私がわたしを歩む時-I'm not saint-(前編) ◆wqJoVoH16Y
-Tick Tack-
暗い冥い黒の木の樹の森の中。
草木も眠るその場所に、しずかに息衝く何かがいました。
僅かな星の光も十重二十重に茂った葉に遮られたその場所では、何かの輪郭さえ掴むことができません。
しかし、確かに「何か」はいたのです。
呼吸さえ遠く、鼓動さえ闇の向こうにうつろいて、何かはそこにいたのです。
「ここに、いたんだね。さいごに……またあえるなんて」
何かから発せられた波が、木々を幽かに揺らしました。
撫ぜるような、優しく、暖かい波が夜を揺らしました。
それが口の中に何かを飲み込むような波をだすと、周囲の闇に鉄の冷たさが広がります。
「……できることは、すべてしたとおもう。とてもたりないし、あまりにとおいけど」
何かが、この冷たい闇の中で身を縮めて強張りました。
遥か遠く、限りなく深い淵に足を滑らせるような恐怖とともに。
何かが、ぶつぶつと波を放ち続けます。その度に闇は震え、痛々しい寒さを増すのです。
悔やむように、責めるように、闇の中に告解される残酷を理解するように。
「……これが、ぼくのしたいことのぜんぶだ……かてて、1わり……“あれ”をてにいれられなければ……
……いや……てにいれたとしても、なにもかもをうしなうだろう……
もしも……きみがいたら……きみは……このてのひらでぼくをたたいてくれただろうか……」
何かが、僅かに緩んだ波を放ちました。
そうであったなら、何かは晴やかに太陽の中に出でてその闇より姿を現していたでしょう。
でも、それは冷たくて、かさかさしていて、何かが望むことをしてくれません。
「……だから……せめて、みとどけてほしい……きみが、さいごまでつかんでたものといっしょに……
……ぼくが……なにをつかめなかったのか……なにをつかめたのかを……
……ぼくが……なにになれなかったのか………なにになれたのかを……」
それでいいと、何かは己の中にそれを抱き止めていました。
あいにきてくれた。それだけで、この道を歩けるのだと信じながら。
何かが、すうとたちあがります。僅かに増えた日の光が、その輪郭を形にしました。
手を高く伸ばし、彼は見上げました。
「……いってきます……“おねえちゃん”……」
碧に輝く星と、憎悪に覆われた空を。
-Tick Tack Tick-
かつて緑色の夢があふれかえっていた場所。しかし、そこはいまやその面影すら残さぬ荒地になっていた。
緑が根を張って水を含ませるはずの大地は乾き、誰にも見取られぬまま余生を数える老婆の“あばた”のように抉れてる。
本来ならば木漏れ日に当たりまどろめるはずの陽光は、何一つ遮られぬままその肌を無慈悲に焼いている。
風はその焼き枯れた肌を掻き毟るが、一粒の涙すら搾り出すこと叶わず、大地は悔やむように砂粒をひり出した。
何故に、何故に。緑の夢だったものは悪夢に惑う。
我らが何をした。ただここにいたのだ。それだけだった。それだけで、焼かれ、抉れ、砕け、穢された。
我らに何の咎が。ただ生きていたのだ。それだけだった。それだけで、捩れ、殺され、死に、潰された。
緑の夢は惑う。だが、それだけだった。惑い悩み苦しみ苦しんで、それだけだった。
“誰がした”など考えもしなかった。夢見る彼らはどうしようもなく夢見ることしかできなかった。
だから彼らは叫ばない。届かないと分かっているから、届けるべきものだと分かっていないから。
だから彼らは夢見続ける。いつか、答えが返ってくる日がくるのを。
声無き声を、聞き届けてくれる者が現れるという夢を見続ける。
そうやって、夢見続けながら――――――彼らを殺した“誰か”達は彼らの上で、未だに彼らを足蹴にし続けていた。
「シィィッ!!」
C7の大地を一陣の風が駆け抜ける。担うは名刀と神剣、その風の名を
ジャファルと言った。
