19-15「トライアド」前半



 ぎらつくような太陽がマウンドを照らしつける。
 最終回、二死でランナーは二塁。
 点差はたったの一点。
 俺は袖で汗を拭うとセットポジションに入った。
 緊張の一瞬。
 全世界の音が消えた。
 あとはキャッチャーミットめがけて、全力でボールを投げるだけ。
 だが、なぜだろうか。まったく、抑えられる気がしない…
 ―何で野球となんか全く縁がないはずの俺がこんな激闘甲子園さながらの正念場に立っているのか。
 その発端はこれより二日前にまでさかのぼる。

 それは6月のことだった。
 その日は何の変哲もない陽気な一日であり、俺は三時間目にある数学の小テストばかりを気にしていた。今回ばかりはまともな点数をとらないと怒られそうだからな、いろいろなところから。
 というわけで、普段より少し早めに学校にやってきた俺は、教科書を広げて直前の瞬間記憶作業に追われていた。
 思えばそのときに悪魔の足音は俺の背後にまで迫って来ていたのである。

「協力しなさい。」
 後ろから首根っこをつかまれるやいなや、何に協力せよなどの目的語もなく、ただ命令だけが俺に降りかかってきた。
「な、なんだってんだ、朝っぱらから?」
 振り返った俺の視界に入ってきたのは、俺の席の後に陣取るこの学校の名物変人涼宮ハルヒその人であった。
 俺が学校に来たときには、まだ登校していなかったから、気づかなかったが勉強に集中している間にやってきたようだった。
「これを見なさい。」
 得意げに涼宮は俺に何かのチラシを見せる。
「…野球大会?」
 俺は思いっきり不信感に煽られた素っ頓狂な声を上げた。
「そっ。」
「いや、そっ、って言われてもだな…」
「この大会に我がSOS団の存在を世間に広めるために参加しようと思っているのよ。でも、私たちだけじゃ人数が足りないから、数合わせで参加してちょうだい。」
 仮にもお願いしているんだから、数合わせとは失礼ではないか。まぁ、実際数合わせ以外のなんでもないんだが。
 それ以前に、この大会にお前らと参加するということは、つまりお前らのお仲間として俺の名前が世間に広く知られてしまうということになるのでは…
 それは俺にとってはあまり好ましくない事態だ。
「そうは言ってもだなぁ。」
「後で谷口と国木田あたりにでも声をかけといて。」
 俺の返事を待たずにもう参加することになっていやがる。
「誰もまだ参加するとは言っていない。だいたい、この大会はいつやるんだ?」
「今度の日曜。」
「あさってじゃねえか!」
「どうせ暇でしょ。」
 確かに、予定はないが…
 かといって、せっかくの日曜日にお前らと一緒に白球を追いかけるっていうのもなぁ。それに野球がやりたいなら、俺じゃなくて野球部の奴に声をかけろよ。
 そうして俺がどうやって断ってやろうかと思案していたところ、横から天の声が響いてきてしまった。
「面白そうではないか、キョン。せっかくだから参加させてもらおう。」
 俺と涼宮が声のした方を振り向く。
 俺の後ろから登校してきた佐々木がチラシを覗き込んでいた。
「いや、失敬。盗み聞きするつもりはなかったんだけれどもね。でも、せっかくの機会だ。たまには休みの日に運動をして過ごすのもいいだろう。」
 佐々木は鼻を鳴らしてふむふむとうなずいている。何に納得しているんだ?
「お前もな―」
「涼宮さん。人数が足りないんだったら、別に私が参加しても大丈夫だよね?」
 佐々木は俺の言葉など聞く耳持たず、涼宮に参加確認をしている。
「えぇ、まぁ。」
 涼宮のほうも予想外の展開に驚いたのか、うまく言葉が出ないようだ。
「じゃあ、私も参加するということでよろしくね。」
 佐々木は満足げに笑った。


 佐々木の奴が勝手にオーケーを出したせいで、俺まで参加する羽目になってしまった。ここまでくれば谷口と国木田を巻き込んでも、罰は当たるまい。見事につぶれてしまった今週の日曜日を嘆いて、俺はため息をついた。
 そして、恨みがましい目で隣の佐々木を見る。
「そんな目をしなくてもいいではないか。」
 佐々木は悪戯っぽく笑うと、気にするなと言わんばかりに、右の手のひらを軽く振った。
「お前ら二人して勝手に決めやがって。俺の意思はどうなる?」
「涼宮さんや僕と一緒に野球をやるのがいやなのかい?」
「いや、そういうわけではないが…」
「なら不平不満を漏らす必要はあるまい。それに―」
「それに?」
「キミが参加するなら僕も参加しないとね。」


