chapter0.果てしなく澄んだ青い穹
宇宙歴752年 夏 名も無き漁村
波止場の繋船柱に鴎が留まる。
船は波の鼓動に合わせ、規則性なく鳴動する。
辺りには磯の香りがどことなく漂い、道行く人は、どこか船乗りの雰囲気を纏わせていた
海に視線を送れば、軽く湾曲した水平線が、星の丸さを小さく誇示している。
海の反対側は、連なる家々の先に小さい山が遥か遠くのように微かに頭を見せていた。
小さな島にある小さな漁村。そんな言葉が浮かぶような名も無き村だった。
水平線の先の世界には夥しい数の大陸があるが、そんな大陸は、ここからはどこか遠い、異国よりももっと離れた何かに思える程、この島は平和だった。
そして、砂浜で一人、海を眺めていると、なんだか自分が酷く小さく思えてくる。
特に、隣に座る幼なじみも口論した後なら尚更だ。
時折聞こえてくる鴎の鳴き声も、気まずさを煽る一つの事象に成り下がる。
かといって、二人ともいつまでもそっぽを向いている訳にはいかない。
話しかけないといつまでもこの空気が終わらないことは相手も気付いてるのだろうが、それでも頑なな態度に思わず笑みが零れそうになる。
しかしそれでも話しかけるのは辛い。
貧乏くじだなあ、とため息が漏れそうになるが、この空気では、それすらも即発の元だろう。
それでも、早々と終わらせたいので、口を開く。
「……ねえ、レナ」
「何よ、バカでマヌケなフェイ」
酷い言われようだが、口論の内容的に、どうして自分が馬鹿なのかわからない。
「やっぱり筏で世界一周は無理だと思うよ」
聞いた途端にレナが再び怒り出して振り向く。
これでどうして自分が悪いと言われるのだろうか。
その発言が再び口論の種火になっているということは、フェイは気がついていない。
「はあ…」
ため息しか出ない。
何せ、隣には、
「なんでため息なんかつくのよっ」
と言って怒る幼なじみがいるのだから。
もう怒りの矛先がどこに向いているのかフェイには見当がつかない。
きっと全知全能の神でさえ苦戦するだろう。
彼女がいよいよ暴れ始めたとしたら、フェイでは止めることは出来ない。
せっかく浜辺で潮風が頬を撫でている素晴らしい環境だのに暴走を始めると全てが台無しだ。
早くどうにかしたい心情が実を結んだのか、目の前の空に変化が現れる。
「雲行きが怪しくなってきたな…」
見れば水平線から垂直に入道雲がみるみる大きくなってきていた。
夕立が近い。
入道雲の影響の早さを知っている二人は、理由が出来たとばかりに漸く立ち上がる。
「じゃあね、今日もつまんなかったわ」
レナはそんな憎まれ口を吐いてとっとと背を向け、家路につく。
そして、フェイはそんな相変わらずな様子を思わず許してしまう馬鹿な自分に呆れながら、海に背を向けるのであった。
フェイは帰りながらやりとりを反芻していた。
レナが世間知らずなのはいつものことなのだが、さすがに筏で世界一周は子供でも無理だとわかるはずだ。
何か他に目的があるのだろうか…。
フェイには、船ではなく筏で、それも二人で旅をするメリットなんてないように思える。
何か隠してるのかもしれないが…。
そこまで考えたところで、ぽつぽつと雨が振り始める。
入道雲の雨脚はやはり早い。
フェイは無駄な思考を中断し、家までの道のりを駆けていった。
†
次の日、雨上がりの快晴。
結局昨日の夕立は夜間を通して降る激しい雨になった。
風は窓を鳴らし、雨は地面に打ち付ける。
雷鳴は轟き、嵐と言っても差し支えがない程の規模だった。
フェイが昨日と同じように浜へ行くと、波が少し高く、砂に湿り気がある以外は昨日のそれと寸分の互いもない光景がそこに広がっていた。
もちろん、レナもいる。
昨日の今日なので少し心配していたが、文字通り雨降って地は固まるものらしい。
なぜか妙に機嫌が良かった。
「おっはよ~♪」
という挨拶をノリノリでブイサイン作って、音符を付けるくらいリズミカルに言われたら逆に悪寒が走る。
「うん…おはよう…」
と、返したら次は「声が小さい!」やら「もっとノリノリに!」とか言われてしまう。
どうして一晩隔てるとこんなに豹変するのだろうか。
とりあえず聞いてみることにした。
「えっと…レナ…?」
「ん?なに?」
「昨日、なんか変なものでも食べた?」
叩かれました。
人を叩いておきながら機嫌が全く変わらない気の大きさには心底驚かされる何かを感じる。
「あ、今日も浜じゃあつまんないから磯に行きましょ」
