『敗因』
「なんか佐々木さんと一緒にご飯食べるの久しぶりだねー」
向かいに座った岡本さんが嬉しそうに言った。
「そう?」
「そうだよ。最近はいつもキョンと一緒じゃない。一学期の頃はよく一緒に食べてたのに
さー。あーあ、やっぱり友情は愛情に勝てないのかな」
ため息混じりに言うが、本気で言っているわけではなさそうだ。苦笑で応える。
今は昼時、誰もが少人数のグループを作り、お弁当なりパンなり思い思いの食事を楽し
んでいる。かく言う私も岡本さんを含む女子三人と机を合わせ、自分のお弁当をつまんで
いるところだ。
「今日は何で一緒じゃないの?」
誰と、が抜けているが充分文脈から補える。平々凡々としたわりに奇妙なあだ名を持つ、
あの友人のことだろう。
「お弁当を忘れたんだって。購買でパンを買って、ついでにパン派の人たちと外で食べて
くるって言ってたかな」
「おー、さすが細かく押さえてるね」
そう言うと三人でキャイキャイと嬉しそうにはしゃいだ。
うーん、参ったな。どうもこういう空気は慣れない。彼女たちとの会話も楽しいんだけ
ど、やっぱりキョンと取りとめも無い話をつらつらと話しているほうが性に合っている。
……それも女としてどうか、とは思うのだけどね。
それから進路の話、昨日のテレビの話、芸能人の話など話題を転々としながら食事は続
いた。余分な解説は必要とせず、余計な解釈もいらない普通の会話だ。たまにはこういう
のもいいものだとは思うけど、どこか物足りない気もする。今の話題の中にもツッコミ所
はたくさんあったのだ。これがキョンとの会話だったら、すぐさま指摘して解説して、反
論してくる彼を論破して、よく解ってないのに解った振りをする彼をからかうことができ
るのに。
そんなことを考えながら少しぼうっとしてしまったのか、
「あ、佐々木さん、今あいつのこと考えてるでしょ~」
ものの見事に看破されてしまった。これが女の勘という奴だろうか。
「まあ、否定はできない、かな。ちょっとニュアンスに違いがあると思うけど……」
「も~、ぞっこんだなぁ。ささっきーは~」
後半の部分は都合よく無視されてしまった。
あとそのささっきーって何? もしかして私のことかしら。
「毎日宿題見せたりしてるし、お弁当のおかずも分けたげてるし。ささっきーって意外と
尽くすタイプ?」
「そこはほら、惚れたが負けってやつだよ。解るなー、私」
「うそつけ!」
私の疑問をよそに、彼女たちは別の方向に突き進んでいく。
まずい。何か空気が変わってきている。変なあだ名も固定化されてきているし、話題を
変えないと――
「それで、佐々木さんはあれのどんなとこが好きなの?」
たちまちに三人分の好奇に満ちた視線が注がれる。はあ、遅かったか。
キョンをあれ呼ばわりするのは、まあ置いとくとして、いい加減この手の話にも疲れて
きた。皆はどうして飽きないのだろう。
「別にキョンとはそんな関係じゃないよ」
苦笑しながらそう答えた。
いつもどおりの答え。もう何十回と繰り返してきた、私の答え。
好きかと聞かれたらそれは好きだろう。彼は大切な友人だ。自分のまだ短い人生を振り
返っても、彼ほど親しくなれた人はいない。多分これからもできないだろう。
けれど異性として、すなわち恋人として好きかと問われれば、否定しかできない。
何故なら解らないから。
今までにそこまで進んだことが無かったから。
今までに人に恋したことが無かったから。
「彼はただの友達だもの」
私は自分が見たものしか信じない。体感したことしか信じられない。
だから感じたことの無い恋愛感情なんて、そんなもの信じることができない。
あるかないかも解らない恋より、今確かにある友情のほうが大事だ。
未知の領域に踏み込んで壊れるくらいなら、今のままでいい。
悲恋に終わるくらいなら、今のままがいい。
初恋の相手に据えてみるには、彼は大切になりすぎてしまった。
とはいえ、こんな返答では到底納得してもらえないだろう。この手の話題に対する同年
代の女子たちの粘り強さは尋常じゃないものがある。休み時間終了まであと二十分か、今
日の昼休みは潰れたかも。
ところが、彼女たちの反応は予想とはまるで異なり、
「だよねー!ありえないよね、やっぱり!」
「ないない!絶対無いって!あはははは!」
「ささっきーならあんなのよりもっと上狙えるもんねー!」
「え?あの……、へ?」
自分でも解るくらい素っ頓狂な声が出てしまった。多分顔のほうもそれに付随するもの
になっているだろう。……なんだろう、これは。話題が流れてくれてありがたいのだが、
釈然としないものが残る。
「大体、キョンってなんか面白みが無いのよねー」
「そうそう、こう普通すぎるっていうかさ」
「個性ないよね。いつもぼけーっとしてるし」
「それに頭悪いしねー。三連続赤点とかありえないっしょ」
「スポーツはどうだっけ?」
「この前のサッカーでずっこけてたよ」
「うわ、それじゃいいとこなしじゃん」
「ちょ、ちょっと待って!」
本人がいなことをいいことに、彼女たちは散々ないいざまだ。そこまで言うことはない
だろう。だんだんと腹の底からムカムカとしたものがこみ上げてきた。
「確かに、一見するとキョンは個性に欠けたように見えるけどそんなことはないよ。会話
の最中に入れてくる相槌やツッコミは絶妙だし、聞き上手ということに関しては、この学
校内に彼の右に出る人はいないんじゃないかな。
性格は確かに怠惰なものだけど、そんな手のかかるところが逆にかわいいっていうか、
母性本能をくすぐることもあるし。
それに学校の成績なんて所詮要領のよさじゃない。そんなもので頭の良さは計れないよ。
実際いつもの会話からすると、キョンって物分りもいいし飲み込みも早いし、なんだかん
だで記憶力もいいのよ。この間なんて、前もって何も言ってなかったのに私の誕生日覚え
ててくれて、プレゼントくれたし。よくわかんないぬいぐるみだったけど。
あと、サッカーで転んでたのは敵の卑怯なチャージが原因であって、キョンに落ち度は
ないの。むしろ、怪我の痛みをこらえてプレイを続けるさまは男らしいかったと思うな。
そもそもキョンのいいところって言うのは―――」
よっぽど頭にきていたのだろうか、そこまで一気にまくし立てたところで、ようやく私
は周りの状況に気が付いた。
目の前三人はにやにやした笑いを顔に浮かべており、
その他のクラスメイトも何事かと
視線を送っている。
これはもしかして……はめられた? 私、ひっかかっちゃった?
