トゥルー・ホープ(前編) ◆6XQgLQ9rNg
真っ暗で何も見えない道を、あたしは一人で歩いている。
静謐で何の音もしない世界を、あたしは一人で横切っている。
何一つ存在しないその場所が、何処かなんて分からない。だからといって、知るつもりも考えるつもりもない。
どうだっていいのだ、そんなことは。
大切なのは、あたしがここにいるという証だけだ。
<剣の聖女>の血を引いて生まれたこのあたしが、存在している証拠だけを、貪欲に欲している。
そう、ただそれだけだ。
だからあたしは、あらゆる『魔』を祓える力が欲しい。
そのために、多くのものを捨ててきた。そしてこれからも、捨て続けていくのだろう。
それでいい。
力さえあれば、他に何もいらない。力さえ手に入るのなら、何を失ってもいい。
それはあたしにとって絶対不変の真理だ。誰に何を言われたって揺るがない、あたしの根幹に当たるものだ。
その強い想いを胸の奥に抱くあたしの前に、不意に女が現れる。
そいつは、あたしの過去だ。
時の彼方に棄て去った、かつての『あたし』が、眼前に佇んでいる。
『あたし』は何も語らない。
ただその両目や口で、表情を形作るだけ。
「何故だ……ッ!?」
思わず立ち止まり、問いかける。
『あたし』は余りにも哀しげで、憂いでいたから。
伏し目がちな瞳と俯き加減の顔は、確かに何かを求めているはずなのに。
それは、今のあたしが求めているものとは違うように思える。
『あたし』は答えない。表情も変わらない。
その代わりに、何処かから声が聞こえてくる。
禍々しい声音だ。一度聞いただけだが、忘れるはずのない音だ。
体が興奮に打ち震える。心底から昂揚が滲みあがってくる。
魔王オディオ。
そいつの声音が名を告げているが、そんなものなどどうでもよかった。
重要なのは、その声が『魔』そのものであるということのみ。
そう、それが魔の王ならば、あたしは祓わなければならない。
何故ならばあたしは『英雄』の血族なのだから。
そうだ。
あらゆる『魔』を祓って、祓って、祓い抜いた先で、あたしは『英雄』になれる。
そのために、力が欲しい。そのためなら、何もいらない。
それは紛れもない、あたし自身の望みなんだ。
だから。
「そんな顔を、するな……」
だから。
「そんな目を、向けないでくれ……ッ!」
何を言っても、『あたし』の様子は変わらない。
あたりに落ちていた闇が広がっていく。
周囲に満ちていた黒が、あたしと『あたし』を呑み込んでいく。
◆◆
眩い陽光が、採光窓から真っ直ぐに差し込んでくる。
目を細めたくなるような光は、神殿の中を照らし上げて温もりを注ぎ込んでいる。
その荘厳な建造物を支える柱に、拳が叩きつけられた。
乱暴にその柱を殴りつけたのは、濡れ鼠になっている茶髪の少年だった。
少年――アキラは、奥歯を潰しそうなほどに噛み締め、眉間に皺を寄せている。
もう一度、全力で柱を殴りつける。
手の甲の皮膚が剥がれ、骨に硬質な感触がぶつかってくる。関節が砕けそうだった。
オディオが告げた、死者の名。
耳に残ったそれが、アキラを苛立たせる。
十一人。
僅か六時間の間に死亡した人数だ。
その中には、知っている名も含まれていた。
レイ・クウゴ。
武術に秀でた仲間の死に、アキラは歯噛みする。
彼女を死なせずにいられたかと問われれば、ノーと答えざるを得ない。
放り出されてこの方、レイと出会ってはいないし、情報を得たわけでもないのだから。
だが、だからといって。
仕方なかったと割り切れるほど、アキラは白状でもないし諦観してもいない。
彼女は何を思って死んでいったのだろう。
心を読めても、死者の気持ちは分からない。
届かないところにいってしまった声を拾うことなど出来はしないのだ。
悔しかっただろう。無念だっただろう。
その無念さえ、もう、レイは晴らせない。
