ブレトランド異聞奇譚 第1話(BSanother09)「橋城の魔王戦争」




Prologue. 橋城の街

ブレトランド、アントリア子爵領の北方は山岳地帯が連なり、その山々を避けるように海沿いに街道、街や村が配されている(下図)。
神聖学術院で知られるバランシェを起点に、最北の街パルテノを通り、西の港町クラトーマまで。
その街道の道中に、ベルクトという街がある。
"橋城の街"との異名を持つ通り、街道を遮る川に掛けられた橋、その橋と一体化した古城を中心に発展した街である。
古城は英雄王エルムンドによるブレトランド統一以前からあったともされており(諸説あり)、優美なデザインもあって、ヴァレフールのクーン城と並ぶ高名な古城として知られている。


現在のベルクトは、川の水運を活かした交易都市としての発展をしている。
街よりもさらに上流まで船で向かい、山岳地帯の資源を輸送することが出来ることは、同街道沿いの他の港町にはない、ベルクトならではの特色である。

さて、この街に、1つの事件が起きようとしていた。
それは、古城を紅い月が照らす夜、異界の魔王による代理戦争。

「貴方が蠅騎士ね。 さあ、ゲームを始めましょう!」

「えっと、マイ・リーパー。 貴方と、契約します。」

「よし、相棒! やってやろうぜ!」

「愚かなうさぎさん、楽しいパーティーをしましょう!」

「たとえ私のキーパーであれ、この結末は、秘密…」

紅い月が昇るとき、混沌の戦争は開かれる!

Opening.1. 紅い月が昇る時

ブレトランド最北端の港町、パルテノ。
この街に仕える駐在武官の1人に、エルシュカという名の少女がいた。
異界から投影された機関銃を操る邪紋使いであり、戦うこと自体に楽しみを見出すスリルジャンキーでもある。
あまり勤務態度は良いとは言えないが、実力自体は折り紙付き、ということでこの街の防衛の一翼を担っている。
(もっとも、アントリア最北端であるこの街で人同士の戦争などはそうそう起きないので、主な任務は時折コートウェルズから飛来する飛竜の迎撃だが。)

彼女は、パルテノ領主エルネスト・キャプリコーンの執務室に訪れていた。
定例報告を終え、エルンストは彼女をねぎらう。

「うむ、エルシュカ君、今月もご苦労だったね。」

「ま、仕事なんで。」

そう言ったところで、執務室のドアがノックされる。

「エルネストさま! エルネストさま! 大変です!」

「クレハ君か、どうしたのかね?」

部屋に入ってきた声の主はクレハ・A・カーバイト。
山吹系統の静動魔法師であり、本を媒体にこの世界に投影された投影体(象徴体)である、という特殊な存在の少女である。
現在は、エルネストの副契約魔法師を務めている。

「はわわっ! 空を見てください!」

クレハに言われ、エルネストとエルシュカは執務室の窓から外をうかがう。
すると、そこには、今まで見たことも無い、鮮やかな紅い月が昇っていた。

「えっと、なんて説明すればいいのか分からないけど、あれは、私が元いた世界であった現象なんです!」

そう言って、クレハは説明を始める。
クレハが元々いた世界「ファー・ジ・アース界(第八世界とも言われる)」には、対になる異世界として「裏界(エミュレイター界)」と呼ばれる世界があること。
「裏界」の「魔王」と呼ばれる存在は、「ファー・ジ・アース界」を狙っているということ。
「裏界」との境界が曖昧になり、世界同士がつながりつつある時に、あの紅い月は現れるということ。
このままでは、「裏界」の「魔王」がアトラタンに出現する可能性があること。
この現象の中心は、"橋城の街"ベルクト方面であること。

「なるほど、危険な投影体が現れる可能性がある、というのは分かった。」
「だが、今動かせる人手も限られて…」

そう言ったところで、仕事が増えそうなイヤな気配を感じたエルシュカはこっそり退室しようとしていたが、扉にたどり着く前にエルネストに呼び止められる。
エルネストとしても、エルシュカに任せるのも若干不安ではあるが、人手が足りないと言ってしまうと、娘のマリベルが「私が行くわ!」と言い出してしまいかねない。
それよりは良かろう、とクレハに今回の件の調査、エルシュカにクレハの護衛を命じることにした。

「りょうかいでーす。」

見つかってしまったものは仕方がない。
気の抜けた返事をして、エルシュカは本形態のクレハを鞄にしまい、ベルクトへと向かうことにした。

「あの! あの! 鞄にしまわれると戻れないんですが―!」

クレハの抗議は残念ながら無視されてしまった。

  •  ・ ・ ・

<-Secret Scene->
(反転すると読めます。)

さて、魔王戦争を取り巻く物語は、彼女のもとでも動き出す。
エルシュカがベルクトに向かう途中、間にあるニナリス村に立ち寄った時の出来事である。
村に着くと、その外れの方で、戦闘音が聞こえてくる。
向かってみると、そのうちに戦闘音は止んでしまったが、徐々に強くなる血と、何かが焦げたような匂い…

路地裏には何人かの、人相の悪い男たちが倒れている。
おおかた、この近辺の街にはちょくちょく出現する海賊か何かだろう。

「うぐ…、あの野郎、あんなモンのために滅茶苦茶やりやがって…」

足元の男がうめく。仲間割れか何かでもあったのだろうか?
辺りを見回すと、1冊の本が目に入る。
それなりに豪奢に装丁されており、この場に無造作に置いてあるには不自然に思える。
エルシュカが気になってその本に手を触れると…

「こんにちは、この世界の御方! イコ=スーと言うのです!」

本から、兎耳が特徴的な幼い少女が現れた。
イコ=スーと名乗った少女は、驚くエルシュカの様子を見て、首をかしげる。

「あれ? 知っててイコ=スーを呼んだのでは無いですか?」

「知らないよ?」

エルシュカとしては、このような本にも、イコ=スーという名前にも心当たりはない。

「イコ=スーたちは、この世界で魔王戦争を開くために呼ばれたのです。」
「魔王たちは、それぞれ信頼する駒(ポーン)を選び出し、戦争を戦うのです。」

イコ=スーの語るところによると、魔王戦争とは異世界の魔王が、そちらでの覇権をかけて争う一種のゲーム、らしい。
その場所として、今回はたまたまアトラタンという異世界を使ったに過ぎない。
もちろん、協力する駒(ポーン)たちにも見返りがない訳ではなく…

「魔王戦争に勝利したら、魔王は駒(ポーン)に報酬を与えるのです。」
「貴方にもきっと願い事があるのです?」

イコ=スーは本来、人の欲、願い、心理、考えを予言と言葉で巧みに操り、破滅させることを好む魔王である。それが自身の駒(ポーン)であっても。
であるから、この問いはイコ=スーにとって非常に重要な意味を持つ。
心から求める願いをイコ=スーに知られること、それは破滅への第一歩なのだ。
だが、エルシュカの答えはある意味、"魔王女"への返答としては完璧だった。

「え? 特に無いよ。」
「強いて言うなら、人が撃ってみたい!」

「ほへ?」

願いごととして、「人が撃ってみたい」などと言われても、魔王戦争に参加する時点で他の駒(ポーン)と戦うことは必定なのだ。
そんな魔王戦争に勝たずとも達せられる願いでは、イコ=スーとしては困る。
しかも、それは確かに、「魔王戦争に参加しなくてはあまり実現の機会のないこと」である。(特に、前線から遠いこの地域では)
つまり、魔王戦争に参加する理由はあるけれど、特に願い事は無いという意味を持った返答だったのだ。

エルシュカ自身はそこまでこの魔王の本質を理解している訳ではなかったが、偶然にも最適解を答えたのだ。
その返答を聞くと、一瞬困惑した顔をしたイコ=スーが再び笑顔を輝かせる。
魔王というより、外見相応の子供のような、興味深いおもちゃを見つけた驚きが顔に満ちる。

「それなら、魔王戦争に参加すれば叶うのです。」
「勝った時の願いは、また考えればいいのです!」

「そっか、なら契約するよ。」

イコ=スーが手をかざすと、エルシュカの肩にうさぎをかたどった紋章が刻まれる。
こうして、最大のイレギュラーが、この魔王戦争に参加することとなったのである。

Opening.2. 橋城の領主

フェリックス・サムソンは"橋城の街"ベルクトの若き領主である。
18歳にして、ベルクトの領主の座を受け継ぎ、統治している。
普段はどこかぼんやりした、気の抜けた雰囲気を漂わせているが、統治はいたって堅実で、領主としての評価は良い。

彼が、いつもの日課として街を見回り、街のシンボルである橋城で一息ついたところで、1人の少女が歩み寄ってくるのが見える。
彼女の名前はミトラ・メッサーラ。優秀な錬成魔法師を輩出していることで知られるメッサーラ家で、菖蒲の系譜と呼ばれる錬成魔法を学んだ魔法師である。
かつて、フェリックスがエーラムを訪れた際に知り合い、その縁で卒業と同時に彼の契約魔法師としてベルクトの街に赴任した

「んー、どうしたの? ミトラ。」

「領主さまぁ、こちらにいらっしゃったのですか~」
「今月の分の報告書を執務室の机に置いておきましたよ~。後で確認して下さい。」

「じゃあ、確認しよっか、今から。」

「今月は書くことがいっぱいで大変でした~」
「ウィンチェスターさんのお家もお忙しそうですし、うちの街の近くでも山賊が出るって話ですし、近くの村の海賊は騒ぎを起こしてましたし~」

話をしながら、2人は橋城の一部に位置する領主館の執務室に向かう。
その道すがら、ミトラが思い出したように言った。

「そういえば、領主さま~」
「書庫に新しく増えていた本は、領主さまがご購入なさったのですか?」
「わたしも知らない言葉で書かれていたので、読めるのかな~?、って思って~」

「んー。覚えはないけど、何か買ってたのかな?」
「後で見てみるよ。」

そうしているうちに、執務室に到着する。

「ではでは~。わたしはこれで~」

去っていくミトラを見送り、フェリックスは、報告書に目を通し始める。
見慣れたミトラの丸っこい文字で、街周辺の近況についてまとめられている。

  •  ・ ・ ・

ミトラの報告書(要約)

◆ベルクトの大商家、ウィンチェスター家の当主、ルドガ―・ウィンチェスター氏が亡くなられたことについて

 ・直後の混乱で物流関係のお仕事に影響が出ていたみたいです。
 ・今月のベルクト全体の収支にも影響しますが、誤差範囲内です。
 ・今は大きな問題は無いですが、ルドガー氏の後任は、まだ家内で協議中のようです。

◆ベルクト周辺の山賊について

 ・最近になって組織的な活動が多くなっているという話です。
 ・まとめているリーダーはおそらく邪紋など何らかの力を持っていると思われます。

◆隣村ニナリスの海賊について

 ・ニナリス村近辺を拠点にしている海賊がいました。
 ・海運への影響が懸念されていましたが、ここ数日でほぼ壊滅しました。
 ・ニナリス村の領主が動いたという話を聞かないので、少し気になります。

◆パルテノにノルド候の義兄フレドリク・リンドマン氏が来訪

 ・ノルド候の義兄フレドリク氏がパルテノに訪問したそうです。
 ・とはいえ、それほどベルクトに影響はありません。
 ・詳細はブレトランド水滸伝 第3話「天威之壱~夢を描く者~」参照。

  •  ・ ・ ・

なるほど、確かに今月は色々と街周辺に気を揉む事態が多かったようだ。

報告書に目を通し終わると、次に、ミトラの言っていた本を確認しに、書庫に向かうことにした。
書庫でミトラの覚えのない本など、そうそう無いと思うのだが…

書庫には、奥にずらりと本棚が並ぶ区画の手前、入り口付近に、最近入荷した未分類の本の置き場がある。
そこに確かに1冊、見たことのない文字で題名の書かれた本があった。

「何これ―?」

フェリックスが疑問の声と共に、本に手を伸ばそうとする。
そして、その手が本の表紙に触れた瞬間、本からエネルギーの奔流が溢れ出した。
閃光に阻まれる視界の先から声がする。

「さて、お呼びかしら?」
「この本との契約に基づいて、魔王戦争への参加を… あれ?」

光が収まった時、そこには、銀髪の少女が立っていた、
少女は、驚いた様子のフェリックスを見て、首をかしげる。

「その様子じゃ、知ってて呼び出した訳でも無さそうね。偶然に本を手に入れでもした?」

「いや、何か知らないけどあった。」

正直、フェリックスもミトラも知らないのに、この書庫にあった本など、何かの手違いで紛れ込んでしまったとしか思えない。
少女はそれを聞いて、小さくため息をつく。

「はぁ… こっちの世界じゃどんな扱いされてるのよ…」
「仮にも魔王を呼び出せる書物なんだから、もう少し大切に扱ってくれてもいいじゃない。」

「キミ、投影体なの?」

「この世界のルールに照らして考えるならそうなるわね。」
「そういう条件で、この本と契約を結んでいるから。」

「僕はフェリックス・サムソン。キミの名前は?」

「ベール=ゼファー。空を飛ぶものあまねく支配下におく"蠅の女王"よ。」

「へー、すごいんだね。ベルちゃん。」
「ところで、魔王戦争って何?」

いきなり愛称で呼ばれたベルとしては、威厳を気にしないことも無かったが、フェリックスの疑問ももっともであった。
そこで、ベルは自身がここに出現した経緯、魔王戦争についてを説明する。

まず、この本は数冊1組で作られ、その1組で魔王たちと契約し、魔王戦争を主宰している。
魔王戦争に参加する魔王は、こちらの世界で駒(ポーン)を探し、その駒(ポーン)が魔王の代理戦争を行う。
そうすることで、魔王同士の強大な力をぶつけ合うことなく、裏界の支配権を争う、というものなのだ。
また、勝利した暁には、魔王は自身の力で、駒(ポーン)に対して報酬を与える。

「つまり、アナタ、私と契約しなさい! 駒(ポーン)として、魔王戦争に参加するのよ!」
「アナタにだって、叶えたい願い事があるでしょう?」

「じゃあ、皇帝聖印作れる?」

フェリックスは、さらっと言った。
確かに、このアトラタンに生きる君主としては共通の最終目標ではある。

「まあ、投影体としての形をとってる以上、私の力も削がれてるから、いきなり皇帝聖印は無理ね。」
「「聖印規模が欲しい」って願い自体は可能よ。聖印だけなら子爵級くらいにはなるんじゃない?」

ベルは少し考えて、こう答えた。
もっとも、仮にそうなった場合、辺境の一君主がいきなりそこまでの聖印を手に入れたら、周囲から何らかの疑いは持たれるだろう。
その結果、政治的な問題が発生するかもしれないが、そこはサポート外。という意味も、ベルの説明には含まれていた。

「聖印をどう手に入れるかに、ルールなんてないからね。」
「それに、力がないと何も出来ないもん。」

そのあたり、ぽやぽやしているようでいて、この領主は現実的な考え方をする人物であった。

「あと、この魔王戦争の参加者の証が必要ね。」
「手を出しなさい。蠅騎士。」

そう言うと、ベルはぼそぼそと異界の呪文を唱え、フェリックスの手の甲に紋章が刻まれる。

「さあ、あとは、他の参加者全てを討ち倒すことよ。」
「命を奪う必要はないわ。その本を破壊されれば、魔王戦争の参加資格を失うわ。」
「当然、アナタは本を必死に守りなさい!」

