太陽が天高く上り切り、麗らかな日差しが地上に降り注ぐ。
周囲を川の流れた小島には海とは違うべたつきのない心地よく涼しい風が吹いていた。
その中央に聳えるのは静寂に包まれた放送局である。

頼りない蛍光灯の明かりがちらつく薄暗いロビーにカタカタカタと言う音が響く。
音は来客用ソファーの中央に座る女から。
膝を揺らして貧乏ゆすりを繰り返し、靴底が不規則にリノリウムの床を叩いていた。

その傍らに黙然と佇むのは純白の騎士。
このような場所に在ってはならない異物である。
騎士を侍らせ、佇むさまはどこぞの姫君のようもであった。
だが不安と苛立ちに滲んだ表情で爪を噛む様は姫と呼ぶにはあまりにも品性がない。

その姫君、三土梨緒は眉間にしわを寄せ、つまらなそうな顔で送られてきたメールの内容に目を通していた。
そして大きく舌を打つと、鳴り響くほど強く踵を打ち付け、その勢いのままソファーから立ち上がる。

時刻は12時を過ぎた。
梨緒が設定した大日輪月乃を待ち受ける刻限である。
秀才との合流するためにここを目指すであろう月乃を待ち伏せるという策も、定時メールによってその死を知ってしまえば成立しなくなる。
ならば、これ以上ここにいる意味はない。

一歩、踏み出そうとして、くしゃりと苛立たしげに頭を掻きむしる。
踏み出すはずの足は動かなかった。

これからどうすればいいのか。
羅針盤のない航海に放り出されるような不安感。
扉を開いた先に待ちくけるのはそんな世界だ。
何も当てはないのに焦燥ばかりがある。

だが、梨緒が扉を開くよりも早く、小さな世界の外と中を分かつ扉がゆっくりと開かれた。
その変化に梨緒は破顔して、訪れた福音を出迎えるように両手を上げた。

「ギリギリだったわね。待っていたわよ――――大日輪月乃」
「……ユキさん」

二人の少女が再会する。
月乃は険しい表情のまま梨緒を見据える。
対照的に梨緒の表情は暗い喜びに満ちていた。
互いに恋焦がれる様に再会を待ち望みながら、出会ったところで喜び合うような間柄ではない。

「そう、待っていたのは私ッ! 残念だったわねぇ!」

安堵と興奮により梨緒は高らかに笑う。
梨緒の読み通り月乃は秀才との合流を目指して放送局にやってきた。
それは紛れもない事実である。

「確かに私は出多方さんと合流するためにここに来たけど、それだけじゃないわ」

だが、月乃も定時メールには既に目を通して、秀才の死を把握している。
それでも、扉を開いたのは、別の目的があったからだ。

「私は、あなたに会いに来たの」

ここにいるとは思わなかったが。
いるかもしれないとは思った。
だから秀才の死を知っても扉を開いたのだ。

その言葉をどうとらえたのか。
梨緒はキョトンとした顔をして首をかしげると、すぐに弾けるように笑った。

「ハッハッハ! 仇討ちって訳ぇ!? バカね! 勝ち目なんてある訳ないじゃない!」

梨緒には白騎士がいる。
人間とは根本から存在理由の違う、暴力の化身。
戦うためだけに生み出された生物ですらない非生物。

コレがある限り、この場において梨緒は絶対的な強者である。
絶対的な立場と言うのは実に気持ちがいい。
梨緒をイジメていた彼女たちもこんな気持ちだったのだろうか。
彼女も、こんな気持ちだったのだろうか。

「それも違うよ」

圧倒的な暴力を前にしながら、月乃は白騎士には目もくれず、ただ真っすぐに梨緒を見ながら言った。

「私は、あなたと話をしに来たの」
「話ぃ?」

心底下らないと見下す様に、その言葉を鼻で笑う。

「そうねぇ。私もあなたに聞きたいことがあったわ。けど、その前に――――白騎士ッ!」
「!?」

傍らで不動の姿勢だった白騎士へと呼びかける。
不動だった人馬一体の怪物が動き出す。

「痛めつけてやりなさい!」

主の命に従い四つの蹄が固い床を蹴って駆け出した。
入り口で佇む少女へと一瞬で間合いを詰め、横殴りに盾で殴打する。
月乃の体は放送局の壁に叩きつけられ、そのまま距離を詰めてきた白騎士の盾で押し潰すように挟まれた。