――ならば代わりに、晴らしてやる。
レイの仇を取り、魔王をぶっ潰す。
ただそれだけが、死してしまったレイ・クウゴのために、今、できることだった。
柱から手を離し、デイバックを掴む。
レイの他にも、仲間がいるかもしれないのだ。
まだ目を通していない名簿を取り出そうとしたとき、アキラは気付く。
先ほどまで横たわっていた女――
カノンがいつの間にか起き上がっていたことに、だ。
彼女は片手で額に触れ、あたりを見回している。
その右目が、アキラへと向く。鋭い視線に宿るのは、疑念だった。
「……あたしをここに連れてきたのは、お前か?」
威圧するような声色に、しかし、アキラは怯まず頷いた。
「狙ったわけじゃねーけどな。必死でテレポートを使ったらここに出たんだ。
禁止エリアに飛び込まなかったのはラッキーだったぜ」
「あの男は、どうした?」
アキラの脳裏に、哄笑を上げる黒髪の男の姿が思い出される。
そいつは、圧倒的で絶対的な力を振るう破壊者として立ちはだかっていた。
あらゆるモノを焼き払い叩き潰しぶち壊そうとするその姿は、人の形をした化物のようだった。
思い起こすだけで、怖気が走る。
あの暗く鋭い、獣のような目は、彼の強さと共に焼き付いている。
「さぁな。まだ森にでもいるんじゃねーか」
思い起こしたイメージを払い落とすように、頭を振る。
そんなアキラの仕草に構わず、女は立ち上がった。
「魔王の声が聞こえた。奴は、何と言っていた?」
カノンの問いに、アキラは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてしまう。
感情のコントロールが上手くできそうにない。
それを隠すように俯き、禁止エリアの場所と死者の名を告げた。
すると彼女は、そうか、とだけ呟くと、硬い足音を立てて歩き出した。
「おい、何処行くんだよ?」
「ここが神殿なら、まだあの男は近くにいるだろう」
「冗談だろ? さっきだってヤバかったじゃねーか!」
アキラの制止に、カノンは足を止めると肩越しに振り返る。
その右目の奥からは、思わず息を呑んでしまうほどの、剥き出しの戦意が見て取れた。
冗談という単語は失言だったと、瞬時に理解する。
「あたしはまだ戦える。ならば戦うだけだ。邪魔をするなら、斬る」
彼女の背から、一気に殺気が立ち昇る。
それが自分に向けられていると知りながらも、アキラは言葉を継ぐ。
あの人を超越した、獣じみた化物の元に行かせるわけにはいかなかった。
奴は、一人や二人で倒せるような相手ではない。
対峙したアキラがよく分かっている。
「あいつの強さは半端じゃないって、あんたも分かってるだろ?
情けねーけど、頭数を集めて――」
「そんなものは必要ない。あたしは一人で戦える。
……戦って、みせるさ」
アキラを拒絶するかのように、カノンはぴしゃりと言い放つ。
頑なに閉ざされた鉄扉を思わせるその様子は、もはや語ることなどないと言外に告げているようだった。
ならばと、アキラは駆け足で近寄る。
カノンは怪訝そうに目を眇めるが、構わずその目に視線を重ね合わせると、意識を細く集中させて耳の感覚を研ぎ澄ませる。
ゆっくりと、徐々に、カノンの胸中を見透かすために。
するとやがて、声が響いてくる。
音ではない声の中に、嘘偽りの色はないはずだ。
自分自身の心を、何時如何なるときも騙し続けるなど出来はしない。
――そう、戦ってみせる。戦って戦って戦って、強くなる。そうすればあたしは『英雄』になれるんだ。
アキラはそうして心を視る。
語られざる言葉を読み取っていく。
彼女の心は、渇き飢えていた。
彼女はひたむきで病的なまでの貪欲さで、何かに執着している。
一体何を求めていて、どうすれば満たされるのか。
その鍵は『英雄』という言葉にあるように感じられる。しかしそれは、本質ではないような気がした。
