山折神社から東南東に離れた深山と人里の境界線。そこの木々が開けた場所に一軒のログハウスが存在していた。
木々の間から目を凝らすと猟師小屋が見えるその小屋は六紋兵衛のかつての住居であり、現在は八柳道場が保有する小屋――云わば別荘である。
およそ一年前、六紋が公民館の裏山に住居を移した事を機に八柳道場がその小屋を格安で買い取って現代風に改装した。
その別荘へ八柳道場最強の弟子を先頭に一行は移動し、次の行動に支障を出さないようにするため、彼らは休息を取ることになった。
ちなみに診療所裏には道場の修練場があり小屋と共に引っ越しされたため、かつての修練場は更地になっているのだが、それはまた別の話。
◆
ホカホカと湯気を立てる鯖缶の炊き込みご飯が炊かれた土鍋。
食欲をそそるそれが中央に置かれているちゃぶ台を男女四人が囲む居間にて。
「おいしー!」
赤いリボンカチューシャの少女は歓声を上げた後、豊かな黒髪を揺らしながらガツガツと炊き込みご飯を頬張っている。
その隣に座る柔らかな微笑を浮かべた金髪の女性が幼子の頬に着いた米粒を取ってあげた。
「ほーら、そんなに慌てて食べないの。ほっぺたにお米付いているわよ」
「ありがとう!チャコおねえちゃん!」
パクリと米粒を茶子の人差し指ごとしゃぶりついた後、リンは再びスプーンを動かして小さな茶碗からご飯を口に運ぶ。
和やかな雰囲気の二人とは対照的に、黒髪の少年と金髪の小柄な少女は黙々と食事を続けていた。
「……お替りするけど、アニカもするか?」
「……half a refill」
「半分だな。分かった」
哉太はアニカから茶碗を受け取ると土鍋からオーダー通りに茶碗のちょうど半分だけ盛った後、自分の茶碗には特盛でよそった。
アニカは茶碗を受け取ると、箸を動かしてちびちびと小さな口にご飯を運ぶ。
そんな様子の彼女を心配そうに横目で見やり、自分も食事を続けようと再び箸を手に取ろうとすると、眼前には米粒が残った茶碗が二つ。
「哉くん、お替り。特盛ね」
「はいはい。リンちゃんは?」
「リンもとくもり!」
「食べきれるのか?」
「たべれるもーん」
「…………小盛にしとくな」
「いじわる~」とブー垂れるリンを無視し、二人から茶碗を受け取ってご飯をよそう。
二人に茶碗を渡した後、茶子に宥められているリンの恨めし気な視線を感じつつも席について食事を再開する。
「…………カナタ、大丈夫?」
「…………アニカこそ、大丈夫なのかよ」
泣き腫らして目が赤くなったアニカの元気のないか細い声。
赤く腫れあがった頬にガーゼを張り付けた哉太の落ち着いた静かな声。
窓から差し込む初夏の日差しに照らされる二人の表情は似ていたが、声色は正反対。
そんな二人へチラリと心配そうな視線を送る茶子と、二人の様子などお構いなしに茶子にじゃれつきながら食事を取るリン。
「アニカ、その……」
「What?」
「いや、何かあったのか?」
アニカと哉太。二人の間に流れる陰鬱な沈黙の中で先に声を発したのは哉太。
どんな言葉をかければいいのか分からず、口をついて出たのは傷をなぞってしまうかのような安直な言葉。
哉太は己の失言にすぐ気づいて謝ろうとするが、その前にアニカが口を開く。
「ああ、何で泣いたのかって?それは――――」
◆
『アニカちゃん、これ。裏庭でリンちゃんの身体を拭いてあげて』
ログハウスのドアを開けて荷物を置いた直後、茶子に渡された2Lのミネラルウォーター数本にタオルと粉石鹸、畳まれたブルーシートを持たされた。
茶子に駄々をこねるリンは赤い服や白い肌は殺した宇野和義の赤黒い血で染まり、鉄錆と香水が混じったような彼女独特の甘い体臭で酷い臭いを放っている。
シャワーを使おうにも水道が止まっているため水が流れず、かといってリンをそのまま放っておくわけにもいかない。
幸いにも別荘に水のストックがあったため、それを使ってアニカがリンの身体を綺麗にすることになった。
それならば、リンが一番懐いている茶子が拭いてあげればいいのではないのかと意見したが――。
『私は哉くんはお昼の準備をするからね。それに、他にもやらなきゃいけない仕事があるからお願い』
――と言い、何とか宥めたリンを行水セットと預けて裏庭へと強制的に案内された。
アニカとしては危険人物である茶子と自分のパートナーである哉太を二人きりにさせたくなかったが、彼女の圧に弱っている精神では立ち向かえなかった。
仕方なく裏庭にブルーシートを敷き、その上でアニカは不貞腐れるリンと共に服を脱いで身体を洗うことになった。
「チャコおねえちゃんのほうがよかったなぁ……」
アニカがタオルを水で濡らして粉石鹼で泡立てている最中、ペタンと座り込んでいるリンが不満をぼやく。
「My Bad。私で我慢してね、リン」
「してるよぉ。リンはずうーっとがまんしてるー」
「…………My Bad」
アニカの口から零れたのは謝罪。つい先刻、聞き取りで茶子を問い詰めた時の強気な口調とは正反対の弱々しい声色。
その態度に更に気を悪くしたのか、血濡れの幼子は不平不満をぶつけられた探偵少女は宥めるようにもう一度謝罪する。
じめっとした森林特有の空気の中でアニカはリンの赤黒い汚れをごしごしと拭く。
両親に相当大事にされてきたのだろう。同性のアニカから見てもリンの肌は初雪のように白くきめ細やかで美しい。
だが、その美しさとは正反対にリンに決して拭えない穢れた烙印が刻まれてしまった。他ならぬアニカの、取り返しのつかないミスによって。
「………っ」
じわりと涙が浮かぶ。自分より幼い子供が禁忌を犯して歪み、それによって命を拾ったという事実。
崩されたプライドと否定された自分の正義が形となって溢れ出す。
「…………ぅ」
ポタリポタリと青い双眸から滴り落ちる小さな雫がブルーシートに水滴を作る。
天宝寺アニカはプライドが高く勝気な性格であるがそれ以前に思春期になったばかりの繊細な子供。
一時的とはいえ身の安全が確保されて心が小康に保たれたその時、意識しないように目を逸らしてきた傷を自覚する。
それが呼び水になって次々と思い出される生物災害発生後からの辛い記憶。
「リンはおこっているんだよ、アニカおねえちゃん。どうくつでチャコおねえちゃんをいじめたでしょ?
