空に昇る太陽が天頂に達しようかとしていた頃。
山折山の深い山中では緑豊かな木々の間から光が零れ、地面に降り注いでいた。
小鳥のさえずりさえ聞こえぬ静寂の間を風が通り抜けるたびに、木々は静かにささやきを漏らす。
山中で広がる小さな開けた空間には、野生動物の賑やかさではなく人の作る戦場のような慌ただしさが広がっていた。
動き回るのは同じ姿をした迷彩色の防護服を纏った集団だ。
彼ら特殊部隊の隊員たちは、それぞれが役割に従って完成された機械のように動いていた。
ドローンの準備や装備の点検、機器のテストを行いながら、撮影された映像に目を凝らして解析を行う。
その慌ただしさの中心に、ひっそりと迷彩色のアーミーテントが佇んでいた。
外界の喧騒とは対照的に、テントの中は別世界のような静寂に包まれている。
これが山折村での作戦行動のために秘密特殊部隊が設営した臨時拠点である。
簡易テントの中には部隊の司令官である隊長と副隊長が待機していた。
時刻は11時30分。2度目の定例会議まであと30分と迫っていた。
「現地の隊員からいくつか追加支援の要望が届いています。すでに物資の用意は済んでいますが手配しても構わないでしょうか?」
そう報告を行う優男が秘密特殊部隊SSOGの副官である
真田・H・宗太郎である。
防護服に包まれた体の線は外で忙しく働く特殊部隊の面子に比べて幾らか細いが、ドイツ人を祖父に持つクォーターであるためか見た目に寄らぬその筋力は隊でも随一である。
「問題ない。手配してくれ」
パイプ椅子に座りながら報告を聞く男が隊長である奥津一真である。
顔の見えない防護マスク越しでもわかる分厚さ。
単純な胸板の話であれば同部隊に存在する隊員、大田原源一郎の方が大きいだろう。
だが彼の場合、筋量ではなくその存在感が厚いのだ。
これこそが国防の要たる部隊を預かる厚みである。
「後は乃木平から上がっている件ですが」
「ああ。確認している」
隊長と副官が確認するのは、現地にいる隊員、乃木平天から周囲を封鎖している隊員を経由して上げられてきた報告についてた。
その内容は大きく分けて2点。
1.一部村人が女王の殺害ではなく隔離による解決を計画しており、生き延びた女王による第二波リスクがある。
2.山折村で発生したバイオハザードは地震による事故ではなく人為的なテロである可能性が高い。
女王を隔離しようという村人の動き。
隔離という案自体は司令部である奥津たちも考えていた。
だが、女王を特定する手段がない。
全員隔離するにしても方法がない。
方法があったとしても確実に防げる保証がない。
以上の点から却下した案である。
下手に実行されれば天が懸念している通り女王が生き延び、第二波のリスクが発生するだろう。
確実な解決を図るのであれば女王殺害は絶対だ。
だからこその強硬策である。
だが、それを理解してない村人が実行する可能性は否めない。
1%以下の平和的解決に賭けたい連中とはそもそものスタンスが違う。
何らかの対処は必要だろう。
そして、この事件が事故ではなくテロであった可能性について。
その可能性は司令部側も当然考慮していたが、報告によれば、黒幕と思しき人間の名は判明しており、実行犯と思しき物部天国も成田が殺害済みという話だ。
「この情報は確かでしょうか?」
「さあな。裏を取るのはこちらの仕事だ」
黒幕の情報ともなれば値千金の情報だが、信憑性は定かではない。
SSOGに任された任務は事態の隠蔽と処理である。
事故ならば事後処理と証拠隠滅で済む話だが、元凶がいるのならばその始末も含まれる。
その裏付けと実行の判断をするのは司令部だ。
現地の隊員はその判断に従い与えられた任務をこなすだけである。
「私の方で調べていた件ですが、調査結果がまとまりましたのでそちらも報告します」
「聞こう」
端的なやり取りを交わし、真田が手にしたタブレットの画面を操作してデータを表示する。
作戦開始から約半日。その僅かな時間で纏め上げた山折村についての調査結果について報告を始めた。
「まずはバイオハザードの発生地となった山折村について調べました。
この周辺は1000年ほど前に発見された土地で当時は無法者たちの拠点として利用されていたようですね。
その後、賊どもは討伐され土地は国の管理下に置かれた後に疫病の隔離地として利用されていたようです」
「…………疫病か」
かつての疫病の隔離地でウイルス研究が行われているというのは妙な符合だ。
山に取り囲まれた地形は実験地に選ばれた理由の『一つ』だと言っていた。
これがまた一つのこの土地が選ばれた理由なのだろうか?
