17-509「さぁ・・・いこうかっ!」

#1 ~???~

 ・・・カタカタカタ、カタカタ・・・・・・。
 やや暗めの照明に照らされた静かな室内に、キーボードを叩く音が響いている。
 軽快なこの音が嫌いな人はいないだろうと私は常日頃思っているし、
 事実、落ち込んでいるときに耳を傾けると心が落ち着いてくる・・・。
 「・・・ふぅ、このくらいかな」
 一旦手を止めて、今書き上げたばかりの乱雑な文を眺めつつ息抜きに椅子によりかかる。
 オリジナルの小説・・・誰にも見せる機会のない、私だけの作品が画面上を寂しげに飾っている。
 あの日、彼が突然いなくなってしまってから書き始めて今ではかなりの長編となってしまっているが、
 相変わらず文脈に上達の兆しが見られることはない。一般的な思考の持ち主ならば、その冒頭の部分を
 流し読みしただけで眉をひそめるであろう・・・支離滅裂だ。
 「・・・あ」
 しまった。次々に浮かんでくるアイディアについつい没頭してしまうのが私の悪い癖である。
 部屋の窓から見える四角い夜空が、この世界を眺めるように奇麗に輝いていた・・・。
 感動的な情景に心を打たれつつ、私は急いでパソコンの電源を落とし
 脇の椅子に掛けてあった鞄を手に勢いよく立ち上がる。
 「・・・あ」
 しまった。・・・また今日も上書き保存をし忘れた。

・・・学校指定の鞄の重みを肩にしっかりと感じつつ、部室を振り返る。
私以外に利用者のいないこの部屋を最後に施錠するのはもちろんこの私だ。
いつも通りに消灯し、鍵をかけようとしたその瞬間・・・何かが、鈍く光ったような気がした・・・
同時に、私の中の冷静な私が警鐘を鳴らし始める・・・。

『・・・早く・・・鍵を閉めて・・・!・・・』

「・・・・・・ッ!」
信じられないものを見た私の背を、まるで電撃のように悪寒が駆け抜けた。
穏やかに降り注ぐ青白い月の光に照らされるようにして、今まで私が座っていた椅子のすぐ近く・・・
窓際に誰かが立っている。

「・・・・・・。」

・・・私にそっくりの外見のその人は。

「・・・・・・。」

・・・私と同じ色の瞳で。

「・・・・・・。」

・・・冷たく私を見つめ続けていた。

「・・・だ、誰ッ・・・!?」
得体の知れない突然の介入者に、私は声を荒げる。
・・・それに答える、‘私’・・・問いかけに対してなのか、ゆっくりと口を開いてゆく・・・。
・・・怖い、足が震えている・・・これほどの恐怖を今までに感じたことがあっただろうか。
私は今、幾多の犯罪を犯してしまった死刑囚のように、目の前で告げられる審判に
ただただ耳を貸すことしかできないでいる・・・。

「・・・時間が無い。来て・・・」

・・・その日、北高文芸部室前の廊下に・・・透明な声が響いた・・・。


#2 ~佐々木~

5分近く経過したが、隣に座る私の親友は未だに目を閉じたままだ。
まるで死んでしまったように見えるその様はとっさに肩に掴んで揺さぶりたい衝動に駆られるが、
かすかに聞こえる静かな呼吸音が私に安息を与えていた。
・・・しばらくは起きそうにない。
「よく眠っているよ。」暇つぶしのつもりで、視線はそのままに対面にいる知り合いに声をかける。
「とても人の心を覗いているようには見えないね」
言いつつ、グラスに注がれている水を一口飲む。・・・彼の顔を眺めながら。
「ハッ、まさにそうだろうよ」自称藤原君が喧しそうに答える。
「よくこんなものに騙されるものだ」
不機嫌な表情で窓の外を睨みつける。・・・よほど雨が嫌いなのだろうか。
・・・というのは別に、どうやら私の予想が当たっていたようで、それほど驚くような事態にはなっていないことに気づく。
「やっぱりそうか。くっくっ、おかしいと思ったよ」
一旦、視線を『彼女』に移してすぐに戻す。私の集中力は今、キョンを眺めるためだけに
存在していると言っても過言ではない。
・・・自称未来人さんは窓の外に恋をしているようだけれどね。
「橘さんの話では、今現在僕は神的存在ではない。
 閉鎖空間なんてあるわけが無いんだよね。作れない、と言い換えるべきかな。
 そもそも、だ、さっき聞かされた話―――――『神人がいない閉鎖空間』は消滅する、
 という事実をキョンが知っていたら終わりだと思わないかい?
 閉鎖空間とは別の類の世界、局地的非侵食性融合異時空間とでも呼ぼうか、
 これだってそうだ、キョンがこれまでにそれを体験していないとは言い切れない。
 その空間にしか存在しえない特徴を彼に気付かれでもしたら、
 橘さんのしていることは全て水泡に帰してしまうと思うけどね」
「・・・・・・。」
「―――――――」
変わった友達―――類が友を呼んでしまったのかもしれないだけに、
私も多くは語れないのだけれど―――である二名は、明後日のほうを向いて黙っている。
・・・あぁ、退屈だよ。はやく戻ってきてくれないか、キョン。
やはり私の話を真摯に聞いてくれるのは君だけのようだ・・・
「後で話がある。」
「・・・え?」
後で。という単語に違和感を感じたが、すぐに悟る。
彼に動きがあったのだ。・・・とりあえずここでの返答は諦めておく。
「やあ、おかえり・・・で、いいのかな」
ようやく目覚めた彼に挨拶する。少し物哀しいことに返事はない。
しばらく経ってから、ようやく彼は私に向きなおった。
「俺はどうなっていた?」
違う。違うよ、キョン。
そこは『ただいま』と返すべきだ。
「別に何も」
自然な動作で腕時計を見る。
私は少し考えてから
「十秒ほど目を閉じて橘さんと触れあっていたね」
無難に返しておいた。
この後の会話はよく覚えていない、すぐ直後に驚くべき事態が発生したからね。
私としたことが、少しばかり記憶が飛んでしまったようだ。
ガシャン。

それは突然の出来事だった。
気がつけば私の目の前に銀色の何かがある。
とりあえず、落ち着いて状況を確認してみよう。
ぽかんと口を開けたキョン。
驚愕顔の橘さん。
この事態にさえ全く興味がなさそうな未来人。

それに・・・

私にナイフを突き付けるウェイトレスと、その手首を掴んだ九曜さん・・・。
What? 何事だこれは。

「いかがなさいましたか?」
それが何故止められたのかと不思議に思うかのように、
ウェイトレスは九曜さんに質問する。もちろん微笑んだままだ。
「喜緑さん・・・」
キョンが呻くような声をだす。安心した、どうやら君も驚いているようだね。
ストレンジな友人たちに囲まれて1年間を過ごした彼は、もはや常識的な考えを
もっていないかと思っていた。ごめんね、キョン。・・・と、心の中で謝っておく。
「・・・何やってんですか、こんなところで」
「こんにちは」
悪魔のような笑みはそのままに、ウェイトレスはキョンに挨拶する。
相変わらず落ち着いた声で、もう一度九曜さんに視線を戻し
「失礼ですがお客様」声をかけた。
「お放しいただけますか。このままでは、ご注文の品をお届けすることができません」
・・・質問に答えたかどうかは私には分らない。
けれど、九曜さんが小さい声でこう言った気がした・・・。
「――――――退屈―――――――」
何も映さないかのような漆黒の瞳が、くいとつりあがりウェイトレスを捕らえた。
「お客様」全く動じないウェイトレスは続ける。
「よろしくお願いします。おわかりですね。わたしの言っていること・・・」
鮮やかな緑色の髪をなびかせつつ、ウェイトレスが九曜さんを睨みつける・・・瞬間、
恐ろしいほどの巨大なエネルギーが弾けたような、バチッ!という音が聞こえ、
ウェイトレスの持っていた鋭いナイフが砂のように溶け落ちていった、ように見えた。
「――――ポーラロン構成情報―――変換―――――」
・・・掴んでいた物体に対して興味を無くしたように、九曜さんがゆっくりと指をほどいてゆく・・・。
やがて自由になったその手は、元あったように膝の上にちょこんと乗せられた。
「ありがとうございます」
表面上のお礼を言い、ウェイトレスが、手にした・・・それを配置していく・・・。

