15年戦争資料 @wiki内検索 / 「第四章 招魂社から靖国神社へ、そして大鳥居」で検索した結果

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  • 坪内祐三『靖国』
    ...靖国神社がお好き 第四章 招魂社から靖国神社へ、そして大鳥居 第五章 河竹黙阿弥『島衛月白浪』の「招魂社鳥居前の場」 第六章 遊就館と勧工場 第七章 日露戦争という巨大な見世物 第八章 九段坂を上る二人の男 第九章 軍人会館と野々宮アパート 第十章 力道山の奉納プロレス 第十一章 柳田國男の文化講座と靖国神社アミューズメントパーク化計画 エピローグ 「SUKIYAKI」と「YASUKUNI」 映画「靖国Yasukuni」と靖国神社
  • 靖國神社考(1)
    靖國神社考(1) 靖國神社考(1)靖國神社考1・靖國神社に、清淨と静謐の環境を! 靖國神社考2・靖國神社は、皇室御仁慈の發現なり。●京都東山招魂社創建の御沙汰書 ●招魂社大祭の宣命 ●招魂社を靖國神社と改稱し給へる御祭文 靖國神社考3・明治神宮と靖國神社●中今亭賀茂百樹大人『明治神宮と靖國神社との御關係』 靖國神社考4・靖國神社の合祀對象基準●阪本是丸氏『「靖國」の基礎知識』 ●賀茂百樹大人『靖國神社誌』の「祭神・附御靈代」に曰く、 ●賀茂百樹大人『靖國神社忠魂史』第一卷「序」に曰く、 靖國神社考5・歴代宮司略傳、其の壹【靖國神社歴代宮司】初 代【青山 清 】明治十二年六月十六日~明治二十四年二月六日 第二代【賀茂 水穗】明治二十四年二月十七日~明治四十二年三月一日 第三代【賀茂 百樹】明治四十二年三月二十九日~昭和十三年四月二十一日 靖國神社考6・歴代宮司略傳、其の貳第四代【鈴木 孝...
  • 靖國神社考(2)
    靖國神社考(2) 靖國神社考(2)靖國神社考10・盡忠憂國 靖國神社考11・昭和殉難者十四柱の合祀●寒林平泉澄博士『靖國神社總説』 靖國神社考12・參拜か、訪問か●松平永芳大人『誰が御靈を汚したのか』に曰く、 ●湯澤貞・元宮司『靖國の言ひ分、英靈たちの聲』に曰く、 靖國神社考13・みゆき●賀茂百樹大人『靖國神社誌』の「行幸・行啓」に曰く、 ●同上「勅使」に曰く、 靖國神社考10・盡忠憂國 投稿者:備中處士 投稿日:11月13日(月)19時30分2秒 【松平永芳大人の經歴・逸話】 一、松平大人は、越前の春嶽松平慶永公の長男で、宮内大臣(戰後は宮内府長官)を拜命した松平慶民子爵を父として、東京に生れた。尾張の徳川家を繼いだ徳川義親侯爵(「靖國會」初代會長)は、叔父に當たる。母幸子は、新田家直系の新田忠純男爵の四女。室は侍從武官・醍醐忠重侯爵(海軍中將、ボルネオ島バリ...
  • 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100210ddm010010125000c.html 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)  先月31日に発表された日中歴史共同研究の報告書では、歴史認識の隔たりが埋まらないとして、中国側の要請で、「近現代史」のうち1945年以降を扱った第3部(第1~3章)を非公表としていた。今回、入手したのは非公表とされた全文。他の論文と同様、両国の有識者が同じテーマを巡って、それぞれ執筆した。 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)年表図 ◆第3部第1章 1945~72年◇日本側 ◇中国側 ◆第3部第2章 1972~2008年◇日本側 ◇中国側 ◆第3部第3章 歴史認識問題◇日本側 ◇中国側 ■近現代史第3部の論文執筆者 年表図 ◆第3部第1章 1945~72年 ◇日本側  戦争を引き起こ...
  • 「沖縄の証言」(上)より
    ... 第三章 壕の中で 第四章 逃避行の果てに 第五章 離島の悲劇 注 証言の意味するもの・・・谷川健一 沖縄戦目録 沖縄諸島地図・沖縄本島中南部戦況地図 「沖縄の証言」(下)よりへ 目次 はじめに 第一章 アメリカ軍の上陛 空襲そして艦砲射撃・・・・・北谷村 喜友名朝昭 山の中へ・・・・・北谷村 喜屋武スミ 第二章 戦火に追われて 「おまんま食べたいよう」・・・・・北中城村 安里要江 生き地獄の中を・・・・・中城村 普天間ツル  第三章 壕の中で 壕から壕への逃避行・・・・・中城村 儀間トヨ 友軍兵士がわが子を殺した・・・・・浦添村 銘苅幸江 第四章 逃避行の果てに 遺骨を拾う(未作成)・・・・・西原村 仲宗根カマ 山をなす死体(未作成)・・・・・西原村 城間英吉 第五章 離島の悲劇 集団自決(未作成)・・・・・座間...