 その日の放課後、この北高内では知らぬもののいないSOS団という珍妙な名前の集団に混ざり、俺も野球の練習をさせられる羽目になっていた。
 授業が終わるやいなや、涼宮は俺の首根っこをつかみ
「さぁ、練習に行くわよ!」
 とそのまま連中の部室まで強制連行、そして強制練習と相成ってしまったわけである。
 俺に人権はないのか。
 俺と同じく、練習場から追い払われた野球部員たちが迷惑そうな目でこちらを見ている。そんな目で見ないでくれ、俺も被害者の一人なんだから。
 俺がこの事態に追い込まれてしまう原因を作ったもう一人の当事者である佐々木は、塾があるから、とさっさと帰ってしまったし、谷口と国木田は放課後になると同時に逃げるように去っていってしまった。
 こうして、俺が人柱としてその身を捧げる羽目になってしまったわけである。
 正直、俺が野球大会に参加することを渋った理由は、単純に野球がやりたくなかったというわけではない。このSOS団という珍妙極まりない怪奇な連中と関わりあいたくなかったのである。いや、ここで『あの現実』を認識させられるのが怖かったというほうが正解か。
 その全ての発端は今年の5月にまで遡る。
 思えば、あの事件以降俺の状況は一変したと言っても過言ではあるまい。


 長くなる上に、俺自身もあの状況を理解できていないから、簡単に説明させてもらおう。
 一言で言うなら、朝起きると俺は全く別のパラレルワールドに飛ばされていた。
 初っ端から意味不明であるが、神に誓ってこれは嘘でも冗談でもない。
 その事実に気づいたのは、普段隣の席にいるはずの佐々木がいないことに気づいたときだった。
 そして、俺は高校二年生になっていて、涼宮がなぜかこういつもよりフレンドリーというかなんというかで、んで俺がパニクっていたら古泉という9組の男が現れて…
 で、古泉に話をしたところ、世界の改変の可能性だのなんだのという電波話を聞かされ、んで、古泉は『機関』とかいうわけのわからない組織に所属する超能力者で、朝比奈さんという人は未来人で、長門という同級生は宇宙人で…
 申し訳ない、やっぱりうまく説明できない。
 で、それから仕方が無いのでとりあえず俺は家に帰って寝込んだ。
 それ以外どうしようもなかったし、古泉にもあまり派手に動かないほうがいいとアドバイスされたので、とりあえず寝た。
 そうやっているうちに何とかこの世界に戻ってこれたらしいのだが…
 しかし、本当に俺が驚愕させられたのは、この元の世界に戻って来た瞬間だった。
 本当に何を言っているのかわからないと思うが、この世界へ戻ってきた瞬間、俺は佐々木とキスをしていた。
 頭がくらっとした後、だんだんと意識がはっきりしていくと同時に、唇に何かやわらかい感触があることに気づいた。
 恐る恐る目を開けた俺の目に入ってきたのは、涙を流しながら目を閉じている佐々木の顔。そして、俺の唇に感じていたやわらかい感触は佐々木の唇。
 一瞬にして頭が真っ白になってしまった。
 いったい何があったんだ、っていうか何をしているんだ、俺。
 そして、唇を離せないまま固まっていると、佐々木が目を開いて唇を離した。
 佐々木は右手で涙を拭くと、俺の瞳を覗き込んで、ただ一言こう言った。
「キミは僕の知っているキョンかい?」
 この一言で自分の置かれている状況が推察できた。
 そして、確認のためにこの世界の日付と時間を尋ねてみる。
 返ってきた答えは、俺を安心させてくれるものだった。


 戻ってこれたまではよかったが、またこれはこれで別の問題が発生していた。
 まさか佐々木とキスをしているとは思わなかった。
 まぁ、その、なんだ、俺自身も佐々木のことは、まぁ、そう、思っていたわけだから、後は佐々木の意思次第だったというか…
 とにかく、あれ以降俺と佐々木の間に何か意識するものが出来てしまったのは言うまでもない。
 佐々木は俺がいない間に何があったのか教えてくれなかったし、俺自身も何が起こっていたかをうまく説明できない。
 しかし、当然全てを忘れるというわけにはいかず、あのキスは常に俺たち二人の間に存在していた。で、あれ以降少しずつ俺と佐々木の関係は友人から、クラスの連中の喜びそうな方向へシフトし始めている。
 全くもってしてうまく説明できなかったが、そんなことがあったんだ。


