『見習い君主の混沌戦線』第3回結果報告


AE「秘密結社のアジト」


 カルタキアを混乱に陥れたアビスエールの売人の正体は、豹のような姿の怪人であった。その本拠地と思しき投影建造物を発見した星屑十字軍の コルム・ドハーディ が宿舎の一角で彼等の討伐に向けての武装を整えていると、ヴァーミリオン騎士団の ヴィクトル・サネーエフ が声をかける。

「この間は、急な頼みだったにもかかわらず、応じてくれてありがとう」
「いえ、おかげで敵のアジトを見つけることも出来ました。次の犠牲者が出る前に、一刻も早く、あの投影体の屑どもを殲滅しなければ!」

 コルムがそんな意気込みを見せたのに対し、近くにいた同じ星屑十字軍の リューヌ・エスパス は、そのような方針に対して異論を唱える。彼女は、この事態を終息させるためには豹の怪人が市民を暴走させた理由を調べた上で、その原因を元から排除する必要があると考えていたのである。

「敵の全容が分からない以上、調査をおろそかにして中途半端に殲滅を行えば、討ちもらした生き残りが市民達にもっとひどいことをするかもしれません。ですから、まず今やるべきことは調査です。このアジトの詳細について、私は実際に入って調査します。もし同行してくださる方がいらっしゃれば……」
「私は同行者がいようがいまいが、アジトに踏み込んで、奴等を倒します」

 リューヌの言葉を遮るようにコルムはそう言い切る。全く話が噛み合っていない二人の様子を目の当たりにして、ヴィクトルは困った表情を浮かべた。

(俺も調査は必要だと思う。しかし……)

 今のコルムを放っておくと、本当に一人で勝手に突入しかねない。その意味では、なるべく彼の近くでその暴走を制御したいと考えていたが、かといってリューヌに単独で潜入させるのも危険であるように思えた。

「それなら、とりあえず、俺とコルムで入口から正面突破して敵を引きつけている間に、リューヌは館の中を調査してくれ。ただし、一人で奥まで潜入するのは危険だから、俺達から離れすぎないように気をつける形で、ということでどうだ?」
「分かりました。では、それで」
「ありがとうございます。どうかよろしくお願い致します」

 コルムが淡々と答える一方で、リューヌは安堵したような表情を浮かべて頭を下げる。本来、聖印教会にとってエーラムは宿敵であり、そのエーラムの尖兵であるヴィクトルがこの二人の間を取り持つというのは、なんとも奇妙な光景であった。
 そして、ここでヴィクトルはもう一人の「星屑十字軍の知人」のことを思い出す。

「そういえば、ワイスはどうするって言ってた?」

 彼女も今回の事件に対しては(アビスエールの効果を自分の身体を使って試す程に)強い関心を示していた筈である。

「そういえば、最近見ていませんね」
「先日の『実験』以来、何やら一人で色々と行動していたようですが……」

 コルムとリューヌのその答えに対して、ヴィクトルは嫌な予感を感じつつ、ひとまずは二人と共に敵のアジトへと乗り込むための準備を進めることにした。

 ******

 その頃、豹の怪人の住むアジトの入口の前に「白衣に深編笠」という奇妙な出で立ちの女性が立っていた。彼女がアジトの扉をノックすると、建物の中から「黒ずくめの男達」が現れる。

(なるほど……、これが「戦闘員」と呼ばれる兵士達か)

 異世界知識に精通した彼女は内心でそう思いつつ、彼らに対してこう告げた。

「我が名はDr.ワイズマン。御社の採用面接を受けたいと考え、参上致しました」

 その言葉の意味が彼等に通じたかどうかは分からないが、少なくとも敵対的な姿勢を見せなかったこともあり、ひとまず彼女は建物の内部へと案内されることになる。

(さて、此方の物品を用いてアビスエールが作られたことから察するに、彼等の資源が枯渇気味である事、そして「この世界の物品」から「そういったもの」が作れるだけの技術力があることが見て取れます。行いこそ非道なものではありますが、技術自体には罪はありません。できれば当方の大全の一ページにしたいものです。ヒョウ怪人の行動を見るに人手が足りないのは確かでしょうし、手段はこれしかありませんね)

 彼女は内心でそんな思惑を抱きながら、「地下室へと続く階段」へと誘導されていく。やがて彼女は応接室のような部屋へと案内されると、そこには豹の怪人(下図)の姿があった。
+ 豹怪人

(出典:『チェンジアクションRPG マージナルヒーローズ』304頁)

「俺はチバシティ第3シェルターの責任者、アビスラッシャー。貴様は?」
「御社への入社を希望する者です。あ、これ、吾輩の履歴書です。お納めください」

 そう言って、彼女は(地球に関する異世界知識に基づいて執筆した)履歴書を手渡した。

「……Dr.ワイズマン? お前の本籍地も住所も、聞いたことのない地名ばかりだが、どうやらお前は『この世界』の住人のようだな」
「その通り。そしてどうやら、あなたは御自身が『異世界人』であることはご存知のようですね」
「あぁ。さすがに最初は戸惑ったがな。しかし、俺達の住むチバシティでもオーバーランダーやアドベンチャラーはさほど珍しい存在ではない以上、その『逆』も当然ありえる話だろう、ということは分かる。で、『異世界人』のお前達が我が組織に加わりたいとは、どういう意図だ?」
「この世界において『御社』は泡沫の夢のような存在。その技術や野望が消えてしまうのは惜しいと思いまして……」

 Dr.ワイズマンと名乗るその女性は、アビスラッシャーと名乗る怪人を相手に、この世界の構造について、彼等にも通じやすい言葉で解説し始める。

「なるほど。つまり、『今ここにいる俺達』とは別に、『本来の俺達』がチバシティでは今も活動している、ということか」
「はい。あなた方はいずれこの世界から消滅してしまう存在。故に、我がその志を引き継ごう、ということです。あなた達がこの世界に生きた証を残すために」
「なるほど……。その話が本当なら、いずれ『俺達の本体』がこの世界に侵略に来た時のために、アビスエールとして『テラー因子』をこの世界に残しておくのも悪くないな」
「ほう、その『テラー因子』なるものが、あの飲料水の原材料なのですか?」
「あぁ。アビスエールは元来、テラー因子を人間の体内に吸収しやすくするために開発されたもので……」

 アビスラッシャーと名乗るその豹怪人は、存外素直にワイズマンの言葉を受け入れた上で、彼女に詳細な事情を語り始める。どうやら彼等はもともと「ユグドラシル宇宙」と呼ばれる平行世界の存在を前提とした世界の住人のようで、今のこの「異世界への投影」という状況に対しても、そこまで違和感なく受け入れられたらしい(もっとも、本当に正しく「投影」という現象を理解出来ているかどうかは不明であるが、厳密に言えばそれはこの世界の住人達ですらも把握しきれている訳ではない)。

 ******

 それからしばらくして、ヴィクトル、コルム、リューヌの三人が、このアジトの入口前に到着した。どこか不気味な雰囲気を漂わせるアジトの外観を目の当たりにして、リューヌの中で葛藤が生まれる

(混沌のなかに入っていくのは、怖い……。でも、ここで私がやらなければ、また街の人々に新たな被害が出るかもしれない……)

 彼女が自分にそう言い聞かせながら心を奮い立たせようとしている横で、コルムはあえて奮い立たせるまでもなく、自分の中から湧き上がる殺意に身を任せていた。

「ここに来たのは初めてでは無いですが、やはり虫唾が走る。早く……、早くあの忌々しい投影体をこの世から消さなければ」

 彼はそう言いながら、いきなり長剣で建物の扉を殴りつけ、破壊する。

「コルム!?」
「コルム様!?」

 ヴィクトルとリューヌが驚いている中、コルムはそのまま建物の中へと入り込む。屋内には、明らかに異世界の技術で作られたと思しき謎の機械装置などが並べられていたが、彼はそれらを片っ端から壊しながら、大声で叫んだ。

「出てこい! 忌々しい投影体め!」

 その声に反応して、中からは黒ずくめの戦闘員達が次々と現れる。

「出てきたな、ゴミ虫共め! 豹の怪人はどうした!? 臆したか!? やはりゴミ虫はゴミ虫らしく、こそこそ隠れ回っているのがお似合いだな!」

 コルムはそう叫びながら、戦闘員達に向かって斬りかかる。ヴィクトルは止めようとしたが、ヴィクトルは「とある事情」により、今回、他の二人とあまり身体が触れることがないよう若干の距離を取っていたため、手を伸ばした時にはコルムは既に敵陣の中に飛び込んでいた。

「待て! 先行しすぎだ!」

 すぐさまヴィクトルは彼を負って敵陣に切り込みつつ、リューヌに対して目で訴える。

(俺達が敵の目を引きつけている間に、調査を頼む)

 リューヌはその意図を察した上で、ひとまず周囲の状況を確認する。黒衣の戦闘員達はいずれも謎の全身衣服で顔まで隠れているため正体は分からないが、少なくとも形状的には人型の生命体である。武器らしきものは持たずに素手で戦っているが、明らかに一般人よりは身体能力が高い。よほど鍛えられた兵士か、何らかの特殊な力で強化された人間か、もしくは人間とは異なる何かなのかもしれない。
 そんな中、例外的に得物を手にコルムに襲いかかる者もいた。しかし、得物とは言っても、武器ではない。それは明らかに「清掃のための道具」であり、たまたま手に持っていたそれを武器代わりに戦っているだけである。どうやら、たまたま居合わせた清掃員が、戦闘員達の助っ人に入ったらしい(なお、外見は他の戦闘員達と全く変わらない)。そして、近くには彼(彼女?)がここまで運んできたと思しき清掃道具をまとめた滑車付きのカゴがある。
 リューヌはここで、あることに気が付いた。

(清掃員ということは、もしかして……)

 彼女は仲間達が敵の目を引いている隙に、そのカゴに近付く。すると、その近くに一枚の紙が落ちているのを発見し、手にとって見ると、それはこの建物内の清掃用のチェックリストであり、そこにはこの建物の簡易地図が描かれている。それによると、どうやらこの建物には何層にも渡る地下室が存在するらしい。

(この扉の向こう側に階段があるんですね。そして、そこから降りると、この地下1階の見取り図のこの部分に繋がっていて……、ここが戦闘員の控室、その隣にある「貯蔵庫」というのは、例の薬の貯蔵庫でしょうか……)

 彼女はその地図を片手に、ひとまずこの場はコルムとヴィクトルに任せて、隣の部屋にある階段から地下への階段を降りていくことにした。

(目の届く範囲で、と言われましたけど、でも、この状況では仕方ないですよね……。せっかく作ってくれた機会、なんとしても生かさなければ!)

 ******

 その頃、地下室でDr.ワイズマンとの面談中だったアビスラシャーの耳にも、当然、侵入者の報告は届いていた。

「すまない、今度は招かれざる客が来たようだ。今すぐ出ていって蹴散らしてくるから、しばらく待っててもらえるか」
「承知しました」

 そう言ってDr.ワイズマンが頭を下げたところで、アビスラッシャーは部下達と共に地上階へと向かって行く。その後ろ姿を見ながら、Dr.ワイズマンは彼から聞いた話を整理していた。

(どうやら「テラー因子」なるものは、この建物内のどこかで情勢されているものの、そのエネルギーはあくまでも異界由来のものらしい。ということは、この施設を破壊した後でその技術だけを残すというのは難しそうですね……)

 ちなみに「テラー因子」そのものが何なのかについては、アビスラッシャーの話を聞いてもよく分からなかった。おそらく、彼自身もよく分かっていないのだろう。一応、「テラー」とは、彼等が所属する組織の名前であると同時に、その組織を率いる総統の名前でもあり、彼等は「世界征服」を目指しているということまでは分かったが、彼等が征服した上で世界をどうしようとしているのか、そして、彼等の征服対象にどこまでの「異世界」が含まれるのか、といったことに関しては、今ひとつよく分からなかった(おそらく、これらについてもアビスラッシャー自身がよく分かっていないと思われる)。

(さて、そうなると、これ以上有益な情報は聞けそうにないし、そろそろ潮時ですかね。同輩達も来ているようですし……)

 彼女はそう呟きつつ、ふとこの応接室の奥の扉を見ると、その向こう側から何か「奇妙な気配」を感じ取る。周囲に他に誰もいないことを確認した彼女が扉を開くと、そこには、壁にいくつかの「ベルト」が掲げられていた。そして、それらのバックル部分にはいずれも「風車のような細工」が施されていたのであった。

 ******

 一方、地上へと向かっていくアビスラッシャーとの鉢合わせを間一髪のところで(即座にその気配に気付いて隠れることで)逃れたリューヌは、そのまま地下へと脚を踏み入れて行く。

(あれが、豹の怪人……、コルム様達、大丈夫なんでしょうか……)

 そんな不安に駆られた彼女は、このままコルムとヴィクトルに怪人の相手を任せて先に進んで良いかどうか逡巡する。そこへ、唐突に後方から「知人」の声が聞こえてきた。

「リューヌ同輩、ごきげんよう」
「ワイス様!?」

 そこにいたのは ワイス・ヴィミラニア であった。なお、彼女の後方には何者かによって放置された深編笠と白衣が落ちていたのだが、動転したリューヌはその存在には気付いていない。

「なるほど、当方の他にも侵入者がいるようでしたが、貴官でしたか」
「は、はい。ワイスさんは、お一人で?」
「えぇ。どうやら当方の方が、少しだけ到着が早かったようですね。リューヌ同輩の他にも、侵入している人はいるのですか?」
「はい。コルム様と、ヴァーミリオン騎士団のヴィクトル様が、上の階で敵の目を引いてくれています」
「なるほど。コルム同輩のことは少し心配ですが、ヴィクトルがいるなら大丈夫でしょう。ところで、その手に持っているのは……」
「あ、はい。どうやら、この建物内の地図のようなのですけど……」
「ほう? これは……」

 ワイスはその内容を確認すると、先刻まで「Dr.ワイズマン」がいた部屋には「応接室」と書かれており、その奥の部屋には「変身ベルト保管庫」という表記があった。

(なるほど、あれは「変身」のためのベルトなのですね……)

 内心でそんな言葉を呟きつつ、ひとまずワイスはその地図の信憑性を確認した上で、リューヌと共に更に奥の階層まで調査を進めることにしたのであった。

 ******

「貴様達か、大事な会談の邪魔をしてくれたのは!」

 地上階へと到達したアビスラッシャーが、戦闘員達を相手に戦うコルムとヴィクトルに対してそう言い放つと、コルムは全力で叫び返す。

「ようやく出てきたな! 穢らわしい混沌の化け物め!」

 だが、この時点で既にコルムは戦闘員達との戦いで相当に疲弊していた。それでも彼は真正面からアビスラッシャーに向かって斬り込もうとする姿勢を採る。

「待て、コルム。今は死に急ぐ時じゃない! 俺達の……」

 ヴィクトルはここで「俺達の役目は時間を稼ぐこと」という言葉を慌てて飲み込んだ。そのことが敵に知られれば、「別の侵入者」の存在を気取られる可能性がある。更に言えば、そもそもコルムにそれを言ったところで、彼が思い留まるとも思えない。ならばここは言葉ではなく身体で止めるしか無いと判断したヴィクトルは、コルムよりも先にアビスラッシャーに接敵し、意図的にコルムの進路を妨害する。

「コルム、こいつは俺に任せろ! お前は先にそこの扉の先に行け! きっとこの奥に、本当の親玉がいる! そいつはお前に任せた!」

 これは、まったくのデマカセである。というのも、先刻、リューヌが扉の奥へと向かって行くのをヴィクトルは横目で確認していた。その後、彼女がどうなったのかは分からないが、もし捕まっているのなら、この時点で豹怪人が彼女を人質に何かを要求してくる可能性が高いだろう。しかし、先刻のこの豹怪人の口ぶりからして、彼はヴィクトルとコルム以外の侵入者の存在に気付いていない可能性が高いと考えたヴィクトルは、少なくとも「この先」に進んでリューヌと合流する方が(このままボロボロの状態で豹怪人と戦うよりは)コルムが生き残る可能性は高いと判断したのである。

「分かりました。では……」

 そう言ってコルムが扉の方へと向かおうとするが、それに対しては戦闘員達が立ちはだかる。彼等としても、これ以上の侵入を許す訳にはいかない。

「邪魔だ、消え失せろ! 邪悪なる混沌の下僕達よ!」

 コルムはそう叫ぶが、既に疲労の極みにあった今の彼では、戦闘員達を強引に押しのけて先に進めるだけの体力は残っておらず、その場で戦闘員達を相手に立ち回るのが精一杯の状態だった。

 ******

(ここが、アビスエールの精製場……)

 地下の奥深くまで辿り着いたリューヌは、目の前に広がる巨大な機械の迫力に圧倒される。アトラタン世界の常識を遥かに超えた強大で無機質なその装置は、管理人すら見当たらない無人の空間の中で、ただ黙々と「アビスエール」を生み出し続けている。そして、その中枢に不気味な装置からは、明らかに他とは桁違いに強大な混沌の気配が漂っていた。
 一方、彼女の隣に立つワイスは淡々とその状況を見ながら呟く。

「なるほど。あれが、テラー因子なるものを生み出す根源ですか」
「テラー因子?」
「よく分かりませんが、そのようなものがあるらしいです。そしておそらく、あの装置こそがこの魔境の混沌核でしょうね。全ての力があそこから生み出されているように見えます」
「えぇ。しかし、今の私達の聖印では……」
「はい。無理です。なので、今はおとなしく退散しましょう」

 ワイスはそう言って、リューヌと共に地上へと駆け上がり、そして継戦を主張するコルムを強引に建物の外へと引っ張り出しながら(既にコルムも疲労の限界に達していたため、抗う気力は残っていなかった)、ヴィクトルとも合流して、そのままカルタキアへと帰還することになった。
 なお、アビスラッシャーと一対一で戦っていたヴィクトルは、さすがに相応の傷を負っており、リューヌが心配そうに見つめる。

「大丈夫ですか? とりあえず、傷の手当を……」

 そう言ってヴィクトルの身体に触れようとするリューヌに対して、ヴィクトルは手で制した。

「いや、心配ない。カルタキアに戻ったら、ウチの騎士団に常備されている薬があるから、自分で処方しておく。それより、今回はお手柄だったな、リューヌ。正直、ここまで正確に敵の陣容が明らかになるとは」
「いえ、たまたま見つけただけですから。それより、打ち合わせを無視して勝手に独断で先に進んでしまって、申し訳ございません」
「いや、それは状況的に仕方ないし、結果的にそれで調査が進んだことは事実だ。それに……」

 ヴィクトルは、そこから先の言葉を言いかけて飲み込んだ。実際のところ、ヴィクトルとしては、魔境の中心部分に自分が近付くことに対して(とある事情により)不安がある以上、結果的に言えばリューヌの単身調査のおかげで助けられたというのが本音なのだが、今はそのことを口にする訳にはいかなかった。
 一方、不満そうな表情で強引に連れ出されたコルムを引きずりつつ、ワイスは地図に書かれていた一つの言葉が気になっていた。

(さて、あのベルトを使うと、何に「変身」することになるのでしょう……?)

☆合計達成値:113(44[加算分]+69[今回分])/100
 →次回「魔境討伐クエスト( BE )」発生確定、その達成値に6点加算

AF「岩礁の洞穴」

「私は漁師アハブの娘・アタルヤ。お願い! 兄さんを探しに行くのを手伝ってほしいの!」

 褐色の肌の少女は、そう言って従騎士達の兵舎に駆け込んできた。年の頃は13歳程度であろうか。顔付きからして、明らかに昔からカルタキアの地に住んでいた一族のように見える。彼女は先日、港の北西部の岩礁の近くで兄のヨラムと二人で小舟で漁をしていた際に、謎の混沌災害に遭遇してしまったらしい。

「周りの海の色がいきなり変わったというか、なんだか『別の世界の海』に置き換わってしまったみたいで、周りの岩礁もせせり上がって、溺れ谷みたいになったと思ったら、その岩礁が『ヌルヌルした気持ち悪い化け物』に変わって、何本もの触手みたいなので襲いかかってきたの」

 アタルヤはそう説明するが、その場にいる従騎士達は、今ひとつその状況がよく分からない。少なくとも、その「ヌルヌルした気持ち悪い化け物」とやらは、彼等がこれまで遭遇したことのない投影体のようである。

「で、その触手から私を守ろうと、兄さんは短剣でその触手と戦ってたんだけど、小船の上で立ち回ってるうちに、船が傾いて、私が海に落ちちゃって、波に流されて、気が付いた時には近くを通りかかった別の漁船に助けてもらってたわ。でも、その時にはもう私達の小舟も、兄さんの姿も見当たらなかった」

 なお、彼女を救った漁師達の証言によると、その岩礁海域は外から見ても分かる程に完全に「魔境」化しており、明らかに不気味な気配が漂っていたらしい。ちなみに、アタルヤにはヨラムの他に兄弟はおらず、父は今は遠洋漁船でカルタキアを離れており、母や他の親戚達は10年前の混沌災害で他界している。つまり、現時点で彼女が頼れる身内はこの街に誰もいない。
 そうなると当然、従騎士達の出番なのだが、運悪くこの日は他の魔境の案件で多くの従騎士達が出払っており、残っている者達もこの後の任務の予定が入っている者達が大半であった。そんな中、地元の従騎士である幽幻の血盟の エルダ・イルブレス が、真っ先に手を挙げる。

「それは一刻を争う事態です。今すぐに探しに行きましょう!」

 少年少女を守ることを何よりも優先するエルダにとっては当然、見過ごせる話ではない。しかし、だからこそエルダにとっては、アタルヤからの依頼に対して、一つ気掛かりな点があった。

「ただ、その海域が既に魔境化しているというのなら、調査は我々従騎士だけに任せて下さい。あなたが同行するのは危険です」

 もっともな意見だが、アタルヤは首を横に振る。

「そういう訳にはいかないわ。私がいなかったら、兄さんの顔も声も分からないでしょ?」
「確かに、それはそうですが……」
「あと、船の扱いだって、従騎士さん達よりは私の方が慣れてる筈よ。それに、兄さんは私を守ろうとしてくれたんだもん。私が何もせずにいる訳にはいかないわ」
「……分かりました。ただし、あなたも一緒に行くなら、もしあなたの身に危険が及びそうな状況になった時は、すぐに引き返します。それでいいですね?」
「それは状況次第だけど……、まぁ、仕方ないわね……」

 渋々両者が同意したところで、今度は横から鋼球走破隊の フォリア・アズリル が同行者として名乗り出る。

「ぼくも一緒に行きます。さすがに、エルダさん一人だけでは危険でしょうし」

 フォリアは前回の泉の魔境の際にもエルダと同行している。その意味では互いに実力に関しては信頼し合える関係であった。

(それに、正体がよく分からない魔境である以上、もしかしたら、「ぼく」の知識が役に立つかもしれない)

 内心でそう思っていたことは表に出さないままフォリアがそう申し出ると、そんな彼女の近くで、おずおずとした様子ながらも、もう一人の従騎士が声を上げた。潮流戦線の リンズ である。

「あの……、私、実は、見てたんです。その岩礁での混沌災害が起きるのを……」

 そう言ったリンズに対して、アタルヤが驚いた顔を浮かべる。

「え? あの海域には、私達以外の船はいなかったと思ったんだけど……」
「はい。岩礁海域の中ではなくて、その外側です。新しい食堂のメニューの食材に使えそうな貝が採れる砂浜があの辺りにあると聞いて、たまたま近くを通りかかったら、遠くの方で巨大な混沌が収束していくのを目の当たりにして……。一応、護身用の弓は持ってたんですけど、下手に私が撃っても、誤射してしまうかもしれないと思ったら、結局、何も出来なくて……」

 リンズとしては、聖印を預かる身として、その状況下で何も出来なかったことに対して、負い目を抱えていたらしい(更に言えば、リンズには同郷の「兄のように慕っている男性」がいることもまた、アタルヤに対して感情移入する要因になっているのかもしれない)。

「だから、私も協力させてほしいんです! 今度こそ、君主としての役目を果たしてみせます! あなたのお兄さんを探す任務に、同行させて下さい!」

 ちなみに、リンズは16歳だが、かなり小柄なため、見た目はアタルヤよりも子供に見える。エルダにしてみれば、保護対象が二人に増えたような気持ちにさせられるが、それでも、従属聖印を宿した身ではある以上、一人の従騎士として扱うべきであろう。
 そんな彼女達の申し出に対して、アタルヤは笑顔で答える。

「ありがとう、頼りにしてるわ、みんな」

 ******

 こうして、アタルヤ、エルダ、フォリア、リンズの四人は、小舟を借りた上で、岩礁海域へと向かうことになった。
 港から出向し、少し離れた岩礁海域へと近付くにつれて、確かに混沌濃度が少しずつ高まっていくのをエルダ達は実感する。どうやらこの魔境は、明確に周囲辺区域と隔絶された空間として投影された魔境ではなく、少しずつこの世界に溶け込むような形で浸透する形状の魔境らしい。
 そして、岩礁が乱立する海域に入る頃には、明らかにそこが「異世界の海」となっていることがはっきりと分かるようになる。そもそも岩礁の形状自体が、カルタキア近辺の海域とは明らかに別物であった。

