『見習い君主の混沌戦線』第2回結果報告
カルタキア東部に出現した森に対して、第二次調査隊が派遣されることになり、出発前に参加者の面々が街の一角へと集められた。概ね前回と同じ従騎士達で構成されていたが、何人か入れ替わった者達もいる。
「え〜、今回はこちらの調査隊に参加させていただくことになりました〜、ヨルゴ・グラッセと言います〜。どうぞ、よろしくお願い致します〜」
どこか気怠げで間延びした口調で、鋼球走破隊の
ヨルゴ・グラッセ
が自己紹介する。彼は騎士の家系に生まれた青年だが、いつの頃からか何事に対しても「やる気」を見せず、程々のところで満足するような性格になってしまった。そんな彼の気性を正そうとする親の意向によって傭兵団「暁の牙」へと送り出されたが、結局、このカルタキアに来てからも無気力な日々を送り続けている。
そんな彼に対して、同胞の
ファニル・リンドヴルム
は、少し荒い口調で呟くように声をかけた。
「相変わらず、覇気がねぇな、お前は」
「まぁ、皆さんの邪魔にならない程度に、程々に頑張りますから〜」
鋼球走破隊は、暁の牙の中でも「荒くれ者集団」だと思われがちだが、実際のところ隊長以外はそこまでアグレッシブな者達ばかりという訳でもない。邪紋使いを中心とする暁の牙において、あえて「聖印持ち」でありながら傭兵の道を歩む者達には、何らかの「特殊な背景」を背負っている者達も多い、ということなのだろう。その意味では、むしろファニルのような気性の持ち主の方が逆に珍しいのかもしれない。
一方、ヴェント・アウレオの
ラオリス・デルトラプス
は、彼とは真逆のハイテンションな声色で答える。
「とりあえず、途中までは私たちが全部”憶えてる”し、ドーンと任せといて! 途中で出てくるのも私たちが請け負うよ」
自信満々にそう語るラオリスであったが、彼女の双子の弟である
ヴァルタ・デルトラプス
は、前回の調査時に人食い草(トリフィド)に食いつかれた彼女の左足を心配そうな瞳で見つめる。
その隣では、第六投石船団の
キリアン・ノイモンド
もまた、先日の第一次調査隊に参加した時のことを思い出していた。
(前回は準備不足が過ぎた。無闇矢鱈に敵を倒すのは僕の成長という面では良かったが、作戦としては下策だったな。魔境の混沌核をもつコボルドをまずは見つけねば)
彼等がそんな思考を巡らせている中、前回の調査時に最も奥地まで足を踏み入れていた幽幻の血盟の
アシーナ・マルティネス
が、前回の調査結果を改めてまとめて伝えた上で、こう告げる。
「森の道は狩人に聞くのがいいように、先日出会った彼らの協力を得ることが出来れば、それが混沌核を探す上での一番の近道だと思います」
彼女は前回、森の奥地で「トウヤ」と名乗る「投影体と思しき少年」と出会った。彼は「ここが自分の元々住んでいた世界ではない」ということは理解していたようだが、一方で、アシーナに対して「大地人なのか?」と問いかけていた。前後の会話の流れから察するに、彼が言うところの「大地人」とは「今、自分がいるこの世界の住人」を意味する言葉のようだったが、アトラタンやカルタキアの住人のことを「大地人」と呼ぶ習慣は(少なくともアシーナの知る限りは)存在しない。この状況から、アシーナはある一つの仮説に至る。
(おそらく彼等は「奴等」のように「異世界に渡った後に投影された存在」なのでしょう。「奴等」と違って話は出来そうですし、今のこの状況を理解してもらうには「どちらの世界にもない、この世界固有のもの」を見せるのが一番早いでしょうね)
アシーナが想定している「奴等」とは、彼女の出自に関わる存在なのだが、ひとまずそのことは伏せつつ、彼女としてはトウヤを探して話を聞くべきだという提案すると、他の従騎士達も概ねその方針には理解を示した上で、現地へと向かうことになった。
******
「僕が憶えている限りではこっちの方だったかと……」
ヴァルタは皆の先頭に立ちつつ、姉のラオリスと共に周囲を警戒しながら皆を森の奥地へと導いていく。ヴァルタは前回のように不意打ちで姉が傷つけられることがないよう、細心の注意を払って(特に姉の近辺の草木などに)警戒していたが、その途上で奇妙な違和感を感じる。それは、ラオリスもまた同様であった。
「あれ? なんか、前に来た時と雰囲気が変わってない? あんな大きな木、ここにはなかったような……」
「うん……、確かに、ちょっと変だ。坂道の傾斜も前より激しくなってる気がする……」
どうやら、彼等が一度撤退して、再びここに来るまでの間に、魔境の中身が少しずつ変容しているらしい。この世界における「魔境」とは異世界から空間ごと置き換える形で投影された特殊領域のことを指す言葉だが、その存在の根源は「混沌」である以上、投影された後も放置しておくと徐々にその姿が(本来の自然法則における木々の成長などとは明らかに別次元のレベルで)変容していくようである。
「この様子だと、以前に作った地図も、どこまで役に立つかは分かりませんね……」
アシーナがため息混じりにそう呟くが、それでも、基本的な外形自体はそこまで変わっていない以上、まずは前回の時点で未踏破だった領域を重点的に調べる、という方針で捜索を進める。
「雑魚をいくら潰しても埒が明かねぇ……。なら、デカブツを探した方が早そうだな」
ファニルはそう呟きつつ、長身故の高い視点を活かして周囲を見渡しながら行軍を続ける。事前に聞いた情報によれば、この魔境の混沌核は「巨大な小牙竜鬼(コボルド)」が有している可能性が高い、という話であったが、前回の調査ではそれらしき怪物を見つけることが出来なかった。彼女の傍らでは、キリアンもまた眼鏡の奥の両眼を光らせる。
「巨大なコボルドという話だから、もっと早く見つかると思っていたが、なかなか見つからないものだな」
キリアンは当初、「より濃度の高い混沌」の気配を探そうとしていたが、そもそも魔境内は全体的に混沌濃度が高いこともあり、混沌そのものの気配から居場所を探すのは難しい。
(ならば、目や耳で物理的に何かを捉えられられないだろうか……)
そう考えたキリアンは、手掛かりになりそうな物証を探す方向へと注意の向け方を切り替える。すると、彼は森の中に縦横無尽に生い茂る不気味な木々の中に微妙な違和感を感じて、ふと立ち止まる。
「なにか、あったんですか〜?」
ヨルゴが気怠げな声でそう問いかけると、キリアンは眼鏡を指で上げ直しながら、目の前の樹木の一角を凝視しながら口を開いた。
「これは……、木の実が切り取られた跡だな。まだ切り取られて間もないようだが、明らかに鋭利な刃物で丁寧に木の実の部分だけが切り取られている。怪物が食らいついたような跡じゃない。そして、同じような形跡が何箇所もある」
それに対して、アシーナが問いかける。
「つまり、人間の手によって切り取られた、ということですか?」
「その可能性が高い。残っている半熟の木の実の形状からして、おそらくこれは薬用にも用いられそうな類いの木の実だ。以前にあなたが遭遇した『投影体の少年』か、もしくはその仲間が切り取ったのではなかろうか」
キリアンは治療に関する知識も持ち合わせているため、初見の「異界の植物」であっても、ある程度の憶測は立てられるらしい。
「では、この近くに彼等がいる、と?」
「もしかしたら投影体ではなく、たまたまこの森に迷い込んだ旅人なのかもしれない。ただ、どちらにしても、探してみる価値はある。さっさと混沌核の主を見つけてしまいたいが、手掛かりになりそうな情報を持っている者達を見つけられるなら、それもいいだろう」
キリアンがそう答えている間に、ヴァルタとラオリスは残った木の実を物色する。
「これ、多分、この世界で取れる果物に近いよ。これはまだ半熟だけど、実ったら糖度も高そう」
「ホント? まだ少しくらい残ってないかな?」
二人がそんな会話を交わしている中、今度はファニルがおもむろに口を開く。
「そういえば、さっき『誰かが通ったような跡』があったな。そこまで激しく踏み荒らされてた訳でも無さそうだから、てっきり、小型の小牙竜鬼(コボルド)か何かだろうと思って、見過ごしていたんだが……」
あくまでも「巨大な投影体の通った跡」を探そうとしていた彼女は、その時点では「小物には用はない」と割り切っていたものの、今のキリアンの話を聞くと、少し話は変わってくる。
ひとまず彼等は、ファニルが発見した「誰かが通ったと思しき形跡」のあるところまで戻った上で、くまなく地面を調べてみると、確かにそこには「人間の靴」で踏みつけた跡があった。その靴の向きから察するに、おそらく先刻の「木の実を切り取った場所」からこの地点まで(調査隊とは反対方向に)歩いてきて、そこからまた別の方向に向かって進んでいるように見える。
現状、他に手掛かりもない彼等としては、そこから「一度草木が踏み倒されたと思しき方角」を確認しながら、その足取りを追うことにした。
******
そうしてしばらく歩を進めたところで、彼等は前方から物音を察知する。それは、「ぬちゃぬちゃとした何か」を踏みつけるような音と、彼等よりも少し若そうな少年の声であった。
「ミノリ! 危ない!」
アシーナはすぐに反応する。
「この声……、あの時の投影体の少年です!」
彼女がそう告げると、先頭にいたラオリスが真っ先にその声のする方向へと駆け出し、ヴァルタもすぐにその後を追う。すると、二人はすぐにその先から漂う独特の「臭い」に気付いた。
(なにこれ? なんか泥臭い臭いがするような……、それに……)
(この生臭い香りは……、カエル?)
やがて二人が「現地」へと辿り着くと、そこには明らかに不自然な形で「湿地帯」が広がっており、そこには極東風の装束を纏った「剣を構えた少年」(下図左)と「木の杖を持った少女」(下図右)、そして彼等の身長の半分程度の大きさの何体もの巨大蛙の姿があった。
巨大蛙達と少年少女は明らかに敵対した様子で対峙していたが、ラオリスとヴァルタの姿を見かけると、巨大蛙の何体かはラオリス達に向かって敵意の視線を向ける。
「よーし! 来なさい!」
ラオリスが嬉々とした様子で長剣を構え、そして沼地にいるカエル達に向かって突撃しようとするが、その前にヴァルタが割って入る。
「待って、姉さん!」
ヴァルタはそう言いながら、警戒した様子で沼地に視線を向ける。すると、その沼の中から別の巨大蛙が現れ、ラオリスの足元を狙って飛び出してきた。ヴァルタはすぐさま(ラオリスの長剣とよく似た形状の)自身の長剣でその巨大蛙を薙ぎ払う。
「足元には、注意しなくちゃ駄目だよ」
「そ、そうね……」
「以前の出来事」を思い出しながら、二人はそんな言葉を交わしつつ、あえて沼地には踏み込まずに、巨大蛙達を挑発して「足場のしっかりした領域」まで彼等をおびき寄せながら迎撃する、という戦術を選ぶ。すると、思惑通りに巨大蛙達が次々とラオリスとヴァルダに向かって飛びかかってくるが、二人は難なくそれらを次々と撃退していく。どうやら、この蛙達は(少なくとも単体としては)さほど脅威となるような怪物でもないらしい。
やがて後続の面々もこの沼地に到着すると、巨大蛙達の一部はラオリス達を飛び越えて彼等に向かっても飛びかかっていく。
「来やがったな! 魔物ども!」
ファニルがそう言って迎撃しようとするが、彼女の目の前に降り立った巨大蛙は、そこからまた更にもう一度大きく跳躍して、彼女の頭上を飛び越える。その先にいたのは、ヨルゴであった。彼は完全に油断した様子でラオリス達に視線を向けていた。
「ヨルゴ! 上だ!」
「え? あぁ、は〜い」
ファニルの忠告に対し、相変わらず気が抜けたような口調ながらも、ヨルゴは剣を抜き、真上から飛び込んできた巨大蛙をあっさりと一刀両断にする。
「……やるじゃねーか!」
「まぁ〜、程々には〜」
そうこうしている間に、ラオリスとヴァルタ、そして「謎の少年」が次々と巨大蛙を殲滅していく。一方、「謎の少女」もまた、謎の少年を補助するような形で何らかの「術」をかけている様子が伺える。
(あれは、「異界の魔法」でしょうか……?)
アシーナはその様子を見ながら、内心でそう呟く。本来、カルタキア近辺では「魔法」は使えない筈だが、「異界人が用いる魔法」に関しては、あくまでも「この世界における魔法とよく似た原理の別種の技術」である以上、この領域内でも発動するらしい。逆に言えば、そのような技術を用いている時点で、おそらくはこの少女もまた投影体なのであろう、と察していた。
やがて、巨大蛙達を一通り倒したところで、少年はアシーナに声をかける。
「アシーナ姉ちゃん! 助けてくれて、ありがとな!」
実際のところ、アシーナ自身はこの戦局において殆ど何もしていないのだが、状況的に、この場にいる者達が彼女の仲間であろうと彼は認識していた。そして他の者達もまた、彼がアシーナの言っていた「投影体の少年」であろうということはすぐに理解する。
「トウヤさん、でしたね。ご無事で何よりです。そちらは?」
アシーナがそう言って彼の傍らにいた少女に視線を向けながらそう問いかけると、トウヤよりも先にその少女自身が答える。
「あなたが、トウヤが言っていたアシーナさんでしたか。はじめまして。トウヤの姉のミノリと申します」
少女がそう答えたところで、少年が横から口を挟む。
「おい、『妹』だろ!」
「何度も言ってるでしょ。私が姉だってば」
そんな二人の様子を見て、ラオリスが声をかける。
「もしかして、あなた達も双子なの? あんまり似てないけど」
「あ、はい。そうです。まぁ、男女の双子ですし、そんなに似る訳でもないというか……」
ミノリはそう答えつつ、ラオリスとヴァルタに視線を向ける。
(「あなた達も」ってことは、この人達も双子なのね。本当によく似てるけど、これって、あえて似せるようにアバターを作ったのかしら……)
彼女がそんなことを考えている横から、トウヤが口を挟む。
「そもそも、今のこの身体は、俺達の『本来の姿』じゃないしな。まぁ、『大災害』以降は、かなり本来の姿に近付いてはいるけど……」
トウヤはそう言いながらアシーナ達の表情を確認すると、明らかに「自分が言っていることが伝わっていない様子」が伺える。
「……やっぱり、アシーナ姉ちゃん達は、『冒険者』じゃなくて『大地人』なのか?」
その言葉に対して、アシーナは彼に対して一歩踏み出しつつ、こう答えた。
「私達はどちらでもありません。そして、ここは『あなた達が元いた世界』とも『あなた達が最初に辿り着いた異世界』とも違います」
「……どういうことだ? ここは『セルデシア』じゃないってのか?」
「この世界を何と呼ぶかは人によって異なりますが、少なくとも、あなたの知っている世界ではないです。おそらく、それはこれを見れば分かってもらえるのではないでしょうか?」
アシーナはそう言って「聖印」を掲げる。
「これは聖印(クレスト)というものです。おそらく、その『セルデシア』という世界には、このようなものは存在しないでしょう?」
彼女の持つ聖印はまだ微々たる規模であるが、それでもトウヤやミノリにとっては確かに「未知の光」であり、そこから何らかの特殊な力が発せられていることは彼等にも伝わった。
「た、確かに……、俺達の力とは根本的に違う何かを感じる……。でも、そんなことって……」
トウヤがやや困惑した表情を浮かべる中、横からミノリが声をかける。
「でも確かに、そう考えれば辻褄は合うわ。さっきの戦いの時、いきなり現れたこの人達に対して、スワンプトード達は襲いかかった。あれだけトウヤがヘイトを稼いでいたのに、それを無視して『ヘイト:0』の人達に対して攻撃したということは、今のこの森が『セルデシアの法則』から外れた空間になっているか、この人達が『セルデシアの法則』から外れた存在なのか、そのどちらかしかありえない」