「疫病の生き残りによって形成された集落が村の原点となったようですが、この土地は多くの災厄に見舞われたと記録にあります。
そういった災厄に対する祭事や外界から隔離された環境の影響もあってか、独自の信仰や文化が生まれ今も村に根付いているようですね」
祭事や信仰。こういった伝承や神話もバカにはできない。
妖怪や悪神は当時の疫病や災害の隠喩や言い換えで語り継がれている事も多い。
その背後に重要な歴史的事実が隠されていた、なんてのもよくある話だ。
「その成り立ちから当初は病檻村や厄檻村など揶揄されることもあったようで。今の山折村と名を改めたのは明治に入ってからのようです」
副官が村の成立について簡潔にまとめた。
しかし、これまでの情報は前置きに過ぎず、本題はこれからだ。
「注目すべきは第二次大戦に入ってからの事です。
第二次大戦中に、あの村では旧日本軍の軍事実験が行われていたようです」
「軍事実験?」
「ええ。未来人類発展研究所はその第一実験棟の跡地が利用されているようです」
副官が手元のタブレット資料をスワイプして新たな情報を表示する。
こうした一般人が一生かかってもお目にかかれないような機密文書に申請一つで簡単にアクセスできるのは秘密部隊の特権だ。
現場の資料を焚書をした所で軍部に送られた報告書は残っているのだ。
軍の暗部であれば、彼らの領域である。知れぬはずもない。
「わざわざ第一と冠しているという事は、実験場は他にもあるのか?」
些細な点にも目ざとく奥津が反応する。
その指摘に真田は頷きを返した。
「はい、記録によれば第二実験棟もあったようです」
「行われていた研究はどういう内容だ?」
「まず第一についてですが。行われていたのは死者蘇生や不死の兵と言った類の研究ですね。そこで軍部主導の下で人体実験が行われていたようです」
「ありがちだな」
驚くでもなく、ため息交じりにそう相槌を打つ。
数多くの暗部や愁嘆場を見てきた彼らからすれば、その程度の話は飽きるくらいにはありきたりな内容だ。
「実験を主導していたのは村の出身者であり、旧陸軍の軍医中将であった山折軍丞閣下。
実験は薬物や脳手術なども行われていたようですが。それよりも魔術や降霊のような、かなり非科学(オカルト)に寄った内容が主だったようです」
戦時に窮した軍部が黒魔術や霊媒などのオカルトに走ること自体はそう珍しいことではない。
時代背景もあるのだろうが、そう言った信仰が村に生きていたのだろう。
それを村の出身者である軍医中将が拾い上げた、と言ったところか。
「軍部に送られた報告書によれば第一での実験は成功した、とだけあります」
「成功した?」
「はい。終戦と重なり実戦運用はされず、研究自体も撤退したため、それ以上は記録も残されておらず詳細は不明ですが」
「ふむ」
気になる点は幾つかある。
だが、記録が残っていないのならこれ以上追及しようがない。
「まあいい。第二の方はどうだ?」
「第二棟で行われていたのは、別世界の研究だそうです」
「また、なんというか……胡乱な話だな」
オカルトに傾倒していたと言っても、異世界と言うのはなかなかパンチが効いた胡乱っぷりだ。
「戦時下の物資不足解消のため、という名目のようですが、記録によればこちらはあまりうまくいっていなかったようですね」
「それで? 第一の跡地が研究所になったのなら、第二は村のどこにあるんだ?」
「元は山中に作られた研究棟だったらしく、今でいう山折神社の真下辺りですね。ただ、現在は跡形も残されていないようです」
「残されていない? 解体されたという事か?」
「いえ、実験中の事故で施設ごと跡形もなく消滅したとあります」
「消滅とは、また……物騒だな」
跡形もなく消滅というのは穏やかではない。
兵器開発ならまだしも、異世界の研究していた施設が消滅したとはどういう事か。
施設ごと異世界転移でもしたのか?