(確か、昔読んだ文献だと、こういう形で大量の岩礁が隆起するのは、シェンム地方の南東部あたりの海域でよく見られるって書いてあったような……)

 フォリアは内心でそんなことを考えていたが、その知識を仕入れた経緯を説明出来ないため、今はあえて黙っていた。そんな中、エルダが遠方に見える岩礁の一角を指差す。

「あの岩礁から、奇妙な混沌の気配を感じます」

 厳密に言えば、この海域は既に魔境と化しているため、その構成物は全て混沌の産物なのだが、霊感の強い人間には、その中でも特に異質な気配を察知することが出来る。大抵の場合、それはこの世界における物理法則をより強く捻じ曲げる存在、つまりは(アトラタン世界の住人にとっての)超常的な存在である「魔物」や「魔道具」などの気配である可能性が高い。
 そして、遠眼鏡でフォリアがその岩礁の様子を確認すると、その岩礁上に「ヌルヌルと動く触手の生えた何か」の姿を発見する。

「あれは……、多分、人工的に造られた半液状生物ですね……。多分、この世界で言うところの錬成魔法に近いような技術ではないかと……」

 正確に言えば、フォリアはこの時点で、その液状生物が「エーラムの魔法とは似て非なる異界の技術」によって造られた代物であることまでは特定出来ていたが、あまり詳しく話すと自分の「出自」が露呈するかもしれないと思い、言葉を選びながらそう告げる。もっとも、エルダは元々自然魔法師の一族出身であるし、リンズの故郷であるノルドも自然魔法師が多い文化圏なので、「一介の従騎士」が一定程度の魔法に関する知識を有していることに関して、そこまで違和感を感じる者はこの船上にはいなかった。
 そして、岩礁に近付かないように気をつけながら小舟を動かしつつ、周囲の捜索を続ける。その過程において、アタルヤは改めて岩礁を凝視しながら、当時の状況を思い出す。

「そっか、私、てっきり岩礁そのものが魔物化したのかと思ってたんだけど、私達を襲ってきたのは、『岩礁の上に載ってる魔物』だったのね……」

 実際、その「液状生物」は半透明状態なので、一目見ただけだと、岩礁と一体化しているようにも見える。気が動転していた当時のアタルヤが混同するのも無理はない。そんな彼女に対して、フォリアが更に解説を加える。

「多分、本体があの大きさなら、触手を伸ばしたとしても、人間の身長くらいの長さが限界だと思いますから、距離を保ちつつすすめば、避けることも可能でしょう。ただ……」

 船を進めていくごとに、徐々に海面上に隆起する岩礁の数も大きさも増加していき、岩礁との距離をそこまで保つのは難しくなっていく。やがて、彼女達の目の前には、もはや「小島」とでも呼ぶべき大きさの、なだらかな岩山が出現していた。

「前は、ここまで大きな岩はなかった筈……、でも……」

 アタルヤはそう呟きながら、その山のように隆起した巨大な岩の一角にある空洞を指差す。

「……あの洞穴は見覚えがあるわ。私が海に落ちたのは、この辺りだった筈。あの時に比べると、かなり岩に海が侵食されてはいるみたいだけど」

 つまり、まだヨラムが生きているとしたら、この辺りのどこかにいる可能性が高い、ということらしい。岩礁面積が広がっているということは、魔境による侵食が広がっていることを意味しているが、陸上生物である人間にとってみれば、生き残れる可能性が高まった状態とも言える。
 その状況を確認した上で、リンズがクロスボウを片手に、すっと立ち上がった。

「じゃあ、私が、ちょっと洞穴の様子を見てきますね。安全そうなら合図しますので、その時は続いて来て下さい」

 そう言って、リンズは岩礁の上へと飛び移る。それに対して、エルダが声をかけた。

「待って下さい。一人では危険です。私も……」
「いえ、ここは身軽な私一人の方が、いざという時にすぐに戻って来れます。エルダさんとフォリアさんは、アタルヤさんと一緒に、ここで船を守っていて下さい。もし、船が魔物によって壊されてしまったら、帰る方法が無くなってしまいますから」

 確かに、エルダは全身鎧を着ている都合上、どうあっても偵察には向かない。そしてフォリアもまた、前回の戦いで前線に出てそれなりに負傷したこともあり、今回はアタルヤの護衛の方を重視するつもりだったので、ひとまずここはリンズの方針に従うことにした。

 ******

 リンズは一歩ずつ、足場を確認しながら慎重に洞穴へと向かっていく。

(岩の感触自体は、普通の岩礁と変わらないですね……)

 おそらく、この魔境の投影元となった世界も、そこまでアトラタン世界と大きくかけ離れた世界ではないのだろう。リンズは周囲に先刻の「半液状生物」が潜んでいないか確認しつつ、洞穴の前までは無事に辿り着く。
 洞穴の入口は、長身のエルダでも屈まずに通れそうな程度には高い。リンズがその場で松明に火を付けて中を覗いてみたところ、かなり広そうではあった。その上で、彼女が足元を確認してみると、そこには先刻岩礁の上で見かけた半液状生物と思しき何かが転がっている。

(えぇ!?)

 思わず大声を上げそうになるのを必死に堪えつつ、リンズはその半液状生物を凝視するが、全く動かない。よく見ると、何かで切り裂かれたような形状となっており、もう既に絶命しているようである。

(ということは、この洞窟の奥に「誰か」がいる……? この切り口からして、剣か何かで切り裂かれた痕のような……)

 この奥にいるのが誰なのかは分からないが、この半液状生物が(獣の牙や爪ではなく)人工的な刃物で切り裂かれていると仮定するなら、この奥にいるのは、少なくとも「一定程度の知性を有する生命体」である可能性が高そうではある。

(どうしよう……、もし、この中にお兄さんがいるなら、大声を出せば返事してくれるかな……。でも、もし、いきなり魔物が襲ってきたりしたら……)

 リンズが少し躊躇していると、彼女は松明の光が届かない程の奥の方で、何かが動いたような気配を感じる。その「何か」が人の形をしているように見えたリンズは、意を決して大声を張り上げてみる。

「そこにいるのは、ヨルムさんですか!?」

 すると、その声に反応して、中から一人の青年が姿を現す。着ている服は明らかにカタルキアの漁民達の装束であり、肌の色や顔付きはどことなくアタルヤに似ているようにも見えるが、その表情は明らかに常軌を逸した、憤怒に満ち溢れた様相であり、そして、その手には片刃の剣が握られていた。

(あれは……、カノープスさんが持っていた「カタナ」に似てる?)

 同じ潮流戦線の仲間が持つ得物のことをリンズが思い出した瞬間、唐突にその青年は、そのカタナを振り回し始める。

「近付くな! ヌルリヌルリめ!」

 その突然の行動に、リンズは思わず後ろに飛び退るが、彼の刃はリンズに向けられるというよりは、誰もいない虚空に向かってデタラメに振り回されているようだった。

「オレサマは泣く子も黙る海賊、ヤシャオウサマだぞ! なんでそのオレサマの隠れ家が、ヌルリヌルリなんぞに占領されにゃならんのだ!」

 彼が何を言っているのか、リンズには全く理解出来ない。しかし、その様子からして、明らかに彼が正気ではないことが分かる。そして、彼が持っている片刃の剣から、非常に不気味な気配が漂っていることも感じ取れた。

(この人は、何か幻覚を見ている……? いや、それとも、あのカタナに操られている……?)

 リンズがそんな思考を巡らせる中、唐突に彼は「誰もいない方向」に視線を向けると、一転してその表情が驚愕と困惑に支配され、最終的には恐怖に満ち溢れた顔付きへと変わっていく。

「ヒィ! 寄るな! あっちへ行け!」

 彼はそう叫びながら、なおもカタナを振るい続けつつ、少しずつリンズに向かって近付いてくる。松明を持っている都合上、今のリンズではクロスボウは使えない。調理用の短刀で応戦することも出来なくはないが、もともとリンズは戦いは得意ではないし、もし彼がヨルムだった場合、ここでよく分からないままに殺してしまう訳にもいかない。
 一方、小舟が停泊している方角からも、別の喧騒が聞こえてきた。

「くっ、なんだコイツら! キモチ悪い動きしやがって!」

 フォリアが(先刻までとは別人のような口調で)そう叫びながら、護手鈎を振り回している。その周囲には、半液状生物が何体も出現していた。そして、その中の一体がアタルヤに向かって「不気味な液体」を吹きかけようとするが、すぐさまエルダが間に入って、その全身鎧で受け止める。

「これは……、酸ですね。この鎧だから防げましたが、生身で受けたら皮膚が爛れます」

 二人がそうして半液状生物を相手に応戦しているのを確認したリンズは、急いで彼女達の元へと駆け戻る。そしてリンズが小舟に飛び乗ると、アタルヤはすぐさま岩礁から小舟を出航させた。さすがに、今のこの戦力であの場に残り続けることは危険だということは、アタルヤにもすぐに理解出来たようである。

 ******

 しかし、その後、船上でリンズから洞穴の中の様子を聞かされた瞬間、アタルヤは表情を一変させる。

「それは、間違いなく兄さんだわ! 今すぐ戻らなきゃ!」

 彼女はそう言って舵向きを変えようとするが、エルダがすぐに止める。

「待って下さい。少なくとも、私達だけで、あなたを守りながら洞穴まで向かうのは危険です。それは先程の戦いで、よく分かったでしょう?」
「でも、多分、兄さんは一人で洞穴の中で隠れている間に錯乱してしまってるだけよ! 私が行けば、きっと正気を取り戻してくれるわ!」

 そう主張するアタルヤに対して、いつの間にか(先刻までの「戦闘状態」から一転して)「いつもの表情」に戻ったフォリアが、冷静な口調でアタルヤに問いかける。

「あなたのお兄さんは、漁に出る時に『片刃の剣』を持っていましたか?」
「そんなもの、持ってなかったわ」
「だとしたら、その剣は多分、洞穴で見つけたものです。そして、リンズさんの報告から察するに、今はその剣に身体を乗っ取られている状態である可能性が高いです」

 フォリアは、かなり強い確信を持ってそう語る。実際、異世界から投影された物品に身体を乗っ取られるという現象は、この世界ではそれほど珍しい話ではない。更に言えば、フォリアはそのような形で「一つの身体に二つの魂が同居する状態」に関する知識は、おそらく現在のカルタキアに駐在中の他の誰よりも詳しいという自負はあった。その理由は説明出来ないが、自分の中での強い確信を持ってそう語るフォリアの言葉に、アタルヤは不思議な説得力を感じ取る。

「じゃあ……、どうすればいいの?」
「解呪の魔法を使える人がいれば良いのですが、カルタキアでは魔法は使えません。とりあえず、一度力ずくで抑え込んだ上で、その剣を強引に身体から引き剥がすしかないでしょう。それでも無理な時は、またその時点で考える必要がありますが……、どちらにしても、今は一旦戻って、戦力を立て直すしかないです」

 なお、リンズが見た限り、その「ヨルムと思しき青年」は、表情こそ常軌を逸していたものの、顔色そのものは悪くはなかった。おそらく、魔道具が憑依したことによって、生命力は一時的に通常の人間よりも高まっているのだろう。その状況であれば、仮に食事が取れない状態だったとしても、結果的に混沌の力によって生き長らえることは出来る(無論、それが後々になって後遺症をもたらす可能性もある以上、好ましい状況ではないのだが)。

「分かったわ。じゃあ、他の魔境討伐から戻って来た人達にお願いして、今度こそ、兄さんを助け出してみせる!」

 アタルヤは強い決意の瞳を浮かべながらそう呟きつつ、小舟を港へと向けて漕ぎ始める。一方、エルダとリンズはフォリアの博識な語り口に感服しながらも、先刻の戦いの時との雰囲気の豹変ぶりに、微妙な違和感を感じていたのであるが、当のフォリアもまた、自分の中で奇妙な感情が蠢き始めていた。

(人体に憑依した魂を切り離す方法……、もしそれが見つかったら、「ぼく」は……?)

 内心でそう呟く中、フォリアの中で「別の感情」が湧き上がろうとするのを、彼女は必死で抑え込んでいた。

☆今回の合計達成値:63/100
 →このまま 次回 に継続(ただし、目標値は上昇)

BA「魔境を分かつ川」


 カルタキア東部に出現した「異界の森」への二度に渡る調査の結果、その魔境の混沌核の持ち主と思しき(通常の小牙竜鬼よりも大型の)小牙竜鬼の隊長(コボルド・リーダー)は、森の中に流れる「巨大な川」の向こう側に居ることが明らかになった。
 その川が、どこから流れて来て、どこに流れ着くのかは分からない。あくまでも「混沌」の森である以上、通常の物理法則が適用されないのは当然の話であるのだが、少なくとも現状においては、その「川」の存在がコボルド・リーダーが森の外へ出るのを阻んでいる。しかし、「混沌」であるが故に、その森や川の構造もいつ変わるかは分からないし、いつコボルド・リーダー達が森の外に出るようになるかも分からない。更に言えば、この森を放置し続ければ、結果的に彼等よりも更に凶悪な投影体がこの森から出現する可能性も否定出来ないのである。
 この状況を踏まえた上で、第六投石船団のカエラとヴェント・アウレオのエイシスを中心とする浄化部隊が結成されることになった。基本的には「破壊された橋を復旧して敵の本陣へと斬り込む」という方針だが、そのための復旧作業部隊とは別に、「川越え以外に向こう岸に到達出来るような迂回路」が存在するかどうかを確認するために、何人かの人員を割いていた。それが見つかれば二正面作戦を仕掛けることも可能になる、というだけでなく、敵側に先にその迂回路を使われる可能性もある以上、どちらにしても戦況を確認する必要がある。
 その迂回路調査隊の中に、巨大な鎌を手にした第六投石船団の シューネ・レウコート の姿もあった。彼女はハマーンの地方領主家出身の17歳であり、「君主としての自覚を持ってほしい」という母の意向で入隊させられた身だが、本人は「自分は君主には向いていない」と考えており、このカルタキアへの遠征任務においても、これまであまり積極的に活動しようとはせず、目立たない地味な仕事を選び続けてきた。今回は部隊長であるカエラが参加するということでこの浄化部隊に参加することになったが、「自分は力仕事や戦いには向いてないから」という消去法による選択で、この迂回路探しの任務を選ぶことになったのである。

(この仕事なら、自分一人でも出来るし、他の人に迷惑かけずに済むだろうし……)

 自分にそう言い聞かせながら志願したシューネであったが、さすがに魔境内の任務での単独行動は危険ということもあり、以前からこの森の調査に従事していた幽幻の血盟の アシーナ・マルティネス と共に、川の下流方面から捜索するように命じられた。

「アシーナです。私はこの森の調査任務に最初から参加しているので、この森に出現する魔物については、ある程度までは把握していますので、もし何か気になることがあれば、いつでも言って下さい」

 アシーナにそう言われたシューネであったが、もともと人見知りの彼女は、初対面の(しかも他国の)従騎士を前にして、緊張した様子を隠せずにいた。

「あ、えっと……、その、シューネ、です。よ、よろしく、おね…………、おねがい、します……」

 目線を合わせられずに、うつむきながら呟くようにそう言ったシューネに対して、横から投影体の少年・トウヤ(下図)が声をかける。彼もまた、この森の内情に詳しい人材として、アシーナと同行することになった。
+ トウヤ

「オレはトウヤ。よろしくな、シューネェちゃん」
「シューネェ……?」
「『シューネ姉ちゃん』だと、なんかちょっと言いにくくて。あ、気に入らなかった? じゃあ、なんて呼べばいいい?」
「い、いえ、別に、その……、す、好きに、呼んでもらえば……」

 トウヤのそんなテンションに対し、シューネはそう答えつつも、一歩後退りする。シューネは他人との距離の取り方が苦手らしいが、そんな彼女に対して、トウヤは遠慮なく話を続ける。

「そっか。それにしても、シューネェちゃんのそのサイズ(大鎌)、かっけーよな!」
「え? これ……、ですか……?」
「あぁ。俺はサムライだから、一応、サイズも持てるっちゃあ持てるんだけど、命中値にも行動力にも修正がかかるから、扱いが難しいんだよな。当たればダメージはデカいんだけど」

 「彼等の世界の言語」で話すトウヤに対して、シューネは更に戸惑った様子を見せていると、横からもう一人の投影体の少女・ミノリ(下図)が割って入る。
+ ミノリ

「ちょっと、トウヤ。初対面で馴れ馴れしすぎるでしょ。いきなりそんなこと言われて、シューネさん、困ってるじゃない」
「あ、いや、その……、別に……、そういう訳では……」

 シューネがそう答えつつ、更に一歩後退りすると、ミノリは申し訳なさそうに頭を下げる。

「すみません、失礼な弟で……」
「いや、だから、お前の方が妹だろ!」

 ミノリとトウヤがそんな会話を交わす中、シューネはふと故郷にいる3歳年下の妹のことを思い出す。年齢的にはミノリと同じくらいの歳であり、シューネの中では自分よりも妹の方が君主に向いている、という認識である。

(この子も、まだ子供なのに、すごくしっかりしてる。少なくとも、私よりは……)

 そんな感慨を抱いていたところへ、アシーナが小声で話しかけた。

「この二人は、本来は『この森がある世界』とはまた別の世界の出身で、そこから『この森のある世界』に辿り着いて、更にそこから『この世界』に投影されてきたらしいです。今の彼等のこの身体も、厳密に言えば『彼等の本来の身体』ではないんだとか」
「は、はぁ……」
「まぁ、私も詳しいことはよく分かりません。ただ、いずれにしてもこの森の怪物達とは敵対していますし、この森を浄化するところまでは協力出来るでしょう。ただ、彼等はもともと住んでいた世界が違うということを考えると、もしかしたら、この森の混沌核とは別個に投影された存在なのかもしれない。だとすると、森を浄化した後もこの世界に残る可能性はあります。そうなった時のことを考えて、今のうちに彼等と親しくなっておいた方がいいでしょう」

 アシーナはそう語るが、シューネにとっては「見ず知らずの誰かと仲良くなる」というのは、完全に苦手分野の話である。出来れば、そのような役回りは他の誰かに任せたい、というのが本音であった。

 ******

「お姉さまの足手まといにならないよう頑張るの!皆もよろしくお願いするの!!」

 第六投石船団の ユージアル・ポルスレーヌ は、森の中でも比較的混沌濃度が低い場所で、他の従騎士や現地の職人達の協力を得て、橋の「修繕部品」を組み立てていた。彼女は今回の浄化作戦において、架橋中の作業を邪魔されないようにするために、まず、ある程度まで「橋の部品」を事前に(比較的安全な区域で)組み立てた上で、それらを川の上流から流し、旧橋の土台が残っている場所で待ち受けている者達がそれを受け止めて素早く組み立てる、という作戦を考案した(これは、彼女が以前に読んだ異界魔書における「スノマタ」および「ジャングルチホー」の故事に基づく着想である)。

「あの川の流れから見るに、そうだな……、この素材を使った方がいいんじゃないですかね。耐久性にも優れているのではないかと」

 そう言って助言してきたのは、ヴェント・アウレオの ヴァルタ・デルトラプス である。彼もまた、これまで読んできた様々な書物に基づく知識から、適切な建材を選定する。

「よいしょっと……、他に必要な素材はありますか? 運んできますよ」
「ありとうなの! じゃあ、これと同じ木材をお願いするの!」

 ヴァルタに対してユージアルがそう答えると、横で作業していたヴァルタの双子の姉の ラオリス・デルトラプス も立ち上がる。

「あ、私も手伝う!」
「じゃあ、お願いするよ、姉さん」
「二人とも、お願いなの!」

 こうして、着実に架橋作業に向けての下準備は整えられていった。

 ******

「では、あなた方が言うところの『大地人』というのは、種族の名前ではないのですか?」
「うん、まぁ、そうだな……、俺とミノリはどっちも『冒険者』の『ヒューマン』で、他にも『エルフ』とか『ドワーフ』の『冒険者』もいるけど、『大地人』の中にも『ヒューマン』や『エルフ』や『ドワーフ』がいる。何が違うかっていうと、うーん……、どう説明すればいいんだろう?」

 川沿いに下流方面へと調査を続けながら、アシーナはトウヤから「彼等の投影元の世界」についての話を聞いていた(なお、ミノリは「架橋部隊の方にも、この森に詳しい人材は必要」というアシーナの判断により、こちらには同行していなかった)

「まぁ、なんていうか、『冒険者』ってのは、『他の世界の住人の魂』が『セルデシア世界の肉体』に宿った存在、と言えば、分かってもらえるかな?」
「なるほど……、この世界でも、魂だけが身体と分離される形で投影されることもある、という話は聞いたことはありますから、それと似たような現象なのかもしれませんね」

 二人がそんな話をしている中、シューネはなるべく自分に話しかけられないよう、あえて少し彼等と距離を取って歩きつつ、感覚を研ぎ澄ませながら、周囲の状況の変化に気を配る。

(私は、仕事に集中していれば、それでいい……)

 シューネは自分にそう言い聞かせていたが、実際のところ、いつ話しかけられるかも分からない距離に他人がいるというだけで、心が落ち着かず、今ひとつ集中出来ていない。
 一方、アシーナは川の様子を確認しながら呟く。

「川幅が狭くなったり、飛び石が見つかるような場所があれば、そこから飛び渡ることも可能かと思ったのですが、不自然なまでに同じくらいの川幅がずっと続いていますね……。川面の様子を見る限り、川底までの深さもあまり変わっていないようですし……」

 そう言われたところで、シューネはあることに気が付いた。

「あの……、き、気のせい、かも、しれないんです、けど……」

 ビクビクした声で彼女はそう言いつつ、対岸寄りの川面を指差す。

「ん? どうしたんだ、シューネェちゃん?」
「あ、あの浮草の形、さっきも見たような、き……、気が、します……」

 その指先には、浮草が集まって、桜の花びらのような形になっていた。偶然そのような形で群生する可能性も無いとは言えないが、それが複数箇所において発生するというのは、(それらが「ただの浮草」であるとすれば)やや不自然な現象である。

「もしかして……、無限回廊なのかも?」

 トウヤがそう呟くと、アシーナは首を傾げる。

「無限回廊?」
「いくら歩いても、何度も同じ場所をループさせられる特殊なトラップみたいなものがあるらしい、っていう噂を聞いたことがあるんだ。もしかしたら、エルダーテイルじゃなくて、別のゲームの話だったかもしれないけど……」

 微妙によく分からない言い回しではあるが、なんとなく言いたいことを理解したアシーナは、ひとまず近くの木に、手持ちのロープを結び付ける。

「とりあえず、これを目印にした上で、それが本当かどうか試してみましょう」

 彼女がそう告げると、三人はそのまま今まで通りに下流に向けての調査を再開する。そして、しばらく歩き続けた結果、再びその「ロープが結び付けられた木」が彼等の眼前に現れる。その近くの水面には「桜の花びらのような形に群生した浮草」もあった。

「間違いないですね。どうやらこれは、確かにその無限回廊という現象のようです」
「え……? じゃ、じゃあ……、私達、このまま、え、永遠に、ずっと……、このまま……?」

 冷静に状況を分析するアシーナに対して、シューネが動揺した様子でそう口にすると、トウヤが落ち着いた口調で答える。

「いや、こういうダンジョントラップって、そのままゲームオーバーにすることが目的じゃなくて、先に進ませないために作られるものらしいから、多分、『戻ること』は出来るんだと思う。つまり、『迂回路』は存在しなくて、どうしてもあの橋を越えないと突破出来ないようなイベントになってるんじゃないかな」

 トウヤはそう語るが、実際のところ、最初からそのような構造になっていたのか、この世界に投影された際に混沌の副作用でそうなってしまったのかは分からない。ただ、いずれにせよ現状のこの川の近辺が無限回廊になっているのだとすれば、怪物達が川を超えて森の外へと現れる可能性も低い、ということになる(もっとも、その状況すらもいつ変わるのか分からないというのが、この世界における「混沌」の産物としての魔境の本質なのであるが)。
 この状況を踏まえた上で、少なくとも、これ以上、このまま下流に向かって進む意味がないと判断した彼等は、ひとまず本隊と合流すべく、上流へと戻ることにした。

 ******

「もうすぐ上流から『部品』が流れてくる筈ですが、皆さん、準備は大丈夫ですか?」

 ヴェント・アウレオの首魁であるエイシス・ロッシーニ(下図)は、架橋予定水域の川岸から、川の中で(身体にロープを巻きつける形で激流に流されるのを防いだ状態で)待機するラオリス達に向かって、そう問いかける。
+ エイシス

「大丈夫だよ! まっかせてー!」

 ラオリスは勢い良くそう答えた。彼女とヴァルタにとって、エイシスは首魁である以前に、恩人であり、家族でもある。彼のためにもここは頑張りたいと考えていたラオリスであったが、岸側で警戒しているヴァルタは小声で姉に告げる。

「あんまり大声出すと、コボルド達に気付かれるよ」
「あ、そっか……」

 この二人は、ユージアル主導の部品製作を手伝った後、現場での組み立て要員として、こちらで待機していた。実際に部品を作った彼等の方が、当然、組み立て方法も正確に理解出来ている。ラオリスが川の中から、ヴァルタは岸側から、息を合わせてパーツを組み合わせていく、という算段であった。現在、エイシスの聖印の力によって生み出された結界により、この辺り一帯にいる友軍の身体能力は上昇しているため、泳ぎながらでの組み立てにも問題はないだろう。

「姉さん、もしも魔物が襲ってきたら、援護をお願いするね。頼りにしてるから」
「そうね。エイシス達が危険な目に合わないように、気をつけなくちゃ」

 二人がそんな会話を交わしているところに、同じヴェント・アウレオの コルネリオ・アージェンテーリ が声をかける。

「大丈夫だよ。もし川向うに敵が来たら、その時は僕達が弓で牽制するから」

 コルネリオとしては、先日の「泉の魔境」での戦いにおいて、内心で恐怖に怯えていたことを悔しく思っており、そのような心の弱さを克服するためにも、魔境での戦いの経験を積みたいと考え、今回もまたエイシスと共に魔境の浄化作戦に参加することになった。また、今回は第六投石船団のカエラ・ミゲル(下図)を中心とする弓兵隊も参加するという話も聞いていたため、弓手としての彼女の戦い方を実地で見ておきたい、という思惑もあったようである。
+ カエラ
 そして、カエラ傘下の第六投石船団の従騎士達もまた、それぞれの愛用の弓を手に今回の作戦に参加していたのだが、そんな中に一人、見慣れない形状の弓を持つ、かなり長身の少年がいることに、コルネリオは気付く。

(あれは……、滑車?)

