66-358 Rainy Day by?

 いつものように彼の机に片肘をつき、覗き込むように語り掛ける。
 これは、もはや日課のような一幕。だが、今日はまた事のほか変わったことを彼が言ったからか
 或いは別の要因ゆえか、この一言を良く覚えている。

「佐々木。お前、回りくどくて理屈っぽい言葉遣いを改めりゃさぞかしモテることだろうに」
「面白い事を言うね」
 本当に、面白いことを言うね。
「キョン、モテるモテないとかがこの人生において問題視される理由が解らないね……。
 現実をあるがまま受け入れるには情緒的感情は障害に過ぎないよ。特に恋愛なんて精神病さ」

 これは僕の持論だ。特に気に入っている僕の持論だ。
 だから僕は滔々とキョンに語った。人と動物の境目の事、理性と本能の事を。

 僕は喋りを改めればモテる?
 キョン、キミは僕に男漁りに精を出せとでも言うつもりかい?
 僕に「僕」を曲げてまで異性を求めろと? そんな事よりこうして語り合う時間の方が僕には面白いね。
 キミはこうして話を聞いてくれるじゃないか。それを曲げてまで、見も知らぬ「誰か」にモテる必要なんてないんだ。
 誰かに好意を振りまいたり、誰かに好かれようとするより、僕は僕でいたいんだよ。

 そうやって楽しい時間を過ごしていると、僕らの傍らに影が差した。

「お二人さん」
「おわっ」
 彼がのけぞる。彼の顔の至近距離に、クラスでも評判の美人、岡本さんの顔があった。
 まったく困ったものだね。彼女は人懐っこい美人だが、目が悪いので常に顔を近づけるようにして喋る。
 パーソナルエリアというものが極端に狭いのだ。男子を惑わせるに充分だが、その様子に意図的なものはないから
 たしなめるにも気が引ける。まったく、困った人だよ。

「これ、進路希望表。まだ出してないのあなたたちだけだから」
「進路か」
 ……まったく困ったものだね。
 それは目下、僕を迷わせているものの一つだった。

「キョン、キミはどうするつもりなんだい?」
「ああ。どっか近いところにもぐりこめたらそれでいいや」
 うーん。やっぱり返事は変わらない。まあそういう奴だよキミは。

「お前はどうなんだ? 成績から言って、頭のよさげな進学校に進むんだろ?」
「その可能性も視野には入れているよ」
 キミも僕の事は決め付けて掛かっている風だった。
 ふん、そんなに簡単なら迷ってないよ、とは言わない。だから僕は韜晦する。

「そういえば国木田くんはとっくに志望校を決めているようだった」
「ほう、あいつも脳のめぐりのいい奴だし、きっと名の知れた高校に行くんだろうな…………」
 しばし語り合う。やっぱり彼は迷っちゃいない。迷っているのは僕だけだ。
 学力、経済、そして………選択できるのは僕だけだ。
 選択をしたいのも、きっと僕だけだ。

「うんざりだぜ。いつまでもこの中学のプールで膝を抱えていたいね」
 まったくモラトリアム人間だねキミは。確かにこの子供時代を長く楽しみたいのは確かだよ?
「そうもいくまいさ。キョン」
 時は止まらない。ならモラトリアムは短い方がいい。

「夢に向かって進むには、歩き続ける必要があるだろう?」
「夢ねえ。佐々木はどんな夢をもって今後の指標とするつもりだ?」
 直球だねえ。けれどそれはキミにも秘密さ。

「僕にだって叶えたい夢のひとつくらいはあるよ。けれど夢や希望は想うもの、語るものじゃない」
 そう。夢くらい僕にもある。けどそれはちっぽけな僕には壮大すぎる野望なんだ。
 だからキミにも語ってあげることは出来ないね。笑われちゃ敵わない。

 そう、とても壮大な野望だから。
 だから、僕は他の希望なんか全部捨ててでも、全てに諦めてでも、前に進まなきゃいけない……。
 そう考えた時、一瞬だけ視界がモノクロームセピアに染まる幻覚を見る。まるで僕の諦観そのもののような幻覚。

 僕の夢と希望、それは果たして両方得られるものなのかな。
 ねえ、キョン?