「なるほどねぇ~。そんなところに惚れたってわけかぁ~」
「いや、ちが……そうじゃなくて」
「ささっきーってば普段は完璧優等生なのに、あいつのことになると隙だらけになるんだ
よねー。好きだけに隙ができるってわけね」
「だから! 今のはそういうのじゃなくて!」
「で? 続きは? そもそもキョンのいいところってのは?」
「し、知らない! もう知らない!!」
顔を背けてお弁当をかきこむ。精一杯抵抗の意を示すが、彼女たちの追及は止まない。
くう、何でこんなことに。それもこれもみんなキョンが悪いんだ!キョンが普段からし
っかりしていたら、私があんなにフォローすることもなかったのに!大体キョンはいつも、
「おい佐々木、そんなに一気に食ったら体に悪いぞ」
「!!」
気がつかないうちにキョンが背後に立っていた。い、いつの間に。
驚愕と動揺から思わず噴出しそうになるのをすんでのところでこらえる。すると今度は
逆に充分に噛み砕いてなかった唐揚げを飲み込んでしまった。
「ぐ、う。かはっ!か」
「ほらみろ。よく噛んで食べないからだ。ほら、これ飲め」
一体誰のせいでこんな苦しい思いをしているのか、とうとうと語って聞かせたいところ
だが、喉が詰まってはそれもできない。キョンが差し出したのは紙パック入りのジュース、
到底唐揚げには合いそうにないけれど、四の五の言ってはいられない。ストローに口をつ
けると、そのまま一気に飲み下した。
「はあ、はあ。あ、ありがとうキョン。責任の所在はともかくとして、今の善意には感謝
の言葉を述べさせてもらうよ」
「なんだよ、俺のせいだってのか? 普通に声をかけただけじゃねえか。なあ?」
そういってキョンは岡本さんに同意を求めた。ところが彼女はぽかんと口を開けてキョ
ンの手元をみている。他の二人も同様に、いやどころかクラスにいるほぼ全員がキョンの
手元に視線を送っていた。
不審に思い、その手元を見るが何も変わったところはない。私がさっき飲んで返した紙
パックのジュースがあるだけだ。
……待って。紙パック? 紙パックということは当然飲み口にはストローが挿さってい
る。私もさっきそこから飲んだのだから。ところでキョンは私が喉を詰まらせてすぐにジ
ュースを差し出した。ストローの袋をあけ、伸ばし、パックに挿すにはあまりにも短い時
間だ。すなわちストローはすでにパックに挿さった状態だったということで、それはつま
りすでにキョンが口を……いやいやいや! その考えは危険だ。パックにストローが挿さ
っているということと、キョンが口をつけているということはイコールではない。たまた
まストローを挿した状態で持ち歩いたり、これから飲むところだった可能性もある。充分
ある。むしろ高いくらいだ。
「何を真剣な顔して考え込んでるんだ、お前は?」
キョンはのんきな顔をして返したジュースをチューチュー吸っていた。
……キミってやつは。
こっちの気持ちも知らないで、キョンは相変わらずとぼけた顔を向けている。あの顔は
本当に何も考えていない。私が苦しがっていたから助けた、それだけのことなんだ、彼に
とっては。
まったく。自然と顔が緩むのが解る。
まったく、適わないなキミには。
解りにくいけど個性があって、成績は悪いけど変なところで頭はよくて、時々手がかかって、時々かっこよくて、そしていつだって優しい。
さっき言いかけたキョンのいい所、それはこの優しさだ。拒むことを忘れさせるような、
何の抵抗もなくするりと入ってくる自然な善意。
私は今まで人間は皆利己的な生物だと考えていた。自己犠牲の精神にしても、無償の愛
にしても、それは目に見える利益がないだけで結局は「相手を助けたい」という自分の欲
求に従っているだけなのだと。誰もが自分の欲望のために行動する、つまりは偽善者なの
だと思っていた。
けれどキョンは違った。彼の優しさは打算も計算も、欲望すらもなかった。本当に何も
考えず、ただ相手が困っているというだけで当然のように彼は手を差し伸べる。自然体の
善意、それはもはや情景反射のようなものだった。
彼に出会い、彼の優しさに触れ、私は考えを変えた。
私の世界は変わった。彼が変えてくれた。
「はぁ、別になんでもないよ。大したことじゃない」
「そうか? なんか悩みがあるのなら相談にのるぞ?」
そう言いながらも、まだジュースを飲んでいる。悩みの種はそれだというのに。やれや
れ、これは岡本さんたちにまた色々言われそうだな。
ため息混じりに苦笑して、私はその一番大切な友人を見た。
私の世界を変えたキョン。私の大好きなキョン。
願わくは、その鈍感さをもう少し何とかして欲しいと思う。
fin
最終更新:2007年07月19日 10:48