「くっ、はッ……!」

足が浮き壁に張り付けになる。
肺が圧迫され息ができない。
盾を両手で押し返そうにも、びくともしなかった。
その気になればこのまま圧殺する事だってできるだろう。

「ふふぅん」

梨緒は鼻歌交じりに盾に挟まれた月乃の下まで近寄ると、その右手に手錠をかけた。
そして2メートルほどの鎖によって繋がれた手錠の逆側を自らの腕にもかける。

「この鎖は死ぬまで外れない。これで、逃げられない」

またワープで逃げられてはたまらない。
鎖で繋がっていればワープしたところで梨緒も一緒に転送される。
これで、逃がすことはないだろう。

「それで、聞いておきたいんだけど」

殺すだけなら簡単だ。白騎士に「殺せ」と命令を下すだけでいい。
だというのにそうせず、わざわざ逃がさないよう鎖でつないだのは、その前に確認すべきことがあるからだ。

「――――私の事、誰かに話した?」

静かに問いかけるがその声には逼迫した強い圧力が籠っていた。
それを確認しておかないと彼女は立ち行かない。

だが、答えは返ってこない。
返事がない事に苛立ちを覚えるが、盾に胸元が圧迫されて喋れない状態にある事に気づき仕方なさげに白騎士を僅かに引かせる。

声を出せる程度に圧迫が緩む。
浮いていた足が地面について、堰き止められていた息を吸い込む。
月乃は僅かに咳き込むと、呼吸を落ち着けて声を出した。

「…………それを聞いて……どうするつもりなの……?」
「いいから、答えなさい!」
「うっ」

苛立ちをぶつけるように強かに床を踏みつける。
その苛立ちに呼応するように盾が押し付けられ緩んだ圧迫が再び強まった。
質問に対する回答以外は求めていない。

「……誰にも……話していないわ」

愛美という少女に全ての事情を話してしまったが、愛美に迷惑はかけられない。
そんなことをを伝えればどうなるのか、想像に難くない。

「そう……話してないけどメールは送った、なんてトンチはなしよ?」

その言葉に月乃は頷きを返す。
それを信じたのか、それともそう答えるしかない無意味な問いだと気づいたのか。
梨緒は安堵とも落胆ともとれる息を吐いた。
どちらにせよ、この後彼女のやることは変わらない。

「ならもういいわ、殺しなさい……ッ!」

白騎士が猛る。
逃さぬよう盾がより強く押し付けられ、そのまま串刺しにせんと剣が振り上げられる。
力の差は歴然。押しつぶさんとする圧力は跳ね返せるものではない。
完全に逃げ場のない状況である。

呼吸もできない状況で月乃は咄嗟にアイテム欄から海神の槍を出現させる。
蒼い宝槍がその場に出現し、壁を仕えにして僅かに盾を押し返す。
無茶な圧力によって壁には穴が開き、とある名家の家宝とされる宝槍は中頃から折れた。
その代償を対価にして、僅かに白騎士の体が後方に離れる。

だが、それで稼げた時間は一瞬だけ。
戦うことを義務付けられた騎士は瞬時に体勢を立て直しすと、再び剣を振りかぶりながら距離を詰める。
その一瞬で月乃に出来る事など、精々叫ぶことくらいだろう。

出す声は悲鳴か、命乞いか。
月乃は大きく息を吸うと、透き通るようなどこまでもよく通る声で叫んだ。

「――――――ワープ!!」

瞬間、白騎士の体がその場から消えた。

「なっ…………え?」

何が起こったのかわからず混乱する梨緒。
月乃が転移したのならば、鎖でつながれた梨緒もその後を追っていただろう。
だが、消えたのはこの場で唯一鎖で繋がれていない白騎士だった。

「ゲホッ…………ゲホッ…………!!」

白騎士が消え、解放された月乃が胸元を抑えながらせき込む。
盾で圧迫されている最中、月乃は両手で押し返しながら盾にワープストーンを張り付けていた。
月乃としても狙ってやったというより、追い詰められた咄嗟のひらめきによる苦肉の策だが殊の外上手くいったようだ。

「ッ! 消したところでッ!!」

どこかに飛ばされたところでもう一度召喚しなおせばいい。
梨緒はすぐさま白騎士の再召喚を行う。
だが、なにも反応はなかった。

ワープストーンは触れているものをワープさせる便利アイテムだが、LUKによってはおかしな場所へと転送されるデメリットも存在する。
そして、プレイヤーではなく判定としてオブジェクトである白騎士にLUKなど存在せず、当然引くのは最悪のクジ。
行く先は地中か海底か、はたまた壁の中か。
どの道、ろくな事にはなっていまい。

