私がわたしを歩む時-I'm not saint-(中編) ◆wqJoVoH16Y


全員が集まっても、数で劣る。各員が分散しても、数で劣る。
数で劣るマーダーたちが彼らに勝つには、彼らを『分散』しつつ自らを『集中』させなければならなかった。
だからセッツァー=ギャッビアーニはなんとしてでもリキアの3人を即滅したかった。
そうすればピサロ・魔王と共に戦力を集中させ、自分の差配で南の連中を遊撃できたはずだ。
だからカエルは是が非でも半数以上をD7に拘束しておきたかった。
そうでなければ魔王が危機に陥り、ひいては自分たちの勝利が途絶えるが故に。

だが、そうはならなかった。
セッツァーとピサロはたった2人相手に足止めを食らい、
カエルは本物の魔剣継承者を相手に退くことも倒しきることもままならない。

北と南。3つのうち2つの戦局が膠着してしまった以上、
勝敗を決するのは残りの1つ――生き残びた勝者が南北どちらの戦局にも介入できる中央戦線である。
マーダーたちが勝てば、北に援護にいける。そうなればたかが2人などものの数ではない。
そのまま雪崩てすべての勝利を収めることができるであろう。
魔王に抗うものたちが勝てば、マーダーたちを分断し各個撃破できるであろう。
さすれば勝利は確実のものとなる。つまり。

「諦めて羊になったか、ルーキー」
「託すよりない。頼むぞ、魔王」

時を越える魔王と真なる紋章遣いの戦いこそ、この朽地を巡る大戦の分水領に他ならない。

「何者……?」
「どうして……?」

その2人、ジャキとジョウイは凝視して南を向いた。
今し方放とうとしたダークマターを完全拡張前とはいえ相殺された事実に魔王は瞠目し、
ダークマターを防ぐべく輝く盾の紋章を発動しようとしていたジョウイは驚きを禁じ得なかった。
カエルによって多数の者たちが拘束されているなか、この絶体絶命の危地を防いだのは一体何者なのかと。
二人の視線の先にいたのは、一人の女性だった。
地面にまでつきそうなほど長く蒼い艶髪が風にそよぐ。
端正のとれた相貌に乗った泣き黒子に彩られ、毅然とした面構えであってもその美しさは損なわれていなかった。

「おねーさん……?」

気絶した物真似師の頭を両腕に抱えながら、ちょこは見た。
エプロンドレスに鎧を混ぜたようなその姿は母のような力強さと、優しさを感じさせる。
自分が見知ったはずの人なのに、どこか少し違うような気がする。
魔王にも、ジョウイにもそれは同じで、まるで初めて会う人間のように見えたのだ。
「私は……私は……そう……」
両の腕をゆっくりと持ち上げ、女性は自分の手のひらを胸の辺りにまで導く。
誰、誰と不思議がる奇異と驚愕の視線。当然であろう。これまで何一つ彼らに手を差し伸べることなく、護られてきたのだから。
今更、と心の内で囁く自分がいる。同情を求め、そのくせ他者を否定し続けてきた自分が今更何を成そうと言うのか。
否と、強く両拳を握る。恐れてはならない。彼女が求めるものは、この地平線を越えなければたどり着けないのだ。
「私はッ!!」
ぐい、と握り拳から人差し指と中指を立ち上げる。前を向け、笑顔で笑え。
本当の私は、こんな陰鬱な顔をマリアベルに見せていたか? 違うでしょう?
もっと陽気で、楽しく、おちゃめに……さわやかに触れ合えていたじゃないか。
笑顔を作り、茶目っ気に舌を少し上に出して、今までの忘れてくれるくらいの陽気で、飛び切りの挨拶を。
見てもらうんだ、“本当の私”を――――――――!!


「超事象地平聖女☆アナスタシアちゃんでぇ――――っすッッ!」


ここで少し想像してみよう――――

悲惨凄惨な過去を過ごし心に傷を負った少女がいた。
傷を負った少女は自分にしか分からないその痛みを分かってほしくて、周りにあったものをみんな傷つけた。
誰も彼もが遠巻きに少女を見る中、唯一無二の親友だけは彼女の近くで声をかけ続けてくれた。
その友達は遠く遠いところに行ってしまったが、少女はその友達のおかげで生まれ変わる――生まれ直す機会を得た。
今までの自分を捨てて、新しい自分になろう。
名著『素直になって自分』を読み耽って一念発起、これまでとは違う新しい自分をデビューさせるのだ!

