インタビュー関連
資料集、マ王などの
インタビュー(※閲覧注意)を受けてのレス群まとめ
- インタビューを受けて
- 「最高の充実の中で事切れる」
キタローがそう感じている描写がないよ
そもそも死ぬ必然性も示されてないよ
だいたいエレボス意味不明だよ
「生きてく意味が見えなくてちょっと誰かの死に触れてみたい」
誰かの死に触れたら生きてく意味が分かるかもしれんのか
なんでそう思ったんだ
もう俺には何も分からない
- 充実してる時ほど「この時間がいつまでも続けばいいのに」と思うタイプなので最高の充実の中逝ったキタローは幸せですとか言われても全然納得できない
充実感が無くなった時に感じる喪失感への恐怖、とかならわかるけど、それで充実してる内に死ねたら最高、まで飛躍しちゃったら
散々否定してるニュクス求めるような心と大して変わらないし
- 死、云々は良く分からんかったが役目も果たせずにのうのうと生きるロボが興醒めだという事だけは伝わった
- キタローは答えに到達して解脱したことになってるからな。
プレイヤーに選択権を与えなかったので、この有様。
橋野、資料集でいってたじゃん「このゲームはバンジージャンプです」と。
でも、まさかそれに命綱が無くて(それバンジーじゃなくて身投げだろ)、激突する前に自動的に悟りを開くことになってたとは知る由もなかったわけよ。
- 17歳のガキなんて青春真っ盛りじゃねーか。とんでもねーことやりとげたとはいえ、「満足だ、もう死んでもいいや」なんて考えるやつなんざいねぇ。
若者を意味不明な流れで、勝手な価値観で殺してなにがハッピーエンドだ。
- ハッピー・バッド以前の問題として、シナリオの不整合と脚本家の開き直りが気に入らないなあ。
ラスボス戦後の綾時の台詞や、ラスボス~卒業式までの1ヶ月の空白さえなければ
キタロー死亡にもそんなに違和感がなかっただろうに。
本人的にはキタローの生死をぼかしたつもりはなかったとしても、
その辺の事情から主人公生存説を支持していた人間も相当数いたはずだし、
ネットやら何やらで生存説派の知った上で「ぼかしたつもりはない」っていう発言を繰り返すのはプロ脚本家としてどうなんだか。
- 充実した死っつーテーマが危なすぎるんだよな
人生が充実していなかったらダメなのか、
充実していてもその瞬間に死を迎えられなければダメなのか、
充実した死を迎えられれば幸せで
そうでない人間は不幸なのか
全力で生きても充実していなければやはり不幸なのかとか
とにかく穴だらけでかなりヤバイ
しかもその体現者である主人公の立場にも説得力が無くて
外見や社交術、天賦の才や能力で
たとえば順平とかから見ると主人公は明らかに強者なんだよ
それも努力の結果ではなくどちらかといえば先天的に。
なんかボンボンが貧乏人を札束で説教してるみたいで寂しい気持ちになる
- 死については何も考えられなかったけど、
ゲーム、特にRPGの有り様やエンターテイメントはどうあるべきか等色々考えさせられたのは確かだな。
- 自分の子供が青春真っ只中の充実している最中に突然死んだとしても田中や橋野は「うちの子は不幸なんかじゃない」と言えるのか
最終更新:2007年05月22日 18:25