こうして、"蠅の女王"と"橋城の領主"が魔王戦争に参加することとなった。

Opening.3. 祖父の遺した書

"橋城の街"ベルクトには、ウィンチェスター家という大商家がある。
ルドガ―・ウィンチェスターという商人によって、築き上げられた商家であり、橋城の架かる川、そしてアントリア北方の海を通しての交易で栄えている。
だが、長らく当主の座にあったルドガ―が、最近になって病によって急死。
経営の大部分をルドガ―が握っていたゆえに、次世代に向けて大幅な体制変更を余儀なくされ、慌ただしく各種事務処理に追われている。

ウィンチェスター家の一員、ルドガ―の孫にあたるティップ・ウィンチェスターという少年がいた。
ルドガ―の直系の孫として、ウィンチェスター家を継承することも考えられていたが、当人はそれで争いが起こることを良しとせず、家の実験を握ろうとする叔父を黙認していた。
そのため、この度の体制変更についても、中枢に関わる事務処理ではなく、各種の雑用を任されている。

「おい、ティップ。どうせ暇だろう! 爺さんの蔵を整理しておいてくれ!」
「あそこは、爺さんが個人的に管理してたんだ。」
「誰も中身を知らないんなら、誰が片付けたって一緒だろう。俺たちは商会の方の作業があるからな!」

そう言って、叔父がティップに蔵の整理を頼む。
要は、ティップを跡継ぎとはみなしていない、という意味でもあるのだが、ティップとしては、それは今更だ。

「昔、行ったことがあるんで、少しは分かりますよ。」

「あ、そうそう。価値の有りそうな物はちゃんと報告するんだぞ!」

念押しする叔父の声を聞きながら、ティップは祖父の蔵へと向かった。

  •  ・ ・ ・

蔵に入ると、様々な物が雑多に詰められているのが目に入る。
奥の方は埃が積もっており、長らく触れられていないようだ。逆に手前はちょくちょく中身の出入りがあったのか、比較的片付いている。
これはかなり時間がかかりそうだな、と思いつつ片付けを始めていくと、その最中、1冊の本を見つける。
豪奢な装丁が施され、価値はありそうだが、表紙の題名は見知らぬ文字で書かれ、読むことはできない。

「あれ? 何だろこれ?」

そして、その手が本の表紙に触れた瞬間、本はひとりでにパラパラとめくれだす。

「さぁ! よばれて飛び出て…ガッ!」

あるページで止まり、ポンッと音がしたかと思うと、そこには1人の少女が現れる。
異界の装束を身にまとった少女は出現と同時に勢いよくジャンプし…

…天井に頭をぶつけた。

「え、大丈夫? きみ、大丈夫?」

「ッー◎★▼@*↓$%●…」
「イタタ… てか、あたしを召喚するならもうちょっと広いトコじゃないの…?」

ティップが心配そうな声をかける。
少女は、痛そうにはしているものの、大きな怪我は無いようだ。

「ん、…? 投影体、か何か?」

「そう言うヤツもいるかもしれないな!」
「あたしは"勇者魔王"、ムツミ=アマミ、推参だぜっ!」

少女はムツミ=アマミと名乗った。
続けて、ティップに言う。

「さて、あたしと契約して、一緒に魔王戦争を頑張ろうぜ!」

「え? 契約、何それ?」
「というか、僕は君主でも魔法師でも無いし…」

「それでも、もちろん出来るぜ。」
「魔王戦争っていうシステムが、出来るだけ公平な勝負になるように調節してくれるんだって。」

「…待って、そもそも魔王戦争って何?」

そう、ティップもまた、偶然に本を開いてしまったので、魔王戦争と言われてもピンと来ない。
そこで、ムツミが改めて、魔王戦争の説明をする。
ムツミの説明は直感的かつ語彙力に乏しかったが、何とか、ティップはその説明を理解する。

「えっと、つまり、他の魔王がいて、それを倒せばいいのかな?」

「おお、そうだ!」
「お前、なかなか頭良いな!」

ムツミが嬉しそうに頷く。

「で、お前が一般人だろうが何だろうが、魔王戦争に参加する以上、戦えるようにはなるんだ。」
「これが、どういうことか分かるか?」

「ん?」

「パワーは同じなんだ。つまり、勝負を分けるのは、「気合い」と「根性」だ!」

「な、なるほど。そっかー。」
「まあ、他にやることも無いし、必要とされるなら頑張ってみるよ。」

「契約成立だな。」
「行くぜ! あたしとお前で、魔王戦争の頂点に立つんだ!」

ティップの左手に、ムツミの魔王印が刻まれる。
こうして、ムツミのポジティブさと、ティップの流されやすさによって誕生したペアが、この魔王戦争に参加することとなったのである。

「ところで、戦争に勝つとどうなるの?」

「魔王は、駒(ポーン)に報酬を与えるんだ。願いを叶えるって形でな。」
「まあ、あたしの出来る範囲でな。」

「願いかぁ…」
「今、結構家がごたごたしてるから、静かなところに行きたいなぁ。」

「そのぐらいお安い御用だよ! てか、無欲なんだな。」

Opening.4. 魔法都市より

魔法師、シェディ・ロートは、エーラム直属のエージェントである。

彼女はもともと大陸某所の名家の令嬢であったが、実家から出奔し、魔法師となったという少々変わった経歴の持ち主である。
元来、投影体と心を通わせることについては天賦の才があったらしく、入門したロート一門では召喚魔法を学ぶこととなる。
卒業後は君主と契約せずにエーラムに残り、現在はエーラム直属のエージェントとして活動している。

シェディは上司である上級エージェント、グライフ・アルティナスに呼び出されていた。
魔法都市エーラムの某所、エージェントたちの本拠の一室。

「シェディ、よく来てくれましたね。」
「貴女に、次の任務を与えます。」

「ああ、仕事ですか?」

「はい、その通りです。」

「で、場所とか用件とかは?」

「こちらの資料をどうぞ。」
「ブレトランド北方、ベルクトという街の近辺で、山賊が出没していましてね。」
「それだけなら、エーラムが動くような事態ではないのですが、その山賊の頭目と目される男は、エーラムの元魔法師なのです。」

「ああ、それで。」

グライフはさらに説明を続ける。

「頭目の名前は、ガレニア・サイフェルト。盗賊行為に何らかの異能の力を使っているという報告も挙がっています。」
「信じたくはありませんが、エーラムを去るときに、記憶処理が不十分だった可能性もあります。」

通常、何らかの理由でエーラムを去るときは、魔法に関する記憶は消去される。
だが、記憶操作の魔法は生命魔法の中でもかなり高度なものだ。
施術するのが熟練のメイジでも、絶対に失敗しないとは言い切れない。

「ああ、つまりは不始末の処理か。」

「言ってしまえば、そうなりますね。」
「ですが、エーラムの最も戒める知識の流失、に関わるとなれば動かぬわけにもいきません。」
「そこで、あなたの任務はガレニアの捕縛、もしくは討伐です。」

エーラムの不始末の処理というのはあまり気が乗らないが、仕事としては珍しくない。
こうして、シェディはブレトランドに向かって旅立った。

  •  ・ ・ ・

<-Secret Scene->
(反転すると読めます。)

ブレトランドに向かう途中、グライフから受け取った資料に目を通す。

◆グライフの資料

今回のターゲットである、ガレニア・サイフェルト。
エーラム時代の名前はガレニア・ストラトス。成績不良による落第を重ねた結果の放校と、表向きにはされている人物だが、事実は異なる。
彼は、エーラム時代の専攻は召喚魔法科であり、魔法の才自体は極めて優秀であった。
特に「第八世界ファー・ジ・アース」と「裏界(エミュレイター界)」と呼ばれる異世界について熱心に研究していた彼が作り出したのが、「裏界(エミュレイター界)」の魔王を召喚する5冊の本だ。
また、それを利用した「魔王戦争」なるものも彼は研究していたが、それを危険視された結果、放校されたのだ。

ここにきて、ガレニアが何らかの動きを見せているなら、「魔王戦争」関係の案件である可能性は十分にある。
とすると、少し厄介な事態になるかもしれない。

Middle.1.1. 領主の初手

山賊は街の周辺に出没しているとのことだが、シェディはひとまず、ベルクトの街に降り立った。

「ま、とりあえず領主の館に話し通すトコからだな。」

こうして、領主館を尋ねると、契約魔法師らしき人物が出てきて、シェディに対応する。
確か、資料に載っていた。この街の契約魔法師、ミトラ・メッサーラだ。

「おや? エーラムの方ですか?」
「何か御用でしょうか?」

「この辺で盗賊行為を働いているヤツに捕縛命令が出ている。」

「あ、あの件ですね。」
「領主さまも討伐の準備を進めていらっしゃるようですが。エーラムが動くほど、大事なのでしょうか?」

確かに、ただの盗賊なら、わざわざエーラムが動くほどのことでもない。

「いや、まあ、何というか、彼も訳ありでしてね。」

「では、ひとまず領主さまにお取り次ぎしますか?」

だが、あいにく領主のフェリックスは留守であった。
ミトラに、おそらく街中の巡回をしているであろうと伝えられたシェディは、散歩と下見ついでに探してみようと、一度領主館を後にする。

  •  ・ ・ ・

一方その頃、街に出た領主フェリックスは街付近に出没するという山賊の頭目、ガレニア・サイフェルトについて聞き込み調べていた。
魔王戦争も含め、気になることは多いが、盗賊の被害が出ている以上、最も街にとって急を要する案件はこれだろう。

聞いたところによると、どうやらこの男、元々魔法師であったが、エーラムを追放され、現在は邪紋を刻んでいるらしい。
また、邪紋とは別に、最近になって何らかの異世界由来の力を得たとも噂されている。
それと時期を同じくして、虚ろな瞳で長い黒髪の少女が彼の側で見られるようになったという話もある。

ここまで聞いて、フェリックスは改めて考え込む。
普通の邪紋使いの盗賊なら、確かに厄介であるが、鎮圧自体は街の領主なら難しくはない。
だが、気にかかるのはそれ以外にも何らかの力を得ている可能性がある、という点だ。

疑いを持ったフェリックスが、さらに調べを進めると、ガレニアの素性、過去についても浮かび上がってくる。
エーラム時代の彼は、名門であるストラトス家に連なる召喚魔法師であり、エーラム魔法大学で研究を続けるエリートであった。
特に「第八世界 ファー・ジ・アース」と「裏界(エミュレイター界)」と呼ばれる異世界について研究しており、その過程で、「裏界(エミュレイター界)」の魔王を呼び出す手法を開発している。
だが、その研究を危険視され、放校された、とのことだ。

なるほど、これで得心がいった。
まず間違いなく、先程ベルから聞いた「魔王戦争」の関係者なのだろう。
今まで一度も聞いたことが無かったようなマイナーな異界の話題が、ただの偶然の符号とも思えない。
これは、ますますただの盗賊と思ってかかる訳にはいかなくなってきた。

調べた情報と共に、フェリックスはひとまず、領主館への帰途についた。

Middle.1.2. 道案内と怪しい男

フェリックスが街の見回りを終えた頃、エルシュカもベルクトの街に到着していた。
少し時間がずれていれば、機関銃を背負って街を歩くエルシュカをフェリックスが見咎めたかもしれないが、幸い今はそうはならなかった。

さて、クレハの目的を果たすためには、まず、この街の領主にコンタクトを取る必要があるだろう。
問題は、この街には土地勘がないので、少々道が分からない。
道行く人に聞こうにも、なぜか声をかけようとする度に人はそそくさと去ってしまう。
(その理由はエルシュカの持っている威圧的すぎる機関銃に他ならないのだが…)
ひとまず、近くにあった中で最も大きかった建物なら、人もいるだろうと踏んで、道を聞くことにする。
そこは、ベルクト屈指の大商家、ウィンチェスター家の屋敷であった。

「ん?お客さんだぞ。」
「今、手空いてるの誰だ! ティップ、行ってこい。」

「あー、いいですよ。」
「はい、どうかしましたか?」

ドアベルの音に、対応を押し付けられたティップが応対する。

「あ、ここって領主の館?」

「いや、違います。」
「領主の館なら、あっちに行って… ああ、ちょっと分かりづらいんで行きますね。」

そう言って出て行こうとしたところで、手の甲にムツミの魔王印があることを思い出し、手袋を持ってくる。
ティップの案内を受け歩く道すがら、エルシュカが聞く。

「何で手袋してるの?」

「いや、外、寒いんで。」

「寒くないけど?」

「あー。僕、寒がりなんで。」

適当に誤魔化し、話題を変える。

「どこから来たんです。」

「パルテノ。隣の隣の町から。」

ティップは、エルシュカが背負っている機関銃を見ながら聞く。

「じゃあ、武官さんとかです?」

「そうそう。」

「へー。すごいなぁ。」

「で、キミは邪紋使い?」
「どこに邪紋隠してるの? そこの手とか?」

「え!? 邪紋使いじゃないです!」

自覚があってか無くてか、ちょくちょく、鋭い質問が飛んでくる。

  •  ・ ・ ・

しばらく歩いていると、人相の悪い男が2人に話しかけてきた。

「おい、そこのにーちゃん、それからねーちゃん。」
「ちょっと聞いていいか?」
「人を探してるんだが、こんな感じの紋章が体に浮き出たヤツを知らねーか?」

言いつつ、男はメモ書きを見せる。
何種類かの紋章がリストアップされており、そのうちの1つはティップの手の甲に浮き出ているムツミの魔王印だ。
とはいえ、当然、正直に答える理由などない。

「えー、何これ―、知らなーい。」

「見たことないですね。」
「何で探してるんですか?」

「あ? んなこと知らねーよ。」
「お頭が探して来いって言ってるだけなんだから。」

「キミのお頭って?」

「あ、そりゃもちろ… ああ、うん、なんでもねーよ。」
「知らないなら知らないでいいんだ。」

ティップとエルシュカの質問に、男は明らかに (あ、ヤベっ) といった風な表情を浮かべる。

「えー、気になる―!」

「もういいから! じゃーな!」

男は慌てた様子でその場を立ち去って行った。
走り去る男の後ろ姿から、先ほどの紙が滑り落ちる。
ティップが拾うが、その頃には、男は既に遠くに走り去ってしまっていた。
改めて見た紙には、やはり魔王印が描かれている。