『守って白馬の騎士様!』スキルは白騎士を作成するのではなく、あくまでも召喚スキルである。
本体である白騎士が一度破壊されてしまえばそれっきりだ。

「大ぃ日輪んん月乃ぉおおおおおおおおおおおおおおっッッ!!」

切り札を破棄された事に気づき、梨緒は歯をギリギリと鳴らして怒りを爆発させる。
白騎士と言う暴力を失い、彼女の優位性はなくなった。
これで立場は対等だ。
逃げ出そうにも鎖に繋がれていては逃げようもない。

また墓穴。
墓穴墓穴墓穴。
梨緒の人生、墓穴ばかりだ。

「……なんなんだよ、何がしてぇんだよテメェは!?」
「言ったでしょ、話し合いをしに来たの」

猛り叫ぶ梨緒とは対照的に、月乃は冷静に咳で汚れた口元を拭う。
話し合いのテーブルにつく最低限の条件は整った。

「ハッ! 話し合いだぁ? 殺し合いだろうが!」

ここで行われているのは殺し合いだ。
だからその為に梨緒はこうして頑張っているのだから。

「……本当に? 本当にあなたは殺し合いなんて、そんな事がしたいの?」

真っすぐな眼差しと共に向けられたその問いに、言葉に詰まる。

「違う、私は…………」

そんなのは決まってる。
梨緒だって殺し合いがしたい訳じゃない。
殺し合わなくてはならない状況に追い込まれて、殺し合う事で得られるものがあったからそうしているだけだ。
したいのは殺し合いじゃなくて。

「私には……生き残って、叶えたい願いが…………」

そこまで言って梨緒は吐き捨てるように笑った。
自分は何を言っているのか。
何故こんな事を、友人でもない、因縁の相手に話す必要がどこにある。

「あなたの叶えたい願いって何?」

だがそれに構わず、月乃は問いを続ける。
梨緒は訳もなく苛立ち、ギリと奥歯を噛み締めた。

「それを聞いてどうしたいの?
 分かってるでしょう!? 秀才とか言う七三眼鏡を殺したのは私、アンタの兄貴だって自分のために利用してやったわ!
 そんな相手の願いなんて聞いてどうするって言うのよ!?」

あの状況だ、秀才を殺したのが梨緒だってことも分かっているだろうに。
実の兄を体よく利用したことも知っているはずなのに。
それなのに。

「私を恨んでるんでしょう?」
「うん」

「私に怒ってるんでしょう?」
「そうだね」

「だったら」
「けど、それでも、いえ、だからこそ――――私はあなたの事を知りたいの」

どうしてそうしたのか。
どうしてそうしなければならなかったのか。
その理由を知らなくては、彼女は立ち行かない。

「私の事を知りたい………………?」

唖然としたような顔で立ち尽くす。
悔し気に唇を噛むと、拳を握りわなわなと震え出した。

「…………私はユキ。栗村雪よッ!!
 私は美しい存在になるのよ!!!」

醜く顔を歪ませながら叫ぶ。
弱く醜い芋虫は強く美しい蝶に生まれ変わる。

叫びを上げながら梨緒はアイテム欄からM1500狙撃銃を取り出した。
その銃口を月乃に突きつけ、迷わず引き金を引いた。

耳を劈くような銃声。
薬莢が地面に転がる。

「ッ。ぁあ……ッ!」

痛みの声を上げたのは梨緒の方だった。
弾丸は狙いを大きく外れ、後方の壁に穴をあけた。

本来狙撃銃は反動を抑えるべく腹ばいなどの狙撃姿勢で撃つモノである。
それを素人が片手撃ちなどしようものなら、反動に振り回されるのは当然の事だ。
むしろ反動によって脱臼しなかった事が奇跡である。

取り落された狙撃銃は遠くに弾き飛ばされ、回転しながら廊下を滑っていった。
梨緒は痛む片腕を押さえながら銃を拾いに行こうとするが、そうはさせじと繋がった鎖を引っ張られ回収を阻止される。

「させない…………ッ」
「この…………ッ!」

鎖の引き合いは綱引きのように拮抗する。
梨緒は召喚スキルにGPを使用していたため本人のステータスは貧弱である。
筋力が最低ランクである梨緒では引っ張り合いでは敵わない。
拮抗しているあたり月乃も最低ランクなのだろうが、拮抗状態は引き留める側の月乃にとって都合がいい状況だ。

