静寂に包まれていた地下世界に到達を告げるエレベータの音が響いた。
音もなく開いたエレベータの扉の先に広がるのは、白く輝くような清浄な空間であった。
その到着と同時にエレベータの中から銃を構えた2名の特殊部隊員が飛び出していった。
それはまるで白を汚す黒い風のよう、波乱を齎す暴の嵐が研究所内に吹き荒れてゆく。
村の深層に降り立った2人の特殊部隊が素早く通路の様子を確認する。
白衣を着たゾンビが数名彷徨うように屯しているのを確認。
「標的を確認。12時方向の通路に3、9時方向の部屋に2。伏兵を警戒し処理を開始して下さい」
「了解」
標的を確認した彼らは、弾丸を節約すべく装備を剣ナタとナイフに持ち替えた。
そして連携の取れた動きで互いの死角を補い合いながら、白兵戦でゾンビの喉を切り裂いて行く。
連携を取った特殊部隊がゾンビごときに後れを取るはずもなく、白衣を着たゾンビたちは次々と駆逐されていった。
視界内全てのゾンビの全滅を確認して「クリア」と一人が報告すると、別方向を確認したもう一人も「クリア」と返答した。
「入ってきていいですよ」
通路とエレベータ正面にあった休憩室のクリアリングが完了させ、指揮を執っていた特殊部隊の天がエレベータ内に呼び掛ける。
その呼び声に、一時的にエレベータ内を避難所として待機していた碓氷とスヴィアの2人が研究所に足を踏み入れた。
「惚れ惚れするような見事な手際ですね」
「どうも」
碓氷が特殊部隊の手際を褒めたたえるが、ただのおべんちゃらの世辞と言う訳でもない。
いくら相手がゾンビとは言え、これほど短時間で効率よく排除できるのは異常だ。
平和な国ではまずお目にかかる事のない殺しの技術。素人とは隔絶した殺すために修練を重ねた軍人の動きである。
敵対すれば碓氷など一瞬でゾンビと変わらぬ末路を迎えるだろう。
「それでは一部屋ずつ確認していきます。何があるかもわかりません。ゾンビ以外の警戒を怠らないように」
「お待ちください、少々よろしいでしょうか」
行動を開始しようとした所に、待ったをかける声があった。
碓氷だ。
「何でしょう?」
「スヴィア先生の体調がそろそろ限界のようです。これ以上連れ歩くのは厳しいかと」
言われて、スヴィアの様子を見れば、顔を青くして苦しそうな呼吸を繰り返していた。
応急処置を施したモノの彼女が負った傷は深く、そう簡単に回復などするはずもない。
ふむと僅かに天は考え込む。
彼女にはウイルス解析という役割がある。まだスヴィアに死んでもらっては困る。
無理に連れ歩くよりも安楽椅子探偵が如く、調べた成果を分析して貰った方がよさそうだ。
「ではフロアの確認と安全確保は私と小田巻さんで行います。お二人は休憩室で待機しながら、エレベータを監視してください。
エレベータが動き始めたら即座に我々に知らせてください」
「了解しました。お待ちしております」
既に工法はクリア済みだ。少なくともゾンビに襲われることはない。
安全の確保された休憩室に2人を残し、特殊部隊の2人はその横にある仮眠室の扉を開いた。
中にいたゾンビを手際よく駆逐して行き、あっという間にクリアリングを完了して、室内の調査へと移る。
「乃木平さん。誰かがいた痕跡がありますね」
仮眠室を調査していた小田巻がそう報告する。
言われて、天も仮眠室のベッドを確認してみれば、そこには確かに誰かが寝ころんでいたような凹みがあり、周囲に読み散らかし様に書物が散らばっていた。
小田巻がベッドのシーツに触れてみると、ほんのりとだがまだ僅かに熱が残っていた。
「ゾンビではないようですね。体温のないゾンビが寝転んだところでこうはならない」
ウイルスを異常発生させたゾンビは代謝の低下により体温が落ちる。
僅かでも体温が残っている以上、ここで眠っていたのは生身の人間であるという事になる、のだが。
「では。つまり、こういう事ですか?
研究所を訪れておきながらゾンビの彷徨い続ける仮眠室で呑気に寝転びながら読書をして過ごしていた輩がいた、と?」
「まぁ…………そうなっちゃいますね」
小田巻が私に言われてもと言った風に不満げに答えるが、状況証拠から言えばそうなる。
だが、最重要施設を訪れておきながら、そんな訳の分からない行動をする人間が存在するとは思えない。
と言うより、いるはずがない。
何らかの陽動。
そう考えるのが自然であり、天もそう結論付けた。
「ともかく……我々よりも先に研究所に到達した何者かがいるのは確かなようですね。注意しましょう」
発生から12時間も立たない間に、最重要拠点である研究所に潜入した何者かがいる。
それだけは確かなようだ。
これ程迅速に行動を起こせるのは素人ではあるまい。
だが、ハヤブサⅢは自身と交戦の後に成田と交戦して、その狙撃から逃れたと聞いている。
それが先んじて研究所に辿り着いた、と言うのは流石に考えづらい。
そうなると第一候補として考えられるのは、その相棒であるブルーバードだ。
ハヤブサⅢが万能型のエージェントだとするならば、ブルーバードは戦闘特化のエージェントである。
特殊部隊と渡り合えるハヤブサⅢがそう呼ばれていない、と言う所から戦闘特化という言葉の恐ろしさも伺えると言うもの。
天の想像力では大田原や吉田を超える人間と言うのが想像しづらい所なのだが、そのレベルがいると想定するなら相当に警戒レベルを上げる必要がある。
仮眠室を出て、次は突き当りの資料室へと移った。
これまで以上に慎重な動きで、部屋へと侵入するがここにもゾンビしかいないようだ。
「ここにも人のいた痕跡がありますね」
地震で倒れた本棚を雑に立て直したような痕跡があった。
恐らく、仮眠室のベッドの周囲に転がっていた書物は、ここから持ち出したモノだろう。
やはり何者かが地震が起きた後にこの研究所を訪れたのは間違いない。
それに研究所を調べるような動きからして、研究所の関係者ではないのは明らかだ。
だが、分からないのは、あまりにも動きが素人臭さすぎる。
いや素人にしても酷い。雑すぎるのだ。
一般人を装う偽装工作かと思ったが、この研究所にたどり着いている時点で常人ではないのだ。
そもそも一般人を装う必要性などどこにもない。
何者が、何のために?
こうして思考を乱すことこそが目的なのだろうか?
いくら考えたところで結論は出なかった。
今回の任務で天の常識の範囲は広がったが、それでも常識を超える存在もいる事を彼はまだ理解していない。
天たちはトイレ、備品倉庫と確認に移ってゆく。
トイレは死角が多くアンブッシュの危険が高まるが、幸いと言っていいのか隠れている輩やゾンビはいなかった。
地震直後にトイレにいた職員もいなかったようだし、ゾンビが催すこともないようだ。
続いて、安全確認の終えた備品倉庫の中身をチェックしていく。
備品倉庫は地震の影響で悲惨な有り様になっていたがゾンビはおらず、静かな物だった。
落ちている備品をチェックしていくが不審な物はなさそうである。
医療系の備品は見られるが、違法な薬品や薬物も見られない、ごく一般的な備品倉庫と言ったところか。
ひとまずスヴィアのために、治療に使えそうな幾つかの道具を徴収しておく。
そして足元に転がる備品を確認すると、雑に蹴散らされた跡があった。
その痕跡を辿って行くと、備品倉庫の奥にある扉の前にたどり着く。
扉には『配電室』と書かれていた。
「鍵がかかってますね」
「なら撃ち抜きましょう」
言うが早いか、小田巻はドアノブをライフル銃で撃ち抜いた。
そして蹴破るように配電室の扉を開く。
2人を出迎えたのは巨大な鋼鉄の箱だった。
箱の外観にはノブ、スイッチ、そしてLED表示が整然と並んでいる。
どうやらこの地下研究所における自家発電システムのようだ。
今も地下研究所の電気が生きているのはこのシステムのお蔭だろう。
そして、この配電室にあるのはそれだけではなかった。
「どうやら、通信ネットワークもここで管理されているようだ」
特殊部隊側が把握していなかった有線によるネットワーク回線。
つまり、遮断されていない外部への連絡手段がこの研究所にはあった。
ここにあるのはその証拠だ。
「バイオハザードが起きた後も、外部と通信を取っていたって事ですかね?」
「その結論を出すにはまだ早いでしょう。確認できたのは通信が可能だったと言う状況証拠に過ぎません。
実際にこれがバイオハザード発生後にも使用されたがはまだ断定することはできない」
少なくとも今の所分かっているのは可能だったという状況だけだ。
守秘義務を抱えた研究員が外部に漏らすとは考えづらい。
ありうるとしたら、研究所を訪れた謎の人物だが、まだ存在も確認できていないのだ、何らかの結論を出すには情報が足りない。
「どうします? すぐに破壊しますか?」
「いえ、まだ残しておきましょう。破壊するのはこちらの作戦を実行してからです」
任務を考えるなら即刻破壊すべきだ。
だが、放送の機能がどう繋がっているともわからない。
破壊するのは放送による呼び出し作戦を行ってからだ。
なにより、研究所の調査をするなら通信状況を自分の目で確認しておきたい。
「エレベータに動きがありました!!」
廊下を反響した大声が響く。
備品倉庫を出たところで、エレベータを監視していた碓氷から火急の知らせが届いたのだ。
その声に弾かれたように迅速に反応して、2名の特殊部隊は数秒と建たずエレベータ前まで到達する。
既に到達して今にも開かんとするエレベータに向かって銃を構えた。
天が暗号によって呼び出した特殊部隊の誰か増援として到着したのならいい。
だが、偶然あのキーを発見した招かざる客である可能性もある。
警戒は怠らず、運命の扉が開くのを待つ。
だが、ゆっくりとエレベータの扉が開いたその中には、誰もいなかった。
到達したのは無人の箱。
エレベータ内にはただの空虚が広がっているだけだった。
「上かッ!?」
瞬時に小田巻が銃口を上に向ける。
だが、それよりも一瞬早く、天井に張り付いていた影が小田巻に向かって飛びかかる。
引き金を引くよりも早く、襲撃者は突きつけられた銃口を払って、そのまま小田巻をその場に組み伏せる。
天は咄嗟にその襲撃者に銃口を向けるが、その動きを待ったをかける様な片手で制された。
「よぅ。小田巻。お前までいるとは思わなかったぜ」
「こ、こんにちは。真珠さん。お元気そうでなによりです」
マウントポジションで挨拶を交わす。
背後でその攻防を見守っていたスヴィアたちは状況について行けずあっけにとられていた。
状況を理解ている天はため息をつきつつ銃口を標的から外す。
「あなたに来ていただけるとは思ってませんでしたよ。黒木さん」
「おう。呼ばれて来てやったぜ。乃木平」
■
燦燦と太陽が照らす寂れた田舎の畦道を、少年少女を乗せた一台の自転車が進んでいた。
一見すれば、若者たちが自由と冒険を求めて旅立つ、青春ロードムービーのワンシーンのようだ。
だが、哉太とアニカ、彼らが辿る道筋はそんな甘美な物語とはかけ離れて、絶望と死が支配する地獄の道のりである。
彼らの乗る自転車は、地震で凹凸になった道を渡るたびに大きく跳ね、アニカの小さな体を乱暴に揺さぶった。