仕方なく、紙を仕舞って再び歩き出してしばらくして、ようやく領主の館にたどり着いた。

「ここですよ。 じゃ、お気をつけて。」

「ありがとー!」

Middle.1.3. 魔王戦争の進め方

エルシュカと別れて、ウィンチェスター家の自室に戻ったティップは、再びムツミが封印された本を開く。
拾ったリストについて聞いてみるためである。

「ふー、ようやく出て来れた!」
「本の中はせまっ苦しいな!」

「それはごめんね…」

ティップは、申し訳なさそうに言う。

「ところで、これを見てほしいんだけど。」
「これって、僕の手のと同じやつ?」

「お、他の魔王の魔王印のリストだな。」

ムツミの返答は予想通りだった。
だが、次の質問への反応は違った。

「じゃあ、これを全員倒せば勝ちってこと?」

「全員じゃないと思うぞ。」
「たぶん、分かる限りの魔王印を片っ端から描いただけだな。」
「描いたやつも、この中の誰が来てるか知らないんだろ。」

確かに、このリストには20以上の魔王印が描かれている。
以前ムツミは数冊の本があると言っていたので、明らかに数が合わないのはそういうことなのだろう。
さらに、ムツミは付言する。

「あ、そうそう。他の魔王を探す方法なんだがな。」
「魔王印は、他の魔王の駒(ポーン)が近くにいるかを探知する事が出来るようになっているんだ。」
「いつまでも遭遇しないんじゃ、魔王戦争にならないだろ?」

「なるほど。」

「けど、欠点があってな。」
「自分の紋章を晒さないと使えないんだ。」

つまり、この方法で魔王戦争の参加者を見つける以上、相手にも自身の存在がばれるということだ。
軽々しくは使えないが、魔王戦争にとっては重要な機能だろう。

  •  ・ ・ ・

一方その頃、フェリックスもベルから同じ説明を受けていた。
それから、フェリックスの方からは、ガレニアについてベルに相談する。

「それじゃ、ガレニアは参加者だよなぁ?」

「うーん、状況証拠的に、間違いないわね。」

「なんか、召喚魔法師って言ってたし、この魔王戦争を彼が仕掛けたってのはある?」

「可能性はあるわ。」
「もともと、何冊かの本のセットというシステムがあって、そのシステムが魔王たちに契約を呼び掛けているの。」

ベル曰く、要はこの本というのは魔王戦争を行うために参加者集めを代行するシステムなのだという。
だから、魔王戦争を行いたがっていた魔王たちに場を提供し、魔王戦争が公正に行われるように調整するという条件で、魔王に呼びかけているのだ。
本来のように「ファー・ジ・アース界」での魔王戦争を魔王主導で行おうとすると、準備にも手間がかかる。
それゆえ、今回のようにそのあたりの面倒を全部代行してくれる(しかもウィザードの邪魔の入らない)環境は魔王としても利があったのだ。

「ということは、元々のシステムを作った人は誰かいるはずよ。」
「そうはいっても、魔王戦争が始まってしまった以上、その人物も魔王戦争に参加しているなら、システムの制約を受けるから、チートは出来ないけど。」

なるほど、ガレニアが参加しているとしたら、そのような状態でいずれかの魔王と契約しているのだろう。

  •  ・ ・ ・

ティップは、ムツミの言を受けて、魔王戦争の他の参加者について、調査を始める。
なんだかんだ言って、ベルクト有数の商家の息子である以上、情報網はそれなりに幅広い。

魔王戦争の参加者を探すなら、まず特徴的なのは、魔王との契約を結ぶのに必要な本だろう。
それから、契約の証である魔王印。
このいずれかを所持していることが判明すれば、参加者であることの確証となり得る。

そして、集めた話によると、ベルクト周辺で活動し、問題となっている盗賊の頭目ガレニア・サイフェルトがそれらしき本を持っていると分かる。
恐らく魔王戦争の参加者だろう。また、部下を使って他の参加者を探しているらしい。
つまり、先ほど会った男は、ガレニアの部下だったのだろう。

Middle.1.4. 領主との会談、開戦

領主館に着き、ティップと別れたエルシュカは館の入り口でミトラに応対されていた。
そこにちょうど、フェリックスが通りかかる。

「あれ? ミトラ、お客さん?」

「はい、パルテノからいらっしゃった魔法師さんと、その護衛の方です。」

言われて、エルシュカはクレハの本を開き、出現させる。
その様子を見たフェリックスが首をひねり、問う。

「オルガノンの方なんですか?」

確かに、出現の様子はオルガノンのそれに似ている。
オルガノンでエーラムに認められた魔法師、というのがいるのかは知らないが、少なくともオルガノンの中には魔法が使える者(物?)もいる。

「いえ、私はオルガノンではなく象徴体と言って…」
「一応、エーラムから認定を受けている魔法師です。」
「今日は、この街に迫る危機について、領主さまにお話があって。」

「海賊のこととかですか?」

ベルクト近辺に起きている問題のうち、パルテノの方角的には、ニナリス村の海賊のことかとも思ったが、クレハは首を横に振る。
どうやら違うらしい。ひとまず、執務室に案内し、クレハの話を聞くことにする

そこで、ちょうど、街に探しに出ていたシェディが領主館に戻って来る。

「あれ? こちらの方は?」

「領主さまがご不在の時に一度いらっしゃったエーラムの方です。」

「あー、それはごめんね。」

とはいえ、同時に話を聞くわけにもいかない。
ひとまずシェディには待ってもらって、執務室にクレハを案内する。

  •  ・ ・ ・

「さて、どこからお話ししましょう。」
「まず、今、ベルクトの夜空に浮かんでいる紅い月ですね。」
「これは、私が元いた世界で見られた現象なんです。」
「私は「ファー・ジ・アース」と呼ばれる世界から来たんですが、その世界と「裏界」という世界の境目が曖昧になる時、あのような紅い月が昇るんです。」

「つまり、今、この世界は「裏界」とつながりつつあるのです。」
「そして、「裏界」には「魔王」と呼ばれる存在がいます。」
「彼女らは、私たちの存在の力である「プラーナ」を奪う敵なのです。」

つまり、クレハの説明によると、魔王がこの世界を狙っているので倒さなくてはいけない、ということらしい。
説明を聞きながら、フェリックスは徐々にクレハに懐疑的な視線を向け始める。
ベルから聞いた話とは若干の齟齬がある。彼女曰く、今回はアトラタンを舞台として借りているだけ、ということだったが。

実際、クレハの説明には、若干の認識ミスがあった。
確かに「ファー・ジ・アース」にとって「魔王」は倒すべき敵なのだが、アトラタンにとっては必ずしもそうではない。
なぜなら、いわゆる世界通りのつながりが「裏界」とアトラタンでは薄すぎて、プラーナを持ち去るには不便すぎる。
ゆえに、今回投影されている「魔王」たちはこの世界の人々を殊更どうにかしよう、という気は無いのである。

(とはいえ、クレハにはそのようなことが分かるはずもないので、危険な投影体が出現しようとしている状況に対する魔法師の対応としては何も間違ってはいない。)
(問題があるとすれば、危険か否かの判断の前提が誤っていただけであるが。)

「もし、「魔王」がこちらの世界に来ているのなら、看過する訳には行きません。」
「領主さまには、何か心あたりは無いでしょうか?」

問われたフェリックスは、一瞬、考えを巡らせる。
得られた結論は、動いていい、だった。
普段はゆるそうな雰囲気を漂わせている瞳に、剣呑な光が宿る。
そのまま、スッと剣を抜き、クレハに突きつける。

「で、キミは魔王戦争の参加者のなのかい?」

フェリックスとしては、そこの辺りがまだ分からない。
クレハが魔王戦争の関係者で、攪乱や情報収集のためにこの話をしているのか、それとも単に外部から首を突っ込んで来ようとしているだけなのか。
どちらにせよ、魔王戦争の参加者なら狩っておくなり、同盟を結ぶなり、やりようはある。
参加者じゃなくても、怪我さえさせなければ揉み消しの手はある、との判断だった。

「はわっ! 私は違いますよ!」

反射的に距離をとって、懐から札のような物を何枚か取り出して構え、呟く。

「まさか、領主さまが参加者だっただなんて…」

さて、フェリックスとしても、この場ではまず第一に情報が欲しい。
わざわざこの話をしに来たこの魔法師は何者なのか?

「で、魔王戦争、悪しき魔王とやらについて、キミの知っていることを教えてもらおうか。」
「具体的に、知っている魔王がいるんだろう?」

「ですが、あなたが魔王戦争の参加者である以上、魔王と協力している者に、伝える訳にはいきません。」
「私は、この魔王戦争を止めたい。魔王戦争の参加者には、参加を破棄してもらいたい。」

「キミたちの元いた世界の考えをこっちに持ち込まれても困るんだけどね?」

そう、そこがこの2人の認識の致命的な齟齬であった。
ファー・ジ・アースの者にとっては、魔王とはプラーナを収奪する絶対悪(まぁ、多少例外はあるが)。
一方、アトラタンから見ると、リスクはあれど恩恵もまた与えてくれる投影体に過ぎない。

客観的な視点からすれば、必要なのはこの食い違いを指摘して、誤解を解くことであるのだが、残念ながら、今そこまで気が付くことはできなかった。
となると、クレハとしては、相手はすでに魔王の一味となった侵魔(エミュレイター)の陣営。
今、護衛とも引き離された自分に出来ることは、まずこの場を脱することだった。
隙をついて、部屋のドアに駆け込み、そのまま廊下を走る。

この誤解を解くのは、またの機会を待つこととなる。

  •  ・ ・ ・

領主館の待合室では、エルシュカとシェディがクレハの会談の終了を、お茶菓子をつまみつつ待っていた。
すると、にわかに領主執務室の方が騒がしくなってくる。

「シェディシェディ、なんか、あっち騒がしいね?」 

「そうだな、お嬢ちゃん。」

すると、クレハが息を切らせて部屋に駆け込んでくる。

「エルシュカ! 説明は後でします! 今は、逃げます。」

「え? 何、どうしたの?」
「あ、バイバイ! シェディシェディ!」

「お、おう…」

フェリックスが殊更追いかけなかったのもあって、クレハとエルシュカはそのままベルクトの街の裏路地まで走り込む。
誰も追ってきていないことを確認し、先程あったことを話す。

「想定外でした。まさか、領主さまが、魔王の関係者だったなんて…」

話を聞いたエルシュカは、とりあえず事情は理解しながら、クレハに尋ねる。

「で、クレハちゃん、これからどうするの?」
「他の参加者については何か言ってた?」

「いえ、紅い月が昇ってから間もないですし、おそらくあちらもまだ全貌を掴んでないのでないかと。」

「じゃあ、こっちでも独自に調べてみようか?」

こうして、魔王戦争の全容解明、阻止に向けて、クレハとエルシュカも本格的に動き始めた。

Middle.1.5. 領主とエージェント

クレハとエルシュカが立ち去った後、待合室に残されたシェディのもとに、フェリックスが現れる。

「待たせてごめんね。」

「え? なんか、2人どっか行ったけど?」

その反応から、クレハたちから詳しい話を聞いてはいないな(そもそも、普通に考えてクレハにそんな時間は無かった)と判断して、この話題は軽く流す。

「ああ、まあ、気にしないで。」
「放っといていいよ。」

「で、なら仕事の話だ。私がここに来た目的は簡単でな。」
「ガレニア・サイフェルトという男に捕縛命令が下っている。」

「それなら知っている。ここ近辺で活動している山賊だ。」
「だが、ただの山賊にエーラムが動くわけはないだろう?」

フェリックスが至極まっとうな質問を返す。

「それがな、元エーラムの人間でな。今は、邪紋を刻んているらしいが。」
「ともあれ、如何せん怪しいってやつだな。」

「具体的には?」

「あー、それ以上はちょっと機密事項ってやつだ。」

「こちらとしても、ガレニアの討伐に向けて動いている。」
「少しでも情報が欲しいところだ。」

先程のクレハとのやり取りの流れが抜けていないのか、普段のどこかぽやぽやした感じとはうって変わって、鋭く食い下がる。

「はぁ、しょうがない。情報交換にしようか。」

こうして、シェディの方はガレニアが研究し、制作していた魔王戦争の書について、フェリックスの方は調べたガレニアの拠点をそれぞれ伝える。
フェリックスとしては魔王戦争について、更に詳しく聞こうとするが。

「ああ、あんまり聞いてないんだよな、その辺。」
「私としちゃ、魔王戦争で何が起ころうが関係ないしな。あくまでガレニアの対処に来たんだ。」

まぁ、それは最低限の仕事だけしに来た者の言い分としてはある意味正しい。
ひとまず、お互いに最低限の情報は得られただろう。

「ガレニア一味に対して、討伐隊を出すときにはまた連絡する。」

「ああ、分かったよ。」
「あ、それから、この街にバーはあるかい?」

「そりゃもちろん。ミトラ、地図ある?」

こうして、シェディはひとまず目的への目星がついたところで、揚々と酒場に向かって行った。

  •  ・ ・ ・ 

ベルクトの街のバーに、シェディが現れる。

品書きを目で追い、ふと目に留まる。「カクテルの王様」と名高いと聞いたが、まだ飲んだ事は無かったな、と思う。
本拠エーラムから遥か離れた出張先でも、これならば外すこともあるまいと、頼むことにする。

出された酒を楽しむ魔法師がカウンターに一人。
こうして、酒場の夜は更けていく。

Middle.1.6. 狙撃、浮かび上がるは荒廃の魔王

領主館にてフェリックスとクレハの間で一悶着あったころ。
彼らのことを、遥か遠方から観察する、1つの人影があった。

「見つけました。魔王書の使い手。」

遠くで宣戦布告の一射を準備する気配に、彼らが気付くことは無い。

  •  ・ ・ ・

そして、フェリックスが領主館の外に出た時、ベルクトの街の一角を通りがかり、その事件は起こった。
突如響く銃声。狙い違わず、銃弾はフェリックスに命中する。
ベール=ゼファーから力を与えられている上に聖印も持つ身は、銃弾の一発で即死するようなことはそうそうない、が。
銃弾には何らかの魔法的な仕掛けが込められている、と一瞬の後に察する。
即座に態勢を整え直し、意志の力で術式を弾く。

地面に落ちた銃弾は、黒いオーラを纏っている。明らかに、何らかの加工が施されているようだ。
フェリックスは、その銃弾を拾い上げる。
これについても、調べなくてはならないだろう。

アトラタンにおいて、銃という武器は決してメジャーではない。
犯人候補筆頭は、分かりやすく機関銃を持ち運んでいたエルシュカだが…
考えるフェリックスに、本からベルの呼びかけが聞こえる。

「早速狙われたみたいね?」

「ま、一番の候補は、あそこだけど。」
「キミから見て、どう?」

「この世界で銃を使う人なんて、そんなに多くないんでしょ?」
「疑うのは正しいけど、その銃弾には違和感があるのよね。」
「出来れば、銃弾から調べてみるといいわ。」

それから、ベルはもう一つ付言する。

「あと、こういうのが飛んできたってことは、本格的に魔王戦争が始まったということよ。」
「これで終わりとは思えないわ。せいぜい気を付けなさい。」

「ま、それは分かっているよ。」
「さっき、ああいうことをしたのも、リスクを承知の上だしね。」

クレハに対して仕掛けた以上、どこから魔王戦争の参加者であることがバレても不思議はないだろう。
その返答を聞いて、ベルは満足そうに笑みを浮かべた。

「アンタは分かっていすぎて、アドバイスのしがいが無いわね。」

  •  ・ ・ ・

領主館に戻って、持ち帰った銃弾をつぶさに調べる。
この銃弾に付与されていた仕掛けとは一体何だったのか?
ベルの手を借りながら、魔法的な分析を始め、そして、一つの事実が浮かび上がる。