――――そう思って捻りに捻った『自分デビュー』がドン引きされた時の少女の気持ちを。


舌が乾いてプルプルと震える。魔王の「新手の儀式法か?」という真面目な視線が痛い。
両腕が痙攣してピースサインが小刻みに揺れる。ジョウイの解体不可能な爆弾を見るような視線が辛い。
汗が額からダラダラと零れ落ちる。ちょこちゃんの純粋な瞳から殺人光線が発射されている。

ゴゴが気絶していたのは、このときの彼女にとって僥倖以外の何者でもなかっただろう。
そうであれば、開ききった瞳孔は視線を逸らすためにさらに持ち上げられ、完全に白目を向いていたはずだ。
いっぱいいっぱいな心を示すように、涙目のまま笑うアナスタシア=ルン=ヴァレリアは
額の肉の字を陽光に照らしながら、一つの不思議を見つけていた。


――――――あれ……『わたし』って、どんなだっけ?


「……ファイガ」
「しまった!」
「うぉォン!」
疑問に答えを見つけるよりも早く魔王の魔法がアナスタシアに向けて発射されるが、
アナスタシアが慌てて左に飛び退き難を避ける。
だが、回避したかどうかもわからぬ段階で、既に魔王はジョウイを擦り抜けてアナスタシアへと接近する。
「貴様には覚えがあるぞ。あの雨の中で、誰も彼もに守られていた女か。夢の中にもいたな」
走るなどという無様などせず、魔王は風を操って身を前進させる。
その先にいる無手のまま立ち上がる女を魔王はあの雨の夜に知っていた。
魔王に命を賭して一矢報いたブラッド=エヴァンスやマリアベルとやらが、戦局を分断するまで守っていた女だ。
「既に奴らはいないが、貴様がこの集団にとって要になっていると見た。貴様の頸を晒せば、僅かなりとも有利となろう。
 如何にしてダークマターを封じたかは知らんが、その一撃も含め、ここで黒き風に消えるがいい」
魔王の勘違いに、アナスタシアは自嘲を浮かべた。
なるほど、何も知らない人から見ればあの状況はそう見えただろう。蝶よ花よと大切に守られた姫君かと。
しかして実際はただの灰かぶり。この島の誰も彼もに疎まれ、蔑まれるべき呪い人。
「おねーさん!」
「ちょこちゃんは来ないでッ!!」
自分を心配してくれる少女の声を、半ば反射的に撥ね退ける。
彼女が助けに来てくれたほうがいいのだということは解かっている。その手を掴み、助けて欲しいと本能が希求する。
「ちょこちゃんはゴゴさんをお願い。『わたしなんて、もう守らなくていいから』ッ!!」
アナスタシアが昭和ヒヨコッコ砲を取り出し、魔王に向けて力いっぱいに引き金を引くと、
ヒヨコの形をした弾が砲口から弾雨の如く連射された。
出てきた弾がヒヨコであることに疑義をさしはさむ暇もなく、アナスタシアはヒヨコを撃ち続けた。
全弾喰らえば魔王とて油断ならないダメージ。だが、魔王はゲートオブイゾルデを前方に展開して防ぎつつ進撃する。
「こ、この太い棒、暴れ過ぎッ!!」
魔王の接近を押しとどめようとさらに発射しようとするが、砲がアナスタシアの制動を破り、明後日の方向へと飛び回った。
大型砲を放つときは砲身を固定するという兵理も、砲を固定するだけの筋力も彼女にはないのだ。
「先の一撃はまぐれか? 児戯で魔王に勝てるとでも?」
「……せっかちな人って、嫌われちゃうわよ? まだ太陽が出たばっかりなんだから、ゆっくりしな、さいッ!!」
攻撃を自分のミスで仕損じた目の前の敵を測りかねながらも、魔王は好機とアナスタシアに接近する。
アナスタシアはヒヨコッコ砲を捨て、懐からマグナムを取り出す。
だが意図的に軽薄な口調とは裏腹に、その銃口は震えに震えて最早方向すら定まらない。
失敗したら、ちょこちゃんに当たるかもしれない。引鉄一つで人の命は簡単に消える。そんな銃の重さなんて、知らなかった。
引鉄を引くよりも早く魔王がアナスタシアを間合いに収め、ランドルフを横薙ぎに振るう。
それをマグナムを手放したアナスタシアはナイフとソウルセイバーの二刀で防ごうとするが、
全てにおいての力の差が、アナスタシアを、二刀やルッカのカバンやマタンゴごと吹き飛ばしてしまう。

