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琉球新報:非戦へ思い強く 島守の会、沖縄戦の証言を映像化

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2008年2月8日 [金]

非戦へ思い強く 島守の会、沖縄戦の証言を映像化


戦時中を振り返り「再び戦争をしてはいけない」と話す板良敷朝基顧問=1日、那覇市内の自宅 沖縄戦で亡くなった県職員や島田叡(あきら)知事を祭る島守の塔(糸満市摩文仁)建立の背景や、それに込められた県民の思いなどを幅広い世代に伝えようと、戦時中の県職員や遺族らでつくる島守の会(新垣進松会長)が、戦争体験者の証言を映像に収めている。収録作業は1月からスタート、3月末に完成予定。同会顧問の板良敷朝基さん(90)は、カメラを前に「死ぬのも生きるのも紙一重だった。再びこのような戦争をしてはいけない。そのために死ぬまで努力し続けなければいけない」と声を振り絞った。

 島守の会が1951年に建立した島守の塔には、468人が合祀(ごうし)されている。慰霊祭を毎年開催しているが、戦後60年余が経過し、高齢化に伴い会員が減少。塔の管理や慰霊祭の永続などの課題を抱え、「県で塔を管理してほしい」などの声も上がっている。

 映像収録ディレクターを務めるのは仲松昌次さん(63)。「1フィート映像でつづる『ドキュメント沖縄戦』」や「平和への祈り~ひめゆり学徒の証言」などで、プロデューサーを務めた。証言映像は約20分に編集し、DVDに収める。総会などで披露される予定。

 戦時中、県庁職員だった川上ヨシ事務局長(86)は「自分たちの祖父母がどういう働きをしたのか、遺族の孫の世代に見てほしい。(世の中が)いい方向に進んでほしい」と訴えた。会で事務処理などを担当しているが、「いつまでもできるわけではない」と課題も口にした。
 兄・盛蔵さんを戦争で亡くした大城盛昌副会長(74)は、空襲時に盛蔵さんが家族を気にして安全な場所へ避難させてくれたことなどを説明。「塔を建ててくれた人に感謝し、継承していかななければいけない。若い世代の人たちや今の県職員にも見てほしい」と話した。

 会員は、米軍の上陸が間近に迫った45年1月末に県知事として赴任した島田知事について、多くの人から慕われていた様子を説明。「命を投げ出す覚悟で赴任してきた」「沖縄で死んでくれと言われているようなものだった」と口々に話し、気の毒だったと目を伏せた。(大田紗弓)

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