チャコおねえちゃんがリンたちをひっぱってたすけてくれているんだから、ひどいことをいったらかわいそうだよ」
大空洞での出来事を相当根に持っているらしい。全身泡塗れになっているリンが怒りをぶつける。
リンにとって守り導いてくれた存在が虎尾茶子。アニカにも自身の手を取り、導いてくれた人達がいる。
それは八柳哉太であり、犬山はすみであり、烏宿ひなたであり、字蔵恵子であり、そして―――
「Ms.ショウコ………」
手が届かず、失ってしまった大切な仲間。たった数時間の間だけど自分達を導いてくれた女性。
数多の凶悪事件に関わって解決してきたアニカだが、彼女の身内が犠牲者になったことはない。
それどころが身内が理不尽な犠牲者になることはないと高を括っていた。
皆で生きて帰れる、と思っていた。
『悲しむな……とは言いません……。ですが、それでも……歩みを……止めないで……』
勝子の今際の言葉がリフレインされる。死に際の穏やかな笑みが浮かぶ。
手が止まり、ブルーシートの上にタオルが落ちる。疲労感と虚脱感が少女の心を覆っていたベールを引き剥がす。
改めて自覚する悲しみ、喪失感、空虚感……。あらゆる感情がごちゃまぜになり、形として、音として表面化する。
「……うぅ、うぅーーーーーーっ…………」
「ど、どうしようどうしよう……!」
目の前で蹲り、声を殺して泣いているアニカにリンは困惑していた。
大きな洞窟の広場でアニカが茶子へ酷い言いがかりをつけていじめたことに腹が立って怒りをぶつけたのだが、泣かせるつもりはなかった。
最早どうでも良くなったパパや調教師のおじさんに慰められることはあっても、年上の子供を慰めた経験などリンにはない。
アニカの身体を洗う手が止まる前も、止まった後もリンはアニカにリンは感情の赴くまま怒りをぶつけていた。
尤も文句の大半はアニカの耳をすり抜けていったが、その事実をリンは知る由もない。
(い、いいすぎたのかな?ひどいことたくさんいったから、アニカおねえちゃんないちゃったんだ……!)
泣かせた相手はリンを謀って「悪いこと」をしようとした大人達とは違う、愛しの王子様ほどではないが自分を慮ってくれたアリス。
宇野和義を殺した時には感じなかった罪悪感がリンの中で湧き上がる。
おたおたと誰かに助けを求めるように視線を彷徨わせながら立ち尽くす。
籠の中で大人達に「飼育」されるばかりだった愛玩少女は悩み、思案する。
(チャコおねえちゃんなら、どうするんだろう……?)
頭に思い浮かぶのはリンを守ってくれた王子様――虎尾茶子。
彼女ならどうしただろう。どうやって慰めてあげられるのだろう。
朝景礼治(パパ)ではなく、茶子にしてもらったことを振り返る。そうすると自ずと答えが出た。
「なかないで、アニカおねえちゃん。リンはおこってないよ。ひどいこといってごめんね」
しゃがみ込み、蹲るアニカの頭を小さな手で優しく撫でる。
陽光に照らされるさらさらとした綺麗な金髪を撫でる度に嗚咽が聞こえ、小さな背中が震える。
白南風が少女達の素肌を優しく撫で、黒と金の髪を揺らす。黒髪の少女は金髪の少女が悲しみを乗り越えるまでいつまでも頭を優しく撫で続けた。
◆
「――――Because the vans were blown into my eyes by the wind」
「そっか。目、きちんと洗ったか?」
「Yeah」
相当苦しい言い訳だったが、哉太は心情を慮って納得したフリをしてくれていた。
アニカは茶子の膝に座りフルーツポンチ――子供にだけ特別に出されたデザート――を食べるリンへと視線を向ける。
視線に気づくと上機嫌で茶子にじゃれついていたリンは大人しくなり、気まずそうに目を泳がせた。
無邪気にじゃれついていたリンが急に大人しくなったことに茶子は怪訝な表情を浮かべる。
「リンちゃん、どうしたの?」
「……なんでもない。アニカおねえちゃん、ひとくちあげるね」
「Thanks。そこまで気に病む必要ないわよ、リン」
ずいっとスプーンごとフルーツポンチの皿をアニカの前に差し出す。
アニカにも一応フルーツポンチが出されているのだが、断るとリンが落ち込むことは目に見えているので、好意に甘えて一口食べた。
「…………カナタこそ頬が腫れてるけど、大丈夫なの?」
隣りで缶ジュースを呷っている頬にガーゼを張り付けた助手へと問いかけた。
口内の傷にジュースが染みたらしく痛みに顔を歪めた後、ポリポリと困った表情を少年は浮かべた。
「ああ、これか?これは――――」
◆
二人の少女を裏庭へと追い出した後、哉太と茶子は昼食の準備を進めた。
電気とガスが止まっているため、キッチンから土鍋とカセットコンロを取り出して調理を始める。
土鍋を軽くミネラルウォーターで洗浄した後、無洗米を茶子が持っていた鯖味噌煮缶を調味料各種と共に水に浸し、火にかける。
電気が止まった冷蔵庫から四人分のぬるくなったジュースを取り出した後、二人は向かい合って座った。
「……………」
「……………」
姉弟子と弟弟子。八柳流の頂点二人の間に気まずい沈黙が流れる。
つい半日前までは顔を合わせれば互いに軽口を叩き合う仲であったのだが、彼らの師匠である「八柳藤次郎」の凶行により変わってしまった。
「ごめん、茶子姉」
「なんでキミが謝るのさ」
「…………爺ちゃんが、おじさんとおばさんを……」
「……悪いのはあの視野狭窄の老害だ。あたしの方こそ一年前、キミを守れなかった」
「…………あの事件には、茶子姉は関わってなかったんだな?」
「信じてもらえないかもしれないけど、あの時は寝耳に水だったよ……」
「そうなんだ……」
再びの沈黙。互いに懺悔しあったところで沈んだ空気が浮かび上がることはなかった。
藤次郎は山折村の鏖殺という歪んだ思想を掲げ、多くの人間を斬り捨てた。その中には哉太の家族は疎か茶子の家族や浅葱碧のたった一人の肉親も含まれている。