  • 日清・日台戦争戦没者数
    日清・日台戦争戦没者数 日清・日台戦争戦没者数(1)『日本軍事史』 (2)靖国神社戦争別合祀者数 (3)日清・日露戦争死傷者数、直接戦費等 (4)wikipedia日清戦争 (5)台湾征服戦争(乙未戦争) (6)「台湾の歴史 日台交渉の三百年」 (7)藤村道生「日清戦争」 (8)参謀本部「明治二十七八年日清戦史」減耗人員階級別一覧表 減耗人員師団別一覧表 戦闘ごとの「死傷表」 (1)『日本軍事史』 http //d.hatena.ne.jp/higeta/ 日本軍の死者の数も9600人(うち病死7600人)と、下関条約締結までの戦没者8400人(うち病死7200人)を上回った戦闘であった(高橋典幸ほか『日本軍事史』吉川弘文館、2006、326頁)。 (2)靖国神社戦争別合祀者数 http //www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM 日 清...
  • 映画「南京の真実」製作日誌21
    映画「南京の真実」製作日誌21 "情報戦" の最前線から(第21回) 「正論」2009・6 水島総 四月十九日(日)「南京」月報 南京大虐殺と戦争報道の内幕 映画「南京の真実」第二部の検証編を製作する中で、改めて深く感ずるのは、支那事変や大東亜戦争が、世界規模の大情報戦争でもあったという事実である。日本とて例外ではなく、大本営発表や戦前の朝日新聞等の戦争報道の嘘は、アメリカでも、英国、フランス、ドイツでも、あらゆる国で、全く同様に行われていた。そして、現在も、戦火は交えなくとも、国際情報戦争はさらに拡大、緻密化した形で続行されている。この事実を・私達はしっかり自覚し、それを踏まえた上で、現在の「歴史論争」を行うべきだろう。 映画製作中に、面白い本を見つけた。ひとつは一九七五年に書かれ、日本では昭和六十一年に出版された『戦争報道の内幕』(時事...
  • 天皇と東大:目次
    ...・加藤弘之の変節 第四章 『国体新論』と「天皇機関説」 第五章 慶応は東大より偉かった 第六章 早大の自立精神、東大の点数主義 第七章 元落第生・北里柴三郎博士の抵抗 第八章 「不敬事件」内村鑑三を脅した一高生 第九章 東大国史科の「児島高徳抹殺諭」 第十章 天皇「神格化」への道 第十一章 日露開戦を煽った七博士 第十二章 戸水寛人教授の「日露戦争継続論」 第十三章 戸水事件と美濃部達吉 第十四章 元白虎隊総長・山川健次郎の奔走 第十五章 山川健次邸と超能カ者・千里眼事件 第十六章 沢柳・京大総長の七教授クビ切り事件 第十七章 東大経済は一橋にかなわない 第十八章 大逆事件と森戸辰男 第十九章 大正デモクラシーの旗手・吉野作造 第二十章 "右翼イデオローグ”上杉慎吉教授と大物元老 第二十一章 元老・山県有朋の学者亡国論 第二...
  • シナ大陸の真相
    ...ンと国民党の同盟 第四章 日本、赤色帝国主義に直面す 第五章 日本は侵略国か、それとも権利を侵された国か 第六章 日本は侵略国か、それとも権利を侵された国か(続) 第七章 いかにして戦闘は始まったか 第八章 上海、その問題点 第九章 ジュネーブ・ブリュツセル会議を拒否した日本の立場 第十章 日本の自衛権 第十一章 もし日本が勝てば? 第十二章 中傷誹謗運動 資料 斉藤博(駐米大使)講演録 「満洲国の将来の展望」 「満洲国の最近の発展」 「日米友好の実質的な基盤」 「日本と世界の平和」 「日本の最も大切な目的」 「日本の国際貿易」 「発達中の平和精神」 「最近数十年の日本の発展」 訳者あとがき
  • 司馬遼太郎:「昭和」という国家
    ...ロバン勘定 第四章 近代国家と"圧搾空気" ……教育勅語 第五章 明治政府のつらさ……軍人勅諭(未作成)* 第六章 ひとり歩きすることば……軍隊用語(未作成)* 第七章 技術崇拝社会を曲げたもの(未作成)* 第八章 秀才信仰と骨董兵器 第九章 買い続けた西欧近代 第十章 青写真に落ちた影 第十一章 江戸日本の多様さ 第十二章 自己解剖の勇気(未作成)* 付論一 日本語について 付論二 兵器のリアリズム(未作成) 感想 「雑談「昭和」への道」のことなど……田中彰 司馬遼太郎・「雑談「昭和」への道」制作余話 あとがきにかえて……栗田博行 昭和史庫
  • 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない
    ...・副会長) 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年  満州事変の終結からニ年経った一九三五=昭和十年七月、モスクワで開催のコミンテルン第七回大会は、「反ファシズム統一戦線・人民戦線路線」を採択した(公安庁『国際共産主義の沿革と現状』、カワカミ五九―六〇頁)。それは、「ソ連が資本主義列国を単独で打倒すことは到底不可能である。目下の急務は、アジア正面...
  • 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(2)
    http //www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j4-3_4.pdf 『防衛研究所紀要』第4巻第3号(2002 年2月)100 ~ 119 頁。 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(2) 庄 司 潤一郎 →http //www.nids.go.jp/profile/senshi/02-syouji.html 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1) 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(2)5 日本人の歴史認識の特徴-複雑な意識の背景- おわりに 5 日本人の歴史認識の特徴-複雑な意識の背景-  日本人の太平洋戦争に関する歴史認識において、ドイツ人と比較した場合、被害者意識に比べ加害者意識が稀薄であるとしばしば指摘されるところであり、その点のみを批判するのは...