 その弓の上下の両端には滑車が付いている。その構造が気になったコルネリオは、自分から見て頭一つ以上背の高いその少年に近付き、上目遣いに見上げながら声をかけてみた。

「やぁ。僕はヴェント・アウレオのコルネリオ。長いから、リオでいいよ。君は?」
「僕は第六投石船団のイーヴォと言うひとだ。よろしくね」

  イーヴォ は北国出身の従騎士であり、幼い頃から少年兵として戦争に携わってきた経験があるため、その立ち姿からは古参兵のような風格すら備わっているが、よくよく表情を見ると、まだどこか少年らしい雰囲気を残している。

「君のその弓、珍しい構造だね。滑車の部分で弦の張りを調整する仕組みになってるの?」
「あぁ。この弓はコンパウンドボウと言って、遠距離の精密射撃に優れていてね、僕はこれがどんな弓よりも手になじむ気がしているんだ」

 二人がそんな会話を交わしている中、少し離れたところから、コルネリオと同じようにイーヴォの弓に興味深そうな視線を向けている者がいた。投影体の少女・ミノリである。彼女は当初、トウヤと一緒に行動しようとしていたが、アシーナから「架橋部隊の方にも、この世界に詳しい人がいた方がいい」と言われて、こちら側に配属されていた。

(ヘンリエッタさんが持ってた、時計仕掛けの奏歌弓《クロックワークスアーチェリー》に似てる……。あれって、かなり手入れが難しい機械弓だって聞いてたけど……)

 ミノリのその視線に気付いた(イーヴォと同じ)第六投石船団の ミルシェ・ローバル が、彼女に声をかける。

「イーヴォに、何か用カナ?」
「あ、いえ……、あの滑車付きの弓って、この世界では一般的なんですか?」
「いや、イーヴォ以外に使ってるの、見たこと無いヨ」

 実際のところ、このコンパウンドボウはこの世界ではかなり珍しく、存在自体があまり知られていない。元々は異界から持ち込まれた技術だという説もあるが、イーヴォがどのような経緯でこの弓を手に入れたのかは不明である。

「なるほど。やっぱり、あれは熟練したベテランの弓使いの人でないと、扱いが難しいんですね」
「うーん、熟練かどうかは知らないケド、イーヴォはまだ14歳ダヨ。ベテランって程ではないんじゃないカナ」
「14歳!? あの身長で!?」

 自分やトウヤと同い年と聞いて、ミノリは驚愕する(なお、現在イーヴォと話しているコルネリオも14歳である)。

「イーヴォが言うには、北国の人達はみんな大きいらしいヨ」

 そう言うミルシェは、明らかに南国育ちと思しき風貌だが、それでも女性としてはかなり背が高い(ちなみに、ミルシェは17歳である)。

(うーん、まぁ、異世界の人達だし、私達とは基準が違うのかな……)

 ミノリがそう考えることで自分を納得させている中、ミルシェは川の上流方面から近付いてくる一団に気付く。

「あ、ユージィ達が来たヨ!」

 彼女の視線の先には、川の上流から流れてくる「橋の部品」と、その隣を並走するユージアル達の姿があった。

「みんなー、おまたせなのー!」

 その声を聞いたヴァルタは、いよいよ本格的に架橋作業に入ろうとするが、その瞬間、自分達とユージアルとの間の空間に嫌な気配を感じる。

「ユージアルさん! 待って下さい、その先に何かが……」

 ヴァルタがそう言いかけた時には、既にその空間に混沌核が出現し、そして混沌の収束が始まっていた。魔境内は常に混沌濃度が高いため、突発的な混沌収束は頻繁に発生する。その場合、どのような投影体が出現するかは状況によりけりなのだが、ここで彼女達の前に現れたのは、巨大な蜘蛛のような姿の怪物であった。
 その姿が明らかになった時点で、ミノリが声を上げる。

「あれは、ケイヴスパイダーです! そこまで危険な怪物ではないですが、普通は洞窟に出現するモンスターの筈。どうしてそれが、こんなところに突然……」
「混沌って、そういうものだヨ」

 ミルシェがそう答えつつ、弓を構えようとするが、それよりも早く反対側にいたユージィが、川から離れるように走りながら、蜘蛛に向かって射掛けていた。

「対よろなのー!」

 そう叫びながら、やたらと目立つカラーリングの羽飾りの付いた弓で立て続けに矢を放つが、もともと彼女は弓はあまり得意ではない上に、走りながらということもあって、全く当たっていない。しかし、彼女としてはそれも作戦の内であった。

(橋造りを邪魔されるのが一番困るの! 私の方におびき寄せられればいいの!)

 そんな彼女の思惑通りに、巨大蜘蛛はユージアルのいる方へと向かって動き出す。だが、その速度は存外速く、あっという間にユージアルは間合いを詰められた。しかし、ここで彼女は弓の弦を自ら切り、そして羽飾りを外すことで、その中に隠されていた槍の穂先のような刃物を顕にして、巨大蜘蛛に向かって突き刺す。これは「弭槍(はずやり)」と呼ばれる極東地方の武具を応用して作られた代物であった。

「視力が悪くても、雑魚相手の不意打ち近接なら一発くらいは当てられるの!」

 だが、その一撃で怯んだ巨大蜘蛛は、ユージアルの元から逃走し、再び川の方向へと向かおうとする。

「あー! そっちに行ったらダメなの! お前の相手はこっちなの!」

 しかし、その巨大蜘蛛が川に辿り着く前に、その動きは既に弓を構えたミルシェによって捕捉されていた。

「ハウラに教えてもらった弓の技術をようやく発揮する時が来たネ!」

 彼女が放った一矢は巨大蜘蛛を直撃し、既にユージアルの一撃で負傷していた巨大蜘蛛は、あっさりと絶命した。

「いい感じだったナ!あとでハウラに報告しよウ」

 しかし、この一連の物音が周囲に響き渡った結果、様子を見に来たコボルド達が、川の向こうから姿を現す。

「来たな! じゃあ、早速弓矢で……」

 コルネリオが牽制のための矢をつがえようとするが、そのコボルド達の中に「杖」を持ち、他のコボルド達よりも明らかに豪華な服を着た者達がいることに、ミノリが気付く。

「まずいです! あれは、小牙竜鬼の詠唱師(コボルド・キャスター)です!」
「キャスター?」
「彼等は雷の魔法を使います! しかもその射程は、弓よりも長いんです!」

 ミノリがその言葉を言い終える前に、二体のコボルドが放った雷撃が、川の中で作業していたラオリスに直撃する。

「きゃああああああああ!」
「姉さん!」

 ラオリスは全身に深手を負うが、エイシスの作り出した結界のおかげですぐさま傷を回復させていく。しかし、それでも即座には全快しなかったため、エイシスが更に岸から聖印を輝かせて、即座にラオリスの傷口を塞いでいく。

「し、死ぬかと思った……」

 体調の激変にラオリスが困惑する中、イーヴォはコンパウンドボウを構えて照準を合わせようとするが、彼は戦場での経験が長いからこそ、飛距離の長いこの弓を以ってしても、ギリギリ届かない距離に敵が陣取っているということがすぐに分かる。

(まずいな……、なんとか敵を引きずり出さないと……)

 イーヴォがそう考えていたところで、その真横にカエラが弓を構えて現れる。

「よく見ておけ。これが《曳光の印》だ」

 彼女は周囲の従騎士達に向かってそう呟くと、自身の弓を聖印の光で包み、そして光のような一矢を放つと、それは明らかに通常の物理法則を超えた速度と勢いで、コボルド・キャスターの身体に突き刺さった。突然の一矢にコボルド・キャスターのうちの一体は倒れ、周囲のコボルド達は動揺し、従騎士達は歓声を上げる。

(これが、本物の「アーチャー」の力……)

 彼女の直属の部下ではないコルネリオにとっては、「アーチャー」の聖印の力の発現を目の当たりにするのはこれが初めてであり、心に深い感銘を受ける。
 一方、投影体の少女・ミノリもまた、ワンド(杖)を掲げて攻撃魔法をコボルド・キャスターに向かって放つ。彼女は本来、カンナギと呼ばれる「回復職」であり、攻撃魔法は得意ではないが、それでもコボルド・キャスターの用いる雷撃魔法と同程度の射程までは放つことが出来る。とはいえ、その一撃はそれほど大して効いているようには見えなかった。

(それでも、こちらからの攻撃が届くと分からせるだけで意味はある筈!)

 彼女のそんな思惑通り、状況に困惑したコボルド達のうち、今度は弓を持った者達が一歩前に出て川岸の従騎士達を狙おうとするが、その最初の一歩を踏み出した弓手に対して、イーヴォは即座にコンパウドボウから矢を放ち、その心臓を的確に射抜く。

「オレの射程内に入ったら、もう逃げられない」

 先刻までの「少年」の表情から一変して、その目は完全に「戦場の狙撃手」の瞳になっていた。淡々と兵士としての「作業」に従事する彼のその様子から、過去の戦場においても戦力として重宝されていたことが伺える。
 一方、そんな彼の傍らで、コルネリオ達もまた、牽制のために矢を放っていた。

「橋が出来るまでは、絶対に近付かせないよ!」

 次々と放たれる従騎士達の矢に怯んだコボルド達は、次々と後方へと退いて行く。その間に、ラオリスとヴァルタの手によって、着実に橋の修復は進んでいた。

「よし! 形も大きさも計算通り! これで、あとは最後にあの木板を載せれば……」

 ラオリスがそう口にしたところで、今度は川の向こう側から、明らかに先刻までとは異なる規模の「大型の魔物の足音」が聞こえてくる。

「来ました! コボルド・リーダーです!」

 ミノリがそう叫ぶと、彼等の目前には通常のコボルドの数倍の大きさの魔物が現れる。その姿を確認したラオリスは、微妙な違和感を感じる。

「あ、あれ? なんか、こないだより、大きくなってない……?」

 前回の調査時にラオリスは遠方からコボルド・リーダーの姿を確認していたが、その時に比べて、明らかにその体躯は大型化している。おそらく、何らかの形で周囲の混沌を吸収して、混沌核自体も肥大化してしまったのだろう。
 ともあれ、討伐対象となる投影体が向こう側から現れてくれたのは好都合である。ラオリスは急いで最後の部品を設置し、そして自らその橋の上へと登り上がる。

「これで完成!」
「やったね! 姉さん!」
「イナバヤマワンナイトキャッスルなの!」

 架橋担当の従騎士達がそう言って喜んでいると、そのコボルド・リーダーは橋の上にいるラオリスに向かって突撃してきた。その状況を確認したエイシスは、すぐさま大声を上げる。

「ラオリス! 下がって下さい! 向こうから来るなら、そのまま橋のこちら側に誘い出せばいい。その上でもう一度橋を落とせば、敵を孤立化させられます」
「分かったよ、エイシス!」

 そう言ってラオリスは橋を渡って本隊と合流する。一方でカエラは弓兵隊に対し、あえてコボルド・リーダーではなく、彼に続こうとする部下のコボルド達の方を狙い撃ちするように命じる。

「こいつはきっとこう動くから……、足元を狙っテ……」
「そこはもうオレの射程内だ」
「こっちに来るんじゃない! 退け!」

 弓兵隊が次々と射掛けることで後続部隊と完全に分断されていることにも気付かぬまま、コボルド・リーダーはそのまま橋を目掛けて突進して来る。その状況を確認した上で、エイシスは自身の聖印を護身用の武器に向けて掲げつつ、弓隊にはコボルド・リーダーが橋を通るタイミングで一斉掃射を依頼する。

(あの橋の水域には《不可侵の印》もかけてある。そこに一気に矢を喰らえば相当な傷を負う筈。それでも突破してきたら、私がこの《反癒の印》で……)

 エイシスが眼鏡の奥でそんな思惑を目論む中、コボルド・リーダーはエイシスの計算通りのタイミングで橋へと到達し、そこに一斉に矢が放たれる。だが、その矢がコボルド・リーダーに届く直前、彼等の視界からその巨体が一瞬にして姿を消した。

「おファ!?」

 ユージアルのその奇声と同時に、コボルド・リーダーがいた筈の空間には、大量の「水しぶき」と「木片」が湧き上がり、弓隊が放った矢は、その水しぶきの中に飲み込まれる。どうやら急増の木板ではコボルド・リーダーの巨大化した身体を支えきれずに、橋が壊れてしまったようである。そして、そのまま川の激流に飲み込まれたコボルド・リーダーは、下流へと流されていく。
 誰も想定していなかった状況に一瞬戸惑いながらも、すぐにカエラが全員に号令する。

「射掛けろ! 逃がすな!」

 すぐさま弓隊は流されていくコボルド・リーダーに対して矢を放ち、そのうちの何本かは命中するが、川の流れは早く、途中からはコボルド・リーダー自身が水中で体勢を立て直しつつ、あえてその川の流れを利用して下流に(犬かきの要領で)泳いで行ったため、すぐに射程の範囲外となってしまった。

 ******

「無限回廊が本当に一方通行なら、もうすぐ架橋予定地に着く筈ですが……、え? あれは!?」

 川沿いに上流へと向かって歩いていたアシーナ達は、唐突に川の上流から、矢を受けて血を流した状態のコボルド・リーダーが流れてくる光景を目の当たりにする。

「あ、あれが……、コ、コ、コボ……、コボルド・リーダー……?」
「傷を負ってるぞ! チャンスじゃないか!」

 シューネは困惑する一方で、トウヤは意気込むが、今この場にいる者達の中に、飛び道具を使える者は誰もいない。そして、コボルド・リーダーは彼等の存在に気付くと、すぐさま(後方からの弓がもう届いていないことを確認した上で)向こう岸の大地を掴んで上陸し、そのまま対岸の奥地へと走り去っていった。

 ******

「すみません、私の判断ミスです。橋の強度までは確認していませんでした」

 エイシスはそう言って頭を下げる。とはいえ、あの状況でコボルド・リーダーよりも先に白兵部隊が橋を渡って決戦に挑んだ場合、何人かの犠牲者が発生していた可能性があることも考慮すれば、作戦自体は失敗したものの、人的被害を一人も出さずに敵にのみ損傷を与えることが出来たという意味では、そこまで悪い結果でもない。

「ごめんなさいなの。もう少し耐久性も考えておくべきだったの……」
「仕方ないネ。あんな状況は誰も考えてなかったヨ」
「むしろ、橋はまだ半分残っているんだ。『次』に向けての足掛かりが出来たと思えば、これはこれで悪くないじゃないか」

 落ち込むユージアルに対して、同僚のミルシェとイーヴォが笑顔でそう告げる。なお、この時のイーヴォの表情は、先刻までの戦場での彼とはまるで別人のような朗らかな様子であった。
 そして、彼等の指揮官であるカエラもまた、意気消沈しそうな空気を変えようと、声を張る。

「おそらく、これであのコボルド・リーダーは、もう強引に橋を渡ろうとはしないだろう。そして、少なくとも今の段階では迂回路がおそらく存在しない、ということも分かった。ひとまず今回は退くが、次に同じ手順で橋を架ければ、間違いなく成功する筈。諸君らはその礎を築いたのだ。後のことは第二次部隊に任せて、胸を張って帰還せよ!」

 なお、カエラ自身はそう言いつつも、次の第二次浄化作戦にも参加するつもりだった。それはエイシスもまた同様である。彼等の本音としては、このまま中途半端な状態で他の者達に任せたくはない。

「姉さん、さっきの雷撃、大丈夫だった?」
「うん、ちょっとビックリしたけど、やっぱり、エイシスの結界は凄いね」

 デルトラプス姉弟がそんな言葉を交わしている横で、アシーナはシューネの功績を称える。

「お疲れさまでした。あなたが浮草の異変に気付いてくれなかったら、気付くのにもう少し時間がかかっていたでしょう」
「い、いえ、それは、その、あの、た、たまたま、ですから……」

 そして、コルネリオは任務を達成出来なかった無念を噛み締めつつも、この作戦に参加した意義を十分に実感していた。

(僕もいつか、あんな矢が放てるようになれるのかな……、いや、ならなくちゃ!)

 こうして、それぞれの想いを胸に抱きつつ、従騎士達はカルタキアへと帰還するのであった。

☆合計達成値:92(7[加算分]+85[今回分])/100
 →このまま 次回 に継続(ただし、目標値は上昇)

BB「五重塔」


 カルタキアの南方に出現した「異界の街」は、「扶桑」と呼ばれる国の中心都市であり、現地の人々からは「京の都」呼ばれている。従騎士達の二度に渡る潜入調査作戦の結果、どうやらこの魔境の根源となる混沌核と思しき「凶星」の正体は、異界の秘術で生み出された火の玉であるらしい、ということが判明した。そして、空中に存在する混沌核が相手ということであれば、聖印の力で生み出す「聖弾」によって撃墜するのが適切という判断から、「パニッシャー」の聖印を持つ星屑十字軍の総帥であるレオノール・ロメオ(下図)が、混沌浄化要員として任命されることになった。
+ レオノール
 ただし、この街には特殊な結界が張られており、街からその火の玉を直接攻撃することは出来ない。この街の中で唯一その結界の外側に存在するのが、街の南方に位置する「東寺(とうじ)」と呼ばれる宗教施設の中に築かれた「五重塔(ごじゅうのとう)」の先端部分である、ということまでは明らかになったのだが、さすがに宗教施設の屋根の上に勝手に登ろうとすれば、現地の投影体達との間での軋轢が発生する可能性がある。
 また、五重塔の内側がどうなっているのかも、火の玉の浄化にどれほどの力が必要になるかも分からない以上、この浄化作戦を着実に決行するためには、無駄な争いに聖印の力を割くべきではないと判断した上で、まずは前回の調査時にこの街の治安維持機構「新撰組」との間で友好関係を築いた ユリアーネ・クロイツェル カノープス・クーガー マリーナ・ヒッパー の三人が、彼等の上官であるジーベン・ポルトス(下図)を伴う形で、新撰組との交渉へと臨むことになった。
+ ジーベン
 なお、ユリアーネは一国の姫という体裁で交渉していることもあり、ジーベンは彼女の上司ではなく「傭兵」という建前で同行している。もともとジーベンは交渉事は得意ではないため、あえて口を挟むつもりもなかったが、万が一揉め事になった時に備えた上での動向であった。そして、ジーベンを伴って新撰組の現在の屯所である西本願寺へと足を踏み入れると、前回とは明らかに周囲の隊士達の目が違っていた。

(何者だ? あの男……)
(沖田さんや土方さん……、いや、むしろ、斎藤さんに似た空気を感じる……)
(あいつら、ついに「本気」で乗り込んで来やがったのか……?)

 そんな緊張した空気が漂う中、前回同様、一番隊組長の沖田総司(下図)が彼等の前に現れ、そしてユリアーネが一通りの事情を説明する。
+ 沖田総司

(出典:『幕末霊異伝〜MI・BU・RO〜』p.147)

「……なるほど。つまり、全ての元凶である『凶星』を撃ち落とすために、五重塔のてっぺんまで登りたい、と。これはまた、なかなか面白い提案ですね」

 言葉だけ聞けば皮肉のように聞こえそうな言い回しだが、沖田は本当に(ただ純粋に)面白がっているような口調でそう語る。その上で、少し真剣な表情に切り替えつつ、話を続けた。

「それにしても、この街に魑魅魍魎を封じるための結界が張られていることは、新撰組の中でも極一部の人しか知らない極秘事項です。一体、どこでそのような情報を?」
「私も詳しくは把握しておりません。その情報を得てきたのは我が国の者ではないので。しかし、あなたのその反応からして、どうやら信憑性のある情報のようですね」
「えぇ、結界に関しては、その通りです。とはいえ、その『凶星』の正体については、現時点では全く情報を得ていないので、何とも言えません。ただ、どちらにしても、今の『東寺』に関しては、こちらとしても少し調査する必要があると考えていたところです」
「と、おっしゃいますと?」
「あの建物は、この西本願寺と似て非なる系譜の教えを学ぶ人々のための施設なのですが、この街が『今の状態』になって以来、一度もあの境内の中に人の姿を見ていないのです。そして、五重塔の内側からは、奇妙な法力の気配を感じていました。不気味に思って、誰も中を調べようとはしなかったのですが、そのような状況なのだとすれば、むしろこの機会にこちらで調査してみようと思います。情報提供、感謝します」

 沖田のその言い方に対して、ユリアーネの目元が一瞬ピクっと反応する。

「お待ち下さい。その言い方、もしや我々抜きで調査されるおつもりですか?」
「東寺の現状は分かりませんが、住職の許可なく足を踏み入れること自体、本来は禁忌です。そこに異人の方々を同行させるとなれば、東寺の内側に施されているであろう結界が、何を引き起こすかは分かりません。ですので、まずは我々が先に内部を調査した上で、異人の方々が入っても問題が無いかどうかを確認する必要があるかと」

 沖田は笑顔でそう説明するが、おそらく内心では「出来れば自分達だけで解決したい」と考えているであろうことは推測出来る。ユリアーネ達とは協力関係を結ぶと約束したものの、得体の知れない者達の力を借りることに対して、警戒するのは当然の話であろう。
 しかし、ユリアーネにしてみれば、ここで彼等に任せた場合、彼等の行動および五重塔の内部の状況次第によっては、むしろ状況が悪化する可能性もある。彼等には魔境の混沌核を浄化する手段はないし、そもそも本来ならば浄化する理由もない。場合によっては、沖田が魔境の混沌核と同化することによって、カルタキアにとってのより強大な脅威となる可能性もある。ここは何としても、自分達を調査に同行させなければならない、と彼等に思わせる必要がある。
 ここで、ユリアーネは先日の調査後に金剛不壊のスーノから聞いた話を思い出しつつ、会話の流れを修正しようと試みる。

「なるほど。それだけあの建物は由緒ある施設ということなのですね。そして、あなた方自身もこれまで『怪しい』と思いながらも手が出せなかったということは、もしや、この街にいる『他の勢力』の方々の反発を気にされていたから、ですか?」
「どこまで事情をご存知なのかは知りませんが、それは否定しません。今のこの街において、私達とは異なる管轄で動いている人々も大勢います。もともと私達もこの街の人々から見れば『余所者』ですので、街の伝統に反する行為は人心を失う可能性がある。そうなれば、他の勢力に付け入る隙を与えてしまいます」
「そうでしょうね。だからこそ、異人である私達に対して過度に肩入れする訳にもいかない、というのも分かります。ところで、私達は『薩摩藩』の方々とも不戦協定を結んでいることはご存知でしょうか?」

 その発言に対して、沖田は一瞬、目を丸くする。

「ほう……?」
「薩摩藩兵の最高責任者である西郷吉之助という人物に『スーノ・ヴァレンスエラ』の名を伝えれば、話は通る筈です」

 さすがに沖田もこれは全くの想定外だったようで、しばしの沈黙が流れる。

(つまり、こちらが単独調査を強行しようとすれば、彼等は薩摩藩を動かして横槍を入れてくる可能性もある、ということか……)

 現時点で、新撰組の雇い主である会津藩と薩摩藩は「公武合体」という大枠の方針の上での協力関係にあるが、西郷に関しては以前から「異界のもんすてる(さいくろぷす)の末裔」という噂がある上に、密かに(新撰組にとっての宿敵である)長州藩と裏で繋がっているのではないか、という懸念を抱く声もある。現状は「異界への漂流」という非常事態であるが故に、正面切って薩摩藩と敵対する可能性は低いが、彼等が内心で何を考えているかは分からない以上、薩摩藩とユリアーネ達が反新撰組派として結束することは、あまりにも危険であるように思えた。

