デスティニープランとはメサイア攻防戦の直前にギルバート=デュランダルが世界に向けて提唱したプランです。
デスティニープランの骨子は以下の通りです。
- 人々は全て「遺伝子による最適な生活手段の判定」を受ける
- 判定により下される内容は「学習」「職業」「娯楽」など多岐にわたる
- 判定により下される内容は強制されない
- 判定により下される内容はおおむねその人が幸せになれる可能性が高い
この作品においてプラン実施によって得られる世界のメリット・デメリットは以下のように解釈されています。
メリット
- 自らの主義主張にとらわれることなく、効率的に幸せになるための努力の方向性を示される。
- 効率化により、社会全体の生産性向上につながる(個人の欲望を世界の向上につなげやすい)
- 効率的に教育を施すことによって、最終的に得られる個人の能力が向上する
デメリット
- 重要なポストがコーディネイターで占められる危険性があるため、民族主義が復古してしまう危険がある。
- 地域によって必要とされる職業の比率は異なるため、必ずしも自らの最適とされている職業に対する需要が地元で得られるとは限らない。
- 2.のため大規模な民族移動が必要となることが予想される。これによって土着の文化の崩壊の危険性がある。
- 統一政府がない状態では実施にばらつきが発生してしまう。統一を目指すものが統一政府樹立後でなければ施工できないジレンマ。
今作ではこのデスティニープランを
「ギルバート=デュランダルの正義」
デスティニープランの全貌は語られることもなく、過去のものとなってしまっています。もちろん、プランの実行にかかわった人々の中にはその実情を知るものもいるでしょうし、その大義を信じて独自にレジスタンス活動を行うものもあることでしょう。
しかし、この物語でデスティニープランを扱う場合は「ギルバート=デュランダルという人物」を経由して描くようにしてください。その実体がどのようなものであったかは、あえてこの物語では触れない、ということです。
これはデスティニープランの全貌を定義するに当たり、多くの人が「理想」の一つの形としてありうる、という内容を我々が作り出せないためです。
実体が理想の一形態として定義できない以上、その内容については物語では触れるべきではない。それがこの物語におけるデスティニープランの扱われ方なのです。
物語でデスティニープランを利用する場合は、その内容ではなく、ギルバート=デュランダルという人物を描くための一部としてのみ利用するように心がけてください。