  • 【WEB論考紹介】ヒロシマからフクシマヘ ―戦後放射線影響調査の光と影
    ...放されず ●第四章 日米軍事医学交流 「特殊研究」関係者の原爆調査 千数百人の原爆調査 ●第五章 放射線医学への「脚光」の下で 予研・ABCC体制 大学教授、政府組織の委員へ ●第六章 原子力時代の「受忍」 原子力とともに 「受忍」論の追認 ●エピローグ ★堀田伸永さんの公式サイトはこちらです。 http //kyumei.me/ 放射能汚染とデマ汚染に抗す
  • 新安保防衛懇報告(本文)
    ...節  社会的基盤 第四章  安全保障戦略を支える基盤の整備  第1節  内閣の安全保障・危機管理体制の基盤整備  第2節  国内外の統合的な協力体制の基盤整備  第3節  知的基盤の充実・強化 (付録) Summary 新防衛大綱考 | 【講演資料6】新安保防衛懇報告 2010年8月
  • 従軍慰安婦問題FAQ
    ...敗戦後どうなったか 第四章 従軍慰安婦の今日的問題は何か あとがき 【参考時系列】 「高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か」 図書館でみつけました。 千田夏光(せんだ かこう)さんが書いた、 「高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か」汐文社1992年5月です。ページ数77ページのブックレットです。 16年前のものですから、その後の研究から訂正すべきものがあるかもしれません。  このブックレットは1992年2月、東京の某都立高校2年在学中の女子生徒と広島県下の某県立女子商業高校生徒の従軍慰安婦についての質問に答えたものである。初対面の少女であった。記述は彼女らの質問順序に従った。 出版されて15年経ちましたが、批判(例えば)を含めてその後の研究成果を反映すれば、立派な新FAQが出来るかもしれません。諸賢には各項目のコメント欄に"留意点...
  • 『鉄の暴風』取材ノートを中心に
    ...「牛島・長の最期」、第四章の「女学生従軍」「南風原陸軍病院」「泥屍の道」、第五章の「第三外科の最後」「運命甘受」「女学生の手記」(これは女学生の手記に手を加えただけ)、「草むす屍」「平和への希求(姫百合之塔由来記)」、第六章の「武士道よさらば」、付録の「戦闘経過概要」で、その他大部分は、ほとんど牧港氏の執筆である。初版四三八ぺージのうち、だいたい七四ぺージが板良敷氏の手記、二三〇ぺージが牧港氏、一三四ぺージが私の執筆部分という割合である。 『鉄の暴風』の中の「集団自決」と題した渡嘉敷島戦記の部分が、曽野綾子氏の『ある神話の背景』で、「赤松神話」の原典とされて一つの問題を投げかけている。 曽野氏の『ある神話の背景』は、多くの関係者の証言を集めている点では圧巻で、渡嘉敷島の戦闘に関する貴重な記録といえる。 164 曽野氏は、ほかに渡嘉敷島の集団自決を扱った『切り...
  • 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案
    ...略ではない 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない 第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 第五章 偽装歴史観に裏付けられた平和憲法=「GHQ占領憲法」 第一節 「明治憲法」の本質――模範的な立憲君主制憲法 第二節 「GHQ占領憲法」の本質――日本弱体化の謀略法規 むすび 現下の課題 「軍人さんは嘘をつく」庫
  • 知念朝睦『副官の証言』
    沖縄県史第10巻(1974年)より 知念朝睦『副官の証言』 元海上挺進第三戦隊副官   元陸軍少尉 知念 朝睦 知念朝睦『副官の証言』渡嘉敷島へ はじめての敵 海上挺進隊○レ 自沈した○レ 集団自決のこと 軍隊と村民との間 伊江島の女性を処刑する 朝鮮人について 大城訓導の処刑 山を下りる 渡嘉敷島へ  私は昭和十八年召集をうけて、鹿児島第四連隊に入隊しました。その後幹部候補生に合格して見習士官となり、昭和十九年七月、当時編成して間もない、水上特攻隊(マルレ)の搭乗員として、四国に居た赤松隊に配属されました。  約一か月、厳しい訓練ののち宇品港を出て、門司、天草、鹿児島と点々として、南方に向ったのは九月も中葉すぎていました。  九月末に、着いた所は、南洋ではなく沖縄でした。船はそのまま私の郷里の首里を向いにして、渡嘉敷に入りました。  赤松...
  • 新安保防衛懇報告(付録)
    第四章  安全保障戦略を支える基盤の整備 目次 Summary 新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想 ―「平和創造国家」を目指して― 新安保防衛懇報告(付録) 新安保防衛懇報告(付録)略語表 新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会の開催について1.設置の趣旨 2.構成 3.その他 (別紙)新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会の構成員 「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」開催実績 略語表 A ACSA  Acquisition and Cross-Servicing Agreement 物品役務相互提供協定 ADMM  ASEAN Defence Ministers Meeting ASEAN国防大臣会合 APEC  Asia-Pacific Economic Cooperation アジア太平洋経済協力 ARF ...
  • 金光翔「<佐藤優現象>批判」4/4
    論文・エッセイ http //gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html 金光翔「<佐藤優現象>批判」4/4 註 (『インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載) 金光翔(キム・ガンサン)一九七六年生まれ。会社員。韓国国籍の在日朝鮮人三世。gskim2000@gmail.com 目次 金光翔「<佐藤優現象>批判」1/41.はじめに 2.佐藤優の右派メディアでの主張(1)歴史認識について (2)対北朝鮮外交について (3)朝鮮総連への政治弾圧について 3.佐藤優による主張の使い分け 4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム 金光翔「<佐藤優現象>批判」2/45.なぜ護憲派ジャーナリズムは佐藤を重用するのか?(1)ナショナリズム論 (2)ポピュリズム論 (3) 格差社会論 (4)「硬直した左右の二...
