幻獣たちの邂逅

プロローグ

「…潮時、か…」

「…アジャン?アジャンなの?…生きてたなら…教えてくれなきゃ…」

月の女狐

月面ムーンベースのアレスたちは、L1で起きた大爆発を月から目撃していた。何が起きたのかは知る由もなかったが、アジャンに只事ならぬ事態が生じたらしいことは察しがついた。

「…あれ、L1の方向だよな…」
「…」
「…アジャンは無事なのか?あんな爆発があっては…」

セイバーにそう聞かれて、アレス自身もその答えを持っていないことを彼は改めて実感させられた。左腕に一切の刺激が来ない。クラウンを何度引っ張っても応答はなかった。

「…いや、無事だ!」
「え?なんで分かるんだ?」
「この左腕の腕時計みたいなのが通信機なんだ。腕への刺激で通信するからお前らに見せることができないのが残念だが…奴は生きてる!」

出任せだった。

「それは良かったが…戦況は?」
「待ってろ、今……ブラッドガンダムの隠し兵器で艦隊を撃滅した、とのことだ!」
「まさか、たった一人であれを?信じられん…」

アレスにだって信じられなかった。

「で、これからどうする?」
「…ひとまずレンダとの合流待ちだ、タイムリミットまでは待つぞ」
「…うまくやっているといいが…」

セイバーのその望みは次の瞬間に打ち砕かれた。司令室を制圧していた仲間から、レンダのユエ基地からの通信が入ったことを告げられる。コクピットにいながら通信をつなぐセイバーとアレスの前に現れたのは、やや年を食った切れ目の女だった。

「…SLUの代表というのは貴方ですか?」
「…はい、セイバーです」

つられて変な敬語になるセイバー。

「…貴方の横に居るのが、幻獣軍の?」
「……その前に貴女の名を聞きたい」
「…これは失礼いたしました。私はレンダのユエ基地司令、コウガ・イーと申します」
「…幻獣軍のアレス・エドゼルだ」

アレスは口調こそいつも通りだったが、それは明らかに取り繕ったものだった。アレスはヨーロッパの一大レジスタンスのリーダーとして国家の権力者とも何度か渡り合った事がある。だがその相手は、ほとんどの場合は男だった。アレスは心中、なぜ自分がこれほどのプレッシャーをかけられているのかと自問した。相手の性別を原因にしたくなったが、そうではない。性別などどうでもよくなるくらいに、この人物は不気味だった。

「…さて、セイバーさん、ムーンベースでのクーデターはうまくいったようですね」
「…」

妖しい微笑を崩さないままコウガは話し始めた。雰囲気に飲み込まれて答えることもできないセイバーの代わりにアレスが返答する。

「…それがコウガ司令となんの関係が?」
「フフフ。オルドリン司令は勇ましい方でしたが、少しだけ部下の管理がお得意ではなかったようね?これだけの反乱を起こすだけの内部組織の存在を10年も前から知りながら、対策してこなかったなんて」
「…!」

水が凍りつくように、コウガの表情から微笑が消える。

「…ユエ基地で発生したパイロット達による反乱は制圧しました。あなた達が待っているものは来ません。永遠に」

二人は馬鹿のように口をぽかんと開けていた。
セイバーは以前、オルドリンが悪態をついていたのを思い出していた。
「…あの女、月の女狐だ…」

決断

「…制圧した?正規軍がほとんどいないのに、MSを使うパイロット達の反乱を?」

ようやくアレスが言葉を絞り出す。

「レンダの兵士は忠勇ですから。反乱に参加した兵士は少なく、またそれらを止めようとするものも多かったのです」
「…嘘だ!」

セイバーが叫んだ。

「嘘だ!俺達は宇宙の僻地に飛ばされて、地球に帰ることも許されなくて…だからこうして組合を作って蜂起までした!それはレンダの工員たちも同じだったはずだ!」
「はい。それは私もよく知っています。私は10年前、工員だった夫についてここへ来たのですから」
「…何?」
「SLUができたころのこともよく覚えています。あのころはまだ、工員同士は仲が良かった頃でしたね」
「…」
「月の台所事情もよく分かっています。本国からの人員補給はずっとなし。工員に休暇を与えることも許されませんし、できません」
「…」
「ですが忠勇なレンダの工員たちは、大半のものは、こうして反乱の誘惑にも負けなかったのです」
「…嘘だ…」

自分と同等以上に月の事情を把握している女狐。完全に心が折れた様子のセイバーを押しのけてアレスが言う。

「…あんた、何をした?」
「…何を、とは?」
「忠勇だと?そんな言葉で俺をごまかせると思ったか?あんた、自分の部下を10年もかけて懐柔したんだろ?おそらくはここじゃ言えないような手で…」
「…」

女狐の表情は変わらなかったが、その両脇にいる兵士の顔色が変わったのをアレスは見逃さなかった。

「ウィグルという人種が出てきて、何百年もかけて定着してきたとされる男女平等とかいう概念にまた陰りが見えた…ウィグルに覚醒するのがどういうわけか男ばっかりだったからだ」
「…そうですね」
「今どき、月面ほど男ばっかりの仕事場も珍しい。それを取りまとめているのが女となると余計に珍しい…」

しかし、女狐はやはり表情を崩さなかった。

「…いいではありませんか」
「何?」
「ここで働く者達は皆、私の可愛い主人なんですから…」

長い人差し指を艶やかな唇に当てながら女狐は言う。アレスは背中が冷たくなるのを感じた。

「…こんな話をするためにおたくへ連絡差し上げたのではありません。今回は交渉をしたいのです」
「…交渉だと?」
「貴方がたが制圧したムーンベース…これを我々に解放しなさい」
「…何だと?」
「交換条件は、当方で反乱を起こし、捕縛されたSLUのメンバー16人の引き渡しです」
「…!?」

アレスには意外な提案だった。同時にモニターに16人の人質が映し出される。全員が何かリュックのようなものを背負わされている。

「幻獣軍がイーグル基地を爆破した戦略、敵ながらお見事でした。しかしいまアジャンはいない、この短時間で同じことができるとは思えません。回答は通信を繋いだまま、3分以内に行ってください。さもなければ全員殺します」
「…なぜアジャンがいないと分かる」
「L1には我々の艦隊も派遣していたのですよ?それが、原因はわかりませんが、謎の爆発で一瞬にして壊滅…普通に考えればアジャンも無事ではありません、少なくとも今の時点で貴方と連絡が取れるはずはありません」
「…SLUのメンバーとはいえ元は味方だろう!味方を人質に取るというのか?」
「一度裏切った者を味方とはいいません。貴方がたのお仲間が紛れ込んでいただけです」
「…」
「…あと2分30秒です、通信を切ったら殺します」

アレスは横のセイバーの顔を見た。女狐の懐柔にも絆されなかったSLUのメンバー達に対する愛着がないはずはない。しかしここは幻獣軍の宇宙の拠点になりうる場所、これを引き渡せば戦争の継続自体が困難となる。

「…交換の方法は」
「人質に爆弾を装備させ、そちらへ送り込み内部を確認させます。問題がないことを確認したら、人質一人ずつ爆弾を脱がせながら引き渡します。貴方がたは艦隊を接収しているはずですから、少しずつ退却しなさい。最後の一隻になったら最後の一人を引き渡します」
「…」
「見ての通り、彼らが背負っているものは爆弾です。そうですね?」

画面の中の人質が苦い顔で頷く。

「…あと1分です」

「…アレス…」
「セイバー…」
「…彼らはSLUを最後まで裏切らなかった。俺も裏切りたくはない…だが、幻獣軍の支援がなければこの蜂起も成功しなかった…俺は…」
「…」

アレスは考える。アジャンならどうしただろう。自らの手を汚し、敗れた者たちを…

「…コウガ司令…要求を飲む」
「…ほう?」
「アジャンならば間違いなくそう答える。彼らは自分たちのため、我々のために他人に依存することなく戦おうとした。幻獣軍はそのような者たちを決して見捨てない」
「…とても合理的な理由には思えませんが」
「合理的なものかよ!!!」

アレスの突然の一喝に、さしもの女狐も表情を固くした。

「合理的かどうかで言ったら、長いものに巻かれたほうが合理的に決まってるだろうが!!そんなことばかりやっているから世の中がこんなになっちまったんだろうが!!」
「…」
「…人質を引き渡せ、貴様の言った方法でムーンベースと交換しよう」
「…かしこまりました」

通信が切れた。

「…アレス」
「…」
「…アジャンと、やはり連絡とれていないんだな」
「…」
「お前にこんなことを決めさせちまって…」
「…俺はアジャンから全権を任されてる。お前らはすでに幻獣軍に編入された。その以上、俺に従ってもらうぞ」
「…」

混乱

アレスからアジャン行方不明の連絡が入った幻獣軍の地上基地はにわかに混乱した。

「…やっぱりあの感覚は…」
リウヴィルはアジャンの気配を察知した瞬間を思い出していた。そんな彼をよそにケリーがアレスに詰め寄っている。
「アレス!それは本当か!?」
「本当だ。L1で謎の爆発があってからアジャンと連絡がとれない」
「貴様…そんな作戦を詳細も誰にも知らせずに実行してたってのかよ!」
「アジャンの意向だ。兵站の不足を秘密裏に解決しようと」
「そのアジャンが行方不明じゃなんにもならねえじゃねえか!!」

スコットが割って入る。
「ケリー!ここでアレスにそれを言って何になる!」
「…チッ、ならどうするってんだ」
「…アレス、お前がアジャンから指揮を任されているんだろう?」
「ああ、アジャンはそのために俺にお前たちへの通信手段を残したんだ」
「ならお前が指揮をとれ、アジャンが帰ってくるまでの間」
「そのつもりだ。ケリー、ついてきてくれるな?」
「…しゃあねえだろ」

南米のペレルマンにも同じ連絡が入った。
「…信じがたい、というか、信じたくない話ですね」
「…」
「ですが仕方ありません、アレスさんが指揮を取ってくださるならば我々は従う所存です」
「恩に着る。そちらの状況は?」
「エルヴィンさんは流石ですよ。新兵たちもかなり上達しているようです」
「…なら安心だ。最悪の事態としてはMASEの総攻撃も予想されるが、戦力の増強に努めてくれ」
「は!」

一方、ブラッドガンダム撃墜の報はMASE、レンダ両軍にももたらされた。レンダ国家主席ヒュー・ジンタオは自らコウガからの報告を受けていた。
「…以上のようにブラッドガンダムの撃墜は確定的です。少なくともすぐに戦闘が可能な状態でないことは確かです」
「そうか…ならば幻獣軍も混乱しておるだろうな」
「はい、叩くならばこのタイミングです。急がなくてはムーンベースの戦力を奪った艦隊が地球に降りて息を吹き返すおそれがあります」
「ふむ…しかしお主も分かっておろう?我々が幻獣軍を叩いて消耗しては、その隙をMASEに狙われる…」
「はい。ですが、思わぬ手札が手に入ったのです」
「…手札?」
「はい…所詮はテロリスト、大局が見えていなかったのでしょう…」

そのころMASEの最高意思決定会議である取締役会は、CAOヴィクター・ストライドに状況の報告を求めていた。
「ヴィクター…幻獣軍出現後のザマは何だ?マンタ基地を奪われ、ムーンベースを奪われ、ビッグディッパーの艦隊も甚大な被害を受けたそうじゃないか」
「…申し訳ありません」
「ようやくブラッドガンダムを撃墜したといっても、自由に動かせる戦力といったら本国に残っている程度のものではないか?この状況で幻獣軍の討伐に動くのは不可能に近い」
「…」
「…なんとか言ったらどうなんだ!!」

社長が恫喝するように、いや恫喝なのかもしれないが、机を叩いた。CAOは今やCEOと同等以上の権力があると目されていたから、そのヴィクターを恫喝できるのは彼にとってもまたとない機会だったのだろう。
そのとき会議室に秘書が入ってくる。

「CAO、失礼します。レンダのジンタオ首席が早急にお話したいことがあると。取締役会中と言ったのですが、かえって都合がいいと…」
「…つなげ」

「…ヴィクター殿、聞こえるかね」
「首席…なんの御用か」
「我が方のユエ基地のコウガが、貴殿らにお伝えしたいことがあると」
「…もったいぶらないでいただきたい」

「…ヴィクター殿、ユエ基地のコウガ司令であります」
「…自己紹介はいい」
「では本題ですが…ムーンベースを制圧いたしました」
「…何!?」

取締役会がどよめく。

「ムーンベースがSLUの蜂起で奪われたとき、同時にユエ基地でも反乱が生じていたのです。ですが、ユエ基地はこれを鎮圧しました。そのときに捕縛したSLUのメンバーを人質にしてムーンベースを確保したのです」
「…馬鹿な!基地一つをそれだけの交換条件で明け渡したというのか!?そのうち爆発するんじゃないか?」

ヴィクターの皮肉にもコウガは全く動じなかった。

「その準備をする時間は与えませんでしたし、こうして今も基地は無事です。もちろん、我々がこれを破壊することも可能ではありますが」
「…」
「ムーンベースを保全することが条件です。我々の作戦にご協力いただきたい」
「…作戦とは」
「幻獣軍への総攻撃です」
「…!」


苦悩

アレス率いる幻獣軍はコウガにムーンベースを引き渡し、代償として16人のウィグルを得た。反乱のさなかで何人かは殺されたらしい。組織の規模を考えれば、10年越しの反乱で16人が参加したことを考えれば、少ないとは言えない。それだけセイバーの求心力はあったのだろうが、コウガの人心掌握術もまた卓越していた。
最後の人質がアレスら殿の艦に引き渡される。その小柄な青年は隻眼に松葉杖だった。

「…幻獣軍のアレスだ。名前は?」
「…エーリヒ・レヴィンスキー
「レヴィンスキーか。今回の反乱に協力してくれたこと、改めて感謝する」
「僕はやりたいようにやっただけだ。レンダにはほとほと嫌気が差していたから」
「そうか…その怪我は?歩けるのか?」
「怪我じゃないんだ。いや、怪我なんだけど、小さい頃の」
「…ああ、そういう」

よく見ると左手の指も薬指と小指しかない。その手首に松葉杖を縛り付けていた。

「ウィグルだって理由で月まで連れてこられたんだけど、片足がダメだからかMSがうまく動かせなくて。左腕が絡むと細かい作業もダメなんだよね」
「…」
「たまにいるんだよね、僕みたいな、MSに乗せられてから不適格だって分かる奴が」

自嘲的に話すレヴィンスキーに、アレスは地球に残してきたスコットのことを思い出していた。どこか似ている気もするが、むしろこれは、あの露天風呂でスコットと仲良くしてくれたリウヴィルのほうが近いか?

「そういえば、こちらこそ感謝しなきゃね。僕達が生きてるのはアレスのおかげなんだろ?この基地を引き渡すだけの価値が僕らにあればいいんだけど」
「…」
「僕は役に立たないかもしれないけど、他の15人はきっと役に立つよ。MSも動かせるし、みんないい人たちだよ」
「…」
「…アレス?」
「…行こうか」

幻獣軍初の宇宙艦隊は、初めての航海に出た。それは敗走だった。ほとんど無傷のムーンベースをレンダに明け渡し、L1宙域へ旅立った。

「…艦隊へ通達。アレス・エドゼルだ。シムス司令に代わってこの艦隊を指揮させてもらう。まずは諸君の奮闘に感謝する。SLUのメンバーにも被害が出た。全員、黙祷を…」

言い終わる間もなく、ノーティラリーの通信機に地球からの連絡が入った。自室に引き上げるアレス。

「…こちらアレス」
「スコットだ!アレス、レンダとMASEがまた共同で声明を…」
「…何?読め!」
「…ブラッドガンダム撃墜に際し、両軍は協力して幻獣軍を撃滅する、と」
「…何だと…アジャンの恐れていたことが本当に…」
「なぜこのタイミングで奴らは手を組んだんだ?ブラッドガンダムが仮に倒されたとしても、それが両軍手を組む理由にはならないはずじゃないのか」
「…スコット、俺…」
「ん?」
「…SLUの人質と引き換えに、ムーンベースをレンダに渡した…」
「……」
「レンダがムーンベースを盾にMASEを動かした、としか…」
「……」
「…お、俺、…間違った、のか…?」
「…しっかりしろ!お前らしくもない!」
「…」
「…アジャンはこの状況を想定してたのか?」
「…してたはしてた…だが、もしそうなったらもう負けだろう、と」
「…レンダはそこまで読んだってのか?」
「…あの女ならやりかねない」
「女?」
「…レンダの月基地の指揮官だ…」
「…とにかく防備を固めるしかない。艦隊を手に入れたんだろう?早いところこちらに合流しろ!」
「…間に合うか…」
「とにかく急げ!」

アレスはブリッジに戻った。明らかに何かあった様子の彼にセイバーは声を掛ける。

「…アレス、今度は何だ?」
「…レンダとMASEの総攻撃が始まる…」
「え…」
「おそらくコウガが、ムーンベースを人質にとってMASEを動かしたんだ。そうでもしなければ両方が連動して動くなんてありえない」
「…地上は大丈夫なのか?」

アレスは首を横に振る。

「…それじゃあ」
「…この戦争…負ける…」
「…」

「拠点はどこなの?」

急に幼い声が聞こえてきた。二人が振り向くと、レヴィンスキーがぷかぷかと浮いている。
声だけ聞くと子供のようだ。

「…中東のキング・ハリドと、南米のマンタだ」
「片方だけでも守り抜ければ御の字だよね。片方に戦力を集中したら?」
「…難しい…少し前ならともかく、すべての戦力を移すのは部隊が大きくなった今は無理だ」
「…少しでも集中、ってわけにはいかなさそうだね」
「…」
「そんな選択を取る人なら、僕らを助けたりしないよね」
「…助けないのが正解だったと思うか?」
「さぁ?」

懇願するようなアレスの声には不釣り合いなほど頓狂な返事だ。

「アレスが幻獣軍でずっと戦いたいとか、幻獣軍はこれからずっと生き残って戦うべきだと思うならそっちのほうが良かったんじゃない?でも、そうじゃないなら、そうじゃないと思う」
「…お前…」
「ちなみに僕はね、僕らを助けてくれた人たちの役に少しでも立ちたい。なーんにもできないけどね」
「…」
「でも、ここで困ってるだけってよりはいい方法があるよ」
「…え?」
「全力でアジャンを探す」

アレスとセイバーがレヴィンスキーの右目を見た。彼は言葉の調子を変えないまま淡々と話した。

「聞く限り、幻獣軍はどう見てもアジャンがいなきゃ戦力不足だよね、攻めるにも守るにも。それなら、彼がもし死んでいるならアレスが何を選ぼうとどっちみち負けだったじゃない?」
「…まぁ」
「逆に彼が生きているならどこかで必ず逆転の目がある。彼が今どこにいるか知らないけど、生きていればL1宙域の近くだ。それを探し出せれば…」
「…探し出すしか、ない、か」

アレスは艦長席の通信機に向き直った。さっきと目の色が違う。

「…艦隊、L1の宙域へ向かえ!連合軍の総攻撃の前に何としてもアジャンを探し出す!」

生きていたアジャン

L1宙域。ビッグディッパーから出てきた警護艦隊が生存兵の回収に回っていた。そうはいってもあの大爆発で残っていた防衛艦隊も月の連合艦隊もほとんど吹き飛ばされ、最も離れた位置にいた艦のいくつかが消滅を免れクルーが数名脱出した程度の収穫でしかなかった。リベラのパイロット数名が愚痴をいいながら作業にあたっている。

「こりゃあひでぇ…ブラッドガンダム一機倒すのにこんな大損害…」
「被害の出た宙域が広すぎる。しばらく帰れそうにないぜ?」
「MASEならともかく、レンダの兵士まで見つけたら助けなきゃいけないもんなのかねぇ」
「しょうがねえ、上のお達しだからな。なんだって急に仏心を…」