・・・私がやっとのことで口を開けるようになる頃には、
すでにテーブルには注文の品―――コーヒーが並べ終えられていた。
あまりの展開の速さについていけなかったが、目の前に叩きつけられた難題に頭を悩ませるのもほどほどに、
私はすぐさまキョンに質問する。
「誰だったんだい?」と。
・・・聞かずにはいられなかった。もはや当然の問いかけかのように、自然にでた言葉だ。
しかし、返ってきた言葉に私はもう一度驚かされることになる。
「学校の、先輩」
・・・私の命を脅かさんとしていたあの存在に対して、キョンは・・・それしか言わなかった。

今はただ、テーブルに置かれたホットコーヒーの水面に・・・私の顔が映っているだけである・・・。


#3 ~藤原~

「いったい誰だったんだい、あの人は。生きている心地がしなかったよ」
うるさい奴らがまとめていなくなってくれたと思ってたらコレだ。
さっきから同じことばかり聞かれている。
「当然だろう。君が答えてくれないからだ」
知らないな。まるで興味がない。
窓ガラスに写りこんだ佐々木の顔は先程までとは違い、お菓子を買い与えられた子供のように輝いている。
することもなくずっと眺めていたが、表情がコロコロと変わる様は愉快と言えなくもない。
「くっくっ。君も頑固な人だ。何か知ってるのは確実だと予想しているのだけれどね。
 あの状況で僕に目もくれなかったのは、あの時何も起こらないのを知っていたからだよ、違うかい?
 既定事項と言ったかな」
・・・感のいい女だ、とりあえずは沈黙で誤魔化しておく。
「ところですぐにでも確認しておきたいのだが、また彼女が襲ってきたとしよう。
 そのとき君は、九曜さんのように僕を守ってくれるのかい?
 ・・・守る術を持っているのか、と質問を変えてもいい」
本当に身の危険を感じているのだろうか、こいつは。呑気にコーヒーを口に運んでいる。
あるいは・・・信頼、されているのかもしれないが。
「その必要はない。少なくとも僕が動くようなことにはならないだろう」
「・・・? 何故かな」
少し前からテーブルの横につっ立っているそいつに目配せする。
やっと気づいたようだ。
「おや、九曜さん。忘れ物かい?」
「―――――――――」
一言も発さないそいつは、僕に金属質のプレートを差し出している。
「・・・てっきり‘僕’が届けに来ると思っていたが、何かあったのか?」
耳に入っていないらしい。右手に握られたそれをこちらに突き出したままだ。
「・・・フン」
受け取る。予定通り‘運ばれてきた’プレートの側面を指で静かになぞらえる。
これが僕の手元にある、それこそ今回の戦いが順調に進んでいる証だ。
「一体何だいそれは? 僕の知的好奇心を非常にくすぐってくるね」
ウェイトレス風殺人未遂犯のことはもうどうでもいいらしい。
星空を湛えたような瞳を輝かせ、視線を僕の手元に集中させている。
「こいつはTPDD。ただし、普通のものではない。こいつは―――
「待った」
右手の平をこちらに突き出し、僕のセリフを遮った。
「くっくっ。最初のTはTIMEの略かい? どうかな、当たっていると嬉しいのだが」
面倒くさい女だ。
「・・・あぁ、そうだ。こいつを使えば―――
「時間軸移動ができるのかい? どうかな、当たっていると非常に嬉しいのだが」
言い終わると喉を鳴らして笑った。
「・・・その通りだ。ただし、今言ったように少し細工がしてある」
九曜がゆっくりと、音を立てずに椅子に座った。
「まず、通常・・・TPDDはこのような物理的な存在ではない。それに」
手のひらを返してその表面を佐々木に見せる。
「こいつは、この地球上の物質で作られたものではない。我々の設計図をもとに、こいつに作らせた」
佐々木の視線が一旦九曜に移り、すぐにTPDDに戻る。その瞳は輝いたままだ。
「――――――――――――」
呼吸音さえ響かせないそいつは黙って天井を見つめたままだ。
「その素材でないと本来の機能が発揮できない、と?」
手の中のTPDDを握りしめる。僕らしくもない、口元が緩んでくる。
間違いない、今回は・・・勝ちだ・・・!
「こいつは一度、我々の敵対者の手へと渡る。それもTPDDを熟知した者にだ。
 ‘宇宙の外’から送られてきたこいつを先に回収されてしまうことは既定事項だった。
 この存在自体を奴らに気付かれてはいけない、だから・・・こうする必要があった」
佐々木が口に手をあてて考え込む。
「敵、敵というけれどね。キョンにだけは手を出さないでくれよ。
 彼に危害が及ばないように、僕は君たちに協力すると決めたんだ。
 それと、なるべく平和的に解決してくれると嬉しい」
模試が控えているしね、と付け加える。
いいだろう。これから僕たちが動く道筋を、今、説明しておく・・・。
「・・・ここまで全て予定通りだ。あとはこのTPDDで最後の仕上げをするだけ・・・」
テーブルに立てた腕に佐々木が顎を乗せる。
「明日、すぐにでも行動を開始する。九曜に長門有希を抑えさせ、
 まず、涼宮率いる計4人を閉鎖空間に隔離する」
当の本人は露骨に嫌な顔をしている。
「その閉鎖空間は誰が作るんだい? 言っておくが、僕はそんなヘンテコな力はいらないよ」
「いらないなら・・・全てが終わった後、そう願えばいい。簡単に破棄できるさ」
くっくっ、と佐々木が喉をならす。
「僕がキョンを傷つけたくないばかりに君たちの敗北を願ったら、その後はどうなるんだい?」
輝く瞳を覗きこんでやった、相変わらず引き込まれるような色をしている。
「言っておくがチャンスは一度しかない、それを逃せば・・・お前とあの男の会話する機会がなくなるか、
 最悪、お前の存在そのものを抹消されるだろう。
 さっきの様なトリックを使われてしまえば、すぐそばでやられても誰も気づかないからな」
佐々木は一瞬驚くような表情をするが、すぐにゆっくりと目を閉じそれから何かを考えているような仕草をする。
「・・・長門さんか・・・。くっくっ。大活躍らしいじゃないか」

付き合ってられない、席を立ち足早に喫茶店を後にする、ここに長居する必要はない。
「君はこれからどうするんだい?」
別れようとした矢先、背中に声をかけられた。振り返らずにそのまま答える。
「・・・4年前、この時間軸から4年前。一人の少女が野球の試合を観戦をしたとき、
 ひどくショックを受けたそうだ。それからの彼女の人生が大きく狂うほどに」
「・・・・・・。」
佐々木は黙って聞いている。
「もし・・・その試合を彼女が見なかったとしたら、どうなっていたと思う?」
・・・しばらく答えが返ってこなかった。
そして、静寂を嫌がるように佐々木が口を開く。
「きっと・・・その娘は悲しまずに済んだんじゃないかな?」

・・・考えが一致した。神と意見が合うというのもなかなか悪くはない。

「・・・そういうことだ、僕にはやっておかなければならないことがある。
 心配はいらない・・・明日、必ず合流するさ」
僕の後ろで佐々木がにやついているのが容易に想像できる。少し不愉快だ。
「・・・くっくっ。分かったよ。待っているさ、君が戻ってくるまで、ね」

