イコン教団が本格的に活動を行うより約一年前、彼女が偶像となるその瞬間まで、生きてきた世界は貧しい寒村だった。
親の顔すら知らず、姓も持たない孤児として育った彼女であったが、元よりあぶれ者やすねに傷を持つ人間で構成されたその村は、彼女を拒むことは無かった。

彼女は己の境遇を変わったことは何もないと思っていた。
教会付属の孤児院の中で歌うことや踊ることが大好きで、皆そんなイコンに魅了されていた。
貧しい暮らしで次々と人が倒れたが、それが普通だと思っていたし、
猛吹雪が降る前日、村から多くの人間が消え、その内数人の孤児院の仲間が怪我をして帰ってきたこともありふれたことだと思っていた。

「ザナク、具合はどう?」

「ああ、今日は調子がいいよ」

イコンはベッドの上の少年を見る。
少年の肌は窓の外で降っている雪の様に白く、顔はやつれていた。
もっともそれは彼が怪我をして帰った数日前からではなく、彼が生まれてからの事だ。

「ギン兄とローア姉も、一昨日までは元気だったんだけどなあ」

「ザナクはきっと元気になりますよ。」

この付近は、血縁的にほぼ全員が親戚である。
度重なる近親婚の果て、生まれながら奇病を持つものがもはや過半数であった。
別の血を取り入れようにも、隣村も、その隣村も、果ては国の王族すらこの村と同じく勇者「マコト・ユフミ」の親戚である。
イコンは別の血が強いのか、幸運にもそのような症状は無く、奇跡の子とも呼ばれているが、そんなことはない。
むしろ、自分一人だけこの村から取り残される恐怖が強かった。

「なあイコン、なんでここに村ができたか知ってるか?」

ベッドの上の少年は白髪の頭を揺らし、ベッドから身を起こした、

「聞いたこともありません」

「昔、金が貴重な時代があって、
 向こうの山から取れる金を目当てに、いろんな人が集まってできたんだってさ」

「銀ならともかく、金に人が集まる時代があったなんて、信じられませんね。」

「勇者ゴウダって奴が、アホみたいに金を増やしたから悪いんだよ。
 俺たちも勇者の時代の前に生まれてたら、大金持ちになれてたのになあ」

「ザナク、お腹が空いているのだったら、アイク兄さんがもうすぐ狩りから…」

「いや、そういう意味で言ったんじゃないよ、
 アイク兄が帰ってきたら二人で食いな」

「でも何か食べないと体に良くないわ」

「いや、最近は調子もいいから平気だって。
 そうじゃなくて…そこの棚の一番上、開けて見な」

「?」

少年の言うとおり、一番上の衣類棚を開ける。
衣装棚の中は、一瞬衣装棚の中が外に続いているのと錯覚する白景色が広がっていた。

「まあ…!」

中に入っているのは、純白のウェディングドレスと、煌びやかな装飾品であった。

「前に、ツキタの子孫の入り婿が来るって噂聞いたろ?
 そこからちょっとクスねてきたんだ。」

クスねた、それだけでイコンは眩暈がしそうになる。
しかもこれだけの量の荷物、とても穏便に、しかも一人で盗めたはずがない。
イコンは銀色に輝く指輪を手に取った。
ズシリと重い、その重さは勇者の時代には加工の問題で見向きされなかったというプラチナで作られていることを示している。
顔を近づけよく見ると、指輪には花を模した精巧な細工が施されている。

「…数日前、崖崩れがあった場所に兵士が集まってましたね
 まさかツキタ一族を敵に回したのですか?」

現代でもプラチナにこれほど精巧な細工を施す方法を聞いたことはない、
勇者ツキタの子孫、下手をすると勇者の時代にツキタ・キザス本人が魔術を用いて加工した代物に違いない。
イコンの顔から血の気が引いた。

ツキタの子孫と言えば、この時代において病に侵されず勢力を伸ばしている一族である。
なぜ病に侵されなかったのか、それは奇跡でも何でもなく、
女に生まれれば各地の有力者に売り飛ばすように送り込まれ、男に生まれれば有力者の女を娶るという
人を人と思わぬ強引な方法で勢力を伸ばした故に過ぎない。
その統治も強引で、経済の安定を目論む性急な貨幣の刷新と、近親婚の排除を目的にした強引な民族管理により大勢の人間が混乱の渦に巻き込まれた。
この村の人間も、そのあぶれ者が大半だと聞いている。

