミナ・ハイド。

 試練を経て、犠牲を乗り越え、抗い続けて。
 八悪人の脱獄同盟は、じきに物語の終幕へと向かっていく。

 ヤミナもまた、その一員だった。
 その犠牲を胸に抱いて、ジョニー達は前へと進んでいく。

「へへッ……いい、っすね……」

 ヤミナは、嬉しそうに笑っていた。
 ひどく満たされたように、にたにたと笑みを浮かべていた。
 世界を歪めることしか出来なかった悪童が、今だけはほんの少し、世界の一員になれた気がした。

「じゃあ……今度こそ……」

 自身の責任を突きつけて、自身の死を見届けてくれる“仲間”。
 ジョニー・ハイドアウトの手を取りながら、か細い声を紡ぐ。

「あたしが、大スター……かな……――――」

 掠れていく言葉を、喉から零れさせながら。
 ヤミナは、自らの物語を幻視する。

 生まれ変わった後。同じように生まれ変わった仁成とまたつるんで、また何かどでかい計画に関わって。
 ド派手な悪党達の狂宴の矢面に、自分が立つのだ。
 次の主役は自分なのだ、と。ヤミナはにやっと笑いながら、そんな未来を見据えていた。

「――――ああ。オスカーも夢じゃないさ」

 次の主演女優は、ヤミナ・ハイドで決まりだ。
 そう伝えるように、ジョニーはヤミナの手を強く握り締めていた。
 その冥福を祈るように。あの世で自らの責任を成し遂げて、その魂が浄化されることを願うように。
 少しずつ冷たくなっていく温度を感じ取りながら、ジョニーはヤミナを見つめ続けていた。

 やがて鉄の騎士は、夜空を見上げた。
 作り物の濃紺。星々が朧げに輝く宵空を、じっと見つめていた。
 その掌の温もりが途絶えたことを噛み締めるように、彼はただ沈黙していた。



【ヤミナ・ハイド 死亡】



【C-3/草原/一日目・真夜中】
【ジョニー・ハイドアウト】
[状態]:疲労(中)、体力消耗(大)、タグ解除、金属の消費(大)
[道具]:デイパック、紗奈のシステムAの手錠(吸収)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.受けた依頼は必ず果たす
1.灯台へ向かった者達と合流し、成果を共有する。
2.怪盗(チェシャキャット)の依頼を果たす。
※ルメス・ヘインヴェラートが掴んだ情報を全て伝えられています
※遺物を強引に切り離したことと『永遠のアリス』の消滅に伴い、永遠の呪縛から解き放たれました。

※システムAに触れ、受けた超力の影響を一時的にリセットされています。
※ヴァイスマンのタグ付が解除されました。
※会場を監視するアビスの眼であるAG-1と接触し、協力を取り付けています。
※AG-1の支援により、生存者の現在位置が把握可能です。
※紗奈の手錠とAG-1のハッキングを介することで、システムAをごく短時間のみ発動できます。


[共通備考]
①ヤミナ・ハイドの荷物は以下の通りです。
 ジョニーが回収したか否かはその後のリレーにお任せします。

ハンドガン、警備員制服、デジタルウォッチ(システムC)、デイパック(食料1食分、エンダの囚人服、資料・書籍類)、只野仁成の左腕
流れ星のアクセサリー(破損)、治療キット、応急処置キット(幾らか残量あり)、ナイフ、かっこいいサングラス(破損)
防弾チョッキ&防刃チョッキ(いずれも破損)、マシンガン×2、マシンガンの弾倉×3、閃光弾 (1個) 、対超力防護ジャケット(破損)


②ヤミナ・ハイドが恩赦ポイントで確保した物資は以下の通りです。

2pt:ステッカー
5pt:かっこいいサングラス
5pt:ナイフ
10pt:弾倉×10
10pt:ヘルメット
20pt:防弾チョッキ
20pt:防刃チョッキ
20pt:閃光弾 (3個セット)
30pt:手榴弾 (3個セット)
60pt:マシンガン×2
70pt:対超力防護ジャケット

合計252pt

165.番外戦 投下順で読む 167.魂の冒涜者
時系列順で読む 168.Abyss(前編)
春のポイントフェア トビ・トンプソン Abyss(前編)
ジョニー・ハイドアウト
ヤミナ・ハイド 懲罰執行

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最終更新:2026年06月12日 09:53