根拠や論拠があるわけではない、経験による直感だ。
何度か人の心を読んだことのある、アキラの経験が、望みの本質が別のところにあると告げていた。
その本質に、カノン自身が気付いていないのか。黙殺しているのか。偽っているのか。気付いていないフリをしているのか。
そこまでは、アキラの知る由ではない。
このまま彼女の奥深くへと潜っていけば分かるだろうが、そんな風に、他人の心を侵すような行為はしたくない。
だからアキラは、カノンの心から視線を外す。
その瞬間、意識が急激に重さを増した。
最速で回り続けたコーヒーカップから降りた直後のような感覚と強烈な目眩、そして猛烈な吐き気に襲われる。
くず折れそうになる足腰を支えるため、手近にあった柱に肩を預ける。冷たい石の触感に頼りがいを覚えてしまい、アキラは眉間に皺を寄せた。
突然襲ってきた最悪な感覚の原因を回らない頭で考えようとして、気付く。
カノンがいつしか背を向けていて、その手に蛾の形を模した短剣を握り締めていることに。
彼女の顔は見えない。息遣いも分からない。
だがそれでも、誰かに向けて、臨戦態勢を取っていることは紛れもなかった。
鈍った脳が、現状を捉えようとする。
アキラの目が女の向こう――神殿の出入り口に、焦点を結んだ。
そして初めて、アキラは、近づいてくる人影を認識して。
目を、見開いた。心臓が圧迫されたかのように、一気に跳ね上がった。
「くくく……」
そいつは、嗤っていた。
地獄の底から響きあがってくる唸り声のような音が、聞こえてくる。
「ははははははは……!」
そいつは、濃厚なまでの殺意を身に纏っていた。
冷や汗が背筋をなぞっていき、全身の産毛が総毛立つ。ともすれば、すぐに歯の根が合わなくなりそうだった。
「ふははははははははははははははははははははははははははははは――ッ!!」
その哄笑はあらゆる音を飲み込んで、神殿の壁を、床を、柱を、天井を震わせる。
暴虐的な高笑いを上げるそいつは、人のカタチを与えられた邪悪という概念そのものとしか思えなかった。
どす黒い笑みを顔中に浮かべるのは、鎧を纏った黒髪の大男――ハイランドの狂皇子、
ルカ・ブライトに他ならない。
獣の瞳が、アキラを捉える。そこから目を逸らさないようにするだけで、精一杯だった。
「おれは運がいい。こうも早く、貴様に会えるとは思ってもいなかったぞ」
ルカは、禍々しい形状の長剣を携えている。先ほど対峙したときに持っていなかったその武器は、余りにも彼に似合いすぎていた。
「今度は逃がさんぞ、小僧ッ!」
剣がゆらりと持ち上がる。その切っ先が自分に向けられていると分かっても、未だ重い意識は、体を即座に動かしてはくれなかった。
狂皇子が一足、踏み込んだ。
呆けたように眺めるアキラへと、呪われた刀身が真っ直ぐに迫り来る。
命を奪わんとする分厚い刃が、アキラの元へと届く前に。
がきん、と、重厚な金属音が響き渡った。
◆◆
アキラへと振り下ろされた一撃の前に、機敏な動作で滑り込んだカノンの両腕に、強烈な負荷が掛かっている。
カノンは、間に入ると同時にレフトアームエッジを展開し、毒蛾のナイフと交差させて、呪われた刃をなんとか受け止めた。
しかし、重い一撃に篭められた力は緩められない。
短剣と刃を叩き折り、腕を押し潰し、カノンの身を断ち割って、強引にアキラへ届かせる腹積もりのようだ。
「運がいいのは、あたしの方だ」
だが、カノンは揺るがない。屈しない。
真正面から力を受け止め、睨み返す。
「お前とその剣、それぞれを探す手間が省けた。この場でお前を滅し、その魔剣を祓ってみせるッ!」
「からくり人形風情が、邪魔立てするか!」
ルカは不愉快そうに吐き捨て、カノンを両断しようとする。
そのための一撃を、カノンは、武骨な刃の角度を変えて受け流す。