哉太が尊敬する祖父の凶行を止められたのかというと否。見通しの甘さ故に祖父へじめをつけさせることはできず、その結果が仲間の犠牲。
結局、哉太が大切に想っている姉弟子が愚行の尻拭いをする羽目になった。
その後に発覚したのは茶子が生物災害を引き起こした研究所の関係者だったこと。
育んできた強固な信頼にいとも容易く罅が入り、「信じている」という断言から「信じたい」という願望に変わってしまった。
「………………」
短時間の間に起きた数多の衝撃。両親を失い、友人が犠牲になり、多くの人間が殺された。対して、自分は何もできなかった。
不愛想に振る舞って強く見せかけてきた鍍金が剝がれると、そこから顔を出したのは自尊心が低く「金魚の糞」と蔑まれていた弱い自分。
勝手に溢れ出す暗い感情。心の奥底で渦巻く自責の念。使命感という燃料がほぼ空になった今、無理やり封じ込めてきたものが表面化する。
口を開いて言葉に出せば、そのまま飲み込まれてしまいそうだ。
「茶子姉」
「ん?」
「俺、どうすればよかったのかな?」
つい出てしまった後悔の言葉。「もしも」という呪いが心中を支配する。
床から進水するようにじわじわと自責と言う汚泥が精神を蝕み始める。
虚脱感が支配し、身体から力が抜ける。無力が己を苛む。
もうどうすればいいのか分からなかった。思考が負の坩堝にはまり、深く、深く―――。
「哉くん。顔、上げて」
怠慢な動作で俯いていた顔を上げる。
昏く淀んだ瞳で茶子の顔を見た瞬間、頬に強い衝撃が走った。
時間が経つにつれて弱っていく弟分を見ていられなかった。徹底的に打ちのめされた彼に寄り添い、慰めてあげたかった。
でも、それでは駄目だ。それでは哉太は自分の力で立ち上がることができなくなってしまう。
かつて哉太が自暴自棄になっていた時とは違う。あの時は傍に寄り添わなければ、愛しい彼が壊れてしまいそうだったのだ。
今はあの時とは違う。支えればそのまま寄りかかり、誰かの傀儡になってしまいそうな危うさが見えた。
哉太は強い子だということは茶子が一番理解している。だからこそ自分の足で立てるようになって欲しかった。
例え、彼が歩むその先で最後には自分と敵対する結果になるとしても。
別荘内に鈍い音が響く。殴り飛ばされた少年は強かに背中を打ちつけて小さな呻き声をあげる。
状況を掴めていない彼の胸倉を掴み、背後の壁へとその巨体を押し付ける。
「ぐ……ぁ……茶子姉?」
漸く状況が掴めたのか。底なし沼の様な濁った瞳で茶子の顔を見つめる。
握り締めた拳が震え、爪が食い込んだ掌から血が流れる。
きっと今、自分は美貌を台無しにするような酷い顔をしているのだろうと茶子は思った。
「こうやって断罪されれば満足か!?それとも慰められればキミは良かったのか!?」
「違……う………!」
息苦しそうな否定の呻きを上げる。それにお構いなしに言葉を続けた。
「だったら!今ここで何もせずに腑抜けることが正解か!?違うだろッ!!」
「ガッ……!」
ドンッと力任せに壁に身体を叩きつけた後に哉太の胸倉から手を離す。
圧迫されていた気道が確保され、床に手を付いて少年は咳き込む。
哉太が呼吸を整えたことを確認すると、すぐ傍に置いていた藤次郎の鈍らを鞘から抜いて、彼の眼前へと突きつける。
「顔を上げろ。そして自分が何をするべきか言いな」
大切な彼を睨みつけて殺気をぶつける。初夏とは思えぬ冷えた空間の中で、息を飲み込む音が鳴る。
「さっさと言えよ」
「俺は……」
淀んで生気のなかった瞳に徐々に光が灯る。覇気のなかった声に活力が戻り出す。
「言えッ!八柳哉太ッ!!」
「俺はッ!誰かを助けて事態を収束させるッ!!」
交差する鋭い視線。限界まで張り詰めた空気が漂う。狭い空間の中で鳴る音は壁掛け時計の時を刻む音とぐつぐつと煮える土鍋の音。
「―――なんだ、普通に言えたじゃん」
ふっと殺気を解いて鈍らを納刀する。哉太へと視線を向けると先程の陰りは薄まり、まだ双眸に迷いは残っているものの弱々しかった姿はもう見当たらない。
下手をすると心が折れかねない荒療治であったが、なんとか彼が立ち直ってくれてほっとする。
「茶子姉、俺……」
「そろそろ飯が炊ける時間だ。見てきてよ、哉くん」
「あ、ああ……」
気まずさと罪悪感を誤魔化すため、哉太に言葉を紡がせないように指示を出す。
哉太が土鍋の様子を見ている間にクローゼットに行き、男物と女物、子供用の衣服を取り出した、
「ちゃんと炊けてた。後は蒸らせば……茶子姉、その服は?」
「着替え。ブラウス破いたから外で着替えようと思って。ほい、哉くんもそのだっさい服から着替えて」
「ああ、分かった。というか何で子供用の服があるんだよ」
「来週バザーがあるんだよ。それでリサイクルできそうな古着を集めてこっちで保管してた」
「そっすか……」
矢継ぎ早に言葉を口にしていないと罪悪感で潰れそうになる。
これ以上彼と二人きりでいると謝罪の言葉が口をついて出てしまうだろう。
怨敵とは言え彼の肉親を嬲り殺し、彼を裏切り続けてきた自分に謝って許されるという自己満足を得る資格などない。
「それじゃ、着替えてくる。着替えるついでにちびっ子二人分のデザート適当に作っといて」
そう口に出した後、彼に背中を向けて裏口のドアへと足を進める。
「…………茶子姉」
「…………何?」
ドアノブを回す寸前、背後から聞こえる少年の声。
何事もないように装うため、普段と変わらない、何事もなかったかのような口調で返答する。
「ありがとう、お陰で目が覚めた」
◆
「――――炊き込みご飯作る途中で寝そうだったから自分で引っ叩いただけだよ」
「Ah, I see」
いやそれはおかしいでしょ。いくら力が強いからと言って口の中が切れるまで全力でセルフビンタできるの?
