キョン、世間はミサイルだなんだで色々騒いでるそうだが、どう思う?
「ん、あんまり興味ないな。どうせなあなあで済ますんだろ」
おやおや、君の非日常ライフの前には将軍様も形無しか。
「そりゃそうだろ、こちとら毎日核弾頭の前でダンス踊ってるようなもんさ
それに爆発した日にゃ日本沈没どころか世界の破滅ときたもんだ」
ふむ、それでは感覚が磨耗してしまうのも無理のないことか…
ところで君、MADという言葉を知ってるかい?
「MAD?アニメを切った貼ったして音つけるやつのことか?」
そうじゃない、Mutual Assured Destruction、相互確証破壊という核戦略の話さ。
「なんか急に話が飛んだと思ったら、核で続いてたのか」
そうさ、かいつまんで言えば核で先制攻撃しても確実に核で反撃食らって両者共倒れ
だから核攻撃は止めましょうね、っていう核抑止の話さ。
人類全体を何回も滅ぼし得る兵器の存在が、むしろ全面戦争への発展を阻止して
冷たい戦争=冷たい平和をもたらしました、という皮肉な話だよ。
「まあ、平和にしましょうって言ったら平和になるもんでもない、くらいは俺にも分かるぞ」
そんなところでいいさ。君はやはりいい聞き手だね、話し甲斐がある。
ところで、そのMADという核戦略の重要な概念にはいくつかの前提があるんだ
それが何か分かるかい?
「そりゃまた難しい話だな、どだいこういう方面に疎い俺には分かるはずもなかろうに」
いや、君の頭ならしばらく考えれば分かるはずさ、特に軍事知識が要る話でもない。
「うーん… まずは相互”確証”という部分だな、そこが崩れれば話にならん」
というと?
「先制攻撃で反撃能力を総て奪ってしまう、要は完膚なきまでにボコボコにする
それが出来れば早い者勝ちになる」
そのとおり、だから冷戦期にはたとえ先制核攻撃を受けたとしても確実に反撃できる
核戦力として、例えば原潜や多弾頭ミサイルなんかの開発が急がれたわけだ。
ミサイル基地や飛行場が多数破壊されたとしても、まだまだ手は残っているようにね。
「他にもまだあるんだろ、もう俺には考え付かんぞ」
あとは大体類似したものだな。先制核攻撃で撃ち漏らしたミサイルが飛んできます
これでMADが成り立つはずでしたが、でもこれを途中で打ち落とす技術があるとしたら?
「それもまた前提が崩れる話だな」
だから中国やロシアはミサイル防衛構想に猛反発してるのさ
もっとも、日本は核兵器を持ってないからその範囲外、という話しもあるけど
これ以上はもう一口に話せる話じゃないから国際関係論の本でも読んでくれ
「今でも十分に一口で話せるどころじゃないと思うがな」
ゴホン… まあ君と話しているとついつい長くなるのは許してくれたまえ
「そりゃ昔からだからな、分かってるさ」
そしてもう1つ、今まで挙げた技術的・軍事的要因とは別に
必要な前提があるのだよ、それは"互いの政府が十分に理性的であること"
つまり、先制攻撃しても共倒れになる状況を各当事者が十分に認識して
お互いが攻撃を控えて、はじめて抑止が成り立つというわけだ。
「そりゃ、当然過ぎて特に挙げる必要あるのか?」
政府首脳が雁首揃えて出した結論が、後世から見れば到底理性的とは呼べない
代物だったりすることは、特に切羽詰った局面では少なくない。
ましてや"失うものは何もない"なんて状況まで追い詰めると、意思決定の場が
どこにあるのかも含めて全く予測が効かなくなってくるわけだよ。
「窮鼠猫を噛む、ってか」
そう、猫ならネズミに齧られる程度で共倒れにはならないが、核戦争はそうはいかない。
そして現代には"失敗国家"とか"ならずもの国家"と呼ばれる、常に崖っぷちで
"失うものは何もない"状態の国が存在するわけだ。こういうところが核を持つと
どうなるかは、もう分かるだろう?
