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ある教科書検定の背景

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世界 SEKAI 2007.7
特集:「沖縄戦」とは何だったのか

ある教科書検定の背景

沖縄における自衛隊強化と戦争の記憶
目取間 俊


辺野古沖『事前調査」への自衛隊投入


本土の政治家が、民衆が、沖縄とそこに住む人々をねじふせて、その異議申し立ての声を押しつぷそうとしている。そのようなおりがきたのだ>(大江健三郎『沖縄ノート』岩波書店・211ぺージ)

三七年の時を隔てて、日本本土の政治家は、そしてそれを支持する民衆は、あらためてそのような<おりがきた>と考えているのだろうか。

五月一八日、日本政府・防衛省は、名護市辺野古沖で那覇防衛施設局が行っている環境現況調査に、海上自衛隊員を潜水夫として投入し、調査機材の設置を強行した。全長一四一メートル、排水量五七〇〇トン、七六ミリ単装砲と一二・七ミリ機関銃を備えた軍艦(掃海母艦ぷんご)を出動させたという情報も流れた。現況調査は抗議活動を行う住民を武力で威圧し、妨害行為を口実に治安弾圧する機会をもうかがいながら行われたのだ。

沖縄県内に新たな米軍基地を建設するために、政府・防衛省はなりふりかまわぬ姿勢に出ている。現在、辺野古沿岸に建設されようとしている新基地(V字型滑走路と港湾施設をあわせ持ち、普天間基地の「代替施設」と呼んですまされるしろものではない)について、仲井真弘多沖縄県知事と島袋吉和名護市長は、建設位置を海側に移動するよう求めている。政府・防衛省はそれを拒否し、そのために建設計画の具体的協議が進まず、環境アセスメントも行えない状態が続いている。

そういう中で焦った那覇防衛施設局は、「事前調査」の名目で辺野古海域での現況調査を開始した。調査計画や内容を公表しないで行われている「事前調査」なるものは、環境アセスメントの意義を否定するものであり、違法であるという批判が、県内の平和団体や環境保護団体からは行われている。しかし、それを無視して、海上自衛隊まで投入し、調査を強行するという異常事態が続いている。

住民運動の弾圧のために自衛隊が出動する、という前代未聞の事態に対して、「日本の軍隊が再び県民に銃口を向けるのか」「自衛隊が守るのは住民ではなく米軍なのか」という怒りの声が、沖縄県内で上がったのは当然だろう。沖縄戦で日本軍が何をやったか。その記憶は戦争体験者から次の世代、そしてさらに若い世代へと語り継がれている。渡嘉敷島や座間味島、慶留間島で住民に「集団自決」を命令、強制したこと。県内各地で住民虐穀や食料強奪をくり返したこと。住民を豪から追い出して米軍の砲火にさらし、多くの犠牲者を生み出したこと。それら日本軍の蛮行は簡単に忘れ去られるものではない。両親や祖父母、親戚、知人が日本軍の犠牲になったという人は、沖縄にはいくらでもいる。

だからこそ、政府・与党(自民党・公明党)の支持を受けて当選した仲井真知事でさえ、戸惑いの色を浮かべているのだ。五月一九日付琉球新報朝刊には、仲丼真知事の次のようなコメントが載っている。

海上自衛隊が参加するような状況にあるとは考えられない。いずれにしても、特殊な任務を持つ海上自衛隊が関与すべき事態かどうか、疑問に思うし、反自衛隊感情を助長するようなことは避けるぺきである

沖縄県防衛協会の会長も兼任している仲井真知事からすれば、一九七二年に沖縄に自衛隊が配備されて以降、積み重ねてきた宣撫工作(不発弾処理や急患移送、スポーツ大会への参加、ブラスバンド演奏会など)によって、県民の反自衛隊感情がせっかく薄らいでいるのに、それをぶちこわしかねないと懸念しているのだろう。

だが、安倍晋三首相や久間章生防衛大臣には、そのような仲井真知事の声も意に介するものではないようだ。彼らに情報提供する政府・防衛省の職員は、沖縄県民がどのような反応を示すか、じっと観察しているのだろう。そのことを考えるとき、『沖縄ノート』の一節が再び思い浮かぶ。

本土においてすでに、おりはきたのだ。かれは沖縄において、いつ、そのおりがくるかと虎視眈々、狙いをつけている(『沖縄ノート』210ぺージ)

三七年前と違い、かれは一人ではない。有事=戦争法をはじめとして改正教育基本法や国民投票法、米軍再編推進法などを次々と成立させ、防衛庁の省への格上げも果たしたかれらは、今沖縄にも<おりはきた>と判断しているのではないか。