「セッツァー、貴様、最初からこうするつもりだったのかッ!」
向かう先はギャンブラー。何食わぬ顔で自身に取り入り、夢と未来を嘯いた香具師。
夢を偽り無く語るその姿に、ジャファルはある種の正直をセッツァーに見たこともあった。
「オイオイ、酷い言種だなジャファル。俺が何をしたっていうんだい?」
だが、目元を歪にゆがめて笑い、あからさまな嘘を付くこの男と今対峙すればハッキリと分かる。
「生き残ったってこたぁ、ツキがあるってことだ。
どうだい? 折角拾った幸運だ、その運、ニノ嬢ちゃんを生き返らせるのに賭けないか?」
こいつにとって人の夢とは、自分の夢を育む餌でしかないのだと。
「セッツァー! 貴様ァッ!!」
地面に顎が掠めるほどに身を屈めたジャファルが、マーニ・カティにて逆風の一閃を放つ。
疾さを重視する刀の剃りがジャファルの駆動速度を余すことなく伝達し、必殺の一撃と化す。
「双填・バギ×バギマ――――真空刃ッ!!」
だが、その刃がセッツァーの頚動脈に届くよりも僅かに早く風の刃がジャファルに襲い掛かった。
「惜しかったなあ。態々瞬殺を狙わなきゃ、俺は御仕舞いだったろうに。やっぱ骨の髄までハッシン中毒だよ、お前」
「砲撃ッ! 貴様も、貴様もだ!!」
口惜しむは、一時も速い対象の死を望み長刀で短剣の秘儀を用いようとした元暗殺者。
嘲笑うは、闇から光に足を踏みいれてその眩しさに目をくらませた馬鹿を詰るギャンブラー。
放つは、少女を認めそして少女の命を奪った魔族の王。放たれるは、少女が零した符牒が集った大魔術。
「少々意外だ。ただのキラーマシンかと思っていたが、存外人間のような声を上げるのだな」
「ピサロッ! お前の、お前のせいでッ!」
「そうだ。私が私の意志でニノを送ろうとし、ニノはニノの意思でお前を救った。ならば……」
ジャファルは手にした二振りで自身に直撃するものだけを弾きながら後ずさる。
だが、舞い散る風は
ピサロの背を押すように刃をジャファルに向け続ける。
「お前は何の意思でここに立つというのだ?」
ピサロの純粋な問いが、風刃よりも速くジャファルの心に傷を負わせた。
如何にジャファルが小刀大剣六振りを持とうが、
嵐が如く乱れ飛ぶ刃の全てを斬り結ぶことはできず、無数の刃がジャファルに集い業嵐と化した。
「違うッ! 俺は、俺の意思で決めた。ニノが、ニノが呼んでくれた『勇者』になると!!」
「亡骸に障る。愚弄も大概にしろ人形―――――――双填・ゼーバー×ゼーバー」
捌き切れず体制を崩すジャファルの叫びに、ピサロは砲口を向けることで応じた。
砲口から覗くのは黒とも白とも付かぬ生まれたての宇宙。命が生まれるその前段階、無の誕生そのものだった。
その砲撃の如く静かな怒りは、まるでかつての自分を戒めるかのように充填される。
ロザリーの言葉をそのまま受け止めていれば、ジャファルの位置に今立っていたのは自分なのかもしれないのだから。
だからこそ、その場所に立つのならば覚悟しなければならない。
「デジョネーター<アカシックリライター>ッ! 言葉は自らの呪文に変えねば意味は無い。
借り物の言の葉で負えるほど『勇者』は軽くないぞッ!!」
全てを飲み込む虚無がジャファルを捕らえんと顎を伸ばす。
例え、ニノがその生を望もうがジャファルを生かす理由にはならない。
この身は、最愛の言葉を得てもなおロザリーに逢うと覚悟したのだから。
有象無象を分けることなく、無は全てを喰い散らかす。老いた者赤ん坊隔てなく。
熟練の暗殺者も、生まれたての勇者も。魔の王の前では無へと還る。
やはり、無理なのか。無が迫る中、ジャファルは唇を強張らせた。
暗殺者が勇者になることなど、闇が光になることなどできないのか。
恋心だけで変わることなど、虫が良すぎたのだろう。光に憧れた闇が、無へと――
「できるか、できないかじゃねえ! なろうとするか、しないかだッ!!」