ここからが、本番だ・・・。

ズボンのポケットに押し込んであったTPDDの存在を確かめるように再びそれを握りしめ、
頭上に広がる大空を睨みつけた。
・・・まだ、激しい雨は止んでいない。


#4

 気がつけば、私は自分の部屋にいた。
 「・・・座って」
 ‘私’に着席を促され、部屋の中央に設置してある見慣れたテーブルの前に、私はおとなしく正座する。
 「あ、あのぅ・・・ゴメンナサイ、どちら様でしょうか?」
 未だに先ほどの恐怖から解き放たれてはいないが、勇気をだして聞いてみた。
 「・・・そ、それに・・・さっきまで学校に、いたのに・・・・」
 恐る恐る顔を上げれば、二藍色の髪に隠れるように冷たい眼が私をしっかりと捉えている。
 「・・・あなたは、私」

 ~消失長門~

 「・・・は、はぁ」
 大方予想がついていたことをそのまま言われた。
 私が聞きたかったのは正確にはそうじゃない。なぜ私が二人いるのかを知りたかった。
 そんな思いを込めた視線を送っていると・・・
 「・・・あなたは私によって作られた異世界同位体」答えてくれた。
 ・・・だけど、異国の言葉で書かれた本を間違って買ってしまった時のようにその内容がさっぱり分からない。
 しぶしぶ、私と同じ口から出たとは思えないその単語に首を傾げる。
 「い? 異世界? どういたい?」
 「数時間前に観測した情報爆発から我々はある異常な事態を把握した。
  涼宮ハルヒは現在、歴史改編の影響を受け世界を構築する力を失いつつある。そうなれば最後。
  力の所有者が移り変わればその後の世界でその能力が発揮される機会は永遠に失われる。時間がない。協力して」
 まるで鏡の中の自分と会話をしているようである。
 ・・・その内容が全く分からないのはこの際置いておかなくてはいけない問題だけど・・・。
 「協力・・・って、何を?」
 ・・・‘私’は微動だにしない。器用に口元だけを動かしている。
 「我々の空間、ここから見た異世界では、私は数時間後に広域帯宇宙存在からの
  一時的な情報操作による攻撃を受ける。その時、私の代わりにあなたにそこにいて欲しい」
 とんでもないことを頼まれた気がした。
 「え、あのあの、それってつまり私が危な―――
 「平気。広域帯宇宙存在から発せられる情報改編素子は私のような対有機生命体コンタクト用
  ヒューマノイド・インターフェースに対してのみ効果を発揮する。あなたに危険が及ぶことはない」
 そこで、ちょっと考えてから思いつく。
 どうやら私は、最初からある勘違いをしていたようだ。
 「・・・そ、それじゃぁその・・・あなたは、人間じゃないの? 私みたいな」
 ‘私'がゆっくりと、2回瞬きをした。
 他に目立った動作は見られない。彼女との付き合いが長い人に聞いたとしたら、
 『いや、今あいつ顎ひいたぞ。ちょっとだけだがな』ぐらいは言うかもしれない・・・。
 「私は、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。
  あなたたち人間がいうところの、宇宙人」
 「え、でもでも! 宇宙に放り出されたバッハのレコードとか―――
 「信じて」
 無茶なお願いをされた。
 どうやら危険なことにはならないらしいけど、やっぱり気が引ける。
 この性格・・・やっぱり早めに直しておくべきだったかな? 他ならぬ‘私’の頼みだというのに・・・。
 「もう一つ」
 まだあるみたい。
 「我々の世界からは分断されたパラレルワールドを、元の空間へと戻す必要がある」
 ぱ? ぱられるわー?
 ・・・ちょっと前にパラパラめくった本で読んだような、読まなかったような・・・。
 「一時的にあなたの存在を広域帯宇宙存在から欺くため、あなたのための世界を私が構築した。
  そこから彼にコンタクトをとった後、私と入れ替わって欲しい」
 「・・・えぇと、コンタクト? 彼・・・とは?」
 ここに座ってから何度も何度も眼鏡のリムを視線でなぞっている。緊張するとでてくる私の癖だ。
 そういえば彼女は眼鏡をかけていない。宇宙人たる存在に眼鏡など不要なのであろうか・・・。
 その視力はちょっと羨ましいかもしれない・・・。
 「彼は涼宮ハルヒにとって鍵となる人物、彼と行動を共にすることによって我々の道が解放される。
  もう一人の神的存在との接触を避けるため、彼女より先に、彼に連絡して欲しい」
 彼女とは誰? という質問が一瞬頭をよぎる、が。
 あまり聞きたくなかった嫌なフレーズを聞いてしまった。もしかしてそれは・・・
 「れ、連絡ってどういう・・・?」
 目の前の宇宙人が顔を背ける。その視線を恐る恐るたどればそこには・・・
 「電話」
 ・・・う、やっぱり・・・少し躊躇してしまう・・・私は電話というものが苦手なのだ。
 遠慮がちに上目遣いで対面の彼女を覗けば、揺るぎないその瞳を鈍く輝かせていた。
 「心配いらない。あなたが協力してくれれば、その世界での記憶をこちらから提供する。
  そこでしばらく自然に過ごすだけでいい」
 ・・・その時やっと気づいた。彼女は優しい性格なのだ。
 あれほど急いで私を連れ出したのに、私の回答をゆっくりと待ってくれている。
 だから、私も『決心』という最後の一歩を踏み出せた・・・。 

 「・・・じゃ、じゃあ、お願いがひとつだけ・・・フフ、いいよね?」

 「・・・・・・。」

 私からのたった一つの願いを伝える・・・。

 「分かった」彼女は一度だけ頷き。
 「ただし、完全な隠蔽はできない。私と彼の距離が今まで近かった分、
  多少の違和感は与えてしまう可能性がある。それでもいいなら」


・・・・・・今、彼女はもうこの部屋にはいない。
いや、私があの部屋から消えたのだ。
時間をかけてゆっくりと深呼吸し、私は部屋の隅にある電話の子機を手にする・・・。

明るく・・・明るく・・・。

教えられたナンバーを押し終わると、コールが始まる。
私がもっとも苦手とする音だ。

・・・ガチャ・・・。

『はぁーい!』

不意をつく突然の声に、いきなり笑ってしまった。失礼だったかな?

「フフ、あの・・・お兄さん、いますか?」
不思議と『会話する怖さ』は感じない・・・。

『キョンくんならいますよーっ』

・・・見慣れた顔も、気に入っていた髪も、声も、ついでに年齢も。今はみんなが違うけど。
私は、私にできることをします。
だからあなたもがんばって・・・もう一人の、私・・・。