在日米軍再編は同時に自衛隊の再編でもある。米軍と一体化して自衛隊を海外で活動させる追求と同時に、沖縄では対中国を想定した島嶼防衛のために自衛隊の強化が着々と進められている。今回の「事前調査」で海上自衛隊を投入したのは、新基地建設に向けた日本政府・防衛省の決意を米国政府に示す一方で、沖縄において米軍と一体化して島嶼防衛を進めようとする自衛隊の存在を誇示するものであり、沖縄県民の反自衛隊感情と反基地運動を力ずくでねじ伏せようという意志をも示すものだろう。

急遠に進む沖縄の自衛隊強化


昨年から今年にかけて次々と打ち出されている沖縄の自衛隊強化は、政府・防衛省のいう「沖縄の負担軽減」という言葉が欺瞞でしかないことを示している。琉球新報や沖縄タイムスといった県内紙をざっと見ても、次のような状況だ。

  1. 二〇〇六年二月一五日、航空自衛隊那覇基地の滝脇博之司令が、宮古島の下地島空港を自衛隊が使用することが望ましいと発言。
  2. 同年二月一七日、防衛庁首脳が航空自衛隊那覇基地所属のF4ファントム戦闘機を二〇〇八年中にF15イーグル戦闘機に更新する方針を明らかする。
  3. 同年二月二一日、陸上自衛隊のライフル射撃場が米軍嘉手納弾薬庫地区内に建設されることが明らかとなる。
  4. 同年二月二六日、那覇防衛施設局の佐藤勉局長が、米軍キャンプ・ハンセン基地内で陸上自衛隊第一混成団(那覇)による射撃訓練を二〇〇六年度中にも開始することを明らかにする。
  5. 同年六月二二日、陸上自衛隊第一混成団が、七月一六日に与那国町で開催する防災展示会で、第一空挺団(千葉県・習志野駐屯地)によるパラシュート降下を計画していることが判明→のちに中止を表明。
  6. 同年六月二三日、沖縄戦慰霊の日に、陸上自衛隊第一混成団の藤崎護団長を含む二五人が、第三二軍司令官牛島満中将らを祭った糸満市摩文仁の黎明の塔を参拝。
  7. 同年一〇月三日、政府の中期防衛力整備計画(二〇〇五~二〇〇九年度)で明記された陸上自衛隊第一混成団(約二〇〇〇人)の旅団化(三〇〇〇~四〇〇〇人)の一環として、〇九年度をめどに、宮古島に新たに約二〇〇人規模の部隊を配備させ、新たな基地建設も検討していることが明らかとなる。
  8. 同年一〇月二三日、防衛庁と航空自衛隊が、東シナ海の軍事的な電子情報を収集・分析するための地上電波測定施設を宮古島分屯基地に設置。すでに一部工事に着手し、二〇〇九年度運用開始予定であることが明らかとなる。
  9. 同年一一月三日、防衛庁の弾道ミサイル防衛(BMD)システム整備計画で、航空自衛隊の那覇基地与座分屯基地(糸満市)のレーダー更新で、二〇〇九年度から弾道ミサイルの探知・追尾が可能な新警戒管制レーダー・FPS-XXの整備を開始し、一一年度に運用開始の計画が明らかとなる。
  10. 同年一一月、海上自衛隊と米海軍が、東シナ海の尖閣諸島に中国が武力侵攻し、日米が共同で対処する想定の演習を初めて実施。
  11. 二〇〇七年一月二九日、熊本県の大矢野原演習場で、陸上自衛隊第一混成団と在沖海兵隊第三海兵師団の共同演習が行われる。沖縄からの陸自参加は初めて。
  12. 同年四月三日、衆院安全保障委員会で、久間章生防衛大臣が、宮古島の下地島空港について、地元合意を得て自衛隊が使用可能となることが望ましいと発言。
  13. 同年四月二七日、嘉手納基地に暫定配備中の米空軍の最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターが参加する初の日米共同訓練が行われ、沖縄の南西航空混成団のF4戦闘機などの航空自衛隊機とF22などの米軍機が模擬空中戦を展開した。

米軍基地問題が報じられるのに比べて、沖縄における自衡隊強化の実態がヤマトゥにはほとんど伝わっていないようなので、あえて長々と書き連ねた。この一年余りの間にもこれだけの自衛隊強化の計画が打ち出され、その実施が進み、さらに訓練の拡大がなされているのである。これらを見れば沖縄の基地問題とは、米軍だけでなく自衛隊の問題でもあることが分かるだろう。