  • 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1>
    [日中歴史共同研究]] 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第二章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1> 川島真: 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次  対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1>1.朝鮮半島をめぐる対立と日清戦争■朝鮮半島をめぐる日中対立 ■日清戦争の勃発から講和へ ■日清戦争の位置づけをめぐる日中の議論 2.義和団事変と中国をめぐる国際政治の変容■日清戦争後の中国をめぐる国際政治 ■戊戌変法と日本 ■義和団事件と北京議定書(辛丑和約) 3.「近代」をめぐる日...
  • 新安保防衛懇報告(要約)
    ...3節  社会的基盤 第四章  安全保障戦略を支える基盤の整備第1節  内閣の安全保障・危機管理体制の基盤整備 第2節  国内外の統合的な協力体制の基盤整備 第3節  知的基盤の充実・強化 本報告書において、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」は、日本がその平和と安全を守り、繁栄を維持するという基本目標を実現しつつ、地域と世界の平和と安全に貢献する国であることを目指すべきであること、別言すれば、日本が受動的な平和国家から能動的な「平和創造国家」へと成長することを提唱する。 第一章  安全保障戦略 第1節  目標 安全保障上の目標は、日本の安全と繁栄、日本周辺地域と世界の安定と繁栄、自由で開かれた国際システムの維持である。日本の安全と繁栄のためには、日本の経済力の維持・発展、経済活動、移動の自由などの保障が必要とされる。ここには日本国外に居住、滞在する日本人...
  • 第三章  防衛力を支える基盤の整備
    第二章  防衛力のあり方 目次 第四章  安全保障戦略を支える基盤の整備 新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想 ―「平和創造国家」を目指して― 第三章  防衛力を支える基盤の整備 第三章  防衛力を支える基盤の整備第1節  人的基盤 第2節 物的基盤[1]防衛産業・技術戦略の確立 [2]国際共同開発・共同生産の活用 [3]装備品取得改革の推進 第3節  社会的基盤[1]国民の支持拡大 [2]防衛施設所在地域との協力 本章は、日本の目指すべき防衛力を支えるために、どのような基盤整備をすべきかについて述べる。安全保障と防衛は国家行政の根本に位置付けられるべき分野であり、それに充当されるべき資源は、国際情勢の判断の下、最も高度な政治決断により、適切な規模を確保すべきである。一方、日本をとりまく少子高齢化等の趨勢からすれば、防衛予算が大きく伸びるとの想...
  • 四、第32軍の戦力増強策
    戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦 第7章 第32軍の作戦準備と航空基地問題 四、第32軍の戦力増強策 四、第32軍の戦力増強策海上挺進基地大隊の改編 第二十四師団の改編 防衛召集と兵器の増加装備 特設旅団(聯隊)の編成 海上挺進基地大隊の改編 第三十二軍司令官は戦カ増強のため、二十年二月十二日(筆者推定)球作命甲第一〇二号をもって「海上挺進戦隊同基地大隊仮編成規定」による部隊の改編を命じた。編成第一日を二月十三日とし編成完結は二月十七日とされた(199)。宮古島では改編されなかった。 その趣旨とするところは、海上挺進基地大隊(以下基地大隊と略称 編制--付録参照)を改編して歩兵大隊に準ずる部隊とすることであった。 海上挺進基地大隊中から海上挺進戦隊の作戦に絶対必要とする一部の勤務隊及び整備隊を海上挺進戦隊長の指揮下に入れ、残余兵カを歩兵大隊に準じて独立大隊を編成...
  • 一 南京大虐殺を世界に知らせた人々
    世界に知られていた南京大虐殺 一 南京大虐殺を世界に知らせた人々 南京大虐殺が「虚構」であった、あるいは「まぼろし」であったと主張する論者が共通してあげる口実に、南京大虐殺は、勝者が敗者を一方的に裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)でデッチあげられたもので、その証拠に、それまで日本人は南京大虐殺のことを知らなかった、ということがあります。  たとえば、評論家.村上兵衛氏は「極東軍事裁判において、いわゆる『南京大虐殺』が日本人を驚倒させたことは、ひじょうなものであった。戦争の終結まで、日本人はそのような『事件』を知らなかった。それも当然のことで、当時、南京にいた内外の新聞記者、カメラマンも誰ひとりそのような事件を見てもいないし、聞いてもいない」といっています(田中正明『南京大虐殺の虚構』日本教文社の表紙の推薦文)。そして、鈴木明氏は「まぽろし説」の由来となった『「南京大虐殺」のま...
  • 原子力災害対策特別措置法
    ...害対策本部の設置等 第四章 緊急事態応急対策の実施等 第五章 原子力災害事後対策 第六章 雑則 第一章 総則 (目的) 第一条  この法律は、原子力災害の特殊性にかんがみ、原子力災害の予防に関する原子力事業者の義務等、原子力緊急事態宣言の発出及び原子力災害対策本部の設置等並びに緊急事態応急対策の実施その他原子力災害に関する事項について特別の措置を定めることにより、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律 (昭和三十二年法律第百六十六号。以下「規制法」という。)、災害対策基本法 (昭和三十六年法律第二百二十三号)その他原子力災害の防止に関する法律と相まって、原子力災害に対する対策の強化を図り、もって原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護することを目的とする。 (定義) 第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定め...