 キミなら答えてくれるかな?
 心の声がする。けれど、僕は問いかけられない。
 キミを信じられないから? だとしたら、やっぱり私は臆病者だ…………。

 それからまた色々あった。
 学校、放課後、彼の家、彼の妹さん、交わした小さな約束、「またね」と手を振る。食べかけのおせんべい。
 愛おしい思い出の一つ一つ。

 それから彼が自転車を引き出し、その荷台に乗せてもらって塾へと行った。
 定位置は自転車の荷台。そこに座って、彼の両肩に手をかける。
 いつもの日常風景。とても大切な日常風景。そして、

「キョン、このままじゃパンツの中まで濡れ鼠だ。どこかで雨宿りをしよう」
「と言っても庇を貸してくれる母屋はねえぞ」

 突然、激しい雨が降った。
 二人で殴打するような雨の中を自転車で走る。唐突に沸いた非日常。
 僕は楽しんでいた。まるで映画のワンシーンのようだと……そう、それは青春映画のワンシーンだった。

「キョン、こっちを見ないでくれないか」
「何でだ」
 それから雨宿りして、僕は驚愕した。

「キョン、キミは時々忘れるようだが、僕は遺伝子的に紛れもなく女なんだよ。さすがの僕でも、こんな姿……解りやすく言うと
 下着の下すら露になりかけているような、破廉恥な格好を人目にさらして平気な顔ができるほど無神経じゃないんだ」

 彼が僕を見る目が、びっくりするほど「友達」を見る目だった事に驚愕した。
 これでも遺伝子的には紛れもなく女なのだが、彼はまったく気にも留めていない風だったのだ。
 きっと彼は、僕が性別を超越した存在か何かだと思っているのだろう。

 いや彼は悪くない。そう受け取るよう仕向けたのは僕だし、それを誰より素直に受け止めてくれたのが彼だ。
 そうだろう? キョンの素直さが僕は何より嬉しかった。好ましかった。
 そうさ、これは喜ぶべき事なのに……。

「僕の貧相な胸部なんてマジマジと見たところで益にはならないだろう? 岡本さんのならまだしもさ
 まったく、本当にやれやれだよ。この雨に対しても、僕自身にもね」

 我ながらみっともない言葉が口をつく。
 体温すら感じあえるような距離で、僕らは黙り込んだ。僕は黙り込んでしまった。
 しばらくし、ほとんど無意識のように彼が呟く。

「夏でよかったな」
 それはどういう意味だい? 思わず彼を見上げる。
「服が早く乾く」
 ……ああ、そうかい。
 気遣い感謝するよ。

 僕の心の皮肉が聞こえたのか、背後でキョンが身じろぎする気配を感じた。
 なんだよ。彼を非難する資格がどこにあるんだ。
 自業自得だ。なのに僕は……

 やっぱりそうだ。結局こうなる。僕は臆病で身勝手だから。

 僕はキミにさえ素直になれない。
 こんなにキミに甘えているくせに素直になれない。もっと甘えたいくせに素直になれない。自業、自得だ。
 眩しいフリをして雨雲を見上げる。瞼にたまった雨露をごまかすために。
 けれど

「う」
 ほんの少しだけ声が出た。

 心でリフレインする。

『岡本さんのならまだしもさ』

「……別に人それぞれだろ」
「?」
 意を決したような声に、思わず再び彼を見上げた。

「なんのことかな」
「あー。なんつうか、今日言ったばっかだろ。お前は黙ってりゃモテるってな」
 またそれかい? 誰かにモテる為に「僕」を捨てろって言うのかい。

「ふん。僕の性格は嫌いかい?」
「嫌いだったらこんなに一緒にいねえよ」
「嬉しい事を言ってくれるね」
 ノックの音がする。

「でもね。モテるモテないに意味なんてないよ」
「情緒的感情はノイズってか?」

「なら、なんでそっち見ちゃダメなんだ。佐々木」
「僕は遺伝子的には紛れもなく女だ。だからさ」
「それは情緒的感情じゃないのか?」
 火照る。

「矛盾してるぞ。佐々木」
 してないよ。
「……僕は岡本さんみたいに目の保養になるタイプじゃない」
「ループだな。黙ってりゃお前は可愛い」
 しつこいね。キミは他人には干渉しない人じゃなかったのかい?

「……黙っ」
「ああもうなんだコレ誘導尋問じゃねえか完全に!」
 な、なにがだい。落ち着きたまえキョン。

 つまりキミは僕が岡本さんに負けない容姿だとフォローしてくれているんだよね?
 ああそうさ、考えてみればキョンは今日まさに僕の容姿を褒めてくれたばかりなんじゃないか。
 黙っていればモテると。けどキミは僕といつも喋ってくれている訳で
 ええとつまり

「キョン、だか」
「一般的に見てお前はモテる外見だ。それに俺は別にお前の性格は嫌いじゃねえ。つまりだ。俺にしてみりゃ」
 キョンは背中を向けたまま、遮るように言う。

「お前は喋ってても可愛い」

「……キョン、そんな精神病みたいな事を言うならキミとの友誼は…………」
「…………なんだ」
 気付く。キョンの耳というか首筋辺りまでものの見事に真っ赤っ赤だ。
 肩越しの視線、ちょっとばつの悪そうな目と目が合った。

