血の春闘
「血の春闘」は、2009年3月20日に同盟(日本労働組合総同盟)に所属する産別組織の一部が旧経連会館を包囲した事件、ならびに本件に呼応する形で生起した一連の労使衝突の総称である。旧経連会館の所在地から「千代田暴動」の名称が用いられる事もあるほか、一部の海外メディアでは「SyuntoConflict」として報道された。
概要
2009年3月20日、日本労働組合総同盟(以下同盟)傘下産別組織の一部が暴徒化し経連会館を包囲。翌21日未明にはバリケードを突破し低層階を占拠した。警視庁機動隊が出動し暴動の鎮静化が図られる一方で同会館の警備を請け負う「伊達セキュリティ&サービス社(以下DSS社)」も屋上へのヘリ降下にて籠城側に増援を送り込み、時に散発的な銃撃戦を挟みつつバリケード越しの小競り合いが76時間に渡って繰り広げられた。
24日の正午に機動隊の管制下で包囲隊が解散するまでに籠城側からは経連職員2名とDSS社員3名が死亡、11名が重軽傷を負い、包囲側では21名が死亡し、50名以上の重軽傷者が発生した。また、調停による事態鎮静化の為に現場入りした労働省特使以下4名が銃撃戦に巻き込まれ、冷泉中央労働委員会調整第2課長が殉職している。
24日の正午に機動隊の管制下で包囲隊が解散するまでに籠城側からは経連職員2名とDSS社員3名が死亡、11名が重軽傷を負い、包囲側では21名が死亡し、50名以上の重軽傷者が発生した。また、調停による事態鎮静化の為に現場入りした労働省特使以下4名が銃撃戦に巻き込まれ、冷泉中央労働委員会調整第2課長が殉職している。
千代田区の包囲戦の影響は報道と共に全国に波及し、規模の大小に差はあるものの各地で同盟系列の労組の一部過激派が直接行動に出た。この影響で東京都・神奈川県・千葉県・大阪府の各全域、札幌市・広島市・福岡市・那覇市他に戒厳令が発布され、全国で計200名以上が逮捕された。
事件の背景
リーマンショックと2009年春闘
2008年9月15日のリーマン・ブラザーズ経営破綻に端を発した国際金融危機の影響は日本経済の大幅な後退に繋がり、その翌2009年の春闘にも多大な影響を及ぼす事が当初から予想されていた。
輸出依存度の高い自動車・電機産業を中心に赤字見通しの企業が続出し、多くの派遣社員や期間従業員が契約を打ち切られる情勢下で労働側が「雇用も賃金も」の方針を打ち出す一方、経営側は「雇用の安定」が今季交渉の主要テーマとして賃上げ要求を一蹴。ベースアップ要求で足並みを揃えた労働組合に示された回答は軒並み「ゼロ回答」であった。特に製造業での回答は厳しく、一部メーカーからは定昇凍結が経営側から逆提案される他、一時金の大幅ダウンを余儀なくされている。
この回答に労働側の一部では経営側に対する徹底抗議を主張する一方で今川同盟会長以下首脳陣の「稚拙な闘争戦略」を痛烈に批判する声が上がり、自動車総連・電機連合の一部から約1000人が3月18日以降も中央総決起集会の会場である日本教育会館に留まり、小早川自動車総連中央執行委員を中心として今後の具体的行動について議論が交わされた他、近辺各所で過激なアジテーションが散見された。
輸出依存度の高い自動車・電機産業を中心に赤字見通しの企業が続出し、多くの派遣社員や期間従業員が契約を打ち切られる情勢下で労働側が「雇用も賃金も」の方針を打ち出す一方、経営側は「雇用の安定」が今季交渉の主要テーマとして賃上げ要求を一蹴。ベースアップ要求で足並みを揃えた労働組合に示された回答は軒並み「ゼロ回答」であった。特に製造業での回答は厳しく、一部メーカーからは定昇凍結が経営側から逆提案される他、一時金の大幅ダウンを余儀なくされている。
この回答に労働側の一部では経営側に対する徹底抗議を主張する一方で今川同盟会長以下首脳陣の「稚拙な闘争戦略」を痛烈に批判する声が上がり、自動車総連・電機連合の一部から約1000人が3月18日以降も中央総決起集会の会場である日本教育会館に留まり、小早川自動車総連中央執行委員を中心として今後の具体的行動について議論が交わされた他、近辺各所で過激なアジテーションが散見された。
憲法9条改憲阻止闘争との連帯
時を同じくして進展していた憲法9条改憲阻止闘争では同盟傘下の各団体からも多くの人的・物的支援が提供されていた関係もあり、改憲阻止闘争を全国指導する全国護憲市民連帯(全護連)から残留グループに対して炊き出しが実施された(この際に各種物資が行動部隊に渡ったと推測される)。共産主義系の政治団体も現地入りし、警官隊の対抗戦術や火炎瓶も効果的な使用方法についての講義が行われた事が複数の逮捕者の証言から確認されている。
3月20日:経連会館包囲
3月20日午前7時、残留グループは小早川の号令に従い日本教育会館を出発。警視庁は日本教育会館近辺の動きに注視していたものの決起を事前察知できず、残留グループは少数の警官の制止を物ともせず内堀通りを経て経連会館(千代田区大手町1-9-4)を包囲。近接する鎌倉橋・神田橋を封鎖すると共に、周辺の十字路や地下通路にバリケードを構築し警官隊の介入を阻止する構えを見せた。これに対して中央・丸の内・神田各署の警察官が近隣一帯に配備され、午前10時には近隣に所在する警視庁第一・第九機動隊が現地に到着。その後も警視庁警備部の各隊や千葉・神奈川両県警からの応援部隊が駆けつけた。
経連会館側では既に職員の出勤が始まっていたが、警視庁神田署からの警告が早かった事もあり、包囲が始まる8時前には地下駐車場を含めた全通用口の閉鎖が完了。館内の什器やOA機器等でバリケードが構築され、併せて館内併設されていたコンビニの食料品類が責任者の同意の上で最上階に移された。清掃婦やコンビニ店員等も含め計80名前後の職員と3名の警備員(非武装の一般業務担当)、そしてDSS社から派遣されていた2名の武装警備員が館内に立て篭もった。
事態の進展とともに早期解決が絶望的な見通しになった事を受け、水路を挟んで経連会館に隣接する神田運転免許更新センターが前線基地に選ばれ、午後4時には同センターに警視庁を中心に労働省・経産省の要人も加えられた特別指揮所が開設された。
事態の進展とともに早期解決が絶望的な見通しになった事を受け、水路を挟んで経連会館に隣接する神田運転免許更新センターが前線基地に選ばれ、午後4時には同センターに警視庁を中心に労働省・経産省の要人も加えられた特別指揮所が開設された。
3月21日:会館内部への侵入
(この項目は、書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。)
警官隊が事態の不拡大を志向した事もあり、大規模な衝突が発生する事なく20日を終えたが、21日午前3時頃
警官隊が事態の不拡大を志向した事もあり、大規模な衝突が発生する事なく20日を終えたが、21日午前3時頃