「勇者様の子孫相手にやってやったぜ、へへ…」

「バカ、勇者の子孫って言ったら、凄い魔法が使えるんですよ。
 この村の人間が束になっても勝てるはずないですよ。」

「いや、今回の花婿様は噂通りそんなものは使えなかったよ。
 大したことない奴だった。」

「大勢やられて、あなたも刺されたのに?」

「俺と同じ、人間だったよ」

少年はベッドにごろりと寝ころんだ。

「あーあ、なんで同じ人間なのに、こんなに差があるんだろうなあ
 俺たちはただ、明日の飯が欲しかっただけなのに…」

「ザナク……」

「イコン、それやるよ。
 それもってどっかに逃げた方がいい」

「そんな、これはせめてザナクが持つべきだわ」

「気にすんなよ、そんなことより、歌ってくれよ
 やっぱ、宝石なんかよりもイコンの歌の方が俺は好きだよ」

イコンは、ザナクの目を見た。
その瞳に、かつてのような活発さは無かった。

「それも………いえ、わかりました。」

犠牲を払って手に入れたものをなぜ放り出すのか、
それを悟ったイコンは歌を紡ぎ、少年は目を閉ざした。
イコンは歌も踊りも好きだが、この時ばかりは歌っている時も悲しかった。


それから数時間後、背後のドアが、ギイと音を鳴らして開いた。
見慣れた大男が入ってきたが、イコンはザナクから目を離さなかった。

「ザナクはどこだ?」

「アイク兄さん、何か取れました?」

「何も獲れなかった。相変わらずの不猟だよ。」

アイクと呼ばれた男は首を横に振った。

「そんなことより、ザナクはどこだ?
 居なくなった連中、入り婿を迎える領主の娘を殺して金品を奪ったと村の連中から聞いたぞ。」

今度はイコンが首を横に振った。

「死にました。」

男はベッドの上の少年を見た。
生まれつきの青白い顔がさらに白く、安らかな顔で目を伏せていた。

「………逃げるか?
 吹雪が明けたらいつ追手が来るかわからんぞ?」

大男は棚の中に目を向ける。
あれだけの財宝があれば、当分生きるのに困らないだろう。
逃がすなら、せめて健康なイコンを逃がす。
それが村の合意であった。

「私は残ります」

「なぜだ?」

「私の世界は、ここにしかありませんから。」

イコンは窓から村を振り返った。
楽しいことが色々あった、祭りの最後に、イコンの歌と踊りを村の総出で見てくれたのは一番楽しい思い出だ。
辛いことも色々あった、寒さで手がかじかみ、裁縫が上手くできずに叩かれたことが何回もある。
イコンの思い出は全部この村に詰まっている。
それに、仮に女一人でこの村を出たとしても、自分には生きる自信が無かった。
短い人生だったが、皆と一緒なら何も怖くはない。
この世界の、この村のために生きる。それが彼女の生き方だった。

「ああ、せめて、最後にはみんなと同じ場所に向かえたらいいのだけど」

(その望み、叶えてあげるわ)

村に声なき声が響き渡る。
その瞬間、運命は変わった。

吹雪が明けたのち、盗賊を追った兵士たちが見たものは、
既にもぬけの殻になった寒村であった。

その一部始終を、窓からのぞいている男が居た。
窓の外からも伺える。ベージュのコートとハットを携え、
角縁の眼鏡が窓に当たるほど、窓の外の光景に注目していた。

「こりゃあいったいどうなってるんだ…?」

一部始終を除いていた男、青山 征三郎はそう独り言ちた。
陣野 愛美と思わしき少女に連れられ、雪山のコテージの中に入った青山であったが、
中に入ったとたん、窓の外ではまるでテレビ画面の用に、別の光景が広がっていた。
いつの間にか愛美はいなくなっていたし、映像の中のあの少女も、声こそここに連れてきた愛美とそっくりであったが、顔は別物だ。

「なあ、愛美くん、これは一体……」

背後を振り向く青山、
しかしそこにいたのはさっきまでいた黒髪の少女ではなく、白髪の少年であった。

「へえ、あんた探偵やってたんだ」

少年はパラ、パラと青山愛用の手帳をめくる。
青山はその顔に見覚えがあった。
ついさっき、彼の顔を見させられていたばかりだ。

「お前は確か…ザナクと呼ばれていたっけな」

「そう、俺はザナクだよ、青山 征三郎さん」

そう言って少年は笑った。
窓の外で見た彼の顔色は、雪よりも白い物だったが、
目の前の彼の顔色は血色も良く、活発そうな印象がある。

「さっきの見世物は、お前がやったのか?」

「うーん、そうだね。俺たちがやったんだ。」

少年はわざとらしく腕を組み、あからさまに考えたふりをして言った。
それに気を悪くした青山の語気は荒くなった。

「何が目的だ?」

「それがアンタの目的だろ、探偵さん」

「何?」

「一つはあの少女、ここに連れてきた俺たちのイコンについて調べること」

「イコン?俺を連れてきたのは愛美くんだぞ?」

「あんたの語彙を借りれば彼女は整形って奴をしたのさ。
 声はそっくりだったはずだし…」

少年は懐からテレビ用のリモコンを取り出し、スイッチを押した。
コテージ内の天上隅に配置された放送用TVの電源が付く。
一瞬にして室内に聞きなれた騒音が響く、観客の騒音だ。

