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『切りとられた時間』抜粋

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「ある神話の背景」の研究
『曽野綾子選集II-2』読売新聞社p435 「切りとられた時間」
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(前略)

「神父さんに伺いますが、もし敵が来たら、あなたはどうされようと思っておられたのですか」
 逃げるのではなく、神父はその質問をいささかも逸らそうとせずに踏み止ったように見えた。
「逃げられるだけ逃げよう、そんなふうにしか考えていませんでした」
「しかし神父さんは私たち兵隊とは立場がお違いになる。もしあの時、防召兵たちに武器が配られて、神父さん、あなたも日本人として闘え、ということになった時、あなたはどうされました?」
「一般論をお答えするのですか?」
「いや、一般論は本当はいらないのです」
「私は、実は米軍上陸の前に。手榴弾を一発貰ったのです。離れて住んでいるのだから、万が一、敵に遭遇した時素手では困るだろう、と言って防召兵の一人が持って来てくれたのです。そして迂闘なことですが、その時初めて、私は自分が何をしたらいいかということに恐れを抱いた。といっても、まだ、あの集団自決のようなことがあろうとは思われなかったです。只、私は、その一発の手榴弾の使い方について考えた。あの時、村の人の考えには、二発一組というような意識はありませんでしたか?」
「二発一組といいますと」
「自分の手許に、手榴弾が二発あった場合です。防召兵は二発ずつ持っている人が多かった、ように思いますが
「二発と一発では違いますか」
「違うように思いました。二発なら思い残りがなかった。一発は敵をやっつける為に使う。残り一発を自決用にとっておく。私は少なくとも防召兵ではないし、しかも戦闘意欲を失ったような女を運れている。村の大方の感情としたら本当は見殺しにしたいところだったかも知れません。しかしそれでは人惰として見るに忍びない。一発ぐらいはやっておこう。それで、あの気狂い女と死んだらいい、ということになったのではありませんか。これは、悪意にとり過ぎたかも知れない。しかし私は、私の死後まで、私を笑いものにしようとする人々の意志のようなものを感じていたのです」

 夜であった。どの夜であったか正確ではない。空襲の第一日目の夜のように記憶している。神父は江和と自分の掘った壕の中にいた。神父はポケットに、配給になった手榴弾を入れていた。初め神父は、それを身近かに置くことさえ恐ろしがったものなのである。ピンを抜いて起爆させる方法は教えられていた。しかし神父はそれが僅かな衝撃にも爆発しそうで、初めはそれに触ることさえ、恐る恐るであった。その日、神父は江和と共に壕の中にいて――それは流人の壕のように、村人たちの山の中の壕から全く離れていた――終日、死の恐怖に脅え続けていた。艦砲は遠くから着実に近づいて来る。神父は江和と共に海老のように身を丸めて死を待ち受けた。それは人間の人間に対する関心の示し方にこれほど残忍なものはあろうかと恩われるような行為の連続であった。

(後略)
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1968~1973の関係者経緯 「ある神話の背景」の研究
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