アニカの肉の薄い小ぶりな臀部が座っていたリアキャリアに打ち付けられる。
「Ouch! カナタ! もっとsafe driveで頼むわ!」
「急いでんだよ、無理言うな!」
彼らは元気に罵り合いながら道を急ぐように自転車を漕ぎ続ける。
ハンドルを握る哉太は風を切りながら、少しの間離れていた故郷の風景を見つめた。
まるでゴーストタウンを走っているようだ。
深夜に発生した静寂を打ち壊すような大地震が、少年の故郷を蝕んでいた。
地震で崩壊し、人々の生活の痕跡が消えた風景には寂寥感が漂っており、死の静寂が漂っている。
「……しっかし、見事に誰もいねぇな」
道中、彼らが出会ったのは死と絶望のみ。見かけたのは死体ばかりだ。
正常感染者は元より、道を彷徨うゾンビすら生きて目にかけることはなかった。
元々人気のなかった田舎町だが、このVH発生直後よりも明らかにゾンビは目減りしている。
異能者の戦いに巻き込まれて死んだ者や特殊部隊に処分された者もいるだろう。
そして何より、この辺は哉太の祖父である藤次郎の通り道だったと言うのが大きい。
正常感染者も異常感染者も区別なく、生き残りは少ない。
哉太の胸は、祖父藤次郎が犯した罪に対する罪悪感と、確実に滅んで行く故郷への哀愁で重く満ちていた。
もう、村は死んだようなものである
「この村にMr.ミナサキが捕らえられているっていうのはどういうことなのかしらね?」
死んでいく故郷の姿に胸を痛める哉太を気遣ってか、アニカが話題を変える。
「けど、この村の中に閉じ込められてるってことは、ゾンビになっているんじゃないか?」
「I agree,もちろんその可能性はあるわ。けど逆に言えば、そうでないのなら私たちにとってのHopeになる」
「どうしてだ?」
僅かに景色から視線を後方に逸らし、後部座席のアニカに問う。
「だって、閉じ込められた研究員がaccidental fitできた、なんて都合が良すぎでしょう?」
「ま、そんな偶然はなかなかねぇだろうな。そうかつまり、抗体があるかもって事か……」
もちろん村の正常感染者たちのように偶然適応できたという可能性もある。
だが、それは村にいた1000人の中から選ばれた数%だ。
たった一人の捕虜がたまたま適応できたというのは都合がよすぎる。
研究員たちは何らかの防御手段を持っていたのではないかと言う疑問の証明になるかもしれない。
「だったらこうしちゃいられねぇな、急ぐぞ!」
「wait! safe driveで……!」
アニカの抗議も空しく立ち漕ぎになった哉太が自転車を飛ばす。
ようやく見えてきた希望らしきものに向かって
そうして速度を飛ばした結果、2人を乗せた自転車は高校の裏手に広がる広場へと辿りついた。
改革派の影響が強い西部と異なり、東部は保守派の影響が強く開発の手が届いていない。
特にこの広場は人々の暮らす古民家群や田園地帯と異なり、ただ自然が広がる村の貴重な未開発地帯である。
広場の一角には、一見すると何の変哲もないプレハブ小屋があった。
その無機質な外壁は、自然の中でひっそりと存在感を潜めていた。
二人は自転車をその横に軽く寄せ、自転車から降りて足を地につけた。
「確かに目立たない村のedgeに置かれているようだけど、カナタは知らなかったの?」
「いや、ここに小屋のあったってのは知ってるけど、流石に中には入ったことはねぇな。
てっきり猟友会の倉庫かなんかだとだと思って近づかなかったんだよ」
学校裏手の広場と言う立地上、子供たちの格好の遊び場になりかねない場所だったが。
熊より恐ろしい猟友会のジジイどもを恐れて、村のやんちゃな悪ガキたちも近づかなかった。
まさか怪しげな研究室の関連施設だとは思いもしなかったが。
哉太の言葉を聞いていたアニカが、ふとプレハブ小屋の端に小さく刻まれていた管理者の名を示す小さな文字に目を留める。
「けど、ここに『山折総合診療所』って書いてるじゃない」
「ガキは見ねぇんだよ、そういう細かい所は」
言いながら哉太は脇差を取り出し、薄いスチール製の扉に向かって振り下ろした。
鍵を破壊した扉を開き、プレハブ小屋へと侵入を果たした哉太は荷物からマグライトを取り出し辺りを照らす。
空気が乾燥し、光が射し込む度に舞い上がる埃が幻想的な光を放つ。
案の定と言うべきか、小屋の中は地震で倒れた資材が無秩序に散乱していた。
「カナタ。lightをあっちの方に向けて」
後ろから室内を観察してたアニカの指示に従い、哉太はライトの光を動かした。
指定通りに照らし出された部屋の一角は僅かな違和感があった。
埃の積もり方が他と異なり、何かの跡が見える。
「頻繁に何かを動かした跡があるわ。カナタ。あそこのshelfをmove awayして」
「どけろって……お前簡単に言うけどさ」
棚を一つ移動させると言っても、こうも混然とした状態では棚に至るまでに倒れた資材を一通り片付ける必要がある。
結構な大仕事だが、力仕事は哉太の担当である。
文句を言ってもしかあるまい。哉太は倒れた資材を片付けながら棚の方へと進んで行った。
「ふぅ……終わったぞ」
「Good job.お疲れ様」
一仕事終え息をつく哉太。
それと入れ替わりに、露わになった隠し扉の前にアニカが移動する。
安全のため僅かに離れた位置からアニカが異能で扉を開ける。
すると、地下へと続く薄暗い階段が目の前に広がった。
階段は薄暗く、壁に映る彼らの影が、不安を増幅させた。
「行くぞ、足元に気をつけろよ」
「Yes, I know.」
哉太の言葉にアニカは頷き短く答える。
そしてライトを持った哉太の後に続いた。
ライトを手にした哉太を先頭に慎重な足取りで階段を下りてゆく。
地下1階分ほどの階段を降りると、茶子の言っていた通り、エレベータがひっそりと佇んでいた。
哉太が探るようにライトで照らすと、エレベータの脇にパスリーダーを発見する。
彼は手にしたL2パスをかざすと、落ちていた光が灯りエレベータは稼働を始めた。
「壊れてはいないみたいだな」
「electricityは非常用電源かしら?」
試しに呼び出しボタンを押すと、すでに本体は地上にあったのかすぐに目の前の扉が開いた。
地震直後という事もあり、エレベータに乗り込むには勇気がいるが、先んじて哉太が乗り込んだ。アニカもそれに続き扉が閉じる。
2人を閉じ込めた地下へと繋がる箱が静かに動き始めた。
そうして地下に到着したエレベータの扉がゆっくりと開く。
エレベータから下りた先には、等間隔に配置された無機質な扉が長い通路の左右にずらりと並んでいた。
それらは冷たく、まるで罪人を閉じ込めるための囚人房のようだ。
通路は無用な物がなく極めて整然としており、地震の影響はほとんど感じられなかった。
「ここも戦時の実験場をdiversionしているのだとしたら、かつては人体実験の被験者たちをmanagementしていた場所なのでしょうね」
「けっ。だから、資材管理棟かよ」
アニカは静かに呟いた推察に、哉太は舌打ちを返す。
人間は人体実験の資材だった。
人々がただの『資材』として扱われていた事実に、明らかに不快感を抱いているようだった。
「……ったく。俺のいない間にどうなってんだよこの村は」
「Ms.チャコの話からすると、カナタが気付いてないだけで前からこうだったようだけどね」
愚痴めいた軽口を叩きながら二人は資材管理棟を奥へと進む。
左右に並ぶ扉を眺めながら目的である『未名崎錬』の監禁されている場所を探すことにした。
だが、扉は無数に並んでおり、一つ一つ調べていてはどれほど時間がかかるのか分からない。
「こんなのどっから探しゃいいんだ……?」
「It's over there」
そう不安に思っている哉太をよそに、アニカがあっという間に目的の場所を見つけた。
大部分の房は空っぽだったが、しっかりと施錠され中身が埋まっている部屋が一室だけあったからだ。
アニカの示したその扉の前まで移動する。
看守が中の囚人の様子を見るための物だろう、脱獄防止用の頑丈で厳つい扉には開閉窓がついていた。
互いに確認するように頷き合い、哉太が窓の蓋を開けると透明な強化ガラスが現れる。
そのガラスは人の頭より一回り大きく、その中の様子をはっきりと覗き見ることができるようになっていた。
小窓は大人の身長に合わせた位置にあるため、小柄なアニカでは中の様子を伺うのは難しそうである。
仕方なしに哉太がガラスに近づき中の様子を伺うと、中には一人の男が静かに座っていた。
「あんたは……!?」
閉じ込められた男の顔を見た哉太が意外そうな声を上げた。
そして、中に閉じ込められていた男もその声に気づき、俯いていた顔を上げて同じように驚いた声を返した。
「キミたちは、あの時の……」
互いに見知った顔だった。
身長差を補うため、やや離れたまで下がり、角度のある位置から窓をのぞき込んだアニカもその顔に気づいた。
「アナタは『テクノクラート新島』での」
偶然と呼ぶには出来すぎた再会だった。
その出会いは、哉太たちも巻き込まれた2か月前『テクノクラート新島』での大規模テロ事件での事である。
テロ事件に巻き込まれ、そこで怪我を負った哉太を治療してくれたのが彼だ。
医療従事者という話だったが、名前までは聞いていなかった。
見知らぬ人間の治療を行う善良な人間だったと記憶している。
「あんた、研究所の人間だったのか……」
「そう言う君たちこそ…………この村の人間だったのか。キミたちは研究所の人間ではないんだな?」
「ああ。むしろそれに反抗する人間だ。あんたの味方だと思うぜ」
「……そうか、それなら」
怪しい相手との邂逅に互いに警戒心を高めていたが。
一度顔を合わせているという事もあり、僅かに警戒心を解いたようだ。
「テクノクラートでは名乗ってはいなかったわね。私は天宝寺アニカ。そっちは八柳カナタよ。アナタが未名崎錬でいいのね?」
「あ、ああ。そうだが何故、僕の名を……」
突然現れた2人に事情を聴こうとした錬だったが、それよりも重要な事柄を思い出したのか振り払うように首を振った。
「いや、それよりも教えてくれ……! 外はどうなっているんだ!?」
ここに閉じ込められていた錬は、外の状況がまるで分かっていないようだ。
それでも何か異変が起きている事だけは感じ取っているのか、焦燥に駆られた様子で外から現れた哉太たちに外の様子を訪ねていた。
「気持ちは分かるがまずは落ち着いてくれ。アニカ、説明頼む」
「そうね。shareしておいた方がいいでしょう。村のcurrent situationを説明するわ」
そう言ってアニカが簡単に村の現状の説明を始めた。
村には研究所からのウイルスが漏れてバイオハザードが発生しており。
感染したゾンビと異能者で溢れ返っている上に、証拠隠滅のために送り込まれた特殊部隊の奴らが住民を殺しまわってる。
そう地上で起きている地獄を伝えた。
ゾンビや異能と言う呼称は聞き慣れない単語だったのか、時折疑問符を浮かべる様な表情をすることもあったが。
その話が進んでゆくうちに、錬は両手で顔を覆いワナワナと震え始めた。
「何と言うことだ……もう始まってしまったと言うのか…………!