そのうち、一人が救命ポッドの信号を目に止めた。近寄ってキャッチしてみたが特に気配を感じない。ウィグルではないようだ。

「スピーカーを使ってみるか…おい!誰かいるか?」

リベラの袖に仕込まれたスピーカーを接触させて内部に音を伝えてみるが、反応がない。しかし生命反応はあるようだ。

「…こちらサム、生命反応のある救命ポッドを確保。いったん帰投する」
「どうせなら可愛い女だったらいいな?もしそうだったら後で俺に紹介しろよ」
「望めねぇよ、こんな宇宙の果てで」

同僚の軽口に呆れて帰投したが、サムはつい中に入っている人間が誰なのか気になった。東西戦争以前の規格で、宇宙救命ポッドは外からスイッチひとつで開けられるようになっている。試しにスイッチを押してみるとそれは簡単に開いた。

「…!?女?」

チェアに脱力した様子の人間がシートベルトでくくりつけられていた。体に張り付いたパイロットスーツがシルエットを浮き立たせている。小柄だし、何より胸がはっきり見える。

「サム?どうした?」

後ろから声をかけられて驚いて振り向くと、救護班のメンバーが立っていた。回収したポッドの中にいた人間に医療ケアを施すためだ。素直に彼に渡せば良かった。

「…アハ、なんでもない、特に外傷もないし生命反応も強かったから大丈夫だと思う、行ってくれ」
「…そうか」

救護班もヒマではない。彼が居なくなったのを見計らって、サムは少女をポッドから引っ張り出すと医務室へ連れ込んだ。

「…MASEの月面部隊に女がいるなんて聞いたことがない。でもレンダなら…何しろユエ基地の司令も女だって言うし…」

ビッグディッパーの労働環境は月面と比べるとかなりまともだった。年に一度は地球に帰れたし、そこで何をしてもいい。だがそれだけに、休暇の甘い時間がいつも脳裏にチラついている者も多かった。サムも女を見たのは久しぶりだった。ことに彼好みの小柄で巨乳の女は…

「…へへ」

医務室に内側からロックをかけた。何をしているのかと聞かれたら、やっぱり救護が必要だったと言い訳すればいい。ロックだって女だったからと言えば何とでもなる。性欲に支配されているときの人間の、とくにオスの人間の思考は、どうしてこうも短絡的で都合が良いのだろう。
サムは少女のヘルメットを脱がした。赤いショートヘアの美しい少女が眠っていた。唇は赤くほどよく膨らみ、曇りのない素肌は吸い込まれそうだ。サムは衝動のまま少女の唇を奪いにかかった―

「…!?」

説明の必要はないだろう。サムは少女―に変装していたアジャンにミゾオチを強打され、声も出せずに気絶した。言うまでもなく彼はこうなる可能性を予想して、地球を立ちL1に向かう道中、パイロットスーツに着替えるついでに女装していたのだった。アレスが目を覚まして最後にアジャンを見たとき、彼の表情はヘルメットのガラスの下にあってよく見えなかった。気づかなかったのも無理はない。
伸びたまま医務室の宙に浮かぶサムを、アジャンはいつもの邪悪な笑顔で見上げていた。

「…助けてくれた恩があるからな、殺しはしないでおいてやる…もう少し可愛い顔してたら、唇くらいは奪ってやったのに」

一応の恩人に対してあまりにも身勝手な理屈を吐き捨てたアジャンは、左手に付けた通信機のクラウンを引いた。


「…!!アジャン!」

いきなり声を上げたアレスに驚いたセイバーとレヴィンスキーが彼を見る。アレスはすぐさま暗号を送り、返答を待つ。

「…アジャンだ!アジャンが生きてる!」
「本当か!?」

セイバーの声にアレスは答えなかった。しばらくカチカチやっていたが、ようやく口を開いた。

「L1警護艦隊のエクスプローラ級に潜伏中、機を見てMSで脱出、迎えに来い…」


脱出

アジャンは生きていた。L1宙域で連合艦隊の猛攻を受けた彼は、ブラッドガンダムのミスリルスラスターを媒体に大量の共振粒子をバラまいてビームの直撃を防ぎ、さらにその共振粒子を自分を中心に爆散させることで周囲の敵を一掃したのだった。そんなことをさせられた機体も、した本人も無事とはいかず、ブラッドガンダムは機能停止し脱出ポッドを射出、本人も気を失いそのまま宇宙を漂っていた。
いや、正確には彼はわざと気を失ったのである。脱出ポッドの生命維持装置の容量を考えれば、まともに呼吸していれば半日近くもの間宇宙を漂うことは難しかったかもしれない。それを承知の上で自らを仮死状態に追い込み、救出されるまで眠り続けていたのだ。

「…さて、長居はできないな…」

アジャンは懐から小さい杖を取り出した。30cmかそこらの長さの細いロッドだったが、内部に座標記録装置とミスリルタンクが仕込んである。ロス粒子の扱いに長けるアジャンにとっては、ディエゴ基地を強襲したときに使ったあの大杖と同じく、携行のビーム兵器とでも呼ぶべき代物だった。
アジャンは腕の通信機でアレスに自分の座標を伝えると、気絶しているサムの懐を弄ってIDカードを抜き取った。

「…こいつのMSを奪えれば…」

アジャンは杖の先から小さなビーム刃を発振すると、ロックされた医務室の扉を切り裂いた。艦内に警報が鳴り響く。

「!?誰だ!」
「…はぁッ!」

目にも止まらぬ速さでビームナイフを突き出すと、共振粒子の叩き出しが起きて刃の先からビームが放たれ近くの兵士を吹き飛ばした。にわかに艦内が騒がしくなり放送が鳴り響く。

「第一医務室で火災発生、問題に対処せよ!繰り返す…」

「…ドックは…あっちか…」

杖の座標を頼りにアジャンはMSドックへ向かう。

「いたぞ!撃て!」

兵士の声が響き、背後からライフルを撃ち込まれた。

「ふん!!」

アジャンは振り返るとロス場の防壁で銃弾を弾き返し、その反動を利用して更に加速した。一度自由になったウィグルを通常の火器で制圧することは容易ではないのだ。

「くそっ、ダメだ!パイロットを連れてこい!あいつはウィグルだ!」

アジャンは無重力の空間を駆けるようにしてドックへ向かった。こと地に足のつかない状況では、空間に自由に斥力を発生させられるウィグルは圧倒的に優位なのだ。並の兵士はライフルを撃つにも手すりを掴まねばならず、まともに狙いをつけることさえ困難だった。

「…あれか!」

ドックにたどり着いたアジャンは無造作にコクピットが開かれたリベラを見つけた。そのマニピュレータの中には自分のポッドがある。

「逃がすな!!」

背後の曲がり角から声が聞こえる。アジャンは杖を角に向けると緑色のビームを放った。周辺が焼き払われ爆発が起こる。
エンジニアや救護班は逃げ出し、誰もいないドックでアジャンはブラッドガンダムのポッドに飛び込んだ。

「…この杖は返してもらう!」

ポッドに残っていた自らの大杖を掴むと、アジャンはポッドから飛び出しMSドックにさらにビームをばら撒いた。炎上するドックを尻目にリベラのコクピットに入る。MSが起動し、コクピットが閉じる。
リベラは腰のビームナイフを抜いた。ナイフと呼ぶのが憚られるほどの刃を顕にしたそれは、エクスプローラのMSハッチを切り裂いた。

宇宙空間に飛び出したアジャンは、周囲の警護艦隊からMSが発進してくるのを見た。3機一組の小隊のようだ。急な事態では発進できるMSに限度があるのも当然のことだ。まして今は捜索活動の最中なのだ。
MSはビームピストルを携えているが、こちらに撃ってこない。今の位置関係でアジャンに撃てば間違いなく艦を傷つける。アジャンはそれを利用することにした。

「隊長、あれが脱走機ですか?」
「おそらくな…この角度ではまずい、散開して回り込め!」

3機のMSは散開して3方向からアジャンを囲みにかかった。アジャンは隊長らしき上方へ向かった機体から目を離さず、右腰のビームピストルを抜いた。そして、抜きざまに右下へビームを放った。虚を突かれた右下の一機は直撃を免れなかった。

「…何!?」

間髪入れずに続けて左下へビームを放ち、もう一機も撃破する。さすがに上方へ放たれた3発目のビームは回避されたが、距離を詰めながら体勢を崩したMSはアジャンに一瞬にして切り刻まれた。
達磨にされたリベラをアジャンは掴むと、背後の自分の開けた風穴に放り込んだ。炎上するMSハッチに吸い込まれたリベラは爆散し、その衝撃はエクスプローラ全体に波及する。誘爆し轟沈するエクスプローラの前で、アジャンは悠然と盾を構えていた。
アジャンはリベラに残っていた推進剤では仲間のもとにたどり着けないことを分かっていた。自身の目前で大爆発を起こし、その反動を利用して戦闘宙域を飛び去ろうとしたのだ。

アジャンの帰還

「…アジャンから連絡だ。無事に戦闘宙域を脱出、MSの損傷激しく戦闘困難、追跡の艦隊の座標は…」
「…本当に脱出したのか…」
「ちょっと信じらんないね。まあそれをやってのけるような人じゃないと、こんなことはできないんだろうけど」

アレスはセイバーとレヴィンスキーに状況を伝えていた。まもなくアジャンが戻ってくる。ただしその背後には追撃の艦隊もついてきている。

「敵の数は?」
「…巡洋艦3隻、MS小隊は3前後と予想…」
「満身創痍のMS一機にずいぶん戦力を割いたね。連中はアジャンが脱出してるんだってことを分かってるのかな?」
「そうは思えない、少なくとも確信はないはずだ…ただ、こんな事ができるのはアジャンだけだというのはなんとなく想像が付いてるのかもしれない」
「…だがどうやって救出するんだ?俺はMSで出るが…」
「僕も出るよ」

レヴィンスキーが声を上げた。意外な言葉にアレスが尋ねる。

「お前が?でもMSは苦手だって」
「歩くより宇宙空間のほうが得意なんだよね。スラスターの向きはレバーで動かせるから指がこれでも大丈夫だし。左のペダルだけ踏めるようにかさ増しすれば」
「…行ってくれるのか」
「もちろん。少しでも役に立てるならね」
「願ってもない…セイバー、レヴィンスキーを出撃させてアジャンを出迎える!…ふたりとも、頼んだぞ」

コクピットにセイバー、レヴィンスキーの二人が収まった。レヴィンスキーの左足は包帯でかさ増しされ、なんとか左ペダルを踏めるようになっていた。

「俺が先に出る。レヴィンスキーは後ろから来てくれ」
「了解、どのみち僕はあんまり機敏には動けないからね」

二機のリベラが宇宙へ出撃した。彼らの目には、先頭を切る光と、それを追う複数の光が見えていた。

「…アジャ…聞こえ…」
「!」
「…こちら、アジャン!聞こえるか?」
「こちらSLUのセイバー・ランスロット!アジャンか?」
「セイバー…!俺がアジャンだ、よろしく…挨拶は後だ、こちらの機体は推進剤がほとんどない。キャッチして艦へ収容してくれ」
「了解、速度を合わせる!」
「敵艦隊を追い払う必要がある、収容後俺に機体をよこせ!」

アジャンがそういい終わった瞬間、セイバーの背後にいるリベラが閃光を放った。それは後方の追撃艦の一つに命中し爆散させた。艦砲射撃ですら届かないはずの距離だった。

「…!?」
「もう一撃…行け!」

レヴィンスキーの放った第二射も正確だった。爆発した艦の衝撃を避けようとした別の艦に命中させ、次の爆発を引き起こした。だが、度重なる過剰出力の使用によってビームピストルは機能不全に陥った。レヴィンスキーは左手の小指と薬指で持っていた二丁目のビームピストルを右手に持ち替えるともう一度構えた。

「…あの様子じゃ、俺の出番はなさそうだな」

アジャンが収容されたハッチでヘルメットを脱ぎながら呟いた。セイバーも同調する。

「レヴィンスキー、凄いな…」
「あれ、レンダのか?」
「ああ、ユエ基地で蜂起してくれた一人だ。なんであんな奴が月になんか…」
「左の手足が全然使えてない。それに左のスラスターも...普通のMSじゃ合わないな」

アジャンはレヴィンスキーのMS操縦をひと目見て彼の体の特徴を言い当てた。レヴィンスキーは左半身をぎこちなく動かしてバランスを取りながら、先ほどとはうってかわって細かいビームをばら撒いてMS隊を牽制しているようだった。

「…見ただけで分かるもんなのか」
「だがあれに合うMSをいちいちゼロから設計してたんじゃ割に合わないのも確かだ、とくに大きい組織の場合は。だからああいう奴の特性に真剣に取り合う奴のほうが少ない。それもまたある意味では正しい判断だ」

アジャンは含みのある言い方をしつつ、いつの間にかいつものローブを羽織ってアレスの待つブリッジへ向かっていった。セイバーが後を追う。

「アレス!」
「…アジャン…」
「待たせたな…状況は道中で聞いた通りか?」
「ああ、もうすぐMASEとレンダの総攻撃が始まる…」
「…」
「…言いたいことは分かってる。キング・ハリドを捨てて、マンタへ向かうんだろう?」

アレスは沈黙するアジャンに、絞り出すような声で話した。

「…なぜそう思う?」
「幻獣軍にとって重要なのは整った設備のあるマンタのほうだ。レジスタンスの根城じゃない…」
「…」

その沈黙は肯定に聞こえた。

「…俺のせいだ…スコット…」

長い沈黙が通り過ぎた。

「…アレス、貴様の言う通り、俺はマンタの救援に向かう。貴様は艦隊を率いてハード・ハートに向かえ。貴様の手に入れた艦隊と物資は幻獣軍に必要だ」
「…俺だけでも、キング・ハリドに行かせてはくれないか」
「…貴様一人が行ってどうする?」
「…」
「…贖罪のつもりか?仲間たちがそれを望むと思うのか?」
「…」

「誰か、ヘルメット取ってぇー」

扉が開いて、いきなりとぼけた幼い声が聞こえてきた。一同が振り返ると、右手だけでヘルメットを外そうとして鼻に引っかかった滑稽な姿のレヴィンスキーが入ってきていた。愚かにもアジャンは吹き出した。
次の瞬間、アレスの拳がアジャンの眉間に飛んだ。鈍い音がしてアジャンが吹き飛ぶ。

「え?」

ヘルメットを外してやっていたセイバーと、視界が開けたレヴィンスキーが同時に頓狂な声を上げた。アレスがアジャンに殴りかかったことも意外だったが、それをアルス波で弾き返そうとも、物理的に受け止めようともしなかったアジャンのほうがさらに彼らには意外だった。それはアレスも同じだった。殴った本人が一番呆然としていた。自分の拳がアジャンに届くなどとは全く思ってもいなかったが、拳の鈍い痛みが幻影ではない何よりの証拠だった。

アジャンはブリッジの宙を浮かんでいたが、天井の梁を掴むとアレスに向き直ってあの邪悪な笑みを浮かべた。鼻から血が溢れているが、本人は気にもとめていないようだった。

「…ごめん、つい手が…まさか素直に殴られるとは…」
「…そうだ。貴様は、そうでありつづけなければならないんだ、アレス」
「…?」

アレスにも後の二人にも、アジャンが何を言おうとしているのか全く分からなかった。

「…キング・ハリドとマンタを同時に攻められるのは最悪のシナリオだ。俺はこのパターンに対しては完全な対応手は取れないと分かっていた。だが勝負手なら打てる。すでに打ってある…」
「…すでに!?」
「時間を稼げば俺が救援に行けるかもしれないし、何かが起こるかもしれない。だからこそお前は、連中が生き残ったときのために全力を尽くせ。仮に連中が生き残っても、その後で負けてはなんにもならんからな」
「…アジャン…」
「連中はまだ負けたわけじゃない。俺の言葉が貴様に余計な暗示を与えたようだが…連中はまだ負けてない」

悪あがき

総攻撃の報せを受けて浮足立つ新兵たちを、ケリーとスコットは気丈にまとめていた。どのみちやることは変わらず、その時が早まっただけなのだ。彼らは付け焼き刃とは分かっていながらも、練兵に時間を費やした。
その様子を力を失ったウィグルが哀しげに見つめていた。リウヴィルは司令室のオペレータ席につき、長距離レーダーや光学映像とにらめっこするのみだった。自分よりも幼い新兵たちが命を賭そうというときに、役に立たない罪悪感と一人戦っていた。

「…!」

彼のもとに通信が入る。

「…アジャン!無事だったの!?」
「リウヴィル…また会えて嬉しいぜ」
「ホントだよ…ほんとに死んだのかと思ってたよ」
「そう簡単には死なねえよ。だが、今度はお前たちを危機にさらすことになっちまったな」
「…僕、役に立たない…」
「と、言うと思ったからお前に仕事を用意した」
「え?」
「MS倉庫の奥を見てみろ。それを組み立てるのがお前の役目だ。それを使って陣を張れ」
「…陣?」

促されるままにリウヴィルは急造のMS倉庫の奥へ向かった。よく見ると見慣れない資材が積み上がっており、その後ろにMSが一機隠れていた。

「…これは…」


「バリケード?」
「アジャンからの指示なんだ。ビーム弾をある程度弾ける材質にしたって」
「ビームを弾く?だいぶ非常識だな。というか、そんなもんがあるならMSの装甲をそれで作ればいいじゃんか」
「まだ試作品なんだって。次のMSに採用するつもりだったらしいよ」
「ふーん…で、そのバリケードを組み立てて、その後ろに立てこもって戦えってか?」
「数の不利、練度の不利をひっくり返すにはそれしかないって」
「まあわかるけど…生きてたのはいいけど、結局俺達を助けには来れないんだもんな」
「ブラッドガンダムがないからね…でも時間を稼げば助けに行けるかもって」
「行けねえやつのセリフじゃねえか」
「…でも他にどうしようも…」
「分かってる。そいつに賭けるしかねぇ。ただ、お前MS動かせるのか?」
「…やってはみる」
「お前がMS動かせるなら、それこそ戦闘に加わってほしいもんだけどな」
「…」

自信なさげな表情を見せるリウヴィルの後ろで、急にベトルーガが口を開いた。

「世界史に有名な戦闘があるな」
「世界史?」
「アジアの島国の内戦だったと思うが、鉄砲というものが出てきた頃の大昔の戦争で、バリケードの後ろに隠れて鉄砲で戦ったと」
「なんとも臆病な作戦だ…」

その作戦はケリーの興味は惹かなかったようだった。

「…アジャンが、まさにそれを言ってた。バリケードの後ろで、新兵たちを休ませながらビームを撃てるだけ撃って数を減らせって」
「…ならばなおのこと試してみたいものだな、何よりビームを弾くバリケードというのは気になる。本当ならば画期的だぞ」
「…分かったよ。リウヴィル、MSが動かせるならバリケードを準備しろ。ベトルーガ、作戦を立ててくれ。多分アジャンはこのキング・ハリドの地形を利用するためにバリケードを配置したんだろう」

キング・ハリドは高所の盆地に位置する。周囲からは見つかりにくく、こちらからは敵を見つけやすい防衛に優れた地形となっていた。また、砂丘の割に砂嵐も軽微だった。その外周にバリケードを配置すれば、防衛に有利を取れる可能性は高い。
アジャンはそれを利用し、未熟な新兵たちを交代させながらビームで応戦する計画を立てていた。新兵にとって攻撃と回避を同時に行うのは困難が過ぎる。バリケードを立てて回避の負担だけでも軽減すれば、ある程度は戦力になると見込んでいたのだ。それは時間稼ぎのための悪あがきだった。
そして、アジャンがより戦略的に重要と見ていたマンタ基地にはバリケードはなかった。このバリケードはアジャンの開発品で、アダマントの外装にミスリルを蒸着した複合装甲を持つ柱だった。そんなものを物資に限度のある幻獣軍が十分数量産できるはずもない。アジャンは最初からまずマンタを自分が救援し、キング・ハリドには時間稼ぎさせる算段だった。そうすればたとえ最悪のシナリオが起きても―そしてキング・ハリドが陥落したとしても、幻獣軍は生き延びられると思っていたのだ。