「ランドルフ、随分上手く使うのね。素敵なテクニックでお姉さん昇天寸前よ?」
「戯言に興ずる暇はない。この一撃で滅べ、力なき聖女よ」

尻餅をついたアナスタシアに、魔王のランドルフが突きつけられる。
絶体絶命の間合い。その中で、アナスタシアはへへらと笑った。
余裕などあるはずもなく、心は心底怯え切っている。だが、それでもこれらの武器をアナスタシアは振るう必要があった。
(やっぱり痛い。こういう目に、みんなをあわせてきたのね)
これは“けじめ”だ。ちょこちゃんが私との“けじめ”をつけたように、誰もに守られて甘えて傷つけてきた私の“けじめ”だ。
武器が如何に使いにくいか、銃がどれほど狙いにくいか、ただの剣がどれほど重いのかを知らなければならなかった。
これを他人に使わせようとしたのだ。これで他人に守ってもらっていたのだ。
その意味を、私は何も知らなかった。守られたことのない私は、その本当の意味を知らなかった。

「滅ばないわよ。私は守るのッ! 昔のように『わたし』のようにッ!!
 来なさい。ハイコンバイン・ガーディアンブレードverβ+――――聖剣ルシエドッ!!」

瞬間的にアナスタシアの手の中に再生されたルシエドを振りぬき、アナスタシアは魔王を後退させる。
一刀が壊れようが、関係はなかった。
欲望とは、気づいたときには胸のうちにあり、叶えられたときには既になく、そしていつの間にかあるもの。
この刃の如く、一つ二つと数えることのできない、無形にして無限の力なのだ。

「先ほどダークマターを破ったのはこれかッ! ならば密度をあげれば! 超次元穿刀――ッ!!」
「“つらぬく者”よ。かの北斗、その星脈を断ち切れッ」

そして、もう一つの刃が魔王の背後より襲い掛かる。
緊急的にバリアチェンジとマジックバリアで二重防御するが、
バリアチェンジを擦り抜けた黒槍がマジックバリアを貫いて魔王の肩を掠める。
魔王の意識がダメージに向かった隙に魔王の傍を擦り抜ける影。
そして魔王が再びアナスタシアに向き合ったとき、彼女を隔てるようにしてジョウイが立っていた。

