15年戦争資料 @wiki内検索 / 「新しい歴史教科書をつくる会 県支部解散」で検索した結果

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  • 新しい歴史教科書をつくる会 県支部解散
    愛媛のニュース2009年05月02日(土) 新しい歴史教科書をつくる会 県支部解散  「新しい歴史教科書をつくる会」主導の扶桑社版中学歴史教科書採択を県内で支援してきた同会県支部が、「つくる会」中央の事実上の分裂を受け、解散していたことが1日までに分かった。複数の関係者によると、大半の県内会員は、扶桑社から離れた「つくる会」と距離を置くとみられる。ただ、扶桑社版を支援する新たな県内組織は発足しておらず、今夏の教科書採択を前に、県内保守派の採択運動は転機を迎えている。 沖縄戦ニュース
  • 「新しい歴史教科書をつくる会」会長の訴えを棄却
    ...tm 【産経】「新しい歴史教科書をつくる会」会長の訴えを棄却 2008.10.31 18 55 このニュースのトピックス:民事訴訟  怪文書を流布され、名誉を傷つけられたとして、「新しい歴史教科書をつくる会」会長の藤岡信勝・拓殖大教授が、同会元会長の八木秀次・高崎経済大教授を相手取って1100万円の損害賠償を求めた民事訴訟の判決が31日、東京地裁であった。鹿子木康裁判長は「八木氏の関与は認められず請求には理由がない」として、請求を棄却した。  八木氏は「当然の結果とはいえ、当方の主張が全面的に認められ感謝する」とコメント。藤岡氏は「事実誤認に基づく偏った判断。大変残念だ」として控訴する方針。 判決文 藤岡信勝先生の名誉を守る会 つくる会東京支部掲示版 有田芳生の『酔醒漫録』
  • つくる会ニュースより
    ...館での集会に先立ち、新しい歴史教科書をつくる会東京支部と東京三多摩支部が主催して、同日午前11時から、東京丸の内の文部科学省ビル前にて、第2回目となる「文科省を叱咤激励する集会」が開催されました。 集会には約50名が参加。つくる会三多摩支部の渡辺眞支部長(つくる会理事)や島﨑隆東京支部長などがマイクで文科省の沖縄戦「集団自決」検定の決着へ適切な対応を求めました。また集会の途中には、藤岡信勝会長も駆けつけてマイクを握り、本問題の経過と重要性について訴えました。                                                        以上 この日のことらしい 『藤岡信勝会長も駆けつけてマイクを握り』  http //blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51753124.htm...
  • 沖縄戦ニュース
    ... 09年5月 新しい歴史教科書をつくる会 県支部解散 愛媛新聞 On Line 5月2日 09年4月 共同アピール 「あぶない教科書」を子どもたちに渡してはならない つくる会 「つくる会」三度目の挑戦にお力添えを つくる会教科書 慶良間触れず合格 琉球新報2009年4月10日 教科書検定:つくる会教科書・合格 市民団体「不採択を」 毎日 韓国「過去を美化」 自由社教科書の検定合格に 産経・共同 自由社の歴史教科書が検定合格  「つくる会」メンバーら執筆 産経 「つくる会」分裂、ほぼ同内容で2冊目合格 教科書検定 朝日 極右派の歴史わい曲教科書、新たに検定合格/日本 中央日報 09年3月 自決「これが真実」/沖縄で映画制作 AML 24841「つくる会」教科書の白表紙が流出! 琉球新報教科書検定審 聖域化は歪曲可能にする 09年2月 琉...
  • つくる会那覇記者会見
    ...た」  新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝会長、杉原誠四郎副会長は3月10日午後1時30分から沖縄県政記者クラブで「沖縄戦集団自決問題」について記者会見を行いました。  記者会見には、座間味島在住の宮平秀幸氏も同席し、座間味島における「集団自決」に関する新しい事実を明らかにしました。  会見の内容と宮平秀幸氏の「証言」内容は次のとおりです。 座間味島集団自決「宮平秀幸証言」の意義と今後の展望  平成20年3月10日 沖縄県県庁記者クラブにて 新しい歴史教科書をつくる会 会長 藤岡 信勝  座間味島在住の宮平秀幸氏(78歳)は、このたび、沖縄戦で米軍が上陸した前日にあたる昭和20年3月25日夜から明け方にかけての体験を詳細に証言した。(別紙参照)この証言は、次の4点において、従来の証言や文献になかった新しい事実を明るみに出した画期的な内容を含...
  • 沖縄タイムス:ぼけた核心 落胆/歪曲懸念 消えず
    ...くる会が抗議  新しい歴史教科書をつくる会は二十六日、沖縄戦の「集団自決」に日本軍の関与があったとの記述を認めた教科書検定審議会の決定について「到底容認できない」などとする抗議声明を出した。つくる会は「文部科学省は検定制度の根幹を揺るがすという重大な汚点を残した」としている。
  • 日本会議学生が行ったアンケート
    11月22日、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」沖縄問題小委員会(萩生田光一委員長)は、第3回会合が開かれました。 第3回の会合には全日本学生文化会議のグループが沖縄で行った世論調査の報告をしました。 また、今回も教科書課長など文科省の役人が同席しました。萩生田委員長は、「訂正申請に基づき、教科書を再度書き換えるならば、必ずその根拠を明らかにしてもらう」と文科省側に問いつめたところ、教科書課長の表情はいっそうこわばっていることが伺われました。 「軍の命令・強制」記述の根拠がないことを、課長は知っているからです。また、萩生田氏が「検定審議会による専門家の意見聴取は、中立的に人選をしているか」と問うたところ、課長は、「はい。中立でやっています」と返答しました。 http //prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-en...
