メイジーメガザル(前編) ◆jU59Fli6bM



神殿を出発して、まず気になったのは目の前に広がる森の様子だった。
俺は無音の空間から、木が茂る山を眺めていた。

「……結構、でかかった気がしたんだけどな」

大きくうねりながら木々を飲み込んでいた炎。
それは既に姿を消し、代わりに焦げた木の黒が手前の緑の間から覗いている。
あれだけ燃え盛っていた炎は、いつの間にやら完全に鎮火していた。
さっきの男みたいなやべぇのがまだいるってことだろうか。それとも数人がかりで消したってだけだろうか。
どっちにしろ、このゲームに乗っているのかは分からないけど。
そういや、あの時使った拡声器の声は誰か聞いただろうか。
神殿には誰もいなかったから、無駄だったかもしれねぇなあ……。

いや、そんなのは大した問題じゃない。会えば分かる話だ。
俺は仲間を探してる。
森の中に人がいる、それだけで動く理由は十分なはずだ。

本当に問題なのは。

人のいる所まで辿り着けないことだ。






あんた……今、幸せか?


俺はもう、


疲れた。



(笑えねえ……)

心の底からそう思った。
心の底から全力で同意した。
いや、ないだろ。これはない。
木に寄りかかりながらぼそりと呟く。何度も否定はしてみた。悪態だってつきまくった。
だが駄目な物は駄目なようで。
水を含んでさらに足場の悪くなった森は、こちらを嘲笑うかのように依然として前に立ちふさがる。
今までその中を気力で進んできたんだ。だけれども。
足が疲れただけならまだいい。頭痛が痛い。間違った、頭痛は痛い。ん?
人がせっかく前に進もうとしてるのに足が言うこと聞かない。空気が重量を持ったかのように一息一息が苦しい。
そして、疲れが貯まる一方で進展は全く無い。
そんな悪循環ががりがりと気力を削いでいった。

立ち止まって振り返ってみる。まだ木々の向こうの神殿がうっすらと見える。って事は。
今まで、全然森の奥に入れないでこうしていたんだ。
人に会うどころじゃない。これじゃあ最悪、森から抜け出せなくて迷子だ。
……俺こんなに体力無かったっけ。
大体、迂闊にテレポートできないとか心読めないとか、この能力終わってるだろ。オディオの奴俺に恨みでもあるのか。
なんて、言っててもしょうがねえけど。

「道ぐらい、作ってくれてもいいじゃねえかよ……」

自然とため息が出る。
まあとにかく、人も見当たらない、移動もままならないで俺は途方に暮れていた。
そういえば、腹減ったし水も飲んでなかった。通りでふらふらするはずだ。
立ち止まりたくはなかったけれども、これは少し休んだほうがいいのかもしれない。

「……ったく」

……何だか、気持ちばかり急いでたのかもな。
悪態をつきながら、俺はゆっくりと木にもたれかかった。






「はぁ、はぁ、はぁ……」

どのくらい走っていただろうか。
あとどのくらいでこの森を抜けられるのだろうか。
私は神殿を目指して走っていた。
背の上のミネアの状態は変わらず深刻だった。それどころか体がだんだん冷たくなっていくように感じる。
不快な汗が、頬を這うように流れていった。
早く、早く薬か術士を見つけないと、手遅れになるかもしれない。
そう思うとたまらなくなった。

「誰か!」

込み上げる不安を吐き出すように、私は叫ぶ。

「誰かいませんか! 怪我人がいるの!!」

私の声は誰に届くこともなく、鬱蒼とした木々に虚しく吸い込まれるばかり。どれだけ叫んだところでそれは同じだった。
誰も現れない。誰も見つけられない。
術士や善人どころか、殺しに乗っている人さえも現れない現実。