「大丈夫ですか?」
「ジョウイ君。ええ……おかげさまでね」
絶望の鎌を棍のようにして魔王へと構えるジョウイに、アナスタシアが応ずる。
「どうして、こちらに? 貴女はマリアベルさんの仇を取りに行くものだとばかり思っていました」
「……いやぁ、イケメンの美少年がキツそうに呻いていたら、手を突っ込みたくなるのがお姉さんとしての勤めだと思わない?」
ジョウイの率直な問いに、アナスタシアはジョウイを直視することなく、道化めいて答えた。
笑って軽妙に応じようとしたがうまく唇が回らず、先の挨拶含めてやはり失敗してしまったかとアナスタシアは落ち込みかける。
「いいですよ。僕は特に気にしていません」
だが、そんなアナスタシアの心理を先回りするかのようにジョウイは答えた。
「昔から、似たようなノリには慣れてますし。それに……仮面を被らないと向かい合えないものもあるって、知ってますから」
そういうジョウイの背中をみて、アナスタシアはイスラを思い出した。
ジョウイとはあまり多くを話したことはないが、きっと彼もイスラのように仮面を被って生きてきたのだろうと。
そして、その言葉が否応にも、自分が未だ仮面を被ってしまっていることに気づかせる。
今の自分は、今までの自分が違うと思ったから、昔の自分を無理矢理引っ張り出しているだけなのだ。
子供の頃の服を箪笥から出してそれを無理矢理着たところで、それが本当の自分になる訳ではない。
「……ありがとう。イケメンなのは見かけだけじゃなかったのね」
それでも、ジョウイがそれを見逃してくれたことだけは嬉しかった。
あとほんの少し時間があれば、現在に立ち向かえるようになる。
だから、もう少しだけ仮面を被らせて欲しかったのだ。
「とりあえず、その額のを消したほうがいいです。それより、この状況の意味は解っています?」
「3秒でお願い」
「劣勢ではありませんが、正念場です。ここで負けたら全滅の可能性があります」
ジョウイは額をこするアナスタシアに本当に3秒で現状を説明した。
大局観のないアナスタシアでも、なんとなくジョウイの言うことは理解できる。
ジョウイがそれを理解しているかは解らないが、ゴゴの中のアガートラームが抜けようとしている今、この場所が一番爆弾なのだから。
「それに、僕は……」
そこまで言ってジョウイは言い淀む。
この戦いは負けられない戦いなのだ。だが、ジョウイは魔王に2度負けている。そして、その度に仲間を喪っている。
もしかしたら――――そんな思いを拭うかのように、アナスタシアは聖剣を握ってジョウイの前に立った。
「安心なさいな。お姉さんは死なないし、守りまくってあげちゃうから」
「……ありがとう、ございます!」
ジョウイはまるで本当の少年のように、アナスタシアの好意に応じた。
魔王になりたい少年と、英雄になりたくなかった少女。
仮面を被った対極にして相似する二人が、魔王の仮面を被ったジャキに挑む。

「4度目の仲間はそいつで決まりか。回を重ねる度に貧弱になるな、ジョウイ=ブライト!」
その身を戦闘態勢に戻した魔王がその周囲にダークミストを充満させる。
そしてランドルフを縦に旋回させ、まるで祭りの綿飴を作るように闇霧を魔鍵へと収束させる。
「獄門を穿て、黒杭――――超次元穿杭黒霧<ダークミスト・スパイラルタイプ>ッ!!」
拡散するべき霧を螺旋型に施錠した一撃はさながら先ほど遠巻きに天へと上った黒雷のように、恐るべき殺傷力を秘めた龍と化した。
魔王とピサロの魔力差は先のジゴスパークとダークマターの相殺で見切っている。
その上で、ピサロは魔王を越える術として自身の力をより収束させることを選んだのだろう。
ならば、同条件でそれを放てば魔王のそれがピサロのフルフラットを超えることは言うまでもなかった。
効果範囲と引き替えに威力を得た霧の黒龍は疾風の如き速度で走り、回避する暇も与えずジョウイとアナスタシアを飲み込まんとする。

「おねーさん、おとーさん!」
ちょこがその光景に耐えかね、自分が龍と彼らの間に入ろうとする。
当然だった。あのような魔力、まともに直撃すれば防御などできるはずがない。だが、
「大丈夫だ、ちょこちゃん。アナスタシアさんは僕がサポートする!
 攻撃はしないで。君は、君が守らなくちゃならないものを守るんだ!!」
「言ったでしょ? 守らなくても大丈夫だって!」
何か固いものに当たったかのように、黒龍の顎が命の一歩手前で食い止められる。
黒龍の牙の先に碧の光と白き輝きが幾重にも折り重なって、絶対の盾を作り上げていた。
輝く盾の紋章、全てを癒す大いなる恵み。剣の聖女、物魔問わずに守りの加護を与えるプロバイデンス。
この島の中でも最上級防御系能力の二連門相手では、さしもの魔王、さしもの魔鍵とてそう易々と解き開けるものではない。

