「そうだね……。僕が君の心を撃ち抜こうとするならば、ここを撃つだろうね」
しばし逡巡してから、佐々木はその人差し指を俺の胸元へ向けた。
bang、と冗談めかして呟くとともに、その指先が不可視の何かを放ったように反動を受けて跳ねる。
謎めいた衝撃を受けたみたいに、鼓動が一回増えた気がした。
説得力は十分だが、反論したくなる癖はこいつとの長年……というほど長くもないが……の付き合いのせいか。
「こっちじゃないのか?」
こんこん、とあまり重さには自信の無い自分の頭を小突いて示す。
前に思考回路とは脳内の量子反応ではないかという話を俺にしたのは他ならぬ佐々木だ。
「確かに心の元に思考があることは否定しないよ。
それでも、心が思考だけで動いているとはどうしても思えないんだ」
「お前らしからぬ感傷だな」
「地味に失敬だね、君は。これでも僕は花の女子中学生なんだよ」
中学校の教室で話していて忘れるも何も無いが、
「お前がただの女子中学生なものか」
「……ふむ。ひとまず誉められたものと受け取っておこう。
だが例えばこのやりとりだけでもね。
僕は微かな憤りを覚えるとともに、僅かに鼓動が速くなっているんだよ」
ひょっとして怒ってらっしゃいませんかね、佐々木よ。
「微かな憤りと言っただろう。今は落ち着いているよ」
「その心が鼓動を速くしたということはないのか」
「順当に考えればそうかもしれないね。
でも、脳はどうやって動いていると思う?」
「それは……」
もちろん、電気信号で、と通り一遍の答えをしようとしたところで、
佐々木の言わんとするところに気づいた。
「脳には全血液の1/6が供給されている、だったか?」
「そうだよ。脳が心を司っているとして、その脳を動かしているのは他ならぬ」
と言って、佐々木は自分の胸の中心よりわずかに左よりの箇所をさっきの人差し指で指し示す。
「ここなんだよ」
「脳の命令で動いているんじゃないのか?」
「心臓は独自の神経回路で動いている部分も多いんだよ。
ここで生じるわずかな電気信号が揺らぐだけで心不全が起きることもあるくらいだ」
なるほど。となると心臓は思考するエンジンかもしれないということになる。
心を撃ち抜くターゲットがここにあるといった佐々木の言動はなるほど、根拠の無いものではない。
心を撃ち抜くとしたら、か。
人を指さすのはいかんというが、なるほど、こうして指を突き出して佐々木の身体に向けると、
離れていても佐々木の身体をなぞっているような気分になってくるな。
今回は佐々木から言いだしたことなのでよしとするが
これはおいそれと人に向けてするもんじゃないな。
佐々木の心を撃ち抜くとしたら、どこか。
右手を銃の形にして、人差し指を佐々木に向けてみる。
「ん……」
佐々木がびくりとするが、本物の銃じゃないんだからそんなに緊張するな。
「そ、そうだね」
「だいたいお前からやりだしたことじゃないか」
さっきの一発で増えた鼓動一つの一射くらい、やりかえさせろ。
まずは指先……左手の薬指は心臓に繋がっている、だったか。
向けると、佐々木も自分が言ったことを思い出したのか妙な顔をするが、
「そこは心臓に繋がっているだけで、心の在処ではなさそうだね」
賛成だな。
指先から手首、腕、上腕ときて、肩をなぞるように、
……もちろん射線の話だ。指先は佐々木に触れていないぞ。
そして、佐々木の胸元へ向ける。
少し背の高い俺を見上げる佐々木の姿勢の良さが、そこの膨らみを妙に強調して……
俺は何を見ているんだ。いかんいかん。
ついと視線ごと射線を下に向けていく。鳩尾から臍のあたり。
臍は母胎と繋がるところだから人間のルーツがあるとかなんとかこれも佐々木から聞いた話だったか。
しかし、赤子の頃に心というものが形成されているだろうかね。
ここは違う気がする。
もう少し射線を下げるとスカートの中央あたりへ至る。
もちろん、スカートの中なんか見ていないが、このあたりで身体が両脚へ分かれてるはず。
男子中学生ならば、下半身で考えていると言われる学友が何人かいるが、
流石に女子で、しかも佐々木に限ってそれは無いだろう。
「キョン……何を考えているんだい?」
さっきの顔色を悟られないようにこちらが俯いているので佐々木が訝しんでいるようだ。
「全身を捜索中だ」
慌てて射線の移動を再開する。
そこからスカートの裾を辿って、膝から爪先へ。
足の裏に心があるという考えは聞いたことがないな。