そもそもアナタの異能はSelf reproductionでしょ。そこそこ時間が経っている筈なのにまだ全快してないのおかしいわよ。
―――などという内心はさておいて、形だけの納得は示しておいた。
「……………」
デザートを食べながら、チラリとリンを膝の上に載せながら食事を続ける茶子に顔を向ける。
すぐにこちらの視線に気づくと、気まずそうに顔を逸らした。アニカではなく哉太から。
無言で茶子に圧をかけたつもりだが、当の茶子はアニカに対して特に器を止めてないように思えた。
「………哉くん、お替りよそってあげよっか。盛り方は?」
「特盛で」
お替りしようとする哉太に先んじて茶子がリンを膝から降ろしてしゃもじを取る。
茶子がご飯を持っている最中、リンは頬を膨らませて哉太を睨んでいた。
「なあ、アニカ」
「何?」
「俺、リンちゃんに嫌われることした?」
「…………Think for yourself」
何となく面白くなくて、そう返答した。
◆
「なるほどね、私の異能は『精神攻撃の無効化と反射』といったところかしら?」
膝ですやすやと寝息を立てるリンに気を配りながら茶子はアニカの推理を聞き、首肯して納得するそぶりを見せた。
昼食をとっている最中、茶子がリンの飲み物にこっそりと砕いた精神安定剤を混ぜて飲ませた結果だ。
食事が終わり、後片付けをしている途中でその効果は発揮され、茶子に眠いと訴え、甘えてきた。
要望に従い、茶子が膝枕をしてぐずるリンを宥めて眠らせた。
リンは未だ善悪の区別化つかない子供。彼女にとっては自分の保護者である虎尾茶子が良し悪しの基準。
茶子が白といえばリンにとっても白。その逆も然り。茶子と己に逆らうものは全て「悪い人」なのである。
その上、彼女の異能も自身に庇護欲を植え付ける魅了――否、洗脳に等しい強力なもの。
故に眠らせた。これから行われるのは会議。場合によっては茶子が不利になることもあるだろう。
その時、リンが暴走して何もかもがご破算にされてしまう可能性が高い。
幸いにも彼女は幼い子供であるため、「ご飯を食べたら眠くなっちゃった」と突然襲ってきた睡魔に何の疑問も持たずに眠ってくれた。
「確かにそれならリンちゃんが私に異様に懐いていた理由にもなるし、筋が通っている分納得もできるわ」
「Suspension bridge effecやimprint effectでアナタに懐いていたことも考えてたけど、不自然な点があったもの。
それは説明したから大丈夫よね?カナタ、確認のためにもう一度話してもらえるかしら?」
「ああ、確か俺達がうさぎちゃんの出した馬に乗って諒吾くんちに向かっていた時、正確には茶子姉に出会った直後だったよな。
茶子姉は暗い表情をしてたけど、リンちゃんはそんな茶子姉を安心させるように手を握っていた。あの時からそんなところまで見ていたのか?」
「Of course。コールドリーディングとホットリーディングは情報収集の基本よ。今回は仕草から推理を行うコールドリーディングだけどね」
ふんと鼻を鳴らして茶子を見やる。アニカの不遜な行動に茶子の片眉がほんの僅かに吊り上がる。
「他にもあったでしょ。カナタ、続きを話して」
「お、おう。リンちゃんと茶子姉が離れた時の表情の違いもあった。茶子姉は安堵した表情を浮かべてたけどリンちゃんは今にも泣きそうな顔してた。
アニカはそこにも違和感を感じていた。アニカ、これでいいんだよな?」
「Yeah、続けて」
「リンちゃんの異能を俺達が実際に受けてみて、確信に変わった。俺が異能を受けた時はメンタルが弱っていたこともあって解除に手間取っていた。
次に茶子姉が受けた時は違う。平然としていたどころか、むしろ逆にリンちゃんの方が今まで以上に茶子姉にべったりとくっついていた」
「That's right。それが決定打になったわ。それでMs.チャコの異能が『Mental attack reflex』だという結論に至ったの。
私が説明してる時は疑わしそうに見ていたから、カナタに説明してもらったの。どう?これで納得してもらえた?」
「…………ええ、『納得』したわ」
アニカと茶子の間の冷え切った空気は周囲に伝染し、哉太は初夏にも関わらず寒気を感じて身を縮こませた。
そんなことも露知らず、リンは茶子の膝で幸せそうな表情で涎を垂らして眠っていた。
「まあ、自分の手札を知れたことはプラスね。感謝するわ、アニカちゃん」
「You're welcome。前置きはここまでにしましょうか」
上面だけの感謝のやり取りが終わり、冷え切った空間はそのままで空気が張り詰める。
「それじゃあ話し合いを始めましょうか」
「Yeah。まずは情報交換ね」
◆
「そっちはあの『太った赤ちゃん』と六紋名人が言っていた『隻眼のヒグマ』との戦闘があった、と。犠牲者がゼロだったのは奇跡ね」
「Ms.チャコの方はトリガーハッピーのVice copに捕食した相手に擬態するWild Girl――アナタは
クマカイといっていた子とMr.ウノと出会っていたのね」
「そ。あのクソ警官はザコだと油断して痛い目見たけど、クマカイは追い払ったわ。それとロリコン親父はリンちゃんを保護することを優先したわ」
情報交換はスムーズに行われた。共有された情報はVH発生から現在に至るまでの経緯全て。ただ、リンの素性についてだけ、茶子は言葉を濁した。
「銃キチ警官、やっぱりトチ狂ってたのか。あの豚野郎と同類じゃないか……」
「そうね。Cappy shotだとしてもInvisible bulletは脅威よ。それとクマカイの方も危険ね。Ms.チャコ、対策はある?」
「ええ。あの子は人間の姿をしていたけど本質は獣そのものよ。このVHで多少言葉を覚えていたとしても偽物か見分けるのは簡単よ。貴方達なら気づくでしょ?