とりわけ目につくのは、尖閣諸島や台湾に近い宮古島・石垣島・与那国島で自衛隊の配備や基地建設、演習が進められていることだ。また、在沖米軍と自衛隊の共同演習が陸海空で活発に行われ、一体化が進んでいることも注目すべきだろう。(1)~(13)のほかにも、石垣島で行われた防災訓練への自衛隊参加や、与那国島に自衛隊艦船が定期的に寄港している実態がある。「ちゅらさん」「Dr.コトー診療所」「瑠璃の島」などテレビドラマの舞台となって観光客が増加し、ヤマトゥからの「移住ブーム」も起こっている石垣島や宮古島、その周辺離島だが、その裏ではきな臭い軍事強化が進んでいるのである。

障害となる沖縄戦の記憶


だが、米軍再編と連動した沖縄の自衛隊強化が、全て円滑に進んでいるかというとそうではない。宮古島の下地島空港の軍事利用については、地元に強い反対の声がある。下地島には民間専用のパイロット訓練施設として三〇〇〇メートルの滑走路がある。島の位置や滑走路の規模からして、自衛隊だけでなく米軍もその軍事利用を望んでおり、それに呼応した一部議員の画策によって二〇〇五年三月には、当時の伊良部町議会で自衛隊誘致決議が上げられたこともあった。しかし、伊良部町民の反対運動は激しく、住民説明会で議員たちは厳しい追及を受け、議会決議は撤回された。

他にも注目すべきこととして、国民保護計画の策定が、国が目標としていた今年三月末時点で、沖縄県内では三割の自治体しか策定されていないことがある。これは全国の九割に比べると極端に少ない。宮古島市や石垣市、多良間村、竹富町、与那国町などは軒並み未策定であり、石垣市にいたっては計画の前提となる条例の制定もなされていない(沖縄タイムスニ○〇七年五月一日付朝刊)。中国との有事=戦争を想定して島嶼防衛の強化を図っている政府・防衛省・自衛隊にとって、このような状況がゆゆしきことであるのは言うまでもないだろう。

ここにおいて問題となるのが沖縄戦の記憶である。沖縄島のような大規模な地上戦がなかったとはいえ、宮古島や石垣島、その周辺離島の人たちも空襲や艦砲射撃、飢えやマラリアによって多くの犠牲者を出している。石垣島においては日本軍によって住民がマラリアの猖獗(しょうけつ)地に強制移住させられ、三六〇〇名余が亡くなっている。特に波照間島では残地諜者として島に入り込んでいた陸軍中野学校出身の山下虎雄と名のる日本兵が住民を脅迫し、西表島南風見(はいみ)に強制移住させたことで多くの犠牲者を生んだ。その記憶は今も島民に強く刻まれている。沖縄島における「集団自決」や住民虐殺の記憶も共有されているし、いったん有事=戦争になれば、狭い島の中では逃げ場所もなく、多くの犠牲者が出ることを住民は身をもって知っているのである。

離島地域では急患移送で自衛隊に助けられることも多い。その限りでは自衛隊に感謝しているであろうし、与那国島のように艦船が寄港して隊員が買い物をすることを喜ぶ島民の声もある。しかし、自衛隊が軍隊としての素顔を見せるとき、住民の警戒感は一気に高まる。自衛隊の後ろに旧日本軍の亡霊は未だつきまとっているし、「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓は、県民の中に広く浸透している。

沖縄戦の記憶の暗殺


一九七二年の施政権返還によって自衛隊が沖縄に配備されてから三五年になる。この間自衛隊は軍隊としての素顔を隠し、宣撫工作を重ねることで県民の中に浸透することを追求してきた。その一定の成果を踏まえ、米軍再編の中で対中国を想定した南西領土防衛を前面に打ち出し、沖縄を米軍の拠点としてだけでなく、自衛隊の拠点にもしようとしている。そこで大きな障害となっているのが、旧日本軍の県民に対する蛮行により生み出された反軍感情であり、戦争、基地への否定感を生み出す沖縄戦の記憶なのである。

沖縄戦がそうであったように近代戦は総力戦である。住民が積極的に協力しなければ自衛隊の戦闘にも支障が生じる。沖縄戦の記憶をいかに「修正」し、県民の自衛隊への協力態勢を作り出していくか。七二年から追求されてきたが、いまだ十分になしえていない壁を突破していくことが政府・防衛省.自衛隊の課題として浮上している。そのためには自衛隊の宣撫工作だけでは限界があり、側面からの支援が必要となる。ここでこの二、三年に沖縄戦に関わって起こった次のような出来事に注目したい。