  • 近代日中関係の発端 北岡伸一<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第一章 第1章 近代日中関係のはじまり 近代日中関係の発端 北岡 伸一<その1> 北岡 伸一:東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授 【座長】 http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 近代日中関係の発端 北岡 伸一<その1>はじめに 第一節 西洋の衝撃と開国:日本と中国1.近代西洋国際秩序と東アジア国際秩序 2.中国の開国 3.日本の開国 第二節 明治維新と脱亜入欧1.幕府の崩壊と新政府の成立 2.新政府の開国 近代日中関係の発端 北岡伸一<その2>第三節 日清修好条規の成立 第四節 台湾出兵と琉球問題1.琉球帰属問題 第五節 朝鮮問題の発端 3...
  • 島民を艦砲射撃から救った仲村渠明勇さん一家が、敗戦後斬殺された証言
    2 島民を艦砲射撃から救った仲村渠明勇さん一家が、敗戦後惨殺された証言 具志川村字西銘出身の仲村渠(なかんだかり)明勇さんは当時二十五歳、陸軍上等兵で現役を除隊していたが、防衛召集で海軍小禄飛行場守備隊に配属された。六月初め捕虜になって収容所へ入れられたものの、米軍の久米島攻略に際して"道案内"として同行し、住民に無抵抗を呼びかけていて、日本軍に襲われて妻子ともども斬殺されたのである。 六月二十六日に久米島へ上陸した彼は、妻のシゲさん(当時二十六歳)と、一歳になったばかりの長男明広ちゃんに再会し、隠れ家を転々としながら、米軍は一般住民には危害を加えないことを知らせていた。しかし日本軍が彼の動きをつかんで、スパイにまどわされるなと触れを出しているため、村の人びとは近づけず、八十五歳の老父もまた、ずっとはなれたところにいた。 明勇さんは、七男二女の末っ子...
  • 第四章  安全保障戦略を支える基盤の整備
    ...を目指して― 第四章  安全保障戦略を支える基盤の整備 第四章  安全保障戦略を支える基盤の整備第1節  内閣の安全保障・危機管理体制の基盤整備[1]内閣の安全保障機構の強化 [2]情報機能の強化 [3]安全保障戦略策定方式の改善 第2節 国内外の統合的な協力体制の基盤整備[1]オール・ジャパン体制の構築 [2]日米の共同運用の実効性向上 [3]国際平和協力実施の枠組みの見直し 第3節 知的基盤の充実・強化[1]安全保障コミュニティの充実 [2]対外発信能力の強化 本章は、第一章で提起した日本のとるべき安全保障戦略をより効果的なものとし、また、防衛力を安全保障の手段として適切に活用するために必要な、様々な制度や体制などの基盤をどのように整備すべきかについて述べる。日本の制度はいまだ受動的な性質を残しており、使いにくい制度については早急な改善が必要である。 第1...
  • 証言の意味するもの・・・谷川健一
    中公新書256 名嘉正八郎・谷川健一編 沖縄の証言(上) 庶民が語る戦争体験 中央公論社刊 昭和46年7月25日初版 昭和57年2月1日5版 長い文章なので、章立てと小見出しを転載時に付加しました(以下※印)。そのキャプション語彙も私の責任です。この民俗学者である谷川健一氏の解説は、大書「沖縄県史」を紐解くガイドとして極めて有効だと思われるので転載しました。なぜなら、200ページ余りの新書版には収めきれない証言・戦史を反映しようと、熱を込めて書かれた一文だからです。 by pippo 証言の意味するもの(解説)前半・・・谷川健一(一 沈黙という岩盤)※ (二 沖縄の戦況)※(サイパンから沖縄へ)※ (防衛隊と現地徴兵)※ (離島の悲劇)※ (本島北谷上陸)※ (北部戦線、伊江島民の犠牲)※ (本島、首里攻防と夥しい犠牲)※ (南部島尻、住民の犠牲)※ ...
  • ジョージ・A・フィッチ『中国での八十年』より
    フィッチの南京事件についての講演旅行 (ジョージ・A・フィッチ『中国での八十年』より) フィッチの南京事件についての講演旅行悲運の南京一九三七 ― 一九三八年(第一〇章)p10-01 p10-02 p10-03 p10-04 p10-05 p10-06 p10-07 p10-08 p10-09 p10-10 p10-11 p10-12 p10-13 p10-14 p10-15 p10-16 ワシントンへニュースを運ぶ 一九三八年 (第一一章)p11-01 p11-02 p11-03 p11-04 p11-05 p11-06 p11-07 p11-08 p11-09 p11-10 p11-11 p11-12 (日本外務省記録) 悲運の南京一九三七 ― 一九三八年(第一〇章) p10-01  アメリカ・イギリス・ドイツの領事館員が戻ってきた。しかし、彼らは日本軍に侮蔑的...