「あれから調子はどうですか?」
 涼宮の殺人ノックを軽快にさばきながら、古泉がむかつくほどの爽やかスマイルで声をかけてきた。
「お前に調子を尋ねられる覚えはないけどな。」
 古泉とは目をあわさずに、涼宮の方を向きながら答えた。
「まさか、あなたはあの未来人騒動を忘れてしまった、と?」
 おおよそ察しは付くが、聞きたくない。
「…お前だいたい状況を理解しながら、聞いているだろ。」
「ということは、あなたもだいたい我々の状況を理解しておられるということですね。」
 パンッ、という小気味のいい音とともに古泉は華麗にライナーを捕球した。
「どうしたもんかね。向こうの世界では結構お前に世話になったんだぜ。」
「そうですか、それはそれは。向こうの世界の僕も頑張ってくれているみたいですね。」
「あぁ、憎らしいくらいにお前そっくりだ。」
 そう言い放ってやると、古泉は目を細めて両手を挙げるジェスチャーをした。
「それはそうと、向こうの僕から何を聞かれました?」
「あなたの身の回りの宇宙人、未来人、超能力者について。」
「それはよかった。いちいち説明する手間が省けて楽です。」
「ということは、この世界のお前らもそうなんだな。」
 ちょっと、キョン、あんたまじめにやりなさいよー!、という涼宮のけたたましい声が聞こえる。
 が、そんなもんは無視だ。
「ええ、そのとおりです。ですが、この件についてはくれぐれも他言無用で。」
「言われなくても、人に話したところで誰も信じやしない。」
 そして、足元に転がってきたゴロをハルヒの方へ投げ返した。


 千本ノックを受けているのは俺と古泉のほかは、まるで蝋人形のように突っ立っている宇宙人製アンドロイド長門有希、そして、未来人の朝比奈さん。
 っていうか、なんで朝比奈さんはナース服のコスプレをしているんだ?まぁ、悪くはないが…
 長門は突っ立ったまま自分のほうへボールが来たときだけ、グローブではじき落としている。
 朝比奈さんは―
 グローブで頭を抱えてうずくまっている、だめだこりゃ。


 それから、涼宮の打った打球で負傷した朝比奈さんを保健室まで連れて行く形で俺は練習を抜けた。
 戻ってきてみると、今度は古泉と長門がフェンス越しにグラウンドを眺めていやがる。
 涼宮の奴は、なぜか野球部の連中に千本ノックの続きを行っていた。
 ほんとあいつは運動神経いいな。俺らみたいなど素人捕まえて野球をせんでも、ちゃんとしたクラブに入ってやりゃいいのに。お前ならいい線いけるぜ。
 そして、涼宮は満足したのかノックをやめて汗を拭いた。
「さすが涼宮さん、ちょうど千本ですね。」
 そんなもんを数えていたのか、暇人だな。
「全くどうしたもんかね。」
「あなたは普通にしていてください。それが一番です。少なくとも、涼宮さんにとってはあなたは気になる存在のようですから。」
 涼宮の奴は今度はマウンドに立って、投げ込みをはじめていた。
 長門が無言で踵を返し帰り始めた。
 もう、いいだろう。俺も帰ろう。
「じゃあな、古泉。」
「ええ、また二日後に。」


 二日後。日曜日。午前八時ちょうど。俺たちは市営のグラウンドに集合した。
 自転車を駐輪場に停めると涼宮たちの姿を探す。
「キョンくん、こっちですー。」
 俺の姿に気づいた朝比奈さんが可愛らしく手を振って呼んでくれた。
 俺以外の連中はみんな集合しているみたいだ。
「遅い!いい、今日の朝から試合は始まっているのよ!そんなたるんだ根性で勝てると思っているの!」
 さっそく涼宮監督のゲキが飛ぶ。家を出てからが野球大会ですってか。
「おはよう、キョン。」
 学校指定ジャージに身を包んだ佐々木が小さく手を振った。
「おう。」
 元はといえば俺はこいつのせいで野球大会への強制参加は決定したようなもんだ。
「ちょっと、キョン。」
 涼宮が俺のジャージの袖を引っ張る。
 なんだよ。
「あれ、誰?」
 涼宮の指差す方向では一人の小学生女子が朝比奈さんに自己紹介をしていた。
「俺の妹だよ。」
 あれ呼ばわりとは失礼な。
「あんたねえ、今回の大会はリトルリーグじゃないのよ。小学生なんか連れてきてどうするのよ。」
「別に試合に参加させるわけじゃねえよ。今日野球大会に出るって言ったら着いてきたんだ。」
 昨日の夜、明日は朝から俺は野球大会に行くからと言ったら面白がって付いて来た。
「おはよ。」
 佐々木が妹の方へ笑って声をかけると、妹はうれしそうにこちらに走ってきた。
「佐々木さんだー。おはよー。」
「悪いな、付いてきちまった。」
「かまわないよ、キョン。一人でも応援してくれる人がいれば心強い。」
 そう言って、妹の頭を撫でながら、佐々木は俺に笑いかける。
 佐々木に頭を撫でられ、へへー、と妹は得意そうに笑っていた。
「ふんっ。まぁ、いいわ。ちょうどいいハンデね。」
 なぜか不機嫌な涼宮は口を尖らせていた。


