最初はクインテット周辺を取り上げていたが、エニックスやファルコム界隈を調べていくと収拾つかなくなってしまった。
会社はなるべく今の形で、クインテットから関わった順に書くようにした。
★★★クインテット 
このページのメインとなる会社。
日本ファルコムでイース(1~3)を作ったスタッフが主となり設立。
当初は「プログラマー」「企画」「グラフィック」「サウンド」から「カルテット」の社名にするつもりが、近くにカルテットを冠する会社があったため、「プロデューサー」を足して「クインテット」にした。
スーパーファミコン時代に作った『アクトレイザー』『ガイア幻想紀』『天地創造』(販売はいずれもエニックス)がよく知られる。
その後、中堅ゲーム会社の技術交換ネットワークGD-NETに参加。GD-NETを発展させたESPにて『コードR』を作る。その後もセガとの関係は続いたようだ。
セガがハード事業から撤退した後は、下請けでシナリオやサウンドの開発を行っていたが、07年9月頃に倒産。
クインテットの下請け(つまり孫請け)として仕事をもらっていた安堂氏は“(報酬)未払いを累積しながら次の仕事を回す感じ”と語っており、晩年は自転車操業だった模様(
Tweet )。
結局未払いのまま倒産したことで、安堂氏の会社は数百万の被害を受けた。
アーカイブで確認できる最古のページ 
アーカイブで確認できる最後のページ 
★★シェード 
1995年設立のゲーム会社。クインテットと共にグランストリーム伝紀、ブライティスを開発した。
クインテットがマジカル封神(GBA)を開発した際、連動先のバトル封神(GC)を開発したのが同社である。
共に下請けであることには変わりないものの、据え置き型ゲーム機のシェードと携帯機のクインテットは対照的にも見える。
(動画はPS2版の。Youtubeにはなかった)
クインテット亡き後も健在で、天地創造などを作曲した曳地正則氏も移籍している。
トライエースを傘下に抱えるNJホールディングスが2016年に子会社化したが、翌年全株式を代表取締役に譲渡し手放した(
記事 )。
この代表取締役こと横田幸次氏だが、イース3のグラフィックデザインとして名前がある。
クインテットの子会社 
クインテットの子会社だったようで、
昔のHP に記載がある(会社概要を参照)。
子会社として設立されたのは、ESP(つまりセガ)との関係を強めたクインテットが、表立ってPSソフトを開発出来なかったためとか。
グランストリーム伝紀は普通にクインテット開発と書いてある(説明書のスタッフ欄とか)が、設立当初は公に出来なかったのかもしれない。
公式サイト 
★★ジャイアントセブン 
コードRを開発した七條氏によって設立。以下某所から。
クインテットで分社化するって話になって、ついてくるって人間を引き連れて会社を設立。
七條氏が代表を務めたのは99年12月〜04年1月まで、会社がその後存続したかは不明。
★★ギガ・ファクトリ 
宮崎友好氏がクインテット倒産前後に代表取締役を勤めていた会社。2008年(平成20年)12月3日設立。パチンコ・パチスロのオンラインホール「Web Pachi」の開発を行っていた。
宮崎氏は下の決済ドットコムとこの会社の社長を兼任していた事があるようだ。
VIDEO 
同社のサービスとしてアクトレイザーの名前があった。
※以下推測
2019年になってクインテットの倒産時期が判明したが、アクトレイザーのVC配信後のため、この会社がスクエニと交渉したわけではなさそうである。
ホームページにアクトレイザーを載せたり、代表取締役の所に自身のWikipediaを載せた(同姓同名の別人物でないことをアピール)のは、クインテットの"後継会社"である事を示したかったのだと思う。
決済ドットコム被害者の会(掲示板)でも、宮崎氏が"ゲームで再起を計ろうとしたんだろうな"といった投稿が見られた。
ホームページ(ウェブアーカイブ) 
★★決済ドットコム 
105:
106:
で、続き。
そこでGIGAFACTORYって会社を日本に作って、同じようなゲームサイトを開発しつつ、
★★エインシャント 
古代祐三が立ち上げたゲーム会社。ゲーム音楽だけでなくゲーム制作も行っている。
スラップスティックではエインシャントもクレジット。GBAのスーパーロボット大戦ではクインテットと共同でサウンドを担当している。
古代氏の知名度は高いが、社の従業員数は7名と小規模(2019年現在、
参考 )。
XBOX360から始まった『まもって騎士』は、NintendoSwitchにて『
すすめ!!まもって騎士 姫の突撃セレナーデ 』として
好評配信中 である。
VIDEO 
ホームページ 
★スタジオ斬 
クインテットの開発者が移籍した会社の一つとして名前が上がっている。
初のパブリッシングソフト『オーバーターン』(Wiiウェア)は、低価格ソフトとは思えないクオリティで一部で話題になった。
Tweet 
ホームページ 
★ザックス・エンターテインメント 
データ制作やCG制作を行う会社。96年設立。
ここもクインテットの開発者が移籍したとか。
開発実績にセガサターンのシミュレーションレースゲームがあるけど(コードR?)、これだけじゃ分からんか。
Tweet 