それから、私は貴方達の言った袴田邸に訪れた人達、特に月影夜帳と碓氷誠吾が気になるわ」
「あの二人がか?小田巻サンじゃなくって?」
互いに出会った正常感染者について話し合っている中、茶子から唐突に名前が出された二人。哉太と同様にアニカの頭にも疑問符が浮かぶ。
月影は薬剤師という医療関係者として自分達に真摯な対応をしてくれた。碓氷はリスクを承知で小田巻を庇った気高い理想家な教師だと認識している。
両者ともアニカと哉太は悪い感情を持っていない。むしろ好意的ですらあった。
「まさか、茶子姉―――」
「そんな訳ないでしょ。上っ面だけのクズなんてこっちから願い下げよ」
「…………その信用できないという根拠を聞かせてもらえる?」
勝手に青ざめて勝手にほっと息をつく哉太は放っておき、アニカは問題に切り込む。
探偵少女の問いに暫定危険人物は小馬鹿にするようにふっと鼻を鳴らす。
つい先程の意趣返しのような態度にアニカはむっとする。
「『まず自分を疑え』」
「何よそれ?」
「私の知り合いの言葉よ。出会った時点でお得意のコールドリーディングを使わなかったのかしら?
私の異能を推理したくらい有能なら、視線の動きや声の調子、他の僅かな動きでも彼らの人物像を掴めると思ったんだけど見込み違いだった?
それとも、おねむだったから疑うことから始めるのを忘れてたの?」
「~~~~~ッ!」
神経を逆撫でするかのような言い分にアニカは声にできない唸り声を上げて茶子を恨めし気に睨む。
その様子に茶子は心から楽しそうに見返す。
居心地の悪い空気が更に悪化する。なんとか仲裁するために哉太は二人の間に入る。
「お、おい落ち着けよ二人とも。茶子姉はこんなちんちくりん相手に大人げないぞ。
アニカも茶子姉が性格悪いのは伝えたろ?こんなのの陰湿な嫌がらせに付き合ってたら―――」
刹那、ちゃぶ台に立てかけてあった箸置きからフォーク二本が飛び、哉太の頬を掠めた。
一本目はアニカの異能によるもの。哉太の頬のガーゼを剥がして背後の壁にぶつかり、地面に落ちる
二本目は茶子が投擲したもの。もう片方の掠めた頬に一本傷をつけた後に背後の木壁に突き刺さった。
「Why?」「あ"?」
「何でも……ない、です。ごめんなさい……」
仲裁はならず。気の強い女二人の一睨みに少年は身を縮ませた。
「とりあえず話を戻しましょうか。私から見た二人の人物像について話すわね」
「Got it」
「まず一人目は碓氷誠吾。彼はこれまで多くの女性と関係を持ってきたけど、どれも一年以内に破局しているわ。相手側からフラれる形でね」
「That's all?裏付けとしては薄いわ。それくらいのスキャンダルで――」
「浮気とか、彼自身に全て原因があるとしたら?」
その言葉で反論が止まる。修羅場から殺人事件に発展した事件はアニカも推理したことがある。
事件の内の何件かは相手の軽薄さによって殺人事件に発展したケースだった。
容疑者に問題がある場合は被害者に非を擦り付け、被害者に問題がある場合は聞き込みの最中で彼(または彼女)の爛れた話をよく聞いていた。
特に容疑者側に問題があるとする場合は、悪びれずに何食わぬ顔でアリバイを説明するパターンが多かった。
日常なら心底軽蔑するだけで済む話だが、現状ではそうはいかない。甘言で人の弱みにつけ込んで味方にする可能性が高い。
尤も、碓氷清吾が彼女の言う通りの人物像であるのならばの話だが。
「………なあ、茶子姉。なんでそこまで碓氷先生の事を知ってるんだ」
「ああ、それね。何か月か前に合コン(バイキング)で泥酔させた時にゲロと一緒に吐いてくれたのよ」
「…………お代は?」
「払うと思う?」
「…………だよな」
(うーわっ)
アニカは内心で茶子の性格の悪さに軽蔑する。同時に茶子に感じるのは違和感。
茶子が碓氷と合コンに行って泥酔させたのは本当だろう。男たちに奢らせて悠々と自宅に帰ったことも確実。
彼女の語る碓氷の人物像にもそれなりの説得力がある。部分的には本当のことを喋っていたと感じる。
その上で言おう。彼女は嘘をついていた。
彼の悪い噂は袴田邸の面々――特にはすみからは聞いたことがない。
気喪杉禿夫のような吐き出す言葉も行動も最悪な存在ならば瞬く間に広まって然るべきだが、同じく新参者の彼の悪評は広まっていない。
茶子は未来人類発展研究所山折村支部の村の出入りを監視する職員。であるのならば就任した碓氷誠吾のことも調べていた筈だ。
茶子は碓氷の悪評を事前に知ってた故に現状で危険視していたという結論に辿り着いた。
「どうしたの?アニカちゃん」
「It's nothing。次はMr.ツキカゲが怪しいと思える根拠を話してもらえるかしら?」
「そうね。彼は総合診療所勤めで人付き合いが全くなくて何を考えているのか分からない人間……といったところかしら」
「全く根拠になってないじゃない」
「最後まで聞きなさい。それで、アニカちゃんは彼を観察して話を聞いたの?」
「………してなかったわ」
「でしょうね。お子様らしくおねむだったものね。スルーしてあげるわ」
茶子の呆れた声にアニカは羞恥と怒りを同時に感じ、顔を紅くして俯いた。
再び冷えた空気に触れた哉太は思わず腹を抑えた。リンは茶子の膝で幸せそうに寝息を立てている。
「二人とも、この村で三人の女性が殺された連続札殺人事件を知っているかしら?」
「………知らないわ。カナタは?」
「俺も初耳だ……」
「でしょうね。哉くんが上京した後の事件だもの。遺体の首には噛みついた傷跡――血を吸った跡があったから吸血鬼が引き起こした事件と言われているわ」
オカルトという風言風語なゴシップに怪訝な表情を浮かべ、茶子に鋭い視線を送る。
アニカにとって月影夜帳はパートナーの哉太を医療従事者として診てくれた大人。
協力者とはいえ目的が掴めない茶子よりかは何倍も信頼ができる。
「……Mr.ツキカゲはHealthcare workerとして事態収束に協力してくれたわ。