頼む……僕を今すぐここから出してくれ! このままじゃ全てが手遅れになる!!」
世界の終りのように絶望した様子で、錬は哉太たちへと必死の形相で頼み込んだ。
だが、そう言われたところで哉太たちにはどうしようもない。
プレハブ小屋はともかく、さすがに監房の扉を破壊するのは難しいだろう。
「悪いが、房の鍵までは持ってないんだ。施設を探せばあるかもだけど……すぐにあんたを出すのは難しそうだ」
「そんなッ!? くそッ! どうして…………ッ!」
「calm down。落ち付いて。まずはソチラのcircumstancesを聞かせて」
幼ない少女が宥めるように諭す。
その言葉に僅かに落ち着きを取り戻したのか、冷えた頭でどうしようもない状況を理解したようだ。
「……わかった。事情を話そう。少しでも君たちの理解を得るために」
自分が出られない事を理解し、外に出れない自分の意志をアニカたちに託すように語り始めた。
「僕はキミたちと出会ったテクノクラートで、僕は研究所の特殊部隊に捕えられたんだ」
「アナタが捕えられたのはどうして?」
「研究所の方針と対立してね、研究成果を持ち出していたからさ。
志を同じくする同志たちも証拠隠滅のために殺された。長谷川部長率いる特殊部隊に」
「ハセガワ……? ハセガワと言うのは脳科学者のMs.ハセガワ?」
「ああ、彼女は研究所の脳科学部門の部長であると同時に、研究所の抱える特殊部隊も率いていたんだ。僕もその時に知った」
意外な所で意外な名こそ出てきたものの、おおよその流れは、研究所との対立、機密漏洩による処罰と言う大方は茶子から聞いていた通りの流れである。
ひとまず嘘は言っていないようだ。
「先ほど説明した通りこの村はBio Hazardの真っただ中にあるわ。
研究者であるアナタには説明するまでもないことかもしれないけれど、ウイルスにmatchできなかった人間は正気を失ったZombieになる。
In spite of the.アナタは正気を保っている。それは何故? たまたまmatchしたという訳ではないのよね?」
この先の希望を占う問いを尋ねる。
問われた研究員はこれを肯定するような頷きを返した。
「ああ、もちろんだ。偶然ではない」
「なら、異常発症を避ける方法があるんだな!?」
錬の回答に哉太が喜びの籠った声で割り込んだ。
ウイルスに対する何らかの対抗策があるのなら、感染した人間を元に戻す方法にもつながるかもしれない。
ようやく希望に指先が届こうとしていた。
「ああ、簡単さ。ウイルスは既に感染している人間には感染しない。ならば――――事前に感染していればいい」
だが、その希望は指先から滑り落ちた。
予想外の回答に哉太は言葉を失う。
最初から感染していれば、バイオハザードに巻き込まれようともゾンビ化することはない。
コロンブスの卵的な逆転の発想だ。
だが、それはつまり。
「アナタは、このVillage Hazardの発生前からウイルスに感染したと言う事?」
「ああ。その通りだ」
事もなげに応える、だがそれは色々とおかしい。
おかしな点は幾つもあるが、まずは一つずつ解きほぐすようにたずねる。
「事前に感染した所で、アナタが正常感染できるとは限らないじゃなの?」
今回のウイルス騒ぎで感染しなかった理由にはなれども、事前に正常感染できた理由にはならない。
「そうじゃない。[HEウイルス]が正常に活性化する確率は約5%ある。つまり20人が感染すれば1人は正常に感染できる計算だろう?」
20人に1人。
その言葉の意味を理解して2人の全身が総毛立つ。
「つまり、アナタたちは…………」
「抗体を得るために19人を犠牲にしたってのかッ!?」
原始的な人海戦術。
それは人体実験に他ならない。
いや、未完成品であると知りながら、成功例を出すためだけに行われたそれは、人体実験にも劣る悪魔の所業だ。
「いいや。思いのほか早くに成功したからね、僕は7人目の非検体だ」
「そう言う問題じゃねぇだろ!!」
この平然と語る錬の様子からして自らその非検体になった節すらある。
自ら人体実験の被験者となるなど正気の沙汰ではない。
感情的になる哉太とは対照的に、アニカは冷静に問いかける。
「けど、それだとこのcommotionの前に既に感染者がいたことになる。それだとアナタ自身がhostとなって既にBio Hazardが起きているはずじゃないの?」
「[HE-028]の感染力は目的のために開発された後付けの性能だからね。僕らに使われたのは初期段階の[HE-004]だ。感染力もないし、脳内イメージの転写も行われない。
活性反応を見るためにごく少量が使用されただけだから、適応できなくとも適切な処置を行なえば命までは奪われない。僕の恋人だってそうだ」
「恋人が?」
「ああ。彼女は適応できなかった。今は意識を混濁させて入院中さ。だが、それも仕方のない事だ」
植物状態になった恋人を仕方ないで片づける。
これは彼がマッドサイエンティストだからなのか。
だが、心を痛めているのは本当ならば、それだけの目的意識があるからなのか。
予想と余りにも違う展開に哉太は言葉を失っている。
その横でアニカは何かを考えこんでいた。
「――――Whydunit」
アニカが静かに呟く。
「そうまでしてウイルスに抗体を持った人間を作り上げた理由は何? アナタは一体どんな役割をもっているの?」
多くの研究員を犠牲にして、何故、抗体を持った人間を作る必要があったのか。
安全な抗体があると言うのなら、関係者に事前に打っておくのは理解できる。
だが、いつ起きるとも分からないバイオハザードの対策としては余りにもリスクが高すぎる。
そこまでリスクのある行為をするからには明確な理由が必要だ。
「記録係さ。バイオハザードが起きた際に、現地で起きた出来事を中から捉えつぶさに記録する知識を持った人間が必要だ」
錬が答える。
だが、それの指し示す事実はつまり。
「待て。それじゃあ、あんた等はこのバイオハザードが起きると事前に解かっていたようじゃねぇか。
この事件は地震によって偶発的に起きた事故だったはずだろ?」
「地震? 確かに昨晩の地震は大きかったが、それは偶然重なっただけだ。今回の事件とは関係がない」
「関係が、ない…………?」
愕然とする哉太をよそに冷静を保ったアニカが問う。
「何故そこまで断言できるのかしら?」
「………………それは」
閉じ込められていた錬は外の様子をまるで分っていなかった。
にも拘らず、今回の事件が起きると断言した。
しかもリスクの高い事前準備まで行ってだ。
「このVillage Hazardはアナタ達のPlanだった、という事ね」
彼がこの事件が起きると事前に知っていたのは、この村を襲ったバイオハザードは他ならぬ彼らによって計画されていたモノである。
そう結論付けざるを得ない。
「ふ――――ふざけんなッ!! どうしてこんなことをした、答えろッ!」
それを理解した哉太が一瞬で激昂して扉に詰め寄る。
檻がなければ確実に殴りかかっていただろう。
「……君のその反応はもっともだ、君たちには悪いと思っている。だが、仕方のない事だったんだ……!」
「仕方がない……? さっきから仕方ない仕方ないと繰り返しやがって!
これが、これだけの事をしておいて仕方がないだと!? 俺達の村が犠牲になる事がかッ!? ざけんなッッ!」
村を貶めた元凶を村の少年が糾弾する。
だが、錬は罪悪感がないという訳ではないようで、その糾弾に胸を痛めているようだ。
それだけの当たり前の良識を持ちながら、それでも彼らは実行した。
それだけの事をする理由はどこにあるのか?
未名崎錬と言う男は転んだ子供がいれば絆創膏を張るような善良だった青年だったはずだ。
そんな青年が、これほどまでに狂ってしまうだけの『真実』がどこかにある。
研究所にも逆らい、これ程の凶行に走るだけの理由が。
「答えなさい。何故こんなことをしたの?
アナタたちがこの村をSacrificeにしたというのなら、この村の人間には知る権利があるはずよ。Answer me!」
強い口調で迫られ、苦し気な表情をしていた錬は観念したように口を開く。
「……ああ。元よりそのつもりだ。僕がここから出られない以上、君たちの理解は僕にも必要だからね」
そう言い訳のような前置きをして、胸の内を吐き出し始めた。
「我々にはもう、時間がないんだ……ッ!」
「それは、どういう意味?」
「そうだ……時間がない。正しいのは副部長だ。所長も副所長も暢気すぎる……ッ!」
アニカの問いに答えるでもなく、ここにない誰かを非難する様に青年は吐き捨てる。
その様子は追い詰められたように焦燥に駆られていた。
「染木副所長や長谷川部長だって、僕らには今頃感謝しているはずだ……ッ! 僕らのやり方が正しかったと思っているはずだ……ッ!」
研究所の方針に反感を持っているという茶子の言葉の意味を、勘違いしていた。
悪しき研究所のやり方に反発する正義の志を持った連中であると、そう考えてしまっていた。
まさか、研究所の方針を『温い』と断ずる『過激派』連中であるなどと、哉太は、いやアニカですら考えていなかったのだ。
この世界には絶対的な正義も悪もない。
あるのは己を正義を信じる人間の意志のみである。
■
秘密の通路を辿って、花子一行はついに全ての秘密が眠る地下
研究所へとたどり着いた。
だが、山折村を崩壊に導いた悪の巣窟と言っても過言でもない地の底で待ち構えていたモノは予想だにしない意外な物だった。
それは、この世のモノとは思えない程の美女がファンタジーな剣を片手に血濡れの巫女服を纏ってヘルメットを被る姿だった。
どこからどう見てもコスプレ少女にしか見えない。
地下の研究所ではなく不思議の国にでも迷い込んだのではないかと錯覚しそうになる光景である。
「春ちゃんが、どうしてこんなところに?」
唖然とした表情で、そこに居るはずのない人間を見つめていた珠の額がデコピンで弾かれる。
「…………ぁうッ!?」
「たわけ。妾が居る場所こそ妾の場所よ。疑問を持つことではなかろう」
「痛いし相変わらず意味わかんないよ、春ちゃ~ん」
赤くなったおでこをさすりながら、抗議の声を漏らす。
けっこうな年の差があるはずだが、それなりに遠慮のない気心の知れた関係のようだ。
「なら尋ね方を変えましょうか。『どうして』ではなく、あなたは『どうやって』ここに来たのかしら?」
馴染みの2人の間に、横から唐突に声が割り込んできた。
春姫は声を発した女を怪訝な目で見つめる。
「なんだこの馴れ馴れしい女は?」
無礼な闖入者を指さし珠に尋ねる。
だが、珠が答えるよりも早く、馴れ馴れしい女は親睦の握手を差し出した。
「初めまして。私は田中花子よ。よろしくね、春ちゃん」
握手の手を伸ばしている花子を一瞥だけして、春姫は視線を周囲に向けた。
「氷月の娘に、そこな男も見覚えがあるな。だが貴様は初見だ。村の者ではないな、外様の者に春ちゃん呼ばわりされる謂れはないわ」
「これは失礼。なら、春姫さん、それとも神楽さんとお呼びすべきかしら?」
「ほぅ。妾の名を知るか」
「ええ、有名人だもの」
名乗らずとも調べはついているのか、花子は春姫の名を把握していた。
春姫としても知らぬ人間に名を知られている不気味さよりも、知らぬ人間が名を知っている自身の偉大さの方が気になるようで、何やら満足気である。
「敬意を忘れぬなら呼び名はどちらでも良い」
「なら春姫ちゃんで、私の事は愛を込めて花子ちゃんと呼んでくださって結構よ」
「まあよかろう。愛は込めぬがな」
周囲を置き去りする飛んだ会話を交わして2人は名乗りを終えた。
花子はマイペースにも周囲を見渡す。
「ここは資料室みたいね。春姫ちゃん。ここは地下の何階かわかる?」
「3階。最下層だ」
「そう。ありがと。少しこの資料室を探索したいわ。珠ちゃん協力お願いしてもいいかしら?」
「あっ。うん」
言われて珠が本棚を見つめる。
彼女の異能があれば専門知識がなくとも、重要書物を見抜くことができる。
「あれと、これとこれ。あとそれも」
珠は本棚に並ぶ膨大な資料の中から、迷うことなく数冊を的確にピックアップしていく。
その指示に従い珠の選んだ本を花子が本棚から引き出して行った。
そうして数冊選んだところで、珠の指示が止まる。
「これで全部かしら?」
「えっと、あと一冊あるんだけど……」
何か言いづらそうに言葉を濁し、ある一点を示すように躊躇いがちに指さした。
その先にいたのは血濡れの巫女だった。
「どうした日野の。何をしておる。あまり人を指差すでない」
「いや、何か春ちゃんの胸元が光っているんだけど、何か持ってる?」
「ふ。中々慧眼ではないか」
何やら楽し気に笑みを零すと、子供が宝物を見せびらかすような顔で胸元から一冊の本を取り出した。
「研究所の連中が再編した『村の歴史書』である」
「えぇ……ホント村の歴史書とか好きだね、春ちゃん」
珠が呆れたように辟易とした声を上げる。
彼女がこの手の書物を収集するのはそれ程に日常茶飯事なのだろう。
「その一冊。お借りしてよろしいかしら?」
「よかろう。勤勉なのは良きことだ。そうさな。どうせなら妾が直接村の歴史について啓蒙してやろうか?」
「大変興味深いお話だけど、それは全てが終わった後でお願いするわ」
ひらりと誘いを躱して春姫から村の歴史書を受け取った。
これでこの部屋にある重要書物は全てのようだ。
軽率な約束を交わしたが、この女はやると言ったらやる事を珠はよく知っている。
「それじゃあ、私はこの資料を少し調べるわ、その間に春姫ちゃんのお話を伺っておいて」
強い愛村心を持つ春姫の相手は村の人間がした方がスムーズだろう。
そう言って、花子は一人手にした書へ向き直り集中する。
残された3人の中は、威風堂々と起立する紅白巫女と向き合う。
とりあえず一番春姫と縁の深い珠が自然と聞き役になっていた。
「それで、春ちゃんはどうやってここに辿り浮いたの?」
「徒歩(かち)だが?」
「そーじゃなくてぇー」
「研究所にはそれなりのセキュリティーもあっただろうし、何より病院には筋肉の怪物がいたはず。あれはどうしたの?」
珠では荷が重そうだったので海衣が質問を引き継ぐ。
診療所に巣を張っていた海衣たちに撤退を余儀なくさせた怪物。筋肉と粘菌を合成したようなナニカ。
アレがいる以上この研究所にはたどり着けないはずだが。
まさか奇跡的な相性の良さを発揮して、アレを突破したとでもいうのだろうか。
「知らぬな。無作法な食事跡はあったが、それだけだ」
「食事跡? 怪物はすでに立ち去った後だった、という事?」
あの怪物に対して秘密を守護る門番のようなイメージを抱いていたから、自ら立ち去るなどと言う可能性は考えもしなかった。
「さてな。道中は気狂いとワニの化生と通りすがったが、肉の怪物などはとんと知らぬ」
「……ワニ?」
海衣も珠も首をかしげる。
何かの例えだろうか? 何を言ってるのかよくわからない。
あまり関わり合いのなかった海衣からしても村の名物変人であることは知っていたが、やはり話がかみ合わない。
面倒を押し付けてきた花子を恨めし気な目で見つめるが
花子はこれまでにない真剣な面持ちで海衣ではとても真似できない速度で速読のように書を読み進めていた。
専門書を読み取れるだけの知識もない、彼女に任せるしかないだろう。