ミノリは頭の中で今のこの状況を整理しながら、アシーナ達に問いかける。
「じゃあ、私達はどうすれば元の世界に帰れるんですか? あ、その、この場合の『元の世界』というのは……、えーっと、『地球』でも『セルデシア』でもどちらでもいいというか、いや、どちらでもよくはないですね。最終的には『地球』に帰りたいんですけど、でも、その前にまず『セルデシア』にいるギルドの皆さんの元に戻らないといけなくて……」
ミノリもやや困惑した状態でそう語るが、異世界知識に詳しい訳でもないアシーナ達には、彼女の言いたいことは今ひとつ伝わらない。ただ、「投影体が元の世界に帰る方法」については、厳密に言えば「存在しない」と言わざるを得ない。投影体はこの世界に出現した時点で、「元の世界に存在する投影元の存在」から派生して生まれた「別個体」であり、そもそも「帰る」という表現自体が(「投影体」そのものは、あくまで「この世界において混沌から生み出された存在」である以上)間違っているのである。
一説によれば、彼等の「魂」そのものは元の世界と繋がっており、元の世界における彼等の夢の中で「投影体としての自分が経験した出来事」が描かれることもある、とも言われているが、確かなことは誰にも分からないし、そもそも「混沌」という概念自体に関する知識を持たない投影体にそのことを説明したところで、理解出来る者は殆どいないだろう。
その意味では、彼等に対して何をどこまで説明すれば良いのかは難しい問題なのだが、そんな中でキリアンがミノリに問いかけた。
「今、この世界に来ている仲間は、他にはいないのか?」
「それは、分かりません。ただ、少なくとも私は、この森に迷い込んで以来、トウヤ以外の『人』と会うのは、皆さんが初めてです」
「なるほど……。そちらも色々と大変だとは思うが、とりあえず、こちらとしては、この森に住む巨大なコボルドを退治したいと考えているんだ。協力してもらえないか?」
キリアンから見て、彼等は明らかに自分達と同等程度の知性の持ち主であり、そして森に現れる怪物達と敵対している存在であるということは理解出来た。その意味で、交渉出来る相手だと判断したのだろう。そして彼に続いて、改めてアシーナもまた二人に語りかける。
「私はこの地の領主の直参の従騎士です。私達の目的は、この地の平穏を取り戻すこと。そのために、この森に関する情報を教えて頂いた上で、魔物達との戦いに協力して頂けるのであれば、御二人のことは客人として丁重にお迎え致します」
これに対して、ミノリがどう答えるべきか迷っているところで、トウヤが口を開いた。
「分かった。とりあえず、状況はよく分からないけど、さっき助けてもらった恩もあるし、俺達もこの森の小牙竜鬼の隊長(コボルド・リーダー)は倒したいと思ってたから、協力するよ。元の世界に帰る方法は、その後で探す。それでいいよな、ミノリ?」
「そうね……。少なくとも、今は他に頼れる人もいないし。もしかしたら、この森の小牙竜鬼の隊長を倒すというミッションをクリアすれば、セルデシアに戻れるのかもしれない」
二人がそう言ったところで、今度はファニルが口を開いた。
「今、『コボルド・リーダー』って言ったよな? そいつの居場所はもう分かってるのか?」
「え? あぁ、うん。もともと、俺達はワラビ村の人達に頼まれて、そいつを倒すための事前調査として、この森に入ったんだけど、そいつの居場所はもう突き止めてる。そこから帰る途中で、なんかよく分からない別のミッションに入っちまったみたいだけど……」
「それは、どこなんだ?」
「えーっと、あっちの方にでっかい川があるのは、知ってる?」
トウヤがそう言って指差した先は、まだファニル達が足を踏み入れていない領域である。皆が首を傾げている中、そのままトウヤは説明を続けた。
「その先にコボルド達にアジトがあって、そこに隊長っぽい奴がいたんだ。で、その川を渡るための橋があったんだけど、それは俺が壊したから、多分、あいつらはこっちには来れない筈。迂回路があったら話は別だけど……」
どうやらトウヤとしては、コボルド・リーダーが村を襲わないようにするための時間稼ぎの工作として、橋を破壊することにしたらしい。そして、(今この場にはいない)トウヤの仲間達の中には、あっさりと川を飛び越えて戦える者達もいるため、戦略的に考えてそれは間違ってはいないのだが、飛行手段を持たないこの世界の従騎士達にとっては、少々厄介な話である。
「……とりあえず、まずはその『川』に行って、状況を確認してみないといけませんね」
アシーナがそう言うと、皆が頷き、トウヤ達の案内で現地へと向かうことになった。
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トウヤが案内した先には、確かに「川」が流れていた。だが、その川を目の当たりにしたトウヤ自身が、少々困惑した表情を浮かべる。
「なんか、前より明らかに川幅が広がってるような……」
おそらく、それも混沌の影響なのだろう。ただ、トウヤが破壊した橋の残骸はまだ残っており、それなりの人員と機材があれば、修復は可能なようにも思えた。そして、川の近辺の中で最も高い木を見つけたラオリスは、その頂点に登った上で、遠眼鏡で「川の向こう側」を確認する。すると、彼女は下に向かって大声で叫んだ。
「いたよ! 確かに、やたらでっかいコボルドがいる!」
彼女がそう叫ぶと、その声は川向うの「やたらでっかいコボルド」にも届いたようで、コボルド達がざわめき始める。彼女はその様子を確認した上で、すぐさま木の下へと降り、ひとまず仲間達と共にこの場から退散することにした。
(とりあえず、これで「魔境の混沌核」の在り処の目星は付きましたし、ソフィア様か、もしくは駐留部隊の指揮官の誰かに来て頂いて、浄化してもらうことにしましょう。ただ……)
アシーナはそこまで考えつつ、傍らを走る二人の「投影体」に視線を向ける。
(コボルド・リーダーが「魔境の混沌核」だというのは、あくまでも過去の出現情報に基づく憶測であって、今回も同じだという確信はないんですよね……。可能性としては、この二人のどちらかが「魔境の混沌核」ということもありえない話ではない訳で……)
内心でそんな「考えたくない可能性」も考慮しつつ、アシーナは仲間達と共にこの二人の投影体をカルタキアへと連れ帰り、そして約束通り、「客人」としてしばらくソフィアの元に留め置くことにしたのであった。
☆合計達成値:134(72[繰越分]+62[今回分])/120
→次回「魔境討伐クエスト(
BA
)」発生確定、その達成値に7点加算
カルタキアの南方の砂漠の一角に出現した「異界の街」に関しては、第一次調査隊の報告から、この町の空に浮かぶ「謎の流星」こそが、この「投影街」としての魔境の混沌核である可能性が高い、ということまでは判明していた。だが、その流星の姿は街の外からは確認出来ず、そして街の中から流星を破壊しようにも、遠眼鏡を使わなければ届かない程の高さということであれば、弓や聖弾で破壊・浄化するのも難しいだろう。更なる情報を手に入れるため、前回の参加者達を中心とする「第二次調査隊」が派遣されるに至った。
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「今度は、銀髪の異人だと!?」
「しかも、何やら妖しげな『光る剣』を持っているらしいぞ!」
街の人々の間でそんな話題が広がるや否や、すぐさま「浅葱色の羽織を着た治安維持部隊」が集まって来る。その視線の先にいたのは幽幻の血盟の
ハル
であった。彼は自らの聖印の力を突剣に宿らせることで、あたまかも「魔剣」であるかのような輝きを誇示することで、「囮役」を買って出たのである。
「そこの貴様! 何者だ!?」
彼の周りに集まってきた浅葱色の剣士達がそう問い立てると、ハルは柔らかな物腰で答える。
「いえ、別に怪しい者ではありません」
「ならば、まずはその不気味な剣をこちらに渡せ。その上で、ひとまず我らが屯所まで来てもらおう」
「残念ですが、そういう訳にも参りません。こちらとしては、出来れば穏便に済ませたいのですが……、どうか静観しててくださいませんか?」
「お前のような妖しげな異人を放置出来る訳がなかろう!」
「ならば、仕方ないですね」
ハルはそう呟くと、皆の目が右手の剣に集中しているのを確認した上で、左手から石礫を包囲網の一角に向けて投げ込む。そして、その突然の挙動によって生じた一瞬の隙を突き、包囲網を突破してその場から走り去ろうとする。
「逃がすな! 追え!」
そう叫ぶ追手に対して、今度はブーツを相手に向かって蹴り飛ばすように脱ぎ捨てる。鉄板の入ったそのブーツを直撃した最前列の剣士はその場に倒れ、そして身軽になったハルはそのまま走り去って行く。
(さて、こうしている間に、皆さんが無事に潜入してくれていれば良いのですが……)
内心でそう呟きつつ、ひとまず追手を完全に振り切ったのを確認して、路地裏で一息ついたところで、唐突に彼の後方から「男性の声」が聞こえてくる。
「なかなか見事な逃げっぷりじゃのう。『逃げの小五郎』も顔負けじゃな」
驚いたハルが後ろを振り向くと、そこには「巨大な銃槍」を手にした巻毛の男(下図)が立っていた。
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巻毛の男 |
(出典:『幕末霊異伝〜MI・BU・RO〜』p.163)
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「あ、あなたは……?」
慌てて突剣を構えるハルだが、その男は笑顔で宥めるような口調で答える。
「心配せんでえぇ。わしもお尋ねもんじゃき。おまんと同じじゃ」
「なるほど……?」
この街の住人達の間には様々な複雑な対立軸があるらしい、という話はハルも聞いている。ただ、あの浅葱色の剣士達と対立している「攘夷志士」と呼ばれる者達は、基本的には「異人」に対して激しい敵愾心を抱いているという話であったが、この男からはそのような気配は感じられない。
「あなたは、僕のことを斬ろうとはしないのですか?」
「おまんからは、もんすてるの臭いがせんからのう。『ただの異人』なら、むしろ仲間じゃき」
彼はそう呟きつつ、ニヤリと笑いながらハルに問いかける。
「ところで、おまん、陽動役じゃろ? 誰をこの街に招き入れた?」
「さて……、何のことでしょうか?」
「まぁ、言える筈もなかろうな。新撰組を相手にした命懸けの大逃げ周り、並大抵の覚悟とは思えん。こじゃんと太い志があるんじゃろうな」
「いえ、別にそんな大層な話ではありません。僕はただ『お嬢様を脅威から守る力』を示したいと思っただけですから」
それは、ハルの全ての行動原理の根幹にある信念である。無論、その「お嬢様」なる人物が誰なのか、この男に伝わる筈もない。だからこそ、むしろこの状況をはぐらかす言葉としても適切かと思われたのだが、この男はその言葉に対して、満面の笑みで答えた。
「ほほう、おなごのためか。ええのう、気に入った! おまん、名は何という?」
「ハル、です」
「春か。おなごのような名前じゃが、異人にしては覚えやすい響きじゃのう。わしは、才谷梅太郎。もし気が向いたら、一献飲み交わしに寺田屋に来いや。お登勢にその名を出せば、わしに取り次ぐように伝えておくぜよ」
そう告げて、その巻毛の男はハルの前から去って行った。
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一方、ハルが衛兵達の気を引いている間に、他の従騎士達はあっさりと街への潜入に成功した。その一人である金剛不壊の
スーノ・ヴァレンスエラ
は、アレシアと共に立ち寄った店で購入した極東風の着物と袴を身にまとい、帯に双剣を閂挿しして、顔は編笠で隠した状態で、前回陽動役として潜入したワイスからの助言に基づいて、攘夷志士達が出没しやすいと言われている場所へと赴いた。
今のスーノの風貌は、服装自体はこの街の住人達とよく似た装束とはいえ、腰に指している剣は明らかに別物であることから、すぐに「余所者」であることは分かる。裏路地のあたりを徘徊している間に、徐々に自分の周囲に「警戒した様相の剣士達」が集まりつつあるのを確認したスーノは、彼等に対してこう告げた。
「僕はお前たちの言うところの『異人の使節』としてここへ来た。敵対する意思はない。交渉がしたい」
その言葉に対して、剣士の一人が問いかける。
「どういうことだ? また何か、訳の分からんトンチ問答でも投げかけるつもりか?」
先日のワイスとの一件に関わっていたと思しき男がそう問いかけると、スーノは毅然とした態度で語り始める。
「『この騒動』の原因を僕たちだと思っているなら、それは誤解だ。僕たちとしても『この状況』は好ましくないし、解決すべく動いている。既に元凶には目星はついているが、ここの文化にはまだ理解が浅く、身動きが取りづらい。早い話、お前たちと手を組みたい。それが無理なら、せめてこの街に僕たちが立ち入るのを認めてほしい」
「どういうことだ? 元凶の目星とは、一体何のことだ?」
「まだ確証はないが、空に現れた凶星が原因である可能性が高いと考えている。ただ、僕達は天救堂の一員という訳でもない。彼等が何者なのかも分からないし、彼等と僕等がが考えていることが同じかどうかも分からない。ただ、少なくとも、今の『この状況』をどうにかしようと考えているのは本当だ」
「そもそも、貴様はどこの異人だ? 英吉利か!? 阿蘭陀か!?」
「どちらでもない。言っても分からないと思うが、生国はハルーシア。今はカルタキアの食客だ」
「そんな得体の知れない輩の言うことなど、信じられるか!」
「今この場で、僕の言葉を証明するものはない。僕をペテン師だと断じて殺すのは容易い。だがそれではお前たちの現状は何一つ好転しないだろうし、こちらも力に訴えざるを得なくなる。できればそんな展開は避けたい」
「耳を貸すな! この間のバテレン女達と同じだ! きっとこいつも、妖しげな話術で俺達を誑かそうとしてるに決まってる!」
男達の一人が刀を抜き、スーノの前に突きつける。
「……僕を信じろとは言わない。お前たちにとってより利のある選択をしろ」
「黙れ! 夷狄の戯言に振り回されるのは、もう沢山だ!」
そう言って男は刀を振りかぶると、スーノは双剣の片方を抜いて受け止める。その直後に別の男もスーノに向かって斬りかかるが、それに対してはもう片方の剣で弾き返す。だが、スーノの構えはあくまでも「守りの剣」であり、自ら斬りかかろうとはしない。
「もう一度言う。争う気はない。あくまで交渉に来ただけだ」
スーノは再度そう訴えるが、彼等はあくまで敵意をスーノに向け続け、そのまま何度も斬りかかってくる。
(この程度の剣撃なら、どうにか耐えきれる。だが、『本物の剣士』が現れたら、さすがに防御一辺倒で凌ぎきれる保証は……)
彼等の攻撃を受け流しながら、スーノがそんな考えに至ろうとしていたところで、スーノを取り囲む男の一人の後頭部に、遠方から石が投げつけられる。
「イテッ……、誰だ!?」
男が振り返ると、そこには聖印の光を掲げた、第六投石船団の
ツァイス
の姿があった。
「よぉ、おサムライさん、だったか? そんな雑魚相手にしてないで、俺と遊ぼうぜ!」
「貴様もこいつの仲間か!?」
「知らねぇよ、そんなガキ。ただ、ガキ相手に苦戦してるような腰抜け侍なら、丸腰の俺でも相手出来そうだな、って思っただけさ」
ツァイスもまた陽動役の一人として、聖印を掲げて街の中を転々としていた。ただ、その過程で「異人の一人が浪人達に取り囲まれている」という町人達の噂を聞き、現場へと駆けつけたのである。
(和平交渉に来たというのに、挑発してどうする!)