「……なるほど、つまり、あなた方としては、我々と薩摩藩とあなた方による三派連合で東寺の調査に臨むべき、と仰っしゃりたいのですか?」
「もちろん、そちらにもそちらの事情があるでしょうから、無理にとは言えませんが、それが最も合理的かつ平和的な選択肢ではないかと、私は考えております。その上で、大変不遜な言い方で恐縮ではありますが、我々には『我々にしか使えない奥義』があります」
「奥義?」
「私達には、この世界の理(ことわり)に反する状況を正す『聖印』を生み出す力があるのです」

 ユリアーネはそう告げた上で、自身の聖印を光らせる。彼女が目配せすると、カノープスとマリーナもそれぞれの聖印を掲げた(なお、ジーベンは、ここで彼女達よりも大きな聖印を出すと、人間関係が疑われる可能性があるかと判断し、あえて何もしなかった)。

「これは……、確かに、我々の世界には存在しない代物ですね……」
「はい。これは、この世界において『世界を正すことを認められた、正しい心の持ち主』にのみ与えられた力です。凶星の浄化には、この聖印の力がどうしても必要なのです」

 沖田にしてみれば、その話を無条件で真に受ける道理はない。しかし、彼女達が何らかの「得体のしれない力」を有していることは疑いようがなく、そして彼女達が薩摩藩と通じているのだとすれば、ここで彼女達と対立するのも、放置して自分達が蚊帳の外に置かれてしまうのも、望ましくない事態であるように思えた。

「分かりました。では、その方向で話を進めてみましょう。皆様は、しばらくこちらでお待ち下さい」

 沖田はそう言って、部屋を後にする。部屋には護衛(監視)の隊士達が残っていたが、彼等に聞こえない程度の小声で、それまでずっと黙っていたジーベンは一言だけ呟いた。

「強いな、あの男……」

 それが「自分と同じくらい」という意味なのか、それとも「自分よりも」という意味なのか、その声のニュアンスからは判別が出来なかった。

 ******

 一方、その頃、幽幻の血盟の一員である ハル は、前回の調査時に遭遇した投影体と接触すべく、少し大きな鞄を手にしながら、彼が指定した「寺田屋」へと足を運んでいた。

「はい、いらっしゃいませ。あら、これはまた綺麗な銀髪の異人はんどすなぁ」

 寺田屋の女中は笑顔でそう接客する。ハルの髪色はアトラタンの中でも珍しい部類だが、もともと黒髪の原住民しかいないこの街の中では、赤毛も金髪も銀髪もそれほど大差ない「異人」というくくりであり、彼女達の中ではそこまで違和感はないらしい(というよりも、既に「異人」に対する感覚が麻痺しているのかもしれない)。

「サイタニ・メタローンという方にお会いしたいのですが、可能でしょうか?」
「めたろーん……? あぁ、梅さんのことでっしゃろか?」

 彼女がそう答えたところで、奥から妙齢の女性が現れる。

「あんた、お春さんだろ? 梅さんから話は聞いてるよ。こっちに来な」

 彼女がそう言ってハルを奥の座敷へと案内する。

「ありがとうございます。では、失礼致します」

 そう言ってハルは靴を脱ぎ、初めて体験する「畳」の感触に若干の違和感を感じつつ、その女性の後について襖の前まで来ると、その女性は襖の向こう側にいる人物に対して声をかけた。

「ちょいと梅さん、あんたに異人のお客さんが来てるんだけど、今、開けても問題ないかい?」
「おぉ、構わんぜよ。別に、なんも後ろ暗いことはしとらんきに」

 その声に応じて襖が開かれると、そこにはハルが前回出会った「才谷梅太郎」と名乗る男の姿があった(下図)。
+ 才谷梅太郎

(出典:『幕末霊異伝〜MI・BU・RO〜』p.163)

「これはこれは、春殿。本当に来てもらえるとはのう。嬉しい限りじゃ」
「はい。少し、お願いしたいことがありまして……」

 ハルはそこまで言ったところで、才谷の隣に一人の見知らぬ少女(下図)が座っていることに気付く。その少女の装束は明らかに極東風の着物であり、風貌的にもこの街の投影体のように見えた。
+ 謎の女性

(出典:『戦国異聞録KAMUI』p.138)
 ハルをここまで案内した女性が襖を閉めてその場を後にすると、その場に残った少女は、少し申し訳なさそうな表情で口を開く。

「あの……、お邪魔でしたら、私は席を……」
「あー、いやいや、おまんにも、この場におってもらった方がええかもしれん。もしかしたら、おまんらの事情に関係しゆう話かもしれんからのう」

 才谷はそう言って少女をその場に留めると、当然の如くハルは問いかける。

「そちらの女性は?」
「正直、わしもよう分からん。さっき出会ったばかりじゃからのう」
「は?」
「じゃが、よう知らんのはおまんも同じじゃ。そして、おまんもわしのことをよう知らん。よう知らんが、話を聞きとうなってここに来た。違うか?」
「そうですね」
「ならば、よう知らん者同士、まずは互いに話し合ってみるぜよ。その上で、どうすべきか考えればええ」
「なるほど」
「では、改めて。わしは才谷梅太郎。土佐の商人(あきんど)じゃ。と言うても、おまんに通じるかどうかは分からん。おまん、『ただの異人』じゃなかろう?」
「えぇ。まぁ、どこまで話して分かってもらえるかは分かりませんが……、この街は今、『あなた達が住んでいた世界』とは別の世界に流れ着いているのです」

 ハルはそう告げた上で、なるべく分かりやすく「現状」を才谷に伝え、その上で、彼に対して「混沌核浄化のための協力」を申し出た。

「つまり、今起きている異変を解決するために、五重塔を攻略する必要があるのです」
「ふむ。なるほどのう。あまりにも突拍子もない話じゃが、既に京の都が砂漠に包まれちゅう時点で、どんな与太話でも信じてみたくなる、今はそんな気分じゃ」

 微妙な言い回しでそう答えた才谷に対して、ハルはそのまま話を続ける。

「その凶星の浄化が成功すれば、あなたが元居た世界に帰れる可能性もあります。悪くない提案だと思うのですが」
「まぁ、そうじゃのう。ただ、一つ引っかかるのは、その情報の出所がグラバーの部屋にあった書類っちゅうとこじゃな」
「その異人のことを、ご存知なのですか?」
「ご存知も何も、わしの商売相手の一人じゃからのう。英吉利の商人で、色々と武器を買わせてもらっちょるが、奴の正体はもんすてるじゃ。信用はならん」
「もんすてる?」
「とある筋から仕入れた話によると、奴は『あばでぃーん』の『けるぴー』とかいう、白馬と魚の中間みたいなもんすてるらしい。まぁ、それも確かな話ではないんじゃがな」
「はぁ……」

 正直なところ、それがどんな怪物なのかハルにはさっぱり分からないし、そもそもアトラタン人から見れば、「異人」でも「もんすてる」でも「投影体」であることは分からない。

「ところで、一つ聞きたいんじゃが」
「なんでしょう?」
「『おまんらの世界』には、わしらのように『余所の世界』から人や街が流れて来るいうことは、ようある話なんか?」
「少なくとも、この近辺の領域では、頻発しているようです」
「なるほどのう。ほんなら……」

 才谷はそう呟きつつ、先刻から黙って話を聞いていた少女に声をかける。

「さっきのおまんの話とも辻褄は合いそうじゃな」

 唐突に話を振られた少女は、困惑しながら答える。

「つまり、ここは『私達の世界』でも『あなた達の世界』でもない、ということですか?」

 その反応に対して、ハルは困惑しつつも改めて問いかける。

「あの、まだお名前も伺ってはいないのですが、あなたは……?」
「これは、失礼しました。私は駿河・遠江を治める今川治部大輔義元の娘で、氏真と申します」

 いきなり聞いたことがない地名・人名を並べられてハルは困惑するが、ここで更に話を混乱させることを才谷が口にする。

「今川氏真っちゅう名前はわしも知っちゅうが、少なくともわしらが生まれるよりも300年くらい前の時代の人じゃ」
「は?」
「しかも、おなごと違う。今川義元公の長男の筈じゃ」
「どういうことですか?」
「わしにも分からん。じゃが、今のおまんの話から察するに、おそらく、『わしらの世界とよく似た別の世界』から、『この世界』に流れ着いたっちゅうことみたいじゃの」

 そこから氏真は、自分がここに辿り着くまでの経緯を説明する。彼女が言うには、彼女の父である今川義元は、かつては名君として名を馳せる存在であったが、ある時から闇に魅入られ、「魔将」と呼ばれるようになり、死霊や餓鬼と呼ばれる魔物達を使役して、周辺諸国から恐れられる存在となってしまったらしい。
 やがて義元は「京の都」を手中に治めるべく出撃したが、その途上で、なぜか「奇妙な空間」へと迷い込んでしまい、そこから抜け出せない状態になっているという。氏真は、その原因が父の魔将化にあると考え、そんな父を元に戻す方法を探すべく、その軍団から抜け出して「京の都」を目指したが、その途中でいつの間にか周囲が砂漠地帯と化し、その砂漠の中でこの街を発見したが、この街は「氏真の世界における京の都」とは似て非なる様子であるらしい。

「で、途方にくれとったところを、わしが声をかけて、今、こうして身の上話を聞こうとしちょったところに、春殿がやってきたっちゅう訳じゃ」

 つまり、この話を総合すると、この「今滞在している魔境」とは別に、もう一つの「扶桑とは似て非なる世界からの魔境」がこの近くに出現している、ということらしい。あまりにも突然すぎる展開に頭が混乱する状況を必死で整理しながら、ひとまずハルは、話を本題に戻す。

「いずれにせよ、今はまず、『この街』を『あるべき世界』に戻すことが先決かと思われます。『もう一つの世界』に関しては、また後ほど、調査に向かわせて頂いた上で、解決法を考えていきたいと思いますので……」
「まぁ、そうじゃの。そんな訳で、氏真殿、わしは一足先にこの世界から消えてしまうかもしれんが、その後のことは、こちらの春殿を頼られよ」

 勝手に厄介事を押し付けられる形になったハルだが、ここで才谷の機嫌を損ねる訳にもいかない以上、ひとまずその点は曖昧に流した上で話を進めることにした。

「では、御協力頂けるということで、よろしいですか?」
「まぁ、それは構わんが、わしに何をさせる気じゃ?」
「五重塔を登る際に、それを妨害する者達が現れるかもしれません。その際に、手を貸してほしいのです」
「なるほどのう。しかし、その作戦には新撰組も同行するんじゃろ? わしはお尋ね者じゃき、かえってややこしゅうならんか?」
「それに関しては、こちらを用いてもらえば……」

 ハルはそう言いながら鞄を開く。その中身を見た才谷は、ニヤリと笑う。

「ほほう、これはなかなか興味を引かれるのう」
「それでは……」
「じゃが、一つ条件がある」
「なんでしょう?」
「命を賭けた戦場(いくさば)になるかもしれん以上、その前におまんとはしっかり呑み交わし、語り合っておきたい。おまん、酒はいけるクチか?」
「実は、こちらに持参しております」

 そう言って、ハルは鞄の奥から酒瓶を取り出す。実は、微妙に異なる理由で持ち込んだ酒であったのだが、結果的にこれで彼の協力が得られるのであれば、目的は果たせる。

「おぉ! それはもしや、異国……、いや、異界の酒か?」
「はい。我がカルタキアの地酒です」
「それは嬉しいのう。この世界での最後となるかもしれん夜にふさわしい」

 才谷が本気で嬉しそうな声でそう言うと、氏真が盃を手に二人の間へと寄り添う

「では、私が酌を……」
「おぉ、氏真公の酌とは、これはまたなんとも不思議な気分じゃな。時に春殿、おまんは、どのようなおなごが好みじゃ?」
「好み、ですか……」
「わしは、はちきんじゃ。気性の強いおなごほど、惚れさせてみとうなる。そうは思わぬか?」
「そう、かもしれませんね……」

 程々に話を合わせつつ、ハルはそのまま晩酌に付き合い続ける。なお、ハルは事前に「酔い止め薬」を処方していたため、酔いつぶれることもなく乗り切ることが出来た。ちなみに、この薬は、以前に彼がカルタキアの高級酒店でフォーテリアと飲み比べをした際に貰った代物である。

(あのときは辛酸を舐めさせられましたが......、まあ精々上手に使わせてもらいますよ)

 ******

 その頃、星屑十字軍のレオノールは、従属君主である ユリム に頼んで、彼が前回調査していたトーマス・ブレーク・グラバーの隠れ宿を訪れていた。ユリムは本来、今回の浄化任務には前線要員のつもりで参加していたのだが、どちらにしても新撰組や薩摩藩との交渉のために時間が必要ということもあり、その間にレオノールがユリムの人脈を利用してこの場所に来たいと言い出したのである。

「すまないね、無理を言って。一度、自分の目で確かめておきたかったんだ」
「いえ、自分も調べ忘れた書物があったかもしれませんし、もう一度確認しておく意味はあるでしょう」

 二人はそんな会話を交わしつつ、改めてグラバーの残した書物を確認する。

「少なくとも、この資料に書かれている情報が間違いではないなら、多分、あの五重塔から僕の聖弾で撃ち落とすことは可能だと思う。それにしても……」

 レオノールはその書物に記されている世界地図などを見ながら、しみじみと呟く。

「やっぱり、この『地球』という世界は、僕等のこの世界と、どこか似ているよね。果たしてこれは偶然なのか、それとも……」

 聖印教会の教義としては、混沌は全て「悪」であり、混沌の産物を有効利用しようとする行為全般が、人々の混沌への依存度を高め、皇帝聖印の成立を阻む要因となる以上、(程度にもよるが)好ましくない、というのが一般的な見解である。ただ、混沌によって出現する「異界」そのものが悪なのかどうか、という点については見解は一致していないし、異界のことについて調べようとする行為自体に関しても、宗派ごとに様々な見解が混在する。
 星屑十字軍の場合、大前提として「人と人の争いには手を貸さない」という原則がある以上、宗派ごとの教義解釈の違いによる対立については「棚上げ」するというのが基本方針である。だからこそ、ワイスのように異界文明について積極的に調べようとする行為についても容認(黙認)されているのだが、このような形で総帥であるレオノール自身が、異界に興味を示すような行為は、日頃は(過激派の団員の神経を逆撫でしないように)控えている。
 そんなレオノールが、魔境に乗り込んだ上でこのような(人によっては不快に感じるかもしれない)発言を口にしているのは、この場にいるのがユリムだけだから、という事情が大きい。星屑組の中では比較的古参で「大人」な彼であれば、安心してこういった呟きを聞かせることも出来る、というのが今のレオノールの心境なのだろう。

 ******

 そして翌日。新撰組屯所での一晩を明かしたユリアーネ達の元に、沖田からの朗報が届いた。新撰組と薩摩藩邸との間で、ユリアーネ達との共同調査の合意が得られたらしい。彼等はレオノールとユリムとも合流した上で、沖田率いる新撰組一番隊の面々と共に西本願寺の南方に位置する東寺へと足を運ぶ。すると、そこには既に薩摩軍の司令官・西郷吉之助(下図)率いる薩摩藩兵達の姿があった。
+ 西郷吉之助

(出典:『幕末霊異伝〜MI・BU・RO〜』p.160)

「おはんらが、スーノ殿の盟友でごわすか。おいは西郷吉之助。よろしゅうお頼み申す」
「私はユリアーネ。よろしくお願いしますわ」

 一度、沖田を相手に「姫」と名乗ってしまった立場上、ユリアーネはそのまま「異人軍団」の責任者という建前を演じ続けることにした。そして、彼等が境内へと入ろうとしたところで、ハルと、そして「カルタキアの民族衣装を着た謎の青年」が現れる。

「遅れてすみません。私はユリアーネ様の従者で、ハルと申します。こちらは……」
「Mr.ドラゴンじゃ。よろしゅう頼むぜよ」

 ユリアーネ達は初対面だが、ハルから「投影体の協力者を、カルタキア人に変装させた上で連れて来る」と聞いていたので、あたかも知り合いであるかのように場を取り繕ってきたが、西郷は一瞬にしてその「違和感」に気付く。

「おはん、坂も……」
「Mr.ドラゴンじゃ! 皆の衆を本来の世界に送り届けるために、助太刀致す! よろしゅうな!」

 強引にそう言って押し切るMr.ドラゴンに対し、新撰組隊士達の中でもざわつきが起こる。

「沖田さん、あの人、確か土佐の……」
「……まぁ、詳しい話は、今回の件が終わってから聞くことにしましょう」

 そんなやり取りを経た上で、ひとまず彼等は東寺の境内へと足を踏み入れる。まずは本堂から順に新撰組と薩摩藩兵が調査を始めるが、やはり人の気配は見当たらない。その間に、ユリアーネ達は五重塔の前で待機していたが、明らかにその塔の中からは、強烈なまでに不気味な混沌の気配が漂っていた。

「まるで、この塔の一つ一つの階がそれぞれ別の魔境であるかのように思えるくらい、強大な混沌の力を感じるね」

 レオノールがそう呟くと、ユリアーネが小声で答える。

「とりあえず、私達は最上階まで登ることだけを考えましょう。一つ一つの階を浄化することを考えていたら、その間に新撰組の人達に出し抜かれて先に最上階まで到達されてしまうかもしれません。レオノール様は、なるべく力を温存しておいて下さい」
「分かった。最上階に着くまでは、皆を頼らせてもらうよ」

 そんなやりとりを交わしていると、やがて沖田と西郷、そしてMr.ドラゴンが彼等の前に現れる。

「とりあえず、この境内が無人であることは確認しました。ひとまず、我々で五重塔の中に入ってみましょう。一応、境内各所は一番隊と薩摩藩兵の方々で警戒させています」
「おいの直観では、おそらくこの五重塔の中、強大な瘴気が漂っているようでごわす。並の人間では連れて行くのも危険と考え、他の藩兵達は外に残しておくことにし申した」
「わしも同感じゃな。こんだけ嫌な気配が漂ってるのを感じるのは、黒船を見た時以来じゃ。おまんら、本当に大丈夫か?」

 彼等がそう語るのに対し、ユリアーネは改めて聖印を掲げる。

「心配は御無用です。私達には、これがありますから」

 それに合わせて他の四人の従騎士もそれぞれに聖印を掲げ(部隊長二人はあえてその力を隠したまま)、三人の投影体と共に、塔の扉を開くのであった。

 ******

 扉を開いた先には広い空洞が広がっており、奥には上へと続く階段が見えたが、その前に一人の剣士が立ちはだかっていた(下図)。
+ 謎の剣士

(出典:『幕末霊異伝〜MI・BU・RO〜』p.162)
 その姿を見た途端、Mr.ドラゴンが驚愕の声を上げる。

「以蔵!?」
「……龍馬? 貴様、なぜここに?」

 謎の剣士にそう問われたMr.ドラゴンは、嬉しそうな声で駆け寄ろうとする。

「こっちの台詞じゃ! おまん、ここで何しちゅう? 久しぶりじゃのう!」

 だが、そんな彼に対して、以蔵と呼ばれたその剣士は刀を突きつける。

「気が付いたら、この部屋にいた」
「どういうことじゃ?」
「分からない。だが、誰かが心の中で命じている。侵入者を倒せ、と」

 どうやら、彼はもともと「この異世界」の住人のようだが、他の者達とは少々異なる特殊な形でこの塔の中に投影されたらしい。

「おまん、それ、誰かに操られとるんじゃ……?」
「そうかもしれない。だが、武市先生を失った今の我が身には、その命令だけが心の支え」
「いやいや、訳分からんこと言うとらんで、まずは久しぶりに酒でも……」
「黙れ」

 その剣士は静かにそう告げると、Mr.ドラゴンに対して本気で斬りかかるが、彼はすぐさまハルから借りた長剣で、その剣士の刀を受け止める。

「西洋剣っちゅうのは、重くて使いにくいのう……」
「メタローン殿!」

 ハルがそう叫んで加勢しようとするが、それに対して彼は目で制す。

「Mr.ドラゴンじゃ。ひとまず、ここはわしとこいつの二人で話をさせてもらえんかのう? おまんらは、先に行ってええきに」
「行かせると思うか!」

 謎の剣士はそう言って階段への道を塞ごうとするが、その動きを先んじたMr.ドラゴンの長剣によって阻まれる。

「さて、この西洋剣で北辰一刀流をどこまでアレンジ出来るか、試してみようかのう」

 そう言いながら剣士の刀を弾き飛ばし、その間に他の者達は階段へと走り込む。

「春殿、氏真殿のこと、任せたぜよ」

 この場にはいない「謎の姫君」の名を口にしつつ、Mr.ドラゴンは同郷の剣士を相手に、西洋剣を用いた正眼の構えで迎え撃つのであった。

 ******

 階段を登る過程で、ユリアーネは呟きながら状況を整理する。

「今の人、明らかに正気ではありませんでした。おそらく、この世界に出現する怪物達と同じように、闘争本能だけを肥大化させた存在として投影されたのでしょう」

 そんな彼女に対して、並走するマリーナが声をかけた。

「ということは、この先の階にも同じような者達が……?」
「いるのかもしれません。この塔が宗教施設であればなおのこと『侵入者を許してはならない』という意識が塔に乗り移り、それが混沌の力となって、危険な投影体を守護者として招き寄せているのかも……」

 彼女達がそんな憶測を抱きながら彼等が2階へと駆け上がると、そこに現れたのは、明らかに扶桑の人間と思しき不気味な亡霊の姿であった(下図)。
+ 謎の亡霊

(出典:『幕末霊異伝〜MI・BU・RO〜』p.161)
 その亡霊は何かをブツブツと呟いているようだが、はっきりとは聞こえない。ただ、彼の周囲の空間が奇妙な形で歪んでいるように見えた。混沌の作用に詳しいユリムは、それを見て即座に状況を理解する

「これは一種の結界だな。上の階への侵入を防ぐために、あの亡霊が生み出しているようだが、奴は一体……?」

 従騎士達が警戒する中、西郷が一歩前に踏み出る。

「ここはおいに任せてもらいたい。おそらくこの亡霊が現れた原因は、これまで多くの長州の浪士達を殺してきたおいへの恨みであり申そう」

 どうやら西郷は、この亡霊の正体に心当たりがあるらしい。その上で、西郷は手元で特殊な術式の「印」を組み始める。

「おいが陰陽術を用いて道を切り開く。長くは持ちませぬ故、素早く通り抜けて下され」

 彼はそう告げると、手元から光が放たれ、そして歪んでいた空間の一部が「正常化」すると、他の者達はその「正常化された空間」を通って、三階への階段へと向かって行く。

「さて……」

 西郷はそう呟きながら、薩摩拵を構えて亡霊に向かって語りかける。

「おはんの時代は終わり申した。おいはこれから、おはんの高弟の方々と共に、新しか扶桑国を作り申す。高杉殿や桂殿が、またおはんの古き価値観に縛られてしもうたら、この国の未来は止まってしまう。申し訳ないでごわすが、ここで成仏して下され、松蔭殿」

 ******

 三階へと辿り着いた者達の前に現れたのは、「浅葱色の羽織」を着た男であった(下図)。それは紛れもなく、新撰組の隊服である。
+ 浅葱色の隊服の男

(出典:『上海退魔行』p.12)
 そして、その男の雰囲気に潮流戦線の面々がどこか既視感を感じている中、その男は静かに名乗りを上げる。

「上海新撰組一番隊隊長、沖田総司。闇に属する者達を、通す訳にはいきません」

 その名を聞いた瞬間、全員が「自分達の傍らにいる沖田総司」に視線を向けた。明らかに風貌は異なるが、それでも、確かにどこか似た空気は感じる。

「なるほど……、亡霊の次に立ちはだかるのは、『もう一人の自分』ですか。どうやら本当に、この世の理(ことわり)を超えた世界に紛れ込んでしまったらしい」

 彼が冷静に淡々とそう呟くと、「もう一人の沖田総司」が問いかける。

「もう一人の自分? どういうことですか?」
「よく分かりません。しかし、あなたが何者によって造られた幻であろうとも、自分自身に勝てなければ、この京を守れる筈がない」
「あなたは何を言っているのです? ここは上海ですよ。もしやあなたは『京にいた頃の僕』だとでも言うのですか?」
「さて、幻を見ているのはどちらなのでしょう? それとも、この世界の中では僕等はどちらも幻なのか……」

 二人がそんな会話を交わしつつ、互いに剣を構えている間に、他の者達は脇からすり抜けるような形で四階への階段へと向かっていく。おそらく、この「もう一人の沖田総司」も、本来は侵入者を防ぐために守衛本能だけを肥大化された形で投影された存在だったのだろうが、目の前に現れた「もう一人の自分」という想定外の存在を前に、完全に「二人(一人?)の世界」に入り込んでしまい、君主達の存在が視界から消えてしまっていたようである。

 ******

「これは理想的な展開です。投影体の人達が下の階で足止めしてくれている間に、私達だけでここまで上がってくることが出来たのなら、ここから先は着実に……」

 ユリアーネがそう呟きつつ、四階まで駆け上がったところで、彼女は強烈な「殺気」を感じ取る。それは、他の者達も同様であった。

(この気配……、今までの者達とは、明らかに異質!)

