数ヶ月前に魔法学校に入学したばかりの8歳の少年、ビート・リアン(下図)は悩んでいた。彼は入学前から「心が動揺すると、無意識のうちに周囲の物品をランダムに動かしてしまう」という現象を引き起こしており、当初は自分が悪魔か何かに取り憑かれたのではないか、と考えていたのだが、それが「無意識のうちに静動魔法に目覚めた子供」の初期症状だと知らされ、諸々の葛藤を乗り越えた上で、同じ静動魔法師であるアルジェント・リアンの養子として、エーラム魔法学校の一員となることを決意した。
ビートのように、入門前から無自覚ながらも魔法を発動させていた子供は魔法師としての資質が強いと言われ、周囲からはエリート扱いされることが多い。だが、ビートは精神面の不安定さを克服出来ず、すぐに心を乱して魔力を暴発させてしまうことから、自ら望んで(義理の叔父にあたる)メルキューレ・リアンが作成した「魔力抑制装置」を常に装着している。ビートは一刻も早く克服して、一人前の魔法師になりたいと願っているようだが、その焦りが余計に彼の心を乱し、抑制装置を外せなくなるという悪循環に陥っていた。
そんな彼は現在、幼年者としては珍しく「一人寮」に住んでいる。これも、「もし万が一、自分が力を暴走させてしまった時に、他人を巻き込まないように」という彼なりの配慮なのだが、そんな彼の元に、ある時、一人の先輩が訪ねてきた。
「はじめまして。僕は
マシュー・アルティナス
。よろしくね、ビートくん。君が悩みごとを抱えていると聞いて、話を聞きに来たんだ」
マシューは13歳の男子生徒である。彼は子供の頃、幼い女の子を助けようとして、魔法の力で他人を傷つけたことがある。その時、助けた筈の女の子からも怯えた目を向けられ、その時の彼女の顔が今もマシューは忘れられない。マシュー自身がそんな過去を持っていることもあってか、「力を制御出来ずに悩んでいる子がいる」という話を聞いた彼は、まずは彼と話をすることを通じて、その心の悩みの解決に協力しようと考えたのである(そして、それは彼にとっては、今は亡き母に言われていた「他人に優しくありなさい」という言葉の実践でもあった)。
「あ、はい、えーっと、その、わざわざ、すみません……」
ビートは、自分のためにわざわざ一門も違う先輩が訪ねてきてくれたことに恐縮しつつ、うつむき気味に慣れない敬語でぎこちなく答える。
「さて、立ち話でよければこのまま話すし、中に入れてくれるなら中で話す。外の方がいいなら、歩きながらでも、公園でも、僕の部屋でも、どこでもいいよ。君にとって話しやすい場所を選んでくれればいい」
「えーっと……、それじゃあ、その、この部屋で……」
そう言って、ビートはマシューを部屋に招き入れると、マシューは優しい口調で話し始める。
「君は、心が不安定になることに悩んでいるらしいけど、心を落ち着けたいのなら、まずは自分の心を知ることから始めたらいいんじゃないかな。どうして自分は心を乱しているのか、自分はどうしたいのか、どうなってほしいのか。そして、これからどうすれば良いのか。ゆっくりと考えて、気持ちを整理すれば、落ち着いて物事に臨めると思うよ」
マシューのその言葉に対して、ビートは少し考え込んだ上で、ポツリポツリと語り始めた。
「俺、エーラムに来てから、ずっと、馴染めずにいるんです。てゆーか、多分、俺、そもそも人付き合いが下手なんです。ここに来る前、ブレトランドの孤児院にいたんですけど、そこでも、なかなか馴染めなくて、そこで普通に皆と話せるようになるまで、随分時間がかかって、ようやく話せるようになったと思ったら、エーラムに誘われて……、色々迷った上で、ここに来たんですけど、やっぱりというか、なんというか、ここの他の生徒達とも、またなかなか馴染めなくて……」
「君は、この学校に馴染みたいと思っているのかい?」
マシューはあえてそう問いかけた。ただ魔法師になりたいというだけなら、必ずしも周囲の者達と親密になる必要はない。孤高の道を歩み続けて立派な魔法師となった者はいくらでもいる。むしろ、過剰な馴れ合いは堕落への道だと諭す教員もいるくらいである。もちろん、マシューとしても友人を作る行為を否定する気はない。しかし、苦手意識を克服してまで友人を作らなければならないかを判断するためには、まずそもそもビート自身の意志を確認する必要があると彼は考えていた。