★★★日本ファルコム 
ドラゴンスレイヤーシリーズ、イースシリーズ、英雄伝説シリーズで知られるゲーム会社。
家庭用ゲーム機が強い日本の中で、長年PCをプラットフォームに活動し続けていた。
PSP参入から、PS系ハードにシフトしているがSteamを通じてPCへの供給も続けている。
クリエイターの独立が多い会社でもあり、クインテットはイース3のスタッフが主となって設立された。
ゼノシリーズの高橋哲哉や『君の名は。』の新海誠も同社出身である。
ホームページ 
日本一ソフトウェア 
岐阜県にあるジパングいちの伊達会社。魔界戦記ディスガイアでPS2以降知名度を上げた。
★★スクウェア・エニックス 
RPGの2大タイトルを抱えるライバル会社が合併により誕生したのは2003年。旧社から続く人気タイトルの続編を中心にリリースを続ける。
クインテットが倒産しなければ 他の作品も配信されていた可能性が高い。
★タイトー 
ゲーム史に残る一作『スペースインベーダー』で知られる。キャッチ・ザ・ハート
『バブルボブル』『ダライアス』などアーケードゲームでヒット作を持つ一方、コンシュマーではあの『たけしの挑戦状』を手がける。
84年に創業者が死去、86年に京セラが資本参加。一般向けには『電車GO』以外大ヒットといえる作品を残せなかった。
PS2時代にイースの3~5を出しているが、評価は厳しいものがあった。
2006年にスクウェア・エニックスが子会社化。
スクウェアもエニックスもPCゲームから発展したメーカーだったが、タイトーを手に入れたことでアーケードにも参入することとなった。
クインテットとは 超発明BOYカニパンのPS版を発売した縁がある。
カニパン自体はドリキャス展開中のセガが関わった作品だが、キャラクターゲームのせいかライバルハードのPSでも発売された。
VIDEO 
★★★エニックス 
ドラゴンクエスト(ドラクエ、DQ)で有名なゲーム会社。開発は他社が行い、パブリッシャーに専念する経営方針が特徴。
このせいか、作品の復刻はスクウェアの作品に比べて少ない。
クインテットとは スーファミ時代のパブリッシャーであり、クインテットの作品といえばこの時代の作品を浮かべる人が多いだろう。
クインテットがサターンをメインプラットフォームに選んだことから疎遠になるが、PSのプラネットライカではクインテットがプログラミングを務めた。
ホームページ (2002年1月24日のアーカイブ)
最後のホームページ (スクウェア・エニックスのサイトへ誘導、2003年9月20日)
ドラクエのエニックス 
VIDEO 
エニックスは言ってしまえばドラクエの会社である。
少年ガンガン擁する出版部門も柱だったが、その雑誌名もドラクエの作戦名「ガンガンいこうぜ」から来ている。
ガンガン初期を支えた柴田亜美や衛藤ヒロユキは『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』出身である。
ゲームでもドラクエ以外の柱を立てようとし奔走し、スターオーシャンを生み出す。
中でも『~セカンドストーリー』は72万本のヒットを記録し、ガンガンで漫画化。
しかし、エニックスお家騒動で作者が引き抜かれ連載終了。
この危機を救ったのが『鋼の錬金術師』で、作者の荒川弘は衛藤ヒロユキの元アシスタントだった。
エニックスにとってドラクエは、バンダイにとってのガンプラみたいなものなのだろう。
 
クインテットの誕生 
VIDEO 
そのドラクエは、基本となるシステムを3で完成させており、それ以降、ドラクエとは何かを問いつつ、シリーズを緩やかに発展させていった。
1~3は1年おきに発売されていたが、4は2年かかっている。
4の発売が90年2月、クインテットが設立されたのは前年89年の4月。
スーファミ時代のエニックスは、ドラクエ以外の柱を欲していた。
実際ワンダープロジェクトJ2のファンブックで、エニックスの藤本広貴氏が「『J』シリーズを『ドラクエ』以外の2本目の柱とするべく~」と語っている。
最初にその役割を担ったのが、クインテットとプロデュース、アルマニック(後のギブロ)である。
これら3社のソフトは、高い評価を得たものの、大ヒットには至らなかった。
結局、ドラクエに続く柱は『スターオーシャン』擁するトライエースが担うことになる。
 
クインテットとの関係 
クインテットの本社はエニックスからの借り物で、エニックスの研究所が同地にあったという。
エニックスの関連会社 
チュンソフト 
中村光一が設立したゲーム会社。
ハートビート 
チュンソフトに所属していた山名学が設立した会社で、同社からドラクエの開発引き継いだ。
☆アルテピアッツァ 
エニックスのPCゲーム『ジーザス』などを手がけた眞島真太郎が設立した会社。
☆ランダムハウス 
森田将棋の森田和郎が設立した会社。
★★ギブロ 
旧社名:アルマニック
ゲームプラン21 
スーパーファミコン版『46億年物語』と『エルナード』の発売元で、エニックスの謎子会社。
☆プロデュース 
『ミスティックアーク』や『パカパカパッション』で知られるゲーム制作会社。
クインテットとの関係はほぼないものの、どちらもエニックスをパブリッシャーにスーパーファミコン用ソフトを制作していた。ミスティックアークは天地創造と発売日が近かった(7月と10月)ため、ゲーム雑誌の広告では一緒に扱われたことも。