不死の兵。異世界。
気になるワードは幾つも出てきたが。
SSOGにとって重要なのは、それらが今回の任務に関わるモノなのかどうかである。
一見すれば直接的には関わりがないように見える。
かと言って無関係と切り捨てるのも愚かだ。
ひとまず現時点では忘れぬよう心に留めておくとしよう。
「続いて、研究所についての調査報告です。まずは資金の流れを洗いました。こちらをご覧ください」
差し出されたタブレットの画面を奥津が覗き込む。
そのディスプレイには、細かく分類された円グラフが映し出されていた。
「出資の大部分は投資会社や大手製薬会社からのもののようですね。
それ自体は特に怪しいものではないのですが、いくつか気になる点が」
「具体的にはどこだ?」
奥津からの問いに、真田がグラフを指さして一部を拡大する。
「注目して頂きたいのはこの『大和公益会社』というベンチャーキャピタルからの出資です」
「『大和公益会社』? 聞いたことがないな」
奥津が僅かに首をかしげる。
その反応を確認ながら真田は話を続ける。
「詳しく調べたところダミー会社のようです。資金の流れを追ったところ、どうやら出資元は防衛省のようで」
「防衛省……? 新薬の開発なら厚労省だろう?」
防衛省と言えば他ならぬ自衛隊の上役である。
わざわざペーパーカンパニーで偽装しているのも気にかかる。
何より研究所に防衛省が関わっているのなら研究所の情報が軍部に降りてこないのはおかしい。
申請すれば大抵の機密情報にアクセスできる。それが彼ら秘密特殊部隊の持つ特権だ。
国内で管理されている情報であれば、彼らにアクセスできない情報など殆どないと言っていい。
もちろん任務に無関係な情報にまでアクセスできるわけではないが、それこそ海外セレブのスキャンダルですら任務に関わることだってある。
そんな彼らが詳細を把握できない研究所とはどういう立ち位置なのか。
「現在隊員が装備している防護服の作成に携わっているので、その絡みでしょうか?」
「それにしては額が多いな。何よりこの防護服は極限環境の作業服という事になっている。名目上軍事用ではない」
軍事転用されているが名目上は極限環境の作業服の作成である。
どういう目的を想定して開発されたのかは不明だが、少なくともあの研究所は軍事研究を目的としていない。
「そしてもう一社、『アースケージ』こちらは環境省の隠れ蓑です」
「環境省? ますますわからんな……」
複数の省庁が入り乱れている。
この出資状況だけ見ても、複雑な研究所の背後関係が浮かび上がってくる。
それだけならそこまで珍しい事ではないが、謎の研究所相手となると少々キナ臭い。
「出資の割合は大よそ国内製薬会社が3、厚労省が3、防衛相が2、環境省が1、その他の投資会社や投資家が1となっています。
特筆すべきは、海外からの投資が一切ない点です。全ての資金は国内源泉から賄われていますね」
その上、半分以上が国からの出資である。
国家主導のプロジェクトと言っても過言ではない。
「真田。この報告は上に上げているか?」
「いえ。まずは隊長に報告すべきかと」
「そうか」
政府筋まで関わっているとなると下手な報告は藪蛇になり泣けない。
何より防衛省となると特殊部隊直属の上役である。
腹を探られるのを嫌って差し止められる可能性が高い。
「続いて、こちらをご覧ください、研究所の協力機関の一覧です」
資金の流れに続いて真田が差し出したのは協力機関の一覧が表示された画面だった。