  • 沖縄タイムス:実行委の存続決定/「軍強制」回復目指す
    2007年12月29日(土) 朝刊 1・27面 実行委の存続決定/「軍強制」回復目指す 解散はせず、要請行動の継続を決めた県民大会実行委員会=28日午後、県議会  「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会が二十八日、県議会で開かれ、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる高校日本史教科書の記述で、教科書会社からの訂正申請に対する文部科学省の決定についての見解や、今後の対応を話し合った。実行委は解散せず、来年一月に文科省に対して「日本軍による住民への強制」を示す記述の回復や、検定意見撤回などを求める要請行動をすることが決まった。  同実行委の仲里利信委員長は、「ほかの実行委の理解が得られた場合、実行委は解散する」との見通しを示していた。だが、この日の議題に「組織の存続、解散」は上がらず、一月の要請行動を決めたことで当面の解散はなくなった。 ...
  • 沖縄戦集団自決をめぐる歴史教科書の虚妄
    沖縄戦集団自決をめぐる歴史教科書の虚妄 作家 曽野綾子 「正論」平成15年9月号掲載  終戦直前の1945年春、沖縄本島への攻撃の直前に慶良間列島の島々が攻撃された。攻撃は主に艦砲射撃によって行われたが、その激しさは想像を絶するものであったという。  そうした激しい戦火のただ中にほうりこまれた慶良間列島のあちこちで、追い詰められた村民が集団自決をしたケースがあった。この人たちが、古い日本の教育と思想を受けた人々であったことは間違いない。  島民だけではない。当時まだ子供だった私をも含めて日本人のすべてが「生きて虜囚の辱めを受けず」という教育を受けていた。そうした軍国教育の片棒を担いだ大きな力は、文部省と教師たち、大手の新聞社であったことをここに明記して置かねばならない。  1971年の10月から、1972年の8月まで、私は文芸春秋社から発行されて...
  • 沖縄タイムス:「強制」削除市民怒り/運動の継続誓う
    http //www.okinawatimes.co.jp/day/200712281300_02.html 2007年12月28日(金) 朝刊 25面 「強制」削除市民怒り/運動の継続誓う  沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」への日本軍の強制を示す記述を削除させた教科書検定問題で、「6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」実行委員会は二十七日、教科書会社からの訂正申請に、「軍強制」を示す記述を認めなかった文部科学省に抗議する緊急集会を那覇市の県民広場で開いた。約七百人(主催者発表)が参加し、「軍強制」の記述復活と検定意見の撤回などを求めた。  同実行委の大浜敏夫共同代表は「教科用図書検定審議会は『(日本軍)に強制、誘導された集団自決』は駄目で『追い込まれた』という記述なら良いという基準を設けた。絶対に許すことはできない」と語気を強めた。  「沖縄戦の歴史歪...
  • 大田昌秀講演「沖縄戦と集団自決裁判について」
    ...ないのではないか。「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちは沖縄戦というものを知っているのかなと思います。沖縄戦についてよく知っていればこんな裁判を起せるはずはないのです。  私はこの裁判が起されたということで証拠探しにアメリカに行ってきました。いろいろ探してみました。結果的には渡嘉敷の赤松隊の「命令」のことについては見つかりませんでしたが慶留間島の出来事に関する資料を見つけることができました。慶留間島では53名が「自決」したのですが、「日本軍将校が“説得”(「命令」)した」ということが記されています。order(命令)という用語ではなく、パースエイド(persuade)という用語で記録されています。パースエイドとは、家族を殺せといわれてそれをためらっている人、拒否している人に対して、米軍がきたら女性は大変な目に遭う、男性は戦車にひき殺されるなどといって怖がらせる方法で「説得」...
  • 金城重明氏証言要旨2007年9月10日
    http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syougen1.html 金城重明さんの証言要旨 (2007.9.10.福岡高裁那覇支部)               (「沖縄タイムス」2007年9月11日朝刊から) 1「集団自決」について (1)北山(にしやま)への集結命令について  昭和20年3月27日に、日本軍から、住民は北山(にしやま)に集結せよ、との命令が伝えられた。日本軍の陣地近くに集結せよという命令であり、いよいよ最期の時が来たのかと感じた。27日の夜、大雨の中、阿波連から北山まで夜通し歩いた。28日の夜明け前ころ、北山に到着した。そこには何百人もの住民が集まっていた。 (2)軍の自決命令について  北山に移動させられた住民は、村長の近くに集められ、軍から自決命令が出たようだという話が伝わり、村長は「天皇陛下万歳...
  • WILL11月号藤岡論文
    ...私が会長をつとめる「新しい歴史教科書をつくる会」のFAX通信として3月14日に公表した。タイトルは、「証言・座間味島集団自決の『隊長命令』について(補足)」とした。 その後、三月二十八日、大阪地裁で被告勝訴の判決があった。終了後、法廷から出てきた私に、沖縄タイムスの吉田啓記者が、「宮平は本田靖春のルポでは自分の家の壕にいたことになっている」と言った。吉田は『小説新潮』一九八七年十二月号に掲載された本田靖春のルポ「座間味島一九四五」に登場する宮平の当時の証言内容を問題にしたのである。 私は、控訴審で被告が宮平証言の信憑性を攻撃してくるに違いないが、その際、母・貞子の証言とのズレや、本田ルポにおける宮平自身の証言とのズレを問題にしてくることは必至だと予測した。そこで私は、沖縄タイムスの記者たちが問題にしていた二つの文献について詳細に分析した。そして、宮平秀幸証言とのズレは...