代表取締役の今田真二氏はアイレム出身。スーパーボンバーマンシリーズに関わっているのは、アーケード版ボンバーマンをアイレムが出したことも関係しているだろうか。
同氏はエニックス最後のファミコンソフト『ジャストブリード』のゲームデザインも担当している。
『パカパカパッション』はナムコからの発売だが、これはすでにエニックスが『バスト ア ムーブ』という音ゲーを出していたからだろうか。
同作はD4エンタープライズが商標を取得し、ゲームアーカイブスで配信中。だが、ミスティックアークは…。
2000年頃解散したと思ったら、破産手続開始が2015年(
リンク )。ミスティックアークが復興されない理由はますます不明である。
会社概要のアーカイブス J・フォース 
日本テレネットのプログラマー、ウルフチームの代表を務めた秋篠雅弘が設立したが、同氏が失踪し倒産。
トライエース 
エニックスが関わった会社の中では、文字通りエース級の活躍をみせる会社。
トライクレッシェンド 
トライエースのサウンドディレクター初芝弘也が設立した会社。子会社ではないが、初期には同社のサウンド担当がメインだった。
★ビーエムエフ 
☆トレジャー 
セガ陣営と見る向きも多いトレジャーだが、『ゆけゆけ!トラブルメーカーズ』で64にも参入。
★是空→(キムラナカジオフィス、アンバイ) 
クーロンズ・ゲートの木村央志が設立した会社。
『プラネットライカ』はこことクインテット(プログラム)の共同開発なので重要なのだが、
あまり情報が出てこない。
いや、出てこないわけないのだが、脳が溶けそうなのであまり調べる気にならなかったりする。
キムラナカジオフィス(ウェブアーカイブ) 
メトロ 
バストアムーブの開発元。2019年現在も存在(
HP )。
システムサコム 
ゲームアーカイブスで配信されている数少ないエニックスタイトル、アストロノーカをムームーと共に開発。
ムームー 
『がんばれ森川君2号』や、後に『くまうた』に関わる森川幸人が設立した会社。
社名は『ジャンピングフラッシュ!』のムームー星人(プレステ初期のマスコットだった)からと思われる。
『アストロノーカ』と続編『コスモぐらし 〜オンライン的野菜生活〜』両方にクレジットされているのはこちらだけなので、ゲームデザイン担当だろう。
2016以降の活動が確認できないが、ホームページは残っている。
コスモぐらしはスクウェア・エニックス誕生直前に発売され、合併後の2005年までサービズが続いた。
ホームページ 
サンドロット 
ヒューマンで『リモートコントロールダンディ』を作ったチームが独立して設立した会社。
バンプール 
アーティスティックでシュールな作風で一部で熱狂的なファンを持つ、ラブデリック(代表作はmoonなど)から派生した会社。
☆スクウェア 
ファイナルファンタジーを擁し、ドラゴンクエストで有名だったエニックスと長らくライバル関係にあった会社。
クインテットとの関係 
直接的な関係は見いだせないが、ここでは間接的に関係ありそうな部分を記述する。
スクウェアの関連会社 
☆ディスク・オリジナル・グループ(DOG) 
スクウェアを中心に結成された
ゲームブランド 。
その名の通り、ファミコンのディスクシステムに作品を提供した。
クインテットと直接関係無いが、集まったのはファルコムと同じPCゲームを作っていた会社。
その理念は後のESPに通づるものがあり、供給ハードが普及せず苦戦したのもESPのようである。
スクウェアがDOGで出した作品は、『水晶の龍』『とびだせ大作戦』『アップルタウン物語』『クレオパトラの魔宝』の4作品。
VIDEO 
VIDEO 
『聖剣伝説 -THE EMERGENCE OF EXCALIBUR-』は開発中止。GB版聖剣伝説はこれの商標を流用しただけで内容は別物である。
(DOG版の写真が多数ある
リンク )。
キャリーラボ 
DOGでは『ハオ君の不思議な旅』を開発。
『ハイドライド』をMZに
勝手移植したとか 。
一方、オリジナル制作者の内藤は、事前情報なく移植した技術力を高く評価している
リンク 。
クリスタルソフト 
DOGでは『カリーンの剣』を開発。また、PC初期のRPGで、他者の作品にも影響を与えている『夢幻の心臓』も制作している。
システムサコム 
DOGでは『ムーンボールマジック』を開発。エニックスの関連会社でもあるので、詳細はそちらで。
シンキングラビット 
倉庫番で知られるゲーム会社。DOGでは『磁界少年メット・マグ』を開発。
ハミングバードソフト 
1986年12月19日に発売された『ディープダンジョン 魔洞戦記』は、ファミコン初の3DRPG(ドラクエ1は同年5月27日発売)。
シリーズは4作目まで発売されたが(発売元は1~2はDOG、3はスクウェア、4がアスミック)、人気を定着させることは出来なかった。
現在の知的財産権はD4エンタープライズが持っている。
VIDEO 
☆マイクロキャビン 
DOGでは『亜空戦記ライジン』を開発。
FF1のMSX2版を制作、イースに強く影響を受けた『サーク』シリーズを展開していたことも。
VIDEO 
