会社図鑑

最初はクインテット周辺を取り上げていたが、エニックスやファルコム界隈を調べていくと収拾つかなくなってしまった。

会社はなるべく今の形で、クインテットから関わった順に書くようにした。
関係の深い順に「★★★」「★★」「★」「☆」で星をつけることにする。
独断とヘンケンが入ってるので、文句を言われても困る。全ての会社を愛しているから許して。
「あの会社が入ってないじゃないか」と言われても困る。期待しなければ追加されるはず。
あと、ソシャゲの会社はフォローしきれないと思う。


★★★クインテット

このページのメインとなる会社。
日本ファルコムでイース(1~3)を作ったスタッフが主となり設立。
当初は「プログラマー」「企画」「グラフィック」「サウンド」から「カルテット」の社名にするつもりが、近くにカルテットを冠する会社があったため、「プロデューサー」を足して「クインテット」にした。
スーパーファミコン時代に作った『アクトレイザー』『ガイア幻想紀』『天地創造』(販売はいずれもエニックス)がよく知られる。
その後、中堅ゲーム会社の技術交換ネットワークGD-NETに参加。GD-NETを発展させたESPにて『コードR』を作る。その後もセガとの関係は続いたようだ。
セガがハード事業から撤退した後は、下請けでシナリオやサウンドの開発を行っていたが、07年9月頃に倒産。
クインテットの下請け(つまり孫請け)として仕事をもらっていた安堂氏は“(報酬)未払いを累積しながら次の仕事を回す感じ”と語っており、晩年は自転車操業だった模様(Tweet)。
結局未払いのまま倒産したことで、安堂氏の会社は数百万の被害を受けた。
アーカイブで確認できる最古のページ
アーカイブで確認できる最後のページ

★★シェード

1995年設立のゲーム会社。クインテットと共にグランストリーム伝紀、ブライティスを開発した。
クインテットがマジカル封神(GBA)を開発した際、連動先のバトル封神(GC)を開発したのが同社である。
共に下請けであることには変わりないものの、据え置き型ゲーム機のシェードと携帯機のクインテットは対照的にも見える。
(動画はPS2版の。Youtubeにはなかった)

クインテット亡き後も健在で、天地創造などを作曲した曳地正則氏も移籍している。
トライエースを傘下に抱えるNJホールディングスが2016年に子会社化したが、翌年全株式を代表取締役に譲渡し手放した(記事)。
この代表取締役こと横田幸次氏だが、イース3のグラフィックデザインとして名前がある。
クインテットの子会社
クインテットの子会社だったようで、昔のHPに記載がある(会社概要を参照)。
子会社として設立されたのは、ESP(つまりセガ)との関係を強めたクインテットが、表立ってPSソフトを開発出来なかったためとか。
グランストリーム伝紀は普通にクインテット開発と書いてある(説明書のスタッフ欄とか)が、設立当初は公に出来なかったのかもしれない。
公式サイト

★★ジャイアントセブン

コードRを開発した七條氏によって設立。以下某所から。
クインテットで分社化するって話になって、ついてくるって人間を引き連れて会社を設立。
当初はうまくいっていたが、犬夜叉の開発で開発陣とのやり取りにトラブル発生し、会社運営にヤル気を失くすwww
七條氏が代表を務めたのは99年12月〜04年1月まで、会社がその後存続したかは不明。

★★ギガ・ファクトリ

宮崎友好氏がクインテット倒産前後に代表取締役を勤めていた会社。2008年(平成20年)12月3日設立。パチンコ・パチスロのオンラインホール「Web Pachi」の開発を行っていた。
宮崎氏は下の決済ドットコムとこの会社の社長を兼任していた事があるようだ。

同社のサービスとしてアクトレイザーの名前があった。
※以下推測
2019年になってクインテットの倒産時期が判明したが、アクトレイザーのVC配信後のため、この会社がスクエニと交渉したわけではなさそうである。
ホームページにアクトレイザーを載せたり、代表取締役の所に自身のWikipediaを載せた(同姓同名の別人物でないことをアピール)のは、クインテットの"後継会社"である事を示したかったのだと思う。
決済ドットコム被害者の会(掲示板)でも、宮崎氏が"ゲームで再起を計ろうとしたんだろうな"といった投稿が見られた。
ホームページ(ウェブアーカイブ)

★★決済ドットコム

株式会社オーバーテックスの決済.com事業部が2009年に独立して設立した会社。
ギガ・ファクトリについで宮崎氏が代表を務めていたが、売上金未払いのトラブルを起こし消息不明となる。
ホームページ(ウェブアーカイブ)
以下、【決済ドットコム・被害者の会】追跡・宮崎友好より。
105:
マジかよ‥‥
つーか、何で宮崎はこんなのに引っかかったん?

106:
元々は藤村がentgetというカジノサイト作るってんで、
そのゲーム開発が宮崎のところに行ったのが始まり。
カジノサイト自体はライセンスも曖昧な状態で、払い戻しも無いし、
ほぼ違法状態だったんだけど、宮崎が売り切りのゲームより、
継続して課金されるようなゲームに興味があったので、それに乗っていったんだろうね。

で、続き。
当時藤村はアメリカでカード決済出来るシステム持ってたので、
アメリカのアダルト系やってる日本人からカード決済のシステムを使わせた。
けど、ここで決済ドットコムのような事をして相手を怒らせた。
九州の怖い人から追い込みがあり、藤村は決済システムとカジノサイトを没収されちゃった。

そこでGIGAFACTORYって会社を日本に作って、同じようなゲームサイトを開発しつつ、
決済ドットコムを買収。そしてこのスレの内容の通り、皆様のお金集めてくすねた。と。

★★エインシャント

古代祐三が立ち上げたゲーム会社。ゲーム音楽だけでなくゲーム制作も行っている。
スラップスティックではエインシャントもクレジット。GBAのスーパーロボット大戦ではクインテットと共同でサウンドを担当している。
古代氏の知名度は高いが、社の従業員数は7名と小規模(2019年現在、参考)。
XBOX360から始まった『まもって騎士』は、NintendoSwitchにて『すすめ!!まもって騎士 姫の突撃セレナーデ』として好評配信中である。

ホームページ

★スタジオ斬

クインテットの開発者が移籍した会社の一つとして名前が上がっている。
初のパブリッシングソフト『オーバーターン』(Wiiウェア)は、低価格ソフトとは思えないクオリティで一部で話題になった。
Tweet
ホームページ

★ザックス・エンターテインメント

データ制作やCG制作を行う会社。96年設立。
ここもクインテットの開発者が移籍したとか。
開発実績にセガサターンのシミュレーションレースゲームがあるけど(コードR?)、これだけじゃ分からんか。
Tweet

★★★日本ファルコム

ドラゴンスレイヤーシリーズ、イースシリーズ、英雄伝説シリーズで知られるゲーム会社。
家庭用ゲーム機が強い日本の中で、長年PCをプラットフォームに活動し続けていた。
PSP参入から、PS系ハードにシフトしているがSteamを通じてPCへの供給も続けている。
クリエイターの独立が多い会社でもあり、クインテットはイース3のスタッフが主となって設立された。
ゼノシリーズの高橋哲哉や『君の名は。』の新海誠も同社出身である。
ホームページ

日本一ソフトウェア

岐阜県にあるジパングいちの伊達会社。魔界戦記ディスガイアでPS2以降知名度を上げた。
ファルコムと親密な関係にあるようで、Switch版イース8はここから出ている。
また、海外事業では日本一以外のソフトも扱っている。

★★スクウェア・エニックス

RPGの2大タイトルを抱えるライバル会社が合併により誕生したのは2003年。旧社から続く人気タイトルの続編を中心にリリースを続ける。
クインテット作品の復刻を拒んでいるのでは、という邪推な妄想をしていた時もあったが、
最後に関与した『ソウルイーター モノトーンプリンセス』の発売元(開発中にクインテットは倒産)である事が発覚。
アクトレイザーのVC配信も倒産前に行われており、クインテットが倒産しなければ他の作品も配信されていた可能性が高い。