 そう感じたカノープスが前を見据えると、そこにいたのは、この世界の者達とはどこか微妙に雰囲気の異なる、大柄で長い黒髪の男であった。
+ 大柄な長い黒髪の男

(出典:『番長学園!! 大吟醸』p.91)

「俺は旭帝・木曽義仲。お前達は何者だ? 五条橋の番長か? それとも、暗黒寺のエージェントか?」

 男はそう名乗ったが、ある程度のこの魔境について調べていた筈のユリアーネも、ユリムも、ハルも、これらの名前に聞き覚えはない。それも当然の話である。この男は(三階の「もう一人の沖田」と同様)本来のこの魔境の住人ではない。ただ、彼の出身世界とこの魔境は 同じ神界 に住む神々によって生み出された関係であり、この街の住人達の一部と彼は 同じ神 の手で受肉された存在である。おそらくはその親和性故に自然召喚されることになったのだろうが、そのような事情はこの場にいる者達が知る由もない。だが、出自はともかく、この男が相当な猛者であることは、この場にいる者達全員がその気配から察していた。

(ここは、全員総出で戦うべきでは……、いや、でも、その間に沖田さんが駆け上がってきた場合、私達が戦っている間に先に最上階に登られてしまうかも……)

 ユリアーネが逡巡していると、静かにジーベンが静かに剣を構えて前に出る。

「ダルタニア軍遊撃師団『潮流戦線』師団長ジーベン・ポルトス。我等の道を妨げるのであれば、押し通るのみ」
「道? 何の話をしているのか知らんが、俺はこの国の天下を取ると妻と娘に誓ったのだ。俺の前に立ちはだかるのであれば、この刀の露と消えてもらおう」

 そう言って、木曽義仲と名乗るその男は刀を抜いた。この時点で、彼の視点は完全にジーベン一人に向いていることを確認したユリアーネ達は、この場は彼に任せて最後の階段へと向かう。これまでとは異なり、自分の指揮官をその場に残して先に進むことに関して、カノープスやマリーナがどう感じていたのかは分からないが、少なくともこの二人の戦いに自分が参戦したところで、足手まといにしかならないであろうということは、従騎士達全員が実感していた。

 ******

 こうして彼等が五階にまで辿り着くと、そこで彼等を待ち受けていたのは、一人の「異人」の男性であった。ただし、異人と言っても、それはあくまで扶桑国視点での話であり、アトラタン世界の彼等から見れば、むしろ馴染み深い風貌であり、その顔付きからはブレトランド人に近い雰囲気が感じ取れた。しかし、それでもこの男からは、明らかに混沌の気配が漂っている。

「アナタ達、扶桑のヒトじゃないデスね。ドコの国の人デスか? France? Netherlands? USA? ナニしにキタのですか?」

 唐突にそう語りかけたその「異人」に対し、ユリアーネが語りかける。

「私達は、この最上階の『屋根の上』に用事があるのです」
「ダメです! ここから上は絶対にダメです! 私の計画、ジャマさせません!」

 彼がそう言った瞬間、ユリムの脳裏に、ある一つの仮説が思い浮かぶ。

(まさか、この男……)

 そして次の瞬間、この男はその姿を「白馬の前半身」と「魚のような後半身」の怪物へと姿を変える。その姿を見た瞬間、ユリムの仮説を補完するようにハルが叫ぶ。

「その姿……、まさか、あなたがグラバー!?」

 才谷の話を思い出しながら、彼はそう叫んだが、既に口元が完全に「馬」の状態になったその怪物は人間の言語を発することも出来ない。そして、その怪物は正面に立っていたユリアーネに向かってその前足の蹄で殴りかかろうとするが、即座に間にカノープスが割って入る。

「ユリアに手出しはさせない」

 淡々と、しかし激しい闘志を込めた声で、カノープスはそう呟きながらその怪物の足を刀で受け止め、そのまま弾き返す。更に間髪入れずにその後方からマリーナは矢を射掛ける。さすがに屋内で矢を用いることは想定外だったようだが、それでも仲間の危機を目の当たりにした彼女は、反射的に身体が動いていた。

「下がって下さい、ユリア!」

 彼女の声に応じてユリアは後方へと下がり、カノープスが白馬の魔物の真正面に対峙する。一方、ユリムはその傍らで、自らの聖印から「光の剣」を作り出そうとしていた。これはレオノールと同じ「パニッシャー」と呼ばれる聖印の力を用いる者達の一部が用いる手法だが、まだスタイルすら定まっていないユリムが作り出すのはあくまでもその模造品であり、通常の武器と同じか、もしくはそれ以下の威力しかない。それでも、「光輝く剣」という未知の武器を目の当たりにさせられた白馬の魔物は、困惑した様子を見せる。

「レオンさん、今のうちに、屋上へお願いします!」

 ユリムはそう叫んだ。戦力的に考えれば、この未知の魔物を倒すためにレオノールの力を借りた方が得策である。しかし、下の階の戦況がどうなっているか分からない以上、ここはまず一刻も早く確実に任務を遂行すべきとユリムは判断していた。レオノールもそれに頷き、窓へと向かうと、そこでは既にハルが待機しており、レオノールを上へと押し上げる体勢に入っていた。
 白馬の魔物はそんなレオノールを止めようとするが、もともと本来は(後半身が魚であることからも分かる通り)「水棲の魔物」ということもあり、屋内においては機動性に欠けていたため、方向転換している間にすぐさまユリムが回り込み、その進路を塞ぎつつ光剣で斬りかかる。更にそれと同時に側面からカノープスの刃とマリーナの矢が直撃すると、白馬の魔物はその痛みにのたうちまわり、木造の建築である五重塔は軽く揺れた。
 そんな中、レオノールは不安定な体勢ながらもハルの手助けを受けて屋根の上へと登り上がると、空を巨大な火の玉が飛んでいるのを確認した。

「なるほど、あれか……。計算通り、この距離高さからなら射程範囲だ。あまり時間をかけている暇はないからね。すぐに終わらせてもらうよ」

 レオノールはそう呟きながら、自身の中に蓄えられた「混沌を滅するために必要な力」を一気に《聖弾の印》に注ぎ込み、そして火の玉に向かって放つと、その聖弾は火の玉に直撃し、そして一瞬にしてその混沌核が破壊される。
 そしてレオノールは即座に聖印を掲げて、その混沌核の残骸を浄化し始める。窓際でその様子を見ていたハルは、その聖印の威力と規模に圧倒されていた。

「これが、伯爵級聖印……」

 レオノールの聖印は、現在のカルタキアの君主達の中では最大規模である。彼はエーラムからの叙勲を拒否する立場であるため、正規の爵位は有していないが、本来のその聖印の規模は伯爵級、つまりはアルトゥークやシスティナの国主に匹敵する聖印の持ち主なのである。
 そして、混沌核の浄化が進むと同時に、五重塔も、白馬の魔物も、そしてこの街そのものも、光に包まれるような形でこの世界から消滅していき、気付いた時には従騎士達はレオノールやジーベンと共に「何も存在しない砂漠」の上に立っていた。

「終わった……、のですか?」

 ユリアーネは少々呆気にとられたような表情で、そう呟いた。ハル以外の者達は浄化の瞬間を見ていないため、何が起きたのかは把握出来ていなかった。五階における白馬の魔物との戦いも、そして四階における木曽義仲と名乗る投影体との戦いも、決着が付く前に相手が消滅した。三階以下の者達がどのような状態だったのかについては、誰も把握出来ていない。
 しかし、何はともあれ、魔境は消滅し、そしてこの街の住人達も全て姿を消した。投影体としての彼等の足跡は、この場には何も残っていない。ただ、彼等の記憶の中にのみ刻まれているだけである。もしかしたら、あの投影体達の「本体」が生きている世界において、沖田や西郷の夢の中でこのアトラタンでの記憶が再現されているのかもしれないが、そのことを確認する術は彼等にはない。もしかしたら、いずれ再びこの世界に彼等が出現することもあるかもしれないが、それがいつのことになるのかは、誰にも分からない。

「みんな、協力ありがとう。これで任務は完了した。さぁ、カルタキアへ帰ろうか」

 レオノールがそう言ったところで、ハルは一つ、重要なことを思い出す。

「待って下さい! その前に、わたくしにはやらなければならないことが……」

 ハルはそう呟いた上で、周囲を見渡すと、少し離れたところに、一人の女性が倒れているのを発見する。それは紛れもなく、才谷梅太郎に託された少女・今川氏真の姿であった。ハルが駆け寄って抱き起こすと、彼女はすぐに意識を取り戻す。どうやら長旅の疲れで京の宿屋で眠っている間に、街の浄化が完了していたらしい。ひとまずハルが事情を皆に説明すると、氏真は「重要参考人」としてそのままカルタキアへと連れて行かれることになった。
 そして後日、「京の魔境」があった領域の東方に「別の魔境」の存在が確認されることになる。氏真からの証言によると、この世界に出現したその「魔境」は、彼女の出身世界においては「桶狭間」と呼ばれているらしい。

☆合計達成値:123(45[加算分]+78[今回分])/100
 →成長カウント1上昇、次回の「生活支援クエスト( DC )」に11点加算

BD「雷神の機械獣」


 カルタキアの南西方面に出現した未来都市型魔境への調査隊による報告によると、この魔境の混沌核は、その魔境内の一角に鎮座する巨大な蜥蜴型の機械獣の中にあるらしい。調査隊の報告とカルタキアの文献を照らし合わせた結果、どうやらその巨大蜥蜴はドラコーン界(もしくはアララール界)に住む雷神「シュガール」を模した機械獣である可能性が高いようである。
 ただ、その時の調査隊が比較的あっさりとそのシュガールの存在を発見出来たこともあって、結果的にまだ魔境全体の中で未踏破の領域が多いこともあり、シュガールの他にも危険な投影体が潜んでいる可能性は十分にある(実際、シュガールの近くにはシュガールを護衛するようにワイバーンのような形状の機械獣も飛び回っていた)。
 そのことを考慮した上で、今回はタウロスとアストライアを中心とする浄化部隊が編成され、基本的には前回と同じルートを踏襲しつつも、あくまで慎重な索敵を重ねながら進軍することになった。

(結局、今の私ではまだ『君主』としてはお荷物なんですよね……。アレシアさんのお役に立てなかったし……)

 星屑十字軍の ニナ・ブラン は、前回の調査任務の際に聖印を用いた友軍支援が上手くいかなかったことを悔やみながら、今回の浄化任務においては「索敵班」に参加していた。

(でも、聖印の扱い方はまだ未熟でも、生まれ持った霊感の強さなら、きっと役に立てる! この力を磨けば、他の人達にも追いつける筈!)

 ニナはそう自分に言い聞かせながら、今回は索敵班として本隊よりも先んじる形で最前線で罠などの探知に従事していた。一応、前回の調査の際に既に一度踏破して安全が確認されたルートを通ってはいたが、魔境内においては一度壊した罠が混沌の力によって修復・再構築されることもありえるし、警備兵達がいつ現れるかも分からない。その意味では当然、ニナの中には恐怖心もあったが、その弱い心に打ち勝とうという覚悟を定めつつ、捕食者を警戒する小動物のように、小刻みに震えながら頭を常に左右に動かしつつ、危険な混沌の気配を探っていた。
 その傍らでは、前回同様、金剛不壊の ウェーリー・フリード もまた索敵班として罠や伏兵の警戒に当たっていた。本来、今回のような討伐任務は彼の得意分野ではないのだが、それでもあえて引き続きこの魔境へと向かうことにしたのには、彼なりの理由がある。

「前回の調査の際に発見した罠の配置に、なんというか、微妙な違和感があったんだよね」

 ウェーリーがそう呟くと、その隣で彼と同様に周囲の警戒にあたっていた幽幻の血盟の ローゼル・バルテン が聞き返す。

「違和感? どういうこと?」
「この魔境から出現している機械獣や機械兵は、どれも単純な判断能力しか持っていなかった。純粋に人間を殲滅するという本能だけで動いているように見えたんだけど、あの罠はかなり精巧に造られていた。ということは、彼等とは別に、その罠を設置した者がいるんだと思う」
「それはそうだけど、異界の街が投影される時って、その街の住人全てが投影されるとは限らないんでしょ? たまたま知的な生命体が投影されずに、彼等が設置した罠と機械兵達だけが投影された、ということじゃないの?」
「最初はそう思っていたんだけど、後で他の地区を調査していた人達の話を聞いたら、そうではないように思えてきたんだよ」

 ウェーリーはここで周囲を見渡しながら、説明を続ける。

「この街には『城壁』がないんだよね。もしかしたら、投影前の世界ではあったのかもしれないけど、少なくともこの状況では、どの方角からも街に入ってくることは出来る。それなのに、街の中心部から見てカルタキア方面の区域にだけ、大量の対人用の罠が設置されていたらしい。ということは、あの罠は『投影前から存在していた罠』ではなくて、『この世界に投影された後で、カルタキアからの侵入者を防ぐために設置された罠』なんじゃないかなって」

 その話が聞こえてきた時点で、ニナもまたピクっと反応する。

「……ということは、また大量の罠がこのあたりに設置され直している、ということですか?」
「あくまでも一つの可能性として、だけどね。たまたま、元の世界で仮想敵が来ると想定されていた方角がカルタキアに向くような形で投影されただけかもしれないし」

 彼がそう答えたところで、後方からウェーリーと同じ金剛不壊の ルイス・ウィルドール が現れる。

「どうです? 何か罠や伏兵の気配はありましたか?」

 ルイスとウェーリーは、出自も気性も全く異なるが、金剛不壊の従騎士達の中では軍略知識に長けた存在として知られている。互いに相手のことをどう思っているかは分からないが、ひとまずウェーリーは、ここでルイスにも意見を求めてみることにした。

「ルイス君、もし君がこの街の支配者だったとして、カルタキア方面から進軍する敵に対して、自分自身が伏兵となって迎撃する立場にあるとしたら、どこに潜む?」
「えーっと、それは、僕自身にもそれなりに戦える力があると仮定した上で、ですか?」
「そうだね……、シュガールやワイバーンと同等かそれ以上の戦闘力を有している、と仮定した場合で考えてみようか」

 無論、この時点でその「罠を設置した人物」自身に戦闘力があるかどうかは分からない。ただ、カルタキアの文献によれば、この「22世紀の未来都市」には、本来は「ベクター」と呼ばれる怪物型の機械とは別に、人間と同等もしくはそれ以上の知識を持つ「エンフォーサー」と呼ばれる人造人間も存在しており、その戦闘力は並のベクターよりも強力らしい。「最悪の事態」を想定するなら、そのような存在が潜んでいる可能性も考慮すべきだろう。
 ルイスはこの街をチェスの盤面のように見立てた上で、最も理想的な配置を考える。

(もし仮に、超巨大ベクターがキングだとして、それとは別にルークやビショップ、あるいはクイーンを配置するとすれば……)

 彼は手持ちの簡易地図をウェーリー相手に広げながら、いくつかの候補地を指差していく。ウェーリーは、それは概ね自分の目算と一致していたことを確認した上で、彼等はその候補地に調査の重点を置くことにした。

 ******

 それから数刻後、ウェーリー達が要注意区画の一つに足を踏み入れた時点で、ニナが「奇妙な混沌の気配」を感じ取る。

「なんでしょう、これ……、今までに感じたことがない混沌の気配が、あの建物から漂っているような……」

 そう言ってニナが近くにあった二階建ての建物を指差すと、ローゼルもまた同様の何かをその建物の中から察知する。

「確かに、何か変ね、この気配……。確かに混沌の気配のようなんだけど、どこか聖印にも近い不思議なオーラを感じる……」

 厳密に言えば、そもそも聖印は混沌から生まれたものであり、聖印が消滅すれば混沌核へと変わる。しかし、通常は「聖印」の状態である限りは、そこからは混沌の気配を発することはない。二人のその表情から、ウェーリーもまた不吉な前兆を感じ取った。

「嫌な予感がする……、ルイス君、君は本隊に戻って、皆を連れて来てくれないか? もし、ここに厄介な伏兵がいるなら、まず全力で潰した方がいいだろう」
「分かりました!」

 そう言ってルイスが駆け出そうとすると、ニナが叫ぶ。

「あ、わ、私も、一緒に行きます! ルイスさん一人だと、危険かもしれませんし!」
「ありがとうございます」

 ルイスはそう答えた上で、ニナと並走して本隊へと向かう。実際のところ、ニナの心中では「謎の気配」があまりに不気味で、ここから離れたかったという想いもあったのかもしれない。聖印教会の信者にとって「聖印のような混沌」という存在自体は、あまりにも不気味である。
 その上で、残ったウェーリーとローゼルが改めて「奇妙な気配のする建物」の近くで警戒しつつ、ウェーリーが耳を澄ますと、建物の中から「微妙な物音」が聞こえてくる。

「これは……、機械兵の音じゃない。多分、『人間のような何か』が微妙に動いた程度の音。ということは、やはりエンフォーサーが潜んでいる? しかし、だとすればこちらの存在には気付いている筈。なのに動かないということは……、もしかして、あえて本隊が来るのを誘い出そうとしている……?」

 ウェーリーの中ではそんな懸念も浮かんだが、かと言って、どちらにしても無視する訳にはいかないし、相手の正体が分からない以上、自分達だけで突撃する訳にもいかない。仮にこれが罠だったとしても、タウロスやアストライアが罠ごと食い破ってくれることを期待するしかない。
 一方、ローゼルは建物の中の「聖印のような混沌の気配」がそのまま漂い続けているのを確認している。

(最初は、聖印が混沌核へと変わろうとしているか、その逆なんじゃないか、とか思ったりもしたけど、そうじゃないわ。これはやっぱり、「聖印のような混沌核」が「そのままの形」で固定化してる。でも一体、それって何なの……?)

 二人がそんな想いを抱きながら様子を伺っていると、やがて鋼球走破隊の隊長タウロス(下図)を先頭に「本隊」が到着する。
+ タウロス

「『奇妙な混沌核』だって? どんな奴だ?」

 タウロスが楽しそうな声色でそう問いかけつつ、聖印を掲げると、その声に答えるかのように、警戒していた建物から、四人の「人型の何か」が現れる。その姿は、タウロスにとってはいずれも「見覚えのある風貌」であり、従騎士達の一部は困惑する声を上げる。

「え? ミルザー閣下……? いや、でも、ちょっと違うような……」
「ルクレール伯に、似ているようだが……」
「馬鹿な! 海洋王エーリクがここにいる筈がない!」
「そのヴァンブレイス……、まさか、流浪の君主テオ・コルネーロなのか?」

 そこに現れた四人は、いずれも現在のアトラタン大陸において覇を競う有力君主達の姿によく似ていた。そして、その中の一人である「ダルタニア太守ミルザー・クーチェス(潮流戦線の師団長であるジーベンの主君)」が、タウロスに対して曲刀を向けつつ言い放つ。

「その聖印(アルケオン)、貰い受ける!」
「アルケオン?」

 タウロスが困惑した顔を浮かべた瞬間、その「ミルザーのような誰か」は自身の目の前に「聖印のような何か」を発生させる。

「なに!?」

 タウロスが驚いた表情を浮かべる中、そのミルザー(仮)はタウロスに向かって斬りかかるが、タウロスがモーニングスターの鎖部分でその一撃を受け止めると、ミルザー(仮)は一旦バックステップで元の位置に戻る。そして、残りの三人もそれぞれ「聖印のような何か」を身体の前に浮かべ、そして、四人の中の一人である「アルトゥーク条約創設者テオ・コルネーロによく似た人物」は、高らかに宣言する。

「全ての聖印(アルケオン)は統合されなければならない。この世界を救うためには、皇帝聖印(グランアルケオン)が必要なのだ」

 その発言に対して皆が呆気に採られている中、最後方にいたヴァーミリオン騎士団の騎士団長アストライア11世が口を開いた。
+ アストライア

「22世紀の地球における『エンフォーサー』達は『英雄』を模した力を得ている、と聞いたことがあります。中には『異界の英雄』の力を用いる者もいる、とか」

 つまり、彼等は「彼等にとっての異界の英雄」であるミルザーやテオの力を得たエンフォーサーが投影された存在、いわば「逆輸入版の君主達」ということらしい。おそらく、彼等が作り出している「聖印のような何か」は(彼等は「アルケオン」と呼んでいるが)彼等の中では英雄の宝具のようなものとして認識されているのだろう。

「なんかよく分からねえけど、要するに『レイヤーヒロイックの投影体』ってことか。モノマネ野郎の模造品ってことなら、大したこたぁねえと言いたいが……」

 タウロスは先刻のミルザーの一撃を受けた時に両手に感じた衝撃の重さを思い返す。

「……少なくとも、『伏兵』ってレベルじゃねえな。気楽な引率のつもりだったが、これは、久しぶりに本気を出す必要がありそうだ」

 タウロスは不敵な笑みを浮かべながら、後方に向かって背を向けたまま叫ぶ。

「アストライア!」
「はい」
「すまんが、シュガールは任せた。俺はこっちに専念したい」
「分かりました。ということは、従騎士は全員連れていっていいのですか?」
「全員連れてけ。俺は今から『全力』を出す!」

 その宣言と同時に、タウロスの聖印は猛々しく光り、そして彼は修羅のオーラを纏いながら、モーニングスターを巨大化させて四人の「君主の姿をした投影体」に対して瞬時にまとめて襲いかかる。その鬼神のごとき暴れぶりに衝撃を受けている従騎士達に対して、アストライアは淡々と呟いた。

「あれがマローダーの奥義『万軍撃破の印』です。彼のような『一騎当千の君主』を目指す方々は、その目に焼き付けておくといいでしょう」

 彼(彼女?)はそう言い終えると同時に、従騎士達を連れてこの場から去って行く。マローダーの聖印の持ち主は、本気を出せば出すほど、周囲にいる仲間が邪魔になるからこそ、この場は彼一人に任せるのが最善手であった。

(もう少し近くで見極めたかったが……、一瞬垣間見れただけでも良しとしよう)

 マローダーを目指す第六投石船団の キリアン・ノイモンド は内心そう呟きながら、後ろ髪を引かれつつ、本隊と共にその場を去っていく。
 同様にヴェント・アウレオの ラルフ・ヴィットマン もまた、将来的にマローダーになりたいという思い故に、タウロスから技を盗もうと思ってこの戦いに参加していたため、今のタウロスの一瞬の動作は、しっかりとその片目に焼き付けていた。

(やっぱり一個の大きな集団を率いる指揮官ともなれば格が違う……。だが、俺もいつかあれぐらい強く、いや、あれよりもっと強くなってみせる!)

