空はまだ昏く、時計はもうすぐ午前四時を指そうとしている。

かなり西に傾いた月に照らされた草原を、えっちらおっちらと歩く男女がいた。


「焔花さ~ん。やっぱり担ぐの代わろうか~?」
美空ひかりが最後尾から声をかける。

「大…丈夫…!」
先頭を歩く焔花が答える。その肩には金髪の男がぶら下がっている。
筋肉質とは言えず、STRも低い焔花にとってその男は非常に重荷なのだろう。一歩進むたびに体がふらついている。
その歩みは幼子のそれよりも遅い。

「本当に大丈夫ですか…?」
「だい、だいじょう、ぶ!」
焔花のすぐ後ろを歩くアイナの呼びかけにも同様に答える。
しかしその足取りはおぼつかず、到底はいそうですかと言ってやることはできない。
見かねたひかりが手を叩く。
「はいはい!ちょっと休憩にしましょ、焔花さん!」

でも、と反発する焔花の言葉を遮ってひかりは続ける。

「『でも』じゃないでしょ。さっきよりだいぶペース落ちてきてるし、このペースじゃ市街地に着く前にエンジ君が目を覚ましちゃう。
それに足が疲れたときは、ちょっと屈伸するだけでもだいぶ変わるからさ。能率を求めるなら時には休憩も必要だよ」

ひかりは不満げな焔花にかまわず手ごろな岩に腰掛け、「アイナちゃんもおいで」と手招きする。

焔花も不承不承と言った面持ちで別の岩に腰掛けた。
とはいえ脚にはかなりの負荷がかかっていたらしく、すぐに屈伸運動や太もものマッサージを始める。

その様子を満足げに眺めるひかりに焔花が声をかける。
「ひ、ひ、ひかりちゃん。あ、合言葉を決めておき、おきたいんだ」
「合言葉?」
「そう。あ、合言葉」

いまいち発言の意図を図りかねている様子のひかりに、焔花は説明する。

「さ、さっきひかりちゃんがい、言ったように、市街地に着く前に、エンジ君が目を覚ましたとして、仮にの、『乗っていた』とするなら一番最初にこ、攻撃されるのは、多分オレだから」
「まあ、そうね。それで?」
焔花が自ら申し出たとはいえ、危険な役目を彼に押し付けてしまったことに引け目を感じているのか、ひかりは少し気まずそうな顔をしながら先を促す。

「オレのスキルには、そ、そういう状況をひっくり返せるものが、あるんだけど、ま、周りを巻き込んでしまうんだ。
 だから、お、オレがその合言葉を言ったらすぐに、アイナちゃんを連れて、オレから離れてほしい」
焔花にしては長いセリフを、どもりながらもしっかりと言い切った。

「まあそういうことなら。どんな合言葉にするの?」
「そ、それは――――」




合言葉が決まると、何かを振り払うようにアイナが立ち上がり「そろそろ行きましょう」と二人に笑いかける。
合言葉を決めるやり取りの間、少し暗い顔をしていたような気がしたが、今はそんな様子はない。
遅れて焔花が立ち上がるのと同時、彼らの頭の中で短い電子音が鳴る。

「メール?」
「みたいですね」

各々メニュー画面から[[メール]]を開き内容を確認する




[イベント]砂漠のお宝さがし開始のお知らせ

~風の噂が流れた、あの大盗賊がお宝を砂漠に隠したと。さあ君に見つけられるかな?

『New World』をご利用いただき、ありがとうございます。

砂漠エリアにて砂漠のお宝大探索イベントを実施します!
大砂漠に大盗賊のお宝が埋められました。

GPや強力なアイテムなどをGetできるチャンスです!
砂漠に存在する10個のお宝を見つけることができるか!?

イベントは本メール受信より開始となります。
全アイテムの発見を持ちましてイベントは終了となります、ご了承ください。

※お宝は特定ポイントに到達した際、LUKの確率で発見できます。
※また探索スキルや探索アイテムがあると必要なLUKが下げられイベントが有利になります




「……どう思う?」
ひかりが口火を切る。
現在地はD-4。砂漠エリアは北東に向かってエリアを一つ二つ越えれば到着する。
率直に言ってかなり近い……のだが。

「罠とかではないと思いますが……」
「し、正直、い、今のオレたちには……」
「まあそうよね」
同行する二人からは難色を示され、ひかり自身もそれに同調する。

現在三人はエンジ君から事情聴取を行うため、砂漠とはほぼ反対方向にある市街地に向かっている最中である。
そのうえ、縁児を背負っているためその行軍は亀のように遅い。

[イベント]と言うからには、すべてのプレイヤーにこのメールが送られていることだろう。
つまり、イベントに参加しようと考えるプレイヤーが砂漠エリアに集まるということ。
ゲームの打破を目的とするSTRの高いプレイヤーと遭遇できれば、エンジ君の運搬を代わってもらえるのでありがたいところだが、そう都合の良い話はないだろう。
これまで『乗った』人間に遭遇していないこと自体が奇跡のようなものなのだ。