★タイトー

ゲーム史に残る一作『スペースインベーダー』で知られる。キャッチ・ザ・ハート
『バブルボブル』『ダライアス』などアーケードゲームでヒット作を持つ一方、コンシュマーではあの『たけしの挑戦状』を手がける。
84年に創業者が死去、86年に京セラが資本参加。一般向けには『電車GO』以外大ヒットといえる作品を残せなかった。
PS2時代にイースの3~5を出しているが、評価は厳しいものがあった。
2006年にスクウェア・エニックスが子会社化。
スクウェアもエニックスもPCゲームから発展したメーカーだったが、タイトーを手に入れたことでアーケードにも参入することとなった。
クインテットとは超発明BOYカニパンのPS版を発売した縁がある。
カニパン自体はドリキャス展開中のセガが関わった作品だが、キャラクターゲームのせいかライバルハードのPSでも発売された。

★★★エニックス

ドラゴンクエスト(ドラクエ、DQ)で有名なゲーム会社。開発は他社が行い、パブリッシャーに専念する経営方針が特徴。
このせいか、作品の復刻はスクウェアの作品に比べて少ない。
クインテットとはスーファミ時代のパブリッシャーであり、クインテットの作品といえばこの時代の作品を浮かべる人が多いだろう。
クインテットがサターンをメインプラットフォームに選んだことから疎遠になるが、PSのプラネットライカではクインテットがプログラミングを務めた。
ホームページ(2002年1月24日のアーカイブ)
最後のホームページ(スクウェア・エニックスのサイトへ誘導、2003年9月20日)

ドラクエのエニックス


エニックスは言ってしまえばドラクエの会社である。
少年ガンガン擁する出版部門も柱だったが、その雑誌名もドラクエの作戦名「ガンガンいこうぜ」から来ている。
ガンガン初期を支えた柴田亜美や衛藤ヒロユキは『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』出身である。
ゲームでもドラクエ以外の柱を立てようとし奔走し、スターオーシャンを生み出す。
中でも『~セカンドストーリー』は72万本のヒットを記録し、ガンガンで漫画化。
しかし、エニックスお家騒動で作者が引き抜かれ連載終了。
この危機を救ったのが『鋼の錬金術師』で、作者の荒川弘は衛藤ヒロユキの元アシスタントだった。
エニックスにとってドラクエは、バンダイにとってのガンプラみたいなものなのだろう。

クインテットの誕生


そのドラクエは、基本となるシステムを3で完成させており、それ以降、ドラクエとは何かを問いつつ、シリーズを緩やかに発展させていった。
1~3は1年おきに発売されていたが、4は2年かかっている。
4の発売が90年2月、クインテットが設立されたのは前年89年の4月。
スーファミ時代のエニックスは、ドラクエ以外の柱を欲していた。
実際ワンダープロジェクトJ2のファンブックで、エニックスの藤本広貴氏が「『J』シリーズを『ドラクエ』以外の2本目の柱とするべく~」と語っている。
最初にその役割を担ったのが、クインテットとプロデュース、アルマニック(後のギブロ)である。
これら3社のソフトは、高い評価を得たものの、大ヒットには至らなかった。
結局、ドラクエに続く柱は『スターオーシャン』擁するトライエースが担うことになる。

クインテットとの関係

クインテットの本社はエニックスからの借り物で、エニックスの研究所が同地にあったという。
資本関係は不明なものの、トライエース(旧エニックス本社を間借りしていたことがある)や任天堂とインテリジェントシステムズ(2003年から10年間旧任天堂本社に入居)のようなものか?
エニックスプロデュースを離れ、ESPと関係を持った頃には「はよ出てって」と言われたそうだが、実際出ていくまでは期間が空いており、プラネットライカの件を踏まえると、完全に関係が切れたわけでも無いような。
エニックス後のクインテット作品は(そんなにプレイした訳じゃないが)やりたいことに時間や資金が追いついていない感じがした。
やはりエニックスプロデュースの力は大きく、蜜月の関係が崩れてしまったのを残念に思う。

エニックスの関連会社
エニックスと関連の深い会社について記述する。書いていくと、ドラクエの開発会社とオリジナルタイトルをエニックスに販売・プロデュースしてもらう会社に分けることができる(クインテットは後者)。
浮き沈みの激しい業界ではあるものの後者で存続している会社は皆無。
それだけならまだしも、作品の再販もほぼされていない。

チュンソフト

中村光一が設立したゲーム会社。
『ポートピア連続殺人事件』や1~5のドラクエを開発していたが、その後は『かまいたちの夜』『不思議のダンジョン』シリーズなどオリジナルタイトルを展開していく。
2005年にドワンゴの傘下に、2012年に同じドワンゴ傘下のスパイクと合併しスパイク・チュンソフトになる。
そのドワンゴも角川と合併しKADOKAWAに。

ハートビート

チュンソフトに所属していた山名学が設立した会社で、同社からドラクエの開発引き継いだ。
6と7、PS版4を開発後に活動休止。
その後山名はジニアス・ソノリティを設立し、ポケモンタイトルに関わる。
ジニアスとして『ドラゴンクエストソード』の企画を担当したことも。

☆アルテピアッツァ

エニックスのPCゲーム『ジーザス』などを手がけた眞島真太郎が設立した会社。
眞島氏は『ソウルブレイダー』にもグラフィックで参加している。
最初はグラフィック担当だったが、エニックス所属で堀井雄二の初代秘書だった杉村幸子が後に合流。
ハートビート解散後はプログラマも合流したようだが、プログラムに関してはキャトルコールに任せることもある。
真の代表作はコーエーから発売されたオプーナで、売上は振るわなかったものの、ネタとしてコーエー(後のコーエーテクモ)のマスコット的な位置に落ち着く。
設立の経緯からエニックスと縁の深い会社だが、『ロマンシングサ・ガ2』のリメイクでスクウェアタイトルにも関わる。

☆ランダムハウス

森田将棋の森田和郎が設立した会社。
エニックスがファミコンで最後に出した『ジャストブリード』や逆にゲームボーイ最初のソフトとなった『ダンジョンランド』の開発に関わる。
99年に設立された悠紀エンタープライズに営業権を譲渡したが、その悠紀エンタープライズも2016年に解散。
『イース通史』を読むと分かるが、森田和郎はPCゲーム黎明期に欠かすことの出来ない人物。アクションが苦手なPCでアクション性のある作品を作った手腕は、『ザナドゥ』や『イース』の誕生に深く関わっている。

★★ギブロ

旧社名:アルマニック
テクノスの富山氏、エニックスの米田喬、エイコム(?)の七條敬重3人で立ち上げた会社。
エニックス関連ではクインテットと関係が一番が深い。
『ワンダープロジェクトJ』はたのみこむで2008年に行われた「復活して欲しいレトロゲーム」で1位になり、そのせいか『J2』が携帯アプリで復活した。
しかし、復活した2010年はスマートフォンの普及が始まっており、一番ファンが期待したであろうバーチャルコンソールの配信は実現しなかった。
この「微妙な復活」はクインテットにも共通するが、何か事情があるのだろうか。

ゲームプラン21

スーパーファミコン版『46億年物語』と『エルナード』の発売元で、エニックスの謎子会社。
46億年物語の開発元アルマニック(後のギブロ)
エルナードの開発元はプロデュース。