当たり前か、こんなに広い会場なんだ。そう簡単に人に会えるはずがない。
そう、そんなことは分かってるのよ。でも、これじゃ――。

不安が重圧となって私を襲う。それがミネアの上から覆い被さっているような気がして、私は押し潰されそうになる。
ミネアを背負う手がちくちくと痺れる。汗ばんだ手の感覚が薄れてきた。
背負い直さないと。そう思って私は荒れた息で立ち止まる。
と、その時。
向こうの木の根元に、見慣れない色を見た気がした。……いや、確かに見えた。
私は半ば信じられないといった気持ちで近づく。

人だ。本当に人だ。変な格好だ。
今まであんなに探し求めてきたのに、いざ会うとこんな気持ちになるのもおかしな話だと思った。

「あなた、ちょっといい……」

声をかけ、思わず口をぽかんと開ける。
その男は眠っていた。殺し合いの場にもかかわらず、私があんなに必死になって叫んでいたにもかかわらず。
私は少しだけ苛立ちを覚えた。

「ちょっと!」
「あー……?」
「急いでるのよ! 起きてよ!」
「んー……。なんでー、ちゃんと人がいるじゃねーか」

私に気付くと、その男は嬉々として話を続けた。

「休んでみるもんだな。さっきまで寝てたらこれだもんよ」
「そんなことより! ……あなた、この殺し合いには乗ってる?」
「それを聞くか? ま、こんなナリじゃな……」

そう言うと彼は身に着けた武器を外し、デイパックと共に投げてよこした。
殺気は……感じない。まあ、道端で寝てるような人だし。殺し合いに乗っていないなら、こんなに嬉しいことはない。
……ただ、どう見ても回復術の使い手には見えないのが残念だ。
ミネアを地面に横たわらせて、私は投げられたデイパックに手をかける。

「俺のことはアキラでいーぜ」
「良かった。ねえ、薬か何か持ってない? 仲間を助けて欲しいの」
「薬は、ねーけど……」

ミネアの火傷の様子を見ながらアキラが答える。
確かに、それらしいものはない。中にあるのは、食料に水、変な機械、紙の束……。
そんな、とやっぱり、が同時に私の心に起きる。信じたくなくて、私はそれらを凝視し続けていた。

「その、ようね……」
「あー、ちょっとごめんよ」

私を見たアキラが苦笑いしたかと思うと、いきなり私の腕に触れた。
何事かと私は身じろぐ。そして何をしたかはすぐに分かった。
走っているうちに木の枝につけられた傷が、みるみるうちに消えていく。
私は呆然として腕をさすった。

「んー、まあ、事情は大体分かった。俺にやらせてくれねえか」
「……あなた、魔法使えるの?」
「いや、それとは少し違うけど……。そうだ、一つ頼んでいいか?」
「え?」

アキラが足元のデイパックから取り出し、渡してきたのはなにやら見慣れない機械だった。
ボタンを押せば声が大きくなる拡声器というものらしい。俺が治療する間、これを持って人探しをしてくれとのことだが。
それより、持ってけとは。私はここにいるつもりだったのだけれど。

「危ない奴がいたらこれを使って知らせてくれないか」
「……危ない奴?」
「まだ2人がいるかもしれないんだろ? あ、この先の神殿に行くなら気をつけろよ」
「神殿……! そこで何があったの?」
「いや、やべぇ男がいたんだ。戦闘になって、一人……死んだ。
もう神殿には誰もいねーけど、ここらへんにはまだそいつがいるかもしれないから」
「……そう、分かったわ」

神殿。そこに現れたという凄まじい力を持つ男。
断片的な、それでいて貴重な情報に私の心がわずかに揺れた。
私から皆殺しの剣を奪った男かもしれない。もっと聞けば、何か分かるかも知れない。
気にならないと言えば嘘になる。でも、今はミネアを優先しなければ。
正直ミネアの元を離れるのは、怖い。
そんな私の様子を楽しむように、目の前の男はにやりと笑う。

「俺が駄目だったら、その時はその時だが……。お前、俺を信用してねーだろ?」
「……信じていいのね?」
「ま、無理は言わないけどな。信じる気になったら、こいつを助けたいなら……、2,30分ほど後にまた会おーぜ」