現在の三人の状況では、何を考えているかもわからない不特定多数の参加者との接触は避けたいというのが本音だ。
しかも市街地と違い、砂漠エリアにはおそらく遮蔽物もない。

ということで、身を隠せる場所も安全が保障される場所もない、と来ればこのイベントはスルー一択と結論付ける。

「それじゃあイベントは「焔花さん!!」
「がッ……!!?」 

イベントの不参加を二人に告げようとしたひかりを遮り、アイナが叫ぶ。
弾かれるように焔花の方を振り返ったひかりが見たものは――――



――――焔花の後ろから彼の首に腕を回す、エンジ君の姿。



◆◆◆

動画配信の仙人との邂逅から数時間。

深い眠り―――というか気絶から目覚めたエンジは声を聞く。

知らない男と女の声。

否。女の方はどこかで聞いた覚えがある。

確か、テレビのCMだか、音楽番組だか。
動画配信サイトの広告でも聞いたような。

思い出すな、と脳が告げている気がするけれど。
今は殺し合いの真っ最中。

気絶していた自分のそばに誰かがいるこの状況で、その正体を確認しないわけにはいかないのだ。

目を開き、周囲を見る。
全員がエンジから注意を逸らしていた。

一人は金髪のガキ。
一人はアフロヘア―のおどついた男。
そしてもう一人の女の顔を見てエンジの口が歪む。
忌々しい傷も完全に癒えた今、為すべきことはただ一つ。


さあ、アイドルを殺そう。



◆◆◆



「動くんじゃねえ!!!」

焔花を拘束したエンジ君が吼える。

右腕はしっかりと焔花の首に巻き付き、左手には拳大の石をもっている。
Tシャツによる簡素な拘束は、どうやら簡単に外されてしまったようだ。

「よお美空ひかりィ!
 何でいるのか知らねえが会えて嬉しいぜ!トップアイドルのてめえをこの手でブチ殺せるってんだからよお!!」

やはりというか、予想通りというか、焔花のように『実は良い人』ということもなく、この男はゲームに乗っていた。



「焔花さんを離しなさい!」

こういう展開も予想していたので、ひかりの身体はスムーズに動く。
後方でアイナが何か叫んでいるようだが耳には入らない。
流れるような足さばきと共に繰り出されるは競技空手において最もリーチが長いとされる逆拳上段連突き。一般的に「逆逆」と呼称される技だ。

右構えから放たれた上段逆突きが、3mほど離れたエンジの顔面を撃ち抜く。

「なっ…!」


――否。
撃ち抜く――――はずだった。


鼻っ柱に着弾するはずだった拳はエンジの顔の1cm程手前で静止してしまっている。
見えず、触れもしない何かに遮られ、ひかりの拳はエンジには届かなかったのだ。

「美空ひかり…!俺を…『攻撃』したな!」


エンジの顔が愉悦に歪んだ瞬間。
美空ひかりが纏っていた『何か』が消失した。

カリスマのようなオーラのような。
どちらでもあり、どちらとも形容できそうにない、美空善子をアイドルたらしめていた何かが。


「アイドル…フィクサー…!」
「お、よく知ってたな。ガキンチョ」

アイナが呻くようにそのスキルの名を呼ぶ。
『アイドルフィクサー』
それはエンジが持つ唯一のスキル。
アイドルを喰い物にするスキルであり、アイドルから攻撃を受けず、そして――――。

「俺に攻撃を行ったアイドルは、アイドルである資格を失う。
 つまりアイドル・美空ひかりは死んだってことなのさ!」

そんな馬鹿な、と善子はメニュー画面を開き[[ステータス]]を確認する。
見ると、先ほどまでは確かに存在していた『アイドル』スキルが消失していた。

「う…そ…」

愕然とする善子。しかし直後に聞こえた鈍い音が、彼女を現実に引き戻した。
エンジが石を持った左手で焔花を殴りつけた音だった。鈍い音と共に焔花の顔が苦悶に歪む。

「てめえ、おっさん!今何かスキル使おうとしただろ?
今の自分の立場わかってねえのか!ああ!?」

ゴツゴツと頭や肩、脇腹を殴りつける。

「くっ……!」
血を流す焔花の姿に己の甘さを悔いるひかり。
拳を握りしめ、奥歯が軋む。

善子もアイナも強く後悔した。
こんなやつを助けなければよかった。
おそらく危険人物であろうとは予想していた。
助けたくないという本音を抑え、悪い人じゃないかもしれないと希望的観測をし、仏心を出した。しかし結果がこの有様。
仲間を人質に取られ、アイドルスキルをも失った。
完全に仇で返された形だ。