スーノは内心でそう思っていたが、ツァイスはあくまでも「他人」を装っているため、ここはあえて知らない何も言わなかった。彼等がツァイスの小芝居を信じてくれるかどうかは分からないが、先刻での彼等の言い分を聞く限り、彼等の中でも「異人にも色々いる」という認識はあるようなので、ここはスーノも他人のフリをしている方が懸命だろう。
「我等を愚弄するとは! 許せん!」
なまじスーノが穏便な態度だっただけに、ツァイスの言葉は彼等を大いに怒らせ、彼等はツァイスのいる方へと向かって走り出すと、ツァイスはそのまま挑発的な視線を向けつつ逃走する。そんな彼の様子を見送りながら、交渉が上手くいかずに落胆しかけていたスーノの前に、一人の「犬を連れた巨漢の男(下図)」が現れる。
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犬を連れた巨漢の男 |
(出典:『幕末霊異伝〜MI・BU・RO〜』p.160)
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「おはん、よう耐え申したな」
どうやらこの男は、一連の流れを見ていたらしい。着ている服装と装備からして、明らかに先刻までの男達とは異なる、それなりに身分の高そうな人物のように見える。
「……誰だ、お前は?」
「おいのことを知らんっちゅうことは、おはん、最近になって都に来た者でごわすな」
「あぁ。理解してもらえるかは分からないが、僕は多分、お前達が言うところの『異人』とは、少し異なる立場の者だ」
「それはなんとなく分かり申す。それに、先程の一件から、おはんが何かを平和的に伝えようとしとるっちゅうことも分かり申した。じゃっどん、あげな輩にはまともな言葉は通じもはん」
「お前は、あいつらとは立場が違うのか?」
「違い申す。少なくとも、今は」
どこか含みのある言い方だが、少なくとも先刻の者達よりは話が通じそうだと考えたスーノは、改めて先刻までの言葉をそのまま「この大柄な男」にも伝えた。
「なるほど……、分かり申した。そげんこつなら、おはんの言葉を信じるでごわす」
「いいのか? そんなあっさりと受け入れて」
「少なくとも、おはんの言い分に矛盾はなか。それに、おはんの瞳からは悪意も感じもはん。ただ、おいの声掛けが通るんは、あくまで薩摩ん者達だけでごわす。新撰組や見廻組が何というかは分かりもはん」
その辺りの詳しい人間関係までは、スーノにも分からない。ただ、それでも一軍の高官らしき人物に話が通じただけでも、大きな前進ではある。
「そういえば、まだ僕も名乗っていなかった。僕はスーノ・ヴァレンスエラ。ハルーシアの軍艦『金剛不壊』の乗員の一人だ」
「おいは西郷吉之助。都に駐在する薩摩軍を束ねる者でごわす」
二人はそう名乗った上で、ひとまず互いに話せるところまでは情報を伝えた。どうやら「薩摩」とは彼等の元いた世界を構成する一国の名であり、今の彼等は立場的に言えば「カルタキアに駐在する外来の部隊」の一つに近い存在らしい。その中で彼がどれほどの立場にいるのかは分からないが、スーノは直感的にこの男から「只者ではないオーラ」を感じ取っていた。
(これほどの男があと他に七人もいるとは考えたくないな……)
そんな感慨を抱いているスーノに対して、西郷は「この街の住人に危害は加えない限り、スーノ達に薩摩藩兵は手を出さない」ということを約束するのであった。
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その頃、潮流戦線の
マリーナ・ヒッパー
は、街中の大通りを(スーノとは対象的に)あえて「いつも通りの姿(ただし、武器は短剣のみ)」で、しかも聖印を掲げた状態で闊歩していた。
(前に来た時は、確かこの辺りで「彼等」と遭遇した筈……)
そんな記憶を元に彼女は周囲を見渡しながら、目があった町人に対して声をかける。
「沖田総司を探しています、どこにいるか知りませんか」
「沖田はん? うーん、今日はどこにおるんかは知りまへんけど、とりあえず、屯所に行けば分かるんとちゃいます?」
「その屯所というのは、どこに?」
「今は、西本願寺どす。あー、でも、まだ時々、八木邸の方にも出入りしとる人達もおるっちゅう話やから、あの人が今、どっちにおるんかは……」
そんな話をしている中、浅葱色の羽織の剣士達が現れる。
「おい、そこの女、貴様いつぞやの……」
「あ、新撰組の皆はん、こちらの方が、沖田はんに会いたい言うとりまっせ」
「何!? 」
遮るように町人にそう言われた剣士はやや困惑する中、マリーナはその男が着ている隊服が「あの時の面々」と同じであることを確認した上で問いかける。
「私の主が新撰組の幹部との対話を望んでいます」
「貴様の主だと? 何者だ?」
「我が国の姫君であらせられる、ユリアーネ内親王殿下です」
その名を聞いた時点で、町人が声を上げる。
「ユリアーネはんって、こないだお菓子やらお酒やらを振る舞ってくれはったっていう人?」
どうやら、その名は既にこの街の一部には浸透しているらしい。そして、それを聞いた時点で、浅葱の羽織の隊士達の表情も一変する。
「確かそれって、沖田組長が『会ってみたい』って言ってた人だよな?」
「あぁ、確かそうだ。土方副長も、ちょっと興味があるとか言ってたような……」
彼等がボソボソとそう話しているのが聞こえた時点で、マリーナは後方に向かって「合図」を送る。すると、物陰から恭しい仕草の
ユリアーネ・クロイツェル
と、彼女の「護衛」であるかのような様相の
カノープス・クーガー
が現れた。
「先日は、不本意ながらも街の皆様を混乱させてしまい、申し訳ございませんでした。本日はそのお詫びのために参上した次第にございます」
ユリアーネがそう語る横で、カノープスは「いつでも刀を抜ける体勢」のまま黙って警護し、そしてマリーナもまた彼女に対して傅くことで、ユリアーネがさも高貴な姫君であるかのように演出する(実際のところ、ユリアーネは確かに名家の令嬢なので、あながち嘘でもないのだが)。
「分かった。しばしこの場で待て。沖田組長に話を通してくる」
浅葱の羽織の剣士の一人がそう言って屯所へと向かっていくのを、ユリアーネは静かに笑顔で見送った。
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それからしばらくして、彼女達三人は「西本願寺」と呼ばれる建物へと案内される。ここは元来は宗教施設なのだが、現在は浅葱色の隊服をまとった「新撰組」と呼ばれる治安維持部隊が本拠地として間借りしているらしい。
ユリアーネ達が慣れない「畳」の部屋でしばらく待機していると、一人の年若そうな青年(下図)が姿を現した。
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青年 |
(出典:『幕末霊異伝〜MI・BU・RO〜』p.147)
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「はじめまして。新撰組一番隊組長、沖田総司と申します。田舎武士故、色々と無作法に感じられることもあるかと思いますが、御容赦下さい」
「こちらこそ、はじめまして。ユリアーネと申します。この度は突然の来訪にもかかわらず、丁重におもてなし頂き、ありがたく存じます」
「さて、さっそくお伺いしたいのですが、まず、あなた方は何者ですか?」
単刀直入なその質問に対し、ユリアーネも率直に答える。
「私達の国は、この地より遥か遠くの国でございます。今は、カルタキアという街に滞在しておりますが」
「あなた方の国は、この地から見て『海の向こうの国』なのですか? それとも『砂漠の向こうの国』なのですか?」
やや遠回しな言い方で投げかけられたその質問に対し、ユリアーネは額面通りに回答する。
「『砂漠の先にある海の向こうの国』ということになりますわ」
「……ということは、あなた方はこの街が『砂漠に囲まれた状態』になった後に、この地を訪れた、ということでよろしいですか?」
「はい、その通りです」
この青年がどこまで事態を把握しているのか分からないこともあり、ユリアーネは慎重に応答する。そんな彼女の様子を見て、青年は更に一歩大きく踏み込んだ質問を投げかけた。
「では、あなた達から見て、私達は、何者ですか?」
「そうですね……」
ユリアーネは青年の表情を読み解きながら、どこまで答えるべきか考える。
(多分、この人はもう既に、ある程度のところまでは気付いている……)
そう判断した彼女は、意を決して答えた。
「……お客人、ということになるのでしょうか?」
「それは『この街の住人全体』が、ということですか?」
「えぇ、そう解釈して頂いて結構です」
慎重に言葉を選びながらそう答えるユリアーネに対し、青年は納得したような表情を浮かべつつ、笑顔で話を続ける。
「やはり、そうでしたか。つまり、私達はこの街ごと、見知らぬ世界に流れ着いてしまった。皆様から見れば我々は、『見知らぬ世界からの流れ着いた住人』ということなのですね」
「おそらくは、それが最も適切な表現かと思われます」
「それは、あなた方が意図して我々をこの地へと呼び寄せたのでしょうか? それとも、我々は『招かれざる客』なのでしょうか?」
「大変申し上げにくいのですが……、後者です」
「なるほど。では、私達を、そしてこの街を、どうなさるおつもりですか?」
青年の表情は笑顔のままだが、明らかに警戒心が高まっている。その空気を察したカノープスが密かに「いつでも刀を抜ける準備」を整える傍らで、ユリアーネは真剣な表情で答える。
「私達としては、皆様が元の世界に戻れるのが一番だと考えています。それは、あなた方にとっても同じですよね?」
「そうですね。正直、このままでは困ります」
「ですから、そのためのお手伝いをさせて頂きたいのです。もちろん、帰れる保証がある訳ではありませんし、もし帰れなかった場合は、私が近隣の街との仲立ち役となって、皆様と周囲の人々が共存出来る道を探したいと考えています」
「随分と気前のいい申し出ですが、それがこの世界では一般的な流儀なのですか?」
「一般的かどうかは分かりませんが、少なくとも私は、無駄な争いは避けたいと考えています。こちらには、皆様が元の世界に戻れるかもしれない可能性について、一つ心当たりがあるので、その計画に協力して下さるのであれば、ある程度までは水や食料などを提供して頂けるよう、近隣の街に交渉することも可能です」
一応、この件に関して、ユリアーネは事前にソフィアやジーベンの了承は得ている。建前上はユリアーネが「第三国の姫」という立場で、カルタキアとこの投影街の間の仲介役になる、という形で話を進めるという算段であった。無論、首尾良く混沌核を破壊して、この街ごと彼等が消えてしまえば、そのような取引自体が不要になるのであるが、「魔境が消滅しても、その魔境に住んでいた投影体が残る」という可能性もありえるため、最終的に彼等との衝突を避けるためには、ここで協力関係を構築しておく必要がある、と考えたのだろう(ちなみに、この作戦の大枠を考えたのはカノープスである)。
「なるほど……。では、まずはその『計画』について、お伺いしましょうか」
青年がそう告げると、ユリアーネは、ユリムから聞いた話をそのまま告げる。
「つまり、その『凶星』を破壊すれば、この街ごと扶桑に帰れる、ということですか?」
「確信はありませんが、その可能性が高いと考えています」
厳密に言えば「帰れる」訳ではない。仮に思惑通りに進んだとしても、あくまで「複製体としてのこの街とその住人」が消滅するだけなのだが、彼等にそこまでの真相を説明したところで理解出来るとは思えないし、理解されたらされたで、彼等の協力への誘引を削ぐだけだろう。そもそも、消滅した投影体の魂がどこに消えるのか、という問題に関しては、魔法師達の間でも見解が分かれてる事案であり、辺境出身の見習い君主にすぎないユリアーネ達に分かる筈もない。
「分かりました。では、ひとまず『凶星』や『天救堂』に関しては、一番隊の方でも調べられる限りは調べておきましょう。その上で、新撰組としてあなた方に協力するかどうかは、また後日、正式にお返事させて頂きます。最終的に判断するのは、局長や副長なの仕事なので」
「よろしくお願いします」
「あと、一つお伺いしたいのですが、先日、攘夷志士に『算術勝負』とやらを挑んでいた女性は、あなた方のお仲間ですか?」
おそらくはワイス達のことであろう。明らかにこの世界に住人に対して挑発的行動を取っていたと聞いているため、返答次第では心象を悪くする可能性もあるが、隠したところで(最終的にはどこかで対面するかもしれない以上)いずれはバレる可能性もある。
「別人の可能性も否定は出来ませんが、心当たりは無くも無いです」
微妙な言い回しでユリアーネがそう答えると、青年は一枚の紙を手渡した。
「残されていた立て看板に掲載されていた問題を、ウチの参謀が解いてみたそうです。よろしかったら、出題者御本人にお渡し下さい」
そう告げた上で、この日の会談は終了となった。この間、カノープスは終始黙ってユリアーネの周囲を警戒し続けていたが、会談の前後においても、そして西本願寺までの往復の間も、特に彼女達を害しようとする気配は感じられなかった。もしかしたら、彼女のことを快く思わない者もいたのかもしれないが、彼の放つオーラに気圧されて、誰も近づけなかったのかもしれない。そして、帰還後のユリアーネは交渉の継続の旨をジーベンやソフィアに報告した上で、この計画がカノープスの発案でおこなわれたことを改めて強調して伝える。
なお、ワイスへと託された「解答」に関しては、後日本人に確認してみたところ、その紙に書かれていた内容は全て「正解」であったらしい。
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「グラバー殿とは、もう長い間、連絡が取れずにいるのです」
星屑十字軍の
ユリム
は、先日の第一次調査の時に話に出ていた「グラバー」という人物と接触しようと考え、天救堂の幹部達などに話を聞いてみたが、誰に聞いてもこのような反応しか帰ってこなかった。どうやら、この街が投影された時点で彼はこの街にいなかっため、この世界には出現していないらしい。
ただ、色々と調査を重ねていく過程で、ある程度までその人物像は分かってきた。彼のフルネームは、トーマス・ブレーク・グラバー。この街の住人達にとっての(本来の意味での)「異人」であり、武器商人としてこの街で活動している人物らしい。天救との詳しい関係は不明だが、天救堂設立以前から彼とは繋がりがあったということから、おそらくはこの「似非宗教集団」の設立に関わる黒幕という可能性が高そうである。
ユリムは更に調査を続けた結果、そのグラバーなる人物がこの街において拠点としている旅籠屋を発見する。どうやら彼はこの旅籠屋の中に「専用部屋」を有しているらしく、宿の経営者は、天救堂とはまた異なる(グラバー達の祖国においては一般的な)「切支丹」と呼ばれる「十字架をシンボルとする一神教」の信者が経営しているらしい。その話を聞いたユリムは、宿へと赴いた上で、主人の前で自身の聖印を掲げて、こう告げる。
「我は天の御遣いである。神の信徒たるトーマス・ブレーク・グラバーに、この世界を救うために必要な神託を告げるために、この地へと遣わされた」
完全なデマカセだが、聖印教会暮らしの長いユリムにしてみれば、「それっぽい雰囲気」をでっち上げるのはお手の物である。宿屋の主人はあっさりと彼の醸し出す神々しい雰囲気を信じ込まされた。
「こ、このような場所にアンジョ様が御降臨下さるとは……、しかし、今はグラバー様はこちらにご滞在されておりませぬ故……」
「ならば、彼の部屋で待たせてもらおう。良いな」
「は、はい! 今すぐ、お部屋のお掃除を」
「構わぬ。そのままで良い」
そう言って、ユリムはグラバーの貸し切り部屋へと案内されると、茶菓子などの接待を一切拒否した上で、すぐさま残された物品の調査を始める。すると、次々と「凶星」や「天救堂」にかかわる資料や手紙などが発見された。
ユリムの予想通り、天救堂はグラバーが天救に入れ知恵することで始めた似非宗教であり、住民達から多くの寄進を集めて、その多くはグラバーへと横流しされていたようである。その上で、人心を惑わして街の治安を乱すこと自体にも何か目的がありそうな気配は感じられたが、その裏の思惑までは読み取れなかった。
そして、凶星に関しては、実際には「星」ではなく、この街の外からグラバーの仲間が幻術を用いて街の上空に生み出した「火の玉」であるらしい。グラバーの調べたところによると、この街には様々な怪物の類いが蠢いており、それらを封じ込めるために「特殊な結界」が張り巡らされているため、この街の内側からその「火の玉」の正体を見極めることも、撃ち落とすことも出来ない、と判断した上での(人心を惑わすための)トリックらしい。
ただし、一箇所だけ、この街の中に「結界の外」へと突き出ている場所がある。それが「東寺 五重塔」と呼ばれる木造建築物であり、この塔の屋根の上だけは、高度的に「結界の外」に位置するため、この塔の屋根の上からであれば「火の玉」の正体を見破られた上で、撃ち落とされる可能性があるらしい。ただし、この「東寺」という領域には特殊な「法力」と呼ばれる秘術の力が張り巡らされており、「幕府」も「朝廷」も容易には足を踏み入れることが出来ない領域であるため、おそらくその心配は無いだろう、とも記されていた。
「そうなると、この『東寺 五重塔』なる建物にどうやって乗り込むか……。街の有力者の力を借りられればどうにかなるだろうが、無理なら力づくで、ということになる……」
ユリムはそう呟きつつ、ひっそりとその旅籠屋から姿を消し、他の従騎士達とも合流した上で、再びカルタキアへと帰還したのであった。
☆合計達成値:210(99[繰越分]+111[今回分])/120
→次回「魔境討伐クエスト(
BB
)」発生確定、その達成値に45点加算
先日、カルタキアを襲撃した機械兵軍団の本拠地は、潮流戦線のジーベンによって突き止められた。彼によってもたらされた情報を元に、改めて従騎士達による調査隊が現地へと赴くことになる。
「初めまして、ティカ・シャンテリフと申します。今まで療養しておりましたが、今日からカルタキアでの対混沌任務に参加します」
ヴァーミリオン騎士団に所属する15歳の少年
ティカ・シャンテリフ
は、他の面々に対してそう挨拶した。彼は他の騎士団員達と共にカルタキアには来ていたものの、訓練時の負傷でしばらく療養していたため、先日の「現地での初陣」には参戦出来ず、他の者達よりも一歩出遅れていた。
そんな彼に対して、同じヴァーミリオン騎士団に所属する
アレシア・エルス
が、彼の背中を叩きながら声をかける。
「おぉ、ようやく来たか、ティカ。しっかり頼むぞ」
「ご指導よろしくお願いします!」
ティカはそう言って頭を下げる。アレシアは女性にしてはかなりの長身だが、ティカもまた、成長途上の少年としては高身長の部類であり、背丈はアレシアと比べても遜色ない。今回はアレシアが(前回の防衛任務からの流れもあり)機械兵団達の本拠地の調査任務へと向かうと聞き、信頼出来る先輩である彼女に付いていこうと考えたようである。
その上で、ティカはひとまずアレシアから、今回の任務に関する事前情報を確認する。
「今回の敵は鋼鉄の怪物の投影体と聞いていますが、それらは誰かに動かされている訳ではなく、純粋にただ本能で暴れているだけの怪物、ということなのでしょうか?」
「その辺りは、正確なところは私にも分からない。ただ、奴等は『オロカナ、ニンゲン、ミナゴロシ』と喋っていた。言葉を話せる程度の知性はあるようだが、少なくとも私達と交渉出来る余地のある相手ではない。仮にその背後に『何者か』がいたとしても、その口ぶりから察するに、少なくとも『人間』ではないのだろう」
アレシアはそう答える。彼女は混沌浄化要員としてエーラムと提携するヴァーミリオン騎士団の一員であり、それなりに実戦経験を積んできた身ではあるが、基本的にこれまで戦ってきた相手の大半は「投影体」であり、「対人戦」の経験は少ない。そして心情的にも、「人型の投影体(異世界人)」との戦いはなるべく避けたいと考えてきた。だからこそ、今回の「純粋な怪物(と思しき存在)」と戦う任務への参加を選んだのである。
なお、アレシアは現在のカルタキアにいる従騎士達の中では最年長組ということもあり、ヴァーミリオン騎士団だけでなく、他の部隊の者達からも慕われているようで、現地の見習い君主である幽幻の血盟の
ローゼル・バルテン
がこの任務に参加した背景にも、アレシアの存在が影響しているらしい。
「私もそろそろ、実戦での経験を積まないといけないしね」
弓を構えてそう語るローゼルに対して、アレシアは愛馬アクチュエルを預けることにした。
「今回の任務では慎重な行軍が必要になるので、アクチュエルは後方部隊の人に預けたい。ロゼなら、以前に彼に乗ったこともあるし、安心して任せられる」
「分かったわ。ちゃんと私の言うことを聞いてくれるか、心配だけど……」
「大丈夫。彼もロゼのことは信頼してるから。いいね、彼女に従うように」
アレシアがアクチュエルにそう告げると、その言葉をどこまで理解しているのかは分からないが、アクチュエルは頷くように首を上下させる。
そして、本来ならば(思想的に)ヴァーミリオン騎士団とは相反する組織である星屑十字軍の
ニナ・ブラン
もまた、アレシアを聖印の力で支援するという前提で今回の任務に参加している。
「あの……、私、まだ、聖印の使い方も未熟ですけど、精一杯頑張ります!」
「えぇ。期待していますよ、ニナさん」
実際のところ、今の彼女はまだ聖印の力を十分に引き出す段階にまでは達していない(それはニナだけでなく、他の従騎士達も同様である)。それでも、ニナは少しでもアレシアの力になりたいと考え、今回は彼女に同行することにしたのである。
こうして、今回の作戦の実質的な主力部隊となる(期間限定の)「アレシア分隊」が結成されることになった。
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やがて彼等が(ジーベンからの情報に従って)「現地」へと辿り着くと、そこに広がっていたのは、見たこともない機械が張り巡らされた巨大な都市の姿であった。ただし、砂漠に現れた扶桑の街とは対象的に、この街からは人の気配は全く感じられない。もともと住んでいた人々が滅びた後に投影されたのか、たまたま人間以外の者達だけが投影されたのかは不明だが、人の姿が全く見えない超高度文明都市からは、なんとも言えない不気味な気配が漂っていた。本来は舗装されていたと思しき道路はひび割れ、いくつかの建物は倒れて瓦礫の山と化している。それらも投影前からその状態だったのか、「投影後」にそうなったのかは分からない。
「さて、まずは後続の部隊が安全に通過出来るように、色々確認しなくては……」
金剛不壊の
ウェーリー・フリード
はそう呟きつつ、事前に調べた「22世紀の地球」に関する情報を元に、この地に派遣された調査隊の最前線部隊の一員として、慎重に周囲に気を配りながら歩を進めていく。彼は先日の攻防戦の終盤においてジーベンにこの本拠地の捜索を依頼したこともあり、その流れで調査隊にも参加することになった。
すると、もともと荒れた様相の道路の中の一角に、何箇所か明らかに「何らかの爆発」によって発生したと思しき「穴」が存在することに気付く。そして、その穴の下からは地下水道のような何かが流れている音が聞こえてきた。異界の兵器などに関しても一定の知識を有するウェーリーは、ここで憶測を巡らせる。
「これは多分、形状から察するに、もともと埋め込まれていた爆薬によって吹き飛んだ痕だろう。しかも、それらしい形跡が何箇所もあるということは、まだ今もこの道路の下にいくつか埋まっている可能性がある。一応、この道路上には『最近通ったと思しき車輪の痕』が見えるが、それらが通った後にこれらの罠を設置したか、あるいは『罠を巧妙にくぐり抜ける技術』を有している車両だったと仮定するならば、この先も警戒すべきか……」
ウェーリーがそう呟くと、隣にいた鋼球走破隊の
アルエット
が彼に語りかける。彼女もまた今回の任務において、主にこういった「罠」の類いを解除する役回りを担うために、この最前線部隊に参加していた。
「もしくは『人体にしか反応しない罠』という可能性もあるのでは? 先日の攻防戦の際に、一部の敵兵達は明確に人間を敵視する意志を示していた。奴等の中に人間の存在を熱や気配で感じ取れる機能が備わっているのなら、同じ機能を罠にも組み込めるのかもしれない」
「なるほど。確かに、これほどまでの技術を生み出せる者達ならば、それも可能か……」
「その技術を生み出したのが『人間』なのか、それとも『人間に反逆した機械』なのかは分からないが、仮に後者だとしても、それは『人間の代替足り得る存在にまで成長した機械』なのだろう。その上で、そこまで執拗なまでに人間を殲滅しようとする姿勢には、もはや悪辣、外道と呼ぶよりも、いっそ驚嘆すべきだな」
アルエットがそんな感想を口にしている間に、ウェーリーは道路の割れ目の部分から、道路の「厚み」を確認する。
「この程度の厚さしかないのなら、その『人体に反応する爆破装置』は、『埋め込む』というよりはむしろ『道路の下』に貼り付けてあるのかもしれない」
「つまり……、この地下水路の『天井』の部分に、ということか……」
アルエットは割れ目の部分から水路の様子を覗き見る。水路の底の深さは分からず、水の流れもかなり早そうではあるが、泳いで調べることも出来なくはない。
「……やろう」
彼女はそう呟きつつ、荷物をひとまずその場に下ろし、そして事前に市場で購入していた縄を自身にくくりつけた上で、その一端をウェーリーに委ね、地下水路へと降りて、泳ぎながら中の様子の確認を試みる。すると、道路の先の方面と思しき場所に「機械による光」が点灯しているのが見える。アルエットは水流に逆らうようその「光る機械」の真下まで泳ぎきった上で、腰に付けていた棍棒を掲げた。
(錆びない武器だったことを幸運に思うとしよう。殴って壊れるなら、だが)
そう思いつつ、彼女が棍棒でその機械を殴りつけると、その直後に地上で爆音が響き渡り、そして彼女の真上に「空洞」が開いた。当然、その光景は、縄の先を持っているウェーリーにも見える。彼の視点から見れば、道の先の「怪しいと思っていた部分」が突如として爆発したことになる。
「アルエット君! 大丈夫か!?」
ウェーリーは足元の割れ目から水路の奥に顔を突っ込んで覗き込もうとするが、そんな彼と入れ違いに、アルエットの方は新たに発生した穴から真上に顔を出した。
「あぁ、心配ない。まぁ、スマートな解決法ではなかったが、最低限の仕事は出来たかな」
だが、彼女がそう答えた直後、その爆音を聞きつけたのか、一台の小型機械兵が姿を現す。しかも、運悪く今のこの場には(他の従騎士達が別の場所の調査に向かってしまっているため)「首から下が道路の下に埋まっている状態のアルエット」と「丸腰のウェーリー」しかいない。
(これは……、僕も彼女も、一旦地下水路に潜るのが最適解か?)