3DOやPC-FXにも力作を投入する苦労人。努力が報われることは無かったかもしれないが、パチンコ関連事業に転換し、会社としては存続している。
クエスト 
伝説のオウガバトル、タクティクスオウガで有名な会社。PCエンジンのシューティングゲーム『マジカルチェイス』は、発売元が倒産した後プレミアが付いたため、ゲーム雑誌が受注受付し、再販された。
デジキューブ 
スクウェアがコンビニでのゲーム販売を手掛けるために設立した会社。
ゲームのサントラや攻略本の発行も行っていた。
コンビニゲーム自体の収益がイマイチだったことや、絶縁状態だった任天堂関連の商品が扱えず収益が悪化。
スクウェアが同じ出版事業を抱えるエニックスと合併をすることから解散。
(取り扱いコンビニに、ニンテンドウパワーのソフト書き換えを行っていたローソンが含まれていないことも、任天堂との関係を暗示している)
VIDEO 
ドリームファクトリー 
バーチャファイターや鉄拳のスタッフがスクウェアの援助を受けて設立した会社。通称『ドリフ』。
☆T&Eソフト 
アクションRPGの草分け『ハイドライド』や『遥かなるオーガスタ』などのゴルフソフトで有名な会社。名古屋のゲーム会社って意外と珍しい。
『ザ・ブラックオニキス』と『ドルアーガの塔』を参考に、内藤時浩が3ヶ月で制作した『ハイドライド』は、アクションRPGの草分け的存在で「西の内藤」と呼ばれた。
この時の「東」は日本ファルコムの「木屋善夫」で、クインテットスタッフにも間接的に影響を与えている。
バーチャルボーイに謎のこだわりを見せており『レッドアラーム』はハードメーカーの任天堂以上にハードの性能を引き出したとも。
レッドアラームレッドアラームレッドアラームレッドアラームレッドアラームレッドアラーム…
VIDEO 
97年経営悪化し、旧知の中だったスクウェアオーナーの宮本雅史から資金援助を受ける。主力であるゴルフゲームのライバルとして『みんなのゴルフ』が出たのも97年だが、関係ないかな?
その後ディズニーの資本参加を受け、ゲームとは無関係になるが、別法人がゲーム制作を継続。紆余曲折あって、ゴルフ事業はコナミ、ゲーム事業はスパイク・チュンソフトへ受け継がれた。
サクノス→ノーチラス 
聖剣伝説の作曲家、菊田裕樹などがSNKの出資を受けて設立。映像に並々ならぬこだわりを見せた『クーデルカ』や、アルゼ傘下になりノーチラスとして制作した『シャドウハーツ』が有名。
ラブデリック→パンチライン・バンプール・スキップ 
クロノ・トリガーやスーパーマリオRPGを制作していたメンバーが独立して設立。スクウェアの王道ともいえる作風とは真逆のアーティスティックな作品を世に送り出す。
アルファドリーム 
Sa・Ga3やミスティッククエストを制作していたスタッフが独立して設立。マリオ&ルイージRPGやとっとこハム太郎など、任天堂関連の発売が多かった。
ブラウニーブラウン→ブラウニーズ 
『聖剣伝説Legend of Mana』のスタッフが独立して設立、LOMで培った2Dグラフィックに強みを持つ。聖剣シリーズ、『マジカルバケーション』『MOTHER3』などを制作。 
グレッゾ 
聖剣伝説シリーズに関わった石井浩一が設立。他にサガシリーズのバトルデザインを手がけた小泉今日治が在籍。
★モノリスソフト 
『ゼノギアス』開発スタッフがナムコの出資を受けて独立。代表の高橋哲哉は元ファルコム出身で、イース3に関わっていた。ゼノギアスとの関連を伺わせる『ゼノサーガ』を開発するが、製作体制を整えつつの開発だったため、試行錯誤の連続だったようだ。
★任天堂 
元は京都の花札屋。会社を大きくしようと失敗を重ねながら行き着いたのが娯楽事業で、ビデオゲームの市場を切り開いた。
可能性を秘めたハードと強力なソフトが魅力だが、任天堂以外が育たないと「子ども向け」の印象を与えてしまうことも。
任天堂でゲームを覚え、ドラクエやFFでRPGを覚え大人になっていく時代が確かにあった。
それ故、ドラクエとFFが離れた64はRPG不足が非常に深刻だった。
そこに『Sa・Ga』が発見した「携帯機RPG」の発展として、『ポケットモンスター』が登場。
任天堂もRPGの確固たるシリーズを持つこととなる(ポケモンがMOTHERの影響下にあるのは言わずもがな)。
さらに元スクウェアスタッフが設立したモノリスソフトを傘下に収め、RPG制作の体制を強化。
とはいえ、RPGが占める割合は多くなく、少数精鋭といえる。
任天堂が作ったバーチャルコンソールのページには、当然ながらアクトレイザーもある。 
バーチャルコンソール アクトレイザー 
国内任天堂とクインテットは直接関わらなかったが、SNES(海外版スーファミ)から撤退した(?)のエニックスに代わり、『スラップスティック』『ガイア幻想紀』『天地創造』の海外版を発売した。
VIDEO 
インテリジェントシステムズ 
ファイアーエムブレム(FE)などで知られる会社。イズさん。
任天堂の実質的なセカンドパーティーで、ソフトの開発支援ツールも制作している。
FEは任天堂関連では年齢層が高いため、時々無茶なチャレンジをさせられる。
任天堂の赤い核実験場 
(夢をみる島がリメイクされるなら『カエルの為に鐘は鳴る』もいいんじゃない?)