「おっと、妙なこと考えるなよ。次、俺に攻撃なんかしてみろ。何失うかわかったもんじゃねえぞ。
 歌を歌うための声か、それとも曲を作るための耳か。
ドルオタ共と握手するための手かもしれねえし、ダンスを踊るための足かもしれねえ。
 どれ失ってもアイドルとしちゃあ致命的だよなあ」

「ひかりだけじゃねえ、取り巻き共もだ。
変なそぶりなんか見せようもんなら、即てめえの首へし折ってやるからな。
そっちのガキもだ。手に持ってるもんさっさと捨てな!」

エンジのさらなる要求にアイナも仕方なく従う。

首をへし折るという行為がエンジに可能かどうかはわからないが、それが可能であった場合、焔花は確実に殺されてしまう。
善子も、アイナもそれを怖れて手を出せずにいる。
焔花を盾とされているこの状況で役に立つ支給品もない。

歯噛みし、睨みつけるしかできない善子の様に気分を良くしたエンジは、下卑た笑みを浮かべて口を開く。


「よーし、美空ひかりィ!服をぜぇぇんぶ脱いで、『BEAUTIFUL SKY - ひかり -』を歌いながら踊れ。
 てめえのデビュー曲だ。歌えねえ踊れねえとは言わせねえぞ!」

とても正気の沙汰とは思えない要求。
従うしかない状況だが、さすがに貞操の危機すら感じさせる要求に黙って従いたくはない。

「仮に私がその通りやったとして、あなたはそれをどうするのよ」
「このゲームで優勝すりゃゲームの管理権がもらえるんだろ。
管理者権限でその映像をゲットして、世界中にばら撒いてやんのさ!」
「そんな…!」
「よかったなあ美空ひかり!!
 万一このゲームが本当にただのゲームで、俺に殺されて元の世界に帰れたとしても、もうアイドルなんざやらなくていい!なんせ、ポルノ女優としてのキャリアが拓けてるんだからなあ!」


ギャハハハと高らかに嗤うエンジ。
善子の堪忍袋の緒が切れるが、この状況ではなにもできない。

「下種が!!!」

善子が吐き捨てた侮蔑に、エンジが憎悪で応える。
「うるせえ!てめえらアイドルは全員等しく屈辱にまみれて死ぬべきなんだよ!」
さあ脱げ!それとも、このおっさんを縊り殺されなきゃできねえか!」



善子が観念し、服に手をかけたその時、


「ひ、ひ、ひかりちゃああん!たす、助けてくれええ!死にたくないよおお!」



捕まって以降、押し黙っていた焔花が叫ぶ。
涙を散らし、鼻水と涎を垂れ流し、助けを求めて泣き喚く。


それがきっかけ。
エンジに相対していた善子はアイナの腕を掴んで踵を返し、全力で二人から離れるべく走り出した。



◆◆◆

「アイドルが人質見捨てて逃げやがった!」


品のない笑い声をあげるエンジ。

エンジとしてはアイドルを貶めるネタを得たかっただけなので、ひかりが要求を飲もうが飲むまいがどちらでもよかった。
そもそもガキの裸体になど端から興味はない。

人質を取り無理難題を押し付け、全裸で踊る無様を晒すか、自分かわいさに人質を見捨てるか。
ポルノ女優に身を堕とすか、自分のようにバッシングの中姿を消すか。
どちらの行動を取ったとしても、その映像を世界中にバラ撒けば、美空ひかりがアイドルを続けることは不可能だろう。

そうして絶望したアイドルをぶち殺すことが自分の復讐の一歩なのだ。

だから嘲笑いこそすれ、このまま二人を逃がすつもりはない。

まずは手始めにこのアフロのおっさんを殺してから――――



そう考え、エンジが視線を移すと、

焔花は体の内側から、強く光り輝いていた。


◆◆◆



「ダメ!ひかりちゃん!止まって!戻って!」

STRの差からなすすべなく引き摺られるアイナが悲痛な表情で叫ぶが、善子は足を止めることなく彼女の懇願を却下する。

「ダメよ!アイナちゃん聞いてなかったの?
あれは焔花さんと決めた合言葉だったじゃない!」

そう。
あのとき決めた合言葉は『助けてくれ。死にたくない』。
焔花がこの言葉を発することが一発逆転のスキルを発動する合図。
自分達の仕事は巻き込まれない距離に離れることだ。
必ず全うしなければならないが故に善子は走るのを止めない。


