『見習い君主の混沌戦線』第5回結果報告(前編)


AH「闇をもたらす飛空船」


 先日、カルタキアの武装船内に出現した異界人の投影体達による乗っ取り事件は、無事に人質全員の解放に成功し、首謀者を含む犯人達の一部は浄化され、残りは捕虜となった。
 だが、その終盤戦において、彼等を乗せていたカルタキアの武装船が突如として「異界の飛空船」へと姿を変え(下図)、更にそこへ現れた「ドクロの船首を持つ飛空船(下図)」による砲撃を受けるという不可解な事態が勃発する。潮流戦線の師団長ジーベンの活躍によってカルタキア側には被害が発生せず、ドクロの飛空船はひとまずカルタキアからは去ったものの、その後もカルタキア近海で何度か目撃されており、その船の近辺では小規模な混沌災害が発生しているらしい。
+ カルタキアの武装船が形状変化した姿
+ ドクロの船首を持つ飛空船
 カルタキア領主ソフィアの見解によれば、おそらくはその「ドクロの飛空船」もしくは「その中の船員の誰か」に内包されている混沌核が「魔境級の混沌核」であり、その飛空船を中心とした「移動式魔境」が発生している可能性が高い、とのことである。
 実際、捕虜達の証言を聞く限り、「カルタキアの武装船から形状変化した飛空船」も「ドクロの飛空船」も、明らかに乗っ取り犯達と同じ異世界「プラネテース」からの投影物であり、おそらくは乗っ取り犯の出現も、飛空船の形状変化も、ドクロの飛空船が起点となって発生した魔境(混沌災害)の影響の一部であろうと推測出来る。
 ちなみに、捕虜達が言うには、ドクロの飛空船の正体は、おそらく「黒髭団」と呼ばれる、プラネテースにおける地中海(よく類似したこの地図に置き換えるとカルタキアとアトラタンの間の海)で活動している「空賊」の船であるらしい。その親玉は「黒髭」の異名を持つエンリケ・エスカルバオレッハスという男(本人は「冷酷な悪党」を気取ってはいるものの、そこまで凶悪な非人道的行為に手を染めている訳でもない人物)らしいが、彼等がどのような経緯でこの世界に出現し、現時点で何を目的に行動しているのかは不明である。
 一方、「飛空船化したカルタキアの武装船」に関しては、その船の中核に(プラネテースにおける飛空原理の中核である)「飛空石」が発生していることから、おそらくはドクロの飛空船の影響でこの飛空石が(乗っ取り犯達と同様に)偶発的に投影され、そこを基軸とした混沌災害の結果としての船の形状が変化したのであろうと類推されている(なお、元の世界においては、今のこの船のような形状の船は「ガンホーク級戦闘艇」と呼ばれているらしい)。
 つまり、この飛空石を破壊すれば元の船の形状に戻る可能性が高いが、ドクロの飛空船を捕捉・浄化するためには何らかの飛空乗騎が必要という判断から、しばらくはこの飛空船の状態のまま、従騎士達の手で管理・運用されることになった。当然、本来のこの船の船員では動かし方が分かる筈もないため、捕虜達から動かし方を聞いた上で、彼等を使役しつつ従騎士達自身の手で船を操縦するという形になる。
 なお、形状変化する前の本来の武装船には「ムスカテール」という名であったのだが、現在は完全に「別の船」と化している以上、別の呼称を用いるべきだろうという金剛不壊の艦長ラマンの判断により、「ルルーシュ」という新たな名が付けられた(ラマンの愛馬の名前の由来となった異界の名馬ペルーサの異母弟の名前らしい)。この背景には「自分達の船が他人に使われている」という印象を本来の船員達に与えないためにも、あくまで「ムスカテールとは別の船である」ということを強調すべきという、船乗りとしてのラマンなりの配慮もあった。
 その上で、この飛空船ルルーシュの船長(仮)には、ラマンの従騎士である金剛不壊の ウェーリー・フリード が任命された。飛空船とはいえ船は船である以上、やはり船の運用や船同士の戦闘に慣れた人物が指揮を採るべきだろうということで、金剛不壊の中でも軍略家としての評価が高いウェーリーに白羽の矢が立ったのである。他に、彼と同じ金剛不壊の一員であり、人質奪還作戦の時にも共闘した スーノ・ヴァレンスエラ や、ヴァーミリオン騎士団の ティカ・シャンテリフ といった面々が、今回の飛空船探索任務の構成員に名を連ねていた。
 そんな彼等に対して、捕虜の一人であるナリーニという異界人が、ルルーシュの船内の装置を一つ一つ確認しながら、飛空船の運用法を説明する。彼は乗っ取り犯達の幹部の一人だった人物であり、どちらかと言えば端正な見た目の優男である。捕虜達の中でも最も従順に協力姿勢を示したため、ひとまず身体拘束は解かれた状態で、解説役を任命されることになった。
 まずナリーニは従騎士達と共に甲板に立った上で、帆の開き方、畳み方などの基礎的な動作を伝えると、スーノは実際に動かしながらナリーニに色々と確認する。

「側面に付いている帆も、構造自体は普通の船の帆とそこまで変わらないんだな」
「はい。帆の数は多いですが、風を読みながら進路を変えていく動作自体は、普通の帆船と変わりません。とはいえ、どの帆も動かすにはそれなりにコツと体力が必要ですが……」
「それは心配ない。これでも、金剛不壊の面子の中では腕っぷしのある方だからな。カルタキアに来るまでの旅の間も、こういった仕事を引き受けることが多かった。それなりに勝手は知っている。それに、この飛空船の構造について学べば、いずれ我が国の造船技術の発達にも役に立つだろうからな。これもいい経験だ」

 スーノがそう語っている横で、ウェーリーは甲板に設置されている「速射砲」について、ナリーニに問いかける。

「あの時、ドクロの飛空船から放たれた弾丸は相当な飛距離だったけど、この砲台の射程は、どれくらいなのかな?」
「残念ながら、あれほどの距離までは届きません。おそらく、このタイプの速射砲なら、せいぜいあの半分くらいかと。というか、黒髭団の主砲の射程が明らかに規格外すぎるというか……」
「うーん、そうなると、まともに打ち合っても勝ち目はないから、なんとか上手く近付く方法を考えないといけないね。航空速度については?」
「このルルーシュが、本来のガンホーク級戦闘艇と同じ性能なのだとすれば、おそらくスピードではこちらの方が勝っています。とはいえ、彼等がもし、ルルーシュから距離を取りながら主砲で応戦する方針なのだとしたら、接舷するまでの間に5〜6発の被弾は免れないでしょう」
「さすがにあの規模の砲弾が5〜6発というのは、厳しいな……。射角まで分かるかい?」
「あの船の主砲となっている重砲に関しては、ドクロの船首の口の中に取り付けられている以上、真正面にしか打てないと思います。両側面にも標準砲が設置されていて、そちらも当方の速射砲よりは若干射程が長いですが、それでも主砲を相手にするよりは遥かにマシかと」
「つまり、彼等と真正面から衝突しないような舵取りが重要、という訳か……」

 ウェーリーが思案を巡らせる一方、ティカは甲板の脇に設置されている「巨大な凧のような何か」を発見し、ナリーニに問いかける。

「これは、なんです?」
「あぁ、それはグライダーと言って、我々の世界において飛空騎士(ウィンドナイト)と呼ばれる人々が用いる、飛行用の道具です」
「え? これがあれば、船だけでなく、人間も空を飛べるんですか?」
「はい。とはいえ、あなたのような金属鎧を着込んだ人では重量的に難しいでしょうし、そもそも使い慣れない人が使うのはお勧め出来ませんけどね。あと、それに火薬樽を付けて飛空機雷として活用することも出来ます」
「なるほど……」

 そんな諸々の解説を経て、やがて本題となる「飛空石」について確認するために、彼等は船内の中枢部へと移動する。そこには、巨大な飛空石と、それに付随する形で謎の器具が設置されていた。

「この世界においても私達の世界と同じ物理法則が働いているなら、この飛空石に付随している『雷精制御装置』を操作して『エレメント』を注ぎ込むことによって、飛空石の周囲に『物が落ちる方向とは反対向きの力場』が発生する筈です」

 ナリーニはそう伝えた上で、その装置の動かし方を説明するが、彼等の世界の物理法則とこの世界の物理法則が同じなのかどうかは確認の仕様がないため、本当に動くのかどうかもまだ分からない。ちなみに彼等の世界では「雷精」と「エレメント」は同義語であり、前者は「ドワーフ」と呼ばれる亜人種達が用いる用語らしい。そして、雷が鳴ると雷精の制御が難しくなるため、雲行きが怪しい日には航行しない、というのが鉄則であるという。
 その話を聞いた上で、ふとウェーリーはあることに気がつく。

「この世界でも、魔法師の中には元素(エレメント)を操る人達がいるけど……、雷の元素(エレメント)って、この世界にもあるのかな?」

 ウェーリーはそう呟きながら、ティカに視線を向ける。エーラム関係者であれば、そういった「この世界の構造」に関しても何か知っているかもしれない、と考えたようである。

「え? あ、えーっと……、すみません、僕は魔法学校出身ではないので……、ちょっと、そういうことまでは……」

 ティカは魔法師教会と密接な関係を持つヴァーミリオン騎士団の一員ではあるが、彼自身はあくまでも騎士家出身の一般団員であり、特殊な教育を受けていた身ではない。彼はウェーリーのように有識者枠として参加した訳ではなく、あくまでも飛空船の警護役しての参戦であった。

(海のあちこちで混沌災害が起きている状況は見過ごせないし、ここは騎士として、皆を助けなければ!)

 ティカはそんな決意を掲げつつ、同時に「飛空船」という未知の乗り物に乗れることに対しても、密かにソワソワした感慨を抱いていた。
 一方、彼等の傍らではスーノが興味深そうな顔で飛空石を覗き込んでいた。先程のナリーニとの会話の際にも語っていた通り、彼は船員としての経験を生かして、飛空船を動かす上での帆を張る作業などを手伝うつもりで参加していたのだが、そのためにはまず、この飛空石が機能しないことには話にならない。だが、その点に関しては、スーノは珍しく楽観的であった。

「そもそもこの飛空石自体が混沌によって置き換えられた力である以上、元の世界との物理法則との親和性はさほど問題ではないだろう。その上で、同じ世界から投影されたドクロの飛空船は確かに飛んでいたのだから、同じ原理で飛空可能な同じ世界の飛空船も、飛べる可能性が高いと考えるのが妥当なのではないか?」

 そのスーノの語り口からは、あくまでも憶測でありながらも、どこか「そうであってほしい」という期待の感情が垣間見れた。それは、戦略的にドクロの飛空船に対抗するために必要、というだけでなく、彼もまたティカと同様、内心では純粋にこの「空を飛ぶ船」への興味から、いつになく心が高揚しているように(少なくとも、同僚であるウェーリーの目には)見えた。

「まぁ、そうだね。何事も試してみないことには分からない。とりあえずは、基礎的な動作から確認してみようか。今日は天候が微妙みたいだから、また後日、晴れた日にでも」

 ウェーリーはそう提案した上で、ナリーニから船を動かすために必要な諸々の工程について改めて確認しつつ、各員の持ち場について検討することにした。

 ******

 そして二日後の朝。カルタキアの上空に快晴が広がる中、ムスカテール改めルルーシュの初出航の日を迎えることになった。

「帆を張れ! 総員持ち場につけぇ!」
「風向きよし。進路クリアー」
「微速前進! 徐々に速度をあげ離水せよ!」
「速度よし。本船上昇します」

 船全体に従騎士達の声が響き渡る中、飛空船ルルーシュはカルタキアの港から少しずつその船体を上昇させ、そのまま空へと浮かび上がっていく。

「す、すごい! 本当に飛んでる!」

 警備要員として周囲を警戒していたティカは、これまでに見たことがない視点から海を見下ろす状況になったことに対して、素直に感動している。ヴァーミリオン騎士団の本拠地であるエーラムには「空を飛ぶ技術を持った魔法師」も珍しくはないが、これまでそういった技術の持ち主と関わることがなかったティカにとっては、これは極めて新鮮な体験であった。
 一方、風を読みながら飛空船の帆の角度を調整していたスーノもまた、内心で湧き上がる様々な感情を抑えながら、独り言のようにしみじみと呟く。

「海は嫌いだが……、船は嫌いじゃない。船で渡るのが海でなく空であったならばと他愛ない空想をしたこともあるが……、まさか現実になるとは思ってもみなかった。少し、感慨深い」

 そんな彼等の想いを載せつつ、飛空船ルルーシュは沖の方へと向かって航行を始める。ウェーリーは事前に収集したドクロの飛空船の目撃情報を確認しながら、その航行ルートを予測しつつ、道筋を他の従騎士達に指し示す。

「今のところ、カルタキア以外の港に現れたという情報は届いていない。目撃された海域はある程度限定されているが、そこから導き出される彼等の航路に法則性は見出だせない。ただ、砲撃を受けた船はあったものの、実際に略奪や撃沈にまで至った船の報告もない。彼等が明確な自我を持って行動しているのか、それとも、幽霊船のように行動しているのかは不明だが……、とりあえず、敵の船を発見したら、砲撃に入らない程度の距離から動向を観察しつつ、周辺空域における混沌の影響について確認することにしよう」

 もしかしたら、彼等の船の航行速度や砲撃射程すらも混沌の影響によって一定ではない可能性もあるが、それでも今はどうにか接近するための手段を試行錯誤で模索していくしかなかった。

 ******

 やがて、カルタキアの大地がギリギリ見えなくなり始める空域にまで達した頃、周囲を確認していたティカが、海面の微妙な変化に気付く。

「なんだか、海の色が少し変わっているような……」

 それに対して、「海嫌いの船乗り」であるスーノもまた、仏頂面を浮かべながら、眼下に広がる海の様子を改めて確認する。

「確かに、どこか微妙な違和感を感じる。もしや、いつの間にか『異界の海』の領域に入っていたのか……?」

 ナリーニ達の話によれば、彼等の住むプラネテース世界とアトラタン世界は極めて類似した構造となっているようだが、それでもやはり、それぞれの海にはそれぞれの「色彩」や「匂い」がある。彼等の直観が正しければ、既にこの船は「プラネテースの地中海」が投影された魔境の中に入り込んでいるのかもしれない。
 乗員達がそれぞれに警戒を強める中、やがて風読み(ヴィジョナリー)の一人が、遠眼鏡越しに「奇妙な何か」を発見する。

「右舷前方に、大型の飛行物体! 形状からして、明らかに船でも鳥でもありません」

 その声に応じてティカもまた遠眼鏡でその方面を覗き込むと、そこに映っていたのは、筒状の胴体で、その片方の端には菱形のヒレのような何かが、もう反対側の端には何本もの触手を持つ、海洋生物のような姿であった。

「……イカ?」

 ティカの知るアトラタン世界の動物達の中で、それが最も近い形状の生き物であった。しかし、ティカの遠眼鏡の先に映るその生き物は海の中ではなく、なぜか空中を泳ぐように飛んでいる。これも混沌による物理法則の歪曲による現象なのかと思いきや、同船していたナリーニが淡々と説明する。

「あれは『我々の世界』の海上に時折出現する巨大飛行イカですね。この世界には、空を飛ぶイカは存在しないのですか?」
「普通、イカは飛びません。投影体でもない限りは……」
「ということは、やはりこの空間内は『私達の世界の一部』に置き換わっているようですね」

 どうやら、彼等の世界においてはそこまで珍しい存在ではないようだが、いずれにしても「混沌の作用」の結果であることは間違いさそうである。

「危険な存在なのですか?」
「性格的に獰猛かどうかは個体差がありますが、この船の武装なら戦って勝てない相手ではないです。ただ、戦えばそれなりに損害は出るでしょうし、そこまで素早い存在でもないので、今から進路を変えれば衝突は回避出来るでしょう」

 ナリーニのその話を横で聞いていたスーノは、近くにいたウェーリーに問いかける。

「どうする、船長? 航行上の安全を確保するために着実に排除するか? それとも、無駄な戦いを避けるべきか?」

 スーノとウェーリーは同僚であり、実はスーノ自身も(ウェーリーやルイスに比べて前線指揮官という印象が強いため、あまり知られていないが)軍略に関する知識にはそれなりに定評がある。しかし、今回はウェーリーが指揮官の立場にある以上、彼の方針に従うつもりであった。船頭が二人いるような飛空船は、いずれ山に衝突してしまうだろう。

「ここは、回避した方がいいだろうね。この船の速射砲の威力を試してみたい気もするけど、砲弾の数は有限だし、この後で『回避出来ない敵』と遭遇する可能性もある。今回の任務はあくまで空賊船の調査である以上、余計な戦いで消耗すべきではないだろう」
「了解」

 スーノは短く答えつつ、帆の角度を動かして船の進路を切り替える。そして思惑通りに彼等は巨大飛行イカとの遭遇戦を回避することに成功したのであった。

 ******

 その後も彼等は「巨大飛行クラゲ」や「巨大飛行オウム貝」などを幾度か発見しつつも、巧みな操縦でそれらとの戦闘を避けながら航行を続けていった結果、遂に「目標物」を発見する。

「ドクロの船です!」

 物見役が遠眼鏡を除きながら大声でそう叫ぶ。そこには確かに、ドクロの船首を持ち、そして帆にも巨大なドクロが描かれた不気味な飛空船の姿があった。ウェーリーもまたその方向を確認するが、そこに浮かんでいたのは、確かに「あの時の飛空船」のように見える。ただし、あの時に彼等が砲撃した時の距離に比べれば、まだかなり遠い。

「ひとまずは、相手の出方を見よう。進路をズラしつつ、今の距離を保ちながら、なるべくあの船の側面、出来れば背面に回り込めるように進路を設定。その上で、相手の動向をつぶさに確認しつつ、周辺空域における新たな混沌の収束も見逃さないように」

 ウェーリーがそう告げると、スーノ達が帆の角度を慎重に操作する一方で、ティカ達は周辺一帯に対して警戒心を強める。そうして彼等は慎重に航行を続けた結果、「ドクロの主砲」の射程に入る前に、敵船の側面に回り込むことに成功する。まだどちらの砲撃の射程にも入っていない。

「よし! 出来ればこのまま敵船の背後を……」

 ウェーリーがそう言いかけたところで、ティカが全体に対して大声で叫ぶ。

「何か、来ます!」

 彼のその声と同時に、ドクロの飛空船からは、明らかに「砲弾」とは異質な「巨大な何か」が発射される。それは、つい先刻ティカ達が見たばかりの代物と同じ形態であった。

「イカ!?」

 ドクロの空賊船から発射されたのは、先刻発見した「飛行巨大イカ」であった。そして、その身体には大きな「箱」が括り付けられている。その姿を見たナリーニが、驚きの声を上げる。

「デビルフィッシュミサイル!」
「知っているのか? ナリーニ!」

 スーノのその問いに対して、ナリーニは珍しく動揺した声色で答える。

「一部の武装船に搭載されている生物兵器です。あの巨大イカに括り付けられている箱の中身は、おそらく爆薬でしょう。彼等は巨大イカを飼い慣らした上で、この船に突撃するように命じているようです。黒髭団がこのような装備まで備えていたとは……」

 彼がそう解説をしている間に、巨大イカはルルーシュの間近にまで接近している。箱の中身の爆薬の規模も分からない以上、迂闊に速射砲で迎撃する訳にもいかない。そしてイカは触手を伸ばしてルルーシュの側面の帆を絡め取ると、「箱」を抱えたままその身を寄せてきた。このままイカがその身を船体に押し付けた場合、爆薬の規模次第では、イカと船がまとめて吹き飛ぶ可能性もある。
 それに対して、ティカが剣を手に取り、迫りくる巨大イカの前に立ちはだかった。

「とりあえず、あの箱をイカから切り離せばいいんですね!」

 彼はそう言って、巨大イカの胴体と箱を結びつけている縄を切断しようとするが、それに先んじてイカの触手がティカの身体を絡め取り、そして強烈な勢いで締め上げる。

「っうわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ティカはその激しい圧力によって身体を締め付けられ、必死の形相を浮かべつつも、なんとかその痛みに耐え続ける。一方、イカの注意が彼に向かっている間に、スーノが隙をついてイカの胴体へと飛びかかり、間一髪のところで(「箱」が押し潰される前に)強引に力技で「箱をくくりつけていた縄」をほどくことに成功し、スーノはその箱を抱えてイカから引き離す。

「今だ! 速射砲、発射!」

 ウェーリーがそう命じると、至近距離にあった速射砲から弾丸が斉射され、イカはその連弾によって深手を負ったことで、ティカを掴んでいた触手の力が緩み、ティカは身体の自由を取り戻す。その後、他の従騎士達が一斉にイカに向かって襲いかかり、どうにか彼等はこの飛空投影体の討伐・浄化に成功するが、この戦いの間に、ドクロの空賊船は何処かへと逃げ去っていた。

 ******

「大丈夫か、ティカ?」

 スーノは箱をウェーリーに託した上で、解放後もまだ苦しそうな表情のティカに声をかける。

「なんとか……。すみません、役目を果たせず……」
「いや、お前が囮となってイカの気を引いてくれていたから、僕も箱を奪い取ることが出来たんだ。感謝する」

 ティカとしては囮になったつもりなく、自分で解決するつもりだったのだが、結果的に彼がいち早く動いたことでこの連携が成立したことは紛れもない事実である。
 一方、ウェーリーは託された箱の中身を確認すると、そこには確かに相当な量の爆薬が詰め込まれていた。もし、スーノによる引き剥がしがあと少し遅れていたら、少なくとも船体の一部は吹き飛ばされていただろう。
 ここで、ふとウェーリーは「一つの可能性」について、ナタリーに問いかける。

「巨大イカを飼いならしてこういった突撃命令をさせるというのは、君達の世界において、難しいことなのかな?」
「私は生物兵器に関しては詳しくないですが、あまり高度な知性の生き物ではない筈なので、何か彼等の本能を上手く利用する方法があるなら、そこまで難しくはないのかもしれません」

 ちなみに、ここに来るまでに目撃した巨大オウム貝や巨大クラゲを同様の目的で使用する者達もいるらしい。ただ、少なくとも今回のように、それを「弾丸」として発射するには、特殊な砲台が必要となるため、今から野生の飛行投影体を捕まえることが出来ても、ルルーシュ側が「ミサイル」として活用するのは難しいだろう。一方で、空賊側がこの空域内に生息するそれらを拿捕することで「弾丸補充」することは可能と思われる。

「さて、どうしたものかな……」

 ウェーリーはそう呟きつつ、ひとまず敵の手の内について一定の情報が得られたこともあり、今回は一旦カルタキアへと寄港することになった。

☆合計達成値:67(34[加算分]+33[今回分])/100
 →このまま次回に継続(ただし、目標値は上昇)

AI「歪められた廃坑」

 カルタキアの街から見て西方の領域には山岳地帯が広がっており、そこにはかつて何らかの地下資源の採掘に使われていたと思しき「廃坑」が存在する。昨今は殆ど人もよりつかない領域なのだが、最近になってその廃坑の近辺で、異界の魔物と思しき投影体の姿が目撃されるようになり、どうやらその原因が「廃坑の魔境化」にあるのではないか、という憶測から、カルタキアから調査隊が派遣されることになった。
 廃坑には北側と南側にそれぞれ入口があり、北側の入口付近には大ムカデが、南側の入口付近には「ゴブリン」と呼ばれる「異界の妖魔」が目撃されている。なお、ゴブリンはその投影元の世界によって形状が大きく異なるが、目撃者の証言とカルタキアの文献を照らし合わせた結果、どうやら彼等は、(一説によれば)「最もアトラタン世界に近い異世界」とも呼ばれる「フォーセリア(の中の妖精界)」から投影されたゴブリンであるらしい。
 今のところ、これらの魔物達による人的被害はまだ発生していないが、過去には何度もフォーセリアから出現した投影体がカルタキアを襲ったという記録が残されている以上、放置しておくと彼等がいつ洞窟の外に出て人々を襲撃するようになるか分からない。その可能性を考慮した上で、今回の探索活動においては、二つの入口のうち、片方から従騎士達が突入している間にもう片方から魔物が外に出るのを防ぐため、南北から同時に突入するという形になった。
 その上で、今回の調査隊に参加する面々がカルタキアの兵舎の一角に集められる。鋼球走破隊の アルエット は、北口側の調査隊に参加するつもりで顔を出すと、潮流戦線の ハウラ の姿があった。立ち位置から察するに、どうやら彼女も「北口側」に参加する方針らしい。

「こちらに来たのか。心強い」

 二人は数日前に書庫で遭遇し、この任務についての話をしていた。

(アタシ)としては、ムカデの毒に興味があったんすよ。もしかしたら、未知の毒の可能性もあるんで、この機会に一早く採取した方がいいかと思いましてね」

 彼女達がそんな会話を交わしている中、あまり見覚えのない女性がその場に現れる。使い古された服を身にまとい、農作業用の大鎌を握ったその風貌は、一見すると農民のようにも見えるが、この場に現れたということは、おそらく彼女も従騎士なのだろう。なお、ふわふわした茶色の髪には「骨の形をした髪飾り」が付けられていた。

(あれは多分、本物の骨っすね……)