そこに並んでいるのはいくつかの製薬会社や研究機関の名前である。
「製薬会社や研究機関などはいいのですが、注目して頂きたいのはここです」
真田が指さした先に書かれていたのは『JAXA』という名前だった。
それを受けて奥津が考え込む。
「JAXAと言うのはあのJAXAか?」
「はい。あの宇宙航空研究開発機構のJAXAです」
「わからんな。宇宙開発とウイルス開発がどう関係する?」
「宇宙由来の細菌と言う事でしょうか?」
「それとも。宇宙戦争でも始めるつもりなのかもな」
奥津がそう冗談めかして言うが、その冗談を笑う者はこの場にはいなかった。
宇宙戦争はないにしても軍事と宇宙開発には密接な関係がある。
異能が跋扈する村の現状を思えば冗談にもならない。
「確かに彼らの開発した防護服には宇宙服並みの性能がありましたが……あの超能力を使った生体兵器を開発しているのでしょうか?」
宇宙服並みの性能がある防護服の開発に、異能という超常の戦力。
そのまま繋げてしまえば宇宙戦争という冗談めかした内容になってしまう。
「状況から見て筋は通る。だがしっくりは来ないな」
「何故です?」
「あのご老公はこの開発を兵器開発ではなく医療目的の開発だと言った。あの異能は副産物だとも。
その言葉を頭から信じる訳ではないが、やはりしっくりは来ない」
根拠のない印象論でしないが、特殊部隊を率いる隊長としての経験と直感が違うと告げていた。
「ひとまず、現時点での村と研究所の調査報告は以上となります」
「わかった。調査ご苦労だった」
ひとまず調査結果の報告を終える。
テント内の時計を見れば、時計の短針と長針が重なろうとしていた。
秘密特殊部隊と未来人類発展研究所の間で定められた、定例会議の時間である。
■
一二〇〇。
定刻に達し真田がノートパソコンを操作すると画面にはスーツ姿の美女と皺がれた白衣の老人が映しだされる。
両組織の代表者がモニター画面越しに向かい合う。
山折村で発生したバイオハザードに関する二度目の定例会議が開始された。
『ヤァヤァ。お二人は徹夜カナ? 軍人さんは勤勉ダネェ。
朝は出席できず悪かったねェ。ナニブン歳なものでネ』
腰の曲がった老人が、不思議と通るしゃがれた声で挨拶を述べる。
毅然と背筋を伸ばした自衛隊員が軽く受け答えをした。
「いえ。お気になさらず。
染木博士は前回の定例会議の内容は共有しておられるでしょうか?」
『アア。長谷川くんから聞き及んでいるヨ。何でも妙な放送があっタって言うのと、動物の感染者が確認されたようだネ』
「はい。正常感染したと思しき動物は。
ペットとして飼われていたワニ『
ワニ吉』
山折村の小中学校で飼育されていた豚『和幸』
山から下りてきた独眼の熊、仮称『
独眼熊』
の3匹を確認しています」
女王の条件から外れる小動物は候補から外している。
「3匹の動物を加え、前回会議の生存者から活動停止を認められた正常感染者は
以上13名となります」
真田が淡々と死者の正常感染者の名を読み上げ報告を終える。
女王の生死確認は事態の収束にとって最重要事項だ。
この報告は最優先で行われる報告である。
だが、今しがた口にしたのは村人の被害者だ。
報告できないSSOG側の被害としては、ゾンビと化した
美羽 風雅、正常感染者なった
大田原 源一郎がいる。
この2名は精鋭揃いのSSOG中でも更に精鋭。失うには惜しい人材だ。
彼らに関してはまだ死んだわけではない。事態を収束させれば回復の余地がある。
