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歴史の「拡大解釈」

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正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社)
靖国特集 
沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実
弁護士 徳永信一

歴史の「拡大解釈」


座間味島の《梅澤命令説》が覆ったのは、昭和57年の慰霊祭に出席するため座間味島を訪れた梅澤氏に、集団自決の語り部となっていた宮城初枝氏が、真実を告白したことがきっかけだった。初枝氏は、戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用を受けるため、村の長老の指示により、厚生省の役人の前で心ならずも偽証したことを梅澤氏に告白したのだった。《梅澤命令説》は、初枝氏の証言を根拠としていただけに、この告白は沖縄関係者に衝撃を与えた。

昭和61年、沖縄県教育委員会は、梅澤氏がまとめた手記『戦闘記録』を『沖縄県史料編集所紀要第11号』に掲載し、これをもって《梅澤命令説》を記載していた『沖縄県史10巻』の訂正に代えることとし、大城主任專門員は、「現在宮城初枝氏は真相は梅澤氏の手記の通りであると言明して居る」と書き添えた。

昭和62年3月には、さらに決定的な出来事があった。戦後、村役場で戦没者遺族の補償業務に尽力してきた宮村幸延氏が「集団自決は梅澤隊長の命令ではなく当時兵事主任兼村役場助役の宮里盛秀の命令で行われた。これは弟の宮村幸延が遺族補償のためやむを得ず隊長命として申請したものであります」との証文を梅澤氏に差し入れて謝罪したのだ。神戸新聞の中井和久記者は幸延氏に電語取材し、「米軍上陸時に、住民で組織する民間防衛隊の若者たちが避難壕を回り、自決を呼びかけた事実はあるが、軍からの命令はなかった。戦後も窮状をきわめた村を救いたい一心で、歴史を"拡大解釈"することにした。戦後初めて口を開いたが、これまで私自身の中で大きな葛藤があった」とのコメントを得て、昭和62年4月18日付神戸新聞に掲載した。

さらに平成12年には、初枝氏から集団自決の真相を綴った手記を託された宮城晴美氏による『母が遺したもの』が発行された。そこには村民が補償を受けるために、初枝氏が島の長老らとともに国の役人の前に座らされ、「住民は隊長命令で自決をしたと言っているが、そうか」との問いに、「はい」と応えたくだり、その後、良心の呵責に苦しんだ初枝氏が、沖縄を訪れた梅澤氏に「命令したのは梅澤さんではありません」と告白した場面が感動的に描かれている。

座間味島の《梅澤命令説》も虚構であったことがはっきりした。慶良間列島の集団自決をめぐる戦後最大の冤罪事件は、真実が顕れることによって日本軍の名誉が回復され、一件落着となったはずだった。


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