地上に頭を戻したウェーリーがそう判断しかけたところで、少し離れたところから一本の矢が放たれ、その現れた機械兵に直撃する。その矢の飛んで来た方向に目を向けると、そこにいたのは潮流戦線の
アイザック・ハーウッド
であった。
「助力か? ありがたい」
アルエットはそう言いながら、穴の外へと飛び上がる。そして、外傷を負った機械兵は、その場から走り去っていく。おそらくは仲間を呼びに行ったのだろう。
その状況を確認した上で、ウェーリーもまたアイザックに声をかける。
「ありがとう、助かった。しかし、当初の作戦では、君はもっと後続の部隊に配備されていたと思うんだが……」
そんな彼に対して、アイザックは何食わぬ顔で淡々と答える。
「今は前線に向かうべきだと、コインがそう言ったので」
アイザックは「いつもの硬貨」を弾きながらそう告げた上で、手の甲に落ちたコインが「裏面」だったことを確認し、二人の前から立ち去っていった。
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その後、今の物音を聞いて、やがてアレシア分隊の面々が到着する。それと時をほぼ同じくして、先刻の機械兵が「仲間」を連れて現れた。
「……敵影確認! 行くぞ、ティカ!」
「はい!」
「丸腰の者は、私の後ろに隠れろ!」
アレシアがそう言って槍を構えると、言われた通りにウェーリーは後方へと下がり、そして(厳密に言えば護身用の短剣を持ってはいるが)ニナもまたアレシアの背後に回った上で、アレシアの槍に聖印の力を込めようとする。
(訓練場で試した時は上手くいかなかったけど、今度こそ……)
そう思いながら聖印に想いを込めようとするニナだったが、目の前に現れた機械兵に対する恐怖心からか、やや注意力が散漫になってしまい、思うように力が注げない。一応、アレシアの槍に聖印の光は灯ってはいるようだが、ニナ自身の実感として、全く強化されているようには感じられなかった。
(どうして……!? 私には、聖印を力に変える天分が宿ってないってこと……!?)
ニナがそんな絶望に苛まれそうになった瞬間、アレシアはその槍を構えて敵兵に特攻する。
「ありがとう! おかげで力が湧いてきたようだ!」
それがニナへの励ましなのか、それともアレシアが無意識のうちに暗示にかかっているのかは分からないが、彼女の突き出した槍は、迫りくる敵兵を見事に貫いた。確かに、心做しかその槍捌きは(本来は馬上戦闘を得意とする筈の彼女であるにもかかわらず)いつもより鋭さが増しているようにも見えた。
だが、勢い良く飛び出した結果、別の機械兵が側面からアレシアを襲おうとする。しかし、それに対してアレシアが反応するよりも先にティカが間に入り、その機械兵の攻撃を長剣で受け止めつつ、そのまま弾き返した上で逆に斬りかかっていく。
「いいぞ、ティカ! もう傷の心配は無さそうだな!」
アレシアがそう声をかけるが、彼は今、カルタキアでの初の実戦ということもあり、目の前の敵を倒すことで精一杯で、答える余裕がない。一方、アレシアの反対側の側面には、いつの間にか(まだ微妙に服や髪が濡れた状態の)アルエットが回り込んでいた。
「また助けられたな、感謝する」
アルエットはそう答えつつ、棍棒を構えて迎撃の準備に入る。更に後方からは、アクチュエルの隣に立つローゼルが弓矢で敵兵達を次々と的確に射抜いていく。
(さすがにまだ馬上弓を撃つ自信はないけど……、この人達が前線にいてくれるなら、私も安心して射撃に専念出来る!)
もともと、前回の攻防戦で機械兵達の戦い方や弱点は概ね把握していたこともあり、彼女達の連携攻撃の結果、あっさりと敵兵は殲滅された。その後も、彼等はウェーリーの目算に基づいてアルエットが地下水路経由で他の爆薬を破壊していき、その間に襲い来る敵が現れればアレシア分隊が迎撃する、という戦術を基本として、少しずつ探索を進めていくのであった。
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こうして徐々にこの街の中での「安全圏」が確立されていく中、やがて彼等はいくつかの建物にも足を踏み入れた上で、混沌核の在り処を探そうとする。ウェーリーが「おそらくは安全な、ただの廃墟と思しき建物」と判断した比較的高層の建物の中に入った潮流戦線の
エイミー・ブラックウェル
は、遠くまで見渡すために最上階へと登った上で、窓(であったと思しき空洞)から遠眼鏡で周囲の状況を確認する。
(やはり、この街には人の姿はないようですね……。そして、普通の動物や鳥の姿も……)
レンズ越しに眺める光景を見ながら、そんな感慨を抱き始めた瞬間、彼女の視界に「異物」の姿が映る。それは、遠方の空を滑空する「飛竜のような何か」であった。
「あれは……?」
思わず彼女がそう口にした瞬間、彼女と同じ思惑でこの最上階へと足を運んでいた星屑十字軍の
リュディガー・グランツ
が声をかける。
「何か、あったのですか?」
「いえ、あそこに、ワイバーンのような何かが飛んでいるのですが……」
「ワイバーン?」
リュディガーが目を凝らしてその先を見ると、確かに「ワイバーンのような姿の機械と思しき何か」が空を飛んでいるような姿が見える。
「どうも、同じ場所をずっと旋回しているように見えるのです。私達『侵入者』が来ても、まるで意に介さぬように」
「……ということは、『あの辺り』に何かがありそうですね」
リュディガーはそう呟くと、くるっとエイミーに背を向けて、階段へと向かって走り出す
「ちょっと、ひとっ走りして見てきます」
「あ、待って下さい。今は他の人達が別の地区の調査に向かってます。一人では……」
「大丈夫、わたしには警護は不要です!」
そう言って、リュディガーは長剣をいつでも抜く準備をした状態で走り下りて行く。エイミーは不安そうな表情を浮かべつつ、改めて窓から外を見ると、そこには一人の「見知った弓手」の姿があった。
「どうしました?」
地上から「彼」がエイミーに対してそう問いかけると、エイミーは事情を説明する。それに対して、彼は少し間を開けた上で、硬貨を宙に向けて弾き、そして手の甲で受け止める。さすがに最上階にいるエイミーからは、どちらの面が見えたのかは分からない。ただ、その男は涼し気な笑顔を浮かべながら、黙ってリュディガーの後を追って走り始めた。
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リュディガーは上空の機械翼竜の動きを警戒しながら、その空域の近くまで足を運ぶと、やがて彼の視界の中に、彼の想像を遥かに超える「巨大な機械獣(下図)」の姿が映った。
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巨大な機械獣 |
(出典:『英雄武装RPG コード・レイヤード』p.240)
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(これは……、ドラゴン? いや、翼が無いということは、「ドラゴン並の大きさの蜥蜴」とでも呼ぶべきなのか……?)
少なくとも、他の機械兵達とも、そして空を舞う機械翼竜とも明らかに別格の投影体である。状況的に考えて、この超大型機械獣こそが「魔境の混沌核」である可能性が高いであろうし、仮にそうでないとしても、この魔境を浄化するにあたって、確実に障害となる難敵であることは間違いない。
(ひとまず戻って、皆に報告しなければ……)
そう考えたリュディガーが方向転換しようとした瞬間、空を舞う機械翼竜の瞳がリュディガーの姿を捉える。
(やっべ、ミスった!)
翼竜はリュディガーに対して急降下で特攻し、それに対して彼は剣で迎撃しようとするが、飛び込んできたその翼竜の勢いを受け止めきることは出来ず、弾き飛ばされてしまう。
(まずい……、さすがに一人で戦える相手じゃないか……)
だが、次の瞬間、全く別の方角から、何者かが「超大型機械獣」に向かって弓矢を放つと、翼竜の視線はそちらに切り替わる。どうやら、この翼竜は超大型機械獣を守るように命令(インプット?)されているらしい。
その隙に、リュディガーは急いでその場から退散する。
「誰かは知りませんが、助太刀感謝します!」
自分を助けてくれた「謎の弓手」の無事を祈りながら、ひとまずリュディガーは皆を呼ぶためにこの場から退散する。
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その後、アレシア達と合流したリュディガーは、ひとまず状況を説明する。その上で、謎の弓手を助けに行くべきだと主張するが、それに対してエイミーが「『彼』のことなら、心配する必要はありませんよ」と告げたことで、リュディガーはどこか釈然としない心持ちながらも、そのまま皆と共にひとまずカルタキアへと帰還することになった。
なお、途中から行方知れずになっていたアイザックは、いつの間にか何食わぬ顔で婚約者であるエイミーの隣を歩いていたらしい。
☆合計達成値:140(34[加算分]+106[今回分])/100
→次回「魔境討伐クエスト(
BD
)」発生確定、その達成値に20点加算
カルタキア内で発生していた少女連続失踪事件は、一人の女性型投影体の仕業であるということが判明し、その隠れ家である月匣(フォートレス)と呼ばれる魔境の入口が、街の公園の泉に
あるというところまでは突き止めた。この事件の解決のために尽力した者達の中には、潮流戦線とヴェント・アウレオの従騎士達が多かったこともあり、今回はその両部隊の隊長が混沌浄化のために参戦する意向を示すことになる。
「最初に確認させて頂きますが、今回の作戦の第一目標は『少女達の身柄の確保』、それを達成することをとした上での最終目標が『魔境の浄化』、ということで、よろしいですね?」
ヴェント・アウレオの首魁であるエイシス・ロッシーニ(下図)が、今回の作戦に参加予定の者達を前にしてそう語ると、従騎士達が揃って頷く。魔境の中に誰かが囚われた状態のまま魔境を浄化した場合、囚われている時の状況次第では(たとえば、圧縮空間などに封印されていた場合)、次元の狭間に存在そのものが消えてしまう可能性もある。そのため、まずは彼女達の身の安全を確保した上でなければ、魔境の混沌核を破壊する訳にはいかない、というのがエイシスの見解であった。
それに対して、潮流戦線の師団長であるジーベン・ポルトス(下図)は、大筋では納得しつつも、重要な「確認事項」を投げかける。
「そもそも、連れ去られた者達がまだ生きている、という保証はあるのか?」
言いにくいことを淡々と率直に言ってのけたジーベンに対して、エイシスもまた淡々と「現時点で得られている情報」に基づいて私見を述べる。
「確証はないですが、可能性は高いです。前回の調査隊の皆さんの報告によれば、その犯人と思しき投影体は『プラーナ』なるものを求めている、という話でした。この街に残されている異世界に関する資料によると、それは『主八界』と呼ばれる異世界において『生命の源』のようなものを指す概念であり、他人の体内のプラーナを奪おうとする者達は『エミュレーター』などと呼ばれているそうです。彼等は基本的には『生きている人間』からそのプラーナを吸い取り続けるために、人間を捕獲した上で長期間かけて『保管』する習性があるようです」
この情報がどこまで正確かは、エイシスにも分からない。「プラーナ」という概念自体、他の異世界でも使われている可能性はある。しかし、魔境の入口である「紅い月」が出現したという情報と照らし合わせてみても、今回の誘拐犯の正体は「主八界」(厳密に言えば、その中の「ファー・ジ・アース」もしくはそこから繋がった「魔界」あるいは「裏界」)と呼ばれる世界からの投影体である可能性が高いだろう。
「つまり、彼等にとっての人間は、我等にとっての羊や乳牛と同じ、『生きたまま身体の一部を搾取し続けることを前提とした家畜』なのでしょう。せっかく捕まえた家畜を、そう簡単に殺すとは思えません。もちろん、既に吸いつくされて殺されている者もいる可能性は否定出来ませんが、それでも、可能な限り魔境の中を隅々まで調べ尽くした上で、どうしても見つからないという確信に至るまでは、魔境を破壊すべきではない、というのが私の見解です」
「なるほど。了解した。異論はない」
二人の指揮官の方針が一致したところで、エイシスは改めて、具体的な軍議に入る。
「今回の魔境は不定形な構造である以上、迂闊に戦力を分けるのは危険ですので、原則として全体でまとまって行動することを推奨します。その上で、いつどこから敵が現れるかも分からないので、いざという時のためにジーベン卿には『切り札』として待機して頂き、基本的には従騎士の皆さんの手で行方不明者を捜索しつつ、妨害する敵戦力を排除してもらいます。そして、各自の役割に関してですが……」
「霊感の強いエルダさんには、戦いよりも捜索に力を入れて頂きたいと思います。被害者の方々が捕まっている区域には、何か特殊な結界などが張り巡らされている可能性もありますので」
「分かりました。私としても、少女達の安全確保を最優先したいと考えていたので、その任務は望むところです」
もともと彼女は現地民ということもあり、被害者の中には顔見知りの者もいる。子供達を守ることを本懐としている以上、言われなくてもその役回りに志願するつもりだった。
続いてエイシスは、自身の直属の部下であるヴェント・アウレオの
アリア・レジーナ
を名指しする。
「治療技術に長けているアリアも、被害者の身柄の確保を優先して下さい。被害者が消耗しているようなら、私も聖印の力で治癒するつもりですが、状況によっては私一人では手に負えないかもしれませんから」
「はい! 任せて下さい! 精神的にも疲弊しているかもしれないので、心のケアにも気を配っておきたと思います」
「えぇ、頼りにしていますよ」
心酔するエイシスからそう言われたアリアが笑みを浮かべる中、彼女と同じヴェント・アウレオの
ラルフ・ヴィットマン
が声を上げた。
「エイシスさん、そういうことなら、僕もその被害者の救助に回らせてほしいです。護衛も必要でしょうし」
「ほぅ……、まぁ、いいでしょう。あなたは『武器』を必要としない人ですからね。いざとなったら、疲弊した被害者を背負った状態でも『足』だけで戦えるという意味では、確かに適任かもしれません」
ラルフがこの任務を担いたいと思った背景には、生き別れの妹の存在もある。彼は弱い立場の少女を狙うこの事件に対して、心中並々ならぬ想いを抱いていた。
一方、潮流戦線の
ミョニム・ネクサス
は、直属の上司であるジーベンと、現在この場を仕切っているエイシスの両方に対して訴えるような形で宣言する。
「私も、被害者の治療役に回らせてほしいです。あの投影体は『怖がる子にしか興味がない』と言っていたことを考えると、連れ去られた子は間違いなく心細い思いをしている筈ですし。一応、私も治療に関する知識はそれなりに持ち合わせていますから」