『優美ー頑張れー!』

画面にバレーボールの試合が映る、中心に居るのは陣野優美。
聞こえてくる画面横のピントの合ってない男の声は付託 兆の声だ。
この映像は何回も見た。
陣野家から資料としてダビングさせてもらった陣野優美の試合中の映像だ。
白熱した守川 真凛冬海 誠郷田 薫の声も背景で聞こえる。

『優美ー!』

陣野愛美の声が響いた。
雑音だらけであったが、確かに注意深く聞くと少女とは声が違う。

「な?違ったろ?」

画面では優美がレシーブを決め、幼馴染5人は大いに沸き立った後、自然と電源が落ちた。
その間、青山は何も答えることができなかった。
そんなことには構わず少年は捲し立てる。

「もう一つは『アンタが探してた勇者様達はとっくの昔に死んでて。
 好き勝手やったせいで世界一つが無茶苦茶です。』
 って言うのが俺たちから見た今だよ、これが知りたかったんだろ?」

「ふ、ふざけるな!剛田くんに陣野姉妹の3人が生きてるはずだ!
 どこにいる!」

「うーん、剛田は何で生きてるんだろうね、心当たりはあるっちゃあるけどさ。
 けど、愛美様がどこにいるかは知ってるよ。」

「どこだ!?」

「ここにいる。」

「ここ、とは?」

「ここって言ったらここだよ」

「話にならねえな」

禅問答の兆しを見せた対話に見切りをつけ、青山は少年の前を横切り。
コテージの扉に手を掛けた。
しかし、ここに来た時と違い、コテージの扉はびくともしない。
少年は背後でけらけらと笑った。

「ダメだよ青山さん、ここは一度入ったら出られないんだ。」

「くっ!」

ドアを殴る。椅子を叩きつける。
あらゆる方法を試みたが効果はない。

「なあ青山さん、さっきも言ったけどアンタの目的はあれを知ることだったんだ。
 だったらもういいじゃないか、ここでゆっくりしようよ。」

「……違う!」

少年の誘惑を、青山は跳ね除ける。

「確かに彼らの消息を調べるのが俺の目的の一つだった、
 それは果たせた。」

「しかし!」

「探偵として大人として…この情報を、彼らを依頼人に届けるのが俺の仕事だ!」

幼馴染5人が映ったあのビデオを回したのは陣野の母親だ、
資料として渡してくれた時の陣野の両親の顔は今でも青山の心に残っている。
付侘、冬海、郷田、守川、全員同じ、悲しい顔をしていた。
探偵としての義務、大人としての吟味。
青山はまだ、なにも果たせてはいなかった。

「だから頼む…俺をここから出してくれ…」

「ならば祈れ。」

項垂れる青山の目の前に、大男が現れる。
さっき見た顔だ。

「アイク…?」

「祈れば、我らが主に声が届きましょう。」

今度現れたのは、見知らぬ女性だ。
しかし、なぜか青山は彼女の名前を知っていた。

「ローア…?」

「青山さん、そろそろアンタにもわかってきただろ?
 愛美様はきっと、青山さんと一緒に戻ってくれるよ。」

何の根拠もない言葉だが、
不思議と、青山にもそうなるような気がした。

「ああ…そうか…」

「これもみんな、青山さんがここまで来たからさ。」

「俺のやったことは、無駄じゃなかったのか…」

安堵感に包まれた青山は、急に意識が遠くなってきた。
そうだな、今やることはやったんだ。帰る前に少し休んでもいいか。
そう思った青山は、目を閉ざした。

「……さん!青山さん!ダメだ!」

コテージの外で響く学生探偵の声を知ることもなく。

「目を覚ますんだ!青山さん!」

「煩い。」

やがて、その声が消えたことも知らず。
青山の意識は闇に落ちる。
偶像となる前の少女の物語も、探偵青山征三郎の物語もここに終わりを告げた。

後日、というには早すぎる時間の後、
所は変わり、愛美、イコン、青山の揃ったコテージの中の談が始まる。

全ては順調であった。
命令通り、イコンは信者となった男を引き連れた。
彼女の命令により、男はポイントを委譲したのち、平然と陣野愛美との同化を選んだ。

「煩い。」

陣野愛美はそう言って、青山の手からかつて学生探偵が持っていた袋を取り上げた。

「愛美様!どうかなされましたか!」

「残留思念っていうか、魔力耐性っていうか…
 この男、変なもの持ってたみたいねえ、イコンちゃん」

「も、申し訳ございません!私の気が回らぬばかりにとんだ粗相を!」

イコンは冷たい床の上で土下座をした。
イコンが出て行った後、普通に寒くなった陣野愛美が暖炉に火をつけたからまだいいとはいえ、
この雪山エリア内を薄着で数時間動き回った代償として彼女の体力や判断能力は限界を迎えていたのは言うまでもない。
それを見た愛美は、クスクスと笑う。