還らない。闇が還る場所は無ではなく、理想郷であるが故に。
デジョネーターの威力を、真っ向から受け止めてなお傷一つ付かぬ天雷の斧盾。
無と真っ向から対立する神将器の後ろに僅かにできた空隙に、闇は生きていた。
「……オスティア候」
闇が確かに生きていられる、理想郷の主とともに。
「ぐ、ぐっ……大、じょうぶ、か……ジャファル……」
ジャファルの安否を気遣う
ヘクトルの汗は尋常なものでなかった。
神将器の神格で消失は避けられているものの、デジョネーターの威力そのものを防いでくれるわけではない。
ピサロから射出された圧力を防ぐのは、アルマーズを握るヘクトルの膂力なのだ。“片手しか使えぬヘクトルの”。
「はは、いい姿じゃねえかヘクトル。どうだジャファル、その無防備な背中……暗殺し放題だぜ?」
遠間からヘクトルの頑張りを煽るセッツァーに、ジャファルは目を竦ませた。
染み付いた暗殺者の意識がセッツァーに同意したこと、僅かなりとも“まだ闇をやり直せる”と思ってしまったことに。
ここでヘクトルを殺せば、もう一度奴等と手を組みニノを目指せるかもと一瞬たりとも思ってしまった自分を殺したくなる。
やはり、自分は勇者には――――
「たりめーだ。お前が勇者なわけねえだろ。お前はまだ“勇者になる”と決めただけだろうが」
惑う民を叱咤するように、ヘクトルはその背中でジャファルに語りかける。
勇者とは、ただの言葉に過ぎない。だが、ただ言えば勇者になれるものではない。
「だけどよ……勇者になるって、決めたんだろ。だったら、お前はもう暗殺者じゃねえ!!」
だが、何かになるには……決意を示さなければ、始まらない。始まりの意志こそが未来を作るのだ。
「進めよ、ジャファル。その場所は、命は、俺が作ってやるッ……他ならぬ、我がオスティアの民よッ」
そして、その未来を守るのが――――王の責務なのだ。
「ハッ、青臭いご高説痛み入るが、手前ェに何ができる? 頼みの斧も碌に持てない分際でッ!」
空への足場にするように、ギャンブラーはヘクトルの夢を足蹴にする。
実際問題、ヘクトルこそがジャファルのアキレスの腱であった。
片側の視界を失い、頼みの斧を両手で振ること適わぬヘクトルに成す術はなく、
ヘクトルを狙えば、ヘクトルを喪えぬジャファルの隙を誘うことができる。
この勝負、ジャファルが暗殺者であろうが勇者であろうが勝敗は目に見えていたのだ。
――――ヘクトルの斧がただの武具であったならば。
「護るんだよ。俺が、ジャファルを。俺の民を、もう、二度と喪わせねえ……」
アルマーズを握るヘクトルの力が強まる。
フロリーナを、そしてニノを喪い、そして今ジャファルをも喪おうとしている。
自らに力が無いから、戦えぬから、幾度も幾度も喪っていく。
「……護れないまま、喪ったままじゃ終われないんだよ……」
<戦わせろ……我を……戦わせろ……>
それだけは許されない。ヘクトルは王なのだ。例え闇を知らずとも、ユーモアを理解せずとも、王で無ければならないのだ。
理想郷の王としてそれを目指し、“戦い続けなければならないのだ”。
<我は、力。この比類なき力こそ、我>
「だから……お前の力、俺に貸せ。民を守るため、俺を戦わせろアルマァァァァァズッッッ!!!!!」
天雷の斧が支配者の許しを得て狂乱の力を迸らせる。
ヘクトルの腕がゴムを引き千切るように筋繊維を何本も壊しながら片手で豪斧を持ち上げ縦に一閃すると、
デジョネーターは飴細工のように焼き千切れて有へと還っていった。
さしものギャンブラーと魔族の王も息を呑むのも当然だった。
それは人と竜の境を超えるもの。肉を裂き骨を砕き、命を絶つもの。
ヘクトルが友を守るために手にした力。神将器・天雷の斧アルマーズ。
「――――オスティア候……」
「行くぜ、ジャファル。あいつらをぶちのめす。そうでなくても……“あいつらを北へ押し出す”」