 医学に通じたハウラがそのことに気付いたところで、ハウラと目があったその女性は、和やかな笑顔で挨拶する。

「あ、はじめまして。トレニアっていいます。今回の魔境探索計画で、南側の調査隊の隊長を任されることになりました。よろしくお願いします~」

 彼女は星屑十字軍に所属する17歳の従騎士、 トレニア・ケール 。これまでは魔境方面の任務には就いておらず、実質的には今回が初の実践となるのだが、南側の調査に立候補した者達は全体的に若年者が多く、彼女が最年長だったため、隊長の任を任されることになった。

(アタシ)はハウラ。北側の担当っすけど、よろしくお願いするっす」
「わたしはアルエット。わたしも北側だけど、廃墟の中で無事に合流出来ることを祈っている」

 二人がそう名乗ると、トレニアも朗らかな笑顔を浮かべたまま軽く一礼し、そして南側担当の面々の元へと向かう。そして、諸々の作戦内容について確認した上で、それぞれの担当する入口へと続く山道に向かって出立するのであった。

 ******

 北側担当の調査隊が現地に到着すると、その時点では魔物らしき気配は感じられなかったので、まずはアルエットとハウラが斥候部隊として、他の従騎士達(本隊)よりも先に洞窟の中へと潜入することになった。北側の入口には巨大ムカデがいるという事前情報はあったが、それ以外にも何が潜んでいるかは分からないので、二人は警戒しつつ、それぞれに松明を掲げながら廃坑の中へと足を踏み入れていく。
 しばらくは、横に二人並んで歩ける程度の幅の道が、入口から見て南東の方角へと向かって、かなりの長距離に渡ってまっすぐに続いている。その周囲から散見される諸々の残骸から、明らかに人(もしくはそれに類する何者か)の手によって作られた空洞であろうことは類推出来た。

「魔境化してるかも、って話でしたけど、今のところ、見た目は普通の炭鉱と変わらないっすね」
「あぁ。だが、確かに混沌濃度は上がっている……」
「そうなんすか?」
「もともとカルタキアは混沌濃度が若干高い以上、微々たる変化ではあるが、これまでに足を踏み入れた魔境と遜色ないくらいの濃さだな……」

 アルエットはもともと(魔法師となるには不十分であったが)常人よりは霊感が高い。その彼女がそう語るということは、もともとフォーセリア世界がアトラタン世界と類似した文化圏であるが故に、元の廃坑と良く似た(この世界にあってもおかしくないような)形状の廃坑が投影されていると考えるのが妥当であろう。
 二人が慎重にそのまま歩を進めて行くと、やがてその先に、少し広い空間が広がっていることが分かる。松明を前方に掲げながら二人がその空間へと踏み出すと、そこは十数人程度の人々が集まれる程度の広さで、その奥の方に一匹の巨大ムカデの姿を発見した。見るからに毒々しい体色で、胴体は人間よりも太く、体長も大柄な人間の身長をも駕ぐほどのサイズであった。

「ムカデが一匹……、どうします?」
「我々の役割は斥候。ひとまずここは退いて本隊に……」

 アルエットが目の前の巨大ムカデを凝視しながらそう答えようとした瞬間、突然天井から「何か」が彼女の頭上に降ってきた。

「なに!?」
「アルエットさん!?」

 それは、目の前の個体と同種と思しき「もう一体の巨大ムカデ」であった。咄嗟に避けようとしたアルエットであったが、前方の巨大ムカデに集中しすぎていたが故に反応が遅れ、松明を持っていた方の手に噛みつかれる。

「くっ……」

 アルエットの表情が苦痛に歪み、持っていた松明を落としてしまう。そして同時に、身体の一部の自由が効かなくなるのを実感する。その様子を目の当たりにしたハウラは、すぐに状況を把握した。

「麻痺毒っすか!」

 彼女はすぐさま鞄の中から麻痺毒用の解毒薬を取り出そうとするが、その間にもう一匹が二人の間に割り込むような形でハウラに襲いかかり、ハウラもまた足元を噛みつかれて毒に侵されてしまう。やむなくハウラは(ムカデによる追い打ちを避けながら)まず自分自身に解毒薬を投与することにした。ただ、多様な毒に対応するため、多様な解毒薬を用意する都合上、麻痺毒用の解毒薬はこの一つしか持っていなかった。

(まぁ、ここで(アタシ)が動けなくなったら、完全に詰みっすからね。そもそも、効くかどうかも分からないっすけど……)

 ハウラは内心でそう呟きつつ、ムカデの更なる追撃をかわしながら解毒薬を処方したところ、なんとか身体の不自由は回復する。どうやら、ハウラが危惧していた「新種の毒」ではなかったようである。
 その間にアルエットは(麻痺毒の影響で明らかに動きにくそうな動作ながらも)どうにか頭上から降ってきた方の個体に対して応戦していたが、明らかに分が悪い。しかも、そのムカデが後方に回り込んでしまっていたため、完全に退路を断たれた状態になってしまっていた。

「本隊! 聞こえるか! 巨大ムカデと遭遇した! 今すぐ突入を!」

 入口の方に向かってアルエットは大声で叫ぶ。だが、ここまでかなり長い通路を取って来たことを考えると、外まで声が届く可能性は低そうである。

「まずいっすね……。突破口、開けますか?」
「厳しいな。仮にどうにか通路側に回り込めたとしても、逃げようとすれば入口までついてくるかもしれない。足は彼等の方が早そうだから、どうにか足止めするか、あるいは……」

 アルエットはそこまで言いかけたところで、この空間の一角、おそらく方角としては南西に位置する方面に、狭い通路が続いていることに気付く。横幅は先刻までの通路の半分程度であり、人間一人ならばギリギリ通り抜けられそうだが、ムカデが通るには厳しそうに見える。

「……一旦、『向こう側』に逃げるか?」

 上手くいけば、そのまま南側の調査隊と合流出来るかもしれない。もっとも、この洞窟が魔境化しているとすれば、南北の入口が繋がっているという保証はないし、最悪の場合、ムカデよりも厄介な怪物が待っている可能性もあるのだが。

「そうっすね……、どっちにしても、今のままではジリ貧っすから」

 ハウラがそう言って頷くと、二人は全力でその狭い通路へと向かって走り出した。

 ******

 一方、南側の入口に辿り着いたトレニア達は、到着早々に廃坑の中から現れたゴブリンの集団と遭遇し、激しい交戦状態へと突入していた。
 フォーセリア世界から投影されたゴブリンは、分類上は「妖魔」と呼ばれている。フォーセリアは「物質界」「妖精界」「精霊界」から成り立つ世界だが、妖精界の住人だけはこの三界を行き来することが可能であり、その中でも人間と共存可能な者達を「妖精」、人間と敵対する者達を「妖魔」と呼ぶ慣習が(物質界に住む人間達の間では)定着している。
 その中でもゴブリンは、人間と同様の四肢を持ち、人間よりもやや小柄な妖魔であり、猫背気味の姿勢と赤褐色の肌、そして少し尖った耳や、口から少しはみ出た歯などを特徴とする。衣服をまとい、武器を用いる程度の知性はあるものの、その気性は荒く、繁殖力の高さと引き換えに生産力が低いため、元の世界においても集団で人間の集落を襲撃することが多い危険な存在とされている。
 現在、トレニア達の前に現れたゴブリン達は、軽装の鎧をまとい、その手には斧が握られた状態で、彼女達に対して襲いかかってきた。彼等の目的は分からないが、言葉が通じる様子もなく、和解出来そうな気配もない以上、従騎士達としては応戦するしかない。

(なんだか、変な感じですね。こんな風に戦うなんて……、戦争みたいで)

 トレニアの中では、迫りくるゴブリンの群れを目の当たりにして、そんな感情が渦巻いていた。彼女はこれまで、「人型の相手」との戦いを経験したことがない。ゴブリンの姿は明らかに異形ではあるものの、それでもどこか人間と通じる姿をした彼等に対して、「戦って殺す」という道を選ぶことに、心のどこかで躊躇いを感じていた。それは、戦争で故郷を失った者としての、本能的な忌避感なのかもしれない。

(でも、頑張らないとです……。魔境のせいで困ってる人がいるんですから)

 彼女は自分にそう言い聞かせつつ、覚悟を決めて敵に襲い掛かる。使い慣れた大鎌を振るい、その重量と勢いを利用して、次々とゴブリン達の不気味な赤褐色の肌を切り裂いていく。

「隊長に続け!」
「俺達もいくぞ!」

 トレニアと同様、あまり実戦経験のなかった若い従騎士達も、その勢いを駆ってゴブリン達にそれぞれの得物で斬りかかる。もともとゴブリンは個体としての戦闘力は人間より劣ることもあり、徐々に劣勢を悟った彼等は、応戦しながら徐々に廃坑の中へと後退していく。
 こうなると、斥候と本隊を分ける必要もないため、そのままトレニア達はゴブリン達を追い詰めながら廃坑の奥へと入り込んで行った。トレニアは一息つきつつ周囲の者達に目を向けると、何人か怪我を負った者達がいる。いずれも軽症ではあるが、よりによって「斥候役」として先行部隊を任せようとしていた者達が、こぞって一定の傷を受けてしまっていた。

「この状況なら、ここから先も斥候と本隊を分けずに探索した方が良さそうですね〜。ゴブリンが中で待ち構えていることは間違いない以上、まとまって応戦した方が良いでしょうし」

 皆が緊迫した表情を浮かべる中、彼女は「平常時と同様の笑顔」を浮かべながらそう宣言すると、もともと斥候役の予定だった者達が松明を掲げることで光源を確保しつつ、入口から見て北西の方向へと続く廃坑道の探索を開始する。こちらは(北側に比べると)多少横幅に余裕のある通路となっていた。

「ゴブリンは暗視が効くらしいので、不意打ちに気をつけて下さいね」

 トレニアの注意喚起に従って、皆が慎重に少しずつ歩を進めていくと、やがて少し広い空間に辿り着く。そこには、動物の骨や毛皮、木片、錆びた鍋や農具などのガラクタと、木の実や解体された動物の肉塊などが散乱しており、部屋全体に異臭が漂っていた。どうやら、先刻のゴブリン達がかき集めた諸々の貯蔵庫として活用している空間のようである。ただ、この空洞内にゴブリンの姿は見えず、そしてこの空洞から見て北東と思しき方向に向かって、先刻までの坑道と同程度の幅の道が続いていた。
 他の従騎士達が異臭に顔を歪める中、トレニアだけは(この状況でも落ち着いた笑みを浮かべながら)平然と鍋や農具の形状を確認すると、どうやらそれらはカルタキア近辺で使われている代物ではないように見えた。おそらく、異世界において彼等が集めた諸々が、彼等と共にこの世界に投影された可能性が高そうに思える。

「やっぱり、この廃坑自体が、異世界の廃坑に置き換えられる形で魔境となってしまったみたいですね」

 彼女がそう呟いたところで、唐突に空洞の中心に「異変」が発生する。

「あれ? これって……」

 トレニアが視線を向けると、そこには新たな混沌核が発生し、そして周囲の混沌を吸収して「何か」を発生させようとしていた。

「まずい! 混沌の収束だ!」
「しかも、かなりデカいぞ、この混沌核!」
「大丈夫だ! 現れたと同時に斬りかかれば、きっと……」

 周囲の従騎士達がそう言って浮足立つ中、その混沌核を中心として、一人の「異界人」が投影される。それは、褐色の肌と細長い耳を持ち、腰にはレイピアを差した軽装の女戦士であった。
+ 褐色の肌と細長い耳を持つ女戦士
 その姿を見た途端、トレニアと同じ星屑十字軍に所属する若い従騎士が、いきなり長剣で斬り掛かった。星屑十字軍の中には、トレニアのように「人型の投影体」との戦いに一定の躊躇の念を抱く者もいるが、投影体全般に対して、意思疎通の可否を問わずに「即座に浄化すべき存在」と認識する者達が一定数存在する。彼もそんなラディカルな聖印教会信徒の一人であった。

「死ね! 異界の魔物め!」

 それはトレニアの許可を得ていない独断の行動だったが、それに対して異界の女剣士は(まだこの世界に投影されたばかりで何も状況が把握出来ていないにもかかわらず)瞬時に彼の側面に回り込み、腰のレイピアで彼の脇腹を貫く。

「な……、いつの間……」

 何が起きたのか分からない表情のまま、彼はその一撃を受けて倒れる。それに続いて他の従騎士も斬りかかるが、その攻撃は全て空を切り、逆に女戦士の巧みなレイピア捌きの前に次々と崩れ落ちる。

(これは……、勝てる相手ではないですね……)

 表面上は平然とした笑顔を維持しつつも、トレニアは内心でそう実感する。そして、女戦士は他の従騎士達の視線から、トレニアが全体の指揮官であることを察して、問いかける。

「お前達は、アラニアの兵士か?」
「アラニア?」

 トレニアは首をかしげる。おそらくは異界の地名なのだろうが、この女戦士が(この魔境の投影元と推測される)フォーセリア世界からの投影体なのか、それとは全く別の世界からの投影体なのかが分からない以上、特定出来る要素が何もない。
 当然、他の従騎士達もその地名に心当たりはなく、皆が困惑している様子を見せていると、その女戦士は表情を歪める。

「またか……、また『あの世界』に来てしまったのだな……」

 女戦士は小声でそう呟きつつ、周囲を見渡した上で、再びトレニア達に対して言い放つ。

「私は、お前達に用はない。死にたくなければ、私の邪魔はしないことだ」

 彼女はそう言うと、「北東へと向かう坑道」へと向かって走り出す。皆が困惑する中、従騎士の一人がトレニアに問いかける。

「隊長! 追いますか?」
「いえ、今は『彼等』の救護が先でしょう」

 トレニアがそう言うと、従騎士達も少し冷静さを取り戻し、言われた通りに倒れた者達の傷の手当を始める。いずれも重傷ではあったが、幸運にも(?)急所は外れており、命に別状はない。だが、どう見ても継戦可能な状態ではなかった。

(今回は、ここまでですかね……。それにしても、今の人、この世界に投影されたのは初めてではない、ということでしょうか……?)

 ******

「どうにか、身体も動くようになってきたようだ」
「あまり長時間続く毒ではないみたいっすね」

 巨大ムカデから逃れるために、アルエットとハウラが逃げ込んだ狭い通路の先には、がらんとした空洞が広がっていた。そこから南方に向かって道は広がっていたものの、そこには魔物の気配もなく、そして巨大ムカデも追って来ることが出来なかったため、しばらくその空間でハウラがアルエットの傷の手当をしつつ、毒の効果が切れるのを待っていたのである。
 そして、この空洞の南方には、まだ更に狭い坑道が続いていた。

「さて、どうします? 体調も戻ったところでムカデに再戦か、それとも……」
「いや、今の私達だけでは、戦っても結果は同じだろう。本隊か、もしくは南方部隊が来てくれるまで、ここでしばらく様子を……」

 アルエットがそう答えかけたところで、南の通路の先から足音が聞こえてきた。二人は耳を澄ませてその足音を確認する。

(一人だな……、軽く駆け足で走って、こちらに近付いて……、いや、遠ざかった?)

 途中まで、その足音はこの空洞に近付きつつあるように聞こえたが、途中から明らかに遠ざかっている。

「なんか、途中まで来て、戻ってしまったみたいっすね」
「とりあえず、そっちを確認してみるか」
「了解っす」

 二人はハウラの松明を頼りに南方の狭い坑道を進むと、途中からその坑道は南西方面へと折れ曲がり、そして、そこから先は横幅が急激に広がる。そして、そのまま直進していくと、途中で北西方面と分かれる分岐点に到達する。一方、直進ルートの先からは、かすかな光が灯っているように見えた。

「ははぁ、なるほど。多分、さっきの足跡は、このどっちかから来て、もう片方の道へと向かった、ってことっすね」
「さて、どちらから来て、どちらに向かったのかは分からないが……、とりあえずは、光のある方面から調べてみようか」

 こうして、二人はそのまま南西方面へと続く道を直進すると、やがて「異臭の広がる空洞」へと辿り着き、そこで見覚えのある者達と再会する。

「あ、えーっと、アルエットさんとハウラさん、でしたよね?」

 笑顔でそう語りかけたのは、南方方面部隊を率いていたトレニアである。ちょうど彼女達は、重傷を負った仲間達の傷の手当を完了したところであった。
 ひとまず、アルエット、ハウラ、トレニアの三人は互いの状況を確認する。

「なるほど、多分、(アタシ)達が聞いたのは、その『異界の女戦士』の足音っすね」
「だとすると、先刻の分岐の先がどうなっているのかが気になるところだが……、この場にいる者達の戦力だけでは厳しいな。ひとまず、大回りにはなるが、一旦南側の出口から出て、外から北側の入口に向かって、こちらの本隊と合流してから考えるか」
「了解しました。では、一旦ここから撤収することにしましょう」

 こうして、アルエットとハウラを加えた形で、トレニア達は南側の入口まで撤退し、そこからアルエットとハウラは山道を通って再び北側の入口へと向かうことになった。

 ******

 アルエットとハウラが北口まで辿り着いた時、そこにいたのは激しく負傷した「本隊」の従騎士達の姿であった。心配して駆け寄る二人に対して、彼等は驚愕の声を上げる。

「お前達! 生きてたのか!?」

 どうやら彼等は、二人が帰って来ないことを心配して突入を強行しようとした途中で(最初の空洞に辿り着く前に)坑道で巨大ムカデと遭遇し、激しい戦いの末、ムカデは坑道の奥へと逃げて行ったものの、彼等の側もあまりにも負傷者が多くて継戦は不可能と判断し、入口まで撤退したらしい。

「こっちもこの状況なら、これ以上の捜索は無理っぽいっすね」
「仕方ない。坑道の中の構造がある程度把握出来ただけでも、収獲と考えるべきだろう」

 こうして、今回の探索隊はカルタキアへと撤退することになった。なお、何人かの従騎士を南北それぞれの入口付近に残した上で状況を確認させたところ、しばらくすると再びそれぞれの入口にムカデやゴブリンが出現するようになった一方で、「異界の女戦士」を見た者は誰もいなかったらしい。
 そして、帰還後のトレニア達がカルタキア領主ソフィアの書庫でフォーセリアに関する資料を調べてみたところ、どうやらあの女戦士は「ダークエルフ」と呼ばれる妖精界の住人らしい、ということが分かる。彼女達は、本来の分類上は人間とは敵対しない(それほど友好的という訳でもない)が故に「妖精」に分類される「エルフ」の中の一部族だったが、例外的にダークエルフは人間(の大半)に対して明確に敵対的な姿勢を示すが故に「妖魔」に分類されているらしい。
 ただし、同じ「妖魔」とは言っても、ダークエルフとゴブリンは必ずしも友好関係とは限らないようで、あの女戦士が廃坑内のゴブリン達とどのような関係なのか(あの後で、ゴブリン達と合流したのか、衝突したのか)は不明である。一方で、巨大ムカデに関しては、フォーセリアの物質界においては純粋な「危険な動物」として認識されており、元の世界の中では(「怪物」ではあっても)「妖魔」や「魔物」という扱いではないらしい。
 その上で、「アラニア」という地名に関して調べてみたところ、フォーセリア世界に存在する「ロードス島」という島の北東部に存在する「千年王国」の異名を持つ国の名らしいが、それ以上の詳しい情報までは分からなかった。

☆今回の合計達成値:29/100
 →このまま次回に継続(ただし、目標値は上昇)

BE「秘密結社との決戦」


 カルタキアの一角にて、一人の従騎士が鏡を見ながら、自分自身に暗示をかけるように、誰にも聞こえぬ声で呟き続けていた。

「私はテラー総帥……、テラーこそが我が野望……。私はテラー総帥……、テラーこそが我が野望……」

 その奇行は誰にも知られることなく、やがて彼女は誰にも何も告げぬまま、「向かうべき場所」へと向かって、不気味な足取りで歩き始めるのであった……。

 ******

 先日おこなわれた悪の組織「テラー」の秘密基地への突入作戦は、豹怪人アビスラッシャーをあと一歩のところまで追い詰めながらも、多くの重傷者を出したこともあり、撤退を余儀なくされた。雪辱を果たすべく、前回の面々の大半は今回の第二次突入作戦にも引き続き参加することになる。
 他の魔境の浄化作戦も同時に展開していることもあり、部隊長格の援軍は訪れなかったが、従騎士達の中には、新たに戦列に加わる者達も現れた。その中の一人である星屑十字軍の ローレン・エドワルド が、出撃前のカルタキアの屯所にて、他の参加者達を前に挨拶する。

「今回は医療担当として参加させて頂くことになりました。よろしくお願いします」

 ローレンは星屑十字軍に所属する17歳の青年である。もともとは農民出身で、混沌の脅威に対抗するために自警団を作って活動していたところをレオノールに勧誘されて、その同志となった。得物としては弓を装備しているが、あまり好戦的な性格ではなく、今回の作戦においても、後方での救護役としての参戦となる。その意図について、彼の傍らに立つ星屑十字軍の相当レオノール(下図)が皆に説明する。
+ レオノール

「前回の作戦では多くの負傷者を出したからね。今回は医療面を強化することにしたんだ。もちろん、彼の力を借りずに済むなら、それが一番なんだけど」

 レオノールはそう語りつつ、実はその裏では「別の思惑」も密かに抱いていたのであるが、彼の部下である コルム・ドハーディ は、そんな指揮官の言葉を耳にした時点で、前回の戦いで負傷した同胞達のことを思い出し、憤怒の感情を露わにする。

「皆をあんな目に遭わせた奴等のことは、絶対に許せん! 今度こそ、あの不浄なる者達をこの世界から永遠に消し去らなければ!」

 そんな彼の隣では、同じく星屑十字軍の リューヌ・エスパス が、密かに腰に装着している(前回入手した)「変身ベルト」に手を当てつつ、決意の表情を浮かべながらローレンに語りかける。日頃はローレン同様、星屑十字軍の医療班として活動することが多いリューヌであるが、今回はいつもとは異なる面持ちであった。

「今回、私は前線に立たせてもらいたいので、後方支援に関しては、ローレンさんの負担が大きくなってしまいますが……」
「構いません。かの秘密結社との戦いに一区切りをつけるために、可能な限り、尽力するつもりですので、よろしくお願い致します」

 ローレンがリューヌに対してそう答えたところで、そのリューヌに誘われる形で今回の作戦に参加することになった第六投石船団の ユージアル・ポルスレーヌ もまた彼女に問いかける。

「ところで、ワイスさんはどこなのー?」

 ユージアルはリューヌから今回の魔境の話を聞いた時点で、たまたま近くにいた星屑十字軍のワイスから(密かに予備用として入手していた)「変身ベルト」を受け取っていた。そのため、彼女も今回の任務に参加するものだと思い込んでいたのだが、この場には彼女の姿はいない。

「多分、あの人は、またどこか裏で動かれているのではないかと……」

 リューヌが言葉を濁しながらそう呟いたところで、彼女の近くにいた潮流戦線の ミョニム・ネクサス は、ふと別の人物のことが気になって、キョロキョロと周囲を見渡しながら、同僚の エイミー・ブラックウェル に問いかけた。

「そういえば、アイザックは今回は来ないのかな?」
「さぁ……? 昨夜の時点では銅貨を見ながら『裏か……』とか呟いてましたけど……」

 アイザックが何を賭けてコイントスをしていたのかまでは、婚約者のエイミーも聞いていないし、聞こうともしていない(それが「信頼」故なのか「諦め」故なのかは不明である)。
 一方、もう一人の指揮官であるヴァーミリオン騎士団の騎士団長であるアストライア(下図)は、全身鎧に身を包んだ アレシア・エルス に対して声をかける。
+ アストライア

「正直、アリスが来てくれるとは思わなかった」

 「アリス」とは、アレシアの愛称である。彼女はもともと「人間」を相手に戦うのが苦手な気性であるため、今回のような「人型投影体を相手とした殲滅任務」には向かないだろうとアストライアは考えていたのである。

「仲間が傷つけられた以上、黙っている訳にもいきませんから……」

 アレシアはそう答える。彼女が今回の任務に参加することを決意したのは、同僚のアルスから前回の突入時の話を聞き、彼女を助けたいと考えたことが直接的な契機である。
 だが、今のこの場にはそのアルスの姿が見えなかった。そのことについてアレシアがアストライアに問いかけようとした瞬間、屯所の扉が開く。

「……遅れてすみません」

 短くそう告げて、ヴァーミリオン騎士団の アルス・ギルフォード が姿を現した。彼女は前回の任務で受けてた怪我の傷が癒える前から、あえて「痛みに耐えるための胆力」を獲得しようと、出発直前まで一人でひたすら長い走り込みなどの鍛錬を繰り返していたのである。
 それは、ベルトと聖印を制御するための精神力を鍛えることが主目的であり、そのために彼女はあえて「『前回の任務でリューヌさんを守れなかったこと』や『アビスラッシャーの敵意』を忘れてはならない」と自分に言い聞かせ続けていた。その結果、彼女の精神も肉体もいつも以上に研ぎ澄まされ、そして彼女の瞳からは、いつもの彼女とは別人のような闘志(より正確に言うならば「殺気」)が漲っていた。
 そんなアルスの全身から漂う「覚悟」のオーラを目の当たりにして、従騎士達の間で改めて緊張感が漂う中、彼等は「秘密基地の魔境」へと向かうことになる。