 グラウンドの入り口のほうに固まっている男性陣のほうへ挨拶に行く。
「よう。」
「おお。」
 谷口の奴が右手を挙げて応えた。
「おはようございます。」
 古泉が慇懃に挨拶をしてくる。
「おはよう、キョン。」
「おう。」
 国木田とも軽く挨拶を交わすと、俺はとりあえず人数を数えた。
「…8人しかいない。」
「あぁ、それでしたら9人目はあちらの方です。」
 そして、古泉が手で指し示す方向には髪の長い女の人がいた。ジャージの色を見る限りは上級生か。
 その人は俺たちの視線に気づくと笑いながらこちらに向かって来た。朝比奈さんも一緒にくっついてくる。ということは朝比奈さんの友達かな。
「こちらが私のお友達の鶴屋さんです。」
 そう紹介されるやいなや
「キミがキョンくん?へぇー、キミがみくるの言っていた、ふーん。」
 俺を上から下まで興味深そうにじろじろ眺めておられる。
「朝比奈さんが、何か言っていたんですか?」
 俺の足元あたりを見ていた鶴屋さんは顔を上げると
「ん?いやー、キミがみくるのことを聞いてきても余計なことは言っちゃダメって釘をさされているのさっ。」
 そう快活に言い放ち、朝比奈さんを慌てさせた。
 まぁ、朝比奈さんがどういう意図をもってしてその発言をしたかはだいたい察しが付くが、この人には勘違いされている気がする。
「ちょっとー、守備位置と打順を決めるから集合しなさーい!」
 怒号のような涼宮の声に追い立てられるように、俺たちは観客席のベンチに集合した。


「ところで、どうやって守備位置と打順を決めるんだ?」
 明らかに俺たちは今日会ったばかりのインスタント烏合の衆ズであり、お互いのこともほとんどよく知らないのが現状だ。
「それならちゃんと考えてきたわ。」
 ハルヒは得意げに胸を張ると
「これよ、これ。」
 明らかにどう贔屓目に見てもあみだくじにしか見えない紙を、俺の目の前に突きつけた。
「…それ、あみだくじじゃないか?」
「そうよ。」
 しれっと言ってのけやがる。
「あのなぁ。」
「何よ。民主的で平和的な方法でしょ!守備位置と打順で2枚ね。あと、私はピッチャーで一番だから。」
 どこからどう突っ込めばいいのか、固まってしまった俺に佐々木が声をかけた。
「涼宮さんの言うとおり、これが一番平和的な方法だよ。文句は出ないはずだ。とりあえず平等ではあるからね。」
 佐々木は苦笑いをして嫌味ともとれる台詞を吐いた。
 文句が出ないためだけのチーム編成って一体なんだ。…かと言って俺に他に名案があるわけでもないしな。
 こうするしかないか。


 さてと、そんな我らの対戦相手であるが、これが目下三年連続優勝のディフェンディングチャンピオン、上原パイレーツである。
 なんでも大学生の硬派なサークルらしく、明らかに気合が違う。大声を掛け合って、守備連携の確認やら、バックホームの練習などをおやりになられておられる。俺たちの勝っている点といえば、ポジション編成の平等さくらいなもんだろうか。
 負けたな、こりゃ。


 野球のユニホームすら着ていないみすぼらしいチームは我々だけで、なんかもうそれだけで帰りたくなってきた。場違いにもほどがある。
 ほとんど公開処刑に近いこれから起こる惨劇を思って、俺は軽く欝になっていた。
「よしっ、全部決まったわね。」
 涼宮の景気のいい声が響き渡る。こいつに現実を理解しろ、と要求するだけ無駄か。
「それでは作戦を授けるわ!」
 と言って、何か作戦らしきものを言っていた気がするが、俺はひたすら今日の昼飯のメニューばかりを考えて現実逃避していた。
 それではあみだくじにて平等かつ公平に、そしてそれだけが取り得の、『チームSOS団』のスターティングナインを紹介しよう。
 一番、ピッチャー、涼宮。二番、ライト、朝比奈。三番、センター、長門。四番、セカンド、俺。五番、レフト、国木田。六番、ショート、古泉。七番、ファースト、谷口。八番、サード、鶴屋。九番、キャッチャー、佐々木。
 以上である。補欠は俺の妹。透明ランナーの方がまだマシじゃないだろうか。