「良いわよお、イコンちゃん。
 今回は中々良い貢物を持ってきてくれたのに免じて許してあげる。」

数時間待ち、コテージから戻ってきたイコンが連れてきたのは男一人、
しかも当初は二人だったが、イコンの癇癪のせいで一人になってしまったというのだ。
折檻が必要かと思った愛美だったが、男のスキルの説明を聞いて考えを改めた。
優美の所在が把握できるこの男を独断で使わず連れてきた、彼女の有能さは一考に値するだろう。
なぜなら

「きたきた…」

愛美の視界に優美の名前が浮かぶ。
完全魔術による一体化によって、ステータス、すなわちスキルを己が物にできるのだ。
必要なスキルは他人に持たせるよりも、自分のものにした方が都合がいい。

「あらら、ちょっと劣化もあるのね
 まあいいわ。そんなことよりこいつの人脈とかも見ないと。」

青山の記憶のものとは映り方が違う。
パラメータはすべて万全に奪えたが、スキルに関しては劣化があるようだ。

これも制限だろう。

「あはは。イコンちゃん、この人が私の名前知ってるのに嫉妬しちゃったの?
 簡単な話、単に同郷ってだけよ。」

完全化による同化には、対象の人生経験、記憶が含まれる。
すでに陣野愛美は青山征三郎の人生を垣間見ていた。

「同郷…まさか神の国からおいでになったのですか!?」

「そうそう、名簿の名前の感じだとそれっぽいのが大勢だから。
 今度は気を付けてね。罰として今回は私にしてあげない。」

「つ、次こそは神のお目に叶うよう精進致します。」

イコンは既に地に付けた頭を、めり込ませるように深々と頭を下げた。

「私も含めて、みんな待ってるわよぉ~」

『みんな待っている』
古くから、多くの信者には一体化すれば自分の中で永遠に生きられる。
そう説明していたし、イコン含む信者はそれを信じているが、
人間が食べたものが自分の中でどう血肉になっているか知らないように、
陣野愛美自身は、取り込んだものが自分の中でどうなっているかなんてことは知らなかった。

「あの一体化されている最中の笑顔…
 あの男も、皆の御許へ導けたのですね…」

だが、記憶や肉体が愛美の中で永遠に保存される事は嘘ではないし、
何より当人たちが、それを信じて幸せそうなのだ。
何も悪いことはしていない、愛美はそう思って微笑んだ。

「次にぃ、おんなじことをしないよう、イコンちゃんには私の故郷の事を教えてましょうねえ」

神の国、ですか?」

想像もできない都に、イコンは目をパチりと瞬いた。

「なんだか、懐かしくなってきちゃったしねえ」

勇者として崇められることは無かったが、様々な楽しみや喜びがあふれていたあの世界。
男の記憶で懐かしい父や母の顔も見た。
今度この催しが終わったら、帰る方法を調べて見ていいかもしれない。
滅びかけのあの世界と違った、あの万全な世界をすべて取り込む事を想像して、愛美は夢心地となった。

[青山 征三郎 GAME OVER]

[C-8/コテージ/1日目・早朝]
[陣野 愛美]
[パラメータ]:STR:E VIT:E→B AGI:E→B DEX:E→B LUK:E→B
[ステータス]:健康
[アイテム]:防寒コート(E)。発信機、エル・メルティの鎧、万能スーツ、不明支給品×6
[GP]:10→60pt(イコン・青山からポイント移譲)
[プロセス]
基本行動方針:世界に在るは我一人
[備考]
観察眼:Cと人探し:Cを習得しました。

[イコン]
[パラメータ]:STR:E VIT:B AGI:C DEX:D LUK:D
[ステータス]:低体温症寸前(コテージ内で回復中)
[アイテム]:青山が来ていたコート(E)、受信機、七支刀、不明支給品×1
[GP]:0pt
[プロセス]
基本行動方針:神に尽くす
1.何人かの参加者を贄として神に捧げる
2.陣野優美を生かしたまま神のもとに導く
3.郷田薫は殺す、魔王は避ける

037.自分の中に毒を持て 投下順で読む 039.熱き血潮に
時系列順で読む
雪の神殿 陣野 愛美 神様の中でお眠り
Blasphemous Detective イコン 魔王システム
青山 征三郎 GAME OVER

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最終更新:2021年02月06日 23:22