「思ったよりも厄介ね。これ。」
「命中した者のプラーナ、つまりは存在の力を奪い取るエンチャントよ。」

プラーナ、という単語には聞き覚えが無かったが、ベルの口調から、相当に重要なものなのだろうということは分かる。

「存在の力ということは、ベルちゃんたちの世界では、誰もが持っているの?」

「そう、人間であれ、魔王であれ、そこらの木や石であっても僅かに。」
「で、そんな根源的な力を銃弾という僅かな媒介で収奪する。」
「そんな真似が出来るのは、魔王であっても多くは無いわ。」

「心当たりがあるの?」

「アゼル=イヴリスという魔王よ。」

ベルいわく、プラーナを収奪する能力に極端に特化した、アゼル=イヴリスという魔王がいるとのことだ。
"荒廃の魔王"と呼ばれる存在であり、封印の呪帯が無ければ一瞬にして周囲を荒野にしてしまう、という恐るべき力を持つ魔王である。
とはいえ、本人の気性はいたって温厚かつ気弱。魔王戦争に参加しているとは思わなかった、というのがベルの見解である。

問題は、アゼルの力を用いて狙撃が行われたのは分かったが、アゼルと契約しているのが誰なのかは未だ分からない、ということだ。
現状の犯人候補筆頭のエルシュカがアゼルと契約し、狙撃を仕掛けたのかもしれないし、全く別の参加者の可能性もある。
まだまだ、この件については油断が出来ない。

Middle.1.7. 射手の方角

一方、銃声を聞きつけ、フェリックスが狙撃されたことに気付いていたシェディも、独自に調査を開始していた。
目撃証言、銃声を聞いた時の感覚、などから当時の状況を組み上げ、想定し、射手のいたであろう方向を割り出す。

「橋城塔、だな。」

ベルクトが橋城の街と言われる所以である通り、街の中央には川をまたぐ橋と一体化した城がある。
その城からそびえる塔。
確かに、充分な射程さえあれば街の各所を狙うことができ、狙撃向きの位置取りと言えるだろう。

ともあれ、そこまで分かったなら、一度現場を見に行ってみる必要があるだろう。
シェディは橋城塔に向かって行った。

  •  ・ ・ ・

一方、狙撃された本人、フェリックスもまた、狙撃の方向から橋城塔を割り出していた。
すぐに調査が必要と判断し、ミトラを連れて橋城塔に向かう。
橋城塔付近に着くと、ミトラはタクトに付属した混沌儀を見ながら言う。

「領主さま、この先、何か、おかしくないですか?」
「何というか、魔境に近い、と言いましょうか… いえ、混沌濃度はそれほど高くなってないので、魔境とは違うのですが。」
「直接の混沌とは別の力で、魔境のように変質している気がします。」

そのあたり、さすがに魔境探索を専門とする菖蒲錬成魔法の系譜であるミトラは、魔法師の中でも人一倍鋭い。
フェリックスも、その言を受けて周りを見ると、確かに微細な違和感を感じる。

「推察するに、魔境としても、かなり攻略難易度の高い類に思えます。」
「入念な準備と、人員が必要かと。」

つまり、今、フェリックスとミトラだけで乗り込んでどうにかなるようなものではない、ということだ。
一度引き上げて、出直す必要があるだろう。

帰る途中、魔王戦争の書から呼び出したベルにもこの話をする。
ベルの見解でも、橋城塔の件は間違いなく魔王が作った領域だろうけど、どの魔王かは不明、とのことだった。
それから、ついでにもう1つ、ガレニアの近くにいるという、「長い黒髪の少女」のことだ。

「リオン=グンタの可能性が高いわね。知識と秘密を司る魔王よ。」
「そのガレニアってやつが、この本を作ったんでしょ。それすら、リオンの協力を受けて作り出した可能性があるわ。」
「まあ、だとしても、魔王戦争のルールに乗った時点で条件はイーブンだけどね。」

  •  ・ ・ ・

フェリックスと入れ替わりに、シェディもまた、橋城塔に到達していた。

「ああ、こりゃヤバいな…」

明らかに1人での攻略は手に余るレベルでの変質が発生していることは分かる。
狙撃手のもとにすぐにたどり着くことは出来ないだろう。

これほどのことをしている狙撃手とは一体誰か。
一番すぐに思い浮かぶのは、もちろん巨大な機関銃を背負っていたエルシュカだが…如何せん、今のところは証拠がない。
続けて調査が必要そうだ。

Middle.1.8. 盗賊の頭目

一方、ティップは、盗賊の頭目であるガレニア・サイフェルトについて調べていた。
先程の山賊の部下と思しきガラの悪い男が魔王印のリストを持って人探しをしていたし、おそらく、彼が魔王戦争に関わっているのだろう。
調べて行くと、以前フェリックスが調べた時と同様に、彼が現在邪紋以外の力を持っているという噂に行き当たる。
魔王戦争の参加者として、魔王から力を貸し与えられているならば、これには納得できる。
では、問題の魔王は一体誰か?
黒髪で虚ろな目の少女がガレニアと一緒にいたらしいが…

「黒髪の少女がいるらしいんだけど、知ってる?」

魔王たちの世界の事情は知らない以上、ムツミに聞くしかない。

「黒髪の魔王、だけじゃ絞り切れないな。」
「ま、場所が分かっただけでもいいじゃないか。早く倒しに行くぞ!」

「待って!」

今にも、ティップの手を引いて突撃しそうなムツミを止める。
確かに、他全ての参加者を倒すのは魔王戦争の最終目標だが、ガレニアの討伐に関しては、そろそろ領主も動くのではないか、という街の雰囲気だ。
領主が魔王戦争の参加者にせよ、そうじゃないにせよ、ガレニア戦の半ばでうっかり鉢合わせるのは困りものだ。
もう少し、情報を集めてからの方がいいだろう。

「だったら、その場にこっそり便乗すればいいんじゃない?」

「まあ、そのくらいなら、いいか。」

  •  ・ ・ ・ 

そういえば、と思い返したように、ティップはムツミに聞きたかったことを質問する。

「そう言えば、ムツミってどのくらい強いの? 魔王の中で。」

質問を受けたムツミは少し慌てたような、しどろもどろに答える。

「…き、騎士の爵位を持っているぞ。」

騎士と言えば、アトラタンでは村1つを治める程度の領主の爵位だ。
裏界における騎士がどのくらいなのかは分からないが…
そうだ、と思い立って以前拾った魔王印のリストを見せる。

「この人とか、この人ってどのくらいの爵位?」

リストに載っているのは裏界の名だたる魔王たち。
ルー=サイファー、ベール=ゼファー、フール=ムール、イコ=スー、エリィ=コルドン、アニー=ハポリュウ、アスモデート…

「あー、うん、えっと、順番に大公、大公、公爵、伯爵、公爵、公爵、侯爵だな…」

「あっ(察し)」

「違う、いや、違わないけど大丈夫だ!」
「魔王戦争のルールに則って、戦力差はある程度揃えられるんだ!」
「だから、気合いと根性でどうにかなる!」

ムツミは力説した。

Middle.1.9. 誤解

「さて、どうしましょう?」

「どうする?」

領主館から逃げてきたクレハとエルシュカは、ベルクトの街の路地裏でひとまず誰も追ってきてはいないことを確認すると、顔を見合わせた。
フェリックスから逃げてきたものの、この後の指針はない。

「領主が、参加者なんだっけ?」

「はい、魔王戦争の参加者でした。」

「なんか意外だなぁ。 まあ、聖印教会の人って訳でもないし、投影体に否定的なわけでもないか。」

「この世界の人にすれば、ただの投影体に見えるのかもしれませんが…」

「魔王って、そんな悪いやつなの?」

ようやく、ここにきてクレハにこの質問をすることが出来た。
クレハは、自分の元いた世界、ファー・ジ・アースと裏界、それから魔王は人間からプラーナを奪っていくという敵対関係について説明する。
プラーナ、という「存在の力」については聞いたことは無かったが、クレハの話を聞く限り、それを奪うものがいれば確かに敵対もやむなしだろう。

「プラーナ、ってこの世界の人たちにもあるの?」

「あるとは思いますよ。プラーナ、という言葉で認識されているかは分かりませんが。」

実際、この世界には、ここ一番のタイミングで成功を引き寄せる、いわば「英雄の資質」「天運」と呼ばれるものを持った者たちがいると言われている。
もしかすると、そういったものに、この世界ではあたるのかもしれない。

「なるほど、魔王はそのプラーナが欲しいんだね?」
「とりあえず、名前忘れちゃた、ガレニ…ガレガレだっけ? その人が魔王戦争の参加者なんだよね。」

現状、ガレニアとフェリックスが参加者であることは分かっている。
だが、問題は参加者の1人がこの街の領主だということだ。下手に手を出すと、今度は外交問題になりかねない。

「何とか、魔王の危険性を伝えて、協力していただけるといいのですが…」

「でも、ガレガレの方は倒しちゃってもいいんだよね?」

「あ、はい。」

それならば、まあ、ひとまずはガレニア討伐に動くことが、今できることだろう。
その場で領主たちと鉢合わせる可能性はあるが、そうなったらそうなったで、また考えればいいだろう。

Middle.1.10. 第二の狙撃

さて、自室でムツミと話していたティップだが、ふと、何者かに見られている気配を感じる。
部屋の中でそのような気配を感じるのも妙なことだと思いながら、窓の外をうかがおうと歩み寄る。
領主フェリックスが狙撃を受けたことを知らない彼が、何気なく起こした行動だが…

その瞬間、銃声が響く。
遥か遠方から放たれた銃弾は、正確にティップを貫く。
ムツミから与えられている力は(本人の適正ゆえか)、魔法的な扱い方に回されている彼には、単純な物理火力は致命的だ。
何とか、魔力で衝撃を減殺し、気を失わずに留まる。

「おい、ティップ! 大丈夫か!?」

「うーん、ちょっと大丈夫じゃないかも…」

ひとまず、ムツミがティップを窓から離す。少なくとも、追撃を受ける訳にもいかない。
窓から離れたところで、考える。ほぼ、間違いなく、この狙撃は魔王戦争の参加者の仕業。
そうでなくては、単なる商家の息子に過ぎないティップが狙われる道理はない。

銃という、この世界では珍しい武器を使う人物、その心当たりは…

  •  ・ ・ ・

一方、この世界では珍しい武器、銃を背負った少女、エルシュカは、まだクレハと共に街中にいた。

「それにしても、山賊を襲いに行くにしても1人じゃなー」
「誰か道づ…仲間がいないかなー」

そのような話をしていると、微かに、銃声が耳に届く。
普通なら、このような街中で聞こえるはずは無いであろう音。

「今のは、銃声でしょうか…?」

「あたしじゃないよ?」

エルシュカは首を振るが、目の前にいるのだからそんなことは自明である。

「魔王戦争の参加者、でしょうか…?」
「銃ってことは、あの領主さまでは無いですよね?」

「ってか、あれ、ウィンウィンの家じゃない?」
「ウィンウィン、もしかして死んでるかなー? 見に行こー!」

考え込むクレハをよそに、撃たれたのがウィンチェスター家の屋敷であることに気付いたエルシュカがそちらに駆けて行く。
屋敷の裏からひょいと入り込み(注:この時点で不法侵入である)、銃弾が飛び込んだと思しき窓をのぞき込む。
そこにはムツミによって簡易な治療を施されたティップの姿があった。
それなりに怪我を負っているようだが、ひとまずは生きている。

「あ、生きてた。」

  •  ・ ・ ・

ここで、状況を整理してみよう。
窓からの狙撃が発生した。不法侵入の上で、その窓からのぞき込んでいる少女が一人」。
その少女は明らかに銃を背負っている。そして、撃たれた少年を確認して「あ、生きてた。」の一言。

どう見ても容疑者である…

とはいえ、エルシュカ自身は当然、自分が撃った訳ではないことは分かっている。
そこで、探していたものを部屋の中で見つけ、拾い上げる。
それは、窓を破り、ティップを狙撃した銃弾だ。

「で、ちょっと待ってね。」

と言うと、自分の機関銃を一射、庭の地面に撃ち込み、その銃弾を拾う。
その2つの銃弾を比べると、確かに違うもののようだと示す。

「と言う訳で、疑いは晴れたね。じゃあね!」
「あたし、キミが死んだか見に来ただけだから!」

「なるほど… なるほど…?」

突然現れたエルシュカに呆気にとられるティップだが、お構いなしにエルシュカは続ける。

「あ、そうそう。山賊殺しに行かない?」

「え?」

そうしているうちに、エルシュカに置いてきぼりを食らっていたクレハも、(不法侵入は申し訳ないと思いつつも)何とか追いついてくる。

「ちょっとー、エルシュカさーん。待ってくださいー」

そして、部屋の中にいる少女を見つけて、驚きの声を上げる。

「え、ちょっと、その子はもしかして、ムツミ=アマミ!」
「彼女も、裏界の魔王です!」

「え、じゃあ、ウィンウィンも参加者だったの?」

「てか、そろそろ場所変えない?」
「騒いでると、家の人、来ちゃうよ。」

そうしていると、街角の方から騒ぎを聞きつけた魔法師、シェディが顔を出す。

「お? これは一体どういう騒ぎだ?」

いよいよ、状況は混迷を極めてきた。

Middle.1.11. 縺れた糸、解く時

「とりあえず、状況を整理しましょう…」

ひとまず、一度場所を移し、ベルクトの街の適当な店に入ったところで、クレハが場を一度仕切り直す。
自身が「ファー・ジ・アース界」という異界から来た事、魔王戦争について、一通り話し、再びティップに向き直る。

「それで、あなたは魔王戦争の参加者なんですね?」

「そうですね。参加者です。それで、何か…?」

ティップは素直に魔王戦争の参加者であることを認める。
既にバレているのだから隠しても無駄、と言うよりは、そもそもそこまで必死に隠さなくてはならないことのように思っているようだ。
そこは、魔王や侵魔(エミュレイター)が人類共通の敵として存在する「ファー・ジ・アース界」との認識の違いでもあるだろう。
クレハはフェリックスに話したのと同じように、魔王戦争には出来るだけ関わらないで欲しい、という話を伝えるが…

「まあまあ、クレハさん。ムツミがいなかったら僕、死んでたし。」

狙撃に遭ったところをムツミから与えられた力で何とかしのいだティップが宥める。
(まあ、そもそもムツミと関わらなければ狙撃されることも無かったのでは?、というツッコミはさておき。)
クレハの方も、そう言われると、確かに違和感を感じていた。
「ファー・ジ・アース界」とこちらでは、そもそもの魔王たちのスタンスが異なるような…
ムツミ=アマミはもともと比較的友好的な魔王として知られているが、もしかすると、他の魔王も…

「と、ともかく、ガレニアを倒すことについては協力できそうですね!」

そうなると、ひとまず敵対の意志は無いように見えるティップたちよりは、実際に盗賊行為をしているガレニアの方が脅威度は大きい。
対ガレニア戦、という目標は、まず目先にここの面々が協力できる課題としては格好だった。
ティップとムツミのペアの真意にしても、その中で見極めていけばいい。