VIDEO 
ホームページ HAL研究所 
星のカービィなどで有名な会社。カービィ&スマブラの桜井政博や後に任天堂の代表を務める岩田聡(1959年-2015年)は同社出身である。
『アルカエスト』は自社ブランドで発売予定だったが、同社が和議を申請したため、スクウェアから発売された。
バーチャルコンソール等の配信はされていないが、ハル研究所公式チャンネルによる動画がある。
VIDEO 
アルカエスト | SQUARE ENIX ホームページ ★イニスジェイ 
2016年12月5日に設立されたイニスの後継企業。
クインテット代表を務めた橋本昌哉が現在在籍している会社(
テクノウチ氏のTweet )。
ホームページでは音ゲーの存在が確認できないが、これから作っていくのだろうか。
ホームページ 
イニス 
教育・音楽系のCD-ROM制作を行なっていたオラシオン(99年ハンズオン・エンタテインメントへ吸収合併)出身のスタッフが設立。
★ソニー・インタラクティブエンタテイメント 
スーパーファミコンのCDドライブを作っていた久夛良木健が、交渉決裂後、独自に作り上げたのがプレイステーション。
自社でチップを開発できるため、徹底的なコスト削減が出来た。
しかし、プレステ3のチップにお金をかけすぎた反省から、以降は方針を見直している。
クインテットとは 『グランストリーム伝紀』や『ブライティス』で関わりがある。
しかし、プレステ期に名を挙げたゲーム会社は多数あることや、クインテット自体サターン寄りの印象が拭えないので、若干影が薄い。
任天堂とは対象的に据え置き型ハードが好調。さらに据え置き型ハードの市場はアメリカが中心な為か、グループ統括会社「Sony Interactive Entertainment LLC」はキャルフォルニアにある。
ポリフォニー・デジタル 
SCEの企画制作部門が1998年に独立し設立。グランツーリスモの開発を行う。
クラップハンズ 
キャメロットで『みんなのGOLF』を制作した一部のスタッフが独立して設立。引き続き同シリーズの制作を行う。
★アークエンタテインメント 
ブライティスをクインテットと共同開発した会社。ソニー・コンピュータエンタテインメントのサテライトカンパニーという立ち位置。
★バンダイナムコエンターテインメント 
バンダイとナムコが合併して出来た会社。2015年まではバンダイナムコゲームスだった。
バンナム自体はクインテットと関わり無いが、合せ技一本ということで「★」。
ミニファミコンの
週刊少年ジャンプ50周年記念バージョン では、
著作権者不明の場合の裁定制度 の申請を行い、収録された作品がある(『北斗の拳』と『北斗の拳3』)
この制度を使えばクインテット作品の復刻も出来そうだが。
★バンダイ 
楽しい時を創る企業。玩具メーカー国内最大手で、ガンダムのプラモデルことガンプラは根強い人気を誇る。
★バンプレスト 
バンダイグループの一員として、スーパーロボット大戦などを制作していた。
☆ナムコ 
ゲームメーカーの老舗。古くはパックマンやギャラクシアン、その後も鉄拳、リッジレーサー、テイルズなどの人気シリーズを手掛ける。
何気にワンダースワンにも参入している。ここらへんもバンダイとくっついたきっかけか。
アーケードではセガがライバル的関係だったが、ハードメーカではないため、任天堂やSCEなど、参入したハードへの貢献度が大きい。
クインテットとは 基本無関係だが、シューティングゲームながら世界観にこだわりを見せた『ゼビウス』や成長要素のある『ドルアーガの塔』は影響下にあるだろう。
★★ディースリー・パブリッシャー 
廉価ソフトのSIMPLEシリーズで知られるゲーム会社。
ソフトの販売形態が多様化した現在では、SIMPLEシリーズから派生したオリジナルソフトや、乙女ゲームの販売が主。
THEゼロヨンの責がこの会社にだけあるとは思わないが、なぜあの出来で出してしまったのか知りたい。
ちなみに、ニンテンドーDSで『
アゲ♂アゲ♂ゼロヨン深夜 』というソフトを出している。
開発はSIMPLEファンにはお馴染みのタムソフト。
冒頭でゼロヨンの説明を(ちゃんと)行い、ギャルゲー要素を取り入れたりと改善(ある意味コードRへ回帰)している。
共通するスタッフはいるのかチェックしたい。
VIDEO 
★★★エンターテインメント・ソフトウェア・パブリッシング(ESP) 
1997年に設立されたゲーム会社。中小ゲーム会社の技術交換ネットワーク「GD-NET(GAME DESIGNERS NETWORK)」を母体にして設立された。
資本金は2億円で、当時セガの親会社だったCSKグループより1億円(50%)を出資し、残りの50%をゲームソフト制作会社9社から出資した。この出資会社にクインテットも名を連ねることになる。
米ハリウッドを手本としたソフトウェアに対する「投資システム」、「プロデュースシステム」の確立を目指したが、肝心のサターンが米国市場で失敗した事で計画が頓挫。
ハリウッドシステムはファイナルファンタジー擁するスクウェアが目指すこととなった。
セガがハード事業から撤退した後も、PS2やDS向けにソフトを出していたが、2010年ディスリー・パブリッシャーに吸収。