海衣は海衣で自分の出来る事をやるしかない、真実を得るために。
「門番はいなかったにしても、セキュリティーはどうやって突破したの?」
「パスは拾った。フロアと毎にレベルの高いパスが必要なようだったが開かない扉は破壊した」
「無茶苦茶だよぉ……春ちゃん」
火の玉ガールもドン引きの行き当たりばったりの蛮勇である。
それで本当に研究所の最奥にたどり着いているんだから何かがバグってるとしか思えない。
「けど、この状況なら理にかなっている行動だね」
海衣がこの行動に理解を示す。
脱出ゲームではないのだ、律儀に鍵を見つけて謎解きをする必要はない。
破壊してでも進めるのなら、そうするべきだ。
「それで春ちゃんはそんな感じで研究所を調べて何か見つけたの?」
「否。此度の施設、大なるものは無かったぞ」
「えぇ…………本当かなぁ」
その発言の信憑性は薄い。
嘘を付いているとかではなく、春姫をよく知る人間ならば彼女がちゃんと探索したとは思わないのである。
確実に苦手分野だ。自覚がないのが困り者だが。
「そうさな。あったと言えば、菌どもの管理している部屋に空いた穴と、その周囲で胡乱な連中が死していた事くらいか」
「「「え…………ッ!?」」」
話を聞いていた全員が驚きの声を上げる。
「後はウイルスも手に入れたか」
「メチャクチャ重要じゃん!?」
「…………何だ喧しい」
「むしろなんでそんなテンションでいられるの!? 春ちゃん今ピカピカ! ピカピカだよ!」
「妾が眩しい存在なのは当然であろう」
「いいから! 神楽さん! その話、詳しく!」
急にテンションの上がった2人に春姫は面倒そうにローテンションを返す。
だがそれでも喰らい付いて来る2人に、やれやれと言った風に渋々と応える。
「愚者どもの諍いがあったのであろうな、白衣と警備服と祭服の死屍累々よ」
「それはどこ!?」
「そこだが?」
言って資料室の出口を指す。
春姫への聞き取りでは埒が明かない。
自分の目で真相を確かめるべく海衣は扉を開く。
パソコンの並ぶ分析室を経由して通路に続く扉に手をかけた。
「何…………これ」
死体だ。
扉の先には白黒取り取りの死体が河のように広がっていた。
そして、資料室から遠く見える壁に、確かに大穴が開いているのが確認できる。
恐らくあそこが細菌の保管室だったのだろう。
「これは……どういう事?」
理解できない。
死に慣れてきた海衣ですら混乱を隠しきれない光景である。
いや、むしろこの事実を知っておきながら冷静を保っていた春姫は何なのか。
「どうやら、ウイルス騒ぎが起きる前に、ここで殺し合いが行われていたみたいね」
「……田中さん」
いつの間にそこにいたのか、海衣の背後に花子が立っていた。
「ダメじゃない、いきなり飛び出しちゃ。どんな危険があるとも分からないのだから」
「…………すいません。気を付けます」
軽率な行動を注意され資料室へと戻って行った。
花子がこうしているという事は資料確認は終わったのだろう。
「それで、資料の方はどうなったんですか?」
「一通り確認し終えたわ。お蔭でこの研究所についてはだいたい把握できたわ」
「本当ですか…………!?」
いきなり資料室に繋がっていたと言うのも大きいだろうが。
早くも目的の一つである研究所の詳細にまでたどり着けた。
「教えてください田中さん。判明した『真実』を」
海衣は真実を問う。
だが花子はすぐには答えなかった。
表情を変えぬまま、どこを見つめているのか視線を逸らす。
「そうね。この村で起きた全てではないけれど、少なくとも研究所が行おとしていた事は分かったわ」
「なら、」
「けれど、ここから先を聞くには覚悟が必要よ。世の中には聞かない方がいい話もあるわ」
「今更なんです? 私たち全員、覚悟なんてとっくに決まってます」
海衣の背後で珠も頷く。
この研究所に足を踏み入れた時点でそんなものは決まっている。
「うーん。けどねぇ。正直な事を言うと、この話をすると私にとっても不都合な話をしないといけなくなるのよねぇ」
「何ですそれ」
花子の呟きに対する海衣の声には苛立ちが含まれていた。
この土壇場に来て、何を眠たいことを言っているのか。
「田中さん。あなたは私に言ったはずです。この先に『真実』があると」
「そうね。確かに言ったわ」
「だったらあなたには教える義務がある、私には知る権利があるはずだ。不都合だろうと教えてください『真実』を」
海衣を誘うための口説き文句だったが、うまく言質を取られてしまったようだ。
「……なるほど。確かにその通りね。負けたわ。話してあげる。確かにアナタたちには知る権利があるわ。
まあ、ここまで来たんだもの。どうせこの資料室を漁ればわかる事だしね」
観念したというより、元からそうなると分かっていたように息をつく。
彼女としても無駄な抵抗をしてみただけだ。
「けど、この情報はあなたたちが知るべきではない、というのは本当よ」
「それは、知れば命を狙われる、という事ですか?」
「それもあるけど、知るだけで正気を保てなくなる類の情報もある、という事よ。
そして今から私が話す内容はその類。その覚悟はあるのかしら?」
改めて資料室を見渡し、この場にいる全員へと問いかける。
「僕はないので、外に出てますね」
そそくさと資料室を出て行こうとする与田の首根っこを掴まえる。
「そうはいかないわ。研究所に纏わる話ですもの。センセには聞いて頂かないと」
「うぅ……」
相変わらず拒否権のない男である。
共石に席につかされた与田を含めて一人たりとも部屋から出て行く者はいなかった。
花子はそれを確認して、全員に視線をやった。
「研究所の説明をする前に今の世界の状況を理解する必要があるの。少し長くなるわよ」
「世界?」
開発の波にのまれてようとしていた片田舎の小さな村には似つかわしくない、曖昧かつ壮大な単語が出てきた。
「それじゃあ、まず結論から言うとね」
「8年後に、この世界は滅びるの」
■
「黒木さんがこちらに来た、という事は。任務は完了したのですか?」
「いいや。失敗した、マヌケにも返り討ちだ」
一般人である碓氷とスヴィアの『御守』を小田巻に任せ休憩室に残して。
少し離れた資料室で今回の任務に当たっている正規の特殊部隊の二人は情報共有を行っていた。
「実は私もハヤブサⅢとは交戦したのですがが、同じく返り討ちでした」
「そうかい。それじゃあマヌケ同士仲良くやろうぜ」
軽い調子で言ってのけるが、その内は炎が煮えたぎっているだろう。
燃え滾らぬのではなく、この怒りをコントロールしてこそのプロである。
「それで、交戦して見てどうだった? もう一度やれば勝てると思うか?」
「無理でしょうね。私が生き残れたのは偏に装備の差でしかない。
仮にハヤブサⅢが防護服を貫通できるだけの装備を手に入れていたのなら私では勝てないでしょう」
謙遜や卑屈もない、客観的な正しい戦力評価だ。
真珠もその意見には同意する。
「そう言う黒木さんの方こそどうなんです? 再戦すれば勝てるとお思いで?」
「一対一なら確実にあたしが勝つ。だが、前回と同じ条件なら無理だろうな。向こうは徒党を組んでやがった。
ただのパンピーならともかく、異能の絡んだ連中を使って策を練られるとお手上げだ。正直あたし一人じゃ厳しい」
正面から異能者の集団を突破できるのは大田原か美羽くらいの物だろう。
1人の強力な異能者であれば勝てるだろうが格闘戦を主とする真珠では集団戦となると不利だ。
「なるほど。それで私と組みに来た、という訳ですね」
意を得たりと納得する。
同じ煮え湯を飲まされた身として、その判断は天にも理解できる。
目には目を、集団には集団を。天の招集は真珠にとっても渡りに船だったのだろう。
「しっかし、標的である民間人まで取り込んでるとはな」
同じ隊員である小田巻はまだしも、スヴィア達の存在は意外だった。
なにより他ならぬ天が標的を取り込む判断をするとは思わなかった。
「勝手な判断だと咎めますか?」
「いいや。素直に見直したぜ」
この状況で真珠にはできなかった正しい判断だ。
ルーキーと侮っていた相手が先にその結論に至り実行していたというのは業腹だが、そこは認めざるを得ない。
「つー訳で、あたしも今からお前の指揮下に入る。いいな」
その言葉が意外だったか天は僅かに黙り込む。
あくまで現地で徴集された一般人という立場の小田巻と違い、現地で活動する隊員同士と言う対等な立場である。
「……指揮権は私でよろしいので?」
「構わねぇよ。階級も年齢もお前の方が上だろう」
真珠はそう言うが、完全な実力社会であるSSOGに所属した時点で階級も何もない。
SSOGでの実戦経験で言えば真珠の方が上だ。
「意外です。黒木さんは私を認めてないと思っていたので」
侮られていることくらいは理解していた。
だからこそ彼女が招集に応じたこと自体が意外だったのだが。
「ま。それは否定しねぇさ。だが、今はお前の指揮に全面的に従ってやる。
部隊に所属した時点でとっくに命は捨てる覚悟は出来てるが、トーシロに預ける程は安くねぇ。巧く使え」
「…………了解しました」
隊の指揮を預かると言う事は命を預かると言う事だ。
それに従うと言う事は命を預けるに値すると認めたと言う事だである。
その重みを理解する事こそが指揮官としての資質である。
「ただし、一つだけこちらから要求がある」
「なんでしょう?」
「今後ハヤブサⅢと接触した際に、あたしと奴の一対一の状況を作れ。
過程も手段も問わない、使い潰しても構わない。意味は分かるな?」
「ええ」
真珠の任務はあくまでハヤブサⅢの暗殺。
最悪、それを可能とするなら作戦完了後に真珠が死んでいたって構わない。
その前提で策を練れと言う事だ。
氷使いにも借りを返したい所だが、それとこれとは別の話だ。
私怨を任務と混同したりはしない。
まあ返せるのなら返すのだが。
「それでは、まずは現状を共有します。よろしいですね?」
「ああ。命令権はお前にある。わざわざ問う必要はねぇよ」
指揮系統が決まり情報共有が開始された。
「それで、お前らは何のために研究所にやって来たんだ?」
「そうですね。その説明ついでに、あなたの意見も伺いたい」
天は説明を始める。
成田の意見も参考に放ったが、狙撃手は独立した特殊思考が必要なポジションだ。
単独任務が多く個人作戦の立案能力の高い真珠の意見も聞いておきたい。
「研究所が生死を『誤認』するって意見は支持できねぇな」
まず、第二派の可能性について説明した所、出てきた真珠の第一声がこれだった。
「何故です?」
「村にはこっちの監視網がある。こそこそ隔離なんて怪しい動きをしてたら見逃すはずがない。
最悪、監視網の外で隔離が実行されたとしても、研究所はともかく隊長たちがそんな不審な動きを見逃さねぇだろ。
仮に研究所側が誤認しても、その可能性を進言してくれるはずだ。そうしたらあたしらに確認の指示が下りるだろうよ」
判断を下す研究所ではなく、監視をしている同僚への信頼から。
真珠が天の意見を支持しないのはそういう理由からだった。
「確かに、隊長や副長が考慮していないはずがないですね」
「まぁ研究所が適当な死者をスケープゴートにして『意図』して誤報を流す可能性は否定できねぇがな。第二波の懸念自体はしておくべきだろうさ」
この手の想定はやりすぎという事はない。
何重にも備えて対策を撃つのが基本である。
一切のミスが許されぬ秘密部隊の仕事であればなおのことだ。
「後は、ばらけちまった標的を集める策が必要って考えは支持する。放送を使うって案も悪くない」
続いて、天の立案した放送作戦について評価を下す。
「可能だと思いますか?」
「そうだな。魚が集まるかどうかは餌次第だが、実行自体は可能だろう。
あたしの見立てでも研究所に放送設備は『ある』。村の放送設備が壊れていた以上そう結論付けるしかない」
放送局が壊れていることを知っているという事は、あそこを調べたのは真珠だったと言う事なのだろう。
「あなたも放送局を調べられたのですね。その辺を含め黒木さんがどういう経緯を辿ったのかも伺っておきたいですね」
「経緯っても、あたしは任務の通りハヤブサⅢの痕跡を追ってきただけだから、放送局以外は特筆すべき点はないんだが」
とりあえず、真珠は一通りのここまでの経緯を語った。
村民との小競り合いこそあったものの、トピックと言えば上月みかげと言う昔の知り合いの少女と出会ったと言う程度だ。
最後に保育園で標的と接触するも、返り討ちに合った、と言う事だった。
「そっちは、道中で何かあったか?」
「そうですね、道中では成田さんと接触しました。
その成田さんから得られた情報ですが、交戦した物部天国からこのバイオハザードを引き起こしたのは自分であると自供を聞いたそうです」
それを聞いた真珠は驚くよりも怪訝さが勝ったのか、防護マスクの下の顔を歪める。
「物部ぇ? あの物部天国か?」
「ええ。あの物部天国です」
その名に微妙な空気が流れる。
掃討作戦にて取り逃した国内最大のテロ組織の首領。
狂人――――物部天国。
「狂人の戯言じゃねぇのか?」
「その可能性は大いにあるとは思いますが。それだけではなく。
裏でテロリストの糸を引いていたのは研究所の人間であると言う証言も、同行しているスヴィア博士からとれています」
言われて、真珠は先ほど視界の端にいた女性の姿を思い返す。
「同行してたあのチビ女か」
「ええ。彼女は元研究員で、この村で旧知の間柄である未名崎錬という研究員からの接触を受けたそうです。
そこで詳細こそ聞けなかったもののこの村で何かをしようとしている事。彼には何らかの役割があると言う情報を聞いたそうです」
「詳細を聞けなかったってのは?」
「あまり良好な別れ方をしてなかった相手らしく、急な再会で感情的なぶつかり合いになってしまったそうです」
「痴情の縺れってやつか」
下種の勘繰りだが、まあそう言う事だろう。
「後日、冷静なった彼女は与えられた情報を元に、元研究員である伝手を辿って調べた結果、そういう結論に至ったとか」
「その話の裏は?」
「司令部に報告済みです。そちらで検証中かと」
上が検証中ならば、自分たちにすることはない。
真珠はひとまず切り替え、得た情報は正しい物であると言う前提で考察する。
「だが、研究所が黒だって話なら、妙だな。もしそうなら、あたしらの介入を許すとは思えねぇ。
連中が本当に黒なら、奴らが取るべきスタンスは、完全に突っぱねるか、取り込むかのどちらかだろ。介入を許すってのは対応として半端だ」
「それは、SSOGを呼び込んだ研究所の上層部とこの村の騒ぎを起こした研究員の意志は別と考えるのが自然では?」
「そうだな。一枚岩ではない可能性は高いか……」
研究所の思惑から外れた研究所内に連中がいる。
その可能性が高いだろう。
「だがそうだとして、その別動隊ってのは何が目的だ? こんなことをして何の得がある?」
「有体なところだと、大規模な人体実験だとか?」
確かにこれだけ大量の人間が発症しているのだ。
膨大な研究成果が得られるだろう。
怪しい研究所としては分かりやすい目的だ。
「ま。ありがちだが、妥当な線だな。
だが、あまりにもリスクとリターンが見合わねぇ。ここまでド派手にやる必要があるか?」
人体実験ならそれこそ秘密裏にやればいい。
村一つ崩壊させると言うのは余りにもリスクが高すぎる。
何故ここまでする必要があったのか?