一方、総攻撃の報はマンタ基地にももたらされていた。こちらのMS隊隊長は、ケリーと比べて大分冷静だった。

「総帥が生きていたことは喜ばしい。しかし、このタイミングでMASEとレンダが手を組むとは…」
「考えにくいことですか?エルヴィンさん、あなたはMASEのことをよくご存知のはず」
「はい、だからこそ意外に思っています。MASE軍トップのヴィクター・ストライドはプライドの高い男です。一介のテロリスト潰しのためにレンダと手を組むというのは簡単に生じることとは思えません」
「…黒幕がいるのですかね」
「おそらく。総帥も認めているように、このタイミングで総攻撃をかけられるのは幻獣軍にとっては最悪ですが、MASEやレンダは必ずしもその作戦を取りたい立場ではありません。彼らにとっては相手と幻獣軍を潰し合わせるのがベストなはずですから」
「月へ行ったアレスさんたちは一度はMASEのムーンベースをSLUと協力して占領したそうですが、その後レンダのユエ基地からの脅迫を受けて解放したらしいのです。アレスさんは、そのせいで総攻撃が行われることになったのではと」
「…確かにムーンベースを握ったのだとしたら、MASEは長期的な戦争の継続は困難ですから、幻獣軍をさっさと潰せばレンダの得になるのかもしれませんが…しかしだとすると、この総攻撃はレンダにとっては血眼ですが、MASEにとってはできれば避けたい戦闘と言えるのかも知れません」
「総帥は時間を稼げば助けに行ける、と言ってますが」
「…というところまでお見通し、というわけか…」

永遠の力

もともと宇宙開発のために開発された輸送艦であるMASEのエクスプローラ級、レンダのウォン・ファン級は、打ち上げにこそマスドライバーおよび専用のブースターを要するが、大気圏再突入には特に設備を必要としない。そのままグライダーのように滑空し着陸することができる。
アレスがムーンベースから奪取した艦隊は、正規軍人であったシムスたちの助けも借りて、ハード・ハートの飛行場に着陸することとなった。もっとも、この狭い島にアジャンが作ることができたのは最低限の滑走路であり、その着陸はいくらかのスリルを伴った。

「…無事、着いた…」
「よくやった、アレス。大きな戦果だ」
「…それはスコット達が助かったあとに言ってほしい」
「…そうだな。早速だが、艦隊をバラす」
「バラす?」
「このエクスプローラ艦隊を分解して、俺の求めるものを作る。リベラを工員に使おう。指示プログラムは書いてあるから、読み込ませろ。あと、SLUの連中は最初と同じようにもてなしてやれ」
「もてなすって、あのまずい芋でか?」
「他に食料がないからしょうがないだろ」

アジャンは吐き捨てるように言うと、艦隊全体に通信を繋いだ。

「諸君…まずはこの厳しい戦いを生き抜いてくれたことに感謝する。SLUのメンバーたちよ、諸君の勇気ある行動に俺は感謝の方法を見つけられない。またSLUの蜂起には参加しなかったがここに居る者たち、諸君らには自由を与える。我々に協力するも良し、ここから泳いで帰るも良しだ」

各艦がにわかにざわつく。

「…冗談だ。しかし戦時中に敵勢力の捕虜になって、甘やかしてもらえると思っているわけではあるまい。解放されたければ、それに足るタイミングまでは我々に協力してもらおう」

ざわつきはため息に変わった。失望というほどではないが、諦観のようなため息だった。

「…ただ、諸君らも含めて、勇気のある行動に俺は感激に堪えない。一つだけ礼をしたい。この滑走路の反対側にこの基地の通信施設がある。自由に使っていい。家族でも友人でも、好きな相手と交信しろ」

たちまちすべての艦から兵士たちが走り出て通信施設を目指した。艦の中に取り残されたのはアレスとアジャン、そしてなぜか艦長席に座って一人眠りこけているレヴィンスキーの三人だけとなった。

「…アレス。連中はしばらくあの状態になるだろう。各艦のMSハッチを開けてリベラを出して作業にかかれ。大方自動で行えるはずだ」
「…アジャン、改めて恐れ入るよ。あっちで殺し合いになんなきゃいいけど」

そのとき、艦にメッセージが入った。キング・ハリドとマンタ基地、両方ともに敵を捕捉したとの合図だった。まもなく総攻撃が始まる。

「…俺は行く」

アジャンはそれだけ言うと、手にしていた大杖の通信機のスイッチを入れた。遠くで地鳴りのような音がする。

「…あれは!?」

ハード・ハートのMSハッチが開いている。ブラッドガンダムが飛び立ったのと同じ場所だ。
アレスが次にアジャンの方を向いたとき、彼はそこにはいなかった。いつの間にか艦の外にいたアジャンは、空中を駆けてハッチの上空へ向かっていた。
ハッチからMSが飛び立つ。そのMSは、ブラッドガンダムとよく似た4枚の翼を持ち、ハッチから垂直に上昇している。開かれたコックピットにアジャンが吸い込まれていった。

「…次のガンダム…いつの間に…アジャン、まさか最初からブラッドガンダムを捨てるつもりで…」

ガンダムの中のアジャンから通信が入る。

「全軍!こちらはエターナルガンダムのウェル・アジャンだ…俺が行くまで持ちこたえろ!」

永遠を名乗る流星はマンタへ向けて飛び立った。空を切り裂くその爆音は、レヴィンスキーを起こすにも十分だった。

「…んぁ?着いたの?」
「…起きたか?レヴィンスキー、アジャンはこれらの艦隊を分解してなにか作るつもりらしい。退艦だ」
「…体が重い…」

アレスは彼の体の特徴を思い出した。

「…その体だと、宇宙で重力ブロックで運動するってのは無理がありそうだな」
「無理だねぇ。宇宙は体が軽くて助かってたけど、これじゃ、動けない…」

アレスは何も言わずに、レヴィンスキーの前で背中を向けてしゃがみ込んだ。

「おぶされよ。慣れるまでは付き添ってやるよ」
「…悪いねぇ」
「お前がいなきゃ俺たちも助からなかった」
「……悪いねぇ」

レヴィンスキーはアレスの広い肩に片腕で掴まった。

「…アレス」
「ん?」
「…トイレ、寄ってもらっていい?」

今度はアレスが吹き出した。

第三次マンタ防衛戦

マンタ基地が幻獣軍の手に落ちてからMASEの襲撃を受けるのはこれが3度目になる。基地の防衛設備は多くが損なわれ、長距離ビームも壊滅していた。

「全軍、作戦を通達します。現在、マンタ基地は対艦ビーム砲がほぼ壊滅しており、敵艦隊もその情報は持っているものと思われます。したがって艦隊を前進させて援護射撃を行いつつMSを展開してくる戦術が考えられます。この作戦を通してはなりません」

マンタ基地の集会場でペレルマンとエルヴィンが部隊に作戦を説明している。

「そこでだが…私を隊長とした艦隊攻撃の決死隊を組織する。敵MS隊の前線を突破し下から敵艦隊を攻める。艦隊を撃沈すれば攻める側は必ず混乱する。第一次、第二次の防衛戦でアジャン総帥が取った手段だ。問題はその決死隊のメンバーだが…」
「俺が」

間髪入れずにアランブラが手を上げた。エルヴィンは手で制すると説明を続ける。

「かなりの負担になる上に危険が伴うことも間違いない。アランブラには頼む。もう一人…」

そこから先は長い沈黙の時間だった。だが、それを一人の若い兵士が破った。

「…僕で、よければ」
「…クルス…すまないな」
「…いえ…隊長には恩があります」

少年兵の首筋には傷跡があった。第一次マンタ防衛戦で降伏した兵士がアジャンの尋問を受けたときに、あの槍を突きつけられた哀れな少年だった。

「では私、ジョセフ・アランブラ、クルス・ポルの3名を別働隊とする。本陣のMS隊はペレルマン司令の指示により各小隊ごとに遊撃戦闘に当たれ。解散、総員戦闘配置!」

エルヴィンの指導は的確だった。マンタ防衛戦の過程で降伏した新兵、ペレルマンの連れてきたポリシア自警団の寄せ集めの組織ではあるが、本職の軍人のような機敏な行動を多くが見せていた。3機一組での連携行動も、新兵教育に手慣れたエルヴィンによってこの短期間にパイロットたちには仕込まれていた。
パイロットはMSハッチに入り、小隊ごとのブリーフィングを始めた。決死隊の若い二人は、エルヴィンの到着までしばしの言葉を交わした。アランブラにとって、捕虜の新兵たちの中でも一際若いクルス・ポルは久方ぶりに会った年の近い存在であった。

「クルス、良かったのか?今更聞くのも却って残酷かもしれないが」
「…正直言って死ぬほど怖いよ。アランブラ、よく躊躇もせずに…」
「俺は奴らを一人でも多く殺す。その機会をみすみす逃すつもりはないんだ」
「…アランブラ…」

「待たせたな、アランブラ、クルス」
「…行くのか?」
「ああ、我々が先陣を切らねばならん。…感謝するぞ、ふたりとも」

エルヴィンの言葉はどこか悲痛だった。その痛みはアランブラには届かなかったかもしれないが、少なくともクルスには届いた。

「…隊長、生きて帰りましょう」
「……そうだな」

MS隊が出撃する。すでにMASE軍艦隊が目視の距離まで迫っていた。

「交戦距離まであと1000です。二番隊、三番隊は一番隊の前へ。ビームショットガンで応戦してください。一番隊はその上を飛び越えて艦隊の下へ突入します。タイミングをあわせて他すべての小隊は前進、近距離で遊撃戦を行ってください。タイミングが遅れると一番隊が包囲されると思われます。ポリシア自警団はバギーで小隊の隙間に入りバズーカで援護を。踏み潰されないように」

幻獣軍として初めての本格的な組織戦闘が始まった。エルヴィン、アランブラは他のメンバーと同様、幻獣軍製のMSベル・ドゥに搭乗していた。だが、エルヴィンのMSは通常のそれとは少し違っていた。

「突破口を開く…続け!」

エルヴィンは二番隊、三番隊の背後から空中へ跳躍するとビームスピアを抜いた。通常の短いビームピックが付いたものではなく、斧のような大型のビーム刃を発振していた。何機かのリベラがビームナイフを抜くまもなく斬り伏せられた。アランブラとクルスがあとに続き、前線のMS隊は格闘戦に入った。
MS隊の練度は意外にも大差は開いていなかった。MASE本軍の戦力はウィグルとしての才覚にこそ優れていたが、前線での戦いからは遠ざかっていた者も多かった。付け焼き刃とはいえ必死の訓練を経たばかりの新兵と殴り合って、優位を取れる者ばかりではなかった。
MSの性能も戦力差を埋めた大きな要因であった。単純に、ナイフよりも槍のほうが格闘戦には強かった。しかし、取り回しの良い細い柄にアルス波の伝達機構を仕込むことは容易ではなく、この構想が仮にMASEにあっても実現はしなかっただろう。戦力では勝るMASE軍だったが、簡単に幻獣軍の前線を崩すことはできなかった。その状況を見かねたか、思惑通り艦隊がせり出してくる。

「エルヴィン、俺が突っ込む!クルスは後ろを!」

アランブラが突出した。ビームショットガンは一発辺りの負担は重いが当てやすく、ある程度慣れればダッシュしながらでも正面に対してならばマシンのアシストもあって十分当てられる。若いアランブラの成長は確かに目覚しく、ビームショットガンを連射しながら突進しMSを次々なぎ倒していった。
その無謀な進撃にはエルヴィンは気が気でなかった。こんな感情はいままで抱いたことはなかった。

「隊長、艦隊が…」
「…任せろ、後ろを頼む!」

リリエンタールが艦首の共振粒子砲を地上へ向けて撃つ。エルヴィンは下へ回り込んで回避すると、真上へ向けてビームライフルの引き金を引いた。リベラのビームピストルとは明らかに違う出力の光線が放たれ、正確に共振粒子砲の砲塔もろともブリッジを貫いた。制御を失ったリリエンタールは墜落し始め、空中分解して前線に火の雨を降らせた。

「…凄い…」
「まだ来るぞ!アランブラ!戻れ!」

感心するクルスをよそに飛び出たアランブラを引き戻そうとするエルヴィンだったが、復讐鬼と化した彼は聞く耳を持たなかった。周囲の敵がアランブラを囲むように動き始めたのを見て、エルヴィンはその波を砕くように左手のハルバードを振りかざして切り込んだ。クルスのビームが後ろから彼を守っていた。

「…前線、よく持たせましたが、押されている…」

ペレルマンは司令塔から戦況を見つめていた。数でも練度でも勝るMASE軍に対し、新兵ばかりの小隊は連携してよく戦っている。射撃戦においてはポリシアの煙幕弾による援護によってビームショットガンの当てやすさで優位を取れていた。格闘戦になって中央を守る小隊長機が倒されても、その機体の脱出ポッドの作動中に他の二機が横からショットガンを撃ち込んで倒す。一方的に数を減らされることを避け、戦闘を長引かせるための入念な作戦だった。
MASEの兵士は苛立っていた。ビームを直撃させても、ナイフで装甲を切り裂いても、その瞬間に頭部のコクピットブロックが脱出してパイロットを殺せない。その瞬間に気を取られれば、横から撃たれて自分が殺される。戦力は有利なはずなのに、一方的に命の危険を押し付けられているように感じていた。

とはいえ、防衛設備もないままに絶対的な戦力差を押し付けられれば結果は見えていた。前線が崩れ始め、突出した決死隊だけが孤立する様相が見え始めた。中央ではなおもアランブラのショットガンが火を吹き、エルヴィンのハルバードが敵を薙ぎ払っていた。

「エルヴィンさん、アランブラを連れて引いてください!前線が押し込まれています!戦況は不利です!」
「分かってる!!!」

アランブラを包囲しにかかるMASE軍を切り捨て続けるエルヴィンだったが、彼の前後は彼ほどには強靭ではなかった。やがてクルスの放つビームに青い粒子が混じるのが見えるようになった。前を進むアランブラの勢いも見るからに落ちている。

「はぁ、はぁ…囲まれ…た…?」
「アランブラ!戻れ!」
「エルヴィン…くそっ…」
「た…隊長…」
「…」

エルヴィンがアランブラに追いついたときには、アランブラの正面180度はリベラに囲まれていた。いつの間にか第二波のMS隊が投入されていたらしい。三人の猛攻によって防衛ラインで第一波の侵攻は食い止めたようだが、この数を相手取る戦力はこちらにないことは明白だった。

「…アランブラ、引け!」
「…」
「…引けぇ!!!」

エルヴィンの一喝に、アランブラも彼の後ろに引き下がった。ハルバードをアランブラを守るように掲げMASE軍の前に立ちはだかるエルヴィンに、リベラの一機から通信が入る。見るからにガラの悪そうなチンピラのような男がエルヴィンの視界に入った。その男には見覚えがあった。

「…やはり、エルヴィンか…」
「…パウエル…久しぶりだな」
「これだけの使い手が何人も居るとは思えねえからな…ブラッドリーもMASEに殉じたというのに、あろうことかお前がMASEを裏切るとは思ってなかったぞ」
「…MASEが私の正義を裏切っていたのだ。あろうことか麻薬組織などと手を組んで民間人の生活を脅かしていたとは」
「…お前のような奴、本国でも確かにそれなりにいるよ。だが、今まで食わせてもらった身、ここまではっきりと敵に回る奴はいなかったぜ。せいぜい辞めるか、お偉いさんに愚痴を垂らしながら残るか」
「…私はそれを良しとはしない」
「良くも悪くも、お前らしいってとこかな。なら、お仲間と仲良く死ねや」
「…私を殺せたらな。それまでは、私の息子たちに手は触れさせんぞ」
「…息子?てめぇ、女に縁もねえくせして影でやることやってたのか?」
「…さぁな!!!」

エルヴィンはいきなり右後方にいたアランブラ機の腹部にハルバードを突き刺した。被弾を認識したベル・ドゥの脱出ポッドが起動する。アランブラにはエルヴィンの背中が急に遠ざかっていくのが見えた。

「…エルヴィン!」

エルヴィンはそのままベル・ドゥをハルバードで突き刺し正面へ向けて放り投げた。

「なにぃ!」

ベル・ドゥは爆発し、パウエルらの視界を遮った。アランブラのポッドをクルスが受け止め、後ろへ走り出す。

「…クルス!エルヴィンが!」
「隊長の命令だ、引けって…」
「…エルヴィン!!」

爆風が晴れたとき、エルヴィンの姿はそこにはなかった。その瞬間にはもう、包囲していたMS隊は斬り伏せられていた。辛うじて刃を逃れたパウエルが構えたビームピストルも、柄尻の殴打に弾き飛ばされた。

「…こいつ!」

パウエルが距離を取ってビームナイフを抜く。エルヴィンは槍を右手で長く持って右へ構えると、そのまま左上へ振り上げた。その軌跡からビームの斬撃が放たれる。

「うわあぁぁ!」

その動きをまったく計算に入れていなかったパウエルは、衝撃波に飲み込まれて吹き飛ばされ、爆散した。

「…許せ…」

槍を構え直したエルヴィンだったが、その目線の先にはもう第二波のMS隊が包囲にかかるのが見えた。

「…」
「エルヴィン!!」

アランブラはクルスの腕の中で遠ざかっていくエルヴィンを見た。彼は一歩も身じろぐことなく、ただ大槍を構えてMASEと対峙していた。

「エルヴィン!!!」

流星再び

次の瞬間、エルヴィンの眼の前に光のカーテンが降りてきた。爆発に怯んだMASE軍は射撃を行えず、エルヴィンにも一瞬何が起きたのか判断できなかった。

「…貴様をまだ死なせるわけにはいかない…」

モニタにあの邪悪な笑みが映る。上空を見上げると、はるか空の彼方に4枚の光る翼が見えた。

「…アジャン…!」
「貴様がいなければ、俺にあの若い奴らがついてくると思うか?」
「…」
「…引け!貴様は必要だ!!」

凄まじい出力のビームが引き起こした爆風は思ったよりも長く続いた。ようやく視界が戻ってきたときには、エルヴィンのベル・ドゥはMASE軍の射程から消えていた。地表を引き裂いた軌跡が、何かとてつもなく強大で邪悪なものの降臨を示していた。

「…あれは…ブラッドガンダム!?」
「…いや…白い?」

ブラッドガンダムを思わせる4枚の翼は常に光を放ち続け、しかしその翼は白銀のごとく太陽の光を反射していた。明らかにブラッドガンダムではない。だが、その危険性は少なくとも彼らに伝わったようだ。

「…に、逃げ…」

兵士が怖気づく間もなく、ビームの雨が正確に一機一機の中心を貫いた。あの距離からビームが届くだけでもかなりの脅威だが、それをこのペースで連射していることはなおのこと恐怖。間違いなく、あの男が帰ってきた。

「撤退!撤退だ!!」

もとよりMASEはこの戦いで戦力を減らしたくはなかった。レンダから、ブラッドガンダム撃墜とアジャンの行方不明を聞かされて渋々戦闘に出てきていた。ここに至っては戦闘を続ける理由は彼らにはなかったのである。

「…逃がすかァァァァ!!!」

急降下したエターナルガンダムは、トンファーのように両腕のミスリルコアからビームブレイドを発振した。一薙ぎで4,5機のMSは巻き込もうかという巨大な光の刃を両腕に与えられた残忍な騎士は、それを見境なく振りかざしながら戦場を駆け抜けた。十数機のMSがまたたく間に蒸発した。

「撃て!撃てぇ!」

奥から第三波も湧いてくる。MASE軍が数に任せて放ったビームの雨はエターナルガンダムへ向かって降り注いだ。

「…ふん!」

突如、エターナルガンダムを赤いビームの膜が包んだ。打ち込まれたビーム弾はすべてそれに弾き返された。

「何!バリア?」
「…ハァッ!!」

そのバリアは突如破裂し拡散した。周囲にいるMSはそのビームの雨を浴びて表面の装甲が焼けただれ、ビームピストルも溶けて使い物にならなくなった。アジャンは無力化したMSらには目もくれず、第二波と第三波を運んできた空中の艦隊に狙いを定めた。