力を流されてもしかし、ルカは、バランスを崩さずに佇んでいた。携えた剣を構えなおす間にすら、隙は見られない。
「よかろう、まとめてかかって来い。命が惜しくなくばな――ッ!」
薙がれる魔剣を、カノンは膝を曲げて姿勢を低くし、回避する。
刃が頭上を通過した直後、義体の女はバネのように跳ぶ。人ならざる身体は僅かな挙動で速度を生んだ。
折り曲げられた膝が正確に、ルカの腹へと猛進する。
生半可な鎧など叩き割り、内蔵を無理矢理押し潰す一撃だ。
しかしそれは、届かない。
無造作に振り上げられたルカの左足が、カノンの膝を真下から蹴り上げていた。
具足に包まれた爪先が突き刺さり、宙に飛ばされる。空中で受身を取ると、膝下の皮膚を構成する部位がぼろぼろと落ちた。
内部構造に破損はなく、戦闘に支障はない。
体勢を整えるカノンの下で、ルカはしかし、上を見ていなかった。
猛烈な殺意を乗せて、ルカはアキラへと突撃を敢行していた。
いつしか狂皇子の片手には、炎の槍が握り締められている。
その殺意を打ち破ろうとするように、カノンは落下しながら左手を射出した。
ワイヤーで結ばれた左拳の先、鈍い光沢を放つ金属円錐が、けたたましい轟音を立てて回転を始める。
高速回転する勇者ドリルは、その破壊的な外見を誇示しながら飛んでいく。
ルカはそれを、容易く槍で弾いて見せた。
軌道を逸らされたドリルが、甲高い音を立てて神殿の柱に穴を開ける。
舌打ちをしつつワイヤーナックルを引き戻し着地したとき、ルカの剣が中空を切り裂いた。
斬撃を転がって回避したアキラが、カノンの横で立ち上がる。
彼と擦れ違うようにカノンは地を蹴り風を切り、背を向けているルカとの距離を一気に詰める。
勢いのまま再度跳躍した彼女は、流れるような動作で跳び蹴りの体勢を取る。
パイクスラスター。
投擲された槍のような鋭い蹴りであるその技が、ルカの後頭部を狙う。
だが、当たらない。
全方位のレーダーを搭載しているかのように、ルカは短いサイドステップで回避する。
そして振り返りざまに裏拳の要領で、皆殺しの剣をブン回した。
勢いを込めた攻撃には、急制動をかけられない。
避け切れない。
せめて直撃は免れようと、レフトアームエッジと毒蛾のナイフを重ね防御姿勢を取り、衝撃を覚悟する。
そんな彼女の横を、ブーメランのような青い何かが複数通過した。
方向感覚を狂わせるアキラの超能力、スリートイメージ。
それらがルカを惑わしかく乱するように飛び回った直後、カノンの目の前で、呪われた凶刃は停止した。
アキラの力を知らないカノンは不審に思う。
だが、頭を捻るよりも先にすべきことがある。落ちているチャンスを拾わない理由など、ない。
カノンは、防御姿勢のまま強引に右足を振り上げた。左足を軸にして独楽のように高速回転を行う。
右の踵に遠心力をたっぷり乗せて、渾身の回し蹴りを、ルカの背へと躊躇わずにブチ込んだ。
重く鈍い音が、鳴る。
鎧の硬い感触が靴裏に触れ、僅かな振動が生まれる。
その触感は次の瞬間に遠ざかり、巨体が勢いよく盛大に吹っ飛んでいく。
それを悠長に見守るほど、カノンは敵を過小評価してなどいない。
ルカ・ブライトは恐ろしく強い。しかも、その手にあるのは呪われし武器だ。
『魔』を携えた『邪悪』そのものの男と、カノンは戦っているのだ。
堪らなかった。
体の奥が病的に熱い。なのに心はゾクゾクと震えている。
自分の全身に、未だ血液が駆け巡っているかのような錯覚が、昂揚感を沸きあがらせる。
昂揚感が生むのは、異常とも呼べる熱だ。
その熱さを解放し使役し力にするように。
義体に組み込んだ新たな力――パワーユニットに指示を出す。
「『魔』を『邪悪』を『穢れ』を『呪い』を『厄』を『禍』を――」
滅し、清め、禊ぎ、落とし、濯ぎ、祓うために。
そしてそれ以上に。