「そうですねぇ……考えられる可能性は4つ、でしょうか」
「なるほど。聞こう」
天の思いついた可能性について尋ねる。
「まず、シンプルにリスク以上のリターンが見込める場合です。我々が把握していないだけで研究所には何か大きなリターンがあるパターンですね」
「このリスクに見合うリターンってのがいまいちピンと来ねぇが。ま、向こうの実情が把握できていない以上は否定できねぇな」
研究成果によって得られるものが村一つ滅ぼすに見合うことなどあり得るのか。
あるいは、こちらが把握できていない成果があるのか。
「次に、リスクを踏み倒せると考えている場合。つまり我々の事後処理を期待しているのか、他の伝手でもあるのかもしれません」
「契約があるにしても、あたしらの働きが前提すぎる。その線は薄いと思うが」
掃除してもらえる前提にしては事が大きすぎる。
何より他人にケツを拭いてもらおうと言うのは甘えが過ぎる。
「そして、リスク自体がリターンである場合です」
「要は研究所を潰すのが目的だった場合ってことだな。研究所の上層部と別って話が正しいならあり得るが、微妙なところだな」
実際これで潰れるかと言えば微妙なところだ。
他ならぬ天たちの隠蔽工作によって、研究所は生きながらえるだろう。
その辺の上層部の取り決めを把握していなかった言う可能性はある。
「最後に、何かしらのやらねばならない事情がある場合です」
「なんだぁ、パトロンにケツでも叩かれたか?」
「それも可能性の一つですね」
どれもありそうでなさそうな可能性だ。
ともかく、今は結論の出しようがない話である。
「さて、このように可能性は幾つか考えられますが。確証を得られるような情報はないのでなんとも」
「そうだな。あたしらはこの研究所の目的をなにも理解できちゃいねぇ。
だが丁度いいじゃねぇか、今あたしらは研究所にいる訳だしな」
秘密の眠る事態の真っ只中だ。
研究所の背後関係もいくらでも調べようはあるだろう。
考察の確証も得られるかもしれない。
「ですが、研究所の調査は任務に含まれていません」
冷静に点が指摘する。
だが、その指摘を真珠は笑い飛ばした。
「はっ! どの口が。テメェの足でここまでやってきておいて調査する気はありませんってのはさすがに通らねぇよ」
「そうですね」
天はあっさりとこれを認める。
先ほどの指摘はポーズでしかなかったようだ。
研究所の封鎖や放送による標的の集約。様々な名目こそ重ねているものの、天も研究所自体に気になる点がある。
「へっ。優等生が随分と染まちまってまあ」
悪友のように楽し気に言う。
だが、真珠としてはこちらの方がやりやすい。
「研究所を調べるとして、現状はどうなってる? あたしと合流前にある程度は調べてるんだろう?」
「その件ですが、既に我々より先に研究所に侵入した何者かの痕跡がありました。
推測ですがブルーバードである可能性が高いかと」
天の憶測に真珠は納得いかないのか、僅かに首をひねる。
「どうかな。この緊急時に相棒であるハヤブサⅢと同行していなかった以上、ブルーバードはゾンビ化していると思うがね」
「……確かに、一理あるとは思いますが。別行動をしている可能性も考慮すべきかと。
相手は戦闘特化のエージェントだ、警戒するに越したことはない」
大田原クラスなら1人でこちらを壊滅しかねない。
怪物を相手取る心づもりで警戒心を高める天。
だが真珠の態度は違った。
「そこまで心配する必要はねぇよ。相手が単独であればあたしにお前、ついでに小田巻までいれば異能って不確定要素を考慮してもまず負ける事ぁねぇだろ」
「そうなんですか?」
素人2人はともかく天と小田巻と真珠で当たれば問題なく勝てるとそう言っていた。
経験値のある真珠の戦力評価は無視できない。
「ああ。小競り合い程度だが1度だけ現場でやり合ったことがある。直接的な戦闘力だけで言えば精々あたしと互角がやや上ってくらいさ。
大田原さんみたいな化け物を期待してるなら肩透かし喰らうぜ」
天から見れば真珠も十分に化け物だが、その真珠と同等言うのなら。
異能を特殊部隊1名分と加味してもスリーマンセルなら勝てるという評価は分かる。
「それにな、戦闘特化のエージェントってのは、少し意味合いが異なる」
「それはどう言う…………?」
「ともかく。そこまで心配する必要はないってことだ。
まあハヤブサⅢみたく向こうも徒党を組んでいた場合は話が変わってくるがな」
「まずは敵の戦力確認と言う事ですね」
ブルーバードであると言うのはまだ推測に過ぎない。
誰が、何人いるのかすら分かっていないのだ。
まずは正確な戦力把握が必要だろう。
「後は先ほど研究所の調査をして判明したのですが。この研究所のネットワークが生きているのを確認しました。
既に外部に情報が洩れてる可能性があります」
「…………なんだと?」
特殊部隊の任務である機密保持の観点から言えば非常にまずい事態である。
「そりゃ確かにマズイな。だが外への影響は司令部に調査してもらうしかねぇな。
それよりも、通信が生きてたのならもう一つ懸念すべき点がある」
「何でしょうか?」
「外部から何らかの指示を受けた人間がいる可能性だ」
情報を外に送り出すのではなく、外からの情報を受け取ったと言う可能性。
「ですがその場合、受け取り手が必要でしょう」
誰がゾンビになるとも分からない状態では、指示の受け手が無事であるとも限らない。
「有事に備えて研究員に予防薬を打っていても居てもおかしくはねぇだろ」
「だが、研究員も発症しています。予防薬は存在しないのでは?」
地面に転がる、先ほど片付けたゾンビの死体を視線で差す。
「全員でなくとも。重要なポストの人間に打っている可能性は?」
「可能性ならあるでしょうが、研究員を見捨てる理由としては弱いですね。抗体があるならやはり全員に打つかと」
「コストや生成法が特殊だとか、特別な事情があった可能性はあるだろう?」
「可能性はそうですが、やはり同意はしかねますね」
結局、確かめようのない可能性の話に収束する。
一つくらいは確証が欲しいが材料が足りない。
「そうだなぁ、なら発想を逆転させるか。
ゾンビになっていない研究員がいればそいつが受け子である可能性がある、ってのはどうだ?」
結果論からの推察。
標的探索に使った手法に近い発想である。
「…………ゾンビになってない研究員?」
その言葉に天が何かに思い至る。
同時に、その言葉を口にした真珠も同じ結論に辿り着いた。
「……1人、心当たりがありますね」
「ああ。あるな、心当たり」
ハヤブサⅢと行動を共にしていた研究員。
交戦したハヤブサⅢが強烈すぎて完全に存在が影に隠れていた。
「そーいや、何もんだアイツ?」
「確認します」
天が司令部から受け取ったスマホを操作して情報を引き出す。
確認されたその名は――――。
■
「世界が……滅びる?」
哉太があっけにとられた様子で呟いた。
頭に血を登らせていた哉太も、余りに突拍子のない話にすっかり毒牙を抜かれたようだ。
何せ、未名崎錬の口から矢継ぎ早に語られたのは世界が滅びるなどと言う陰謀論者も真っ青な与太話だった。
冗談を言ってられる状況でも、冗談を言っている雰囲気でもない。
言葉を失う哉太の代わりに背後のアニカが尋問を引き継ぐ。
「その情報のsourceは? 何故アナタがそんなことを知っているの?」
「烏宿副部長が話してくれた」
「……烏宿? ひなたちゃんの親父さんか」
これは研究所がひた隠ししてきた機密事項である。
当然一般所員には知らされており、研究所内でも部長クラスより上の一部の人間にしか知らされていない。
彼の上司である烏宿暁彦は副部長に昇進した際にその事実を知らされた。
8年後に世界が滅びるという耐えがたい真実を。
だが、彼はその事実に耐え切れず、絶対機密のその情報を部下に漏らした。
錬が知ったのはその時だ。
そして、世界を救う同志を募った。
怠慢な研究所ではなく、己たちが世界を救うのだという崇高な意思を掲げ。
以上が錬から語られたあらましだ。
それらを聞き終えた哉太とアニカはいったん牢から離れ錬に聞こえないよう小声で話し合う。
「……どう思う?」
「Untrustworthyね。あまりにもNonsenseだわ」
「けど」
「ええ。彼は信じている。もしかしたら研究所自体もその情報を元に動いているのかもしれないわね」
それが真実であるかはともかく、それを真実と信じて動いている人間がいる。
今はそれだけ理解できていればいい。
「つまり、アナタたちは、世界を救う研究を完成させるために」
「ああ……今の研究ペースだとZデー(終わりの日)に間に合うとは思えない。だから研究を大きく進める一手が必要だったんだ」
大規模な人体実験。
感情の刺激で定着の進むウイルスの特性のため極限状況を作り出し、その進化を現地で観察する狙いもあった。
だが、その一言に哉太が怒りに目を見開いた。
「……あぁん? 進める一手だと。その一手が、俺たちの村を犠牲にすることか? 何の罪のない人たちをゾンビにすることか!?
世界を救うためならこんな小さな村がどうなってもいいって事かよッ!!?」
「…………そうだ。キミらに恨まれようとも悪魔と罵られようとも、必要な事だった!!」
罪悪感を使命感で押し殺した声で、真正面から言い返す。
詭弁でも言い訳でもなく、彼は本気で言っているのだ。
本気で世界を救おうとしている。
これは彼らにとっての絶対の正義だ。
「ふざけんな! 自分の正義のために何人殺してもいいだなんて、まんまテロリストの理論じゃねぇか!」
「違う。あんな奴らと一緒にしないでくれ! 我々は世界を救うために…………ッ!!」
「だからそれが…………ッ!!」
「――――shut up!!」
ヒートアップして口論になりかけた男二人を少女の叫びが遮る。
シンとした一瞬の静寂。アニカが没頭するように考え込む。
テロリスト。持ち出された研究成果。クローズドサークル。島にいた研究員。
それらすべての要素が探偵少女の脳裏に一つの結論を導き出させた。
「No way――――あなたたちは、テクノクラートでもこの村と同じ事をやろうとしていたの?」
孤島に作られた複合施設『テクノクラート新島』。
クローズドサークルと言う意味では、山に囲まれた陸の孤島である山折村と条件は同じだ。
では、そこに研究員たちは何のために集まっていたのか?
彼らはウイルスを散布して、この村と同じ地獄を作り上げようとしていたのではないか?。
「………………」
この疑問に錬は答えない。
ただ、ばつの悪そうな顔でガラス窓から目をそらすだけだった。
その態度が答えだった。
「つまり、あのテロリストどもは目くらましで、その裏で研究員たちはウイルスをバラまこうとしていた、って事か……?」
哉太が怒りを通り越して唖然とした声でつぶやく。
だが、その計画は失敗した。
「だったら、あのテロリストどもはアンタらの仲間だったのか」
「違う。仲間じゃないさ、金で雇っただけだ」
志ではなく金で繋がるだけの関係だ。
だが、雇ったテロ組織は使えなかった。
所詮は本家の過激な方針について行けず脱落した連中によってできた分家だ。
だから素人の子供なんかに翻弄されて失敗した。
テロリストは突入した自衛隊の特殊部隊とたまたま居合わせた剣術少年と美少女探偵によって制圧され。
その裏で行われるはずだったバイオテロは、青髪のエージェントと証拠隠滅ために派遣された研究所の特殊部隊によって阻止された。
そして踏み込んできた自衛隊連中に対する証拠隠滅として、派遣された研究所の戦闘部隊によって研究員たちは始末され、錬は捕らえられた。
これがあのテクノクラートの真相である。
「あんたが黒幕だったんなら、テロに巻き込まれた怪我人の治療をしてたのはなんでだ?」
テクノクラートで錬はテロによって出た怪我の治療をしていた。
それは、少しでも非検体を減らしたくなかったからなのか。
それとも彼が目の前の怪我人を放っておけない人間だったからなのか。
そんな当たり前の善性を持った人が凶行に走った、それ以上の正義によって。
「そこまでして、バイオテロが起こしたかったのか……?」
「バイオテロじゃない。世界を救うための研究だ…………!」
だからこそ、ただ起こしただけでは意味がない。
発症した人間の変異を観察して、その成果をもって研究を完成させる。
そこまでして、彼らの悲願は達成される。
「だから、僕はこんな所に閉じ込められている場合じゃないのにッ!!」
彼は嘆いていた。
己が監禁されている事ではなく、自らの手で出した犠牲が無駄になると。
本気で、嘆き、悔い、悲しんでいる。
世界を救うという身勝手の下に。
「頼む。僕に協力してくれ! 全てが終わった後に僕をどうしてくれても構わない!
