高くそびえるひまわり、あの大量の花弁が全て小さくしぼんで、すっかり別の植物のように変わり果てたあじさい、耳喧しいせみ時雨。
どれも夏の頭の風物詩だ。そんでもっていよいよ太陽の奴も猛威を振るい始める頃な訳で。
いよいよ、夏だね。
「ああ夏だ」
「そうだな佐々木」
帰りの通学路。いつものように並んで塾に、いや正確には塾に向かう為に自転車が置いてある我が家に一旦向かう為に歩きつつ
学校で栽培したらしい朝顔の鉢植えを抱えてよたよたと歩いていく小学生の姿を見送る俺である。
ああそうだったな、あんな風に終業式頃に鉢植えを持って帰らされたんだったか。
中学生にもなるとあの手の行事は激減したな……。
そりゃ、やりたいって訳じゃない。
が、懐かしさはある。
「結果、玄関に置いたまま、ほうっておいて朽ち果てさせてしまったのかい?」
「なんだ佐々木、お前とは小学校は違ったはずだが」
まあこいつならそのくらい一発で洞察できるのだろうけどな。
相変わらず無駄に鋭い奴だ。
「しかしセミがうるせえな」
「そりゃ重畳だ」
なんだよ。俺がセミ嫌いで何が嬉しい?
「くく、そりゃそうさ。聞いた事はないかい? セミの鳴き声というのは求愛の行動なんだ」
それなら知ってるぞ。これでも昔は昆虫博士と呼ばれたもんだ。
「ほう。それは凄いな」
「褒めてないだろ」
「いやいや」
喉奥から笑いながら何言ってやがる。
「つまりだ、キミがセミのオスの求愛行動に惹かれるような性的衝動を持っていなくて嬉しいな、という事さ」
「俺をどんな変態だと思っているんだお前は」
さすがに呆れた。というかもっと簡潔に言え簡潔に。
「ふ、くくく。善処しよう」
今からそんな灰色対応してるとロクな大人にならんぞ。
「アドバイスを感謝するよ。しかしだキョン。キミだって花の美しさに心奪われることくらいあるだろう?」
そう、朝顔の鉢植えを抱えて遠ざかっていく小学生を見やりながら付け加える。
というか付け加えられてもな。関連性が見出せんぞ。
「という事は植物博士ではないという事か」
「否定はしない」
いかん。もしかして俺は要らんネタを提供してやっただけだったんじゃないのか。
「想像したまえ。おしべとめしべ、そこから連想されるものくらいキミにも解るだろ?」
「おしべとめしべ……?」
それはまた抽象的な話だな。
「そう、抽象的だね」
くつくつと喉奥で笑いながら佐々木はこちらの顔を覗きこむ。
普段は俺の一歩後ろをついてくるくせに、いらんときだけ併走するなお前は。
ああ誤解するな。俺にだってその手の連想は出来るぞ。
保健体育の話が即座に浮かぶ程度には俺は健康な中学生男子であるし、むしろそんな連想が出来るくらい健全だと言わせて貰いたいね。
「ふ、くく。僕の願ったとおりの事を連想してくれているようで重畳だ。さて」
「まだ続くのかこの話は」
「それでも聞いてくれるのだろう?」
ま、俺の家まではもうちょい時間がある事は確かだし、その間が暇になることに俺は肯定的な訳でもない。
「要するにだ、花というものも露骨なセックスシンボルとは言えないかな? けれど僕らは花の美しさと言う奴に随分好意的だね。
さて、そこにどの程度『アレがセックスシンボルである』という認識があるのだろう」
「そんないやらしい連想をする奴はそうはいねえよ」
「おや? そんなにいやらしいかな?」
おいこら。いつもの笑い方はどうした佐々木?