  • つくる会ニュースより
    文科省は教科書訂正申請を直ちに却下せよ!沖縄戦「集団自決」検定問題で4度目の緊急集会 決  議 「政治介入に反対する会」代表団 文部科学省・布村審議官に申し入れ! つくる会東京・三多摩両支部が「文科省を叱咤激励する集会」第2弾を開催 この日のことらしい 文科省、「軍の強制」を事実上容認!「沖縄戦集団自決」日本史教科書検定問題で「つくる会」が抗議声明 「沖縄集団自決」の教科書検定結果に関する抗議声明 文科省は教科書訂正申請を直ちに却下せよ! 沖縄戦「集団自決」検定問題で4度目の緊急集会 文科省、来週半ばにも最終結論を発表か http //www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_071221.htm 第220号 平成19年 12月21日(金)  「教科書検定への政治介入に反対する会」は、12月20日午後1時より...
  • 出版后记
       出 版 后 记 1996年12月,我们获悉有关《拉贝日记》的信息后,即想方设法与德国有关方面联系中文版权事宜。在中共江苏省委、江苏省人民政府负责同志的关心下,在我国驻德使馆柏林办事处和前驻德大使王殊等同志的帮助下,终于在1997年4月初独家获得了中文版版权。 嗣后,我们组织南京大学、东南大学的7位德文教师,以忠实于原稿、对原文不作任何删改为基本通则,夙兴夜寐,进行认真而细致的翻译、校订工作,并邀请侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆有关专家对全部译稿进行审阅,力求准确反映《拉贝日记》的原貌,为世人研究侵华日军南京大屠杀暴行和拉贝其人提供真实可信的史料。 日记在大量揭露侵华日军南京大屠杀罪行的同时,少数地方的记载和引述的资料,不能全面反映侵华日军南京大屠杀的史实。这是由于当年日军对大屠杀现场严加封锁,拉贝主要活动范围囿于安...
  • 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第二章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2> 川島真: 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次  対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1> 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2>4.日露戦争と満洲問題■日露戦争と日中関係 ■日露戦争の勃発と中国の中立 ■ポーツマス条約の締結と「日露戦争の世界史的意義」 ■「満洲」問題の発生 5.日露戦後の日中関係と辛亥革命■中国利権をめぐる協商関係の形成 ■立憲君主制の試みと日...
  • 宮城晴美氏陳述書2007年6月27日
    宮城晴美氏陳述書2007年6月27日 http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/chinzyutu1.html 宮城晴美氏陳述書2007年6月27日1 経歴 2 座間味村の「集団自決」に関する調査・執筆について(1) 1970年(昭和45年)国際大学在学中、 (2) 安仁屋政昭先生からの声がけで、 (3) 1985年(昭和60年)~87年(昭和62年)にかけて、『座間味村史』 (4) 1997年(平成9年)から2000年10月頃まで、本の執筆のため、 (5) その後も折に触れて「集団自決」が行われた当時、座間味島にいた人々から 3 甲B5『母の遺したもの』(2000年12月)について(1) 私がこの本(「本書」といいます)を出版したいきさつは、 (2) 部隊長命令についての手記の書き改めについて (3) 第3次家永教科書訴訟と母 (4) 助役の指...
  • 永山英樹氏の"つっこみ"は的を射ているか(上)
    【資料】永山英樹氏の"つっこみ"は的を射ているか(上) 永山英樹氏の つっこみ は的を射ているか(下) 岡田充さんの論文に、永山英樹氏の"つっこみ"を挿入しました。 岡田充さんの論文: 海峡両岸論 第4号 2009.5.10発行 by 岡田 充 NHK叩きは馬批判の代償行為 「親日幻想」捨てない人たち http //www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_04.html 永山英樹氏の"つっこみ": 台湾は日本の生命線! 「NHK叩き」批判の元共同通信台北支局長を批判する(上)―我々の「志」はもう少し高い 2009/07/18/Sat http //mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-823.html 海峡...
  • 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1)
    http //www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j4-3_4.pdf 『防衛研究所紀要』第4巻第3号(2002 年2月)100 ~ 119 頁。 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1) 庄 司 潤一郎 →http //www.nids.go.jp/profile/senshi/02-syouji.html 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1)はじめに 1 戦後日本における歴史認識の変遷-学界、言論界を中心として- 2 「太平洋戦争」の呼称をめぐる諸問題1)「太平洋戦争」 2)「大東亜戦争」 3)「第二次世界大戦」 4)「15 年戦争」 5)「アジア・太平洋戦争」 6)「今次の大戦」、「先の大戦」、「過ぐる大戦」、「あの不幸な戦争」など 7)その他 3 歴史認識における論点 4 ...
  • 近代日中関係の発端 北岡伸一<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第一章 第1章 近代日中関係のはじまり 近代日中関係の発端 北岡 伸一<その2> 北岡 伸一:東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授 【座長】 http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 目次 近代日中関係の発端 北岡伸一<その1> 近代日中関係の発端 北岡 伸一<その2>第三節 日清修好条規の成立 第四節 台湾出兵と琉球問題1.琉球帰属問題 第五節 朝鮮問題の発端 33江華島事件と日朝修好条規 壬午事変 甲申事変 おわりに 第三節 日清修好条規の成立 ところで、開国した清国に対し、日本も貿易と国交を望んだ。幕府が1862 年、千歳丸を上海に派遣して貿易...