ゴシップだけで彼を有罪判定するのは冤罪ではないのかしら?」
「誰も彼が犯人だとは言ってないわよ。聞き取りをしていない以上、注意しろって言ってるの。
こんな異常事態だし素性のしれない人間が突然欲望を剥き出しにしてくる可能性もないわけじゃない。
医療関係者というレッテルやこれまでの善行が免罪符になるとは思わないことね」
「………………Got it」
感情では納得していないが、反論を飲み込んで押し黙る。
他ならぬ茶子が先入観によって重傷を負い、自分達も死にかけた。
月影を除く袴田邸にいた他の面々は信用も信頼もできる。それはアニカ自身が会話をして観察したからだ。
疲労を言い訳に月影と碓氷に対して観察をしていなかったアニカに非がある。そこを詰った茶子を責めるのはお門違いだ。
「だけど言い方ってものがあるんじゃない?」と茶子に対しての苛立ちと不満が溜まり続ける。
「じょ……情報交換はここまでだな。それじゃあ次は今後の――」
「Hang on!カナタ、まだ終わってないわ。まだMs.チャコに聞きたいことが残っているの!」
女同士の言葉の殴り合いが落ち着いたとみて次に進めようとする哉太にアニカは待ったをかける。
冷えた空気に晒され、げっそりとした哉太と薄笑いを浮かべていた茶子が怪訝な表情を浮かべてアニカを見た。
視線が集まったのを確認すると、床に置いたショルダーバッグから有磯邸から拝借した瓶詰を円卓上に置く。
卓上に置かれた『それ』を視認した瞬間、茶子は僅かに顔を強張らせた。
「これはなんだ?」
「…………Mr.ウノから逃げて隠れた家で見つけたスムージードリンクよ」
疑問を口にした哉太が改めて茶子の表情を伺うと彼女の違和感に気づく。
その正体を茶子に研いだ出す間にアニカが口を開いた。
「これはチャービルやサフランといった高級ハーブをブレンドしたスムージードリンク。
Millionaireの間では密かなブームになっている高い疲労回復効果のあるドリンクなの。
会員制のサイトでしか取り扱ってなくて実物を知るまで単なる噂としか私も思ってなかったわ」
「じゃあ、これは……」
「そう。たまたま転がり込んだ家がOrder sourceだとは思ってなかった。あったのは賞味期限が一年前のこれだけだったけどね。
発注書もあったけど持ってこれなかったのは私のミス。でもShipping addressに山折村の住所、それも怪しいところがあったから覚えておいたわ」
「…………例えば?」
「診療所の裏手、アサノ雑貨店、High school近くのPublic square裏手。個人発注者で言えばMr.コロシアイ、Mr.アサカゲ―――」
「――――分かった。いいよ、あたしの負けだ」
アサカゲという名前を出した瞬間、茶子は悍ましい程酷薄な笑みを一瞬浮かべ、すぐに感心したようなへにゃっとした笑顔を浮かべて軽く両手を上げた。
女言葉も同時に止めていたことから少し乱暴な口調が彼女の素なのだろう。
スムージードリンクについては思い切り嘘をついた。村に固執する彼女としては哉太にこれ以上、村を嫌いにならないで欲しかったのだろう。
茶子を慮ってではない。恩を売り、情報を少しでも引き出しやすくするためだ。
「茶子姉もこれ、飲んでいるのか?」
「飲むわけないじゃん、こんなクソまずそうなやつ」
このやりとりで少なくとも茶子はアニカに対する心象を改めたようだ。明らかに砕けた口調で哉太と会話をする。
話の内容察するに彼女は麻薬売買を知っていたが関わってはいない。歪みとやらの撲滅を狙っていた彼女は『これ』も秘密裏に潰すつもりだったに違いない。
リンに対する女口調は教育上、汚い言葉はよろしくないと茶子自身が判断したからと推察できる。
まあ、だからといってアニカ個人が茶子への心象を回復させたわけではないのだが。
「いいよ、アニカちゃん。どうせ方針を話し合う前に離すつもりだったし。教えてあげる」
茶子は立ち上がるが否やクローゼット近くまだ歩くと床下を開き、カチカチと金庫のダイヤルロックを回す音を鳴らす。
ガコンと鉄の重音の後に茶子はそこから何かを取り出す。金庫らしきものと床下の収納庫を閉じると戻り、ちゃぶ台の上に何かを置く。
「これは……カード、でいいのかしら?」
「うん。これは研究所職員に配布されているIDパス。あたしはバイトとは言え汚れ仕事をやっている業者だしレベル2のカードキー渡された」
「そりゃそっか。L1とL3は?」
「L1は何も知らない下っ端。L3は研究所に頭までどっぷりつかった連中用だ。誓約書を書いて個人情報の大半を渡せば日常生活に戻れるのはL2までだね」
平然と言い放つ。研究所に関わったら最後、生涯彼らに命を狙われるというリスクが付き纏う。
茶子はこのリスクを飲み込んで研究所と関わっていたのだろう。彼女自身が歪んでいるとはいえ、恐ろしい執念だと戦慄する。
「それで、このクソまずスムージーの発注先だったね。
まず浅野雑貨店はあたしら汚れ仕事専門のバイトの詰め所。情報持ってる店主はクソで品揃えもクソ。店主がどこほっつき歩いてるが分からない以上寄る価値なし。
診療所裏は第一研究所の緊急脱出口。メインで実験が行われたとするならばそこだ。あそこに侵入するには必ずIDパスが必要になる」
ごくりと息を呑む。事態収束の糸口を漸く掴んだ。
現在地からは相当離れているがカードキーが手に入った以上、すぐにでも向かうべき場所だ。
「―――広場裏が資材管理棟。管理事務所の隠し扉にL2パスで起動する地下行きのエレベーターがある。キミたちは資材管理棟の調査に行って欲しい」
虎尾茶子の依頼は諸悪の根源たる第一実験棟の調査ではなく、ここから近い資材管理棟の調査。
疑問を一瞬だけ感じたが、すぐに答えへと辿り着く。
「そこに、何かがあるんだな」
自分が答える前にパートナーの剣士が言葉にする。
茶子の答えは肯定。神妙な面持ちで首肯した。