願い、求め、祈り、欲し、望み、乞い、ひたすら天へと手を伸ばすように。
「――焼き祓えェッ!」
瞬間、吹き飛んだルカ・ブライトを中心に、爆炎と轟音と焦熱が炸裂した。
◆◆
耳を塞ぐ暇すらなかった。
そのせいで、神殿中を震わせる爆音をまともに受けた鼓膜が麻痺し、耳鳴りが響いている。
神殿の壁が砕け、巻き上がった煙と埃の向こうに、男の姿が消えて見えなくなった。
爆音が引き、静けさがやって来る。
だからアキラは、胸を撫で下ろし肩から力を抜いた。
いくらルカが化物じみていても、高速の回し蹴りと爆発が直撃すれば無事では済まないだろう。
深い息を一つ吐くと、全身に疲労がのしかかってくる。倒れないよう、それを気合で受け止めた。
努めて意識を保ちつつ、カノンへと目を向ける。
彼女は腰を落とし、砕けた片膝を床に付けていた。
「膝、大丈夫か?」
尋ねるとカノンは、変わらない鋭い視線でアキラを一瞥する。その瞳には未だ、気丈な光が宿っていた。
「駆動系に問題はない」
短い返事は淡々としていて、痛みや弱音の色は交じっていない。
アキラは横目で、彼女の傷口を見る。
割れた皮膚の奥から覗けるのは、赤い血液でも有機的な筋細胞でもない。
人工的で無機的な、大小さまざまな機械の集合だ。
タロイモとは少しも似つかないそのボディを藤兵衛が見たら、どんな顔をするだろうかとアキラは思う。
その構成はとても精緻で、高度な技術で作られているようだった。
だがほとんどの部品が古ぼけ磨耗しており、いつ壊れてもおかしくなさそうな危うさが漂っていた。
「大丈夫そうには見えねーけどな」
苦笑して呟いても、カノンは答えない。
ストイックさと無愛想さが入り混じったような態度に、アキラは思わず溜息を吐いた。
そのとき。
がたりと、物音がした。
その音が何処から聞こえたのか。
それを考えた瞬間、心臓が握りつぶされた様に縮み上がった。
音は終わらない。
がたりがたりと、何かが落ちる音は連続し、声へと続く。
「……温い、温いぞ、人形」
その声は静かなはずなのに、耳鳴りを押し分けて聴覚を刺激してくる。
アキラの身体を、不愉快な緊張感が支配していく。発汗と心拍と呼吸数が増えていく。
カノンが、跳ね上がるように膝を伸ばし立ち上がる。
その様子を尻目に、アキラは恐る恐る視線を動かして、そして。
双眸が、捉える。
捉えてしまう。
ぶち壊されて転がった、かつて神殿の壁だったものを足蹴にする、狂皇子の姿を。
瓦礫の中心に立つその姿は、戦闘が未だ続いているという事実を無理矢理に突きつけてくる。
戦慄せずには、いられなかった。
ルカ・ブライトは目を見開いて、笑みを浮かべていた。
額から流れ落ちた鮮血で容貌をどす黒く染めながらも、凄絶に残酷に暴虐的に、嗤っていたのだ。
血塗られた笑みは、この世のものとはとても思えない。
悪寒が止まらない。
まるで、神経を直接硬貨でなぞられているようだった。
そんなアキラを、叩き落すように。
ルカは笑みを深くして、咆える。
「炎とは、このようなもののことを指すのだ!!」
その咆哮に誘われたように、天から炎が舞い降りる。
螺旋を描いて飛来する火炎を迎撃するため、アキラは咄嗟に構えを取った。
しかしその火炎の矢は、アキラにもカノンにも、牙を剥かなかった。
炎は、ルカ・ブライトへと向かっていた。自身の身に降りかかる炎を、ルカは愉快そうに眺めている。
そうして。
ルカはその身に、紅蓮の炎を纏う。
真っ赤に揺らめく業火に包まれて、ルカは残虐な哄笑を上げる。
赤の世界で、その漆黒の髪が、際立っていた。
息を、呑んでしまう。
その姿は神々しくも威圧的で、まるで、焦熱地獄の君主そのものだった。
マントを靡かせ、ルカが跳ぶ。
炎を散らす巨体は、獣の機敏さで距離を詰めてくる。
火炎を躍らせ、剣を振り翳す。それが狙うのは、アキラではない。