一瞬、彼の言葉に刃のような鋭さを感じた。
それが何かはわからないけれど、彼の目は外見にそぐわず、真っ直ぐだった。
――どちらにしろ、今は彼に頼るしかない。
分かったわ、と呟き、私は踵を返した。

「あ、リンディス」
「……え?」
「そういや、こいつの名前は?」
「ミネア、よ」
「そうか」


ミネアの元を離れ、走りながら私は考える。
リンディス、と彼は確かに言った。
私はいつ本名を言ったのだろうか? そもそも、アキラに名乗っただろうか?
再びあの拭いきれない重圧が私を襲う。強くマーニ・カティを握り締める。
不安だった。何かが引っかかった。けれど、私は足を進めた。

神殿には誰もいないと言われた。
白い女の人やデスピサロも、あの様子では追い討ちを仕掛けてくるようには見えなかった。
この丸焦げの森に、まだ人がいるとも思えなかった。
ならばどうするか。そう考えて、私は真っ直ぐ西へ向かった。
先刻、2人と戦って荒れ地と化した――少女が倒れていたあの場所へ。

私たちが着く前に何があったかは分からない。
けれど、まだあどけなさが残るその少女の顔は、どこか寂しそうだった。
あの2人のどちらかと知り合いだったのだろうか。
そんなことを思いながら私は埋葬を進めた。
埋葬といっても、戦いで大きくえぐれた地面に彼女を寝かせ、葉や土で体を隠す程度のことしかできなかったけれども。
少女の傍らには、宝石のような石が落ちていた。
知り合いがいたなら、一緒に行動していた人がいるなら、形見になるかもしれない。
そう思って、私は宝石を拾い上げた。

「こんな弔い方でごめんなさい。どうか、安らかに……」

そして埋葬を終え、今私は走っている。
本当に、木ばかりだ。
右を見ても左を見ても、木が並んでいるだけ。
そんなの森だから当たり前なんだけれども、今の私にとっては邪魔でしかなかった。
この森に後押しされるように私の焦りはじわじわと高ぶっていく。
いっそ全部焼けてくれれば良かったのに。そんな気持ちにさえなってくる。
力任せに着けてきた木の印を頼りに、草を掻き分け、木の根を飛び越え、私は先ほど来た道を逆走していた。

神殿にも、行こうと思えばすぐに辿り着くことができた。
本当は寄りたい気持ちも強かったけれど、私にはあのまま少女の死体を野晒しにすることはできなかった。
神殿と反対方向なのが惜しいけど、今は仕方ない。
元々の目的だった皆殺しの剣については後回しにしていたから、神殿での経緯は詳しく聞かなかった。
私の気になっていた、アキラの言う危険人物は見受けられない。
人どころか鳥の一羽でさえ見当たらないし、当然なのかもしれないけど。
こればかりは、近くにいないことを祈るしかなさそうね。

私は支給された時計を見る。先ほどから経った時間が30分を越えている。
その時計は、時間が経てば経つほど私を不安にさせた。
アキラの言動が、遠回しに私をあの場から引き離そうとしているのには気づいていた。
そこには、私がいると駄目な理由が、隠したい理由があるはず。
私は、疑っている。
そんなことは分かってた。
アキラは、私に拡声器を持たせ、誰もいない森へと急かした。
彼は"運よく"現れて、"幸運なことに"回復術が使えた。
最初は自然と安心したはずだった。
嘘をついているような目ではないと、確かにそう思った。
けれども、今となっては曖昧な記憶に過ぎない。

もしも、私を遠ざけ、その間にミネアを殺すことが目的だったら。
――強い口調で私を行かせるはずだ。
もしも、私に持たせた拡声器が純粋に自滅を誘うための物だったら。
――私の居場所が割れるのはあっちにとっても有利なはずだ。
思考の渦の中で仮定と事実が交錯し、その奥から時折覗くのは過去の忌まわしい記憶。
他にも、彼には不可解な部分があった。
私達が戦ったのは二人だということ、私の名を知っていたこと。
信用するには、どうしても……。
そこまで考えて、私は頭を振る。そんなことは、そんなことは分かっている。
けれど、ミネアには時間がなかった。
アキラと会った時点で、ミネアの体温は微かに感じることしかできないほどに低下していた。
荒かった呼吸がだんだんと弱々しくなっていくのも、私は堪えられなかった。
彼を追い払ったところでミネアの運命は変わらないかもしれない。
そもそも、あの怪我を治せるか、再びミネアが目覚めることができるかどうかも分からないのだから。
結局私は、祈ることしかできなかった。

