閻魔一行は出来る限りゾンビを避けて高級住宅街を進んでいた。

先頭を歩く閻魔が一同を先導し道筋を決定する。
危険な立ち位置だが、そこは兄貴分としての男気の見せどころだと閻魔は考えていた。

その後ろに舎弟2人が続き左右を警戒しながら探索を続ける。
リンはその三角形の中央で囲われ、お姫様のように守護られていた。

「閻魔様。少し待ってください」
「あぁん? どした?」

左翼を務める和義が先頭を行く閻魔を呼び止めた。
何事かと、閻魔が足を止め背後を振り返る。
すると、すぐ後ろを歩くリンがふらふらとしていたのが目に入った。

「…………少し眠くなっちゃった」

僅かにまぶたを落としながら、照れたようにえへへと笑う。
リンの本来の『お仕事』は夜が本番だ、夜更かしは慣れたものである。
だが、いつもの人目を盗んだこっそりとした夜の散歩と違って、自由に歩き回れるなんて生まれて初めての事で少しはしゃいでしまった。
その疲れが一気に出たようだ。

「ンだよ急に、さっきまでンな感じじゃなかっただろうが」
「さっきまではしゃいでいても、子供は急にスイッチが落ちるものなんですよ。うちの子もそうでした」

子持ちの和義が我が子を思い出してか、はははと笑う。
幼い子供の性質を知る大人の貴重な意見だが、閻魔は不満げだ。

「確かに、そろそろ子供にはつらい時間ですね。どこか休める場所を探しましょうか」

時刻は日付を超えて既にかなりの深夜である。
普通に考えれば、10にも満たないであろう小さな子供が起きていていい時間ではない。

ひとまずの目的地である和義の家まではまだそれなりの距離がある。
そこまで歩いてゆくのも時間がかかるだろうし、それまでリンの眠気が持たないだろう。
一時帝にでもリンを休ませる場所が必要だった。

「別にリンくらい背負ったまま歩けんだろ。和義、お前が背負ってやれよ」

閻魔がそう指示を出す。
彼らはこの事態解決を目指しているのだ。立ち止まっているような暇はない。

「ええ。もちろん構いませんよ」

和義もこれを快く引き受ける。
恰幅のいい大柄な和義であれば小柄なリンを背負っても大した苦にもならないだろう。
だが、ただ一人これに異議を申し立てる者がいた。夜帳だ。

「いやいや。人一人背負って動き回るのは流石に危険では?」
「大丈夫ですよ。よく子供を背負って歩いたものです、リンちゃんくらい華奢な娘なら軽い軽い」
「ですが。ゾンビなり、誰かに襲われでもしたら、あなただけではなくリンちゃんも危険に晒すことになる」

その意見に閻魔が舌を打つ。
その舌打ちが意見に一理あることを認めていた。
流石にゾンビが徘徊する中で人一人背負って歩くというのは危険すぎる。

だが、理があろうとも閻魔が己より下の人間の進言を聞くことなど殆どない。
親が黒と言えば黒。そういう世界で生まれ育った理屈よりも面子を気にする男だ。

「わーったよ。んじゃその辺の家で忍び込めそうなのを探すぞ。もちろんゾンビのいない所でな」

だが、思いのほかあっさりと閻魔は意見を受け入れた。
舎弟やリンを危険に晒すのは閻魔とて本意ではない。
何より、リンを保護しなければならないと言う意識が彼にそう決断させたのだった。

そうと決まれば、高級住宅街に数ある家の中から休めそうな場所を見繕う必要がある。
住居不法侵入だが、大地震による震災とゾンビに襲われかねない状況で幼子を一時的に休ませるくらいは緊急避難として許されるだろう。

田舎の家は鍵をかけない、と言う話がある。
確かにこの山折村でも古民家群ではそう言った家も少なからずあるのも事実だ。
だが、この高級住宅街に限ってはそうではないようである。
家々の扉はしっかりと施錠されており、侵入可能な家はそう簡単に見つからなかった。

そして電気の付いている家もダメだ。
住民が家に居ると言う事は、その住民はゾンビになっている可能性が高い。
安全性が確保されていなければとてもリンを寝かせつけられない。

侵入しやすく人気がない。
以上の物件条件を満たすともなればそう簡単には見つかるものではない。
侵入出来そうな家探しをする様は、まるで空き巣のようだなと夜帳はどうでもいいことを思った。