「なるほど。私はそれで構いませんが、ジーベン卿は?」
「好きにしろ」
ジーベンは短くそう答える。形式的には今回の作戦はジーベンとエイシスの二人が率いる立場ではあるが、ジーベンは「全体の指揮官として適任なのはエイシス」と考えていたため、自分の部下であろうとも、本人とエイシスが良ければ自由に行動させることに異論はなかった。
「さて、被害者の救助および救護要員は私とこの四名で良いとして、問題は、主犯格の投影体と被害者達を同時に発見した場合です。被害者を人質に取られると厄介ですので、その投影体の目を引きつけるような囮役がいてもらえると助かります」
「それなら、私にやらせて下さい! 私は一度襲われているので、囮として適格な筈です」
フォリアがここで名乗り出た背景には、彼女にしか分からない特殊な思惑があった。フォリアはあの投影体のことを「自分の正体を知っている存在」だと思い込み(実際のところ、それは彼女の勘違いなのだが)、「このまま生かしておく訳にはいかない」と考えていたのである。
(自分で倒すことは叶わずとも、せめてその最期をこの目で見なければ、これから先、安心して眠ることも出来ない……)
だからこそ、フォリアは少しでもあの投影体の間近に立つポジションに回りたいと考えていたのだが、ここでエイシスは少々難色を示す。
「しかし、報告によると、あなたは一度、彼女から『いらない』と言われてるのですよね?」
「それは……、まぁ、そうなのですが……」
「戦術的に考えても、敵を被害者から引き離すことを前提とした囮役としては、出来れば遠距離から挑発出来るような、飛び道具の使い手の方がありがたいというのが私の見解です」
今、この場にいる中で、弓使いの従騎士は二人。一人は既に救護班に回ることを宣言しているミョニム。そしてもう一人は、エイシス直属のヴェント・アウレオの少年であった。
「え? そうなると、僕、ですか?」
エイシスからの視線を感じつつ、
コルネリオ・アージェンテーリ
はそう答える。彼は「少女に見えなくもない外見」であり、年齢的にもこの中で最も幼いため、条件にはギリギリ合致しているとも言える。
「どちらにしても、囮役が一人というのは危険です。フォリアさんとコルネリオの二人のどちらかに敵の視線が向かうことを期待しつつ、状況に応じて互いにフォローし合う、という形でいかがでしょう?」
「僕はそれでもいいですよ。他に適任もいないみたいだし」
「私も、それで構いません」
なお、コルネリオにもフォリアにも、それぞれに内心では異なる想いもあったのだが(後者に関しては、エイシスも察していたのだが)、あえてそれを口に出さぬままその任を受ける旨を示すと、ここでコルネリオと同郷・同僚の
ジルベルト・チェルチ
が声を上げる。
「俺も、この二人を守る役に回っていいか? もちろん、状況によっては救護隊の方を守るつもりだが、救護隊の方にはエイシスがいるんだろ? だったら、俺としてはこの二人の方が心配だ」
ジルベルトにとってコルネリオは弟分であり、フォリアとも前回の任務の際に交わした縁がある。だからこそ、この二人だけに囮役を任せるのが不安に思えたらしい。
「構いません。あなたは状況に応じて『守るべき人』を判断した上で、戦力的に足りないと思った戦場を補って下さい。あなたには、その状況を見極めるだけの判断力があると信じています」
「あぁ、そこはオレに任せて、アンタたちは救助に専念してくれ。まぁ、エイシスがいるなら混沌核の浄化も余裕だろう。オレらの自慢の船長だからな!」
ジルベルトが胸を張ってそう答えると、ここで彼等とも縁の深い潮流戦線の
エーギル
が、全体に対して問いかける。
「なぁなぁ、俺はどうすればいいと思う?」
その声色は、悩んでいるというよりは、楽しそうな雰囲気が漂っている。とりあえず、どこに参加しても面白そうだ、と考えているようにも聞こえた。そんな彼に対して、珍しくジーベンが語りかける。
「どうせ、お前は小技なんか出来ないだろう。とりあえず、目の前に現れた敵を倒しておけ」
「分かった、そうする!」
一方、ヴェント・アウレオの
リカルド
はエイシスに問いかける。
「ボス、俺は『ボスの護衛』ということでいいですかい?」
「それでも構いませんが、救出組の方が戦力には余裕がありそうですし、あなたも前線で敵を殲滅する方に専念した方が、あなたの才を活かせると私は思います」
エイシスはそこまで言ったところで、チラリとジーベンに視線を向ける。
「一流の剣士の腕を、目の前で拝見する良い機会ですしね」
一応、ジーベンは「切り札として温存」という作戦ではあるが、主犯格の投影体、もしくはそれと同等以上の敵が現れれば、必然的に彼の力を投入することになる。治癒能力を主体とするエイシスの聖印とは異なり、ジーベンは攻撃一辺倒の生粋の剣士の聖印の持ち主である。だからこそ、リカルドとしてもこの機会にジーベンの技を盗みたいと考えていたのだが、どうやらその意図は既にエイシスにも伝わっていたようである。
「分かりまたぜ、ボス」
ニヤリと笑いながらリカルドはそう答えて、ジーベンに対しても軽く一礼する。こうして、ひとまず今回の「魔境浄化隊」の陣容が固まった。
******
その日の夜、カルタキアの公園の泉の前に彼等は集まり、そしてエイシスがソフィアから借りた「謎の水晶」を泉に掲げると、その推奨は神々しい輝きを放ち、そして水面には「紅い月」が浮かび上がる。ソフィア曰く、この水晶には「隠された魔境の入口」を強引にこじ開ける力が込められているらしいが、その力を行使出来るのは相応の聖印の持ち主だけであり、しかも精神力を消耗するため、一日に何度も使うことは出来ないらしい。
そして、エイシスが念を込め続けていくと、その紅い月を中心として「異空間」への扉が開かれた。ジーベンに率いられる形で彼等がすぐさまその中へと突入し、そして最後にエイシスがその扉をくぐったところで、水晶の光は収まり、その扉は閉じられる。
彼等が突入した異空間の中は、全体的に不気味な光で照らされた領域であり、明らかに通常の物理法則に反する形で廊下と階段、そしていくつかの扉が並んでいる。一応、彼等は今、その「廊下」の上に立っているため、何らかの「重力のようなもの」が働いていることは間違いない。そして、通常の呼吸が可能な程度には外の世界と似た大気に満ちているようだが、それにしてもどこか奇妙な違和感を感じさせる、そんな空間であった。
「ふぅ……」
水晶への力を込め終えたエイシスは軽くため息をつく。その顔色が少し悪そうなことにアリアは気付いた。
「大丈夫ですか、エイシス様?」
「心配いりません、少し疲れただけです。ただ、それなりに聖印の力を使うので、帰るためにもう一度あの『扉』を開けるだけの体力を残そうと思うと、ここから先は少し、私は休ませてもらいたいところです。まぁ、私が駄目なら、ジーベン卿にその役はお任せすることになりますが」
魔境を完全に浄化すれば、自然とこの空間は消滅し、おそらくは元の公園へと戻れる。しかし、途中で一時撤退を強いられる可能性を考慮すると、エイシスかジーベンのどちらかには、聖印の力を温存させた方が安全、ということらしい。
一方、彼よりも先に突入していたミョニムは、長期戦に備えて事前に買い込んでおいた携帯食や応急手当用の道具が入った鞄を背負いながら、初めて目の当たりにする魔境の光景を目の前にして少し心を高揚させながらも、その広大な構造に圧倒されていた。
(さて、どこから調べればいいんだろう……?)
その隣ではコルネリオもまた彼女と同様に、興奮と困惑の入り交ざった感慨を抱いていた。
(これが魔境か……、一度、実物をみときたいな、とは思ってたけど、正直、実は怖い話とか、苦手なんだよな……。船長もいるから、ちょっとは安全かな……?)
「囮役」という任務を安請け合いしてしまったものの、いざ魔境に足を踏み入れてみると、徐々に心の中で「恐怖」が占める割合が広がっていく。
そんな中、霊感を研ぎ澄ませて周囲の様子を確認しようとしていたエルダが、「何か」に気付いた表情を浮かべる。
「今……、廊下の奥の方で『何か』が開いた気がします」
彼女がそう言った瞬間、皆が耳を澄ますと、今度はラルフが呟いた。
「向こうから、足音がするな……」
ラルフが指を指した方向に従騎士達の視線が集中する中、やがて例の「女性型投影体」(下図)が姿を現す。その傍らには(あの夜の時と同種の)二体のガーゴイルを従えていた。
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女性型投影体 |
(出典:『ナイトウィザード the 2nd Edition』277頁)
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「あなた達……、私の許可もなく、どうやって入ってきたの……? せっかくの至福の時を邪魔してくれて……、ただで済むと思ってる?」
苛立った様子で彼女がそう呟く中、エイシスはジルベルト達の表情から、彼女が「誘拐犯」本人であることを理解する。
「いきなり本人が来てくれるとは……、予定変更ですね」
とはいえ、エイシスにしてみればこれは好都合な誤算である。彼はジーベンに目配せすると、「切り札」として温存しておく予定だったジーベンが、一瞬にしてその女性との間合いを詰め、そして曲刀を閃かせたと思うと、次の瞬間、彼女の右腕が身体から切り離されていた。
「がっ……、がはぁぁぁぁぁぁぁ!」
女性は激痛に叫び声を上げながら、何色と表現すれば良いかもよく分からない謎の血液が流れ出る左肩を右手で押さえつつ、ジーベンを睨みつける。
「な、何なの!? あんた……」
有無を言わさぬ先制攻撃に困惑する彼女に対して、ジーベンは黙って冷たい視線を投げかけ、代わりにエイシスが問いかける。
「捕らえている少女達はどこにいます? 答えなければ、次は左腕が無くなりますよ」
「……答えたら?」
「苦しまずに済むように、一撃で殺してあげましょう」
ここで「命を助ける」と言ったところで、どうせ信じないだろうとエイシスは割り切っていたし、実際、助けるつもりもなかった。とはいえ、彼女自身が魔境の混沌核である可能性が高いとも考えていたため、被害者の少女達の居場所を見つけるまでは殺す訳にもいかない、という事情もある。
(冗談じゃない! だが……、まともに戦って勝てる相手じゃない……。せめて、誰か程良いのプラーナの持ち主を吸収すれば……、ここから逃げられるだけのエネルギーを補充出来る程度の……)
彼女がそう思いながら周囲を見渡すと、コルネリオがあえて目立つ位置に立った上で、弓を構えている。
(ここで怯えてるようじゃ、この先も「冒険」なんて出来っこない!)
コルネリオは自分にそう言い聞かせながら、矢先を女性型投影体へと向ける。
「さぁ、答えろ! 女の子達をどこに隠した!? 答えないと、答えないと……」
微妙に矢先が震えている様子を見ながら、彼女の中の狩猟本能が高まっていく。
(あの子だ! あの絶妙に怯えた幼い心こそ、今の私に必要な至高のプラーナ!)
実はこれこそが、エイシスがコルネリオを「囮として最適」と考えた理由であった。そして思惑通りに、彼女は右腕を伸ばしながら一気にコルネリオに飛びかかろうとするが、その間にジルベルトとフォリアが割って入る。
「やらせねぇよ!」
「お前は、今ここで殺す!」
二人共、前回の戦いで既に彼女の動きはある程度見切っていた上に、彼女が片腕を失っていたこともあり、完全に彼女の攻撃を受け止める。
「アンタ達……!」
彼女は歯ぎしりをしながら、部下のガーゴイルに攻撃を命じようとするが、それよりも先に、エーギルとリカルドがそれぞれガーゴイルに対峙していた。
「よぉ! 遊ぼうぜ!」
「ちょっとばかし、練習相手になってもらおう!」
二人がガーゴイルに斬りかかり、そしてエイシスは自身の聖印を掲げて、戦場全体に《聖地の印》と《地の利の印》を発動させる。その上で、この場に他に敵がいないことを確認したエイシスは、現時点で手が空いている救助優先組の四人(エルダ、アリア、ラルフ、ミョニム)に向かって呼びかけた。
「ここは彼等に任せて、この奥へ行きましょう。彼女の様子からして、おそらく奥の部屋に被害者は囚われている。ジーベン卿、後はお任せします!」
当初の計画では戦力分散はしない方針であったが、さすがに目の前に「魔境の主(推定)」がいきなり現れたことで、ここは方針転換した方が適切だと考えたらしい。エイシスの指示に従い、彼と四人が廊下の奥へと走っていこうとする中、ジルベルトがジーベンに向かって叫ぶ。
「ジーベン! アンタもエイシス達と一緒に行ってくれ!」
「何?」
「あんな手負いとザコ2匹程度なら、オレ達だけで十分だ! でも、この先にはまだ何か『敵の切り札』が潜んでるかもしれない。だから、アンタも付いてってくれ! アンタは『オレ達の切り札』なんだろ?」
「……分かった」
ジーベンがそう言ってエイシス達の後を追うと、「圧倒的な脅威」が目の前から去ったことで、女投影体は少し表情を緩める。
「バカめ! 油断したな。なぜ私の手元にまだ『切り札』が残っていないと決めつけた?」
それに対して、ジルベルトよりも先にフォリアが答える。
「お前に切り札が残っているなら、もうとっくに使ってる筈だ。ここまで追い詰められてるのに、その腕すら再生させる力もないんだろう?」
「黙れ! この中途半端なプラーナ風情が!」
フォリアとしては少しでも彼女を挑発して、自分の手元に引き寄せておきたかったのだろう。そんな彼女に対して、女投影体は逆上した様子でフォリアに対して闇の刃で斬りかかり、フォリアにその一撃が直撃するが、彼女は倒れることなく耐え忍び、そして直後にその傷が回復していく。
「「なにィ!?」」
女投影体と、そしてフォリア自身もその現象に驚く。それに対して、ヴェント・アウレオの中でも年長組のリカルドが答えた。
「これがボスの聖印の力だ! この結界の中なら、俺達が負ける筈がない!」
先刻この領域に施された《聖地の印》と《地の利の印》の効果により、彼等には自然治癒能力が付与され、そして身体能力も格段に向上している。その効果は、この戦場にいる「エイシスが『味方』と認識した者」全員に及んでいた。
「おぉ! そういや、なんかいつもより動きやすい気がするぞ!」
エーギルもそう呟きながら、重そうな大剣を軽々と振り回し、ガーゴイルを追い詰めていく。そして、遠方からは再びコルネリアが女投影体に向かって矢を放つ。
「どうした? お前の狙いは僕じゃなかったのか?」
コルネリアの中では、先刻彼女に接敵されそうになった時の恐怖が多少残っていたが、それでも心を奮い立たせて、あえて彼女の視界の正面に立つ。
(僕はまだ動ける、投影体を怖がってなんかいない。仲間についてけなくなって、置いて行かれる事より怖い事なんてない!!)