  • 二 ジョージ・フィッチのアメリカ講演旅行
    世界に知られていた南京大虐殺 ニ ジョージ・フィッチのアメリカ講演旅行 さきの四つのグループのうち、南京事件の全経過を南京城内にいて目撃・見聞し、記録できたのは第一の伝道団グループプでした。そして世界に広く日本軍の蛮行を告発しようとしたのも彼らでした。第四グループのドイツ人も含む南京安全区国際委員会のメンバーは、南京を占領した日本軍の残虐行為の渦中にあって、中国人の犠牲を最小限に押し止めようと懸命な活動をしました。その主要な手段が、南京の日本大使館に日本軍の強姦・殺害・暴行・喀奪等の行為を事実に基づいて文書と口頭で告発.抗議し、憲兵や軍上級機関をとおして禁止させるよう要請することでした。しかし、残念ながら、日本大使館員は軍隊に対して力がなく、いくら抗議してもなかなか効果はありませんでした。 121 彼らは南京アメリカ大使館をとおしてアメリカの国務省にも告発文書を送り、アメリカ...
  • ラーベの報告書(1)
    季刊戦争責任研究 第16号(1997年夏季号) p38~54 南京事件・ラーベ報告書 片岡哲史訳(かたおか・てつし/駿河台大学教授) 《小見出し》は原文にはなく採録にあたって付けたものです。 南京事件・ラーベ報告書解説 報告書《なぜ南京に留まったか》 《北戴河から南京に戻る》 《空襲下の南京》 《難民区設置と南京安全区国際委員会委員長就任》 《日記:南京陥落まで》一二月九日 一二月一〇日から一一日まで 一二月一二日 午後六時半 《日本軍による略奪、放火、虐殺、婦女暴行》 《南京での活動と住民被害の総括》 《難民区の解消と帰国》 南京事件・ラーベ報告書 解説 ジョン・ラーベ(John Rabe)は一八八二年生まれのハンブルクの商人で、一九〇六年に中国に渡り、一九三一年からドイツの電機工業コンツェルン、ジーメンス社の駐在員となった。日中戦争が全面化し、当時の中...
  • 原告準備書面(9)全文2007年07月25日
    原告準備書面(9)全文2007年07月25日 http //blog.zaq.ne.jp/osjes/article/34/ 第10回口頭弁論・第1回証人尋問 原告準備書面(9) 平成19年7月25日 第1 照屋昇雄証言について 1 被告主張 被告は、被告準備書面(11)で照屋昇雄(元琉球政府援護課職員)証言が信用できないと主張する。 被告はその根拠を、照屋が琉球政府に採用され中部社会福祉事務所の社会福祉主事として勤務したのが1955年(昭和30年)12月であり、1956年(昭和31年)10月1日には照屋が南部社会福祉事務所に配置変えとなり、さらに1958年(昭和33年)2月15日に社会局福祉課に配置換になっていることをあげ、照屋が、社会局の援護局に在籍していたのは1958年(昭和33年)10月のことであるという。 そして当時、照屋は同局の庶務課...
  • 三 アメリカ国民の反応
    世界に知られていた南京大虐殺 三 アメリカ国民の反応 いままでお話したことからも明らかなように、アメリカ国民は南京事件が発生した当時から、その事実を知っていました。その一番早い報道は、『シカゴ・デイリー・ニューズ』のスティール記者の 131 スクープで、同紙の一九三七年一二月一五日付に一面トップの大見出しで、"NANKING MASSACRE STORY" と報じられました(記事原文ならびに訳文は、拙稿「教材紹介・最初の南京大虐殺報道」『歴史地理教育』第四〇九号、に掲載)。それ以後、『ニューヨーク・タイムズ』のダーディン記者が、一九三八年一月九日付で「中国軍司令部の逃走した陥落後の南京で日本軍の大虐殺」と題する詳細な全面記事で報道したのをはじめ、この両紙は系統的に南京事件関係の記事を報道します。さらにその他の多くの新聞・雑誌がまた南京事件を報じます(これら多...
  • 参考文献(高崎論文)
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf 参考文献 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)参考文献日本語(アイウエオ順) 朝鮮語文献(カナダラ順) 付 記 日本語(アイウエオ順) 朝日新聞社編『女たちの太平洋戦争②──日本軍を見た内外の瞳』(朝日文庫版)朝日新聞社、1997年。 池田英箭「三菱青年学校の思い出」、東南海地震・旧三菱名航道徳工場犠牲者調査追悼実行委員会編・発行『悲しみを繰り返さぬようここに真実を刻む──東南海地震・旧三菱名航道徳工場の記録』1988年。 池田正枝「強制連行と戦後の責任」『解放教育』1991年12月号。 石川準吉編a『国家総動員史 資料編』第1巻、国家総動員史刊行会、1975年。 石...
  • 沖縄新報:昭和19(1944)年12月8日第2面
    沖縄新報:昭和19(1944)年12月8日第2面 昭和19年(1944年)12月8日大詔奉戴日の沖縄新報第2面の中心記事は<現地軍参謀長談>、すなわち、第32軍参謀長・長勇陸軍少将(当時)の公式談話です。 http //www.okinawatimes.co.jp/sengo60/senji/1944120802.pdf 私がこの紙面をまず解読する必要を痛感したのは、この紙面を歪曲して紹介したブログを発見したからです。 狼魔人日記「大本営の密使 沖縄戦秘話3」 私も問題点をコメントとして指摘しました。コメント欄でのディスカッションを読めば、問題点が理解できると思います。 ※ なお、上記ブログ主さんは議論の続行を望んでいらっしゃらないようなので、具体的建設的な御意見がある方は、当ブログの掲示板にて、書き込みをお願いします。 叡慮に応え奉らん 一人十...
