26-92「俺の愛車は軽トラだ MK.Ⅴ」


 その後の慌ただしい日々は俺は焦燥感を相棒に共に過ごす事になった。
自分の腕1つでどこまで出来るか確かめたい気分であったし、あいつの微笑みを見たかったからだ。
「キミはよくやったよ、うん」
勉強を見て貰っていた時に満足気な表情を浮かべて微笑む仕草が妙に恋しかった。今までは目先が分かり切った課題を解くだけの人生
だったが今度の相手は先が読めない相手だから、そんな中で回答を導き出して驚かせてみようという気持ちがあったのは否めない。
事業を始めるに当たって必要不可欠な事務処理を二人で一緒にこなした俺は、愛車と共に見果てぬ荒野に目指していた。

 最初は挫折の連続で生来、楽天家の俺もめげそうになる事も屡々あった訳なのだが、あいつに俺は元気とアイデアを貰って再び外に
出掛ける日々が何日も何日も繰り返された。石を積み上げては崩されまた積み上げる、まるで昔の刑罰の様な日々だった。
 そしてある日、初めての取引が成立した。
『☆入金確認☆』短いメールを受け取った俺は小さな宴を催す事を考えた。そんなに俺にも手持ちが残っている訳でもなく、コンビニ
で買ったチューハイと俺が仕入れた魚で祝う事にした。
魚は地魚ではなかったが、街中では絶対にお目に掛かれない新鮮な秋刀魚だった。
俺は台所に立つと包丁を使わずに指だけで秋刀魚をおろしにして、これ見よがしに新鮮さをアピールした。
普通は秋刀魚を処理するならば柳刃包丁を用いた繊細なテクニックが求められるのだが、鮮度がいいなら鰯を処理する要領で腸と骨を
一緒に抜けて、ちょいと掴んで引っ張れば綺麗に皮も剥けるものだ。
「これはプレゼンテーションに使えるよ。僕にも教えてくれないか?」
 不意に秋刀魚祭りが始まって、久しぶりに俺が帰郷のを眺めたいのであろうか、親達や妹が集まりだして祭りは賑やかになってきた。

最初の1つの成功は小さな自信となり、次の成功の一歩となった。
そんな事を繰り返しながら俺の20代前半は過ぎてゆき、最初の目標であった損益分岐のラインを超える事に成功した。
俺は軽トラの冷凍庫に黒ペンキを使い、何度も繰り返して練習した文字を鮮やかに描き上げた。

「 (株)佐々木鮮魚 」


 最近になると事業がうまくいっている証として、ひとづてに紹介をされる事も多くなって港では意欲的な漁師に出会い、街に戻れば
新進で活躍する店主と出会う事になって色んな話を聞く立場へと変わり、時には産地と消費地を繋ぐ仲介業的な立場にもなったし、
色々な店を巡っている関係で店のコンサルっぽい事もする様になった。
俺は事業拡大は蜜の罠と考えていたので料理屋の経営とかをネタに銀行が融資話を持ち込み俺は丁重にお断りをしていたが、顧客の
事業拡大には諸手を挙げて賛同するようにしていた。その方が仕事甲斐があるしな。
 やがて取扱量が増えていくと軽トラでは間に合わなくなり、中型トラックへ愛車が替わった。色んな思い出が詰まった愛車を手放す
のは一抹の寂しさを憶える事だったが、これは必要な事だからと自分自身を納得させて思いを断ち切った。


 ひと言に俺の仕事を魚屋さんと言うのも出来るのだが、これはこれで結構手間の掛かる仕事だ。
思いっ切り要約すれば、自分で魚を仕入れて自分で売り歩くという事になるのだが、実務を考えると思いの外大変だったりする。
最高の鮮度で仕入れようと思うと漁船が港に戻る時を狙うのがいいのだが、時期や魚種で時間がマチマチだったりするので完全に一人
でこなすのはどのみち無理な事だ。
だからこそ漁師のつてを頼って魚を確保して貰う必要があったし、販売先の顧客の方も開店時間に間に合わせる必要があった。
 この顧客に合わせるというのも中々の苦労を要するのだ。
店によっては開店時間中に珍しい魚を手で運び、いわばパフォーマー的な存在を求められる時もあるし、仕込時間中に納品しなければ
いけない客もいる。これに珍魚好き・近海好き・鮮魚好きが混じれば、俺の行動は徹底的に効率化しないと注文を捌き切れないのだ。
 確かに忙しい毎日が続いていたが、俺はそれを満足していたし不満など奈辺にもありはしなかった。
俺は自分の体に鞭を打ち走り続け、20代後半は足早に去っていった。


そんなある日、高速道路のサービスエリアでしばしの惰眠を貪っていた時にそれは起こった。

ドンドン・・
 誰かがドアを叩いている。ウザいな。駐車ラインはキッチリ守っているぞ。。
ドンドンドン・・
 エンジンは切っているからエコなんだよ。俺は眠いんだ。
ドンドンドンドン・・
 やれやれ、愛車を壊されたら叶わないからな。すっかり強ばった体の重さを感じつつ俺は体を起こして音源の方へと振り向いた。
「あほ!さっさと起きなさい!中に入れなさ~い!!」
 なんでハルヒがここに居るのだ?