ジャファルのもしやと思う弱い声に、ヘクトルは雄雄しく応じた。
その声は滾りながらも、しかし確かにその手綱を握り締めている。
アルマーズの力を限界まで引き出しながらも、ヘクトルは狂い切ることなく敵を見据えていた。
ヘクトルは見失わない。守るべき民の姿がある限り、目指すべき理想郷が見えている限り、ヘクトルは王なのだから。
たとえその手に握る力が、戦いに狂える士の力であろうとも。
「ゴゴには悪いが、手前ェは俺が裁く! お前の空は、俺の国には残さねえッ!!」
「っちぃ! こっちから願い下げだぜ。お前の国の空は息苦しくって適わねぇよッ!!」
ヘクトル、そしてジャファルが一気呵成に攻め上がってくる中、セッツァーは僅かにそのポーカーフェイスを崩した。
この局面はセッツァーが想像する上で最悪のものだったからだ。
ニノが死んでも、ジャファルは殺す側に立つものだと思っていた。
仲間のままではいられずとも、無差別に暴れまわると思っていたのだ。
ジャファルは妙に『死者を蘇らせる』ことに強い嫌悪を持っていたが、いざそれしか術がないと分かれば分別もつくだろう。
そう高をくくっていたのだ。それがまさか、ここまで甘いことを考えるなど、セッツァーとて想像の限界点だった。
そう、それだけならばまだ対応の仕様があったのだ。万が一不運に不運が重なってジャファルが裏切ろうとも、
ヘクトルを無力化してジャファルの弱点とすればまだ戦局を支えられたのだ。
だが、セッツァーの賭けは外れた。規格外のアルマーズの魔力によって片腕で斧を振り回す蛮族の手によって。
「来い、ピサロ。お前達を倒し、愛する人のため俺は勇者になるッ!」
「双填・バイキルド×ハイパーウェポン――――私に愛をほざいたな、木偶が。続きは娘の下で謳うがいいッ!!」
ジャファルの二刀と、最後のクレストグラフを開帳したピサロの刃が激突する。
2人とも戦闘可能ならば、この4人の中でもっとも戦闘力に劣るのはセッツァーだ。
となれば、ピサロはセッツァーを守らざるを得ず、自然戦いは防御的になる。
(やっぱり気づいてやがるか、ヘクトル。この状況の意味に)
これでもはやセッツァーたちにこの2人を即座に殺すことはできなくなった。
たった2人を仕留めるために、マーダー2人が拘束されてしまったのだ。
(流れを変えねえと、ジリ貧だな……“あそこ”で全部決まっちまう)
ヘクトルの攻撃を避けながら、セッツァーは少し離れた場所をちらと見た。
このままではヘクトルの思う壺、事態は彼らにとって最悪の方向へと向いている。
それを打開すべく、セッツァーは全神経を総動員して鍵を探し求める。
「出目はファンブル1歩手前か。こいつはなんとも―――――――
――――――――拙い状況というしかないか」
赤眼を見開いた
カエルが、誰に語るでもなく呟いた。
敵の攻撃の僅かな隙間を縫った探査で、カエルは3人の位置を把握する。
そう、3人―――――5人ではない。カエルが初期に行った探査時と現状の間の勘定が合わないのだ。
後追いで仲間たちが来るものと思っていたが、その気配は依然としてない。
消えた者たちが何処に失せたかなど、走査するまでもない。
魔王を追い、分断された仲間たちを護るために北へ向かったのだ。
誘いが露骨に過ぎたかと、カエルは血走った眼をさらに細めて唸った。
“こうならないよう”にするために、カエルは彼らを引き付け切らなければならなかったのだ。
数に劣る彼らは、たとえ北のマーダー達と合流してもその数量的戦力差を覆すことはできない。
だからこそ彼らは戦力を散らせてでも電撃的に、偏らせてでも奇襲的に敵の数を減らさなければならなかったのだ。
あの雨の戦いでは、それが足りなかった。
混乱の只中にある参加者たちを速やかに屠れなかったからこそ、態勢を整えられ、守りを固められた。
時間を与えれれば与えるほど、じわりじわりと不利を有利に変えていく――――数の利とはそういうものだ。