「みなさん。この家ならどうでしょう? あそこから忍び込めそうですよ」

探索開始からしばらくして、和義が指さしたのはとある一軒家にあるやや高い位置にある窓だった。
十分立派な2階建ての一軒家だが、豪勢な住宅が立ち並ぶ高級住宅街にしては小ぶりな建物である。

こちらから割るまでもなく地震によって既にガラスは割れており、そこから手を回せば簡単に鍵を開くことはできそうだ。
家内の電気は落とされており、少なくともそこから見る限りではゾンビの影はなさそうだが。

「おい、中に誰もいないか確認してこい」

とは言え、安全確認は必要である。
閻魔は顎をしゃくってその指示を夜帳へと出した。

「私がですか?」
「当然だろ。こう言うのは下っ端の仕事なんだよ」

窓を通り抜けるには小太りな和義は体格的に厳しい。
かと言ってリンに危険な役割を振る訳にもいかず、長身で細身の夜帳が適任である。
もっとも閻魔でも可能だろうが、閻魔は使う側の人間である。
偵察などと言う使われる側の人間の仕事を行うはずもない。

ここで異議を申し立てても仕方がない。
夜帳は不満を飲み込むと、手を伸ばして割れたガラスの隙間から窓の鍵を開ける。
そして窓を開くと、そのまま靴のまま忍び込んだ。

どうやら窓の先はキッチンに繋がっていたらしく、降り立ったのはシンクの上だった。
そこからキッチンに降りたところで、パキリと言う音が鳴る。
どうやら割れた窓のガラス欠を踏んだようだ。素足で歩くのはやめておいた方がよさそうである。

そこから家内を探索を始める。
一部屋一部屋扉を開いて中の安全を確認してゆく。
どこも酷い荒れ模様だが、ゾンビも生きた人間もいない様だ。
荷物をまとめた形跡がある事から避難所にでも向かったのだろう。
夜帳は一通りの安全を確認してからキッチンに戻り、外にいる三人に声をかける。

「家主は留守のようですね、避難所にでも向かったのでしょう」
「そうか。なら、玄関に回って鍵を開けろ」
「了解しました」

閻魔の指示に従い夜帳は玄関に移動すると、内側から扉を開いて三人を招き入れる。

「でかした。褒めてやる」
「…………ありがとうございます」

招き入れられた閻魔が部下を労った。
しかし、そんな上から目線の言葉を受けたところで夜帳が喜べるはずもないのだが。

ひとまず家に入り込んだ閻魔たちは鍵とチェーンで施錠をして、外部から入ってこれそうな所にバリケードを築くことにした。
閻魔は現場監督の様に指示を出すばかりだったが、家具を移動する力作業は主に和義が活躍した。
ひとまずの安全は確保できた。お次は休める部屋を見繕う必要がある。

「よぅし、それじゃあ休める部屋に行くか。夜帳、部屋は一通り確認したんだよな?」
「ええ。2階脇にある誰かの私室あたりが比較的被害が少なかったですね」

安全確認のため一通りの部屋を確認した夜帳が答える。
どの部屋も自身によって酷い荒れ模様だったが、1室だけましな部屋があった。

「あの~、その前にトイレに行ってきてもいいでしょうか? 実は漏れそうで」

股間を押さえるジェスチャーと共に和義がそう言いだした。

「ちっ。勝手にしろ。俺らは先に上に行ってるからな」

そろそろリンが限界である。
リンが欠伸をしながらうつらうつらと頭を揺らして舟をこいでいた。

「トイレはそこです。2F右手奥の部屋で待ってますので」
「ありがとうございます」

トイレの位置を指さす夜帳に礼を言って和義がトイレに駆け込んだ。
それを見送るでもなく三人は階段を登って行った。

夜帳に案内された部屋はさほど広い部屋ではなかった。
小さなリンと大人2人でちょうどいいくらいの小部屋であり、和義が戻ってくることを考えれば少々手狭な部屋である。
だが、私室の主はミニマリストの学生なのか、寝具と最低限の勉強用具しか置かれておらず、地震で倒壊するような家具もなかったお蔭で被害は少なかったようだ。

とはいえ、違う部屋にばらけているより同じ部屋に留まっている方が安全なのは確かである。
部屋にある窓から外の様子もある程度は窺えそうだ、見張りにはちょうどいいだろう。
状況的に窮屈でも我慢するしかない。