「狙われている…!いかん!回避だ!!」

艦隊が回避行動に入ったが、エターナルガンダムの前では遅すぎた。ガンダムはビームブレイドを構えると、音もなく突進して最も近くにいた哀れなエクスプローラ級を縦にかち割り、両脇の2隻に接近するとカマボコでも切るかのように3等分してみせた。そのまま上昇すると遠くの二隻に狙いを合わせ、両手のミスリルコアから強大な出力のビームを二発同時に放った。それはブラッドガンダムがかつてここで見せた長距離射撃に勝るとも劣らない一撃だった。

艦隊は一瞬にして半壊に追い込まれた。MS部隊も壊滅の憂き目にあい、生き残った機体もほとんどが戦闘能力を奪われていた。

「…」
「…エルヴィンさん、第二波、第三波ともほぼ壊滅です…」
「…分かって、ます」

エターナルガンダムは彼らに別れを告げることもなく、再び上空へ舞い戻った。西へ、キング・ハリドへ飛び立ったのだ。だがその時すでに、中東では彼らの運命を変える人物が現れていた…

第二次キング・ハリド防衛戦

「こんなもんが本当に役に立つのかねえ…」

見事に立ち並んだ安っぽい金属の柱を見てケリーは改めて訝しんだ。スコットもその横にいた。

「ビームを打ち込んでみるか?」
「よせ、勿体ない。まあアジャンがよこしたんだ、役には立つんだろ」

「ケリー、設置、終わった…」
「ご苦労。久しぶりのMSはどうだ?」
「ちょっと、疲れた…」
「少し休んでろ。ビーム兵器が使えないったって、出てこないわけに行かないかも知れない」
「…そう、する」

息を切らせたリウヴィルはベル・ドゥに乗ったままバリケードの裏へと飛んだ。MSにはかなりのブランクがある彼は、昔の感覚を取り戻すまでにだいぶ体力を消耗したようだ。MSはミスリルネットワークで操作するため、慣れるまではMSを動かそうとして自分の体に力を入れてしまうことがある。それで力仕事などすれば、当然本人も疲れる。

「…さて、ベトルーガ!作戦説明を」
「承知。全軍に通達…かねての通達の通り、本隊は3部隊に分かれ、交代でバリケードの隙間からビームショットガンでMS隊を攻撃。敵はこちらにDAMASがないと予想している可能性があるが、周囲に簡易DAMASを4基設置したので航空戦力を投入されても大きな問題は生じないはずだ。MS隊はバリケード内で防衛に専念。もしバリケードが破壊されたら遊撃戦闘を行え。ケリー、スコットは別働隊兼哨戒部隊としてバリケード外で戦闘にあたる」
「…了解した」
「以上だ。健闘を祈る」

「…作戦ったって、あってないようなもんだな…」

またケリーが毒づいた。

「仕方のないことだ、ケリー。こちらはパイロットの練度も低い、ビーム兵器がようやく扱えるかどうかといった状態なんだぞ」
「それじゃなおのこと遊撃戦闘なんてやっても勝ち目はねえよな。なんとかバリケードの外で抑え込まねえと…」
「…来たか!」
「!」

レンダの哨戒部隊が出てきた。ケリーがビームホークを抜く。エルヴィンと同じ指揮官用ベル・ドゥの装備で、彼がスピアの先端に取り付けて使っていたものだ。アジャンはエルヴィンに能力を引き出せる長物を、ケリーに使い慣れた斧を与えようとした。スコットもビームスピアを構える。射撃武器はこのあと嫌と言うほど使わされるのだから、哨戒部隊相手に消耗するわけにはいかなかった。

「逃がさん!」

撤退しようとする哨戒のアンジュ二機を相手に追撃に出た二人。上を取られて射撃が難しく、やむを得ずヒートホークを抜いて応戦するが、ビームの格闘兵器には歯が立たない。ケリーのビームホークは、アンジュ一機のヒートホークごとMSを叩き切った。その衝撃に気を取られたもう一機も、スコットのビームスピアに貫かれた。

「…すぐに来るな!」
「戻るぞケリー!全軍、攻撃に備えろ!」

「一番隊、射撃用意!味方を撃つなよ!」

ベトルーガの号令がかかる。新兵たちの操るベル・ドゥ5機が横並びになり、ビームショットガンをのぞき穴から出した。程なくして二人が戻り、スラスターを吹かしてバリケードを飛び越えた。

「…?何だあれは…」
「…撃て!!」

遅れて丘を上って到着したレンダ軍は、見慣れない金属の盾を見て訝しんだ。そこで立ち止まった部隊は、バリケードの隙間から吹き出したビームによって焼き払われた。

「バリケードの隙間から撃ってきた?」
「バリケードを壊せ!撃て!」

丘を這い上がってきたアンジュたちが続々とバリケードにビームを撃ち込んだが、当たったビームは拡散されて消滅した。バリケードの対ビームコートは機能したようだ。そのことを後ろへ伝える間もなくビームショットガンに射抜かれ壊滅するMS隊。

「敵の第一波を倒したか…一番隊引け、二番隊用意!」

ビームショットガンの連射は特に若い兵士には負担だ。ケリーは一番隊を引かせると二番隊に準備を命じた。

「ケリー、二番隊だけじゃダメだ!三番隊も用意!」

リウヴィルの声が飛ぶ。

「なに?」
「次の敵はもっと来る!」
「…!」

リウヴィルの読みは当たった。バリケードを取り囲むように第二波が展開している。より広範囲にビームショットガンが撃ち込まれ、MS隊に打撃を与えた。

「…ええい!MS部隊は何をしている!」
「リュウ様、第二波苦戦しています。バリケードにビームを弾かれるとの報告が…」

第三部隊で待機していたリュウのもとに、テンの美しい声が告げる。

「ビームを弾くだと?そんな防壁を用意したというのか?」
「そのようです。これはリュウ様でも出向かなければ…」
「…だから最初から俺が出ると言ったんだ!あのロンの馬鹿め!」
「コウガ様のご推薦がなければ、リュウ様を出すつもりもなかったと…」
「そうだ!軍の勝ち負けよりも自分の沽券を優先するクズだ!」

そこへ渦中のロン・ウェイの通信が入る。

「貴様何をしている!三番隊出撃!」
「だから最初から出ると言っただろうが!」
「黙れ!貴様、イーグル基地での失態を忘れたわけではあるまい!今度も負けてみろ、貴様の居場所はないぞ!!」
「…三番隊、出る!」

リュウは言い負けたわけではない。単にこの無能な上官と言い争う時間を惜しんだだけだった。四つ足の怪物が、砂丘を登りキング・ハリドの城壁に迫る。

「…あれはケイローンガンダム!」
「何?この戦闘に参加していたか…!」

ケリーとスコットがにわかに浮足立つ。二人はあのMSの恐怖をよく知っていた。ケリーが迷わず部隊に命じる。

「近づけるな!撃て!」

一人で砂丘に上ったリュウはビームショットガンの猛攻撃を浴びた。彼はそのまま砂丘を滑り降り、身を隠した。

「…逃げた?」

ケリーが呟く。

「逃げろ!!」

リウヴィルが叫んだ。

次の瞬間、四つ足の化け物が砂丘を飛び越え空中に躍り出た。その右腕に携えられた方天戟は不気味な赤い稲妻を帯びていた。

「…最強を見せてやる!ぬおおお!!!」

放たれた天雷がバリケードの中央に撃ち込まれる。直撃した柱は見境なく真っ二つにへし折られ、生じた爆風が周囲のバリケードを歪めた。逃げ遅れた数機のベル・ドゥが破壊され、脱出ポッドさえも爆風に飲み込まれた。周囲のスリットから覗いていたショットガンは、穴が歪んで抜けなくなった。

「まずい…スコット!来い」
「了解!奴を止めてやる…」

直撃を免れたケリーとスコットはバリケードを飛び越えた。同時にスコットがショットガンを撃ち込む。

「ふん!」

ケイローンガンダムは大型機とは思えぬ俊敏性で拡散ビームをいとも簡単に避け、すぐさまスコットに無双天雷撃を撃ち込んだ。間一髪で躱したスコットだったが、流れ弾が後ろのバリケードに命中して砕け散った。

「…くっ!」
「射撃じゃ無理だ…!」

ケリーは覚悟を決めるとビームホークを抜いた。

「…ほう、逃げないのは褒めてやる!さあ、俺を楽しませろ!」

方天戟を堂々と構えるケイローンガンダムにケリーは斬り掛かった。一合、二合と切り結んだが、その二合は彼の戦意を奪うに十分だった。スコットが横から突っ込んで来なければ、三合目でケリーの機体は真っ二つにされていただろう。

「甘いわ!!」

リュウは前脚でケリーを蹴り飛ばすと、横から斬り掛かってきたスコットに方天戟を差し向けた。鍔迫り合いが生じる。

「くっ!…強い!?」
「…おおお!!」

わずか数秒の鍔迫り合いでスコットは敗北を悟った。彼のアルス波でリュウと鍔迫り合うのは無理があった。脱出ポッドが起動し、その瞬間にビームピックごとスコットのベル・ドゥは真っ二つに叩き切られた。

「…馬鹿!」

ケリーは自分を奮い立てるとなおもビームホークを握り直して怪物に立ち向かった。彼は勇敢であり、また人に守られて大人しく逃げるほどプライドの低い男でもなかった。

「まだやるか?」

リュウは悠然と方天戟を構えるとケリーのビームホークめがけて振り下ろした。鍔迫り合いでは絶対に負けることはないと思っているようだった。
実際それは正しかった。ケリーはビームホークをぶつけて軌道を変えて躱すのがやっとだった。

「遅い!」

リュウは前脚で再びケリーを蹴飛ばした。衝撃でケリーは気を失った。リュウは倒れたベル・ドゥの頭目掛けて方天戟を投げつけた。それがヒットする直前、脱出ポッドが作動してケリーは後方へ弾き飛ばされていった。

「…どいつもこいつも!!」

リュウは怒りに任せてベル・ドゥを踏み潰すと、方天戟を引き抜いた。単純に彼には、このベル・ドゥの脅威の生存能力はストレス源に違いなかった。彼は方天戟を掲げると、弾き飛ばされたケリーの脱出ポッドを狙って方天戟を構えた。

「よせぇ!」

また横槍が入った。リュウは視野にも入れずに、そのMSを石突で突き飛ばした。ヒートホークを持ったリウヴィルのベル・ドゥだった。

「ぐぁ!」
「また一匹雑魚が…おまけにヒートホークだと?舐めるな!!」

リュウは眼の前に現れたMSがヒートホークを持っているのを見て激昂した。ビーム兵器も扱えないパイロットが自分に楯突くというのか?

「…まだだ!ここからは俺が相手だ!」
「ほざくな!!」

斬りかかろうとするリウヴィルの右手を柄で殴りつけるとヒートホークは弾き飛ばされた。

「うおお!!」
「何!?」

リウヴィルが左手で抜いたビームホークからビームが発振され、ケイローンガンダムの脇腹をかすめる。

「で、出た…!?」
「…貴様!!」

リウヴィル自身、力を失ったはずの自分にビームが出せるとは思っていなかった。だが、リュウはこれを見てコケにされたと感じた。ビーム兵器を温存して挑み、このタイミングで抜いたのはそういうことだろう。
リュウは突き出された左腕を根本から掴んだ。

「うっ!?」
「死ね!!」

脳天から方天戟を突き刺した…つもりだったが、またも自動ポッドが起動しリウヴィルは脱出した。首の飛んだMSに方天戟を突き刺し、彼はそのまま機体を放り投げてみせた。

「…ええい!この臆病者共が!!」

リュウは方天戟を横一文字に振り抜いた。ビームの衝撃波が生じてバリケードの残骸を焼き払ったが、幻獣軍のMS隊はすでに防衛ラインを下げたあとだった。

「…艦隊!いつまで縮こまっている!」
「ロン様!リュウ様は防衛線を駆逐しました、進軍の許可を!」
「…さすがにもう爆発の危険はあるまいな」

レンダにとってはイーグル基地爆破の記憶はMASEのそれより忌々しいものだったに違いない。この無能な将軍が戦力を出し渋ったのも、爆破でまとめて吹き飛ばされることを危惧したためだった。確かに、マンタ基地に比べるとキング・ハリドの設備は乏しく、アジャンがまた「囮」に使ってもおかしくはないと考えるのも自然なことではあった。だが、ビームを弾くバリケードの存在を見た時点で考え直すべきだっただろう。
ともかく、壊滅した防衛ラインを制圧するために遅ればせながら艦隊がせり出してきた。幻獣軍の防衛の要だったバリケードとMS隊は破壊され、生き残った4,5機のMSが脱出ポッドをかき集めて基地本陣の窪みに隠れたところだった。勝ち目はないはずだった。

帝王の帰還

「何だ!?」
「背後からMSです!」
「背後だと!?」

レンダ艦隊の背後から、識別不明のMSが忍び寄ってきていた。

「テン!?」
「リュウ様!ああぁっ!」
「テン!!」

謎のMSは手にしたビームガンから閃光を放った。そのビームの出力からしても、相当に強力なウィグルが操るMSであることは容易に想像がついた。ビームは正確に艦の中心を貫き、爆発した。

「テン!!!」

ロン・ウェイ将軍の臆病さ、そしてそれを利用しテンを守ろうとしたリュウの思惑は裏目に出た。背後に現れた謎のMSの一撃で、彼らの乗艦は一撃で急所を射抜かれ撃沈されたのだ。
それだけではない。MSは一歩も足を動かさず、周囲に展開するレンダ軍艦隊を正確に狙撃し始めた。
レンダのリトヴァックはエクスプローラに比べてMSの積載量が多い。その分、同じMS部隊を展開するにも数は少なくて済む。この艦隊は4隻から成っており、そのうち前線にいた勇敢な一隻だけが難を逃れ、旗艦を含む3隻が沈められたのだ。電光石火の所業だった。

「ぬおおおおお!!!貴様!!一片も残らず消してやる!!」

艦隊の犠牲というよりただテンを失った怒りのために、リュウは謎のMSに向き直って砂丘を駆け下りた。リュウに釣られるかのように残ったMS隊も彼を追いかけた。それは、とりもなおさずキング・ハリド基地から遠ざかることを意味していた。

「敵反応、後退…?何が起きている?」

ベトルーガは司令室で状況を訝しんでいた。しかし偵察に動かせるMSはいなかった。彼の知的好奇心は、その状況を許さなかった。

「誰か!偵察に向かえ!」

新兵が答える。

「し、司令、それは無理です…動けるMSは4機ほどですし、武器もろくに…」
「…ならばバギーで私が出る!あの状況、見極めねばなるまい…」
「司令!そんな…」
「ケリーは!」
「隊長は脱出ポッド内で気絶しています、救護に当たっていますが…」
「ぬぅ…ならば全員、各個の判断で救護活動を続けよ!私は行く!あれは私の目で確かめなければならんのだ!!」
「司令…」

ベトルーガは何かに取り憑かれたように強硬に主張すると、司令室を放棄して駆け出した。バギーに一人飛び乗ると、盆地を飛び出して一気に砂丘を駆け下りる。

「…あれは!?」

見慣れないガンダムが、ケイローンガンダムとの戦闘に突入したところだった。いや、ベトルーガは、あのガンダムを知っている…

「ぬおおおお!!」

凄まじい出力の方天戟を振り回して、謎のガンダムに迫るリュウ。ガンダムは奇妙な形のビームガンを仕舞うと、腰につけていた双剣を取り出した。双剣といっても通常の形の剣ではない。例えるならばメリケンサックにそのまま刃が付いたような、奇妙な形状の二刀流だった。その刃を包むようにビームが展開され、双刀のビームサーベルのようにも見えた。

「ふん!!」

渾身の力で振り下ろされた方天戟を、ガンダムは受け止めた。リュウの全力は凄まじく、方天戟の刃からビームの粒子がほとばしるようだ。
だが、ガンダムは一歩も身じろぐこともなかった。

「ぬおおおおおお!!!」

リュウはなおも力を込めてテンの仇を殺そうとする。だが、それに応じるようにそのガンダムの刃も輝きを増し、一向に折れることはなかった。
鍔迫り合いは一分近くにも及んだ。ベトルーガは食い入るようにその様子を見つめていた。

「…くっ!」

埒が明かないと思ったか、リュウは方天戟を逸らした。体勢を崩した相手に蹴りを入れて立て直すつもりだった。だが、その隙もなくガンダムは反動を利用して目前で回転すると、ケイローンガンダムのコクピットブロックに後ろ回し蹴りを叩き込んだ。

「…!?」

リュウの脳裏に戦いの記憶が蘇る。イーグル基地地下での戦闘で、アジャンのベル・ドゥと戦ったときのことだ。あの時と似ている?