#5 ~橘京子~

今までに経験したことのないような倦怠感から解放され、私は助けを求めるように
ゆっくりと背もたれに寄りかかる。
・・・終わりが無いかのような時間遡行に付き合わされること6回、
さっきから同じ事の繰り返しで・・・なんだか、気持ち悪くなってくる・・・。
「・・・いつまでやるんですかぁ、コレぇ・・・」
隣に座っている未来の使者さんは、しきりに時計のようなものを熱心に見ている。
この光景も6回目。なんだか、見飽きてきました・・・。
「間違いない。世界はここから始まっている。だから、これ以上遡りようがなかったんだ・・・」
あ・・・これは初めて聞いた。
へなへなの自分を震いたたせるかのように、気持ち悪さを払いのけ必死に声をだす。
「・・・こ、ここから? なんですか、ソレ」
ワンボックスカーの四角い窓からは野球場のドームがやや遠巻きに見える。
広がる景色がやや古ぼけているが、それ以外には特に何も感じない普通の町並みだ。
「この世界自体がここから始まっているんだ、分かるか?
 お前のいる元の世界ですら、その生誕から十数年と経っていない」
「え、じゃ、じゃあどうするんです? 涼宮ハルヒによる世界構築はとめられないの?」
藤原さんが舌打ちする。崩れていく私の‘未来からの使者さん'像。
「・・・持って行け」言うが早く、後ろ手に何かを投げつけてきた。
「あわわ、っと」
無事にキャッチしたそれをしぶしぶと眺める。
金属でできた・・・んー、分からないや。
「・・・TPDDだ、使い方はさっき教えたな?
 お前は鶴屋家のほうを頼む、それと同じものが厳重に保管されているはずだ。
 時間軸にわずかな歪みしか発生させないそいつは、やつらに気付かれない・・・僕たちの絶対的な武器になる。
 機関でも何でも好きに使うがいい、必ず奪い取ってこい。
 僕は涼宮にコンタクトをとる。試合の観戦は止められないようだが・・・
 所詮子供だ、いくらでも心理操作はできるだろう」
普段無口な彼からすれば、今のたたみかける様な長いセリフは珍しい。
が、こういうときこそ反論しなくてはいけません。
「だ、ダメですよ! できません。
 もし何かあったら現代に帰れなくなっちゃいます。故障しないとは限らないでしょう?」
ありったけのけな気さをつぎ込んだお願いも・・・
「しない。既定事項だ」いつもの単語で切り返された。
・・・その後は何も言わない。
私には目もくれず双眼鏡でなにやら遠くの方を観察している。早く行けという合図なのでしょうか・・・?
ちょっと分かりにくいかも、この人・・・。
「んんっ・・・もうっ」
TPDDを起動する。
緩やかな電子音の後、すぐに激しい目まいが襲ってくるが気合ではねのける。
あの人にも言われたことです。大事なのは・・・コンセンサスをとることだとっ!
「分かりましたよ・・・で、では、お互いにがんばりましょぅ・・・ぅ・・・」
揺らいでゆく視界の中で・・・
「目を閉じないから、そうなるんだ」助言をうける。
「ふぇ?」
「まぁ、吐きたいなら止めないがな」
完全な、深ーい溝を感じた。分かって言ってますよね? これが7回目ですよ、使者さん・・・。
なにやら複雑な思いを胸に抱きつつ、ありがたいお言葉を拝聴した私は眼をつむる。
やがて私を包み込む穏やかな光を感じつつ・・・私は、空間に放りだされた。

・・・到着。数分前よりは割とマシになった。なるほど、あまり気持ち悪くはならない。
新しい世界の新鮮な空気を吸うための深呼吸もほどほどに、すぐに携帯電話を取り出し短縮ナンバーにコールする。
そう・・・機関に連絡するために・・・。

「・・・橘です。・・・はい・・・はい。えぇ、そうです。
 ・・・いえ、藤原さんは敵対組織からの干渉を嫌っていました・・・。
 気づかれないように私が・・・一人で・・・ふふ、大丈夫ですよ」
モスグリーンの車から降り、緑の大地をしっかりと踏みしめる・・・。
「・・・これも既定事項、ですから」


#6 ~佐々木~

「さっきはありがとう、助かったよ。
 まさか、あなたがあれほど機敏に動けるなんてね・・・くっくっ」
白地に小さい星が散りばめられたかわいらしいリボンを手に取り、九曜さんに見せる。
なかなかいいチョイスではないだろうか。
「その髪、これでまとめてみない?
 せっかくそんなに伸ばしてあるんだから、似合うと思うんだけど」
いつまでも喫茶店の近くにいられる気分では無かったので、雨宿りもかねて
今は女の子的な店―――いわゆるファンシーショップで仲良く(?)買い物を楽しんでいる。
「うーん、いっそポニーテールかな。
 私は宇宙人的なファッションセンスというものを全く知らないんだけど、
 気に入ってくれれば幸い・・・っと、ちょっといい?」
九曜さんを後ろに向かせ、見た目とは裏腹に一切の重力を感じないフワリとした髪を束ねる。
その時・・・
「・・・あれ?」私としては既に見慣れた光陽園の黒い制服―――の背中側に、奇妙な違和感を感じた。
「九曜さん、これは?」
「――――――?――――――」
手のひらを添わせるように、何気なしに指先でそれに触れてみる。
・・・少し硬い感触の何かが、砂のようにパラパラと落ちてゆく。
これは・・・土? だろうか。
それにしては少し赤茶けた感じがするけど・・・。
おかしい点もある、人の数倍は髪の長い九曜さんだ、
それを考慮にいれて・・・背中の面に局所的な汚れがつくだろうか? 
ありえない訳ではないけれど、やはり確率的には・・・
「・・・きゃっ!」
いきなり視界全体に九曜さんの顔が映った。
「―――――途切れた――――思考は――――冷たい・・・?――――ここまでの―――」
私たちが一般的に使う地球上の言語、とりわけ日本語で簡単に訳そう。
ありとあらゆる私の脳内形式推論プログラムが一斉に起動し解読を始める・・・結果、
つまり彼女はこう言いたいのだ――――――心配しなくていいよ、とね。多分。
「あぁ、ごめんごめん。考え事をするとつい長くなっちゃって。このことは忘れましょう。
 さて、そのリボンだけど・・・欲しい、かな? さっきのお礼に何かプレゼントしたいの」
ポニーテールに姿を変えたボリュームのある黒髪を、九曜さんは片手で撫で続けている。
私の命を救ってくれた黄金の左手だ。
「―――――あなたは・・・愉快――――大きな感情は―――――素敵ね――――――」
いまいちよく分からない台詞だが、どうやら『気に入った』と解釈していいらしい。
・・・くっくっ。決まりだね。
天井を見上げ始めてしまった九曜さんの髪からリボンをほどく。
一度こうなると、数分間はこちらと意思疎通ができなくなってしまうのが普通だ。
‘宇宙の外’というのはどうやら、九曜さんほどの人でも電波を飛ばすのに大した時間がかかる領域のようだね。
交信手段が電波かどうかは定かではないけれど・・・。
「少し待っててね。・・・購入、という地球人的で面倒なプロセスを済ませなくちゃいけないの」
聞こえていないのを承知で声をかける。
そろそろ夜が帳を降ろし始める時間だ・・・休日とはいえ、ちょっと遊びすぎたかな?
これを九曜さんにあげたら、星空でも眺めながら帰るとしよう。
「・・・はい、大切に使ってね。くっくっ・・・私はあんまりお金持ちじゃないから」
そこにいるのかどうかよく注意しないと分らないくらい儚い存在の彼女は、
私から包装された小箱を受け取ると、一度だけ頷いてくれた・・・。
「じゃあ、もう遅いから・・・また明日、ね」

・・・店先で九曜さんと別れ、私は歩きだす・・・。
雨はとっくにあがっていた・・・。
明日・・・私の人生を大きく変える転機がくる・・・。
キョン・・・私は、変われるだろうか・・・?
見上げた先にたまたま映った満月に、私は静かに願いを託した・・・。

