佐々木さんの、あの星空を見ただろうかの巻
この季節になると、いつも思い出すことがある。
あれは、中学3年の冬が本格的に始まった頃。
世間一般では、師走にはいり、クリスマスを控えた浮き足立った喧騒が街を包む頃。
そして、僕達にとっては、受験本番も近づき、志望校を最終決定しなくてはならなかった頃。
先生や塾の講師、両親の期待に背くことができず、僕が志望校を予定通り、進学校に決めた頃。
あれほど楽しかった塾への行き帰りは、とても心重いものとなった。
勿論、受験のプレッシャーからじゃない。
キョンに伝えたいことがたくさんあって、でも、伝えられる言葉がなくて。
いつもは彼の顔を見て、彼を言葉を交わすことがただただ楽しかった時間なのに、
僕はひたすら黙って、うつむいたままで歩むことで、あの貴重な時間を浪費していた。
キョンはいつもの通り、受験のプレッシャーか、模試の判定が悪かったせいだと思っていたようだが、
そんな行き帰りの時間を何日か過ごした後、ある雲のない夜空の下、こんなことを言って沈黙をそっと破った。
「なあ佐々木、こいつは俺の従姉妹の姉ちゃんからの受け売りなんだが。
誰にでもできる、流れ星の見つけ方って知ってるか?」
突然振られた話題に戸惑いつつ、僕は答えた。
「質問の意図がよくわからないが、流れ星の観測をしたかったら、
空気の澄んだ高地、それも観測の妨げとなる地上の明かりの少ない所などに行くと
良いと聞くよ。山だと視界が樹木等で限られるから、高地がよいだろうね」
僕の答えを聞くと、キョンは「ようやくこっち見たな」と呟いて、安心したように微笑んだ。
数日ぶりに見たその微笑みに、胸にとても暖かいものと、鋭い痛みがよぎって、一瞬涙ぐみそうになる。
「残念、それだと「誰にでもできる」ってわけにはいかんだろう。
正解はな、「上を向くこと」さ」
キョンの微笑みがちょっと意地の悪い笑みに変わる。
「ちょっと待ってくれキョン。確かに上を向かないと星は見えないかもしれないが、
それでは必要条件を満たしていても、充分条件とは言えない」
「分かってるよ。
従姉妹の姉ちゃんも言ってたよ。上向いても、実際は流れ星見つけたことはないけどってね」
「だったら……」
「でもお前も認めただろ、上向かないと星は見えないんだぜ。
佐々木、お前ここ2,3日の天気覚えてるか?」
ここ数日の天気など覚えてもいない。いや、こうして星の話をするまで、
今の空模様が、曇一つないことにすら気がついていなかった。
「何落ち込んでるか知らないけどさ。あんまり下ばっか向いてると、気分まで落ち込むばっかりだぜ。
胸張って歩けよ。お前なら大丈夫。何があったって乗り越えられるって」
「キョン……」
多分、君の案じていることは当たってない。当たってないけど、その微笑を見ていると、
僕の心配がやわらかくほぐれ解けてゆくような気持ちになる。
「12月で有名なのは、何とか流星群だっけか」
「……ふたご座流星群だよ」
「今年は受験でムリだけどさ、来年とかさ来年、流星群見ようぜ。
俺はどこ見りゃいいかわからないから、解説役頼むよ。
別の高校行ってまで、お前に世話かけるのも何なんだけどさ」
……キョン。
僕はその夜、ずっと上を向いて帰った。
見上げた星空に流れ星は見えなかったけど、こらえきれず溢れた涙を隠すのには役にたったかもしれない。
いくら暗くても、流石にバレていたとは思うけど、キョンは何も言わず、一緒に星空を見上げながら帰ってくれた。
大声を上げて泣いて、キョンの胸に飛び込むことも、あの時なら出来たかもしれない。
でも、それは僕らしくないように思えたし、
「お前なら大丈夫。何があったって乗り越えられるって」と言ってくれたキョンの信頼への、
正しい答えではないような気がしたから。
僕達はとてもちっぽけで。
勉強が多少できようとできまいと、まだほんの小さな子供でしかない。
恋愛小説のように、本当に好きなもののために一直線になどなれないし、
そのために他の全てを捨てることなんてできない。
周囲が希望するものを全て足蹴にして、自分の心の赴くまま進むことなんてできない。
僕らは、地球の中心にいるわけではないのだから。
でも、そんなちっぽけな僕だからこそ、
キョン、君の小さな手のひらでも、僕の心全てをすっぽり覆うこともできるんだろうね。
君自身が気づいているかどうはさておき。
流れ星は見えなくても、空の星は強い輝きをはなっていて。
たとえ離れてしまっていても、またいつか、同じ星空を見上げることができると、
保障してくれているように思えた。まあ、全く非合理的なことではあるのだけれど。
そう。これは永遠の別れでもないし、僕らは地の果てと果てに離別するわけでもない。
たかだか、通う学校がちょっと違うだけじゃないか。
ちょっとばかり距離が離れたって、また同じ星を同じ時に見上げることができるんだ。
また、こうして星空を見上げよう。それまでに君に披露する知識をたくさん仕入れておくから、
また私を導いてね、キョン。
この季節になると、いつも思い出すことがある。
期末試験の勉強が一段落したところで、カーテンを空け、窓越しに夜空を眺める。
窓は白く曇り、外は随分と寒そうだ。
携帯の短縮番号1番を押して、空を見上げながら電話をかける。
「よぉ佐々木、どうした」
野外にいるらしいキョンの声。
「いや大した用事はないのだけれどね。SOS団で流星観察に行くと言っていたから、
調子はどうだろうと思ってね。くっくっ」
「いや今年はダメだ。全然見えねえや。もうともかく寒くてたまらんよ。とっとと帰りたい」
「くっくっ。罰が当たったのかね」
「罰って何だよ。へっくしょい!」
「気にしないでくれたまえ。試験前なのでほどほどにしたまえよ。体調を崩しては試験にさわるよ」
「ハルヒのヤツに言ってくれ。俺は今すぐ帰りたいよ。うう」
「くっくっ。もし帰りに寄り道する気力があるのなら、我が家秘伝の生姜湯を用意してあげるよ。
そこらへんの自動販売機の缶コーヒーよりは温まると思うよ」
「そ、そいつは有難い。でもいいのか、こんな遅くにお邪魔すると親御さんがいい顔せんぞ」
「何を今更。近くまで来たら電話をくれたまえ。お湯を沸かして待っているよ。くっくっ」
涼宮さんの機嫌が悪くならないうちに電話を切る。
さて、生姜湯の材料はどこにしまったものやら。母に聞けばすぐわかるのだけれど、
両親ともたまたま外出ときている。
「まぁ、だからと言って間違いが期待できる相手ではないけどね、君は」
カーテンを閉じて、教科書をしまう。さて、お湯を沸かしに行くとしよう。
見上げた空に流れ星はなくても、たとえ君の隣で同じように星空を見上げる人達がいても。
僕は諦めず上を向き続けるとしよう。
君も同じ夜空を見上げていることを信じて。
おしまい
最終更新:2007年12月20日 08:35