そのために、この場で情報交換を進めて行く。
だが、もう1人、この一件の重要なファクターが、この場に近付いていた。

  •  ・ ・ ・

「ああ、こんなところにいたのか。」
「エルシュカさん、クレハさん、貴女たちの身柄を拘束します。」

店に入ってきたこの街の領主、フェリックスは告げた。
一瞬、場に静寂が流れる。

「領主狙撃事件の重要参考人として、同行してもらいます。いいですね?」

フェリックスは、「領主狙撃事件の」と言った。この言葉を聞いて、クレハは少し安堵する。
魔王戦争云々で領主が強硬手段に出てきたのなら非常に厄介だが、狙撃に関しては既に有力な情報が手元にある。
無論、狙撃はタテマエで、魔王戦争を邪魔するクレハたちを排除に来た可能性はあるが、ひとまずは従っておいた方が得策だろう。

「あ、それなら証人がいるよ! ね、ウィンウィン!」

エルシュカとしても、狙撃云々の話なら自分がやったのではない確証がある。
幸いその場には同じ狙撃の対象であるティップもいたことだし、彼の手を引いて立ち上がる。

  •  ・ ・ ・

領主館に到着したエルシュカたちに対し、フェリックスは1人ずつ取り調べを試みる。
まずは、エルシュカ。銃使い、という時点で最も単純に疑って然るべき人物である。

「単刀直入に聞こう。」
「僕を狙撃したのはキミかい?」

「んー、そうだね。その時の銃弾ってある?」
「あたしの銃弾と比べてよ。」

もちろん、フェリックスは自身を狙撃した銃弾を保管している。
取り調べに際し、エルシュカから預かった機関銃に装填されている銃弾は、確かに狙撃に用いられたものとは異なる。
あまりフェリックスは銃には詳しくないが、そもそも口径が違い、狙撃の銃弾はエルシュカの銃では撃つことはできない。
エルシュカが他の銃を隠し持っているなら話は別だが、それを言い出したら、他の人でも話は同じだ。
(ちなみに、もし銃に詳しい人物がつぶさに検証したなら、狙撃に使われた銃弾は、本来狙撃銃で扱うような銃弾ではないことが分かったのだが)

「なるほど。」
「だけど、銃が使えるという時点で、容疑者であることに違いは無い。まだ少し、ここで待っていてくれ。」

こうして、エルシュカの取り調べを終えると、次は部屋を移してクレハと対面する。
まずは、狙撃があった時間の行動を確認する。要は、アリバイ調査というやつである。
他の証人の言うことと齟齬が無いかを確認するのは基本中の基本だ。

「さて、この時間、あなたは何をしていましたか?」

「エルシュカさんと行動をともにしていたはずです。」
「とはいっても、本形態で収納されていましたが。」

「それを証明できる人はいる?」

「証明は、難しいと思います。」

「あとは、彼女以外に、銃の心得がある人の心当たりは?」
「ちなみに、この時間以外に、狙撃などがあったという話は?」

「えっと、それは、エルシュカさんから聞いていないのですか?」
「ウィンチェスター家のご子息が、狙撃されたと聞きましたが。」

一通りの話を聞くと、ひとまず退室し、エルシュカを呼んでくる。
疑いが完全に晴れたわけではないが、エルシュカが狙撃した可能性は薄いし、逆に証明が難しい。

「今日はありがとうございました。」

「え? 終わり?」

「まだ、完全に疑いが晴れた訳ではありませんが。」

領主館の出口まで来たところで、エルシュカは思い出したように、フェリックスに聞く。
フェリックスが入ってくる直前に店で話していた、ガレニアのことである。

「あ、そうそう。山賊倒しに行くんだよね。」
「あたしたちも付いて行っていい?」

「どういうことですか?」

フェリックスとしては確かに、山賊ガレニアのことは目下の懸案事項ではあるが、エルシュカやクレハの口からこのような提案が出てくるに至った理由は疑問だ。
そこで、ガレニアもまた魔王戦争の参加者であり、目下の優先撃破対象であるということに、それぞれ独自の調査で行きついていたことを伝える。
なるほど、それならば、互いに目的の合致するところではある。

「私としては、あなたと契約している魔王も、完全に信用した訳ではありませんが、それよりも問題となるのはこちらかな、と思うのです。」

「いずれにせよ、討伐しなくてはいけないと思っていましたからね。」
「それに、武官の方もいらっしゃるなら、戦力としては役に立つでしょう。」

こうして、ひとまずお互いに微妙な緊張関係をはらみながらも、共闘関係が成立した。

「では、明日の朝に動こうと考えています。その時に、ここに来てください。」

「オッケー!」

  •  ・ ・ ・

領主館から、クレハとエルシュカは再び街に出る。

「やったね。解放されたよ。」

「まあ、銃弾についてはかなり有効な証拠だったはずですから…」
「…隠し持ってませんよね、他の銃?」

クレハがジトッとした目線をエルシュカに向ける。
この2人の間も完全に信頼がある訳ではないらしい。

「いやー、ないないって、ほら!」

そう言って、エルシュカはスカートの裾をつまんでバサバサと振って見せる。
確かに(少なくとも狙撃に使えるような大型の)銃を隠していないことは明白なのだが…

「やめてください! 街中ですよ、ここ!」

その行動に、クレハが気にしたのは別の問題であった。

Middle.1.12. 相対する駒

一方、ティップもまた、領主フェリックスと会談していた。

「キミも、狙撃されたんだよね?」

「されました。」

「とりあえず、撃たれた時の状況とかを教えていただけますか?」

答えて、ティップはその時の状況、窓越しに撃たれたこと、時間などを説明する。
その過程で、魔王戦争について調べていたこと、ガレニアについての情報にもいきあたっていたことを説明する。

「なるほど、やっぱり君は、魔王戦争の参加者だったんだね。」

「ですね。領主さまもそうなんですよね。」

「ああ、彼女たちが喋ったのか。」
「で、戦いたい? 今。」

「うーん。流石に今は戦いたくないかな…」

ティップとしては、まず第一に、今ここで領主と戦って勝てる自信なんてない。
素直な言葉に、フェリックスもまた素直に返す。

「まあ、そう言われると、こちらとしてはぜひここで勝っておきたいのだけど。」

「ああー、どうしても戦いたいと言われるなら、仕方ないですけど…」

そこでさらっと主張を諦めるあたりがティップである。
とはいえ、一応言い訳は試みる。

「でも、ガレニアさん、倒さなきゃいけないんですよね。」
「そちらを倒してからにしません?」

もちろん、フェリックスとしては、優先度はそちらのほうが高い。
そのうえで、この提案が出てくるところまでは想定のうち、さらにもう一段階踏み込んで交渉することにする。

「もう1つ条件がある。」
「僕たちを狙撃した主は、橋城塔の上にいて、そこを魔境化している。」
「その討伐にも協力してもらいたい。」

「ああ、いいですよ。」
「僕だって、撃たれて何とも思わない訳じゃないですし。」

数的優位を取ったうえで、最低限その敵までは撃破して初めて、街の安全は達成される。
少なくとも、フェリックスが領主として、絶対に実現しなくてはならないラインはそこだ。

Middle.1.13. 足りない情報

場面を移して、ベルクトの路上。
クレハとのひと悶着(スカートばさばさ事件)が収まった(クレハが本形態に収納された)エルシュカのもとに、タイミングを見計らったかのように近付く人物がいた。
シェディである。

「あー、お嬢ちゃん、ちょっといいか?」

「何?」

「いや、魔王戦争があるだろ。領主と商家の息子、あとガレニアと塔の上のやつ。」
「ちょっと、数が合わないんだよな…?」

「ん、シェディシェディは本の数、分かってるの?」

「まあな。」

そう、シェディはもともと、上司であるグライフから、「5冊の本」と聞いていた。
今のところ、存在が示唆されている本は4冊なのだ。
であるから、こうして、怪しい相手にカマをかけに来たのだが…

「で、キミは?」

「私はむしろ、解決に来たほうだよ。」
「逆に、シェディシェディは違うの?」

「ああ、私は違うよ。」

互いに否定するが、あくまで本人の言うことだ。まだ見ぬ参加者がいるならば、その可能性はいまだに残されている。
とはいえ、これ以上追及すべくもない。
一抹の不信を飲み込み、互いにこの場を後にした。

  •  ・ ・ ・

フェリックスは、ティップやエルシュカ、シェディの協力を取り付けられたことで再びガレニア討伐の準備を進めていた。
一方で、魔王戦争について追加調査を行うことも欠かせない。
魔王戦争の書とは、そもそも誰が作り、どのような経緯で参加者の手に渡ったのか?

魔王戦争の書は魔法師ガレニア・サイフェルトが作ったものだ。
もともとの名はガレニア・ストラトス。名門に連なる優秀な召喚魔法師であり、そんな彼は魔王を呼び出し、魔王戦争を運営する書を作成した。
だが、その危険性から魔法師資格を剥奪されそうになり、危険を感じだガレニアは旧知の商人、ルドガー・ウィンチェスターに書を預けた。
いずれ回収するはずだったその本。だが、ルドガーの死により、ガレニアに返されることなく、本は散逸してしまう。

なるほど、おそらくガレニアは1冊は回収できたのだろう。
残りのうち、1冊は領主館への納品物に紛れていた。1冊はウィンチェスター家に残されていた。
そして、最後の2冊、これは恐らく、ニナリス村の海賊による盗難に遭っていると思われる。

「なるほどね…海賊か…」

その後の行方は不明だ、今、一体、誰の手に渡っている?

Combat.1. 魔王書の作り手

翌朝、ベルクトの領主館前に集まったガレニア討伐のための協力者たち。
領主フェリックスをはじめ、契約魔法師ミトラ、それからシェディ、エルシュカ、クレハ、ティップ。

「さて、みんな、よく集まってくれたね。」
「改めて確認するよ、今回の目的は山賊ガレニア・サイフェルトの討伐。」
「基本的には捕縛を目指すけど、場合によっては殺害してしまうかもしれない。」

フェリックスが説明を続けていく。
事前に調べていた、ガレニア一味の居場所の確認。街はずれの小さな小屋。

ひとまず移動をして、遠巻きに小屋を観察すると、情報通りの人物たちが出入りしているのが分かる。
恐らく、ガレニアも小屋の中にいるのだろう。
これ以上近付けば気付かれる。ここからは、一気に制圧するしかない。

「それでは皆さん、手はず通り、お願いします。」

作戦開始だ。

  •  ・ ・ ・

近付くと、小屋の中はにわかに騒がしくなる。
リーダーと思しき男の怒号が聞こえてくる。恐らくガレニアだろう。

「おい、領主の軍勢じゃねぇか!」
「街の方に出したやつ、ヘマ踏んだだろ! だから帰ってくる時は道を選ぶようにとあれほど。」

一応、この拠点を隠しているつもりではあったらしい。

「まあいい、来ちまったもんは仕方ねえ。」
「迎え撃つぞ、てめえら!」

そう言うと、数人の男が小屋から出てくる。
リーダーであるガレニアは、魔王戦争の書と、投影装備と思しきタブレット端末を持ち、両隣に2台のドローンを浮かせている。
調べきれなかったことだが、ガレニアは元々投影装備であるタブレットを元に異界の「電子機器」と呼ばれる品々で戦う特殊な邪紋使いなのだ。

「チッ、ベルクトの領主だな?」

「そっちは、ガレニアだな? 御用改めだ。拘束する。」

「はっ、御用改めか。 どうぜもう1つ目的があるんだろ?」
「ま、いい。 予測しうる襲撃なら、まだ対応のしようもある。」
「やっちまいな、お前ら!」

ガレニアの合図で、周囲の男たちも戦闘態勢を取る。

  •  ・ ・ ・

ドローンを展開したガレニアよりも早く、シェディが動いた。
彼女が「シーカー」ト呼ぶ異界の魔法生物を呼び出し、距離を詰める動作からそのまま攻撃に移る。
攻撃動作の直前に、「シーカー」を攻撃に適した形態に変化させる。
初撃は見事にガレニアに命中した…ように見えたが…

「甘いな。それにはそれなりの、「仕組み」ってもんがある。」

ガレニアは不敵に笑うと、端末からの操作でバリアを展開する。
しかも、バリアは攻撃を受け止めるのみならず、攻撃者に負担として返す機構付きだ。
僅かにガレニアにも防ぎきれない衝撃が抜けるものの、この攻防はひとまず痛み分け、というところか。

続いて、ガレニア、フェリックスが攻撃動作に移る。
お互いに、魔王から与えられた力の傾向が近しいらしい。魔法弾を練り、ほぼ同時に放つ。
ガレニアの放った拡散型の魔法弾は後衛で銃を構えていたエルシュカに命中し、フェリックスの魔法弾はガレニアのドローンを1基撃ち落とす。
そして、魔法弾の交叉の背後から、即座に体勢を立て直したエルシュカの射撃が迫る。

「ちっ、避けんのは無理だな。惜しいが!」

先程と同じバリアを展開し、射撃手にフィードバックを返す。
衝撃を受けたエルシュカは、先ほどの魔法弾のダメージもあってそろそろ体力に底が見え始める。
が、戦意はまだまだ充分だ。

「ちえっ、バリアされたから、撃った感触が無い。」

むしろ、元来の念願だった「人が撃てる瞬間」が目の前にあるのだ。楽しくて仕方がない。
ガレニアの様子を見る限り、あの厄介なバリアはそう何回も使えるものでもないらしい。
だったら、次こそは有効打を与えられるだろう。

最後に、ティップもムツミから与えられた魔力を込めて、魔法弾を放つ。
夢使いの魔法が込められたそれは、真っ直ぐに取り巻きの盗賊に命中し、弾き飛ばす。
実のところ、ティップに与えられた力の本領は先手を打って混乱効果のある魔法弾を広範囲に打ち込むことなのだが、今回は出遅れたのが痛かった。
流石に、そこのところは、戦い慣れしている面々と、商家の息子であるティップの違いなのかもしれない。

  •  ・ ・ ・、

最初の応酬で舞った砂埃がおさまった瞬間、ガレニアの手が端末上をひらめく。
今回はピンポイントにとにかく速く、尾を曳いて飛んだ魔法弾はエルシュカを貫く。
致命傷になり得る一撃だが、何とか、存在の力プラーナで踏みとどまり、反撃の射撃を放つ。
精密な射撃が盗賊の部下たちに命中し、これで残るはガレニア一人。

そして、機先を制して攻撃を放った直後のガレニアには大きな隙が生じる。
横合いからフェリックスとティップの魔法弾が飛ぶ。
魔王の魔力を込めた魔法弾の交叉射撃によって、ガレニアは意識を失い、吹き飛ばされる彼の懐から、1冊の本が滑り落ちる。
魔王リオン=グンタの魔王戦争の書だ。

本を回収し、そのままフェリックスが本を破壊する。
シェディとしては、出来るだけ回収したいところではあったが、流石にこの状況で回収することは難しいので黙認するほかない。
こうして、魔王戦争最初の脱落者が発生した。