「……美しい存在になるって…………それがあなたの願い?」

鎖を引きながら月乃が問う。
拉致が明かぬと見限ったのか、銃を追うのを諦め、梨緒が月乃へと振り返り言った。

「ええそうよ! 何の苦労もなくただ綺麗に生まれたってだけでチヤホヤされてるようなあなたみたいな人間には、わからないでしょうね!!」

アイドルなんて自分の美貌や可愛さを商売にしている人間にはわからない。
皮肉を込めた言葉を槍の様に投げる。

「そう…………けど何となくわかった」
「分かったぁ? 何が分かったって言うのよ!?」
「そうだね。全部が分かった訳じゃないけど、あなたはユキさんって人になりたいんだね」

これまでの言動と今の表情を見て、月乃はその事情を察した。
思い返せば秀才が最初に月乃を別人のなりすましだと疑ったように、この世界では別人にもなれる。
その知識があったからこそ、この結論に辿り着いた。

「なっ…………」

何も考えていないような女だと思っていた相手に、己の心中を見抜かれたのが余程驚きだったのか。
梨緒は心底意外そうに眼を丸く見開いた。

そうだ、梨緒はユキになりたい。


美しい存在になる。
雪のように。
それが私の願いだ。

誰に期待もされない。
誰にも望まれない。
誰の目にも映らない。
何者でもない空気みたいな私。

雪はそんな何者でもない私を掬ってくれた。

いつも優しかった雪。
いつも庇ってくれた雪
いつも可愛い雪。

そんなユキがイジメの主犯であることなんて、私はとっくに知っていた。

私の言葉を信じるふりをして裏で嘲笑っていたことなど最初から昔に知っていた。
イジメられっ子を救う健気で勇敢な優等生を演出するため道具として利用していたことなんて知っていた。

だからこそ憧れた。
弱者を平然と踏みつけにする強かで美しい存在に、自分もそうなりたいと憧れを抱いたのだ。

誰に期待もされない。
誰にも望まれない。
誰の目にも映らない。
何者でもない空気みたいな私。

そんな私を掬い上げて、引き立て役のいじめられっ子という役割を与くれたのだ。

雪の志望校を調べて同じ範当高校を受験した。
本来の志望校だった大日輪学園からはずいぶんとレベルの落ちる高校だったけれど、私は満足だった。
入学式で私の姿を見た雪は驚いていたけれど、それでも仲良くしてくれた。

いつも表面上は優しかった雪。
いつも自作自演のイジメから庇ってくれた雪。
そんな企みが誰にもバレていないと思っている可愛い雪。

私はこの世界で雪になる。
雪の姿を借りて、誰かを踏みつけにして輝くそんな存在に。


「………………それがわかったところで何なのよ? 同情でもしてくれるって言うの?」

その願いがなんであれ、身勝手な願いで誰かを犠牲にしたことに変わりはない。
月乃にとって梨緒は大切な人を奪った仇敵だ。
どんな事情があろうとも、赦すことなど無いだろう。
少なくとも梨緒なら絶対に赦さない。

「同情はしない。けど、納得はしたよ」

誰にだって憧れはある。
その憧れが歪んだ形で発露した。
つまりは、魔が差したのだ。

何が悪いというのならこの状況が一番悪い。
だからと言ってしてきたことすべてが赦されるわけじゃないけれど。

「あなたがこれ以上、罪を重ねないと約束してくれるなら。私はあなたを赦します」

だが月乃は、月乃だけはその罪を赦した。
恨みも怒りも抱えたまま、それでも赦すと、彼女はそう言っていた。

「…………どうして」

どうして、と言う当然の疑問。
これまで梨緒は、利用して、騙して、貶めて、殺して、酷いことをしてきたから。
彼女と出会えば憎み合って罵り合って殺し合いなる物だと思っていた。
けれど、そうはならなかった。

何故なのかと言うその問いに、月乃が返したのはシンプルな答えだった。

「私がそうしたいと思ったから」

自らの心に従う。
月乃が愛美との対話により得た答え。

大日輪月乃は大日輪月乃だけは裏切れない。
兄を、秀才を思うのならばこそ、彼らの信じた月乃を裏切ることだけは許されない。
恨みながら怒りながら、それでも目の前の仇を赦す。
そんな自分の在り方に従うだけだ。