「そう言われると……、馴染みたいのかどうかは、よく分からないです。ただ……、俺は孤児院にいた頃、馴染めずにいた頃よりも、皆と馴染み始めた後の方が楽しかった…………。だから、多分、また周りと馴染めなくなったことで、寂しくなってるんだと、思います……」
「なるほどね。一人でいることは確かに寂しい。それはそうだろう。じゃあ、それならなぜ、君はあえて『一人部屋』に住んでいるのかな? 抑制装置を付けている今なら、魔力の暴走の心配はないんだろう?」
「師匠はそう言ってるけど、でもやっぱり、もし万が一、ってことを考えると……、いや、メルキューレさんのことを信用してない訳じゃないけど、でも…………、いや、その、実は、最初は同居人はいたんです。でも、一緒に住んでた時に『俺が暴走して、そいつを魔法で投げ飛ばしてしまう夢』を見てしまって、それ以来、ちょっと、一緒にいるのが怖くなっちゃって……」
「そうか……、君は優しいから、他人を傷つけたくなくて、それで、誰も近寄らせようとはしないんだね……」
「優しいのかどうかは分からないけど、でも、怖いんです、この力が」
「だったら、一つの選択肢として、その力を封印してもらう、という道もあるよ。そうすれば、君はまた元の仲が良かった孤児院の皆と一緒に暮らせるようになる」
「それは、師匠にも言われました。逃げたければいつでも逃げればいい、って。でも、俺は逃げたくないんです! 俺はこの力をちゃんと正しく使えるようになって、一人前の魔法師になって、そして、借りを返したい奴がいるんです!」
今まで弱々しい様子だったビートの語調が、ここに来て急に強くなった。どうやら彼は自分の力を制御出来ないことに葛藤しつつも、「魔法師になりたい」という明確な強い意志を持っているらしい。そのことが分かった時点で、マシューの中でも一つの方向性が見えた。
「分かったよ。君はどうしても魔法師になりたい。それが君の一番の意志で、そこは絶対に変わらないんだね?」
「はい、そこは絶対に譲れません」
「そのために、孤独な道を進むことになったとしても、それに耐えられるかい?」
「それは……、分かりません。まだ、そこまでの覚悟が出来ないから、気持ちが揺らいでしまっているのかも……」
「いや、別にそこで無理に覚悟を決める必要はないよ。他人を傷つけないために孤独な道を選ぶのも、どうにかして他の皆と仲良くやっていく道を探すのも、どちらも君の自由さ。まだ今の時点で、どちらの道を選べばいいのか分からないなら、気持ちが定まるまで、ゆっくり考えればいい。前の孤児院にいた頃だって、時間はかかったけど、最終的には仲良くなれたんだろう?」
「はい、そうです。でも、俺にはあまり時間が無いんです。一刻も早く魔法師になって、彼女と契約出来るようにならないと……」
そこまで言ったところで、ビートは急に口籠もる。その頬は少し紅潮しているように見えた。
「今はそれ以上は言えないんだね。じゃあ、そこまで無理に踏み込みはしない。でも、話したくなったら、いつでも僕に話してくれればいい。大丈夫、君がうまくできるようになるまで僕はずっと手伝うよ。焦らなくていい」
「……どうして、そこまでしてくれるんですか? 俺、別にアルティナスの門弟じゃないし、そこまでしてもらえる立場でもないのに」
「困っている人がいるのに、助けない理由はないよ。それが誰であろうとね」
マシューはそう告げた上で、ひとまずビートの部屋を後にする。これまで、師匠にすら話したことがなかった胸の内をさらけ出せたことで、ビートの中で鬱屈していた何かが、少しだけ取り払われた気がした。そしてまた、自分の気持ちを言葉にすることによって、今の自分の悩みをある程度客観視出来るようになったビートは、改めて自分の気持ちに向き合い始めるのであった。
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