「いやぁ、水洗が流れなくて困りましたよぉ。小さい方でよかったよかった」
「汚ねぇ話すんなよ」

用を足し終えた和義が2階にやって来た頃には既にリンは眠っていた。
床に敷かれた布団にくるまり、小さく寝息を立てる姿は愛らしい天使のようだ。
見ているだけで思わず和義の顔が綻んでしまう。

ひとまず、リンはこのまま寝かしつけるとして。
三人もここで日が昇るまで休むことにした。

リンが眠ってしまえば、一つの部屋に残るのは友人でもない男三人。
リンが寝ている横でうるさくお喋りともいかない。
黙したままと言うのも中々気まずいモノである。

「三人で顔を突き合わせてもなんですし、私たちも交代で休みましょう」
「ま、そうだな」

部屋に転がっていた時計を見れば時刻はもう3時になろうとしていた。
6時ごろに出発するとして、リンは寝かせ続けるとしても、1時間交代で1人ずつ休める計算だ。
この状況で眠れるかは怪しいが、1時間横になるだけでもある程度は疲れが取れるだろう。

「それじゃあテメェら、しっかり見張っとけよ」

当然のように休憩の一番手は閻魔である。
毛布をかぶって横になった閻魔は程なくして豪快な寝息を立て始めた。
思ったより大物なのかもしれない。

「それでは私は窓から外を見ていますので、和義さんは部屋の入り口の方を見ていてもらえますか?」
「分かりました。お互い頑張りましょう」

見張り役は窓から外の様子を伺う係と、出入り口から廊下側を覗きこみ家内に異変がないかを監視する係に分担された。
互いに背を向け合って異変がないかを見張る。
眠くなってしまうような退屈な時間だが、四人分の命がかかっている以上手抜きもできない。

そうして、時計の針が進む音だけが聞こえる静寂が続く。
何事もなく時が進み、和義が欠伸を噛み殺した。

「…………シッ」

空気を弛緩させた和義を夜帳が窘め、窓の外を睨むように見つめた。
その様子に、窓の外に異変があった事のだと和義も気づいた。

遠目であるのだが、住宅街の一角で誰かが争っているようだ。
電気のような光が弾けるのも確認できた。

「ど、どうしましょうか? そろそろ時間ですし、閻魔様を起こしましょうか?」
「そうですね。起きて下さい閻魔さん」

交代の時間も近いという事もあり、夜帳が眠っている閻魔の肩を揺する。

「…………んだよ。もう少し寝かせろ」

だが、閻魔は鬱陶しそうにそれを振り払って二度寝をしようとする。
とは言えそういう訳にもいかない。

「少し、外に動きがありました」
「…………あん?」

言われて、流石に事態を理解したのか閻魔が身を起こす。
気だるそうに窓元に移動すると、夜目を凝らすように目を細めて窓の外を見る。
ただの喧嘩ではない、遠目でもわかるほどの怪物のような何かが暴れまわっている。

「んだありゃ? 大丈夫なのかよ……?」
「大人しくしていれば発見されることはないと思いますが……」

閻魔が巻き込まれることを危惧する。
騒ぎの渦中からはそれなりに距離は離れているし、これだけある住宅の中からピンポイントにこの家を探し当てるなんてことはないとは思うが。