しかもその後すぐにこんなことを言えるのだから凄い。
そしてフェイは断ることなど出来ずに、半ば無理矢理と言った感じで連れて行かされる。
磯は浜を挟んで港の反対側にあり、港からは岩影にあったり、需要がなかったりといろいろな理由が重なり、人は驚く程少ない。
「ん。今日もここは静かで魅力的!」
昨日浜で喚き散らしていたのは誰だったか。とは言わない。
まあ、確かに、西向きに海を臨む岩場は、潮風が心地よく吹き抜け、港のほうから時折小さく聞こえる鴎の鳴き声が程よい湿り気のある沈黙を齎している。
「滑りやすいから気をつけろよ」
実際、雨上がりの岩場程滑りやすい場所はないのだが、本人は生返事をするだけで全くわかっていない。
空元気ではしゃいで岩場に出来た水溜まりを飛び越えて先へ駆ける。
まあいいか。と思ってしまうのがフェイの甘さだろう。
しかしフェイは歩きでレナは駆け足な訳で。
しかもレナのほうが元々走るのが得意な訳で。
そんなこんなでレナとフェイの間にかなりの距離が開く。
全く無理矢理連れてきたのは誰だよ。とは思うが口には出さず、代わりに、
「おーい、一人がいいなら俺は戻るぞー」
と、大きな声を出して言った。
レナは一人で結構先まで行っていたが、声が聞こえたのか結局戻ってくる。
「まったく…」
と言ってる時に、異質なものが視界の端を過る。
歩みを止めて数歩元来たところを戻ってみる。
それが帰るようにでも見えたのか、後ろからは「待ってよー」など聞こえるが、無視して歩く。
そして、岩に少し隠れた波打ち際に、それはあった。
それは人の形をしていて、つまりは人なのでした。
フェイはそれを見た時、不意に幽霊や人魚の類を連想したのだが、足はちゃんとあった。
きっと昨晩の酷い雨で流されてきたのだろう。
「あれ、何か見つけたの?」
後ろから不意に声がかかる。
「うわっ、何この子誰?」
「そんなこと知らないよ。流されてきたんじゃない?」
普通に返事を返したのだが、レナからの返答は、
「…フェイ、あんたデリカシーないよね」
「えっ?」
再び見れば髪はショートカットでうつぶせだが普通に胸はある。
「アホでスケベでマヌケでドアホなフェイ」
「アホって二回言ってるぞ。っていうか何も…」
「うるさいスケベ」
見てない。って言うつもりだったのに途中で邪魔されて本当にスケベみたいになったので尚更頭を抱えたくなる。
レナは自分の着ていた上着をかけてから言った。
「とりあえずあんたの家に運ぶから」
いや、どうして自分の家じゃないんですかねレナさん。
そして家まで運んだのはいいが、いろいろと無理矢理すぎる。
私運べないからフェイが運んでね。
とか言われてもいろいろ大変だった訳で。
男が運ぶのは当たり前なのかもしれないが、デリカシーがないのはどっちだ。って言いたくなったりして。
さらには、上着は洗ってから返して。とか言われたりして散々な訳である。
フェイが一人暮らしなのを良いことに、風呂場を勝手に使われ、レナは今風呂場で流れてきていた彼女を洗っている。
そしてフェイはその間に服を買ってこいとか言われ、強制的に家から追い出された。
自分の家なのに…。
†
全く、図々しい。
レナもそうだが、目覚めた瞬間に腹が減ったと言って家の冷蔵庫にあった食料を全部食べたらしいのだから図々しい。
食べるだけ食べたら人の布団で眠てるし…。
レナは見てるだけだし…。
帰ってくるなりレナにそんなこんなを言われても…。
とりあえずフェイはダメ元でレナに聞いてみることにした。
「で、この子が誰か聞いた?」
「ん、聞いてない」
全く悪びれる風もなく言うものだから呆れる。
「…じゃあ…、次に起きた時に聞こうか…」
「まあ、私も気になるからね」
それならどうしてさっき起きている時に聞かなかったんだよ…。
結局、次に彼女が目覚めたのはその日の太陽が沈んでから4時間は経った、夜中だった。
レナはレナで帰るのかと思ったら今日はここにいるとか言ってくるし…。
彼女が目を覚ました時、フェイはだらしなく船を漕いでいたのだが、
「あ、起きた?」
というレナの大きな声に喚起され意識が現実に覚醒する。
「…ここはどこ…。私は誰…」
え、まさかのパターンですか。
「…って言うと思ったぁ?」
どうやらレナの右斜め上を行く悪い性格らしい。
「うん。思った」
レナはそれに几帳面に返す。
この二人、気が合うのかもしれない。
「ん、冗談はこれくらいにしといてー…。本当にここはどこぉ?」