そんな思いを胸に、彼等はこの魔境の主との戦いを繰り広げていくことになる。
******
「この部屋から、最も強大な混沌の気配を感じます……」
先行した救助隊の面々は、エルダの霊感を頼りに歩を進めた結果、一つの禍々しい雰囲気の扉の前へと辿り着いていた。
「もし、ここに被害者の方々が捕らえられているのだとしたら、部屋の中に入った瞬間、特殊な変異率やハプニングが発生するかもしれません。もし、敵がいるようなら、なるべく部屋の外まで誘き出して戦うことにしましょう」
エイシスはそう言って、扉の前の廊下に対して、先刻と同じ《聖地の印》と《地の利の印》を施す。そんな彼に対して、アリアが心配そうに声をかけた。
「大丈夫ですか? エイシス様。力を使いすぎでは?」
「問題ありません。まだ気付け薬も残っています。それに、もう敵の大将は殺そう思えばいつでも殺せる状態にある。途中撤退のために力を温存するよりも、ここは早急にケリをつけることを優先すべきでしょう」
エイシスはそう答えた上で、周囲を見渡し、誰に扉を開けさせるべきか考える。
「ラルフ、お願いします」
扉を明けた直後に襲撃される可能性を考慮した上で、ここは「手が塞がっていても戦える者」が適任だと判断した。
「分かりました」
ラルフがそう言って慎重に扉を開くと、その部屋の中には光は灯っていなかった。しかし、その中に何対かの「小型の獣の瞳」が光っているのが分かる。
「ん? アレは……、猫か?」
ラルフがそう呟きながら部屋の中へと一歩踏み入ろうとした瞬間、彼の一歩後ろにいたアリアは、その部屋の中から、複数の「投影体の気配」を察知する。
「待ちなさい! あれはただの猫では……」
アリアがそう叫んだことで、ラルフは踏み降ろそうとしていた右足の膝を曲げて防御姿勢を取る。すると、そこへ「小型の獣」が襲いかかってきた。
「くっ……、魔物か!?」
ラルフはそう叫びながら、飛んできた獣を蹴り飛ばす。そして、その間にミョニムが松明に火を付けて部屋の中を照らすと、そこには五体の「猫のような姿の魔物」が、敵意むき出しでラルフを睨みつけていた。そして、その後方には倒れている少女達の姿がある。
「ケッケッケ! 現れたな、ウィザード!」
「この人間たちは渡さないぞ!」
猫型魔物たちはそう叫ぶ。彼等の姿は、ティル・ナ・ノーグ界の妖精であるケット・シーに近いが、その雰囲気は明らかに別物である。ラルフ達のことを「ウィザード」と呼んでいることから察するに、おそらくはあの女投影体と同じ異世界からの投影体なのだろう。
ラルフはすぐさまバックステップで部屋の外へと出るが、その魔猫達は追おうとはしない。おそらく「この部屋の中」こそが彼等にとっては「有利な領域」なのだろう。
ここでエイシスがラルフに問いかける。
「ラルフ、今、部屋の中に入った瞬間、何か違和感はありましたか?」
「いえ、特には……」
「ということは、この部屋に何らかの変異率がかけられていたとしても、せいぜい、あの猫達を強化する程度のもの。ならば……」
エイシスはそう呟きつつ、再び《聖地の印》と《地の利の印》を、今度は部屋の中に向かってかける。場合によっては何らかの力で打ち消されるかもしれないという危惧はあったが、彼がその力を発動させると、部屋の中は神々しい光に包まれ、そして、倒れていた少女達が起き上がり始める。どうやら、少なくとも《聖地の印》の力は発動しているらしい。
「今です! 皆さん、すぐに彼女達の救助を!」
エイシスがそう叫ぶと、従騎士達がすぐさま部屋の中へと足を踏み入れる。魔猫達は彼等に襲いかかろうとするが、ラルフとエルダが身を挺して少女達をかばい、その間にミョニムとアリアが少女達を抱え起こす。
「あ、あなた達は、一体……?」
「もう大丈夫! 助けに来たよ!」
「安心なさい。私達が来た以上、悪夢の時間は終わりです」
ミョニムとアリアが彼女達にそう告げる中、少女達の一人は、地元民であるエルダの後ろ姿に気付く。
「あなたは……、エルダ様!?」
エルダは素顔を鎧兜の下に隠しているため、その素顔は誰も知らないが、それでも、その後姿から判別出来る程度には、カルタキアの人々からは慕われる存在であった。
「さぁ、急いで部屋を出て下さい! 皆さんの大切な人が、街で待ってます!」
背中を向けたままエルダはそう叫び、その隣ではラルフが彼女達に横目で視線を送りながら、戦いの最中に笑みを浮かべる余裕を見せつけつつ、優しそうな声をかける。
「心配するな! 家まで絶対送り届けてやるから!」
そんな彼等に守られながら、少女達はミョニムとアリアによって部屋の外へと連れ出され、そしてラルフとエルダも魔猫達の攻撃を受けながらも部屋の外へ出たところで、入れ替わるようにジーベンが部屋へと入り込み、そして自ら扉を閉めようとする。
「ジーベンさん!?」
「俺の戦いは、情操教育に良くないらしいからな」
彼はそう言ってラルフの目の前で扉を締め切り、少女達の視線が届かなくなったことを確認した上で、魔猫達に刃を向ける。少女達の精神が疲弊していると聞いていて、あえて怖がらせるような
行為を自重していた(故に従騎士達に任せていた)ジーベンであったが、この状況になれば、何も躊躇する必要はなかった。
「さて……、猫駆除の時間だ……」
******
一方、もう一つの戦場では、リカルドとエーギルによってガーゴイルは倒され、そして、魔境の主である女投影体も追い詰められていた。
「その程度で、オレ達を押し切れると思ったのか?」
ジルベルトが手招きするような姿勢でそう挑発したのに対し、彼女は闇の刃で反撃しようとするが、ジルベルトは長剣で受け止めつつ、そのまま受け流すようにかわす。既に彼女の動きは完全にジルベルト達には見透かされていた。
「またか……、またしても私は、この世界では、この似非ウィザード共に……」
どうやら彼女は、これまでにも何度もこの世界に投影され、その度に浄化されるという状況を繰り返してきたらしい(この世界に複数回出現した同一個体の投影体は、過去に出現された時の記憶を覚えていることが多い、というのが定説である)。
「そうか、お前は混沌に弄ばれて、永遠の罪業を繰り返す存在なんだな……」
リカルドがその言葉にどんな想いを込めていたのかは分からない。一方で、フォリアの表情は怒りに震えていた。
「だから、ワタシはウィザードじゃない! 二度とその名で呼ぶな!」
なぜ彼女が「そこ」にこだわっているのかは誰にも分からない。そんな中、コルネリオは後方から誰かが近付いてくる気配を察知する。
(え!? まだ敵の援軍が……)
慌てて後ろを振り返った彼の視界に映ったのは、奥の廊下から走ってくるラルフとエイシスであった。コルネリオは乱戦の最中、いつの間にか当初の立ち位置とは真逆の方面を向いていたのだが、戦闘に集中しすぎてそのことを忘れていたらしい。
「うわ! なんだラルフか……、脅かさないでよ!」
コルネリオが安堵したところで、ラルフが叫ぶ。
「みんな! もう大丈夫だ! 女の子達は保護して、ミョニムさんとアリアさんが介抱してくれている! そいつ、倒しちまって問題ないぞ!」
その声を聞いて、真っ先に動いたのはエーギルだった。
「よぉし! じゃあ、お姉さん、これで『おしまい』だね!」
彼はそう言って大剣を振り下ろすと、既に満身創痍の状態であった女投影体の身体は真っ二つに切り裂かれる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁあああああああああ!」
断末魔の叫びとともに、その投影体の姿は消滅し、そしてその場には混沌核が浮かび上がる。
「お見事でした、皆さん」
エイシスが近寄り、そして聖印を掲げて、その混沌核を浄化吸収する。そして魔境を構成していた混沌は霧散し、その中にいた「異物」である討伐隊の面々と少女達は、魔境の入口の付近、すなわち「街の公園の泉の周辺」へと弾き出されるように帰還する。
「つめたっ!」
一人だけ運悪く「泉の真上」へと飛ばされたジルベルトがそう叫ぶ中、エイシスは全員の無事を確認する。そして、ミョニムとアリアの治療によって無事に介抱された少女達は、エルダやラルフに導かれながら、各自の自宅へと送り届けられたのであった。
☆合計達成値:142(12[加算分]+131[今回分])/100
→成長カウント1上昇、次回の生活支援クエスト(
DB
)に21点加算
ここ数日、カルタキアの市街において、奇妙な事件が多発していた。それまで特に何ら犯罪や揉め事を起こしたこともないような市民が、唐突に「すべてはテラーのために!」という意味不明な言葉を叫びながら、手当り次第に暴れて周囲の建物を破壊して回る、という騒動が各地で繰り返されていたのである。
今のところ、暴走しているのは「ただの一般人」ばかりであるため、大抵の場合はすぐに近くにいた警備兵によって取り押さえられ、大事には至っていない。また、彼等はいずれもソフィア達の聖印を目の当たりにすることによって(明確に「力」を使った訳でもないにもかかわらず)正気に戻っている。その原理は不明だが、その暴走状態自体が「聖印に弱い」ということは、その原因が「混沌による産物」である可能性が高いとも言われている。
なお、正気に戻った彼等の証言によると、彼等はいずれも「謎の売人」から「アビスエール」という名の「正体不明の飲料水」を購入し、それを飲んだことで理性を失って暴れていたらしい。ただ、(これもその飲料水による影響なのかは分からないが)いずれもその売人の「顔」は全く思い出せないらしく、何者による仕業なのか見当がつかない、というのが現状であった。
「水で気が狂うって変な話ネ~ 麻薬でも入ってるのカナ」
第六投石船団の
ミルシェ・ローバル
は、そう呟きながら、町の裏路地へと足を踏み入れていた。そこには「田舎の無人直売所」のような形で、木造テーブルの上に「料金箱」と「何本かの瓶」が置かれている。その瓶には「アビスエール」と書かれたラベルが貼られていた。
上述の通り、当初はこの「アビスエール」は「謎の売人」による手売りで流通していたのだが、カルタキア当局による捜査網が展開され始めたことで、このような形での無人販売方式に切り替えたらしい。ミルシェはこの直売所の位置を噂で聞きつけ、実際に「現物」を確認するために自らこの場へと足を運んだのである。
「エールってことは、要するにお酒ネ。まあ大丈夫でしょ、うち酒強いし」
彼女は実際、これまでに酒で酔い潰れたことも、記憶を無くしたこともない。とはいえ、この
「アビスエール」なる飲料水が本当に酒なのかどうかも分からないのだが、彼女は迷わず、その場で瓶の蓋を明ける。
「いただきまーす……」
勢い良く、その瓶の中身を一気に飲み干す。
「あれ……? 身体が……、あつイ……」
一瞬、彼女の喉元から奇妙な違和感を察知する。
「……な~んてネ♪ ちょっとまずいだけの普通の水だナ。アルコールも入ってないし、これなら全然ダイジョー…………」
ミルシェはそう呟きながら、やがてその違和感が脳全体へと広がっていき、そして意識が遠のいていった。
******
アビスエールによる混乱が町中に広がる中、ヴァーミリオン騎士団の団長アストライア11世(下図)は、
アルス・ギルフォード
を初めとする何人かの団員と共に、治安維持のために町の中を巡回していた。
アストライアは「仲間を守る力」に秀でた聖印の持ち主であるが、彼(彼女?)は盾を有してはいない。彼女(彼?)は極東由来の特殊な「刀」を用いた攻防一体型の剣士なのだが、さすがに一般人を相手に刃物を使う訳にはいかないため、街中で暴走した者を見かけた時には、丸腰のまま独特の体術によって暴徒の動きを封じ、そして聖印を掲げることで少しずつ正気を取り戻させる、という手法で対処していた。
一方、アルスは愛用の盾の表面に緩衝材を貼り付けることで市民の暴走を受け止める、という形で鎮圧活動に参加していたのだが、まさに今、そんな彼女達の前に新たな暴徒達が姿を現した。
「テラーのために!」
「すべてはテラーのために!」
明らかに正気を失った表情のまま、そう言って遅い来る市民に対し、アルスは盾でその攻撃を防ぎつつ、ここで自らの「聖印」で彼等を元に戻せるか、試してみようと考える。実際、これまでにも何人か、「従騎士の聖印」で元に戻った者もいるらしいが、失敗した事例も多い(その違いが、「従騎士側の個人差」によるものなのか、「市民側の個人差」によるものなのかは分からない)。
(精神状態を正すには、きっと「気合を入れるための盾術」が役に立つ筈!)
そう考えた彼女は、盾術の師匠である父の教えを思い出しながら、市民の攻撃を盾で受け止めた状態から、すぐさま盾を背負った上で、少し気恥ずかしそうな表情を浮かべながら、魂を込めた言葉を放つ。
「ギルフォード流……」
彼女はそう言いながら左手で拳を握りながら腰の脇へと向かって引きつつ、右手をピンと指先まで伸ばした状態で左斜め上へと向ける。
「……わらしべ盾術奥義!」
その言葉と共に弧を描くように右手を右上まで回転させた上で、全力で叫ぶ。
「かっこいいポーズ!!」
彼女は右手を握り締めながら腰の脇へと引くと同時に、左手を右斜め上に向けてシャキッと伸ばす。それと同時に彼女の腰の位置から聖印が光り、彼女の体全体を包んでいく。そして、その輝きを目の当たりにした市民の目には輝きが戻った。
「あ、あれ……? 俺は今……、何を……」
その様子を横で見ていたアストライアは、満足そうに静かな微笑みを浮かべる。しかし、その直後、アルスとアストライアの耳に、路地裏の方から奇妙なうめき声のような叫びが聞こえてくる。
「スベテ……、スベテハ……、て……、てらーノ……」
アルスが急いで現場へと駆けつけると、そこにいたのは、弓と矢を手にしつつも、苦悶の表情を浮かべながら、明らかに不自然な姿勢で身体を震わせているミルシェの姿であった。
「あなたは確か、第六投石船団の……」
ミルシェは女性としては長身な部類で、独特の褐色肌と紅い瞳という特徴的な外見ということもあり、他部隊の者達の間でも(名前は知らなくとも)存在自体は知られている。
そして、彼女の背後に「アビスエールの直売所」があり、その足元には空瓶が転がっていたことから、アルスはすぐに事情を理解する。
「そんな……、聖印を持つあなたまでもが……」
これまで、従騎士で暴走状態が現れたという報告はない。それは、売人が一般人相手にしか売っていないだけなのか、それとも聖印の持ち主であれば飲んでも平気なのか、指揮官や従騎士達の間でも見解は分かれていたのだが、この様子を見る限り、どうやら前者だったらしい。
ただ、ミルシェの様子を見る限り、彼女はそのアビスエールによる精神汚染に対して、必死で耐えようとしているようにも見える。ならば一刻も早く彼女を救わなければならないと考えたアルスは、再び盾を背負った上で、苦しんでいるミルシェの真正面に仁王立ちする。ミルシェが矢を射れば直撃しそうな間合いだが、気にせずアルスはその場で両腕を自身の左側にふわっと脱力したような形で伸ばし、「気合を入れるための言葉」を口にする。
「ギルフォード流……」
彼女はそう言いながら、一瞬にして両腕を右側へと向けてピッと伸ばす。
「……わらしべ盾術奥義!」
その言葉と共に腕全体を滑らかに頭上を通過させるように身体の左側へと回転させた上で、全力で叫ぶ。
「かっこいいポーズ!!」
彼女は左肘を曲げて拳を握りながら力こぶを作るように肘から上を立て、その左脇に右拳をかざす。それと同時に再び彼女の腰の位置から聖印が光り、彼女の体はまたしてもその光に包まれていく。目の前でその光を直撃したミルシェは、一瞬にして正気に戻った。
「はぁ~、助かっタ……、軽率な行動で迷惑をかけちゃって申し訳ないネ」
「一体、何があったんですか? 無理矢理飲まされたんですか?」
「いや〜、飲んでみれば効果が分かるかと思ってたんだけど、緊張感が足りてなかった、これから気をつけるヨ」
そんな彼女達のやり取りを、少し遅れてかけつけたアストライアは安堵した表情を浮かべながら眺めつつ、ひとまず「聖印を持つ者であっても、絶対にアビスエールは飲んではならない」という旨を全体に通達したのであった。
******
同じ頃、町の領主であるソフィア・バルカ(下図)の元には、多くの捕らえられた「正気を失った市民達」が集められていた。ソフィアの聖印の力で正気に戻すためであり、実際にこれまで多くの市民が彼女に助けられてきたのだが、ここに来て、想定外の事態が勃発してしまう。
どうやら彼女の元に、今回の事件とはまた別件で「どうしてもソフィアでなければ解決出来ない案件」が飛び込んできたらしい。その内容については「不確定な情報で皆に心配をかけたくない」という意向から伏せられていたが、ひとまず「この日」は彼女はその案件を解決するために領主の館を離れなければならなくなったらしい。
現状、正気を失ったままの市民達に関しては、捕縛した状態であれば一日放置しておいても問題は無い(少なくとも、心身の状態が悪化したり、回復しにくくなったりすることはない)と言われているが、なるべく早目に回復させるにこしたことはない。そこで、彼女は館を後にする前に、それまで自分を手伝ってくれていた従騎士達に「代役」を頼んでいた。
「安心してください。僕たちは皆さんの味方ですから、どうか正気に」
金剛不壊の
ルイス・ウィルドール
は、捕縛された状態で「テラーのために!」と叫び続けている市民にそんな言葉を投げかけつつ、昨日までソフィアがルイスの目の前で市民達を聖印の力でもとに戻したいた時のことを思い出しながら、果たして自分の微弱な聖印で彼等を元に戻すことが出来るのか、と考えていた。
(従騎士の中でも、聖印でこの人達を正気に戻せた人もいるらしい。でも、失敗した事例の方が多い、とも言われている。ソフィア殿達と僕達では、何が違うんだろう?)