狙いの全てが上手くいかないのは戦の常とはいえ、魔王に3人もの人間が向かったという状況は拙い。
何せ、カエルが禁止エリアを恐れることなくこの場に逗留できるのは魔王が自身を転移させるという前提に他ならない。
万一魔王が討たれてしまえば、カエルは退路を失いこの地で自滅することになる。
「魔王の救援に向かいたいところだが――――――そうはさせんのだろう? ストレイボウッ!!」
カエルが脂ぎった笑みを森の木々に向けると、木々の隙間を縫うように電撃が疾走した。
「気づかれたッ!?」
その放電の源泉である
ストレイボウは驚きを示した。
行動不能を狙ったブルーゲイルは身を隠しながら慎重に放たれた。
そのはずなのに、カエルは悠々と剣で戦いのうちに折れた木の枝をばら撒き、電路を阻害する。
まるで、カエルの気づきに合致するように自分が攻撃してしまったかのように。
「っ! 気を抜いてんじゃねーよストレイボウ!! カエル野郎、手前の行く先はそっちじゃねーぜ!!」
突如張り上げられた叫びに、カエルは反射的に声のほうを向く。
そして、そのカエルの向いた真逆からアキラが肘を突き出して襲い掛かった。
方向阻害のスリートイメージと、人体が備える凶器の一つ、肘鉄。
体技と超能力の合わせ技でアキラはカエルの背後を取った。
「あぁ、そうだな。路傍の小石はきちんと蹴り飛ばしておかんとなァッ!!」
「ぬぉるぅ!?」
だが、カエルはアキラの方を向くことなく舌を曲げ伸ばし、突き出した肘をベロでぐるぐる巻きにして腕を封じる。
上半身を舌で極められるというおよそあり得ぬ事態に、アキラはまたかと歯噛みした。
ストレイボウ同様、何度か相手の方向感覚を阻害して隙を作ろうとしたがことごとく無視されたのだ。
あのルカにさえ僅かなりとも通用した自身の超能力が、カエルには通じていない。
通じていないというより、阻害するべき方向がそもそもカエルに存在していないのだ。
まるで、体の外側に何個もの眼を持っているかのように――――
「へぇ、そういうことかい」
嘲りとともに銃声が鳴り響く。しかし、銃弾はアキラの頬をあわや掠めそうになっただけで、
当のカエルは既に拘束を解除してショットガンの射線から逃れていた。
「『へぇ』じゃねーよ! 当たりそうになっただろーが!!」
「まあまあ、生きてるんだからいいじゃない。それに……撃つ前から逃げてたみたいだしね、あのカエル」
ドーリーショットの銃口からくゆる硝煙をふうと掻き消しながらイスラは笑顔をカエルに向けた。
その眼は、かつてあらゆるものを裏切り尽くしたあの頃によく似ていた。
「君、僕等の位置を“識ってる”だろ。キルスレスが教えてくれるのかい?」
「――――ッ!」
カエルはバネ仕掛けの如く飛翔し、イスラ目掛けて剣閃を放った。
だが、イスラはそれを俊敏なる体捌きで紙一重に回避しきり、カエルの頭部に銃口を向ける。
「見切っただとッ!?」
「位置がバレてるなら隠れるなんて意味ないよね。だったらギリギリで避けたほうが早いよ」
ミラクルシューズの加速効果を以てすれば、イスラにとってキルスレスを避けることは容易かった。
自分の腕の長さを見誤ること者などいない。
再度放たれる銃声。しかし、カエルは持ち前の人外の柔軟性で無理やり顔を射線からそらす。
銃弾を避ける中でカエルは目の前の小僧は自分が持つこの『力』の正体を知っているのだと確信した。
そのままカエルはローキックでイスラの片膝を付かせ、即座に剣撃を振り下ろす。
「貴様は早々に潰す!」
絶対の窮地。しかし、その中でイスラは未だその微笑を崩していなかった。
「張り切ってるねえ。感覚が無限に広がっていくみたいで、自分が無敵だとか思っちゃうでしょ。でもさ」
そして、銃口を向けて引鉄を引く――――自身が立つ大地に向けて。
「ぐ、ぬああッ!?」
「カエル!?」「何でだッ!?」