世界を救うためなんだ。保険が機能しているとも限らない、君たちの助けが必要なんだ!」
そこには世界中の人々の命がかかっている。
今生きている人間だけではない。
人類を未来に繋ぎ発展させるというその使命のため。
だが、アニカが気になったのは別の所だ。
「保険とは?」
「Xデーまでに僕がここから脱出できない場合を考え、村にいる元研究員の知り合いに役割を託した。
まぁあまり話にならなかったが……意図は伝わったと信じている。彼女が適応できたとは限らないのだけど」
余程緊急時であったのだろう確実性のない保険を打った。
あるいは、その相手ならばと言う彼個人の何らかの期待もあったのかもしれない。
「だから君たちの協力が必要なんだ。専門知識のない君たちにまで多くは求めない。
起きた出来事を報告して、適合者である君たちの体を少し調べさせてくれるだけでいい」
「そんな事を言われて、俺達が協力すると思うのか?」
「……気持ちは分かる。だからこそ僕も包み隠さず全てを話した。割り切ってくれ……! 世界のために、」
ドカンという音。連の言葉が遮られる。
哉太が扉を殴りつけた音だった。
固い壁を殴りつけた拳の先から血が流れたが、再生の異能によりすぐに途切れた。
「もう、行こうアニカ。これ以上、ここで聞くべきことはない」
「……………………そうね」
哉太は小窓を閉める。
そして2人は踵を返して無言のまま出口であるエレベータに向かって歩いて行った。
「待ってくれ! 頼む、協力してくれ。本当だ僕は世界を――――」
背後からの声が響く。
だがそれを無視してエレベータに乗り込んだ。
エレベータの扉が閉まり声も途切れた。
■
「私も専門家と言う訳じゃないから詳しい説明ができる訳じゃないのだけど。
平たく言うと16光年ほど離れた宇宙で8年前に起きた超新星爆発が観測されたらしくて、その影響が地球に訪れるのが8年後。
地球に飛来したガンマ線バーストの影響によって地球環境は生命の暮らせない程に崩壊する、らしいわよ」
日常の小話のような語り口で、世界の崩壊が語られた。
小さな村の地下深くにある秘密の研究所で、世界を股にかけるエージェントの女が世界の終わりを語る光景は余りにも現実感がない。
「…………本当なんですか?」
「ええ。NASAやJAXAと言った各国の宇宙開発機構のお墨付きよ。現に少しずつだけど自然環境に影響も出始めているわ。昨晩の地震もその影響でしょうね」
バイオハザードの原因と思われていた村を襲った大地震。
その発生がこの事件と重なったのは偶然だが、地震の発生自体は世界を取り巻く大きな流れの一つであり全くの偶然という訳でもなかった。
「そのZ(終わり)を回避するために世界各国で秘密裏に立ち上がった計画が『Z計画』。この研究所もその一つと言う事ね」
その花子の説明を聞いていた珠がうーんと小さく声をあげた。
「けど、世界が滅んじゃうなんて大事な話を、何で秘密にしているの?」
そう問いかける珠の声は純粋な疑問に満ちていた。
その純粋さに僅かに口端に苦笑を浮かべながら花子は答える。
「そりゃあ世界が滅びちゃうなんて発表したら世間が大混乱に陥いちゃうからでしょうね。なるべく秘密にしたいのよ、お偉方は」
下手に公開してしまえば自棄になった人間が出て治安の悪化を招きかねない。
発表するとしたら解決策を用意できた後か、滅びの直前だろう。
それ故に知る人間は最低限でなければならない。
そう例えば、『国家存亡』の危機に対応できても、『世界存亡』の危機に対応できない特殊部隊なんかにも知らされることはないだろう。
海衣は一人、押し黙りながら花子から語られた内容を吟味するように考え込んでいた。
そして、自身の中で沸き上がってきた疑問を尋ねるべく、緊張感の籠った声で口を開いた。
「田中さんは、この研究所がその『Z計画』に基づいて設立された施設だと言う事に関しては初めから知っていたんですよね」
「そうね。そこに関しては知っていたわ」
「何故知っていたんです? あなたは何者なんですか?」
「うーん。正直、私に関する話は聞かれたくない所ではあるのだけど……ま、いっか。答えましょう」
相変わらずの軽い調子だが、彼女からすればかなりの自らの立場を明かすのはかなりのリスクのある行為である。
「私は、この研究所を調べに来たエージェントよ。雇い主に関しては流石に言えないけど」
その解答に関しては海衣としても驚きはない。
ハッキリと明かされなかっただけで彼女が只者ではない事はここまでの道中で分かりきっていたことだ。
「産業スパイ、ってヤツ……?」
「違うわ。『Z』に対するアプローチは根本的に違う研究ばかりだから、他国の手法を調べたところで大した成果にはならないのよ」
その返答に、珠が首をひねる。
海衣は相変わらず難しい顔をして黙りこくっていた。
春姫は何を考えているのか分からない涼しげな表情で目を閉じていた。
「だったら。田中さんは何のために研究所を調べていたんですか?」
海衣が核心を問う。
ここまでの話を聞く限り、少なくとも研究目的において研究所は正しいものだ。
それを知らなかったというのなら、怪しい研究所を調べに来るのは分かる。
だが、それを知った上でスパイを送り込んでまで何を調べようというのか。
「確かに、私は研究所の『目的』は最初から把握していた。
だから私が調べていたのは研究所がどういう『手段』で世界を救うつもりだったのか? と言う点と。
その研究が『本当に世界を救えるモノ』なのか? と言う点よ。
それらは、ここにある資料のお蔭で把握できたわ」
先も述べた通り、一言にZ(滅び)から世界を救うと言ってもアプローチはそれぞれの研究機関で異なる。
この未来人類研究所はどういった方法で世界を救うつもりだったのか。
花子はそれを調査するために送り込まれたエージェントである。
「妾も目を通したが、どのような手段で世界を救うかなどそのような記述は見受けられなかったが?」
「それは探し方が甘いわね。恐らく春姫ちゃんが見たのは最新の資料でしょう?
それも大事だけれど、目的を知りたいのなら読むべきは最初の資料よ。アップデートではなくスタートアップを知るべきなの」
理念を知りたくば解くべきは最新ではなく最古である。
横着した春姫は一番新しいデータにしか目を通していなかった。
「それを調べてどうするつもりだったんですか?」
「中々鋭い質問ね。まあ私にとっては嫌な質問だけど」
嬉しいのか悲しいのか分からない態度で、花子は肩をすくめる。
「さっきも言ったけど、『Z計画』はZ(終わり)の回避のために各国が行っている研究なの。
ただし、それは各国が『協力して』行っている訳ではないの。分かるかしら?」
滅びの回避のために、各国が独自の研究を進めている。
その意味を海衣は頭の中で解き解していくうちに、徐々に目を見開いていく。
そして愕然というより心底呆れたように表情で吐き捨てるように呟いた。
「なんて、バカな…………」
「え、ど、どいう事?」
話についていけない珠が戸惑いの声を上げる。
その説明をするように、春姫が口を開いた。
「それはつまり――――花子ちゃんはこの研究所の研究が『本当に世界を救えそう』だったら、それを妨害するのが任務であったと言う事だな?」
「え!? 何でそんな悪者みたいなことを!?」
その言葉に驚きを返したのは珠だけだった。
海衣も同じ考えに至っていたのだろう、厳しい顔で黙りこくっている。
世界を救う手段を潰そうとするなど、世界を滅ぼす側の行動である。
「『Z計画』を成功させた国は、必然的に終わりを回避した次の世界で強い発言力を持つことになる。
だからこそ各国はその手段を開発するために躍起になっているの」
だから、他国の研究を完成させるわけにはいかない。
そんな自国が世界を救ったという成果の奪い合いになっている。
そのための足の引っ張り合い。
捕らぬ狸の皮算用どころの話ではない。
世界の終りを目の前にした瀬戸際で、手を取り合うでもなくそんな下らないパワーゲームをしてるのか。
「バカな行為であると言う点に関しては反論の余地もないわ」
花子は正義の味方ではない。
研究所が引き起こしたバイオハザードが村にとっての悪だったから、それに相対する正義のように見えていただけだ。
一つ何かが違っていれば、この立ち位置は変わっていたかもしれない。
春姫の切れ長の黒い瞳が、刃のような鋭さで花子を見つめる。
「ならば、状況によっては我が村をこのような状況したのは花子ちゃんだったかもしれぬと言う事だな」
「そうね」
その可能性を指摘され、花子はこれを認める。
寒気すら感じるその視線を花子は逃げるでも怯むでもなく正面から受け止めた。
これまで彼女が色々『おせっかい』を焼いていたのは任務に関係ない余白があったからだ。
その余白を彼女は個人の良識によって、よいと思う選択をしてきた。
だが、その余白が塗りつぶされれば、彼女は何であろうと躊躇なく切り捨てられる。
そういう風にエージェントとして完成している。
「未遂なら赦されるとでも?」
「そこまで厚かましくはないわよ」
春姫が手にしていた剣がゆらりと揺れた。
村を害する存在を彼女は赦しはしない。
悪即斬。この女はやると言ったらやる。
花子とて話せばこうなることは覚悟していただろう。
「待って!」
だが、そこに割り込む声があった。
海衣が花子を庇うように割り込んだ。
「海衣ちゃん?」
「どうした? 氷月の。庇い立てするつもりではあるまいな?」
春姫が言葉の切っ先を海衣へと向ける。
村民である海衣を問答無用で切り捨てることはないだろうが、返答を誤ればその限りではないだろう。
「この女に村を侵す意思があったのは明白であろう」
「確かに田中さんが怪しい人間なのは認める。やろうとしていた事だってロクな事じゃない。正直、少し失望もした。
けど……! 仮にやるとしても田中さんなら今回のような周りに被害の出ない方法は取らない。この村をメチャクチャにするような事はなかったはず。違いますか?」
手段を選ぶ余白があるのなら、悪辣な手段を選ぶはずがない。
たった半日の付き合いだが、それでもそれくらいは海衣にもわかる。
「まぁ……それはそうかも、なんだけど、そこまで信頼されると少し面はゆいわね」
その信頼に珍しく花子は戸惑う様子を見せていた。
「それに、今の事件を解決するのに、この人の力は必要よ。それは神楽さんにもわかるでしょう?」
「ふむ」
春姫のたどり着けなかった事実に短時間でたどり着いた。
性格面はともかく、能力面で花子の助けは必要だ。
春姫は無言のまま目を細める。
その所作一つで酷薄な美しさが際立ち、周囲の全てを飲み込むようだ。
「では、沙汰を下す」
言って、トンと剣の切っ先を床に突き立てる。
そして神託を下すように巫女は告げた。
「処分は保留とする。今は目先の細菌騒ぎの解決が優先だ。花子ちゃんがその解決と村の復興に使えるのなら目溢ししてやってもよい」
「ありがとう。力を尽くさせていただくわ」
裁定下した春姫は剣を収める。
そして大人しくしているというポーズなのか静かに腕を組んで目を閉じた。
「さて、それじゃあ説明を再会するけど、ここまでは研究所の『目的』を理解するための前置きよ」
一波乱あったが、ここまでの『Z計画』についての説明はあくまで研究所の設立目的を理解するための説明である。
ここで得た研究所の『手段』についてはこれからだ。
「さっきもちょっと言ったけどこの惑星のZ(終わり)は超新星爆発による地球環境の激変。
地球に飛来したガンマ線バーストによってオゾン層は破壊され地球は生命の暮らせない死の星になる。
研究所の、と言うより『Z計画』を行う全ての機関の目的はこの滅びの回避にある」
「けれど、どうやって?」
滅びの回避と今、村で起きている事象とはまるで繋がらない。
村で起きているのは凄惨な死の螺旋だ。
世界の救済とは真逆ではないのか?