「違います!そういうことじゃありません!」
しかしスキル『テレパシー』で焔花の思考を読み取っていたアイナにはもう少し深い真実が見えていた。


「焔花さんは!スキル『自爆』でエンジ君を道連れに死ぬつもりなんです!!!」
「――――え?」

アイナの言葉に驚き、足を止めたその瞬間。
先ほどまでいた場所から爆炎が上がり、轟音と空気が膨張したことによる突風が二人の身体をしたたかに叩いた。



◆◆◆



―――至近距離で発生した爆炎に身を内から外から焼き尽くされ、己の死が確定したことを自覚した津辺縁児は思う。



どうして自分がこんな目に遭わなくてはならないのだろう。


自分は間違ったことなんかしていないのに。



間違ったことを言う上司に反発し、甘ったれた後輩の成長を促すために愛の鞭を振るい、会社に利のある契約をするために取引先に強気で接した。

それなのに会社のために泥をかぶった自分が、使えないと言われて切り捨てられた。



新たに始めた動画投稿だってそうだ。

時事ネタに積極的に首を突っ込んだのも、凝り固まった価値観に一石を投じて見方を広げてやりたいと思ったからだ。


それなのにちょっとアイドル業界を批判したくらいで、配信停止にまで追い込まれた。



―――これらは今の状況を正当化するための後付けの理屈。
―――しかし時を経るにつれて、それらは縁児にとっての真実にすり替わっていた。



認めて欲しかった。

縁児君が正しかった。俺を見下し害した連中に、そう認めて頭を下げて欲しかった。

それなのに。



「どゔじで、俺だげが―――――」


――――誰にも認められないのだろう。



◆◆◆



焔花 珠夜は考える。


ついにやってしまった。



『爆発で人を傷つけない』

それは爆発は最高の芸術であると信じる自分にとって、絶対に守らなければならない矜持だった。

だがその矜持を曲げてでもひかりとアイナを守りたかったのだ。


あの歌声を聴いたとき、美しくも優しい青空が心に浮かび、感動を伝えずにいられなくなってしまった。直前に顔面を蹴り飛ばされて隠れていたのも忘れて、だ。
以前、ひかりのライブで試みた爆破が、未遂に終わってしまったことが悔やまれる。
成功していれば、あの素晴らしい歌声に、この手で彩りを添えられたというのに。


アイナは自分を信じてくれた。
初対面であんなに怖がらせてしまったのに、ひかりに疑われる自分をかばってくれた。
今回の作戦でも自分の身を終始慮ってくれた、優しい子だ。


そんな二人を守って、最期に華々しく散ることができた。

他人を傷つけた以上、もう『爆発は芸術だ』などと言う資格は、自分にはないけれど。

悔いはない。多分。まあ、一応。
そういうことにしておいた方が格好いいし。


欲を言うなら、自分の最期の爆発を――――もっと多くの人に。



◆◆◆



爆炎も煙もやがて収まり、後には大きく浅いクレーターが残った。

戻ってきて、その中心に散らばったアイテムを呆然と眺める美空善子。


アイドルスキルを失い、目の前で仲間に死なれた彼女の胸に去来する物とは――――。



[津辺 縁児 GAME OVER]
[焔花 珠夜 GAME OVER]



[D-4/湿地帯近くの草原/1日目・早朝]
[美空 善子]
[パラメータ]:STR:B VIT:C AGI:C DEX:B LUK:B
[ステータス]:健康、絶望
[アイテム]:不明支給品×3
[GP]:10pt
[プロセス]
基本行動方針:殺し合いには乗らず帰還する
1.今は何も考えられない。
2.市街地に向かう。
3.知り合いと合流。
※『アイドルフィクサー』所持者を攻撃したことにより、アイドルの資格と『アイドル』スキルを失いました。
GPなどで取り戻せるか、現実の美空ひかりに影響があるかは不明です。

[田所 アイナ]
[パラメータ]:STR:E VIT:E AGI:C DEX:C LUK:B
[ステータス]:健康
[アイテム]:ロングウィップ(E)、不明支給品×3
[GP]:10pt
[プロセス]
基本行動方針:お家に帰る
1.焔花さん…
2.市街地に向かう。
3.ひかりちゃんには負けない

[備考]
クレーターの中心に焔花の支給アイテムが散乱しています。

036.Stand by Me 投下順で読む 038.二つのE/その声は誰がために
時系列順で読む
多分こいつは敵だと思う 美空 善子 壊れた心
田所 アイナ
焔花 珠夜 GAME OVER
津辺 縁児 GAME OVER

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最終更新:2020年12月10日 23:47