「…………ぅうん」

俄かに騒ぎ立つ男衆がうるさかったのか、眠っていたリンが目を覚ました。
まだ眠り足りないのか、眠気眼を擦りながらリンが呟く。

「…………おしっこ」

その一言に、緊張していた雰囲気が緩和する。
リンには場を癒すそう言う才能があるようだ。

「ま。スグに巻き込まれる訳じゃねぇ、しばらく様子見だ」

閻魔が状況をまとめる。
二人もそれに頷き、切り替えるように夜帳がリンに尋ねる。

「トイレの場所は分かりますか?」
「…………わかんない」

眠気で頭を揺らしていたリンは和義がトイレに向かったのも覚えていない様だ。
そうなると案内役が必要になる訳だが。

「なら、僕が付いていくよ。さっきトイレに行ったしね」
「いえ、同行なら私が」

和義と夜帳がリンに同行を買って出た。
幼女のトイレを巡る攻防が繰り広げられる。
だが、リンが拒否を示すようにゆるゆると首を振った。

「エンマおにいちゃん。ついてきて……」

リンが頼ったのは閻魔だった
閻魔の袖口を掴んで甘えた声で言う。

「ったく。仕方ねぇな」

言いながらも閻魔も応じた。
誰かの付き添いなんてする閻魔ではないのだが、まんざらでもなさそうな態度である。

リンを引き連れ閻魔が階段を下りる。
取り残された2人は仕方なしに、窓の外の監視を続けた。
戦いも激化しているのか、かなり離れたこの家まで破壊音が聞こえ始めた。
今の所、こちらに近づいて来ることはなさそうだが、いざとなればこのセーフハウスを捨てて逃げる準備もしておいた方がいいかもしれない。

「……リンちゃんと閻魔様、遅いですね」

しばらくして、和義がそんな事を呟いた。
リンたちがトイレに向かってから10分は経っているだろうか。
確かに、ただのトイレにしては遅い。

ついでに閻魔も用足しをしているのか。
それにしても遅すぎる気もするのだが。

しばらくして何者かがドタドタと階段を駆け上がってくる足音が響いてきた。
息を切らして、部屋に駆け込んできたのは閻魔一人だけだった。

「リンが消えた…………ッ!」

突然のその報告に、和義が驚愕に口を開き、夜帳が眉根を寄せて表情を歪める。

「……どういう事です?」
「どうもこうもねぇよ! リンが消えたって言ってんだよ!?」

大声で喚きたてる閻魔は言葉を繰り返すばかりで要領を得ない。

「お、落ち着いてください閻魔様。落ち着いて、落ち着いて状況を教えてください」

閻魔を落ち着かせようとする和義自身もあわあわと慌てていた。
その様を見て閻魔もいくらか冷静さを取り戻したのか、心を落ち着かすように舌を打った。

閻魔の証言はこうだ。
トイレの前で用を足していたリンを待っていた。
だが何時まで経ってもリンはトイレから出てこず、あまりにも遅すぎるため様子を窺うべくノックをするが返事もない。
仕方なく声をかけてから扉を開いた。トイレは施錠されておらず扉は開けたが、トイレの中には誰もいなくなっていた。
という話である。

ひとまず3人は1階に降りて、現場であるトイレに到達する。
扉を開くが、当然ながらトイレには誰もいない。
血痕もなければ争った様な痕すらなかった。
閻魔も争うような音は聞いてはいない。

現場を検証すべく和義はひとまずトイレに入った。
周囲に異変がないかをかくにんし、便座の蓋を閉じてその上に乗ると窓を確認する。

「うーん、僕の入った時と変わったところはないように思います。窓もこれ以上は開きませんね」

トイレにも小さな窓はあるが、換気用でしかないのか完全に開くことはない。
猫ならともかく小柄なリンであっても流石に通れそうな大きさではなさそうだ。
念のため天井も確認したが、開くような仕掛けはなさそうである。

扉の出入り口を閻魔が監視していた以上、ここは完全なる密室。
ここから人を攫うなど不可能犯罪だ。

「いえ、可能性ならあるんじゃないでしょうか?」
「? …………なんだよ?」

疑問符を上げる閻魔に向かって、2人から不信の目が向けられる。
その視線の意味を閻魔もようやく理解した。

「なっ、俺を疑ってんのか!?」

犯人が同行した閻魔なら犯行が可能だ。
リンの失踪した際の状況を証言したのは閻魔である。
実行不可能な状況であろうとも、犯人が閻魔であるのなら、いくらでも虚偽の報告ができる。

「ばっ…………ばっ、ンな訳ねぇだろうが!!
 ここで俺がリンを攫って、何の得があんだよ!」
「……まあ、確かに。そうですね」

閻魔が犯人であるならば報告に来る必要がない。
リンを目的とするのならそのまま消えればいい。
夜帳もそれを警戒して和義とリンと2人きりにならぬよう立ち廻って来た。

「とりあえず家の中を探しましょう。どこかに隠れているのかもしれない」
「そうですね」

何者かに攫われたのでなければ、リンが自らの意志で抜け出した可能性もある。
閻魔の目を盗んでこっそり抜け出し、かくれんぼのつもりでどこかに潜んでいるリンのおちゃめなイタズラである可能性だ。
不可能犯罪を考慮するよりはいくらか現実的だろう。
何にせよ探してみない事にははじまらない。

