日が沈むと病院はウソみたいに静かになる。
見舞いの人々も面会時間の終わりが近いこともあってほとんど帰ったみたいに静かだった。
西日の射し込む病室で物言わぬ彼と二人。
彼が目を覚ましたとき、一人ぼっちだったらかわいそうでしょう。
いつ目覚めても寂しくないように、私は一人でもずっと傍に着いているつもりだった。
コン、と遠慮がちにドアをノックする音がする。
私は特に返事をすることなく座ったままだった。
こんな殺風景な部屋じゃ目覚めるものも目覚めないわよ、そう言って彼女は彼のために花瓶に入れる花を買いに行っていたのだ。
お互い何も言わず、花瓶に花を飾りつける彼女の姿を見ていた。
面会時間の終わり間際に私は病室を訪ねた。
彼が階段から落ちて頭を打ち意識不明状態であるということを「組織」の人から聞いて、いても立ってもいられず病院に来てしまった。
部屋の扉をノックする。
きっと中にいるのは彼の家族の方だろう。
久しぶりに会う彼の母にはなんて話しかけたらいいだろうか。
そんなことを考えながら、部屋の扉を開けると中にいたのは彼と同じ学校の制服を着た少女だった。
彼女は予想外の来客に驚いたように目を見開いて私を見つめていた。
まさに驚いて声も出ないといった感じだ。
「えっと、あのここは」
彼女は私が病室を間違えたと勘違いしたみたいだった。
彼女は私のことは知らない。
でも、私は彼女のことは知っている。
いや、話に聞いている。
ただ本人に会うのは初めてだったし、正直この時間に病室にいるとは思わなかった。
「知ってますよ。キョンの病室ですよね。」
わざとらしく彼をあだ名で呼ぶ。
彼女は短く、ええ、とだけ答えた。
訝しがるような目で私を見ている。
突然の予想外の来訪者に戸惑っているようだった。
「私は彼の中学時代の―」
そこまで言いかけたとき一瞬なぜか言葉が出なかった。
「彼の同級生です。彼が入院したと聞いてお見舞いに来ました。」
しばらくの間をおいて彼女は
「そう。」
とだけ答えた。
噂ではもっと元気のいい人だと聞いていたが、今の彼女は元気のよさとは無縁だった。
憔悴しきっている、そんな感じだった。
少し赤くなった目と涙の跡が痛々しい。
彼は本当に眠っているように眠っている。
誰かがほっぺたでもつねれば起きるんじゃないだろうか。
彼の病状は大体彼女から聞いた。
検査の結果ではどこも悪いところは見当たらず、なぜ眠っているのかがわからないそうだ。
それを聞いて私も少し安心できた。
「そのうちきっと目覚めるわよ。」
彼女は誰に語りかけるでもなくそう呟いた。
「そうですね。」
そして、彼の手に触れたかったが、なぜか私は彼女に遠慮した。
お互いに何の詮索もしないまま時間が過ぎていく。
彼女は私のことについてほとんど詮索しなかった。
私も必要以上の会話はしなかった。
「ちょっと私お花買ってくるから見てて。」
唐突に立ち上がりそう言い放つと彼女は席を立ち、病室から出て行った。
静寂。
彼の手を握ってみる。
キミは久しぶりにあった中学時代の親友に挨拶もしてくれないのかい。
病室に戻ってきた彼女は花を飾りつけると、また私の隣に座った。
「もう、面会時間も終わりよ。帰らないの?」
「大丈夫。家には友達のところに泊まるって連絡してきたから。」
本当は彼の顔を見たら帰るつもりだった。
でも、彼女が彼の傍に着いている以上私も帰るわけにはいかない、そんな不思議な使命感に駆られて帰らずにいた。
「あなたは帰らないんですか?」
「団員の心配をするのは団長の仕事なのよ。」
到底納得には至らない論理だったが、なぜか反論できなくさせる迫力があった。
また、沈黙。
お互い聞きたいことはいっぱいあるんだろうけど、聞けない。
「あんたも飲む?」
そう言って彼女はパック入りのジュースを差し出してきた。
さっき花を買いに外に出たときに一緒に買ってきたみたいだった。
「ありがとう。」
私は素直にそれをいただいた。
二人で並んでパック入りのジュースを飲む。
「今晩は私がついているから、大丈夫よ。」
彼女は遠慮がちに言葉を選びながらそう言った。
「大丈夫です。私もここにいたくているわけですから。」
沈黙。
「お腹空いたわね。晩御飯どうする?」
今度は私が買い物に出た。
近くのコンビニでパンとサンドイッチと飲み物を買った。
彼と彼女が二人っきりのときに彼が目覚めたら、とも思ったけど、彼が早く目覚めるのはいいことだと自分に言い聞かせた。
彼女と私の分の飲み物以外に彼の好きな飲み物を買った。
二人で暗い病室で晩御飯を食べる。
お互いほとんど会話はない。
重い空気と、そして不思議な平穏があった。
「キョンとは仲良かったの?」
沈黙を破ったのは彼女のほうだった。
「よく二人でいろんな話をしていました。とはいっても、中学三年生のときだけですけど。」
「仲、良かったのね。」
「そうですね。」
彼女は考え込むように彼の寝顔を見ている。
「彼が目覚めたら、彼の高校生活の話を聞きたいな。」
「なんで?」
「どんな楽しい高校生活を送っているのか気になるから。」
「どうせ私の悪口しか言わないわよ。」
「彼の高校生活の話題はほとんどあなたについてのことばかりなんですか?」
悪戯っぽく聞き返してみた。
返事はなく、彼女は彼を見つめたままだった。
「いつになったら目覚めるんだろ。周りに心配ばかりかけて、ほんとどうしようもない奴なんだから。」
そして、階段から落ちたくらいで、気合が足りないのよ、と小さな声で呟いた。
「大丈夫ですよ。でも彼のことだからきっと間の悪いタイミングで起きるでしょうね。」
「間違いないわね。こいつならやりかねないわ。」
その日初めて彼女は笑った。
それにあわせて私も少し笑った。
気がつけば時計の針は午前3時を回っている。
夜の病院は静かで少し気味が悪い。
徹夜で疲れていたのか、私は突拍子もないことを聞いてしまった。
「キョンのこと好きなんですか?」
少しの沈黙。
返ってきたのは答えではなく、それもまた質問だった。
「あんたは?」
それっきりお互いなにもしゃべらなかった。
少し眠っていたみたいだ。
朝日が病室に射し込んでいる。
時計は午前6時。
そろそろ学校へ行く準備をしないといけない。
「帰るの?」
私の動きに気づいた彼女はそう問いかけてきた。
「ええ。学校へ行かないと。」
「そう。」
「あなたはどうするんですか?」
「とりあえず今日は休むわ。どうせ休み前の短縮授業だし。」
「…それじゃあ、彼のことをよろしく。」
「あんたが見舞いに来ていたことはちゃんとキョンが目覚めたら言っておくわ。」
「いえ、別にそれはいいです。結局キョンはまだ眠ったままだったし。」
「それでいいの?」
「とりあえず今は。」
そして私は病室を後にした。
彼が目を覚ましたと聞いたのはその日の放課後だった。
それから私は再び彼女と会った。
そのときは彼も一緒に。
「それ、誰?」
彼女の質問の意味がわかったのはおそらく私と彼女だけだっただろう。
『12月18日』
最終更新:2007年08月10日 00:09