 ******

「百歩譲って、お前が俺達に害を為す気はないとしても、お前が俺達にとっての『疫病神』であることは疑いない。それが今の俺の結論だ」

 秘密結社テラーの本拠地にて、三度目の来訪となる「Dr.ワイズマン」に対して、豹怪人アビスラッシャー(下図)はそう告げた。
+ アビスラッシャー

(出典:『チェンジアクションRPG マージナルヒーローズ』304頁)
 そんな彼に対して、Dr.ワイズマンは特に悪びれる様子もなく答える。

「吾輩の調査によると、今回は敵軍の総帥と騎士団長が先頭に立って突入予定とのこと。この危機、吾輩も腹をくくりました。当方(テラー総帥)に忠誠を誓いましょう。吾輩にテラー因子の注入をお頼みしたく。必ずや当方の野望(テラー)の役に立ちましょう」

 この時、Dr.ワイズマンの中で「テラー」が「当方」の意味で用いられているということに、アビスラッシャーは気付いていなかった。

「ほう、その身をテラーのために捧げ、テラーのために生まれ変わるというのか」
「はい、それこそが当方(テラー総帥)の望みでありますが故」
「良かろう。ちょうど我等も、新たな怪人の生成を始めたところで。お前がそこに加わるなら、これでちょうど『五人』揃う」
「ほほう? 『五人』揃えることに、何か意味があるのですかな?」
「前回の『奴等』は五人だったからな。こちらもそれだけの頭数は欲しい。それに……、いや、これは異世界人のお前に言っても分からぬだろうな」

 彼等の世界では「五人」という数字に特別な意味があるらしいが、それを上手く言語化出来ないまま、ひとまずDr.ワイズマンを秘密基地の奥へと連れて行き、そしてテラー因子発生装置に繋がっている謎の「管」を彼(彼女?)の身体に繋げると、彼女(彼?)の身体にテラー因子が流れ込んで来る。
 彼(彼女?)にとって、それは「二度目の体験」であった。彼女(彼?)はアビスエールを飲んだ時以上の勢いで入り込んでくる「その力」に対して、心の中で語りかける。

(当方の最大の力は知性。知性無き怪人化では最大限のパフォーマンスを発揮できません。全ては我が野望(テラー)の為、「お前」はでしゃばらず、力のみを当方に貢ぎなさい)

 その声がテラー因子に対してどんな影響を与えたのかは分からないが、やがてDr.ワイズマンの身体は異形の姿へと変わっていく。それは「獅子のような胴体」と「奇妙な形状の頭巾を被った黄金の仮面」を併せ持つ怪人の姿であった。

「これが、悪の一つの形ですか。ふふ、勉強になります」

 新たな力を手に入れたDr.ワイズマンは、満足気にそう呟き、そしてアビスラッシャーに対して提案する。

「今の私の力を用いれば、この秘密基地に『神秘の力』を注ぎ込み、新たなる金字塔へと生まれ変わらせることが出来ますが、いかがですかな?」

 なぜそんなことが可能なのかは、彼(彼女?)自身にも分からない。しかし、テラー因子を取り込んだ今の彼女(彼?)には、この魔境全体を書き換える力をも備わっているような、そんな全能感すらも感じ取っていた。
 一方、アビスラッシャーがこの来訪者に対応している間に、一つの「青い影」が秘密基地の中に忍び込んでいたのだが、そのことに気付いた者は誰もいなかった。

 ******

「え……? なに、あれ?」

 ミョニムは思わずそう呟く。彼女は今、他の仲間達と共に、前回突入した秘密基地のある筈の領域へと向かっていた筈であったが、そこに聳え立っていたのは、明らかに前回とは異なる「煉瓦を四角錐状になるように積み上げた巨大な建物」であった。

「イシスのピラミッドなのー!」

 ユージアルがそう叫ぶ横で、二人の指揮官も既視感を感じていた。

「昔、まだ星屑十字軍を結成して間もない頃に、このカルタキアよりももう少し東の方面に遠征に行ったことがあるんだけど、その時に、あんな建物を見たことがある気がする」
「そういえば、私もエーラムの書庫で読んだことがありますね、暗黒大陸の一部には、四角錐型の『古代の王の陵墓』が今でも残っているとか」

 彼等がそんな言葉を交わす中、やがてその四角錐状の巨大な建物の入口と思しき場所から、「獅子の身体と鷲の翼を持つ黄金の仮面の怪人」が姿を現す。

「見たか、正義(ヒーロー)達よ! この地に生まれし最も新しき(怪人)、このアビスフィンクスによって築かれし新生テラー要塞の荘厳なる姿を!」

 前回の突入作戦で最深部まで辿り着いた者達は、その声から、この怪人の正体がDr.ワイズマンだということはすぐに分かる。そして、参加していなかったアレシアもまた(声質はいつもとは変わっているが)喋り方や息継ぎのクセなどから、その正体にはすぐに勘付いた。

(一体、何をしているんだ、彼女は……?)

 幾人かの者達がそんな感慨を抱く中、Dr.ワイズマン改めアビスフィンクスがパチンと指を鳴らすと、激しい地響きと共に、地中から巨大な機械獣が現れる。それは、アビスフィンクスをそのまま巨大化して二足歩行化させたような四足の怪物の姿であった。

「さぁ、この我が分身、テラスフィンクスの勇姿の前に、恐れおののくがいい!」

 アビスフィンクスはそう言いながら、テラスフィンクスと呼んだその機械獣の頭部に乗り込み、そして四角錐状の秘密基地の前に立ちはだかる。

「おのれ! まだ他にも混沌の化け物が潜んでいたのか!」

 明らかに正体に気付いていないコルムがそう言って巨大な敵を相手に斬りかかろうとするが、その間にアストライアが割って入る。

「ここは私が引き受けましょう。あなたの倒すべき真の敵は、あの四角錐の建物の奥にいる。違いますか?」

 よりによってヴァーミリオンの騎士団長に諭されるのはコルムとしては気分のいい話ではなかったが、明らかにこの機械獣は「門番」であり、首魁ではないということは分かっていたため、コルムは吐き捨てるような視線を機械獣に向けながら建物の方へと向かって走り出し、アストライア以外の者達も彼に続く。

「おぉっと! 行かせると思うか!?」

 テラスフィンクスの操縦席からアビスフィンクスはそう叫ぶが、その声に反してテラスフィンクスの動きは鈍く、その間に彼等は建物の中へと消えていく。

「ちぃっ! 侵入を許してしまうとは! このアビスラッシャー、一生の不覚! だが、基地の中枢へと続いているのが『入ってすぐ左側の通路』だということはバレていない筈! 我が精巧に作り上げし迷路の中を、『宝箱』の位置にも気付かぬまま、永遠にさまようがいい!」

 侵入者に聞こえる程度の大声でアビスフィンクスがそう叫ぶと、改めてテラスフィンクスの前にアストライアが立ちはだかった。

「さて、お相手しましょうか、テラスフィンクス殿。いや、アビスフィンクス殿と呼ぶべきか?」

 刀を横に構えつつ、余裕の笑みを浮かべながらそう問いかけるアストライアに対し、操縦席のアビスフィンクスもまた落ち着いた声で答える。

「ふむ。この世界の知識の番人であるエーラムの騎士団長が相手ということであれば、ここは一つ、知恵比べの勝負を挑みたい」
「ほう?」
「朝は四本足、昼は二本足、夕方は三本足、そして夜は七本足。さぁ、これは何ぞ?」

 その問いかけに対し、アストライアはしばし熟考する。

地球から投影された異界魔書 の中に、そのような一節があったな……。確か、フォーセリア界における紅の海の東ドルドモサ島のマルダル山脈にいる虫で、名前は……)

 こうして、何の意味があるのかも分からない問答が、二人の知恵者(?)の間で繰り広げられることになった。

 ******

 建物内へと真っ先に突入したコルムの耳には、アビスフィンクスの声は聞こえていなかった。そして、入ってすぐに「右側」の通路の奥にいる戦闘員達の姿を発見した彼は、迷わずそちらに向かって走り出す。

「不浄なる投影体どもよ、さっさと浄化されろ!」

 彼はそう叫びながら、目の前の戦闘員達に対して手当たり次第に斬りかかろうとする。そんな彼に対して、アレシアは後方から声をかけようとする。彼女には「アビスフィンクスの声」は聞こえていたし、その発言の意図も察しが付いていた。

「待て! コルム君、そっちは……」

 そこまで言いかけたところで、レオノールが止める。

「こっち(右側の通路)は僕とコルムとローレンが調べるから、君達はそっち(左側の通路)の調査を頼むよ」

 レオノールの表情から、彼が「全てを察している」ということを察したアレシアは黙って頷き、アルス、リューヌ、ミョニム、エイミー、ユージアルの5人と共に、左側の通路へと向かう。そんな彼女達を見送りつつ、レオノールは傍らに立つローレンに対して問いかけた。

「さて、ローレン。ちょっと君には頼みたいことがあってね」
「なんでしょう?」
「僕の『聖弾』を受けて倒れた相手を、介抱してほしい。あ、もちろん、その前にコルムが倒れたら、彼の介抱の方を優先してもらうけど」

 これが、レオノールがローレンを起用した「もう一つの意図」であった。実はレオノールは、前回の突入時に「この世界の住人が洗脳されたと思しき戦闘員」の識別方法に関して、ある程度の目星をつけていた。そして、前回唯一保護した「非投影体の戦闘員」の着ていた戦闘服を確認して、その予想が確信に変わっていたのである。

「僕の推測が間違っていなければ、『本来の戦闘員』に比べて、『この世界に来てから徴用された戦闘員』の着ている服は、少し光沢があるんだ」
「それは、まだ使い込まれていないから、ということですか?」
「多分ね。と言っても、その区別は僕にしか出来ないと思うから、それらしい戦闘員を見つけたら、コルムに斬られる前に、僕が弱めの聖弾で攻撃する。致命傷にならない程度に力は抑えるから、倒れた時点で最低限の救命措置をお願いしたい」
「分かりました。可能な限り、助けられる命は助けます」

 彼等がそんな会話を交わしている間にも、コルムは最前線で鬼気迫る表情を浮かべながら、戦闘員達を相手に大立ち回りを繰り広げる。

「せめて最後に神の救いを得れることを、光栄に思うんだな!」

 こうして「右側の通路」では星屑十字軍の男性陣による殲滅&救済作戦が展開されることになるのであった。

 ******

 一方、「左側の通路」へと向かった女性陣は、やがて地下への階段を発見する。

「外観は変わっていますけど、多分、混沌核のある場所は、前と同じ地下の最深部ですよね?」

 リューヌが他の者達にそう声をかけたのに対し、隣を走っていたアルスは、出発時点から一切替わらぬ「静かな怒りを込めた表情」のまま、静かに答える。

「……そうでしょうね」

 明らかにいつもとは異なるテンションの彼女に対し、同僚のアレシアが心配そうな表情を浮かべる中、ひとまず彼女達はそのまま階段を降りていく。すると、階段を降りきったところで道が二つに分かれていたが、その壁には「→お宝」と書かれた紙が貼られていた。

「罠かな?」
「罠っぽいのー」

 ミョニムとユージアルがそう呟く一方で、エイミーはその文字が明らかに「自分の婚約者の筆跡」であることに気付く。

「……とりあえず、行ってみましょう」

 複雑な表情を浮かべながらエイミーがそう呟き、彼女達はその矢印の方向へと向かうと、その道はすぐに行き止まりとなるが、その突き当りの壁には、見るからに「宝箱」のような装飾が施された木箱が置かれていた。

「これは……、きっと『おうごんのつめ』なのー! もしくは『ミミック』なのー!」

 何の根拠もなくユージアルがそう叫び、皆が微妙に躊躇する中、アレシアは先刻のアビスフィンクスの発言を思い出しながら、意を決してその箱を開ける。すると、そこには「親愛なる仮面(フルヘルムの)ライダー(キャヴァリアー)へ」と書かれたメッセージカードと、一本の変身ベルトが封入されていた。

「ありがとう、ワイス。確かに受け取った」

 アレシアはそう呟きながら、静かにベルトを手に取る。そして彼女達は階段前の分岐まで戻った上で、もう一つの道へと向かって走り出すのであった。

 ***

 そして、六人がそのまま地下の最深部へと向かって探索を続けていくと、彼等の前に(アレシアとユージアル以外にとっては)「見覚えのある巨大な装置」と、アビスラッシャーの姿を発見する。だが、そこで彼女達を待ち受けていたのは、アビスラッシャーだけではなかった。

「アビスフィンクスは突破されたようだな……」
「フフフ……、奴は四天王の中でも最弱……」
「小娘ごときの侵入を許すとは、テラーの面汚しよ……」

 アビスラッシャーの前に立ちはだかるように、そう語る三人の怪人達がいたのである。

「あなた達! 何者!?」

 ミョニムがそう叫ぶと、三人は次々と名乗りを上げる。

「アビスラッシャー四天王が一人、アビスパイダー!」

 そう名乗った怪人は、左右に三本ずつの六本の腕を持ち、クモのような形状の不気味な顔でミョニム達を睨みつける。

「同じく、アビスパイン!」

 そう名乗った怪人は、黒尽くめの肉体の頭上にヤマアラシのような白い針毛(spine)を生やしており、その針毛と同じ形状と思しき鉤針をあしらった首飾りをかけていた。

「同じく、アビスネーク!」

 そう名乗った怪人は、他の者達とは明らかに異なる外見であった。彼は紫色の鎧に身を包み、コブラの頭を形取った杖を持ち、その腰には「変身ベルト」が装着されていたのである。その姿を見た時点で、リューヌの中で疑念が湧き上がる。

(ワイスさんの話では、あのベルトは「テラー因子を取り込んだ者」には効果がない筈……。ということは、あの人の正体は「この世界の人間」なのかも……? しかも、仮面の形状が「私が変身した時の姿」とも似ているような……)

 彼女の中でそんな疑念が湧き上がる中、隣からアルスの静かな声が響く。

「変身……!」

 「かっこいいポーズ」を取る間もなく、アルスの全身は即座に「クワガタをモチーフにした全身スーツ」に包まれる。その後方ではミョニムもまた、再び頭部に「桃状の何か」を召喚し、それを頭に纏うことで、そのまま「全身ピンクのスーツ」の姿へと変貌した。

「さぁ、リベンジするよ! このベルトの性質も、なんとなくわかったから!」

 そんな二人に続いて、リューヌもまた迷いを断ち切る。

「前回は混沌への恐怖がぬぐいきれず、無様な様子を見せてしまいましたが、今度は違います。今度こそ私はあなた方を倒します!」

 リューヌはそう叫ぶと、再び左手を前に出す。

「ギルフォード流わらしべ盾術奥義『かっこいいポーズ!』」

 彼女はそう言いながら両手を身体の前で緩くクロスさせた上で、その手をゆっくりとほどくように、手を左右に広げつつ、勢いよく右手を左肩のあたりまで持って行きながら身体を若干ひねるポーズを取り、彼女の装束は白いスーツへと変貌し、そして短剣から長剣へと変化した自分の武器を持ち直してアビスラッシャー達に向かって叫ぶ。

「私はもう恐れません! 投影体であるあなた方を、混沌災害を! そして信じます。協力してくださる仲間全員を!」

 一方、ユージアルはそんな彼女とは対象的に、下を向きながら淡々とした口調で呟き始めた。

「聞こえる……、聞こえる……。愛に悩む人々の叫びが、悪に苦しむ人々の嘆きが。だってオタクの耳は聡いんだもん」

 彼女はそこまで言ったところで、眼鏡をクイッと上げつつ、身体を一回転させ、そして叫ぶ。

「とうっ!!」

 その声と同時に跳び上がると、空中でその身に「桃色と金色と黒色の混ざったスーツ」をまとわせ、そして四天王達の目の前に着地する。

「愛と正義の君主(ロード)、^/7(L|?[_(L+#< >+&|^(o)仮面参上なの!!」

 彼女が何と名乗ったのか、その場にいる者達には聞き取れなかった(どうやら混沌の邪神の名前を名乗りたかったらしいが、彼女自身もその発音がよく分かっていないらしい)。 
 そして、先刻ベルトを手にしたばかりのアレシアもまた、覚悟の表情を浮かべながら全身鎧を瞬時に脱ぎ、腰にベルトを装着する。

「私が……、この戦いに終止符を打つ!」

 彼女はそう言い放った上で、鎧の下に潜ませていたエーラム製の懐中時計を両手で握った後、その両手を一旦交差させた上で左右に広げると、リューヌの変身体とよく似たカラーリングの(頭部に金色の異界の文字をあしらった仮面の)スーツ姿へと変身する。
 だが、その直後、アビスラッシャーの前に立ちはだかっていた蜘蛛怪人アビスパイダーが、その不気味な口から無数の白い糸を吐き出す。

「おファ!?」

 最前列にいたユージアルがそう叫んだと同時に、彼女を含めたその場にいる従騎士達が全員、その糸に絡みとられてしまう。皆が驚愕と混乱の表情を浮かべる中、アビスパイダーは勝ち誇ったような声で語り始める。

「俺のこの糸は、お前達『ベルトの戦士』の身体を完全に拘束する! お前達は永遠にこの糸から逃れることは出来ない! なぜならばこの俺、『蜘蛛の怪人』の力は、お前達にとっての宿……」

 アビスパイダーがそこまで言いかけたところで、彼は「想定外の事態」に気付く。彼は、この場にいる従騎士達が全員変身したものだと思い込んでいたが、よく見ると一人、「生身の身体のままの従騎士」が残っていたのである。

「……なぜ、お前は変身していない!?」

 その視線の先には、エイミーの姿があった。彼女もまた糸に絡め取られた状態ではあったが、アビスパイダーが言っていた通り、この糸は「ベルトの戦士」以外には強固な力を発揮しないようで、生身の彼女はあっさりと糸を引きちぎり、身体の自由を取り戻す。

「今回は、ベルトを使わないで戦うと決めていたのです。私自身の力で戦う、と」

 前回の戦いでベルトを用いて戦った結果、途中で力を使い果たしてしまった身として、エイミー他の二人とは異なる道を選び、それが結果的に功を奏することになった。彼女はそのまま、糸を制御するために動きが鈍くなっているアビスパイダーに向かって突撃しようとする。

(他の皆は、次々と戦果を挙げている。聖印を覚醒させた人達もいる。でも、私はまだ何もできていない……)

 そんな焦りや悔しさの感情を抱いていた彼女は、その想いを込めた一突きを打ち込もうとするが、ここで横から山嵐怪人アビスパインが、首飾りに付いていた鉤針をエイミーに向かって投げつける。しかし、その鉤針はエイミーに届く前に、彼女達の後方から放たれた「謎の銃弾」によって撃ち落とされた。

「なに!?」

 怪人達がその発射元を見ると、そこには青い銃を構えたベルトの戦士が立っている。

「アイザック仮面!」

 ミョニムが律儀に「その名」で呼んでいる間に、エイミーの突剣が無防備なアビスパイダーの喉元を直撃すると、アビスパイダーは激痛と共にその場に倒れ込み、激しくむせ始め、そして糸に込められていた力が途切れたことで、ベルトの戦士達は身体の自由を取り戻す。

(どうやら、この急造の怪人達には、あの豹の怪人程の力は無いようですね……)

 まだ倒れ込んだまま苦しみ続けているアビスパイダーを見ながらエイミーがそう判断した直後、彼女の目の前に唐突に一匹の「紫色の大蛇」が現れる。

「え!?」

 それは、アビスネークが召喚した投影体であった。エイミーが困惑している間に、大蛇は彼女の肩へとかぶりつく。その直後にアイザック仮面の銃弾が大蛇を直撃したことで、大蛇は一旦エイミーから離れるが、彼女はその場に崩れ落ちた。

「「エイミーさん!?」」

 近くにいたリューヌとアレシアは同時にそう叫ぶが、その直後にアビスネーク(本体)がリューヌに、そして大蛇がアレシアに襲いかかる。一方、アイザック仮面はエイミーの元へと駆け寄るが、彼女は既に意識が盲聾した状態であり、顔色も明らかに変色し始めていた。

「これは……、どうやら毒が回っているようですね……」

 アイザック仮面がそう呟くと、背を向けた状態のままリューヌが叫ぶ。

「ローレンさんなら解毒薬を持ってる筈です。レオノール様達と一緒にこの建物の中で戦っている筈ですけど、今どこにいるかは……」

 そもそも、アイザックとローレンは面識すら無い筈だが、その話を聞いたアイザックは、すぐさまエイミーを抱え上げる。

「分かりました。探して来ます」

 アイザックはそう告げて、瞬時にその場から走り去る。一方、アルスは激しい殺意と共にアビスラッシャーに殴りかかりに行こうとしたが、その前にアビスパインが立ちはだかっていた。

「……邪魔です」

 アルスは一言だけそう呟くと、アビスラッシャーに向けていた殺意をそのままアビスパインへと向かわせた上で、怒涛の勢いでアビスパインに拳で猛ラッシュをかける。アビスパインは何も抵抗する余力もないまま一方的に殴られ続けていた。
 その間に、残された者達の中で唯一の弓使いであるミョニムは、どうにか後方からアビスラッシャーを射止めようと試みていたが、彼は絶妙に彼女と自分の間に白兵組が来るようにポジショニングすることによって、彼女に射撃の機会を与えようとしない。その上で、彼は侵入者達の中で一人だけ(糸が解けた直後から)ずっとしゃがんだまま動こうとしないユージアルに対して、警戒の視線を向けていた。

(あいつの能力はまだ分からない……、何を企んでいる……?)

 アビスラッシャーはそんな疑念を抱きつつ、まだ倒れて苦しんでいるアビスパイダーに対して、近くにあった予備のアビスエールを投げつける。すると、アビスパイダーはそれを飲み干すことでどうにか気力を取り戻すが、それでもまだ「糸」を吐ける状態までは回復出来ていなかった。

(とりあえず、一旦「上」に逃げるか……。天井からの奇襲なら、俺でも一撃くらいは……)

 アビスパイダーは、先刻張り巡らせていた糸の残骸のうち、天井に繋がっている部分をつたって空中へと這い上がる。すると、彼がユージアルの真上に来た時点で、ユージアルは唐突に一回転しながら飛び上がり、強烈な蹴り技をアビスパイダーの頭に直撃させ、再び地上へと叩き落とす。

「出力を上げすぎると拒絶反応があるって聞いたの……、だからこそ、この一瞬だけ最大出力する待ちガイル戦法なの!!」

 ユージアルの蹴りと落下の衝撃で再び深手を負ったアビスパイダーは、その場で完全に倒れ込んで意識を失う。
 一方、あくまでも味方の影に隠れ続けるアビスラッシャーを狙うことが困難と判断したミョニムは、やむなく方針を切り替えることにした。

(仕方ない。大将首の前に、まずは一体ずつ確実に……)

 彼女はそう割り切った上で、角度的に最も狙いやすい位置にいた大蛇に向かって矢を放ち始めると、目の前のアレシアと遠方からのミョニムという二方向からの攻撃に晒された大蛇は徐々に追い詰められていく。
 だが、ここでミョニムからのマークが外れたことで余裕が出来たアビスラッシャーもまた戦術を切り替える。彼は味方を支援すべく、アビスネークとの戦いに集中していたリューヌの背後に回り込み、彼女の背中にその鋭利な爪を突き刺した。

「ッ……!まだまだ!」

 背後からの不意打ちに対し、リューヌはそう叫んでどうにか体勢を維持しようとするが、更にそこにアビスネークが(それまで杖だった武器を鋭利な形状へと変えて)追い打ちをかける。

「いっ……!」

 息の合った二人の怪人の連携攻撃を受けた結果、リューヌを覆っていたスーツが頭部から徐々に壊れ始めていく。

(あの時と、同じ……? いえ、このままでは……、終われません!) 