  1. 二〇〇四年一月二三~二六日、天皇夫妻が国立劇場沖縄の開館にあわせて来沖し、初めて宮古島ど石垣島を訪問する。
  2. 二〇〇五年五月二○~二二日、藤岡信勝拓殖大学教授をはじめとした自由主義史観研究会のメンバーが、渡嘉敷、座間味島で現地調査を行う。
  3. 二〇〇五年六月四日、自由主義史観研究会が東京で集会を開き、「集団自決強要」の記述を教科書から削除するよう文部科学省に指導を求め、さらに教科書会社や出版社に記述の削除を要求する決議を上げる。藤岡信勝代表は<この集会を起点にすべての教科書、出版物、子ども向け漫画をしらみつぷしに調査し、一つ一つ出版社に要求し、あらゆる手段で嘘をなくす>と発言。(沖縄タイムスニ○〇五年六月一四日付朝刊)
  4. 二〇〇五年八月五日、旧日本軍の梅澤裕・元大佐と故赤松嘉次・元大尉の弟が、岩波書店と大江健三郎氏を大阪地裁に提訴。
  5. 二〇〇五年八月一四日、「小林よしのり沖縄講演会」が開かれる。
  6. 二〇〇六年五月二七日、曾野綾子著『ある神話の背景』が『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実日本軍の住民虐殺命令はなかった!』(WAC)ど題名を変えて再出版される。
  7. 二〇〇七年三月三〇日、高校教科書の検定結果が公表される。文部科学省が「集団自決」は軍の命令や強制であったという記述に意見をつけ、それらの記述が削除、「修正」されることにより、「集団自決」への軍の関与が暖昧にされる。

在日米軍再編の議論が本格化し、「抑止力の維持」が打ち出されて、沖縄における自衛隊の強化が進んでいく一方で、これらの出来事は起こっていった。これは偶然ではない。個々の出来事はそれぞれの団体や個人の考えで行われているように見えても、その底流に流れている意志は共通している。それは沖縄戦の記憶と歴史認識を「修正」すること、つまり旧日本軍の沖縄住民への蛮行=否定的側面を隠蔽する一方で、住民の犠牲を国家のために身命を捧げたものとして賛美し(殉国美談化)、軍隊への否定感を取り除くことによって沖縄における自衛隊の強化を側面から支援していくというものである。

(1)は沖縄戦に直接は関係ないように見える。しかし、二〇〇四年の一月下旬という時期は、自衛隊のイラク派兵を前にして、日本への「テロ攻撃」の可能性がいわれ緊迫した状況にあった。そういう中で警護の難しい宮古島・石垣島を天皇夫妻がわざわざ訪問した意味は何だったのか。一つにはイラク派兵によって戦時下に入ろうとしている日本の領土の境界を訪れる国見としての象徴的意味があっただろう。同時に天皇の軍隊としての旧日本軍がもたらした悪しき記憶を慰撫し、南西領土防衛のために宮古島や石垣島を拠点化しようとしている自衛隊を先導する意味を持っていたのではないか。

そして、(2)から(7)に関しては、沖縄戦の記憶と歴史認識を「修正」するために渡嘉敷島と座間味島で起こった「集団自決」の軍命の問題を標的にしている((5)の小林講演会では直接は言及されていないが、「集団自決」に対する軍命の否定は、小林もこの間主張してきた)。

注目すべきは(2)から(7)の連関である。(2)の現地調査をふまえた(3)の集会における決議と藤岡代表の発言をみれば、(4)の提訴とのつながりを考えざるを得ない。実際、(4)の裁判で原告となっている梅澤氏や赤松氏の家族を支援している人たちのなかには、自由主義史観研究会と関係のある人も多い。そして(7)の教科書検定で、文部科学省が「集団自決」への軍の命令や強制について記述変更を求めた理由として挙げたのが、(4)の裁判において原告の元隊長が軍命を否定する意見陳述を行っているということであり、「集団自決」をめぐる学説状況の変化である。文部科学省が学説状況把握の参考にした「集団自決」に関する著作物の中には、(6)で再発行された曾野綾子著『ある神話の背景』も挙げられている。

軍の関与を消去、曖昧にする狙い


今回の教科書検定では、文部科学省の調査官によって、「集団自決」に関する記述が次のように「修正」されている。

山川出版社「日本史A」
〈申請図書の記述〉
日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。
〈修正後〉
日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた。

東京書籍「日本史A」
〈申請図書の記述〉日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で「自決」を強いられたものもあった。
〈修正後〉
「集団自決」に追い込まれたり、日本軍がスパイ容疑で虐穀した一般住民もあった。