「ミネア……。どうか、生きてて……!」

その間にも、私は先ほどの場所に近づいている。
目印に付けた木の幹の傷が、力任せの雑な形に変わっていく。
まとわりついていた不安は徐々に危機感となって、きりきりと私の胸を締め付ける。
もしもミネアが死んだら。
そのifだけで、私の他の思考一切を止めるには十分だった。
そして、前方の木の間に見慣れたオレンジの布が横たわっているのが見えて――

――私は思わず、その場に立ち尽くした。



「…………え?」







『まあ、なんて綺麗なお花畑……』

『こんな場所もあるのね』

『そういえば私達、どこまで来たんだっけ?確か……』

『よっと!』

『あっ、もう!どこへ行くの?』

『ほらほら。早くしないと置いていっちゃうわよ』

『えっ、そんな!』

『あははは、捕まえてごらんなさぁい……』

『うふふふ、待ってよねえさぁん……』




や ば い。




今のミネアを表すのに、これより適任の言葉があるだろうか。
酷い状態なのは一目で分かりすぎるほど分かった。
首筋から肩を過ぎ、二の腕までを黒で覆うほどの火傷。そして、どう見ても一歩手前の心の中。
火傷は冷やせばいいんじゃねえの? とかそういうレベルじゃない。やばい。
俺はリンディスを半ば追い払うように遠ざけて、ミネアの傍に座った。

思わず目を背けたくなる大怪我に、思い切って水をかける。
消毒できればよかったのだが、酒は使い切ってしまったし仕方ない。
流れ落ちる水が焼ききれた肌を洗い流し、いつしか上腕は黒と白のまだらになっていた。
壊死した肌をぼろぼろと剥がしていくと、中から生気を失った土気色の肌が現れた。
それを見て俺は顔をしかめる。そして改めて思い知らされる。
この火傷は、普通なら医者に任せるしかないほどの大怪我なんだと。
体温は既に低く冷たくなってきていた。血の気の感じない寝顔は、死人と言っても差し支えがなさそうだ。
ミネアの上腕に近づけた俺の腕が止まる。
きっと、その肌に触れていいのか分からないんだと思った。
こんな森の中じゃ、どう見ても清潔とは言えない。なんとなく怖い。それもあるけれども。

正直、ヒールタッチではごまかす程度のこともできないだろうことを、自覚していた。
そもそも俺は医療に関してはさっぱりだ。正しい治療方法なんて知るはずがない。
回復を促進させることが本質のヒーリングで、全てどうにかなるものでもない。
ミネア自身の意識も無く、ただでさえ疲れて能力の効きが悪い今じゃ、こんな火傷は半分も治せないと。
そんなことは分かっていた。

「怪我の治療は無理、か」

だからこそ、笑ってみせる。

「それだけだと、思うなよ……」

リンディスは魔法かと聞いたが、魔法とは違う。超能力はイメージだ。
術の知識をもって、呪文を紡いで、そうなるように仕向けるのではない。直接相手に働きかける力だ。
例えば……、火傷を治療できなくても、ミネアの体に火傷を「忘れさせる」ことならできる。
下がった体温もフレイムイメージの要領で、思いっきり暖めてやればいい。
体が落ち着けば、なんとか奥にある意識を引っ張り出せれば、ヒーリングはそれからでも遅くない。
俺はミネアの額の上に手をかざす。
ミネアの脳に干渉して、無理やり俺の波長に合わせる。いわゆる「同調」を促す。
回復の促進とは違い、こっちは意識が無いほうが断然やり易い。
これが、今のショック状態を抑えるために、知識や力がなくても一番間違いの無い方法なはず。
その後は、医者でもないと……どうなるのか分からないけれど。
でも、何もしないなんてそれこそあり得ない。
俺はかざした手をそのまま額に触れて、ミネアの意識に呼びかけることにした。
炎や氷ではなく、声そのものをイメージにして送り込む。
こんなの普通は誰もが気持ち悪がるに決まってるから、使ったことなんて全く無いんだが。

