2-06 戦場における兵隊たちにそうした従軍慰安婦を買うことに罪の意識はなかったのか…
当時の日本には公娼制度があった。各地に遊廓という売春地区のあったことはふれたが、それは国の公認のものだった。一九五八年(S33)に施行された"売春防止法"33)で初めて売春は悪となり刑事罰の対象となったが、それまでは悪とされていなかった。
救世軍や日本キリスト教婦人矯風会などのように売買春を悪とし貧しい農村などから買い集められた売春婦の解放に命がけでたたかってきた団体、人間として許されないとし遊廓を悪所とし近づくことをしなかった者もいたがそれは多数派とはいえなかった。
戦地の従軍慰安婦は一日に二十人三十人の将兵の相手をさせられたが、日本国内でもたとえば東京の吉原で、お酉(とり)さまの日に夕方から翌朝まで二十人近い客の相手をさせられたという記録がある。それが面白おかしく記事の材料にされたりした。つまり買春を悪とする考え方がきわめて薄かった。買春は国の認めるものだったからだ。
一九三七年暮れに軍直営の慰安所の設立を考えた参謀たちの考えの底にもそのことがあったのではないか。慰安所に列をつくって従軍慰安婦を買った兵隊たちのなかにもそれと同じ、つまりそれを悪とする発想、罪の意識はなかったのではないか。さらにこれも前にふれたが戦場とは人間から理性を奪いさる所だったことも忘れてはなるまい。
- 33) 売春防止法(ばいしゅんぼうしほう)
- 売春の防止を図るための法律。戦後、GHQ は日本に古くからある公娼制度(公に認められた売春制度)の廃止を指令した。しかし、これは大量の米軍兵士への考慮から実際には必要悪として残っていた。その後、国会への婦人議員の進出につれ、この制度を廃止する運動が盛り上がり、一九五六年に"売春防止法"が公布された。