黒龍は獲物に牙を突き立てることなく、無念とともに霧散した。
その光景を睨みながら分析する魔王を前に、ジョウイとアナスタシアは呼吸を整える。
「……いいの? ちょこちゃんをこっちに呼んだのは貴方でしょう?」
「構いません。“もともと彼女はゴゴさんを守るために来てもらいましたから”」
ジョウイのその返答に、アナスタシアは怪訝とした表情を浮かべる。
ジョウイは自分の言葉に一瞬だけ顔をゆがめたが、直ぐにそれを消した。
「魔王相手に、誰かを庇いながら戦うことはできませんから。
 それに、これまでの戦いから見てあの男には、五行の術を吸収する力があるようです。ちょこちゃんじゃ、致命的に相性が悪い」
「あー……確かに、そういうの考えながらってのは難しいでしょうね……」
皆で力を合わせ、少しずつ削ったダメージが、ちょこの水撃やら炎鳥やらで一瞬で回復される絵が脳裏に浮かぶ。
決してちょこが悪いわけではないが、なまじ恐るべき威力だからこそ吸収されたときのリスクが大きい。なるほど、相性はよろしくない。

「…………で、どうするの? ほれほれ、お姉さんに教えてご覧なさい」
アナスタシアにうりうりと肘で小突かれたジョウイは、ざっとアナスタシアの使える武装・能力を確認する。
アガートラームなき現状ではあるが、何とかフォースとサルベイション以外は問題なく使えるようだ。
自分の力、アナスタシアの力、これまで見てきた魔王の能力。その全てを勘案しながらジョウイは策を弾き出した。
「こちらの最大防御を見せた以上、魔王の次の一手は決まっています。最大火力による一点集中攻撃しかない」
魔王は決して奇策に走らない。自分の『魔法』に絶対の自信を持っているが故に。
それ以外の方法は、自分自身を否定するが故に。なればこそ、こちらが打つべき策は一つしかない。

「それを――――――“正面からブチ破ります”」

魔王の全てを打ち破って、本当の意味で魔王に勝利するためには。

ジョウイとアナスタシアから遠く距離を離した魔王は、ランドルフを中空に制しながら長考していた。
(ふん、小僧め。此度は随分と厄介な女を引き連れたものだ)
口では悪し様に言うが、魔王とてアナスタシアの能力を見誤るほど愚かではない。
冥とも天ともつかぬ、混沌とした魔力があの剣を通じてアナスタシアから放出されている。
出力の仕方にはムラがあるが、放出される魔力の流速から概算してその最大容量は魔王を凌駕しているのだ。
ジョウイの魔法を含め、彼らには属性らしい属性がない。バリアチェンジは端から無意味と考えるべきだろう。
(ここは、矛先を変えて、あの魔物を開くのが先か?)
魔王はちらと横目でローブに包まれた物真似師を見やろうとするが、握った両拳であごを覆い隠しながら頭を振る少女に視線を遮られる。
こちらに関しては最初から油断もない。あの痩躯には異常すぎる魔力は、あの2人を片手間に相手取れるものではない。
とにもかくにも、まずは数を減らさねば、退くことすら――――
(私が退くだと? ククク、何を莫迦な)
自分の中に湧き上がった僅かな思考を、狂気でねじ伏せる。
我が道は姉へと続く道、一歩たりとも無駄にすることなどできはしないのだ。
(さて、如何にするか。時間のこともある。チマチマと遊ぶわけにもいかん)
懐から時計を取り出し、刻限を再確認する。今すぐという訳ではないが、そろそろ二本の足では厳しい残り時間だ。
つまり、魔王はなんとしてでもカエルをランドルフで呼び寄せる必要があるのだ。
カエルの位置精査、動体の座標確認含め、これまで以上にシビアなプログラムが必要になる。
速やかにあの2人を撃滅し、カエルを召喚した上であの化物を呼び起こすのが最上の流れなるだろう。

(最大火力で一撃の下に殺す。だが、ダークマターでは足りん)
魔王最大冥術、ダークマターは既に初撃の攻防でアナスタシアの聖剣に破られている。
なればランドルフによる超次元穿刀爆砕だが、そこまで接近を許すとも思えない。
(もう一つ、発動プログラムがあるようだが……ヤソ……ノカミ?……名前もわからん上に、この鍵の基本スペックで撃てるとも思えん)
ランドルフの解析の上で魔王が発見した、未完のプログラム。
これならばあるいはとも考えるが、どう考えてもランドルフにはオーバスペックなのだ。
まるで、憧れた英雄の技を子供が無理やり真似ようとしたような稚拙。どう考えても頼みにはできない。
となれば、ダークミストのようにランドルフの力でダークマターを収束施錠すればいいかといえばそうでもない。
ダークマターは魔力スフィアを起点にした三角形の空間に冥界を構築する禁術なのだ。
つまり、三角を形作る空間がなければ冥府を構築できない。“三角を閉ざす”訳には――――――――