☆プロデュース

『ミスティックアーク』や『パカパカパッション』で知られるゲーム制作会社。
クインテットとの関係はほぼないものの、どちらもエニックスをパブリッシャーにスーパーファミコン用ソフトを制作していた。ミスティックアークは天地創造と発売日が近かった(7月と10月)ため、ゲーム雑誌の広告では一緒に扱われたことも。
代表取締役の今田真二氏はアイレム出身。スーパーボンバーマンシリーズに関わっているのは、アーケード版ボンバーマンをアイレムが出したことも関係しているだろうか。
同氏はエニックス最後のファミコンソフト『ジャストブリード』のゲームデザインも担当している。
『パカパカパッション』はナムコからの発売だが、これはすでにエニックスが『バスト ア ムーブ』という音ゲーを出していたからだろうか。
同作はD4エンタープライズが商標を取得し、ゲームアーカイブスで配信中。だが、ミスティックアークは…。
2000年頃解散したと思ったら、破産手続開始が2015年(リンク)。ミスティックアークが復興されない理由はますます不明である。
会社概要のアーカイブス

J・フォース

日本テレネットのプログラマー、ウルフチームの代表を務めた秋篠雅弘が設立したが、同氏が失踪し倒産。
エニックス関連だと『熱血大陸バーニングヒーローズ』の開発会社だが、この作品がウルフチーム発案なのかは不明。
開発途中だった『ドラゴンフォース』はセガが引き継いで完成させ、オリジナルメンバーはアイディアファクトリーで『スペクトラルフォース』を制作した。

トライエース

エニックスが関わった会社の中では、文字通りエース級の活躍をみせる会社。
代表作はスターオーシャン(SO)とヴァルキリープロファイル(VP)。
テイルズオブシリーズ第一作『〜ファンタジア』のチームが制作途中で一部独立し設立。
この制作チーム(ウルフチーム)はビジュアルに定評がある日本テレネットから派生したチームで、テイルズもSOもビジュアルの強さがヒットの要因だろう。
VPは寡作でSOも最新作『6』が低評価を受けるなどしているが、ソーシャルゲームで存在感を示している。

トライクレッシェンド

トライエースのサウンドディレクター初芝弘也が設立した会社。子会社ではないが、初期には同社のサウンド担当がメインだった。
モノリスソフトと共同で『バテン・カイトス』を開発。トラクレの筆というマグナスで「どっかのソフトハウスをパクったような社名とロゴが目印!」と自虐ネタを披露。
また、今作での繋がりからか、『無限のフロンティア』『PROJECT X ZONE』などを担当した森住惣一郎が後に移籍してる。

★ビーエムエフ

指紋認証を研究するエニックス研究所として1987年に設立。2000年に現社名に変更して独立。本社の住所がクインテットの旧住所と同じ。
その後、同じ川崎市黒川内で移転しているようだが、2015年以降の活動が確認できない。
公式ページ(アーカイブ)
川崎企業紹介〜ビーエムエフ〜
国税局 法人番号公表サイト

☆トレジャー

セガ陣営と見る向きも多いトレジャーだが、『ゆけゆけ!トラブルメーカーズ』で64にも参入。
エニックスが64に供給したのはこれが最後で、ワンダープロジェクトJ2とわずか2作品に終わる。
その後、引き続き64で『爆裂無敵バンガイオー』を制作。販売元はESP…って、サターンは?
さらに任天堂にパートナーを組み換え『罪と罰』を制作。
トレジャーが64で手掛けた作品はどれも売れなかったが、評価は高い。
特に罪と罰は任天堂から発売されたこともあり、コアなファンを獲得しており、続編がWiiで制作されている。

★是空→(キムラナカジオフィス、アンバイ)

クーロンズ・ゲートの木村央志が設立した会社。
『プラネットライカ』はこことクインテット(プログラム)の共同開発なので重要なのだが、
あまり情報が出てこない。
いや、出てこないわけないのだが、脳が溶けそうなのであまり調べる気にならなかったりする。
キムラナカジオフィス(ウェブアーカイブ)

メトロ

バストアムーブの開発元。2019年現在も存在(HP)。

システムサコム

ゲームアーカイブスで配信されている数少ないエニックスタイトル、アストロノーカをムームーと共に開発。
今作付近でゲーム事業から撤退しているが会社としては存続している。
会社が残っていると配信のハードルが下がるのだろうか。
ゲーム事業撤退に伴い、一部スタッフがアイビーアーツを設立したが、2016年に破産し消滅している。

ムームー

『がんばれ森川君2号』や、後に『くまうた』に関わる森川幸人が設立した会社。
社名は『ジャンピングフラッシュ!』のムームー星人(プレステ初期のマスコットだった)からと思われる。
『アストロノーカ』と続編『コスモぐらし 〜オンライン的野菜生活〜』両方にクレジットされているのはこちらだけなので、ゲームデザイン担当だろう。
2016以降の活動が確認できないが、ホームページは残っている。
コスモぐらしはスクウェア・エニックス誕生直前に発売され、合併後の2005年までサービズが続いた。
ホームページ

サンドロット

ヒューマンで『リモートコントロールダンディ』を作ったチームが独立して設立した会社。
エニックスではPS2で『ギガンティックドライブ』を開発。
そのエンジンを流用し、SIMPLE2000の『THE 地球防衛軍』を発売。
コードRの経験を『THE ゼロヨン』に活かせなかったクインテットと対象的に、同作はSIMPLEシリーズの域を超える人気を博し、後にフルプライスでシリーズ化されることになる。

バンプール

アーティスティックでシュールな作風で一部で熱狂的なファンを持つ、ラブデリック(代表作はmoonなど)から派生した会社。
ラブデリックはスクウェアから独立したスタッフによって作られた会社である。
エニックス関連ではPS2で『エンドネシア』を開発。
売上としては任天堂と組んだ「もぎチン」で花開くわけだが、あの作品はチンクルというキャラクターあってこそなので、エニックスがずっと抱えてても意味なかったと思う。

☆スクウェア

ファイナルファンタジーを擁し、ドラゴンクエストで有名だったエニックスと長らくライバル関係にあった会社。
ビジュアルに強みを持つ会社で、CDメディアを最大限に生かした『ファイナルファンタジー7』は、「ドラクエを超えるのはドラクエだけ」と言っていたドラクエを唯一超えた存在かもしれない。
一方で堀井雄二を招いて『クロノ・トリガー』を制作しており、スクエニ誕生のきっかけとなったともいわれる。
プレイステーションでは圧倒的な存在感を示したが、制作費は高騰していたため、決して順風満帆とは言えなかった。
安定した売り上げ確保のため、制作するソフトをファイナルファンタジー絡みに絞るという「FFシフト」で、スタッフの離反を招く。
映画ファイナルファンタジーやデジキューブの失敗、更に高騰する次世代ソフト開発など、様々な思惑が交錯する中、ライバルであったエニックスとの合併を選ぶ。

クインテットとの関係

直接的な関係は見いだせないが、ここでは間接的に関係ありそうな部分を記述する。
アクトレイザーの古代祐三氏が同じスーファミ音源で衝撃を受けたのが当時スクウェア所属の光田康典が作ったクロノ・トリガー。
スクウェアの看板作品の聖剣伝説。クインテット3部作と同じアクションRPGなため、たまに比較される。特に、『聖剣伝説3』と天地創造は発売日が1か月違い。
クインテットの伝言板によると、アクトレイザーはルネ・マグリットの『ピレネの城』からインスピレーションを受けたようだ。
聖剣伝説3のパッケージにもピレネの城を彷彿とさせる浮遊石が登場する。というか直接的な影響はこっちの方な気がする。
クインテットがサターンで出した、レースゲーム+ADVの『コードR』。
対してスクウェアがPSで出したのは、レースゲーム+RPG『レーシングラグーン』。
コードRのRもRacingPoemGameの略なのだろうか。
スクウェアの関連会社
スクウェアの場合、FFヒット前、FFヒット後、FF7ヒット後(「FFシフト」に反発し独立した会社)に分けられる。

☆ディスク・オリジナル・グループ(DOG)

スクウェアを中心に結成されたゲームブランド
その名の通り、ファミコンのディスクシステムに作品を提供した。
クインテットと直接関係無いが、集まったのはファルコムと同じPCゲームを作っていた会社。
その理念は後のESPに通づるものがあり、供給ハードが普及せず苦戦したのもESPのようである。
スクウェアがDOGで出した作品は、『水晶の龍』『とびだせ大作戦』『アップルタウン物語』『クレオパトラの魔宝』の4作品。