 ラルフがそんな尊敬と野心が入り交ざった心を抱きながら走り去る一方で、その横を並走する星屑十字軍の リュディガー・グランツ もまた、(まだ不確定ではあるものの)将来の選択肢の一つとしてマローダーとなる道を考えていたが故に、先刻のタウロスの戦いぶりからは鮮烈な印象を受けていた。

(あれがマローダーの真髄……。あれこそが、オレが目指すべき道の先にある姿なのか、それとも……)

 こうして各隊の従騎士達がそれぞれに自分の将来を見据えて様々な思いを馳せている中、不服そうな表情を浮かべながら走っていたのは、タウロスの従属君主である鋼球走破隊の ヨルゴ・グラッセ である。

「話が違うよ〜、リーダーが華々しく戦ってる横で、ちょこちょことおこぼれを片付ければいいと思ってたのに〜」

 そんな彼とは違った意味で不本意な感慨を抱いていたのは、彼と同じ鋼球走破隊の アルエット である。彼女は防衛戦の時に続いて、またしても自分が蚊帳の外に置かれることに対して忸怩たる思いを噛みしめつつ、以前に同僚のフォーテリアやファニルから言われた言葉を思い出す。

「この世界は勝ったやつが全てだ」
「だから誰よりも強くならねぇとな」

 それが傭兵の世界の鉄則である。実際、これまでにも多くの仲間達が消えていった。実力不足の自分も、いつそうなるかは分からない。しかし、一方で自分と共に過ごすことを涙を流して喜んでくれた同僚(フォリア)もいた。

(思い出す言葉に、応えられるわたしじゃない……。刻まれていく疵に、堪えられるわたしじゃない……。期待を裏切った。答えられなかったのがわたしだ……)

 アルエットの中でそんな声が響き渡る中、どこかから「別の声」が聞こえた気がした。

《そっちは、任せたぞ》

 それは確かに、聞き覚えのある声だった。しかし、その声の主と思われる人物は、もう既にアルエットの視界の外である。おそらく彼の声が自分の耳にまで届くとは思えない。最初は幻聴かと思ったアルエットであったが、その直後、隣で息を切らしながら走るヨルゴが、心底嫌そうな表情で、虚空に向かって呟いた。

「いや〜、そんなこと言われても困りますよ〜、タウロス様〜」

 どうやら彼にも「その声」は聞こえたらしい。たまたま二人して、同じ幻聴が聞こえただけなのか。それとも、従属聖印を通じて「彼」の心が伝わったのか。あるいは、魔境に漂う混沌の力が何かを引き起こしたのか。答えは誰にも分からない。しかし、ここで口にすべき言葉は一つであるようにアルエットには思えた。

「行こう」

 それは、自分とヨルゴに向けての言葉であった。その上で、彼女は心の中で、誰かに向かって呟く。

《行ってきます》

 ******

 そんな様々な従騎士達の想いを背に受けつつ、タウロスは四人の投影体を相手に鋼球を振り回しながら、改めて「彼等が出てきた建物」に視線を向ける。

「出て来いよ! いるんだろ? もう一人」

 タウロスは先刻から、この奥に「今目の前にいる四人よりも強大な聖印(を模したアルケオン)の持ち主」の気配を察していた。

(この四人はあくまで前座だ。この奥にいるヤツこそ、おそらくは真の……)

 彼がそんな憶測を浮かべていると、案の定、その建物から出てきた「五人目」に対し、他の四人は臣下の礼を取る。そして、出てきたその人物の顔を見た途端、タウロスは一瞬の驚愕の後、思わず薄ら笑いを浮かべる。それは、つい先刻までタウロスと一緒にいた人物とあまりにも酷似していた。

「おいおい、『お前』が『こいつらを従える君主』として、そっちの世界では英雄視されてんのか? 冗談も大概にしてくれよ」

 タウロスのその言葉をかき消すように、その「五人目の英雄(の模倣者)」は、巨大な「聖印の模造品」を掲げる。それは、これまでタウロスが見てきたどの聖印よりも巨大で、そして鮮やかな色彩を放っていた。

「……さて、こんな裏メニューまで用意してくれてたんなら、のんびりしてはいられねぇな。アイツらがこの魔境を壊しちまう前に、本気で楽しませてもらうぜ! 『未来の皇帝陛下』との戦いをよぉ!」

 ******

 そんなタウロスの雄叫びのような声も聞こえなくなる程に現場から遠ざかった本隊は、そのまま前回のシュガールの目撃地へと向かおうとしていたが、ここでアストライアがルイスに提案する。

「今回の作戦指揮、あなたに任せます」
「私に、ですか?」
「タウロスがいる状態では、まともな作戦行動も採れないでしょうし、そもそも採る必要があるかどうかも分かりませんが、彼を欠いた戦力で巨大な怪物と戦うには、皆の力を効率良く連動させる必要があります。あなたはいずれ、大軍を率いる聖印を受け継ぐ者。その軍略がどこまで通用するか、試してみなさい。私も含めて、コマとしてどう使うのが適切か、よく考えた上で」
「……分かりました」

 ルイスはそう呟きつつ、一旦立ち止まって、全員に対して頭を下げる。

「皆さんのその力、この戦いの間だけ、僕に貸して下さい!」

 その言葉に対して、従騎士達がどう思っていたのかは分からない。この場には、ルイスの実家と敵対する大工房同盟の者達もいる。しかし、超巨大投影体との戦いを前にして、人間同士の間で仲間割れを起こそうとする者は、誰もいなかった。

 ******

 やがて彼等は、前回の調査隊がシュガールを発見した魔境の奥地へと辿り着くと、そこには確かに、前回同様の姿で待ち構える巨大蜥蜴のような機械獣の姿があった(下図)。初めてその巨体を目の当たりにしたラルフは、拳を握り締めながら闘志を燃やす。
+ シュガール

(出典:『英雄武装RPG コード・レイヤード』p.240)

「あんな大きな鉄屑が動くんですね、さっさと片付けてやりましょう」

 どうやら先刻のタウロスの戦いぶりを見て、彼の闘志に火がついていたらしい。一方、前回の調査時にこの地に最初に辿り着いていたリュディガーは、その時と今回で状況が異なっていることに気付く。シュガールの周囲を飛び回るワイバーンの数が増えていたのである。

「前は一体しかいなかったのに、今は、確認出来るだけでも五体……」

 何らかの形で増殖したのか、それととも、他の地区を徘徊していたワイバーンがこの地に集結したのかは分からないが、いずれにしても倒さねばならないことには変わらない。
 そんな中、最も彼等の近くを飛んでいた一体のワイバーンが、従騎士達に向かって突撃してきた。このワイバーンが前回リュディガーが遭遇したワイバーンと同型なら、火炎放射や衝撃波などといった特殊な遠距離攻撃手段は持たない筈なので、空中から一方的に攻撃される恐れはないが、その突進力は、前線要員であるリュディガーが軽く吹き飛ばされる程の威力であった。
 これに対して、すぐさま従騎士達を守るべく、アストライアが間に入って、その刀でワイバーンの突進を受け止める。アストライアは防御に特化した「パラディン」の君主であり、一般的にはパラディンと言えば巨大な盾で味方を守ることを本懐とする者達が多いが、極東出身の彼(彼女?)は盾を持たずに一本の剣だけで味方を守り抜く攻防一体型のパラディンである。そして実際、ここでもアストライアは(見た目には細身の刀で)ワイバーンをあっさりと受け止めるが、ここで彼女(彼?)はワイバーンの挙動に違和感を感じる。

(このワイバーン……、まさか……)

 次の瞬間、ワイバーンはその場で巨大な爆音と共に自爆し、あたり一面に爆煙が巻き起こる。一瞬、巨大な爆風と共に従騎士達がまとめて吹き飛んだかと思ったが、その爆発を察知したアストライアが即座に《城塞の印》を発動させ、そのワイバーンの体内に仕掛けられた爆弾を威力を全て自分一人に集中させることによって、煙が晴れた時点では従騎士達は完全に無傷であった。
 この状況を目の当たりにしたことで、即座にルイスが叫ぶ。

「皆さん! 散って下さい。おそらくあのワイバーンは、侵入者が固まっているところに突撃・自爆する命令を受けています!」

 その声に従い、彼等は四方に散らばる。その上で、ルイスはそのまま全体に大声で通達した。

「敵の総戦力は想定以上でしたが、ひとまずは皆さん、当初の予定通りに動きつつ、適度に牽制しながら、敵の動きを確認して下さい」

 ルイスの作戦の第一段階は、まずは「様子見」であった。この機械獣達はそこまで知性があるとは思えない以上、その動作には一定の法則がある筈。そう考えたルイスは、まずはそれを見極めるために、序盤は敵の行動パターンを確認することを第一と考えていた。

(未知の敵との戦いにおいては、まず序盤は「負けない戦術」に徹した上で、相手のコマの動きを読み取ることが重要。「勝つための戦術」に切り替えるのは、その後でいい)

 幸いなことに、この戦場には「負けない戦術」を構築する上での最強のコマであるアストライアがいる。見習い軍師としてのルイスにとって、この場はある意味で最高の訓練場であった。

 ******

 そこからしばらくの間、ルイスの指示通り、アストライアと従騎士達は敵の出方を伺いながら慎重な戦いを続けていた。

「なんとか、装甲の継ぎ目を見つけたいところですが……」

 潮流戦線の エイミー・ブラックウェル は、シュガールの周囲を俊敏に動き回りながら、自身の突剣で貫けそうな弱点を探していた。強靭な装甲を相手に真正面から突剣で斬りかかっても分が悪いため、鱗のようになっているその身体の継ぎ目を狙おうとしていたのだが、なかなかそのスポットが見当たらない。
 一方、リュディガーは短剣で、ラルフは拳で、シュガールに対して散発的な攻撃を繰り返すが、やはりその装甲は固く、あまり効いている様子がない。そんな彼等の立ち回りを横目に見ながら、ヨルゴはあまり積極的に動かずに様子を伺っていたが、比較的大型の武器(長剣)を有していたせいか主標的となってしまい、シュガールは彼が正面に立った時は頭部からは電撃を放ち、側面に回り込めば背中に設置された発射口から小型の爆彈を発射し、そして後方に回ろうとすれば巨大な尾で薙ぎ払おうとする。しかし、その周囲で吶喊を繰り返すアルエットに集中力を乱されていたこともあってか、今のところ、その攻撃はいずれも空を切っていた。

(こいつ、実は命中精度はあんまり高くないのか……?)

 ヨルゴ自身を含めた周囲の従騎士達はそのような印象を受けるが、それでも、一撃でも直撃すれば致命傷となりかねない攻撃ばかりであろうことは推測出来る。だからこそ、他の従騎士達が避け損なった時にはすぐにアストライアが庇いに入ることで、今のところはどちら側にも大きな損害が出ない膠着状況が続いていた。
 これに対して、空を飛ぶワイバーンに対しては、あえてシュガールから少し離れた場所から、 アイザック・ハーウッド が弓で射掛けていた。彼は自身の婚約者がこの戦いで戦果を上げるのを手助けすべく(シュガール討伐に集中してもらうために)ワイバーンの討伐として名乗り出ていたのであるが、当然、飛び道具要員に対してはワイバーンも危険視するため、近くを飛んでいたワイバーンがすぐに彼に向かって襲いかかってくる。
 しかし、そのタイミングで少し離れた場所から、ヴァーミリオン騎士団の ティカ・シャンテリフ が武装騎乗状態で駆け込んできて、側面からワイバーンに対して突撃し、軽装のアイザックを吹き飛ばそうとしてきたワイバーンはその側面からの不意打ちによって、逆に弾き飛ばされる。

(前回の調査活動で、こんな僕でも戦力になり得ることは分かった。でも、まだあんな巨大な機械獣相手に立ち会える自信はない。それならばせめて、ワイバーンだけでも……)

 そんな思いを胸に参戦したティカであったが、その全力の騎馬突撃は確かにアイザックを救った。そして、弾き飛ばされた先に今度はキリアンが遠方から駆け込み、飛び蹴りでワイバーンの翼に損傷を与えると、ワイバーンは怯んでその場から飛び去る。

「お見事です」

 アイザックはティカとキリアンに対して淡々とそう告げる。この連携攻撃は対ワイバーン戦を想定して事前にルイスから提案されていた戦術である。弓兵と騎兵と歩兵を連携させて飛空戦力を撃退するという意味では悪くない作戦であったが、いかんせんワイバーンの数が想定よりも多すぎたため、今のところ、敵戦力を削れるところにまでは至っていない。

(僕にマローダーとしての力があれば、あのワイバーン達を一網打尽に出来るのに……)

 キリアンは先刻のタウロスの戦いぶりを思い出しながら、今の自分がまだそこに至れていないことを改めて実感する。
 その頃、索敵班のローゼルとニナは、まだ潜んでいる敵が周囲にいないか確認するために戦場の外縁付近で霊感を研ぎ澄ませていたのだが、そんな中、別のワイバーンの一体が、唐突に空中からローゼルに対して襲いかかる。どうやら、彼女が手にしていた「弓」に反応したらしい。しかし、彼女の視線はその時点で反対側を向いていたため、その動きには全く気付けていなかった。

「ローゼルさん!」

 ニナはそう叫ぶが、ローゼルが振り返った時点で、もう既に避けられない距離にまで近付いていた。しかし、それにいち早く気付いて間に割って入った者がいた。ニナの同僚のリュディガーである。前回の戦いで一度ワイバーンに吹き飛ばされていたリュディガーは、今度はその動きを見切った上でワイバーンとローゼルの間に割り込み、そして突撃の衝撃を長剣と盾で受け止めつつ、そのまま上に受け流すように上にワイバーンの軌道をそらすことに成功する。

「あ、ありがとう……」

 唐突な援軍に困惑しつつも、素直にそう礼を言うローゼルに対し、リュディガーは背を向けたまま答える。

「いえ。私も前回、あなたかどうかは分かりませんが、『弓使いの方』に助けられたので」

 リュディガーはそう告げて、シュガールとの戦場へと戻っていた。どうやら彼は前回の一件以来、友軍の中の弓使いの面々が気になっており、シュガールと戦いながらもローゼルやアイザックの周囲の状況を気にかけていたようである。今の彼の中では「マローダー」と並んで「アーチャー」もまた未来の選択肢の一つに浮上する程に、前回「謎の弓使い」に助けられたことは彼の中では鮮烈な印象だったようである。

 ******

「最前線で戦うみんなはすごいなぁ」

 ルイスは、高台に相当する場所から、まるでどこか他人事であるかのような口振りでそう呟いた。今、前線で戦っている従騎士達は、戦う技術に関しては明らかに自分よりも長けている。そんな彼等に自分が指示を出すという状況が、どこか現実離れした状況のように思えて、だからこそ冷静に現状を客観視出来ているのかもしれない。

「僕は、ああいう戦いはできないけど、僕だからできる戦いを、見せてみる」

 彼はそう呟きつつ、改めて一歩引いた位置からこの機械獣を眺めていると、あまりにも巨大なこの機械獣は、単体の「敵」と言うよりは、雷撃や爆彈が設置された「砦」や「城」、更に言えば「戦場」そのものと捉えるべきなのでは、とも思えてくる。この戦場において仲間達による敵の本陣の攻略を、智をもって助ける。きっとそれが、ここで自分が出来る最大の貢献だと考えていた。

「この鋼鉄の『城壁』を打ち破るには、どうすればいい? こちらは最大の武器であるタウロス隊長を欠いている。弱点があるとすれば、やはりあの雷撃と小型爆弾の発射口だろうか……」

 ルイスがそんな考えを巡らせていたところで、一旦後方に下がったアイザックが提言する。

「一つ、策があるのですが」
「なんでしょう?」
「ワイバーン達を一網打尽にするために、あえてもう一度、我々が一箇所に結集してみるのはいかがでしょう? それも、上空の全てのワイバーン達から見て概ね等距離に位置するような場所に集まれば、おそらくほぼ同時に集まって来る筈。その状況でどれか一体でも自爆すれば、その誘爆効果で他のワイバーンも吹き飛ばせるのでは? と考えた次第です」
「それは、理論上は可能かもしれませんが、先程の一体目のワイバーンの自爆時の威力を診た限り、あれを直撃したら僕達は全滅しかねません」
「アストライア様の先程の『力』をもう一度使って、我々を庇ってもらうという訳にはいきませんか?」
「《城壁の印》は全ての攻撃の効果をアストライア団長に集中させてしまうため、自爆した時点で他のワイバーンが近くにいたとしても、損傷を与えることは出来ないのです」

 ルイスがそう答えたところで(弓を持ったアイザックがワイバーンに狙われることを危惧して)後方に戻ってきたアストライアが声をかける。

「《城塞の印》を使わなくても、皆さん全体を庇うこと自体は可能ですよ。ただ、それには条件が必要です」
「その条件、とは?」
「皆さんが『一つの兵団』として統一行動を取れるくらいに結束して行動してもらえることです。その状態であれば、パラディンとしての他の聖印の力、たとえば《庇護の印》などを用いても、まとめて庇うことは可能です」

 聖印の力は、その状況に応じて対象規模を変えることが出来る。たとえば《庇護の印》は個人単位の戦いにおいては一人を守ることしか出来ないが、軍隊を率いて戦う際には、その力を自身が率いる部隊全体に与えることによって、「自軍全体として一つの友軍を守る」ということが可能になる。そして、状況によっては、実質的な軍隊単位の戦場において、個人単位で一兵団を庇う形で《庇護の印》を発動させることも理論上は可能なのである。
 先刻の状況においては、ワイバーンの突撃があまりに不意打ちで、全体として「一兵団」として機能している状況ではなかった。それ故に《城塞の印》で対応せざるを得なかったが、ルイスが指揮官として全体をまとめることが出来れば(実質的には「烏合の衆」だろうが)形だけでも統一部隊として機能させることは出来るかもしれない。そうなれば、アストライアが「友軍だけを聖印の力で庇う」ということも可能になるのだが、もし仮にそれが可能であったとしても、ルイスの中ではもう一つ、大きな懸念事項があった。

「そのような形で聖印の力を使えば、アストライア団長の心身に相当な負担がかかるのでは?」
「まぁ、相応にはかかります。しかし、それが戦術的に有効なのであれば、身体を張ってでもやる価値はあるでしょう。その辺り、どう考えます?」
「そうですね……」

 ルイスはそう呟きながら、近くにいたウェーリーに話を聞く。彼もまた、ここまで戦場の状況を後方からあ注視していた。

「ウェーリーさん、あのワイバーン達、相互に連携して動いているように見えます?」
「どこまで意図的に動いているのかは分からないが、さっきから見ている限り、四体同時に地上に下降したことは一度もない。ローテーションを組んで攻撃しているようにも見えるので、仮に彼等から等距離の位置に集まったとしても、全員が同時に襲ってくる可能性は低そうだ」

 そうなると、そもそもアイザックの策の大前提が崩れてしまう訳だが、この時、ルイスは「四体のワイバーンから見て等距離の位置」にシュガールが存在することに気付き、その瞬間、アイザック案に着想を得た全く別の作戦を思いつく。

「これなら、いけるかもしれない……!」

 ルイスは一旦、全軍に対して撤退命令を出し、シュガールやワイバーン達の領域から離れた上で、皆に自分の作戦を伝えるのであった。

 ******

 そして、全軍仕切り直した上で、ルイスを中心に従騎士達全員で一つの部隊であるかのような隊列を急造で組み、彼等はシュガールに対して側面から一斉に突撃する。当然、シュガールは背中から小型爆弾を次々と彼等に向けて発射するが、それに対しては彼等と並走していた(まるで個人で一部隊であるかのように振る舞っていた)アストライアが《庇護の印》の力で食い止める。その上で、ルイス達はシュガール背中へと飛び乗り、爆彈の発射口を至近距離から一斉攻撃した。

(この状況をワイバーンが静観するなら、それはそれでこの戦場の「重要拠点」を一つ潰せるという意味がある。でも、ここでワイバーンが自爆特攻に来てくれるなら……)

 ルイスがそう考えていたところで、案の定、ワイバーンのうちの一体が急降下して従騎士達へと突撃し、そのまま自身の体内にある自爆装置を起動するが、それに対してアストライアが《庇護の印》を用いて彼等を庇う。そしてこの時、アストライアだけでなく、シュガール(の背中)もまた爆風に巻き込まれ、爆弾の発射口が大きく損傷した。更に続けて他のワイバーン達も次々と一体ずつルイス達に襲い来るが、全てアストライアが受け止め続けた結果、気付いた時には空の上のワイバーンはいなくなり、シュガールの背中の発射口は全壊し、その周辺の装甲も完全に剥げ落ちていた。

「今です!」

 エイミーはそう叫いながら突剣を真下に向かって突き刺すと、装甲を失ったシュガールの内側を見事に貫通し、そのまま他の従騎士達も次々とその部分を集中攻撃する。シュガールは激しくのたうち回りながら、首と身体を無理矢理回転させて雷撃を放とうとするが、それに対してはアストライアが《城塞の印》で完全に受け止める。
 そして、振り落とされないように必死で食らいつきながら従騎士達が連携攻撃を続けた結果、最終的にその心臓部分に存在する混沌核を発見すると、そこにラルフが全力の拳を叩き込む。

「沈めぇッ!!!」

 その一撃で、混沌核は貫かれ、シュガールは機能停止する。アストライアはその様子を確認した上で、自身の聖印を掲げてその混沌核の残骸を浄化吸収すると、シュガールの残骸も、周囲を取り囲む未来都市も、全て混沌の塵となって消滅していった。

 ******

(私は、この機械兵団との戦いを最後まで見届けるために参戦した。私の明日のために……)

 戦いが終わった時点で、既に疲れ果てた様子のアルエットはそんな想いを抱きながら、徐々に意識が遠ざかっていくのを感じる。この戦いを通じて、アルエットは最終盤以外はひたすら吶喊を繰り返して敵の集中力を削いでいただけであり、華々しく活躍した他部隊の従騎士達に比べれば、武功と言えるような武功は挙げていない。

「それでも、私は立っている。あぁ、よかっ……」
「……アルエットさん!?」

 隣りにいた同僚のヨルゴが声をかけた時、彼女は既に気を失っていた。その直後、魔境が消えた後の荒野の向こう側から、タウロスが姿を現す。

「よぉ! どうにか無事に浄化は終わったようだな。お疲れさん!」

 タウロスは陽気な声でそう言ってはいるが、身体中傷だらけである。そんな彼に対して、アストライアが声をかける。

「結局、倒せたのですか? あの5人を」

 あえて「5人」と言われたことに対しては何も触れぬまま、タウロスは苦笑いを浮かべる。

「倒せてたら、そっちに救援に向かってるっての。まぁ、あと一歩ではあったんだけどな。最後の一人が、なかなか厄介で……」

 そこまで言いかけたところで、タウロスは「その場にいる従騎士達の中の一人」の横顔をじっと見つめる。

(「お前が皇帝聖印を作る未来」なんて、俺には到底信じられないが、もしそんなことが実現するなら、それは確かに「伝説」として異世界でも語られることになるだろうな)

 内心でそんな想いを抱きながら、タウロスはその記憶を自分の中に封印し、素直に魔境浄化に成功した従騎士達全員を称えるのであった。

☆合計達成値:171(20[加算分]+151[今回分])/100
 →成長カウント1上昇、次回の「生活支援クエスト( DC )」に35点加算

CC「武装船強奪」

 カルタキアの港の近くで、大型の投石機などを搭載した地元の武装船の一つが「異界人の集団」によって乗っ取られた。彼等が何者なのかは分からないが、現在乗っ取られた状態のその船に外傷などが見当たらないことから、おそらく彼等は「船の内部において突発的に投影された投影体」で、まだ自分達のいる場所が「彼等にとっての異世界」と認識出来ておらず、錯乱状態のまま、船員達を脅して船を乗っ取ったのではないかと考えられている。
 その証拠に(?)、彼等は武装船の船員達を人質とした上で、カルタキアの港の人々に対して「船員達を解放してほしくば、リボニアに行くための飛空船をよこせ!」と訳の分からないことを言っているらしい。「リボニア」という地名に関しては誰も心当たりがないし、「飛空船」なるものについても(アトラタンの一部にはそのような異世界の技術を運用している者達もいるらしいが)少なくともこのカルタキアにおいては一般的な存在ではない。しかし、彼等はそれらの単語を「知っていて当然の知識」だと認識していることからして、明らかに「この世界のことを理解出来ていない投影体」である可能性が高い。
 なお、彼等の外見はアトラタン人と何一つ変わらず(だからこそ、彼等の方も「周囲の違和感」に気付けないのだろうが)、おそらく能力的にも「普通の人間」と変わらないのではないか、というのが現時点での港の人々の見解だが、確証は持てない。実際のところ、この世界に投影される「地球人」と呼ばれる者達の中には、(元の世界においては「普通の人間」であるにもかかわらず)妄想力を駆使して君主や邪紋使いと同等の戦闘力を有している者達もいる以上、彼等も自分で気付いていないだけで、何らかの異能力を宿している可能性は十分にある。
 このような状況において、ひとまずハルーシアの巨大軍艦「金剛不壊」の艦長であるラマン・アルト(下図)を中心に、港の一角に位置する新築の小屋の中で、従騎士達による緊急対策会議が開かれることになった。
+ ラマン

「奪われたものは奪い返す。必ず、何をしてでも。それがアタシたち海賊の流儀だからな!」

 ヴェント・アウレオの アイリエッタ・ロイヤル・フォーチュン は、会議用の机を壊れそうなくらいの勢いで叩きながら、そう宣言した。今の彼女にとって、このカルタキアの港の住人は、既に仲間であり、家族でもあると考えていた。その船を奪われた以上、今すぐにでも乗り込んで奪い返したいという衝動に駆られている。

「そうしたいのは山々ですが、問題は人質です。彼等を盾にされた状態では、手が出せません」

 ヴァーミリオン騎士団の アルス・ギルフォード が冷静にそう呟くと、議長のラマンも頷きつつ、状況を整理する。

「乗っ取り犯達は今の状況を把握出来ていない。おそらく、人質を盾に交渉すれば本気で飛空船が手に入れられると勘違いしている。その辺りを説得して理解させることが出来れば一番穏便に解決出来るようだが、既に交渉に当たった者達の話を聞く限り、それは難しそうだ。ただ、人質を救出するためにも、表向きは交渉を続ける必要がある。ただでさえ混乱している奴等の神経を逆なでしないよう、なるべく引き伸ばしつつ、それを悟られないような交渉術が望ましい」

 これに対して、アルスと同じヴァーミリオン騎士団の ハウメア・キュビワノ が名乗り出る。

「その任務は、私が担当させて下さい。とりあえず、交渉すれば彼等の要求が通るかもしれない、と思わせるよう雰囲気を出すことで、油断させようかと」

 日頃は間延びした喋り方をしている彼女だが、このような公的な場においては、場をわきまえた言葉遣いで話すことも出来るらしい。
 そんな彼女に続いて、第六投石船団の グレイス もまた、交渉役として立候補する。

「私も同席します。相手の気を引きつつ、出来れば会話を通じて彼等の出身世界に関する情報などを引き出しておきたいと思います」

 実際のところ、このカルタキアにおける投影体出現の傾向からして、彼等のような形で街の近辺に投影体が出現する場合、(どちらが先かは不明だが)連動して同じ世界からの魔境がどこかに現れている可能性は十分にある以上、これはこれで後々役に立つ情報になるかもしれない。