「ある意味やりたい放題になるってわけか」
そうだね。相手に自制が期待できない、実際に核を撃たずともそう思わせるだけで
周りは自ずと腰が引けてきて、いつ暴発するかわからない爆弾を出来るだけ
刺激しないように行動せざるを得なくなる、というわけさ。
さて、長々と核戦略の話をしてきた意味が、分かるかい?
「どうせいつもの佐々木の薀蓄話か、ああ勿論嫌いなわけじゃないぞ、と思っていたが
何やら急に身につまされる話になってきた、というか一番最初の話に戻ってきたのか?」
"失うものが何もない"どころか爆弾を持ってる自覚すらなく、どこにどれくらいの威力で
炸裂するかも分からない、これはさすがに不安定にすぎるだろう?
君は涼宮さんのパーソナリティをかなり信用しているようだが、それにも自ずと…
「その話はお前との間では決着が付いていたと思ってたがな。それに、大体お前は
神の力なんぞ欲しいとも思わないし、持つ自信もないと言ってたんじゃなかったか?」
そのつもりでいたし、今でも基本的には同じ考えさ。ただ、君の顔を最近見ていると
考えが少し変わってね。
「どういうことだ」
くっくっ、少しは誤解してくれてもいいようなものだが、キョンだから仕方ないか。
率直に言おう、君の顔が以前より絞れてるのは、君の言う強制ハイキングのおかげだけかい?
一年ぶりの再会のときは、まあキョンも男の子だしこれくらいは変化のうちには、と思っていたけど
それから三ヶ月、やはり少し普通ではないなと思い始めてきたところさ。
「そんなことはないぞ、これは最近妹のボディプレスがより苛烈さを増して…」
その分だと自覚症状はあるみたいだね。他ならぬ君のためだ、僕も宗旨替えに至ったというわけさ。
「お前はそれでいいのかよ!自覚しながら神の力を持つなんて精神を
病みかねない、ってのはお前自身が言ってたことだろ!」
ああ、安心したまえ。いくら君のためとはいえ自ら進んで病理の世界へと
足を踏み入れる気はないさ。そっちのmadではなく、さっきのMADさ。
「???」
最近未来人を除いた三人での相互理解が進んでね。特に周防さんとの
コミュニケーションが幾分改善されたのが大きいんだが、単純に涼宮さんの
力を僕に移す、以外の選択肢が出てきたのさ。
その中で最善と判断したのが、"涼宮さんの力をコピーして僕に移す"というわけだ。
「結局大して変わらん、どころかむしろハルヒの力がなくならん分悪くなってるじゃないか」
キョン、話は最後まで聞くものだよ。
涼宮さんの力を僕にコピーする、そして涼宮さんに自身の力のことと僕のことを伝える。
万が一、力の発動による改変が行われた場合は、時空震の検知を互いの陣営の
長門さん、周防さんが行い、改変終了前にもう一方の力の持ち手へと伝わる。これで十分さ。
「なんか色々と抜けてるところが多そうだが…」
安心したまえ、といっていいのか分からないが、現在涼宮さんと僕はとある件で
抜き差しならない関係にあってね。そんな"いつの間に"みたいな表情は止めたまえ。
まあいい、そういうわけで力を自覚する以上は一方の世界改変が、もう一方の身に
意識的、無意識を問わず重大な影響を与えることは最早必定なのさ。
影響がどういう形で現れるかは定かではないがね、周防さんのシミュレーションによると
軽いところで年齢の増減、中程度で小人化や猫化、そして最も重くかつ頻度の高い
パターンで存在の消滅というところらしい。
「なんちゅうシミュレーションしてやがるんだ、それに消滅だなんて…どこか別のところに
いるとかそういうのじゃないのか?」
ふむ、そういうパターンは経験済みなのかい?まあいい。消滅というのは穏やかな
事態じゃないが、今回に限ってはその方が都合がいいのさ。もう分かるね?
「ああ、相互確証"破壊"だな」
そういうことさ。力を自覚しながらMADによってそれを抑止する。
そういうメカニズムがあれば、自覚して神の力を持ってもまだ狂わずに済むだろう。
橘さん、周防さんとの話で出た選択肢に"核廃絶"というのは残念ながら無かったのでね。
次善の策ということでこれになったんだ。キョン、納得してくれるかい?
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最終更新:2009年10月10日 00:27