「チッ! よし、じゃあ手分けするぞ。俺は2階を探す、お前らはそれぞれ1階を探せ!」

閻魔の仕切りにより、部屋数の少ない2階を閻魔が、手広な1階を夜帳と和義が捜索することになった。
格下の舎弟どもに自身が疑われた事に対する不満は残っているが、リンが攫われたという状況がその不満を飲み込ませた。
彼女を庇護しなければならないという強い使命感によるものだ。

閻魔は2階へと上がると、まずは休憩所にしていた私室を調べる。
もしかしたら戻っているかもと思ったが、布団や毛布の中にリンの姿はなかった。
捜索場所も少ない私室に見切りをつけ隣の物置と思しき部屋に移る。

地震によって崩れた荷物をかき分け子供の隠れられそうな死角を念入りに探す。
だが影も形も見つからない。
仕方なしに、次の部屋に移ろうかと考えた時だった。

「閻魔さん!!」

1階から慌てた様子の夜帳が勢いよく駆け込んできたのは。
その様子にただ事ではない気配を察し、閻魔が応じる。

「どうしたッ!? リンが見つかったのか!?」
「いえ」

続いたのは最悪の言葉だった。

「和義さんも消えました」

「な、に…………?」

まさかの報告に閻魔も口をパクパクとさせ言葉を失う。
暫し呆然とした後、徐々に感情が追いついたのか額に血管を浮かび上がらせながら叫ぶ。

「まさか野郎がリンを攫った犯人で、逃げたんじゃねぇだろうなあッ!!?」
「いえバリケードはそのままです、一通り確認しましたが動かしたような跡はありませんでした。玄関もチェーンが付いたままです」

それが本当なら外には誰も出ていない。
外に逃げ出せるルートがあるとするならば2階の窓から飛び降りるくらいのものだが、2階には他ならぬ閻魔がいた。
誰かが来たような気配は感じていない。
混乱した閻魔は自慢のパンチパーマをガシガシと掻きむしる。

「どー言う事だよ!? どーなってんだよ!! これはよぉ!!?」
「落ち付いてください」
「なンでテメェはそんなに落ち付いてんだよ!? まさかテメェが犯人じゃねぇだろうなぁ!!?」
「そんな訳がないでしょう。だいたい、リンさんの消失を確認したのは閻魔さんじゃないですか」

あの場面で2階にいた夜帳にリンを攫うなんてできるはずもない。
そもそも誰にもリンを攫う事なんて不可能だ。

次々と人が消える魔の家に紛れ込んでしまったのか。
外にはゾンビが溢れ、地獄の様相を呈している。
あり得ないあり得ない。こんな状況はあり得ない。

混乱極まる閻魔。
その瞬間だった。
窓の外で落雷があったような光が弾けた。

見れば、遠くどこかの民家から雷鳴を纏った光の筋が放たれていた。
それを見て、閻魔の頭に電撃のような気付きがあった。

「…………もしかして異能ってやつじゃねぇのか」

感染者が目覚める異能。
あり得ざるを実現する力。
具体的にはわからないが、それがあればこの状況もあり得るのではないか?

「ようやく気付いたんですか」

つぶやきに対する無味乾燥な声。
咄嗟に閻魔はその声に向かって銃口を向ける。

「…………どういうつもりです?」
「どうもこうもねぇ! 残っているのは俺とお前だけだろうがッ!!」

この家に残ったのは2人だけ。
閻魔は自分自身が犯人でない事を知っている。
ならば必然犯人は一人。

閻魔は夜帳の異能がどう言ったモノかは知らない。
だが、異能が不可能を可能に出来るのならばリンを攫い和義を消したのが夜帳でもおかしくはない。
導き出されたその結論に、容疑者は大きなため息を付く。

「実に短絡的だ。何故そんな結論に至るのか理解に苦しむ」

やれやれと首を振る。
心底から閻魔をバカにしたような態度だった。

「この犯行が異能によるものだというのは最初から分かり切ったことでしょう。
 私が分からなかったのは、この状況を引き起こした異能がリンちゃんの物なのか閻魔さんの物なのか和義さんの物なのか、という点です。
 まあ今となっては動機からして和義さんの物だとは思いますが」
「何……言ってやがる…………?」