技術力のある中小ゲーム会社が団体を作る例は、何の因果か、スクウェアが幹事を務めたディスク・オリジナル・グループ(DOG)がある。
DOGは会社ではなくブランドだが、こちらも上手くいったわけではなく自然消滅している。
CSKプレスリリース1996年8月20日 (インターネットアーカイブ)
ディースリー、D3パブリッシャーとESPを吸収合併 
10年前くらい(PS・SS時代)のゲームソフトチラシいろいろ (GD-NETのチラシあり)
クインテット以外の構成企業 
★★ゲームアーツ 
『テグザー』や『シルフィード』など、技術力に定評のある会社で、メガCDに注力した事から、セガファンには広く知られた存在。
★トレジャー 
メガドライブを代表する『ガンスターヒーローズ』『幽☆遊☆白書 魔強統一戦』を発売したことで、こちらもセガファンにはおなじみの会社。
アルファ・システム 
熊本にあるゲーム会社。「あ。」
出資してくれたのは
サムシンググッド という会社で、後に筆王やウェブマネーを開発する会社である。
なぜか北海道に本社を置くハドソンと業務提携し、札幌に開発室を置く。
本社熊本なのに 
PCエンジンタイトルを多数手がけ、スーファミやサターンにも顔を出すが、選ばれたのはプレステでした。
『俺の屍を越えてゆけ』『高機動幻想 ガンパレード・マーチ』がコアなファンを獲得するが、その後ちょっと暴走。
PSPのテイルズやファンタシースターポータブルの開発に回りつつ、俺屍関連やシューティングゲームをリリース。
スティング 
スクウェア最後のスーファミソフト『トレジャーハンターG』の開発元。
☆ネバーランドカンパニー 
サターン末期の隠れた名作『カオスシード〜風水回廊記〜』やスーファミの『エストポリス伝記』で知られる。
派手さは無いものの良作名作を多数手がけており、ルーンファクトリーが看板シリーズになりつつあった矢先の2014に倒産。
ただし、シリーズは続いており、別会社に移籍したスタッフもいる。
タイトーから出た『エストポリス伝記2』は、後にタイトーを子会社にしたスクエニから『エストポリス』として、ジャンルをARPGに変えて発売。ほとんどの人が「別物としてなら」と評する誰得ゲーに。
「携帯アプリとして復活するがバーチャルコンソールでの配信は無し」という点でもクインテットと一致する。
バーチャルコンソールで復活させてのエストポリスなら不満も少なかっただろう。
VIDEO 
CSK総合研究所 
当時は、セガと同じCSK傘下だった企業。英語表記のC SK R esearch I nstituteからCRIと呼ばれることもあり、現社名CRI・ミドルウェアに引き継がれている。
ビッツラボラトリー 
古くは「Workss」名義で、様々な作品の開発を行っていたメーカー。
日本アートメディア 
アレサやルナシリーズを開発している会社。現存しているようだ。
ホームページ 
オニオンエッグ 
ESP関連だと『スレイヤーズろいやる』『~2』(発売:角川書店)を開発した模様
角川書店(現・KADOKAWA) 
1945年、国文学者の角川源義により創業された出版社。2代目の角川春樹により大きく成長する。
書くのが面倒なので、あとは
Wikipedia でも読んでくれ。
メディアワークス(現・KADOKAWA) 
角川兄(春樹)の横暴に耐えきれなくなった弟がマル勝スタッフを引き連れ電撃的に設立した会社。
バンダイ 
夢クリエイション
CSKベンチャーキャピタル(現 ウィズ・パートナーズ) 
セガの親会社CSKグループだった会社。2010年に独立して現社名に。
KADOKAWA 
マーベラス以上に複雑すぎて書きたくない会社NO.1。角川書店とドワンゴによる「KADOKAWA・DWANGO」が前身。
角川ゲームス 
角川グループのゲーム事業強化のために設立された会社。
ドワンゴ 
niconico(ニコニコ動画)で知られる会社。よく本社が爆発される。
G'zブレイン 
ゲーム雑誌の代名詞、週刊ファミ通を発行する会社。旧社名のエンターブレインの方が知られている。
アスキー 
週刊アスキーなどの出版物や、ダービースタリオンやツクールシリーズなどのゲームを作っていた会社。
メディアワークス 
「電撃」を冠するゲーム雑誌やライトノベルの電撃文庫で知られる。
スパイク・チュンソフト 
ダンガンロンパや洋ゲーローカライズで知られるスパイクと、サウンドノベルシリーズや不思議のダンジョンで知られるチュンソフトが合併して設立した会社。
フロム・ソフトウェア 
アーマード・コアやDARK SOULSで知られる会社。熱狂的なファンが存在する。
☆セガサミーホールディングス 
2003年サミーがセガを吸収して設立。
★★セガ 
セーガー
コンパイル 
ぷよぷよで屋台骨を支えようとして倒産した会社。の~みそこねこね。
サミー 
パチンコ・パチスロメーカー。ゲーム事業も行っており、初期のギルティギアの販売元。アスキーからゲームの機周辺機器事業を受け継いだりしていた。
アトラス 
真・女神転生やペルソナシリーズで知られる会社。インデックスグループの破綻により、セガ子会社になった。
コナミホールディングス 
コナミグループの持株会社。コナミィ!