 ――よぉ、ハルヒ。随分と久しぶりだな。
言い終わるが先に俺がドアロックを開いた途端、ハルヒが息を切らせながら助手席に乗り込んできた。
 ――車に乗り込むだけで息が上がるとはお前も寄る年波には勝てないのか?
そんな戯れ言を言おうとする間も無く、俺はハルヒに腕を掴まれ車外に引き摺り出されていた。相変わらずこいつは粗暴者だな。

 寒い夜だった。高速道路の照明がハルヒを橙色に染め上げてはいたが、明かりの色とは無関係に寒々とした空気が俺達を包み込んで
いたし、ハルヒの表情も怒っているかのようでいて冷たい感じの表情と視線を俺に向けていた。
「ねぇ、キョン」
 ――どうした、ハルヒ。
「・・・・」
 ――こんな所でお前に出会うとは思ってなかったよ。
「・・・・」
 ――どうしたんだ?俺に声をかける以上、俺に何か用事でもあったんじゃないか
「なんで・・・
 ・・・何であたしがこんな事しなくちゃいけないのよ!!」
 悲鳴に近い叫びを上げたハルヒは全身の力を手の平に集めて俺に平手打ちを食らわせて、よろめいた俺の襟首を両手で掴んで締め上
げると愛車にぶつけるようにして俺から逃げ場を奪った。
「あんた、自分がやっている事がどんな事かわかる!?
 自分で自分の大切なものを奪い去ろうとしているのよ!
 本当にあんたって奴は救い様もないバカだわ!!そんなあんたに付き合っているあたしもホント、馬鹿馬鹿しいわ!」
 ・・・・何の事かさっぱり判らないが、ここはひとつ連絡でも入れた方がいいかも知れないと思った俺は携帯電話を取り出して、久
しぶりとなる生声の業務連絡を入れようとボタンを押した。

「現在、この番号はお客様の都合により・・・・」
頭からすぅっと血が引いていく感触を感じ、俺は力無く地面へへたり込んだ。
 ――何があったんだ、ハルヒ。俺に教えてくれ。
ハルヒは何も言おうとしなかった。俺の前に正立して手は硬く握られて小さく震えていた。
視線を俺から逸らしてきつく唇を閉じていたハルヒはしばらくして大きな深呼吸を何度も繰り返し、右手を俺に差し向けた。
「ねぇ、キョン。
 今ならば、今だったら戻れるかも知れないわよ」
 それは今までに見た事がない、優しげで包容力に満ち溢れたをたたえたハルヒの微笑みであった。

俺は差し出されたハルヒの手を見詰め、こいつの手はこんなに小さく白かったのかと思った。

「さぁ、キョンこっちについて来なさい」
不安で一杯になった迷子の幼児を引き連れるかのようにハルヒは俺を引き連れていった。
そこには懐かしい車があった。「 (株)佐々木鮮魚 」とペイントされた、随分と前に分かれた愛車がそこにあった。


・・・・随分と昔の事を思い出した。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん。本当に帰れるの?大丈夫なの?」
「だ、大丈夫なんだからっ。あったしにど~んとまかせなさい!」
 妹が産まれる前か後か、帰省先で従兄弟の姉ちゃんに連れられて虫取りに出掛けた時だった。姉ちゃんは俺を喜ばせようと遠くまで
一緒に出掛けたのだが、帰りの道が途中で判らなくなりすっかり陽は降りた暗い夜道をさまよう事になった。その時の俺は今思えば情
け無いが泣いていた。姉ちゃんはそんな俺をなぐさめながら、時には歌をうたって俺の手を引いていた。
 姉ちゃんの手の平の感触を俺は妙にはっきりと憶えていた。
帰りが遅くなった俺達は散々絞り上げられたのだが、今となっては懐かしい思い出だ。
・・・・なんで今更に思い出したのだろうか。
そうか、これは夢の世界に違いない。
夢ならば、いつかは目覚めないといけないんだよな。



「キョン、キョン。着いたから起きなさい」
肩を小さく揺さ振られる感触がして俺は目を覚ました。暖かい柔らかな感触を手に感じていたので目をやると白い手があった。
「いい加減、手を離してくれない?片手運転はホント大変だったのよ」
 ――色々と済まないな。
ハルヒは俺を連れて目の前にある白い建物へ入っていった。
この中にアイツが居るんだと思うと緊張感がみなぎってきた。俺は叫びたい駆け出したい気持ちで一杯となったが、その衝動を鎮めて
ハルヒに従って歩みを進めた。
常に冷静でありたいというのがポリシーだし俺もそうありたいと思っていた。たとえこの先に何があろうともだ。

 やがて1つの部屋の前に立ったハルヒは手を肩まで上げ、人差し指でドアを指し示した。
「ここから先は、あんたが行きなさい」
 ・・・・ああ、判っているよ。でもな、俺がここまで来られたのはお前のおかげなんだから、俺はお前と一緒に入るぞ。
緊張感で涌いてきた唾を呑み込むと俺はドアノブに手を掛けた。

「お帰りなさい、キョン」
そこにはベッドに身をゆだねた佐々木が手をひらひらと振っている姿があった。
「まったくキミという人間の底知れ無さは僕をいつも驚かせる。このまま戻ってこないんじゃないかと思ったよ」
 ――なぜお前が病院で休んでいるのだ。
「ここまで言われるとさすがの僕も怒るよ。
 キョン、君はね。世間で云うところの"お父さん"になったんだよ」

俺は頭がクラクラとして床にへたり込む事になった。
一日、何度までなら許してもらえるかね。
 

25-738「俺の愛車は軽トラだ」

25-807「俺の愛車は軽トラだ MK.Ⅲ」

26-86「俺の愛車は軽トラだ MK.Ⅳ」

26-92「俺の愛車は軽トラだ MK.Ⅴ」

26-111「あたしの愛車は冷凍車」


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最終更新:2007年12月23日 12:21
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