夜帳は最初から分かっていた。

「だったら何で言わなかった!?」
「まさか、そこから講義が必要だとは思いませんでしたので」

見下したような物言い。
その余りに嘗めた言動に閻魔の怒りが一瞬で振り切れた。

「あぁッ!? 俺をバカにしてんのかテメェッッッッ!!!! 殺すぞヒョロガリィ!!!」

銃口を向け恫喝する。
その瞬間、閻魔が異能を発動させた。
いや、正確には彼は異能を発動したのではなく、彼の異能は常に発動していた。

それは閻魔に恐れを為した者の動きを硬直させる異能。
彼の異能は条件を満たした時点で自動発動し、条件が満たされ続ける限り効果は永続するという凶悪な代物である。

「殺す、か。まったく、これ以上バカに付き合うのもいい加減バカらしいな」

それに対し、夜帳はただですら姿勢の悪い体を沈めて深くため息をついた。
彼の体には何の変化もなかった。これまでも一度たりともない。
それはつまり、誰一人として木更津閻魔と言う存在を一度たりとも恐れていなかったという事だ。
銃口を突きつけられているこの瞬間ですら。

「弾切れ、してるんでしょう」
「っ!?」

図星を突かれ怯んだ瞬間を狙って距離を夜帳が詰める。
両手首を掴み、相手の動きを封じる。
だが、手を封じられているのはお互い様だ。

閻魔とてこんな線の細い相手に力負けするほど貧弱ではない。
振り払うことなど容易い事だ。
すぐさま力任せに引き剥がそうとしたが、それよりも僅かに早く、夜帳が大きく開いた口から鋭い牙を覗かせた。

「……………………あ?」

その牙が、閻魔の首筋に噛み付いた。
苦し紛れの噛み付きなんてのは喧嘩でもよくある話だ。
喧嘩慣れしないヒョロガキが窮鼠のように猫に噛み付く姿を見たことがある。

だが、これは違う。
最初から相手を殺すことを前提とした殺意を込めた噛み付きだ。

閻魔にとっては殺すという言葉は脅し文句でしかない。
だが本物の殺人鬼にとってその言葉の意味はまるで違う。

線の細い薬剤師、月影夜帳は村内を賑す殺人鬼である。
これまで3名のうら若き少女を殺して、その血を啜って来た。
その牙が今、ヤクザの跡取り木更津閻魔の首筋に突き刺さっていた。

夜帳がこれまで閻魔に手を出さなかったのは、木更津組の恨みを買うのが面倒だったからである。
夜帳の望みは村での平穏な暮らし。その為にヤクザにつけ狙われる生活など御免被りたい。

だが、夜帳はここにきて閻魔の殺害を決意した。
心変わりに至った理由は三つ。

一つはここまで村を見てきて、思いのほかVHの被害と混乱が大きいと分かった事だ。
この村は終わりだ、事態がどう転んでも立ち行かないだろう。
この村の平穏は好きだったが、村の平穏などもはや望むべくもない。夜帳は住処の変更を余儀なくされていた。
それはつまりこの村に根付く木更津組からも離れられる算段が付いたと言う事である。

二つ目は木更津組の現状だ。
まあ状況からの推測が多分に含まれているため、これはそれほど確実な理由ではないが。
村の被害とリンクして、このVHで木更津組もタダでは済んでいないはずである。
壊滅とまで行くかどうかは分からないが、少なくとも夜帳への返しなどを優先していられる状況ではないだろう。
組の存亡がかかった状況で面子のための返しを優先する訳がない、そこまで行けば尊敬する愚かさだ。

そして最後の理由は単純かつ最大の理由。
ここに目撃者はいないという事だ。
そもそも、夜帳が閻魔を殺したというのが誰にも露見しなければ何も恐れることはない。

リンと和義は消失し周囲は密室。
後は死体をゾンビにでも食わせてしまえば完全犯罪だ。

鋭い牙が頸動脈を食い破り、血液を吸い出す。
紅い血液と共に命が飲まれてゆく感覚が閻魔の全身を襲う。
指先から体温が失われ冷たくなってゆくのが分かる。

「…………ぁぁ…………ぁ……っ」

吸われている。
血液が。
熱が。
命が。

冷たい死の恍惚。
渇き朽ちてゆく喉が鳴り。
己に死を齎した、その存在の名を呼ぶ。

「吸…………血、鬼」

全ての血を吸い終えた牙が首筋から離れる。
ドロついた唾液交じりの赤い液体が、名残惜し気に牙と首筋を繋いだ。
吸血鬼はミイラの様に干乾びた死体を放り投げると口端から伝う血を親指で拭う。