 整列して挨拶の後、俺たちはダグアウトに入り、一番バッターの涼宮がバッターボックスに入った。
 ヘルメットの存在を見事に忘れていた我々だが、機転を利かせた佐々木が大会運営から借りてきてくれていた。
 涼宮はバッターボックスで不敵な笑みを浮かべている。まさか、勝つつもりか。
「頭ばかり抱えていないで、応援してあげたまえ。」
 そう佐々木に諭されたが、すまん、無理。
 そんなやり取りをしている間にピッチャー第一球。
 コキン。
 金属バットが軽快な音を立て、白球が飛んでいく。それは、必死にその影を追うセンターをあざ笑うようにその頭を通り越すと、ワンバウンドでフェンスに当たった。
 センター越えヒット。
 涼宮は二塁に到達していた。
 この光景を見て驚いていない奴がいたら、断言してやろう。そいつはまともな人間じゃない。きっと宇宙人か、未来人か、超能力者だ。


「さすがに野球をしよう、と誘ってくるだけのことはあるね。」
 佐々木が小さく拍手しながら感心したような声を挙げる。
「正直、驚いた。」
 完全試合すら覚悟していたからな。
 目の前では涼宮の奴が、ピッチャー全然大したことないわよー、だのわめいている。
 バッテリーの目の色が変わった。完全に逆効果だ、アホ。
 おどおどしながら二番バッターの朝比奈さんがバッターボックスに入る。
 朝比奈さんが入るやいなや、ピッチャーは強烈なストレートをインコース高めに投げた。手加減の手の字もない。女の子相手なんだからちったぁ加減しろよ。
 これで唯一の勝利の可能性である、女の子への手加減という可能性が見事に絶滅した。
 朝比奈さんは固まったまま、三球三振。無事帰ってきてくれればそれでいいです。
 続く、長門もバットを引きずってバッターボックスに入ると、とりあえずバットを構えて、その体勢のまま固まった。
 うーん、全く微動だにしない。これはこれですごいな。
 などと感心しているうちに、見事にストラックアウト。
 完全に傍観者を気取っていた俺を現実に呼び戻す非常の声
「キョン、次はキミだよ。」
 佐々木がにこやかにバッターボックスの方へいってらっしゃいませ、と言わんばかりに手を向けていた。


 長門からバットとヘルメットを受け取り、バッターボックスへ向かう。
 相手チームの皆様方は俺の顔を確認すると、守備隊形を少し後へシフトした。どうやら、はじめて登場した男ということで少し警戒していただいているらしい。
 悪いが、俺はキミたちの期待には応えられそうもない。
「キョンー!あんた四番なんだからね!打たないと承知しないわよ!」
 真正面にいる涼宮が両手を振り回しながらキーキーわめいているのを適当に聞き流す。くじ引きで決まった四番に期待するな。
 とはいっても―
 ダグアウトの佐々木のほうへちらりと目をやる。
 あいつはあいつで何を考えているのかよくわからんが、楽しそうにニコニコしている。一応ここは男のプライドとして、かっこいいところを見せてやりたいところだが…
 バスン
 だめだ。球が速すぎる。目の前を通り過ぎたことしかわからん。涼宮の奴がなにやらわめいているが、気が散るからやめてくれ。こりゃ、普通に洒落になっていない。
 二球目、とりあえずバットを振ってみたが、大きく振り遅れた。
 三球目、タイミングはマシになったが、俺のバットはボールの上空30センチで空を切った。
 三球三振。面目ない。


「まぁ、いいわ。点さえ取られなきゃ負けることはないんだし。」
 涼宮はそう言ってアヒルみたいに口を尖らすと大股でマウンドへと向かった。
「お疲れ。」
 とぼとぼとダグアウトへ戻ってきた俺に佐々木はタオルを手渡してくれた。汗を拭いて、ほっと一息をつく。
「悪い。かすりもしなかった。」
「まぁ、仕方あるまい。彼らはなんといっても優勝候補らしいからね。それに野球において一般的に一巡目というのはピッチャーに有利なものだよ。」
 と、励ましともなんとも思えない言葉をかけてくれる。
「やれやれ。」
 ため息をついた俺の表情を見てあいつは悪戯っぽい笑いを浮かべた。
「もしかして、いいところを見せようと思ってはりきっていたのかい?」
 そして言葉に詰まる俺を見て、愉快そうにくっくっと笑い声をあげた。