「ウイルスと人間の脳を使ったテラフォーミング」
その疑問の答えを述べる。
「地球を地球化(テラフォーミング)って言うのも変な話だけど、まあ名づけるならリ・テラフォーミングって所かしら」
「リ・テラフォーミング……それは、どういう…………?」
「人間の脳から平穏だったころの地球のイメージを出力して、地球に上書きする。
これにより超新星爆発の影響によって激変した地球環境を再生する。
それが研究所の開発していた[HEウイルス]の本当の目的」
崩壊した地球を地球のイメージで上書きする。
人間の脳を使った3Dプリンタのようなものだ。
それを実現するには多くの人間、それこそ全人類を使わなくてはならない。
だからこそ多くの人間に正常に感染させる必要があった。
「それが、未来人類研究所の掲げる『Z』。地球再生化(リ・テラフォーミング)計画の全容よ」
■
哉太とアニカの2人は収容所のような地下から地上に出てきた。
プレハブ小屋から草原に出たところで、昼の光が彼らを出迎える。
1時間もたっていないはずなのに日の光を浴びるのも随分と久しぶりに感じる。
「はぁ。Ms.チャコにしてやられたわね」
「茶子姉に?」
外に出たアニカの呟きに哉太が疑問を持った。
「Ms.チャコも今の話を知らなかったはずよ」
「なんでそう思うんだよ?」
「だって。村をこんなにした黒幕連中をMs.チャコが許すはずがないじゃない」
「…………あぁ。ま、そうだな」
確かにと納得する。
村を愛する人間なら、村をこんなにした人間を許すはずがない。
哉太だってそうだ。
「Mr.ミナサキは研究所に不信感を持つ人間だった。
perhaps.懐柔すべく手を尽くしたのでしょうけど研究所側の人間としてvigilanceされていたMs.チャコでは詳細までは聞き出せなかった。
だから、口を割らせるために研究所と無関係の村の人間であるカナタを向かわせたのよ」
「あぁ茶子姉が自分じゃなく俺らに生かせたのはそう言うことかよ……まあそういうことするわな、あの人は」
身内だからこそわかる。
世話係で確実に顔見知りである茶子ではなく、哉太たちを向かわせたのはそのためだろう。
だが哉太たちが錬と顔見知りだったのは偶然である。
本人たちですら知らなかったのだから茶子には知りようもない情報だ。
「けれど、だからこそ使いようによってはAceになる。Ms.チャコにどう伝えるかは私に任せてもらうわよ、May I?」
「ああ……そうだな。任せる」
茶子に対して哉太としても思う所はあるが。
情報の扱いについてはアニカの方が確実だろう。
彼女なら悪いようにはしないはずだ。
「それで、結局どうだった? あいつから聞いた情報は事件の解決に使えそうか?」
そもそもここに来た当初の目的は、この事態を解決のための情報収集である。
色々あったが未名崎錬から得られた情報は大きい。
「確かにusefulな情報は手に入れたわ。これを上手く使えばbargaining materialになるかもしれない。
けれど、それだけだと意味はないの。assassinationした方がいいと判断されたらお終いという事よ」
情報を持っているだけでは意味がない。
むしろ知るだけで消される類の情報を抱えてしまった事になる。
生かすデメリットよりも殺すデメリットを大きくしなくてはならない。
「どういう事だ?」
「まだgunpowderを手に入れただけ、交渉材料というbulletにしなければ使えなと言う事よ」
その例えもよくわからないのか、哉太はますます首をかしげる。
「moviesやnovelsでよくあるでしょう? 『私を殺したらこの情報は自動的に拡散される』みたいなの。
重要な情報を私たちを殺せない理由にまで昇華する必要があるって事よ」
このやり方は使いようによっては情報の秘匿を任務とする特殊部隊の連中にも有効だ。
問答無用で殺しに来るような輩や声の届かない位置から攻撃してくる狙撃手なんかには通じないだろうが。
「ああ、なんか見たことあるな。出来ないのか? それ」
「It's impossible. 少なくとも外部に通信できないこの状況じゃあ難しいわ。
そのnegotiationの席をどう用意するのかも問題ね」
一歩前進したのは確かだが、まだ課題は多い。
「ま。とりあえず移動するか。乗ってくれ」
そう言って、2人は止めていた自転車に乗り込んだ。
目指すのは茶子が待つ診療所である。
【B-7/資材管理棟前/一日目・日中】
【
八柳 哉太】
[状態]:異能理解済、左耳負傷(処置済み・再生中)、疲労(中)、精神疲労(中)、怒り(大)、喪失感(大)、マウンテンバイク乗車中
[道具]:脇差(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、打刀(異能による強化&怪異/異形特攻・中)、双眼鏡、飲料水、リュックサック、マグライト、マウンテンバイク
[方針]
基本.生存者を助けつつ、事態解決に動く
1.アニカを守る。
2.山折診療所に向かい茶子姉と合流する
3.ゾンビ化した住民はできる限り殺したくない。
4.いざとなったら、自分が茶子姉を止める。
5.念のため、月影夜帳と碓氷誠吾にも警戒。
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、
クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能及びその対処法を把握しました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所の地下が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました
【
天宝寺 アニカ】
[状態]:異能理解済、疲労(小)、精神疲労(小)、悲しみ(大)、虎尾茶子への疑念(大)、決意、マウンテンバイク乗車中(二人乗り)
[道具]:殺虫スプレー、スタンガン、八柳哉太のスマートフォン、斜め掛けショルダーバッグ、スケートボード、ビニールロープ、金田一勝子の遺髪、ジッポライター、研究所IDパス(L2)、コンパス、飲料水、登山用ロープ、医療道具、マグライト、ラリラリドリンク、サンドイッチ
[方針]
基本.このZombie panicを解決してみせるわ!
1.「Mr.ミナサキ」から得た情報をどう生かそうかしら?
2.negotiationの席をどう用意しましょう?
3.あの女(Ms.チャコ)の情報、癇に障るけどbeneficialなのは確かね。
4.やることが山積みだけど……やらなきゃ!
5.リンとMs.チャコには引き続き警戒よ。一応、Mr.ウスイとMr.ツキカゲにもね。
6.私のスマホはどこ?
[備考]
※虎尾茶子と情報交換し、
クマカイや薩摩圭介の情報を得ました。
※虎尾茶子が未来人類発展研究所関係者であると確認しました。
※リンの異能を理解したことにより、彼女の異能による影響を受けなくなりました。
※広場裏の管理事務所が資材管理棟、山折総合診療所が第一実験棟に通じていることを把握しました。
※8年後にこの世界が終わる事を把握しました、が半信半疑です
※この事件の黒幕が烏宿副部長である事を把握しました
■
「あ、戻って来た」
休憩室で対していた小田巻が、天と真珠の姿を確認して声を上げた。
「何ですか二人で秘密の作戦会議だなんて。私も混ぜてくださいよ」
「アホか。お前は一般人の立場だろうが」
それなりに親しい間柄なのか小田巻が真珠と軽口を叩き合う。
「それで、どっちが指揮るんです?」
「あっちだよ」
乱雑に後方の天を親指で指す。
指揮官に対する敬意は感じられないが、まあそれはいいだろう。
「へぇ。意外ですねぇ」
本当に意外そうに声を上げる。
真珠が大人しく天に従うとは思っていなかったようだ。
「では、変わらず僕たちは乃木平さんに従っていればいいと言う事ですね」
会話を聞いていた碓氷が声を上げた。
それは碓氷からしても朗報である。
判断を下す頭が挿げ替えられると新たな方針次第で切捨てられる可能性があった。
改めて、薄氷の上にある危うい立場である。
声を上げた碓氷たちへと真珠が向き直った。
これから部隊を組む相手へ挨拶を交わす。
「よぅ。つーわけだ、同じ下っ端としてよろしく頼むぜ」
「ええ、よろしくお願いします。僕はこの村で教師をやっていた碓氷誠吾です。こちらは
スヴィア・リーデンベルグ先生。
乃木平さんに温情頂き処分を保留してもらってます」
碓氷の目に映る真珠は限りなく薄い赤。
信用するしない以前に、どうでもいいと思っている。
人間とすら思ってるか怪しいのに、相手と平然と挨拶を交わせる。
人間的感情を持ち社交性を維持したまま人を殺せる小田巻とは異なる、殺意の上に社交性を纏える女だ。
「それで、次はどうします、このフロアの探索も半端に終わったので続きをやります?」
「そうですね…………」
小田巻に問われ指揮官である天は考える。
手駒はほぼ戦力にならない歩が2枚。
斥候のトリッキーな動きが出来る小田巻と言う桂馬。
潜入工作員として万能型の真珠は金将だろう。
1枚で戦況を覆す様な飛車角こそないものの手駒は悪くない。この駒をどう生かすか、打ち手の力量次第である。
「黒木さんは私について1階を探索を続けます、碓氷さんはスヴィア博士と共に念のため引き続きエレベータの監視を」
「私はどうすれば?」
唯一名前の出なかった小田巻が尋ねる。
「小田巻さんは先行して地下2階に降りて偵察を行ってください。
何者かがいる可能性が高いですが、敵を発見してもどうしようもない場合を除いて交戦せずに合流を第一優先とするようにお願いします」
「了解しました。ではパスを借りてもいいですか」
「黒木さん。お願いします」
言われて真珠が廊下で回収したL2パスを小田巻に手渡した。
「では、お先に」
言って、小田巻がパスを使ってエレベータに乗り込む。
それを見送って天たちも行動を始めた。
「それでは我々も行動を開始します」
【E-1/地下研究所・B1/1日目・日中】
【
乃木平 天】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(中)、精神疲労(小)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?、治療道具
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.研究所を封鎖。外部専用回線を遮断する。ウイルスについて調査し、VHの第二波が起こる可能性を取り除く。
2.一定時間が経ち、設備があったら放送をおこない、隠れている正常感染者をあぶり出す。
3.小田巻と碓氷を指揮する。不要と判断した時点で処する。
4.黒木に出会えば情報を伝える。
5.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※成田三樹康と情報の交換を行いました。手話による言葉にしていない会話があるかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※ハヤブサⅢの異能を視覚強化とほぼ断定してます。
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。
※診療所の周囲1kmにノイズが放送されました。
【
碓氷 誠吾】
[状態]:健康、異能理解済、猟師服に着替え
[道具]:災害時非常持ち出し袋(食料[乾パン・氷砂糖・水]二日分、軍手、簡易トイレ、オールラウンドマルチツール、懐中電灯、ほか)、ザック(古地図)
スーツ、暗視スコープ、ライフル銃(残弾4/5)
[方針]
基本行動方針:他人を蹴落として生き残る
1.乃木平の信頼を得て手駒となって生き延びる。
2.捨て駒にならないよう警戒。
3.隔離案による女王感染者判別を試す
[備考]
※夜帳が連続殺人犯であることを知っています。
※真理が円華を犠牲に逃げたと推測しています。
【
スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈
[道具]:なし
[方針]
基本.もしこれがあの研究所絡みだったら、元々所属してた責任もあって何とか止めたい。
1.ウイルスを解析し、VHを収束させる
2.天たちの研究所探索を手伝う
3.犠牲者を減らすように説得する
4.上月くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません
【
黒木 真珠】
[状態]:健康
[道具]:鉄甲鉄足、拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(
田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.乃木平の指示に従う
2.ハヤブサⅢを殺す。
3.氷使いも殺す。
4.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:
田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています
【E-1/地下研究所・エレベータ内/1日目・日中】
【
小田巻 真理】
[状態]:疲労(中度)、右腕に火傷、精神疲労(中)
[道具]:ライフル銃(残弾4/5)、血のライフル弾(5発)、警棒、ポシェット、剣ナタ、物部天国の生首、研究所IDパス(L2)
[方針]
基本.生存を優先。乃木平の指揮下に入り指示に従う
1.B2に向かい偵察を行う。生存と報告を優先
2.隔離案による女王感染者判別を試す
3.八柳藤次郎を排除する手を考える
[備考]
※自分の異能をなんとなーく把握しました。
※創の異能を右手で触れた相手を昏倒させるものだと思っています。
■
世界の滅びとそれを救う地球再生化(リ・テラフォーミング)計画。
明かされた壮大すぎる真実に誰もが言葉を失っていた。
どうとらえる以前に、全てが余りにも現実感がない。
「この内容、春姫ちゃんは先に知っていたのよね?」
「然り。妾に知らぬことなど無い」
恐らく、先んじてこの資料室で事実を把握していたのだろう。
少なくともZ計画の説明の間終始動じる様子を見せなかった春姫を見てそれは解かった。