「不味いな。やはり粗野で野蛮な男の血はダメだ。うら若き乙女の血でなければ」

味は最悪。
だが、飲める。

そもそも、人間の体は血液を飲めるように出来ていない。
味や喉越しもそうだが、血液中に含まれる大量の鉄分が鉄過剰症(ヘモクロマトーシス)や感染症などの原因になりかねない。
実際、夜帳もこれまでも血液を飲み干そうとしてきたが失敗してきた。

人体を流れる血液量は体重の約1/13。成人男性ならば4~5リットルはある。
仮にただの水だとしても飲み干すにはつらい容量である。

だが、それらの不可能条件を無視して、全ての血液を飲み干せた。
あれだけ大量の血液を呑み込んでおきながら、水分で胃が満たされたような感覚もない。
あるのはただ充実感と満足感。

これが異能。
夜帳は己が異能を理解した。
いくらでも血が飲める。
そして血液から相手の全てを奪い取れる。

「…………夢のようだな」

夜帳は昔から血が飲みたかった。
ステーキはいつだって血の滴るブルーレア。
小さな傷を作ってはそこから浮き出る血を舐めとって慰めていた。
人を殺したいのではなく、最初に吸血衝動があった。
殺し立ったわけではなく、吸血がしたいがために結果として殺人となったのである。

それが叶わぬからこそ彼は厭世家となり、世を儚んだ。
せめて静かに死に行けたのならと願い、この田舎に身を窶した。

だが、世界が変わった。ここであればその夢が叶う。
この混乱は、平穏な暮らしを代償にするだけの価値はあった。

血液とは命だ。
存在そのものであると言っていい。
血はその存在の全てを内包し、その全てを飲み込んだ夜帳は木更津閻魔と言う男を知れた。

「あぁ…………閻魔さん。こんな異能だったんですねぇ」

自らに恐怖した者を縛り付ける異能。
それは他人を畏怖させ縛り付けたいという閻魔の本質の具現だ。
自尊心と虚栄心ばかりを肥大化させた実に下らない男だった。

だが、その能力はいい。
夜帳は血液と共にその異能を得た。
血液を飲み干した相手の異能を獲得できる。
それを理解した。

吸血鬼を恐れた者はその動きを縛られる。
何とも吸血鬼らしい能力ではないか。
あとは霧化する異能を持った人間でもいれば最高なのだが。

「…………さて」

窓の外にゾンビが通りかかったのを見計らって、干乾びて軽くなって死体を放り投げた。
屋根を伝って志べり落ちた死体の落下音に喰いついたのか、ゾンビが群がる。
その様子を適当に見届け、閻魔は次の行動を思案する。

リンを攫った和義も探し当て、彼女を取り戻す。
これはマストだ。
取り戻した彼女から吸った血の味は、さぞ甘美だろう。

だが、探そうにも和義がどこに消えたのか、今の所見当もつかない。
異能を使ったのは間違いないだろうが、その能力の詳細もはっきりとしない。

転送や瞬間移動の類か。それとも壁抜けや透明化。
トイレの小さな窓を通れる小型化や軟体化などと言うのもありうる。
いずれにせよ推論の余地を出ない。相手の異能を把握できないうちは決めつけは危険だ。

和義の古民家群にある自宅に向かいたいと言っていた。
そこに先回りすれば待ち伏せもできるかもしれないが、家の具体的な位置までは把握していない。
どちらにせよ、あとを追うための手掛かりがない。

それは別に、気になるは2階から遠目に見た戦闘。
雷鳴によって僅かにシルエットを捉えた程度だが、少女たちが沢山いたように見える。
どういう結果になったかまでは不明だが、生きているのならそちらを追ってみるか。

接触して和義の目撃情報を聞くのもいいが、それよりも大量の少女が並ぶバイキングビュッフェをつまみ食いするのもいい。
もっとも、異能が侮れないものであると理解して以上、ただの少女とて油断は禁物だが。