 必死で自分にそう言い聞かせているリューヌに対して、アビスラッシャーが更に追撃をかけようとするが、それよりも一歩早く、ミョニムの放った矢が大蛇の頭部に命中して大蛇の身体が消滅を始め、それと同時にアレシアがアビスラッシャーとリューヌの間に割って入る。

「アレシアさん!?」

 リューヌの目の前でアレシアは身を呈して彼女の代わりにアビスラッシャーの爪を受け止める。すると、彼女の身体を覆っていたスーツもまた徐々に崩れ始め、日頃から露わにすることが少ない頭部の仮面も剥がれ落ちていく。

(これが……、話に聞いていた「変身の限界値」なのか……)

 アレシアがそう考えた瞬間、彼女とリューヌの目の前に、後方から二つの「気付け薬」が投げ込まれる。

「E缶だけは最後までとっておくの!」

 そう叫びながら投げ込んだのは、ユージアルである。二人は即座に受け取り、壊れかけた仮面の下に現れた口からその気付け薬を身体に注ぎ込むことで、再び精神力を回復し、半壊したスーツを修復していく。そして、このカルタキアで用いられている「気付け薬」は、先刻アビスラッシャーが用いたアビスエールの材料でもあった。結果的に言えば、アビスラッシャーが利用していた力によって、従騎士達は息を吹き返したことになる。

「おのれ! やはり、完全に無くなるまで買い占めておくべきだったか……!」

 アビスラッシャーがそう叫ぶ一方で、力を取り戻したアレシアは、その右手に巨大な光の刃を発生させ、アビスラッシャーに斬りかかる。アビスラッシャーは鉤爪でそれを受け止めようとするが、光の攻撃は彼の爪をすり抜けてその身体に直撃した。

「くっ……! 神属性攻撃か!」

 そう叫びながら彼が半歩下がったところで、彼の視界内に、仲間の一人が消滅していく姿が映る。アルスの怒涛の連撃に耐えられなくなったアビスパインが、遂にその混沌核ごと完全に消滅させられたのである。そして、激しい憎悪の炎が頂点に達したアルスが、無言でアビスラッシャーに向かって殴りかかってきた。

(まずい……、今のこいつら相手に二対一は、さすがに……)

 アルスの負のオーラが籠もった拳を受け続けながら、アビスラッシャーも徐々に焦りを感じ始める中、そこに更に後方からミョニムの弓矢も飛んできたことで、本格的に形勢が劣勢化していることを実感する。
 一方、アビスネークとの戦いを続けていたリューヌは、エネルギーは回復したとはいえ、まだ戦いを優位に進められる状況にはなっていなかった。やはり、「正体はこの世界の人間かもしれない」という考えが、彼女の中での「迷い」を発生させていたようである。だが、ここで彼女は「あること」に気が付いた。

(もし、本当に「ベルトに操られているだけ」だとすれば、狙うべきは……)

 彼女はアビスネークの腰のベルトのバックル部分を凝視して、その一点だけを狙って全身全霊を込めた一撃を繰り出す。すると、彼女の長剣は見事にバックルに突き刺さり、思惑通りにベルトは破壊され、アビスネークを包んでいた全身スーツは消滅する。そして、その場には一人の青年が気を失った状態で倒れていた。今の時点では、彼が「この世界の住人」なのか「投影体」なのかは分からないが、少なくともこれで戦力としては完全に無力化されたことは確かである。

「さぁ、覚悟しなさい! アビスラッシャー!」

 リューヌはそう言って剣を突き立てつつ、そのままアビスラッシャーに斬りかかる。既にこの時点でアビスラッシャーの身体はアルスとアレシアとの戦いでボロボロになっていたため、これ以上の継戦はもう不可能と考えたアビスラッシャーは、その場で天井近くの高さまで一気に跳び上がり、彼女達を飛び越えることで、この場からの逃亡を図る。
 彼は、この魔境の混沌核が消えれば自分も消滅する可能性が高い、ということまでは知らない。そして従騎士達もまた、もし万が一彼が魔境浄化後に自然消滅しなかった場合を考えると、ここで逃がす訳にはいかない。

「サマーソルトなの!」

 後方で控えていたユージアルは、そう言って今度はアビスラッシャーを迎撃しようとするが、ここで再び、この地下室内に「謎の声」が響き渡る。

《ナイトメアムーン》

 その声と同時に発生した謎の力によって、飛び上がろうとしていたユージアルは、足を滑らせてその場で転倒する。

「おファー!?」

 ユージアルの叫び声が響き渡る中、アビスラッシャーはミョニムをも飛び越えて部屋の入口近くに着地し、そのまま地上へと向かって走り出す。さすがに豹の怪人である彼の脚に追いつくのは困難であったが、そんな彼の目の前に「最後の怪人」が姿を表した。アビスフィンクスである。

「おや? どうしました、アビスラッシャー殿?」
「この基地はもう終わりだ! 逃げるなら、お前も一緒に来い!」
「ふむ。それは一大事ですね。ところで……」

 アビスフィンクスはそこまで言ったところで、唐突にアビスラッシャーに対してしがみつく。

「お、お前……、何を?」
「ここで問題です、アビスラッシャー。当方の様に己の望みの為、教唆、裏切り、人体実験、ありとあらゆる邪道行為に手を染めるものをなんと言う?」

 アビスフィンクスは彼の耳元でそう囁きながら、がんじがらめにその身を封じる。そして、アビスラシャーの視線の先には、(アビスフィンクスが外で足止めしていた筈の)アストライアが笑顔で立っている様子が見えた。

「ま、まさか、貴様……?」

 驚愕の表情でアビスラッシャーがアビスフィンクスを横目で見ると、アビスフィンクスは静かにこう告げた。

「正解は()、一つ賢くなれましたね」

 その声と同時に、後方から追いかけてきた従騎士達が姿を現す。そして、状況がよく分からないままアビスラッシャーに対して弓を構える「桃色の全身スーツの女性」に対して、アストライアはこう言った。

「この『頭巾の怪人』は、知恵比べの結果、私の味方となってくれました。ですので、『豹の怪人』の方だけを狙って下さいね」

 現状、二人の怪人は密接に絡み合っており、非常に狙いは定めにくい。

「うーん、難しいけど……、ま、なんとかなるか!」

 ミョニムがそう言って全力を込めた矢を放つと、アビスラッシャーの頭部に見事に的中し、そのまま彼はこの世界から消滅していった。

 ******

「気が付きましたか、エイミー」

  アイザック・ハーウッド のその声で、エイミーは目を覚ました。なお、この時点で彼女の目の前にいるのは(さすがに聖印教会の面々の前なので)「アイザック仮面」ではなく、「アイザック」であった。
 そして、その傍らには薬箱を持ったローレンと、そして倒れた状態の幾人もの戦闘員、そして力を使い果たして倒れ込んだ様子のコルムと、周囲の状況を警戒するレオノールの姿があった。
 ここは「右側の通路」から進んだ先にある、秘密基地の中のとある一室である。アイザックはレオノールの気配を頼りに基地内を走り回り、そしてどうにかローレンと合流し、エイミーに解毒薬を処方してもらうことに成功していた。
 エイミーは、今の自分が置かれている状況がよく分かっていなかったが、ひとまずアイザックに対して、最初に確認すべきことを問いかける。

「戦いは、どうなったのですか?」
「分かりません」
「ならば、今すぐ向かわなければ……」

 そう言って彼女は立ち上がろうとするが、立ちくらみで頭がふらつく。そんな彼女に対して、ローレンが声をかけた。

「もう身体から完全に毒は抜けています。ただ、体力も精神力も消耗は激しいと思うので、どちらにしてもしばらくは休んでおいた方がいいでしょう」

 確かに、エイミーも自分の身体がまだ本調子では無いことは自覚していたが、それでも状況が気がかりなのは間違いなかった。

「それならばアイザック、せめてあなただけでも加勢に……」
「いえ、それは出来ません。あなたが全快するまでは、あなたの近くにいると決めたのです」
「……コインがそう言ったから、ですか?」
「そう思っておいてもらえば幸いです」

 ******

 それからしばらくして、アストライアの手によってテラー因子発生装置が破壊され、その混沌核が浄化されたことにより、この秘密基地(改)の魔境は完全に消え去り、アビスエールも、テラスフィンクスも、従騎士達が装備していた変身ベルトも、全て消滅した。生き残っていた者達のうち、アビスパイダーは消滅したが、レオノールによって倒された(ローレンによって治療された)者達および「アビスネークだった者」はそのままこの世界に残ったため、彼の身元については、ひとまずカルタキア当局に聞き取り調査を依頼することになった。
 一方、浄化の直前までアストライアの近くにいたアビスフィンクスはいつの間にか姿を消していた。そして今回の作戦の記録においても、 ワイス・ヴィミラニア の名前は、参加者名簿のどこにも記載されていなかった。

☆合計達成値:217(86[加算分]+131[今回分])/120
 →成長カウント1上昇、次回の生活支援クエスト(DE)に48点加算

BF「眠れる人造半神」


 先日、カルタキアの近海に出現した「岩礁の魔境」にて行方不明になった漁師アハブの息子・ヨラムは、従騎士達の活躍によって無事に救出に成功した。その過程で発見した巨大岩礁内の洞穴の奥に、従騎士達は強大な混沌の気配を感じていた。その時点ではこの気配の正体までは確認出来なかったが、魔境内で発見した文献によると、どうやらその奥に眠っているのは、「人造半神(デヴィア)」と呼ばれる危険な存在らしい。
 この魔境の投影元である異世界「シュリーウェバ(エルスフィア)」には、12(もしくは13)の「亜神」と呼ばれる「神に準じる者達」が存在しており、デヴィアとは、魔法の力によって(知性や記憶や感情と引き換えに)その亜神達に匹敵する力を手に入れた人間兵器であるという。
 ただし、前回の調査の時点では、そのデヴィアが眠っていると思しき洞穴の奥地へと続く通路は、海賊が積み上げたと思しきガラクタによって塞がれた状態にあり、本当にそのような存在が眠っているのかも確信はない。そもそも、魔境は放置している間に形状が変化していく可能性もある以上、踏み込む度にその都度細心の注意が必要となる。

「さて、ここまではこの地図の通りだな……」

 ヴェント・アウレオの リカルド は斥候役として、以前のヨラム救出隊が記した報告書の中に描かれていた「岩礁内の洞穴」の地図を片手に、松明をもう片方の手に持ち、前回彼等が足を踏み込んだ「ヨラムが倒れていた空洞」にまで辿り着いていた。その視線の先には、報告書通りにガラクタが積み上げられている。

「あの奥に、デヴィアとやらが眠っているという話だが……」

 首魁であるエイシスからは、その先まで調べるようには命じられていない。しかし、ここまでの道筋においてあまりにも「何も無かった」ため、なんとなく、このまま帰るのは気が引けた。

「……とりあえず、上の方を少しだけ崩して、向こう側の様子を少しでも確認しておくか」

 リカルドは報告書を畳むことで片手を開け、手前のガラクタの山の形を少しずらして足場を確保しつつ、天井部分に手を伸ばし、少しずつ「向こう側」を確認しようとするが、このガラクタの山は何重にも重ねられているようで、なかなか反対側まで視界が届かない。

「これは、かなり厳重な壁だな……、ここまでやるってことは、ヤシャオウサマとやらも、なんだかんだでそのデヴィアとやら恐れてた、ということか……」

 そして、ようやく最上部の一角が開け、反対側を確認出来そうな状態になった瞬間、リカルドは後方から、強烈な「寒気」を感じる。

「な、なんだ!?」

 彼が振り返ると、空洞の壁側の一角に、彼の身長よりも頭一つ以上大きそうな「氷の結晶」が発生しているのを発見する。そして、その氷の中には一人の「美しい少女のような何か」が、祈るような姿勢で氷漬けの状態になっている。

「やべぇ!」

 何が起きているのかはさっぱり分かったが、おそらくは自分が「デヴィアの結界」を開けようとしたことで発生した異変であろうとリカルドは判断し、すぐさま手にしていたガラクタを最上部の一角へと埋め込み直すと、氷の結晶は(内側の少女ごと)姿を消す。

「……とりあえず、ここまでの状況をボスに報告、だな」

 リカルドはそう呟きつつ、ガラクタの山を降り、この場を後にした。

 ******

「氷漬けの少女、ですか……」

 洞穴の外へと戻って来たリカルドから報告を受けたヴェント・アウレオのエイシス(下図)は、リカルドからの報告を受けた上で、カルタキアの書庫から借り出した異世界「エルスフィア」に関する資料を確認する。
+ エイシス

「エルスフィアに存在する12の『亜神』の一つに、『氷王ミュラキ』という、冷たく美しい少女神がいる、と記されています。デヴィアとは、人工的に生み出した『亜神に近い存在』とのことなので、もしかしたら、この地に封印されていたデヴィアは、その氷王ミュラキをモデルとして生み出された亜神なのかもしれませんね」

 つまり、その少女は「氷漬けになっていた」のではなく、「自身を中心として氷を生み出す力を持つデヴィア」なのではないか、というのがエイシスの仮説である。だが、それに対して、前回に引き続いて参戦している鋼球走破隊の フォリア・アズリル は違和感を感じる。

「でも、デヴィアが封印されているのは、『ガラクタの山の向こう側』の筈ですよね? 実際、前回その空洞に入った時も、そちら側から強い混沌の気配を感じましたし……」

 実際に現場を見た彼女だからこそ、あの空間に突如としてデヴィアが出現するという状況が、フォリアには不可解に思えた。なお、前回のヨラム救出作戦から継続参加しているのは彼女だけである。フォリアとしては、アタルヤから依頼されていた案件自体は解決したものの、やりかけた仕事は最後まで完遂したいと考えているらしい。ちなみに、いつもの護手鈎とは別に、彼女の腰には「ヤシャオウサマのカタナ」も装着されていた(彼女の期待していた代物ではなかったが、宿舎に放置しておくよりは、自分が持っていた方が安全と考えたようである)。

「確かに、その点は辻褄が合いません。もしかしたら、封印されているデヴィアとは別の何かが、デヴィアの封印が解けかけたことを触媒として、偶発的に投影されたのかもしれませんね。あくまで一つの可能性としてですが、仮にあの洞穴の奥に『氷王ミュラキを模したデヴィア』が封印されていた場合、それを触媒として『氷王ミュラキ』そのものが投影される、という可能性も十分にあり得るでしょう」

 デヴィア(亜神の模造品)ではなく亜神そのものの投影体、と聞くと、相当危険な存在のようにも聞こえるが、この世界の投影体の「危険度」は、「元の世界における強さ」ではなく、「混沌核の大きさ」に比例する。混沌核の大きさ次第では、「元の世界における本物」よりも「元の世界における模倣品」の方が強大になることもありえる(そもそも、投影体として出現した時点で「本物の模倣品」か「模倣品の模倣品」か、という違いでしかない)以上、投影元がデヴィアであるか亜神であるかは、実はそこまで大きな問題ではない。
 エイシスがそんな仮説を唱える一方で、フォリアの傍らに立っていた、彼女と同じ鋼球走破隊の フォーテリア・リステシオ もまた、様々な可能性について想いを巡らせていた。彼女は既に「ルーラー」として覚醒し、前回の港での人質救出作戦においては他の従騎士達と協力した上で前線での役割を果たしたことで、これまでの自分とは異なる存在へと「成長」していることを実感しつつも、まだ自分の運命を見定められないまま、どこか上の空の状態のまま今回の任務に参加していた。
 そんな彼女は占術用のカードを取り出した上で、その中の一枚を取り出し、そこから引き出された着想を元に「ある一つの可能性」を導き出す。

「フォリア、ちょっと確認したいんだけどね……」

 フォーテリアのその言い回しは、いつもに比べると少し歯切れが悪い。彼女は以前、フォリアとの間で「色々」あったため、微妙に気まずい様子であるが、ここで彼女が投げかけようとしている質問は、フォリアにしか聞けない話であった。

「え? あ、はい。なんでしょう?」
「例の海賊の日記に書かれていた『デヴィア』という単語は、単数形だったかい?」

 つまり、「封印されているデヴィア」が複数体いるのでは、という話である。

「あ……、えーっと……、はっきりとは分かりません。あの日記は、混沌の作用によってこの世界の言語に置き換えられていましたけど、仮に元の世界で書かれた言語が『全ての名詞が単複同形の言語』だった場合、もし著者が複数形のつもりで書いていたとしても、それが投影された時点で単数形に置き換えられてしまう可能性もあるので……」

 以前は自分の出自について頑なに表に出さないようにしていたフォリアだが、前回の任務の途中で「エーラムの魔法学校と少し縁があった」ということを明かしていることもあり、ここはあえて知識を隠さずに、そのまま伝えることにした。

「なるほど。だとすると、『洞穴の奥に眠っているデヴィア』の他に、『それを守護するための別のデヴィア』が配備されていて、『本命』の封印が解かれかけたことをトリガーとして発現した、という可能性も考えられるかな」

 その場合、「氷の少女」以外にも「守護者のデヴィア」が何体か存在している可能性は十分にあり得る。とはいえ、どちらにしても現時点では仮説の域を出ることはない。

(なぁ、オマエ、何か知っているんじゃないか?)

 フォリアは心の中で「ヤシャオウサマのカタナ」に問いかけるが、カタナは何も答えない。ただ、デヴィアという存在そのものに対して、強い恐怖心を抱いていることは伝わってくる。
 一方、第六投石船団の グレイス の中では、リカルドの報告を聞いた時点から、別の意味での危惧が湧き上がっていた。

「その『氷の中の少女』が、この世界の住人であるという可能性は考慮する必要はない、という認識で良いですか?」

 グレイスは全ての女性に対して敬意を示すことを矜持としているため、もし、その少女が「異界の人間兵器の投影体」ではなく、「この世界の人間が氷漬けにされた存在」なのだとすれば、彼の中では「無条件で害して良い存在」ではなくなる。
 これに対して、リカルドはあの時の状況を思い出しながら答える。

「あの氷の結晶は、俺がガラクタの山を壊そうとするまでは影も形もなかったし、元に戻した時点で消滅した。その中にいた人間も含めて投影体、としか考えようがないと思うんだが……」

 とはいえ、リカルドは氷の結晶(および中身の少女)が出現した瞬間も、消滅した瞬間も、目線はガラクタの山の方に向いていたので、その出現と消滅が「偶発的な混沌核の収束/発散」なのか、「元の世界において人為的に組み込まれていた特殊ギミック」なのかは分からない(なお、慌ててガラクタを戻したため、「向こう側」がどうなっているかを確認する余裕もなかった)。
 この点に関して、フォリアが「自分の知る限りの混沌に関する知識」に基づいて付言する。

「結論から言ってしまえば、可能性は無限です。異界の魔法によってこの世界の住人が『異界の氷』の中に取り込まれて、それが混沌の作用によって出たり消えたりするという可能性もゼロとは言えません。しかし、それを言い出せば、たとえば目の前に現れた魔物が現れた時に、それが『実は混沌の力によって、この世界の人間が魔物に変えられた姿』であるという可能性は常に付きまとうことになります。混沌の力を以ってすれば、外見と中身が『ねじれた関係』になることは珍しくないですから」

 逆に言えば、「幼い少女の姿を模して油断させた上で、人を襲う魔物」という事例も、世界各地で報告されている。結局、この混沌にまみれた世界においては、「自分の目に映った光景」ですら、どこまで信用出来るかは怪しいのである。そのことを踏まえた上で、(エイシスと共に今回の浄化作戦に参戦することになった)潮流戦線のジーベン(下図)が口を開く。
+ ジーベン

「どんな外見であろうと、魔境の浄化の障害になるなら、俺が斬る。障害になるかどうかの判断は、俺が下す。自分の手を汚したくないなら、俺に手を貸す必要はない。俺の判断が間違っていたなら、全てが終わった後で俺を糾弾すればいい。生き残ることが出来ればな」

 君主とは「人々を導く立場」である以上、「判断を下す責任」や「汚名を背負う覚悟」が必要となることもある。ジーベンの言葉からその意図を察したグレイスは、一礼しつつ答える。

「分かりました。私も私自身の判断で、必要に応じて加勢させて頂きます」

 ジーベンはその返答に対して黙って頷いた上で、傍らにいた直属の部下である カノープス・クーガー に視線を向ける。

「お前も、今は俺の従属君主だが、戦場ではお前の判断で行動すればいい。俺の指示を待つ必要はない。一人の君主として、お前の判断で、お前の責任を果たせ」
「了解しました」

 カノープスは短くそう答える。彼にしてみれば、今更言われるまでもない話である。ちなみに、彼はこの任務に参戦した理由については何も語っていない。カタナ使いであるが故に(「ヤシャオウサマのカタナ」に代表されるように)極東文化圏に近いこの魔境に興味を持ったのかもしれないとジーベンは考えていたが、あえて確認しようともしなかった。そもそもジーベン自身が、「戦うことが出来るならば、戦う理由などどうでもいい」という信念の持ち主である以上、部下達の心境には特に興味がなかったようである。

 ******

 こうして、二人の指揮官と五人の従騎士達は洞穴の奥へと足を踏み入れ、そしてガラクタの山の前まで無事に辿り着いた。リカルドは「少女を内包した氷の結晶」が出現した場所を皆に指し示し、皆がその周囲を取り囲むような形で警戒体勢を採ると、改めてリカルドが先刻と同じ要領でガラクタの山を崩し始める。
 そして、頂上部分の「要となるガラクタ」に手をかけた瞬間、フォリアの心の中で「ヤシャオウサマのカタナ」が叫びだす。

(やめろ! そこを開くな! その先は……)

 だが、この時既にフォリアの精神は「開戦を覚悟した興奮状態」に入っていたため、「彼女」はその声に耳を傾けようとはしなかった。そして、頂点のガラクタが除去された瞬間、先刻と同じ場所に「少女を内包した氷の結晶」が出現する。それは「新たな混沌核による収束」ではなく、明らかに何らかの別の原理に基づく「実体化」であった。どうやら、この氷の水晶の出現は元の世界において組み込まれていたギミックである可能性が高そうである。
 そして、出現と同時に水晶の周囲に強烈な冷気が広がる。並の人間では、あまりの寒さに身も心も凍りついてしまうほどの極寒領域が広がろうとしていたが、即座にエイシスは《聖地の印》を発動させた上で、水晶の近辺にいる者達全体の身体能力を大幅に強化させつつ、凍傷になりかけた各人の身体を正常な状態へと引き戻し、そしてリカルドに対しては「しばらく、その場に待機して、『両側』の状況確認を」と目で訴える。
 一方、ジーベンはこの状況を目の当たりにして、即断した。

「斬る」

 水晶からの冷気は、少しずつ確実に強まっている。身体の自由が効くうちに「破壊」しなければ、エイシスの聖印の力を以ってしても耐えられなくなる可能性もある。氷の中の少女は、目を閉じ、祈るような姿勢のまま凝固していたが、身にまとっている装束からして、少なくともカルタキア近辺の文化圏の少女ではない。投影体であるならば、仮にこの少女が無垢なる存在だったとしても、最終的には魔境の浄化と共に消滅する可能性が高い以上、ジーベンの中では躊躇する理由は何もなかった。
 だが、ジーベンが氷の結晶に向かって踏み込もうとした瞬間、(氷の水晶が出現した時と同様に)彼の前に「別の何か」が現れる。それは「亀の甲羅のような鎧」に身を包んだ青年の姿で、氷の水晶(の中の少女?)を守るようにジーベンの前に立ちはだかっていた。

「お前も、デヴィアか?」

 ジーベンはそう問いかけるが、亀の青年は何も答えず、ジーベンに対して攻撃する素振りも見せず、ただ黙って防御の構えを取り続ける。

(面倒だな……、攻撃する意志がない者には隙が生まれない……)

 相手の能力が分からない以上、ひとまずジーベンが様子を伺うように慎重に亀の青年に対峙するが、その間に徐々に冷気は強まっていく。
 ここで、カノープスとフォリアが動いた。二人はジーベンが亀の青年を引きつけている間に反対側から氷の結晶へと回り込んだ上で斬りかかり、更にそれに加えて少し後方からはグレイスもまた氷の結晶に対して矢を射掛けようとする。
 だが、カノープスのカタナも、フォリアの護手鈎も、グレイスの矢も、氷の結晶には全く刃が立たなかった。やはり、ただの「氷」ではないらしい。
 その状況を横目で見ていたジーベンは、短く叫ぶ。

「代われ!」

 三人はその言葉で即座に意図を理解する。カノープスとフォリアは即座にジーベンと立ち位置を入れ替えて亀の青年に向かって斬りかかり、そしてグレイスは亀の青年に向けて牽制の矢を放つが、亀の青年は平然と三人の攻撃を受け止める。
 その間に氷の結晶の真横まで移動したジーベンは、《光炎の印》を発動させることで自身の曲刀に炎をまとわせた上で、《疾風剣の印》の構えを取る。

(ここは確実に一撃で仕留める!)

 ジーベンはそう決意した上で、攻撃型君主としての最大奥義と言われる《閃光刃の印》の力をも込めて曲刀を振り下ろすと、氷の結晶も、その内側の少女も、一瞬にして消滅して混沌核の残骸へと変わり、そして周辺一帯を覆っていた冷気も消滅する。やはり、あの中身の少女も(厳密な意味での「正体」はまだ不明だが)投影体だったようである。
 その上で、亀の青年に対し3対1の状況で応戦していた従騎士達に加勢しようとジーベンが向き直ったところで、カノープスが右足をやや不自然に上げながら叫んだ。

「団長!」

 彼のその声に応じてジーベンはカノープスの右足の先を見ると、亀の青年の左足の膝のあたりが比較的大きな「装甲と装甲の継ぎ目」となっていることに気付く。その意図を察したジーベンは、亀の青年が従騎士達の攻撃に専念している隙に、腰をかがめて亀の青年の左膝を曲刀で斬り裂いた。
 亀の青年は何も声を上げず、表情一つ変えないまま、バランスを崩してその場に転倒すると、ジーベンはそのまま無防備な彼に対してとどめを刺し、彼もまたこの世界から消失する。その様子を少し後方から観察していたフォーテリアは、淡々と状況を整理した。

「一切感情を表に出さないまま消えていったという辺り、やはり彼は魔法によって戦闘人形と化した人造半神(デヴィア)、ということなのかな? そしておそらくは、あの氷の少女も」

 それに対して、エイシスは前述の書物に書かれていた情報に基づいて付言する。

「エルスフィアの12の亜神の一つである『海王ファマダ』は、巨大な海亀の姿の男性神だと記されていました。おそらく、彼はそれをモチーフに造られたデヴィアだったのでしょう。氷の少女だけなら『亜神そのもの』という可能性もありえましたが、青年の方は明らかに『亀そのもの』ではなく『亀の力を模した青年』でしかなかったので、二人共『亜神の摸倣者』であると解釈するのが自然かと思われます」

 どうやら、フォーテリアの「嫌な予想」が的中していたようである。こうなると、まだ他にも何体かのデヴィアが眠っている可能性は十分に有りえるだろう。
 ジーベンによる二体分の投影体の浄化・吸収が終わったところで、エイシスはリカルドに問いかける。

「『そちら側』は、どうなっていますか?」
「うーん、なんか祭壇のような何かがあるみたいなんですが……、正直、まだはっきりと見えないです。ただ、何かが動いているような様子はないかと。もう少し壁を崩せば見やすくなりますが……、崩してもいいですか?」

 その問いかけを受けたエイシスは、ジーベンと目を合わせ、そして二人は頷く。

「崩して下さい」

 エイシスのその声に応じて、リカルドはガラクタの除去を始める。そして、松明を持った手を反対側まで伸ばせる程度まで広がったところで、フォーテリアが占術用のカードデッキから一枚引き、そしてフォリアの方を見て「何か」を察する。

(来る……!)

