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樺太の悲劇(3) 真岡の電話交換手9人の自決 碑文から消えた「軍命」

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樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女
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真岡の電話交換手9人の自決・碑文から消えた「軍命」


鴨野 守 (ジャーナリスト)


映画『氷雪の門』は、真岡郵便局の電話交換手9人が懸命に業務を行い、最後に青酸カリを飲んで自決するという実話を基に制作され、樺太最大の悲劇として知る人も多い。  

稚内公園の氷雪の門のそばには、「皆さん これが最後です さようなら」と刻まれた「殉職9人の乙女の碑」が建立されている。氷雪の門と同じく昭和38(1963)年8月15日に公開されたものだが、その碑文には、次のような説明が添えられた。  

「昭和20年8月20日日本軍の厳命を受けた真岡郵便局に勤務する9人の乙女は青酸苛里を渡され最後の交換台に向ったソ連軍上陸と同時に日本軍の命ずるまゝ青酸苛里をのみ最後の力をふりしぼってキイをたゝき『皆さん さようなら さようなら これが最後です』の言葉を残し夢多き若い命を絶った 戦争は2度と繰りかえすまじ平和の祈りをこめてこゝに9人の乙女の霊を慰む」(原文)



真岡郵便局の交換手たち

樺太ではソ連軍の無差別攻撃を受けて、小規模な集団自決があちこちで起きたが、いずれも本人の意志で決行されたものだ。ところが、この9人の乙女に関して、碑文は「日本軍の厳命を受けた」「日本軍の命ずるまゝ青酸苛里をのみ」などと、「軍の自決命令」が死の原因であったと記している。樺太で起きた集団自決が「軍命」絡みで関連付けられた唯一のケースであろう。  

ところが、碑が公開されると、この記述を真っ向から否定する人が現れた。当時、彼女たちの上司であった、真岡郵便局長の上田豊三氏である。上田氏は、「北海タイムス」編集委員、金子俊男氏の取材に答えて「軍の命令で交換手を引き揚げさせることができなかったから、結局、軍が彼女らを死に追いやったといわれているが、これは事実無根です。純粋な気持で最後まで職場を守り通そうとしたのであって、それを軍の命令でというのはこの人たちを冒涜するのもはなはだしい」(『樺太1945年夏』)と怒りを隠さない。  

上田氏の残した手記によれば、昭和20年8月16日、豊原逓信(ていしん)局から女子職員の緊急疎開の指示が入り、上田氏は全員を集めてその旨を通知した。ところが、担当主事から、「全員が応じない」との報告。そこで、上田氏は直ちに女子職員を集めて、ソ連軍進駐で予想される事態を語り、説得した。だが、女子職員は「電話の機能が止まった場合どうなるか、重要な職務にある者としてそれは忍びない」と主張して譲らなかったという。



最後の言葉を記した乙女の碑

上田氏は回想する。「私は感動した。しかし、その決意を肯定することはできない。ソ連軍進駐後はどのような危機が女子の上にふりかかってくるか、と思うと私は慄然となる」

そこで、上田氏は緊急疎開の方針を変えず、小笠原丸が真岡に入港したらそれに乗船させる決意を固める。だが、同船入港前にソ連軍が上陸してしまう――。  

その上で、氏はこう綴る。「あらゆる階層の人たちがあわてふためき、泣き叫び、逃げまどっていたなかで、郵便局の交換室、ただ1ヵ所で、彼女らがキリリとした身なりで活動を続けていたのである。このようなことが他人の命令でできることかどうか。その1点を考えてもわかることだ。崇高な使命以外にない」  

やがて、碑文から「軍命」が消えた。新たに次のようになった。  

「戦いは終わつた。それから5日昭和20年8月20日、ソ連軍が樺太真岡上陸を開始しようとした。その時突如日本軍との間に戦いが始つた。戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向つた9人の乙女等は死を以つて己の職場を守つた 窓越しに見る砲弾のさく裂、刻々迫る身の危険、今はこれまでと死の交換台に向かい『皆さんこれが最後です さようなら さようなら』の言葉を残して静かに青酸苛里をのみ、夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた 戦争は再びくりかえすまじ、平和の祈りをこめて尊き9人の乙女の霊を慰む」(原文)。



両陛下の行幸啓記念碑

碑文が取り換えられた日付は分からない。昭和43(1968)年9月初め、昭和天皇と香淳皇后が北海道百周年記念祝典にご臨席のため、北海道をご訪問。祝典の後の9月5日、稚内をお訪ねになった。浜森辰雄・稚内市長(当時)から「9人の乙女の碑」の説明を受けられた両陛下は目頭に涙を浮かべられ、深く頭をお下げになり、9人の乙女の冥福をお祈りされたという。その時のお気持ちを後にお歌に託されている。  

昭和天皇の御製
     「樺太に命を捨てし たおやめの 心思えば胸 せまりくる」  

香淳皇后のお歌  
     「 樺太に つゆと消えたる乙女らの みたまやすかれと ただいのりぬる」


※この記事は、平成20年6月18日号の世界日報に掲載されたものです。


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