「自分を深く傷つけたくなければ、他人を心の底から信頼しないことだ」
狂気に満ちた研究者が謎の死を遂げて数年。俗世から切り離された城では、ある吸血鬼が頭を悩ませていた。
彼が従えている使い魔の様子が、ここ数日おかしくなっているのである。
その使い魔は大変優秀で、いつも彼の身の回りの世話をしているし、彼の命令にも殆ど従った。
ところが最近、ふと姿を消して、彼が呼び出しても直ぐには帰ってこないのである。
彼は使い魔に理由を吐かせようかと考えたが、それ以前に一言も口をきこうとしない使い魔が喋るはずがない。
そして今日もまた何処かへ姿をくらましてしまった。
仕方なしに吸血鬼が自ら探し始めるが、何せ一人で住むには大きすぎる城で、部屋を回るだけでも1時間を裕に超えてしまう。
その部屋一つ一つが隅々まで綺麗に掃除されている事に驚きながら、彼はベランダに通じるドアを開いた。
外の景色を一望でき、晴れの日の日中には遠くの山まで見渡せるという空間に、
執事の格好をした使い魔が、もやがかかっている月にぼんやりと照らされていた。
「そこにいたのか」
「……」
使い魔は何も答えず、主と同じ紅い瞳を主のほうへ向けた。
「考え事か?」
「……」
使い魔は僅かに目を逸らす。この使い魔は以前から感情が表に出ない性質だったが、
数年共に過ごしてきた彼は、その僅かな変化を見逃さなかった。
「意志を持っているなら、お前は使い魔じゃなくて吸血鬼だ。……別に怒っているわけじゃない、
吸血鬼に噛まれて吸血鬼になることがあるのは知ってたからな。それにこの城の掃除は大変だから、
そりゃあ休みたくなるのは当然だろう」
何より、俺は使い魔が欲しくてお前を使い魔にしたわけじゃない。
彼はそう言おうと使い魔の顔を見たが、使い魔が予想外に苦い表情をしていたため言えなかった。
「……吸血鬼には、なれませんよ」
しばしの沈黙。虫の音が響き始めたころに、やっと使い魔が口を開いた。
「何故だ?」
彼は二重の意味で使い魔に問いかける。
「貴方が吸血鬼である以上、私が吸血鬼になることはできません。
……同じ名前を、異なるものが背負うことは許されないのです」
彼は怪訝そうな表情を浮かべる。
「そいつは……誰に許されないんだ?」
「……例えるなら、物語の筆者でしょうか。私が誰かに動かされている気がしたんです」
彼は何の事だかまるでわかっていない様子だが、使い魔は続ける。
「私が先輩方と関わるようになってから、先輩方は私に気を使ってくださるようになりました。
ただ……私はあまり人付き合いが得意ではないので、逆に気疲れしてしまっていたのでしょう。
その人達から逃げたい。いつの間にかそう思うようになっていました」
「だから、お前は身を投げたのか」
研究者_使い魔の生前の先輩_の気が狂ったきっかけとされる、とある滑落事故。
あれは事故ではなく自殺であったが、死亡が確認された後に遺体が何者かによって持ち去られ、
事故として処理せざるを得なくなったという。
「ですが……あの方々は私を生き返らせて、元に戻そうとしたんです」
「そりゃあ、それだけ気を使ってたらそう考えるだろう。一言言えば良かったんだ」
「……あのとき、急に今みたいに喋り始めたら不自然に思われたでしょうから。
……それに、どの道言い包められて生き返らされるので」
嫌悪感に満ちた言葉は、聞いている側も気分が良いものではない。
「じゃあ、お前によく似たやつがお前をここに戻したとき、拒否しようとは思わなかったのか?」
「……」
「誰かのせいにする前に、自分でよく考えることだ」
「……わかりました」
彼女はそれきり何も言わなかった。吸血鬼に反論出来なかったからではない。
何時か帰ってくるかもしれない友人へ、むやみに悪態をつけなかったからである。
私の価値観と力不足で言いたい事を伝えてあげられず、こんな状態に追いやってごめんなさい。
最終更新:2014年04月26日 01:49