瞼の裏に白を感じた。
その刺激に閉じていた目を瞬かせる。
「あ、れ…………?」
覚醒しきらない頭で周囲を見渡す。
どうやら眠っていたようだ。
薄めた瞳に映るのは、いつもの場所から見るいつも通りの光景だった。
窓際から差し込む光の眩しさに、開いた目を細める。
「って………!?」
ポカリと頭に軽い衝撃。
見上げれば、そこには丸めた教科書を手にした教師が立っていた。
「こらー登、居眠りかー? まーた遅くまでゲームやってのかー?」
年老いた社会科教師の間延びした声と共に、教室中からくすくすと笑い声が響く。
叩かれた頭に大した痛みはなかったけれど、羞恥に頬が染まるのが分かった。
ここは一年三組の教室。
僕、登勇太の指定席である、窓際の一番前の席だった。
当然、先生の目の前だから、居眠りなんてしようものならこんな風にクラス中の注目を浴びる事になる。
君の身長では前が見えないだろうと言う余計な配慮から、僕の席は席替えのクジに関係なくいつも強制的に一番前となるのが定番だった。
僕とは逆に常に一番後ろの席になる大小さんが正直羨ましい。
1学期の頃に楽しみしていた新作ゲームをつい徹夜で遊んでしまい授業中に居眠りをしてしまったことがある。
その時に今と同じようなことになって、それ以来そうならないように気を張っていたのに。
昨日そんなに遅くまで遊んでいたっけ? FW3でイベントでもあっただろうか?
寝起きだからかいまいち思い出せない。
外を眺める。
窓の外から差し込む光が眩しい。
何も変わらない、いつもの場所から見るいつも通りの光景である。
どうやら悪い夢でも見ていたようだ。
■
「あっ。の、登くん!」
「あ。高井先輩。こんにちは」
また眠っていたのだろうか。
気付けば、授業は終わり放課後だった。
部室に向かう途中の廊下でバレー部の主将である高井先輩と出会った。
3年の教室から体育館へ向かう廊下とは別方向のはずなのだが、どういう訳か先輩とはこの廊下でよく会う。
一度それを直球で訪ねたところ、部活前のアップがてら校舎を遠回りしているとの返答を得た。
運動部って大変なんだなぁ。
それから部活開始の時間まで少しだけ雑談して別れる。
話している間ずっと息が荒かったけど、校内を走ってきたからだろう。
高井先輩は名残惜しげだったけれど、主将である自分が遅れるわけにいかないからと何度も振り向きながら走り去っていった。
背も高いメジャー運動部の主将が文化部未満の同好会所属の背の低い僕なんかを気にかけてくれるなんて、いい人なんだろうなぁ。
「おはようございまーす」
挨拶をしながら建付けの悪い横開きの扉を開ける。
校舎の端にある整備もされていない空き教室。
それが僕の所属するPCゲーム同好会の部室だった。
L.L.教室はパソコン部が使用しているため、同好会である我らは教室とは名ばかりの5人も入れば一杯になるような縦長の小さなスペースに押し込まれていた。
まあLANケーブルがあるだけましだけど。
当然、同好会の貧弱な部費ではゲーミングPCなど賄うことができるわけがなく、使わなくなった設備のPCを譲ってもらい、各々PCパーツを持ち込んでカスタマイズして使っている。
「やぁ、登くん」
「おはようございます。馬場先輩」
一番の奥の席に座った部長である馬場先輩がモニター越しに片手を上げる。
僕は挨拶を返して自分のカスタムPCの前に座ろうとしたが、そこには椅子を並べたベッドの上に寝転がりっている男がいた。
帽子をアイマスク代わりに顔の上に乗せているが、誰であるかは一目瞭然だった。