「…貴様!何者だ!!」

ガンダムは通信に答えなかった。この戦争において常時開けている通信回線を持たないのは、このガンダムの持ち主が通常の法規や組織に属する者ではないことを示していた。
だが、かのガンダムもケイローンガンダムの規格外のタフさには少々驚いたらしい。一瞬の間のあと、距離をとって構え直す。

「リュウ…様…」

聞き慣れた美しい声の通信が入る。

「…テン?テンなのか!」
「リュウ様…ブリッジの脱出機能で…」
「何?そんな…すぐ助けに行く!場所を…」

リュウが突然戦意を失ったのは見て分かった。彼は踵を返すとテンたちの乗る脱出ブリッジを回収に向かった。他のMSも生き残った一隻に回収されたらしい。
臆病な将軍は、将軍専用の脱出ブリッジつきの特注艦で戦闘に出ていたようだ。皮肉にもそれが、本人が一番嫌っているリュウ・ベルベットの最愛の女性を救うことになったのだった。

「…」

謎のガンダムは追撃をしなかった。あれだけの戦闘の後、機体の継戦能力によってはそれ以上の戦闘が困難になっても不思議はない。ガンダムは静かに去っていった。

一連の戦闘を見届けたベトルーガには確信が宿っていた。

戦いの後

月が沈もうとしている砂漠で、二人の青年が小さな砂山を作っていた。

「…ありがとう、みんな」
「…」

ケイローンガンダムの一撃は、ベル・ドゥの脱出コクピットを持ってしても避け得ないほどの凶悪なものだった。戦死した若いパイロットたちの墓を作ってやった二人は、冷え込む砂漠の夜明けに立ち尽くしていた。

「…これから、もっとこうやって、人が死んでいくのかな」
「…リウヴィルは、どうしてレジスタンスに?」
「…どこにも居場所がなかったから、かな。スコットは?」
「昔からアレスと話していたんだ。このままじゃ人類は必ず滅びていくって。それを食い止めようって」
「…真面目なんだね」
「お前も真面目だから居場所がなくなったんだろう?それはお前のせいじゃない」
「…」
「人が戦争という形で殺されるか、それ以外の形で殺されるかの違いだと思ったんだ。だったら、たとえ一時犠牲が出ても、世界を変えるべきだって…だけど…」

彼の淀みない演説はリウヴィルの前ではいつも曇りがちだった。

「…砂漠の月でも同じだったけど、俺達が何もしなければ、この人たちは死ななかったのかもって考えちゃうよね」
「…ああ」
「自分たちが大人しくしていればよかったのかな、ってさ」
「…ああ」
「…俺は結局MSに乗れるようになっちゃったし、また、人を殺さないといけないのかな…」

スコットは事の善悪というより、ただ眼の前のリウヴィルが心配だった。

「…俺は最後までアジャンについていくつもりだ。あいつは俺達と同じことを考えていて、それを誰よりも強く感じて誰よりも行動に移してる。あいつがこの道の半ばで倒れたら、もう世界は変わらないと思う」
「…スコット…」
「…でも、それは今の幻獣軍の全員がやらなきゃいけないことでもない。レジスタンスには大義はあっても正義はないんだ。そこから去るやつを責めることはできない…」
「…優しいね、スコット」
「…」
「…俺、自分がいなくなった後にスコットが死んだら嫌だな」
「……戻るか」

スコットとリウヴィルは司令室に戻った。あの戦いの後、すぐに到着したアジャンがケリーたちと話していた。

「…すまなかった。結局お前たちを助けられなくて…」

アジャンが珍しくしおれた声を出している。この声、このセリフも本音かどうかは誰にもわからないのだが、少なくともここに居るメンバーは本音と受け取ったようだ。

「本当だよ。何人か死なせちまったし、MSもバリケードも壊滅状態だ。俺もこのザマだしよ」

ストレッチャーに横たわったケリーが司令室で呻くように吐き捨てた。本来はベッドに寝かされるべき状態なのだが、こうして司令室に出張ってくる根性を彼は持ち合わせていた。

「だいたい、お前がL1でブラッドガンダムを失うから悪いんだ。あれがなけりゃあ…」
「やめてよケリー。アジャンがあそこで戦ったのは100機近いMSだって言うじゃないか。誰だって無理だよ」
「まあそうだろうけどよ。文句の一つも言いたいじゃねえか」
「…それで何の解決になるのさ」

珍しく語気を強めたリウヴィルだったが、ケリーはその上を行った。

「あ?お前、戦闘の終盤まで引きこもっててどの口が言うんだ?」
「…」
「ビーム兵器が使えたなら、それこそ戦闘に出てくりゃよかったんだ」
「…だけど、使えるなんて思わなかったから」
「結局気持ちの問題なんじゃねえのか?」
「…そうかもしれないけど…」

「よしてくれ、ふたりとも。お前らのおかげでこの戦闘は勝てたんだ。それに被害で言ったらマンタも同じくらいだった」
「…マンタを先に助けに行っておいて、よく言うよ。設備の整った方を残さなきゃならねえもんな?」
「その通り。俺にとってはマンタのほうがキング・ハリドより重要だった。マンタの戦闘が終わる頃、ここの戦闘も終わっていた…こちらに先に来ていれば間違いなくマンタは陥落していた」
「…チッ、はっきりいいやがる」
「だが、エルヴィンたちのほうがお前たちより大事だったわけじゃない。それはわかってくれ」
「…」

それが本音かどうかは分からなかった。

「総帥。その謎のMSというのを写真に収めたが…」
「見せてくれ」

ベトルーガが司令室のモニタに戦闘の様子を映す。ケイローンガンダムと壮絶な打ち合いをした、あの機体だ。

「…!」
「…意見は一致しただろうか?」
「…ああ…」

「ベトルーガ、お前、あのガンダムについて何を知ってるんだ?」
「…私は確信はないが。だがあの機体、もしかすると、ウェル・カイザーのものかもしれない」
「…ウェル・カイザー…」

レジスタンスの人間にとってその名は特別だった。たった一人で東西両大国に抗い、各地のレジスタンスブームの火付け役となった存在だ。そして、このウェル・アジャンの父親でもある。

「死んだって話じゃなかったのか?」
「一般にはそう信じられている。だが、真実は誰にもわからん。それに、今回の総帥の件で、生きていた可能性を私はより強く感じた」
「アジャンの件?」
「L1で無数のMSに囲まれて、その中心で大爆発が起きて周囲の部隊を一掃…本人も行方不明…全く同じだ、状況が」
「…カイザーも同じ方法で生き残った可能性があるってことか?」

アジャンが説明を続ける。

「多分な。俺があのとき使ったのは、アルス波でスラスターの粒子とか飛んでくるビームの共振粒子とかをまとめ上げて弾き出すやり方だ。使えると思ったから新しいガンダムにも武器として積んでみた」
「だが、想定をしていなくても強大なアルス波があれば即興でやることも不可能ではない…」
「ああ。だが俺のときと違って、プライマルガンダム…親父のガンダムだが、そいつにはミスリルスラスターは積んでなかった。まあ、かなりの敵にビームを撃ち込まれて、うまいことそのビームを逆用してれば不可能じゃないとは思う」
「となると、カイザーのアルス波は、やはり総帥と肩を並べると言えるな?」
「…まあ、大きな差はないと思う。そこを比べようと思ったことはまだない」

「…なんか、お父さんが生きてたってのに嬉しそうじゃないね、アジャン」

リウヴィルが割って入る。

「…」
「…悪いこと聞いちゃったかな?」
「…いや。まあ、嬉しいとか嬉しくないとか、そういう感じでもない」
「…?」
「まあ、俺はそもそも死んでるとも思ってなかったし」
「…そうかあ」

スコットが声を上げる。

「アジャン、ドローンが例のガンダムの痕跡の最終地点に到達した。足跡は途中で途絶えて、そのあたりに何か飛びさったような痕跡が」
「…俺の知っているプライマルガンダムに飛行能力はない。映像を見ても追加されたようには見えない。多分別の飛翔体を使ったんだ」
「…となると、追跡は難しいか…」
「…いや…奴は俺を呼んでいる。だとしたら…」
「…アジャン?」

「…俺は行く。俺は、あの男に会わなければ…」

再会

「…」

アジャンはエターナルガンダムのコクピットから、太平洋を見下ろしていた。この海を上から見るのは初めてだった。下からなら、嫌と言うほど見た。

「…キャプテンベース…」

ここはウェル・カイザーのかつての拠点。大学では若くしてビーム兵器・ミスリルの研究で成功を収め天才と謳われながら、ウィグルとして迫害を受けて人里を捨てたとされる男。そのカイザーが、恋人エリザと密かにこの島に移り住み、世界への復讐を企てていた…
そこでアジャンは生まれ、世界を変える運命を背負って育ち、そして今、この地にまた降り立った…

「…地表は完全に破壊されたままだ…」

かつてキャプテンベースには、ちょうど今の幻獣軍のように、MASEとレンダの連合軍が襲来した。その大軍を一手に引き受けたカイザーは、最終的に謎の大爆発を起こして全軍を消滅させた。その後調査隊が飛来したが、何も見つけられずに立ち去った。そう言い伝えられている。
だが、その爆発がアジャンのものと同じものならば…

「…久しぶりだな、アジャン」

突然の通信。懐かしい、憎い、父の声。

「…親父…」
「お前がこうしてここに戻ってくる日が必ず来るだろうと信じていた。だが、宇宙で起きたあの爆発…可能性として、お前の不在を両軍が狙ってくることは考えた。実際にその通りになった…」
「…その確率は可能な限り下げた」
「そうだろう。だが実際に事象は起きた。私がいなければ、キング・ハリドの陥落も避けられなかっただろう」
「…恩を売る気か?」
「まさか。あれは私にとって良い機会にすぎなかった。貴様に私の存在を示し、ここへ導くためのな」
「…何のために」
「貴様に会って、これを伝えるためだ……私を、お前の手駒にしろ」
「…!」

ウェル・カイザー。レジスタンスの伝説。その男が、自ら幻獣軍に加わるというのか。

「言うまでもなく、私はお前の指示に従おう。私の力、お前にとって必要なはずだ…」
「…」
「…どうした?私の力が欲しくないのか?」
「……必要だ。だが、俺が親父を使うならば条件がある」
「…何?」
「俺が親父より強いことだ。そうでなければ俺は親父を使うことはできない」
「…私を、信用していない、というのか」
「無論だ。親父はあのとき姿を消し、そして今の今まで出て来なかった。それをどうして信用しろというんだ?」
「…ククク。それはお前が私の想像以上に強かったからだ、アジャン」
「…」

カイザーは、アジャンと同じあの邪悪な笑みで語りかけた。

「お前がもっと弱ければ、早々に出ていって力を貸しもしただろう。だが、アジャン、お前が一人で世界を変えられるなら、それもまたと私は思った…」
「…ならば、それならば…」
「だが、やはり私も見たくなったのだ。お前の創る世界を…」
「……やはり、信用できないな」
「……ならば、私に立ち向かうが良い!」

カイザーは腰のビームガン―コンバット・ビームライフルを抜いた。ダブルバレルのビームライフルで、使うべきウィグルが使えば通常のビームライフルの倍の威力を発揮する。

「…行け!」

強烈なビームの奔流がアジャンへ向けて放たれた。アジャンは身じろぎもせず、そのビームめがけてアームビームガンを撃ち込む。いきなりの撃ち合いが始まる。

「ぬぅぅ!!」
「…!」

この撃ち合いは一方がビームの出力を上げて押し切るか、粒子かアルス波が尽きるまで終わらない。カイザーがあのリュウに挑んだ鍔迫り合いと同じである。
こと、この脅威のウィグル二人の撃ち合いは想像を絶するものだった。

「…何?」

アジャンは意外な声を上げた。

「…その程度か!アジャン!!」

カイザーの力も全く衰えを見せない。二人のアルス波はビームという形でぶつかり合い、互いの才能を試し続けた。

親子

「アランブラ!どこだ!!」

エルヴィンは帰還した基地で息子―もとい、アランブラを探していた。やむを得ずとはいえ自分が乗機を貫き、脱出したはずではあったが、当の本人は気が気でなかった。

「エルヴィンさん、無事で…」

ペレルマンが声をかけてきた。

「司令…アランブラは?」
「彼も無事ですよ。MSのパイロットたちは皆助かりました」

含みのある言い方だった。

「…そうですか…だが、その様子だと…」
「…ポリシアのメンバーは、戦闘に出たものはかなりの被害が出ました。あの戦いに戦闘車で出るのはやはり無謀でしたか」
「…すまない…皆…」
「いえ…彼らは志願して出たのです。私も、この役目を与えられねばそうしていたでしょう」

ペレルマンは同胞の死も悲しんでいるようだったが、それと同じくらい、自分が生き続けていることに悲しんでいるようだった。

「……どうして、そこまで…」
「…説明しなければなりませんか」
「いえ…貴方の同胞のおかげで我々は生き残ったのです」
「そう言っていただけるなら、彼らも浮かばれるというものです。この世界に自分の残すべきものを残して死ねた…その喜びを向こうで家族と分かち合っているでしょう」

自分が生き残るために戦い続けてきたエルヴィンには、少し前までは理解しがたい感覚だっただろう。だが、今は…

目立った負傷のない者は自室やラウンジで思い思いに休んでいた。アランブラとクルスも、ラウンジのソファに体を沈めていた。

「アランブラ、クルス…」
「…エルヴィン」
「…ふたりとも、無事でよかった」
「…」

アランブラはぐったりと疲れ切っている。あれだけの大立ち回りでは消耗するのも無理はないし、むしろ気絶しなかったのは大きな成長だ。

「…隊長もご無事で。流石としか…」
「お前たちの後ろ盾があったからな」

クルスにはエルヴィンが一回り大きく見えていた。あれだけの戦闘の後に疲れた素振りも見せないこの男には、一人のパイロットとして畏怖を感じざるを得ない。
戦いの疲れとその畏怖、そして守られているという安心が、クルスに妙な質問をさせた。

「…隊長には、お子さんはいないんですね」
「…話を聞いていたのか」

パウエルとの通信をクルスたちに聞かれていたらしい。少し気まずい。

「…俺、母子家庭だったんです」
「…そうなのか」
「親父は俺が生まれてすぐ家を出たって聞きました。その後俺がウィグルだって分かって、MASEの寮に入る約束をさせられる代わりにおふくろは暮らせるようになったみたいで」
「…MASEの奨学金か。内部じゃ、身代金と呼ぶやつもいたが」
「はい、先払いの身代金ですね。いずれにしてもおふくろと俺はそれで助かったんですが、12で寮に入ってからは、ほとんど連絡もなくなりました」
「え…」
「同期たちの親が寮に面会に来てたりしてたのを知るまでは疑問にも思わなかったですね」

エルヴィンは軍人の家系の生まれだった。割合早くに亡くなった両親は厳しいながらも愛情をもって接してくれたし、自分もそれはよく分かっていた。小さい頃は反抗したときもないではなかっただろうが、基本的に親の愛情というのを疑わずに育った。

「…そんなことがあるのか…」
「だから、なんか、親ってよく分からなかったんですけど。でも、隊長に息子って言われて」
「…」
「なんか、ちょっと分かったような…」

「よせ、クルス」
「…アランブラ」
「親は親で、他人は他人だ」
「…そうかな」
「そうだ。俺は死んだ両親以外、誰を親と思ったこともない。ペレルマンもだし、エルヴィン、あんたもだ」

言葉の棘が魂に刺さる。当然だ。自分が勝手にそう思っているだけなのだから。
エルヴィンはいつの間にかこの少年たちに抱いた深い愛情を、自分で否定するほど幼稚でもなかったし、相手に押し付けるほど傲慢でもなかった。彼はただその痛みを、愛情の証として抱いていた。

「アランブラ、そんな言い方しなくても」
「…本当の話だ」
「……疲れたね。寝ようか」
「…」

クルスは気だるそうにソファから体を起こすとアランブラを促した。彼はエルヴィンを視界に入れないように、わざと体を捻って立ち上がった。クルスは彼を先に行かせると、エルヴィンに小さく一礼して廊下に消えていった。彼はその後姿をずっと見送っていた。

「エルヴィンさん」

いきなり呼びかけられて驚いた彼は小さく飛び上がった。ペレルマンがカシャーサを片手にいつの間にか後ろに立っている。

「お、驚かせましたか…?」
「いや…大丈夫です、司令」
「司令はよしてください。作戦は終わりました…一杯やりませんか」

彼はそういうとソファに腰掛けてロックグラスを2つ並べた。氷がすでに入れられているところに、紙スティックに入った粉末をふりかけて酒を注ぐ。

「それは?」
「ライムと砂糖の粉末です」
「ライムと砂糖…」

ペレルマンは軽く混ぜたグラスをエルヴィンに勧めた。エルヴィンは一口飲んで、むせた。

「…大丈夫ですか?強い酒は余り飲みませんか」
「…はっ、い…ビール…くらい、しか…」
「こういう酒は舐めるように少しずつ飲むんですよ」
「……」

一通り落ち着いたエルヴィンは、言われた通り舐めるように一口飲んだ。甘酸っぱく、それでいて荒削りな味がする。

「…美味しいですね」
「お口に合えば」
「…南米の酒ですか?」
「はい。我々にとっては、貴方がたにとってのビールかバーボンのようなものです」
「ライムと、砂糖でしたか。こうして飲むものなのですか?」
「必ずしもそうではありませんが、これが一番ポピュラーですね。大昔の大統領が、この飲み方を保護するために法律まで作ったと言いますから。カイピリーニャと言うんですが」
「カイピリーニャ…どういう意味なんでしょうね?」
「…田舎の娘…です」
「…」

言葉を失ったエルヴィンにペレルマンが続けた。

「…あなたが、お子さんのいないあなたがアランブラ君をあれほど愛してくださっているのを見て、娘を思い出しました」
「…あなたは、アランブラのために私を引き合わせたと言っていましたが。でも、実際に変わったのは私のほうのような気がします」
「はい。子を持つというのは、持ったほうが変わるものなのですよ…そして、失ったときも」
「…おいくつだったんですか」

それを聞くのは勇気が必要だった。

「...7年前、19で亡くなりました。私の手も離れつつあった。私は学がなくて苦労もしましたが、娘は大学に入れてやれました。楽しくやっていたと思います。私に似てしまったので、器量よしではありませんでしたが、優しい娘でした。学校で友人も多かったようです」
ペレルマンは堰を切ったように話し始めた。
「大学の帰りに…私の仕事場に、もう帰ってくるはずなのに、帰ってこないと…妻から…」
そこから先はほとんど聞き取ることもできなかった。ペレルマンはハンカチを顔に当てたまま、自分の口の中でずっと話し続けていた。愚痴というより、贖罪のように見える。エルヴィンは神父のようにずっとそれを聞き続けていた。

「…すみません…話せて、よかったです」
「…お辛いことを聞いてしまいまして」
「いえ…ポリシアは皆が皆こんな境遇ですから、誰かに話して気持ちを整えることもしませんでした。話そうとも思いませんでしたが…でも、話すことも、時には必要なことなのでしょうか」
「…それが生きるために必要なら、必要だと思います…私も貴方には死んでほしくありません」
「…」

また長い沈黙が流れた。エルヴィンはいつの間にか、手に持ったグラスの中の氷がだいぶ小さくなっていたことに気がついた。だいぶ飲みやすくなったカイピリーニャをもう一口飲む。

「…我々も、アランブラ君も、復讐のためになら命を投げ出すつもりでいます」
「はい、それを私が変えられるとは思いません。でも、ただ私は、貴方達には…」
「死んでほしくない、ですか」
「…はい。私のエゴと言われても仕方ありません。実際そのとおりです」

ペレルマンにはアジャンがこの男を気に入った理由がよく分かった。マンタを先に救援に来たのさえ、この男を助けたかっただけだったのかも知れないとさえ思った。境遇が全く違うはずなのに、何なら正反対ですらあるのに、この二人はどこか似ている…?