カノンが回避を試みる。
だが、ルカの方が速い。
今一度スリートイメージで狙いを逸らそうにも、間に合わない。
アキラは、がむしゃらに地を蹴った。
策などない。考えている余裕もない。
ただ、突っ立っているままでいられず、決死でルカに向けて突進する。
それすらも、遅い。
アキラがルカに接近するより早く、カノンは、炎を抱いた呪われた刀身に吹き飛ばされていた。
痛々しい打撃音が轟く。
それでもカノンは、超反応を見せていた。
アキラの脇をすり抜け、反撃のワイヤーナックルが飛んでいく。
先端で回転するドリルはしかし、またも槍に弾かれ軌道が逸れた。
ルカは止まらない。
消えない炎に包まれた皆殺しの剣をアキラに突き込むべく、巨躯に似合わぬ速度で猛進する。
獰猛な肉食獣にも匹敵する、勢い。
――それが、唐突に落ちた。
先ほど弾かれたカノンのワイヤーが、ルカの左手に巻きついていたのだ。
ルカが、つんのめるようにして立ち止まる。
からりと、左手から槍が地に落ちた。
ワイヤーの先では、ドリルが耳障りな音を立てている。
その直撃を避けるべく、ルカは、アキラの身を貫くべく構えられた刃を振るいワイヤーを叩き切る。
その動作のせいで、無防備な胴が眼前に晒された。
それは初めて見えた、アキラが付け込める隙だった。
「おおおおおおお――ッ!」
頼れる兄貴分の熱い鉄拳か、あるいは、流水の如く静かな心から放たれる拳を真似るように。
思い切り、腕を振りかぶる。
その動作は洗練されておらず、先のどちらの拳にも似ていない。
だがそれでも、少しでも近づけるように、届かせるために、思念を込める。
不屈の決意と抗いの証明――ド根性を詰め込んだ、渾身のホーリーブロウを、ルカに叩き込んだ。
◆◆
放たれた拳は雑で稚拙で未熟で、お世辞にもいい一撃とはいえなかった。
それでも、それを食らったあの邪悪の塊が、よろめいてたたらを踏む。
充分だった。
カノンは体勢を立て直すこともなく、フルスピードでルカへと迫る。
ワイヤーを切断されたせいで左腕から先はなく、レフトアームエッジは使えない。
だからカノンは、右手にあるナイフを強く握り締める。
体が熱い。
悲鳴を上げるように、体がみしみしと軋んでいる。
それでもカノンは減速などしない。制動など考えない。
それどころか貪欲に、更なる速度を求めるように義体を酷使する。
パワーユニットや勇者ドリルといった規格の異なるパーツを強引に装着し使用したせいで、耐用年数などとうに過ぎている義体には強烈な負荷がかかっている。
――構うものか。
いらないのだ。
『魔』の一つや二つ祓えず壊れてしまうような脆弱な体など、いらない。
心から希求し渇望し、何よりも追求し熱望するものは。
力を得て『魔』を滅し『英雄』の血に相応しい存在となることであり、そして。
そして――。
ルカがバランスを立て直す前に、飛び込んだ。
その腹に真っ直ぐ蹴りを、ぶち込む。
その一撃をきっかけに、肘を叩き込み拳を叩き付け膝を叩き入れる。
一撃が終わるよりも早く、カノンは身を躍らせて次の攻撃を繰り出していく。
人体では容易に再現することの出来ない、高速の連撃。
嘆きを訴えるように、体がぎしぎしと軋んでいる。
それでもカノンは力を弱めない。限界など意識しない。
それどころか強欲に、更なる威力を欲するように義体を使い潰す。
風が生まれ大気が流れる。
掻き混ぜられる空気に包まれても、体の熱は収まるどころか、強くなっていく。
ぎしぎしと、みしみしと、軋みは次第に大きくなる。
カノンは止まらない。
だから軋みも、止まらない。
それでもやはりカノンは攻撃の手を緩めない。義体が上げる声を黙殺し続ける。
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最終更新:2010年06月30日 23:55