コナミスポーツクラブ 
マイカルグループの経営不振から傘下のフィットネス会社「ピープル」を買収。スポーツクラブ業界トップへと成長させた。
コナミアミューズメント 
アーケードゲームとパチンコ・パチスロ事業を行う。前身はパチンコ・パチスロの高砂電器産業で、経営不振に陥った同社をコナミが傘下に収めた。
☆コナミデジタルエンタテインメント 
スポーツゲームやメタルギアソリッド、遊戯王で有名なゲーム会社。多くの人が思う「コナミ」はこの会社ではないだろうか。クインテットとの関係はほぼ無く、ファルコムと同じくPC(MSX)に注力したぐらい。
★ハドソン 
北海道発祥のゲーム会社。ミソラーメングループ。
コーエーテクモ 
創業者の死去や後継社長と名物クリエイターの軋轢によりトラブルとなっていたテクモを、コーエーが救済する形で設立。その前にスクウェア・エニックスからTOBの提案を受けていたが、創業者同士の親交が深かったことが決め手になったようだ。
★コーエー 
信長の野望や無双シリーズで知られる会社。
テクモ 
キャプテン翼やモンスターファーム、デッド オア アライブで知られる会社。
★★ガスト 
長野にあったゲーム会社。現在はコーエーテクモゲームスの長野開発部として活動。
マーベラス 
銀行の合併並に色々くっついていて説明が面倒。
セガでキャラクター部の商品化獲得営業をしていた中山晴喜が前身となるマーベラスエンターテイメントを設立。
彼の父はセガ中興の祖といわれる中山隼雄である。
その父が設立したAQインタラクティブと、ライブウェアを吸収しマーベラスAQLに。某ハンバーガーショップのパチもんのようなロゴだった。
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その後社名変更して現社名に。(サウンドロゴが出る動画がアレなのしかない)
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代表作は牧場物語や閃乱カグラなど。
マーベラスエンターテイメント 
略称の「mmv」は「Marvelous Media Vibration」の略だとか。
爆乳 爆誕させる。
パック・イン・ビデオ→ビクターインタラクティブ 
ビクターやTBSが中心となり設立された、ビデオ制作とゲームの制作会社。
採算の悪化からビデオ事業から撤退し、残ったゲーム事業をビクターエンターテインメントと統合しビクターインタラクティブになる。
『川のぬし釣り』『牧場物語』(一作目はここが販売)など、ゲームの域にとらわれない作品を制作した。
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☆JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント 
ビクター音楽産業→ビクターエンタテインメント→ゲーム事業をパック・イン・ビデオへ。
ビクター音楽産業時代に、イース1~3のファミコン版を制作した。
2019年THE KING OF FIGHTERS for GIRLSでゲーム事業に再進出。
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AQインタラクティブ 
セガ中興の祖、中山隼雄により設立されたキャビアが前身。
キャビア 
AQインタラクティブの前身企業で、同社設立後はソフト開発会社だった。
アートゥーン 
『THE KING OF FIGHTERS EX』は同社が開発、マーベラスエンターテインメントが発売なので、この頃から交流があったと思われる。
スカラベ 
元UPLの藤沢勤(1959年-1998年)が1992年に設立した会社。
☆UPL 
社名はユニバーサルプレイランドに由来しており、ユニバーサル(後のアルゼ、ユニバーサルエンターテインメント)関連の会社だった。
後にクインテットに入る七條敬重が最初に入った会社。
UPLの開発した『ぺんぎんくんWARS』は『ペンギンくんギラギラWARS』としてPS4/Switchで好評配信中である。
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ジー・モード 
携帯電話向けゲームコンテンツの制作・開発・配信する会社。
現在も存続しているが、ガラケーの時の方が名前見た気がする。
ゲームアーツ代表宮路洋一の弟、宮路武(1965年-2011年)が代表を努めていた。
(ちょっと長いが、貴重なガラケーアプリの動画)
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データイースト 
ヘンなゲームとしいたけ作ってたら倒産してしまった会社。
ハムスター 
東芝EMI株式会社がゲーム事業から撤退した後、ゲーム部門のメンバーにより99年設立。
レトロゲームの配信に活路を見出し存続。
当時を知る人で、この会社が生き残ると誰が思ったことか 
東芝EMIのゲームはもちろん、日本物産、UPL、NMK、ビデオシステムの権利を取得。
プレイ環境がコンシュマー機以上に厳しい、レトロアーケードの作品を『アーケードアーカイブス』として配信中。
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パイオニアLDC 