  • 文科省に抗議の電話を!
    http //nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=3165 forum=8 viewmode=flat order=ASC start=0 No.110393 検定審議会の意見聴取の人選につき文科省に抗議の電話を! 皆様 お早うございます。 下記の檄文を入手致しましたので転載致します。 私達の活動は、この様な国益を損なう事象を糾し粉砕することを願って行動して参りました。 何卒、ご協力の程、お願い申し上げます 以下、転載致します。 藤岡信勝 検定審議会の意見聴取の人選につき文科省に抗議の電話を! ■沖縄集団自決の教科書検定問題につき、各位へ、緊急のお願い。 藤岡信勝です。とりあえず、南木氏のMLを使わせてもらいます。 本日(22日)、自民党の「日本の前途と歴史...
  • 第二章 満洲事変への道
    ...惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第二章 満洲事変への道 第二章 満洲事変への道第一節 対華二十一箇条要求問題 第二節 支那の「反日」攻勢と日本の忍耐 第三節 ワシントン会議の歴史的意義 第四節 ロシア共産革命の東アジアへの波及――最大の脅威の出現 第五節 ソ連=コミンテルンの東アジア攻勢と米国の東アジア介入 第六節 孫文の左傾化と第一次国共合作(一九二三年十一月から一九二五年三月) 第七節 ソ連の満蒙工作 第八節 蒋介石の反共クーデタ(一九二七=昭和二年四月二一日)と「北伐内戦」 第九節 幣原外交の空回り 第十節 田中外交の挫折 第一節 対華二十一箇条要求問題  さて、欧州大戦の初期一九一五=大正四年一月十八日、日本政府(大隈重信内閣)は「対華二十一か条の要求」を民国政府(袁世凱)に提示した。戦後の歴史家らは日露戦勝以後、増上慢にな...
  • 「集団自決(強制集団死)」森住卓
    「集団自決(強制集団死)」森住卓 http //mphoto.sblo.jp/article/5976589.html 2007年10月18日 (10月8日にUPした文章に年数などの誤りがありましたので、訂正しました。精査、訂正作業中ご迷惑をおかけしました。) 9月27日から10月13日まで沖縄で「集団自決(強制集団死)」の取材をしました。 その時出会った人々のことを記しておきます。 「集団自決」の舞台となった渡嘉敷村と座間味村は沖縄本島南部の西方海上の慶良間諸島にあります。(集団自決はここだけではありません) 周辺の海は世界有数の透明度を誇っておりダイビングポイントもたくさんあります。この海域は毎年冬から春にかけて鯨がやって来る、ホエールウオッチングも出来る観光名所です。那覇からの高速船は戦争体験のない若者たちで一杯でした。彼らの多くは6...
  • 藤岡信勝の座間味島レポート
    http //www.jiyuu-shikan.org/rekishi152.html 座間味島集団自決の証言者宮平秀幸さんとの出会い 藤岡信勝(自由主義史観研究会代表・拓殖大学教授) 座間味島集団自決の証言者宮平秀幸さんとの出会い◆偶然の運命的な出逢い ◆住民と日本軍との関係は「最高」 ◆梅澤隊長は「解散」命令を出していた ◆宮平証言3つのポイント ◆宮平さんはなぜ証言を決意したか ◆偶然の運命的な出逢い その人、宮平秀幸さんとの運命的な出逢いは、偶然の形をとってやってきた。何の打ち合わせもなしに、地球上の一点で二人の人物が出会う確率は限りなく小さい。あらゆる出来事は偶然と必然の織りなす網の目の中から紡ぎ出されてくる。だから、この邂逅にも必然の要素はあるが、それは事実の分析を介して後に明らかになることだ。   1月25日午後4時、私は沖縄集団自決の地・座間味...
  • 大江・岩波沖縄戦裁判控訴審が結審しました!
    http //okinawasen.web5.jp/html/kousai/2008_09_09_bouchou.html 「破綻した宮平秀幸証言」 大江・岩波沖縄戦裁判控訴審が結審しました!  控訴人(梅澤・赤松氏)側はあいかわらず準備書面の提出期限を守らず、なんと口頭弁論の4日前の9月5日になってから、宮平秀幸陳述書なるものを出しました。  まず宮平秀幸という人物とその証言を紹介します。  秀幸氏は座間味島で「高月」という民宿をやっていましたが、そこに泊まる宿泊客やあらゆる媒体に積極的に集団自決の証言を語ってきた人物です。そんな彼の証言をジャーナリスト鴨野守氏(「世界日報」記者)が雑誌記事にまとめたものが、秀幸氏の証言として提出されました。  その内容というのは次のようなものです。  1945年3月25日午後10時頃宮里盛秀助役ら村の幹部と宮城初...
  • 宮平秀幸陳述書(1)
    http //www.jiyuu-shikan.org/pdf/miyahira8-7.pdf 宮平秀幸陳述書(1) 陳述書 2008年8月7日 大阪高等裁判所第4 民事部御中 沖縄県座間味村字座間味 xxx 宮平 秀幸 7月25日付けで提出された宮城晴美の陳述書について、以下のとおり陳述いたします。なお、私が今年の1月から3月にかけて行った証言については、すでに裁判所に提出されている各種の記事の通りなので、繰り返しません。 晴美は私の姪ですが、小さい頃からそそっかしい子どもでした。そのことは、晴美の陳述書の6 に中村尚弘氏が、「秀幸は伝令ではなかった」と「明言している」と書いているところにもあらわれています。 8月6日、中村氏に面会して事情を確かめたところ、ある人の告別式で挨拶をかわした際、晴美から「秀幸叔父さんも尚弘さんと一緒に軍の伝令をしていま...