「…………何それ」

思わず言葉を失う。
赦しは安堵よりも不気味さを齎せた。
梨緒は初めて、目の前の相手に恐怖を感じた。

訳が分からない。
お花畑どころの話ではない。
ましてや聖人や聖女なのでもなく、もはやそれを通り越してイカれてる。

梨緒はユキになりたい。
弱きを踏みつけにして悪辣で美しい強者になりたい。
だけど、目の前の美しすぎて醜い、そんな偶像にはなりたいとは思えない。
そんな生き方はどう考えてもごめんだ。

はぁと息を吐く。
大きく、これまでの全てを吐き出すように。
月乃が恨みを晴らすというのなら戦わなければならないと覚悟していたが、争わないというのならこれ以上何を言うのか。

「…………もういいわ、バカバカしい」

お手上げだと両手を上げる。
そもそも白騎士を失った時点で梨緒は詰んでいる。
この場を切り抜けられたとして、先がない。
誰かに取り入るにしても安全性を保障する武力という切り札がなければ、そうするのも難しい。
ならば素直に月乃に従って、その軍門に下る方がまだマシだろう。

「分かったわ。もうしない。あなたに従うわ」

自分に従うというその言葉に、終始険しい顔していた月乃が始めて表情を崩した。

「そう、なら、まずは――――」

それは幼さすら感じさせる悪戯な笑顔で。

「――――歌を聞いて」

やっぱり月乃は争いよりも歌がいい。


「♪~ そうきっと、わたし達なら ~」

灯りのないステージで歌姫は唄う。
止める間もなく歌いだした月乃に梨緒は飽きれてしまうが。
それ以上にその歌声は余りにも心地よかったから、素直に旋律に耳を傾けた。

(…………あ、この曲)

耳ざわりのよい朗らかな歌声。
アイドルに興味のない梨緒でも街中で聞いたことがある。
一人ぼっちの人込みを歩く何気ないようないつもの風景。
目を閉じると、音に結びついた日常の記憶が思い返されるようだ。

伸びやかで艶やかで美しい。
温かく満ち足りていて、どこか寂しい。
そんな歌姫の歌。

これまでずっと張り詰めていた気持ちがほぐれる様な心地よさ。
梨緒は無意識にハミングを口ずさんでいた。
この一時だけなら、心が安らぐこの心地よさに身も心も委ねてもいいかな。
何て、梨緒が思ったところで。

「…………え」

視界が赤に染まった。

二人の少女は何が起きたのかわからない呆然とした顔で向き合う。
熱い飛沫が降り注ぎ月乃の頬を濡らす。
見れば、梨緒の首から火花のように赤い飛沫が噴出していた。

二人をつないでいた手錠がカチリと音を立てて外れる。
死が二人を分かち、梨緒の体が粒子となって消えていく。

「こんにちは…………月乃さん」

薄暗い蛍光灯の光、リノリウムの床、カツンという足音。
赤い飛沫がシャワーのように降り注ぐ中、消えた梨緒の後ろから入れ替わるように現れたのは一人の少女。
気配など無かった、にも拘わらず一度認識してしまえば何故気づかなかったのかと思う程の存在感があった。

血しぶきを浴びて佇む美少女。
その少女の指の欠けた右手には、布をぐるぐる巻きにして固定されたナイフが握られていた。
余りにも現実離れした凄惨さと美しさがあるその光景に、まるで夢でも見てるような声で、その名を呼ぶ。

「涼子、ちゃん…………?」

月光芸術学園の同級生。
同じアイドル活動に励む仲間にしてライバル。
妥協を許さないストイックさを月乃は同じアイドルとして尊敬すらしていた。

だが、その姿は自分の記憶にある涼子と同一人物とは思えなかった。
その顔は同じでも、顔つきがまるで違う。
普段から厳しい表情をすることの多い少女だったが、今彼女の顔に張り付いているのは厳しさを通り越した悲痛さを湛えていた。

泥にまみれた薄汚れた姿は光り輝くアイドルからは遠くかけ離れ、常に熱く滾るような輝きに満ちていたその瞳も今は違う。
だというのに、どういう訳かこれまで以上に強く目を引く。
輝きがないのではない。その瞳は暗い光に満ちていた。

「ッ!?」

ゆらりと動いた涼子がナイフを振るう。
月乃は咄嗟に回避するが、躱しきれず僅かに腕を切り裂かれた。

だが、傷は浅い。
皮が裂かれ少々血が流れた程度のモノだ。
壁際まで逃げ延び、手を付きながら後ずさる。

放送局というアイドル二人が揃うのにおあつらえ向きの舞台。
だが、握っているのはマイクではなくナイフで、行うのは収録ではなく殺し合いだ。

「一応聞いとく。涼子ちゃん……どうしてこんなことを?」
「……別に、大した理由なんてないですよ。単なる私の我侭のためです」
「そう……やっぱりHSFのためなんだね」
「…………」