「おい。起きろよ巧。教室にいないと思ったら、またサボってたのかよ」
「よおぅ、勇太ぁ。おはよぅ」
あくびをしながら身を起こして、坊主頭に帽子をかぶりなおす。
こいつは略画巧。同じクラスの友達だ。
たまにこうして部室で授業をさぼることがある。
本当にめんどくさがりな奴で、すぐ諦めるし、すぐサボるし、初プレーのゲームで攻略サイトに頼るような奴だが、まあ悪い奴ではない。
「我、降臨!」
勢いよく部室の扉が開け放たれた。
大きな音に、全員の視線が集約する。
その視界に漆黒のマントがはためいた。
「フッハハハハ! 血を分けし我が同志たちよ、打ち棄てられし世界の果てにて今宵も第五世界たる電子の海にて宴に興じておるようだな!」
腕を十字にクロスさせた白い眼帯をつけた少女が黒髪のショートヘアーを揺らした。
血塗られた口上と共に高笑いが響く。
末世の地上に黄昏の堕天使の降臨である。
「……有馬さん。扉を開ける時はもう少し静かに」
「有馬ではない! †黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†である!」
部長が窘めるが堕天使はどこ吹く風の高笑い。
部長は呆れたように頭を振って、巧が眠そうにあくびをしている。
これがこの部室におけるいつもの光景である。
奇天烈な格好をした堕天使の真名は有馬良子。2年の先輩である。
部長は呆れているが、僕はそのノリは嫌いではなかった。
と言うか僕もその手の人間だ。
「黄龍の血を引きし猛き龍、Brave Dragonよ。今宵も息災であるようだな!」
「ふふ。呑気なものだな黄昏の堕天使よ。我が龍鱗が捕えし情報によれば天界よりの使者が貴様を捕えるべく動き始めたようだぞ?」
「なにィ!? 組織が動き出したというのか……!? 最終決戦(ラグナロック)は近いという事か……」
僕は四神信仰の一角を成す四聖獣の頂点に立つ黄龍の末裔、という事になっている。
勿論本気で考えいてるわけではない。
ただのお遊び、単なるロールプレイである。
「それじゃあ、今日はFW3の第3層にアタックする。完全下校時間までにクリアを目指す」
パンパンと手を叩き馬場先輩が場を仕切る。
僕は有馬先輩の相手を打ち切って自分の席に座ってFW3を起動した。
巧も面倒くさそうにしながらもPCを起動する。
「では、貴様らが遊戯に興じる間、我は電子の深海で闇の情報を閲覧しているとしよう」
「はいはい。ネットサーフィンね」
馬場先輩に促され有馬先輩が開いている席(と言ってもほぼ有馬先輩用になってる)に座って、スマホを取り出す。
有馬先輩はPCゲーム部に入り浸っているが同好会の部員ではない。
彼女はPCゲームにさほど興味はないらしく、肩を並べて遊ぶことは殆どなかった。
そんな彼女が、何故このPCゲーム同好会に入り浸ているのか。
それは、きっとここが唯一自分を出せる場所だからだろう。
日天中学はそれなりの進学校である。
いわゆる厨二病である彼女の趣味はあまり理解されていない。
眼帯やマントだって授業中に付けてて没収されたので、わざわざ放課後になって付けているらしい。
巧も厳しい両親に進学校に入れられたもののついていけず、勉強からの逃げ場所としてここを使っている。
馬場先輩も今は喧嘩別れをしてしまったけれど、親友の増田先輩と立ち上げたこの同好会に思い入れを持っている。
みんなそれぞれの事情でここにいるのだ。
僕だってそうだ。
クラスでも、家でも、きっとどこにも受け入れられない自分を見せられるのはここだけだ。