シティコネクション 
ジャレコ 
ファミコンサードパーティに初期参入した6社の一つだった老舗。
カプコン 
ストリートファイター、ロックマン、バイオハザード、モンスターハンターなどで知られる会社。
ケーツー 
カプコンの数少ないグループ会社。生みの親ながら制作に関われなくなったアクワイアに代わり『天誅』を開発した。
クローバースタジオ 
2004年~2007年まで存在したカプコンの子会社。社員は全員カプコン出身だとか。
インティ・クリエイツ 
ロックマン(X2だったかな?)を開発していたチームが独立し設立。
色々な作品を作っていたが、後に『ロックマンゼロ』を手掛けることになる。
その経験から横スクロールアクションを数多く手掛けるようになる。
社長インタビュー 
ゲームリパブリック 
元カプコンの岡本吉起が設立した会社、子会社ではない。『エブリパーティ』は何かとネタにされる。
SNK 
餓狼伝説、ザ・キング・オブ・ファイターズなどの格ゲーで有名な会社。The Future Is Now
レベルファイブ 
リバーヒルソフトから一部スタッフが独立し設立。日野晃博が1代で築き上げたが、日野脚本はたまに暴走する。
『レイトン教授』『イナズマイレブン』『妖怪ウォッチ』など、今では大手と言えるほどの売上を誇る。
同社に「元クインテットのスタッフも多数在籍」という情報があるが、ダーククラウドのスタッフロールに誰か居たかな…。
Developer's Profile 第14回 株式会社シング(ウェブアーカイブ) 
このサイト は『ダーククラウド』に対して「ゲーム的には『天地創造』系」って言ってるし、もう少し調べるべきか。
(ダーククラウドのCMは1:00あたり)
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マイクロソフト 
セガ撤退と入れ替わるようにして参入したのがマイクロソフト。
レア 
3DCGを使い、スーファミ限界のグラフィックを実現した『スーパードンキーコング』で有名。64で出した『ゴールデンアイ007』はFPSへの抵抗が高かった逆風を超えヒットを記録した。
パナソニック 
松下幸之助が興した会社。旧社名は松下電器産業で、ナショナルというブランドも持っていた。
MSX陣営では、ソニーと並び中心的な存在だったが、3DOというゲーム機を製造。プレイステーション擁するソニーとゲーム事業でも対決することに。
しかし、インタラクティブマルチプレイヤーというよくわからない名称で売ったため、単に高いゲーム機と認知され失敗。
後継機種「M2」で本腰を入れようとしたが、プレイステーションの爆発的な普及を前に断念。
その後は裏方としてゲーム事業に関わることとなる。
ゲームキューブで、ディスクをカートリッジで覆う予定だった任天堂(子どもが扱うから?)に対し「DVDとの互換性が取れなくなる」と反対した。
そのゲームキューブに、子会社だったピンチェンジ(ベンチャービジネスの意味合いが強い。2005年解散)が、『お遍路さん』というソフトを出している。
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NECホームエレクトロニクス 
ハドソンと共同開発したPCエンジンでファミコンがほぼ独占していた市場に切りかかる。
同ハードは一定の成功を収めるが、「アニメーション」というニッチな路線を継続したPC-FXが不振で解散してしまった。
ハード事業撤退後はドリームキャストへソフト供給を始めたが、NECグループの事業再編に伴い2000年3月31日解散。
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ATARI 
ゲーム産業の父ともいえる会社。囲碁好きな創業者が、囲碁用語の「アタリ」から社名を付けた。
77年にVideo Computer System(VCS)を販売。後継機種「Atari 5200」販売後は名前を「Atari 2600」に改めた。
2600は他社へ仕様を公開し(サードパーティ制の導入)人気を博したが、ソフトのクオリティ管理を疎かにしたためアタリショックを引き起こしたとされる(諸説あり)。
このゲーム機は「Atari2800」として日本でも発売されたが、その頃には高性能低価格なファミコンが出たため、性能で劣っていた2800はHAZUREてしまう。
それどころか発売前のテレビCMがテレビゲーム自体の認知度を上げ、ファミコンが売れる土台を作ってしまったといわれている。
このATARIのロゴが富士山を元にしたといわれるのがなんとも泣ける話である。/^o^\アッターリー
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エポック社 
ゲーム事業黎明期には、業界の規模こそ小さかったものの、エポック社が王者だった。
ファミコンに対抗して作られた「スーパーカセットビジョン」にはドラゴンスレイヤーも移植されている。
(動画は実機ではなくエミュレータのようだ)
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最終更新:2020年02月10日 20:32