その無言が肯定していた。
不器用さは変わっていない。

この少女が偽悪的な言い方をするときは、いつも仲間のためである。
この凶行がどうHSFのためになるのかは月乃には分からないが、彼女がやるのならそうなのだろう。

ユキの事は何も知らなかった、だから知ろうとした。
しかし同じ学校に通う友人として、同じ夢を目指すアイドルとして、涼子の事は知っている。
一度決めたことを覆すような少女ではないという事を、月乃はよく知っていた。

何より、涼子は月乃の歌が響く中で梨緒に攻撃をしてきたのだ。
Aランクの歌唱スキルと言えど、強固な強い意志は覆せない。
涼子の意志はそれほどまでに固いと言う事の証左である、説得はできないだろう。

残念だが逃げるしかない。
すぐさまそう判断して駆け出そうとした月乃だったが、その足元が唐突にグラついた。

それはナイフの刃に仕込まれていた毒の効果。
平衡感覚を失い月乃が地面に転がる。
涼子は冷たい目でそれを見下ろし、ゆっくりと近づいてゆく。

「心配しなくていいわ、月乃さんも蘇らせてあげますから」

慈悲も容赦もなく、動けなくなった月乃の心臓めがけて避けようのない一撃が振り下ろされる。
だが、そのナイフは月乃を捉えることなく、僅かに床を削った。

「なっ…………!?」

動けないはずの相手に回避されたことに涼子が僅かに戸惑う。
その隙に、月乃はすぐさま立ち上がって一目散に駆け出した。
涼子が入り口を塞ぐ立ち位置にいたから必然的に逃げ込むのは放送局の奥となる。

『逃亡禁止ルールに違反したためペナルティが課せられます。ペナルティにより『アイドル』スキルが剥奪されます』
「ハァハァハァ」

呼びもしないのに出てきた電子妖精が何やら騒いでいる。
だが、今の月乃にそんな声を聞いている余裕はない。

巨大な何か――恐らくあの白騎士だろう――が通ったのか、壁の崩れたボロボロの廊下を走る。
窓でもあればそこから逃げ出すつもりだったが、防音性を保つためかそれらしい物はない。
後ろからは彼女を追う足音が響いている。

『逃亡禁止ルールに違反したためペナルティが課せられます。ペナルティにより『歌唱』スキルが剥奪されます』
「ハァハァハァ」

毒は正義に譲ってもらった万能薬のおかげで無効化できた。
だが、止血はままならず腕から滴り落ちる血液が地面に点々と跡を残した。
放送局の廊下殆ど一本道に近い、跡が残ったところで支障はないのは幸運なのか不幸なのか。

足音が近づく、AGIの違いか、恐らく向こうの方が足が速い。
追いつかれるのは時間の問題だろう。

『3度目の警告となります。これ以上の違反行為を続けられますとアカウントが強制的に消滅します。今すぐに停止して戦闘行為を続行して下さい』

月乃の足が止まる。
それは警告に従ったからではない。
廊下が途切れ、行き止まりに突き当たったのだ。
最奥にある一室、入り口の上にあるプレートにはこう書かれていた。
――――放送室と。

「追いつい、ったッ!」

足の止まった月乃に向けて、追いついてきた涼子がその勢いのままナイフを振るった。
咄嗟に月乃は転がるようにして扉の破壊された入り口に飛び込む。

放送室。
歌を届けるという本来の目的を達するために必要な施設に、期せずして彼女は辿り着いたのだった。

月乃は血に濡れた手で中央にあるコンソールに手をついて立ち上がる。
首を振って放送室を見渡せど、やはり窓はなくここから逃げることはできそうにない。
入り口は扉が破壊されているため籠城することもできない。