ここだけが自分を受け入れてもらえる居場所である。
それに、家に帰ったところで共働きの両親は深夜になるまで帰ってこない。
だから何も飾らなくていい気の合う仲間たちと、部室に入り浸って遊んでいる。
ここでしかいられない連中の居場所。
それが日天中学PCゲーム同好会である。
「え!?」
「勇太…………!?」
突然周囲が騒ぎ出した。
何事かと思ったけれど、どういう訳かみんなの注目は僕の方に向いていた。
不思議に思っていると左目に熱を感じる。
目から熱い何かが零れていた。
変な感傷に浸って泣いてしまったのかと思ったけれど、違った。
「血…………?」
机に跳ねたのは赤い雫だった。
涙かと思ったそれは血液だった。
左目から涙のように血涙が流れていた。
「お、おい大丈夫か、勇太?」
「そ、そうよ。あ、安静にしないと。目薬? 手術? どどど、どうしよう」
珍しく巧が慌てたように狼狽しており、有馬先輩までキャラを忘れてオロオロしてる。
その様がなんだか妙におかしくって冷静になってしまった。
他人が慌てている様を見ると落ち着いてしまうと言うのはよくあると思う。
「君たちがまず落ち着きたまえ。登くん大丈夫なのかい?」
「ああ、大丈夫、大丈夫です。痛みもないし」
唯一冷静だった馬場先輩がこちらの様子を伺う。
だが、強がりでもなく本当に痛みもない。
ただ、血涙が止まらないだけ。
「ならいいけれど。ひとまず今日は帰りなさい。それとも保健室によって行くかい?」
「そうですね。帰っても誰もいないんで、保健室行ってみます」
そう言ってPCを落としてから荷物をまとめる。
部長が付き添いを申し出たが、別に目眩もないし大丈夫だろうと思い、丁重に断っておいた。
心配そうな顔をする巧と有馬先輩に軽く手を振って部室を後にする。
誰もいない廊下を歩きながら有馬先輩が貸してくれたハンカチを目元に充てる。
ハンカチからは香水みたいないいにおいがした。
それを血で汚してしまうのはなんだか悪い気がした。
ゲームのやりすぎで白目が真っ赤になるくらい充血したことはあるけど、さすがに血涙は始めてだ。
そんなに目を酷使した覚えはないはずなんだけど。
そんなことを考えながら1階の保健室までたどり着いた。
だが、そこで動きが止まる。
何故か、その扉を開くのが酷く躊躇われた。
何を躊躇っているのか。
血涙はいまだに止まっていない。
ここで帰っては何しに来たんだという話になる。
そう理屈で自分を納得させて、意を決して扉を開く。
そこには。
「あら。どうしたの? 怪我でもした?」
優しい声がした。
鼻を衝く消毒液のにおい。
カーテンで隠れた白いシーツのベッドが夕日に染まる。
そこには、先生がいた。
優しくって生徒みんなに人気の保健の先生、白井先生。
先生は座っていた丸い椅子をクルリと回転させ入り口の僕に向き直る。
ああ、なんて懐かしい。
懐かしい?
頻繁に来る訳でもないこの場所に、何故、懐かしいなんて感想が浮かんできたんだろう。
ここにあるのはいつも通りの、なんでもない光景だ。
なのに、今にも泣き出してしまいそうになるのは何故なんだろう。
「先生……」
堪えきれず感情が溢れる。
結果したダムの様に右目から透明な涙が零れた。
「ど、どうしたの? そんなに痛む?」
心配そうな先生の声。
泣き出した僕を見て慌てたように立ち上がりこちらに駆け寄ってくる。
ああ、痛い。
とても痛い。
血涙を流す左目なんかよりも、どうしようもなく胸が痛い。
「ごめんなさい、先生…………ッ!