 そう判断したフォーテリアは、咄嗟にフォリアに対して全力で体当りをかけ、フォリアの身体を吹き飛ばす。

「え!?」

 フォリアが困惑する中、フォーテリアの立っている場所(一瞬前までフォリアが立っていた場所)の傍らに、三つの「人型の何か」が出現した。一人は、強烈な闇のオーラをまとった端正な容貌の青年、一人は凛々しく武装した乙女、そしてもう一人は「謎の兵器」を有した知的な雰囲気の女性である。その姿を見た瞬間、エイシスは書物に記されていた「12の亜神」の記録と即座に照合させる。

(おそらく、あの青年は闇王ガウダハを、女戦士は風王フリューヴァンを、そして兵器らしき武装を持った彼女は星王ルーシラを模したデヴィア……)

 彼等は、12の亜神の中でも「夜の神々」と呼ばれる四神のうちの三神であり、いずれも「降魔(神々と敵対する者達)」との戦いで最前線を担ってきた者達である。それらをモデルとしたデヴィアということは、先程の二体よりも強大な戦闘力を有している可能性は十分に有り得る。
 そして、出現と同時に「闇のデヴィア」と思しき青年は周囲に対して強烈な威圧感を放ちつつ、フォーテリアに向かって剣を振り下ろす。

「がはっっっっっっ」

 その一撃でフォーテリアは瀕死の重傷を負うが、即座にエイシスが全力で《治癒の印》を放ってその身を癒やしつつ、従騎士達が闇のデヴィアの重圧に押しつぶされないよう、彼等に対して《怜悧の印》と《快癒の印》をかけ、そして自身は「星のデヴィア」と思しき女性に向かって踏み込む。

(今回は、私も「前」に出なければ、手数が足りない)

 そう判断したエイシスは、自身の右手に《反癒の印》の力を込めて、その掌を星のデヴィアに当てながら聖印の力を解き放つことで、彼女の身体機能に対して内側から変調を与える。メサイアの聖印の持ち主は基本的には「治癒能力特化型」と言われるが、このように、その力を反転させて攻撃に用いることが可能な者もいる。
 一方、ジーベンは直感的に闇のデヴィアを「最も危険な存在」と認識した上で彼に対して斬りかかり、エイシスの力でどうにか身体を動かせる状態まで回復したフォーテリアは一旦その場を離れ、そして他の従騎士達は残る風のデヴィアに対して立ち向かう。

(バカ! やめろ! 勝てる相手じゃない! デヴィアだぞ! 下手したら、オレ様まで一緒に……)
(うるさい!)

 心の中に入り込んでくるヤシャオウサマのカタナの声を一蹴し、フォリアは護手鈎を風のデヴィアに向けて振るおうとする。

「喰らえぇぇぇぇ!」

 今回は、「彼女」の気持ちを落ち着かせるための紅茶は既に在庫切れであった。完全に「戦闘時の人格」となったフォリアは全力の一撃を叩き込もうとするが、風のデヴィアはその一撃をあっさりと剣で受け流し、そのまま返す刀でフォリアを襲おうとするが、反対側からカノープスが斬りかかろうとしているのに気付き、すぐさま剣先をカノープスに向け直す。明らかに人間離れしたその反応速度にカノープスは驚きつつ、即座に身を反らして彼女の剣撃をかわす。

(この女もデヴィアか……。だとすれば、油断は禁物……)

 ひとまずカノープスは、自身が「標的」になって彼女の注意を引きつけている間に、他の仲間の反撃を待つことにした。既に「セイバー」としての生き様を自身の聖印に刻み込んでいたカノープスは、相手の剣先を読みながら身をかわし続ける技術も格段に上昇していたのである。
 その彼の意図を察したかのように、後方からはグレイスもまた、カノープスと対峙する風のデヴィアに対して矢を射掛けていく。実はグレイスにとっては今回が「カルタキアに来てからの初めての対投影体戦」だったのだが、彼もまた既にアーチャーとしての力に覚醒していたこともあり、その矢には確かに聖印の力が込められていた。そして、いかに女性の姿をしているとはいえ、明確に敵意を示している相手に対しては、攻撃を躊躇することはなかった。
 だが、フォリアの護手鈎も、グレイスの矢も、風のデヴィアによって全て間一髪のタイミングで避けられてしまっている。その状況に対して、後方へと下がって戦況を観察していたフォーテリアは、明らかな違和感を感じていた。カノープスやグレイスと同様、「ルーラー」としての生き方を確立させていた彼女は、この状況下においても占術用のカードデッキを取り出す。

(多分、まだここには「何か」が隠されている)

 そう判断した彼女は、その中から一枚のカードを取り出す。そこに描かれていたのは「恋人たち(THE LOVERS)」の姿であった。

(さて……、これは何を暗示している……? デヴィアの中にも男女の別はあるようだが、彼等には感情が無いとされている。彼等が人間だった頃の「愛」の感情が何か関係しているのか? それとも、単に何らかの「一対の存在」をほのめかしている? あるいは……)

 フォーテリアはそこまで推測した上で、カードの上部に書かれている「VI」という数字に着目し、そこから一つのインスピレーションが彼女の中で湧き上がる。

「みんな! 『六人目』がいるかもしれない!」

 ここまで現れたデヴィアは五体。だが、これで全てとは限らない。しかも、先刻の氷のデヴィアのように、直接的な攻撃ではなく、特殊な力で空間そのものの変様させるデヴィアが潜んでいる可能性は十分に考慮すべきである。
 その声を聞いたカノープスは改めて目の前の風のデヴィアの動きを凝視すると、洗練された体捌きとは裏腹に、微妙にその「位置取り」や「動作」に無駄が多いように思えた。ここでカノープスは、一つの仮説に辿り着く。

「こいつの背後だ!」

 カノープスがそう叫ぶと、後方からグレイスが「風のデヴィアの背後の、誰もいないと思しき空間」に対して矢を放つと、その空間に矢が届いた時点で不自然な形で軌道が変わり、脇へとそれる。その動きを間近で見ていたフォリアは、すぐに「その存在」に気付いた。

「そこか!」

 彼女が「その空間」に向かって護手鈎を薙ぎ払うと、確かな手応えと共に、その場に一人「中性的な外見の人物(?)」が姿を現す。
 星のデヴィアと戦っていたエイシスは、その姿を横目で見ながら、例の書物に書かれていた内容を思い出しながら叫んだ。

「それはおそらく、幻王シグニカを模したデヴィアです!」

 エイシスの記憶が確かならば、性別不詳のその亜神こそが、闇王、星王、風王と並び称される「夜の神々」の最後の一人である。その詳細は謎に包まれているが、「幻王」という響きからして、幻影を生み出す力の持ち主であろうことはこの場にいる者達にも想像がついた。おそらく、この「幻のデヴィア」が、周囲の者達の視覚を狂わせ、狙いを外させていたのだろう。
 そして、明確に姿を現したところで、改めてグレイスが幻のデヴィアに対して矢を放つと(身体能力そのものはあまり高くなかったのか)、今度は見事に頭部を直撃して、あっさりとその場に倒れる。そしてフォリアが護手鈎をその首に突きつけた。

「うっとうしいんだよ! 幻とか!」

 激しいその怒声と共にフォリアは幻のデヴィアの首を掻っ切り、それとほぼ同時に、ジーベンの手で闇のデヴィアが、エイシスの手で星のデヴィアが倒される。
 そして残る風のデヴィアもまたカノープスに対して攻めあぐねている間に、気付いた時には周囲を騎士/従騎士達によって囲まれていた。ここまで回避に徹してきたカノープスに対して、ジーベンが言い放つ。

「お前の手柄だ。首を取れ」

 カノープスはそれに対して黙って頷く。周囲を包囲されたことで注意力が散漫になった風のデヴィアに対して彼がカタナを振り払うと、文字通り風のデヴィアの首は宙を舞い、そして混沌の塵となって消えていった。

 ******

 こうして、どうにか合計六体のデヴィアの浄化には成功したが、魔境はまだ残っている。どうやらいずれも「魔境そのものの混沌核」ではなかったらしい。
 ひとまず、これ以上の敵の出現の気配がないことを確認した上で、エイシスはリカルドに対して再び問いかける。

「『向こう側』の様子はどうなっています?」
「やはり、『祭壇のような何か』があります。ただ、今の戦いの間にも、『向こう側』には特に大きな変化はありませんでした」

 その報告を受けて、エイシスは自分自身の目でその「祭壇のような何か」を確認しようと試みる。リカルドに代わって上部の隙間から向こう側を覗き込むと、彼はその「祭壇のような何か」に刻まれている「印章」の存在に気付く。

「あれは……、森王ナウマニアの聖章ですね……」

 それは「12の亜神」の一人であり、この魔境の投影元と思しきシュリーウェバ地方においては実質的に「主神」として崇められている亜神である。植物とその恵みを司る母性的な女神であり、「治癒の神」として、死以外のすべての傷や疾患を治す力があると言われている。

「おそらく、この魔境の中心となっているのは、この先に封印されている『森王を模したデヴィア』でしょう。そしておそらく、その前に残りの五神のデヴィアも立ちはだかると思われます」

 しかも、例の書物によると、残り五神の中でも「陽王サーラート(美青年の姿を持つ、支配を司る神)」「法王ダーマチャキ(老人の姿を持つ、陽王の知恵袋的な神)」「火王イグニクス(少年の姿を持つ、気性の激しい軍神)」「月王クンティラ(眠りや安らぎを司る陽王の配偶者)」の四神は「より高き神」と呼ばれる存在であり、最後の一神である「龍王バトウカ(空を覆うような巨大な龍)」は戦闘力に関しては亜神達の中でも最強と言われている。

「もちろん、全てのデヴィアを倒す必要はありません。おそらく森王を模したデヴィアさえ倒せば、この魔境が消える可能性が高いでしょう。その意味では、早目にこの『壁』を除去して、森のデヴィアだけを集中攻撃する方が得策かもしれません。ただ……」

 エイシスは周囲の者達を見渡した上で、ため息を付きながら続ける。

「……今回はもう、これ以上の作戦継続は無理ですね」

 この時点で既に(戦闘に直接参加していないリカルド以外の)従騎士達は心身共に疲弊しきっており、一人で三体のデヴィアを葬ったジーベンも、表情に出してはいないが、あまり余力は残っていない(なお、彼は闇のデヴィアとの戦いにおいても、最後は切り札の《閃光刃の印》を再び発動していた)。そして何より、通常ならば彼等の体力や精神力を回復させる役割を担う筈のエイシス自身が、闇のデヴィアからの圧力を防ぎつつ、自らも前線に立って戦い続けたことで、聖印の力を使い果たしてしまっていたのである。さすがにこの状況で「更に強大かもしれない敵」の出現を促す危険性の高い行為に踏み切るのは、あまりにも無謀すぎた。

「フォーテリアさん、さっきは、その……、庇ってくれて……」

 「戦闘モード」から「通常モード」に戻ったフォリアは、気まずい様子で同僚のフォーテリアに語りかける。

「気にする必要はないよ。エイシス卿の《治癒の印》のおかげで、この通り、命に別状はない」
「どうして、ぼくの近くにデヴィアが現れるって、分かったんですか?」
「あの時、『武器』を暗示するカードが出てね。君のそのカタナは、この洞穴を勝手に占拠していた張本人の持ち物だったんだろう? だとしたら、もしかしたらそれが敵を引き寄せる要因になるかもしれない、と咄嗟に思いついたんだ。もう少し早くその可能性に気付けていたら、もっとスマートな助け方が出来たんだろうけど」

 実際のところ、本当にそれが原因だったのかどうかは確認の仕様がないし、フォーテリアが引いたカードは別の何かを暗示していたのかもしれないが、結果的に彼女がそのカードからその着想を得たことで、デヴィアの出現を予見出来たのは事実である。
 二人がそんな会話を交わす中、グレイスもまたフォーテリアに声をかけた。

「私が幻王のデヴィアを射抜くことが出来たのも、あなたのおかげです。深慮かつ躍動的な占い師さん」
「いやいや、それはカノン君のおかげだろう」

 そう答えたフォーテリアに対して、横からカノープスが口を挟む。

「俺が気付けたのは、お前の助言があったからだ」

 更に、リカルドもまた割って入ってきた。

「本来は、それも『全体を見渡す立場』にいた俺が気付くべきことだったんだがな。役に立てずに、すまなかった。もし次にまた斥候役を担うことになったら、今度は事前にあんたの予言の力を借りることにしようかな」
「うーん、わたしの占いは、未来予知の類いではないんだけどね。まぁ、また何か役に立てることがあるなら、協力させてもらうことにするよ」

 フォーテリアはそう呟きつつ、自分自身を取り巻く環境が少しずつ以前とは変様つつあることを実感する。ただ、そのことが、彼女が求める「自分が心から惹かれる何か」を、更に言えば「己の運命のきっかけ」を見つけることに繋がるかどうかは、まだ分からない。
 そんな微妙な心境を抱きながら、彼女は他の従騎士達と共に、ひとまずカルタキアへと帰還することになった。

☆今回の合計達成値:66/100
 →このまま次回に継続(ただし、目標値は上昇)

BG「渓谷の決戦」


 カルタキアの南東に出現した魔境「桶狭間」では、異界の邪神イザナミの下僕である大雷を宿した魔将・今川義元率いる死霊兵団が、危険な瘴気を放ちながら、魔境内に発生した「無限回廊」をひたすらに進軍し続けていた。彼等を目撃した従騎士達は、義元がいると思しき旗印の下から強烈な混沌核の気配を感じ取っており、義元もしくは大雷が「魔境全体の混沌核」となっている可能性が高い、というのが調査隊の報告であった。
 ただし、これまでに義元の娘・今川氏真、今川傘下の地方領主の息子・松平元康、そして元康を追って来た死霊兵達が、その無限回廊の脇の山道を登ることで脱出出来たことが確認されている。そして、元康の証言によると、なぜか義元は「山越えによる無限回廊からの脱出」を頑なに拒んでいるらしい。
 この状況に関して、金剛不壊の ルイス・ウィルドール は「魔将だけが脱出出来ない構造になっている」「既に山越え以外の脱出方法を発見しかけている」「何らかの戦略的意図で無限回廊内に留まり続けている」という三つの仮説を想定した上で、いずれにしても彼らが今後もこの地に留まり続ける保証はないと判断し、迅速にこの魔境を討伐すべく、本格的な浄化部隊が結成されることになった。
 今川軍は総勢2万の大軍であり、義元の他にも強力な「魔将」が何人も存在し、そして幾度も同じ道を進軍し続けている過程で、その周囲の領域は「呪海」と呼ばれる瘴気に満ち溢れた空間となっているため、正面から戦って撃破するのは、今のカルタキアに駐留する全軍を以ってしても難しい。奇襲作戦で一気に義元の首を狙いに行く以外に勝機はないだろう。
 そんな調査報告を踏まえた上で、今回の浄化部隊の隊長は、機動力に優れた金剛不壊のラマン艦長(下図)が務めることになった。日頃は船乗りとして船上での戦いを本業としているが、その聖印の本質はキャヴァリアーであり、騎馬兵を率いた電撃作戦もまた彼の領分である。
+ ラマン

「ルイスがここまでお膳立てしてくれたんだ。この作戦は絶対に失敗する訳にはいかない」

 ラマンは直属の従騎士達にそう告げつつ、軍議の場となるカルタキアの駐屯所へと臨む。ちなみに、ラマンがカルタキアで魔境浄化作戦に参加するのは今回が初ということもあり、金剛不壊から多くの者達が参戦することになったが、その中には上述のルイスの他に、先日、自身の「キャヴァリアー」としての生き方を定めたばかりの メル・アントレ の姿もあった。

「今回は、キャヴァリアーとしての訓練を積むために、僕も騎兵部隊に参加します」

 これまでは、あまり直接戦闘には関わらない任務を中心に参加していたメルだが、これまでの諸々を経て、君主としての意識が少しずつ変わりつつあるらしい。

「正直、お前がキャヴァリアーというのは、ちょっと意外だったがな。まぁ、目指すべき道が定まったのは良いことだ」

 ラマンはそう告げつつ、後方を歩いていたルイスに視線を移す。

「お前は、やはりルーラーか?」
「そうですね……、やはり私は、後方から知略でみんなを助けるのが、一番みんなの役に立てる方法だと思いますが……、今はまず、この魔境の攻略に集中したいと思います」

 ルイスはそう答えつつ、今回の任務においては、必要に応じて自ら剣を取って戦うことも視野に入れていた。最終的にルーラーを目指すにしても、戦場における様々な持ち場の役割について、身を以て経験しておくことは、きっと彼の将来にとっても役に立つことになるだろう。

 ******

 一方、もう一人の指揮官として参戦することになった鋼球走破隊のタウロス(下図)は、既に駐屯所に到着していた。大軍を相手とした短期決戦ということであれば、まさにマローダーとしての彼の腕の見せ所である。
+ タウロス
 彼の傍らには、彼と同じマローダーとしての力に本格的に(「第二段階」と呼べる程にまでに)覚醒した、タウロス傘下の ファニル・リンドヴルム の姿もある。

「しばらく見ない間に、俺と同じ土俵に立てるようになったようだな」

 タウロスはニヤリと笑いながらファニルにそう告げる。タウロスやラマンが今回のカルタキア遠征に(実質無償で)参加した理由は、自分に従属する従騎士達の聖印を覚醒させることで彼等を「君主」として成長させるためであり、指揮官達の間では水面下で「誰の部下が一番最初に本格的な覚醒を果たすか」ということを競い合う空気もあった。だからこそ、ファニルが「一番乗り」を果たしたことで、タウロスは(彼女の覚醒のために自分が何かした訳でもないという自覚はありながらも)密かに勝ち誇っていたようである。

「まだ『同じ土俵』とまでは言えませんがね。やっと背中が見えてきましたよ」

 不敵な笑みを浮かべつつファニルがそう答えたところで、二人の元へと走り込んでくる「同胞の足音」が彼等の耳に届く。そうして二人の前に現れたのは、タウロスやファニルと同様に、頭上の異形の「角」を生やした、左目に傷を持つ、二人に比べれば小柄な体格の少女だった。

「兄さま! ファニルさま! お待たせしました!」

 彼女の名は ヘルヘイム 。二人と同じ鋼球走破隊の一員である。タウロス同様、異界人との混血児であり、幼い頃から傭兵として生き、各地を転々としていたところを彼に拾われて入隊した。タウロスのことを兄のように慕っており、先輩であるファニル達にも深い親愛と敬意の念を抱いている。

「来たか、ヘル。期待してるぜ!」
「俺達と一緒に、思う存分、暴れような!」
「はい! カルタキアでの初実戦、楽しみです!」

 ヘルヘイムもまた、タウロスやファニルに劣らぬ戦闘狂であり、初任務に向けて緊張しつつも、ようやく戦場で剣を振れる嬉しさに、気分は高揚していた。タウロス達に自分の腕を評価してもらうため、一人でも多くの敵を倒そうという強い意気込みが彼女の中で湧き上がる。

(この戦いで、ヘルの力を見せつけるの……!!)

 そんな血気盛んな三人を中心として、駐屯所全体に闘志が満ちていく中、やがてラマン率いる金剛不壊の面々や、前回から引き続き参加している レオナルド を初めとする地元の従騎士達が集まり、軍議が開始される。
 今回の奇襲作戦に関して、そのレオナルドから全体に作戦案が提示された。と言っても、その内容は至ってシンプルである。

「前回、イーヴォさんに発見頂いた地点から奇襲を仕掛け、魔将までの道を一気に切り開き、ラマン殿かタウロス殿に討伐・浄化して頂く。それでいかがでしょうか?」

 つまりは、特に陽動兵や伏兵を用いず、戦力を集中させた一点突破作戦ということである。実際のところ、敵軍の戦力や魔境の構造の全容が分かっている訳でもない以上、中途半端な奇策を弄して戦力分散するよりは、全軍で一丸となって行動した方が、想定外の事態においても臨機応変に対応は出来る。ただでさせ本来の指揮系統がバラバラで、魔法杖通信も使えないが故に相互連絡も困難というカルタキアの環境に慣れたレオナルドだからこその、王道の奇襲戦法とも言えるだろう。

「それなら、俺が道を切り拓いて、ラマンの旦那が突っ込むのが妥当だろうな」
「貴公がそれで良いなら、こちらも異論はない。最速で大将首を取ることを約束しよう」

 タウロスとラマンがあっさりとそう合意すると、具体的な部隊編成の協議に入る。まず、前回は偵察役を務めていたイーヴォが今回は不在であることを踏まえた上で、レオナルドは同僚の エルダ・イルブレス に、最前線での敵情視察を依頼することにした。エルダは全身鎧を着込んでいるため、本来ならば斥候役などに向くタイプの従騎士ではないが、霊感が優れているため、想定外の混沌の収束などが起きた時に気付ける可能性が高い。

「今回の作戦は、既に決行場所も確定している上に、敵の行動パターンもある程度見えているので、隠密能力よりも索敵能力を重視した上で、エルダさんが適任だと判断したのですが、いかがでしょう?」
「分かりました。今の私では、主戦力として戦う上での実力不足は否めませんので、今回は最前線での索敵および状況観察に従事しつつ、状況に応じて必要とあらば戦線にも加わる、という形でお願いします」

 エルダの自己評価が低いのは、前回の岩礁の魔境での苦い経験が尾を引いているからである。出来れば一人で殲滅したいと考えていた田亀達を自分で倒し切ることが出来なかったことで、自分の力不足を痛感した彼女は、出来れば今回の魔境浄化作戦を通じて、「一人で大勢を相手にする能力」に長けたマローダーとしてのタウロスから、戦い方を学び取りたいと考えていた。その意味でも、最前線での索敵役は彼女としても渡りに船である。
 その上で、最初に特攻して道を切り開く「殲滅部隊」は、タウロス、ファニル、ヘルヘイムなどの鋼球走破隊の面々を中心に編成し、魔将・義元の旗印までの道が確保出来たところで、一気に後方からラマンを中心とする騎兵隊が「突撃部隊」として駆け込むことになった。
 なお、メルもこの騎兵隊の一員として、タウロス達が倒し損なった死霊兵の残党を掃討しつつ、ラマンによる突撃を支援するという方針で同意する。この突撃で決着出来れば問題はないが、義元が逃亡する可能性も十分に考えられるため、その場合はラマンの追走能力に期待しつつ、状況によっては大幅な戦略転換も必要になることも視野に入れて、必要に応じてメルがそのための伝令役を務めることになった。
 そして、ここでレオナルドが意外な方針を提示する。

「私も切り込み役の一人として、前線で戦います」

 これまでレオナルドは極力自ら戦うことは避けてきた。そのため、ルイス同様、彼も基本的にはルーラー型の君主だと思われていただけに、この発言に対してラマンは驚いた顔を見せる。

「お前は参謀役ではなかったのか?」
「事前に作戦を立てるところまでが私の仕事。本番での作戦指揮はラマン殿やタウロス殿にお任せした上で、私は一人の従騎士として、他の方々と同じように、剣で勝利に貢献したいと考えています」
「なるほど。では、今回はその剣技に期待させてもらうことにしよう」

 ラマンがそう答えたところで、レオナルドは編成会議を再開する。前回の調査段階から参加していた、レオナルドの同僚の ローゼル・バルテン と第六投石船団の リズ・ウェントス を中心とする弓兵部隊は、後方に相当する丘陵地帯の上方から弓を射掛けることになった。

「あの立地と角度なら、かなり広い範囲まで射程に入りそうね。さすがに本陣まで届くかは分からないけど」
「今度はちゃんと頑張るで。みんなから色々助言もろうたし。ウチかてやる時はやるんやから。基本的には支援射撃のつもりやから、前線のみんなは前に集中してや」

 ローゼルとリズがそう答えたところで、ローゼルの執事を自称する ハル が手を挙げる。

「そうなると、騎兵隊の突撃以降は弓兵隊の周囲の護衛が手薄になりますよね? ならば僕は弓兵隊が敵の伏兵に接敵された時に備えてローゼル様に同行させて頂こうかと思うのですが……」

 しかし、彼のその提案に対してローゼルは首を振る。

「貴方には、他にやるべきことがあるのではないのかしら?」
「……え?」
「もしそれが何なのかわからないのなら、貴方に私の執事となる資格はないわ」

 突き放すようにローゼルはそう言った。その視線の先には、参考人として(?)この軍議に参加している義元の娘・氏真(下図)の姿がある。ハルはそんな彼女の視線に気付くことで、「扶桑の京」で出会った「メタローン殿」から、氏真のことを任されていることを思い出した。
+ 今川氏真

(出典:『戦国異聞録KAMUI』p.138)
 ローゼルとしては、ハルにはメタローンとの約束を果たしてほしかった。それに加えて、先日潮流戦線のハウラから「ローゼルが求めているのは『執事』ではなく『姫を助ける王子様』だ」と言われたことが、ローゼル自身の中で(多少なりとも心当たりがあるだけに)ずっと燻っていたのである。「他人の存在に依存する様な人物ではありたくない(周りにそう思われたくない)」という焦りから、今回はハルには頼りたくないという想いが強い。
 そんなローゼルの素っ気ない態度に対し、ハルは少し落ち込みながらも、まっすぐに前を見て答える。