「火、水、天――縦に並ぶ三属共よ。我が冥鍵を以て、その循環を施錠する」

そのとき、魔王の脳裏に一つの技が浮かび、微笑を浮かべた。
奴らの盾を砕き開く、冥王の秘鍵が。


「来るわよッ」
「分かっていますッ」
魔王の周囲に、三色の膨大な魔力が現れる。
ファイガ、アイスガ、サンダガ。古代ジールでも基礎の基礎となる魔法の三原素の頂点である。
それを魔王は回転するランドルフによって、周囲の空間ごと捻り混ぜる。
相反する属性達が反発しようと抗うが、外側から狭まるより強大な力によって収束し、その反発力を高めていく。
「これを撃つには、三属を同時に放たねばならん。三点にて固着することで、強大な力を生むのだ」
捻り捻り捩り尽くして、魔王は黒にまで煮詰まった鍵の先端をアナスタシアたちに向ける。
「だがこの魔鍵ならば、三角を作ることもできる」
それは、魔王一人では絶対に放てない魔法。独りではできない魔法。
三角形の頂点をゆっくりと狭めていけばどうなるか。三角形は三角形のまま、最終的に『点』へといたる。
魔鍵の力で点と化した3つの属性は、それ自体が『冥の三角』なのだ。

「冥府にて嘆けよ剣の魔女。ここに俺の魔法は貴様の魔法を超越したッ!!」

それを可能とする。みんなでなければできない魔法<三人技>を、魔王はたったひとりで完遂する。

「解き放て、アルファドの三角―――――――ミックスデルタッ!!」

全てを飲み込む、冥界の三角がランドルフから解き放たれ、一直線とアナスタシアたちへと駆け抜ける。
3点全てを魔王の魔力で構成された奥義はその速度、威力ともただのミックスデルタなどとは比べ物にならない。
それは真なる黒き風。通り過ぎた場所の全ての命を奪う、死神の行進。

その行進を止めるべく、仮面の2人が立ちはだかる。
「僕は、これを越えなきゃならない。その為に力を貸りるよ、リオウ」
ジョウイが左手を大地に翳すと、輝く盾の紋章が緑の光を放ち、荒れ果てた土地に活力が漲る。
「輝く盾よ、戦場へと向かう剣者を祝福せよ。“戦いのちかい”を以てッ!!」
その場に小さな亀裂が走りそこから草木が芽吹く。
荒地にすら緑を育ませるほどの活力が、その緑に立つアナスタシアへと流れ込む。
「凄い。力が、溢れてくる……これだったら! エアリアルガードッ!!」
湧き上がる力を逃がすように、アナスタシアは聖剣を天へと掲げた。
祝福の如く、旋風の加護がアナスタシアを包み、聖剣は――聖剣を形成する欲望が紋章の力によって更に巨大化する。

「どっせぇぇぇぇぇぇぇぇい!!!!」
「何ィッ!?」

最早女性とは信じがたい気勢を持って剣の聖女だった彼女は風の速度で突撃し、冥の三角へと切っ先を穿つ。
最大火力には最大火力を。
戦いの誓いによる戦意高揚によって最大限にまで高められた聖剣ルシエドを持って、真正面から冥界を突破する。
「何だ、この力はッ!! 無限に等しいこの力は一体ッ!! これが聖女の力だとでもいうのかッ!!」
魔王はランドルフを両腕で掴みながら叫んだ。魔法を超えた魔法、それを更に超える力などが存在するというのか。
「違うわ。これは聖女の力なんかじゃない」
激昂する魔王を、優しく宥めるようにアナスタシアは闇と光の狭間で言った。
後世において、確かにそう呼ばれたかもしれない。自分には存在しない力だと、力のある人の特別なものだと言っただろう。
でも、彼女はそれを一度も特別なものだと思ったことはない。