「…アランブラ君は、さきほど貴方に良くないことを言いましたか」
「…聞いていたのですね。いえ、あれも当然です。彼にとっての両親は、亡くなったご両親でしょう」
「…アランブラ君、ここへ来てからよく笑う様になりました。不思議です。戦争に身をおいて人が笑えるとは思っていませんでした。彼は素直になるには若すぎるようですが、貴方の存在は大きいはず」
「…ですが私は、クルスのほうがよく分からなくなりました」
「クルス君、ですか」
「彼もある意味では両親を失ったようなものなのに、アランブラと捉え方が全く違います。親の出来の良し悪しであそこまで変わるものなのかと」
「…死ぬのと別れるのとはまた意味が違いますが…」
「…はい。しかし、クルスはもう、自分の両親がどこで何をしているか、生きているかさえも気にしていないようで。ただ、親のない子供に偏見を持つ者もいますが、クルスは本当によくできた子です。子どもが育つのに親などいらないのかと感じるくらいには」
「…自分に愛情を注がなかった親に、子どもは執着しないのかもしれませんね。それで生きていける子も、いけない子もいる…」
「…」

会話が途切れるのを待っていたかのように、留守番にあたっていたポリシアのメンバーがラウンジへ入ってきた。

「団長。キング・ハリドからメッセージが」
「何だ?」
エルヴィンにはペレルマンのこの口調は聞き慣れなかった。彼はポリシアのメンバー以外にはいつも丁寧語だ。
「キング・ハリドは謎のMSによって救援され、アジャン総帥がそのMSを追っていると」
「…要領を得ないな…」
「はい。そのMSのパイロットは、アジャン総帥の父親ではないかとのことです」
「…父親。あのウェル・カイザーではないかと言う話だったが」
「はい。あの太平洋の伝説の…」
「…その人物だということは、総帥が追っているのであれば確定的だろうか」
「おそらくは…」
「…分かった。了解とだけ伝えてくれ」

ペレルマンは彼を帰すと、またグラスを持ってエルヴィンに向き直った。

「…キング・ハリドも陥落しなかった。そのことは喜びましょう。しかし、謎のMS、ウェル・カイザー…」
「…あの伝説のレジスタンスですか…」
「…MASEではカイザーの情報は何もなかったのですか?」
「出回らなかったですね…テロリストが現れたとかいって、マンタは距離が近かったので、当時軍をかなり派遣させられましたが、壊滅したと…」
「…部下を失われたのですね」
「…はい。そのときは謎の大爆発で部隊が壊滅して、核で自爆したんじゃないかとかいろいろ噂は出回りました。調査隊も派遣しましたが、残骸からはほとんど何も発見されませんでした」
「では、生きていたというのは妙だと」
「生きていれば何かしら発見されたと思うのですが…でもどこかに隠れていたのでしょうか。調査隊も逃げ腰で、あまり真剣な調査はしなかったようですし」
「…それにしても、今更…」
「それが一番解せません。確かに今回の総攻撃は幻獣軍の危機ではありました。でも今までだってずっと危機でしたから、助けにくるタイミングはどこでも良かったはず。なぜ今なんでしょう。反乱からは時間が経ち、総帥がブラッドガンダムなどを用意する時間もあったわけですから、隠れてガンダムを再建していたなら総帥の蜂起のころにはもう動けたはず」
「…私なら、もし息子を助けたいと思ったら、少なくとももっと急ぎます」

二人の父親は、ウェル・カイザーの真意を掴みかねていた。彼もまた父親なら、なぜ、今…

からくり

キャプテンベースでは二人のビームの撃ち合いが続いていた。

「ぬぅ!」
「くっ…」

コンバットビームライフルにあれだけの粒子を貯蔵するミスリルタンクはない。どう見てもどこからか粒子の供給を受けているに違いなかった。しかしいくら父カイザーといえど、この短期間にミスリルスラスターの技術で自分の水準に追いついたとはアジャンは思えなかった。それに、自分と同じだけのビームを共振させられるほどの力があるとも信じていなかった。アジャンは自分の能力に絶対の自信があった。それだけにこの状況は理解できなかった。

「…アジャン!その程度かァ!!」
「…!!」

カイザーの挑発。アジャンはそこに隙を見た。自分を興奮させ、力を使わせようとしている…?
アジャンはビームのつながりを切った。飛んでくる粒子の奔流を上へ飛んで躱すと、上空から再度ビームを撃ち込んだ。

「甘い!」

今度はカイザーがビームで迎え撃った。再びの撃ち合い。アジャンはその瞬間、左腕のビーム砲をカイザーの足元に向けて撃った。

「…!!」

カイザーは飛び退いた。その瞬間に足元のケーブルが外れるのが見えた。

「…やはり!」

アジャンは更にカイザーへ向けてビームを照射した。今度は迎え撃たず回避するカイザー。足元の大爆発で煙が上がり、プライマルガンダムの姿が見えなくなる。アジャンはとっさにビームバリアを展開した。

「…!!」

煙の中から正確な射撃が飛んできた。間一髪て展開が間に合い、その一撃は弾かれる。
だが、第二射はバリアを展開する右のミスリルスラスターへ直撃した。アジャンはとっさにホバリングを中止し着陸する。
エターナルガンダムのメインスラスターはバリア用の粒子を展開する機能を持っていた。しかしその点だけは無防備であり、そこにさえ正確に撃ち込めば防備を崩せる。それをこの一瞬で見抜き、成し遂げたカイザーも、やはりアジャンと同じ異常な才能を持つに違いない男だった。
煙が晴れ、カイザーとアジャンは再び地上で見合った。切り離されたミスリルスラスターは空中で爆発し、炎がアジャンの頭上へ降り注いだ。彼は微動だにしなかった。

「…流石だな。私の思った通りの力だ」
「…思った通りかどうか、見せてやる!!」

アジャンはなおもビームを撃ち込むが、カイザーはまた撃ち合いには持ち込まなかった。粒子の供給源が断たれた今、アジャンに付き合っても彼にメリットはなかった。彼は地上でスラスターをふかして横へ回避すると、アジャンの足元へビームを撃ち込んだ。彼は再び空中へ浮かび上がった。

「甘い!」

メインスラスターを片方失ったエターナルガンダムの挙動は単調だった。カイザーはコンバットビームライフルの2つのバレルから別々にビームを放った。一発はエターナルガンダムの位置へ、もう一方は左へ飛んだ。動くとしたらこの二箇所しかなかった。

「ふん!」

アジャンはビームブレイドを展開していた。カイザーの狙いが正確であるのを逆手に取り、コクピットにまっすぐ飛んできたビームを、正面に構えた構えた右腕のビームブレイドで弾き返した。

「…!」

アジャンは右手を掲げたまま、カイザーはビームライフルを構えたまま、一瞬、時が止まったかのように二人は睨み合った。アジャンが地上のカイザーにビームを撃ち込めば、煙幕でまた一方的に狙い打たれる。だが、空中のアジャンにビームを撃ち込んでもこうして弾かれるのでは、継戦能力に限度のあるプライマルガンダムではいずれ不利となる。お互い下手は撃てなかった。

「…」

アジャンは右手のビームブレイドを発振したまま、下げていた左のビームガンを自分の足元へ向けて撃った。

「…!」

土煙が立ち上がり、同時にスラスターを切ったアジャンが煙に紛れて地上へ降りる。ミスリルスラスターの光を追えなくなったカイザーは、しかし、着地地点へ向けて正確にビームを撃ち込んだ。スラスターを使わないなら、その軌道は彼の前では容易に予測できるものでしかなかった。

「そこだ!!」

煙の中からアジャンがビームを撃ち返した。煙に紛れれば、何をしようとしているかまでは読めない。撃ち合いに持ち込まれたカイザーはライフルの粒子を一気に消耗する結果となった。

「ぬぁあぁ!!」

カイザーはすぐさまビームの繋がりを切ると、迫るビームを横へ倒れるように回避しながら二射目を撃ち込んだ。それも読まれていた。アジャンは左腕のビームブレイドで飛んでくるビームを切り裂いた。
体勢を立て直したプライマルガンダムは、またエターナルガンダムと地上で睨み合う。ライフルの粒子はほとんど使い切られていた。粒子を節約しなければならない状況を見抜かれた時点で、カイザーに半ば勝ち目はなかった。

「…」
「…俺はお前の戦いを見て知ったんだ、一人で世界と戦うためのガンダムに必要な要素を…たとえ技術が不完全であろうと、それを搭載する価値があると」
「…継戦能力と、飛行能力、か」
「…この結果は機体性能の差だ。だが、それを生み出したのは俺とお前の差だ…」
「…確かにな…だが、それで勝ったと思うな!!」

カイザーはビームライフルを腰にマウントすると、両脇に下げたビームシックルを抜いて突進した。アジャンは右のビームガンを撃ち込むが、やはり弾き返された。彼もビームブレイドを発振する。勝負は壮絶な斬り合いへと持ち込まれた。
ビームブレイドは小回りが効かない。未熟な技術で継戦能力を追求したエターナルガンダムには、洗練され尽くしたプライマルガンダムのビームシックルは脅威だった。僅かな粒子で扱いやすく長大なビーム刃を発振できるこの武器は、対MSの接近戦においては無類の完成度を誇っていた。

「くぁ!」
「ぬおぉ!!」

両刃のビームシックルを、腕にくくりつけられたビームブレイドで捌き切るのはアジャンでも無理があった。片刃に打ち合えば反対の刃を差し込まれ装甲をかすめられた。エターナルガンダムは傷つきながら後退し続けた。
とどめの斬撃がエターナルガンダムに迫る。

「沈め!!」

最後の一撃は空を切った。エターナルガンダムは崖まで追い詰められたが、その上から飛び立った。翼を持たないプライマルガンダムの追撃はそこまでのはずだった。

「…!!」

カイザーは目にも止まらぬ速さで右手のビームシックルをライフルに持ち替えた。電光石火の早撃ちだった。そのビームは正確にエターナルガンダムの頭部コクピットに迫った。

「…おあぁぁ!!」

残された左の翼から吹き出した粒子が共振しアジャンを守った。バックステップのために前方へ向けられていたメインスラスターは、彼の眼の前に十分過ぎる量のロス粒子を展開していた。
カイザーの最後の射撃は防がれた。

「…ぬん!!」

プライマルガンダムは突如、左手のビームシックルを振るった。ビームの刃がアジャンめがけて飛ぶ。アジャンは迷うことなく、右のビームブレイドでそれを叩き落とした。
カイザーはすぐさまライフルを捨てると右のビームシックルも抜き、再び衝撃波を放つ。

「…てゃぁっ!」

アジャンも反撃の衝撃波を放った。二人はビームの刃を振るい、空間のロス粒子を叩き出し続けた。この大技は武器のロス粒子自体を消費することはないが、ビーム刃に膨大なアルス波を供給しなければ、ロス場にビーム刃が負けて発動することはできない。有り余る二つの才能に勝敗をつけるには、それを十分に減衰させる必要があった。二人は互いの才能を試し続けた。

「…ぬぅ!」

徐々にアジャンの下へ飛ぶ衝撃波は少なくなり、カイザーは飛んできた衝撃波をビームシックルで直接叩き落とすようになっていった。基地からの共振粒子の供給に支えられていたビームの撃ち合いと違い、純粋なアルス波のぶつけ合いになった今、ウェル・カイザーを持ってしてもその息子に対しては分が悪かった。

「…ふん!」

アジャンは特大の衝撃波を撃ち出した。カイザーといえどもそれを叩き落とすには渾身の力を要した。それはアジャンに隙を与えることを意味していた。

「…おおおおぉ!!!」

エターナルガンダムが掲げた右腕に巨大なビームブレイドが発振され、太陽を貫いた。その刃は、まっすぐプライマルガンダムめがけて振り下ろされた。

「ぐぅぅ!」

カイザーは両方のビームシックルでそれを受け止めた。だが、その勢いを殺し切るのに彼は膝をつかなければならなかった。それほどまでにアジャンのビームブレイドは凄まじい出力をほとばしらせていた。

「はぁぁぁ!!!」

アジャンはあのときと同じように、全身からアルス波を漲らせた。彼の周囲のみならず、ミスリルネットワークを介してエターナルガンダムの全身でロス粒子の叩き出しが生じる。まるで白銀の騎士が緑の光をまとっているようだった。
カイザーもやはり、凄まじいアルス波でそのビーム刃を支え続けた。リュウとの打ち合いで見せた程度とは比較にならない、彼の全力だった。プライマルガンダムもまた、金色の光をまとっていた。

「…!!」

アジャンは右手のビームブレイドでカイザーを縛り上げたまま、左手を外に構えてビームブレイドを発振した。右手のそれと比べても遜色ない巨大な刃だった。

「…何?」

カイザーの表情に恐怖の色が浮かんだ。この打ち合いの中でまだあれだけの力を余しているというのか?自分の作り上げた怪物の力に、彼は一瞬恐怖に我を忘れた。

「…だぁぁぁ!!!」

アジャンはそのまま左腕を振り抜いた。プライマルガンダムの右手に握られていたビームシックルは弾き飛ばされて光を失い、その左腕は巨大なビームの刃に武器ごと切り落とされた。

決着

すべての武器と左腕を失ったプライマルガンダムは、崖の上で空中に浮かぶエターナルガンダムの前に跪いていた。片翼を失ってなお白銀の騎士は神々しく、全身に刻まれた傷跡は荘厳ですらあった。まるで神に懺悔する罪人のようにさえ見えた。
しかし、二人は決して神ではなかった。カイザーは全身に冷や汗を滴らせ、アジャンは虚ろな目でぼやけていくプライマルガンダムを捉え続けていた。

「…私の…負けか…」
「…ガンダムの…差…だ…」

アジャンはそれだけ言うと、自動操縦を仕掛け、そのまま脱力して眠りに落ちた。エターナルガンダムは、傷ついた主を乗せてゆっくりと踵を返した。その軌跡は、カイザーにハード・ハートの位置を教えていた。
カイザーもまた無事ではなかった。間もなく、プライマルガンダムは崩れ落ちた。主がガンダムを立ち上がらせるだけの力さえ使い果たしたことを感じ取ったのだった。


宇宙艦隊の解体作業に追われるハード・ハートで、司令室にいたアレスはキング・ハリドのスコットから連絡を受けていた。

「スコット!無事で…良かった…」
「泣くなよ、アレス。お前こそ無事でよかったよ」
「だって、俺…」
「話はアジャンから聞いたよ。少なくとも俺はお前の判断が間違ってたとは思わない。そこでレンダのSLUを見殺しにしても、その状態じゃどのみちレンダに攻め込まれてたはずだ…そうなったら最悪、ムーンベースどころかお前たちまで失っていた」

彼の演説はいつもアレスに勇気をくれた。

「ただ、俺達を助けたガンダム…あれがアジャンの父親だって話なんだが」
「…ウェル・カイザーか…最初にアジャンからその話を聞いたときは驚いた」
「…俺が倒れてる間に聞いたんだったな。そのときは何か?」
「いや…ただ、アジャンは物心ついたときには、もうカイザーのガンダムの開発を手伝ってたとか」
「…は?」
「…アジャンを見てると、なんか、普通の人間の枠から外れて見えんだけど…」
「…とにかく、そいつを追ってアジャンは出発したが、それから半日連絡がない」
「…アジャンのことだから無事だとは思うが…ん?」

その時、基地へエターナルガンダムの信号が届いた。

「…お?アジャンだ!こっちへ帰ってきたのか?」
「無事だったのか?」
「…いや、応答はないが、信号は来てる…また連絡する!」

アレスはスコットとの通信を切ると、エターナルガンダムへ通信を繋いだ。

「アジャン!アジャン、聞こえるか?」
「…ん」
「アジャン!無事か?」
「…あぁ」

いつもより覇気のない返答だった。

「…生きてるならいいが、大丈夫なのか?」
「…あぁ」
「…着陸するか?」
「…あぁ」

解体作業に出入りする自動操縦のリベラで混み合うMSハッチに、片翼のエターナルガンダムが降り立った。出迎えたアレスは、頭部コクピットからアジャンが珍しくワイヤーで降りてきたのを認めた。

「…アジャン?」
「…アルス波を使いすぎた。もう少し寝る」
「…そうか。整備は?」
「…自動」

アジャンは気だるそうにそれだけ言うと、司令室の奥にある総帥室へ消えていった。

「…どうしたってんだ」
「あれだけのウィグルがあんな状態になるなんてよっぽどのことだね」

司令室に持ち込んだ担架で寝ていたレヴィンスキーが、いつのまにか起きて様子を見ていた。

「経験あるのか?レヴィンスキー」
「俺はいっつもこんな状態だからねー。だけど、アルス波を使えばまあ疲れるよ」
「…あのときのスコットと同じか」
「どっちかというと、気になるのはアジャンをあれだけの状態に追い込んだ相手だよね。味方ならいいんだけど」
「…まさか、ウェル・カイザーと決闘でもしたのか?」
「かもねー。大規模な軍と戦闘したんでもないなら、一人でアジャンをあそこまで追い込めるなんてよっぽどの相手じゃないと」
「…L1の戦闘の後でも半日くらいで復活してたけどな」
「…なら、半日で元気になるかもねー」

レヴィンスキーの言う通りになった。翌日の朝、アジャンは何事もなかったかのように司令室に座っていた。

「あ…アジャン」
「おはよう」
「…おはよう」
「昨日は面倒をかけたな。解体も無事進んでいるようでなによりだ」
「…うん、それで…」
「カイザーとの戦いの話を聞きたいか?」
「…まあ」

アジャンは全軍向けの回線を開くと、前日まで倒れかけていたとは思えぬ声量で話し始めた。流石のレヴィンスキーも飛び起きざるを得なかった。


「全軍…すでに一部には話が出回っているが、改めて全員に向けて話して置こう。
俺の父はウェル・カイザー…かつて太平洋上で起きた「カイザーの反乱」の首謀者だ。そして俺は…そのカイザーの後継者となるべく生み出されたデザインベイビー…強化人間だ!」

リアルタイムで聞いていた人々も、録音をあとから聞いた時差のあるマンタの人々も、聞いたその瞬間に息を呑むことになった。

「俺は知能、体力、アルス波、あらゆる能力を強化された。人間としての潜在能力を余す所なく使い切るために…そして、カイザーの描いた理想を実現するための駒になるために!!」
「だが、カイザーは敗れ、俺は一人太平洋を脱出した…そしてブラッドガンダムを組み上げ、貴様らの前に現れた!それがこの戦争の裏で、歴史の裏で起きていた顛末だ!」
「敗れたカイザーの行方は知れなかった…だが、奴は生きていた!生きて、太平洋のあの場所から、戦う俺達を見ていた…そして今、俺達の前に姿を現した!我々を助けるためだと言って!!」
「率直に言おう!俺は父を信じていない!今更俺の前に現れて!だが、俺は父に勝った!見よ!このエターナルガンダムの傷こそ、俺とカイザーが死力を尽くして戦った証!!!」
「わがエターナルガンダムは、カイザーが反乱に使ったプライマルガンダムを打ち破った!!もはや父に、俺に逆らう力はない!我が幻獣軍はウェル・カイザーを迎える!俺の手駒として!!!」

合流

翌日、ハード・ハートにサポートフライヤーに乗ったプライマルガンダムが現れた。
MS一機の運搬に特化した輸送機。飛行能力を持たないプライマルガンダムを運搬するべく、カイザーが独自に開発したものだった。
その左腕はもぎ取られ、右のマニピュレータも破壊されていた。自らの敗北を誇示しに来たかのようだった。
その様子は幻獣軍全軍に中継されていた。誰もが、あの愚かな英雄を見たがった。

サポートフライヤーが着陸する。降り立ったプライマルガンダムのコクピットから姿を現したのは、筋骨隆々の大男だった。

「…あれが、ウェル・カイザー…」
「…アジャンの、父親…」

スコットとリウヴィルは、出てきた人物がアジャンの父親であることが今ひとつ実感できなかった。同じ感想は南米でも聞こえてきた。

「…あれが、アジャンの父親…」
「…には、見えませんね。本当に親子なんでしょうか?」
「…遺伝子強化の影響で、見た目もだいぶ変わったんでしょうかね」

カイザーはガンダムのコクピットから飛び降りると、発着場に降り立った。その手にはアジャンのものとよく似た大杖が握られている。アジャンが一人出迎える。アジャンがキャプテンベースを脱出して以来、二人は直に睨み合った。

「…久しぶりだな、親父」
「…大きくなったじゃないか」
「……血の繋がりはどうあれ、ここではお前は俺の指揮下に入ることになる…相応の態度を示せ」
「…心得ている、総帥」

カイザーは杖を水平に構えると、あのプライマルガンダムのようにアジャンの前に跪いた。そうしてようやく、目線がアジャンと同じ高さになった。その様子は、確かにアジャンに革命の主導権が継承されたことを幻獣軍に示した。

「父親が子供に跪くなんて...」
「…」

クルスの素朴な疑問に、アランブラは答えなかった。その目はどこか憮然とした感情を宿していた。

「あれがウェル・カイザー…しかし、あの様子を見ると、アジャンはカイザーに勝ったのか?」
「…あの時アジャンが基地を立ってから、どこかで決闘に至ったとしか思えん…我々の知らぬ間に」

ケリーはウェル・カイザーを尊敬していた。たった一人、レジスタンスとして世界を相手に戦ったカイザーは、レジスタンスの中のある層からは尊敬の的だった。ケリーもそんな無邪気なレジスタンスの一人だった。そして、自分が共に戦ってきたアジャンが、そのカイザーを超えたように見えることが、まだ信じられなかった。
ベトルーガはそんな彼の心情には全く興味がないようだった。彼はひたすら、史上最強格のウィグル二人の決闘を見損ねたことへの後悔に耐えていた。

「…あれが、ウェル・カイザーなのか…あの、太平洋の反乱の」
「…僕らにとっては先達者かもねー」

セイバー、レヴィンスキーは司令塔の中でこの光景を直接見ていた。二人の捉え方はケリーよりいくらか冷静ではあったものの、あの伝説が真であったこと、そしてその伝説が自分たちと共に戦おうとしていることに心強さを感じないではなかった。

「…」

アレスは他のSLUのメンバーに混じって、基地の前に列をなして様子を見ていた。そういえば自分にも父親がいる。
アレスの父親はヨーロッパの有力政治家だった。自分は同級生たちの間でも恵まれた家庭で育った。大人しく父の言う通りに暮らし続けていれば、少なくとも自分は安楽な暮らしができただろう。だが、自分は国を切り売りするだけの父に盲従することはできなかった。それで実家を捨てて、レジスタンスを立ち上げた。
自分の統率力には自信があった。それは間違いなく父の、家系の才を引き継いだものだった。自分が頑健に育ったのも、父の財力と権力の庇護によるものだった。父から得た力で父と反対のことをしている自分は一体何者なのか、考えない日はなかった。
そして、自分がついてきたこの少年は…