もっとも真実を知った瞬間ですら、まるで動揺を見せなかったのがこの女なのだが。
「そしてアナタも、この事実を最初から知っていたわね――――――――」
世界の真実を聞かされても動揺してないかった人間がもう一人。
その人間へと向き直り、突きつけるようにその名を呼ぶ。
「ねぇ――――与田センセ」
春姫を除く全員の視線が、花子が説明を始めてからただの一言も口を開かなかった男に向く。
「い、いやだなぁ、そんな訳ないじゃないですか。研究所の人間と言っても僕は下っ端ですから」
見当違いの指摘を受け困ったように誤魔化す様な苦笑をする。
花子はその反応を気にした風でもなく微笑を返す。
「そう言えば、アナタは私と出会った際にこう言ってたわよね。
自分は研究所内でウイルスの管理と実験動物の管理を任されていると」
「そ、それが何だって言うんです?」
それはまるで犯人を追いつめる探偵のよう。
花子は珠の指示によって、この資料室で得られた研究所内の見取り図を広げる。
「これを見てちょうだい、さっきこの資料室で手に入れた研究所の見取り図よ」
広げられた見取り図にはこの研究所の3フロアの施設と配置が書かれていた。
「ウイルス管理室も動物実験室も、どちらもこの最下層の設備よ。
最高レベルのパスを持つ人間にしか入れない場所の仕事を、どうして下っ端のあなたができたのかしら?」
「うぐっ…………」
証拠を突き付けられ、反論できないのか言葉を詰まらせる。
「……だから嫌だったんですよ。研究所について行くのはぁ」
そして、しばらく呻った後、諦めた様に大きくため息を付いた。
「認めたってことでいいのかしら?」
「ええ、まあ。けど下っ端って言うのは本当ですよ。
L3パスを持たされていたのはちょっと特別な事情と言うか……親のコネみたいなもんで、仕事は花子さんに言った通り雑用の延長みたいな物ばかりでしたし」
降参とばかりに投げやりに両手を広げる。
「信じてもらえないかもしれませんが、緊急脱出口についても本当に知りませんでした。食事に誘ってもらった際に支部長が漏らして聞いたことがあるってだけですから」
「そうね。そこは信じるわ。状況的に使ってなさそうだし」
花子と与田が出会った位置からして、診療所の正面入り口から出てきたと考えるのが自然だ。
診療所裏手の入り口から出て来たとは考えづらい。
彼らが知る由もないが、仮にその道を知って選んでいたのなら、仕事を終えたテロリスト、物部天国と鉢合わせていただろう。
「それで尋ねるけど、あの放送を流したのはあなたなのかしら?」
「まぁ半分当たりですね」
観念したのかそれとも自棄になったのか、あっさりと事実を認める。
「えっ!? でも与田先生とは声が全然違いましたよ?」
「ま、そこはセンセの説明を聞きましょう」
急く珠を制して、大人しく与田の説明を待つ。
全員の視線を受けて与田も事件当初の様子を話し始める。
「僕は仮眠室で寝てたんですけど、研究所が大きく揺れてたたき起こされまして、直後に地震が発生しました」
最初に大きな揺れがあって、その後に地震。
つまり最初の揺れは細菌保管室が爆破された時の物だろう。
「地下で異変が起きているのにはすぐ気づきました。
だから怖くて3階にまではいけなかったんですが、ひとまず本部からの指示を仰ぐために地下2階の通信室に向かったんです」
「通信室……外部への通信が生きてるのね?」
「えぇ、まぁ。直通回線なので繋がるのは本部だけですけど」
「十分よ。交渉の場があるなら願ったりだわ」
特殊部隊を引かせるのに必要なのは武力ではなく政治力である。
この事態を解決するにはある程度のパワーゲームは必要だ。
交渉の材料はある程度は揃っている。
「それで、本部からどういう指示を受けたの?」
「本部から受けた指示は、本部からの通信を村内の放送に繋げる事でした」
「研究室の通信室から町内に放送ができるの?」
「ええ。山折村支部を作る際に、副所長が念のために付けたそうです」
「念のためねぇ……」
どういう想定をした念のためなのか。
何とも喰えない老人だ。
「ですが、流石に外部からの声を直接繋ぐ機能はなかったので、音声を無理やり経由させたのでだいぶノイズが混じっちゃいましたが、そのお蔭でいい感じになってましたけどね」
「つまり、あの放送は本部の誰かの演技って事ね。どうりでこの村の誰もあの声に心当たりがない訳ね」
この支部の人間であれば、生活の上で山折村の人間と何らかの形関わりがあるはずだ。
全く誰にも心当たりがない時点で、あの放送の主は外部の人間であった可能性を考慮すべきだった。
「その指示は誰から?」
「対応に当たってくれたのは長谷川部長でしたが、多分指示は染木副所長からでしょうね」
「ふーん。状況を作った犯人なのか、状況を利用しただけなのか、何とも言えない所ね……」
あの放送がこの状況を煽ってたのは間違いないが、細菌保管室を襲った連中との繋がるかは分からない。
「それからどうしたの?」
「それで終わりです。後は頑張って生き残ってくれ、で放逐ですよ!? まったくやってらんないですよ!」
己の不遇を嘆く。
花子は何か納得いかないのか、何かを考えてこむように口元にてやる。
「通信室に向かったのはどうして? あなたなら真っ先に逃げそうなものだけど」
「うっ」
痛い所を付かれたのか、与田は言葉に詰まる。
「それはその、そう言う取り決めになっていたからです」
「それは職員全員にそういう取り決めがあったという事?」
「いやぁ。多分僕だけじゃないかなぁ……」
何故か自信なさげに曖昧に答える。
「なんで先生だけに?」
「実は…………僕は発症しない人間なんですよ」
その言葉に海衣は驚きを隠せなかった。
「何かしら予防薬があると言う事ですか?」
「いいえ。そうじゃありません」
「では何故?」
当然の疑問だ。
その疑問に明確な答えを返した。
「それは…………僕が――――未来人類研究所本部所長の息子だからです」
「えぇ!?」
それはそれで驚愕の事実ではあるのだが。
所長の息子である事と、正常感染することは話が繋がらない。
「[HEウイルス]の概要資料を見た、花子さんならわかるんじゃないですか?」
「ま。そうね」
ちなみに春姫も読んでいる。
だが彼女は心当たりはないのか涼しい顔をしていた。
「どういう事です?」
「このウイルスはね、とある人物の体細胞を元に生成されたウイルスなの」
「じゃあ、そのとある人間と言うのが」
「そう、それが未来人類研究所の所長であり、僕の父です」
未来人類研究所本部所長。
その体細胞を元にして作成されたウイルスが[HEウイルス]。
「だから、その血縁者である僕には正常にウイルスが稼働する確率が高い、と見られてたんです。まあ試したことはなかったんですが。
ウイルスの正常感染率を上げるために、この研究所は僕の体を分析していました。L3パスは非検体として渡された物です。まあ職員でもあったのでついでに雑用もさせられてたんですけど……」
「だから親のコネ……ですか」
コネと言うか遺伝子だが。
親から受け継いだものと言う点では同じだろう。
「けど、何と言ったらいいか……人間の細胞を元にして作ったウイルスにしては、その、超常的過ぎると言うか……」
海衣が疑問を問うが、彼女自身も考えがまとまっていないのか言葉を詰まらせている。
なら何からできているのなら納得できるのか、と問われれば困ってしまうのだが。
「僕もよくは知らないのですが、所長は普通の人間ではないらしいです」
「普通の人間では、ない?」
「ええ、なんでも不老不死だそうで」
「不老不死ぃ?」
それこそ、よっぽどファンタジーだ。
「けど、不老不死の人がいたとして、その体を使ったところでこんな魔法みたいなウイルスにならなくない?」
「まあその辺は昔色々あったそうで。よく知らないですけど」
「――――ヤマオリレポート」
花子が先ほど読んだ書物のタイトルを述べる。
「嘗てこの地で行われた実験によって不老不死の人間が生まれたそうよ。
それのレポートによれば、なんでもその人間には神様が降りたとか」
「神だと?」
神の降臨。
そこに思う所があるのか、退屈そうにしていた春姫が反応する。
神の降りた人間の細胞を使ったウイルス。
つまりは神を元にしたウイルスである。
「けど、所長の息子の割に随分扱い悪いわねセンセ」
「まあ、そこは実力主義と言うか、その辺に関しては真面目な支部なので……」
「よほど無能だったという事であろう」
「うぐっ」
春姫の容赦ない一言が与田を抉る。
お蔭で出世もせず、一般職員としてこき使われていたのである。
だからこそ鳴り物入りでやって来た未名崎錬に反発心を抱いていたのだが。
そんな彼も半年前から中央に戻ったのか見かけなくなった。
「あなたが所長の息子であると言う事は職員は知っているの?」
「いえ、知らないですよ。それこそ支部長をはじめとしたL3レベルの職員くらいですね。
支部長からはお前みたいなもんがL3パスを持ってるのはおかしいからって理由でパスの見た目もL1に偽造されてますし」
「ホントにどんな扱い受けてたの与田先生……」
珠が向ける同情の視線が痛い。
パスを大きく見せるどころか小さく見せる必要があるとか、どんな境遇だ。
「それに、まあ正直、親子と言っても血のつながりがあるだけで親子としての関わりとかは殆どないので。
そもそも別に育ての親もいますし。苗字も違いますので。
何より、唯一の子供って訳でもなくて、むしろ沢山いる子供の一人って感じですね」
「……そんな」
だから希少性もなく、使い捨てにされる。
所長にとっては子など、その程度の物なのだろう。
暗くなりかけた雰囲気を打ち破るように花子がパンと手を叩く。
「ま。とりあえず、これで全員隠し事なしってことで、腹を割って仲良くなれたんじゃないかしら?」
仕切り直すようにそう言って、珠へと向き直る。
「珠ちゃん。この資料室に光は残ってる?」
「えっと、だいたい消えちゃったかな?」
つまり、この部屋で行えるフラグは粗方消化したと言う事だ。
それが分かるのはやはり便利な異能である。
取りこぼしをせず、無駄な探索をせずに済むのは非常に大きい。
「OK。ありがとう。それじゃあそろそろ移動しましょう。いつまでもここにいても仕方ないしね」
そう言って資料室から外に出る。
出迎えるのは死体の山だ。珠や海衣は思わず目を逸らす。
彼らは銃撃戦を行ったのか
死体の横にはいくつもの銃が転がっていた。
花子はその銃を拾いあげ、状態を確認する。
祭服たちはAK-47。警備兵たちはMP5を装備していたようだ。
足元に転がる死体の懐を漁る。
「まだ、弾は残ってるみたいね」
動作を確認して、死体から取り出したマガジンと交換。
銃の持ち手をひっくり返して、海衣へと差し出す。
「いえ、私は……」
自分の体の延長である異能とはまた違う。
人殺しの道具を手に取るのに躊躇する。
「持ちなさい。あなたたちの身を守るものよ」
「……………………はい」
海衣は銃を手にした。
そして花子は同じようにして拾い上げた銃を全員に手渡して行った。
「全員使い方は分かるわね? 分からなかったら教えるわ。安全装置には気を付けて。銃口は仲間には向けないように。
それじゃあB2に上がって放送室に向かいましょう。そこで本部とコンタクトを取るわ。センセ繋いでもえらえるわよね」
そこでの交渉が上手くいけばそれで終わる。
ようやく見えてきた終りに、海衣は神妙な面持ちで銃を握りしめた。
珠は先を見つめる。
進む先には光に満ちていた。
あまりにも大きな光、この先は全ては白い闇に飲まれていて、細か事が見分けがつかない。
ただ、大きなことが待ち受けている。
それだけは確かだった。
【E-1/地下研究所・B3 分析室前通路/1日目・日中】
【
田中 花子】
[状態]:左手凍傷、疲労(中)
[道具]:H&K MP5(12/30)、使いさしの弾倉×2、AK-47(19/30)、使いさしの弾倉×2、ベレッタM1919(1/9)、弾倉×2、通信機(不通)、化粧箱(工作セット)、スマートフォン、研究所の見取り図
[方針]
基本.48時間以内に解決策を探す(最悪の場合強硬策も辞さない)
1.B2にある通信室に向かう
【
氷月 海衣】
[状態]:罪悪感、疲労(大)、精神疲労(大)、決意、右掌に火傷
[道具]:H&K MP5(30/30)、スマートフォン×4、防犯ブザー、スクールバッグ、診療所のマスターキー、院内の地図、一色洋子へのお土産(九条和雄の手紙付き)、保育園裏口の鍵、緊急脱出口のカードキー
[方針]
基本.VHから生還し、真実に辿り着く
1.研究所の調査を行い真実を明らかにする。
2.女王感染者への対応は保留。
3.茜を殺した仇(
クマカイ)を許さない
4.洋子ちゃんにお兄さんのお土産を届けたい。
[備考]
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
【
日野 珠】
[状態]:疲労(小)
[道具]:H&K MP5(30/30)
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.研究所の探索を助ける。
2.みか姉に再会できたら怒る。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
【
与田 四郎】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、研究所IDパス(L1→L3)、注射器、薬物
[方針]
基本.生き延びたい
1.花子に付き合う
2.花子から逃げたい
【
神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:AK-47(30/30)、血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)、[HE-028]の保管された試験管、[HE-028]のレポート、山折村の歴史書、長谷川真琴の論文×2。
[方針]
基本.妾は女王
1.研究所を調査し事態を収束させる
2.襲ってくる者があらば返り討つ
[備考]
※自身が女王感染者であると確信しています
※研究所の目的を把握しました。
※[HE-028]の役割を把握しました。
※『Z計画』の内容を把握しました。
※『地球再生化計画』の内容を把握しました。
最終更新:2024年01月09日 15:45