  • 藤岡意見書2(大阪高裁提出資料)1/2
    ...)」という文書を、「新しい歴史教科書をつくる会」を通じて公表しました。その「補足」文書の中で、秀幸も同じ読み取りをしており、貞子証言の文脈では、そう読むのは自然なことです。しかし、この行動こそ、当時の実情に即すると極めて不自然で、絶対にあり得ない行動なのであり、貞子証言が明白な虚偽を含んでいることの何よりの証拠です。  村当局が備蓄していた米は、産業組合の壕に保管してありました。ジンジュの宮平家の壕と産業組合の壕との位置関係については、甲B110号証、229ページの航空写真にプロットした地図を参照していただきたい(宮平家の壕は⑬、産業組合壕は⑥)。配給の米を取りに行くということは、シンジュにある宮平家の壕から産業組合の壕に行き、配給の米を受け取って、またシンジュの壕に戻ることを意味します。その目的のために「家族全員」で出かける必要はまったくありません。誰か大人が一人行けばよい...
  • 沖縄集団自決訴訟第1審
    今日の訪問者 - 沖縄集団自決訴訟第1審 平成17年(ワ)第7696号 出版停止等請求事件   平成20年3月28日判決言渡  口頭弁論終結日 平成19年12月21日 原 告  梅澤  裕 外1名 被 告  大江健三郎 外1名 Index 沖縄集団自決訴訟第1審第一審判決 大江氏論考 裁判経過 関連 第一審判決 読める判決「集団自決」新着! 新着!★集団自決訴訟 元守備隊長らの請求を棄却 新着!★3・28大阪地裁判決内容 新着!★大阪地裁判決後の記者会見 新着!★大阪地裁判決に対する各紙論評など 大江氏論考 人間をおとしめるとはどういうことか 裁判経過 原告側訴状2005年8月5日 原告弁護団意見陳述書2005年10月28日 第1回口頭弁論 原告梅澤裕意見陳述書2005年10月28日 第1回口頭弁論 原...
  • ビデオ「戦争を教えてください」における宮平証言
    ビデオ「戦争を教えてください」における宮平証言 毒蛇日記掲示板より 新証言は本人の過去の証言によって否定されました - 阪神 2008/03/21 (Fri) 17 47 22 1992年制作のビデオ「戦争を教えて下さい・沖縄編」を視聴しましたので御報告致します。最も重要な証言部分である3月23日から26日にかけての証言は下記の通りです。 (3月23日) 役場からの命令で生徒を引率して食糧増産の為に畑に行った。米軍の飛行機は子供を見ても攻撃をしてこなかった。子供とわかっていたようだ。 (3月24日) 23日の晩からずっと壕の中に家族だけでいた。奥行き3メートル位の壕に7名の家族がいた。72歳のじいさん、ばあさん、母、姉、本人、4歳の弟、6歳の妹だった。 (3月25日) 20時30分から21時頃、「軍は玉砕命令出ているから、民間人もこれから自決...
  • 奉祝! 贋宮様第二回アパ賞受賞
    奉祝! 竹田贋宮さま第二回アパ賞受賞 贋宮さまの無知無恥ぶりは御指摘申す可き也。マスコミも遠慮は無用、菊タブーの埒外也。背中に日の丸ペイント有共、apa-ppa言辞を撒散らさば必ずや世間様並に御天道様の怒りを受くる可し。宮家を騙る三十坊也にはせめて常人の三倍は竹箆返し為す可し。諸姉諸兄にては小旗振りの替わりに坊の背に一匙なりとも灸を献納されんことを希ふ。その婀娜なる紫煙こそ誠の奉祝にして真の友愛の証と云ふ可し。下に全身用の灸所と局部用の灸所処り喜捨を乞ふ。 奉祝! 竹田贋宮さま第二回アパ賞受賞日の丸掲揚 君が代独唱 皇居に向って敬礼! ちょうちん行列 Y-遺伝子に叩頭、拝跪式 天皇は本当に主権者から象徴に転落したのか?「天皇主権が国民主権になった」=嘘吐きの方程式 戦前は専制君主だったのか? 教科書に隠されたトリック 主権は天皇と国民の絆の上に成立する 主権の定義によって主権者...
  • つくる会那覇記者会見補充
    http //www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_231.htm つくる会那覇記者会見補充 つくる会ニュース 第231号 平成20年 3月18日(火) 宮平秀幸氏が補足証言を発表 『座間味村史』の母(貞子)の証言の間違いを指摘   3月10日沖縄県庁の記者会見で発表された、沖縄戦「座間味島集団自決」に関する宮平秀幸氏の新証言については、FAX通信第229号(3月10日付)でお知らせしましたが、この新証言を補足する証言が3月14日に発表されましたのでお知らせします。 宮平秀幸氏の補足証言は次のとおりです。 証言・座間味島集団自決の「隊長命令」について(補足) 平成20年3月14日 宮平 秀幸 ■宮平家の壕にて  昭和20年3月25日夜の出来事について、前回の証言を補足しま...
  • 【正論】拓殖大学教授・藤岡信勝 真実に背向けた集団自決判決
    http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/195142/ 【正論】拓殖大学教授・藤岡信勝 真実に背向けた集団自決判決 2008.11.13 07 23更新 【正論】拓殖大学教授・藤岡信勝 真実に背向けた集団自決判決≪「命令説」覆す新証言≫ ≪軍人の名誉回復を遮断≫ ≪新基準は空手形に過ぎず≫ ≪「命令説」覆す新証言≫  沖縄戦で旧日本軍の隊長が集団自決を命じたとする2冊の本の誤った記述によって名誉を侵害された元隊長らがノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店に出版差し止めを求めた裁判の控訴審で10月31日、大阪高裁は一審判決にさらに輪をかけた大江・岩波寄りの判決を言い渡した。  この裁判における最大の争点は隊長命令説の真偽であった。家永三郎著『太平洋戦争』には「座間味島の梅沢隊長は、老人・こどもは村...