「では、交渉は二人に任せることにしよう。その上で、どうやって人質を救出するかだが……、とりあえず、奴等が投影されたのが武装船の船内だったのは、人質となっている彼等には気の毒だが、ある意味、不幸中の幸いだった」

 その発言に対して、ラマンの従騎士である メル・アントレ が首をかしげた。純粋に船としての性能だけを考えるなら、一定の武装を備えた船の方が、奪還は難しそうに思える。

「どういうことです?」
「人質となっているのは全員、カルタキアの沿岸警備隊の連中、つまりはそれなりに屈強な海の男達だ。今は縄で縛られているようだが、解いてやれば一緒に戦えるだけの気力が残っている者もいるかもしれないし、最悪、手足さえ動く状態なら、海に落としても大丈夫だろう。貴婦人や幼子を乗せた民間船が乗っ取られるのに比べれば、まだマシだ」
「なるほど。確かにその意味では、救出部隊が採れる選択肢の幅は広そうですね」

 ただ、問題はその救出部隊の人員である。乗っ取り犯達に気付かれないように潜入するには、船を接舷させずに泳いで忍び込める者が望ましい。

「メル、お前、泳ぎは得意か?」

 ラマンにそう問われたメルは、先日の港の拡張工事の際に海で鯨に飲まれかけた時のことを思い出す。あの時にラマンに助けられたからこそ、今回は彼の役に立ちたいと思って参加したメルであったが、いざ自分が危険な海からの潜入任務に加わるとなると、少し尻込みしてしまう。

「うーん……、得意ではない、ですかね……」

 彼女(彼?)がそう答えたところで、会議場に新たに二人の従騎士が現れる。 ツァイス エーギル である。この二人は当初、別の任務に向かう予定であったが、出発直前にこの乗っ取り事件が起きたことを聞かされ、急遽こちらに駆けつけることになったという経緯もあり、到着が他の者達よりも遅れてしまったようである。

「第六投石船団のツァイスと申します。よろしくお願いします」
「はいはーい! ツァイスについてきました! 潮流戦線のエーギルでーす! がんばりまーす!」

 真剣な表情のツァイスの横で、エーギルはぴょこぴょこと跳ねている。そんなエーギルに対して、ラマンは興味深そうな視線を向ける。

「お前がエーギルか」
「あれ? 俺って、実は結構有名人?」
「ウチの船員のスーノによく似た男が潮流戦線にいる、という噂は流れてたからな」
「あー、なるほどー、スーノかぁ。うーん、俺は仲良くしたいんだけどなぁ」

 エーギルとスーノはこのカルタキア内でも何度か遭遇しているが、どうやら(理由は不明だが)スーノが一方的にエーギルのことを嫌っているらしい(ちなみに、ツァイスはエーギルともスーノとも所属は違うが、どちらとも親しい関係にある)。そのため、金剛不壊の船員達の間ではエーギルの話題を出すことは半ば禁句になっているようである。ラマンとしてはその辺りの事情も気になるところではあったが、ひとまず今は「目の前の任務」の話を二人に投げかける。

「ところで、お前達、泳ぎは得意か?」
「それはまぁ、船団員ですから」
「得意得意! めっちゃ得意だよ!」

 ツァイスとエーギルはそう答える(ちなみに、スーノはなぜか「海が嫌い」らしいが、その理由は誰も知らない)。その反応を見たラマンは、ほのかに笑みを浮かべながら話を続けた。

「よし、それなら、海からの潜入部隊はお前達に任せよう。その間に、ハウメアとグレイスは交渉で相手の気を引いてもらう。その上で、乗っ取り犯達にいるであろう見張りを倒すか、もしくはその場から遠ざけることで、奴等が人質に手を出せない状態を作り出せ。それが成功しようが失敗しようが、奴等がお前達の存在に気付いて騒ぎ始めた時点で、俺とアイリエッタとアルスが甲板から突入して、更に奴等を撹乱する」
「分かりました!」
「任せとけ! 派手に暴れるのは得意なんだ!」

 アルスとアイリエッタがそう答えたところで、ラマンはメルに視線を向ける。

「お前はどうする?」
「僕は……、まぁ、状況に合わせて投入する予備戦力、という扱いで……」

 勇んで会議に来たメルであったが、いざ乗っ取り犯と戦う状況を想像すると、怖気づいてしまったようである。

 ******

「んー……、『りぼにあ』? 行きの『ひくーせん』? と言われてもねー? どれくらいのものが要るのかわからないと、こっちもよーいできなくてねー? だからー、そーゆーのを、具体的に教えてもらえると助かるかなー?」

 ハウメアはそんな口調で、武装船の目の前に寄せた(カルタキア軍所属の)同型の船の甲板から、武装船の甲板に立つ乗っ取り犯の指揮官(下図)との交渉に臨んでいた。この指揮官は20代くらいの男性で、見た目はごく普通のアトラタン人の商人のような風貌であり、他の仲間達の様子を見ても、(それなりに屈強な体躯の持ち主もいるが)「ごく普通の青年」のように見える。彼等の基本武装はアトラタンや暗黒大陸でも流通していそうなあまり特徴のない革鎧と、やや独特な形状のサーベル、そして腰には「短剣程度の大きさの何か」が入っていると思しき袋がぶら下げられていた。
+ 乗っ取り犯の指揮官

(出典:『トレイダーズ! ゲームナビゲイターブック』p.37)

「エース級飛空商船以上の規模であれば問題ないよ。それと、リボニアまでの食料。そこまで用意すれば、人質の大半は解放しよう」

 存外穏やかな口調で、その指揮官の男は答える。錯乱しているという報告だったが、語り口自体は現在進行系の犯罪者とは思えないほど落ち着いているように見えた。

「ぜんいんは、むりなのー?」
「出航するまではね。追手が来てないことを確認したら、パレルモ辺りで下ろしてあげよう」

 当然、その「パレルモ」という地名にもハウメアは心当たりがないが、ひとまずその点には触れずに話を合わせる。

「とりあえず、ひくーせんについては、出せるかどうか、えらいひとに聞いてみないと、分からないかなー」
「いくらカイラワーンが辺境だと言っても、協会(アソシエイション)指定都市の港で、エース級一隻程度もすぐに出せない、ということはありえないだろう? 僕の仲間が『うっかり』人質の一人に手をかけてしまう前に、早急に頼むよ」

 どうやら彼等は、このカルタキアのことを「カイラワーン」という異界(彼等の世界)の港町だと勘違いしているらしい。見間違える程に外観がよくにているのか、それとも、混沌の作用のおかげで認識や記憶、もしくは視界などが捻じ曲げられているのかもしれない。
 そもそも、この世界に出現する知的投影体は、混沌の作用によって「この世界の言語」を無意識のうちに喋れるようになっていることを考えれば、よく似た世界から投影された者の認識などが中途半端にこの世界に合わせて歪められるということも、十分にありえる話である。おそらく、最初に彼等と交渉した者達が「乗っ取り犯達は錯乱している」と言ったのは、このような「言葉は通じるのに(認識の違い故に?)意思疎通が出来ない」という状況に、どこか不気味な恐怖を覚えたからなのだろう。
 ここで、今度はハウメアに代わってグレイスが交渉に割って入った。

「食料に関しては、具体的に何が欲しいですか? 長旅ということなら、乾パン、干し肉、チーズ、あたりが妥当かと思いますが」
「そうだね。あとは、せっかくカイラワーンまで来たのだから、デーツも欲しいところかな」

 デーツ(ナツメヤシ)はカルタキアの特産品の一つである。グレイスとしては、彼等の背景を探るための判断材料の一つとして食文化を確認しようとしてみたのだが、この返答から察するに、やはり彼等の出身世界は、この世界とかなり近い文化圏である可能性が高い。この反応を踏まえた上で、グレイスはまた別の方向から質問を投げかけることにした。

「他には他に何が必要です? 精神力を癒やすためのポーションの類いは必要ですか?」
「ポーション?」
「あぁ、あなた方の出身地域では、別の呼び名をしているのでしょうか。魔晶石とか、マインドリーバーとか、ともかく『心の力』を回復させるための薬や道具のことです」

 グレイスは事前に調べた「異世界において、魔法などを発動する時に必要となる力を回復させるもの」の名前をいくつか挙げてみる(なお、カルタキアでは魔法具が役に立たないため、実際には安価な気付け薬程度しか提供は出来ない)。

「何のことを言っているのかは分からないけど、妖しげな薬ならいらないよ」

 どうやら彼等の世界には、この世界における聖印や魔法や邪紋に相当するような力は存在しないようである(もっとも、特に何かを消耗することなく発動出来る世界も存在するので、確かなことは言えないが)。

「むしろ必要なのは、飛空船付属の火砲用の弾薬と、最低限の数の飛空機雷。あとはついでに、この単筒の弾も補充したいな」

 指揮官の男は、そう言って腰につけていた革袋を開き、そこから金属製の何かを取り出す。

(あれは……、「銃」と呼ばれる代物ですね……)

 混沌の影響力でいつ何が暴発するか分からないアトラタン世界では、銃火器は殆ど発達していない。例外的にそれが扱えるのは、異界から召喚した銃を扱える浅葱の召喚魔法師と、一部の邪紋使いや投影体だけである。

「私達の倉庫にその銃に合った弾があるか確認する必要があるので、弾を装填する部分の形を見せてもらえませんか?」
「その手は食わないよ。トレイダーズ協会で出回っている標準規格の代物だ。わざわざ手にとってみる必要なんてない」

 銃を奪われることを危惧した指揮官は、そう答えながら銃口をグレイスへと向ける。今の時点で既に弾が装填されているのか、実際には打てない状態でハッタリを効かせているのかは分からない。

「こちらも別に荒事がしたい訳じゃないし、金銀財宝をよこせと言ってる訳じゃない。ただ、リボニアに行くための足が欲しいだけだ。リボニアに着いたら、飛空船は近くの海にでも放置しておくから、現地の協会にでも連絡して、勝手に回収してくれればいいよ。ただし、そちらが平和的解決を拒むなら、出航前に人質の何人かの死体がこの海に浮かぶことになる。そうなる前に、早く用意してもらえないかな」

 身勝手な要求ではあるが、無法者の海賊としてはごく一般的な手法であり、世界認識が間違っていること以外は、極めて冷静で理知的であるように見える。

「じゃあ、あーしはそのことを、おえらいさんにつたえてくるよー」

 ハウメアはそう言って、(ここまでの話をラマン達に伝えるために)甲板から去る。その上で、グレイスはその場に残って、もう少し時間稼ぎのための交渉を続けることにした。

 ******

「さて、行くか」
「おう!」

 ツァイスとエーギルは泳ぎやすいように極限まで軽装にした上で、港の一角からその身を海面へと浸し、そのまま極力静かに「乗っ取られた武装船」へと向かって泳いでいく。なお、エーギルはいつもの大剣を(さすがに潜入には邪魔なので)港に残した上で、軽装に短剣一本だけを腰に挿していた。
 二人は、以前にその武装船に乗っていたという元船員から聞いた話に基づいて、この船の舷側に位置する「非常口」に相当する部分からの潜入を試みることにした。エーギルはまず、非常口の外側まで泳いで近付いた上で外側から耳を当てることで、その非常口の向こう側に人がいないことを確認しつつ、器用に泳ぎながら非常口の鍵の部分を短剣でこじ開け、そこからツァイスと共に内側への潜入に成功した。

(船員全員を人質として閉じ込めておくなら、おそらく船底の倉庫になるだろう、って元船員の人は言ってたよな……)

 ツァイスはその話と船内図を思い出しながら、倉庫があると思しき区画へと向かい、その後ろをエーギルがついて行く。そして倉庫の入口と思しき場所へと辿り着くと、そこに屈強な体格の男が見張りとして立っているのを発見する。ツァイス達は通路の角から密かにその様子を伺っているが、まだ彼は侵入者の存在には気付いていない。

「エーギル、反対側から回って、少しだけ物音を立ててくれないか?」
「おっけー」

 小声でそんなやり取りを交わしつつ、言われた通りにエーギルが反対側であえて大きめの足音を立てると、ツァイスの目論見通り、見張りの男はその音のした方向へと視線を向ける。その直後にツァイスが一気に間合いを詰めて、その男の口元を左手で抑えて声を上げるのを防ぎつつ、そのまま右手と両足を相手に絡ませることで、その動きを封じる。その間に反対側から現れたエーギルはその様子を確認した上で、男の背後にあった扉を開けると、そこには憶測通り、縛られた状態の船員達の姿があった。

「もう大丈夫、早く帰ろうぜ!」

 エーギルは彼等にそう告げた上で、彼等を縛っている縄を短剣で切り始める。

 そして、さすがにその物音に他の船員も違和感を感じたようで、倉庫に向かって人が近付いて来る音が聞こえてくると、このまま見張りの一人を羽交い締めにしていても意味はないと判断したツァイスは彼の拘束を解きつつ、倉庫の内側に入って扉を締め、エーギルが全員分の縄を解くまでの時間稼ぎとして、外から開けられないように厳重に抑える。扉の外では見張りの男達の声が鳴り響く。

「おい! 何があった!?」
「侵入者だ!]
「なんだと!?」

 ******

 当然、その声は甲板にいた指揮官にも届いていた。

「やっぱり、時間稼ぎだったんだね。残念だよ」

 指揮官の男はそう言って、グレイスに拳銃を向け、彼が何も言い返す間もなく引金を引く。しかし、それよりも一瞬早く、近くに潜んでいたアルスが割って入り、いつもよりも小さめの盾でその一撃を受け止めた。その直後、ラマンが甲板上に隠していたいた渡り板を一人で持ち上げる。

「おらよっと!」

 通常の人間であれば到底一人では持ち上げられない大きさだが、現在のラマンは聖印の力によって一時的に筋力を強化していたこともあり、あっさりと武装船の側まで渡り板を設置させ、その直後にその板の上をアイリエッタが大斧を掲げて一気に走り込む。

「この船はこの港のモンだ! 返してもらうぜ!」

 そんな彼女の突進に対して指揮官はすぐさま後方に下がり、他の乗っ取り犯達がアイリエッタを止めようとするが、彼女は彼等を薙ぎ払うように大斧を振り回し、その激しく風切る音に乗っ取り犯達は威圧され、踏み込むのを躊躇する。その直後に、今度はアイリエッタの後方からアルスが盾を掲げて武装船の甲板へと駆け込み、狼狽した乗っ取り犯達を相手にシールドバッシュをかけるつつ、アイリエッタと共に甲板で走り回りながら敵の注意を引きつけることで、敵の戦力がツァイス達の方へと向かうのを阻止する。
 そして満を持してラマンもまた武装船へと乗り込んでくるが、この時点で既に敵の指揮官は甲板から消えていた。

「いざ尋常に大将戦、と思ったんだが、さて、どこに隠れた……? それとも、仲間を残して海へ逃げたか?」

 ラマンはそう呟きつつ、海の方に視線を向けるが、今のところこの船の近辺には小舟の気配も人の気配も感じられなかった。

 ******

「おい! 何してんだ! ととっと救援に来い! このままだと、人質に逃げられちまうぞ!」

 倉庫の前で「上」に向かってそう叫ぶ見張りの男に対して、甲板の方からは同じようなテンションの大声が響き渡る。

「それどころじゃねぇ! こっちもヤバいんだ! とっとと人質連れて上がって来い!」

 互いに状況が混乱した状態のまま、そう叫び合っている間に、エーギルは全員分の縄の切断に成功する。

「よし! じゃあ今からみんなで甲板まで一気に……」

 エーギルがそう言いかけたところで、船員の一人が割って入った。

「待ってくれ。まだあと一人、捕まってる仲間がいるんだ」
「え? どこに?」
「多分、医務室だと思う。あいつ、一度脱走しようとして、捕まって、その時に足を折られてて……」
「自分達で足折っといて、その後で看病してくれてんのか。変なところで律儀な海賊だな」

 エーギルはそう呟くが、おそらく、「歩けない人質」は(ある意味で)他の人質よりも扱いやすいため、殺してしまうのは勿体ないと考えているのだろう。
 そして、その呟きの直後に、扉の向こう側から「聞き覚えのある声」が聞こえてきた。

「ギルフォード流わらしべ盾術奥義!『ボルテッカー』!!」

 その声に反応してツァイスが扉を開けると、そこにはアルスが盾で見張りの男達を牽制している。どうやら彼女は、甲板をひとまずアイリエッタとラマンに任せて、人質達が逃げるための隙を確保するためにここまで入り込んできたらしい。

「助かったぜ! アルス!」
「あ、ツァイスさん! エーギルさん! もう人質の方々は解放したんですね!」
「まだあと一人残ってるらしい。俺は今からそっちに行く。アルスはエーギルと一緒に、皆を連れて甲板へ!」
「分かりました! ツァイスさんもお気をつけて」

 アルスはそう告げると、目の前の見張りを改めて盾で突き飛ばしつつ、エーギル達が人質を連れて倉庫を出るルートを確保するのであった。

 ******

「おうおう、どうした!? かかってこいよ!」

 甲板の上でアイリエッタは周囲の乗っ取り犯達に対してそう叫ぶことで挑発しつつも、大斧を激しく振り回すことによって簡単には踏み込ませないように威嚇している。そんな彼女の立ち振舞に、少し離れた場所で同じように敵を牽制していたラマンは素直に感服する。

「いい気概だな。フリーの傭兵だったら、ぜひ我が艦に招き入れたいところだ」
「わりぃな。アタシにはもう、帰る家があるんでね!」

 二人がそんな言葉をかわす余裕を見せながら大立ち回りを演じている中、この甲板上では実はもう一人の従騎士が、密かにマストの影に隠れていた。メルである。彼(彼女?)はラマンの後にこっそりと渡り板を渡って乗り込んではいたのだが、二人の戦いぶりに圧倒されるばかりで、ただ隠れるだけの状態が続いていたのである。

(せめて僕も姿を晒すことで、少しでも彼等の気を散らした方がいいのかな……)

 メルがそんなことを考えていたところで、彼女(彼?)の視線の先に、下り階段の影に隠れながら、「単筒」を手にして、アイリエッタに照準を合わせようとしている男がいた。その単筒は指揮官が持っていたものと同型であり、メル自身はその道具を見るのは初めてだったが、ハウメアからの報告は聞いていたため、それが「異界の飛び道具」であることは即座に理解した。

「アイリエッタさん! 危ない!」

 そう言って彼(彼女?)はその単筒の男に向かって飛びかかると、男は条件反射的にその銃口をメルへと切り替え、そして引金を引く。次の瞬間、爆音と共にその単筒から放たれた弾丸は、メルの左肩を貫いた。

「メル!」

 ラマンは驚いてメルへと駆け寄るが、この時、既にメルは気を失っていた。

「てめぇ! 何しやがる!?」

 アイリエッタはそう叫びながら、その隠れていた男に対して向かって大斧を(今度は威嚇ではなく)本気で振り下ろすと、その一撃は彼の身体を切り裂き、そしてその身体が混沌核へと変わっていく。

「やっぱり、人間の姿をしていても、投影体なんだな……」

 アリエッタはそう呟きつつ聖印を掲げてその混沌核を浄化しつつ、メルの様子を伺うと、ラマンがすぐさま手持ちの薬をメルに処方していた。意識は戻っていないが、明らかに顔色は良くなっている。

「すまないが、あとでエイシス卿のところにこいつを連れていってくれ。多分、大丈夫だとは思うが、混沌の塊に貫かれたことで、何か後遺症が残るかもしれない」

 ラマンの聖印でも簡単な回復程度なら可能だが、やはり医療全般に関して言えば、メサイアの聖印の持ち主であるエイシスの方が圧倒的に知識も技術も上である。

「分かった。こいつのおかげでアタシは助かったんだ。責任を持って届けるよ」

 一方、仲間の一人を失った敵軍は、怒りよりも恐怖や混乱の感情が広がっていた。

「お、おい、なんでジャンのヤツ、いきなり消えちまったんだ?」
「あの女に斬られたところまでは見たが……、遺体も残さず消えちまうって、一体あの女、何者なんだ!?」

 どうやら、ようやく彼等は「自分達」と「周囲に居る者達」が根本的に異なる存在であるということに気付き始めたようである。

 ******

 その頃、ツァイスは船内の医務室へと辿り着いていたが、彼が扉を開けた瞬間、そこには足を怪我した船員と、その船員の頭に銃を突きつけている敵の指揮官の姿があった。

「間一髪、こっちの方が早かったみたいだね」

 当然、ツァイスにもそれが異界の飛び道具だということは分かる。銃を突きつけられた男は恐怖のあまり何も口に出来ず、そして指揮官の立ち振舞からは、一瞬の隙も感じ取れなかった。

「とりあえず、この船から退去してもらおうか。その上で、君たちにはもう一度だけ、平和的解決の機会を与えるよ。もう一度冷静に考えてくれ。一人の命よりも、飛空船一隻のレンタル料の方が安いだろう?」

 そう主張する敵の指揮官に対して、ツァイスの中では言い放ちたい言葉があったかもしれないが、ひとまず今回の交渉役が自分ではない以上、ここで不用意な発言をすることで事態を悪化させる訳にはいかない。

「……冷静に考えるのは、俺の仕事じゃない」

 ツァイスはひとまずそう答えた上で、ラマンの判断を仰ぐべく、ひとまずその医務室から立ち去って行った。

 ******

 甲板にツァイスが到着すると、その時点で既に敵の大半は戦意喪失しており、エーギルとアルスによって連れて出された船員達も無事にラマン達と合流していた。その上で、ツァイスが医務室の現状を伝えると、ラマンは微妙な表情を浮かべつつ語り始める。

「仕方がない。こうなってしまった以上は、一旦引こう。ただ、人質が一人だけになったなら、奴等はその最後の人質を殺すことは絶対に出来ない。その意味では、今回の作戦の成果は大きい。悪いが、その最後の一人にはもう少し待ってもらった上で、持久戦で隙を伺うことにしよう。先程の戦いの過程で、奴等もそろそろ、ここが奴等にとっての『本来の世界』ではない、ということに気付き始めたようだし、もう少し奴等に考える時間を与えれば、いずれこれ以上続けても無意味ということに気付く可能性も……」
「ダメです!」

 そう叫んだのは、助けられた船員の一人であった。当然の如く、次の瞬間には皆の視線が彼に集中したことで、彼は途端に恐縮した様子となるが、それでもそのまま語り続ける。

「あ……、すみません、でも……、実はあいつ、出産を間近に控えた奥さんがいて、しかも、もう今にも生まれそうなんですけど、難産になりそうって言われてて、今すぐにでも帰りたがってたんです。あいつが一人で脱走しようとしたのも、そのことがあったからで……」

 ラマンはその発言を聞き、表情を一変させる。

「なるほど……。そういうことなら、確かに今の時点で優先すべきは『人質解放』ではなく、『その男を奥方の元へと連れて行くこと』だな」

 ラマンはそう呟くが、船員にはその二つの違いが分からなかった。従騎士達の中にはこの時点で彼の意図に気付いた者もいたようだが、そんな彼等による静止も無視して、ラマンは乗っ取り犯達に対して、こう告げる。

「そっちの大将殿に伝えてくれ。『人質交換』だ」

 ******

 その後、従騎士達は全員、捕虜となっていた武装船の船員達を連れて港へと帰還した。足を骨折していた男は仲間に背負われて妻の元へと送られ、無事に出産に立ち会うことが出来た。一方、意識を取り戻したメルはアイリエッタの手で(森の魔境から一時帰還していた)エイシスの診察を受けた結果、命に別状は無しと診断された。
 そして、武装船の中では、縄で縛られた「新たな人質」に対して、乗っ取り犯の指揮官は怪訝そうな表情で問いかける。

「分からないな……、なぜ一軍の将を人質に差し出してまで、飛空船の提供を拒む?」
「さぁな。もうヒントは十分色々出してるんだ。自分で考えてみればいいだろう」

 人間、他人に間違いを指摘されるのは腹が立つものである。説教して説得するよりも、彼が自分で気付いた方が、平和的解決への道も開けるだろう。ラマン・アルトはそう考えていた。

(まぁ、その前にあいつらが助けに来てくれるなら、それで良いのだがな)

☆今回の合計達成値:85/100
 →生活レベル1減少、このまま 次回 に継続(ただし、目標値は上昇)

DB「飲食街の建設」


 カルタキアの新たな飲食街の建設は順調に進行し、次々と様々な料理の店が開店準備を進めていた。この背景には、先日まで公園の泉の魔境に囚われていた少女達の何人かが、助けてくれた従騎士達へのお礼として、主に外来の従騎士達向けの異国料理の店を手伝ってくれている、という事情もある。
 そんな中、先日の泉の魔境の浄化作戦に参加していたヴェント・アウレオの ジルベルト・チェルチ は、助けた少女達の一人が働いている極東料理の店を訪れていた。