『こちらでも、お送り頂いた映像データを精査させて頂きました。
確認の結果、C感染者の活動に変化はありませんでした。今後も経過を観察して行きますが現時点で活動を停止した感染者の中にA感染者はいなかったと思われます。
こちらからの報告は以上となります』
氷のような鉄仮面から前回と一言一句変わらぬ報告が行われた。
横でうんうんと頷く老人の姿がなければ録画を疑う程に表情までもが同じである。
『コレまた沢山死んだネェ』
率直に染木が不謹慎な感想を漏らす。
死者の数は前回よりも多く、あの村を廻る死は加速している。
女王の死亡が確認されない以上、あの村の地獄は続く。
『コノ調子じゃあ、ゾンビなんかも沢山殺されてるンじゃないのカネ?』
「確かに正常感染者以外の死者も多く確認されていますね」
『ふーム。女王候補ですらないゾンビたちを殺したところで意味ないのニ、何とモ物騒な村だネェ』
おーコワイコワイと老人は顎を擦りながら細い肩を竦める。
自衛のために自らに襲い掛かる火の粉を払うためにゾンビを殺す程度の話ならば理解できるが、一部村民は積極的にゾンビを殺して回っている節があった。
その理由は特殊部隊の彼らにもよくわかっていない。
「ですが、一部正常感染者たちに女王を殺害ではなく、隔離することで解決を図ろうと言う流れがあるようですよ」
『ヘェ。隔離か、面白い流れだネェ』
事態を楽しむように、染木は本当に感心したような声を上げる。
まるで映画でも観戦しているようだ。
「実際の所、隔離で解決を図るのは可能なのでしょうか?」
『理屈としては不可能ではないだろうネ。ただあまり現実的ではないかナ』
そう言って染木はコーヒーを啜る。
その横では涼やかな顔で長谷川が紅茶を飲んでいた。
ともかく、研究所も特殊部隊と同じ見解のようだ。
『ソレに隔離と言っても、細菌同士の繋がりは実に不思議な理論で行われていてネ。距離を離せばいいというモノでもないのだヨ』
「女王の影響範囲外ではウイルスは活動できないと長谷川さんにお聞きましたが?」
女王の影響範囲外ではウイルスは活動できず、そのため動物による感染拡大はない。
そう前回の定例会議でそう説明されている。
『その影響範囲と言うのが問題でネ。細菌たちは単純な距離ではなく別の概念で繋がっている可能性が高いのだヨ』
「別の……概念とは?」
『ワタシは縁と見ているネ。関係性とでも言えばイイのかナ。女王との縁がある限りは活性化は途切れナイのサ。
ソレは距離で途切れてしまう事もアレば、ソウでない場合もアル』
同じ村の中にいるという縁だけで繋がっているのなら距離を離してしまえば途切れるだろうが。
血縁や情。そういった縁がある限り繋がり続ける。
あの最近はそう言った特性を持っていた。
あまりにも曖昧で非科学的な理屈だ。
画面越しでもその困惑を感じ取ったのか、老人は続ける。
『同じ条件で同じ結果を確実に得られる再現性があるのなラ、ソレは化学的に証明されているのだヨ』
細菌学の権威はそう断言した。
未知であろうとも、不可思議であろうとも、それこそ魔法であろうとも。
そこに理屈があり、確実に再現性があるのならば、それは科学である。
「ですが、どのような方法であれ、物理的な遮断を行なえば防げるのではないのですか?」
『ドウだろうネェ。けれド、アノ村にそんな事が出来るモノがアルとするなら、キミらが装備している防護服くらいのものジャないカナ?