「――――ただの、女子力よ」
「なん、だと……!?」

あまりに予想外の返事に、魔王は怒りをもって三角への魔力を上乗せする。そのような戯言でこの魔法を、姉へと至る道を阻もうというのか。
だが、聖剣の刃は三角に切れ目を入れ続けた。アナスタシアの真っ直ぐな瞳はそれが道化の言葉でないことを示している。
「そうよ。もっときれいになりたい。お化粧をして、町を歩きたい。町のカフェで友達とお茶会なんてのもいいわね。
 それで紅茶を飲んでたら、自信満々に選んだドレスが初心な少年の眼を引いてしまってさあ大変。
 何をどうしていいか分からない少年の迸る熱いパトスを優しく掴んでホテルに直行。ベットの上で神話になったらもうお赤飯ね」
紡がれるはあまりに仕様もない、下世話な言葉。
だが、その言葉を聞いたものならば誰もが理解した。意味の半分以上も分からないちょこでさえ、その悲痛が胸を打つ。
「そんなささやかな望みを私は諦められないだけよッ!!」
そんな下らない日常さえも、彼女の時代、あの絶望の7日間には望めなかったのだ。
彼女は女ではいられなかった。聖人でなければならなかった。掴むのは友の手ではなく無骨な聖剣だった。

「でもね。そんな“欲望”でだって、世界を守れるの。
 私じゃなくても、守れるのよ。だって、この力は――――誰にでも使えて、何でもできる力なんだからッ!!」

冥界に亀裂が走る。どれほどに圧縮しても、どれだけ鎖そうとも、正しき欲望は冥界を真っ直ぐに突き進む。
みんなを守って、私は死んだ。今でもそれは後悔する。英雄になんてなりたくなかった。死にたくなかった。
それでもその剣を掴んだ時、私は確かにみんなを守りたいと思ったんだ。

「だから! 私は今度こそ守ってみせる!! 私の命も、守りたい人の命も、なにもかもをッ!!
 分かったなら――――道を開けなさいッ!!」

彼女の決意とともに、欲望が冥界を切り裂く。だが、それは決して魔王の魔法が彼女の欲望に敗北したことを意味してはいない。
冥界を切り裂いた聖剣が、飴細工のように砕け散る。自分の限界以上の欲望を無理矢理に顕現させたのだ。
叫びとともに精魂を放出し切ったアナスタシアは、膝を突いて地面へと崩れた。
魔王はその様に子供のように嘲笑し、ランドルフをアナスタシアの頭蓋に向けて振りかざす。

「は、ハハハハハッ! 何が欲望ッ! 何が何でもできる力だッ!
 あの魔女と同じことを言いながら、あの魔女と同じように黒き風に消えるがいいッ!!」
「悪いが、それだけはもうさせない」

魔王の叫びが終わるよりも早く、少年の幽かな怒りを孕んだ声が魔王の耳を打った。
風のような速度で、身を屈めたままジョウイが魔王に向けて疾駆する。
エアリアルガードの効果はアナスタシアにだけではない。その傍にいたジョウイにも風の加護が備わっていた。
アナスタシアの聖剣によって開かれた冥府の中の生者の道を、ジョウイは過つことなく魔王へ向かって直進する。
「小僧が。貴様ひとりで何ができるとッ!!」
魔王は怒りに痩身を震わせながら、ジョウイへとランドルフを振り下ろした。
アナスタシアならばともかく、この小僧にまで安く見られたかという屈辱が反撃を選択させた。
「僕にだって、仲間はいたッ!! そして今も、僕は彼らの仲間だッ!!」
ガキン、と甲高い音を空に響かせながら、ランドルフはそれに当たった。
どこに当たってもジョウイの命を奪い去っただろう魔鍵の一撃は、しかして当たってはならぬ場所に当たった。
左腕のから拳一つ分浮いた場所から、ランドルフが先に進むことはできない。
そこには一つの武器があった。拳にて柄を掴み、手のひらの中で回転させて打撃力を相手に与える武具。
ジョウイは使わぬ、しかしよく知った武具だった。それを盾として、己が身を守りきる。
「彼らのためにも、僕は進む。お前を越えて、僕は往く!」
武器名は旋棍<トンファー>。名を、天命牙双。運命を約束した、朋友の形見である。
友の守りによって、最後の障壁である魔鍵を潜り抜ける。
そこは零距離、鎌を持たぬ魔王唯一の攻撃範囲外。
たどり着いた死角の中で、ジョウイは右手で鎌をさながら棍のように回転させる。
限界まで蓄えられた遠心力を鎌に送る。狙うは魔王の頭に――――