口の端が釣りあがりすぎて、三日月どころか弦月みたいな笑い方になってるぞ。
「くっくっ。僕の笑い方を覚えていてくれているとは嬉しいね」
「こんだけ毎日顔合わせて、お前の笑い顔の一つ覚えてなかったら立派な若年痴呆症だ」
というかよく考えたら佐々木はいつも笑ってるな。
そりゃ覚えもするってものか。
「キョン」
「なんだ?」
ふと佐々木が立ち止まって俺を見る。見つめてくる。
「キミはそうした日々の出来事に、特別な意味を求めようとはしないのかな?」
「もっと率直に言え。よく解らんぞ」
日々の出来事? ああ佐々木は笑ってるってか? 特別な意味? 笑ってる意味?
ああ、そういう事か?
「日々が楽しいならそりゃ結構な事じゃないのか?」
何を聞いとるんだお前は。
そう率直に言ってやると佐々木は腹を抱えて吹き出した。なんだ何がお前のツボに嵌ったんだ。
「くっ、くくくくくく。実に良いね。やはりキミは日々の物事の意味を素直に捉える。良い意味で詮索をしないね。そう、実に良いよキョン」
「何か知らんが褒められてるなら受け取っておくぞ」
褒められてない気もするがな。
「褒めているのさ」
「そうかい」
「ところで佐々木、さっきのセミの話で思い出したんだが」
「何かあったかな?」
あるだろ。というか解って言ってるだろその顔。
俺にだってそのくらいは解るぞ。
「さっきお前は『俺がオスの求愛行動に惹かれなくて良かった』なんて抜かしやがったが、なら生物学上メスであるお前はどうなんだ?」
「くっくっ、無論、そんなものに心動かされる事などないさ。何故なら、あー、いや」
なんだ? 珍しいな言い淀むなんざ。
「やれやれ。失礼だなキミは」
「そいつは失礼」
俺が馬鹿丁寧に頭を下げてやると、再び佐々木は腹を抱えるようにして身体をくの字に折る。
ホント楽しそうだなお前。
「ああそうだ。こんなやり取りが出来るのは僕らがセミと違って理性で生きているからさ。そうだろ? キョン」
「かもな。理性がなきゃできん」
「そうだ。その通り」
言って身体を起こしながら、再び俺を覗きこむ。
きらきらした目がいつもの三割り増しで輝いているように思えたのはきっと夏の陽光の反射のせいだろう。目に気をつけろよ佐々木。
「くく、そうするよ。ああ、いいね。やはりキミとの時間は実にいいよ、キョン」
そりゃ幸いだ。つまらなそうな顔されるよりはよっぽどいい。そこに異論がある奴なんているはずだろ?
少なくとも俺にはないね、あるはずもない。
)終わり
「ところでキョン。セミの鳴き声がそうであるように、生き物にはそれぞれ固有の求愛行動があるものだが」
「そりゃそうだろう。求愛して種族を繋ぐ、生物の本懐って奴だな」
どんな生き物だってつまるところはそうだろう。
「ほう。なかなか含蓄深いじゃないか」
なんでそこで目を光らせる。
「ではキョン。キミも生物としてメスに求愛行動を示したことはあるのかい?」
ふん。俺から話を聞き出したいのなら先にお前が言え。言えるもんならな。それがフェアってもんだろう。
そう目線を向けてやると、佐々木はくつくつと片頬を釣り上げた。
「くく、さすがの僕もメスに求愛行動をしたことはないな。これでも生物学上はメスなのでね」
「そうくるか」
「だが生物学上はメスである以上、オスに求愛行動をする可能性はあるね。やはり生物の本懐なのだから」
「ほう…………」
なんとなく想像がつかない。
いや、むしろ
「おや? 求愛行動をお望みなのかな?」
「さあてな。種の存続を考えるには些か年若いもんでね」
「おや、そうかい?」
そうだよ。だから後頭部をこすりつけてくるな。にやにや笑うな。ああ、まったく……くそ言葉が湧かん。
「ま、そんなキミだからこそ付き合いがいもあるというものだよ」
「それ、褒めてないだろ」
「いいや?」
くつくつと喉奥で笑い、ぴたりと俺に指を差すと、佐々木の笑みが一層楽しげに閃いた。
「キミだからこそいいって事さ。それだけは覚えておいてくれたまえ」
「そうかい」
)終わり
最終更新:2012年09月08日 02:55