 グローブを持って守備位置に付く。6月だというのにもう日差しは随分きつく、立っているだけで汗をかきそうだ。
 キャッチャー佐々木は審判と一言二言交わすと、自分のポジションに座り込んだ。
 相手の一番バッターがゆっくりとした足取りでバッターボックスに入る。んー、さすがにバットを構えるしぐさが様になっているな。
 審判の合図を待って、涼宮が投球モーションに入る。
 第一球―
 バシィ
 乾いた音がグラウンドに響く。内角低めに強烈なストレート。
 なんつう球を投げるんだ、こいつは。相手のバッターも驚いた顔をしている。全く、でたらめな女だな。背中越しに涼宮の得意げな顔が見えてきそうだ。
 って、あんな剛速球を受けて佐々木は大丈夫なのか?
 マスク越しに佐々木の表情を伺う。
 佐々木は涼宮に返球しようとしたときに、俺の視線に気づいたようで、大丈夫といわんばかりに右手を小さく挙げて見せた。あいつは大丈夫と言っていても、本格的に無理そうになったら、俺がキャッチャーを代わるなりなんなりしよう。
 そう決意して、俺は守備体勢に入る。
 しかしながら、その決意は見事に杞憂で終わるのであった。


 ―うそだろ?
 今、俺の前でわが目を疑う光景が繰り広げられていた。
 現在のスコアは二死、ツーストライク、ツーボール。
 そしてピッチャー涼宮の投げた速球は内角低めストライクゾーンぎりぎりに決まった。三振、ストラックアウト。
 相手のバッターは肩を落として、すごすごと自分のダグアウトへと帰っていく。
 一回の裏、相手チームの攻撃は三者三振で終わった。
「まじかよ…」
 こんな即席チームで、しかも女の子バッテリーで、優勝候補をいきなり三者連続三振。
 信じられない光景だ。
「涼宮さんの投手としての力量ももちろんですが、佐々木さんのリードがすばらしいですね。ことごとくバッターの狙いを読んで外しています。」
 古泉が得意げに解説してきた。
 わかってるよ、それくらい俺だって。
 ただ、実際目の前でその光景が起こると到底信じられない。
 あの涼宮の剛速球を平気な顔して捕球するだけではなく、リードまでするなんて。
「さすがに息ぴったりですね。」
 古泉は俺に笑いかけると、ダグアウトへと走っていった。
 なんだよ、その『さすがに』ってのは。

「わー、すごーい。」
 おそらく野球のルールなんて全く知らないはずの妹も、なにか目の前ですごいことが起こっていたことはわかっているみたいで、涼宮にピョンピョン飛びついていた。
「ふふん。まぁ、ざっとこんなもんよ。」
 と涼宮は胸を張ると、俺のほうをちらっとみて鼻で笑った。
 あぁ、たいしたもんだよ。拍手してやる、心の中で。
 もう一人の当事者である佐々木は鶴屋さんに絡まれている。
 べた褒めされて、あいつはどうしたらいいかわからないようにはにかんでいる。
 そういえば、佐々木はなんでもやったらすごいのに、普段から目立つのを避けているせいで、ああやって褒められることに慣れていないんだな。
「楽しそうだね、佐々木さん。」
 後ろから国木田に声をかけられた。
「あぁ。まぁ、今回の一件にはあいつも主犯の一人だからな。楽しんででももらわなきゃ困る。」
 国木田はふーん、と鼻を鳴らすと唐突に
「ところでキョン。佐々木さんとなんかあった?」
 いきなりなんだよ。
「いや、なんか5月半ばくらいから佐々木さんの雰囲気が変わったなって思ってさ。なんていうか、明るくなったというか幸せそうというか。」
「なんで、佐々木が楽しそうにしてたら俺と何かあったと思うんだよ。」
「えっ、違うのかい?」
 こいつ、絶対わかってて聞いているな。
 そのとき、俺の頭の中ではあのキスの瞬間がプレイバックされていた。


「ふぅ、なんとか切り抜けられたね。」
「お疲れさん。」
 鶴屋さんから解放された佐々木はやれやれというような表情で俺の隣に座った。
「すごかったな。まさか三人連続三振とは完全に予想外だった。」
 佐々木は照れを隠すように唇に人差し指を当てると
「うーん。そうだね。涼宮さんのボールはスピードも威力もあったし、なにより彼女のコントロールがいいからね。」
「お前のリードもすごかったぜ。」
「まぁ、相手のバッターが打とうとしているコースを意識的に外しているだけだよ。」
「いや、バッター心理がわかるっていうだけでも相当なもんだと思うけどなぁ。」
 佐々木は愉快そうに喉の奥で笑い声をあげると
「なに、キミの心理を推察するよりもはるかに簡単なことだ。」
 とのたもうた。
 どういう意味だ、それは。
「それはそうとさっきは国木田と何を話していたんだい?」
 うっ、思わず頭の中にあのシーンがよみがえってきてしまう。バッターボックスでは五番の国木田が三度目の空振りをしていた。