  •  ・ ・ ・

ガレニアに関しては、まだ息はあったので、領主フェリックスの手で拘束されることとなる。
後に彼が語ったところによると、彼の動機の主たるところは「自分の作った理論を試したい」というところだったようだ。
本来、「裏界(エミュレイター界)」の魔王をアトラタンに召喚する、というのは非常に難しいらしい。
そこで、魔王の方からの積極的な召喚への協力をとりつけるため、「魔王戦争の舞台の提供」というメリットを提案し、魔王たちと契約する。
それが、5冊1組で作られた魔王戦争の書の効力なのだそうだ。
本来は一度ルドガーに預けた本を回収して、改めて参加者を選定するつもりでいたが、ルドガーの死によって本が散逸してしまい、やむなくそのまま魔王戦争のシステムを起動したらしい。

ともあれ、仮に魔王戦争の一件が無くとも、少なくとも盗賊行為の咎がある。
拘束されたガレニアには追って沙汰があるだろうが、ひとまずはこれでガレニアの一件は解決と言っていいだろう。

だが、まだ、魔王戦争は終わらない…

Middle.2.1. 橋城塔の気配

翌朝、ミトラがフェリックスの元をたずねた。

「領主さま、少し、気になることがあるのですが…?」

「あの塔のこと?」

「はい、やはり、あの領域、少しずつ力を増しているような気がするのです。」
「それで、以前お聞きした話によると、関与が疑われる魔王のうち一柱は、存在の力を収奪するのでしたっけ?」
「もしかすると、その収奪によって力を蓄えているのではないでしょうか?」

さすがに、魔境探索を専門とする菖蒲系譜の魔法師であるだけあって、こういったところは人並み以上に鋭い。

「まあ、ティップ君には協力してもらうことになっているしね。」
「クレハさんも、言えば協力してくれるだろうし。」

「魔境の危険度から言うと、エーラムのシェディ様にも御協力頂きたいのですが…」

こうして、フェリックスは次の攻略先を見定め始めた。

  •  ・ ・ ・

ミトラが退室した後、フェリックスは本からベルを呼び出す。

「ベルちゃん、ミトラが言ってた事って、本当にあったりするの?」

「プラーナの収奪による強化、まあ、理屈的には可能ね。」
「あんまりその予想が当たっていて欲しくは無いけど。」

「どういうこと?」

「要は、あんな街の真ん中にわざわざ拠点を構えるってことは、この街の人間からプラーナをちょっとずつ奪っている可能性があるのよ。」
「で、それは本来魔王戦争の協定に反するのよ。出来る限りこっちの世界に迷惑を掛けない、っていうね。」
「まぁ、アゼルは普通ならそんなことはしないはずなんだけど…」

「ということは、まだ行方の分からないもう1冊…?」

「可能性はあるわね。」
「あるいは、アゼルの本の持ち主が、無理矢理アゼルの力を使っているか。」

まだ、この魔王戦争に謎は残る…

  •  ・ ・ ・

一方その頃、ティップは一度自宅に戻り、ムツミと話をしていた。
というのも、気になることがあったのだ。

「ねえ、ムツミ。」
「さっき、1冊の本が消えたよね。 あんな感じで消えたら、キミたちはどうなるの?」

「まぁ、元の世界に戻るのかな?」
「そもそも、ここにいるあたしたちは分体だし。 本体は今も裏界にいるわ。」

そのあたりは他の投影体も同じだ。

「あー、いや、終わった後のことを話したいんだ。」
「正直言うと、僕はウィンチェスター家の一員だから、あんまりここの領主と戦いたくはないんだ。」
「家から完全に縁を切って行けばいいかもしれないけど…」

ティップとしても、別にこの実家が好きなわけでもない。
とはいえ、あまり実家に迷惑を掛けるのも気が引ける。正直、悩むところなのだが。
ムツミも少しバツが悪そうな顔をする。

「あー、あたしとしては、正直な本音を言うなら、戦いたい。」
「あたしみたいな弱小魔王からしてみれば、この戦争に参加できただけでも千載一遇のチャンス、幸運なんだ。」
「でも…」

ムツミも、半ばノリと勢いでティップと契約したが、徐々に、このまま魔王戦争を続けていたら、ティップに迷惑がかかることに気付いてきた。
(まあ、それを気にするあたりが、彼女の魔王らしくないところでもあるのだが。)
だから、次のティップの言葉は意外だった。

「ま、決めた。 ムツミと一緒に戦うよ。」

「えっ? ティップは困るんでしょ?」

「キミは、僕を必要としてくれてるからね。」

有り体に言えば、ティップは、あまり実家に居ても、必要とされてこなかった。(少なくとも、本人はそう思っている。)
だから、この突然現れた少女のために、自分の力を使えるなら、それでもいいかなという気にもなっていた。

「え、あー、うん。いいのか?」
「あ、待った! ちょっと考える!」

若干どころでなく慌てながらそれだけ言って、ムツミは本の中に戻る。
ティップがこんなにあっさりと、それでいてどこか決意を込めて言ってくれるとは思っていなかった。
とはいえ、ティップとしても、今はまだ、魔王戦争にも、実家にも「特に思い入れが無い」だけであった。
彼が、自分のやりたい事を本当に考えるのは、もう少し先の話である。

Middle.2.2. 残る情報の欠片

結論から言うと、ベルの懸念は当たっていた可能性が高い。

ニナリス村の海賊について調査すると、幾つかの事項が分かる。
まず、その海賊の頭目、異界の武器を操る邪紋使いだったらしい。
そんな彼がある時、盗品として、「願いを叶える本」なるものを手に入れた。
だが、その本を巡って内輪もめが勃発。頭目はそのどさくさで殺され、本は行方不明になった、とのことだ。

そして、このことを知ったうえで、先日の狙撃について調べると、どうやらその銃弾は、海賊の頭目が使っていた武器の物らしい。
つまり、その内輪もめで、頭目から武器と本を奪った何者かが、フェリックスを狙撃したということだ。

となると、本を持っているのは海賊の関係者であることが濃厚な以上、街に迷惑を掛けるような手法に及ぶ可能性は十分考えられる、ということだ。

Middle.2.3. 橋城塔に向けて

ガレニアは討伐したものの、未だ魔王戦争の参加者は残っている。
そのうち、最も現状で危険度が高いのは、橋城塔に陣取っていると思われる参加者だろう。
このままでは一般人に被害を及ぼしかねない以上、最優先で脱落させるべきターゲットだ。

フェリックスは、ガレニア討伐時のメンバーに、橋城塔攻略の協力を要請することにする。
宿を訪れた時、エルシュカはまだ寝ているとのことだったので、代わりにクレハに伝えて去る。

「エルシュカさーん、領主さまが来てましたよ。」

「んー、あと5分…」

そうやら、まだ寝足りないらしい。
が、話は聞こえたようで、一瞬遅れてピクッとその言葉に反応する。

「え? 領主さまが?」
「フェリフェリが何て?」

「橋城塔を攻略しようとしているとのことですよ。」
「それで、協力の要請に。」

「あー、オッケー!」
「ま、次はそうだよね。じゃ、私、もうひと眠りするから!」

ああ、なんだ、そんなことか。とでも言いたげに、改めて二度寝の構えに移る。
クレハは小さく、ため息をついた。

  •  ・ ・ ・

<-Secret Scene->
(反転すると読めます。)

エルシュカが二度寝している頃、ティップはエルシュカの泊まっている宿を訪れた。
フェリックスから言われた、橋城塔の攻略の話について相談しに来たのだが。

「おや、ティップさん。」
「わざわざ来ていただいて申し訳ないんですが、エルシュカさん、まだ寝てまして。」
「起こしましょうか?」

「いや、いいです。出直します。」

そう言って、代わりに応対に出たクレハと別れる。
ドアが閉まった後、ふと、ティップは気付く。
相手が寝ている今なら、自身に宿った夢使いの能力で相手の隠し事を知れるのでは?

手袋を外し、魔王印を出すと、相手の夢へと意識を同調させていく。
流れ込むイメージは、海賊の仲間割れの跡地、兎耳の魔王との遭遇、契約。
間違いない。エルシュカもまた、魔王戦争の参加者だ。

とはいえ、ここで何か行動を起こすことも出来ない。
知った事実を胸に秘めたまま、橋城塔の攻略に向けて、動き出そうとしていた。

  •  ・ ・ ・ 

シェディもまた、魔王戦争の残る参加者について追加の調査を進めていた。

魔王印を刻印されている者、あるいは魔王戦争の書を持っている者、という条件で聞いて回る。
すると、どうやら魔王戦争の書らしき本を持った少女が見かけられているらしい。
ロングコート姿で、最近までこの街で見かけられてはいなかったようだ。
恐らく、他所の街から来たのだろう。

シェディとしては、魔王書の冊数は事前に知っている通りだ。
そのうち1冊をこの少女が持っているとしたら…

調べた情報を元に、酒場で思索にふけっていると、そこに、1人の少年が声をかけた。
フェリックスである。クレハにエルシュカへの言伝を頼んだ後、その足で、シェディがいると思しきここに向かっていた。

「おう、坊ちゃんか。」

「シェディさん、メイジである貴女に、相談したいことがありまして。」
「あの塔があるじゃないですか。それが、魔境のようになっていまして。」

「あー、そうか。」

「どうやら、この街の皆の「存在の力」を吸い取っているようなんです。」

「で、何が言いたいんだ?」

フェリックスの言葉に、シェディはめんどくさそうに、簡潔に聞く。
その返答もまた、簡潔だった。

「手伝ってくれません?」

シェディとしては、ひとまずの任務はガレニアの討伐もしくは捕縛。
それを達成したなら、エーラムに撤収しても良かったのだが、フェリックスはあえて「メイジとして」と言った。
エーラム所属の魔法師に対する領主からの協力依頼という形で、いわゆる「メイジ・オブリージュ」に訴えているのである。

「まあ、そのぐらいなら、いいか。」
「明日、起きれたら行くよ。」

「じゃあ、起こしに来ます。」

来る気の無さそうなシェディに釘を刺す。
ひとまず、これで、魔境化した塔の攻略要員を1人確保できた。
街の住民に、密やかに被害を及ぼしている可能性がある以上、急務の攻略に一歩近付いたのは、収穫だった。

シェディの元を去った次は、ティップの所に赴き、彼にも橋城塔の攻略協力を依頼する。
これで、推定される攻略メンバーはフェリックス、ミトラ、シェディ、エルシュカ、クレハ、ティップの6人。
フェリックスの見立てでは、これで何とか攻略可能だというところか。
油断なく、ことにあたらなくてはなるまい

Middle.2.4. 橋城塔攻略戦

翌朝、橋城塔の攻略のため、予定されていたメンバーが集まった。
シェディは若干フラフラとした足取りだったが。

「シェディシェディ、大丈夫ー? お酒くさーい。」

「あー、ちょっと飲み過ぎた。」
「まあ、仕事はちゃんとやる。大丈夫だ。」

そこのところは、これでもエーラム直属のエージェント、というところだろう。
一応、しゃんとした感を取り繕う。

  •  ・ ・ ・ 

橋城塔の入口まで来ると、相変わらず、魔境化のような気配が、塔の内部から漂っている。
ティップは、街中を抜けたことを確認すると、本からムツミを実体化させる。
ここにいるメンバーは、ティップがムツミの書を持っていることは既に知っている。
なら、下手にしまっておくより、いつでも対応できる状態にしておくのも悪くはないだろう。
そもそも、ムツミ的には狭苦しい本の中よりは、実体化して自由に歩き回れた方が楽しそうだということもある。

「じゃあ、行くぞ。ティップ。」
「次の参加者を倒すぞ。」

橋城塔の基部に入って行くと、魔境化の影響か、ところどころ構造が置き換わっていることがこの街の住民であるフェリックスやティップには分かる。
恐らく、侵入者に対する罠なども仕掛けられていることなのだろう。

進んでいくと案の定、自動迎撃のガーディアンや、アロースリットなど種々の罠が仕掛けられているが、警戒しつつ進んでいく一行は、それらの脅威を1つずつ確実に対応していく。
だが、むしろ、ギリギリ対応可能なように罠が配されているような、奇妙な違和感を感じる。

その行程の途中、ティップが1つのことに気付いた。
変質した橋城塔の中、隠されている1つの入口がある。どうやら、そこから続く小部屋があるようだ。
フェリックスが記憶をたどるが、そこは確かもともと、存在はするけど普段は使われていない部屋、だったはずだ。
(橋城塔は古い建物だし、こうした使われていない部屋はそれなりにある。)
それにしても、この部屋がわざわざこのように隠されていたのは解せない。

じっと扉の前で感覚を澄ませると、部屋の中から強いエネルギーの気配を感じる。
ムツミも、ティップがじっと見ているのに同調する。

「ここ、なんか匂わないか?」
「プラーナとか魔力とか、そんな感じの。」

このまま放置して、突然後ろからイレギュラーが起こるというのも怖い。
一度しっかりと確かめた方がよいだろうと判断し、この部屋に踏み込むことにする。

部屋に入ると、床一面に魔法陣が描かれ、部屋の中央には一際巨大な魔法陣がある。
描かれた線を伝って、魔力が流れ、上へ上へと向かっているようだ。
魔法型の能力を魔王に授けられたフェリックスとティップは、この魔法陣の目的がなんとなく推察される。
これは、街の人から回収したプラーナを上層にいると思しき術者に送る、ポンプのような役割を果たしているのではないか。

「え? ティティ、これ何? 分かった。」

「何か分からないけど、プラーナが流れている気がする。」

「はぁ、ヤバくない? それ?」

プラーナはそのまま戦闘にも使える力になる。
この魔法陣を通じて術者に流れているのならば、これはかなり敵対者にとってはまずい仕組みだろう。
一応、ムツミとベルにも聞くが、彼女らの見解も同じだった。
であるなら、ここでこの魔法陣は破壊しておいた方がいいだろう。

「あ、そうそう、破壊するなら、出来るだけ瞬間火力で、一気に焼き切った方がいいわよ。」
「高エネルギーラインに接触する以上、壊し切れなければ手痛いフィードバックを受けるわ。」

ベルの助言を受けて、フェリックスが出来る限りの力を込めた魔法弾で、破壊を試みる。
幸運にも魔法陣の勘所ともいうべきポイントに命中したのか、見事一撃で、フィードバックを受けることなく、破壊に成功する。
ひとまず、これで、街の人々からのプラーナの吸い上げは停止された。
目的の1つは達されたが、放っておけばまた同じものを作られるだけだろう。
このまま、上層の術者を撃破しなくてはならない。

こうして、魔法陣の部屋を出て、また塔の上層に続く通路を歩き始めた。

  •  ・ ・ ・

橋城塔の基部を抜けて、塔の部分に辿りつく。
ここからは細い階段通路を進んでいかなくてはならない。
とはいえ、この通路を抜けて行くことには、危険が伴う。
逃げ場のなく、なおかつ必ず通らなくてはならない階段通路は、罠を仕掛けるには絶好のポイントである。
何も仕掛けられていない方が不自然なくらいだろう。