「分かりました。僕は僕の務めを、メタローン殿との約束を果たします」

 彼がそう言って氏真に視線を向けると、氏真もその意図を察した上で、ハルに問いかける。

「私は、皆さんの作戦が成功すれば、どちらにしてもこの世界から消える存在なのですよね?」
「その可能性が高い、と思われます」
「ならば、もう今更、私を護衛する必要はないのではありませんか? 私は『大雷に憑依された父』を私ごとこの世界から消し去るために、私から伝えられる話は一通り皆さんにお伝えしました。その作戦が成功するまでの間、私を守り続けることに意味があるとは思えません。それよりも、あなたはあなたの大切な人を……」
「僕の大切な人は、『僕が約束を違えること』を望んでいませんから」

 ハルのその言葉に対して、氏真はしばしの沈黙の後、静かに深く頭を下げる。

「ありがとうございます。では、私もそのお心に答えるために、最後まで『私に出来る役割』を果たそうと思います」

 氏真はハルにそう告げた上で、全体に対して語りかける。

「これは私の思い込みかもしれません。しかし、大雷に憑依された今の父の中にも、まだ『本来の父の心』が完全には消えていないように思えるのです。既に人の道を外れてしまった父ですが、私と話す時だけは、まだ『人の心』が微かに残っているように見えるのです。ですから……」

 ここで氏真は、レオナルドに向かって訴える。

「私を、父の視界の範囲内まで同行させて頂けませんか? 私の姿を見れば、ほんの少しかもしれませんが、父の心が動く可能性もあります。そうなれば付け入る隙も生まれるかもしれません」
「なるほど……。あなたがそれで良いのであれば、私にはそれを止める権限はありませんが……、ハルくんは、それでよろしいですか?」
「もちろんです! どこにいようと、必ずお守りします」

 ハルは力強くそう答え、ラマンとタウロスも容認する。戦略的に考えれば、氏真は色々な意味で「切り札」となりうる存在のため、前線にまで連れ出すのは一定のリスクもあるのだが、ここはあえて彼女の直感を信じることにしたようである。
 そして、ここでルイスが初めて声を上げる。

「では、今回は僕も氏真さんの護衛役を務めたいと思います」

 もともと、ルイスは氏真や元康の護衛に回る心積もりだった。ただ、その役回りはおそらく最後方だろうと考えていたので、彼女自身が前線に出るというのは想定外だったのだが、どちらにしても彼女達に護衛が必要なことは間違いない。危険性という面に関しても、弓兵部隊だけが残った最後方と、白兵部隊との距離の近い前線とを比べた場合、(いつどこに想定外の敵が現れるかも分からない魔境においては)どちらが危険とも言い切れない。
 その上で、ルイスは素朴な疑問を投げかける。

「ところで、元康さんは今、どちらに?」

 実際のところ、それはこの場にいる者達の大半が思っていたことである。カルタキアに保護されて以来、氏真と元康はほぼ常に一緒にいた筈なのだが、この軍議の場には元康の姿だけが見えない。それに対して氏真は少し顔色を曇らせつつ答えた。

「実はここ数日、毎晩悪夢にうなされて、まともに眠れていないようなので、大事を取って休んでもらっています。一応、今は『銀髪の博識な従騎士の方』に、よく眠れるという『お香』を炊いてもらっているのですが……」

 彼女がそこまで言ったところで、リズが口を開く。

「あぁ、それやったんやな。さっき、ハウメアが病室の方に向かってたんは」

 リズは先刻、廊下で「薬草を手にしたハウメア」とすれ違っていたことを思い出す。本来この軍議にはハウメアも参加する予定だとリズは聞いていたので、彼女が来ていないことに違和感を感じていたが、ようやく納得した表情を浮かべた。その上で、リズは氏真に語りかける。

「ウチはアンタが前線に出ることに異論を挟む気はないけど、一応、元康はんにも確認は取った方がええんちゃう? あの人にとっても、アンタは『大切な人』やないん?」

 元康の「第一発見者」であるリズの目には、そのように映っていた。

「それは分かりませんが……、そうかもしれませんね……」

 微妙な表情を浮かべながら氏真はそう答えつつ、ひとまずこの軍議が一段落した後で、リズ、ハル、ルイスらと共に、元康の病室へと向かうことにした。

 ******

 ヴァーミリオン騎士団の ハウメア・キュビワノ は、病室にて横たわっている松平元康(下図)に対して、気分を落ち着かせるためのセラピー効果のある薬草による香を炊いていた。これは、先日の診療所建設に連動してハウラと共に薬草園を作る際に、育成植物の候補の一つとして仕入れていた代物である。
+ 松平元康

(出典:『戦国異聞録KAMUI』p.113)
 今回の任務に関しては、もともとハウメアは自身の聖印の力を発動させる訓練のために魔境浄化の任務に参加しようと考え、(所属は違うが)仲の良いリズに協力するつもりで桶狭間への参戦を決めたのだが、その魔境で発見された重要参考人が体調不良という話を聞き、たまたま手元に残っていたセラピー用の薬草を試しに処方してみることにしたのである。
 ハウメアはあくまでも植物の育成(農業)の専門家であり、医術に関しては専門的なことはあまり分からないのだが、現状の元康の様子を見ると、まだ苦しそうに何かにうなされているように見えるので、この薬草の香りは今ひとつ効いていないように思える。

「うーん、やっぱり、こうなるとハウラちゃんとかを呼んで来た方がいいのかなー」

 彼女はそう呟きつつ、改めて元康の様子を凝視するが、ここで彼女の視界に、元康の姿に重なるように「別の生き物」(下図)の姿がぼんやりと浮かび上がる。
+ 別の生き物

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.240)

「…………たぬき?」

 小首をかしげながらハウメアがそう口にしたところで、彼女の紅色の瞳に映った、実体かも幻影かもよく分からない「狸のような何か」は、彼女に視線を向け、彼女の心の中に語りかける。

《おぬし、儂の姿が見えるのか?》
(んー、まー、そーだねー、見えるといえば見えるけどー……)

 ハウメアには、この「狸のような何か」が何者なのかは分からない。ただ、どう見ても投影体の類いであるということは分かる。そして、おそらくは元康よりも遥かに強力な混沌核を内包しているであろうことを、直感的に感じ取っていた。

(もしかして……、この人が苦しんでる原因は……)

 ハウメアが思わず心の中でそう呟いたところで、目の前の狸型の投影体(仮称)は彼女に対して訴えかける。

《違うぞ! 別に苦しめようと思っている訳ではない! 此奴が儂を受け入れぬからいかんのじゃ! 謎の力が儂を拒絶して、それが結果的にこやつの身体に負荷をかけておるだけで……》

 必死でそう弁明する狸に対して、ハウメアは不審な視線を向けつつ、心の中に入り込んでくるその声に対して、端的に問いかける。

(きみは、なにもの?)
《儂の名は隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)。元は四国の八百八狸の総帥じゃったが、紆余曲折を経て、征夷大将軍・徳川家斉の憑神となった身。じゃが、気付いた時には謎の力によって、江戸の街は河童共によって乗っ取られてしまった》
(かっぱ?)
《家斉は封印され、依代を失った儂は無力となってしまった。徳川の治世がどうなろうが知ったことではないが、やられたままでは気が済まぬ。そこで、徳川家の祖となる東照大権現の力を顕現させ、江戸の街と儂の大奥を取り戻そうと願ったのじゃ》
(とーしょーだいごんげん?)
《その結果、儂は「この世界」に辿り着いた。そして、「この小僧」と出会った。儂の直感が間違いなければ、こやつは間違いなく東照大権現の若き日の姿。此奴の身体に取り憑けば、儂の力を万全の形で引き出せる、そう考えたのじゃが……、なぜか儂と同化することを阻んでおる。どうやら、此奴の身体にかけられた何らかの「対魔結界」の力が儂を拒絶しているようじゃ》

 この狸が言っている内容の大半は、ハウメアには理解出来ない。ただ、おそらくこの狸は「人間に取り憑くことで力を発揮する投影体」であろうということは、話の流れから推測出来る。その上で、悪霊と呼ぶべき類いの存在なのかどうかは、まだ判別がつかなかった。
 そんなハウメアに対して、今度は狸の方から問いかける。

(で、おぬしは何者じゃ? 異人か? それとも、我等とはまた異なる類いの(アヤカシ)か?)

 先刻の様子からして、「心の中に入り込んでくる相手」にはごまかしは効かないと判断したハウメアは、素直に答えられる範囲で答える。

(はじめましてー。あーしはハウメアってゆーんだ。これから、この人をたすけてー、今川義元っていうひと? とたたかいにいくんだけどー、それって、きみがいってたはなしと、かんけいあるのかなー?)
《今川義元……!? そうか、東照大権現がこの年頃ということは、今は永禄の時代、ということじゃな。しかし、儂の記憶にある永禄の時代とは何もかもが明らかに異なる。色々と歴史がねじ曲がった世界のようじゃな》
(そーかもねー。もともとねじまがってたのか、かおすのちからでねじまがったのかは、分からないけどー)

 ひとまずハウメアは、相手に理解出来るかどうかは度外視して、彼女が知る限りの「現状」をそのまま説明する。互いに相手の言っている内容の大半は理解出来ていなかったが、ひとまず狸の方はハウメアを物色するような瞳で見つめながら、ニヤリと笑う。

《結局、おぬしが何者なのかはよく分からぬが……、少なくとも、儂の声が聞こえるおぬしなら、此奴よりは使えそうじゃな……》

 狸のそんな呟きがハウメアの心のなかに響いた直後、彼女の身体と心に覆いかぶさるように「何か」が憑依しようとする。

(おおおーーーー!?)

 それが「狸」であることはすぐにハウメアには分かった。それに対して彼女の聖印は拒絶反応を起こそうとするが、ここでハウメアの脳裏に、同僚のアルスから聞いた「秘密結社の魔境」の話を思い出す(ハウメアの中では、そちらに参戦するという選択肢も考慮されていた)。

(いっそ、うけいれるのもアリ、かなー?)

 ハウメアの実感としては、この狸の力は、拒絶しようと思えば聖印の力で拒絶出来る。しかし、アルス達がそうしたように、あえて聖印の力を弱めれば、一時的にこの狸の力を取り込むことも可能なように思えた。おそらく、拒絶しようと思えばいつでも追い出すことは出来るであろうし、このまま元康の身体に負荷をかける状況を続けさせるよりは、自分の体内に取り込んだ方がマシなのではないか、という想定の上で、彼女は一時的に聖印の力を弱めることにした。
 すると、彼女の魂の内側に狸が入り込むような形で融合し、そして彼女の目の前に、完全に具現化した形での「二足歩行の狸」が現れる。

《うむ。おなごの憑神となるのは初めてじゃが、これはこれでまた一興じゃの》
(つきがみ、っていうんだー。じゅうぞくたいみたいなもの、なのかなー?)

 狸とハウメアは、相変わらず「ハウメアの魂の内側」で会話を続けている。現状、ハウメアの目の前にいる「二足歩行の狸」は、彼の具現化体ではあるものの、彼の「本体」はあくまでもハウメアの魂の内側にいる。そして、この「具現化体」はハウメアと狸の双方の合意の元で「出し入れ」することが可能らしいので、その意味では確かに「召喚魔法師が呼び出す従属体」に近い存在とも言える。
 一方で、二人がそんな会話を交わしている間に、元康はいつの間にか先刻までの苦しそうな表情から一変して、心地よさそうな様相で眠りに就いている。やはり、中途半端な狸の憑依状態が、彼の心身の不調の原因だったようである。
 そして、そこへ氏真、リズ、ハル、ルイスといった面々が現れた。

「失礼します。元康殿の御様態は……、え!? 狸!?」
「あー、えーっとねー、ちょっといろいろあってー」

 ***

 その後、ハウメアは現状を皆に説明した上で、自分の「内側」で狸が話している内容を皆に伝える。その話の内容に関しては、氏真も元康も今ひとつよく分かっていないようだったが、それでもいくつかの「ハウメアが知らない単語」に関しては、彼等は理解出来ていた。
 まず、氏真が言うには、「河童」とは彼女達の世界における怪物の一種らしい。そして、どうやらこの狸は氏真達よりも数百年後の未来の世界から投影された存在らしいが、ところどころ「狸の知っている歴史」と「氏真の語る現実」が食い違っている箇所もあるという。微妙に皆が困惑する中で、ハルは比較的あっさりとその状況を理解した。

「おそらく、メタローンさんの世界と同じように、この狸も『氏真さん達の世界とよく似た別の異世界』からの投影体なのでしょう」

 ひとまずハルはそう結論付ける。とはいえ、「この狸の世界」と「メタローン達の世界」と同じ世界なのかは不明である。更に言えば、どうやらこの狸の投影元の世界は「現世」と「異界」と呼ばれる二つの世界の複合構造になっていたらしいのだが、アトラタン世界から見ればどちらも異世界には変わりないため、その辺りについてはあまり深く考えないことにした。
 その上で狸は、従騎士達が「江戸を支配する河童達の打倒」に協力すると約束するならば、「今川義元の打倒」に手を貸すと申し出る。どうやら、彼が言うところの「江戸」という街がこのカルタキアの近辺(おそらくは「桶狭間」よりも更に奥地)に出現しているらしい。
 そこまでの話を聞いた上で、ルイスは個人的な見解を語る。

「最終的には艦長達の許可を得る必要はあるでしょうけど、どちらにしても、その『江戸』の魔境に対しても何らかの手を打つ必要がある以上、この狸さんと協力関係を結ぶというのも、一考の価値はありそうですね」

 そもそも、この狸が「人間に憑依する投影体」である以上、憑依元に危害を与えずに浄化することが可能かどうかも分からない。その点も含めて、リズは心配そうな様子でハウメアに問いかける。

「ハウメアは、今のままで大丈夫なん? そのまま身体を乗っ取られたりとかせえへん?」
「のっとられてはいないよー、すくなくとも、いまは、まだ」

 とはいえ、それはこの狸が(ハウメア達を利用するために)友好的な姿勢を示しているからであって、狸と敵対関係になった場合、ハウメアがどうなるかは分からない。その意味でも、慎重に対応すべき状況ではあった。

 ***

 それからしばらくして、元康が目を覚ます。彼は「狸にうなされる夢」をずっと見続けていたようで、その状況から救ってくれたハウメアに感謝しつつ、彼女に狸を押し付ける形になってしまったことを深く陳謝する。その上で、彼は氏真の参戦意志を尊重した上で、自分もまた彼女と共に桶狭間の現場へと参戦することを宣言した。

「今川軍の中には、数は少ないですが、私のように、魔将の力を恐れて『人間』として従軍している者達もいます。三河勢に関しては、私が訴えかければ、こちらに手を貸してくれるかもしれません。私が皆様と共に現れれば、おそらく彼等は皆様のことを『狩魔(カルマ)の一員』と誤認することで、結果的に勇気付けられることになるでしょうし」

 「狩魔」とは、彼等の世界において「魔物・魔将を狩る者達」によって結成された組織であり、多くの人々にとっての「希望の星」であるらしい(もっとも、多くの人々はその実態をよく知られていない)。
 ちなみに、元康はかつて「狩魔の巫女」を名乗る人物から受け取った「雷(イザナミの下僕)の憑依を防ぐための護符」を常に身につけている。おそらくはそれが狸の憑依を阻んでいたのであろう(狩魔の巫女の話によると、元康の身体には「雷が憑依しやすい因子」が内包されているらしい)。
 つまり、元康がその護符を外せば、狸を彼の身体へと移し替えることも可能なのだが、それはそれで「義元との決戦の最中に、大雷が元康の身体へとその憑依先を変える(もしくは「別の雷」が投影されて彼の身体を乗っ取る)」という厄介な事態を招きかねない。そして狸の側も、少なくとも今の元康は「憑依先としては頼りない」と断じたため、このままハウメアの身体に居残り続けることにした。
 その後、ハウメア達はラマンとタウロスに狸の話を伝えたところ、ひとまずは彼等も狸と協力することに同意する。その上で、今回の桶狭間の戦いにおいて、ハウメアは狸の力を利用した上での「遊撃兵」として参戦することになった。

 ******

 翌日。「桶狭間の魔境」へと辿り着いた浄化部隊の面々は、前回発見した「突撃時に最適な立地」に陣を構える。この時点ではまだ今川軍は彼等の視界には入っていなかった。
 眼下に広がる渓谷街道を確認してみると、前回訪れた時に比べて、地形そのものは大きく変わっていないものの、街道の両脇に広がる「呪海」がより深く禍々しい領域へと変貌していることに、前回からの継続参加の面々は気付く。
 そして、ハウメアはひとまず自身の中の狸を具現化させた上で、周囲の状況を確認させると、狸はその渓谷から広がる「空間の歪み」を感じ取った瞬間、そこに内包される「妖気」の正体に気付いた。

《これは「狐」の仕業じゃな》

 狸曰く、彼等の世界における狸や狐には、人々を「化かす」能力があり(その点については、氏真や元康の世界も同様らしい)、この渓谷からは、狸にとっての宿敵である「狐」による強大な呪術の気配が広がっているらしい。

《これほどの妖術を用いることが出来る狐となると、数は限られる。おそらく、京に巣食う九尾の狐あたりが、上洛を目指す彼等の進軍を防ぐために、無限回廊の中に閉じ込めたのじゃろう》

 「九尾の狐」と呼ばれる魔物に関しても、氏真達の世界において伝承として伝わっているが、実態までは分からない。その意味で、仮にこの狸の仮説が正しかったとしても、彼等をこの地に封じ込めている狐の正体は「氏真達の世界の狐」なのか、既に消滅した「メタローン達の世界の狐」なのか、「この狸の世界の狐」なのかは分からない。
 その上で、狸が更に詳しくこの無限回廊の構造について解析したところ、この呪いは特定の誰か(おそらくは義元)を中心に発動し、その周囲の者達を一つの空間に閉じ込める仕組みになっているが、現在、この街道全体に「それを無効化するための別の呪い」の力が広がりつつあり、やがてこの力が蓄積されると、この無限回廊も破壊される可能性が高いらしい。おそらくは、それを狙って「無限回廊内の周回」を続けているのではないか、というのが狸の推論である。
 ハウメア経由でその話を聞いたラマンは、納得したような表情を浮かべる。

「もし、そうだとするなら、ルイスの立てた三つの仮説は全て正しかったというか、それらの複合体が真相、ということになる訳か」

 ラマンはそう呟きつつ、チラッと狸に視線を向ける。

「それにしても、強大な力を持つ魔将ですらも封じ込めてしまうとは、げに恐ろしきはその狐の魔力。とはいえ、今はその狐の呪いに感謝すべきか。その狐がいなければ、奴等はカルタキアに進軍し、大混乱を巻き起こしていた可能性もある。そこまで強力な魔力の持ち主は我が陣営はおらぬが故に」

 その言葉に対し、狸はハウメアの中で不機嫌そうな感情を露わにする。

《聞き捨てならんな……。四国の狸を統べる者として、我が力が狐ごときに劣るものではないということを見せつけてやらねば……》

 どうやら、ラマンの目論見通り、彼の挑発は狸の心に深く刺さったようである。

 ******

「……強大な魔力を持つ者達が、近付きつつあります!」

 霊感を研ぎ澄ませて待機していたエルダが皆にそう告げると、緊張感が全体に広がる。ひとまず彼女が氏真と狸を伴う形で「渓谷街道を見ろせる場所(敵からも発見されうる場所)」で身を潜めながら待機した上で渓谷の街道を見下ろしていると、やがて彼女の推測通り、彼女達の視界の先に今川軍が現れる。
 だが、その先鋒を任されていた魔将・井伊直盛は、エルダの存在に気付く前に、目の前に現れた「別の敵」にその視線を奪われていた。

「現れたな! 尾張のうつけ者め!」

 直盛の視界の先には「木瓜」の紋が描かれた旗を掲げた軍勢の姿があった。彼が率いる第一陣は、そのまま前方の敵に向かって突撃をかけるが、その「木瓜の旗」を掲げた部隊と今川軍の距離は、一向に縮まる気配がない。
 その状況に直盛が混乱している中、今度は街道の周辺の様々な方角からも、同様に木瓜の紋の旗が次々と現れる。

《どうじゃ、見破れまい。人を化かす力に関しては、妖狐なんぞに負けはせぬぞ》

 エルダの傍らで潜んでいた狸が、妖術を駆使しながら、ハウメアの心の中で勝ち誇ったような声を上げる。この「木瓜の旗の軍勢」は狸によって生み出された幻術であった(なお、「木瓜の紋の旗」は、元康から聞いた「桶狭間近辺を収めている地方領主」の家紋を模している)。
 そうして今川軍が混乱する中、やがてその中核において厳重に守られていた「駕籠」の中から、一人の男性(下図)が姿を現す。
+ 駕籠から出てきた男性

(出典:『戦国異聞録KAMUI』p.138)

「お父様……」

 隠密中の氏真が声を殺しながらそう呟く中、その男は掌中に謎の霊剣を出現させ、周囲に出現した「木瓜の紋の旗」に向けて何度も振り払うと、そこから次々と空間を斬り裂くような衝撃波が発生し、各方面に向けて連続して放たれていく。

《この力……、布都御魂(フツノミタマ)か!?》
(それって、なにー?)
武甕槌神(タケミカヅチノカミ)が用いておった霊剣じゃ。イザナミの下僕が、なぜそれを使いこなせる!? そんな輩が相手とは、聞いておらぬぞ……》 

 先刻までの態度から一変して、狸は途端に弱気な様子を見せ始める。とはいえ、幻覚を相手に何をされたところで、今のところは実害がある訳ではない。

「さて、化けの皮が剥がれる前に、そろそろ行こうか!」

 エルダのすぐ後ろで待機していたタウロスがそう言って立ち上がると、彼を制するようにファニルが彼の前に立ちはだかる。

「今日の一番槍は、この俺に!」

 ファニルとしては、新たに習得した「大技」を、この戦場で試してみたいらしい。そのためには、周囲の味方を巻き込まないために、先陣を切って駆け込む必要があった。

「いいぜ! やっちまいな!」

 タウロスがそう言って背中を叩くと、ファニルは全力で山道を駆け下り、死霊兵達に向かって単騎で特攻をかける。

「おーおー、蛆虫みたいにわんさか居やがるぜ」

 既に混乱した様子の死霊兵団に対してファニルはそう言い放ちながら、誰も味方のない今川軍の中に割って入るように踏み込んだ。

「死霊だが何だか知らねぇが!死んでまで人様に迷惑掛けてんじゃねぇよ!!!」

 彼女はそう叫びつつ、大剣を振るいながら、先日習得したばかりの「マローダーとしての真の力」を発動させる。

「ブッ飛ばせ《暴風の印》!死人なら死人らしく、土に還ってあの世に行きやがれぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」

 彼女のその怒号と共に暴風の如き衝撃が周囲の死霊兵達を一網打尽にする、と思われた。しかし、その発動の瞬間、彼女の足元が突然崩れる。

「なに!?」

 体勢を崩しながら彼女の放った《暴風の印》は虚空に消え去る。唖然とするファニルの後方で、タウロスがモーニングスターを振り上げた。

「ファニル! 一発は耐えろよ!」

 タウロスはそう叫びながら、ファニルをも巻き込む形で《暴風の印》を前方の敵全体に向かって放つ。目の前にいる味方がファニルでなければ、タウロスはこのような危険な大技は繰り出さなかっただろう。だが、今のファニルならば、「雑兵を倒す程度の力の一撃」なら耐えられると信じた上での攻撃だった(敵に囲まれた状態のファニルを放置するよりは、この一撃でファニルの周囲の敵を一掃した方が、彼女が生き残る可能性が高い、という判断でもある)。
 しかし、彼が振るったモーニングスターによる衝撃波を目の当たりにしたファニルは、明らかにその動きに「いつものキレ」がないことを実感する。結果、ファニルはその攻撃をあっさりとかわし、そして死霊兵達の約半数からも避けられる形になった。

「隊長! 手加減してんじゃねーよ!」
「いや、そんなつもりはなかったんだが……」

 タウロスも困惑した様子を見せる中、後方で様子を見ていた狸だけは、その「異変」の正体に気付いていた。ファニルとタウロスがそれぞれに《暴風の印》を発動しようとする直前、本陣にいた義元が奇妙な「舞」のような動作を見せ、そこから発せられた謎の瘴気が、ファニルとタウロスの動作を狂わせていたのである。

《あれは天鈿女命(アメノウズメノミコト)の舞……! 冗談ではない! 神々の力をまとう者などを相手に戦ってられるか! 儂は逃げ……》
(だめだよー)

 勝手に戦場を離れようとする狸を、ハウメアが聖印の力で強引にその場に留まらせる。そして、死霊兵達が戦線を立て直して再びファニルを包囲しようとした瞬間、レオナルドとヘルヘイムが駆け込んで来る。

「大丈夫ですか!」
「ヘルにお任せを!」

 ファニルの右側でレオナルドが長剣を、左側にヘルヘイムが短剣を構える形で参戦する。ファニルとしては、ここでもう一度、汚名返上の《暴風の印》を放ちたかったところだが、さすがにこの戦局になると、味方を巻き込むような荒業は放てない。

(仕方ねぇ……、今回は地道にやるぜ!)

