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(原)第3・4(2)ウ(ア) 集団自決は盛秀助役の命令で行われたこと

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(2)控訴人らの主張
第3・4(2)ウ 座間味島について

(原)第3・4(2)ウ(ア) 集団自決は盛秀助役の命令で行われたこと

(判決本文p64~)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。

  「母の遺したもの」(甲B5)及び初枝の手記(甲B32)によれば, 住民に対し, 忠魂碑前に集合し玉砕するよう命令したのは, 盛秀助役であつた。

  「母の遺したもの」には, 概要,
「そこで, 盛秀が戦隊長を前に発した言葉は, 『もはや最期の時がきました。若者たちは軍に協カさせ, 老人と子どもたちは軍の足手まといにならないよう, 忠魂碑前で玉砕させようと思います。弾薬を下さい』ということだった。初枝は息が詰まるほど驚いた。しばらく沈黙が続いて。垂直に立てた軍刀の柄の部分にあごをのせ, 片ひざを立ててじっと目を閉じて座っていた戦隊長はやおら立ち上がり,
『今晩は一応お帰り下さい。お帰り下さい』
と, 五人を追い返すように声を荒げて言い, 申し入れを断った。五人はあきらめるより他なく, その場を引き上げていった。その帰り道, 盛秀は突然, 防衛隊の部下でもある恵達に向かって
『各壕を回ってみんなに忠魂碑前に集合するように……』
と言った。あとに続く言葉は初枝には聞き取れなかったが『玉砕』の伝令を命じた様子だった。そして盛秀は初枝にも, 役場の壕から重要書類を持ち出して忠魂碑前に運ぶよう命じた。盛秀一人の判断というより, おそらく, 収入役, 学校長らとともに, 事前に相談していたものと思われるが, 真相はだれにもわからない。」
との記述がある。

  座間味村の助役であった盛秀助役が, 自らの判断を, そう意図したことかどうかは分からないものの, 軍の命令ととれるような形で, 住民に指示したというのが実態であった。

  後述の宮村幸延の「証言」(甲B8)もこれを裏付けている。


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