そこで、エルシュカが提案する。

「壁から行けばいいんじゃない?」

窓から一度外壁部に出て、塔の外壁を登っていく、ということである。
確かに、ある意味その方が安全かもしれない。
だが、最上階まで外壁を登っていくのはかなりの腕力、持久力が必要だろう。

とはいえ、ここには空を飛べる手段があった。
シェディが召喚し操る魔物(「シーカー」と彼女は呼んでいる)である。
彼女が先行して空を飛んで登り、そこから引き上げる、というのが最も確実な方法と思われた。

エルシュカ、ティップが順に引き上げられ、最後にフェリックスを引き上げる。
その時、引き上げられるフェリックスが空中で少しバランスを崩す。
落ちるようなことこそ無かったが、カンッとブーツが石壁を打ち、思ったよりも静寂な辺りには響く。
最上階にいると思しき相手に、気付かれたかもしれない。
幸いなのは、フェリックスが最後に引き上げられたことだ。
以降に登る者が上から射撃を受けるようなことは無いだろう。

さあ、あとは、窓を破り、最上階の部屋の主と相見えるだけだ。

Combat.2. 悪なる銃

窓を破って、橋城塔頂上の部屋の中に突入する。
部屋に入って見渡すと、部屋の中央には、1人の少女が立っている。
正面のドアの方を向いて待っていたようだが、逆から待ち人が来たことに気付くと、素早く振り返り、異界風のロングコートがはためく。
振り向きざま、腰の両側のホルスターから、流れるような動作で拳銃を抜き、構える。片目のスコープがキラリと光る。

「勇者諸君は、正面から入って来るものだと、コレットは思っていましたが。」

コレット、というのが彼女の名前であるのだろう。
見たところ、彼女は投影体、今しがた抜いた拳銃を本体とする、オルガノンに見えた。

今回はそれほど関係ない話だが、このコレットというオルガノンは、地球のアメリカ西部開拓時代にアウトローたちに広く使用された銃「Colt M1877」の集合意識としてのオルガノンだ。
400年ほど前にも、ブレトランドに投影されているが、今回の投影はそれとは別個体だ。
(参照:グランクレスト伝説 第1話「背徳の令嬢」)
彼女は特定の1丁の銃を基とする個体ではなく、数多の「Colt M1877」のエピソードを下敷きにする集合意識だ。
だから、投影されるたびに、そのパーソナリティーにはかなり広い幅のブレが発生する。
今、目の前にいる彼女は、400年前の投影時よりもさらに無差別的な悪の属性に寄った「コレット・オルタ」とでも呼ぶべき存在であった。

「勇者じゃなくて、領主ですし…」

「勇者?」

「ムツミは勇者だって言ってたけど…」

突然、こちらのことを勇者と呼んできたコレットに対し、フェリックス、エルシュカ、ティップが三者三様の疑問を浮かべる。
が、意に介さず、コレットは話を続ける。

「魔王たるコレットの前に立つのであれば、其れすなわち、勇者と呼ぶのです。」
「私と決着を付けるにふさわしい存在であれば、其の勇者の運命を歓迎しましょう!」

熱に浮かされたように語るコレットの言は、ただの妄想なのだろうか?
それとも、魔王戦争に関連する役割か何かなのだろうか?
よく分からないことは仕方ないので、フェリックスは魔王書の中のベルに聞くことにした。

「そうなの? ベルちゃん。」

「知らないわ。」

どうやら、この語りは魔王戦争ではなくて、コレットそのものに起因するようだ。
だったら、あまり気にしなくてもいいだろう。

「プラーナの供給が途切れていますね。」
「ですが、貴方がた全員を相手取って、ほぼ互角の戦いを演じることはできましょう。」
「ええ、そのくらいが良い。先の見えない戦いこそ、勇者と魔王の戦いに相応しい。」

そう言って、持っていた魔王戦争の書を開く。そこから、全身に黒い包帯を巻いた、気弱そうな少女が現れる。"荒廃の魔王"アゼル=イヴリスだ。
恐らく、押しの弱いアゼル=イヴリスでは、コレットの暴走を止めることも出来なかったのだろう。アゼルは、敵対陣営に、申し訳なさそうな目線を向ける。
正直、主張はしないが単純な力だけなら最強クラスのアゼルと、その力を無差別に振るうことをためらわないコレット・オルタの組み合わせは敵対する側からすれば、最悪と言えた。
冗談でもハッタリでもなく、これだけの人数差があって互角の戦いになり得るだろう。

「さあ、始めましょう。」
「我が名はコレット・レインメイカー。魔王戦争にかける願いは「私自身が魔王となること」!」
「そして、いつか私を倒してくれる、勇者と出会うのです…はは…はははっ…」

「こじれてる…」

  •  ・ ・ ・

戦いが始まると、まず先手を取って動いたのはティップだった。
ムツミによって引き出された、夢使いとしての力で、魔法弾を練る。
魔法弾は真っ直ぐな軌道を描いて、コレットのもとに着弾した。

「させません。ガードスフィア、展開します。」

着弾の直前、絶妙なタイミングで展開した障壁に威力の大半を減殺される。
だが、僅かに通ったダメージよりも、致命的な効果が、この魔法弾にはある。
着弾から一瞬遅れて、コレットの思考にバチッと一瞬衝撃が走る。
夢使いの魔法、「朧月」の真髄は、相手の思考を混乱させ、多大な隙を作ることにある。
味方に先んじてこの魔法を撃ちこめることは、大きな意味を持つ。

続いて、フェリックスもまた魔法弾を撃ち込むが、この一撃はコレットがすんでのところで回避する。
ティップの「朧月」によって防御が取りづらくなっている今、追撃を受ける訳にはいかない。

エルシュカの銃弾もまた、コレットに迫るが、こちらは魔法に依らない物理的な攻撃と見て、オルガノンゆえの装甲で受ける。
装甲を抜けて本体にダメージが及ぶ感触があったが、せいぜい損傷は軽微。
銃弾を受け、その衝撃が抜けたところで、攻勢に転じる。
両手の拳銃を構え、特殊弾も使い、狙いを付ける。

「魔力爆裂弾、装填。Fire!」

だが、先程の魔法弾による思考へのノイズが抜けきらない内に、特殊弾まで使ったのはコレットの失策だった。
十分に精妙な、だが普段より精度の落ちた射撃を、標的にされたエルシュカとティップは、アレなら避けられる、と見る。
2人の体を掠め、銃弾は背後へと飛び去って行く。普段の精度なら、こうは避けられなかっただろう。

最後に、シェディの呼び出したシーカーが、コレットに攻撃を仕掛ける。
やはり、物理攻撃に対する頑強さには自信があるようで、それなりの火力の一撃を加えても、未だ致命傷には至らない。

一通りの攻防を応酬し、一瞬の間が空く。
攻防の間に弾き飛ばされたのだろう、背後で、床に薬莢の落ちる金属音が響き、次の一手の始まりを告げた。

  •  ・ ・ ・

次の攻撃を放とうとしたティップ、フェリックスの動きを見て、コレットは強引に自身の動きをクロックアップする。
作り出した一瞬の時間、思考のノイズの晴れるこの瞬間こそ、勝負の仕掛け時だと確信する。

「Colt M1877、それは数多の悪の物語。生き様を束ね、歴史を見せよ!」
「多重投影、Full Fire!!」

これぞ、多くのColt M1877の記憶を持つ概念投影体コレット・レインメイカーの奥義。
異界に存在する数多の同型銃を用いて放たれる、全方面一斉掃射である。

回避の極めて難しいこの掃射が、フェリックス、シェディ、エルシュカ、ティップ全員を襲う。
が、フェリックスとティップは魔王から与えられた障壁能力、シェディはシーカーの頑強さ、エルシュカは絶妙なタイミングの防御で全員、何とか戦場に立ち続ける。
次の一撃を受けたら、もう戦闘不能は免れないだろうが、あの掃射を受けて、何とか立っていられたならば、次は反撃の時間だ。

ティップが先ほどと同じ「朧月」の魔法弾を撃ち込む。
先の攻防で、相手の障壁がかなり堅固なことは分かっている。
弾ききられる訳にはいくまいと、プラーナの力を注ぎ込み、その勢いをブーストする。

ガードスフィアを展開するも、コレットの本体に通ってきた僅かなダメージから、再び思考にノイズが走る。

続くフェリックスは、先程回避された魔法弾を、精確に微修正し、放つ。
その精妙極まる一撃は、ガードスフィアを張られたにも関わらず、派手に貫通して、ダメージを与える。

エルシュカ、シェディの攻撃は、着実に損傷を与えていくも、コレットも何とかしのぎ切る。
そして、戦いは最終局面へと、動きだす。

  •  ・ ・ ・

互いに次の一撃は致命的。
であれば、この一瞬の動きが、勝負を分ける。

再び動作をクロックアップしたコレット。だが、ティップの方が一瞬早かった。
また「朧月」が付与された魔法弾が迫るが、最後のガードスフィアで、衝撃を弾ききり、混乱効果を受けずにとどまる。

だが一方、この時点で、コレットは致命的な状況に陥ったことを痛感していた。
この攻防を最後に、回数に制限のあるガードスフィアを使い切ってしまったのである。
エルシュカとシェディは物理攻撃だからいい。だが、さらに次、魔法弾を受けたら致命的な損傷になる。

しかも、そのフェリックスは油断なく次弾を用意している。

ならば、ここで決めるしかない。
最後の切り札、破壊力に特化したたった一回きりの弾丸を込め、ティップとフェリックスに放つ。
その一射は狙い違わず、標的2人を貫いた。

が、存在の力、プラーナは、生命力が失われきりそうなとき、一度だけ、その欠けた生命力を補充する使い方も出来る。
フェリックスは、魔法弾の構えを解かぬまま、プラーナの力を巡らせ、返すこの一射を放つ時間を作り出す。

ベール=ゼファーから受け取った"蝿騎士"の力の一端、魔法弾、シューティング・ダーク!

ガードスフィアの無いコレットにとって、それは致命的。多大な損傷を追う。あと一撃だって受ける訳にはいかない。
だが、まだ次の攻撃を構えている者がいる。

エルシュカの弾丸がコレットの本体たる拳銃、そして、魔王戦争の書を砕く。
消えゆく体で、魔王になることを願った悪の少女は言葉を紡ぐ。

「そう…ですか…」
「お見事、です…勇者たち…」

「ですが、いつかまた…出会えたら。」

と言って、消えていく。
こうして、アゼル=イヴリスの力によって変質していた塔最上階も徐々に元に戻りはじめ、この戦いは幕を閉じた。

…だが、当然ながら、魔王戦争はまだ終わってなどいなかった。

Combat.3.1. 最後の参加者、そして、決意

ふと、ムツミが言った

「で、どうするの? 魔王戦争。」

そう、ガレニア、そしてコレットが脱落したものの、まだ魔王戦争は終わってなどいない。
そして、フェリックスとシェディには気がかりが一つ。

「というか、まだ一人…」

「…いるんだよね。」

ガレニアが作った魔王戦争の書は全部で5冊。
うちガレニアの持っていたリオン=グンタの書、コレットの持っていたアゼル=イヴリスの書は既に消滅した。
それから、フェリックスの持つベール=ゼファーの書、ティップの持つムツミ=アマミの書はいまだ健在。
では、もう1冊は…

嫌な気配を感じたフェリックは魔王印をかざし、共鳴探知を試みる。
ティップもまた、もう1人が誰なのか、確信を持ちつつも、一緒に魔王印をかざす。
感じる反応はお互い自分以外に2つ。
つまり、この場には、もう1人の駒(ポーン)がいる、ということだ。

ティップがエルシュカの方を見る。全員の視線がエルシュカに集中する。
フェリックスが代表して、宣言する。

「キミだね。最後の1人は。」

もとより隠し通せるとは思っていなかったが、さて、どうすべきか。
考えるエルシュカの脳裏に、荷物の中に隠した魔王戦争の書から声が響く。

〈…で、どうするのです? 今、仕掛けるのです?〉

もちろん、これ以上隠していても仕方がない。
エルシュカは、黙って本を取り出すと、頁を開いて、イコ=スーを呼び出す。
兎耳の少女が、ぴょんと跳び出し、軽やかに橋城塔の床に降り立つ。

「ごめーん、イコちゃん。バレちゃったみたい。」

エルシュカが笑って言う。
その笑みに、兎耳の魔王を見たベール=ゼファーは顔をしかめる。

〈ちっ、よりにもよって魔王女…)

このイコ=スーという魔王、爵位こそ今回の魔王戦争の参加者の中では、比較的格下(ムツミを除く)ではある。
だが、それ以上に脅威となりうる、悪辣な性質の魔王として知られている。
しかも、この駒(ポーン)、かなり性格的にも相性が良い。こっちにとっては、最悪だ…

「それでは皆さん、最後のお茶会の時間なのです。」

イコ=スーの言葉を受け、エルシュカは、着ていた服の肩をはだけさせ、ウサギをかたどったイコ=スーの魔王印を見せる。

「そういうこと、イコちゃんと契約してたんだよねー」
「じゃ、今、やっちゃおうか!」

エルシュカが、銃を向ける。

  •  ・ ・ ・ 

ティップは悩んでいた。
この場には、残るすべての参加者が揃っている。
つまり、ここで始まりうるのは、ただ一つの勝利者の席を賭けた決戦。

「ムツミ、どうしよう?」

だが、願いのために、フェリックスも、エルシュカも敵に回して、果たして自分は戦える?
ただの一般人、ただの商家の息子である自分に、そんなことが出来る?

そもそも、自分の願いって?

どちらかと言えば、自分の願いというより、突然現れたこの少女に引っ張られ、この戦いを駆け抜けてきた。
この戦いで勝って、魔王として立派に名を上げたい、純粋にそう願う少女の、力になりたかった、のかもしれない。
だから、彼女が望むなら…、と思った矢先、ムツミは以外にも寂しそうな声をティップに向けた。

「でも、ティップは、ここであいつらと戦うと、困るんだろ?」

「まあ、それは、別にどっちでもいいけど?」
「街を出てくなら、それでもいいし。」

あまりにも、魔王らしくない一言と、それに対する答えもまた、自覚があってか無くてか一市民らしいそれでもない。
この少年がさらっと言ってのけた一言。
ある意味、主体性が無いように見えて、この決断が出来る人はそうそういない。

このまま商家の息子でいれば、幸せには暮らせるだろうに!
つい最近出会った、異界からの来訪者のために戦える? 本当に!?
でも、そんなことを言われると、信じてみたくもなる!

「知らない! キミが、ティップが決めるんだよ!」

叫んで、本形態に戻る。
最後は、この少年に、決断してもらいたい。
きっと彼は、あたしのために戦うんだろう。
だったら、あたしも信じよう! ティップなら、絶対に、勝ってくれる!
あたしは持てるすべての力を、ティップに託そう!

本を握る。
自分の願いは、決まらない。
けど、今やりたいことは、決まった。
商家の息子の良い子な自分を演じるより、大切なコト!