 苦虫を噛みしめるような表情を浮かべながら、ファニルもまた大剣で死霊兵達の大軍を少しずつこじ開けていく。最初の出足を挫かれたことで明らかに本調子ではなかったが、それでも積み上げられた戦士としての経験を活かして、死霊兵達を着実に粉砕していった。
 そんなファニルの傍らで、ヘルヘイムは彼女とは対象的に活き活きとした様子で、短剣を手に舞い踊るような軽やかな動きで周囲の死霊兵達を翻弄しつつ、敵の攻撃を華麗に掻い潜りながら、次々と彼等の屍肉を切り刻んでいく。

「フフ……、ヘルの糧になってくださいね?」

 死神のような視線を振りまきつつ、不気味な薄ら笑いを浮かべながら、彼女はカルタキアでの初陣を全力で楽しんでいた。
 一方、久しぶりの実戦となるレオナルドは、ブランクによる戦闘勘の欠落を埋め合わせようと、必死の形相で長剣を振るう。自分の中で一度失われかけた「自分の意思」を再び見出しかけた彼は、今の自分の持てる力のすべてを、この戦いに注ぎ込もうとしていた。

(今の自分に出来ることは何なのか……、それをこの戦いで見極めなければ……)

 そんな三人の奮戦に続いて、他の従騎士達も次々と敵陣に向けて突撃する中、タウロスもまた前線に加わった。

(どうやら、《破裁光の印》みたいな妨害能力の持ち主がいるらしいな……。そんなら、その妨害ごと、強引に力で捻じ伏せる!)

 タウロスはそう決意を固めた上で、持てる全ての力を以って、マローダーとしての最終奥義《万軍撃破の印》を放つ。味方を巻き込まずに広範囲の敵だけを瞬時に殲滅するこの秘技を放とうとする彼に対して、義元は再び天鈿女命の舞によって足元を狂わせようとするが、今回のタウロスはそれでも強引にモーニングスターを振り切り、周囲の敵の大半を殲滅する。

(ちっ、やっぱり全員は倒しきれなかったか……)

 だが、その動きを前線で見ていたエルダは、明らかに本調子ではない状態ながらも一瞬で大多数の敵を葬ったその一撃に感銘を受ける。

(あの力が、私にもあれば、もっと多くの人々を……)

 彼女がそんな想いを抱いている中、後方からは弓兵隊による援護射撃がファニル達の周辺に放たれていく。

(私は、私の仕事を果たして見せる! あの人がいなくたって……)

 ローゼルがそんな思いを込めながら矢を放つが、かえってその気合が空回りしているのか、今ひとつ調子が上がらない。
 一方、その傍らではリズが、最も安定した足場と狙いやすい角度に陣取り、基本に忠実な姿勢から、主に死霊兵達の足元を狙うことで、敵の足止めという一点に目的を絞って、淡々と着実に矢を放っていく。これらは全て、彼女がこれまで他の従騎士達から学んできた助言に基づいた、地味ながらも着実な戦法であった。

(あとは「弓は心で引く」やったな……)

 そんな助言も思い出しながら、リズは着実に「援護射撃」としての役割を果たし続ける。前回の調査の時は、道に迷って助けられただけで(結果的にそれが元康との遭遇に繋がったのだが)、自分は何も貢献出来なかったという悔いが残っていたからこそ、あれから訓練を重ね、「仲間を護る」という強い意識で今回の作戦に参加している。
 彼女達の援護も相まって、どうにか敵陣の一角が崩れて、義元率いる本陣までの道が開けそうになったところで、後方からラマン率いる騎馬隊が突撃する。

「俺は一気に本陣まで突撃する! 取りこぼしの処理は、任せたぞ!」
「分かりました!」

 メル達がそう答えたのを背に、ラマンは馬上槍を構え、愛馬ペルーサを駆り、《王騎の印》
《王騎疾駆の印》《王騎奮迅の印》などを一気に駆使して、義元の近辺の死霊兵達を一気に弾き飛ばしながら大将首を取りに行く……、筈であった。
 しかし、側近の精鋭兵達がラマンの騎馬突撃を喰らいそうになる直前、彼等の目の前に突如地面から岩石が発生し、死霊兵達の攻撃は全て岩石によって弾かれてしまう。

「なんだと!?」

 ラマンは驚きつつも、そのまま強引に中央突破を敢行し、義元本陣にまで辿り着く。

《今度は大国主命(オオクニヌシノミコト)の加護か……、どう考えても儂の知っている今川義元ではないぞ…》

 後方で狸がそう呟く中、ラマンは義元に対して斬りかかろうとするが、義元は明らかに人智を超えた動体視力でそれを避け、更に返す刀でラマンに襲いかかる(それは素戔嗚命(スサノオノミコト)の力を具現化したものだったが、そのことに気付いたのは、後方で怯えている狸だけである)。ラマンはそれを間一髪のところで避けつつ、冷や汗を流しながら呟く。

「さすがに、そう簡単に大将首は取らせてはもらえないか」

 そして、周囲の死霊兵達も彼にラマンに向かって襲いかかるが、彼は動じることなく淡々とかわし続ける。騎乗状態の歴戦のキャヴァリアーを相手に一太刀浴びせることは至難の技であり、雑兵ごときにそれが叶う筈もない。
 むしろ、より困惑していたのは、「取りこぼしの処理」を任せれていたメル達である。取りこぼしどころか、全く無傷の大量の死霊兵達が騎兵隊達の前に立ちはだかっていた。

「話が違うよ、艦長〜」

 メルはそう嘆きながらも、どうにか後続部隊のために、義元への道を再び切り開こうと奮戦する。以前の彼(彼女?)であれば腰が引けていたかもしれない状況だが、既にキャヴァリアーとして生きていく覚悟を決めた彼女(彼?)は、馬上で長剣を振るいながら、死霊兵達を一人ずつ着実に葬っていく。
 こうして乱戦状態が続く中、ルイスとハルに守られる形で前線へと到着した元康の声が戦場全体に響き渡る。

「聞け! 勇敢なる三河武士達よ! この方々は狩魔の精鋭だ! もはや魔将に屈する必要はない! 人としての誇りを取り戻し、共に魔将を討とうぞ!」

 元康がそう叫ぶと同時に、彼の背後に「三つ葉葵の紋」が光の紋章となって現れる。これは、ハウメア達の聖印を目の当たりにした狸が、それを真似て松平家の家紋を幻覚として出現させた代物である。投影元の世界において元康の子孫に憑依していた狸にとって、この家紋は(少なくとも「木瓜の紋」よりは)見慣れた紋様であり、その複製も容易なものであった。
 更に、彼に続いてその傍らにいた氏真もまた、今川軍の本陣に向かって声を張り上げる。

「お父様! 」

 その声が届いた義元の耳に届いた瞬間、明らかに彼の表情に動揺が現れる。

「可愛い娘が、アンタを救おうと来てくれたんだぜ。その身に宿った悪霊の声と、大切な愛娘の声と、アンタが耳を傾けるべきは、果たしてどっちだ?」
「……黙れ!」

 義元の表情を再び闇が覆い、闇雲に刀を振るい始める。しかし、宿主の動揺のせいか、明らかに剣技に精度がない。
 一方、二人の登場によって今川軍内の人間兵達の間に動揺が広がる中、先陣から(ようやく標的が幻影であることに気付いて)舞い戻った今川軍の魔将・井伊直盛が大声で叫ぶ。

「姫様がこのようなところにおられる筈がない! 偽物だ! 不埒者を討ち取れ!」

 だが、それに対して、今川軍の後方から別の声が轟き響く。

「姫様は私がこの地までお連れした! まごうことなき本物だ! 皆、姫様をお守りしろ!」

 その声の主は朝比奈泰朝。今川軍における数少ない「人間の家臣」である。彼のその号令に応じて、朝比奈軍の足軽達と、そして松平家の縁のある三河武士達が、二人を護ろうと井伊軍に対して立ちはだかる。より一層混迷を極め始める中、ハルは氏真に問いかける。

「あの人が言っていることは、本当ですか?」
「はい。私は泰朝に匿ってもらう形で、この地までやって来れました。彼は味方です」

 氏真がそう答えると、ハルは戦場全体を見渡して、どのルートを通れば氏真を朝比奈軍の元へと連れて行くことが出来るか、安全性を重視しながら識別しようとする。
 一方、混線が続く前線において冷静に状況把握に務めていたエルダが、明らかに不気味な混沌の気配をまとった「獣のような影」が氏真達のいる方へ近付きつつあるのを察知する。

「魔獣です! 気をつけて」

 その声に対して、ルイスは長剣を構えて警戒する。

(どこだ……? 氏真さんを狙っているなら、多分、こっちの角度から……)

 ルイスがそう予想した方面から、突如として真っ黒な体毛を持つ「狼」のような怪物が現れる。その口には一本の神々しい剣をくわえていた。

「氏真さん、下がってください!」

 彼はそう叫びながら、氏真を護るように狼に立ちはだかる。それに対して狼は口にくわえた剣でルイスに斬りかかり、その強烈な剣圧によってルイスは弾き飛ばされそうになるが、どうにか踏み留まる。しかし、この一撃を受けた時点で、ルイスはこの狼がくわえている剣に込められた魔力の強さを実感する。正直なところ、「次の一手」を防げるかどうか、自信はなかった。
 だが、その前に後方から、リズとローゼルの放った矢が狼へと向かって放たれ、それを避けようと狼が一歩下がったところで、元康とハルもまた、それぞれに脇差と突剣を手に割って入った。

「氏真さんに手出しはさせない!」
「約束は違えません、絶対に!」

 更に(狼にとっての)後方からエルダまでもが加勢しようとしたことで、狼はひとまずその場から退散する。そして、すぐさまハルは朝比奈軍を指差しながら、氏真と元康に伝える。

「ひとまず、『彼等』と合流しましょう。私についてきて下さい!」

 ハルは先刻見抜いた「安全ルート」を通って二人を誘導する。一方、後方にいたリズは走る彼等の周囲に敵がいないか確認しつつ、隣りにいたローゼルに声をかける。

「ありがとな。さっきローゼルがすぐに気付いてくれへんかったら、間に合わんかったかも」
「……たまたまよ」

 ローゼルはボソッと呟くようにそう返す。そんな彼女の視線の先ではハルが一瞬だけ自分に向けて振り返り、軽く一礼していた。

 ******

 こうして激戦が続く中、義元とラマンの大将戦は、徐々に消耗戦の様相を呈してきた。義元は明らかに(「義元自身」の)動揺によって動きに精彩を欠くようになり、無軌道に(時には周囲の味方も巻き込んで)暴れ続けた結果、徐々にその魔力にも陰りが見え始めていたが、ラマンもまた周囲の死霊兵達の攻撃を避けながら戦い続けたことで、自身の聖印の力を使い果たしつつあった。
 そんな中、遂に彼等を取り囲んでいた死霊兵達の一角が崩れる。そこに現れたのは、メルの姿であった。

「やっと……、辿り着いた……」

 想定外の大量の敵を相手にしながらも、自分でも驚く程の奮戦の末に大将までの道を切り拓いたメルは、その乗騎も含めて、既にこの時点で疲労困憊の様子であった。
 そんな彼女(彼?)の後方から、レオナルドとファニルが姿を現す。レオナルドも既に足元がおぼつかなくなる程に疲労が蓄積した状態ではあったが、それでも彼は迷わず、ラマンを相手に応戦中の義元に対して、横から斬り掛かっていく。

「みくびるな! 雑兵が!」

 義元はそう言って太刀をレオナルドの脇腹に突き刺す。だが、レオナルドは自身の身体に刺さったその太刀をあえて握りしめた。

「なに!?」
「ファニルさん!」

 レオナルドのその声に応じて、得物を奪われる形になった義元に対して、ファニルが大剣を振り下ろす。これれに対して義元は思兼神(オモイカネ)の力を発動させて、ファニルの前に巨大な「岩戸」を出現させて、その大剣を受け止めるが、ここでファニルは後方に向かって叫んだ。

「跳べ! ヘル!」
「はい!」

 大柄なファニルの背後に密かに隠れていたヘルヘイムが、ファニルの尾に弾かれながら「岩戸」よりも高く跳び上がり、義元の背後へと着地すると同時に背中からその心臓を短剣で突き刺す。

「ば……、ばかな……」

 完全に不意を付かれた義元はその場に倒れ、そして「何か」が彼の身体から湧き出てくる。それが「大雷」そのものであろうと判断したラマンは、残された聖印の力を全てを注ぎ込んだ馬上槍を突き刺し、その混沌核ごと消滅させる。
 すると、彼等を取り囲んでいた死霊兵達も、その周囲に広がっていた不気味な呪海も、少しずつその姿を消滅させていくことになった。

 *****

「今、お父様の気配が……」

 氏真がそう呟いた瞬間、彼女は自分の身体が徐々に「実体」を失いつつあることを実感する。

「……どうやら、この悪夢も終わるようですね」

 彼女がしみじみとそう言ったところで、ハルが声をかける。

「この世界で起きたことを『元の世界のあなた』が覚えているかどうかは分かりません。ただ、あなたの声は確かにあなたのお父君に伝わっていました。ですから、もし覚えていてくれるなら、元の世界でも、どうか『希望』を捨てないで下さい」
「はい……、ありがとうございます。春殿も、『あの方』と、どうかお幸せに……」

 一方、元康もまた自分がこの世界から消滅しつつあることを実感しつつ、ルイスに対して笑顔で語りかける。

「あなたには、どこか『自分に近い何か』を感じていました」
「そう、ですかね……?」
「いつかまた会えたら、今度は、将棋をしましょう。あなたとであれば、きっと楽しい一局が……」

 そう言いかけたところで、彼は氏真と共に、桶狭間の魔境ごと消え去っていった。

(メタローンさんには、別れの言葉すら言えなかった。でも、実際に消えてしまう姿を目の当たりにするというのも、これはこれで……)

 ハルがなんとも形容しがたい感情を抱いている一方で、ルイスは元康が言っていた「将棋」なるものに興味を抱きつつ、先刻の戦いのことを思い出していた。

(エルダさんが気付いてくれたおかげではあったけど、思ったよりも戦えた気はする。気の持ちよう、なのかなぁ。練習の時よりも、軽やかに剣が振れた気がする。苦手意識を捨てれば、剣の道でも、ある程度はどうにかなるのかも……)

 とはいえ、元康も暗に示していた通り、自分の天分が軍略家寄りであることはルイスも自覚がある。そろそろ「決断すべき時」が近付いていることはルイスも分かっていた。

 ******

《まったく、なんだったのじゃ、この世界は。魔狼ごときが草薙剣をくわえているなど、どう考えてもありえん話じゃ》

 桶狭間の魔境が消え去った後も、予想通り、狸はハウメアの中に残っていた。やはり彼の言うところの「江戸」は、こことはまた別の場所に出現した魔境のようである。

《ともあれ、ここまで手伝ったのだから、約束通り、江戸まで付き合ってもらうぞ》

 途中で逃げようとしたことは棚に上げた上で狸がそう訴えるのに対し、ハウメアは少し考えた上で問いかける。

(それってー、あーしじゃなくちゃだめなのかなー? 他のひとに取り憑くのはできない?)
《なんじゃ? そんなに儂と一緒にいるのが嫌なのか?》
(そういうわけじゃないけどー、もしかしたら、他の仕事に呼ばれるかもしれないしー)
《まぁ、他の輩の憑神となることも可能かもしれん。じゃが、できれば、儂はおぬしがいいな。なんとなく、おぬしの中は心地良い》
(ふーん……)

 どう反応すれば良いものか分からぬまま、ひとまずハウメアは他の従騎士達と合流した上で、この狸に憑依された状態のまま(解除方法もよく分からないまま)カルタキアへと帰還することになった。
 なお、義元の剣をまともに受けたレオナルドは重傷を負いながらも、どうにか一命を取り留めたようである。義元相手に奮戦を続けたラマンと、大軍を相手に全力でマローダーの力を行使し続けたタウロスも疲労困憊ではあったが、無事に従騎士達と共に帰還を果たすことになった。
 そして、数日後には、狸の言っていた通り、桶狭間の東方に「江戸の魔境」が発見されたという報告が、カルタキアに届けられることになるのであった。

☆合計達成値:108(3[加算分]+105[今回分])/100
 →成長カウント1上昇、次回の生活支援クエスト(DE)に4点加算

CD「食糧危機」

 カルタキアの街の周囲には麦畑を中心とした様々な農耕地が広がっている。もともと混沌の出現率が高いこともあって、畑を荒らす怪物への対策として、様々な罠や警備隊などが常時配備されているのだが、最近になって「新種の投影体」による襲撃が相次ぐようになった。
 それは、巨大なイナゴのような形状の「機械兵器」である。それらは(先日出現した未来都市の魔境からの侵略者程の性能ではないが)神出鬼没に真夜中に現れ、ただひたすらの畑の作物を食い荒らし続けるという、純粋に「厄介な存在」であった。
 カルタキアに残された古文書によると、どうやらそれらは「祖龍時代の地球」と呼ばれる異世界から投影された「イナゴドローン」という名の無人航空機であり、軍事国家「秦帝国」の技術者によって造られた兵器らしい。ただ、以前の出現があまりにも昔すぎて、その「秦帝国」なる者達が何者で、どのような魔境として出現し、そして何を目的にしていたのかも分からない。とはいえ、イナゴドローンには操縦者が必要らしいので、おそらくカルタキア近辺のどこかに「犯人」が潜んでいるのだろう、というのが領主のソフィア(下図)の見解であった。
+ ソフィア
 その上で、彼女の館の一角にて、この問題を解決するために従騎士達が集まって対策会議が開催されることになった。

「強制的に敵国の土地を貧しくして飢饉を起こさせる作戦だなんて、災害を意図的に作り出すようなもので、ひどく残酷だ……」

 第六投石船団の イーヴォ が率直にそう語った。そんな彼に対して、金剛不壊の ペドロ・メサ は、率直に問いかける。

「自分達の食料確保のために奪うのではなく、純粋に飢餓を引き起こすだけのための作戦というのは、何が目的なんだろう?」

 敵の作戦を妨害するためには、まず敵の目的を知ることが肝要と考えるのは当然の話である。この疑問に対して、イーヴォは故郷での戦いの日々を思い出しながら答えた。

「敵兵から食料を奪うって作戦は、確かに有効だ。結局、飯が無ければ人は数日で動けなくなっちまうからな……。その地域の復興も難しくなるという付加効果もつく」
「つまり、カルタキアの人々を絶滅させること自体が目的で、戦略的にこの地を占領・支配しようとしている訳ではない、ということか……」

 実際、特定の街を死滅させること自体に戦略的に意味がある状況というのは、いくらでも存在する。港町のカルタキアが滅びることで他の港町が利益を得ることもあるだろうし、自軍の力を周囲に見せつけるだけのための虐殺というのも、戦略的にはあり得る話である。あるいは、純粋な怨恨から一つの街や国を滅ぼそうとする者達もいるだろう。
 そんな様々な可能性が考慮される中で、星屑十字軍の ユリム が横から口を挟む。

「そもそも混沌の産物である投影体が、俺達と同じような行動原理で行動するとは限らない。人間は私欲や私怨を理由に人間を虐殺するが、混沌は欲望や怨恨とは無関係に、何の理由もなく人間を虐殺する。それが混沌だ」

 身も蓋もない見解であるが、確かにそれが真理であるということは、この場にいる者達は誰もが理解出来る。イーヴォも複雑な表情を浮かべながら頷いた。

「あぁ、そうだな……。こういういかにも人間がやりそうな作戦も、実際の敵の正体は“人間なんかじゃなくてただの投影体”ってことも多々ありえるんだな」

 実際のところ、イナゴドローンは明らかに異界人(もしくはそれに類する何か)の手によって造られた兵器ではあるが、現時点でそれらを操っている者が人間的な思考に基づいて行動いているとは限らない。未来都市の魔境で出現した機械獣達のように、既に人間の滅びた世界からの投影体かもしれないし、よしんば異界人がが操っていたとしても、(先日の武装線強奪犯のリーダーのように)投影によって人格そのものが大きく変容している可能性もある。
 そのことを踏まえた上で、ヴェント・アウレオの ヴァルタ・デルトラプス が発言する。

「だとすると、次に狙われそうな畑を特定するには、地道に被害者の目撃情報から推測していくしか無さそうですね」

 そもそも敵の正体も分からない以上、目的から行動原理を探るのは難しい。だとすれば、現時点で確認出来る証拠・証言から類推していくしかないだろう。そんな彼に続いて、隣に座っていた双子の姉の ラオリス・デルトラプス もまた口を開く。

「じゃあ、私はそのイナゴドローンの操縦者を探すことにしようかな。目に見える距離から動かしていたんなら、襲われた畑の近くに何か痕跡があるかもしれないし」

 こうして、ひとまず今はヴァルタとラオリスを中心として情報収集を進め、イーヴォ、ペドロ、ユリムはイナゴドローンの迎撃に備えて(これまでの襲撃は常に夜だったので)夜まで一旦仮眠を取ることにした。なお、この会議の最中、ソフィアはあえて発言せず、議事進行も含めて、従騎士達の自主性に任せていた。

 ******

 その後、会議場から従騎士達が退散した頃合いになって、鋼球走破隊の ヨルゴ・グラッセ が姿を現す。

「あ、もう会議、終わっちゃいました? すみません、色々あって来るのが遅れてしまって……。とりあえず、議事録だけでも見せてもらえると嬉しいんですけど……」

 そんな彼に対して、領主の館で働く役人達が白い目を向ける中、ソフィアは会議の概要を彼に伝える。

「なるほど、そういうことなら、自分も調査に回りますね。今までの出現場所は……、ほうほう、こんなカンジですか。じゃあ、次はこの辺が怪しそうですね」

 何を根拠にヨルゴがそう言っているのか分からないが、地図を見た時点で彼の中では直感的に目星がついたようで、彼は一人、その「怪しそうな畑」へと向かって行った。

 ******

「私は別にいいけどさ、家族のみんながお腹すいちゃうのはいけないよね」

 ラオリスはそう呟きつつ、まずは最初に被害にあった畑の近辺の様子を探っていた。彼女は(過去に色々あって)空腹に耐えることにはそれなりに慣れていたが、空腹の辛さが分かっているからこそ、今回の事件には人一倍真剣に取り組んでいた。
 なお、いつもは一緒に行動することが多いヴァルタとは別の方向への調査に向かうことにした背景には、「最近の悩みがちなヴァルタからは、あえて自分は距離を取り、他の人々と一緒に行動させた方が(彼の将来のためにも)いいのではないか」という姉としての配慮もあるらしい。
 その上で、今は敵の明確な目的が分からない以上、その行動原理を予想するのは難しいが、少しでもその正体を探るための情報を手に入れることが出来れば、迎撃する際の手掛かりにもなるだろうと考え、地道に現場検証を続けていた彼女は、やがて一つの「奇妙な痕跡」を発見する。

「なんだろ、これ? 車輪の跡……?」

 襲撃された畑のはずれのあたりに、明らかに普通の馬車や荷車の車輪とは異なる太さの何かが通ったような跡を発見する。

「空飛ぶ兵器を作れるような世界からの投影体なら、ぶっとい車輪の兵器とか、あってもおかしくないのかも……?」

 彼女はそんな憶測の上で、ひとまずその車輪の跡を追ってみる。それが往路の方向だったのか復路の方向だったのかは分からないが、しばらく追跡を続けた結果、その車輪の後は途中で途絶えており、そこには何かを掘り返したような形跡だけが残っていた。

「これって、つまり『地中の中から出て来た』ってこと? それとも『地中の中に潜った』?」

 どちらにしても、明らかに不可解な形跡ではある。今回の事件と関係しているかどうかも分からないが、ひとまずこの情報はヴァルタにも伝えるべきだろうと判断した彼女は、一旦この場を後にして、領主の館へと報告に向かった。

 ******

「あの、すみません。ココ最近出現しているというイナゴ型投影体について、なにか知ってることなどがあれば教えていただけますでしょうか?」

 ヴァルタはイナゴドローンの被害に遭った畑の関係者や、農耕地帯の警備を担当している人々などを中心に聞き込み作業をおこなっていた。ヴァルタも姉同様、数日程度なら空腹に耐えられる自信はあったが、誰もが耐えられる訳でもない以上、皆のためにも食糧危機は解決しなければならないと考えていた。

(それに、姉さんが美味しいものを食べられなくなるのも嫌だしね……)

 内心でそんなことを考えながら、ソフィアから預かった街の地図を片手に、手際良く話を聞いて回っている。本来のヴァルタはこのような「他者との対話」を前提とした任務は得意ではなかったが、このカルタキアに来て以来、姉以外の人々とも会話する機会が増えてきたこともあり、見ず知らずの人々とも臆することなく対話出来るようになっていた。
 その上で、集まった情報を総合してみると、核心的な情報にまでは辿り着けなかったものの、明らかに共通する傾向は見えてきた。
 まず、いずれも出現したのは夜であり、襲来の瞬間を目撃した者はいないため、どこから来たのかは分からない。そして、カルタキアには(投影体の偶発的出現を危惧して)夜の畑を巡回する見張り役役もいるのだが、毎回「見張り役が巡回していない場所とタイミング」を見計らって出現しているらしい。そして、発見された場合でもどこかに逃げることなく、そのまま破壊されるまでひたすら作物を貪り続けている。そして投影体であるが故に、破壊されると混沌核となって消えてしまうため、手掛かりも残らない。
 そして、ここまでの話を脳内で並べた時点で、ヴァルタの中では一つの仮説が思い浮かんだ。