「逃げ場は、ないようですね」

僅かに息を切らした涼子が入り口を潜る。
狭い室内に逃げ場などない。
いよいよもって追い詰められた。

互いに荒い息のまま睨み合う。
涼子は間合いを図るようにして僅かににじり寄り。
月乃は視線を涼子から外さぬまま、コンソールに血の滴る手を添えその場を動かなかった。

「ふぅ」

僅かに深い息。
固めた右腕に左腕を添え、意を決したように涼子が地面を蹴った。

繰り出される刺突。
月乃は大きく飛び退くようにして身を躱した。
だが、避けきれず僅かに腹部を切り裂かれる。
コンソールに引きずったような赤い跡が引かれた。

「ぐっ……!」

飛び退いた勢いで背中から壁に衝突する。
その衝撃で息を吐いた。

また毒の刃を喰らってしまった。
もう解毒ができる万能薬はない。
毒が廻った足元を支えきれず、壁に背を引きずるようにしてその場に尻もちを付く。

「ここまでです」

立ち上がることもできず、動けなくなった月乃に向かって涼子はナイフの先端を突き付ける。

抗うか、戦うか、諦めるか。
もはや月乃に取れる選択肢など殆どない。
この追い詰められた状況で、月乃が選んだのは。

「♪…………そう、きっと……わたし達なら~……」

歌を、歌った。

「………………何を」

気でも狂ったのか。
そんなことに意味などないとでも言うように、涼子は冷たい視線を送った。

戦場において歌に力などない。
歌ったところで何も変わらない。
歌で敵は倒せないし、歌で戦いは終わらない。

「♪……一緒に手を取り合って、行ける~……」

戦場ではアイドルは無力だ。
戦うにはマイクを捨てて刃を手にするしかない。
壁にもたれかかりながら歌う月乃に向かって、涼子は静かにナイフを振り上げた。

「♪……悲しみも、憎しみも全て乗り越えて、輝かしい明日へ~……」

歌唱スキルはペナルティにより失われている。
諍いを止める効果などなく、その歌は響かない。
故に涼子がこのナイフを止める理由などどこにもない。

「♪……どうか、嘆かないで、傷付かないで~……」
「どうして…………」

なのにどうして、涼子は振り上げた手を降ろすことができずにいるのか。
振り上げた腕が震える。
捨てたはずの自分の中の大事なモノが見つかってしまったような気恥しさ。
何故か胸の奥で涙が出るような焦燥感に駆られる。

「♪……忘れ、ないで、愛、を~……」
「もういい、黙って…………月乃さん」

ヴァーチャルがどうした、ゲームがどうした、スキルがどうした。
月乃は元より世界を魅了した歌姫なのだ。
そんな余計なものは無くとも、その歌声が心に響かぬはずがない。
だからこそ、その声は涼子を揺さぶる。

「♪……あなたは……一人じゃない……から」
「黙りなさい!」

だが、それでも歌声は届かない。
刃が胸元に振り下ろされ、その歌声は強制的に中断された。
振り下ろされる暴力の前に、歌声は無力だ。
歌声は途切れ、歌姫の体は光り輝く粒子へと還る。

『おめでとうございます! 勇者を3名』
「…………あとにして」

現れた電子妖精をキャンセルしてその場にへたり込む。
息を荒くした涼子はナイフを振り下ろした体制のまましばらく固まっていた。

わざわざナイフを振り下ろさずとも、あのまま毒によって死んでいたかもしれない。
それでも振り下ろさずにはいられなかった。
振り下ろさなければならなかった。
そうしなければ、決定的な何に敗北してしまいそうだった。

アイドルとして歌い続けた彼女とアイドルを捨てた自分。
それを認めてしまえば戦えなくなる。
戦い続けるためには、こうするしかなかった。

涼子は掻き毟るように自らの胸を掴んだ。
敗北しないためにナイフを振り下ろしたはずなのに、その胸の中には敗北感のようなものが沈殿していた。
だが、それでも走り続けなければならない。
そこにたどり着くまでは、涼子は止まることなど許されないのだ。

たとえ自分の夢(アイドル)を犠牲にしても、彼女には救いたいモノがあるのだから。

[三土 梨緒 GAME OVER]
[大日輪 月乃 GAME OVER]

[F-7/放送局/1日目・日中]
[鈴原 涼子]
[パラメータ]:STR:E VIT:E AGI:B DEX:B LUK:A
[ステータス]:精神衰弱、鼻骨骨折、右手五指欠損
[アイテム]:ポイズンエッジ(E)、海王の指輪(E)、隠者の指輪(E)、煙幕玉×3、不明支給品×6
[GP]:0pt→60pt(勇者殺害+30pt×2)
[プロセス]
基本行動方針:優勝してHSFのメンバーを復活させる
※第一回、第二回定期メールを確認しました。
※強者ボーナス未選択状態です。
※ロビーに三土梨緒のアイテムが放置されてます。