細菌保管庫なんかに閉じ込めてもイイだろうケド、その場合は窒息死しちゃうから保護とはいかなくなっちゃうからネェ』
冗談めかしてそう言ってクツクツと老人は笑った。
つまり、村内にある救いの手は死神たる隊員と同じ6つだけ。
当然破損していては使い物にならないのだから、現状ではさらに減るだろう。
手あたり次第に感染者を隔離するには絶対的に数が足りない。
何より防護服を得るためには特殊部隊を傷つけず生け捕りにして、装備を引っぺがす必要がある。
どれをとっても実現性は限りなく低い。
『マァ。万が一を考えて、その辺は気にしておくヨ』
「ええ。こちらもモニタリングして不信な動きがないか注視しておきます」
ドローンによる上空からの撮影であるため室内の深い所の状況までは追えていないが、村内の動きはある程度監視できている。
村人に不審な動きがあればわかるし、女王の死を精査できる研究所と連携を取れば、隔離作戦が実行されたとしても看破できるだろう。
『ヨロシク頼むヨ。アァ、ところでサ。村にいるよネ? キミたちの所の隊員サン』
老人は何気ない雑談でもするように、いきなり確信を付いてきた。
「なんのことでしょうか?」
一瞬でも返答に詰まればそれが答えとなるこの場面で、真田は詰まることなく返答した。
彼とて幾多の困難を乗り越えてきた百戦錬磨の副長である。
この程度で動じる様な心臓はしていない。
『アア、誤解しないで欲しいンだけド、別に責めてるわけじゃないヨ。お互い腹を割って話そうと言う事サ』
だが、老人は否定の言葉など聞いていないかのように話を進める。
駆け引きを無視した、ぬるりとした踏み込みは老獪さのなせる業か。
「ですから、仰っている話がよく」
「いや、いい」
知らぬ存ぜぬを通そうとする真田を奥津が制する。
下手に誤魔化し牽制し合うより、腹を据えて晒し合った方が得られるものが多いと判断したのだ。
奥津の圧が画面越しでもわかる程に強まるのが分かった。
『隊長さんは話が早くていいネ』
その圧をまるで感じていないように老人はカカと笑う。
隣の美女も涼しい顔で眼を閉じて肩を竦めた。
「部隊を撤退しろという事でしょうか?」
『イャイャ。その必要はないヨ。彼らはよくヤッているじゃあないカ。キミらが極限状況を作ってくれたお陰だヨ、思った以上に進行が速い』
「…………進行とは?」
『正常感染者の進行サ』
それは生き残った正常感染者の全滅までの進行なのか、それとも感染者たちの何かが進行しているのか。
どうとでも取れる曖昧な答えだ。
『トモカク。キミらの契約違反は不問としようじゃないカ』
独断専行を見逃すという寛大な処置に手放しで喜ぶはずもなく。
交渉において、先んじた譲歩は更なる譲歩を引き出すための常套手段である。
掴みどころのない老人の態度に奥津は防護マスクの下で眉間を寄せる。
『マァそう警戒しなさンな。ワタシはキミたちと仲良くしたいンダ。
手を取り合おうジャないカ。我々の目的はそう外れてはいないはずだヨ』
胡散臭いこそこの上ない言葉を並べて、老人が画面越しに手を伸ばす。
防護マスクの2名はそれを微動だにせず見送る。
「そちらの望みは何です?」
巌のような重く固い声に、楽し気なひょうひょうとした軽い声が返る。
『そうさネェ。最近は他国のスパイやなんかもチョロチョロして何かと物騒になってきてネ。
自前の戦力では少々心許ないと思っていた所なのサ、警備を強化したいと思っていたのだヨ』
「我々と手を結びたいと?」
『アア。最初からそう言ってるだろウ?』
元より有事の事後処理においては協力関係ではるのだが。
それは信頼ではなく、契約によって結ばれた一時的なものだ。
だからこそこうして相手の腹を探り合っているのである。
だが、博士が言っているのはそれ以上の意味だろう。
SSOGごと取り込もうと言う腹だ。
「では、あなた方の行っている研究について、ご説明頂けると考えてよろしいのですか?」
『ウーン。ワタシ個人としてはお教えして上げたいのはヤマヤマなのだけどネェ。