『聖剣伝説 -THE EMERGENCE OF EXCALIBUR-』は開発中止。GB版聖剣伝説はこれの商標を流用しただけで内容は別物である。
(DOG版の写真が多数あるリンク)。

キャリーラボ

DOGでは『ハオ君の不思議な旅』を開発。
『ハイドライド』をMZに勝手移植したとか
一方、オリジナル制作者の内藤は、事前情報なく移植した技術力を高く評価しているリンク

クリスタルソフト

DOGでは『カリーンの剣』を開発。また、PC初期のRPGで、他者の作品にも影響を与えている『夢幻の心臓』も制作している。
90年、T&Eソフトに吸収合併され、T&Eソフト大阪開発部になる。一部スタッフはスクウェアへ移籍し、同社の大阪開発部として『時空の覇者 Sa・Ga3』を制作。

システムサコム

DOGでは『ムーンボールマジック』を開発。エニックスの関連会社でもあるので、詳細はそちらで。

シンキングラビット

倉庫番で知られるゲーム会社。DOGでは『磁界少年メット・マグ』を開発。

ハミングバードソフト

1986年12月19日に発売された『ディープダンジョン 魔洞戦記』は、ファミコン初の3DRPG(ドラクエ1は同年5月27日発売)。
シリーズは4作目まで発売されたが(発売元は1~2はDOG、3はスクウェア、4がアスミック)、人気を定着させることは出来なかった。
現在の知的財産権はD4エンタープライズが持っている。

☆マイクロキャビン

DOGでは『亜空戦記ライジン』を開発。
FF1のMSX2版を制作、イースに強く影響を受けた『サーク』シリーズを展開していたことも。

3DOやPC-FXにも力作を投入する苦労人。努力が報われることは無かったかもしれないが、パチンコ関連事業に転換し、会社としては存続している。

クエスト

伝説のオウガバトル、タクティクスオウガで有名な会社。PCエンジンのシューティングゲーム『マジカルチェイス』は、発売元が倒産した後プレミアが付いたため、ゲーム雑誌が受注受付し、再販された。
松野泰己を始めとする、オウガバトルサーガ(シリーズ)の中心メンバーはスクウェアに移籍。残ったメンバーで続編、外伝を制作するが、2002年、スクウェアに事業譲渡し解散。
メンバー移籍後は、SNKや任天堂と関係を持っており、特にクエスト解散後、社長が(任天堂子会社の)NDキューブ代表を務めるなど、任天堂と親密な関係にあった。

デジキューブ

スクウェアがコンビニでのゲーム販売を手掛けるために設立した会社。
ゲームのサントラや攻略本の発行も行っていた。
コンビニゲーム自体の収益がイマイチだったことや、絶縁状態だった任天堂関連の商品が扱えず収益が悪化。
スクウェアが同じ出版事業を抱えるエニックスと合併をすることから解散。
(取り扱いコンビニに、ニンテンドウパワーのソフト書き換えを行っていたローソンが含まれていないことも、任天堂との関係を暗示している)

ドリームファクトリー

バーチャファイターや鉄拳のスタッフがスクウェアの援助を受けて設立した会社。通称『ドリフ』。
FF7の体験版を同梱した『トバルNo.1』でデビュー。その後『トバル2』、『エアガイツ』『バウンサー』と開発したあたりでスクウェアの経営が悪化。以降はキャラクターゲームの制作を手がけるが、酷評を受ける。
一時、ホームページからゲーム制作のページが無くなるが、カタログIPプロジェクトでひっそりと再開。

☆T&Eソフト

アクションRPGの草分け『ハイドライド』や『遥かなるオーガスタ』などのゴルフソフトで有名な会社。名古屋のゲーム会社って意外と珍しい。
『ザ・ブラックオニキス』と『ドルアーガの塔』を参考に、内藤時浩が3ヶ月で制作した『ハイドライド』は、アクションRPGの草分け的存在で「西の内藤」と呼ばれた。
この時の「東」は日本ファルコムの「木屋善夫」で、クインテットスタッフにも間接的に影響を与えている。
バーチャルボーイに謎のこだわりを見せており『レッドアラーム』はハードメーカーの任天堂以上にハードの性能を引き出したとも。
レッドアラームレッドアラームレッドアラームレッドアラームレッドアラームレッドアラーム…

97年経営悪化し、旧知の中だったスクウェアオーナーの宮本雅史から資金援助を受ける。主力であるゴルフゲームのライバルとして『みんなのゴルフ』が出たのも97年だが、関係ないかな?
その後ディズニーの資本参加を受け、ゲームとは無関係になるが、別法人がゲーム制作を継続。紆余曲折あって、ゴルフ事業はコナミ、ゲーム事業はスパイク・チュンソフトへ受け継がれた。

サクノス→ノーチラス

聖剣伝説の作曲家、菊田裕樹などがSNKの出資を受けて設立。映像に並々ならぬこだわりを見せた『クーデルカ』や、アルゼ傘下になりノーチラスとして制作した『シャドウハーツ』が有名。
後にアルゼグループに吸収されて解散。制作スタッフはパオンやフィールプラスに移籍したとか。

ラブデリック→パンチライン・バンプール・スキップ

クロノ・トリガーやスーパーマリオRPGを制作していたメンバーが独立して設立。スクウェアの王道ともいえる作風とは真逆のアーティスティックな作品を世に送り出す。

アルファドリーム

Sa・Ga3やミスティッククエストを制作していたスタッフが独立して設立。マリオ&ルイージRPGやとっとこハム太郎など、任天堂関連の発売が多かった。
発売するソフトの評判は高かったが、2019年10月破産申請。上手くいかないもんだね。

ブラウニーブラウン→ブラウニーズ

『聖剣伝説Legend of Mana』のスタッフが独立して設立、LOMで培った2Dグラフィックに強みを持つ。聖剣シリーズ、『マジカルバケーション』『MOTHER3』などを制作。
任天堂の出資を受けたが、寡作な時期があったり、『ファンタジーライフ』など任天堂以外から発売されるソフトがあったり、色々あったようだ。
引き続き任天堂の関連会社として「1-UPスタジオ」に社名変更。ブラウニーブラウンの代表は、新たにブラウニーズを設立。

グレッゾ

聖剣伝説シリーズに関わった石井浩一が設立。他にサガシリーズのバトルデザインを手がけた小泉今日治が在籍。
ゼルダの伝説のリメイクによく関わっており、『時のオカリナ3D』『ムジュラの仮面3D』、直近ではSwitchの『夢をみる島』に関わっていることも判明している。

★モノリスソフト

『ゼノギアス』開発スタッフがナムコの出資を受けて独立。代表の高橋哲哉は元ファルコム出身で、イース3に関わっていた。ゼノギアスとの関連を伺わせる『ゼノサーガ』を開発するが、製作体制を整えつつの開発だったため、試行錯誤の連続だったようだ。
ゲームキューブ独占のRPGとしては数少ない『バテン・カイトス』を制作、ハード末期に出された『2』は任天堂が発売元となっている。
その後任天堂の子会社になり、Wiiで発売された『ゼノブレイド』は各方面から賞賛を得る。
DSやWiiが好調な時の株主総会で「売上の割に規模拡大に消極的、傘下にしたのもモノリスソフトくらい」という質問があり、それに対して「(浮き沈みが激しいから無理な拡大は危険)、モノリスソフトは特別」みたいな回答をしていた記憶がある(何年のかな?)。その言葉通り、従来任天堂が手薄だったコア層へアプローチ出来る会社といえる。

