16-625「今更七夕」

「キョン、キミは何か願いごとがあるのかい?」
 いつもの帰り道、いつもの停留所。バスが来るまでの時間潰し、他愛のない
会話が途切れた隙間をぬうように、佐々木がそんなことを言った。その視線の
先を見れば、青竹と揺れる短冊。そうか、七夕か。
「あらたまって聞かれると困るな」
 こういうとき、ほいほいと両手に余るくらいの願いを挙げられるやつもいる
だろうが、残念ながら俺はそうでもないらしい。願うだけならタダのはずなん
だが、そんな場合に限って妙に現実的なものばかりが思い浮かぶ。
さすがに、ここで金だのなんだのってのは、なあ?
「そこで大きく出ないのがキミらしいね、キョン。なら僕が代わりに考えて
 みようか。そうだな……ああ、以前言っていたのがあるじゃないか」
 はて、なんだっただろうか。人前でそんなものを語った記憶はないのだが。
「おや、もう忘れてしまったのかい? ほら、あれだよ。宇宙人だのなんだの、
 まさしく願いごとにぴったりのやつがあったじゃないか」
 ああ、あれか。あれはそれこそ他愛のない与太話、というやつで、こうして
あらたまって言われると気恥ずかしいことこの上ない。出来れば忘れてほしい
もんだ。
「そうかい? 面白いとは思うけどね、叶うかどうかはまた別としてさ」
 叶ったら叶ったで、ややこしいことになりそうだけどな。
「それで、お前はどうなんだ? 願いごとなんてのは、やっぱり非現実的か?」
「僕かい?」
 珍しく苦笑めいた顔を見せた佐々木は、そうだね、と前置きをしてから続けた。
「僕にだって願いごとの一つくらいはあるさ。叶いそうにもないやつだけどね」
 その答を聞いたとき、正直俺は意外だった。別にいつもの理屈っぽい解答では
なかったから、というわけじゃない。こいつをして、叶えられないと言わしめる
願いがある、そのことにだ。
「お前ならなんだって出来そうだけどな」
「あのねキョン、それは買いかぶりというものだよ。残念だけど、これは僕一人
 じゃどうしても叶えられない願いでね」
 苦笑に引き続き、嘆息する佐々木、などという世にも珍しいものを見せられた
俺は、
「そうなのか。俺に出来ることなら協力するぞ」
 気がつけばそんな言葉を口にしていた。
「……キョン」
「お前にはいろいろ世話になってるしな。たまには……ってどうした?」
「ああ、うん。そうだな、キミにお願いしたいのはやまやまなんだが、これが
 なかなかそういうわけにもいかなくてね。いや、キミが悪いというわけじゃ
 ないんだ。あくまで僕自身の問題、というやつだよ」
「そうか、そりゃ残念だな」
「ああ、僕も残念だ」
 やれやれ、そう言いながら、いつものようにくっくっ、と笑った佐々木は、
そうだ、と何かを思いついたように顔を上げた。
「代わりに一つお願いをさせてもらおうか。もちろん、キミがいいなら、に
 なるんだが、どうかな?」
 別に貸し借りだけが人間関係だとは思わないが、返せる恩は返しておきたい、
と思うのが人情だ。俺は迷わず頷いていた。
「そうか。じゃあ」
 次の瞬間、自転車のハンドルを握る両手にかかる、慣れ親しんだ重さ。
「家まで送ってくれないかな。今日はそんな気分なんだ」
 実際のところ、もっとヘヴィなそれを覚悟していた俺にとっては、拍子抜け
するような願いごとだった。それくらいなら、別に毎日だって構わないと言えば
構わないんだが。
「さすがにそれは遠慮しておくよ。たまにだからいいのさ」
 そういうもんか。
「そういうものさ」
 そう言って、荷台に座る佐々木は、静かに微笑んだ。




 ――まあ、こんなものかな。
 相変わらず踏み切れない自分に胸の奥で苦笑いしつつ、夜空を見上げる。
 いつか、この願いが叶いますように。
 それくらい願っても、きっとバチは当たらないだろう、そんなことを思いながら。

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最終更新:2007年08月07日 23:54
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