  • 集団自決と検定“トリック報道”で世論誘導
    http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/93499/ 【正論】集団自決と検定 拓殖大学教授・藤岡信勝 “トリック報道”で世論誘導 10/24 05 28 トラックバックURL: http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/93499/TrackBack/ ■「軍の関与」も認めてはならない  ≪一点の瑕疵もない検定≫  高校日本史の教科書検定で「沖縄集団自決」に日本軍の「命令」「強制」があったとの記述を修正させた問題で、政府・文科省は修正前の記述の趣旨の復活を認める方針に大転換した。検定意見の撤回はしないが、もとの記述を何らかの表現で回復しようとする教科書会社の訂正申請があればこれを「真摯(しんし)に検討」するというのである。今ごろは10月末の申請をめど...
  • 産経石川水穂記事(1)
    産経石川水穂記事(1) http //sankei.jp.msn.com/life/education/080222/edc0802222314002-n1.htm 集団自決、隊長はいさめた 沖縄・座間味で日本軍強制説否定する新証言 2008.2.22 23 13 image http //sankei.jp.msn.com/photos/life/education/080222/edc0802222314002-p1.htm 村長が住民に解散を指示した忠魂碑の前で証言する宮平秀幸さん =沖縄県座間味村(石川水穂撮影)    沖縄県座間味島で起きた集団自決をめぐり、同島の村長が日本軍の隊長に集団自決をいさめられ、自決のために集まった住民に解散を指示していたことが、当時の防衛隊員の証言で明らかになった。教科書などで誤り伝えられている「日本軍強制(命令)」説を...
  • 2 検討の対象について
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-049 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 2 検討の対象について (判決本文p116~)   当裁判所は, 本件訴訟の主要な争点は, 先に原判決の事実摘示を引用して示したとおり, [A]本件各記述が, 控訴人梅澤の名誉を毀損し, 控訴人赤松の亡兄に対する敬愛追慕の情を侵害するもので不法行為に該当するか否かなどの点(原審争点[1]ないし[8])であるが, 当審においては, さらに, 次のような点についても十分な検討を要するものと考える。 それは, [B]発刊当時は真実性ないし真実相当性が認められてその後も出版が継続されている書籍について, 新たな資料に基づき名誉毀損の不法行為を主張して損害賠償請求あるいは出版継続の禁止を求め得るのはどのような場合かという点, 及び, [C]本件...
  • 大江よ。おまえはもう死んでいる!
    東京報告会 徳永弁護士報告 平成20年7月19日 http //image01.wiki.livedoor.jp/y/7/yakata7/838799fdb5c5f415.pdf 逆転勝訴の方程式 大江よ。おまえはもう死んでいる! 平成20 年7 月 沖縄集団自決冤罪訴訟 原告弁護団 弁護士 徳永信一 大江よ。おまえはもう死んでいる!1 「まさか…!?」の不当判決 2 真実相当性とは?-「勘違いだが、仕方がない」- 3 奢れる岩波の自縄自縛 ~『沖縄ノート』増刷の愚挙~ 4 「文科省の立場」なるもの ~隊長命令は証明されていない~ 5 「軍の関与」から「隊長命令」を推認する論理の飛躍 6 進歩的知識人の黄昏 ~青ざめる大江健三郎~ 7 人間の尊厳について 1 「まさか…!?」の不当判決 3 月28 日大阪地裁で深見裁判長が下した判決は、予想もしな...
  • 書証一覧
    判決全文 と 準備書面一式 とから調べ 引用は自己責任にてお願いします m(- -)m 書証一覧  サイト内検索 書証一覧本件書籍(結審時) 調書 原告側提出甲A 甲B1~20 甲B21~40 甲B41~60 甲B61~80 甲B81~100 甲B101~120 甲B121~140 甲B141~160 甲C1~ 被告側提出乙1~20 乙21~40 乙41~60 乙61~80 乙81~100 乙101~120 乙121~140 本件書籍(結審時) 番号 証拠名 by whom 成立 本件書籍(1) 「太平洋戦争」岩波現代文庫版 家永三郎・岩波書店 2002年平成14年7月16日 本件書籍(2) 「沖縄ノート」  大江健三郎・岩波書店 1970年昭和45年9月21日 調書 略称 氏名 法...
  • rabe11月25日
    十一月二十五日 医者が足りない。香港、上海、漢口の赤十字に、医師と医薬品を求むと電報を打った。外国人の医者は頼めない。この電報はアメリカ大使館の仲介だが、大使館は(ほかのどこの国の大使館も同じだ)自国民に対して南京を去るよう勧めているからだ。 もう一度、昔の故宮宝物を救い出す手伝いをするはめになろうとは。夢にも思わなかった。だが、そういうことになってしまったのだ。(これらの中国の芸術作品は百年ほど前から評価され、集められるようになった。ラーべもすこしコレクションをもっていた) 私のトラックは恰和通レンガエ場からの誕生祝いだ。しばらくの間学生が負傷者の世話をするために使っていたが、こんど杭立武さんに提供した。なんと一万五千箱もの故宮宝物を港へ運ぶことになったのだ。そのため、杭立武さんはありったけの車を集めた。政府はこれを漢口へ運ぶつもりなのだ,もしこれが日本人の手に落ちる...
  • 吉川勇助さん
    吉川勇助さん(渡嘉敷) 連載「命語い」(9) http //www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu/nuchigatai09.html 吉川勇助さん -上- (6月14日朝刊総合3面) 村長の「陛下万歳」合図に 防衛隊員、耳打ち「それが軍命だった」  渡嘉敷島。西の御嶽と日本軍の北山(にしやま)陣地の谷間。一九四五年三月二十七日、米軍上陸後、各地に避難していた住民が、軍命でフィジガー、後に第一玉砕場と呼ばれる場所に集められた。  住民は家族や親族、集団ごとにまとまっていた。当時六歳で、母親と妹と来た新崎直恒(69)。グループには手榴弾がなく、知り合いの集団に加わった。その輪には直恒らが「皆から、とても信頼をされている人」と話す、当時十五歳で役場職員の吉川勇助(78)がいた。  勇助の家族で七、八人、直恒...