★任天堂

元は京都の花札屋。会社を大きくしようと失敗を重ねながら行き着いたのが娯楽事業で、ビデオゲームの市場を切り開いた。
可能性を秘めたハードと強力なソフトが魅力だが、任天堂以外が育たないと「子ども向け」の印象を与えてしまうことも。
任天堂でゲームを覚え、ドラクエやFFでRPGを覚え大人になっていく時代が確かにあった。
それ故、ドラクエとFFが離れた64はRPG不足が非常に深刻だった。
そこに『Sa・Ga』が発見した「携帯機RPG」の発展として、『ポケットモンスター』が登場。
任天堂もRPGの確固たるシリーズを持つこととなる(ポケモンがMOTHERの影響下にあるのは言わずもがな)。
さらに元スクウェアスタッフが設立したモノリスソフトを傘下に収め、RPG制作の体制を強化。
とはいえ、RPGが占める割合は多くなく、少数精鋭といえる。
任天堂が作ったバーチャルコンソールのページには、当然ながらアクトレイザーもある。
バーチャルコンソール アクトレイザー
国内任天堂とクインテットは直接関わらなかったが、SNES(海外版スーファミ)から撤退した(?)のエニックスに代わり、『スラップスティック』『ガイア幻想紀』『天地創造』の海外版を発売した。

インテリジェントシステムズ

ファイアーエムブレム(FE)などで知られる会社。イズさん。
任天堂の実質的なセカンドパーティーで、ソフトの開発支援ツールも制作している。
FEは任天堂関連では年齢層が高いため、時々無茶なチャレンジをさせられる。任天堂の赤い核実験場
(夢をみる島がリメイクされるなら『カエルの為に鐘は鳴る』もいいんじゃない?)

ホームページ

HAL研究所

星のカービィなどで有名な会社。カービィ&スマブラの桜井政博や後に任天堂の代表を務める岩田聡(1959年-2015年)は同社出身である。
『アルカエスト』は自社ブランドで発売予定だったが、同社が和議を申請したため、スクウェアから発売された。
バーチャルコンソール等の配信はされていないが、ハル研究所公式チャンネルによる動画がある。

アルカエスト | SQUARE ENIX
ホームページ

★イニスジェイ

2016年12月5日に設立されたイニスの後継企業。
クインテット代表を務めた橋本昌哉が現在在籍している会社(テクノウチ氏のTweet)。
ホームページでは音ゲーの存在が確認できないが、これから作っていくのだろうか。
ホームページ

イニス

教育・音楽系のCD-ROM制作を行なっていたオラシオン(99年ハンズオン・エンタテインメントへ吸収合併)出身のスタッフが設立。
音ゲーを多数制作しており、『押忍!戦え!応援団』のヒットで広く知られる。
続編以後、任天堂との共演はなくなるが、トラブルがあったとか詳細はよく分からない。
2017年5月8日破産。

★ソニー・インタラクティブエンタテイメント

スーパーファミコンのCDドライブを作っていた久夛良木健が、交渉決裂後、独自に作り上げたのがプレイステーション。
自社でチップを開発できるため、徹底的なコスト削減が出来た。
しかし、プレステ3のチップにお金をかけすぎた反省から、以降は方針を見直している。
クインテットとは『グランストリーム伝紀』や『ブライティス』で関わりがある。
しかし、プレステ期に名を挙げたゲーム会社は多数あることや、クインテット自体サターン寄りの印象が拭えないので、若干影が薄い。
任天堂とは対象的に据え置き型ハードが好調。さらに据え置き型ハードの市場はアメリカが中心な為か、グループ統括会社「Sony Interactive Entertainment LLC」はキャルフォルニアにある。

ポリフォニー・デジタル

SCEの企画制作部門が1998年に独立し設立。グランツーリスモの開発を行う。

クラップハンズ

キャメロットで『みんなのGOLF』を制作した一部のスタッフが独立して設立。引き続き同シリーズの制作を行う。
みんなのGOLFシリーズは、SCEの中では間口の広い定番ソフトで一時はキラーソフトの扱いだった。

★アークエンタテインメント

ブライティスをクインテットと共同開発した会社。ソニー・コンピュータエンタテインメントのサテライトカンパニーという立ち位置。
アークザラッド2は『アークザラッドII〜炎のエルク〜』としてガンガンで漫画化された。

★バンダイナムコエンターテインメント

バンダイとナムコが合併して出来た会社。2015年まではバンダイナムコゲームスだった。
バンナム自体はクインテットと関わり無いが、合せ技一本ということで「★」。
ミニファミコンの週刊少年ジャンプ50周年記念バージョンでは、著作権者不明の場合の裁定制度の申請を行い、収録された作品がある(『北斗の拳』と『北斗の拳3』)
この制度を使えばクインテット作品の復刻も出来そうだが。

★バンダイ

楽しい時を創る企業。玩具メーカー国内最大手で、ガンダムのプラモデルことガンプラは根強い人気を誇る。
キャラクターゲームの制作も多いが、その性質上当たり外れが大きい。犬夜叉やBLEACHでクインテットもお世話になる。

★バンプレスト

バンダイグループの一員として、スーパーロボット大戦などを制作していた。
クインテットはアドバンスのシリーズで音楽制作を担当している。
法人としては解散したが、プライズゲーム向け景品のブランドとして継続している。
バンプレストといえばあのロゴだが、バンプレストのBを横にしたものだとか。

☆ナムコ

ゲームメーカーの老舗。古くはパックマンやギャラクシアン、その後も鉄拳、リッジレーサー、テイルズなどの人気シリーズを手掛ける。
何気にワンダースワンにも参入している。ここらへんもバンダイとくっついたきっかけか。
アーケードではセガがライバル的関係だったが、ハードメーカではないため、任天堂やSCEなど、参入したハードへの貢献度が大きい。
クインテットとは基本無関係だが、シューティングゲームながら世界観にこだわりを見せた『ゼビウス』や成長要素のある『ドルアーガの塔』は影響下にあるだろう。

★★ディースリー・パブリッシャー

廉価ソフトのSIMPLEシリーズで知られるゲーム会社。
ソフトの販売形態が多様化した現在では、SIMPLEシリーズから派生したオリジナルソフトや、乙女ゲームの販売が主。
THEゼロヨンの責がこの会社にだけあるとは思わないが、なぜあの出来で出してしまったのか知りたい。
ちなみに、ニンテンドーDSで『アゲ♂アゲ♂ゼロヨン深夜』というソフトを出している。
開発はSIMPLEファンにはお馴染みのタムソフト。
冒頭でゼロヨンの説明を(ちゃんと)行い、ギャルゲー要素を取り入れたりと改善(ある意味コードRへ回帰)している。
共通するスタッフはいるのかチェックしたい。

★★★エンターテインメント・ソフトウェア・パブリッシング(ESP)

1997年に設立されたゲーム会社。中小ゲーム会社の技術交換ネットワーク「GD-NET(GAME DESIGNERS NETWORK)」を母体にして設立された。
資本金は2億円で、当時セガの親会社だったCSKグループより1億円(50%)を出資し、残りの50%をゲームソフト制作会社9社から出資した。この出資会社にクインテットも名を連ねることになる。
米ハリウッドを手本としたソフトウェアに対する「投資システム」、「プロデュースシステム」の確立を目指したが、肝心のサターンが米国市場で失敗した事で計画が頓挫。
ハリウッドシステムはファイナルファンタジー擁するスクウェアが目指すこととなった。
セガがハード事業から撤退した後も、PS2やDS向けにソフトを出していたが、2010年ディスリー・パブリッシャーに吸収。
技術力のある中小ゲーム会社が団体を作る例は、何の因果か、スクウェアが幹事を務めたディスク・オリジナル・グループ(DOG)がある。
DOGは会社ではなくブランドだが、こちらも上手くいったわけではなく自然消滅している。
CSKプレスリリース1996年8月20日(インターネットアーカイブ)
ディースリー、D3パブリッシャーとESPを吸収合併
10年前くらい(PS・SS時代)のゲームソフトチラシいろいろ(GD-NETのチラシあり)