「そう。第一実験棟に行けば
ヤマオリ・レポートなんて目じゃないほどの情報が山ほどあるだろう。
どのような手段にせよ、そこに向かって解決の糸口を探すのが一番手っ取り早い」
「でも、それだけじゃ駄目ってことね」
「…………どういうことだ?」
女王を殺すかウイルスへの対抗策を見つけるためには、全員で第一実験棟に向かった方がいい筈だ。
哉太の疑問に答えるためにアニカが口を開く。
「何でdestruction of evidenceのために特殊部隊が派遣されたと思う?
彼らが派遣されたことを私達が認知した以上、事態を収束させても正常感染者が皆殺しにされる可能性があるわ」
「思考停止して女王を殺せば解決すると思いこむなんざ愚の骨頂だ。研究所連中の裏をかかなきゃ未来は真っ暗」
最悪の可能性を口にして身が竦む思いがした。哉太も同様に顔を強張らせる。
「その鍵が資材管理棟にあるかも知れないってことだな?」
「うん。研究所連中にも方針に反感を持っている人間がいてね、そいつが管理されている部屋が資材管理棟にある」
「管理って……人間をモノ扱いなの?!」
「そ。情報を外に持ち出した以上、彼は裏切り者だ。知的財産泥棒による誘拐っていう情状酌量があったから生かされている。
あたしは彼の窓口だ。診療所までの送迎や必要物資の提供を行っていた。ま、研究所にもムカつくところがあったから敢えて見逃していた所もあったけどね」
しれっと
研究所への反感を口に出す茶子。現状ならともかくそれ以前から嫌悪感を持っていた理由が分からない。
隣りの哉太を見ると妙に納得した顔をしていた。何故か何となく苛立ちを感じた。
「それで、彼の名前は?」
「彼の名前ね。それは―――」
――――未名崎、錬。
◆
『必要になりそうな物、揃えておいたよ。後で確認してね』
『ああ』『All right』
『それと、お弁当作っておいたよ。長丁場になるから途中で食べな』
『Thanks。それでMs.チャコはこれからどうするの?』
『あたしは別にやることがある。リンちゃんを連れて袴田邸に行った後、寄り道をして最終的には診療所に向かうとする』
『なあ茶子姉。爺ちゃんに言ってた祭りの目的とか土着信仰とか気になってたんだが』
『ああ、それね。村ができたきっかけが碌でもないものでしたっていう与太話だよ。爺はそれで村が傾くとか思ってたらしい。
まったく、価値観がアップデートされてない老害ほど迷惑なもんはないよね』
『私からも最後に良い?』
『手短にね』
『――――青い髪の、ハルカっていう女性を知っているかしら?』
『アニカ、それは……!』
『―――残念だけど、知らないね』
◆
均され、舗装された林道を一台の自転車が疾走する。
操縦者は黒い髪の少年、八柳哉太。リアキャリアに乗る少女は天宝寺アニカ。
帽子が飛ばされないように異能で押さえながら、振り落とされないように必死で哉太にしがみつく。
棚引く長い金髪は追走する一条の光のよう。
「…………カナタ」
「舌噛むぞ。何だ?」
「Ms.チャコは、Ms.ハルカの事を知っている可能性が高いわ」
「…………そうか」
ハンドルを握る哉太の手に一層強く力が籠められる。
「カナタ、もしかするとMs.チャコは的になるかもしれない」
「…………その時は、俺が何としてでも止める」
翻弄されて揺蕩うばかりであった探偵と助手。
それでも激流に流されるばかりではない。苦悩に耐えて漸く歩き出す。
光明か、暗雲か。彼らの行きつく先は未だ知れず。
【B-7/森林地帯・林道/一日目・日中】
【
八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、左耳負傷(処置済み・再生中)、疲労(中)、精神疲労(中)、悲しみ(大)、喪失感(大)、マウンテンバイク乗車中
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト、マウンテンバイク
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.アニカを守る。
2.資材管理棟へ向かい、「未名崎錬」から情報を得る。
3.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
4.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
5.念のため、月影夜帳と碓氷誠吾にも警戒。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
【
天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、疲労(小)、精神疲労(小)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、決意、マウンテンバイク乗車中(二人乗り)
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、登山用ロープ、医療道具、マグライト、ラリラリドリンク、サンドイッチ
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.資材管理棟で情報をGetするわよ。
2.「Mr.ミナサキ」は無事かしら?
3.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
4.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
5.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。一応、Mr.ウスイとMr.ツキカゲにもね。
6.私のスマホはどこ?