  • IV-02<沖縄のメディアが騒ぎ出したので再び証言を求めた>
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 IV. 伊波苗子証言(2) 2012.3.1 書き起こし IV-02<沖縄のメディアが騒ぎ出したので再び証言を求めた> 動画https //youtu.be/O6i1g0Tu6vY?t=3m5s (大高)で、結論から言いますと、先週の(2012年5月)24日、えー金曜日ですかね、金曜日に、もうこれは、じゃあ慰安婦と住民虐殺というモンゲン(ママ)は削除という、県の方針で決定が出たんです*8。で一件落着かなあと思ったら、沖縄のメディアがもう、またもう、狂ったように騒ぎ出しまして、たとえばこの琉球新報ですね、この第一面トップ記事がこの見出しなんですねえ*9。 「県が方針決定 住民虐殺記述も」ということで、これを「削除」っていうのでもう、さんざん怒り狂ってるわけなんですねえ。そして第一面のみならず、その最後の紙面にもずっと、この...
  • 沖縄タイムス 「正確・人権」に欠ける報道 占領下の呪縛引きずる
    http //blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/bdd565d17e4d768965d6a385ab93d253より転転載 真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から63年 3部<7> 沖縄タイムス 「正確・人権」に欠ける報道 占領下の呪縛引きずる  米軍上陸を目の当たりにした渡嘉敷島で、愛する家族を手に掛けた当時十六歳の少年、金城重明氏。後にクリスチャンそして牧師となり、沖縄キリスト教短期大学学長などを歴任、“集団自決の語り部”として、多くの書物を残している。  昨年、集団自決に関する教科書検定意見をめぐって沖縄世論が沸騰した中、金城氏は六月二日、那覇市で沖縄タイムス主催のシンポジウム「挑まれる沖縄戦―『集団自決』検定を問う」で、当時の体験を述べた。同紙が六月八日付でその詳細を報じている。  「私たちは日本軍の強制、命令、抑圧に...
  • rabe12月1日
    十ニ月一日 九時半に、クレーガー、シュペアリング両人を平倉巷で開かれる委員会へ行く。いろいろな役目をわりふって、名簿を作る。馬市長が部下を連れて現れ、米三万袋と小麦粉1万袋を提供すると約束。残念ながらそれを難民地域まで運ぶトラックがない。米と小麦粉は売ればいい。できるだけ高値で。難民用の給食所をつくる予定だ。 三つめの防空壕が完成した。屋根を鉄板でおおい、入り口は土で囲ってある。午後、駐屯軍司令部から二万ドル受け取った。これは、蒋介石からの約束の十万ドルの第一回目だ。のこりはいつもらえるかと聞いたが、相手は肩をすくめただけだった。 フィッチ、クレーガー、スマイス、YMCAの王(ワン)、リッグズ、私のメンバーで寧海路五号にある家を見に行く。明日から、ここを委員会の本部にするつもりだ。スマイスは、家のりっぱなことと豪華な調度品、それから一万七千五百ドルもの値打ちのある防空壕...
  • IV-05<芸者もいなかった>
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 IV. 伊波苗子証言(2) 2012.3.1 書き起こし IV-05<芸者もいなかった> 動画https //youtu.be/O6i1g0Tu6vY?t=15m1s (水島)はい、まあね、ホントに、なかなか天の川でお先に御待ちしますなんてね、胸が詰まる思いがしますけどね…。それがね、金で身を売る慰安婦がこんなこと言うか*50、というね…。 (大高)あの、解散命令出たときに逃げ出しますよね*51 (水島)そうですよ、とんでもない、こういう人たちを慰安婦扱いするっていうのねー、恥ずかしくないかっていう気がしますね。ハイ。 (大高)で次にごらん頂くのが、そのカイギョウシャ(ママ)というですね、所の芸者たちがいたということなんですけど、また芸者と慰安婦は違いますけども、とりあえず、こういった女性がいたのか、どうぞご...
  • 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣
    櫻井よしこ 「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」 http //f00-006.060.183.203.fs-user.net/index.php/archives/552 『週刊新潮』  07年1月4日・11日号 日本ルネッサンス 第246回 2006年も多くの取材をした。そのなかでも、10月18日に東京市谷で会った梅澤裕氏は今後の日本のあるべき姿を物語るうえでも、印象深い人だった。 氏は12月21日で90歳になった。祖父、一直は日清戦争の騎兵、父、英彦は日露戦争の軍人だった。父は陸軍士官学校16期生で、板垣征四郎、土肥原賢二、永田鉄山らとは自宅を訪れ合う仲だった。 「本当にすばらしい軍人ばかりで、私は幼い頃から、父たちのような立派な軍人になることを夢見ていたのです」と梅澤氏は語る。 その声は力強く、椅子にかけた背はまっすぐだ。...
  • 産経花岡信昭【政論探求】田母神氏の重い問いかけ
    http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/192298/ 【政論探求】田母神氏の重い問いかけ この人は軍人さんではありませんが・・・・  「日本は侵略国家であったのか」という問いかけはきわめて重い。近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文といえた。  だが、田母神俊雄氏は空幕長を更迭された。これまでの政府見解に沿わない内容であることは確かで、麻生首相としても「立場上、不適切」と言わざるを得なかった。  「村山談話」「河野談話」がいかに手かせ足かせになっているか、改めて思い知らされる事態だった。  アパグループの元谷外志雄代表が社会還元活動の一環として論文を募集、実は筆者も渡部昇一氏ら4人の審査委員の一員だった。235点の応募作品から社内審査で二十数点がま...