クインテット以外の構成企業

★★ゲームアーツ

『テグザー』や『シルフィード』など、技術力に定評のある会社で、メガCDに注力した事から、セガファンには広く知られた存在。
ESPの社長を同社の宮路洋一が務めており、その中で作られた『グランディア』はサターンやゲームアーツを代表する作品に。
シリーズは発売元をハドソン、エニックス→スクウェア・エニックスと変えながら『3』まで続いたが、徐々に人気は降下。手が空いたところでスマブラXの開発が舞い込み、イケショタピットを爆誕させることに。
グランディア3発売から間もなく、ガンホー・オンライン・エンターテイメントの傘下に入ることとなった。その後はあまり表に出ることがなくなったが、吸収されることなく存続している。

★トレジャー

メガドライブを代表する『ガンスターヒーローズ』『幽☆遊☆白書 魔強統一戦』を発売したことで、こちらもセガファンにはおなじみの会社。
ゲームアーツと共に、ESPの中心的存在。「セガサターンマガジン」149号ではゲームアーツ、トレジャー、クインテットの各代表が「中心メンバー」としてインタビューに答えている。
サターンでも『ガーディアンヒーローズ』を発売し、『レディアントシルバーガン』でシューティングゲームファンにも知られることとなった。
幽遊白書から続く、ハイクオリティなキャラゲーも健在で『鉄腕アトム アトムハートの秘密』『BLEACH DS』などを手がける。どちらもハード事業撤退後のセガが販売。

アルファ・システム

熊本にあるゲーム会社。「あ。」
出資してくれたのはサムシンググッドという会社で、後に筆王やウェブマネーを開発する会社である。
なぜか北海道に本社を置くハドソンと業務提携し、札幌に開発室を置く。本社熊本なのに
PCエンジンタイトルを多数手がけ、スーファミやサターンにも顔を出すが、選ばれたのはプレステでした。
『俺の屍を越えてゆけ』『高機動幻想 ガンパレード・マーチ』がコアなファンを獲得するが、その後ちょっと暴走。
PSPのテイルズやファンタシースターポータブルの開発に回りつつ、俺屍関連やシューティングゲームをリリース。

スティング

スクウェア最後のスーファミソフト『トレジャーハンターG』の開発元。
セガサターンで発売された『バロック』は評価に対して売上の伴わない98年に発売されたが、PSに移植、PS2、Wiiでリメイクされた。
ワンダースワンから始まりGBA→PSPとリメイクされた『約束の地リヴィエラ』や、GBA→PSP、そして最近アプリ版が出た『ユグドラ・ユニオン』など、逆境に強いソフトが多い。
一時期ゲーム会社を多数傘下に収めていたTYOの子会社になるが、後に独立している。

☆ネバーランドカンパニー

サターン末期の隠れた名作『カオスシード〜風水回廊記〜』やスーファミの『エストポリス伝記』で知られる。
派手さは無いものの良作名作を多数手がけており、ルーンファクトリーが看板シリーズになりつつあった矢先の2014に倒産。
ただし、シリーズは続いており、別会社に移籍したスタッフもいる。
タイトーから出た『エストポリス伝記2』は、後にタイトーを子会社にしたスクエニから『エストポリス』として、ジャンルをARPGに変えて発売。ほとんどの人が「別物としてなら」と評する誰得ゲーに。
「携帯アプリとして復活するがバーチャルコンソールでの配信は無し」という点でもクインテットと一致する。
バーチャルコンソールで復活させてのエストポリスなら不満も少なかっただろう。

CSK総合研究所

当時は、セガと同じCSK傘下だった企業。英語表記のCSK Research InstituteからCRIと呼ばれることもあり、現社名CRI・ミドルウェアに引き継がれている。
現在ではミドルウェア開発に専念しているが、『エアロダンシング』シリーズなどのゲームソフトも作っていた。

ビッツラボラトリー

古くは「Workss」名義で、様々な作品の開発を行っていたメーカー。
『ボコスカウォーズ(FC版)』『キングスナイト』『トゥルーラブストーリー』など、関わった作品も様々。
残念ながら現存していない模様。

日本アートメディア

アレサやルナシリーズを開発している会社。現存しているようだ。ホームページ

オニオンエッグ

ESP関連だと『スレイヤーズろいやる』『~2』(発売:角川書店)を開発した模様

角川書店(現・KADOKAWA)

1945年、国文学者の角川源義により創業された出版社。2代目の角川春樹により大きく成長する。
書くのが面倒なので、あとはWikipediaでも読んでくれ。

メディアワークス(現・KADOKAWA)

角川兄(春樹)の横暴に耐えきれなくなった弟がマル勝スタッフを引き連れ電撃的に設立した会社。
しかし、設立からまもなく兄が電撃的に逮捕されたため、弟は角川とメディアワークスの社長を電撃的に兼任。
色々あって今は角川。

バンダイ

夢クリエイション
後にキャラクターゲームを作るクインテットがお世話になることに。
セガとの合併が取り沙汰された事もあったが、企業文化に違いがあるということで破局。
後にナムコとくっつく。

CSKベンチャーキャピタル(現 ウィズ・パートナーズ)

セガの親会社CSKグループだった会社。2010年に独立して現社名に。
その名の通り、資金面でESPを支えたようだ。

KADOKAWA

マーベラス以上に複雑すぎて書きたくない会社NO.1。角川書店とドワンゴによる「KADOKAWA・DWANGO」が前身。
角川書店

角川ゲームス

角川グループのゲーム事業強化のために設立された会社。
ブランドとして角川を全面に出したいのは分かるのだが、角川にゲームのイメージがあまりなかった。
出した作品もその出来はまちまち。

ドワンゴ

niconico(ニコニコ動画)で知られる会社。よく本社が爆発される。

G'zブレイン

ゲーム雑誌の代名詞、週刊ファミ通を発行する会社。旧社名のエンターブレインの方が知られている。

アスキー

週刊アスキーなどの出版物や、ダービースタリオンやツクールシリーズなどのゲームを作っていた会社。
経営多角化に失敗し、角川グループへ。メディアワークスとくっついてアスキー・メディアワークスとなった後KADOKAWAに吸収。

メディアワークス

「電撃」を冠するゲーム雑誌やライトノベルの電撃文庫で知られる。

スパイク・チュンソフト

ダンガンロンパや洋ゲーローカライズで知られるスパイクと、サウンドノベルシリーズや不思議のダンジョンで知られるチュンソフトが合併して設立した会社。

フロム・ソフトウェア

アーマード・コアやDARK SOULSで知られる会社。熱狂的なファンが存在する。
ブライティスがキングスフィールドっぽいという意見があったような。

☆セガサミーホールディングス

2003年サミーがセガを吸収して設立。
セガの社名が前に来るのは、パチスロ・パチンコメーカーのサミーより、ゲームメーカーのセガの方が好感度が高いからだろうか。
当時セガの親会社だったCSKは、セガのハード事業撤退やオーナーの大川功が死去した事により、売却を模索していたとされている。

★★セガ

セーガー
エニックスプロデュースから離れたクインテットが新たに組んだパートナー。ただし、最初はセガ自体ではなく、ESPやゲームアーツからのラブコールに応えたというのが妥当か。
ESPの活動が停滞した後も、セガから開発を任されたようだ。
ハード事業撤退後の共演は確認できていない。本体を立て直すのに必死で、クインテットにかまっていられなかったであろう。

コンパイル

ぷよぷよで屋台骨を支えようとして倒産した会社。の~みそこねこね。
ぷよぷよ以前は良質なシューティングゲームを手掛けることで知られていた。

サミー

パチンコ・パチスロメーカー。ゲーム事業も行っており、初期のギルティギアの販売元。アスキーからゲームの機周辺機器事業を受け継いだりしていた。
ユニバーサルエンターテインメント(旧アルゼ)とは犬猿の仲として知られていたが、いつの間にか和解し、共同で子会社を設立している。

アトラス

真・女神転生やペルソナシリーズで知られる会社。インデックスグループの破綻により、セガ子会社になった。
大ヒットと言える作品こそ無いが、リリースした作品のハズレなさは異常。
JRPGが批判にさらされた際、海外のクリエイターが"例外(良いJRPG)"として『ペルソナ4』をよく引き合いに出していたのが印象的。
スマブラ最新作にジョーカーも参戦したし、今やJRPGを代表する存在だろう。

コナミホールディングス

コナミグループの持株会社。コナミィ!