・・・実は、少し恐いんだ・・・笑わないでくれよ・・・キョン・・・


#7 ~ハルヒ~

暗い。ここはどこなの・・・? お父さんは・・・? お母さんは・・・?
遠巻きに野球場からの喧噪が聞こえる・・・。
「・・・気がついたか? 話がある、暴れるなよ」
強い力で頭を押さえつけられる・・・。
私としたことが・・・こんな木偶の坊に捕まってしまうなんて!
「誰! 私にこんなことしたのは! 死刑よ! 死刑!
 次会ったらボコボコにしてやるわよ! 顔面にドロップキックかましてあげるんだからっ!
 この目隠しを取りなさぁーい!!」
ゆっくりと・・・私のすぐ近くで誰かが屈んだ気配を感じた。
「いいか、涼宮ハルヒ。僕は君に危害を加えるつもりはない。
 お前に顔を見られないように、一時的に視力を奪っているだけだ。
 話を静かに聞いてくれればすぐにでも解放する。・・・できるな?」
今すぐ顔を殴ってやりたいけれど、後ろ手に縛られているみたいでそれは叶わない。
仕方なく相手に合わせるようにする。
「いいわよ、話してみなさいよ。聞いてあげるから!」
それからしばらくの沈黙・・・いつも聞いている学校のチャイムが
1セット鳴り終わるくらいの間隔をあけ、憎々しい誘拐犯が突拍子もない話をし始めた。
「もし、お前がこの世界の神になれたとしたら、何がしたい?」
あまりの内容の飛躍にすぐに言い返せない。こいつ、頭がどうかしてるんじゃないの?
「か、神って? なによそれ、私を馬鹿にしてるの!?」
「そうじゃない!」肩を掴まれた・・・優しく。
「お前は絶対に願うはずだ。もっと楽しい友達に囲まれたい、色んなことがしたい、
 そう思ったことが今までに一度でもないか?」
・・・たったそれだけのことを言うために、私を連れ出したの・・・?
最低なやつ・・・!
「あんたは知らないだろうけど・・・私の友達は最高に楽しい人たちばかりよ。
 私は特別なニンゲンなの! 世界中のどこを探したって、私の通う学校より楽しいところなんてないわ!」
言いきってやった。いい気味よ。自分の無知さを嘆いているがいいわ。
私の肩にかかった手に、少し力がこもり・・・
「お前は分かってない」耳元で静かに囁きかけられる。
「いいか、お前は本当にちっぽけな存在だ。
 それを自分自身で自覚できていないでいる今のお前は、僕から見てみれば哀れだ」
「なっ・・・あんたね、私の何を分かって―――
「家に帰ったら親父にでも聞いてみるんだな。お前がさっき、そこの会場で見た人ごみの数だ。
 ちょっと計算しただけでもその莫大さが分かる。それを日本の人口と見比べてみろ。
 世界の人口と照らし合わせてみろ・・・すぐに結果がでるはずだ。
 お前は、世界で一番優れた人間でもなければ、一番幸福な人間でもない!」
「馬鹿じゃないの! エピメニデスもあんたを見て笑ってるわ。
 あんたもその人ごみの中の一人じゃない!」
突然、私の目隠しが解かれた。とても眩しくて・・・何も、見えない・・・。
「それは違うな・・・僕はその大多数の人間には含まれていない、少なくとも、ここでは」
「何を言ってるの・・・あんたは・・・!」
やがて私の網膜にはっきりと映像が映し出され、その情報を脳が解析し始める・・・。
ゆっくりと視界に入ってくるそいつは、禍々しい笑みをその顔に張り付けていた。
「よく聞け、涼宮ハルヒ。僕は未来人だ」
頭の中が楽しいことになっているそいつが私を凝視する。
「な、何バカなこと―――
「いつか、再び僕はお前の前に現れる・・・。この姿でだ。外見年齢もそのままに、
 お前と再び顔を合わせることになる。その時、お前が自分の存在を正しく自覚できていたのなら、
 この僕が、お前と‘神’を引き合わせるチャンスをくれてやろう」
「・・・・・・。」
「・・・分かったな? 涼宮ハルヒ」その男が車のスライドドアを勢いよく開く。
「帰れ。うるさい女はもうこりごりだ」そう言ってそっぽを向く。不思議な人。
「あんた、名前は?」
「・・・・・・藤原」実に嫌そうに答える。
「そ、覚えといてあげるわ。ついでにこの後ろのやつも解いてくれる?」
・・・不可思議な体験だった・・・。
それだけに・・・私の脳裏に焼き付いて離れない、トクベツな記憶となってしまった・・・。


#8 ~みちる~

「ふふ、見つけましたよ・・・橘さん♪」
夜空にばら撒かれている数えきれないほどの星たち、
その全てを一つ残らず黒く塗りつぶしてしまったかのような漆黒の闇の中で
私はその人物に友達を呼ぶような数百ワットの明るい声で呼び掛けた。
「だ、誰なの!?」
慌てた彼女が何やら物音をさせているが、いくら騒いだところで
この虚空の世界ではその網膜に何かが映る期待は無いに等しい。
「くすくす・・・広い部屋を探すときは部屋の照明はつけておいたほうが
 いいと思わない・・・?」
もちろん私にその気はない。橘さんに顔を見られてはいけないからだ。
十分な距離をとって会話を続ける。
「ひとつだけ分かってほしい。私、あなたの邪魔をしにきたわけじゃないわ。
 伝えたいことがあって、それで、無理を言ってここに来させてもらったの。
 あなたの探し物も、ちゃんとあなたに譲るつもりよ」
すぐに大人しくなる。でもそれは、私の声を理解したからじゃない。
きっと・・・無暗に動かないほうがいいと判断したのでしょう。
「それに・・・少しやり返してあげたくてね。 ふふ、‘彼’には借りがあるの」
外の世界・・・光とは完全に遮断された空間にかわいい声が響く・・・。
「だ、誰なのあなた・・・。なぜ私を知っているの?」
「・・・『名前なんてただの識別信号』、あなたのお友達の言葉だったかしら?
 ふふ・・・ごめんなさい、あなたに本名を教えるわけにはいかないの」
ふと、懐かしい呼称を思い出す。
いたずらな笑みを浮かべ、子供をおちょくる様に言ってみる。
「そうね・・・私は『みちる』 これでいいかしら?」
「・・・・・・。」
「ふふ、いくら考えても無駄よ。この名前は一部・・・ほんとに一握りの人しか
 知らない、私のもう一つの名前・・・。あなたの‘機関’がどのくらいの力を
 持っているかは知らないけれど、きっと、あなたにも分らないでしょう?」
こんなに余裕をもって話ができるのは初めてかもしれない・・・、
暗闇の中でたじろぐ橘さんが一昔前の自分を連想させ、自然と口元が緩む。
「あなたには知っておいてほしいことがあるの・・・。
 ・・・明日、恐ろしいことが起こって・・・
 佐々木さんはとても不安定な状態になってしまう」
この暗闇の中でさえ、橘さんが青ざめていくのがはっきりと分かる・・・。
「その時、その恐ろしい瞬間に対峙したその時・・・
 あなたに、佐々木さんを守ってもらいたいの」
「私が・・・」と、橘さん。
「私が、佐々木さんを守る・・・?
 私に・・・何ができるんですか! 佐々木さんのために・・・何が!」
「ふふ・・・」突然、照明をつける。数秒間だけなら、突然の光に目が対応できずに
あたりを見回すことはできない。もちろん、この私の顔を確認することも・・・。
「・・・優しく声をかけてあげるだけでいいわ。それで、すべてが終わる・・・」
ゆっくり、かつ急いで締めの言葉を放つ。必死に暗記してきた‘彼’の言葉だ。
・・・これはお返しよ・・・数年越しの、ね・・・。
「面白くもない光景だったわ。三十分も根気よく人家荒らしとは恐懼する。
 ふふ・・・私にはできそうもないわ」
そう言いつつ、指に挟んだTPDDを指で弾く。
やがてそれは、放物線を描いて宙を舞い・・・ゆっくりと・・・橘さんの手におさまった・・・。

「運が良ければ・・・いいえ、正しい方向に運命が進んでくれれば・・・
 また、会うこともあるでしょうね・・・」

そろそろ限界がくる・・・。素早く踵を返し、この部屋をあとにする・・・。

「・・・がんばって、橘さん・・・」
私は、祈り続ける・・・正しく進んだ、その日が来るまで・・・。


#9 ~佐々木~

今にも山に溶け込んでしまいそうな茜色の夕日が、私の前髪を優しく照らし続けている。
柔らかい春風が足元をすくってゆくのを楽しむのもほどほどに、遥か遠くから聞こえる木々のざわめきが、
不安な心に温かく染み込んでくるようだ・・・。
・・・決して忘れたわけじゃない。私の後方にそびえたつマンションでは、今、長門さんが苦しんでいるはずだ。
誰も傷つけたくないと願っていても、やはりそれは叶わぬ願いだったのだろうか・・・?