「…顔を上げろ、カイザー。このガンダムでは戦えない」
「…」
「貴様のために次のガンダムを組み上げる。それまで貴様にはクルーの教育を任せる」
「……すでに出来上がっているのか?」
「……日本のマスドライバーだ」
「……衛星を探しに、宇宙か…いいだろう」

話が飛躍しすぎて、聞いているものは付いていけない。
カイザーはゆっくりと立ち上がると、アジャンと二人、基地司令塔へ戻ってきた。
列をなしたアレスたちが、海が割れるかのように道を作る。

「…アレス、来てくれ。セイバーとレヴィンスキーは?」
「…すでに司令塔に」

司令塔で、セイバーとレヴィンスキーはカイザーを直に見た。
人種的な傾向に漏れず、セイバーはそれなりに大柄だ。だが、カイザーはそれどころではない大男だった。久しぶりに人の顔を見るために顔を上げなければならず、慣れない姿勢に首が疲れる。
レヴィンスキーの方はそうではなかった。慣れていたというのもあるが、単にリクライニングを倒して、ほぼ寝そべった姿勢でいたことが大きい。

「…よろしく。セイバーに、レヴィンスキー」
「…は、はい」
「よろしくー」

固くなるセイバーに比して、レヴィンスキーは相手の威圧感も全く意に介していないようだった。動く右手を上げて、気さくに返答し、それがまたセイバーを固くした。

「…アレス・エドゼルだ。ヨーロッパ解放戦線の代表…おそらく幻獣軍に最初に参画したと思う」
「…噂には聞いているよ」
「…光栄だね」

アレスはさすがに動じない。カイザーは大柄なのもあるが、柔和な表情の中でもどこか威圧的だ。だが、そんな虚仮威しに怯むようなアレスではなかった。

「…さて。アレスには話してあるが、改めて…幻獣軍は君たちの活躍のお陰で首の皮がつながった状態だ」

セイバーが意外という顔をする。レヴィンスキーは寝ているように見えるほど細い目をして、表情を変えなかった。

「SLUの協力があって大量の物資を手に入れることができた。それがなければMSも先の戦いに投入したもので打ち止めになるところだった。だが、状況は本質的には変わっていない…今回得た物資にも当然限りがある。俺達はMASEやレンダのように、宇宙に資源基地を設ける必要があるんだ。SLUの回収してくれた資源と艦隊はバラして、幻獣軍のオリジナルの艦隊を用意した」

アレスの表情にも驚きが宿る。あの命令はそういう意味だったのか…
何も相談していないはずのカイザーが説明を継ぐ。

「艦隊と言っても大規模なものではない。すでに存在するムーンベースやユエ基地を攻め落とすだけの戦力を用意することは難しい。よしんば攻め落としたとて無事で渡してくれるはずはないだろう…」
「…俺がムーンベースを明け渡さなければ」

アレスが後悔を口にする。アジャンが言葉を遮った。

「違う。お前があの場で降伏しなければ、お前たちは月に閉じこもるしかない。そうなれば地上の幻獣軍は壊滅していた…お前の役目は物資を地球へ送り届けることだった。それは達成したんだ」

カイザーがまた言葉を継ぎ、二人が代わる代わる説明を続ける。まるで一つの脳を二人で共有しているような、完璧な連携だった。

「我々も長期的に資源を手に入れられるように準備しなければならない。だが、月を我々に明け渡すことがないとなれば、残る手段は…月以外の衛星を我々が手に入れるしかない…宇宙を開拓して、だ」
「実は、この戦争の鍵となる物資…ミスリルとアダマントの生成に必要な元素は月にも含まれているが、アステロイドベルト…木星の方の小惑星帯にも豊富にあると言われている。そこへ資源衛星を探しに行き、引航してくるんだ」
「その決死隊を組織し、宇宙へ派遣する…そのためにはマスドライバーが要る。おそらく現状、世界で最も攻め落としやすいのが、日本にあるMASEのマスドライバーだ…我々はここを制圧し、宇宙へ艦隊を送り出す」
「だが、ビーム兵器にも地上戦にも不慣れなSLUのメンバーで組織戦をいきなり行うのは無理だ。地上用のMSもないし…まず俺が突入し戦力を削り、お前たちには制圧だけをやってもらうことになる。その指揮はカイザーが執る」
「日本にはMASEとの国交がある。脱走兵のうち希望するものは、そこで幻獣軍から解放してやる。帰ろうと思えば帰れるだろう。引き続き幻獣軍に力を貸すものは、そのまま残ってもらいたい」

そこにいたメンバーたちは、この流れるような連携を見て、カイザーをアジャンの父と、幻獣軍のもう一人の指導者と認めざるを得なかった。

極東へ

幻獣軍の艦隊は、ほとんど人の手を入れることなく完成を見ていた。アジャンの軍隊は人間の数が足りないのを徹底した機械化で補っている。まともな工作機械もない中で、たった一人でどうやってこんな設備を揃えたのか、アジャンとカイザー以外の誰にも分からなかった。

「……巡洋艦と、戦艦か」
「……運ぶから」

組み上げられた艦隊は次々と飛行場へ出された。決戦前のピストン輸送といい、この大観艦式といい、MASE・レンダがこのハード・ハートの場所を特定するのは時間の問題だった。アジャンが急がねばならぬ理由もそこにある。

「…全軍に告ぐ!これは幻獣軍の新たな力…地球と宇宙を行き来できる艦隊である!グラディウス級戦艦一隻、キト・アルマ級巡洋艦が四隻!先の月の戦闘で、SLUが勝ち取ったMASE軍艦隊を元手に組み上げた!!我々はこの艦隊を以て宇宙へ進出し…幻獣の生命を繋ぐ!!資源衛星と宇宙要塞を手に入れるのだ!!!…艦隊の指揮はカイザーが執る!」

慌ただしく準備が始まった。SLU、捕虜も含め、回収されたメンバーは全員が艦隊に分かれて乗り込んだ。グラディウスに4機、キト・アルマ級一隻あたり6機、ほとんど宇宙用のままリベラが詰め込まれた。ただし、グラディウスにはあのプライマルガンダムが、そしてキト・アルマにはエターナルガンダムが搭載された。両機は、艦内で整備の続きを受けることになった。
グラディウスにはカイザー、アレス、レヴィンスキー、セイバーが、キト・アルマにはアジャンが乗り込んだ。グラディウスを旗艦として組んだ艦隊だった。

「…日本、かー」
「レヴィンスキー、行ったことあるのか?」
「事故に遭う前だから殆ど覚えてないけどねー。小さい頃に家族で行ったよ。近いしね」
「…昔は大国だった、って聞くよな」
「みたいだねー」

レヴィンスキーとセイバーの他愛のない会話にアレスが口を挟んだ。

「…二百年以上前は、世界でも有数の経済大国だったらしい。今のMASEとかレンダとも肩を並べるほどの」
「…そんなにか。今となっちゃ信じられないが」
「衰退し始めたのはちょうど二百年前くらいだったというが…いまじゃ経済も軍事も見る影もない。人口も、世界に先んじてどんどん減っていった。まあ、今じゃ世界がその後追いをしてるフシもあるが…」
「詳しいねー」
「解放戦線は政治屋との絡みも避けられなかったからな…世界史は必修だったんだ」
「…なんでそんな大国が?」
「…いろんな研究があるが…どれも的を射ているようには思えない。現に、世界はその歴史から学ぶことはできてない」
「…MASEの基地が、なんでそんなところにあるの?」
「…もともと、宇宙開発基地があったところをMASEが譲り受けたらしい。接収、に近いとも言われるが…」
「…MASEの大国主義は昔からだからな」

カイザーの声が響く。

「艦隊!間もなくオキナワ宇宙開発基地へ到達する。マスドライバーはじめ宇宙基地の可能な限りを傷つけずに制圧する…諸君らがこのことを自覚しているかどうか私は確信せぬゆえ、再度の説明を容赦願う…幻獣軍に対して、MASEとレンダはあくまでテロリストに過ぎないとの見方を崩していない。ハード島の基地が今日まで気づかれずに来たのも、奴らはそんなところにテロリストの根城があるなどと思いもしないからだ!今回の作戦も同様…MASEは我々がマスドライバーを狙うなどとは夢にも思っていない!ましてや、3回に渡るマンタ基地の攻防、ムーンベースの陥落で戦力は相当削られたはず…この機を逃してはならん!!」

アジャンの演説の才がどこから出てきたのか、よく分かる。

「作戦はこうだ…オキナワ基地のMSの数は多くない。エターナルガンダムを突入させてMSを掃討する!その後艦隊で威嚇射撃を行う…DAMASがあるから近づけはしないが、それだけで十分だ!この威嚇射撃によって投降を誘う…これだけだ!!」

威勢の良い演説に比してあまりにもシンプルでひねりのない作戦に、アレスは即座に声を上げた。

「カイザー!異議がある。オキナワ基地で働くのはMASE軍人ばかりではなく、日本の者も多いと聞くが…彼らが素直に投降するのか?歴史では、日本人は切腹、特攻を惜しまないと…」
「…ククク…」

どこかで聞いたような笑い声だ。

「…アレス、人も、組織も、国も変わるんだ…なぜ栄華を極めた国家が一つ、二百年の時の中でここまで落ちぶれたのか…そして、そんな例が貴様の好きな歴史の中には枚挙に暇がない…なぜか?お前たちはそれをこれから見ることになる…」

カイザーの言葉にはどこか諦観があった。アレスは心中で思った。この男はアジャンとは違う…


「が…ガンダムだぁ!!」
「あれ、あれが、ガンダム…なぜこんなところに!?」

エターナルガンダムは、カイザーとの戦いで切り落とされた翼を再び宿していた。ブラッドガンダムの経験から、アジャンは四基のスラスターを切り離せるようにしていた。根本から付け替えれば、翼は再び生えてくる。

「マスドライバーを壊されたんじゃシャレになんねえ…勇敢な奴は殺す!」

エターナルガンダムはいつものように残忍だったが、その戦い方は普段と違った。見るからに果敢に向かってきた兵士は、腹部コクピットを貫いて殺した。腰が引けながらビームを乱射する者は、ピストルを叩き切って蹴倒した。生命は奪わなかった。五機に満たないリベラはあっという間に鎮圧された。

「…基地の者に告ぐ!我々は貴様らを殺すつもりはない。我々がほしいのはこの基地だ…明け渡せ!さもなくば皆殺しだ!」

基地の中ではダグラス司令とその部下たち―その大半は日本人だった―が揉めていた。

「マスドライバーを爆破しろ!」
「司令!そんなことをしては」
「黙れ!幻獣軍がマスドライバーを狙っていたとはMASEの誰も思っていなかったことだ…その上あんな艦隊まで用意して!奴ら、宇宙に進出するつもりだ!」

エターナルガンダムの背後では、艦隊が威嚇射撃を始めていた。グラディウス、キト・アルマともよく似た形をしていて、艦体からカタパルト2つが前に伸びている。この下部に連装共振粒子砲が二基搭載されていた。グラディウスはさらに、カタパルト上部にも同様の砲塔を装備していた。MS運用能力よりも、艦隊戦での火力を重視した、まさに戦艦だった。
上空を飛び交う火線の中、エターナルガンダムは佇んでいた。

「基地の者に告ぐ…MASEへの義理立てに、基地を幻獣軍が奪ったことをMASE本国へ伝えて構わない。そのための時間をやろう。それに、お前たちは助けてやる…この後貴様らも基地から運んでやる」

基地職員は顔を見合わせた。

「その代わり…投降の邪魔をする奴を殺せ。生かして置けばお前たちの無事は保証できなくなる…」

日本人たちはダグラス司令に一斉に群がった。哀れ、彼はもみくちゃにされて人間ではなくなった。
基地の抵抗がなく、その割に騒がしい。アジャン、カイザーは作戦の成功を知った。

変革者

オキナワ基地はあっさりと幻獣軍に明け渡された。アジャン、カイザーは基地職員から一通りの説明は受けた。MASEが迫っている以上、時間は無駄にできない。SLUは艦隊に残し、カイザーは捕虜を率いて基地の制圧に取り掛かった。
アジャンはグラディウスに戻ると、ブリッジで寝そべっていたレヴィンスキーに声をかけた。

「レヴィンスキー…お前がグラディウスに座乗してすべての指揮を執るんだ」
「…えー?俺が?」
「MSはセイバーにまとめさせろ。キト・アルマ以外のすべての巡洋艦も打ち上げる。MASE・レンダの両方のマスドライバーが使えるようにこいつらは設計してある。大丈夫だ」
「…確かに、俺は宇宙にいないと、役に立たないからねー」
「違う!!!」

突然の大声に横にいたアレスが飛び上がった。さしものレヴィンスキーも普段開けない目を見開く。アジャンの表情はあの邪悪な笑みだった。

「俺には貴様が必要なんだ!!レヴィンスキー、貴様の力と才が!!!片足がなくて何だ!左手の指がなくて何だ!!目と耳なんざ、一個と二個で何が違ぇ!いや、貴様なら二個ともなくたって構わねぇ!!」
「……俺なんかに、どうしてそこまで」
「…プライマルガンダムは、お前にやる。左腕と左足を俺が切り落とした…貴様にぴったりだ。改修して貴様のものにする。幻獣の命はお前に託す…アステロイドベルトから衛星を引っ張ってこい。何としてもな」
「……いやとは言わないよ。ただ、何で俺に…」
「貴様の才でなければ到底突破し得ないからだ!いや、貴様をもってしてもどうか!」
「…失敗したら?」
「俺達は遅かれ早かれ全滅だ」
「…それを、俺に?」
「貴様以外に成しうる者がいるものかよ!!!」

レヴィンスキーは上体を起こした。普段とは打って変わって右目が異様に輝いている。

「…アジャン。後悔はさせないよ」

彼はそれだけ言うと、ベッドから飛び降りた。慌てて支えようとするアレスを右手で制すると、左足からアルス波を放射して立ち上がってみせた。アジャンの表情からみるみる毒気が消える。

「…アレス、お前は俺達といっしょに来い。キト・アルマの艦長が要る」
「…何を言われてももう驚かんぞ」
「…ククク」

アレスとアジャンは、レヴィンスキーらSLUを残して艦を降りた。艦隊はまもなく打ち上げ作業に入った。

「…アジャン。打ち上げが始まれば我々はもういいだろう」
「…そうだな…アレス!キト・アルマに捕虜どもを収容しろ!基地は放棄する!ここを維持するだけの戦力は俺達にはない…!」

かくしてSLUを母体としたレヴィンスキー艦隊は、まともに準備をする時間もないまま宇宙へ送り返された。果のない旅を、幻獣の生命を紡ぐために…
そしてアレスもまた、アジャンとカイザーという二人の鬼才のそばで修羅の道を歩むことになる。

二人きりのブリッジで、アジャンは操舵手席に座って舵を取っていた。捕虜たちは、宇宙から来たもの、オキナワ基地で回収したもの、ともども寒いMSハッチに押し込められ、カイザーは艦長室に閉じこもって各所に指示を出していた。
ブリッジの艦長席に座らされたアレスは、高速巡洋艦をこともなげに操るアジャンの後ろ姿をじっと見ていた。

「…俺は、歴史が好きなわけじゃない」

アレスの言葉に、アジャンは振り向きもしなかった。

「だが…嫌でも歴史を学べば、国民性ってもんが見えてくるんだ…国の歴史に応じた人の考え方、魂ってものが…なのに、これは…」

アジャンが振り向かずに答える。

「日本の人口は一時、増えすぎるくらい増えたんだ。その中の選りすぐりの連中が日本の躍進を支えた。奴ら、それにあぐらをかいたんだな」
「…?」

アジャンが振り向いて話を続ける。キト・アルマは自動操縦のまま、東京までの短い距離を飛んだ。

「人間の使いすぎで人が減り始めたのに、考え方を変えようとしなかった…人が余るほどいたときと同じことをやり続けた…」
「…今、世界はそうなってるじゃないか」
「…そう、学べないもんだよなぁ…」
「…アジャン、お前、そんな世の中を変えようっていうんだろ?どう変えるつもりなんだ、それがまだ俺にはわからない」
「…分からなくて、よくもまあ、今まで俺に付いてきたよな…」
「…変えようとしていることだけはわかるんだ。だから付いてきた。こんな悪逆非道の男にな」
「…ククク。よくわかってやがる」

アジャンは一呼吸入れると、また話しだした。

「レヴィンスキーをどう思う?」
「…レヴィンスキー?…大した奴だと思う。あの力、あの度胸…察しもいいし…」
「…そのレヴィンスキーをまともに使わなかったレンダは?」
「……間抜けなことだとは思う、が…前、アジャンの言った通り、あれだけの大組織になると、レヴィンスキーのような人間一人一人に労力を割いていたら割に合わないかもしれないな」
「その通りだ。レンダでもMASEでもその他でも同じだが、ああいう手合を一人ひとり構うことは少なくともある側面では合理的ではない。それに、一人ひとり構っていたらそれだけの手間や費用は必ずかかる。その費用を出す連中は、いい顔はしねえだろうな…俺達は、俺という絶対的で無限の源泉があるからこそ、レヴィンスキーにガンダムと艦隊を与える、なんて真似ができたわけだ」
「…言葉もないよ」
「…だが、アレス…もし、俺という才能がきっかけではあったとしても…もし、ああいう奴らを一人ひとり構ってやる組織のほうが強いとしたら、どうする?」
「…!」
「全員がまとまって同じようなことができて、同じようなことを考える組織は強い。攻めることには特に強い。だが、守るにはどうか?みんなが同じ方を向いて、守るべきものを守れるか?」
「…アジャン…」
「とどのつまり、一人で何でも出来るやつばっかりじゃない。そんな奴のほうが少ない…だから、いろんな奴がいるほうが、実は強いとしたら…」
「…」
「…だからさ。だから俺は、勝ちたい…」

着信を知らせる警告がけたたましく鳴った。日本の空港への着陸を許す合図だった。

変質した魂

機動隊が取り囲み、銃を向けている。心做しかその装備は少し古く見え、隊員たちもやや老け込んでいるようだ。キト・アルマの乗降機が下り、アジャンとカイザーが先頭に立った。その背後には多数の捕虜が見える。いずれもオキナワ基地で捕縛された者たちだった。彼らは今やMASEから追われる身、本国に帰してもらえるのは願ってもないことだった。
また、同様に月にいたMASE軍人たちも後ろに並んでいた。彼らのうち、権力に抗って戦おうとするものはほとんどSLUに参加していた。そうでない者たちが幻獣軍に残ろうとしないのも自然なことだった。

「手を上げろ!」

機動隊からの声が聞こえる。アジャンは右手に大杖を構えたまま両手を上げた。

「…おおおぉ!!」

そして、咆哮とともに緑色の閃光を空へ向けて放った。艦砲射撃のような光線が暗くなってきた空に軌跡を引き、恐怖で機動隊は盾ごと後ろに倒れ、見物人たちは逃げ惑った。
アジャンはそんな人々を、虫や獣にさえ向けないような蔑んだ目で見下ろしながら、両手を下ろして階段を降り始めた。銃口は一つも向けられていなかった。

「…これが…今の日本…」

アレスはブリッジで一人その様子を見ていた。世界史によれば、日本は覇権主義の時代に、大国を相手に果敢に戦ったとある。それは紛れもない侵略戦争であった一方、アジア諸国を西欧の支配から結果的に解放したことも否定できない、と。
そしてその侵略の原動力となったのが勇猛果敢な兵卒だった、と。
そんなことを考えていたら、左腕に刺激が走った。アジャンからのさりげない通信だった。

「…アノニマス?」

アレスは艦のコンピュータでアノニマスへアクセスした。

「…何だ、これは…」

アノニマス上で「デモ」が行われている。幻獣軍に降伏しろとか、軍艦を民用の空港に入れるなとか、主張は様々だが、当の軍艦の前には無言の見物人しかいないというのに、自分に飛び火しないところでこんなに…
アレスは必死にそのログを追った。似たような内容が無限に投稿され続けるのを追い続けて、いつの間にか帰ってきたアジャンが背後に立っているのも気づかなかった。