無意味なはずの銃撃と共にカエルが苦しみだし、ストレイボウもアキラも困惑する。
その理由を知るのはただ一人、紅の暴君の正当なる適格者、イスラ=レヴィノスだけだ。
「首輪に入った魔剣の欠片に、僕を呼んだキルスレスの声。ここにも共界線が存在するのは薄々感づいていたさ。
それに繋がれば、確かに僕たちの位置くらい識ることもできるだろう。
でもね“それが魔剣で得られる力だと思ったら大間違いさ”」
怯んだカエルの隙を見逃さず、イスラは天空の剣を振るう。
苦悶と疑問が綯い交ぜになった精神でカエルはかろうじて剣をぶつけた。
(無関係ではない。まさか、この痛みは)
「もしかしてと思ったけど、やっぱりか。どうだい? “大地に銃弾が減り込む痛み”ってのは」
イスラの言葉に、カエルは漸く自分の持つ剣の恐ろしさを改めて理解する。
首輪の意識など、キルスレスが内包する力の取り込む意識のひとつに過ぎない。
カエルが紅の暴君を使い続けたことで、カエルは確かに魔剣から得る力を増大させた。
だがそれは木々や大地の感情さえも汲み上げてしまうことを意味する。否、そちらこそが魔剣の本質なのだ。
魔剣を振るうということ、力を行使するということは、それを背負うということに他ならない。
「大人しくそれを渡しなよ。これは正真正銘の善意だ。
適格者でもない君がそれを振るい続けたら、君はいずれ、君じゃなくなる」
その感覚を知っているからこそ、適格者たるイスラはカエルに忠告した。
適格者でないカエルでは、汲み上げた情報を選別することもできないだろう。
剣を使い続けて汲み上げる情報量が増加すれば、いずれ意識が剣に負ける。
そして、あの眼を見れば、それが遠からず訪れることは自明だった。
「だから剣を捨てろと? 国を護る唯一の『力』を、自ら手放せと? 笑止ッ!!」
だが、カエルは赤眼を輝かせてその手を振り払った。云われずともそんなことは分かっていると。
剣なくば騎士は騎士足りえぬ。イスラの提案は、ガルディア王国の騎士として死ねということに同義だった。
「その為に罪を犯すというのか! その手を赤に染めて、自分を殺してまでッ!」
「貴様には分かるまいよストレイボウッ! ガルディアとは、友が護ろうとした国とは俺にとって全てなのだ!
生き恥を晒し臆病者の烙印を押された俺にとって、それだけが唯一残った、我が友との“つながり”なのだッ!!」
たとえ幾千の可能性の一つであろうとも、それを無にすることを看過することはできん!」
ストレイボウの叫びを、カエルは水流で押し流す。ストレイボウは避けてなお伝わる水の冷たさに、カエルの悲愴を感じた。
友とのつながりを断ち切ろうとして国を滅ぼしたストレイボウに、友の国を護ろうとするカエルの心が分からないはずがない。
(待て、幾千の可能性? まさか―――)
だからこそ、ストレイボウの才覚はある一つの予感を得た。
アナスタシアと全うに邂逅した今だからこそ、一つ分多くピースをはめて、一つの絵を完成させる。
マリアベルが既に描き、故にストレイボウに伝えず死蔵した最悪の未来を。
「それじゃ、お前を止めたら、お前の国は―――――――」
「なら、後は力づくしかないね。アキラ、僕が前に出るから援護してくれる?」
ストレイボウの弱々しい言葉は、カエルの返答を素直に受け止めたイスラの言葉で掻き消された。
「ストレイボウさんは魔法でカエルを狙って。なるべく広範囲の奴で。
無理に当てなくていい。何かに当たれば、それだけであいつの意識を邪魔できる」
「あ、ああ……」
それだけ云って再びカエルへと向かっていったイスラの背中を見ながら、ストレイボウは思った。
カエルが何故そこまでを国を護ろうとしているのかばかりに気をとられ、
『何から』護ろうとしているのかにまで考えが及んでいなかった。
だが、及ばなかったほうがよかったかもしれないと心のどこかで思ってしまう。