コナミスポーツクラブ

マイカルグループの経営不振から傘下のフィットネス会社「ピープル」を買収。スポーツクラブ業界トップへと成長させた。

コナミアミューズメント

アーケードゲームとパチンコ・パチスロ事業を行う。前身はパチンコ・パチスロの高砂電器産業で、経営不振に陥った同社をコナミが傘下に収めた。
その後現社名に変更し、コナミデジタルエンタテインメント(KDE)が行っていたアーケード事業を継承した。

☆コナミデジタルエンタテインメント

スポーツゲームやメタルギアソリッド、遊戯王で有名なゲーム会社。多くの人が思う「コナミ」はこの会社ではないだろうか。クインテットとの関係はほぼ無く、ファルコムと同じくPC(MSX)に注力したぐらい。
やや強引な手法でゲームファンからは嫌われることも多いが、近年は方針を転換したようで、ボンバーマンの復活やPCエンジンミニなども手掛ける(『イース1・2』も収録)。
ゲームが嫌いというより、ビジネスとしてシビアに見ているのだろう。

★ハドソン

北海道発祥のゲーム会社。ミソラーメングループ。
元は無線ショップだったが赤字なので、PCソフト販売へと転換。ファルコムと似たようなものか。
PCソフトを供給していたシャープとの縁で任天堂にも関わり、ファミコン初のサードパーティへ。
その立場に安住すること無く、独自のグラフィックチップを開発。NECとタッグを組み、PCエンジンを発売した。
ゲーム機で初めてCD-ROMを採用した周辺機器を発売したが、そのキラーソフトになったのが『天外魔境』と『イース1・2』。
『天外魔境2』ではイース1・2の岩崎氏も合流し、CDメディアならではの演出とボリュームを実現した。
PCエンジンにはコナミも参入しており『ときめきメモリアル』を制作。後にコナミ傘下になったのはここらへんも関係しているのだろう。
しかし、後継ハードの「PC-FX」では「アニメーション」というマニアックな方向に舵を切ったため、極度の不振に陥り撤退。
他ハードへ参入もプレイステーションが後手に回ったことが少なからず痛手となった。
『マリオパーティ』や『桃太郎電鉄』以外のヒット作を作ることが出来ず、コナミに吸収され解散。
イース1・2にクインテットスタッフは関知していないが、後に『ロボットポンコッツ2』で仕事をすることになる。

コーエーテクモ

創業者の死去や後継社長と名物クリエイターの軋轢によりトラブルとなっていたテクモを、コーエーが救済する形で設立。その前にスクウェア・エニックスからTOBの提案を受けていたが、創業者同士の親交が深かったことが決め手になったようだ。
『ドラゴンクエストヒーローズ』やアーケード・スマホ版『ディシディアファイナルファンタジー』の開発を手掛けるなど、スクエニとの関係が無くなったわけではない。

★コーエー

信長の野望や無双シリーズで知られる会社。
クインテットが制作に関わった『マジカル封神』の販売元。日本ファルコムと同じく、一般向けPCソフトを長らく手掛けていた。

テクモ

キャプテン翼やモンスターファーム、デッド オア アライブで知られる会社。
TeamNINJA代表の板垣伴信が去った後は、やや裏方に回った印象だが、その技術力は高く評価されている。

★★ガスト

長野にあったゲーム会社。現在はコーエーテクモゲームスの長野開発部として活動。
事業縮小後のクインテットと関係があり、『リリーのアトリエ』や最晩年に手掛けた『アルトネリコ』などに関わる。
つづりは「Gust」で、あったカフェレストランの方は「Gusto」。

マーベラス

銀行の合併並に色々くっついていて説明が面倒。
セガでキャラクター部の商品化獲得営業をしていた中山晴喜が前身となるマーベラスエンターテイメントを設立。
彼の父はセガ中興の祖といわれる中山隼雄である。
その父が設立したAQインタラクティブと、ライブウェアを吸収しマーベラスAQLに。某ハンバーガーショップのパチもんのようなロゴだった。

その後社名変更して現社名に。(サウンドロゴが出る動画がアレなのしかない)

代表作は牧場物語や閃乱カグラなど。

マーベラスエンターテイメント

略称の「mmv」は「Marvelous Media Vibration」の略だとか。
DSの頃はバグが多かったり『海腹川背Portable』などで叩かれたりもした。
反面新規タイトルを積極的にリリースしており、牧場物語以外の柱を立てようと必死だった。
その結果『ルーンファクトリー』と『閃乱カグラ』を爆乳爆誕させる。

パック・イン・ビデオ→ビクターインタラクティブ

ビクターやTBSが中心となり設立された、ビデオ制作とゲームの制作会社。
採算の悪化からビデオ事業から撤退し、残ったゲーム事業をビクターエンターテインメントと統合しビクターインタラクティブになる。
『川のぬし釣り』『牧場物語』(一作目はここが販売)など、ゲームの域にとらわれない作品を制作した。

☆JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント

ビクター音楽産業→ビクターエンタテインメント→ゲーム事業をパック・イン・ビデオへ。
ビクター音楽産業時代に、イース1~3のファミコン版を制作した。
2019年THE KING OF FIGHTERS for GIRLSでゲーム事業に再進出。

AQインタラクティブ

セガ中興の祖、中山隼雄により設立されたキャビアが前身。

キャビア

AQインタラクティブの前身企業で、同社設立後はソフト開発会社だった。
ニーアゲシュタルト/ニーアレプリカントの開発にも関わっている。

アートゥーン

『THE KING OF FIGHTERS EX』は同社が開発、マーベラスエンターテインメントが発売なので、この頃から交流があったと思われる。
バグが多かった同作や本家(?)と比べて見劣りする『ヨッシーアイランドDS』などで悪いイメージが付きがち。

スカラベ

元UPLの藤沢勤(1959年-1998年)が1992年に設立した会社。
氏の没後妻が経営を引き継ぎ、2005年キャビアへ吸収された。

☆UPL

社名はユニバーサルプレイランドに由来しており、ユニバーサル(後のアルゼ、ユニバーサルエンターテインメント)関連の会社だった。
後にクインテットに入る七條敬重が最初に入った会社。
UPLの開発した『ぺんぎんくんWARS』は『ペンギンくんギラギラWARS』としてPS4/Switchで好評配信中である。

ジー・モード

携帯電話向けゲームコンテンツの制作・開発・配信する会社。
現在も存続しているが、ガラケーの時の方が名前見た気がする。
ゲームアーツ代表宮路洋一の弟、宮路武(1965年-2011年)が代表を努めていた。
(ちょっと長いが、貴重なガラケーアプリの動画)

データイースト

ヘンなゲームとしいたけ作ってたら倒産してしまった会社。
『ヘラクレスの栄光』もそんな垢抜けない作品だったが、
野島一成が参加した3と4はシナリオが高く評価される。
氏は後にスクウェアへ移籍し、FF7やFF10のシナリオを担当する。
ゲームの版権は色々な会社に移行したが、1番多く持っているのがジー・モードである。

ハムスター

東芝EMI株式会社がゲーム事業から撤退した後、ゲーム部門のメンバーにより99年設立。
レトロゲームの配信に活路を見出し存続。当時を知る人で、この会社が生き残ると誰が思ったことか
東芝EMIのゲームはもちろん、日本物産、UPL、NMK、ビデオシステムの権利を取得。
プレイ環境がコンシュマー機以上に厳しい、レトロアーケードの作品を『アーケードアーカイブス』として配信中。