 古泉と谷口も仲良く連続三振を決め込んで、この回はチェンジ。
 そして再び俺は守備位置についた。
 目の前では先ほどの光景が見事にプレイバックされており、連続三振ショーの真っ最中だ。守備で突っ立っているけど、やることがなくて暇だ。
「涼宮さんのことについてあなたはどれだけの知識をお持ちです?」
 ショートの古泉が話しかけてきた。いくらやることがなくて暇だからって、こんなところで無駄話をしていたら涼宮にどやされるぜ。
「どういう意味だ?」
「文字通りの意味です。」
 まるで馬鹿にされているような気分になるくらい爽やかなスマイル。
「あいつが神様だのなんだのっていう電波話、か?」
「ご存知で何よりです。僕も説明する手間が省けて助かります。」
 礼なら向こうの世界のお前に言え。
「こちらの世界での涼宮さんも、あなたがあちらの世界でお会いした涼宮さんと同じく、神とも呼べる能力をお持ちです。」
 そうか。
 とりあえず、俺はなにも聞かなかったふりをしてやるからありがたく思え。
「他人事のような顔をしないでください。あなたは選ばれたかもしれない人間なのですから。」
「何に選ばれたんだ、俺は。」
 草野球の数合わせメンバーにか。
「まぁ、平たく言えばそうなってしまいますかね。」
 馬鹿にしてるのか、お前は。
「あなただって疑問に思ったはずです。なぜ自分がこの野球大会に誘われたのかとね。」
 なぜって?
 俺があいつにとって話しかけやすい席に偶然座っていて、んで、まがいなりもあいつとクラスで会話する人間は俺ぐらいだからだろう。
「涼宮さんにとって偶然は必然です。あなたが彼女の前に座っていることも、あなたが四番をひいてしまったことも。」
 何が言いたいんだ。
「先ほども言いました様にあなたは涼宮さんにとっては気になる存在、つまり彼女の精神に影響を与えうる存在です。僕らにとってあなたはもう無関係な他人ではないのですよ。」
 勘弁してくれ。俺は未来人でも、宇宙人でも、超能力者でもない普通の高校生だ。
 古泉はそんな俺の不満100%の顔を見て笑うと
「それでもあなたはもう内側の人間ですよ。それに、佐々木さんも。もっとも彼女はその前からそうでしたが。」
 と、古泉が意味ありげな台詞を吐くと同時に、三人目の三振が告げられ、この回の守備は終わった。