【愛憎の鎖】
呪いの鎖手錠。どちらかが死亡するまで決して外れず、また何があっても離れることはない。
互いと繋ぐ鎖は2メートルほどの長さで、2人に装備された時点で物理破壊不可能な強度となる。
憎いアイツとのデスマッチに使ってよし、愛しいあの子と繋がってもよしの優れもの。

美空善子は打ちのめされていた。
意識を取り戻した時には全てが失われていた。

体の傷はいい。
痛みはあるが動けないほどではない。
この程度の傷など、アイドル活動を始める前では日常茶飯事だった。

それよりも彼女を打ちのめしたのは精神面。
なすすべもなくアイナが殺された。
何も出来なかった。守護れなかった。
10年以上鍛え上げた拳など何一つ通用しなかった。

バーチャル世界の仮の身だから、などと言う言い訳は通用しない。
アイドル活動にうつつを抜かしたから練度が足りなかったなどという言う次元の話でもない。

生物としての格が違う。
人間がどれだけ鍛え上げようとも熊や虎には勝てない様に、何をしようと恐らくあれには敵うまい。
積み上げてきた鍛錬がすべて否定されてような感覚。
残酷なまでの事実として突き付けられる。あれには武では勝てないという事実。

そして追撃のように彼女を打ちのめしたのは師匠である我道の死だった。
終りを知らせるメールを見て、それを知った

善子にとって我道は幼いころから知る兄の様な存在だった。
人間的にはまったく尊敬できないダメ親父だったが、武人としてはこれ以上ない尊敬の対象だった。

これまでなら殺しても死なないようなあの男が死んだなどとても信じられなかっただろう
だが、今なら。あのような怪物に打ちのめされた今なら、信じられる。
あれほどの強者であろうと死ぬのだと、自分でも驚くほどすんなりと信じられてしまった。

アイドル美空ひかりとしても。
武道家美空善子としても。

全てが奪われた。
全てが踏みにじられた。

彼女にはもう何も残っていない。
誇れるものなど何も。

当てもなく幽霊の様に彷徨う。
どう立て直せばいい。

バラバラに砕け散った自信や矜持を、だれか元に戻してくれるというのか。
立て直してくれる人などどこにも――――。

「月乃…………?」

彷徨う善子の耳にどこからともなく美しい旋律が聞こえてきた。
それが彼女のよく知る歌姫の声だと、善子はすぐに気が付いた。

間違えるはずがない。
いつも聞いていた、大切な友達の声なのだから。

まるで天上から響くような歌声。
どこから聞こえてくるのか。
周囲を見渡せど、声の方向すらつかめない。

善子は音源探しを諦め、その歌声に耳を傾けた。
掠れる声を振り絞るような歌声に、いつもの輝く宝石の様な美しさはない。
だが、その歌声の中には魂が籠った煮えたぎるような熱さがあった。
全てを慈しむ母のような優しさがあった。
その情熱がどうしようもなく心に響く。

それは放送局の機能を使った月乃の歌声。
善子がいる場所を狙ったわけではない。
月乃の所持ポイントで届けられるのはたった3エリアだけだった。
その中で、ただ誰かに届けばいいと人が居そうな中央付近を選んだだけだ。
そこに善子がいたのは偶然か、あるいは運命か。

だが、その歌声もすぐに途切れる。
何者かに途切れさせられたのだ。

気付けば善子の目から涙が零れていた。
それは友の末路を想ってのものではない。
いつまでも、最期まで彼女で在り続けた親友の強さに胸を打たれたのだ。

善子は立ち上がる。
親友にしてライバル。
そんな彼女の頑張りに、負けてはいられない。

歌声は届く。

偶然でも、運命でも、奇跡でもいい。
確かに伝えたい誰かに届いたのだ。

[E-4/草原/1日目・日中]
[美空 善子]
[パラメータ]:STR:B VIT:C AGI:C DEX:B LUK:B
[ステータス]:左肋骨にヒビ、疲労(中)
[アイテム]:不明支給品×3
[GP]:10pt
[プロセス]
基本行動方針:殺し合いには乗らず帰還する
1.月乃…………
※『アイドルフィクサー』所持者を攻撃したことにより、アイドルの資格と『アイドル』スキルを失いました。GPなどで取り戻せるかは不明です。
※E-4、E-5、F-5に歌姫の歌声が響きました。

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三土 梨緒 GAME OVER
新しい目標 - Tribute to The Doomed - 鈴原 涼子 ハッピー・ステップ・ファイブ
双子座に昼花火の導きを 美空 善子 リベンジマッチ

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最終更新:2022年01月23日 16:59