「ジルベルトさん! この間はありがとうございました!」
「あぁ、元気そうで何よりだぜ、お嬢さん」
「システィナの方だと伺っていたのですが、東洋料理がお好きなんですか?」
「好きっていうか、オレの友達に料理が上手いやつがいてさ!そいつが東洋の料理を作ってたから、オレも気になってたんだ」

 ちなみに、その「友達」というのは、アルスのことである。彼女は宿舎の調理場で、ジルベルト達を相手に極東料理の「みぞれ煮」を披露していた。

「なるほど。それじゃあ、まずはウチの看板メニューから、どうぞ」

 彼女にそう言われて出されたのは、色鮮やかな生魚の盛り合わせであった。

「んーと、東洋じゃ生で魚を食うのか……。おもしれぇことするんだな」
「はい。この大豆ソースと、あとはお好みで、こちらのウマダイコンの根を摩り下ろした調味料を付けて食べるのが、本場の人達の味わい方らしいです」

 そう言われたジルベルトは、戸惑いながらも、まずは一番手前にあったトラウトサーモンの切身を口にしてみる。

「うわ、うめぇなこれ! なかなかいけるな」
「はい。まぁ、ちょっと生臭さといので、どうしても好き嫌いは分かれてしまうんですけど」
「まぁ、確かににな。でも、この生魚の食感、他の料理にも色々と応用出来そうな……」

 ジルベルトはそこまで呟いたところで、ふと自分の好物のイスメイア料理を思い出す。

「……そうだ! カルパッチョだ!」
「え? カルパッチョって、牛のヒレ肉を使った料理ですよね?」
「あぁ。カルタキアでは牧畜業があんまり盛んじゃないから、ちょっと高級品になっちまってるけど、港町だから魚は色々採れるだろ? それなら、生牛肉の代わりに生魚を使ってみるのも面白いんじゃないかな、って」
「うーん、魚のカルパッチョですか。どうなんでしょうねぇ」
「とりあえず、色々試してみたいから、他の種類の魚も色々持ってきてくれないか?」
「あ、はい。それはもう、他ならぬジルベルトさんの頼みなら♪」

 その後、ジルベルトはその店の生魚料理を一通り確認した上で、調理場で生魚の捌き方の基本を学びつつ、魚問屋とのツテを教えてもらい、実際に寮の調理場で「生魚カルパッチョ」を作ってみることにした。日頃の包丁の使い方とは様々な意味で勝手が違っていたが、それでもどうにか捌き切り、そして自分の記憶にあるカルパッチョの作り方に基づいて仕上げてみた彼は、早速試食してみる。

「うーん……、悪くないと思うけど、なんか生魚の食感があの店で食べた時とはだいぶ違うというか、なんか筋みたいな部分が気になるな。やっぱり、一朝一夕ではそう簡単に上手くはい切れないか……。それに、オリーブオイルやガーリックの量も、もう少し調整した方が……」

 そんな試行錯誤を繰り返しつつ、しばらくジルベルトは(特にどこの店に頼まれた訳でもなく)独自に新メニューの開発に勤しむことになる。

「魔境からコリーとラルが帰って来るまでに『店で出せるレベル』にまで仕上げてやるぜ!」

 ******

「狩りの時間だ!」

 潮流戦線の ミョニム・ネクサス は楽しそうな様子でそう言いながら、商店街に出典予定の新規店舗への食料提供に協力するために、地元の地理に詳しい幽幻の血盟の レオナルド と共に、カルタキア近辺での狩猟活動へと向かうことにした。

「この辺りは先日、第六投石船団の方々も狩猟場として活用されていたので、おそらく現時点では最も収獲が見込める区域だと思います」

 弓を手にして狩る気満々のミョニムに対して、レオナルドはそう伝える。ちなみに、レオナルドの手には前回ユージアルが使っていたような罠と、そしてペットのウサギであるキャロルが抱えられていた。

「そのウサギは?」
「キャロルは、得物の捜索に協力してもらうために連れてきました。この辺りで『草食動物が食べたいと思うような野草』が生えている場所を見つけるのにはちょうど良いかと。更に言えば、自分よりも大きな動物が現れそうになれば警戒するでしょうから、どちらにしても、キャロルの行動を観察することは、狩猟において役に立つと思います」
「なるほどね。うっかり間違えて射抜いてしまわないように、気をつけるよ」

 ミョニムはそう口にしたところで、そもそも「それ以前の問題」として確認しておかなければならないことに気付く。

「キミにとって、その子はペットなんだよね?」
「そうですね」
「ということは、キミにとって、ウサギは『可愛がるもの』なんだよね?」

 この時点で、レオナルドはミョニムの質問の意図を理解する。

「あぁ、別に、ウサギを肉として食べることには抵抗はないですから、気にしなくていいですよ。実際、焼いたウサギ肉は美味しいですし」
「そ、そうなのか……。まぁ、それなら良いんだけど……」

 この辺りの感覚は人それぞれなので、本人が良いと言えば良いのだろう、とミョニムは割り切った上で、ひとまずは狩りに専念することにした。ミョニムはかつて各地を旅していた頃を思い出しながら、風の匂い、木々のせせらぎなどに神経を集中させつつ、得物となりうる動物達が集まっていそうな場所を直感的に探り始める。すると、さっそくそれらしき空気を感じ取った。

(この気配、アカシカかな……?)

 ミョニムはそう感じ取るや否や、その気配のする森の方角へと向かって即座に走り出す。基本的にミョニムは一人旅を続けていたため、必然的に狩猟においても「一人で標的を着実に射止める技術」を磨いてきた。そして彼女は木々の奥に何本かのアカシカの角らしき何かが動いているのを発見する。

(何頭かいるみたいだけど……、ここは欲張っちゃダメ。確実に一頭、一番の大物を仕留めればいい)

 ミョニムは自分にそう言い聞かせつつ、ひとまずは最も大きな角を有しているアカシカに狙いを定めつつ、相手に気取られぬギリギリの距離まで迫った上で、一発で仕留められなかった時にその獲物が逃げ出しそうな方角まで確認した上で、まずは一矢目のを放つ。すると、その一撃は狙い通りにアカシカの臀部に命中し、すぐさま痛みに堪えつつ逃げ出そうとするが、あらかじめその逃走経路の「矢の通りやすい角度」まで把握していたミョニムは、そこから追撃の矢を立て続けに打ち続けた結果、ミョニムの視界から消える前に息絶えて、森の中に倒れた。

「よし! まずは一頭!」

 ミョニムはそう言って、倒れたアカシカへと近付きつつ、その血抜き処理などを始める。なお、当然この時点で他のアカシカ達は既に散り散りに逃げていたのだが、そのアカシカのうちの一匹が逃げた方角から、激しい物音と鳴き声が聞こえてくる。
 何があったのか気になったミョニムが遠眼鏡でその先を見ると、そのアカシカが罠に嵌って動けなくなっているところに、レオナルドがゆっくりと近付いて、止めを刺していた。彼の足元では、ウサギのキャロルがぴょこぴょこと跳ねている。

(まさか……、私があのアカシカの集団を狙いに行くと見透かした上で、アカシカが逃げそうな場所に罠を設置した……? いや、さすがに、そんなことは無理だよね……?)

 何か引っかかる心境に至りながらも、ひとまずミョニムは目の前の獲物を持ち帰りやすい大きさにまで整えるための解体作業に集中することにしたのであった。

 ******

「……こっちは肉も野菜も結構な量やな。次は……、小麦粉に砂糖、ってこれはスイーツの店か、なるほど」

 第六投石船団の リズ・ウェントス は、飲食街の再編成に向けて、各地から派遣されてきた料理人達から店舗の仕入れの要望などを聞いて回り、それをメモとして手元に残しながら、供給量との調整などを行っていた。様々な伝手によって各地から料理人がカルタキアへとやってくる中、彼等がそれぞれどの程度の仕入れを考えているか確認することとなったのである。
 こういった仕事は、これまではハルやレオナルドのような地元の見習い君主が中心になっておこなってきたが、「外部監査も入れた方が良いだろう」というソフィアの意向から、各部隊の指揮官に経理作業に向いていそうな人材の派遣を依頼した結果、カエラは自軍の代表としてリズを派遣することにしたらしい。おそらくもともと料理に関する知識を有していたことから、適任だと判断されたのであろう。
 当初は「せっかくやからいろいろ勉強させてもろうて来る」と息巻いていたリズであったが、思っていた以上に管理する食材の量が多すぎて、商店街の一角に作られた仮事務所で書類と睨み合う仕事は、リズにとってはかなりの苦行であった。それでも(本人に自覚があるかどうかは不明だが)彼女は経理仕事にもそれなりに向いているようで、当初の予定以上に順調に資料整理は進んでいた。

「……あ~、やっぱり経営って大変なんやな~。勉強にはなるけど、ちょっと荷が重いで、これは。調整にも限界あるし、足りへん分は数量限定にするとか日替わりメニューにしてもらうとか頼むしかないやろな~」

 そこへ、ヴェント・アウレオの アリア・レジーナ が現れる。

「各店内の衛生面の管理については確認が終わったわ。まだ未完成の厨房も多いから、後で再度確認する必要はあるけれど、ひとまず現時点で改善すべき点については指摘しておいたから」

 彼女は医学の有識者として、食品衛生管理の観点から、各店舗へのの査察を担当することになった。はっきりと明言はされていないが、おそらくはエイシスからの推薦もあったのだろう。

「おぉ、ありがとな、アリアはん。助かったわ」
「とはいえ、食材の保存可能期間に関しては、正直、カルタキアの気候が色々と特殊である以上、はっきりとした目安は出しにくいわね。外から入ってくる輸入食材に関しても、生産日や収穫日を偽っている可能性もあるでしょうし」
「まぁ、そこら辺は、各店舗の人達の料理人としての勘に任せざるをえんと思うで」
「そんないい加減な管理法でいいの?」
「現実問題として、カルタキアには魔法師がおらへんからな。混沌濃度を操作出来ない環境下なら、収穫直後の果物でも突如として腐ることもある訳やし、管理するにも限界があるんよ」

 この辺り、やはり貴族令嬢として恵まれた環境で育てられたアリアと、最低限の衣食住すら保証されない生活も経験してきたリズとでは、どうしても感覚や認識に差があるようである。

「なるほど……、温室育ちの私の常識は、この地では役に立たない、ということね」
「あ、いや、もちろん、だからと言って全部勘任せにすればええとは思わんよ。少しでも正しい医療知識があった方が、この地の将来的な発展のためにも役立つと思うし。その意味でも、アリアはんが一般領民のためにその知識を生かしてくれるのは、ほんまに助かるで」
「庶民の生活を知るのも貴族には必要でしょう? 戦いよりもずっと大切なことよ」

 二人がそんな会話を交わしている中、この街の領主であるソフィア・バルカ(下図)が現れる。
+ ソフィア

「あ、ソフィアはん、今、各店舗が発注している食材の量を計算してみたんやけど、現状やと、どうにも足りそうにないわ。とはいえ、今のウチらを含めたこの街の人口を考えたら、各店舗が計画している一日あたりの料理の数もそこまで多いとも思えんし、これやったら、もう少し全体的に輸入品目を増やして供給を増やしてみてもええ気がするんやけど、どないする?」
「それだけ需要があるのなら素直に増やせば良いと思うが、何か問題があるのか?」
「いやー、ほら、ウチら従騎士はいつまでもおるわけやないし。その後のことも考えんとアカンやろ? ここで食料供給量を増やしすぎても、後々困るんとちゃう?」

 つまり、現時点の需要に合わせて供給量を設定してしまうと、後々になって従騎士達が去った時に、客が激減して飲食店の従事者が露頭に迷うことになるのではないか、という懸念である。それに対しては、アリアも付言した。

「この街の環境下では、食料の長期保存も難しいと伺っていますわ。今、彼女が言ったような状況になった場合、その移行期には大きな経済的混乱が発生する可能性にも憂慮すべきかと」

 この二人の懸念に対して、ソフィアは淡々と答える。

「もちろん、駐留軍の者達にもそれぞれの事情があることは分かる。だから、それぞれに国元の事情で帰国せざるを得なくなった場合は帰国すれば良いが、その時点で魔境問題が片付かないようであれば、また新たな従騎士達を他の地域から招き寄せることになるだろうな」
「ほな、魔境問題が解決して、完全に平和な世界になって、新たな戦力を招く必要が無くなったら、どないするん?」
「そうなれば、多くの一般住民を世界各地を様々な地方から招き入れて、平和な街として再出発することになる。もともと海上交通の要所であるし、魔境が無くなれば有効活用出来る土地も増える以上、自然と入植者が増えることになるだろう。そうなれば、どちらにしても食料需要が足りなくなることはない」
「そない簡単に切り替わること出来るん?」
「さて、どうであろうな。それについては『平和な時代の君主』が考えるべきことだろう」

 まるで「それは自分の仕事ではない」と言わんばかりの言い草であるが、実際のところ、ソフィアはこのカルタキアが危機に陥った10年前になって突如として現れた君主であり、伝統的にこの地を支配してきた一族とは(少なくとも表面上は)関係ない。そもそも10年前から全く歳を取っていないことからも、彼女は「普通の君主」どころか「普通の人間」ですらないと考える者も多く、この混沌災害の終結後はまた何処かへと消えていくのではないか、という(明確な根拠のない)噂もある。
 とはいえ、リズもアリアも(地元民ですら把握していない)ソフィアの正体にまで踏み込む気はないし、後のことは後の人々が考えればいいと言われたら、それ以上何も言うことはない。ひとまず、今の領主であるソフィアが食料供給量の増加に賛同している以上、素直にその方針に基づいた経営案と衛生管理案を提出することにしたのであった。

☆合計達成値:157(96[加算分]+61[今回分])/120
 →生活レベル1上昇、次回の「拠点防衛クエスト( CC )」に18点加算

EA「スタイルの確立」

 金剛不壊の スーノ・ヴァレンスエラ は、カルタキアに来てから重ねて来た戦いの経験を思い出しながら、自分自身の目指す理想の剣技の「型」を思い浮かべていた。
 そして、これまでに出会った人々と交わしてきた様々な言葉を思い出す。

「……彼らは僕に、『良き君主になるには足りないものがある』と言った。『他人を信じることが必要だ』と言った。僕はそれが正しいとは思えない。けれど、僕一人が複数の人間の言うことを『間違っている』と断ずることもまたできない。揃って同じことを言われるなら、確かに僕には彼らから見て至らない部分があるのだろう」

 スーノは傍目には頑固で孤高な気性のように思われがちだが、決して他人の言葉に耳を傾けていない訳ではない。一人一人の言葉を正面から受け止めた上で、自分の中で「他人の言葉」と「自分の信念」を常に相克させ続けているのである。

「至らぬ点を見定めねばならない。直せない欠点であるならば、それを抱えたまま君主として責務を全うする方法を問い続けなければならない」

 改めてそう決意した上で、スーノは自分自身の目の前に聖印を掲げつつ、君主として果たすべき新たな「誓い」を自分の魂に刻み込む。

《己の未熟さに向き合う》

 スーノがその言葉を心の中ではっきりと掲げた瞬間、それまで形状が不鮮明だった彼の聖印は明確な一つの「紋章」として再構成される。それは、スーノが「セイバー」として生きることを決意した瞬間だった。

「……僕は、自分から逃げない」

 ******

 潮流戦線の ハウラ は、幼い頃から医学を学び続けてきた。彼女のその動機がどこから来ていたのかは彼女自身にしか分からないが、医学とは、多くの人々を救うための学問である。そんな彼女のこれまでの生き方と繋がっているのかどうかは分からないが、現在、彼女は医学だけでなく、より幅広い視野や見識を広めるための研鑽を続けていた。それは、自分自身の聖印を「ルーラーの聖印」へと覚醒させるためであった。
 ルーラーとは「支配する者」。戦場全体を支配出来る力の持ち主であることを意味しており、混沌が支配するこの世界において、魔境の変異率に対抗出来る可能性を持つ唯一の君主でもある。ハウラがその道を目指すのは、より広く戦場を見渡すことで、より多くの人々を助けることができるようになるためであるらしい。その力を得た上で、彼女が具体的に何を(誰を)守ろうとしているのかは分からない。しかし、彼女の中での「果たすべき誓い」は既に定まっていた。

《戦場の端から端まで救う》

 ハウラがその言葉を己の聖印に刻み込んだ瞬間、驚くほどあっさりと聖印は「ルーラー」としての彼女の魂を象徴するような形状へと形作られていく。これが、「ルーラー:ハウラ」としての最初の一歩であった。

 ******

 鋼球走破隊の フォーテリア・リステシオ にとって、現在身体に宿っている聖印は「二つ目の従属聖印」である。一つ目の聖印は、父から与えられた従属聖印であった。しかし、当時のフォーテリアは「自分の生き方」が全く定まっておらず、その聖印としての形を明確化させるには至らなかった。当時の彼女では、聖印を『己のもの』には出来なかったのである。
 その後、鋼球走破隊に入った時点で、隊長であるタウロスに一旦聖印を預けた上で、改めて彼の従属聖印という形で与え直された。当然、この時点でも彼女の聖印は「何者でもない聖印」のままであり、その状況が今日まで続いている。何度自分の聖印を強化しようと試みても、彼女の聖印はその外形がぼやけたままであった。
 この日も、フォーテリアは今の自分の実力の不足を感じ、成功しないであろう事を予想しながらも聖印の力を覚醒させようと試み続けたが、いつしか気力が尽き、眠りに就いていた。
 その夢の中で、彼女は『在りし日の己』を目の当たりにする。それは『無感情、無関心な人形』であった。しかし、やがてその人形は、人との出会いを通じて、『人』になりたいと思い始める。そして、人形は新たな誓いを心に抱く。

《己が何者であるか知る》

 翌朝。目が覚めたフォーテリアの眼前には、はっきりと輪郭を明確にした彼女自身の聖印が、鮮やかな輝きを放っていた。そこに描かれた紋章は「ルーラー」としての彼女の生き様を示唆している。自分自身でまだ到れないだろうと思っていた境地に、悪あがきの末に到達したことに対して、彼女自身も驚き、そして動揺していた。

「信じていた運命が『天運』となって、私の背を押した、ということか……」

 彼女の中で封じ込めていた『商品』としての己への嫌悪と『人としての生き方』への憧れは形を変え、『一時の状況によって変化しない個』を求める飢餓的な渇望に至る。
 それは『良い君主』となるには必要ない事かもしれない。しかし、カルタキアに来て以来、日に日に勢いを強くしてきた『己を殺しかねないその願望』を、フォーテリアはついに嬉々として飲み干したのであった。

 ******

 ヴァーミリオン騎士団の アレシア・エルス のもとに、父からの手紙が届いた。それは、エーラムで長らく病気の療養中だった母親の訃報であった。しかし、彼女は喪失感や悲しみを表には出さず、人前では努めていつも通り平静を保っていた。
 いつも通りの訓練、いつも通りの食事、いつも通りの会話。そこには母親と同じように、自分の家族と言っても差し支えない団員たちや、愛馬の姿があった。そして、この地で新たに出会った友たちも居る。

(自分がするべきは母親の死を悲しみ、任務を離れ故郷へ向かうことか。否。今の私がすべきは、この地で友と戦い、騎士として堂々と在ること)

 それは、夢を追いたい自分のわがままかもしれない。両親に聞かせたら怒られるかもしれない。友に話したら失望されるかもしれない。でも、いつかの父が言ったように、いつでも冷静に騎士然とし、いつかの母が言ったように、夢に向かってまっすぐ進み続ける。そんな私でありたい。彼女はそう願っていた。恥じずに一人前と言える、そんな騎士になることが、愛する母に対しての最大の弔いなのだと信じて、彼女はあえて故郷には帰らず、一人の騎士として、この地で治安維持や伝達・運搬などの業務を黙々と続けていた。
 そんなある日の深夜。アレシアはひとり厩舎を訪れた。そこには、彼女にとっての「この地における家族の一人」がいた。この夜のことは、アレシア自身とその「家族」しか知らない。二人がどんな会話を交わしたのか、その二人以外に知る者は誰もいない。どのような経緯でそうなったのかも分からないが、アレシアはその「家族」に対して、今までひた隠しにしていた自分の内面を初めて曝け出した。

「世界で最も愛する母上と、もう話すことはできないのだ……」

 それは、まるで自分に言い聞かせるような一方的な会話であった。その後、誰にも聞こえないように声を押し殺し、「この地における家族の一人」に寄り添って涙をこぼす。そしてこの時、彼女は改めて自分の心に誓った。あのとき、「母上」に誓った約束を繰り返すように。かつて毎晩寝る前に母が読み聞かせてくれた「御伽噺」を思い出しながら。

《御伽噺をこの身で体現する》

 アレシアはその誓いを胸に、愛馬アクチュエルに騎乗し、自分が憧れ続けた「理想の騎士」の姿を改めて脳裏に強く描き出す。その瞬間、彼女の聖印は「キャヴァリアー」の聖印としてその形状を組み替えていく。それは、彼女自身がこれから紡ぎ出す、彼女が主役の御伽噺の表紙に描かれることになるであろう、気高き心の紋章であった。

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 鋼球走破隊の ファニル・リンドヴルム は、特訓に明け暮れていた。自身の聖印を「マローダー」として覚醒させることで、より大きな力を得るために、日夜武術の訓練に励んでいた。

《仲間(家族)を何があっても必ず守る》

 それが、彼女が心に刻み込んだ誓いであった。そのために、一人で大軍を相手に立ち回れるマローダーの力を手に入れたいと、彼女は心の底から強く願っていた。
 しかし、いくら彼女が願っても、彼女の聖印は覚醒へと至らなかった。想いの力が欠けているとは思えない。技術が届いていないとも思えない。しかし、それでも彼女の聖印は、ぼやけた外観のまま、新たな光を発しようとはしなかった。

「なぜだ……! 俺に、何が足りないというんだ……」

 葛藤しながら頭を抱えたファニルは、自分の身体に生えている「二本の角」の存在を改めて実感する。彼女自身、なぜ自分にこのような角が生えているのか、なぜ自分の身体に鱗があるのか、なぜ尻尾が生えているのか、その理由を知らない。しかし、彼女のその「異形の姿」は、間違いなく混沌が原因であろうと考えられていた。

「こいつのせいなのか……? 俺の身体に宿っている混沌の力が、俺の聖印の覚醒を邪魔しているのか……?」

 聖印は混沌から生まれたものではあるが、基本的には聖印と混沌は相反する関係である。そのため、邪紋使いや投影体は聖印を宿すことは出来ない。生身の身体である魔法師は、理論上は聖印を宿すことも可能だが、その状態では魔法は発動出来なくなる。いずれにせよ、聖印と混沌は両立出来ないというのが、この世界における一般的な認識であった。

「……いや、そんな筈はない! 隊長だって、混沌の血を引いている身体の筈だ。それでも聖印を好き放題に操っている。隊長に出来て、俺に出来ない筈がない!」

 彼女は自分にそう言い聞かせつつ、これまで目の前で見てきたタウロスの聖印の力を思い出しながら、改めて「マローダーとしての自分」を強く思い描く。異形の姿でありながらも聖印を宿し、「君主」として仲間を守り続ける姿を改めて強く思い描く。
 そして、ファニルの中で「自分の中に宿る混沌の力」を聖印で完全に抑え込むことに成功したイメージが描き上がった瞬間、彼女の聖印がようやく独自の姿へと書き換えられていく。そこには、今までに見てきた誰の聖印とも異なる、唯一無二の異形の君主としてのファニルの生き様を象徴する紋章が描かれていた。

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 星屑十字軍の ポレット は、先日のアビスエール騒動の際に、自身の聖印だけの力では人々を救えなかったことを思い出していた。最終的にはハウラやメルの力を借りて、どうにか市民の心を浄化させることは出来たものの、ルイスやフォーテリアが一人で他の人々を救っていただけに、自分の力不足を改めて痛感させられた心持ちになっていた(実際には、それぞれの患者ごとに症状の重さが違っただけだったようだが)。

(あれだけ強い想いを抱いて挑んだのに、それでも結果が残せなかった……。悔しい……)

 あの日、ポレットは今の自分がまだまだ未熟で、満ち足りない存在であるということを、改めて自覚させられた。しかし、それでも彼女は人々を救えるような君主となる道を諦めようとはしなかった。

(ワイスさんも、アシーナさんも、ツァイスさんも、ユリムさんも、こんな自分に期待してくれている……。だからこそ、諦めたくない!)

 ポレットはそう強く願った。いくら自分が未熟だとしても、それでも、自分の目的に向かう気持ちだけは絶対に諦めない、という思いを気持ちを改めて強く願う。

《諦めることだけは絶対しない》

 彼女が心に誓ったその想いは、彼女の掲げた聖印へと刻み込まれ、やがてその紋章は彼女の目の前で変容していく。それは、混沌を浄化することに特化した「パニッシャー」としての彼女の心を現した姿であった。

「未熟でも、自分の目的に向かう気持ちだけは、絶対に諦めない!」

 新しく生まれ変わった聖印を目の当たりにして、改めてポレットは自分のその言葉を強く噛みしめるのであった。

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最終更新:2021年06月04日 22:24