  • 原告準備書面(3)全文2006年6月9日
    原告準備書面(3)全文2006年6月9日 http //blog.zaq.ne.jp/osjes/article/21/ 第1 はじめに 第2 《手榴弾交付命令説》の詭弁1 渡嘉敷島の《赤松隊長命令説》が伝聞や風説に基づく『鉄の暴風』により 2 富山真順が、渡嘉敷島の資料に登場するのは、以下の資料である。 3 1973年(昭和48年)5月30日、曽野綾子氏著作の『ある神話の背景』が出版され、 4 さらに大城将保( 嶋津与志) 氏は 5 東京地裁に継続した家永・教科書裁判第三次訴訟の東京地裁の審理中、 6 1988年(昭和63年)6月16日の朝日新聞に 7 さらに1990年( 平成2年)3月31日に渡嘉敷村から発行された渡嘉敷村史通史編は、 8 『神話の背景』によって隊長命令が虚偽であったことが定着する中、 9 また、渡嘉敷村史資料編と同村史通史編(乙13)のいずれも 第2 百人斬...
  • 宮城晴美氏陳述書2007年6月27日
    宮城晴美氏陳述書2007年6月27日 http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/chinzyutu1.html 宮城晴美氏陳述書2007年6月27日1 経歴 2 座間味村の「集団自決」に関する調査・執筆について(1) 1970年(昭和45年)国際大学在学中、 (2) 安仁屋政昭先生からの声がけで、 (3) 1985年(昭和60年)~87年(昭和62年)にかけて、『座間味村史』 (4) 1997年(平成9年)から2000年10月頃まで、本の執筆のため、 (5) その後も折に触れて「集団自決」が行われた当時、座間味島にいた人々から 3 甲B5『母の遺したもの』(2000年12月)について(1) 私がこの本(「本書」といいます)を出版したいきさつは、 (2) 部隊長命令についての手記の書き改めについて (3) 第3次家永教科書訴訟と母 (4) 助役の指...
  • 公明党福島・郡山総支部、山下教授を招きセミナー5/24
    長崎大・山下俊一教授の『語録』 公明党福島・郡山総支部、山下教授を招きセミナー5/24 公明党本部websiteより http //www.komei.or.jp/news/detail/20110530_5348 原発事故 わが子の健康は大丈夫・・・ 公明新聞:2011年5月30日付 活発な質疑が交わされた党郡山総支部と市民によるセミナー活発な質疑が交わされた党郡山総支部と市民によるセミナー 党福島・郡山総支部と市民らが共催 山下教授(長崎大学 大学院)を招きセミナー 正しい知識と情報の伝達を 理解深めてパニック防ぐ 公明党福島県本部郡山総支部と同総支部の女性党員や市民でつくる「子どもの成長を育む会」(遠藤いつ子会長)は24日、福島県郡山市内で、同県放射線健康リスク管理アドバイザーを務める山下俊一長崎大学大学院教授を講師に招き、セミ...
  • 産経石川水穂記事(2)
    産経石川水穂記事(2) 沖縄集団自決新証言 中尉「死に急ぐな」 2008.2.22 23 19 http //sankei.jp.msn.com/life/education/080222/edc0802222321003-n1.htm 産経石川水穂記事(1)に戻る  沖縄戦で大規模な集団自決が起きたのは、沖縄本島西方の慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島だ。米軍が上陸した昭和20年3月下旬、渡嘉敷島で320人、座間味島で170人を超える住民が自決したとされる。  戦後間もない昭和25年に沖縄タイムス社から出された沖縄戦記「鉄の暴風」(初版は朝日新聞社刊)では、それぞれの島に駐屯していた日本軍の隊長の命令によって集団自決を強いられたとされ、大江健三郎さんの「沖縄ノート」や家永三郎さんの「太平洋戦争」など多くの出版物に引用されてきた。  しかし、座間味島の集団自決...
  • 藤岡意見書2(大阪高裁提出資料)2/2
    http //blog.zaq.ne.jp/osjes/article/56/ 藤岡先生意見書2(大阪高裁提出資料)2/2  意見書(2)2/2 意見書(2)1/2 意見書(2)2/2第六 被告側準備書面(2)への批判2 宮平秀幸のビデオ証言との食い違い(1) (2) (3) 3 本田靖春に対する宮平秀幸の話との食い違い(1) (2) 4 宮平春子証言などとの食い違い(1) (2) 5 宮城初枝の証言との食い違い(1) (2) (3) (4) (5) 6 伝令ではなかった 7 宮平秀幸の信用性 第七 証言者としての宮平秀幸の人物像 第六 被告側準備書面(2)への批判 2 宮平秀幸のビデオ証言との食い違い  記録社制作の「戦争を教えて下さい・沖縄編」(1992年)に出演した宮平秀幸の証言について、被告書面は、次のように述べています。  「このビデオにおいて、宮平...
  • 五 四万か三〇万か
    南京大虐殺の真相 五 四万か三〇万か 被虐殺者数もふくめて南京大虐殺事件の規模を論議する場合には、その期間と地理的範囲が共通認識として規定されている必要があるが、従来はかならずしも明確ではなかった。そこでやはりデッサンの意味で試論的に期問と範囲を規定してみたい。 (1)広義の南京大虐殺事件 期間――日本軍の南京攻略戦開始(一九三七(昭和一二)年一一月五日の日本陸軍第一〇軍枕州湾上陸)~中支那方面軍・上海派遣軍を廃しての中支那派遣軍の編成(一九三八年二月一四日)およぴ南京難民区国際委員会の解散と南京国際救済委員会への改称(同二月二一日)。喀記すれば一九三七年一一月上旬から一九三八年二月中・下旬まで。なおその後もまだ残虐行為がつづくので、一応治安のおちつく中華民国維新政府の成立(同三月二八日)までとすることも考えられる。 範囲――中支那方面軍(上海派遣軍・第一〇軍)が南京攻略...