「すばらしい日だね、夕日が奇麗だ。
 ずいぶんと晴れているし、風も気持ち良い・・・。
 みんなもそう思わないかい?」
「や・・・やっぱりそうですよね? 私、佐々木さんと同じこと考えてましたっ!」
「ハッ! ガキの遠足じゃないんだぞ。僕はお前みたいな・・・頭が花畑みたいなやつの子守はごめんだ」
「るいはともをよぶ。という言葉もあるんだけどね。くっくっ」
「ひ、ひどいですよそんな事言ったら・・・藤原さんは佐々木さんのために協力してくれてるんですよ?」
「ノーサンキューだね。確かに、世界が平和であるようにと常日頃願ってはいるんだけれども、
 ユカイな仲間たちとこうして話していられる時間も捨てがたい・・・くっくっ、
 うわべだけの関係では、これほど仲良くはなれないだろう? 素晴らしいことに変わりはないさ」
「うぅん、よく分からないです・・・」
「つまりだ、どれほど今日という日が大変な一日になると分かっていたとしても・・・

 そんな時でも、私たちには個々の発言による、いわゆる‘台詞遊び’で時間を潰せるような友が
 いるという話さ。涼宮さんが神と定義されているこの世界でも、こんなに楽しい体験ができる・・・。
 そんな日常の核―――核心の部分に、無理に触れなくてもいいんじゃないかな? と、
 私は思っているんだよ・・・分かってくれるかな? この気持ちを」
「あの・・・台詞遊び?・・・のくだりがよく分らないんですけど・・・?」
「・・・おや。知らないで今のを完成させたのかい?
 くっくっ、素晴らしいコンビネーションだったね。・・・キミはどうだい?」
「フン・・・ちょっと付き合ってやっただけだ。暇を持て余すよりはマシ、くらいの感覚でな」
「・・・?・・・??・・・あのぅ、いったい何の話なんでしょうか・・・?」
「くっくっ。禁則事項さ。自分で気づけたほうが感動するからね。
 よく思い出してみるといい、ここにキョンが来るまでの暇つぶしにはなるんじゃないかな」
「・・・?・・・うぅ、うぅん・・・佐々木さんがいぢめるのです・・・」
「・・・・・・。」
「くっくっ・・・楽しいよ、ほんとに」
「・・・??・・・」
「・・・あぁ、そういうことか・・・」
「なんだ、キミも分かってなかったんじゃないか」
「・・・気づいていたさ。今のはちょっとした妄言だ」
「・・・?・・・・・・??」
「くっくっ。シラを切るつもりかい・・・?」
「・・・・・・。」
「こらこら、明後日のほうを向かない。橘さんが元気になるまでディベートの相手をしてもらうよ、くっくっ」
「・・・面倒な女だ」
「あ。あぁ~なるほど! 佐々木さん、分かりましたよ!」
「・・・間が悪いよ、橘さん」
「え、あ、ごめんなさい」
「・・・くっ・・・」
「あ、使者さんが笑った」
「笑ってない」
「嘘ですよ! 佐々木さんも見ましたよね? ね?」
「あぁ、見たよ。珍しいこともあるものだね」
「・・・笑ってない」
「笑顔は大事ですよ、使者さん。はい、一緒に笑いましょう!」
「「くっくっくっ」」
「・・・うるさい、少しは静かにしたらどうなんだ・・・」
笑い声が絶えない・・・本当に楽しい時間を満喫する。
ここ数日で私には大切な仲間ができたんだよ・・・涼宮さん・・・
・・・この人たちの期待に応えるためにも・・・負けるつもりは、ない・・・
「やぁ、遅かったね・・・涼宮さん」


#10 ~藤原~

「どうしたハルヒ!? しっかりしろ!」
現状がつかめていない現地民が神に・・・いや、‘神であった’者に叫び続けている。
いくら呼びかけたところで無駄なのを察知できていない―――哀れな存在だ。
「無駄だ」その男を悲哀に満ちた目で一瞥するように見下ろす。
「これらは全て既定事項だ。僕がそうなるように・・・動いた」
その男が急に目つきを変え、鋭い眼光を僕に突き刺してくる。
「・・・てめぇ! ハルヒに何をした!」
殴りかかろうとするその動作も、僕に届くことはない。
全て、九曜が抑えている。・・・完全な勝利だ。
「―――――――――」
「くそっ! 古泉、この壁をなんとかしろ! 今すぐあの憎たらしい顔を殴ってやる・・・!」
「・・・どうやらそれは叶わないようですね」ご指名を受けた‘一般人’が涼しい表情を崩さずに肩をすくめる。
「今の僕にそのような力はないようです。ここが封鎖空間ではないか・・・あるいは―――」
僕の真横にいる橘は誇らしげに腕を組んでいる・・・その身に赤い風を纏って・・・。
「彼女にその権利が移ってしまった、と考えたほうが妥当ですね」
頼れる仲間の話を聞いて、やっと状況が飲み込めたようだ。とたんに大人しくなるそいつが可笑しい。
「お前も見た通りだ。僕は何もしていない・・・ただ、その女が僕を視界に捉え、勝手に錯乱しただけ。
 自滅するとは・・・くくっ、面白いやつだった・・・余興には素晴らしい」
「佐々木!」諦めたのか、今度はその矛先を‘神’にむける。
「お前はこうなるのを知ってたのか!? 知っててこんな奴らに協力したのか!」
さすがに親友の言葉は響くのだろう、いつになく困惑した様子で苦笑いする。
「うぅん、僕に聞かれても困るんだけどね。この3人は長門さんを簡単に機能停止まで追い込んだ・・・
 その時点で疑問に思うべきだったのだろう、これは、僕の危機感知能力の低さが呼んだ結果かもしれない
 ・・・謝るよ、キョン」
「謝って済む問題かよ! ハルヒはどうなるんだ! こいつは、無事なのか!?」
その腕に抱かれた『人形』は、頭を抱え込んだ姿勢でぴくりとも動かない。
完全に抜け殻の状態を維持している・・・。
「答えろ!」
もはや敵と判断したのか、険しい声色でかつての親友に迫っている。しかし、その状況で佐々木は
「言っただろう」・・・笑っていた。
「僕に聞かれても困る。聞き間違いでなければ彼は確かにこう言ったはずだ、
 『僕が望んだように世界が変わってゆく』とね。しかし・・・この・・・ありさまはどう・・だろう・・・?
 ・・・これは、僕が望んだ・・・未来・・・なのかな?」

・・・一瞬の静寂。
そして、溢れでる涙を抑えきれずにかすれた声が響く。

「もう・・・分からないよ、キョン。僕は・・・どうなって・・・しまうんだい・・・?」

・・・その時だった。

「――――――!」
九曜が突然、その長い髪を全くなびかせることなく後方に素早く振り向く。
同時に手をかざし口を開きかけるが・・・その体を光が貫いた・・・。
「ッ・・・九曜さ・・・きゃぁ!」
続けて凄まじい爆音が轟き、九曜が床に叩きつけられる。
いきなり顔面に飛び込んできたそれを掴もうとするが既に遅い・・・その腕は何者かに踏みつけられていた。
やがて局所的な粉塵が薄れていくなかで、僕を睨みつける氷のように冷え切った瞳が姿を現す。
「・・・・・・。」
いるはずのない存在が、そこにいた。
「長門・・・!」とたんに現地民の声に気迫が戻っていく。・・・気に食わない。
「遅かったじゃねぇか、大丈夫なのか!?」
病人のように扱われた小柄な少女は、自らに向かって飛んできた小型の赤い球体を左腕ではじき返す。
「情報統合思念体との交信が途絶えたため、座標の特定に時間がかかった。でも、もう平気―――
台詞の途中で長門が視線を落とす・・・
踏みつけられている九曜が、自由なほうの腕で長門の足首を掴んでいた・・・。
「――――――退屈――――――」



#11 ~佐々木~

一瞬、何が起こっているのか分からなかった。
長門さんの攻撃から守るために、彼が血だらけの腕で九曜さんを突き飛ばしたのだ。
「僕はもう動けそうにない・・・何をしている、早く行け!」TPDDを託した彼女に激しく声を荒げる。
黒く美しかった髪は今では無残に切り払われ、その長さはまばらになってしまっている。
「これは・・・既定事項だ、お前がそれを届けなくてはいけない・・・。この未来に・・・繋げるために・・・!」
「長門!」その彼を拘束している私の親友も、いつになく真剣な表情で叫ぶ。
「行かせるな! これじゃあ、ハルヒが助からない・・・っ!」

・・・涼宮さんが・・・助からない・・・?