ソノ辺はホラ。メンドウな絡みがイロイロあってネ。ワタシの口からはチョットネ』
「つまり、我々が話を通すべきは別にあると?」
この問いに老人はニヤついた表情で返した。
彼らの研究が機密であるならば、機密を握り管理している立場の人間がいる。
『アア。ダレに話を通せばいいか、ソレくらいは調べがついているだろウ?』
奥津たちが研究所の背後関係を洗っていることくらいはお見通しのようだ。
いくら超法規的な特権を与えられたSSOGの隊長と言えでも、一存で決められる話ではない。
『そうだネェ。ソイツらに「Z計画」について尋ねてみるとイイ。モチロン、ワタシから聞いたという事は内緒でお願いするヨ』
シィ、と口元に指をやって悪戯に笑う。
いつの間にか会議はこの老人のペースになっていた。
露骨な餌をチラつかせ上と交渉するよう誘導されているのは否めない。
だが、どれほど露骨であろうとも無視できないのが質が悪い。
『マァその辺は追い追い、今後のお話だネ。今は当面の対応について話そうカ』
研究内容については話せないが、事件についての話なら今でも出来る。
いきなり確信に切り込んでいったのは、そこで腹を割るための前振りであったのかもしれない。
『まずは無編集のデータの提供をしてもらいたい。コチラとしてもサンプルは多い方がいいからネ』
研究所に提供されているデータは特殊部隊が関わるところを上手くカットしている。
工作班が巧く違和感ないよう再編集しているが、皮肉なことに現地の隊員が活躍しればするほどデータの欠落は大きくなっていた。
そこに研究者として貴重なデータが映っている可能性はある。
「了解しました。応じましょう」
現地への隊員派遣が発覚している時点でデータを隠す意味もない。
むしろ工作班への負担を減らせるのだから受けない理由もない。
「では、その代わりと言う訳ではないですが、こちらからも質問を」
『なんダイ?』
許可を得て、特殊部隊の隊長が改めて問う。
「――――この状況を作り上げたのはアナタですか?」
先ほどの意趣返しの様に、喉元に刃を突き付けるような問いをぶつける。
空気が凍ったような一瞬の間が生まれた。
『率直だネェ。ダガ違うヨ。少なくともワタシはバイオハザードの発生に関しては関与してイナイ』
「では聞き方を変えましょう。あの村の状況は、アナタ方に利する所がある状況なのですか?」
『利かァ…………』
その問いに老人がしわがれた唇を歪める。
『――――あるネェ。沢山あるヨ。コノ状況は我々にとって実に都合がイイ』
否定することなく、全面的にこれを認めた。
『ダカラと言ってワタシが仕掛けた訳ではないヨ。この件で得られる成果は確かに多いガ、これ程好条件がそろった実験場を破棄してしまうのは長期的に見ると損失ダ。あの土地には個人的な思い入れもあるしネェ』
「思い入れ……ですか? 博士のご出身と言う訳でもないのですよね?」
『アァ。昔ちょっとネ。懐かしいネェ』
昔を懐かしむ様に老人が斜視で標準の合わない視線を遠くにやった。
研究者が言う昔に軍人たちは心当たりがある。
「昔、と言うのは戦時の事でしょうか?」
『ヨク調べてるネェ。ソウだよ』
山折村で行われていた軍部の人体実験。
その研究員の一人だった、と言う事か。
博士が戦時中に細菌兵器を研究した、と言う噂の出所はここからだろう。
「ですが、失礼ですがご年齢が合わないのでは?」
第二次大戦と言えば80年近く前だ。
その頃から研究者として働いていたと言うのならば若すぎる。
年齢が合わない。
『研究内容については調べがついているのカイ?』
「ええ。不老不死と異世界の研究だとか」
『ナラ行ってしまうとだネェ。ワタシが回されたのは不老不死研究の方でね。テーマは「細菌による老化の抑制」』
「まさか…………」
年齢の不一致。
その理由に思い至る。
『アァ。その研究の影響を受けてネ。ワタシは今124歳ダ。
マ。研究が完成していた訳ではナイのでネ、不老不死など程多く、老化をホンの僅かに緩やかに緩やかにする程度のものだがネ』