 さて、それでは我々の攻撃へと移りますか。
 やる気なく、ダグアウトへ歩いていくと、涼宮の奴がなにやら不敵な笑みを浮かべていやがる。また、なにかよからぬことを企んでるんじゃないだろうな…
「どうやら、ここは試合の流れを変えるためにアレを出すべきね。」
 アレっていったい何だ?何をやらかすつもりだ?
 俺が不安に駆られて、その場で固まりそうになっていると、涼宮はすばやく審判にタイムを申請し、
「さぁ、みくるちゃん。ちょっと来なさい。」
 とベンチに置いてあったボストンバッグを掴んで、朝比奈さんを引っ張ってベンチ裏へと消えた。
「いったい何をやらかすつもりなんだ?」
「何かこの状況を打開できるような策があるみたいだね。」
 佐々木の奴は能天気に言うが、あの涼宮のやることだ。ろくなことであるはずがない。
「ちょ、ちょっと…涼宮さんっ!やっやめ…てぇ!」
 女子トイレのほうからは朝比奈さんの時折悲鳴が聞こえる。
「ほらっ、さっさと脱いで!着替えるのよ!」
 ろくでもなさそう率50%アップ(当社比)。
 5分後、再び登場した二人はこの場にとんでもなく似つかわしい格好をして現れた。
 鮮やかなブルーとホワイトを基調としたツートーンカラーのノースリーブにミニプリーツ。両手には黄色いボンボン。
 完璧なまでのチアリーダーだ。ミニスカートから覗く白い足がまぶしい。
「似合うなぁ。」
 と国木田は能天気な感想を言い
「みくるー、写真撮っていいー?」
 ケラケラと笑いながら鶴屋さんはデジカメを取り出した。
 …確かにこの光景はデジカメに収める価値があるな。
 俺も写真がほし―
「キョン、鼻の下が伸びている。」
 静かで落ち着いた声だったが、それは雷鳴のように響いた。佐々木は、顔は微笑みを絶やさないままだが、口元に力がこもっている。
 佐々木をよく知らない人間にはわからないだろうが、今までの経験から言って、これはあまり好ましくない状態であることはよく知っている。
「いや、別にそういうつもりはないぞ。」
 言い訳がましさ100%の白々しい台詞を吐く。
 そして、こんな言い訳は佐々木に通用するはずもない。
「ポニーテールのほうがいいかしら。」
 涼宮は朝比奈さんの髪を撫でながら後でまとめようとしていた。
 ポニーテールと聞き、俺は思わず朝比奈さんたちの方へ振り向いてしまった。
 涼宮は俺の視線に気がつくと、今度は佐々木と目を合わせ、口をアヒルみたいにした。
 ポニー中止。
 なんでお前ら普段学校であまり話さないくせに、そんなにコンビネーションがいいんだ?
「さ、応援しなさい。」
「えええ、どどうやってですか…?」
「こうやってよ!」
 涼宮は朝比奈さんの後に回ると、白い両腕を掴んで、かんかんのうよろしく上下させた。
 油の切れたロボットみたいな動きで腕を上下させている。
「ひいいー皆さん打ってくださぁい!お願いだからー、がんばってぇー!」
 谷口あたりは何を張り切ったのか、そこらへんにあったバットを掴んで素振りを始めている。お前は前回見事に三球三振したところだろうが。
 しかし、俺ががんばるべき目下の目標は、バットを振り回して球を飛ばすことではない。
 案の定、佐々木はご機嫌斜めで不服そうにバッターボックスのほうを見ている。
 とりあえず何か話しかけてフォローしたいと思うところだが、何て声をかけていいかわからん。
 そうやって、俺が挙動不審に佐々木の方ばかり見ていると、俺の視線に気づいた佐々木は不服そうに
「なんだい?」
 え、っとだなぁ…
「お前も、そのアレを着ないのか?似合うと思うぞ。」
 …言うに事欠いて何を言っているんだ、俺。
 確かに、佐々木のチアリーダー姿を見たいか、と問われると答えはイエスなのだが。
 こりゃ、完全に佐々木を怒らせてしまうな、と戦々恐々としていると、
「…バカ。」
 意外に佐々木の反応はあっさりしたものだった。
 恐れていたほど機嫌も悪くないらしい。


 三回表、こちらの攻撃。
 涼宮のチアガール作戦の効果があったのか、なかったのか、鶴屋さんはファールで粘っている。どうやらこの鶴屋さんも運動神経のいい人のようであったが、最後にはキャッチャーフライを打ち上げてしまいワンアウト。
「むずいわねーっ、バットに当てるだけで精一杯。」
 ちなみに男性陣は誰一人としてバットに当てることも出来ていない。
 次はラストバッター、キャッチャー佐々木の出番である。
「がんばってねっ!」
 と、鶴屋さんからバットを渡された佐々木は軽く会釈し、バッターボックスへ入った。
 あまりの味方チームのふがいなさに業を煮やしているのか、涼宮は両手を腰に当てて、右足のつま先で足踏みをし落ち着かない様子だ。
 こんな即席チームに期待するほうが間違っている。
 佐々木は軽く審判に挨拶するとバッターボックスへ。相手のバッテリーの顔色が変わる。
 涼宮―佐々木バッテリーに今現在パーフェクトに抑えられているわけだから、それも当然だろう。
 バシン
「ストライーク!」
 一球目は内角低めへ強烈なストレート。
 いくらなんでも女の子相手に内角攻めなんかするなよ、当たったらどうするんだ。
 しかし、そんな俺の心配をよそに佐々木は平然としたものである。


 カウントはツースリー。
 佐々木は鶴屋さんよろしくファールで粘り、最終的にフルカウントまで持ってきた。
 前々からあいつの運動神経がいいことは知っていたが、まさか大学生の野球チーム相手に渡り合えるほどだとは思わなかった。
 最後の一球、外角低めコースギリギリ。佐々木は見逃した。審判のコールは…
「ボール!フォアボール!」
 佐々木はバットをおいて一塁へとことこと歩き始める。これで、涼宮以外に走者が出たことになる。
 そして、次のバッターはその涼宮だ。
「ふふん、これは決勝点を入れるチャンスね。」
 それを言うなら先制点だ。

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最終更新:2008年02月05日 09:25
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