少なくとも、聖印の規模が桁違いであることは明白である。そして、指揮官達の聖印とは異なり、ルイス達の聖印は彼等の聖印から分け与えられた「従属聖印」である。しかし、それ以外にも何か「君主としての根本的な違い」があるような気がしてならない。
(僕は将来、子爵級の聖印を継ぐことが定められた立場にある。今の艦長やソフィア殿の聖印を超える規模の聖印を持つことになるけど、僕がその聖印を手に入れただけで、今のあの人達のような存在になれるとは思えない……。きっとそこには「君主を君主たらしめる何か」が、聖印の他にも存在するのだと思う……)
ルイスの中では、まだその答えが見えていない。しかし、このカルタキアでの任務を通じて、指揮官達や他の従騎士達から何かを学ぶことで、その問いに対する自分なりの答えを導き出したい、そんな想いを抱きながら、ルイスは一人の君主として、目の前の市民に対して「今の自身の想いを込めた聖印」を掲げる。
すると、狂気に取り憑かれていた市民の表情が、少しずつ和らいでいく。
「君は……、誰だ? 俺は、なぜ、縛られて……」
そう呟きつつ、これまで騒ぎ続けていたことへの反動からか、市民はそのまま意識を失う。しかし、顔色を見る限り、身体そのものには悪影響が残っている様子はない。
「えへへ、良かったです。今度から、怪しい飲み物とかには、気を付けてくださいね」
その声が届いているのかどうかは分からないが、ひとまずルイスの中では「自分が君主として生きていくための足掛かりとなる何か」が掴めたような気がした。
******
そんなルイスの傍らで、鋼球走破隊の
フォーテリア・リステシオ
もまた、彼と同様に暴走状態のまま束縛されている市民の目の前に立っていた。
しかし、彼女の心の中では、従騎士としての使命感や、市民への憐憫もしくは同情といった想いとは全く無関係の、個人的な好奇心の方が高まっていた。
(人を支配する水。ただの暴走ではない。その詳細こそは不明だが、何かのために尽くそうとしている。その時の心理、心の揺れ動き。興味がある)
彼女はそんな思惑を抱きながら、改めて目の前の狂える市民を凝視する。
(是非とも直接聞いてみたい。どうしてその行動をしたくなったのか。そしてそこから……、その現象を望んでいる者が何を目的にしているのかが知りたい)
彼女自身、なぜ自分がそこまで彼等の真理に興味を抱いているのか、はっきりとは分かっていない。それでも、うっすらとした「憶測」は自分の中で形成されつつあった。
(……きっと、興味があるからだ。人との出会いは……、わたしに『望み』を叶えさせてくれるかもしれないからだ。それは良い人であれ、悪し人であれ……。知る事はきっと、わたしの未来に繋がるからだ)
心の内でそんな自己分析を繰り広げながら、彼女は自身の聖印を市民の前に掲げる。
「さぁ、きみの話を聞かせてくれ。今のきみの心がどうなっているのか、わたしはそれが知りたいんだ。だから、まずは『きみの言葉』で話せる状態まで戻って欲しい」
フォーテリアが静かにそう呟きながら聖印を輝かせると、それまで虚ろであったその市民の目の焦点が、彼女の聖印へと合わさっていく。
「聖印……? ソフィア様……? いや、違う、この聖印は……」
「すまないね、わたしは『ソフィア様』ではないんだ。ご期待に添えなくて申し訳ないが、少し、わたしと話をしてくれないか?」
「え……? あなたは……?」
「私はフォーテリア。きみの心に興味がある者だ。まあ、より正確に言えば、『今のきみ』ではなく、『きみがきみで無くなっている間のきみ』の心への興味、なのだけど」
「あなたは、なにを言って……?」
「とりあえず、ゆっくり話を聞かせてくれ。つい今しがたまで、きみが何を思っていたのか、きみの心がどうなっていたのかを」
フォーテリアはそう言って話を聞き出そうとするが、結局、この市民は自分が暴走状態にあった時のことは全く覚えておらず、フォーテリアが満足出来るような答えは引き出せなかった。
(ダメだったか……、他の人で試してみてもいいけど、結果は変わらないだろうな……)
彼女がこのような「特殊な心理状態の人間」に興味を抱く心理の深層には、彼女が自分自身の心を理解出来ていないが故の不安感がある。彼女は自分が「善なるもの」を愛するのか「悪しきもの」を愛するのかが分からない。自分自身の行動原理が自分で理解出来ていない。だからこそ、彼女は「理解できないような行動をする人」と接することで、「理解出来ない自分」を理解出来るようになるのではないか、という期待を無意識のうちに抱いているのだが、自分がそのような思考に至っているということ自体、彼女自身、自覚も自認も出来ていなかった。
******
同じ頃、星屑十字軍の
ポレット
もまた、暴走した市民の症状を治そうと尽力していた。彼女は実家では「『民』でなく『自らの家の権力』のために動き、そのためにあらゆる手段を厭わないようになるための教育」を受けていた。そして、もし混沌災害による村の壊滅が起きなければ、その『教育』が染み渡り、無自覚のままに「今の自分の『理想の君主』からほど遠い存在」になっていたと感じている。だからこそ、彼女は「人を操り、意志を縛りつけること」を最も恐ろしいことの一つと考えていた。
(自分で考える意志を奪われるということは、絶対にあってはならない。なんとしても、お救いしなくては……、そのための聖印なのだから……)
彼女はそう心に誓いつつ、市民の前に聖印を掲げる。しかし、そんな彼女の想いとは裏腹に、いくら聖印の光で照らしても、その市民の表情も目の色も全く変わらなかった。
「全てはテラーのために!」
明らかに「意志」を失った状態でそう叫び続ける市民を前にして、ポレットは恐怖と絶望に苛まれる。
「どうして……? 私の心が届かないのですか? 私の聖印には、人の心を救える力は宿っていないのですか!?」
打ち拉がれそうな気持ちでポレットがそう叫ぶ中、潮流戦線の
ハウラ
がその場を通りかかった。 彼女は、暴走の末に負傷した市民達の治療のために奔走していたのである。
「その人、怪我してるっすね」
ハウラは暴走状態の市民の縛られた右手を見ながらそう言った。どうやら彼は、素手で手当り次第に暴れている間に拳を痛めてしまったようで、明らかに右手が腫れ上がっている。
「まだ、治療は出来ない状態っすか?」
ハウラはポレットにそう問いかけた。基本的にハウラは「正気に戻った市民」を相手に治療を施している。さすがに暴走状態のままでは、おとなしく施術を受けてもらえる筈もない。
「すみません、私の聖印の力が至らないばっかりに……」
「いや、それは仕方ないっすよ。私(アタシ)らはまだ見習いなんですし、ソフィア様みたいにはいきませんって」
ハウラはそう呟きつつも、このまま放置して良いものとも思えなかったので、彼の前に立ち、自分の聖印を掲げてみる。
「全てはテラーのために!」
結果は変わらなかった。
「うーん……、これはもう、ソフィア様が帰って来るまで待つしかないんじゃないっすかね」
彼女がそう呟いたところで、突然、辺り一面に「奇妙な歌」が聞こえてくる。それは、この場にいる者が誰一人歌詞の意味を理解出来ない
謎の異界の歌
であった。
「この声……、アントレさん?」
ハウラはそう呟く。そう、この歌声の主は、金剛不壊の従騎士、
メル・アントレ
であった。彼(彼女?)は領主の館の前に立ち、まだ暴走状態が解けない市民達を相手に、歌の力で心を取り戻す手助けをしようと試みていた。なお、なぜ「異界の曲」を選んだのかは彼女(彼?)にしか分からない(昔どこかで聞いた曲らしいが、本人も歌詞の意味は分かっていない)。
「なんでしょう、言葉の意味は分かりませんが……、なぜか、心が安らぐ気がします……」
異界文化とは縁遠い筈の聖印教会のポレットが、思わずそう呟く。それが「異界の言霊」の力なのか、メル自身の歌声の力なのかは分からないが、確かにその場にいる者達の心は奇妙な「和み空間」の中に包まれていく。そして、それは正気を失っている者達も同様であった。ポレットとハウラの前にいる市民も、先刻までに比べて、少し表情が和らいでいるようにも見える。
「あ、今ならイケるんじゃないっすかね?」
「確かに……、じゃあ、その……、一緒に聖印を掲げてもらえますか?」
「いいっすよ!」
二人はそんな言葉を交わしつつ、二人がかりで聖印をその市民の前に掲げると、それまで頑なに彼の心の中から離れようとしなかった「謎の狂気」が、ようやく彼の表情から消えていくのを実感する。しかし、彼はそれまで散々暴れていた反動からか、すぐに気を失ってしまった。
「だ、大丈夫でしょうか……?」
ポレットが心配そうな瞳で見つめる中、医術の専門家でもあるハウラが状況を確認する。
「脈は正常。多分、眠ってるだけっすね。今のうちに、右手を治療させてもらいますか」
ハウラはそう呟いて鞄から包帯を取り出しながら、ポレットの持っている聖印教会のシンボルに気付いて、ふと問いかける。
「ところで、あなた、星屑十字軍の人っすよね? ワイスさんって、今、どこにいるかご存知だったりします?」
「あ、はい。今はその、領主様の館の貯蔵庫で、例の『アビスエール』について調べているって聞いてますけど……、お知り合いなのですか?」
「まぁ、そんなところっす。ちょっと手伝ってほしいことがあるって言われてるんで、この人の治療が終わったら、そっちに行きますね」
二人がそんな会話を交わしている間に、メルは「異界の歌」を最後まで歌い終え、近くにいた者達からは拍手で讃えられる。
「とりあえず、少しは役に立てたかな」
メルは笑顔でそう呟きつつ、何処へともなく立ち去って行った。
******
そして、ハウラよりも少し遅れる形で、領主の館の貯蔵庫へと向かっていた従騎士がいた。星屑十字軍に所属する15才の銀髪の少女
リューヌ・エスパス
である。
彼女は当初、一般人達が事件に巻き込まれていると聞き、自軍の総帥であるレオノール・ロメオ(下図)と共に現場へと急行したのだが、既に現場の治療班の人数は足りていた。むしろ不足しかけているのは「気付け薬」であるという。
この世界における「気付け薬」と言えば、精神力を即座に回復させる一般的な市販薬であり、聖印や魔法の力を行使する者達は常備していることが多い。今回の事件においては、暴走した市民達が正気に戻った時点で心が疲弊していることが多いことに加えて、彼等を元に戻すために聖印の力を用いる従騎士達も気力を消耗するという事情もあり、既に町の中の薬局の中で気付け薬が品薄になりつつあるらしい。
「さすがに、そこまで逼迫していたのは想定外だったな……、そういうことなら、とりあえず、僕はまず皆の気力を取り戻すことに専念しよう」
レオノールはそう呟きつつ、多くの人々が集まっている中で、《奮迅の印》の力を発動させると、その輝きを得た従騎士達は、心の力が満たされていくのを実感する。とはいえ、やはり元の原因を絶たない限り、状況は改善しない。
(この事件にも混沌が関係している可能性が高い。だとしたら、あの時の私の経験が役に立つかもしれない……。今私がやるべきことは、この異常事態の原因の正体を突き止めること!)
リューヌはそう判断した上で、レオノールから(同じ星屑十字軍の)ワイスが領主の館の貯蔵庫でアビスエールの中身を調査中だという話を聞き、そちらに向かうことにしたのである。
そして彼女が領主の館の貯蔵庫へと足を踏み入れると、そこにはハウラの手で身体に拘束具を装着させられている
ワイス・ヴィミラニア
の姿があった。
「ワイス様!? 一体、何を!?」
衝撃的な光景にリューヌが驚きの声を上げたのに、対し、ワイスは平然と答える。
「リューヌ同輩、心配することはないですよ。私が暴れないように、彼女に私の身体の自由を奪ってもらっているだけですから」
「……どういうことですか?」
「私はこれから、実際にアビスエールを飲んで、その成分を確かめてみようと思います」
「なんですって!? それは先刻、『やってはならない』という通達が出ていた筈では?」
ミルシェの一件は既にヴァーミリオン騎士団経由で街中に広まりつつあった。しかし、それはあくまでもアストライアという「一指揮官の独断に基づく指示」にすぎない。
「まだ正式にロメオ総帥やソフィア盟主から通達が届いた訳ではありません。だからこそ、その前に実行して確かめるのです。心配はありませんよ、ハウラは君主見習いであると同時に、医者見習いでもありますから、拘束具の安全面も心配ありません」
「そ、そうですか……」
目の前で繰り広げられている異様な光景を前にしたリューヌはまだ困惑した様子であったが、机の上に置いてあるアビスエールの瓶に気付き、ひとまずそちらに視線を向ける。
「これが、例の飲料水、ですか……?」
「えぇ。しかし、ただ眺めていても、その正体は分かりません。やはり、実際に自分で試してみるしかないのです。人の意思を無視し、洗脳暴走させる今回の手腕に当方、腸が煮え繰り返っておりますので、一刻も早く解明しなければ」
「確かに、それはそうですが……」
「最悪の場合、ハウラかリューヌ同輩が聖印の力で私を止めてくれると期待しています。それでもダメな時は、ロメオ総帥に《浄化の印》をお願いして下さい」
「……分かりました!」
リューヌが強い決意の瞳でそう答える一方で、ハウラは内心で「まぁ、私はさっき一回、失敗してるんすけどね」と呟きつつ、拘束具の装着を終え、そしてアビスエールをワイスの口元へと近付ける。
「では飲みます。ハウラ、後の事は頼みました。当方がこれの影響で口走っても内密に」
何を「内密」にすべきなのか、事情を知らないリューヌにはよく分からなかったが、彼女が注視する中、ワイスの身体の中にアビスエールが注がれる。次の瞬間、彼女の表情に変化が生じた。
「ぐ……うぁ……」
ワイスは自分の頭の中に入ってくる「何か」の存在に気付く。そして、すぐにその顔色も悪化していった。
「す、すべては……」
そして、その「何か」が脳全体へと広がろうとするのを実感し、それに対して必死で意識を集中させて、耐えようとする。
「す、すべては……、テ、テラーの為に……」
そこまで口にしたところで、彼女は語気を強めた。
「……など……愚かしい!この程度の洗脳程度で当方の誓い、執念を塗り変えるなど出来ないと知れ!」
そう叫ぶと同時に、ワイスの表情も顔色も正常状態に戻る。
「この程度とは残念です。当方の野望に使えればと思いましたが、てんで期待外れでしたね」
少し疲弊した様子を浮かべながらも、ワイスはそう呟く。
「野望?」
「あぁ、お気になさらず、リューヌ同輩。とりあえず、飲んだ直後に何者かの『声』が聞こえてくるのは実感しました。それがどこから来るのかを確かめたかったのですが、残念ながら、そこまで特定は出来ませんでしたね……」
「なるほど……」
「おそらく、身体には直接的な影響はないと思います。毒の類いではないと言えるでしょう。むしろ、気付け薬を使用した時のような感覚と言うか……、まぁ、薬と毒は表裏一体とも言える訳ですが……」
ワイスがそこまで言ったところで、リューヌは何かに気付く。
「そうか……、気付け薬……!」
「どうしたんすか?」
ワイスが首を傾げる中、リューヌは自分の思考を整理しつつ答える。
「昔、私の故郷で、『混沌災害によって汚れた水』を飲んだ人々が発狂したことがあったのです。その水はもともと『気付け薬』を生成する時の材料の一つとして用いられていた湧き水で、混ぜ込んだ成分を即座に脳全体に行き渡らせる効能がある、と言われていました。ですから、ワイス様が気付け薬と同じような効果を感じたということは、この飲料水にも気付け薬と似た成分が混ぜ込まれているのかもしれない」
リューヌはそこまで言った上で、先刻の「現地の医師の人々」の話を思い出す。
「そして今、町の中で気付け薬が不足しかけているそうです。アビエスエールの被害が広がっているとはいえ、そこまで早く枯渇するものなのかと疑問だったのですが、もしかしたら……」
「……この薬を作るための材料として、大量に使われているかも、ってことっすか?」
「はい。町の中で売られている気付け薬を大量購入した上で、それらを分解し、その中に入っている一要素だけを悪しき混沌の力と混ぜ合わせて、この『アビスエール』を作ったのではないかと。実際、そのような形で合成薬を作り出せる魔法師もいる、と聞いたことがあります」
このカルタキアでは魔法の力は通用しないと言われているが、それはあくまでも「エーラムによって生み出された技術に基づく魔法」の話であり、投影体の者達が繰り出す「異界の魔法(のような何か)」に関しては、必ずしもその限りではない。
リューヌのこの仮説を聞いた上で、ワイスもまた(拘束された状態のまま)思考を巡らせる。
「だとすると、この町の薬屋の人々に確認してみる必要がありそうですね。この事件が起き始める時期よりも少し前あたりに、気付け薬を買い占めした人がいるかどうか……」
ワイスはこの件について、現在カルタキア内で今回の件について捜索中の「幼馴染」に確かめてもらうことにした。
******
それから数刻後、ワイスとハウラの幼馴染であるヴァーミリオン騎士団の
ヴィクトル・サネーエフ
は、カルタキアの一角で薬屋を構えている女主人から話を聞いていた。
「あー、確かに最近、気付け薬を大量に買いに来てる人はいるね。てっきり、町を守るために戦ってくれてる駐留部隊の人かと思ってたんだけど……」
「その人物の顔は、覚えているか?」
「まぁ、何度も来てたからね。そりゃあ覚えてるよ」
これは貴重な情報である。これまで薬を売人から直接買った者達は、正気を取り戻した後でもなぜか顔が思い出せないと言っていたが、どうやら彼女は薬を服用していないため、はっきりとその顔が分かるらしい。
「では、捜査に協力してほしい」
ヴィクトルはそう告げると、ひとまず店番は他の従業員に任せた上で、女主人を自身の後ろに乗せる形で騎乗し、街中を駆け巡って「その購入者」を探すことにした。その女主人はどちらかと言えば小柄な体型だが、馬上からならば広い視界で街中を探すことが出来る。
「馬に乗るのなんて何年ぶりか分からないけど、あんた、いい腕してるね。いい乗り心地だよ」
「お褒めにあずかり、光栄だな」
「ただ、さっきから気になってたんだけどさ、あんたの身体って、なんかちょっとつめ……」
女主人はそこまで言いかけたところで、声を張り上げる。
「……あの人だよ!」
彼女がそう言いながら指差した先には、豹柄の上着を着て、色眼鏡をかけた背の高い男性であった。ヴィクトルは騎乗した状態のまま、その男の元へと向かう。
「そこのお前、ちょっと話を聞きたい」
ヴィクトルがそう問いかけたのに対し、豹柄の上着の男は軽薄そうな声で答える。
「おや? 何か御用ですかい? 駐留軍の騎士サマ?」
「この店主の店で大量の気付け薬を買っているというのは、お前で間違いないか?」
男は馬上の女店主を見ながら、ニヤリと笑いつつ答える。
「えぇ、よく利用させてもらってますが、それが何か?」
「その大量の気付け薬を、何に使ってる? お前一人で使い切れる量ではないだろう?」
通常、気付け薬は一日一回程度の使用が推奨されており、それ以上使っても効果はないと言われている。
「いやー、まぁ、転ばぬ先のなんとやらというか、こんな魔境に囲まれた街だと、いつ何時必要になるかも分からないじゃないですか。買える時に買っておこうと思っただけですよ」
「では、使わずにまだ持っている、と?」
「んー、どうですかねぇ、知り合いにあげてしまった分もあるし、どれだけ残ってるかは、ちょっと覚えてないですねぇ」
「その知り合いというのは?」
「まぁ、海上商人とか、色々ですよ。もうこの街にはいないかもしれない」
はぐらかすような口調でそう語る男に対し、ヴィクトルの中での疑惑が高まっていく。
「では、今、この街にいる中で、誰か身元を保証出来る者はいるか?」
「えー? いやだなぁ、旦那、オレのこと、何か疑ってるんですか? ただの善良な旅人ですよ〜」
「それを判断するのは俺の仕事じゃない。とりあえず、ウチの団長殿か領主殿の元まで、同行してもらおうか」
「んー、困ったなぁ、オレもそんなに暇じゃないんでねぇ。また今度にしてもらえます?」
「悪いが、そういう訳にもいかない。状況は既に逼迫しかけているんでな」
「そっかぁ……、じゃあ、しょうがないなぁ……」
男はそう呟きながら、一瞬にしてその身体を「異様なまでに長い爪を持つ、二足歩行の豹(下図)」の姿へと变化させる。
+
|
二足歩行の豹 |
(出典:『チェンジアクションRPG マージナルヒーローズ』304頁)
|
「貴様! 邪紋使いか!?」
「ハズレ! まぁ、答えてやる義理もないけどな!」
豹男はそう告げると、爪を一旦収納(?)した上で、四足状態となり、全力でその場から走り去っていく。
「待て!」
ヴィクトルはそう叫んで後を追おうとするが、自分の背後に女主人がいることを思い出す。
(彼女を連れた状態での追撃戦は、彼女の身に危険が及ぶ可能性がある……、しかし、彼女をここで下ろしている間に逃げられるかも……)
彼の脳裏にそんな苦悩が浮かんだ瞬間、その視界に別の「騎乗した従騎士」の姿を発見する。星屑十字軍の
コルム・ドハーティ
であった。コルムは、現在町の中で市民が暴れて建物を壊す事件が起きていると聞き、その詳しい事情も知らないまま、ひとまず辺りを見回せるように馬を借りた上で、不審人物がいないか見回っていたところだったのである。
「そこのお前! その豹を追ってくれ!」
「え? 豹?」
コルムは困惑しつつも、確かにその視界内に奇妙な豹が走っている姿を捉える。
「今回の暴走事件の容疑者だ!」
豹が容疑者と言われてもコルムには全く意味が分からなかったが、確かにその豹からは混沌の気配を感じたこともあり、すぐさまその言葉に従って、豹を追いかける。
「待て! 穢らわしき混沌の魔物め!」
「は! そんな駄馬で、オレの脚についてこれる訳ないだろう!」
純粋な豹と馬の脚の速さを比べた場合、スピードに特化する形で調教した競争馬ならば豹に勝る。だが、コルムが借りていたのはやや高齢の乗用馬であり、そこまでの脚力があるようには見えなかった。
しかし、それでもコルムはその豹を見失わずに追走を続けていく。コルムの強い混沌への憎しみが乗り移ったかのように、彼を乗せたその馬は、引き離されないどころか、むしろ少しずつ距離を詰める程の勢いで豹を猛追していた。しかし、完全に油断しきった豹はそのことにも気付かないまま、後ろを振り返ることもなく、町の外へと飛び出したまま疾走を続けていく。
そして、一件何もなさそうな荒野の中、その豹の進む先に「奇妙な砦のような形状の建物」が見えてきた。それはカルタキアにおけるソフィアの館と同程度の大きさであり、その豹はその建物の中へと逃げ込んでいく。明らかに周囲の光景から浮いているので、おそらく最近になってこの地に投影された建物であろうということは推察出来る。
(あれが、あの魔物の本拠地か!)