「それじゃ、最初で最後の反抗、やってみますか!」

決意を込めた瞳で、待ちくたびれた様子のエルシュカに向き直る。

  •  ・ ・ ・

フェリックスはクレハに疑いの目線を向ける。
エルシュカが魔王戦争の参加者だと隠していた、ということはパルテノの組織的な謀略かと疑わざるを得ない。

「はわっ!」

目線を向けられたクレハが狼狽えるが、それはエルシュカが否定する。

「クレハちゃんにも言ってなかったもん。」

まあ、今はどちらでもいい。
エルシュカに、そしてティップに勝利し、領主の務めも果たす。
見据える目標に、迷いはない。

  •  ・ ・ ・

魔王戦争の最終局面が、始まろうとしていた。

蠅の女王と、橋城の領主。
冷静に戦局を見極め続け、街に仇なす参加者を的確に打ち砕いた。
此処までの戦い、最大の功労者であることは疑いない。
領主の務めは果たし切った。魔王戦争にも勝ってこそ、完全な勝利。

予言の魔王女と、機関銃の少女。
ひたすらに自分のために、ある意味、魔王戦争の最も純粋な参加者。
今から、最高に楽しい戦いが始まる。
さあ、楽しもう!

勇者魔王と、商家の少年。
なぜ、ここに立っているのだろう。
だけど、互いに信頼を繋げ、今、ようやく勝利に向けて動き出す。
気弱な少年は、初めて、決意を瞳に映した。

Combat.3.2. 最後の戦い

先手を取ったフェリックスは魔法弾を放ち、エルシュカの持つ魔王戦争の書を狙う。
魔王戦争に勝利するためには、これが一番早い。
魔王戦争の書は、ひとたび攻撃を受けて耐えられるような耐久性は持ち合わせていない。
当たりさえすれば、勝負は一撃で付く。

当然ながら、エルシュカとしても、むざむざ本を失う訳にはいかない。
プラーナの力を注ぎ込んで精度を高めた魔法弾は避けきれないと判断し、やむなく自身の身で本を庇う。
限られたプラーナの力は、回避よりも障壁に使う。
結果、手痛い打撃には違いないが、本は無事、エルシュカもまだ戦場に立ち続ける。

防御動作から、そのまま機関銃を構え、攻勢に転じる。
機関銃を相対する2人共に狙いを付け、放つ。
フェリックスとティップに見事命中し、お返しとばかりに痛打を与える。

最後にティップの魔法弾がエルシュカを狙う。
先手を取って「朧月」で翻弄するのが持ち味のティップとしてはここでの出遅れは痛いが、それでも着実に魔法弾でエルシュカにダメージを与える。
見れば、明らかに体力はもうギリギリ。

だが、それはティップ、それからフェリックスも同じ。
次の瞬間、如何に素早く判断し動けるか、それが勝負の別れ目。

  •  ・ ・ ・

全力で、その瞬間に手を伸ばした。
それはここにいる3人ともが同じ。

Ending.0. 決着の時

互いに、あと一撃が通せれば、という状況であったのに間違いはない。
ここに至るまで積み重なる幾多の事象が、僅かでも違えば、また違う結末が待っていたのだろう。

だが、今回は、紙一重速かったエルシュカの銃弾が、2冊の魔王書を貫き、弾痕は決着を刻んだ。
力を失った魔王書が闇に溶けるように、消滅していく。

  •  ・ ・ ・

薄れゆく本と意識を前に。そして敗北の事実を前に。
ティップは、魔王書に向かってつぶやいた。

「ごめんね、ムツミ。勝てなかったよ。」
「今回は負けたけど君は凄いよ、だって僕みたいな一般人が領主様とも武官さんとかと戦えたんだから」
「ムツミと出会えてよかったよ、また会えるといいな」
「ありがとう」

答えるように、消えゆく本から声が響く。

「ティップ、違う!凄いのはお前もだ!」
「あたしが、"蝿の女王"や"魔王女"に並べたのは、誰が「相棒(ポーン)」だったからか!」

気を失っているのか、"勇者魔王"の最後の言葉は、ティップに届いているのか分からない。
けど、続けて言葉を紡ぐ。

「だから、ティップと一緒に戦えて、あたしはすごくワクワクしたし、楽しかったぞ!」

次の瞬間、魔王書はついにその形を完全に失い、消えた。

  •  ・ ・ ・

ベール=ゼファーはゲームが大好きだ。
裏界の大公とはいえ、一方的に相手を倒すなんてまったくつまらない。
互いに勝ち筋があってこそ、先が読めないからこそ、面白いのだ。

一方で、彼女は人一倍負けず嫌いでもある。
ゲームとはいえ、負けることは悔しい。特に、今回は。
消えゆく体で、「蝿騎士(ポーン)」を見やる。

(…僕は、…負けたのか。)
(…やっぱり領主として動きつつ、あわよくば魔王戦争に勝つなんて厳しかったか…。)

「ごめんね、ベルちゃん。今の僕だとここまでだったみたい。」

そう、ベルはずっと、この"蝿騎士"の行動を見ていた。
何をおいても、魔王戦争に全力を尽くしていたか?、と言われると否。
あくまで、この橋城の街ベルクトの領主として、成すべきことを成し、その上で魔王戦争に勝利しようとしていた。
もしかして、最初から魔王戦争に全力を傾けていれば、エルシュカが本を隠していることに気付けたかもしれない。
分かったうえで、"蝿騎士"の選択に、口を挟む事は無かった。

「偶然の出会いにしては、悪くなかったわ。」
「貴方のやり方は、とっても私好みだもの。勝つのならば、完璧に。」
「魔王戦争とは限らない、いつか、貴方は次のゲームに挑むでしょう。」
「その時には、全てを、完全な勝利を掴めるようになりなさい、フェリックス。」

フェリックスに声が届いているかは分からない。
いや、僅かに残された魔王の力で届かせることも出来はするだろう。
けれど、ベルは、それを無粋と切り捨てた。届くのならば、届いていることだろう。

  •  ・ ・ ・

この魔王戦争の勝者となったのは、魔王イコ=スーと、その駒(ポーン)、エルシュカ。
イコ=スーはエルシュカの前に立ち、改めて問う。

「さて、魔王戦争の勝者、我が駒(ポーン)、エルシュカ。」
「イコは裏界に帰る時が来たのです。でも、その前に、契約に基づき、貴女の願いを叶えましょう。」
「何を、望むのです?」

「そうだなー。」
「どのくらい出来るの? イコちゃん。」

エルシュカが聞き返す。
イコ=スーは、願いの規模について、例を挙げて説明する。

「まぁ、例えば「力が欲しい」ならブレトランド有数規模の聖印や邪紋なのです。」
「ただし、力だけなのです。アフターサポートは無いのです。」

「もちろん、お金や財宝でもいいのです。」
「一生遊んで暮らせると思うのです。」

「あとは、事象操作が出来るのです。」
「ここで起きたことの一部を無かったことにすることが出来るのです。」

正直、イコ=スーは、我ながら丁寧に説明し過ぎだと思った。
本来なら、「力が欲しい」と願ったときに、突然得た力によるこの世界での軋轢の可能性までイコが説明することはない。
もともと、歪んだ願いの叶え方で破滅していく人間を見るのが大好きという魔王なのだ。
アトラタン人を破滅させてもプラーナが稼げない、という理由もあるが、それ以上に、この駒(ポーン)のことをイコは気に入っていた。

そして、エルシュカが望んだのは、イコ=スーが最後に例に挙げた願いだった。

「それいいね!」
「みんなの記憶を消すとかできるかな?」

「むしろ得意分野なのです。」
「イコの権能の中心は予言なのですから、比較的近いのです。」

「やった!」
「じゃあ、ここにいる皆の魔王戦争に関する記憶を消して!」

「分かったのです。」
「もちろん、エルシュカの記憶は残しておくのです?」

「もちろん!」
「じゃ、そういう訳で、イコちゃん、よろしくね。」

そう言って、エルシュカは早々にこの場を立ち去ってしまう。
イコが指を鳴らし、魔王戦争の勝者たる魔王のみが使える呪句を唱える。

「我、此の地此の時に於いて魔王戦争の勝利者。」
「契約に基き、我が手に裏界約定の地を司る鍵を。」
「契約に基き、我が駒に表界約定の望みを得る鍵を。」

本来、事象改変に必要となる膨大なリソースはイコ個人で賄えるものではない。
だから、勝利者である魔王は、駒(ポーン)の願いを叶えるために、戦争開始時に参加者である魔王たちが供託したリソースを使えるのだ。
今さら些末なことであるが、これが魔王戦争のシステムであった。

こうして、橋城の街で行われた魔王戦争は幕を閉じ、その痕跡もまたこの世界から消えた

Ending.1. 本棚の隙間に

「おい、ティップ。」
「どうせ暇だろう! 爺さんの蔵を整理しておいてくれ!」

大商家ウィンチェスター家は当主ルドガーが亡くなってから、その引継ぎに慌ただしい。
叔父に頼まれ、ティップはルドガーの管理していた蔵の整理に向かう。

流石に大事なものはちゃんと帳簿をつけて管理していたのだから、帳簿も付いていないような蔵の中身は、大半がルドガーが趣味で集めたガラクタだ。
価値のある物が無くも無かろうが、正直手間の方が惜しいと思われても仕方ない。
とはいえ、頼まれたことはちゃんとこなす。手前から少しずつ、片付けを進めていく。
その途中、1つの本棚の前で手が止まる

「あれ、何であそこだけ埃が付いてないんだろ?」

ぎっしりと本の詰まった本棚の中、なぜか1冊分だけ、不自然に空いた隙間がある。
よく見ると、その隙間には全く埃が積もっていないようだ。
まるで、そこにあった本を、つい最近誰かが抜き出したように。

「何か、あったのかな?」

普通に考えれば、ルドガ―が亡くなる直前に読んでいた本なのだろう。
でも、不思議となんとなく、そうじゃない気もする。
その隙間には、もっと大切な、重要な意味がある気がして、だけど、思い出せなかった。

「おい! 蔵の整理は進んでいるか!」

外から叔父の声がする。どうやら、思った以上に長いこと考え込んでいたようだ。
思い出せないものは仕方ない、と考えなおし、ティップはまた蔵の整理を始めた。

Ending.2. 橋城の街

いつも通りのベルクトの街。空に紅い月は昇らない。
街を散策していたフェリックスのもとに、ミトラがやって来る。

「領主さま~、領主さま~」

「ん? どうしたの、ミトラ?」

「今月の分の報告書を置いておきましたよ~」
「いろんなことが起きて大変でした~」

「どんなことがあったの?」

「とりあえず、目下はあの山賊ですね。」
「まぁ、ただの山賊みたいなので、それ以上でもそれ以下でもないですが。」

「ま、いつも通り対処すればいいだろう。」

魔王戦争の書が無かったことになった結果、ガレニアは単にエーラムを追放されて山賊となったものと扱われたようである。
そのことを彼らが知る由は無いが、だからと言って討伐戦で苦戦するようなことも無いだろう。

「あと、それから。」
「ウィンチェスターさんのところのおじいちゃんが亡くなった関係で、ちょっと仕入れの手違いがあったんですが。」
「それはこっちで勝手に直しておきましたよ。事後報告ですが。」

「ああ、いつもありがとう。」

一通りの報告を終えると、ミトラは「別の仕事があるので」と立ち去っていく。
フェリックスも、一度空を見上げ、視線を戻し、歩き出す。

「さて、そろそろ館に戻ろうか。」

Ending.3. ドライ・マティーニをもう一度

「さて、キミに次の任務を与えよう。」
「行ってほしいところは、ここなんだが。」

そう言うグライフから渡された資料に書かれた行き先は、ブレトランドから遠く離れた大陸某所。
シェディは知る由もないが、魔王戦争自体が無かったことになった以上、エーラムがガレニアの盗賊行為に介入する理由も無い。

「えー、やりますけど、遠いし、面倒くさいな。」

「まあ、そういう部署だからな。諦めてくれ。」
「面倒くさくない依頼など、はなからここには持ち込まれない。」

「そうですか。」
「ま、準備とかはしとくんで、行きますよ。」

  •  ・ ・ ・

大陸某所某街の酒場にて。
一仕事を終えたエーラムの魔法師が、仕事終わりの楽しみに訪れていた。
品書きを目で追い、ふと目に留まる。
名前は知ってるが飲んだ事は無かったな、と思い、ドライ・マティーニを頼む。
出された酒を一口含み、僅かな違和感を感じる。
はて、この酒を飲むのは初めてだったはずだったが…

「なんか懐かしいな、このドライ・マティーニってやつ。」
「不思議なこともあるもんだな。まあ、いいか。」

こうして、酒場の夜は更けていく。
エーラムに帰るのは、まあ、明日でもいいだろう。

Ending.4. これからヤなことがおこるのです

ブレトランド北端の港町パルテノ。
領主館のバルコニーで、副契約魔法師のクレハと、この街の武官エルシュカは一時の休息をとっていた。
二人とも、特段のトラブルも無かったゆえ、もう今日の仕事は終わってしまった。
であるので、こうして折角のうららかな陽気を満喫している訳であるが。

「はわー、今日も平和ですねー。」

「平和だねー。」

「どうしたんですか? エルシュカさん。」
「何というか、顔がニヤけてません?」

「いやー、別にー。何でもないよー。」
「平和な時間が一番だよねー。」

事情を知っていれば、どの口が言うか、といった感がある会話だ。
しかし、この場には、いや、世界のどこにも、それを指摘できる人はいない。

「そうですねー。」
「最近は飛竜も見かけないし、しばらくは、こうして穏やかな時間が過ぎて行きそうですー。」

「いやー、良かった良かった。」

そうした会話をしていると、バルコニーのドアを勢いよく開き、一人の少女が出てきた。
街の領主、エルンストの娘、マリベル・キャプリコーン姫だ。

「クレハ! 隣の村で海賊が暴れているらしいわ!」
「これは、私たちパルテノとして、増援を出すべきだと思うの!」

なるほど、確かに魔王戦争自体が無かったことになったなら、ニナリス村の海賊が自滅する(正確にはコレットによって壊滅させられる)ことも無かったのである。

「え、姫様! それって、あたしも行っていいかな?」

「もちろんよ。アナタみたいな、実力ある武官なら大歓迎よ!」

こうして、今度はマリベル姫、クレハ、エルシュカの3人で海賊退治に乗り出すのであるが。
まあ、彼女らにとって、単なる海賊など大した敵ではないだろうから、ここでは割愛する。

  •  ・ ・ ・

ニナリス村に向かう道すがら、エルシュカは考える。

(もともとのお願いだった、人も撃てたし…)
(そのことは誰も覚えてないし、私は何の罪にも問われないし…)
(いやー、ラッキーだったなー…)

その様子を、物陰から見つめる一つの小さな人影。

「さて、これで、願いの分のお仕事は終わりなのです。」
「イコは裏界に帰るとするのです。」

「今回の魔王戦争で、随分イコの裏界所領が増えた気もするのですが、まだまだ、裏界の勢力図は大きくは変わらないのです。」
「だから、きっとまた、こういう機会もあるのでしょう。」

兎耳の少女、予言の魔王は、純真かつ邪悪な笑みを浮かべる。

「またいつか、ヤなことがおこるのです。」




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最終更新:2019年05月08日 22:09