悪夢に悩まされていた。



最初のうちは起きたらどんな夢かは覚えていなかった。

ただただ、悪夢による虚脱感だけが残った。


しかし、幾日も過ぎるとそれもなくなる。


朝、起きても悪夢の残滓をひたひたと感じるようになっていた。

理由は簡単だ。毎日同じ夢を見るからである。


塵も積もれば山となる。

覚えている小さな夢の欠片は、彼の中で、塵では片付ける事ができなくなってしまっていた。


朝、目が覚めると動悸。

頭の中に、はびこる悪夢の刹那の映像。

忘れたくても忘れられない。

そんなところまで、夢は彼を蝕んでいた。


見始めたのはちょうど2月の1日。


寒さの一番厳しい季節であり、これから温かくなっていく移ろいを楽しもうという季節でもあった。


同じ夢が続くという日々そのものの悪夢。

それもその夢が悪夢であるという二重苦。


彼は、現実と悪夢との逃げられない板挟みに、精神をすり減らせていた。


「よし、今夜もまた見るようなら明日、病院へ向かおう」

気付けば3月も半ば過ぎ。16日になっていた。

単純計算で、彼は1ヶ月半悪夢に悩まされたことになる。


とりあえずを心に決め、彼は今日も眠りの淵へと誘われるままに落ちていくのであった。


いつもと同じ夢だった。


どこか高い、塔のようなところから町を見下ろしている。

近くに双眼鏡が設置されており、ここが展望台なのだとわかる。

100円を入れれば一定時間遠くを眺めることができる。

展望台ならどこにでもある双眼鏡。

よくある展望台の光景。

しかし近づいてはならない。

何度となく見た夢だ。続きはわかる。


近づいたら駄目だ…。


近づいたら駄目だ…。


体に言い聞かせるが足が言うことを聞かない。

それが一つの意志をもった生き物のように、窓枠近くにある双眼鏡へと近づいていく。

近づかないようにしようとしても体はじりじりと近づく。

そして今日も双眼鏡を覗く。

100円は入れていない。

暗転しているはずのその中を覗くのだ。


双眼鏡に手が届く前、ふと見えた遥か下に見える町は、喧騒に包まれ、活気に満ち溢れていたのだった。


双眼鏡の中は地獄絵図。


眼下に広がった町は変わり果てた姿になっていた。


灼熱が町並みを炙り、炎が容赦なく人を飲み込んでいく。

炎の波は、まるでサーフィンができる海のそれのようにうねり、町を、人を、大地を、空を飲み込んでいく。

聞こえる由もない、飲まれる瞬間の人の悲鳴がここまで聞こえる。

耳をふさぎたいのに手は双眼鏡に添えられ、石になったかのように動かない。

向こうから順に焼き払っていく悪魔の炎が、自分のいる展望台に近づく。

ハッっとして目を双眼鏡から離して逃げようとすると先程の何事もない光景。


なんだ、幻だったのか。


自分が安堵し、胸を撫で下ろし、帰ろうと展望台の出口に向かうその時、足場が不安定になる。



展望台は崩れていく。

落ちていく先は見たこともない町。


一番下まで落ちて、上から天井が迫る。


そして目が覚めるのだ。


動悸は止まらない。

寝汗をかいていた。


深呼吸をし、気分を入れ替える為にテレビを点ける。

見たくもないがニュースが入る。


朝の速報。


気分を転換しようとそれを見るが、寧ろ逆効果であった。


夢で落ちる時、見た町がテレビに映っている。


その町の中央には、シンボルタワー。







しかしそのタワーは昨晩のうちに崩落したという。

死者も出たらしい。


彼は、タイムリミットをチャンスに生かせなかったのだ。



炎の波は起こるのか。

彼がそれを知ることは、もう永遠に出来ない。

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最終更新:2013年01月14日 00:35