15年戦争資料 @wiki

rabe10月17日

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pipopipo555jp

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十月十七日


映画館はすべて営業を停止した。ホテルや店、薬局も大半は閉まっている。市内はびっくりするほど落ら着いている。軍人、警官、民団(民兵)もきちんとつとめを果たしている。外国人は誰も(もうあまりたくさんは残っていない。ドイツ人についていえば、女性が十二人、男性が六十人)不愉快な目にあってはいない。逆だ! 異国でがんばっているというので、中国人は驚きながらも好意をもってわれわれを見ているのだ!


誰もかれも先を争ってわが家の防空壕に入りたがる! なぜだかわからない! うちのはおそろしく頑丈だと噂が立っているらしい。これを作ったとき、せいぜい十二人とふんでいた。ところがいざ入る段になってみると、ひどい計算違いをしていたことがわかった。総勢三十人。すし詰めだ。

いったいどこからこんなに大ぜいの人間がやって来たのかって? なに、簡単さ! うちのボーイにはそれぞれ、妻や子、父、母、祖父、祖母がいるのだ。だれもいなければ、どこからかつれてくるだけのことだ! いやはや、たくましいかぎりだ。それだけではない。近所の一家までかかえこむはめになった。この男は靴屋で、戦争前、私はやつに腹を立てたことがある。「必要経費(手数料。十パーセントは暗黙のうちに認められていた)」だといって、ブーツの勘定に二十パーセントも上乗せしてきたのだ。ところがどうだ、今度突然うちのボーイの親戚だということがわかったというじゃないか。しかたない。みんな入れてやった。断ったりしたら沽券(こけん)にかかわる!


防空壕では、私には事務所の椅子、ほかの人たちには低いベンチがおいてある。すぐそばで爆弾がどかどか落ちるようなときには、むろん私も防空壕に入らなければならない。それに、私みたいなものでも、子どもや女の人たちはそばにいるだけで安心するのだ。北戴河で、できるだけはやく戻ろうと考えたのは問違っていなかった。


不安を感じたことはないといったら、嘘になる。防空壕が激しく揺れ始めたとき、私もひそかにこんな気持ちに襲われた。「どうか爆弾が落ちませんように!」だが、不安なんか吹き飛ばすんだ。他愛ない軽口。いかがわしい冗談。するとみな、にやりとする。これで爆弾への恐怖がいくらかなりとも和らいだ。

防空壕の中では、赤ちゃんを抱いた女の人を優先すること。彼女たちがまんなかで、次にそれより大きい子どもをつれた女の人。最後が男性。男たちの驚きをよそに、私はくりかえしこういってゆずらなかった。

すぐ近くでたてつづけに爆弾が落ちる。みんな口をぼかんとあけ、ものもいわずに座っている。子どもや女の人には脱脂綿で耳栓をした。ところが、すこしでも静かになると、待ってましたとばかり、ひとり、またひとりと勇士が出ていってあたりを見回す。敵の爆撃機が撃たれて、きれいな弧を描いて燃えながら落ちてこようものなら大変だ。みな大喜びで、拍手大かっさい。

なかで、ひとり、この変てこな「ご主人(マスター)」だけは何を考えているのかわからない。彼は黙って帽子をとり、そしてつぶやく。「静かに! 三人も人が死んだんだ!」


ある手紙から


ここにいる人たちはみな、自分たちの言うことを「きわめて深刻に」受けとめてもらいたがっています。しかし、こういうのはおよそ私の柄ではありません。実は私には困った才能がありまして、おかまいなしにジョークをとばしてまわりの顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうのです。

むろん、深刻な状況ではないなどというつもりはありません。深刻ですとも、ものすごく。いや、事態はますます厳しくなるに違いありません。でも、これをどうやって乗り切ったらいいのでしょうか? 私は「ユーモアで」と考えています。最後のひとかけらまでユーモアをかき集め、運命、この愚かしい運命に立ち向かおう、と。そういうわけで、私の朝晩の祈りはこうなります。「神よ、私の家族とユーモアをお守りください。そのほかのことは自分で気をつけますから」

ところで、あなたはこう聞きたいのでしょう。何のために私たちがここにいるのか。今どうやって暮らしているのか、と。つまり、こういうことです。人はだれでも、まっとうな人問でいたい、だから私も従業員や家の使用人を家族もろとも見殺しにしたりせず、物心両面から助けたいのだ、と。わかりきったことではないですか!



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