アル・スーダーン危機
経緯
元々
エジプト帝国はスーダン方面への進出を考えており、一方のしょうっちも南スーダンにおいて勢力を伸ばそうとしていた。両国はちょうどファショダの部分で衝突することとなり、1月26日より交渉を開始。だがその交渉も決裂し、二日後の2023年1月28日に、
エジプト帝国がしょうっち帝国に対し宣戦布告をした。
宣戦文
『エジプト』は、『しょうっち帝国』に宣戦布告します。
理由
- 主張領土に関する問題において、交渉が膠着・決裂状態になったこと
エジプトはナイル川流域の主に東岸を主張領土とし、しょうっち帝国はサーバー統一(主に南北スーダン領有)を掲げており、それぞれエジプトは南方、しょうっち帝国は北方への拡大を望んでいました。
我々の主張は衝突し、しょうっちはハルツーム以南への南下をやめるよう要求。
エジプトとしてはしょうっち本国および同ネーション国家による他国に対する不適切な態度を憂い、譲歩を拒否。しょうっち帝国が西方ではなくエジプトのある北方への拡大をあろうことか望んでしまったため、交渉は決裂。
スーダン領域における、両国の争いが火種となったのである。
本宣戦布告への過程は以上である。
各国のエジプト支持
エジプトによる宣戦布告があってすぐ、さまざまな国がエジプトへの支援を表明した。
義勇軍、物資供与、資金援助などさまざまな申し出があり、そして実際にそれらの供与が行われた。一方、しょうっち帝国を支持すると表明する国はすぐには現れず、外交フォーラムなどにおいて助けを求めるメッセージが打たれるなど、はじめはかなり劣勢であった。
ローマ陣営とKhazar陣営の介入
しかし、それから数日たつと状況は一変した。
1月29日、ローマ皇帝malirya氏がエジプト陣営に。2月11日にはKhazarと国粋シベリアがしょうっち側に味方すると外交声明で発表したことを機に、ローマとKhazarの代理戦争の様子を見せることとなった。
国粋シベリアはしょうっち帝国を衛星国とし、外交権などを入手。両陣営に巻き込まれ、激しい戦争になると思われた。
突然の講話
2月16日、
エジプト帝国初代皇帝レアルがしょうっち帝国との講和を前向きに進めていると発表。また、しょうっち帝国は国粋シベリアの衛星国を離脱すると発表した。
しょうっち帝国のこの発表に対し憤慨した国粋シベリアは、しょうっち帝国との敵対を宣言。
エジプト帝国の兵舎にKhazarとともに参加し、兵舎の人数が60人近くになるという珍事が発生した。
2月18日、しょうっち帝国は滅亡。ロシア極東のスタノヴォイ山脈付近に新たに
武蔵国を建国し、2月20日に正式に降伏することとなった。
継続戦争?
4月1日、エジプトがしょうっちによる賠償金未払いを指摘。以前より賠償問題で敵対していたが、エジプトがこの日武力行使も視野に入れた声明を発し、さらにおもに西方の国家とともに
西海同盟を結成し、継続戦争になるのではないかと言われている。
最終更新:2024年03月15日 18:04