寝ぼけ眼のとろんとした瞳でそんなことを訊ねてくる。
妙に間延びしたしゃべり方が尚更イラつく。
「ああ、ここは私の隣にいるフェイの家ね。」
口を開きかけた時にレナがしゃべり始めたものだからフェイがなんとも間抜けな感じになってしまう。
そしてそんなことはお構い無しにレナは続ける。
「ところで、あんたは誰?」
ふぅん。と言って辺りを見回していた彼女は、そこで初めて名乗ってなかったことに気がついたかのようにはっとする。
これが演技なら余裕で女優にでもなれるだろう。
「ん、私ぃ?私はメリルだけどぉ」
「へー。んで、どうして流されてきたの?」
レナは名前が本当に気になっていたのだろうか。
「なんでだろー?コアに不都合でも起きたのかなぁ…」
「コアって何?」
こんな時、単刀直入に聞けるレナが少しうらやましかったりする。
「ああ、コアってゆーのはコアクリスタルのことでー。時間の中の危険分子を発見して運ぶ役割のものなのー」
いきなり話が飛躍しました。
イミフです。
さすがのレナも目が点になっている。
いや、てゆーか本当に点だよ。どうやったんだよその目。
「あ、疑ってるぅー」
当たり前だと思う今日この頃。
「うん。じゃあ決めたー。あんた達二人は旅の伴侶ねー」
「「はあ?」」
話の前後がつながってないようにしか思えないフェイだった。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!あんた何なのよいきなり旅の伴侶って!」
こんな時、単刀直入に聞けるレナが以下略。
「何?気に食わないー?でももう無理、私は一度決めたら取り止めないからー」
「丁重にお断りしま…「じゃあ明日までに準備しといてねぇー」」
人の話を聞かないどころか被せてきやがった。
「とりあえず私は絶対行かないからっ」
レナがかなり怒っているんですけど。
後から八つ当たりされるの自分なんですけど。
「あ、でも、家を長期間空けておくことは出来ないんですが」
「ああ、それなら大丈夫。時間を跨いだ旅なんだからぁー、帰って来た時に出発から5分後にここに到着すればいいのー」
ちなみに、この後はレナとメリルの低レベルな言い争いが朝まで続いた。
†
「なにやってんだ。おまえら…」
いつの間にか窓から朝日が差し込む。
フェイがどれだけ眠くてもレナが寝ることを許さなかった。
そして朝が来て入り口から声がかかる。
聞き慣れているが、最近滅法聞かなくなった声。
フェイはゆっくりと入り口へ振り返る。
外からの光の逆光で黄金色した髪しか見えない。
しかしフェイにはそれだけで充分だった。
「ユーク…?」
「おう、久しぶりだな」
島の別の町へ引っ越した、フェイとレナの幼なじみである彼は、逆光に負けない明るさで、そう言ってから不器用に笑った。
「で、何か楽しいことでも見つけたのか?」
「楽しいですって…!」
ユークの発言にレナがいちいちつっかかる。
「ちょうど良かったー。誰かは知らないけどあんたも旅の伴侶ねー」
「ん?いいけど。それよりお前誰だ?」
いいのか。
「メリル」
「なるほど」
ユークが腕を組んでうなずいている。
一体何がわかったのか…。
「お前らも行くんだろ?行くよな?」
ユークとメリルはグルなんじゃないか。と思ってしまう。
「わかった。行くよ」
「えっ」
レナが驚いてフェイのほうを向く。
レナは自分一人だけが仲間外れになることを嫌うことを知っているフェイだ。
フェイは久しぶりに三人で遊びたかったのだ。
不本意かもしれないし、第三者が一人いるが、それでもフェイは三人で一緒に行動出来ることを嬉しく思った。
だからユークがこの漁村に戻って来た理由を聞きそびれたのかもしれない。
それが決定的な間違いになるのはもう少し後の話。
†
「あれぇー?あんまり荷物持って来なかったねー」
待ち合わせ場所の港へ来たフェイはいきなりメリルにそんなことを言われた。
自分が一番最後だったらしい。
レナもユークも苦笑いしているから、きっと同じことをメリルに言われたのだろう。
「じゃ、行くよー」
メリルの隣にはどこから出したのか身の丈程のクリスタルがある。
クリスタルが回転を始める。
四人を包むようにクリスタルから光が溢れ、そして光が四人を完全に覆う。
その光が消えた後には港に偶然いて驚いている人々以外、何も残っていなかった。
フェイが光に包まれる前に見えたのは、故郷のどこまでも果てしなく澄んだ青い穹だった。
最終更新:2013年01月14日 00:40