「誰かが『見張りがいないタイミング』を見計らって襲撃させている……?」

 毎回「見張りのいない場所」にばかり出現するということは、そう考えるのが自然である。その上で、どこから飛んで来ているのかも分からないという状況から察するに、召喚魔法のような形で、何もない空間から出現させているという可能性もありうる。カルタキアでは魔法は使えないと言われているが、異界から投影された者達が「異界の魔法」を使うことは可能だということを、以前の魔境討伐で「異界の魔法使い」と出会った経験のあるヴァルタは知っていた。

「だとしたら、これは姉さんの方の調査と照らし合わせて考えるべきなのかも……」

 ヴァルタはそんな考えを抱きつつ、ひとまず予定していた聞き込み調査を終えた後で、領主の館へと向かうことにした。

 ******

「うーん、よくよく考えたら、一人で調べに行くのは危険かもしれないな。本当にイナゴドローンが出たら危ないし……」

 目星を付けた場所へと向かおうとしていたヨルゴは、ふとそんな不安に駆られた。会議の場に遅刻してしまったので、今回の任務に誰が参加しているのかも把握出来ていない以上、誰に協力を頼めば良いのかも分からない。

「とりあえず、誰か『強そうな人』でも探して、一緒に来てもらおうかな……」

 そんなことを考えながら、「次にイナゴドローンが出そうな場所」へと近付きつつあるところで、彼の視界に一人の「強そうな人」が現れる。それは、身体にピッタリとフィットしそうな素材の黄色い服で全身を包んだ、ヨルゴと同世代くらいと思しき少女であった。顔つきや髪の色からして極東系のような風貌で、どことなく「常人とは異なるオーラ」をまとっている。

(従騎士の人? いや、むしろ邪紋使いっぽい気がするな……)

 ヨルゴが所属する鋼球走破隊は、傭兵団「暁の牙」の中では珍しい「君主に率いられた部隊」であるが、他の部隊の構成員達の大半は邪紋使いであるため、ヨルゴにとって邪紋使いは比較的馴染み深い存在である。ちなみに、カルタキアでは邪紋使いは珍しいが、魔法師とは違って、邪紋の力が無効化されるような結界が貼られている訳ではないため、腕試しのために来訪する者も稀にいるらしい。

(あの服は投影装備っぽい気もするし、この暑いカルタキアで手足まですっぽり隠しているのも、邪紋が見られないようにしているため、なのかも……)

 そんなことを考えながらヨルゴが黄色服の少女を凝視していると、その視線に気付いた彼女は、ヨルゴを睨みつける。

「なんだァ、てめェ? アタシに何か用でもあんのか? あァ!?」

 明らかに喧嘩腰でそう凄んできたその少女に対し、ヨルゴは気の抜けた物腰で、この先にある畑を指差しながら答える。

「いや〜。本当に申し訳ないんですが〜。あの畑のあたりで、大事なペンダント落としちゃったんですよ〜。もしよかったら、一緒に探してもらっても良いですか〜?」

 なぜヨルゴがそんな方便を使ったのかは不明であるが(危険な任務だと思われると拒否されるかもしれないと思った?)、それに対して少女は露骨に不機嫌な顔を浮かべる。

「はァ!? 何言ってんだ、てめェ? なんでアタシがそんな……」

 そこまで言いかけたところで、少女はヨルゴの指先にある畑に視線を向けつつ、何かに気付いたような顔を浮かべる。

「……いや、まァ、協力してやってもいいか」
「本当ですか! ありがとうございます〜」
「ただし、その代わり、後で一つ、質問に答えてもらう。それでいいか?」
「えぇ、自分に分かることなら」

 どうせペンダントなど見つかる筈もない以上、これはヨルゴにとって、何の損もない取引条件であった。

 ***

「なぁ、本当にこの辺りなのか?」
「う〜ん、多分、そうだと思うんですけどね〜」

 黄色服の少女が畑の近辺を真面目に探している一方で、ヨルゴはペンダントを探すフリをしながら、のんびりとイナゴドローンが出現するのを待っていたが、なかなかその気配が現れない。

(ま〜、出ないなら出ないで、その方が楽でいいんだけどね〜)

 ヨルゴはフラフラと適当に徘徊しつつ、ひとまず畑の脇にあった古井戸の跡に腰掛けようとしたところで、唐突に黄色服の少女が声を荒げる!

「待て! その辺りは私がさっき探した! 古井戸の近くには無かったぞ!」
「え? あ、そうですか……」
「いいか、古井戸には近付くんじゃないぞ。もし万が一、足を滑らせて落ちたら、大変なことになるからな!」
「はぁ……、まぁ、そうですね……」

 なぜそこまで大仰に心配するのか、ヨルゴとしては不可解であったが、彼としては別に休めればどこでもよかったので、素直にその場から離れる。そして次の瞬間、ヨルゴは黄色服の少女の近くで「混沌の収束」が発生しようとしているのを感じ取り、表情を歪める。

「うげぇ。なんとなくでそうだと思ったけど、本当に出なくても良いじゃん〜」

 彼はそう呟くが、少女の方は自分の周囲で何らかの投影体が出現しようとしていることに気付いていない様子である。

「危ないですよ〜、何か投影されてきますよ〜」
「は?」

 少女はヨルゴの言っている言葉の意味が理解出来ていない様子である。そして次の瞬間、彼女の傍らに、大型の狼のような生き物が出現した。ヨルゴには見覚えのない獣であったが、彼女は大声で叫ぶ。

「狂牙狼!?」

 そして次の瞬間、その獣は少女の腕に齧り付く。困惑して不意を突かれた彼女の黄色服の左腕の部分が喰い破れ、その下からは「入れ墨のような何か」が描かれた腕が現れる。

(やっぱりあの人、邪紋使いだったのか。いや、でも、それにしては迂闊すぎでは?)

 ヨルゴはそんな疑問を抱きつつ、ひとまず放置しておく訳にもいかないので、長剣を構えて助太刀に向かおうとする。

(イナゴドローンじゃないってことは、別件の混沌災害っぽい?)

 実際、カルタキアではこの程度の小規模な混沌災害は頻繁に発生する。収束する時の混沌核の大きさから推測するに、それほど強大な投影体でも無さそうである。

(とはいえ、戦うのは面倒だな〜)

 そう思いつつ、少女を庇う形でヨルゴが割って入ると、少女は一歩下がった上で、何か呪術を施すような動作をおこない、そして「地面」に掌を当てて叫ぶ。

「来い! ドリル五行バイク!」

 彼女のその声と同時に、周囲の大地が揺れ始める。

「え?」

 突然の地震にヨルゴが困惑する中、彼女の足元に「謎の物体」が現れる。それは、先端部分に円錐螺旋状の突起物が設置され、大型の二つの車輪を持ち、黒と黄色に塗装された鋼鉄の乗騎であった。

(投影乗騎!? じゃあ、やっぱり、この人は邪紋使いなのか)

 邪紋使い達の中には、異界の投影装備を操ることが出来る者達もいる。実際、暁の牙の中でも、このような形状の「鋼鉄の二輪車」を駆使する邪紋使いの姿を見たことがある。
 そして、彼女はその投影乗騎に騎乗すると、そのまま「狼のような獣」に文字通りに「突撃」した。その衝撃で跳ね飛ばされた獣は、着地前に絶命して混沌の塵へと変わっていく。

「なぜ突然、狂牙狼が……? ここは九沖群だったのか?」

 彼女は投影乗騎のまたがった状態のまま、まだ困惑した様子でそう呟く。そして次の瞬間、ヨルゴと目が合い、そして唐突に焦った表情を浮かべる。

「あ……、えーっと、こ、これはだな……」
「いや〜、すごいですね〜、これって地球からの投影装備ですか?」
「は? いや、えーっと……」
「あ、もしかして、邪紋使いだってこと、秘密にしてます〜? 言わない方がいいですか〜?」

 その言葉に対して、彼女は更に混乱した様子であったが、そんな自分の困惑をごまかすように、ヨルゴに対して強弁する。

「と、とりあえず! ここは危険なようだ! お前のペンダントは私が必ず探し出すから、もうお前はここに近付くな!」
「え? じゃあ、ここの警備も一緒にやってくれる、ということですか?」
「そうだ! この地は私に任せろ! いいか! 近付くんじゃないぞ! 絶対だぞ!」
「はい、わかりました〜」

 とりあえず、自分が楽を出来ればそれにこしたことがないと判断したヨルゴは、言われた通りに畑を後にする。

(あ、でも一応、領主様には報告しておかないと。別に口止めもされてないし、あの人のことも話していいよね)

 ******

 ヴァルタが領主の館に到着した時点で、ラオリスは既にソフィアへの報告書を書き終えて、再度現地調査へと向かった後であった。ヴァルタはその報告書を見ながら呟く。

「地下に続く車輪の跡、か……」

 実際のところ、その車輪が地下から来たにせよ、地下へと帰ったにせよ、地中を移動出来る技術を「敵」が有しているのだとすれば、様々な可能性が考えられるだろう。

「イナゴドローンは飛空兵器だと聞いてたから、空から来るものだとばかり思っていたけど、もしかして……」

 ヴァルタはふと思い立ち、改めて今回の地図を確認してみる。すると、今まで見落としていた「被害に遭った畑に共通する特徴」に気がついた。

「どの畑にも、近くに『古井戸』がある……!」

 カルタキアは10年前の混沌災害の際に、地下水脈にも微妙な変動が起きたようで、それまでに使われていた井戸が軒並み使えなくなってしまった。そのため、現在活用されている(10年かけて再開発した)井戸とは別に、街の各地に古井戸が散在している。もし、「敵」が地下を通れる技術力の持ち主だとすれば、これらの古井戸は格好の進軍経路となりかねない。
 彼がそのことに気付いたところで、領主の館にヨルゴが現れる。彼等は以前、森の魔境の調査の際に同行したことがあった。

「君は、え〜っと、双子の……、どっちだっけ〜?」
「ヴァルタです」
「あ〜、そうそう、そうだった〜。今回は、ラオリスさんは一緒じゃないのかな?」

 その問いに対して、ヴァルタが視線をそらしつつ、俯き気味の視線で答える。

「……別に。ただ、今回は姉さんと離れて動きたいと、思っただけだよ」
「ふ〜ん……。あ、そうそう〜、とりあえず報告なんだけど、ちょっと面白い人がいてね〜」

 ヨルゴがそう前置きしつつ、「地中から現れた『大きな車輪の投影装備』に騎乗した黄色服の少女」についてざっくりとヴァルタに伝えると、ヴァルタの中で「何か」が繋がる。

「その話、もう少し詳しく教えてもらえますか?」

 ヴァルタがそう言ってヨルゴに詰め寄ったところで、ラオリスが再び領主の館へと戻って来た。

「ただいま〜。あ、ヴァルタ、さっき私が書いた報告書、もう読んで……」
「姉さん! 今すぐ『ここ』に行って」

 ヴァルタはそう言って、ヨルゴが先刻までいた畑の場所を地図で示す。

「え? いいけど、なんで?」
「理由は後で説明するから。とりあえず、行って、どういう状況だったのかを教えて」
「う、うん。分かった!」

 ラオリスはすぐさま言われた場所へと走り出す。

「あ〜、いや、そこの警備は、その邪紋使いの人に……」
「その人、本当に『邪紋使い』でしたか?」

 ヴァルタは険しい表情で、ヨルゴを問いただす。そして、ラオリスがその畑に着いた時には、その「黄色服の少女」も「投影乗騎」も姿を消していたのであった。

 ******

 この日の夕刻、迎撃予定の従騎士達が目を覚ましたところで、ラオリスとヴァルタが彼等に報告書を手渡す。そこには「ヨルゴが目星を付けていた畑」に関する諸々の情報が記されていた。

「とりあえず、私がざっと見た感じの現地の地形と、ヴァルが調べた情報も載せておいたから、これからの作戦に使って!」

 ラオリスはヴァルタに言われて現地に向かった時点で、(あえて自分をここに派遣したということは)ここが次に襲撃されそうな畑なのであろうと推測した上で、イナゴドローンを待ち伏せするならどこがいいか、逃げる相手を追い込んだり、誘い出したりするにはどこが適切か、といったことを調べていた。その上で、帰還後にヴァルタの仮説と照らし合わせた上で書き記されたのが、この報告書である。

「ありがとう、参考にさせてもらうよ」

 ペドロがそう言って受け取った上で、その内容をイーヴォ、ユリムと共に確認すると、畑の周辺の地図の一角を指差しながら、イーヴォが呟いた。

「なるほど……、この立地なら、僕はこの辺りで待機すべきだろう。もし『出現経路』がこの報告書の推定通りなら、僕にとっては苦手な近距離での射撃になるけど……」

 彼のその発言に対して、ユリムが問いかける。

「それなら、俺がそちらに入ろうか? 今回は俺も『聖弾』で迎撃するつもりだから、そのポジションには俺でも……」
「あー、いや、むしろ、今回は中近距離の射撃戦に慣れるという意味でも、矢の補填速度を上げる技術を磨くためにも、やらせてほしい。僕は、遠距離の狙撃は結構得意なんだけど、どうもまだ、近距離の射撃戦は全然でね。ほら、あれだろ? 君主なら中近距離戦にも長けているほうがより優秀だろ?」
「なるほど。それを言うなら、俺も『聖弾』を実戦で使うのは初めてだ。不慣れな者同士、どうにか互いに上手く補い合えればいいな」

 二人がそんな会話を交わす横で、ペドロも声をかける。

「俺は剣しか使えないから、空を飛ぶ敵を相手にするには、出来ることは限られるかもしれない。でも、イナゴドローンが最終的に狙う作物は地上にある。俺は俺に出来る形で、大事な作物を守ってみせるよ」

 彼等がそう言って決意を固める中、やがて領主のソフィアが現れる。

「さて、準備は整ったかな。では、そろそろ現地へ向かうとしよう」

 彼女がそう言ったところで、ヴァルタはこの場にいないもう一人の協力者のことを思い出す。

「そうえいば、ヨルゴさんはもう帰ったんですか?」

 彼のその質問に対して、ソフィアは首を振った。

「あやつには、もう一働きしてもらう」

 ******

 その頃、ヨルゴは「檻」の中にいた。その檻は荷車状になっており、頑丈な鉄格子によって構成され、その内側は獅子や虎などを閉じ込めることが出来る程度には広い。つまりは、魔獣の捕獲用に造られた可動型の鉄檻であった。
 暗く冷たい領主の館の倉庫の中に設置されたその中で、ヨルゴは一人静に惰眠を貪っていた。

 ******

 その日の夜。件の畑の古井戸の近くに従騎士達が潜む中、古井戸の中から不気味な音が響き渡り、そして次々と「イナゴドローン」が姿を現す。どういう原理で飛んでいるのかもよく分からない不気味な群体がそのまま近くの畑へと襲いかかろうとするが、それに対して唐突に光の弾丸が次々と放たれる。その光源には聖印を掲げるユリムの姿があった。

(思ったより、数が多い……。撃墜しきれるかどうか……)

 ユリムがそんな不安を抱くが、彼の聖弾は彼自身も信じられない程の精度で次々とイナゴドローンへと着弾する。本来、彼はまだ《聖弾の印》どころか、パニッシャーとしての最も基礎的な技法である《破邪の印》すら使えない身なのだが、この日の彼の疑似聖弾は冴え渡り、微弱な力ながらも着実にイナゴドローンの飛行を支えているプロペラ部分を破壊し、翼を失ったイナゴ達は無惨に地上へと転落していく。まさに神憑り的な命中精度であった。
 それに続いてイーヴォもまた次々とイナゴドローンに向かって矢を放っていく。結果的にユリムの聖弾によって標的の周囲に光が与えられ、真夜中とは思えない程に容易に狙える環境が整っていた。今回はそもそも最初から「敵の出現場所」が分かっていたこともあって、あまり狙いに時間を絞る必要もなく、次々と速射可能なその状況は、まるで射撃訓練のような戦場であった。

(もし、相手が人間だったら、これはもう一方的な虐殺だ……。そういえば、カルタキアに来てから、人間を撃つことがほとんどなくなってきたな……」

 いつもの戦場時のような張り詰めた空気もなく、どこか精神的に余裕のある状態で、人同士の争いばかりだった故郷のことを思い出しながら、イーヴォは奇妙な感慨に浸る。
 そして、彼等の連続射撃を受けてもなお撃墜しきれずに畑へと向かうイナゴドローンに対しては、近くに潜んでいたペドロが長剣を振るいながら、一体ずつ着実に仕留めていく。

(他国の人達との共闘は初めてだけど、優秀な射手が背後にいてくれると、安心感があるね)

 一般的には、連携訓練の取れていない多国籍軍との共闘においては、後方からの誤射(もしくは「誤射に見せかけた狙撃」)の恐怖がつきまとうものだが、不思議とペドロの中ではそのような恐怖は生まれなかった。やはり、「混沌の怪物」という共通の敵の存在こそが、人と人の信頼を構築させる上での最強の架け橋なのかもしれない。
 こうして、三人の活躍で着実にイナゴドローンが迎撃されていく中、やがて彼等の足元が地響きを始める。その振動の先に視線を向けると、そこには黄色服の少女が立っており、そして彼女の傍らの地中から「大型二輪の投影乗騎」が現れる。

「てめェら! 邪魔すんじゃねェ! ぶっとばしてやる!!」

 彼女はそう言って、その大型二輪車に乗ろうとするが、次の瞬間、三人の視界の先で、その少女の姿は「ヨルゴ」へと変わる。

「おぉ!?」

 「ヨルゴ」は突然の出来事に驚きつつ、真横に置かれた大型二輪車をひとまず両手で押さえながらキョロキョロと周囲を見渡すと、視界の先にいるユリム、イーヴォ、ペドロ、そして更にその先にいる「ソフィア」の姿を見て、安堵の表情を浮かべる。

「あぁ〜、ビックリしたぁ……、いきなりは怖いですよ〜、ソフィアさん〜」

 彼がそう呟く一方で、そのソフィアの傍らに設置されている「可動式の鉄檻」の中から、黄色服の少女の声が聞こえてくる。

「な……、なんだ!? 何が起きた!? なんでアタシが捕まってるんだよ! おい!」

 彼女は、ソフィアが引き起こした《瞬喚の印》の効果によって、この檻の中で待機していたヨルゴと、強制的に「立ち位置」を入れ替えられたのである。当然、何が起きたのかさっぱり分からないまま困惑している少女に対して、檻の外側からソフィアが語りかける。

「あとでゆっくりと説明してやる。その前に、まずはおぬしの素性から、洗い浚い晴らしてもらうぞ。あと、その檻の中にいる限り、檻の外に対して混沌の施術をしかけても効かぬからな」

 それがどういう原理なのかは分からないが、確かに彼女が檻の中に入った途端、井戸から新たにイナゴドローンが出現することは無くなった。そして既に地上に出ていた全て破壊されたのを確認すると、彼等は古井戸に厳重な「蓋」を施した上で、虜囚と共に領主の館へと引き上げることになる。

「いや〜、それにしても、見れば見るほど不思議な乗り物ですね〜」

 大型二輪車を手で引きながらそう呟くヨルゴに対して、少女は檻の中から叫ぶ。

「おい! こら! 返せよ、アタシのドリル五行バイク!」
「あとで、動かし方を教えて下さいね〜」
「誰が教えるか!!」

 静寂を取り戻した夜空に、少女の声が虚しく響き渡っていた。

 ******

「あー、その……、なんだ……、悪かったな、色々と……」

 イナゴドローンの迎撃から数日後。ソフィアに連れられる形で、ヨルゴ達の前に黄色服の少女が彼等の前に姿を現す。特に拘束具などを施されている様子もなく、反抗的な態度も示さず、明らかにバツが悪そうな表情で、俯きながら彼女はそう語る。物腰は相変わらず粗暴なままだが、全体的な雰囲気から察するに、明らかに襲撃当時とは人が変わったかのような様相であった。

「アタシの名は鄧茂(とうも)。秦帝国の『黄巾突撃隊長』を務めていた、っていうか、まぁ、やらされてたんだ……」

 彼女達の出身世界のことを、彼女は「地球」と呼んでいる。カルタキアに出現する魔境の約半数は地球由来と呼ばれるほど、地球とアトラタンの親和性は強いらしいが、実際にはいくつもの「微妙に異なる歴史を歩んだ地球」が併存しているらしいので、最近になって出現した他の「地球由来の魔境」とは根本的に別物のようである。
 鄧茂が住んでいたのは「祖龍時代」と呼ばれる年代の地球であり、「始皇帝」と呼ばれる人物が支配する「秦帝国」が世界の大半を治めているらしい。なお、この「秦の始皇帝」なる人物は、本来は祖龍時代よりも2000年以上前の時代の人物だったらしいが、謎の秘術によって蘇生し、そして過去に存在していた様々な「強大な力を持つ武将達」をも復活させ、洗脳して部下とすることで、2000年以上前の「秦帝国」を復活させ、現在は世界を恐怖で支配しているという。

「かく言うアタシも、『鄧茂』ってのは本来は1800年くらい前の武将の名で、アタシの魂はそいつの転生体らしいんだ。と言っても、まぁ、元々あんまり強くなかったみたいで、アタシ自身は『武将』にはなれなくて、『突撃隊長』止まりだったんだけどさ」

 そして、彼女もまた始皇帝の力によって洗脳され、秦帝国の一角を為す「日本州関東郡栃木県」の県令・程遠志(ていえんし)の副官を務めていたという。ちなみに、関東郡全体の太守を務めているのは張角(ちょうかく)という女性であり、関東郡の大半は張角を中心とする「黄巾賊」と呼ばれる軍閥が支配しているのだが、彼女は宗教指導者的な側面も持ち合わせており、「蒼天すでに死す」というのが、彼女達にとっての合言葉のようなものだった。

「正直、その言葉の意味はよく分かってなかったんだけどさ、でも、ある日、実際に『蒼天』が無くなっちまったんだよ、アタシ達の栃木の空から」

 この件に関してはまだ彼女は正確に事態を把握していないようだが、おそらく、彼女達の住む「栃木県」が、このカルタキアの「地下」に投影されてしまったのだろう(実際、過去にもカルタキアの地下に魔境が投影された事例はあるらしい)。彼女達から見れば、ある日突然、空が真っ黒な壁に覆われてしまったようなものである。投影された者達が困惑するのも当然だろう。

「で、とりあえずは程遠志様からの命令で、アタシはドリル五行バイクを使って、地上に出た。そしたら、訳わかんねぇ世界が広がっててさ。明らかに秦帝国じゃねぇし、なんか強そうな連中もいっぱいいるし、これはもう、殺られる前に殺るっきゃねぇ! って覚悟を決めたのよ」

 別に彼女はカルタキアの住民達に何かをされた訳ではない。だが、始皇帝による洗脳を受けた状態の彼女達は「秦帝国以外は全て敵」「ナメられたら終わり」という思考を植え付けられていたようで、「自分達を地下に閉じ込めた強大な敵」を殲滅するために、まずはイナゴドローン作戦で干上がらせるように命じられた彼女は、「ドリル五行バイク」で地下の古井戸を「栃木県」の天井と繋げた上で、見張りの少ない畑から順に襲撃させていたらしい。
 ちなみに、「イナゴドローン」も「ドリル五行バイク」も、秦帝国の武将達が用いる「仙術」という特殊な呪法によってのみ操ることが可能な兵器であり、彼女は「英雄の転生者」としては落第級の弱さだったものの、せめて何らかの形で出世したいという想いから必死で仙術を訓練して、最低限の遠隔操作が出来るようになったそうである。
 なお、ヨルゴの「探しもの」の申し出に彼女が応じたのは、彼にあの畑の近辺でウロチョロされると邪魔だと判断し、早目にペンダントを探して退散させつつ、ついでに「敵」の内情を聞き出そうという思惑だったらしい。また、途中で出現した狼のような怪物は「祖龍時代の地球(特に日本州九沖群)」でよく出没する獣らしいので、おそらくは彼女の存在が触媒となって偶発的に投影された魔物だったのだろう。ちなみに、彼女の肌に刻まれていた邪紋のような紋様については、彼女達の世界における純粋な「カッコよさの象徴」としての入れ墨らしい。
 そして、捕縛された後も彼女はしばらくは反抗的な態度であったが、ソフィアの聖印の力によって彼女に施されていた洗脳が解け、本来の自我を取り戻した彼女は、ソフィアから今の自分達が置かれている状況を聞かされ(それをどこまで理解出来たかは不明だが)、多くの作物を根絶やしにしたことへの罪滅ぼしとして、従騎士達に協力することを決意した。

「要するに、今のアタシは、『1800年前の鄧茂』とも『祖龍時代の鄧茂』とも違う、『第三の鄧茂』ってことなんだよな? で、本来なら磔・獄門にされても文句言えないところを助けてくれた上に、アタシの魂まで解放してくれたんだ。だったらこの命、喜んでアンタ達に捧げるぜ」

 こうして、黄色服の少女・鄧茂による情報提供を元に、カルタキアの従騎士達には新たに「地下帝国の探索」という任務が下されることになるのであった。

☆合計達成値:125(27[加算分]+98[今回分])/100
 →次回「魔境探索クエスト(AJ)」発生確定、その達成値に12点加算

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最終更新:2022年01月09日 19:13