「おい、お前……、ミネア!」

「聞こえるか? 聞こえたら、答えてくれ」

呼びかけても呼びかけても、なかなか俺の声は届かない。
意識は奥底に眠っているようで、先ほどのように読むのも精一杯だった。
心に直接呼びかけているんだから、少しくらい耳を貸してほしいものだが。
リンディスの心まで読まなきゃ良かったな。休んだから大丈夫だと思ったんだけどな。


「    」


何分経っただろうか。
額に針を刺されたような、鋭利な痛みが頭の中で響いた。
目の前の風景がかき混ぜられ、ゆっくりと1回転する。俺は慌てて片方の手で身体を支えた。
焼けつくような焦燥感が内臓を走り回る。俺は内心で舌打ちした。
ミネアの顔を見る。が、相変わらず生気が無い。
駄目だ。止まったら駄目だ。
俺がやると言ったんだから、こんな無理くらい――




『… …… …?』




……
……何だ?
今、




『姉さん?』




がくんと体が揺れた。
何かが聞こえた感覚と同時に。
顔にひやりと湿ったものが当たる。気付くと目の前にミネアの顔があった。それから俺は倒れたことに気付く。
息が苦しい。胃が大きな石でもつまってるかのように重い。
けれども、これは進展だと俺は確信する。

覚束ない意識に構わず、おもむろにミネアの手を握った。
組み上げるのは、痛みの消失、傷の完治、心の安定を促進させる、暖かいイメージ。癒しの思念。
今度は思念を強く強く送り込もうとして、意識を集中させる。
ミネアの身体はすぐに反応した。
同調した血液の流れが安定し、冷や汗は消え、手も徐々に暖かくなっていく。
俺はその状態に縄で縛りつけるように、必要以上に強く念じながら、再びミネアの意識を探る。
さっきのように2、3回呼び掛けるとすぐに、感情が動くのが分かった。
今ならいけるはずだ、そう思って。
俺は思念を送り込むのを止め、ミネアと対話するために全神経を傾けた。

「お、おい、聞こえるか!?」
『姉さん……じゃない……? あなた、誰? どこから話しかけているの?』
「そんなの今はどうだっていい! 目ぇ覚ますことに集中しろ!」

……声が届いた。
ミネアの感情が、目を白黒させているかのように上下に揺れる。
そして、ミネアの中から「姉さん」と呼ばれる人物のイメージが消えた。
困惑と動揺が嫌というほど伝わってきて、ぞくりと背筋に寒気が走るのを感じた。
こいつはこのまま夢でも見ながら死ぬつもりだったんだろうか。
直前の記憶を忘れたまま、この楽園を現実だと信じたまま。

『い、いきなり……、何なのよ。どういう意味?』
「そのまんまだ! お前が今まで何やってたか、よく考えろ。そんでなんとか起きてくれ!」

ミネアから伝わる感情に、苛立ちのようなものが加わる。
俺も焦ってるからなのか、こっちまで苛々してくる。

『何、言って……?だから私、ちゃんと起きてるじゃ……』

まあ、無理もないと思った。
ミネアが言いすくむと同時に花畑のイメージも消え、辺りは黒一色に変わった。

「……気ぃついたか?」
『起き、て……?』

困惑、動揺、苛立ち、焦燥、失望、疑問。それが突風のように吹き荒れ始めて、俺は顔をしかめた。
心が動くのはいい。意識の表層に浮かんでいけば、覚醒もそう遠くない。

『あ、れ?』

ただ、それはぶつぶつと穴が空いたようなノイズ混じりで。
俺は何故か、それがひどく不快に思えた。

『わた し……』
「……どうした?」
『そう、さ…っきまで森にいて、ぴサロさんとぁの白、いhいとと戦って……』

膨らんではしぼむような声、感度の低いラジオのような音。
なんだこれ、気持ち悪い。
それが聞き間違いとは思えなくて、俺は徐々に言い知れない不安を感じていた。
そしてそう考えている間にも、聴こえるのが声なのか雑音なのか、その違いさえも分からなくなっていく。