「俺がこの国に手を出さなかった理由が分かったか?」

驚いて振り返る。あの邪悪な笑みを浮かべたアジャンが立っていた。
ブラッドガンダムは蜂起のとき、世界中の「既得権益」を潰して回った。だが、この日本はことごとく素通りだった。

「…この国にはもう、幻獣軍が力を貸すに値する者がいないからか?」
「…そうだ。『かわりに戦ってくれ』とは来ても、『一緒に戦ってくれ』とは来なかった。一つも」
「…それを送ってきた奴らは一人も無碍にはしなかったんだろう」
「…そうだ」
「…だが、そういう奴は多くはなかった。だから幻獣軍もこれっぽっちの人数で…」
「そうだ。だが、まさか一件も出てこないとはなぁ?俺も正直、まさかと思った…国とはこんなに老いることができるのかと」
「…」
「この国は進んだ国だったんだよ。進みすぎて、世界より早く死んだ。ただそれだけのことさ」
「…アジャン…お前、本当は…こいつらを…」

アジャンの笑みが一際闇を増す。その時、カイザーがブリッジに入ってきた。

「一人残っているぞ?」
「…連れて、来てくれ」

カイザーは振り向くと手招きした。若い…はずの男が入ってくる。

「…残る奴がいるとは思わなかった。MASEのムーンベースにいた者だな?名前を教えてくれ」
「…リバロといいます。MSの整備をしてました」
「…整備を…協力、感謝するよ」
「…私になにか出来る事があるとは思えませんが。あまりにも見事に自動化されているので」
「できないことのない人間なんていないさ。しかし、SLUには参加しなかったのか?」
「…どうも、ああいう、集まりごとは苦手で…」
「…ククク、今度は一人になれて良かったじゃないか」
「…はい」
「クククク、正直者め…」

アジャンは振り向くとアレスを目で促した。アレスはその見事に禿げ上がった頭部をなるべく見ないようにまっすぐ目を見つめた。

「…アレス・エドゼルだ。よろしく」
「…ヨーロッパ解放戦線の。僕も、もともと向こうにいて」
「へえ?」
「ちょうど同い年の人が活躍してるなあって」
「お、ないどし?」

つい頭頂部に目が行ったが、相手は気にも止めないようだった。

「僕は留学してそのままMASEに勤めたけど、運悪く月行きになってね」
「そうか…すぐに引き合わせられないが、俺の仲間たちにもぜひ会ってほしいな」
「…うん、挨拶だけはさせてもらうよ」

物言いは滑らかだが、やはり人と付き合うのは得意じゃないらしい。アジャンはその様子を気持ち悪いニヤケ顔のまま見ていた。

「すぐに引き合わせられるぞ?」
「え?」
「俺達の次の目的地はキング・ハリドだ。ケリーのガンダムを届けに行く」
「ケリーの…スコットたちに会えるか!?」
「ああ。…そろそろ、リーダーの差が出てくる…」
「え?」

マスドライバーで宇宙へ打ち上げられた艦隊は、順調にアステロイドベルトへ向けて加速していた。

「小惑星帯まで、地球と月の距離の1000倍もあるのに…そんなに早く着くものなのか?」
「行くだけなら簡単だよー。ミスリルスラスターは燃料切れのないロケットみたいなものだから。加速し続ければ、抵抗のない宇宙ならいくらでも速度が出せるからねー。ぶつかるデブリはDAMASが壊してくれるからいくら加速してもいいし…10日と少しってとこかなー」
「10日か…惑星一つ飛び越えるのにそれだけなんて」
「むしろ帰ってくるほうが大変だねー。隕石一つ連れてこないといけないわけだから」
「…どうしたって歩みは遅くなるよな。月を開拓したほうがまだ早いんじゃないのか?」
「月でアダマントとミスリルの鉱脈が見つかっているのはあの二箇所だけなんだよねー。それを含んだ隕石が落ちたのが二箇所だけって言われていてね。他は昔MASEとレンダが血眼になって探したから、もうそれ以上は月にはないだろうね」
「…そうなんだ…」
「もう一つ基地が立てば、戦争に必須の物資の供給量が倍になる…そんなことあの両国が調べないはずないよねー」
「…そんなレアなもの、俺達に探し当てられるのか?」
「だいじょーぶ。小惑星帯の含有割合は多いって言われてる。それにミスリルはビームを弾くから、手当たり次第そのへんの隕石に撃ちまくればすぐわかる。ただ、そんな遠方まで行って帰ってくるのが大変すぎて、誰も採りに行かないってわけ。まして隕石一つ引っ張ってくるとなると、今までは推進方法なんてものもなかったしねー」
「…ミスリルスラスターがそれを解決する、ってことか」
「そーゆーこと。ただ、そんな惑星一つ動かせるようなミスリルスラスターなんて設置だけで大変だし、ミスリルコアを埋め込まないといけないし、大仕事になるからねー」
「…だからこれだけの大人数、それも宇宙での作業に慣れた俺達を派遣したわけか…」
「食料はハヤイモ畑が艦内にあるから飢え死にはしないし、水もほぼ完全に循環してるから半永久的に大丈夫だし、燃料切れもない。アジャンってのは本当に恐ろしいねー」
「…恐ろしがってるようには見えないな」

その時、グラディウスのブリッジに警報が響き渡った。オペレータが声を上げる。

「…長距離レーダーに反応!司令、敵襲です」
「…MASEだねー。こちらを調べに来たね」
「どうします?戦闘で消耗するのは…」
「…向こうもそう思ってるから仕掛けてきた。艦の数は多くても戦力は大したことがないだろうと」
「…それでは?」
「…俺が行くよ。そのためにあのガンダムをもらってきたんだ」

レヴィンスキーは平時とは全く違った機敏な動きでブリッジを飛び出した。間もなく、ヘルメット姿の彼の通信がブリッジに入る。ヘルメットの頭頂部には片手でも外せるように取っ手が貼り付けられている。不格好だが、急場しのぎにはなった。

「艦隊は加速を中断、巡航に入って!俺が置いてかれちゃしょうがないからね…セイバー!SLUのパイロットたちに伝えるんだ、MS戦を見学するようにね」
「…了解、無事でな!」
「…心配には及ばないよ!!」

レヴィンスキーは宇宙へ飛び出した。ガンダムクラヴィス…「鍵」の名を授けられた力とともに。



「距離はまだある…」

レヴィンスキーは迫ってくる光の軌跡を見定めた。

「…目は一つでもいい、か」

ガンダムの左肩には、腕の代わりに大盾が取り付けられていた。その中から大型のビームガトリングが覗いている。おそらくは、エルヴィンの自由を奪っていたあの機銃だろう。
彼はゆっくりと、その砲身を軌跡に向けた。刹那、嵐のように火を吹く。

「こ、この距離で!?」
「うわぁッ!」

幻獣軍は確実に力を付けている。アジャンがいなくとも、これだけの使い手が宇宙にまで上がってこれる。MASEの軍人たちはその恐怖を味わう暇もなく宇宙の塵と消えた。

「…手足みたいに動くね…片方ないけど…」

母体がプライマルガンダムであったとは思えないほどに、コクピットはレヴィンスキーに最適化されていた。左手は辛うじてレバーが握れるが、掌で包める手頃な大きさに変えられ、右側に主要な操縦系が集中している。左からの音は増幅され、右側の視界に巧みにモニタと計器類が詰め込まれていた。
ガンダムの右手には大型のロングビームライフルが握られ、左足の代わりに膝下にスラスターが取り付けられていた。重力下では膝からアルス波を放出して立ち上がる彼にとっては、あまりにも使い慣れた推進機だった。
MSが手足のように動く、という感覚は彼にとって新鮮だった。自分にこんな才能があるとは自分でも気づかなかった。
アジャンには会って間もないし、プライマルガンダムを改装する猶予もそうなかったはず…アジャンを恐ろしいと言ったのは、本音だった。

「ぐあぁ!」

接近するMSは、ビームライフルに撃ち落とされた。小回りの効かないことは間違いなく、至近距離に近寄ればまだ勝負になっただろう。だが、数を頼んでもそれを許さぬほどにガンダムトラヴィスの火力は別格だった。
腹部にコクピットのあったプライマルガンダムは、頭部を換装されそこをコクピットにされた。旧型のミスリルコア、スラスター系、そして腹部コクピットは根こそぎ外され、新型のミスリルコアとミスリルスラスターを取り付けられた。
ガトリングはミスリルスラスター直結で弾切れはない。ビームライフルにしても大型に見合ったミスリルタンクを装備し、相当な継戦能力があった。当然、この火力を引き出しきれるウィグルが操らねば意味のない機体であった。
数を頼めば十分な軍のなかにあって用意される機体ではない。一人の能力を最大限に引き出さねば勝ち目のない幻獣軍―まさにその鍵を託されるにふさわしいガンダムだった。

「…すげぇ」

セイバーをはじめ、SLUのパイロットたちはその奮戦を目の当たりにしていた。あんな小柄で五体も不満足で…なんなら心の何処かでは見下していたような男に、あれだけの力があるとは…

哨戒部隊はにべもなく葬り去られた。レヴィンスキーは軽やかに宙返りするとそのまま帰還した。
セイバーたちは彼の指導を受けたがった。ビーム兵器の取り扱いに一度は落第の烙印を押された彼らに火を付けるのに、その力は十分すぎた。
小惑星帯への旅は暇だった。訓練に明け暮れるには十分すぎた。

キト・アルマはとうに日本を発ち、キング・ハリドの幻獣軍基地へ向かっていた。

「…せぇい!…てぇい!」

マンタ基地。朝一番に、大槍を振るうエルヴィンのベル・ドゥが飛行場のど真ん中にいる。日中は若い兵士の練兵に付き添うから、こうして朝一番に自分の訓練をする。それを横目に見ながら若い兵士は急いで朝食を摂る。
警察上がりのポリシア団員の朝も早い。朝食前に一汗流すのだ。

「死んでいった者たちの誇りを忘れるな!若い彼らの足手まといにならぬよう力を尽くせ!」

敬語ではないペレルマンが見られるのはこの訓練の間だけだった。アジャンによってカルテルがほぼ壊滅させられた後も、彼らは復讐を遂げるべく幻獣軍に身をおいていた。何しろ、カルテルの首魁がまだ見つかっていないのだ。

「しれ…団長。今日の合同訓練、準備良しです」
「了解です。次がいつくるやもわかりませんからね…準備しませんと」

マンタ基地はMS工廠を自前で持ち、SLUが奪取した物資で補給を受けることもできた。何よりもペレルマン、エルヴィンの存在は大きかった。エルヴィンは持ち前の面倒見に加えて先の戦闘での戦果から若いパイロットの信望は厚かったし、ペレルマンも生き残ったポリシアもろとも基地をまとめていた。

それに比して、キング・ハリド基地のほうは順調とはいい難い状況だった。リュウ・ベルベットの襲撃で大きな被害を受け、MSが不足しパイロットの練兵もままならぬ状態であった。
ケリーの傷はようやく癒えてはきたものの、この状態で基地の士気を高く保てるだけの器量は彼にはなかった。いや、彼でなかろうと重荷ではあったに違いない。
アジャンはそうなることを最初から読んでいた。

「…それで、リーダーの差、か」
「…そう。アレス、お前は自分ができの良いリーダーだから、わかるかどうか」
「バカにするな。俺の役目は先陣切って政治家どもとぶつかることだ…自分を顧みるまでもなく、リーダーの出来の良し悪しで組織が変わることくらい、いくらでも見てきたさ」
「…そうだな。そして、脆い組織にほど多くのリソースを割かねばならない…」
「…マンタの連中、どう思うかな」
「だから、俺はいままで意図的に基地間の直接の交信を行わせてこなかった…この厳しい戦況でそれをやっては自滅だ」
「…アジャン、お前って奴は…」
「…エルヴィンのような奴がいれば話は早い。こいつを重用している限り、こいつの配下を敵に回すことはない。だがケリーのような奴だと…」
「…」
「…お前が二人いれば、片方はキング・ハリドに置くんだがな」
「…一人でも置こうとは思わないのか?」
「思わん。お前はお前にしかできないことがある…着くぞ」

キト・アルマは砂漠の飛行場に下りた。幻獣軍の艦船は揚力をミスリルスラスターに頼っているから垂直離着陸ができる。時間さえかければ単独での大気圏離脱も可能だ。レヴィンスキー艦隊にそれをさせなかったのは、山程資材を積み込んでペイロードがギリギリになっていたためだった。無茶をしなければマスドライバーは必要がない。アジャンが気軽にオキナワ基地を捨てたのはそういう理屈もあった。

地上へ降り立ったアジャンとアレス、そしてカイザーをスコット、リウヴィルが出迎える。

「…スコット!スコット!!」
「アレス…!」

反応する間もなくスコットはアレスに抱きつかれた。照れ屋の彼には少し過激だった。

「アレス…!この間泣いただろうが…」
「だって…」

日頃の果敢さはどこへやらの泣きじゃくりように、横にいたリウヴィルが釣られて目を押さえている。
ひとしきり泣いて落ち着いたアレスはハンカチで鼻をかむと、背後のカイザーを引き出した。

「この人がウェル・カイザー…アジャンの親父さんだ」
「…よろしく、スコットに、リウヴィルか」

相当な大男で、かなりの威圧感がある。スコットはアレスの横で色々の修羅場をくぐってきただけに容易にひるまなかったが、リウヴィルのほうはそうでもなかった。

「…よろしく。スコット・クレイだ…光栄だ、あのカイザーに会えるとは」
「……リウヴィル、アストラル、です…同じく、です…」

アジャンは、スコットに搭載した3機のベル・ドゥ、そしてもう一機のMSを下ろすように伝えた。リウヴィルが先に司令室へ戻り、ケリーに来客の存在を告げる。

「ケリー、アジャンがついたよ」
「…補給か。MSがなきゃ練兵もできやしないからな…何機だ?」
「4機」
「…十分とは言えないが…」
「贅沢言っちゃだめだよ。それに、あのウェル・カイザーが…」
「…何!?」

その名前はケリー・ハワードにとっては憧れだった。彼のみならず、多くのレジスタンスはウェル・カイザーの名を心の支えにしていた。スコットやリウヴィルも、特段の例外だったわけではない。だが、ケリーのその信奉心は並のレジスタンスのそれではなかった。
間もなく司令室に、明らかに目立つ大男が入ってくる。

「…あんたが、あんたが、ウェル・カイザー…」
「よろしく。名誉の負傷をしたそうだな、ケリー」
「こ、この程度は…」

少年のようにわかりやすく舞い上がるケリー。決して器量のある人間とは言えぬこの男が存外に身近なものに憎まれないのは、この純粋さが大きな役割を果たしていた。
だが、ウェル・カイザーという男の内面と過去は、その純粋さに応えるだけの単純な構造はしていなかった。

「…カイザー君」

老いた声がケリーの後ろから響く。さしものカイザーも、その男の登場には目を見開かざるを得なかった。

「…先生…」

ケリーが口をぽかんと開けている。

「…先生!?」

悪意と真意

「…そうか…ベトルーガ、あんた只者じゃないとは思ってたが…」

呆然とするケリー。カイザーが話を続ける。

「…そういうわけで、私に『ウェル』の号を授けたのもベトルーガ先生なのだ」
「号、か…道理で名前の前に付いてて変わってると思ったよ」
「論文を書くにも姓がなければ締まらないと思ってな…私の判断は正しかった」

この会話を、アレスは司令室のドアの外に立って聞いていた。MSの搬入を終えたアジャンとスコットがそこへやってくる。

「…」

アレスを見かけて何か言いかけたスコットをアジャンは手で制すると、口元を緩めながらアレスを指で招いた。怪訝な表情で司令室に消えたスコットをあとに、二人は部屋から距離を置いた。

「…親父の話を聞かなくていいのか?」
「…あの男からここで聞ける話なら、お前からも聞けると思った」
「…ククク」
「…ウェル、が後付の号だったとは知らなかったよ」
「…親父は自分の両親のことは何も知らないらしい」
「…」

二人の間に沈黙が流れた。司令室は騒がしい。だいぶ盛り上がっているようだ。

「…このあとどうする気なんだ?」
「レヴィンスキーの艦隊が作戦を成功するとしても2ヶ月はかかる。MASEとレンダもだいぶ痛めつけたとはいえ、根本的に国力が違う…2ヶ月黙ってはいない…今回は親父の介入もあって守りきったが、次は二箇所を同時には守れない。それに、奴らもそろそろハード・ハートの位置に気づく…」
「…それでは…」
「…ハード・ハートはもうもぬけの殻だ。レヴィンスキー艦隊に積み込んだMS工廠やらの設備はすべてハード・ハートのものだ」
「…!!」
「ミスリルコアだけは残してあるが、もう爆弾でしかないな」
「…最初からそのつもりで…」
「俺達のいちばん重要な拠点は、最初からマンタ基地だったんだよ」
「…」
「だが、奴らとてみすみすハード・ハートを狙うことはない。奴らに、あの拠点が俺達にとって重要だと意識付ける必要がある。そうすれば、結果的にマンタとキング・ハリドも守れる」
「…それは…」
「…ここへ来たのはケリーを連れ出すためだ。このあと、マンタに向かってエルヴィンも連れ出す…俺とカイザー、そしてこの二人を加えて遊撃部隊を作る。俺達には補給が十分でなくても戦い続けられる部隊が必要だ。それを作るんだ…キング・ハリドを拠点に各地を襲撃し、味方を増やして敵を減らす。俺が最初ブラッドガンダムでやったようにな」
「…それでは!」
「キング・ハリドはスコットとリウヴィルに任せることになる」
「…あの二人だけでか?無茶だ!スコットはまだMSに乗り始めて間もないんだぞ!リウヴィルだって…」
「敵が来なけりゃ無茶にはならねぇだろうが」
「…それはそうだが…」
「それに…」

その時、部屋からスコットとケリーが出てきた。話が一段落して、スコットがケリーを連れ出して来たのだった。

「アジャン、こんなとこにいたのか?話があるってスコットが言ってたから」
「…ああ。実は…お前にガンダムを渡しに来た」
「…ガンダム!?」

新しい玩具を与えられた子どものような目だ。

「ただ条件がある。この基地の守備隊長を離れて、俺達に同行することだ」
「え!?」

その声はケリーのものではなかった。

「アジャン、ケリーを連れて行く気か?」
「あぁ。俺達と一緒に世界中の既得権益を攻めて回る。最初に俺がブラッドガンダムでやったようにな」
「…俺達はどうなる?」
「今回の遊撃作戦の意図は、レヴィンスキーの帰還までこことマンタを守り切ることだ。奴らの戦力を定期的に削り続けてな。その間の留守番をお前がやるんだ」
「…俺が!?」
「ケリーが抜けたここをまとめられるのはお前しかいない」
「…」

アジャンはそれだけいうとケリーの目を見た。彼の予想の範囲の色をしていた。

「…行くぜ、アジャン。俺のガンダムを見せてくれ」
「…いいだろう…」

アジャンとケリーはキト・アルマのハンガーへ歩いて行った。残されたアレスとスコットはお互いの目を見た。

「…アジャンは、お前ならできると言ってた」
「…少なくともレヴィンスキーの作戦が成功するまで、幻獣軍は補給が見込めない…だから正面切っての戦闘じゃなく、こちらの消耗が少なくなるように有力なパイロットだけ集めて兵器も集中して、局地戦だけで時間を稼ごうってのか…」
「…説明の必要はないか、お前には」
「…だとすると、マンタにも行くのか?」
「…あぁ、俺も同行することになる」
「…気に入られたんだな、アジャンに」
「…」
「…分かるよ、俺にも。お前は俺達を率いてずっと戦ってきた、アジャンよりも先に…だからさ。俺もお前ならできると思う」

二人の英雄

最終更新:2025年05月04日 10:54