「それはできない」答える長門さんの恐ろしい瞳は、九曜さんと私を交互に射抜いている。
「彼女は仲間が傷つくことを恐れている。私からの攻撃が決定打になる可能性は非常に低い」
違う。これは私が望んでいたことじゃない・・・なぜ、信じてくれないの・・・?
霞んでゆく私の視界には、今でもはっきりと涼宮さんが映っている・・・いや、それだけじゃない。
ひどく傷つき、歩くことさえままならない私の仲間や、キョンの友人たちも・・・
・・・その姿が、声が・・・私の心を・・・深く・・・えぐっていく・・・

「・・・! 佐々木、お前・・・」
突然、キョンが・・・今、私が唯一信じることのできる彼が、私を見つめて驚愕し、こちらに走り出す・・・
・・・何か・・・違う・・・彼が見ているものは・・・何だ・・・
恐らくは全力で走っているのだろう、信じられないような快速で息を切らせながらも私の名を叫び続けている。
何・・・? ・・・どうしたの、キョン・・・?
「・・・っ・・・佐々木!」キョンが、叫ぶ。
その目線は私の後方・・・それもやや上を見ているようにもとれる。
・・・上・・・? ・・・そうか、『キミ』がいるのか・・・
焦ることはないよ、キョン。なだめるように彼に笑顔を見せ・・・
「・・・やぁ、はじめまして」振り返り、予想通りそこにいたお友達に挨拶する。
「ようこそ、僕の世界へ・・・居心地はどうかな?」
青白い光を放っているその巨人は腕を振り上げた姿勢で私を見下ろしている。
「佐々木、逃げろ!」悲しいかな、親友の声も・・・今は私の耳には入ってこない。
「・・・教えてほしいんだ、君なら分かるだろう?
 これはどういうことなんだい。どう見ても、この空間内の出来事が僕の望んだ通りに進んでいるとは思えない」
・・・どうやら、この巨人・・・『神人』にとっては、私の意思こそがどうでもいいものだったらしい。
無情にもその大きな腕で、世界を薙ぎ払った。
激しい音と、同時に地響きが私の脚に伝わってくる。
・・・私を呼ぶ声が、不自然に止まった・・・散っていく建造物の破片や砂が、パラパラと私に降りかかってくる。
それでもなお、私は後ろを振り向くことができないでいた・・・その先に、キョンがいないような気がして・・・。
「はは、ははは・・・」巨人を見上げたまま、私は笑う。こういう時、どういう表情を作ればいいのだろうか。
・・・教えてよ、キョン・・・。
「とんでもないことをしてくれたよ・・・君は。一体、僕にどうしろっていうんだい・・・?」
巨人は、再び腕を振り上げる。やっぱりだ、神人は・・・コイツは私の声など聞いていない・・・。
「・・・そうか、そうだよね・・・君の親は、あの、涼宮さんだものね・・・。
 ごめんね・・・私、何もできなくて・・・ごめん・・・ね・・・」
腕を広げて、瞼を閉じる・・・彼のいなくなった世界で、私は希望を持つ自信がないから・・・

「・・・佐々木・・・さん」・・・かすれてはいるが、はっきりと彼女の声が聞こえた。でも、もう興味がない。
私の心はもう・・・擦り切れているから・・・もう・・・遅いんだ・・・ごめんね、橘さん・・・。
「諦めないでください・・・! あなたの心は、そんなに、弱く・・・ない・・・!」
再び、眼をあける。世界が歪んで見えるのを除けば、何も変わってはいなかった・・・絶望が私を包み込んでいる。
「・・・まだ、間に・・・合うんです・・・! 佐々木さんが、あなたが諦めなければ・・・!」
・・・ごめんね・・・もう、どうでもいいんだ・・・ここには彼が、いないから・・・
「やり直せるんです・・・今のあなたが、その気になれば・・・願ってくれれば・・・!」
神人が・・・その巨体に似合わない速度で腕を振り下ろす。
「彼に、また会えるんです・・・佐々木さん!」
・・・全身に激痛が走り、私の思考はそこで途絶えた・・・・・・。

何度願ったことだろうか、でも、叶わなかった・・・私はもっと、彼と話がしたかっただけなのに、ね。


#12 ~キョン~

待ちに待った春休みがあっという間に過ぎ去ってしまったように気がつけば最高の春という季節ももう中旬となっており
やがて俺の目の前まで迫ってくる夏という地獄のような猛暑がそろそろ『こんにちは』と挨拶をしてくるんじゃないか、
と嫌々ながらも考えてしまうようなこの時期、まるで蟻の行列のように見える生徒たちの列に飾られたこの拷問のような
坂道も学校へと辿りつくのにはやはり通らなければならない試練であり、今頃は新一年生どもが『あぁ、なんでこんな
学校へ入学してしまったんだろう』と悔やんでいるのだろうか。がんばれ後輩よ、一年で慣れるさ。と、悪戦苦闘する
かわいい新入生たちを横目に軽々と歩を進めている。そんな日のことである。
「・・・まったく、君の喩え話の長さはいつになっても変わらないね」
今まで黙って俺の横をぴょこぴょことついてきていた大切な親友様が講義モードに入る。
言わせてもらうがな、佐々木。お前もまったく変わってないぜ。
「普通、あまりにも長い喩えというのは内容がストレートに伝わりにくくなるんだ、多用は危険だよ」
くっくっと笑っている。んなこと言われても・・・自分じゃ分らないものさ。
「うん、まぁ一理あるね、分かりやすく言えばこうだ、君は僕たちの頭に入っている『脳』を説明するのに
 こう言うのさ。『我々の頭蓋骨の中に安らかに収まっている、ある種毛羽立った幹の上に君臨する
 純粋に物理的な存在、揺れ動く不安と夢の球体』・・・とね」
まったく分からんな。辞書から引っ張り出してきたような難解な単語をダラダラと並べても無駄に目立つだけだぞ。
ほら見ろ、真新しい制服を着た我らが後輩たちがこっちを指射してきゃあきゃあ言ってるじゃないか。
「・・・ん、君が鈍感でよかったよ。おかげでずっと親友でいられそうだ」
喉を鳴らして笑っている。今日も機嫌が良いようで何よりだ。
「そうだ、キョン」俺より先に上履きに履き替えていた佐々木が、何やら悪事を思いついたガキのようにニヤニヤする。
「先週のテストの結果、酷かったそうじゃないか。また家庭教師をやってあげなくちゃいけないようだね。くっくっ」
ちっ、バレていたか。せっかく隠し通せていたと思ったのに・・・谷口か? 忌々しい。
「がんばってくれたまえよ、志望校のランクを落とすつもりはさらさらないが、キミと同じところに行けなければ
 意味がないんだ。まぁ、ココに受かったキミならそれができると信じているんだけどね」
すっかり落胆した俺は先を行く佐々木に手を引っ張られつつも階段をあがってゆく。
そういえば・・・そうだったよな、佐々木はいつも俺を引っ張ってくれていた。そこそこに有名な進学校である北高に
合格したときも、一番喜んでいたのは俺でもお袋でもなくこの佐々木だ。・・・頼りにしてますよ、佐々木さん。
「うんうん、それは非常に嬉ばしいことだね。・・・さて、到着したよ、キョン。
 今日も楽しい一日を存分に満喫しようじゃないか」
佐々木に連れられ教室に入り席についた俺は、習慣となっている朝の挨拶を行う。後ろの席にな。
ちなみに俺の横には偉大なる親友様、佐々木が着席し、こちらを眺めて『くっくっ』と笑っている。いつも通りだ。
「おはよ」満面の笑顔を振りまいたつもりだったのだが、返ってきたのはそっけない返事だけだ。
こいつは退屈になるとすぐにメランコリー状態になるからな、佐々木を見ならえ、佐々木を。
とまあ、この時の俺は呑気にそんな事を考えていたのだが、すぐに後悔することになる。
やっぱりコイツには黙っておいてもらったほうが良いようだ。その、なんだ、世界平和のためにもな。
「今日はお知らせがあります」
教卓の前に立ったこのクラスの『AA+』な委員長、朝倉涼子が透きとおった声で朝会を進める。
ちなみに『AA+』というのはアホの谷口がつけた個人的な評価だ、何が基準かは知らんがすごいことは分かる。
「先週連絡をしておいた3人の転校生ですが、このクラスに1人、迎え入れることになりました。
 ・・・みなさん、仲良くしてくださいね」
あぁ、後ろの席から重いオーラを感じる。転校生属性は古泉一人で十分だろう、騒ぐなよ、頼むか―――
「キョン!」
無理か。
「ずぅっっっっと考えていたのよね、やっぱりおかしいわ!」
だから何がだ。
「3人よ、3人も同時に! これは何かの陰謀ね」
誰のだよ。
「知らないわよそんなの。それより、今日中に3人、SOS団に取り入れるから協力しなさい!」
取り入れるって・・・あぁ、はいはい。やればいいんでしょう、団長様。
横の佐々木は相変わらず小さく喉を鳴らして愉快そうに笑っている。佐々木、忘れてはいないだろうが一応は
言っておく。協力しなさいという言葉はお前にも向けられているんだぞ、副団長様。
「くっくっ。分かっているつもりさ、でも、何だか楽しくなりそうでね。キミもそう思わないかい?」
柔和な笑みを湛えた優しい笑顔が俺に語りかける。あぁ、そうだな、結局楽しくなっちまうのさ、こいつらといると。