僕。僕は……ッ! ごめんなさい……ごめんなさい……許してッ!」
謝罪の言葉が吐き出される。
先生にしがみつくようにして、両目からは赤と透明な涙を流しながら、謝罪の言葉を繰り返し続けた。
先生はどうしたらいいのかわからず戸惑っていた。
当然だろう。
なにせ、謝っている僕ですら何に対して謝っているのか理解できていないのだ。
この世界の誰にもその罪を理解できるはずがない。
『――――赦しましょう』
だが、理解できない罪を赦す声があった。
先生の声ではない。
聞いたことのない声だった。
だがどこからともなく声がする。
『あなたの罪は私が赦します。誰が許さなくとも私だけはあなたを赦します』
全てを赦す慈悲の声。
溢れる涙で視界がにじむ。
赦されたという喜び。
受け入れられたという喜び。
きっと僕はずっと誰かにそう言ってもらいたかった。
暖かな光が見える。
世界が融ける様に白く染まってゆく。
光に呑まれ、思考が溶けてゆくようだ。
思考が、自分が、魂が溶けてゆく。
海に落ちた一滴のインクのように拡散していく。
薄く消える、融ける、溶ける。一つに混ざる。
大きな何かに飲み込まれる。
温かい。
まるで母の胎内にいるように温い安心感に包まれている。
ああ、ここが僕の――――
■
「ええ。あなたの罪は私が赦します。だから安心してお眠りなさい」
慈愛に満ちた言葉が世界に落とされた。
異世界で神として崇められた少女、陣野愛美は慈しむような瞳で雪の落ちる川を見つめていた。
イコンに元の世界の説明を済ませた後、愛美はコテージを後にした。
このゲームが始まって以来一度も動かなかった重い腰を上げた理由は勿論、最愛の妹に合うためである。
雪の中、極寒の風に身を震わせながあら、人探しスキルの導く方向へ歩いてゆく。
防寒コートがあるとはいえ、もともと寒いのはあまり好きではない愛美にとって積雪エリアの寒さは堪える。
それでも雪の中を歩き続けたのは愛ゆえだろう。
どのような形であれ彼女は妹を愛している。
それだけは確かだった。
その途中、エリアの端。
中央エリアに向かう橋の知覚で、川縁に引っかかる何かを見つけた。
それは死体だった。
いや、この世界では死体は残らないのだから、正確には死体寸前の何かだろう。
死体寸前のそれは仮面を被った大男だった。
積雪エリアの川は冷たく、そこに長時間浸ったのだ、体温はとっくに失われ指先は壊死したように青黒く染まっていた。
その全身にはどこかでリンチでも受けたのか打撲痕があり、ひび割れた仮面から覗く左目は潰れ、血涙は川縁の雪を赤く染め上げていた。
そんな誰もが近づきたいとは思わないぼろ雑巾のような相手に、愛美は何の躊躇いもなく近づいて行った。
氷のように冷たい川に足を濡らしながら、その傍らまで近づき、そっと優しく指を伸ばして頬に触れる。
傷つき朽ち果てようとするモノに手を差し伸べる様は、宗教画に描かれる聖母のようにも見えた。
そうして少年を垣間見た。
垣間見たのは愛美にとっても懐かしい風景である。
少年の記憶に見えた学校は彼女にとっても母校だった。
どうやら後輩だったようだ。奇妙な縁である。
母校の風景は変わっていないようでどこか安心するモノがあった。
まあ1年で何が変わるようなものでもないだろうが。
僅かにあった望郷の念が僅かに強まるようである。
そして、かつての世界のみならず、この世界で彼が何を考え何をしてきたのか、それも見た。
彼が成してきたことを、彼以上に正確に愛美は理解していた。
理解した上で、彼女はその全ての罪を赦した。
慰めの言葉などではなく、純粋なる慈悲によって。
陣野愛美は自己愛の化身である。
彼女の中に他者はなく、他者など気に掛けるにも値しないどうでもいい存在だ。
故に、彼女は勇太の罪を赦す。
自己となった彼を、愛によって赦した。
彼女はこれまでに取り込み自分となった、10432人の魂を平等に愛している。
全てを記憶し、全てを理解し、全てを愛している。
それは聖母の如く、あるいは神の如く。
他者に一切の関心を向けず辛辣な態度でありながら、自己になったとたん狂おしいくらいに愛する。
その二面性こそが彼女が崇め奉られる理由なのだろう。
愛美は川辺に触れていた指先を話し、川から離れた。
そして誰にでもなく自身に向けて、慈悲に満ち溢れる聖母のような声で告げる。
「おやすみなさい。私の中でゆっくりお眠りなさい」
[登 勇太(Brave Dragon) GAME OVER]
[B-6/積雪エリア橋近く/1日目・早朝]
[陣野 愛美]
[パラメータ]:STR:E→A VIT:B→A AGI:B DEX:B LUK:B
[ステータス]:健康
[アイテム]:防寒コート(E)。発信機、
エル・メルティの鎧、万能スーツ、ゴールデンハンマー、魔法の巻物×4、不明支給品×10
[GP]:60→90pt(勇者殺害で+30pt)
[プロセス]
基本行動方針:世界に在るは我一人
[備考]
変化(黄龍):- 畏怖:- 大地の力:Cを習得しました。
観察眼:C 人探し:C
最終更新:2020年12月19日 22:45