史上最強のクイズ王決定戦(しじょうさいきょう―おうけっていせん)は、かつてTBSで放送された特別
クイズ番組。通称「
ギミア」「
史上最強」など。
概要
TBSの番組『ギミア・ぶれいく』内の企画として開始。実力による
クイズ王を決めるというコンセプトが、重厚な演出と相俟って人気を博した。半年に1度の開催、全国で予選会を行うなどの要素はフジテレビの『
FNS1億2000万人のクイズ王決定戦!』とも共通している。
これら2番組と日本テレビの『
アメリカ横断ウルトラクイズ』は、
クイズ研究会の存在を世に知らしめ、90年代に「
クイズブーム」を起こした。
公式
問題集が3冊、情報センター出版局より発行されている。
また、1991年12月13日にはファミリーコンピュータ用
クイズゲームソフト『史上最強のクイズ王決定戦』が発売された。1992年12月28日にはスーパーファミコン用ソフトとして『史上最強のクイズ王決定戦 Super』も発売されている。これらのゲームには、クイズ王である西村、水津両氏を思わせるキャラクタが登場している。
大会進行
予選
- 第1回は招待選手による大会だったため予選は行われず。2~4回は東京のみ、5回は東京と大阪、6~9回は札幌・東京・名古屋・大阪・福岡の5ヵ所で予選が行われた。
- 予選参加者はクイズ番組出場経験により色分けされたサンバイザーをかぶって予選に参加。クイズ番組未出場者は青、出場経験者は黄色、優勝経験者は赤のサンバイザーだった。また、赤の人は優勝回数が★のシールによって示された。
- 第一次予選はペーパークイズ。各会場で定められた人数が第二次予選の早押しクイズ(7○3×)に進めた。
- 第5回までは、その後最終予選として7問先取のボードクイズが行われた。
本戦
第一関門 三択クイズ
第1回
50問出題。正解数上位4名が勝ち抜け。
第2〜5回
30問先取した4名が勝ち抜け。8人が解答席にて解答する。
第6回
30問先取した7名が勝ち抜け。この回より、札を上げて解答し、正解なら1マス前進する方式となった。
第7〜9回
50問先取した8名が勝ち抜け。勝ち抜けた順に第二関門の対戦組を選ぶことができる。
第二関門 早押しクイズ
第1回
4人から2人勝ち抜け。
第2〜6回
4人から1人勝ち抜け。前回優勝者と決勝で対決する。
第7〜9回
8人を2組に分け、各組4人から1人勝ち抜け。
決勝戦
パート1 超難問早押しクイズ
7問限定の早押しクイズ。誤答は解答権が相手に移る。
パート2 カプセルクイズ
パート1での得点を持ち越しての口頭必答クイズ。15
ポイント先取で優勝。
データ
司会者
- 草野仁(第1回~Ⅷ)
- 石坂浩二(第1回~Ⅸ、全国選抜サバイバルマッチ)
- 第6回までは、予選通過者に混じり本戦に参加していた。
- 森口博子(Ⅶ・Ⅷ)
- 楠田枝里子(Ⅸ、全国選抜サバイバルマッチ)
- 上岡龍太郎(ライブ)
- 三雲孝江(ライブ)
過去の結果
大会 |
放送日 |
優勝者 |
準優勝者 |
第1回 |
1989年11月14日(ギミア・ぶれいく) |
水津康夫 |
大木一美 |
第2回 |
1990年2月27日(ギミア・ぶれいく) |
西村顕治 |
水津康夫 |
第3回 |
1990年9月14日(ギミア・ぶれいく) |
水津康夫 |
西村顕治 |
第4回 |
1991年3月5日(ギミア・ぶれいく) |
水津康夫 |
五十嵐実 |
第5回 |
1991年8月27日(ギミア・ぶれいく) |
西村顕治 |
水津康夫 |
Ⅵ |
1992年2月25日(ギミア・ぶれいく) |
西村顕治 |
斉藤喜徳 |
Ⅶ |
1992年9月8日(ギミア・ぶれいく) |
西村顕治 |
小林聖司 |
Ⅷ |
1993年3月21日(THEプレゼンター) |
西村顕治 |
布川尚之 |
Ⅸ |
1993年10月17日(THEプレゼンター) |
水津康夫 |
西村顕治 |
全国選抜サバイバルマッチ |
1994年2月27日(THEプレゼンター) |
小林聖司 |
門田雅志 |
ライブ |
1995年2月12日(THEプレゼンター) |
小林聖司 |
五十嵐実 |
関連項目
最終更新:2024年09月30日 14:11