戦闘音もしばらく前に収まっている。
方向は大まかにだが分かる。
あれだけ数もいればそれに目立つ。
全滅したのでもなければ、接触くらいはできるだろう。

【木更津 閻魔 死亡】

【D-4/高級住宅街/一日目・早朝】

月影 夜帳
[状態]:健康
[道具]:医療道具の入ったカバン
[方針]
基本.この災害から生きて帰る。
1.戦闘していた少女たちを探して和義の情報を得るか血液を吸う
2.和義を探しリンを取り戻して、リンの血を吸い尽くす

※己が異能を理解しました
※吸血により木更津閻魔の異能『威圧』を獲得しました。


夜帳が去り、様々な混乱をもたらしたその家は無人となった。
だが、誰もいなくなったとしても、疑問は残る。

神隠しの如く忽然と消失したリンと和義はどこに行ったのか?

その答えは家の中にあった。
更に言うならトイレの中である。

閉じられた便座の中に浮かぶ透明な小さな箱。
それは触れた物を閉じ込める檻だった。

その檻に囚われた者は五感とその異能を封じられ愛でられるだけの愛玩物となる。
その名を『愛玩の檻』。
これこそが連続婦女監禁殺人犯、宇野和義の異能である。
この檻に入り込めるのは最初に檻に触れ囚われた愛玩物が一匹と、愛玩物を愛でる檻の主のみである。

和義はトイレに檻を仕掛け、便座に座った人間を閉じ込める罠を仕掛けた。
無論、獲物以外がトイレに行くリスクはあったが、男は小便であれば便座には座らない。
水洗が壊れたという情報を流しておけば余程の腹痛でもない限り大便に立つことはないだろう。

他の獲物が掛かりそうになったら最悪檻を解除すればいいだけの話だ。
失敗したら次の機会を待てばいい。

そうして首尾よく獲物を捕らえた。
檻は設置したその場に残り続けるため、探索中にリンを捉えた檻が発見されるリスクもあった。
外部から檻を破壊されれば捕らえた凛も解放されてしまう。

そうならないよう、和義は探索に乗じて便座の蓋を閉じて檻を隠した。
まさか便器の中にリンがいるとは思うまい。わざわざ閉じたトイレの蓋を開いて人を探す輩もいないだろう。

あの月の日に見て以来心奪われた至宝。
リンという念願を己が手中に収めたのである。

五感を奪われる暗闇の中にありながら、そこに捕えられたリンは降りの中心で眠っていた。
トイレで用を足そうとしている最中に囚われたせいだろう、周囲には彼女の垂れ流した小便が広がっていた。

だが、その程度の事は彼女にとっては襲い来る眠気に勝る程のモノではなかったらしい。
この異常事態も彼女にとっては日常と変わらない。目隠しもスカトロも慣れたものである。

ここは暗いばかりのただの檻だ。
異空間なのか、周囲は殺風景で何もない。楽しむための道具もない
中に囚われた人間は五感を奪われるため反応もつまらなさそうだ。
最愛との蜜月を過ごすにはここは余りにも味気がない。

二人きりの最高の最期を目指すのなら、もっと豪勢でなければならない。
誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われていなければダメだ。

自宅の地下には可愛がるための道具が揃っている。
リンが目を覚ましたら、誰にも見つからないよう自宅に向かおう。

「待っててねリンちゃん。最高の檻を用意してあげるから」

この場で爆発しかねない興奮を抑えるようにそう呟いた。

【D-4/高級住宅街・民家のトイレ・『愛玩の檻』内/一日目・早朝】

宇野 和義
[状態]:健康、興奮
[道具]:なし
[方針]
基本.リンを監禁し、二人でタイムリミットまでの時間を過ごし、一緒に死ぬ。
1.リンが目を覚ましたら自宅に向かう
2.自宅で道具を揃えたらリンと二人っきりになって身を隠す。

【リン】
[状態]:健康、木更津 閻魔への依存。睡眠中
[道具]:なし
[方針]
基本.エンマおにいちゃんのそばにいる。
1.やさしいエンマおにいちゃんだいすき♪
2.リンをいっぱいあいして、エンマおにいちゃん。

※異能によって木更津 閻魔に庇護欲を植え付けました。
リンは異能を無自覚に発動しています。

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君と一緒にいられるなら僕は何もいらない 木更津 閻魔 GAME OVER
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最終更新:2023年03月09日 00:29