ふたたび指先を上げて行きスカートを下から上へと、……めくるわけじゃないが、妙な気分になってくるな。
胸元へと登り直し、そこに固定しようかと思ったが、さっきの問答を思い出す。
襟元から細い首を頸動脈に沿って昇り、柔らかそうな顎から、
微かに濡れて薄く開いた唇へ指先を向けたら、リップクリームか口紅を突き出しているような構図になった。
はぁ、と佐々木の吐息が指先にかかる。
同じ人体の体温のはずなのに妙に熱く感じるのが不思議だ。
その熱さに脊髄反射して思わずそのまま指を突き出しそうになった。
危ない危ない。そのままやっていたら唇の中に突っ込んでいるところだ。
二度目の吐息から逃げるように指先を上へついと動かしていく。
鼻の稜線を昇って眉間へ向けると、視線と射線とが、俺を見上げる佐々木の視線と真っ向からぶつかることになった。
眉間の向こうに佐々木の灰色の脳細胞が収められているとわかっていても、
強烈な意志を湛えた佐々木の視線が眩しいくらいだ。
そこに心があるのか、無いのかはわからない。
しかし、その瞳には、紛う事なき心が迸っていた。
目は口ほどにものを言う、だったか。
その心が読めればいいんだろうが、あいにくと俺は超能力者じゃない。
挑戦的なような気もするし、何かを願っているような気もするし、わからん。
「君が狙う僕の心は、ここにあるのかい?」
いつの間にか、俺が佐々木の心を狙っていることになっているのはどういうことだ。
あるのかもしれないが、その瞳で真っ直ぐに見据えられるのはどうも落ち着かない。
何かをしなければならんような気もするが、
絶対にやっちゃいかんような気もする。
そもそも何をしようとしていたんだったかな。
「やはり……ここかな」
当初の話を思い出して、一番しっくり来たところへ向け直す。
やはり、佐々木の胸元だ。
佐々木の言動に迎合したと言われるかもしれんが、確かに俺の感覚は心臓に心があるような気がしてならん。
「……そうか。じゃあ、撃って見たまえ」
なぜ撃つことになっているのかわからん上に、これは俺の身体であって銃じゃないんだが。
しかし、どこぞの映画さながらに両手を広げてさあと待ち受ける佐々木のポーズを前にして、
妙に撃ち込みたくなってきた。
この向ける先から、何が飛び出すわけでもないだろうが、いいだろう。
その心を撃ち抜いて、死んだりするなよ。
一昔前のジャンプ漫画の主人公がそうしたように、指先に力を込め、撃ち抜こうとしたとき、
きーんこーんと間抜けな音色が、昼休みの終了を告げた。
「あ……」
今、俺は何をしようとしていたんだ。
さっきまで夢を見ていたような気がするが、ひとまず学徒の本分に戻るべく銃をしまおうとして、
ちょうど後ろを親愛なる学友が机に戻るべく通りがかった。
ふに。
それに押されて、しまおうとした銃がぐいと突き出されて、柔らかい感触が。
「へ」
「え」
「あ」
一つめは俺の間抜けな声。二つ目は佐々木の唇から漏れた声。最後の唱和した声は、まわり数カ所の学友たちのものだ。
そのポーズのまま、固まってしまう。
戻さなければならないとわかっていても、今の事態の変遷に頭がついていっていない。
駄目だ、やっぱり頭に心は足りない。
そのままの何秒間の間に、
佐々木は今まで見たことが無いほどに驚愕した顔でまず自分の胸元を見下ろして、
血の気が引いて顔色が白くなり、
それから俺の顔を見つめているうちに、白くなった顔がさあっと鮮やかに真っ赤に染まっていった。
「う……うわああああああああああああ!」
指先から柔らかいものが離れる感触とともに、佐々木は悲鳴を上げて教室を出て行ってしまった。
俺を押した学友は周りの女子一同から盛大な非難と、なぜかよくやったという熱烈な称賛という
真っ二つに分かれる評価を食らいながら、ひたすら俺に謝った。
謝られても困るし、謝るのなら佐々木にだろう。
そのまま、荷物すら取りに来ることなく、その日佐々木は戻ってこなかった。
翌日も佐々木は休んで、土日を挟み、ようやくやってきた佐々木は
「お、おはよう……キョン」
ぎこちないながら、なんとかいつも通りに声をかけてきた。
うむ、あれは事故だ。
佐々木が俺を非難するつもりがなく、触れて欲しくないのなら、
こちらもそれを忘れるのが紳士というものだ。
佐々木のぎこちなさが見た目から取れるのにあと数日ほどかかるのだが、その後は平穏な日常が戻った。
ただ、俺たちの間で心の所在についての考察結果が検証されることはついぞなかった。
最終更新:2013年02月03日 17:06