パイオニアLDC

LDCは「レーザーディスクカンパニー(コーポレーション)」の略だろう。レーザーディスクは何者だ。
スーパーファミコンで発売された『ごきんじょ冒険隊』は『ワンダープロジェクトJ』の森彰彦(1966年-1998年)が作曲を担当しており、評価が高い。
ゲームアーカイブスではハムスターが同社のゲームを配信している。
「serial experiments lain」の20周年を記念し,主要スタッフにゲーム版をプレイしてもらった。

シティコネクション

ジャレコの知的財産権を所有する会社。
『クーロンズ・ゲート』はここが配信しているが、クインテットだからかエニックスだからか『プラネットライカ』の配信はなし。
ゲームアーカイブス クーロンズ・ゲート-九龍風水傳-

ジャレコ

ファミコンサードパーティに初期参入した6社の一つだった老舗。
しかし、その優位を活かせず、なんとも形容し難いゲームを作っていた。
リアルさを売りにしたが、バントホームランなどゲームとして粗があった『燃えろ!!プロ野球』や『忍者じゃじゃ丸くん』で有名。
イカサマ麻雀『アイドル雀士スーチーパイ』やパロディシューティング『ゲーム天国』など、ずれた作品の方が本領を発揮する。
オンラインゲームを開発するゲームヤロウの子会社になったが、ゲームヤロウが倒産したため、ジャレコも事業停止。
まぁ、引き継ぐ会社があるってのは幸せなこと。
末期に話題を振りまいた加藤貴康社長は、その後ジー・モードの代表を務めるが、いつの間にか変わっていた。

カプコン

ストリートファイター、ロックマン、バイオハザード、モンスターハンターなどで知られる会社。
大手の中でクインテットとの関わりがほとんど見いだせないのも珍しい。
他の大手は合併や吸収で大きくなったが、カプコンはそういった傾向がない。

ケーツー

カプコンの数少ないグループ会社。生みの親ながら制作に関われなくなったアクワイアに代わり『天誅』を開発した。
その後カプコングループに。今の本社はカプコンのすぐ近くにある。

クローバースタジオ

2004年~2007年まで存在したカプコンの子会社。社員は全員カプコン出身だとか。
セガやコナミも一時期そういう子会社を持っていたが、再吸収された2社と異なり解散している。
売れなかったが根強いファンを持つ『大神』は、Wiiへの移植や完全版など、復刻の機会が多く羨ましい限りである。
解散後のスタッフが関わっている会社としてプラチナゲームズがある。

インティ・クリエイツ

ロックマン(X2だったかな?)を開発していたチームが独立し設立。
色々な作品を作っていたが、後に『ロックマンゼロ』を手掛けることになる。
その経験から横スクロールアクションを数多く手掛けるようになる。
社長インタビュー

ゲームリパブリック

元カプコンの岡本吉起が設立した会社、子会社ではない。『エブリパーティ』は何かとネタにされる。
作品の評価は悪くなかったが、売上が伴わず経営難に。
キャラクターゲームで糊口をしのぐなど、クインテットを彷彿とさせる動きも。
岡本氏もどん底を味わったと思うが、支援者に助けられ『モンスターストライク』で復活する。
元の知名度が違うが、宮崎氏も支援者に恵まれれば再起できたのかな。

SNK

餓狼伝説、ザ・キング・オブ・ファイターズなどの格ゲーで有名な会社。The Future Is Now
格ゲーブームの終了と拡大路線の失敗で2001年に倒産するが、後継会社「SNKプレイモア」がゲーム事業を継続。
SNKのゲームはアジアで人気が高かったことから、中国資本の傘下になり、再度「SNK」として出発。
スクエニとSNKの間では「ハイスコアガール騒動」があったが、中国資本の傘下になってから和解が成立している。

レベルファイブ

リバーヒルソフトから一部スタッフが独立し設立。日野晃博が1代で築き上げたが、日野脚本はたまに暴走する。
『レイトン教授』『イナズマイレブン』『妖怪ウォッチ』など、今では大手と言えるほどの売上を誇る。
同社に「元クインテットのスタッフも多数在籍」という情報があるが、ダーククラウドのスタッフロールに誰か居たかな…。
Developer's Profile 第14回 株式会社シング(ウェブアーカイブ)
このサイトは『ダーククラウド』に対して「ゲーム的には『天地創造』系」って言ってるし、もう少し調べるべきか。
(ダーククラウドのCMは1:00あたり)


マイクロソフト

セガ撤退と入れ替わるようにして参入したのがマイクロソフト。
PCのアーキテクチャを利用したXBOXで市場に殴り込み。
参入した時点でクインテットは事業を縮小しており、XBOX自体日本では不振だったため、関わることはなかった。
後継機種の360では日本のゲーム会社と協力し、積極的に作品を出したが、大体の作品は完全版がPS3で出た。
据え置き型ゲーム機の市場が小さい日本では色々厳しい所があり、XBOXONEは完全に空気である(その分買ったファンは後悔しないハードだと思うが)。

レア

3DCGを使い、スーファミ限界のグラフィックを実現した『スーパードンキーコング』で有名。64で出した『ゴールデンアイ007』はFPSへの抵抗が高かった逆風を超えヒットを記録した。
天地創造のCGはスーパードンキーコングと同じ機械を使って描かれたとか言っていたような??

パナソニック

松下幸之助が興した会社。旧社名は松下電器産業で、ナショナルというブランドも持っていた。
MSX陣営では、ソニーと並び中心的な存在だったが、3DOというゲーム機を製造。プレイステーション擁するソニーとゲーム事業でも対決することに。
しかし、インタラクティブマルチプレイヤーというよくわからない名称で売ったため、単に高いゲーム機と認知され失敗。
後継機種「M2」で本腰を入れようとしたが、プレイステーションの爆発的な普及を前に断念。
その後は裏方としてゲーム事業に関わることとなる。
ゲームキューブで、ディスクをカートリッジで覆う予定だった任天堂(子どもが扱うから?)に対し「DVDとの互換性が取れなくなる」と反対した。
そのゲームキューブに、子会社だったピンチェンジ(ベンチャービジネスの意味合いが強い。2005年解散)が、『お遍路さん』というソフトを出している。

NECホームエレクトロニクス

ハドソンと共同開発したPCエンジンでファミコンがほぼ独占していた市場に切りかかる。
同ハードは一定の成功を収めるが、「アニメーション」というニッチな路線を継続したPC-FXが不振で解散してしまった。
ハード事業撤退後はドリームキャストへソフト供給を始めたが、NECグループの事業再編に伴い2000年3月31日解散。

ATARI

ゲーム産業の父ともいえる会社。囲碁好きな創業者が、囲碁用語の「アタリ」から社名を付けた。
77年にVideo Computer System(VCS)を販売。後継機種「Atari 5200」販売後は名前を「Atari 2600」に改めた。
2600は他社へ仕様を公開し(サードパーティ制の導入)人気を博したが、ソフトのクオリティ管理を疎かにしたためアタリショックを引き起こしたとされる(諸説あり)。
このゲーム機は「Atari2800」として日本でも発売されたが、その頃には高性能低価格なファミコンが出たため、性能で劣っていた2800はHAZUREてしまう。
それどころか発売前のテレビCMがテレビゲーム自体の認知度を上げ、ファミコンが売れる土台を作ってしまったといわれている。
このATARIのロゴが富士山を元にしたといわれるのがなんとも泣ける話である。/^o^\アッターリー

エポック社

ゲーム事業黎明期には、業界の規模こそ小さかったものの、エポック社が王者だった。
ファミコンに対抗して作られた「スーパーカセットビジョン」にはドラゴンスレイヤーも移植されている。
(動画は実機ではなくエミュレータのようだ)
最終更新:2020年02月10日 20:32