  • 「沖縄集団自決、高裁判決を疑う」
    http //yoshiko-sakurai.jp/index.php/2008/11/13/%e3%80%8c%e6%b2%96%e7%b8%84%e9%9b%86%e5%9b%a3%e8%87%aa%e6%b1%ba%e3%80%81%e9%ab%98%e8%a3%81%e5%88%a4%e6%b1%ba%e3%82%92%e7%96%91%e3%81%86%e3%80%8d/ 「沖縄集団自決、高裁判決を疑う」 2008年11月13日 桜井よしこ 『週刊新潮』’08年11月13日号 日本ルネッサンス 第337回 第二次世界大戦末期の沖縄、座間味島で、守備隊の梅澤裕隊長は住民に集団自決を命じたのか。大江健三郎氏は、著書『沖縄ノート』で、渡嘉敷・座間味両島での集団自決は日本軍、つまり隊長命令によるものだと断定的に書いたが、それは真実なのか。梅澤氏らが、事実は全く...
  • Ⅰ 戦後補償問題としての慰安婦問題
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 インドネシアにおける慰安婦調査報告 倉沢愛子 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p089_105.pdf Ⅰ 戦後補償問題としての慰安婦問題 インドネシアにおける慰安婦調査報告Ⅰ 戦後補償問題としての慰安婦問題1 インドネシア社会における「慰安婦問題」認識 2 慰安婦問題に関するマスコミ報道の始まり 3 日弁連弁護士のインドネシア訪問 4 法律援護協会への登録 5 兵補協会による慰安婦の登録 6 アジア女性基金の償い金に関する情報 7 インドネシア政府の態度 1 インドネシア社会における「慰安婦問題」認識  第2次大戦中、日本軍占領下のインドネシアで、多くの女性(インドネシア人、華人、オランダ人)が、日本兵の性的犠牲になったことはインドネシア社会では周知の事実であった。たとえば、195...
  • 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明
    歴史共同研究庫 ソースは、http //www.kinyobi.co.jp/blog/wp-content/uploads/2010/05/201005101732273262.pdf 原文の行変えは一行空けに、原文の一行空けは三行空けにしました。 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明(全文)  1910年8月29日、日本帝国は大韓帝国をこの地上から抹殺し、朝鮮半島を自らの領土に併合することを宣言した。そのときからちょうど100年となる2010年を迎え、私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、「韓国併合条約」をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である。  今日まで両国の歴史家は、日本による韓国併合が長...
  • 占領下の原爆調査が意味するもの(上)
    放射能汚染とデマ汚染に抗す 市民科学 Citizens Science interview『市民の科学をひらく』第5回 占領下の原爆調査が意味するもの(上) 笹本征男さん (占領史研究家) ささもと・ゆくお 1944年島根県生まれ。中央大学法学部卒。在韓被爆者問題市民会議会員。占領・戦後史研究会会員。著書に『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(新幹社、1995)。訳書に『占領軍の科学技術基礎づくり(占領下日本1945~1952)』(ボーエン・C・ディーズ著、河出書房新社、2003)。ほか論文多数。 2005年9月12日、市民科学研究室にて 聞き手:上田昌文(当NPO代表) 占領下の原爆調査が意味するもの(上)1 (主語をなぜ語らないのか) 2(調査の着手) 3(原爆の日米の合同調査とは) 4 (大調査団) 5 (底知れない沈黙) ...
  • 産業組合の壕
    産業組合の壕 産業組合の壕産業組合の壕 -1- 産業組合の壕 -2- 産業組合の壕 -3- 産業組合の壕 -4- 産業組合の壕 -5- 産業組合の壕 -6- 産業組合の壕 -7- 産業組合の壕 -8- 産業組合の壕 -9- 産業組合の壕 -10- 連載「命語い」(42) http //www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu/nuchigatai42.html 産業組合の壕 -1- (8月25日朝刊総合3面) 体制支えた兵事係も死へ 亡き父思い 心の真実追う娘  戦後、座間味村長を務めた宮里正太郎(86)は、戦前の座間味役場のことを知る唯一の人物だ。入庁は一九四一年六月、十九歳の時、行政書記として採用された。役場への就職を勧めたのは、当時二十九歳だった役場職員、宮里盛秀だった。  正太郎は学費を稼ぐため屋嘉比...
  • 中国侵略軍を慰問する―徳川義親
    タイトル: 最後の殿様 徳川義親自伝 責任表示: 徳川義親 著 出版地: 東京 出版者: 講談社 出版年: 1973 資料形態: 231p 肖像 680円 注記: 書誌注記 付 徳川義親関係略年表 最後の殿様 徳川義親自伝中国侵略軍を慰問する机上で戦争する幕僚 慰問団長として上海へ 麻薬で軍資金を調達 "あれを撃て" 最前線ヘ 忘れられぬ老兵 徳川 義親(とくがわ よしちか) 最後の殿様 徳川義親自伝 p168-178 中国侵略軍を慰問する 机上で戦争する幕僚 蘆溝橋事件が起こる前の六月四日に、近衛文麿くんが内閣総理大臣になった。近衛くんは頭のいい人だが、実行派ではない。頭がよすぎて目先が見える。見えすぎるために大胆になれない。ぼくのように無謀なことはできない。長所が短所となる。近衛くんを首相にしたのはよかったのか、悪かったのか、歴史家は...
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