  • 檜山幸夫『台湾総督府文書の史料論』抜粋
    http //www.chukyo-u.ac.jp/reserch/irss/taiwan/035e.htm 檜山幸夫 『台湾総督府文書の史料論』 抜粋 檜山幸夫 『台湾総督府文書の史料論』 抜粋一.台湾総督府文書の史料的価値 二.台湾総督府文書の所在 三.台湾総督府文書の概要 註 一.台湾総督府文書の史料的価値  台湾総督府文書は、日本の外地統治機関たる台湾総督府の行政文書で、日本植民地研究にとって最も重要な基礎的史料であるとともに、日本近代文書学にとっても貴重な公文書史料でもある。 台湾総督府文書は、次の四つの視点から史料学的な位置づけをすることができる。 第一は、該文書が外地支配を組み入れた立憲制国家としての大日本帝国の国家構造と統治構造(1)を解明する基礎的史料であること、第二は、外地の歴史を含めて日本近代史が成立していたことから、その統治史料たる該...
  • 1931年9月18日当日及其後 その1
    第四章 1931年9月18日当日及其後に於ける満州に於いて発生せる事件の概要 事件突発直前の事態  前章において満州に於ける日支両国利益の関係漸次緊張し来れるを述べ之が両国軍部の態度に及ぼす影響を述べ置きたり。既に相当期間或種の内部的、経済的及政治的要因が日本国民の満州に於て再び「積極政策」に出づるに備えつつありしことは疑いなきところなり。軍部の不満、政府の財政策、全て政党に対して不満の意を表明し、西洋文明の妥協的方法を蔑視して古代日本の道徳に依存することを主張し又財界及政界の利己的方法をも非とする軍部、農村落及国家主義的青年の間より醸成せられたる新政治勢力の出現、物価下落が主要生産者をして其の境遇を緩和せんが為に冒険的外交政策に望みを嘱するの傾あらしむるに至れること、事業界の不況が工業及商業界をして一層強硬なる外交政策により取引改善すべしと信ぜしむるに至れること、之等の事情は何れも...
  • 住民のスパイ視
    沖縄戦と民衆(目次) I 沖縄戦への道  3 緊迫化する軍民関係 p92 住民のスパイ視 p93 沖縄にスパイが潜り込んでいるから警戒せよという注意はくりかえしなされていた。白人や黒人のアメリカ人が沖縄にいれば、それだけで目立ってしまうので、それはアメリカ人のスパイが潜り込むというよりも、住民のなかにスパイがいるというものであり、住民を相互に監視させようとするものだった。 村の警防団はそのスパイ探しの役割を与えられた。高嶺(たかみね)村国吉(くによし)の警防団副団長をしていた大湾朝次郎さんの証言によると、一九四四年九月ごろから「スパイ、スパイと喧しかった」。「知らない人、初めて見る人が、道を歩きながら紙切れと鉛筆で字を書いているものはすべて、スパイ疑いで捕らえろという命令でした。それから十九年の十一月頃から、こういうものをあなた方が処理できない場合は、軍に届け...
  • 虐殺は嘘19に対して
    虐殺は嘘19誰も知らなかった虐殺5毛沢東 2006/ 7/19 0 47 [ No.11126 / 12177 ] 2006/ 7/20 1 46 [ No.11141 / 12177 ] 投稿者 deliciousicecoffee http //messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW action=m board=1143582 tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13 sid=1143582 mid=11141 1938年1月、毛沢東が週刊誌『群衆』で、 「・・・9・18に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世のともに知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未嘗有の血なまぐさい残虐な獣行記録を...
  • 二、沖縄本島の再配備変更
    戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦 第7章 第32軍の作戦準備と航空基地問題 二、沖縄本島の再配備変更 二、沖縄本島の再配備変更配備変更の経緯 配備変更と築城 配備変更の経緯 第九師団の抽出に伴って十九年十一 月末から十二月上旬にかけて沖縄本島配備の大変更が実 施されたことは既述のとおりである。 配備変更後、第三十二軍高級参謀八原大佐は、つぶさ に各部隊の陣地配備を視察し、主陣地帯の正面と兵力の 関係を検討して正面過広と感じた。少なくとも歩兵一大 隊の占領正面を二粁程度に緊縮しなけれぱならないとの 結論に達し、一月中旬ころから配備変更の研究を始め (10) た。 独立混成第四十四旅団を島袋付近に配置した第三十二 軍の真意は前述のように中央に対する申し訳けの意味が あったが、戦術上の要求は偽装や虚飾を許さないとの結 論に達し、軍は混成旅団を主陣地内に後退...
  • 第3節  戦略と手段
    ...ある。これについては第四章で詳述する。 ※4  パブリック外交とは、政府対政府で行われる伝統的な外交とは異なり、働きかけの対象が相手国の一般国民である場合の外交を指す。世論や国民感情が外交関係に及ぼす影響が増大していることから、近年重視される傾向にある。 [2]防衛力整備 日本の安全保障目標の実現のため、日本独自で行うべき取り組みとして重要なのは、日本自身の防衛力を整備し、抑止力を発揮することである。米国の抑止力に一定程度依存していることは、日本の通常戦力による防衛努力を減じてもよいということを意味しない。それどころか、核兵器の役割を縮小させようとしている米国の核戦略の動向も踏まえれば、通常戦力の分野における日本独自の取り組みは重要性を増している。 防衛力のあり方の詳細については第二章において検討するが、概括的に言えば、冷戦終結後、各国の軍事力における非戦闘...
  • @wiki全体から「第四章 招魂社から靖国神社へ、そして大鳥居」で調べる

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