なぜなら、カエルが向かい合っているのは、時間の壁―――――『因果』そのものなのだから。
(俺では、あいつを止めることはできても『救って』やれない)
だからカエルは人の道から堕ちた。人のままでは到底向かい合えないから。
なんという皮肉だろうか。ただの人でしかないストレイボウでは、カエルを救えないのだ。
それを救えるのが、人の座から堕とされた、他ならぬストレイボウが堕としたオルステッドだというのは。
「う、おおおおおおお!!!!!」
魔法の構築とともにストレイボウは吼えた。自分の背中にひたひたと伝う何かを振り払うように。
真っ暗な闇を前に、それでも足を前へ出さなければならぬと踏み出す。
(友も国も壊した俺は、お前に何を言えばいいんだよ)
だが、叫ぶ当人が心のうちで熟知していた。叫び声では恐怖は抑えられても振り払うことはできない。
闇の中で1歩を踏み出せても、目的地にはたどり着けない―――――――目指すべき『光』がなければ。
「お前がここまで前に出るタイプだと思わなかったぜ」
「禁止エリアのこともあるしね。急ぐに越したことは無いよ」
アキラの意外そうな声に、イスラは往なすように応じた。
自分でも分かるほど確かに急いているのは、云うとおり、禁止エリアを警戒していることもある。
だが、それだけではなかった。
(……何故“声をかけてこない”……キルスレス)
カエルに迫りながら、イスラはカエルの持つキルスレスを注視する。
雨夜の戦いの時にイスラに声をかけてきたことから、再びキルスレスから何か干渉があるものとばかり思っていたのだ。
だが、連絡は一向に無い。あのときよりも接近しているのだから、距離の問題はあり得ない。
されども戦いが始まってから幾度か念じてみたが、一向にキルスレスが返事をすることはなかった。
(適格者の敵に回るってことは意識が無いのか……それとも……あの後何かあったか……)
つまり、キルスレスにはまだ“何か”が隠されているのだ。あの島とは違う条件、自分が知らぬ『鍵』が。
そもそも、カエルが限定的とはいえ召喚術の増幅以外の、
魔剣としての力を行使している時点で何らかの条件が変更されていると思うべきだったのだが。
「なんにせよ、早々に手に入れたほうがよさそうだからね! そろそろ元の鞘に戻ってもらおうかッ」
「やってみろよ『適格者』! たとえ不完全だとしても力は力! 譲る気は微塵も無いぞッ!」
イスラの剣を打ち払いながらも、カエルは内心で苦虫を噛み潰していた。
敵は正当なる魔剣の担い手であり、キルスレスの戦い方と弱点を把握している。
加えて、ストレイボウの魔法の余波が周囲の木々や草に干渉し、カエルの精神を波立たせていた。
木が刻まれ枝が折れ草が燃える感覚が、千億の蟲として自分の皮膚全てに纏わり付く。
動けないほどではなく、分かっていれば耐えられぬものでもない。
しかし、いざと言う時に集中を乱されるのは致命的である。
なにより、これ以上剣を振るえば知覚するものは蟲程度ですまなくなるだろう。
(適格者でない俺では、これ以上の力は引き出せないというのか!
ならん。足りんのだ、これでは奴らを殺せん。国を護ることもできん!!)
その事実を認めることを拒否するかのようにカエルはその赤眼を極大まで輝かせる。
(喰らうならばすべて喰らえキルスレス……滅ぼさねばならんのだ……
国の為に……この紅のように……赤い、焔の如き力で……)
敗北は許されない。引き付けられなかった以上、仕様が無い。
だが、なんとしてでも、せめてこの3人だけはここで殺さなければならない。
そのための力が、今の自分には必要なのだ。
「必ずやこいつらは俺の力で殺してみせる。だから……!!」
一人ぼっちの蛙は森の中、僅かに残った意識で遠く離れた仲間を想う。
北にいる魔王をこれ以上危地に追いやるわけにはいかないのだから。
時系列順で読む
投下順で読む
最終更新:2011年12月24日 07:28