「だから―――――――ここでその座を降りろ、魔王ッ!!」

“ジョウイは鎌の付け根で魔王の顔面を打ち抜いた”。
魔王が遥か後方へ吹き飛び、地面へ背中を打ち付けてその動きを止める。
再び魔王が立ち上がらぬことを確認し、ジョウイは安堵ともに弛緩し、その膝を折る。
倒れようとする身体を、ぐいと引っ張られる。
既に立ち上がったアナスタシアが、ジョウイの身体を支えた。
「年上のお姉さんより先にヘバるなんてダメよ、若いんだから」
アナスタシアの冗談に、ジョウイは言葉も返せず、吐息だけで力なく頷く。
情けのない光景。しかし、この島最強の一角、魔王ジャキを終ぞ打ち破った瞬間であった。

「立てる? とりあえずゴゴの様子を確認してから、近くにいるはずのヘクトルたちを――――」
「おねーさん、だめッ。まだ起きてるのー!!」
え?と、アナスタシアがちょこへと向いたとき、銀色の高速飛行体がアナスタシアの背後を狙い迫る。
「く、危ないッ!」
抱き抱えられたジョウイがアナスタシアを突き飛ばし、ジョウイにその物体が直撃する。
声にならない呻きと共にジョウイは大きく吹き飛ばされた。
高速飛行する銀色の魔鍵はそのまま吸い込まれるようにその主――――鼻血を滝のように垂らしながら、
息も絶え絶えに立ち上がった魔王の手のひらに収まった。
「まだ、立ち上がれたのね。勝ち負けは着いたと思ったんだけど」
「クク、ああそうだな。私の負けだよ」
聖剣を握り直すアナスタシアは、魔王の意外な返事に面食らった。
自分の持つ最高の魔法を放ち、それをこの鼻のように正面からへし折られたのだ。そこに喚くほど魔王は無様ではない。
「だが、たとえ私が膝を突こうとも、俺は屈する訳にはいかん。
 亡き時空の果てのサラだけは、我が宿敵との約束だけは、果たさせてもらうぞ!!」

魔王は、否、ジャキはランドルフに残る魔力の全てを込める。
安全のために経由すべきバイパスを限界までカットして、最短行程のプログラムを構築する。
自分が砕けたとしても、約束があれば、人は立ち上がれるのだ。
「捉えた。約束の刻限だ、来るがいい宿敵。我らが目指すべきものの為に――――?」

だが、果たして、約束を相手が覚えているかなど誰が解ろうか。
ジャキがランドルフの過回転に気づいたときには何もかも遅かった。
ランドルフがバチリ、バチリと周囲の空間にエネルギーをまき散らす。
異常に気づいたジャキが召喚を緊急停止させようとするが、ランドルフはその門を閉じようとしなかった。否、できなかった。
それどころか、もっと門を開けとランドルフが魔力をジャキから吸い上げる。

「オーバーロード? 暴走だと? いや、この構築式は――――ぬああッ」
「嘘、これって……降魔儀式<ダウンロード>ッ!?」

制御不能となったランドルフに弾かれ、
全ての魔力を枯渇し気絶したジャキを後目に、アナスタシアは空を見上げた。
青空の中に黒界が生ずる。冥界よりもさらに冥い地獄がにじみ出る。
そこより、光が降り立った。黒より黒い紅が、闇より暗い炎が。

まるで、あの1日目のような空だった。


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139-1:私がわたしを歩む時-I'm not saint-(前編) ヘクトル 139-3:私がわたしを歩む時-I'm not saint-(後編)
セッツァー
ピサロ
ジャファル
アナスタシア
ジョウイ
ちょこ
ストレイボウ
アキラ
イスラ
ゴゴ
カエル
魔王



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最終更新:2011年12月24日 07:30