事実だとするならば、とっくにギネス記録を超えている。
こうして自立してはっきり受け答えが出来ているだけでも脅威である。
「ならば、あの村を選んだのはアナタが」
研究所を引き継ぐ方策を実行したのか。
だが、人類最高齢の老人は緩やかに首を振った。
『イイや。あの村を推したのは所長だヨ』
「所長殿、ですか」
『あの村は色々と「条件がイイ」からネ。戦時に選ばれたのと同じ理由サ』
『博士。それ以上は』
『オッと、イケないイケない』
それまで黙っていた長谷川女史が発言を差し止める。
つまり、それ以上先は研究内容に関わる。つまり契約更新なしで話せない所だと言う事だろう。
『マァともかく。ワタシが状況を利用している事は否定しないヨ。起きてしまった以上、利用しないのはもったいナイからネェ。
ケド、ワタシではない』
この研究者は間違いなく善人ではない。
だが、このバイオハザードを引き起こした黒幕でもない。
そこまで認めておきながら嘘を付く理由もないだろう。
何より、この状況を仕組んだ黒幕と目される人物の名を奥津たちは知っている。
「では、そちらの研究所に烏宿暁彦と言う人物はおられますか?」
天より提供された情報をぶつける。
突然出てきた名前に不思議そうな顔をしながら染木は答える。
『烏宿くん? 確かに居るネ。烏宿くんがどうしたのかネ?』
「烏宿氏がテロリストを引き入れこの事態を引き起こしたしたのではないか、と言う報告が現地の隊員から上がっています。
お心当たりはありますでしょうか?」
『烏宿くんが……? ふーム』
心当たりがないのか、老人は首を傾げて考え込む仕草を見せた。
常にこんな調子だから、老人の言動は本気とも演技とも見分けづらい。
『長谷川くん。彼ってドウ言う役職だったっケ?』
『昨年の4月から脳科学部門(うち)の副部長を務めてますね』
『副部長かァ……ナルホドナルホド。ならマァ、そう言う事もあるカ』
傍らの研究員の答えに、頭の中で合点がいったのか、老人は何か納得したかのように一人頷く。
「何かお心当たりがあるのですか?」
『ウン? まァそうだネ。けれど、タダの推察だからネ。
烏宿くんから直接事情を聴こうカ。その方が確実で手っ取り早イ』
確かに染木の言う通り、本人に事情を聴取できるのならばその方が確実だろう。
だが、烏宿暁彦が本当に何かをたくらむ不穏分子であるのならば抵抗が予測される。
穏便に行けばいいが、そうでなければ制圧のためにそれなりの戦力が必要となるだろう。
「人員が必要ならこちらで手配いたしますが?」
『イャイャ。コチラにだってそのくらいの人材はいるサ。長谷川くん、頼めるかナ?』
『かしこまりました。手配いたします』
そう言ってスーツ姿の才女が立ち上がる。
何らかの手続きをしに行ったのかスマホを片手に席を外した。
『さテ。長谷川君も退席したし、今回はこの辺で御開きかナ?
次回までには烏宿くんに事情を聴いて準備を整えておこう。ソチラも何かと時間が掛かるだろウ?』
染木の言う通り、研究所からこれ以上の情報を引き出すには手続きが必要になる。
申請と交渉にはある程度時間が掛かるだろう。
「了解しました。それでは続きは6時間後に」
『ああ。楽しみにしているヨ』
老研究員がひらひらと手を振って、特殊部隊の二人も軽く防護マスクの頭を下げる。
そうして通信が終わったところで、間髪入れず奥津が立ち上がった。
「俺は東京に戻る。現場の指揮は任せてる」
「了解しました」
そう動くと分かっていたかのように副官も応じる。
申請したところで下手をすれば数日どころか数カ月かかるだろう。
そんな時間などかけていられない。
直接殴り込んで首を縦に振らせるのが一番手っ取り早い交渉術だ。
何故、機密を護る秘密特殊部隊にその情報が降りてこないのか、その理由を含めて問い質さなければならない。
「上の連中に許可を取り付け事情を吐かせる。
いざとなれば幕僚長殿を締め上げてでも聞き出してやる」
最終更新:2024年03月29日 22:28