「お前、お前……何、言ってるんだよ。俺の声、聞こえるか?」

『私、そおとキ、気を……nあって……』

『そし……、リンさnい…うぉts……て……』

『……で■o……■■ッた■……り■■■ヲs■■■■』


『■…■■■■■■■ ■■  ■』


『                    』


「……え?」

意味が分からなかった。
俺はしばらく、呆然と眺めていることしかできなかった。
額がぐっしょりと濡れて、汗が頬を伝っていくのを感じる。

おかしな話だと思った。
握った手は暖かい。なのに、心のどこを探っても意識が見つからない。
俺は首を振った。さっきまですぐにも目覚めそうだったのに、そんなわけあるか、と。
俺は考えた。次に何をすればいいのかを。ミネアには動く気配が無いというのに。

ふと、頭の片隅が囁く。
そもそもこれ、暖かいか?俺がそう思ってるだけ、思いたいだけなんじゃねえのか、と。
俺は目を閉じる。どういう意味だ、と強がりを言い返した。
けれど、実際俺は確信が持てなくなっていた。心を読むわけでもないのに、手先に神経を集中させる。
手をほどく。ミネアの手は力なく地に着いた。
もう一度握る。その強ばった指先が俺の手のひらを突いた。
……暖かい?冷たいんじゃないのか?冷たいってなんだ?
俺の手が震えた気がした。それが何故かは分からないけど。
仕方ねえな。もっと回復しないと駄目なんだよな?

何度もミネアの心を読んでみる。反応は無い。
そりゃそうだ、意識がないんだから。
俺はそう思うと同時に首を傾げたくなった。そして疑問を感じたことも疑問に思った。
意識がない、と思ったことは間違っていないはず。
なのに、何がおかしい。
頭では何か気づいているのかもしれない。

……いるのかもしれない、だと?すぐ分かることじゃないのか。

吐く息が震えた。


こいつ、もう――




――死んでるのか?





目の前のミネアがぐにゃりと歪んだ。周りの木も巻き込んでそれはかき混ぜられていく。
不思議だった。まるで別の部屋からテレビの映像でも見るように、俺はその景色を見ていた。
誰かが俺の視界をいじっているのではないかとも思った。
目を開ける。ミネアはすぐそこにいる。
目を閉じると、一切の存在が感じ取れなくなる。
じゃあ俺はずっと、死体相手にこんな事やってたことになるのか?
ついさっきまであいつの心と話していたのに、それなのに。
死なせたくないと思った。恩人を助けて欲しいと、リンディスは言っていた。それなのに。


なんだか、笑いたくなった。
なんだか、怒りたくなった。


なんだか、叫びたくなった。


「ざけんじゃねーよ……」

ミネアにも俺自身にも当たるような呟き声が出る。
それを皮切りに、感情が爆発した。

「お前、死ぬのかよ。こんなところで、リンディスの思いも無駄にして死ぬのかよ!
 姉がいるんだろ? 帰る場所だってあるんだろ? 勝手に満足してくたばってんじゃねえよっ!」

異物が競り上がってくるような感覚で、息が詰まる。
咳き込みながら、構わず叫んだ。

「俺は……、帰りてえぞ。妹がいるんだ。俺がいてやらねえと、いけねえんだ。お前だって同じ……」

その時。
手のひらに何かが当たった。
そして、俺は確かに見た。ミネアの指先が動いたのを。

「……え」

心を読んでみるが、さっきまでと同様、意識は感じられない。
耳を澄ませてみる。
荒い呼吸が聞こえたが、これがミネアのはずがない。じゃあ、誰だろうか。
手を離そうとした。ミネアの指がまた動く。
驚いたのか、俺の指先がびくりと震えた。それきり動かす気になれなかった。