清水書院「日本史B」
〈申請図書の記述〉
なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた。
〈修正後〉
中には集団自決に追い込まれた人々もいた。

紙幅の都合で三社の教科書だけを取り上げるが、東京書籍や清水書院の教科書のように、「強いられた」「強制された」という記述が消されることにより、「集団自決」が日本軍による強制であったことが否定されているのは、他の会社の教科書でも共通している。しかも、「日本軍」という実行主体まで消されることにより、〈修正後〉の記述では、誰によって「追い込まれた」のかが分からなくなっている。それによって軍の関与があったことも曖昧になり、あたかも戦時下の混乱という状況によって「追い込まれた」かのようにさえ読めるのである。

山川出版社の教科書の〈修正後〉の記述にいたっては、「自決した住民もいた」とすることで、まるで住民が自発的に命を断ったかのように読める。「日本軍によって---集団自決に追い込まれた」という構造の文章が、「追い込まれた」を消した上で「日本軍に壕から追い出されたり」という文と「自決した住民もいた」という文とに切断され、一八○度逆の意味に取れるように書き換えられているのである。

このような検定結果に対して、梅澤裕氏は「教科書の記述削除は目標の一つだった」と喜び、故赤松隊長の弟の赤松秀一氏は「原告として立ったのは、教科書に(自決命令)の記述があったから。削除され、これほど嬉しいことはない」と話したという(沖縄タイムスニ○〇七年三月三一日付朝刊)。

大阪地裁で係争中の裁判から、梅澤氏や赤松氏ら原告側の主張だけを取り上げ、書き換えを命じた文部科学省の調査官の姿勢は中立性を逸脱していて、最初から政治的意図があったとしか思えない。そもそもこれまでは軍の強制があったという記述でも検定を通ってきたのである。それが今年になって急に変わったというのは、これまで見てきた沖縄における自衛隊強化や政治状況の変化、そして自由主義史観研究会をはじめどした民間の右派グループの動向を見ながら、文部科学省の官僚やそれと関わる政治勢力が〈おりがきた〉と判断したのであろう。だが、沖縄では〈おり〉はきていない。

沖縄の怒リと反撃の声


今回の教科書検定の結果が出る以前、自由主義史観研究会が渡嘉敷島.座間味島で現地調査を行った頃から、沖縄県内では警戒の声が出ていた。今回の教科書検定で沖縄県民の怒りに火がついたと言っていい。四月以降、教科書検定に抗議する集会がいくつも開かれ、市町村議会では抗議の意見書が次々と決議されている。六月九日には「沖縄戦の歴史歪曲許さない沖縄県民大会」が開かれる予定であり、その実行委員会の構成団体は五月二三日段階で五七団体に達している。すでに六二年の時が流れ、戦争体験の風化が言われるにしても、沖縄にはまだヤマトゥとは違う戦争の記憶と死者達への思いが生き続けているのだ。

『沖縄ノート』や『ある神話の背景』が書かれた七〇年代初頭以降、沖縄では「集団自決」の問題について調査・研究が積み重ねられてきた。渡嘉敷島においては兵器軍曹を通して事前に手榴弾が住民に配られていたことや、米軍の捕虜になることへの恐怖が植え付けられることによって住民が死を選ぶ方向に誘導されたこと、島の中における軍隊と住民の関係、赤松隊によって行われた住民虐殺や朝鮮人軍夫の虐殺など、多様な角度から事実の究明がなされてきた。沖縄から「集団自決」が日本軍の命令、強制、誘導によって起こったものであるという声が上がるのは、それらの調査や研究の積み重ねに立ってのものなのである。

憲法・「改正」の国民投票が三年後には可能となり、集団的自衛権行便を可能とする憲法解釈も議論されている中、沖縄における自衛隊強化や教科書検定の問題は、けっして沖縄だけの間題でない。自衛隊が軍隊としての素顔を現そうとしている今、「集団自決」をはじめとした沖縄戦の実相を知り、「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を全ての日本人が直視してほしい。

めどるま・しゅん
一九六〇年生まれ。作家。琉球大学卒業。一九八三年『魚群記』で琉球新報短編小説賞、八六年『平和通りと名付けられた街を歩いて』で新沖縄文学賞、九七年『水滴』で芥川賞、二〇〇〇年『魂込み』で川端康成賞・木山捷平賞。他作品に『群蝶の木』『風音』『虹の鳥』、評諭に『沖縄/草の声・根の意志』『沖縄「戦後」ゼロ年』がある。


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