「じゃあ、自己紹介・・・お願いね?」
会話に夢中で存在すら忘れていた我がクラスへの参入者を、何気なく眺める。
可哀想な奴め、これから存分にハルヒに付き合わされるがいいさ、俺の負担を軽くしてくれれば幸いなことだ。
「・・・・・・藤原」
妙に愛想の悪いやつがそこにいた。何だこいつは、自己紹介するときはちゃんと前を向いたほうがいいぞ。
一般的なラインから逸れれば逸れるほど、このクラスの悪魔が狙いをつけてくるからな。もう遅いが。
あぁ、ほら見ろ。教室の空気が一気に悪くなったじゃないか。まるで外国人が転校してきたような
どよめきっぷりだ。ニコニコと笑う朝倉の顔がやけに怖いのは気のせいではないだろう。
ここだけの話だが朝倉はあまり怒らせないほうがいい、クラスの秩序を重んじる彼女は
その気になればナイフの一本くらい振り回すだろうからな。
あの顔で「じゃあ、死んで♪」とか言われた日にゃあ、それはそれで一部のファンのハートを掴めるだろうが
俺は全力でお断りしたい。まぁせいぜい人気のない夕陽の教室等々へ誘われないように注意しておくんだな。
「・・・くっくっ。実に面白い人だね。個性が強いというか、なんというか」
佐々木は肩を揺らして笑っている。そこまでウケることはないだろう、ある意味彼が可哀想だ。
「キョン!」それとお前はもう少し黙っていろ、エネルギーの無駄使いは非効率的だぞ。
「やっぱり放課後まで待てないわ。今回の転校生は狙い目よ! きっと1人くらいは宇宙人がいるに違いないわ!」
何が宇宙人だバカバカしい。お前は一度、エンターテイメント症候群の権威である佐々木先生の手術を受けるべきだ。
「遠慮しておくわ! 楽しみがなくなっちゃうじゃない・・・っと!」
朝会の時間終了の合図であるチャイムが鳴り始めると同時に、ハルヒは陸上部もびっくりのスタートダッシュで
廊下へとかっ飛んで行った。朝の気だるい時間帯によくあれだけ動けるものだ。
「元気だねぇ、彼女は。キミのエネルギーだが、少し奪われているんじゃないかな?」
あながち洒落にならないようなことを言う。課外活動時なんかはまさにそれだ。
「でも、案外・・・宇宙人が紛れているかもね。それも黒髪にポニーテールな」
朝からずっと思っていたが、今日の佐々木は何かおかしい。昨日やってた映画はなんだったかな・・・。
ニューロンの点火パタンに組み込まれたばかりの幼い記憶をちょっとだけ辿り、すぐに飽きる。
代わりにポニーテールの宇宙人を妄想し始める俺・・・。
「何となく、そんな気がしただけだよ。ほんの少しの夢を見るのもいけないのかい?
 僕だって、エンターテイメントな世界の中に身を投じてみたいとたまには思うものさ」
軽やかに笑い、前髪を指先で弄んでいる。
夢見る佐々木はちょいと珍しい、これはこれで中々面白いのではないだろうか。
そんな横顔を見ていると、不思議とこれからの生活が楽しくなるような気がして俺は内心うきうきしていた・・・。
とかなんとか思っていると、すぐに放課後になってしまう。
いやはや時間が経つのは速いものだ。その時その時を大切にして我々は生きてゆかねばなるまい―――
「寝ていたとも言うんだけどね」
やや棘のある佐々木の言葉が俺の胸に突き刺さる。『全員で同じ大学へ!』をモットーの一つとしている我が団では、
授業中の居眠りはもちろん禁止だ。こんな時、SOS団のマスコットキャラクターでもある朝比奈さんならば
『き、禁則事項ですよ』
とそれはそれは優しく注意を促してくれるのだが、少なくともこの教室内で授業中に惰眠を貪るのは
至難の業のようである。『二人の鬼から身を守りつつ脱力できる方法』を知っているやつがいたら教えを
乞いたいものだな。
「まぁ、それがキミのいいところでもあるんだけれどね」俺の机に両手をついた佐々木の笑顔はやけに眩しい。
「・・・さて、一緒にいこうか。涼宮さんが待っているよ」
「あぁ」息の合った動きでハイタッチし、そのまま手を引っ張られるようにして立ち上がった・・・。

文芸部室までのただただ退屈な長い道のりは、佐々木との談笑でそれを感じなくなるから不思議だ。
宇宙人、未来人、超能力者や異世界人・・・あるいは神様が活躍する物語を楽しげに語る佐々木に引っ張られるように
してついていく。本当にこいつは、何か嬉しいことでもあったのだろうか。こっちまで楽しくなってくる。
「・・・くっくっ、当然さ。僕は、この世界を選んだんだ・・・キミと過ごす、この世界をね」
上機嫌のままSOS団への扉を開く佐々木の整った顔を、夕日がゆっくりと染めていく・・・。
「それが叶っただけで、僕にとっては楽しいことなのさ」
握られた手に力がこもり、そこで一気に引っ張られた。

「さぁ・・・いこうかっ!」

窓から差し込む、茜色の優しい光に包まれる・・・。
やがて耳に入ってくるやかましい喧噪が、今の俺にはとても心地のいいものだった。

「遅いわよ、二人とも!」

何気ない見慣れた日々・・・そんな毎日が、とても大切だと気づいた。そんな、ある晴れた日のことであった・・・。


                                    ――――― FIN ―――――

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最終更新:2007年08月16日 10:34
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