当然、死んでいるという訳じゃない。そして、蘇った訳でもない。
生きていて良かった。そう思うと同時に。
俺はなぜか怖くなった。
足元からじわじわと違和感が競り上がってくるような感覚。何かが頭の回路に引っ掛かっているような不快感。
ミネアの脈を感じ、俺は確信した。

頭のどこかで気づいていたけど、分からなかった正体。
今までなるべく考えないようにしていた。知らず知らずのうちに排除していた、もう一つの可能性。

「は」

「はは……」

何だ。

「何だよ……」

何て間違いしてたんだ。

ああ、そうか。



おかしいのは俺の方だったんだ。



限界なんて、とうに越えていた。
今倒れてろくに動けないのも、目の前が回り続けるのも、割れそうなほどの頭痛も。
ぶっ続けで読心術を使い、暗示をかけて、イメージを送り続けた結果だと。
そんな当然のことに、俺はようやく気付く。
そもそもそれを分かってたからリンディスを追いやったのではないか。
気付いて、一抹の疑問が生まれた。
じゃあ、こんな状態の俺がずっと思念を送って、ミネアに何も影響は無かったのだろうかと。
当然確かめることはできない。でも、それが気がかりに思えて。

その瞬間。

ぷっつりと、何かが切れる音を聞いた。

いや、本当に聞いたのかも分からなかった。痛みも無い、その感覚に違和感を覚える。
本当は音なんて鳴ってないのかもしれない。また勘違いでもしたのか。
そう思って目を開ける。

あれだけぐしゃぐしゃに混ざっていた世界が、静まっていた。
眩暈の激しさだけじゃない。頭の痛みも、胃の重さも、胸の苦しさも、心の動きも。
そんなもの初めから無かったかのように、音一つ無く静まっていた。
そして、照明を落としたかのように、周りの景色が徐々にフェードアウトしていく。

まずい。
そう思った時にはもう遅かった。
まだ駄目だと、もう少しなんだと訴えることもできずに。

次の瞬間、世界が暗転した。




「私、本当に帰って来れたのね?」

『何の話よ。旅はずっと前に終わったでしょ』

「ほら、えーっと……。あら、私今まで、どこかにいなかったっけ?」

『変なミネアね。帰りたかったの?』

「帰りたかったわ」

トルネコさんはもういないのよ。アリーナだって、クリフトだっていない』

「……え?」

『勇者様にももう会えないかもしれない。全員が犠牲になって、やっと帰れるんだから』

「……それ以外に道はないの? 私は、他の方法を見つけたいわ」

『それで、今死にかけてるの? どっちにしろ同じことよ。その思いでも、人は殺せる』

『「それでも」』

『それでもあなたは、そんな無謀な生き方をし続けるのね?』
「それでも私は……、そうして皆と帰りたかった。姉さんのところに帰りたかった……!」






二人は隣り合って倒れていた。
いや、元々ミネアは体を横たえたままだから、そう言うには少し語弊がある。
何が起こったのか全然分からなくて、私は立ち尽くした。分かるのは、二人とも気を失っているということだけ。
我に返り、急いでその場へ駆け寄る。ミネアの顔を見て、身体に触れて、思わず身を引いた。

そのまま私の目はその隣へと移る。

「……ねえ、大丈夫? 何があったの!?」

私はアキラの肩を揺さぶる。ミネアに負けず劣らずぐったりとした身体は、何の動きも見せない。
心臓が早鐘を打つ。まさか、と上げたくなる声を押し殺す。
何度か呼びかけるとようやく、アキラはぼんやりと目を開けた。
私は息を飲む。先ほどから想像の付かないくらいに、虚ろな目と蒼白な顔が私を見ていた。