コルムは更に馬脚を早めて乗り込もうとするが、このタイミングで、ここまで本来の力以上の脚力で走り続けてきた馬が、その疲労の蓄積により、バランスを崩してしまう。
「おぉぉっっと」
コルムはかろうじて受け身を取りながら着地したことで、怪我はなかったが、この馬にはもはや全力で走る気力が残されていないのは明白であった。
「仕方がない、借り物の馬をここで使い潰す訳にはいかないし、おそらくあの建物の中だと、馬は使えないだろう。一旦、馬を返しに戻るか……」
混沌の本拠地を目の前にした状態で引き返すのはコルムとしても無念であったが、そもそも今回の事態の全容すら知らされていないという状態だったこともあり、ひとまずこの場は街へと帰還することにした。
******
その日の夜、ソフィアが館に帰還する。その頃までには、ルイスやフォーテリア達の尽力もあり、暴走していた市民は全員、正気に戻っていた(なお、その後の調査を通じて判明した情報によると、ポレットとハウラが正気に戻した相手は、他の者達に比べて約2倍の量の飲料水を摂取していたらしい)。
「うむ、よくやった。どうやら、既におぬし達には『一人の君主としての心』が宿っているようじゃな」
その言葉の真意については語らないまま、彼女はコルムとヴィクトルから「豹男」と「謎の建物」についての話を聞いた上で、ひとまずその建物への調査令を出すことにしたのであった。
☆合計達成値:188(43[加算分]+145[今回分])/100
→次回「魔境探索クエスト(
AE
)」発生確定、その達成値に44点加算
現在のカルタキアには大陸各地から従騎士達が集まっているため、必然的に彼等が生きていくための食料需要は高まり、それに加えて多様な食文化で育ってきた者達が混在することで、食のバリエーションを求める声も広がっていた。
領主ソフィア直属の従騎士である幽幻の血盟の
レオナルド
は、彼等の要望に答えるべく、新食堂の経営に協力することになった。食材に関しては、駐留部隊の指揮官達がそれぞれの人脈で紹介した商人達から提示されたサンプル商品を吟味しつつ、予算と照らし合わせた上で、何をどこまで購入するかを決める必要がある。この日は、作りかけの新食堂の控室にて、金剛不壊のラマン・アルト(下図)と共に、彼が紹介した商人から提示された商品の吟味にあたっていた。
その商人が最も強く推しているのは、ハルーシア原産の燻製豚である。もともとハルーシアは豚肉の名産地として有名であり、輸出品としてはそれなりに日持ちする燻製肉が主産業の一つとなっている。
「いかがかな? この味でこの値段なら、悪くないと思うのだが」
ラマンが自慢気にそう語る中、レオナルドは一口含んでみた上で、ゆっくりとその臭い、味、感触を確認する。
「そうですね……、確かに、このカルタキアでこの味を楽しめるということであれば、喜ぶ人は多いでしょう。ただ、今の予算だと、それほど大量に入荷は出来ないと思います。今のカルタキアにはそこまで富裕層と呼べる程の有産階級が育っている訳ではないですから、この豚肉を得るための経費を踏まえた上での料金設定では、なかなか簡単には手が出ないでしょう」
「まぁ、そうだろうな」
「ですので、まずは期間限定品として、魔境討伐記念などの時に振る舞う、という形で導入するのはいかがでしょう? その上で、『この味が忘れられない』『値段が高くてもいいから、また食べたい』という声が多ければ、本格導入も検討する、という形で」
「なるほど。ただ、その戦略でいくなら、あえて戦勝時の限定品のままにした方が、皆の士気が上がるかもしれないぞ」
「その辺りの方針については、またソフィア様とも相談してみましょう。ところで、実はラマン様に一品、吟味して頂きたい品があるのですが……」
レオナルドはそう言って、近くにあった箱の中から、一本の酒瓶を取り出した。
「こちらは、カエラ様から紹介して頂いた商人の方から渡された、ハマーンの赤ワインです。私はまだお酒の味の良し悪しが分かるほど成熟した舌ではないので、ぜひラマン様に御判断頂きたいと思いまして」
「ほほう、なるほど。どれ、ではさっそく……」
ラマンはそう言って、近くの仮戸棚の中にあったワイングラスを手にすると、レオナルドがそこへワインを軽く注ぎ込む。ラマンは優雅な仕草でそのワインを口にしつつ、舌の上でゆっくりと転がしながらじっくりと味わう。
「やや甘口、だな。個人的にはもう少し酸味が強い方が好みだが、これはこれで若い連中には喜ばれるだろう。ただ、ワインはあくまでも料理と共に楽しむもの。特に赤は肉料理と一緒に味わいたいところだが、カルタキアでは、どちらかと言えば魚料理が主流ではないか?」
「今まではそうでした。しかし、この近隣でも狩猟出来そうな土地が無くはないので、それについては今、第六投石船団の方々が野生動物の狩りに出向いて下さっています」
「ほう、それは楽しみだな。出来れば牧場とか、定期的に家畜を飼育出来るようになれば良いと思うのだが」
「かつてのカルタキアでは、そのような文化も無くは無かったようなので、魔境の浄化が進んで利用可能な土地が増えれば、それも可能になるかもしれませんね。あと、お酒との組み合わせという意味では、実はこんな品もあるのですが……」
そう言ってレオナオルドは、奇妙な形状の缶詰を取り出した。
「なんだ、それは?」
「タウロス様が持ってこられたブレトランドの珍味で、『蟹の内蔵』だそうです」
厳密に言えば、これはブレトランドの伝統的な食材ではない。ブレトランドの一角に住む「特殊な投影体」が生み出す異界の食物である。
「私も一口食べてみたのですが、どうにも特殊な味というか……」
「ふむ、どれどれ……」
そう言ってラマンは一口食べた上で、「これを食材として使えるかどうかは、料理人の腕次第だな」とだけ言い残し、その場を後にした。
******
一方、ヴァーミリオン騎士団の
ハウメア・キュビワノ
は、自分達の食料を自分で育てようと考え、カルタキアの人々とも協力して、農耕地の開墾に乗り出していた。
「すぐにでも生産に入りたいからー、森は後回しにして、そーげん地帯を開墾するよー!」
彼女は協力者達にそう告げつつ、持ち前の農業知識を生かして、10年前の混沌災害以来、活用されていなかった土地の再開発を始めようとしていたのである。
「まずは、水路を引くよー。そこに打ってある杭に張った紐をちゅーしんに……」
相変わらず、どこか気が抜けた口調だが、エーラムから実質的に見放された状態にあるこの地の人々は、魔法だけでなく、こういった治水や農耕に関する最新技術すらも伝わっていないため、そのエーラムから来た彼女の言うことには、半信半疑ながらも素直に従っている。
実際のところ、ここで畑を開墾したところで、その努力が実る頃まで彼女達がこの地にいるかどうかも分からない。しかし、だからこそ、そのような立場でありながらも街の発展のために協力してくれているハウメアの姿勢は、村の人々の間では好印象だった。
「あ、その2本の紐の間は道にするから、掘っちゃダメだよー!」
そんな指示を出している中、周囲の混沌災害への警戒のために同行していた鋼球走破隊の隊長であるタウロス(下図)が彼女に声をかける。
「念のため一通り見て回ってみたが、今のところ、混沌濃度も落ち着いてるし、農地として使うには問題なさそうな土壌だな」
「それは良かったです。いくら頑張って開墾しても、混沌の収束一つで、全てが台無しになってしまいますからね」
「とはいえ、油断は禁物だ。なるべく定期的に、従騎士が巡回しておいた方がいいだろう。まぁ、それはココだけに限った話じゃねぇけどな」
実際、いくら警戒したところで、起きる時は起きる。だからこその「混沌」なのである。
「で、まずは何を植えるつもりなんだ?」
「とりあえず、ハルーシアのオレンジと、イスメイアのブドウの木を。すぐに収穫出来るように、成木を輸入しました」
そんな話をしているところで、彼女に頼まれて港に「お使い」に行って来た住民が、片手で持てる程度の黄土色の箱を持って帰ってきた。
「ハウメアさん、例の商人から、品物を受け取って来ました」
「ありがとー」
「正直、中身を見てもよく分からなかったんですけど、これ、何なんです?」
「これはねー、玉葱の種ー。冬が楽しみだねー?」
「へー。他には、何を植える予定なんです?」
「そーだねー。とりあえずー、夏に食べれるのは、ダルタニアからのトマトとスイカだよー! そのうち、サンドルミアのじゃがいもの種芋も届く筈だけどー、暑さに弱いから、春のうちにしゅーかくしてねー!」
そんな話をしているうちに、やがて陽も暮れて、この日の作業は終了となる。
「みんな、お疲れ様ー! 明日は、いよいよ新しー作物を植えていくよー!」
ハウメアは協力者達にそう告げた上で、満足そうな様子で帰宅していった。
******
「ユージィちゃん! デーツわけてもらったよー! 甘くておいしーよー? 罠に使うやつだけどー」
「ありがとーなのー! 喜んで使わせてもらうのー!」
ユージアルは笑顔で受け取る。ちなみに、デーツとは、ナツメヤシの実のことである。ユージアルはこれから、第六投石船団の者達と共に野生動物の狩猟へと赴く予定であり、そのために必要な「罠用の餌」を探していたのである。
用件を済ませたハウメアがそのまま自分の農場へと向かうのを見送った上で、ユージアルは同僚の
グレイス
と合流し、カルタキアの近辺の「見晴らしの良い草地」へと赴いた。
「魚にはもう飽きた、という声も多いですし、ここで陸の動物を狩れれば良いですね」
「レオナルドさんのアドバイスを活かして、『待ちガイル作戦』するの!」
ユージアルが言うところの「待ちガイル作戦」とは異界語の一つなのだが、その意味は彼女自身もよく分かっていない(なんとなく「万全の準備を整えてチャンスを待つ」くらいのニュアンスで使っているらしい)。彼女は草地の一角に、動物の足を止めるための罠を仕掛け、ハウメアから貰ったデーツを設置し、いつでも弓を引けるように準備した上で、その近くに身を潜める。
(落ち着くの……、ちゃんとロゼさんに教わったことを思い出すの……!)
ユージアルは、カエラへの憧れから弓を主武器としているが、まだその腕は未熟で、実戦経験も乏しい。先日、訓練場にてローゼルから弓の手解きを受けた彼女は、その技術を実戦でも活かしたいと思い、今回の狩猟計画に参加することにしたのである(なお、仕掛けた罠を踏んだ人が怪我をする恐れがあるため、事前に狩りに参加する人および周辺の住人には罠の存在や設置位置、解除方法などを周知してある)。
一方、グレイスはユージアルとは少し離れた場所から、弓を手にした上で獲物の気配を探っていた。
(一撃で仕留められそうな大きさの獲物なら、一撃で決めよう。大型の獲物が現れたら、その時は……)
彼がそう考えていると、その視界に角の生えた細身の獣の姿を発見する。
(あれは……、ガゼルか? 一撃で仕留められるかどうかは微妙な大きさのようだな。それなら……)
グレイスはその獣に気付かれないようにポジショニングしつつ、そのガゼルらしき獣に向かって、罠のある方向へと逃げさせるような形で誘導の矢を放つ。すると、その獣はグレイスの思惑通りに罠の元へと走り出し、そしてユージアルの思惑通りに「罠」に脚を引っ掛ける。そこへユージアルとグレイスが同時に矢を放った結果、そのガゼルのような獣は息の根を止められた。
「やったのー!起き攻め昇竜でわからせてやったの!マンメンミなの!!」
「起き攻め昇竜でわからせる」とは、ユージアルの中では「最後まで油断せずキッチリとどめを刺す」というようなニュアンスの言葉であり、「マンメンミ」とは異界のイカの言語らしいが、これについても意味はよく分かっていない(元来は「やったぜ!」「ナイス!」というような感情、もしく単純に挨拶などとして用いられているらしい)。
「やりましたね。では、ひとまず血抜きを……」
そう言ってグレイスが獲物に近付こうとした時、上空から「鳥らしき何かの断末魔の鳴き声」が聞こえてくる。即座に見上げると、矢で身体を射抜かれた大型の雉のような鳥が、ユージアルの真上に落下しようとしていた。
「ユージアルさん、上!」
「え…………? はぅあ!?」
慌ててユージアルはその落下物から身を交わす。この時点で、既にその鳥は絶命していた。
「お前達の方も、無事に一頭、仕留められたみたいだな」
そう言って、二人の前に第六投石船団の指揮官カエラ・ミゲル(下図)が現れる。
「お姉さま!!」
「これは、剛健にて麗らかなる弓兵様」
どうやらカエラは二人に全く悟られないまま、いつの間にかユージアルの真上を飛んでいた雉のような大型鳥を一矢で仕留めていたらしい。
「この辺り、思っていた以上に狩場としては有用なようだ。この調子で、狩り続けるぞ!」
「はい!」
「分かりましたなの!」
こうして、その後も彼等は手持ちの矢が尽きるまで、この地で狩猟活動を続けることになった。
******
様々な方面から多様な食材を提供しようとする動きがある中、仮設中の新食堂の調理室では、それらの食材を活かすための技術も、従騎士達の間で共有されつつあった。
ヴェント・アウレオの
アイリエッタ・ロイヤル・フォーチュン
は、カルタキアで捕れた魚を、かつて海賊船で食べた手法で調理していた。その傍らでは、サポート役として彼女を手伝う潮流戦線の
リンズ
が、竈の火加減を調整している。
「火の強さ、これくらいでいいですかね?」
「んー、そうだな……、出来ればもう少し、強目で」
「分かりました」
この世界において「火」を操ることは難しい。混沌の作用によって、いつ暴発するかも分からないため、常に細心の注意が必要となるのだが、リンズは慣れた手付きで竈から発生する炎を器用に制御していた。
「よし! 出来たぜ! 喰ってみな!」
そう言ってアイリエッタは藻塩を用いた焼き魚をリンズに試食させてみる。
「なんだか、『海の香り』を感じますね。素材の味をそのまま生かしているというか……」
「だろ? まぁ、魚焼いただけなんだけどな!!めっちゃ美味いんだよ!これ!!」
アイリエッタは満面の笑みでそう語る。実際のところ、リンズも元来は海洋国家であるノルドの出身であり、魚料理にはそれなりに長けているのだが、同じ焼き魚とは言っても、やはりそれぞれの地方ごとに微妙に手法の違いはあり、それぞれに独自の魅力があるのだということを、このアイリエッタの海賊料理を通じてリンズは改めて実感していた。
そこへ、第六投石船団の
リズ・ウェントス
が現れる。その手に持った鉢の中には、独特の赤みを帯びた色のスープが入っていた。
「あ、ガスパチョ作ってみたで。ちょっと味見してくれへん?」
ガスパチョとは、ハルーシア南部の郷土料理として知られる、トマトやパプリカなどの野菜やパンの欠片などを磨り潰して作った冷静スープである。
「新しいメニューどうするか、って色んな人らに聞いた時に、肉が好き言う人はたくさんおった。せやけど、野菜も食べへんと栄養が偏ってまう。戦場出るんやから体調管理はしっかりせぇへんとアカンやろ? サラダやとたくさんは食べれへんから、スープにしたらどうかなって。野菜をぎょ~さん使うたスープは色々あるんやけど、火を使わなくても作れるスープやったら、気軽に出せてええんとちゃうかな、って思うたんや」
リズのそんな解説を聞きながら、さっそくアイリエッタは口にしてみる。
「おぉ! ふめーな!ほれ!」
どうやら彼女は「うめーな!これ!」と言いたいらしい。その隣で並んで試食しているリンズも、満足そうな表情を浮かべる。
「確かに、どの部隊にも『こってりした肉料理』とかが好きな人が多いですけど、だからこそ、こういうさっぱりしたスープを付け合せに出すのは良さそうですね」
「せやろ? まぁ、肉料理は肉料理で、色々考えてはおるんやけどな。二枚のパンの間に焼いたひき肉を挟んだお手軽な料理とか、お弁当に持っていくのもええやろうし。あとは他にも……」
リズはそこまで言いかけたところで、食卓の上に見慣れない箱があることに気付く。
「リンズ、それは?」
「あぁ、これは私の創作スイーツです。『チョコ焼売』っていうんですけど」
「チョコ焼売?」
「はい。一応、前に何人かの人には食べてもらったところ、好評だったので、出来ればこれもメニューに加えてほしいな、と思って」
そう言ってリンズが箱を開けると、そこには極東風の白い生地で包まれた小さな菓子が入っていた。さっそくアイリエッタが興味を示す。
「おぉ、これもこれで旨そうな臭いじゃねーか!」
「確かに、食後のデザートとしてもええかもね」
二人はそう呟きつつ、実際に口にしてみると、独特の生地の食感の後に甘い香りが口の中に広がっていく。
「うん、いいな、これ」
「せやね。これやったら、お持ち帰り用としても需要ありそうやわ」
そんな二人の反応をリンズは満面の笑みで眺める。こうして、カルタキアにおける新たな食堂街の建設は、世界各地から集まった少女達のアイデアを取り入れながら、少しずつ着々と進んでいくのであった。
☆今回の合計達成値:75/100
→このまま
次回
に継続(ただし、目標値は上昇)
最終更新:2021年06月01日 22:59