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
◆
見る影もない程崩れ去った山折神社。そこに魔を払う宝剣――実際には鳥獣慰霊祭に使われる儀式用の件――が奉納されていた祭具殿の前に茶子は立っていた。
「…………」
宝剣が飾られていた背後の壁が別の木材で作られている。学生時代、茶子がはすみの家に来た時から違和感を感じていた。
指摘しようとしても、怪しまれると感じて追及するのを止めていた。
この異常事態がなければ誰もが厳かな雰囲気に吞まれてしまい、謎を暴くのを止めると思う。
恐らくこの違和感に気づいて暴く例外があるとすれば、探偵か、特殊部隊か、特務機関や諜報機関のエージェントくらいであろう。
腰から頑強な鈍らを抜いて、一閃。木製の壁は二つに分かれ、隠し通路を暴いた。
奥はつい数時間前に訪れたように仄かな明かりが漏れており、歪な神聖さを感じる。
半分になった壁を乗り越え、奥へと突き進む。
しばらく歩いた後、そこには小さな影一つ。
「……………即身仏か」
陰陽師と思われる式服を纏った小さな木乃伊。それに抱えられる小さな宝箱の様な箱。
崩れないように丁寧に箱を木乃伊から取り出す。
鍵穴らしき場所にピッキングツールを差し込んで動かす。想像以上に呆気なく箱が開いた。
中にあったのは、一冊の羊皮紙写本。十世紀以上時間が経過したとは思えない程整っていた。
何気なく、ペラペラと頁を捲り、流し読みをすると―――。
「――――ふ」
口角を吊り上げ、嗤う。
◆
「チャコおねえちゃーん!まってたよー!」
「おっと、ごめんね。待たせちゃった」
ハーフパンツ姿の少女――茶子の古着に着替えたリンが茶子の胸に飛びついた。
胸に頭をグリグリと押し付けて甘えるリンの頭をめい一杯撫でる。
哉太達と別れた後、眠るリンを背負って、山折神社まで戻ってきた。
祭具殿のカーテンを簡易的な毛布としてリンにかけた後、書き置きを残したのだ。
「アニカおねえちゃんとカナタおにいちゃんは?」
「二人は別のお仕事があるから別れたのよ」
「そっか。ねえチャコおねえちゃん」
「なあに?」
「リンのこと、たいせつ?」
「ええ、大切よ」
「そっか、カナタおにいちゃんたちよりも?」
「同じくらい大切よ」
「…………そっか」
取り留めのない会話をしながらリンを背負って駐車場へと足を進める。
倒れているスクーターの中から自分のもの――数日前に置きっぱなしにしていたもの――を見つけて起こす。
リンにヘルメットを被せて落ちないように補助ベルトを着ける。茶子もヘルメットを着けて、スクーターのエンジンを吹かす。
「リンちゃん。お話してあげよっか?」
「ききたーい!」
元気よく答えるリンに思わず笑みを零す。
この子は過去の写し鏡。名も知らぬ誰かに救われたという自分のIF。
リンは自分のようになって欲しくない。本心から茶子はそう思う。
これからの彼女には「ああ、そんな話もしてくれたっけ」という程度の思い出になるかも知れないけれど。
山折村の民話に羊皮紙写本に記された『降臨伝説』の真実を付け加えてアレンジした話を聞かせてあげよう。
「昔々、この村には名前がなくなって「巣くうもの」なってしまったお化けがおりました。
そのお化けは元々、村に昔から住んでいた巫女さんだったのです。巫女さんは天国に行けず、たくさんのお化けが集まって名前も忘れてしまいました」
「かわいそう……。ねえ、チャコおねえちゃん、そのみこさんのなまえはなあに?」
「その名前は―――――
いのり。『隠山祈(いぬやまのいのり)』っていうの」
【A-4/山折神社・駐車場/一日目・日中】
【
虎尾 茶子】
[状態]:異能理解済、精神疲労(小)、山折村への憎悪(極大)、朝景礼治への憎悪(絶大)、八柳哉太への罪悪感(大)、スクーター乗車中
[道具]:ナップザック、長ドス、木刀、マチェット、医療道具、腕時計、八柳藤次郎の刀、スタームルガーレッドホーク(5/6)、44マグナム弾(6/6)、包帯(異能による最大強化)、ガンホルスター、ピッキングツール、飲料水、アウトドアナイフ、羊紙皮写本、スクーター、ヘルメット、他にもあるかも?
[方針]
基本.協力者を集め、事態を収束させ村を復興させる。
1.有用な人材以外は殺処分前提の措置を取る。
2.一先ず袴田邸に向かい、使える人員が残っていれば手駒にする。
3.寄り道をした後に山折総合診療所へ向かう。
4.八柳哉太と天宝寺アニカを資材管理棟へ派遣し、情報を集めさせる。
5.リンを保護・監視する。彼女の異能を利用することも考える。
6.未来人類発展研究所の関係者(特に浅野雅)には警戒。
7.朝景礼治は必ず殺す。最低でも死を確認する。
8.―――ごめん、哉くん。
[備考]
※未来人類発展研究所関係者です。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※天宝寺アニカらと情報を交換し、袴田邸に滞在していた感染者達の名前と異能を把握しました。
※羊皮紙写本から『降臨伝説』の真実及び『巣食うもの』の正体と真名が『隠山祈(いぬやまのいのり)』であることを知りました。
※神社から何かを持ち出したのかもしれません。
【リン】
[状態]:異能理解済、健康、虎尾茶子への依存(極大)、スクーター乗車中(二人乗り)、
[道具]:メッセンジャーバッグ、化粧品多数、双眼鏡、缶ジュース、お菓子、虎尾茶子お下がりの服、子供用ヘルメット、補助ベルト、御守り、サンドイッチ
[方針]
基本.チャコおねえちゃんのそばにいる。
1.ずっといっしょだよ、チャコおねえちゃん。
2.かぜがきもちいー!
3.チャコおねえちゃんのおはなしをきく。
4.うそつきおおかみさんなんてだいっきらい。
5.またあおうね、アニカおねえちゃん。
6.チャコおねえちゃんのいちばんはリンだからね、カナタおにいちゃん。
[備考]
※VHが発生していることを理解しました。
※天宝寺アニカの指導により異能を使えるようになりました。
最終更新:2024年01月09日 15:44