「あ……れ……?」
「大丈夫!?私よ、分かる?」

目が合い、私に気づいたと思うと、彼は苦しそうに顔を歪めた。

「あ……すまねえ。まだ……」

アキラがそう呟いたかと思うと、手を這わせて起き上がろうとするのが分かった。
私は咄嗟に手が出て、その肩を地面に押さえつけた。

「何、すんだ……。もう少し、なんだよ。だから……」
「……いいの。もういいのよ」
「どういう……ことだ?」

掠れた声が私の鼓膜を打つ。
何かが溢れてくるのを抑えるように、私の声は震えていた。

「ミネアは、……もう、大丈夫だから」
「……死んでないよな?」
「うん」
「……温かい、か?」
「うん」

大きなため息が漏れる。今までぴんと張りつめていた糸が切れるように感じた。
ミネアはまだ起きない。火傷も完治と言うには程遠い。
けれども、先程からは想像も付かないほど温かく、安らかな顔だった。
アキラを見ると、依然無表情なまま、こちらを向いてぼんやりと私を見ていた。
そしてまどろむように、彼の瞼は静かに下がっていき――

「ちょっと待って!まだ駄目!!」

瞬間、私は耐えきれず声を張り上げた。
アキラの身体がびくりと震え、忘れていたかのように私を見る。

「さ、叫ぶなよ、頭に響く……」
「だって!」

アキラは頭を押さえて、鬱陶しいといった調子で答える。
何故こうなったかは分からないけれど、一瞬そのまま死んでしまいそうにも見えた。
話しかけるのもためらわれて、しばらく、落ち着くまで私は空を見ていた。

「本当に大丈夫なの?」
「死にゃしねーよ、多分」
「ねえ、一つ聞かせて。あなたはミネアの回復をして……こうなったのよね?」
「……悪かったな」
「分かってたんでしょ?だから私を離したかったのね?」
「一つって言ったろ」

「……ごめんなさい」

答えはない。その代わりにアキラはまっすぐ私を見た。

「あなたは、ミネアを助けてくれたのに……。私、あなたを疑ってた。自分が、情けないわ……」

音がするほど強く歯を噛み締める。
私は無力だった。
いくら剣の腕に自身があっても、この状況では人を頼ることしかできない。
仕方ないことなのにそれがとても嫌で、自分の不甲斐なさに腹が立った。
アキラはそんな私を一瞥して、目を反らした。

「すまねーな」

もし俺で駄目だったら、と先刻アキラは言った。今になってみれば、最初からそういうつもりだったのだろう。
確かにその場にいたら、私も止めようとすると思う。
そして、誤解も当然だと思っていたから謝ったのだろうか。
こんなに疲労していなかったら、私も悪態の一つでもついていたのに。
なんだか変な会話だと、私は思った。

すると、思い出したように、アキラが話を切り出す。

「……そいつ背負って、街まで連れていけるか?」
「え?」
「怪我自体は、治ってねえから……」
「あなたを置いて……ってこと?」

そう言うと、アキラは何も聞こえなかったとでも言うように押し黙る。
冗談じゃない、と思った。いくらミネアを助けたいといっても、私にそんなことができるわけない。
ただでさえ何も礼ができていないというのに。

「……お断りするわ」
「そうか」

じゃあ、これからどうするんだ?
アキラの視線が刺さる。口は動いていないのに、そう言われたような気がした。
そう聞かず黙っているのは、私が答えられないのが分かっているからだろうか。
そう思うと、悔しくなった。

「なら一つ……賭けを、しねえか?」

視線を戻す。今まで無表情だったアキラが、にやりと笑みを浮かべた。
この状況で何ができるのだろう。期待する半面、少し嫌な予感がした。

「賭けを……?」
「ここから……テレポートする」





「俺さ……、時々思うんだ」
「このまま……こんな場所も飛び越えて、家に帰れたら、って……」



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067-2:トゥルー・ホープ(後編) アキラ 080-2:メイジーメガザル(後編)
075:Trust or Distrust リン
ミネア


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最終更新:2010年07月01日 21:36