「なら、なんでお前こそそんな顔してる」
 解ってる。僕もとっくに真っ赤だ。ああ、このまましばらくすれば制服もあっさり乾くのではないだろうか?
 ならこんなに熱くなるのも悪くない。そうこれは塗れた制服を乾かすための自然な反応であって

「佐々木、俺との友誼はどうする? 言うなら最後まで言っちまってくれ。正直もう身が持たん。人体発火しそうだ」
「……ズルいよ。僕が言いたくない事くらい解るだろう?」
「俺は解らん。解らんからこんな関係だったんだろ」
 キョンは背中を向けたまま嘆息する。
「ああクソ!」

「俺が精神病じゃダメか。佐々木」

「ああそうだな。国木田のバカも言ってやがった。自覚が無いとかなんとかな」
 畳み掛けられる。ノックが激しくなる。

『どうも自覚がないようなので、この件は追求しない方がいいのかな?』
 プールでの国木田くんの言葉がリフレインする。そう、キョンは「何故僕と仲がよいのか」の自覚が無い。
 けれど自覚が無いというのは、無自覚な何かがあるという事じゃないのか?

「ダメか佐々木。精神病患者じゃ、ダメか?」
 荒い息に、心が蹴破られた気がした。

「………………同病相哀れむというじゃないか」

 キョンは背中を向けている。だから勢い任せに背中に張り付く。
 いつも自転車で手をのせていた、彼のパーソナルエリア。そこに今度は全身で入り込む。顔を見られないように。
 私は、精一杯の勇気を出した。

「しょうがないね。同病同士、付き合おうじゃないか」
「なんだよ。完治させるまでってか?」
「いや」

「その、できれば…………ずっと一緒にいて欲しい」
「……おう」


 彼の背中に引っ付いて、腰に両手をぐるりと回したまま。
 淡いゼリーのような沈黙が落ちる。
「……見ないで」
「………ああ」

「……ねぇ、キョン」
「ん」
「でも、やっぱり僕は、進学校に進もうと思う」
「……そうかい」

「………止めないの?」
「お前には夢があるんだろ?」
 キョンは嘆息し、腰に回った僕の両手のひらをそっと引き剥がすと

「そら!」
「きゃっ!」
 ぱちん、と勢いよく鉢合わせる。なにすんだよキョン!

「うるせえ。告白が上手くいったんだかフラれたんだかよく解らん男の気持ちがわかったか!」
「わかんないよ!」
 ちゃんとOKしただろ!
「だからな、お前はモテる顔してるから心配なんだよ」
 さらっと恥ずかしい事言わないでよ!
「うるせえ、顔つき合わせて言えるか!」

「……だって僕はキミに甘えてばかりだ」
「そうか?」
「だって、その、告白だってキミからしてくれたじゃないか」
「思い出させるな。人体発火現象が起きそうだ」
 なら僕はとっくに燃え上がってるよ。

「普段だってそうさ。キミがああして「普通」にしてくれるから僕は僕でいられる」
「そうか? 他人の評判は知らんがお前のあれは聞いてて面白いぞ」
「くく、だからそれが甘やかしなんだよ、キョン」
 きっと僕は甘えてたんだ。

「同じ市街に住んでるし、携帯電話だってある。今、僕は僕を見直そうと思う」
「まったく。お前はいつも正しいことしか言わないな」
 背中に顔をうずめる。別にそんな事はないよ。こうやって甘えてしまう自分が怖いだけさ。
 このまま一緒の高校に行こうか、なんて思ってしまった自分もね。

 共に過ごす時間が短く、貴重な時間になってしまったっていい。
 その分、濃密な時間をすごせばいい。
 それに僕らはまだ若いのだ。

「くく、それに塾だってある」
「おいおい。卒業後も塾に通えってか?」
「おや、キミのご母堂も言ってらしたそうじゃないか」
 晴れ間が見えた。そうだよ、と告げて勢いよく彼から飛び離れる。
 そうさ、僕らはまだ若いんだよ。だから、ほんの少しだけ自分に素直になってみよう。
「くっくっく。もう一つ目標が出来たよ」

「キミに僕と一緒の大学に行って貰うという目標がね」
「やれやれ」

 翌日、私は進路希望表を提出した。
 そして、私の定位置は、彼の顔を覗き込む格好、或いは彼の背中に手をかける姿勢から、一歩だけ前進した。
 もちろん二人きりの時だけだけれど。
 なんというか物理的に。

 それから、私はほんの少しだけ貪欲になることにした。夢と希望の両立を試してみることにしたのだ。
 諦観なんてしなくていい、そんな日々が始まったからだろうか。
 モノクロームセピアの幻は、それから一度も見ていない。

「ねぇ、キョン」
「なんだ?」
 くくっ。

「なんでもないよ」

)終わり。
)涼宮ハルヒの憂鬱に続く……?

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最終更新:2012年04月04日 00:23
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